エッセイ
カテゴリ
漢方薬を初め、天然素材の薬を用いて、さまざまな慢性疾患の回復のお手伝い
←2008年7月→
| 日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
| |
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
| 6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
| 13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
| 20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
| 27 |
28 |
29 |
30 |
31 |
|
|
|
|
新着エントリ
アーカイブ
アクセスカウンタ
今日:319
昨日:587
累計:276,551
笑顔
黒塗りのタクシーが薬局の前に着く。どんな人が降りてくるのかと思ったら、骨粗鬆症で背が縮み小さくなったおばあさん。足がかなり衰えていて、歩幅は小さくゆっくりとしか歩けない。僕は調剤室から見ていたのでおばあさんからは姿が見えなかったのだろう。小さな声で「ごめん下さい」を2度繰り返した。欲しいものを言われたがすぐには理解できずに、確認しあいながら目的のものを手に入れてもらった。ソファーに腰を降ろしていたが、レジを打つと、立ち上がりレジの所まで来た。わずかそれだけのことでも、おばあさんにはたいへんな作業なのだ。僕がソファーの所まで行くからいいと言っても、律儀にあちらから来る。財布からお金を取り出すのも時間がかかる。僕は一連の動作を見ていて涙が出そうになった。僕の勘では、恐らく老夫婦だけで暮らしているのだろう、いやもしかしたら1人住まいかもしれない。買い物に出る足がなく、仕方なくタクシーを頼んでいるに違いない。質素な普段着のまま、わずかのものを買うにも高いタクシー代を払ってやってくる。80才はゆうに回っているだろうと推測できるが、生きるってことは、生きぬくってことはたいへんなものだと思わずにはおれなかった。
僕に出来ることはとびっきりの笑顔だけ。おばあさんが今日出会う中で一番良い笑顔をすること。いやいや、今週中で、今月中で一番良い笑顔をすること。
あるお母さんへ
学校へ行けないのでしょうか。学校へ行かないのでしょうか。また、そのどちらもが重複しているのかもしれませんね。僕の場合は、入学して1ヶ月もすれば、思っていたところと異なっていたことに気が付きました。それで授業に全く興味を持てず、徐々にさぼるようになりました。1年生の時は野球部に入っていましたから、夕方には学校にいました。
それまでは恐らく学食にたむろして、煙草を吸って、劣等生同士で時間を潰していたのだと思います。2年生からは野球部も辞めて全くフリーになりましたから、昼頃学校に出かけ90円の定食を食べ、その後バスで柳が瀬という岐阜一番の繁華街に行って、パチンコをして夜まで過ごしました。夜アパートに帰ってきて、先輩や後輩などと麻雀したり唄を歌ったりして深夜まで遊びました。これを5年間くり返しました。勉強は試験の前だけです。授業に出ても、出席の返事をしたらすぐ抜け出ていました。僕の同級生は、60人ですが、4年間で卒業したのはどのくらいいたのでしょうか。僕ら1年留年は優秀な劣等生でした。2年以上留年の猛者もいるのですから。大学ってこんなものなのです。時代も学校も違うから一概に言えないかもしれませんが、厳しいと言われている薬科大学でもこんなものなのです。ところで僕の同級生は、その後けっこう真面目に生きていっていますよ。長い道草をしたようなものです。ちなみに去年帰って今一緒に仕事をしている娘に、学校に行っていたのと尋ねたら、あまり行っていなかったと言っています。もしおこさんが県外にでも出ていたら、全く今の状態に気が付かなかったでしょうね。1人で悩んでいたかもしれないし、SOSをお母さんに発信してきたかもしれません。おこさんが色々なことを考えて、悩むのは大人の階段を上がっている証拠です。上手くいくことなんか滅多にありません。あの頃の僕は、学校に行かなければならないと思いつつ、いけなかったです。行く理由が見つからなかったのです。それでも卒業したのは、他に能力がないことを良く知っていたからです。少なくとも免許がもらえる学校だったのが救いだったのかもしれません。
僕の煎じ薬はおこさんが、ご自分の心を傷つけるのを防いでくれると思います。自立への脱皮が苦悩を伴わないとしたら、青春は色あせたものになってしまいます。思い出したくないことばかりが想い出になってしまうのが青春ではないでしょうか。
栄町ヤマト薬局
幸せ
有り余るお金があるのは都合がいいが、幸せではない。地位があることは都合がよいことが多いが幸せではない。足が速いのは便利ではあるが幸せではない。歌声が響くのは、気持ちよいが幸せではない。美しい景色は心を和ませてくれるが幸せではない。家族みんなが健康であるのは恵まれてはいるが幸せではない。贅沢な食事は舌を満足させてくれるが幸せではない。豪華な衣装は人の目を集めるが幸せではない。ダイヤモンドの輝きは原石を掘る坑夫のことを思い幸せではない。良い職業を持つことは誉れではあるが幸せではない。
幸せは木の枝にじっと留まらないもの。一瞬で消えるもの。幸せをまだ知らないことは不幸ではない。命に代えて守りたいものに出会ったときに感じる心。それをもしかしたら幸せと言うのかもしれない。
腕時計
30年以上腕時計をしなかったので、どこの街に行っても商店の時計をのぞき込むばかりしていた。僕にとって必要な時刻は、様々な街で開かれた研究会の開始の時間だけで、それ以外はあまり意味を持たなかった。何とか開会の時間に間に合えば良かったから、ホームに立ち、来た電車に乗った。早く着けば商店街をぶらぶら歩いたし、遅れそうになれば雑踏の中を走った。どこにいても腕時計がないための不便は感じなかった。身に何かを着けることが生理的に耐えられないタイプだから、手首に金属や皮があたることを考えただけで鳥肌が立つ。だからしたことはないがネックレスなんてものはほとんど僕にとって拷問に近いのではないかと思う。
幸運にも身だしなみにはほとんど興味がないから、かなり倹約できているのではないかと思う。下着と靴下以外は今でももらったものを大切に使っている。基本的には何でも破損して使えなくなるまで使うタイプだから、衣服も1枚あれば数年使える。倹約の結果が何に変わっているのか、どこに残されているのか分からないが、実はそんなことより、はるかに心を解放してくれたところに価値があった。どこにいても、どこに行っても、ほとんど日常に近い僕がいた。特別な自分はどこにもいなかった。いつもの言葉で喋り、いつもの顔で笑い、いつもの口で食べた。肩から力は抜け、心は穏やかだった。飾らないことは僕にとっては最強の防御だった。評価が下がれば下がるほど僕は自由になった。
持たないことは失わないこと。本当の自分を失わなければ恐れることはない。虚飾は自分ではぎ取って、いつでもどこでも平常心でありたいものだ。
心
心は自分に向いたとき鉛のように重たくなり、他者に向いたとき綿のように軽くなる。湖底に引きずり込む力にもなるし、綿にくるんで空を飛ぶ軽さにもなる。重圧に耐えかねて潰れることもあるし、喜びにはじけることもある。もてあまして、どこかに捨ててきたい時もあるし、集めて希望の灯りにしたいときもある。無ければいいと思うこともあるし、無ければ寒々しいことも容易に想像が付く。沈黙が耐えられないときもあるし、沈黙が価値あるときもある。裏表に戸惑うときもあるが、裏表で救われることもある。踏みにじられることもあるし、踏みにじることもある。お金で買えないものもあれば、お金で買えるものもある。
人間のもっとも人間らしいところ。歯がゆくて、頼りなくて、臆病で、哀しくて壊れそうなもの。心、50円で売りませう。
名古屋
名古屋に行って来たという若い女性が、僕が岐阜に住んでいたことを知っているので、みそ煮込みうどんを食べたことがある?と尋ねた。僕は、5年岐阜にいたが、勿論食べたことはない。帰省の行き帰りや、アルバイトなどで何回も名古屋には行っているが、食堂に入るなんてことはあり得なかった。今になって知ったのだが、名古屋には多くの美味しい料理があるらしいのだ。
僕が5年間岐阜にいて、郷土料理なるものを食べたのは、恐らく1回生の時、野球部にいたからその時のコンパ、後一度だけ、近くのお寺でみそ田楽というのを食べたことくらいだろうか。今思えばもう少し、想い出になるようなものを口にしたり、有名なところを訪ねておけば良かったと思う。それらしいところに行ったのは養老の滝と高山だけだ。それもわざわざ行ったのではなく、必要に迫られていったのだから、余程何にも興味を示さなかった青年だったのだろうか。
部屋代とバス代と煙草代。そしてパチンコ代。最低限それだけを確保して、後は何とかしていた。その何とかが今考えてもあやふやで、どうして何とか出来ていたのか分からない。そんなに熱心にバイトをした記憶がない。勿論盗みはしなかった。無いもの同士で融通しあっていたのか、いや、僕がもらうことはあっても僕が回すことはあり得ない。目的もなく、潰すべき時間を彷徨っていたから空腹が応えなかったのかもしれない。食費は一番最後に考えるべきものだった。上記の必需品の残りが食費なのだ。僕は同情すべきワーキングプアではない。確信犯の遊ビングプアだったのだ。
夢も希望もなかったけれど、何とかなる時代だったのだ。今の若者は何ともならない時代を生きている。そこそこにやっていれば何とかなった時代は、頑張ってもはい上がれない時代になった。どう転んでも、我が息子や我が孫が食うに困るようにはならない老人達の手で、時代は変えられた。しかし、翻弄された世代の叫び声はまだ聞こえない。
あくび
抱いている赤ちゃんより、父親の方が眠そうだった。気を利かして早めに帰った。昼を過ぎているのにあくびばかりしている。久々の日曜日の休みだというのに気の毒だ。3Kの代表みたいな仕事をしている。器用を見込まれて、血まみれで頑張ることもあると言っていた。潰瘍の破裂、静脈瘤の破裂で幸運にもまだ止血できなかったものはないと言っていた。それこそ幸運と本人も思っているのだろう。もう1人の方とローテーションでやっているので、担当したら責任は全部自分にあると言っていた。先輩がいなくなり、自分が先輩になったので、自分が最後の砦だとも言っていた。
サッカーとバレーをしている時が一番輝いていた。スポーツで暮らしていけるならきっとそうしたかったろう。幼子は幼子のように、少年は少年のように、受験生は受験生のように育てた。青年は青年のように過ごしたのかどうか分からない。青年になれば無干渉だった。風の便りもはいってはこなかった。社会人になってからは、完全に独立して、良い家族より良い社会人であることをよしとした。
30年前の僕をみているようだった。何も考えていなかった。がむしゃらにその日その日を暮らしていた。将来なんか全く考えてもいなかった。だからやってこれたのだ。延々と繰り返される営みがいとおしく感じられた。ほとんど本能に近いところで、赤ちゃんとしばし見つめ合っていた。
自由
誰もいない夜、ラジカセのボリュームをいっぱいにし、テイクファイブを薬局の中に響かせる。ボリュームを上げる ボタンを押し続けることが自由の証なのだ。どのくらいの大きさにしようが、どの曲を聴こうが、自由なのだ。こんなちっぽけな、気ままと間違えそうな自由さえ、楽しむこともなかったと思う。
何に追われているのか自分でも分からない。いや、追われてなんかいないに決まっている。もし追っているものがあるとしたら自分自身なのだ。自分を後ろからむち打っている自分が見える。どこに行かそうか、何を得さそうか、分かっていない自分が追いかける。たどり着くところさえ知らない自分が、進み続ける。もうこの辺りでいいではないかと、背負っていたリュックを置く勇気もない。立ち止まることが失うことだと勘違いしているのか、歩みを止めることに臆病だ。
夜が僕をひとりぼっちにする。テイクファイブの大音量が破るのは昨日までの僕ではなく、明日からの僕でもない。自由を縛る不自由な僕の精神なのだ。
地震
僕の漢方薬を飲んでくれている人が、あの山が落ちる地震を震源地のすぐ南で経験している。今日の電話でその事が分かった。なにぶん東京から向こうには行ったことがないので地理にはすこぶる疎い。有名な観光地くらいは分かるが、それ以外はほとんど異国の地だ。だから地震のニュースを見ていても、まさか知っている人がすぐ傍で体験しようなどは考えもしなかった。
彼女が働いているところが偶然堅固な建物だったから被害は何もなかったらしいが、あの揺れは体験している。余震の影響で3日くらいは眠れなかったと言っている。今でも手が震えるそうだ。いつも電話で様子を知らせてくれる人だから、彼女の話し方、声の力などで見当をつけているのだが、およそ力強い人とは正反対に位置する人だ。恐らくそれが最大の彼女の魅力でもあるのだろうが、本人にとってみれば最大の短所なのだろう。そんな彼女だから、今だ恐怖体験から抜け出ていないのだと思う。それはそれでいいと思う。自然な感情をそのまま受け入れた方がいい。気張っても、所詮僕ら凡人は凡人。スーパーマンにはなれない。
天災にしても、人災にしても、誰が選ばれてその被害に遭うのか、又誰が選ばれて被害から免れるのか、ありもしない、見つかりもしない答えを求めて問いかけてみたいと思う。不幸は誰に何故襲ってくるのか。法則があるなら教えて欲しい。免れるためには何をすればいいのか。はたまた免れ続けることが出来るものなのか。何かにすがり、何かに祈り、何かを犠牲にすれば免れるのか。大いなる力は働かないのか。小さくてひ弱な人々の上に。
媚び
県北から過敏性腸症候群の女の子が1人で訪ねてきてくれた。一連の作業が終わった後娘が邑久駅まで送っていくことになり少し時間をつぶしてもらうことになった。県北だから海が珍しいというので、自転車を貸してあげた。少しの時間をおいて帰ってきた。彼女の海を見た感動話が印象的だった。同じ県内でも違うものだなあと印象深く聞いた。
バスから降りたときの風がもうすでに違っていたと彼女は言う。さわやかな風と表現した。海辺でも同じ風が吹いていたみたいだ。彼女が行った場所は、僕の犬の散歩コースで、今まさに募集中のリゾートマンションが完成間際の海岸縁だ。そのマンションには入れないが、その下から海を眺め、マンションから眺める景色を想像したみたいだ。あんな所に住みたいと言っていた。彼女が住んでいる県北の町は、夕陽が例えば地平線や低い尾根などに降りるのが見えないのだそうだ。山が高いのか、早くからあっという間にいなくなるみたいだ。沈みゆくと言う形容などは出来ないみたいだ。夕陽が沈むのを見てみたいと言うから、いつでもおいでと答えて置いた。
1日中波のように襲ってくる腹痛も、僕の薬局に来てからは起こらなかった。3時間くらいいたのかもしれないが、その間恐怖のケーキを食べても腹痛は起こらなかった。ひょっとしたら漢方薬より僕の方が効くかもしれないから、いつでもおいでと言っておいた。こんな所に住みたいと、意外と強い口調で言った。 若い素敵な生命力に満ちあふれている世代の人達が、やりたいことを諦めているのを聞くのは忍びない。彼女がやりたいことを2つ教えてくれた。絶対近い将来実行してもらいたい。何とか力になってこんな不合理なトラブルから抜け出て欲しい。彼女が住みたいと言ったリゾートマンションを買える余裕があれば、訪ねてきてくれる人達に提供したいが、なにぶん僕にはそんな余裕はない。売ってお金に替わるものも持ってはいない。いやまだ一つだけ大事にとっておいたものがある。売らずにとっておいたものがある。そうだ、媚びだけは売らずに残していたんだ。よし、これから僕は金持ちや偉い人に媚びを売るから、マンション一部屋分のお金に換えて。
船大工
もう何年も、ある一つのものを定期的に買いに来る老人がいる。恐らく脳梗塞でもやったのだろう、歩くことも不自由だし、手も不自由、言葉も不自由だ。会話がほとんど出来ないから、僕はどこの誰か分からずに応対していた。今日、その方が薬局にいる間にある漁師が買い物に来た。その漁師が、老人を見つけて「元気にしてるの」と声をかけた。すると老人は、片手を上げて笑顔で「おっす」と答えた。老人が人の呼びかけに答えるのを見たことがなかったので一瞬驚いた。
老人が出て行ってから漁師が教えてくれた。自分の船を造ってもらったらしいのだ。要は船大工なのだ。元船大工と言った方がいいだろう。だから注文主のその若い漁師を見て笑顔をしたのだろう。昔のお得意さんな訳だ。
彼の説明に拠るとその老人は、現役の時はめっぽうお酒が好きだったらしい。漁師町で又船大工が並ぶ界隈で、めっぽう酒が好きとなると半端ではないだろう。恐らく朝から酒を飲み、のみを握っていただろう。そのあげくが今の症状なのだろう。そのくらい容易に想像が付く。
さて、その老人はぺっぽう酒が好きで手足の自由と言葉の自由を失った。若いときは人の何倍も酒を飲み人生を謳歌したに違いない。よく働き、よく飲み。一方、僕は30年間堅い床の体育館でバレーを楽しんだおかげで、首と腰が痛みきった。アタッカーで飛び続けたせいで、脊椎間のクッションがすり減っているのだろう。毎朝今日は動けるか確かめないと予定が立たないくらいだ。ただ僕はバレーのおかげで、30年間週に1度、数分に一度笑い転げながらストレスから解放されていた。汗を滝のように流し、吉本新喜劇の数倍笑えるとしたらどれだけ健康にいいだろう。それを僕は幸運にも30年間繰り返した。ところが、腰と首がついに持たなくなり、バレーは断念した。もうあのように笑い転げることもない。シャツが透き通るほど汗をかくこともない。今できることと言えば、急に襲ってくる痛みにおびえながら、仕事をしたり研修会に出席したりすることだけだ。当時何の心配もしなかった。関節を痛めて、その後の人生がこんなにつらいとは思わなかった。ずっとこのまま痛みを確認しながら何十年も生きていくのだろうかと、空しさに襲われることがある。それではあの30年を否定するのかと言えばそれはあり得ない。唯一の心の解放、唯一の運動だった。あれがなければ、その時点で気力体力を失い、もっと重大なトラブルに陥っていたような気がする。腰や首のうっとうしさをつい優先して、当時バレー三昧だったことを後悔し勝ちだが、それは身勝手すぎるような気がする。終わりよければ全て良しといえるほど、人生は短くない。あの30年をせめて健康に暮らして来れたのはバレーに拠るところが多い。あの時代がなければ今僕は存在していないかもしれない。息子より幼い青年と対等に競っていたのだから、得た気の力は相当だったはずだ。
老船大工も僕も、所詮好きなことが過ぎて得た結果。人の同情は得られない。せめて将来の僕自身の骨格系の痛みの為に、漢方薬の実力を今の内に身につけておきたい。
自然
ある女性が、自分の相談がすんだ後、お母さんの体調について話し始めた。もう80才が近いそうだが、最近目に見えて弱ってきたというのだ。あるトラブルで病院にかかったのだが、次第に薬が増えて、今では毎食後10種類近く飲んでいるという。食欲が無く、起きているのもしんどいから、訪ねてみると寝てばかりいるという。時々見当違いなことを口にするし、やる気、根気、元気の全てが無いという。痴呆が始まったのだろうかと言うが、急な変化だからお嬢さんとしても合点がいかないのだろう。
最初からその気だったのか、お母さんが服用している薬を教えてくれた。なるほど、主たる病気以外は、お母さんが折々に訴えた症状に対する薬で、それが治ってもまだ出続けているのだろう。老人だから律儀に飲み続けているのだろうが、肝臓も腎臓もその薬を体外に無毒化して排出するには衰えすぎている。きっと、血中に解毒されないものが漂っているのだろう。考えただけでもしんどくなる。
今日、2週間ぶりにお嬢さんが薬を取りに来たが、問題のお母さんを連れてきた。痩せてはいるが、笑顔も見せて歩きぶりもいい。自分が必要なものを自分で言って買った。あれから主たる病気に対する薬以外を全部止めたそうだ。そうしたら次第に元気になって、今日はこうして付いてきたと言っていた。2人にお礼を言われたが、僕は何の薬も出していない。一言あの時「止めたら」と言っただけなのだ。あの短い一言で礼を言ってもらえるのだから有り難い。
僕はどこの医院にも属していないから、このくらいは言ってもいいだろう。僕に利益をもたらさない前提でこの程度は同じ地域に住む人間として許されるのではないか。医師に薬の必要性を尋ねるのが定石かもしれないが、それは律儀な患者さんが許さない。お医者さんは絶対なのだから、こそっと自分の身を守りながら医師には何も言わないのが、田舎の人達なのだ。
無気力で寝てばかりいた人をさらに薬を飲ませて元気にするのは難しい。時には引き算も有効なのだ。「自然」をキーワードに考えれば、解決の糸口が見えてくることがある。それは単に健康のことだけでなく、あらゆる分野で言えるのではないか。
オカリナ
ある会議に昨日出ていた。円卓になって色々話していたが、どうもかた苦しい。雰囲気を和らげてやろうと思って、ジョークを言ったら、思いっきり滑ってしまった。そのおかげで、雰囲気は一気に和らいだ。上手いジョークが言えるのならそれに越したことはないが、僕らは素人だから、滑った場合の方が受けるのだろう。
その組織をもっと外部に知ってもらおうというものだったのだが、なかなか意見も出ない。堅い人が多いから、破天荒なアイデアは出ない。新参者の僕がリードするのは良くないから遠慮していたが、らちがあかないのでアイデアを出した。どこででもやっているようなことなのだが、自分たちの身の丈にあったことをしようと提案した。外部の才能ある人を呼んできて、楽しい一時を一緒に過ごしてもらうなら簡単だ。金があればプロを。金がなければセミプロ、あるいはアマチュアを。
どうも僕のブログを読んでいるらしいから書きにくいが、僕の仲間には唄う歯医者さんもいるし、唄う鍼灸師もいる。唄う薬剤師らしい人には長く会っていないが、今でも現役で唄っているらしいし、唄う医者もいれば、唄う電柱乗りもいる。僕が漢方の講演をすることも出来るし、息子に話させてもいい。しかし、それでは僕の縁に拠ってしまう。ほとんど意味を持たない。その会の人達が自分のタレントを披露してくれるのが一番いい。自分たちのタレントで人を呼べるのが一番いい。それが出来れば打ち上げ花火で終わらずに、地に足が着いた持続可能なものになる。
会議が終わるとある女性が近づいてきた。僕より一回り以上年上の人だと思う。僕の顔を見上げ「厚かましい提案をしてもいいですか」と言う。なにでもその女性は、オカリナの演奏グループに入っていて、老人ホームなどに慰問に行っているらしいのだ。仲間と相談して、演奏を披露したいというのだ。僕は思わずハグしてしまった。まさにこの申し出を待っていたのだ。自ら属しているもののために一肌脱ぐ決意を待っていたのだ。大げさに考える必要はない。からを脱ぎ捨てて楽しんでくれればいいのだ。また、楽しませてくれればいいのだ。評価は必要ない。上手い下手など関係ない。名乗り出て、演じてくれればいい。照れくさそうな、でもちょっと茶目っ気な表情をしていた。ちょっとした決心が必要だっただろうが、よくのりこえてくれたと思う。
きまじめが解決できることは少ない。きまじめに縛られて、1歩が出ないことは良くある。程々の熱心さで、程々のジョークを飛ばし解決していけば疲れない。みんなが疲れないこと。みんなが落ちこぼれないこと。僕ら素人の鉄則だ。成功は失敗よりちょっとだけいいに過ぎない。そんなに距離があるものではない。笑い飛ばせば逆転する距離だ。肩肘張らず、オカリナで演歌を聴くのもいいかもしれない。
弱み
あの人には勝てない、あの人達にはどうしても負けてしまい、避けてしまう。いつもどこかで恐れていて、出来れば会いたくない。そんな経験は、余程気が強い人以外は持っているだろう。もう何年も何十年も、コンプレックスを抱えながら生きている人も多いだろう。あの人さえいなければ、あのグループさえなければと、原因を外に求めてしまう。オブラートか磨りガラスで本当の弱い自分を隠して生きようとするが、そんなこと永久に出来るわけがない。10年も20年も自分の弱さを隠して生きれるものでもない。
所詮勝てそうにない相手も実は恐れる必要はない。自分の持っているコンプレックスを一度さらしてしまえば、もうそれ以上隠す必要はない。弱みは隠すからいつまでも弱みなのだ。もともとの具体的なコンプレックスよりも寧ろ、それを隠して感づかれないことばかりに気を使い、疲れ切っていることの方が多い。誰もが弱点なんか一杯持っている。弱点は人前にさらしたときから個性になる。隠せば隠すほど精神が追いつめられる。
もし僕らが恐れるとしたら、全てを許してくれる圧倒的な寛容の持ち主だ。もし、そんな人が実際にいたら畏れなければならない。そもそも恐れる相手が違う。次元が低いところで悩み立ち止まる必要はない。
皿
痛し痒しとはこのことだろうか。中学生のころからある症状で苦しんでいた青年が、半年漢方薬を飲んでくれたおかげで体調がすこぶる良くなった。都市部の人なのだが、牛窓に農業の手伝いに来ていた。恐らくバイトという待遇だと思う。中高一貫校に行っていたらしいがその症状で勉強できずに、不本意な大学生活だったようだ。卒業してもちゃんと働く自信が無く、ストレスがかからなくて自然を感じながら働ける環境を求めて、農業の手伝いを選んだ風に見受けられる。あまりおしゃべりな人ではないから、詳しくは聞けないがおよそそのような流れだ。その彼が今度正式な仕事に就くことになったと話してくれた。彼の能力や性格からしたら体調さえ許せば、それは可能だろう。恐らく本人の希望だから喜ばしいのだろうが、ただでさえ若者の少ない農業から若者が1人離れていくのは寂しい。体格が良く汗を一杯かいて薬局に薬を取りに来ていたが、ひょっとしたら次はスーツで現れるのだろうか。僕の漢方薬も少しは役に立ったのかもしれないが、彼が太陽の下で一杯汗を流したことがもっと効いたような気がする。彼が望む仕事に就けることは嬉しいが、彼の日常から自然との関わりが無くなることは寂しい。体調が後戻りしないことを願うだけだ。
油代が高くて休漁する漁船が相次いでいる。ハウス栽培が赤字になる話題も事欠かない。額に汗して働かない人間達の思惑で、もっとも大切な産業が困窮している。誰のおかげで生命を維持しているのか考えもしない人種のせいで、健全な生き方をしている人達が割を食らう。地球の反撃は、札束で防げると思っているのか。自分たちだけは浮沈の軍艦に守られていると言うのか。誰が誰のためにあるというのか。誰もが、誰ものためにあるのではないのか。耕した土の上に落とす汗が無くて、皿の上に一切れの命も盛りつけられない。
紀香バディー
あるトラブルでお世話している若い女性と暇だから色々な話をした。その女性の母親も、おじいさんもお世話しているから、良く知った間柄なのだ。何でも正直に話してくれるので参考になることが多い。
僕の守備範囲ではないが、若くて美人で愛想がとても良いのに、ウツの治療を5年もしている。沢山の薬を飲んでいて、気の毒になる。話している内に彼女が2つの人格を使い分けていることを知った。話ながら彼女もそれに気が付いたみたいだ。本来彼女は人が苦手らしい。嫌いだというような表現も使った。だから家に数ヶ月も引きこもることが出来る。死ぬ方法を色々思案したりするとも言っていた。その彼女が派遣で職を得たら、俄然張り切って、笑顔を振りまいて才能を発揮する。お客には勿論受けるが、同僚のスタッフにも気を使い、よい子を演じきってしまうのだ。作り笑顔も、作りトークもお手の物なのだ。ところが、いったん職場を離れると、一瞬にして元の人間嫌いに戻るから、その落差による疲労は甚だしいらしい。何でそうなったのと尋ねると一瞬考えていたが、幼いときから優秀で、親の期待に応えるべく完全を演じていたというのだ。子供心にもしんどかったというが、進学高校まではそれでも何とかなったが、そこからは息切れがして演じ切れなかったらしい。
もう一つ、父親との確執も大きな原因のようだった。詳細はさておき、父親の愛を感じることはなかったみたいだ。それは今でも尾を引いていて、最大のストレス源みたいだ。ストレス源と同じ屋根の下にいるのだから、ウツも治りにくいだろう。薬物療法も大切なのだろうが、愛され大切にされる方が余程効きそうだ。繊細な心の持ち主だから、その性格を生産的に使えばどれだけ人の役に立てれるだろう。本人は勿論、親も大きな損失だ。
「今日、自分のことを書くよ」というと快諾してくれる。そんな気配りこそが、持病の回復を遅らしているのだと思うのだが。明るくて快活な女性を演じるなと言ったが、薬局にある藤原紀香の本、「紀香バディー」を貸してって言うくらいだから、分かってはいない。
集中力
ある女性が、漢方薬を持って帰った数日後電話をしてきた。今度の薬は色が白くて量が少ないと。車で20分くらいの隣町の人だが、わざわざ持ってきてくれた。不思議なこともあるものだと思って調べてみると、明らかに色が白くて量が半分くらいだ。同じクスリを作り治そうとして気が付いた。それこそ当然加えなければならない黒色の薬を加えていなかったのだ。材料を並べてみてすぐ分かった。その方の薬を作ったとき、薬局が混み合って急いで作ったのでもない。牛窓を見学してくると、愛犬を連れて薬局を出ていったから、ゆっくりと作ったはずなのだが。集中力を切らしていたのだろうか。まさに僕の手落ち。
その方は、とてもいい笑顔で入ってきた。初対面の時以降はいつも自然な笑顔をしている。わざわざ無駄足を踏まされたのだから僕を責めればいいのに、そんな感じは微塵もない。こちらに非があるのに、話していて楽しい。偶然娘が朝買ってきていたワッフルとコーヒーでおもてなしが出来たが、この町で薬局をやってきたおかげを感じる一瞬だった。 特別僕が人間が好きで、おしゃべり上手でもない。こんな僕でも、自然体で人と接することが出来るたおやかな空気に町全体が包まれているのだ。昨年まで娘が働いていた京都府の久美浜も同じように、人の良い人達ばかりだったと娘が感想を述べていた。偶然かもしれないが、どちらの町も「日本のエーゲ海」を標榜している。
何かの縁で、未熟な僕でも役に立てることがある。学者でもカリスマでもない、寧ろその逆の田舎の薬局に良く来てくれると思う。だからこそ人一倍役に立ちたいが、混ぜものを忘れるようでは心許ない。忘れたいこと、忘れなければならないことはいっぱいあるのに、忘れてはいけないことだけ忘れている。
当たり前
僕が牛窓に帰ってから好んで付き合った人達でどうも人生が上手くいっている人はいないみたいだ。中にはそこそこの人もいるのだろうが、田舎のそこそこだから所詮しれている。食うに困らない程度という表現が適するだろう。元々立身出世するような人、人を押しのけて進むようなタイプは好きではないからつき合いがない。だから、多くを手に入れる人は元々身の回りにはいなかったのかもしれないが、多くを失いそうな人もいなかったのだが。 ところが、2年ぶりに来た嘗ての仲間を見て、あんたもそうかと言いたくなった。嘗てそうだったように、お金を持って入って来ない。当然つけがきくと思っている。嘗て潰瘍持ちの彼に何度深夜薬局を開け、薬を渡してあげただろう。その都度つけがたまりある程度の額になっている。そのことを言うと完全に忘れていた(らしい)。今日の薬の代金700円も持っていない。請求すると、来月の10日に払うという。60才近くなって700円が払えないのは、余程の不運か余程の不始末がないとあり得ない。前者なら勿論同情するが、僕の嘗ての仲間の共通する特性として、ほとんどの人が後者なのだ。だから同情もしない。人一倍酒をあおり、人一倍大風呂敷を広げ、人一倍ばくちをしている。世間の人が懸命に働いている時に、評論家ぶり、実力者ぶって、その裏で酒やばくちにのめり込んでいた。質素とか謙遜とか、多くの人達が不器用に守り続けている良識を馬鹿にしていた。
風呂に入っていないのか、どす黒く痩せこけた顔。これと全く同じ表情の男達を何人も見てきた。それぞれが家族を失い職を失い社会の信頼を失った。人は好きなもので滅ぶという。異性が好きな人は異性で、お金が好きな人はお金で、ばくちが好きな人はばくちで、酒が好きな人は酒で人生を失う。饒舌で人当たりがいい、これが僕が経験的に一番信頼できないタイプだ。当たり前に暮らしていく能力もない人間が、当たり前を卑下する。当たり前に脱落して、どう自分自身を総括するのだろう。この期に及んでまだ空虚な言葉を並べるのだろうか。
烏(からす)
物知りな人はいるものだ。自分で目撃したのか、聞いた話なのか知らないが、僕には初めてのことなので、ただただその人の物知りぶりに感心するだけだ。
公園に子猫や子犬を捨てるとすぐにいなくなると言うのだ。その原因が何と烏なのだ。これは意外だった。さすがの烏もまさか子犬や子猫を襲わないだろうと思っていたら、知恵ものの烏は、ひょいとつまんで大空高く飛び上がり、高いところから落として殺すそうだ。そしてゆっくりと食べるのだそうだ。高いところから落ちれば死ぬってことをあの小さな頭は知っているのだ。また鳩を狙うときは後頭部をつついて気絶させたり、目をつついて見えなくしてゆっくりと料理するそうだ。なんだか聞いているだけでぞっとするような光景だが、人間が烏を嫌う理由が分かったような気がする。
それは残忍な烏の生態を嫌っているのではない。直接的にはあまり烏に危害を受けることがない人間が、特別烏を嫌う理由は、似ているからなのだ。その残忍な行為は、人間がやりそうなことだ。いや、人間の方が何倍も残忍だ。烏のやっていることは、人間が日常的にやっていることなのだ。だから人間は烏のそれを直視できずに嫌うのだ。烏を見ながら自分たちを投影してしまうのだ。人間のような烏と、烏のような人間が、生ゴミの収集場所で共存しているのだ。弱肉強食のルールのないルールは、空を飛ぶ黒衣の鳥も、地を這う二本足も共通のものだ。僕らはくちばしを隠している鳥かもしれない。
活断層
天性のものなのか、お節介もここまで来るとプロフェッショナルだ。漁師町のあるおばさんは、軽四自動車にお年寄りを詰め込んで、峠を2つ越えてやってくる。もうそろそろ漢方薬が切れているはずだと目星をつけて、連れてきてくれる。お茶を飲みながら簡単な問診をして、いざ薬を作り始めると、近くのスーパーに連れて行ってあげる。お年寄りは足がないから、普段の買い物もままならない。貴重な機会なのだ。薬が出来上がりそうな時間帯にみんなを引きつれて帰ってくる。会計をすますまで、地元のうわさ話で盛り上げる。片時も話し声が途切れることはない。お年寄りもある内容では聞き手で、ある内容では話し手になる。この辺りの間合いが非常に上手だ。「ポイントカードをおばさん押してもらって」と、最後の仕上げまで気を配る。
東北の地震の報道を見ていてこのおばさんを思いだした。インタビューに答える人達の素朴な言動が、激しい被害と比例しない。とげとげしい言葉は聞かれずに、自然と共に生きてきた人達の温厚ななまり言葉に救われる。海に住むおばちゃんと、山に住むおばちゃんの違いはあるだろうが、きっと共同体の接着剤のような存在で、口から生まれたような巧みな会話をしながら傷心の心を癒している人がきっといるに違いない。いくら活断層でも大地は割けても、人の連帯は割けれないだろう。
絵画
僕の好きな光景がある。それは毎週日曜日に見られる光景なのだ。
お子さんの年齢から想像すると見かけよりは若いのかもしれないが、体格のよいお父さんと小学4年生の女の子が教会のミサにやってくる。お母さんの姿が見えないから、きっとお母さんは信者ではないのだろう。日本では別に珍しいことではない。家中でクリスチャンという方が寧ろ珍しいのではないかと思う。教会のミサが終わると、きっと近所なのだろう、その親子は歩いて帰る。何故か知らないが、僕が車に乗って帰ろうとしてある信号にかかると、必ずと言っていいほどその親子が横断歩道を渡っている。背筋を伸ばしたお父さんが先に歩き、お嬢さんがうつむいたまま後ろを歩いている。いつもお父さんは堂々と、いつもお嬢さんはうつむいて渡っている。父親が娘とおしゃべりをしながらというのはあまり得意ではないだろう。教会でもいつも並んで腰掛けているが、会話をしている光景は見ない。実直そうなお父さんと、はにかみ屋のお嬢さんの心温まる沈黙は、10数年前の僕を思い出させる。
人生で一番充実しているときはやはり子育ての時期だったと思う。懸命に働き、ちょっとしたことを喜び、ちょっとしたことを心配した。全てが子供達を中心に回っていた。横断歩道を渡るお父さんの背中には、お嬢さんの全てを感じる感知器がある。前を歩いていても全てを感じる愛情がある。細心の注意を払って無関心を装い、危険から守りながらも立ちはだからない。お父さんの堂々とした態度に守られて教会から帰る姿が、まるで絵画のように僕には見える。
蚊
薬局の扉は、閉店まで開けっ放しなので、日が落ちてからは蚊が沢山入ってくる。その中の何匹かが、夜僕の耳元でうるさく羽音をならす。当てずっぽうに手で耳の辺りをたたいてみるのだが、余程運が良くないと殺せない。数回試みたあげく、結局は暑いのに布団の中に潜り込んで息苦しさのまま何とか眠りに就く。毎晩一度は目を覚まされて、蚊と戦う。電気を点けて蚊を捜したり、キンチョールをかけたり、線香に火を点けたりするのはどれも面倒くさいので、原始的な戦いを挑んでいる。
牛窓に移り住んでいる芸術家が、夏の必需品を買いに来た。都会の人に人気のヤマト薬局特製の虫さされ軟膏がある。特製と言っても薬局製剤という薬を作る許可を持っていれば誰でも創れるのだが、そんな面倒くさいことは今の薬局のほとんどはしない。その軟膏も含めて色々持って帰ったのだが、彼女が「蚊もいないような所に住んでいた」と言っていた。僕が応対しなかったのでそれがどこか聞きそびれたが、蚊がいないような所があるんだと驚いた。僕も何箇所かで住んだことはあるが、蚊がいないところは知らない。高層ビルが林立している辺りを言うのだろうか。見るからに庶民とは縁のないところなので、実際に確かめることは出来ないが、蚊は飛んでいなくても、人の血を吸う悪魔は住んでいそうだ。蚊に血を吸われても、直径1cmくらい赤くはれてかゆくてもそれは耐えられる。10分もすれば収まってくるから。だが、弱い人の血を吸う悪魔は、生き血を吸い尽くす。あの手この手を考え出して不器用な人から血を搾る。満タンになった蚊はゆっくりと飛んで両手のひらの犠牲になるが、都会の「蚊」は満腹を知らないらしい。貪欲に血を吸い続け、手のひらからも余裕を持って逃げる。東京タワーに巨大な蚊取り線香をぶら下げないと、国中の不器用な人達が貧血になりそうだ。
水
昨夜、急に妻が帰らないことになったので、1人で家にいた。のどが渇いたので、冷蔵庫を覗いてみても飲めるものは何もない。薬局に降りればリポビタンがあるので飲もうと思えば飲めたのだが、さすがに寝る前に飲むものではない。台所に名前は分からないが大きな柑橘類があったので、それを包丁で切って食べた。少しの間のどの渇きはごまかされたが、すぐに又水分が欲しくなった。自動販売機で何か飲料水を買ってこようか、それとも久しぶりにビールでも飲んでやろうかと考えたが、わざわざ出かけることが億劫だった。結局、思いついたのが水道水を飲もうと言うことだった。恐らく1時間以上どうしようか思案していたのだが、水を飲むという選択肢はそれまで全く浮かんでこなかった。僕の頭の中から水でのどの乾きを癒すと言う選択肢が消えていたのだ。所詮苦肉の策なのだが、これに気が付いたときは恐ろしくもあり、又残念だった。なんて贅沢なんだと、なんて不自然な嗜好を続けてきていたんだと我ながら情けなかった。単にのどの渇きを癒すためになんて贅沢な発想をしていたのだろうかと思った。
不便を不便と感じるから不便なのだ。不便ではないと思えば不便なんて何ら不便ではない。のどの渇きを癒すためなら、台所で蛇口をひねるだけでいいことを思い出した。甘みも清涼感も何もなくてものどの渇きは癒される。寧ろ何もない方が必要量が分かるかもしれない。癒されれば自然とコップを置く。ところが美味しく味付けされているものは、喉より頭で飲んでしまう。だからいくらでも飲んでしまう。のどの渇きを癒すどころか糖分で再び渇いてしまう。僅か一合の喉の渇きを得るために、コンビニやスーパーの棚にはペットボトルが数々並んでいる。喉の潤し代100円也。水道水をひねればただ也。環境にも悪影響しない。
知らない間に身に付いた贅沢。マネーゲームでつり上げられている物価に対抗することは簡単だ。昔を思い出せばいい。昔の知恵を借りればいい。そこかしこに知恵が転がっている。贅沢な心を排すれば、無味無臭の水さえもメダカを追ったせせらぎの味がする。
段ボール箱
裏口を開けると一杯野菜が段ボール箱に入れられて置いてあった。「野菜を置いて帰りましたから」と電話をくれたおばちゃんの病気を治したのではない。おばちゃんがかわいがっている猫を治したのだ。1週間くらい前、おばちゃんが腎臓の薬を作ってと言って入ってきた。様子を聞いているとなんだか腑に落ちない。よくよく聞いていると飼い猫が調子が悪いらしい。以前同じ状態になって獣医に連れていったらしいが、腎臓が悪いと言われたらしい。それで僕に腎臓の薬を作ってと言っているのだ。抗生物質を販売することは出来ないから、漢方薬なら出してあげるというと、漢方薬の方がいいという。理由はよく分からないが、僕には逆にそれしか武器はない。人間に換算したらどのくらいの量を量ればいいのかなどと、分かったような分からないような計算をして、一応作ってみた。その答えが裏口の野菜だったのだ。
「元気になって帰って来ないよ」と嬉しそうに教えてくれたが、獣医代が払えなかったのだろう。僕は効くか効かないか自信がなかったのでただで上げたのだが、ただほど高く付いたのではないかと気の毒だった。それにしても薬局に来たときのおばちゃんの心配そうな顔はただごとではなかった。まるで子供か孫を心配するかのように心を痛めていた。幸せな猫だ。症状を説明してくれるときでもほとんど擬人化されていた。老いて小さなペットを飼う老人がいる。下手をすれば1日中口を利かないことも多い。ペットを相手におしゃべりでもすれば少しは気が巡るだろう。沈黙の中でろくなことは考えまいから。
人間が嫌い、人間が苦手、分からないわけではない。ただ、今日食べた魚や野菜、今日着ている衣服、通勤電車、みんなみんな人が作り動かしてくれているものだ。人間が嫌い、人間が苦手なのではない。本当は、傷つけ合い競い合うのが苦手なだけなのだ。傷つけたくもない、傷つきたくもいない、勝ちたくもない、負けたくもないのだ。物言わぬ犬や猫ならその関係が築ける。ギラギラとしたものがそり落とされた老人とペットたちの共同生活が、段ボールの箱から覗いていた。
虹
世界中で1日1ドル(100円)以下で暮らしている人が12億人いるそうな。12億人と言う多さを想像するのも難しいが、100円以下の生活がどのようなものかを想像するのも難しい。泥と小麦粉を混ぜて焼いたパンを食べている国もあるらしい。
暑いから自動販売機で冷えたお茶を買う。眠気を覚ますためにガムをかむ。ソフトクリームをなめながら、ウインドウショッピングをする。こんなたわいもないありふれた行為が、12億人の1日の生活費を超えてしまう。携帯電話でちょっと話すだけ。歩いても行けるところに車で行く。その僅かな時間で、1週間の生活費を越えてしまう。
豊かなことは罪ではない。努力してつかんだものだ。両親の世代、祖父母の世代、その先の世代、みんなみんな頑張った。子や孫のために頑張った。子や孫はおかげでずいぶんと豊になり、豊かさをもたらしてくれた人達がいたことを思い出すこともなく豊かさの中で溺れている。12億人のことなどつゆ想像したこともない。去年買った服は流行遅れだとうそぶく若者に、精神の貧困を見る。落ちた精神は、拾い上げることは難しい。虚飾の豊かさの中にあってはなお。
空腹は300円で満たされる。空虚は携帯で満たされる。豊かさは孤立。帰らない木霊。見上げる空に虹は架からず、肉食の野生が羽音を立てる。12億の絶望が焼けた砂の上に横たわる。僕は今夜、飢えた人達の村ごと、胃袋に放り込んだ。
群れ
なるほど、住みにくい世の中だ。繁栄を謳歌している人種と、それを支えているどころか、そのしわ寄せを受けている人達がいる。一握りの前者は、多数の後者の忍耐の上に成り立っていることに気が付かない。不幸なことに、後者もその社会構造にまで思いを巡らさないから、敵を身近に求めてしまう。残念ながら、誰でも良かった人達は、もっぱら後者のごく普通の人達なのだ。
道連れにするなら、いっそのこと社会悪を糾弾して欲しかった。構造を理解し、誰のせいで苦しむ人達が増えているのか考えて欲しかった。そしてその避けれない不平等を、声高に叫んで欲しかった。救いの手は、声を上げなければ差し伸べられない。声を上げれば誰かが気が付いてくれる。もし気が付いてくれないなら、この指とまれと右手を高く挙げればいい。その指を待っている同じ境遇の人間は一杯いる。豊かさのおこぼれを頂戴できない時代は、その指に沢山群がった。そうして何とかおこぼれを勝ち取ったし、自滅するのを防いだ。
夕方の公園で、路地裏でこの指とまれは少年少女の口から繰り返し出ていき、仲間を連れて帰ってきた。病気と同じ、1人で戦ったら負けてしまう。良い言葉を求めて、悲鳴を上げて、右手を突き上げて群れなければ。小さな群れでもいいから。所詮人間は群れをなす動物なのだから。
丸刈り
ある少年が、脳腫瘍になり、抗ガン剤治療を受けている。治療のせいで髪の毛は抜ける。少年は、友人達にもう会いたくないと言う。級友達は、その少年のために何かをしてあげようと集まり、全員丸刈りになった。アメリカであった実際の話。アメリカの場合、お見舞いの時に何を上げるのかしらない。映画では花束を持っている姿が印象的だが、お金を包んだりする習慣があるのかないのか。
健康な人間が、痛みを理解するのは難しい。お金を包んで何の意味があるというのだろう。少しでも患者の苦しみを分かち合えたらそれに優るものはない。見舞いは時として、見舞う立場の帳面消しの場合がある。心から気の毒だと思えば、そっとしておく方がいい。突然訪問し、接待を余儀なくされたら治るものも治らない。見舞いは親類まででいい。
「いい人」は時として「都合のいい人」と同義語だ。自分に何か利益をもたらしてくれる人が「いい人」なのだ。「都合のいい人」は、色々な実利的な媒体を通じて吸引し合う。それを目的化しているのだから出会いは簡単だ。ところが「いい人」を捜して彷徨ってもなかなか遭遇しない。親友だって同じだ。「いい人」に出会わないことを嘆く必要はない。100人の「都合のいい人」を持っていても仕方ないのだから。まだ見ぬ「いい人」をゆっくり待てばいい。そうしている内に自分自身がゆっくりと「いい人」になれるから。
太王四神記
今度こそは、最初から見ている。今までは、偶然土曜日の夜回したチャンネルで見つけ釘付けになり、途中からやみつきになった。その反省からなのだが、特に今回の「太王四神記」は、背景が難しいので最初から見ていて良かったと思う。なんて大げさに構えることはないのだが、なかなか韓国ドラマから足が抜けない。
多くの日本人を虜にさせるにはなかなかの強かさがある。冬のソナタ、オールインワン、春のワルツ、チャングムの誓い、チェオクの剣、どれもに必ずライバルが登場し、美しくて心優しいヒロインが登場する。女性の心理は分からないが、男の僕がはまるにはこの2つの要素さえあれば十分なのだろう。逆にこの2つさえ設定されていれば僕はかなりの勇気を持たないと韓国ドラマから離れられないことになる。
どうも人間にはライバルが必要ならしくて、幼い頃から、学生、社会人を通しても、その存在無くして語れない。頑張る理由の上位に位置するのかもしれない。負けん気とねたみは紙一重のような気がするが、前者は生産的であり、未来志向だ。ほとんど後者で生きてきた僕は、何も創れはしなかったし、過去を引きずってばかりいた。韓国ドラマを見て,殺伐としていた僕の青春時代を架空の世界で取り繕っている自分がいる。
達人
男と女の2人連れが入って来ると、呼び方に苦労する。夫婦と分かれば簡単なのだが、夫婦でない場合もあるので、気軽に呼べない。
脊椎管狭窄症と言うトラブルで漢方薬を取りに来ている80歳代の女性は、岡山市から牛窓まで来る足がないので、ある男性に連れてきてもらっている。同世代の男性だからご主人か、お兄さんか弟かくらいに考えていたが、今日「この方は元気でしょう、90才ですよ。ご近所の方ですが、私が足がないから連れてきてもらっているの」と教えてくれた。まず90才というのに驚いた。とてもその年齢には見えない。近所の困っている人のために、30分の道程を運転して連れてきてあげれる体力、気力に脱帽だ。薬を作っている間に、薬局内の健康情報に目をやったり、2人で会話を楽しんでいる。会計が近くなると、先に外に出て車の向きを変えて安全に幹線道路に出れるようにしている。歳を感じさせるのは、補聴器だけだ。しかし、そのおかげで会話にも全く不自由しない。元気ですねと言ったら、だめですよと言っていたが、その謙遜ぶりが又いい。医者嫌いの薬嫌い、たまに見かける幸運な人の1人だ。あの年齢で、そのどちらにもお世話になっていないのだからすごい。
大いなる努力が隠されているのか、全くの幸運か分からないが、朝目覚めれば今日はどこが悪いか一番に確かめる僕とは、雲泥の差だ。年をとれば同じ歳でも、プラスマイナス10位違うと言うが、まさにマイナスの10だ。いやそれ以上だ。年齢から言うと脳の重さは10数%減少しているはずだが、その振る舞いからは想像できない。さりげない気配りにただただ感心した。まるで老いの達人だ。
標識
これだけ生きてくると、年月に比例して実体験も知識も多くなる。誰だって言えることだ。そのおかげで危険からは逃れられるし大きな失敗もしにくい。裏を返せば、冒険や実験とはますます縁が遠くなる。大人が若い人に口を挟み勝ちなのは、実体験からある程度結果が予測できるからなのだ。白紙で望むよりははるかに確率高く予測できる。
だが、僕は余程のことがない限り口を挟まない。僕の子供に対しても他人に対しても。ごく普通の大人が、体験したもの、つかんだ価値観、そんなもの、たかがしれている。本屋の棚1段に並んでいる知識の合計より心許ないだろう。そんな大人の助言なんか危険すぎる。可能性を秘めた青年のこれからを奪ってしまったりしたら申し訳ない。だから僕は基本的にはそれらしいことは言わない。自分が感じ、考え、行動を起こしたもので、成功すればいいし、又失敗してもいい。上手くいくことより躓く方が得ることは多いだろう。上手くいって欲しいが、そればかりでは人間がいびつになる。
標識だらけの道を歩きたくないだろう。右に曲がれ、左に曲がれ、落石に注意、飛び出しにも注意。ここは一方通行。人生だって同じだ、ほっといてくれと言いたくなる。危険でない、ハプニングも起こらないような道なら面白くない。知っている道は面白くない。どこへ行くのか分からないから歩いてみる気になる。標識に沿って歩くのではなく、歩んだ道程を標識で記憶すればいい。青春期に従順は必要ない。社会にも忍耐はある。忍耐ぎりぎりのところで生きればいいし、生かされればいい。
1
2 3 4 5 6 7 8 9 10 全300件