エッセイ

薬剤師のエッセイ




2017年03月29日(Wed)▲ページの先頭へ
過激
 昨日の毎日新聞朝刊の3人による座談会で見つけたある件が意外だったので、たいしたことではないかもしれないが披露する。皆さんは知っていたかもしれないし、僕と同じようになるほどと思われるかもしれない。
 「・・・日本も若者の不満は政治的に表出しにくい。インターネット上で他者を激しく攻撃する人は、安定した中高年が多いようです・・・」
 知らなかった、僕はそうした文章を書く人は特攻服でも着た若者かと思っていた。そう言われてみれば結構知識が豊富でないと書けないなあと言うのが多い。僕ら世代から上は、政治の季節を経験しているから感じるところが多いのだろう。生活が安定している人は、経済的にも社会的にも時間的にも落ち着いているから、意見を発信する余裕があるのだろう。そのどれかが欠けただけでもなかなかパソコンの前に座って、無報酬の営みに気力体力を費やすのは難しい。生活の糧を得ることに必死の人は、人様のことなどかまってはおれないだろう。
 僕も正にその時代の人間だから黙ってはおれないタイプだ。ただ僕の場合は根っから強い人たちが苦手で、薬剤師と言う職業柄、病気と言うハンディーを負った人たちとばっかり接するおかげで、権力を行使する人間以外を激しく攻撃するようなことは出来ない。むしろどちらかと言うと、ハンディーを背負い生きている人たちに共感するケースが多い。勉強させられたり感動を与えられたりするから感謝の気持ちを表したいくらいだ。
 僕はずっとどうして庶民が庶民を攻撃するのかと思っていたが、実相は、恵まれた庶民が恵まれない庶民を攻撃しているのだ。知識が多い庶民が知識が少ない庶民を攻撃しているのだ。だとしたら、経済的に恵まれず、生きることで精一杯で勉強する暇もない人達は浮かばれない。
 僕らの時代は、過激なのは若者だったが、今は違うのだそうだ。この変化だけはきわめて過激だ。

 


2017年03月28日(Tue)▲ページの先頭へ
窮屈
 今朝の毎日新聞の朝刊に3人による座談会が掲載されていた。それぞれがどんな方か知らないが、なるほどなと思わせるものがいくつかあった。あまり難しいことは分からないから、僕でも理解できたことをその中から1つ紹介しようと思う。
 「2000年代以降、45歳より若い世代は、今の暮らしを楽しむ人より将来に備える人が多数派です。なのに勤労世帯は全然貯蓄できない。ところが、09年以降の預貯金残高は年に14兆円も増えている。つまり消費税を上げて高齢者に払った年金が貯蓄されている。金融関係者に、生涯一度も年金を記帳しない人が結構いると聞きます。本人は使わず、子供が相続する。まさに世襲資本主義です」
 僕の薬局は結構若い人がやってくる。現代の社会を窮屈に生きている人が多いからだと思う。器用な人なら何とか時流に乗り生きていけるのだろうが、不器用な方にとっては上流に向かって泳いでいるようなもので徒労感だけに支配されている。懸命に働いたお金でヤマト薬局の漢方薬を飲んでくれるが、そんなに経済に余裕があるとは思えないので、こちらも緊張する。それに引き換え、ある年齢以上の人は、結構、健康食品なるものにお金をむしりとられながら余裕がある。今度こそはだまされないぞと言いながらまたその種の餌食になる。旅行なども考えられないくらい楽しみ、老いてますます盛んだ。そんな人は蓄えがあるから、年金が入ってこようが入ってこまいがあまり関係ない。だから通帳を確かめたりしない。所詮端金なのだ。その通帳を相続できる家の人は、ますます余裕ができ、そうでない人との差が歴然とする。このことを世襲資本主義と言っているのだろう。
 こんなことに多くの若者が甘んじているのが悲しい。「高齢者は投票するが若者は棄権しがちですから」と述べられているが、正にその行動様式を旨く政治屋に利用されている。
 なけなしの給料から天引きされた税金が、老人の貯蓄や企業の売り上げ作りに利用されている。「アホ政権の日本は脱真実先進国」の指摘を待つまでもなく、老人に支配されたこの国を若者達は取り返さなければ!



2017年03月27日(Mon)▲ページの先頭へ
瀬戸際
睡眠薬や抗不安薬、抗てんかん薬として処方される「ベンゾジアゼピン系」という薬などについて、規定量でも薬物依存に陥る恐れがあるので長期使用を避けることなどを明記するよう、厚生労働省は21日、日本製薬団体連合会などに対し、使用上の注意の改訂を指示し、医療関係者らに注意を呼びかけた。対象はエチゾラムやアルプラゾラムなど44種類の薬。BZ系薬は短期の使用では高い効果を得られるが、薬をやめられない依存性や、やめたときに不安、不眠などの離脱症状が生じることがあるとされる。日本では広く使われているが、欧米では処方が控えられ、長期的な使用も制限されている。厚労省は、「承認用量の範囲内でも、薬物依存が生じる。漫然とした継続投与による長期使用を避けること」「投与を中止する場合には、徐々に減量するなど慎重に行うこと」などと使用上の注意に明記することを求めている。

分業が始まっていない頃、薬局では上記のような薬を見ることがほとんどなかったから、その種の薬を飲む人の気が知れなかった。たまに患者さんがそんな薬を持ってくると、出来れば飲まないほうがいいよみたいなことを言っていた。その後、世の中が分業になってから、そんな薬をいかに多くの人が飲んでいるか知った。実際に処方箋をもってくる人の中で、その種の薬が含まれていないほうが少ないみたいだった。心療内科だけでなく、多くの科で投与されていることを知った。もうそうなると、利害が一致するから飲まないほうがいいなどとは口が裂けても言えなくなった。実は最初つい言っていたのだが、病院にばれてえらい怒られたのでその後は無難に振舞っている。ただ僕の考えとは全く違うので、その種の処方箋を持ってきた人に、俄然頑張る気にはなれない。
 医師会や製薬企業のために存在しているかのような役所もさすがに最近はその種の影響を言い始めた。欧米では既に警鐘を鳴らされているのに、国民より企業や医師会が大切なこの国は無視していた。でもさすがに放置できなくなったのか、遅まきながら上記のような注意喚起が行われるようになった。「誰でもよかった」的な殺人や交通事故の背景にその種の薬の影響があるという説もある。無駄なものは脳みそに入れてはいけない。脳は血液の関所を持っていて不自然なものを関所でブロックするのだが、そこをすり抜ける物質こそが安定剤や睡眠薬だ。だから効果とともに不自然な副作用が起こるのだ。
 何かおかしい、単なる直感でしかないが、そういった皮膚感覚のほうが正しいことは一杯ある。ただ根拠を示すことが出来ないから常に劣勢ではあるが、庶民が身を守るにはそれしかない。40年も前に未熟な薬剤師が感じていたことを、最近やっと国が方向転換し始めた。最高の英知の集団よりも、1人の愚民の直感のほうが当たることがあるのは利害が介在していないからだ。こと薬だけでなくあらゆる業界にはびこっている利権と程遠い人たちをもっと大切にしないと社会が壊れる。もうその瀬戸際に立っているのではないか。


2017年03月26日(Sun)▲ページの先頭へ
晩熟
2ヶ月前から買っていたチケットが1枚無駄になった。それでも1枚だけですんだのは、かの国の女性達が日本人的な行動様式を少し身に付けてくれたからだ。今までなら4枚とも無駄にするところだった。
 会社が急に忙しくなって、残業も毎日数時間している。土曜日も休みではなくなった。で、この3月は日曜日までも仕事をするように頼まれた。根が真面目な上に、1時間でも沢山働いて国に多くのお金を持って帰りたい彼女達には大歓迎だ。本来なら今日のズンチャチャと備中温羅太鼓とのジョイントコンサートも、「会社が忙しくなったから行くことができない、お父さん御免」ですんでいるところだ。ところが僕と約束しているから、会社に休む許可をもらったらしい。4人のうち1人は許可が出なかったが、それは彼女が他の人に替われない行程を担当しているからだ。会社が3人に休んでもいいという許可をくれたことにも感謝するが、彼女達が初めて下した判断も嬉しい。仕事優先でかまわないのだが、断りを言ってくるときに、あまりにも努力した形跡が感じられなかったので、結構ドライなんだと時折気持ちが萎えることもあった。彼女達の初めての気遣いにやっと気持ちが楽になった。日本の文化に触れ、日本の精神を感じてくれればと勝手なおせっかいを焼いているが、その都度とても喜んでくれる姿を見ると俄然やる気が沸いてくるが、その気持ちを維持できそうな気がした。
 ところで「ズンチャチャ」と言う踊りの集団と備中温羅太鼓の共演は僕に創作ダンスなるものがどんなものかを教えてくれるチャンスにもなっている。備中温羅太鼓の演奏を聴きたいだけの為にこの数年会場に足を運んでいるが、少しずつ踊りに抵抗がなくなってきていることに今日気がついた。上手なのか下手なのかも分からないが、何かを表現しようとしている事に気がついた。あたっているかどうか分からないが、今日最後の演目は、恐らく世界の混沌を表現したのではないかと思った。苦しみに満ちた世界がやがて希望に変わる、そんな内容を表現したのではないかと、観ながら考えた。自分でも備中温羅太鼓のつなぎみたいな捉え方をしていたが、今日は一所懸命に踊る人たちを見て想像力が働いた。
 まだまだこの種の芸術を楽しむ素養はないが、この年齢になると寛容さが少しばかり身に付いて来て、曲がりなりにも多くのジャンルの芸術を受け入れられるようになった。今日は来日して間もないグループの女性達を連れて行ったが、彼女達は踊りにも歓声を上げていた。この歳にならなくても、そういった素養をちゃんと身に付けているのだ。僕は晩熟なのか。それとも神の手なのか、やめてなのか。


2017年03月25日(Sat)▲ページの先頭へ
行動的
 お父さん、どうも有り難うございます。返事が遅くて、ごめんね。前京都へ遊びに行って来た時すごく嬉しくて感動しました。お父さんのおかげで、京都の有名な所まで行けました。夢だに思わなかった事が事実になった、本当に有り難う。

 何となくぎこちないが、このメールは、かの国の女性から届いたものだ。1週間前の日曜日に2人のかの国の女性を京都に連れて行ったが、そのことに対してのお礼だ。今回同行したのは牛窓工場ではない他の工場の通訳二人だ。日本語はかなり堪能で、日本語検定の1級に後10点くらいで落ちた人たちだから、この程度のことは簡単に話せるし書ける。ちょっとしたニュアンスはどうしても越えられない壁になっているみたいだが、下手な日本人よりも語彙も豊富で漢字も書ける。
 日本語を習得していたら、国に帰れば就職にはかなり有利で、引っ張りだこみたいだ。当然給料もよいから、通訳だけでなく一般の労働者として来日した人たちも、日本語の勉強に精を出す。その熱心さと、その結果としての日本語の会話力はうらやましい限りだ。ハングリー精神は見ていて気持ちがいいし、自然に応援したくなる。
 2人のうち御津工場の通訳は、二度と日本に来ることはないと言っていた。日本人の働き方にはついていけないし、そこまでする意味を感じないそうだ。もっと自然にのんびりと暮らすほうが彼女には合っているみたいだ。あるとき、僕が腕時計も携帯電話も持っていないことを知って、「お父さんは 私の国が合っている」と言ってくれたが、それには同意できなかった。僕は自分を縛るものは嫌いだが、働くことが大好きなのだ。ゆったりとした時間を過ごすなど、仕事をし始めてから40年したことがない。決して猛烈とか貪欲ではないが、この仕事は好きだ。
 逆に赤坂工場の通訳は再び日本に来たがっている。向こうで専門学校を卒業して通訳になったが、大学に行っていないことが心残りみたいで、日本の大学に入りたがっている。向こうでは学費を払えるような家庭環境ではなかったから高嶺の花だったらしいが、3年間一所懸命働いたお金を貯金してるから、大学も夢ではなくなったみたいだ。既に日本の大学とコンタクトをとって、旨く行けば又帰ってくるだろう。
 それぞれが希望を胸に来日し、3年間で帰っていく。多くの思い出を作って欲しいとおせっかいを焼くが、それが今の僕を少しだけ行動的にしてくれる。こういった巡りあわせがなければ僕はどれだけ淡白な日常を送っているだろうと思う。


2017年03月23日(Thu)▲ページの先頭へ
不快
 このところのニュースを見ていて、不快になるのは、悪い奴の下にいる人間にもまた正義感がないということだ。アホノミクスの回りや下には、かなりの数の疫人がいるはずだが、誰一人真実を語ろうとしない。高級官僚も大阪のマズイもどうせ同じ穴の狢だが、誰も目撃したものを公にしない。そんなに自分の首が大切なのか。自分ひとり、或いは家族のほうが、1億の国民より大切なのだろうか。幼い頃から、およそ正義などとは関係なく育てられ、受験競争に勝ち抜くことだけを叩き込まれているから、強いものには弱く、弱いものには強い。およそこの国が誇ると自分達が都合よく捻じ曲げた精神にももとる。
 政治屋や疫人だけではない。姫路市の「ぶざまー保育園」での不適切な保育実態にしても、多くの保育士が目撃しているはずだ。それなのに何故訴え出なかったのだろう。これもまた、自分の就職口を幼児の命より優先したことに他ならない。運が悪ければ幼子が命を落としていた可能性もあるのに、どう言い訳をするのだろう。園長は悪いが保育士も悪い。正義とまでは言わないが、せめて自分で正しいと思ったことぐらい実行しろと言いたい。例えその場で何かを失っても取り返しはつく。ただし、正義感を失ったりしたら永久に取り返すことは出来ない。自分の心から消すのは何十年経っても無理だから。


2017年03月22日(Wed)▲ページの先頭へ
狡猾
 両首脳(メルケルとかるた)の合同記者会見では、気まずい空気が流れる瞬間が幾度とあり、2人の間にはほとんど共通点が存在しないことが見てとれた。ホワイトハウスのイーストルームで行われた約30分間の会談でメルケル首相の表情はこわばったままだった。物理学者の肩書きも持つメルケル首相は、長年オバマ米前大統領に最も近い国際政治上のパートナーだった。2人は強い信頼関係でつながり、熟考した交渉法にも共通点があった。

 なんて言う理性だろう。自分の考えを主張をするメルケルと腰ぎんちゃくのアホノミクスとは天地の差だ。もっとも経歴からして違う。坊ちゃんで育った奴と知性と良心の塊。もっともアホノミクスがプー沈と気が合うのだから、期待するほうが無理だ。秘密警察上がりの人間と親しくなれる?同じ狡猾さを持っているとしか考えられない。考えが近いといみじくも公言してしまった親友学園の理事長、3人とも同じ種類の気味悪さを持っている。それにしても普段肩書きだけでいきがっている人間達の、追い込まれたときの弱さは見るに耐えない。そして汚さも見るに耐えない。親友学園の理事長を散々利用していて見捨てるとは。もっとも戦争大好き人間達は、民百姓を戦線に送ることはしても自分は後方でふんぞり返っているだけだ。負けたら知らん顔。こんな気の小さい奴に踊らされ命を失うのはたまらない。
 僕は叔父を知らない。祖父母の家に泊まりにいくと、寝るときには欄間に飾られた白黒の写真がいつも見えた。何故か丁度目にはいるのだ。写真の中の青年は綺麗な顔をしていた。もし母に似ていたら頭の良い人であったに違いない。僕がいくつになっても写真の青年はあの美しさを保っていた。もう青年の年齢の3倍くらい生きてきたが、懸命に女手1つで従姉を育てた伯母を見続けてきたから、今だ戦争を起こした奴らを許すことが出来ない。よりによって、戦争犯罪人の孫が大手を振って歩いているなんて。
 もう二度と伯母のような人を作らせたくない、従姉のような人を作らせたくない。貧乏人が金持ちのために死ぬような社会は作らせたくない。子や孫をむざむざと死なせる世の中は作らせたくない。
 


2017年03月21日(Tue)▲ページの先頭へ
激情
 カトリックの神父様にそんなことをしていいのかと思ったが、次女は教会である神父様を見つけると、横から抱きつき顔を肩に押し当てた。そして正面に回ってハグをした。神父様もそれに応えてくれたが、その時に次女の目が真っ赤に充血しているのを見つけた。神父様がそれを指摘すると、我慢していた涙が溢れてきた。それを隠すかのように今度は後ろに回り、後ろから大柄の神父様の体に手を回した。そして暫くの間顔を背中に押し当てていた。
 かの国に帰って再度来日して、玉野教会に嘗て尊敬していた神父様がいないことを知ると残念がっていた。他の教会に赴任して行かれていたが、そこに連れて行ってあげるには遠かった。連れて行ってほしげなのは分かっていたが、遠慮して口には出さなかった。 
 昨日、ベトナム出身の男性が9年間の勉強の後に晴れて神父様になった。そのお祝いのミサがあったのだが、広島教区の神父様たちが一堂に会された。その中に会いたくて会いたくて仕方なかった神父様が偶然おられたのだ。信仰厚い女性だから、どのくらい会いたかったか想像もつくが、普段少し控えめな彼女が見せた激情が、衝撃だった。背中に抱きつき涙を流しながら「お父さん」と言っていた。キリスト教では神父のことをファーザーと呼ぶから不思議ではないのだが、僕はひょっとしたら国に残した父親と重ねていたのではないかと思った。何故なら、3年間日本で実習生として働いた後、「いい生活」を夢見て再度来日したのだが、果たしてその意味があったのか傍で見ている僕は懐疑的なのだ。日本語学校で、勉強よりアルバイト目的で来日した外国人を多く目にし、卒業後も日本におれるように、資金援助をしてくれた老人施設の勧めで介護の学校に入学した。介護士不足で外国人を囲い込みたい施設の目論見と利害が合致しての選択だから、希望する進路ではない。いい生活が、外国の老人の下の世話をすることだったのだろうか。多くの人の善意で日本におれるようになったから、本心を吐露することすら許されないのだろう。だから神父様を見つけて心の奥に隠していた感情が噴出したのだろう。
 次女の誘いに乗り一緒に来日した三女は、その光景を冷静に見ていた。次女の突然の変貌に面食らったのか、少し距離を置いてニコニコしていた。そして神父様と分かれた後に、次女を後ろから抱くようにして「お父さん」と泣く真似をしていた。
 決して経済的に恵まれていない家庭の青年が日本で暮らすのは大変だ。知識や教養を身につける時間も資金も人脈もない。単なる日本の労働力不足の補完的な存在として来日しているだけのような人が多い。それではいい生活など程遠い。自分の青春を差し出し「いい目」をしている人間を養っているようなものだ。
 それにしても数年ぶりに再会した神父様に見せたあの激情は何だ。数年ぶりに再会した僕のときとは雲泥の差だ。


2017年03月20日(Mon)▲ページの先頭へ
手遅れ
 元々無知には自信があるが、二条城についても同様だ。僕は何処でインプットを間違えたのか分からないが、昨日まで何故か天皇が住んでいたところと勘違いしていた。中学校の修学旅行で恐らく訪れていたのだが、その時に何か誤解してそれがそのまま続いているってことだろう。いかに僕にとって修学旅行などと言うものが役に立たなかったってことだ。旅行業者を儲けさせるだけのもので意味はないなどと居直っているが、実際高校のときは修学旅行には参加しなかった。。
 いつも京都を案内してくれる女性が、徳川最後の将軍が住んでいた事を教えてくれた。城に入る前に教えてくれたから、二条城の内部を全うな好奇心で見ることが出来た。大いなる勘違いで何の感動もなく出てくるところだったが、一つ一つの部屋の意味も理解できた。もし天守閣が残っていればあんな勘違いをしなくてすんだのだが、ないばっかりに何故か大いなる誤解のままで終わるところだった。
 見学中に放送があって、建築以来初めての改修工事を行うから寄付をして欲しいとのことだった。回収費用がなんと100億円かかるらしい。そこで僕はすぐに計算を始めた。回収費用が100億円と言うことは、本来の費用はいくらだったのと。10をかけるのか100をかけるのか。10なら1000億円、100なら1兆円。いずれにしても莫大なお金だ。時の権力者がいかに力を握っていたかがよく分かる。
 昨日の二条城見学のおかげで自身で気がついたことがある。それは二条城の石だけの庭の前に立ったときだ。今までいくつもの寺を案内され、それはそれは素敵な庭を沢山見せてもらったが、石だけの庭園を見た時に何故か一番気持ちが落ち着いた。そしてその時に昨日書いたように、時間を止めて静かにその傍にいたいと思ったのだ。見学と言う名の行為ではなく、そこにずっといてみたいと思った。結構イラの僕には珍しい発想だ。ここなら僕はかなりの時間を費やせると思った。大きな石が、ひょっとしたら自然に掘り出されたままの姿で池の中やほとりに並べられているだけなのだが、恐らく計算されつくしているのだろう。それが僕になんとも言えぬ心地よさを与えてくれた。
 ほんの少しずつ、京都を理解でき始めた。人様のお役に少しだけ立てている間に、見えない形で自分も何かを手にしている事がよく分かる。何となくあらゆるものが手遅れの感はするが。


2017年03月19日(Sun)▲ページの先頭へ
修学旅行
 ひょっとしたら今回で、かの国の女性達が帰国する前に行っていた京都の修学旅行も最後になるかもしれない。一つ目の理由は、僕の単なるおせっかいで続けていた京都旅行だが、さすがに大会社が見て見ぬ振りをするわけにはいかなくなったのか、会社の旅行として企画してくれる可能性が出てきたこと。2つ目は、このところ僕達を案内してくれていた京都在住の女性が、就職のために京都を離れる可能性が出てきたこと。2番目の理由は僕の努力でなんとかカバーできるかもしれないが、1度案内をしてもらうとさすがと思うことばかりで、知識無しの出たとこ勝負みたいな僕の案内では気恥ずかしてやる気が萎えそうなのだ。
 とりわけ今日のように、ひょっとしたら中心部?と思われるような雑踏の中を案内するのは至難の業だ。何処をどう連れて歩かれたのか分からなかったが、先斗町、祇園、四条河原町、南座などなど、名前だけ聞いたことがあるところを案内されて、連休中と言うこともあったのだろうが、人の多さに圧倒された。かの国の女性いわく「観光で来るのはいいが、住みたくない」は全く僕も同感だ。まして日本人が1割もいないのではないかと言う環境では暮らしたくない。
 1日世話をしてくれた女性が、もう何回も世話をしてくれているからかなりのかの国の女性と知り合ってくれたが、今日いみじくも「あれだけ素直に喜んでくれたら嬉しい」と言った。まさに僕の原動力を一言一句間違えずに繰り返してくれたようなものだ。あの喜びようを見たら誰もが同じ行動を起こすのではないかと思う。些細な親切がとても大きな喜びとなって自分に帰ってくる。こんなにうれしいことはない。
 今日の京都旅行で見つけた新しい発見。京都旅行は時間を止めてするべし。足は前方にひたすら動かし、首はずっと横を見ている。



2017年03月18日(Sat)▲ページの先頭へ
電話
 電話が鳴ったらすぐに男性は僕に断りを入れて受話器をとった。そのすばやさは、約束されていた電話のように思えたが、案の定、第一声が「よかったなあ、心配していたんよ」だったから、正に待っていた電話なのだ。わずか2メートルくらいの距離だから聞き耳を立てなくても聞こえる。「お母さんもホッとしとるじゃろう、心配しとったから」と言うことは孫が電話をしてきたということか。「5時よ、予約しているからお母さんに遅れないように言うとってよ」これは、お祝いの食事会でも予定していたのだな、本当のお祝いの会になってよかったなと、全く関係のない僕でもホッとする。
 僕より一回りくらい年上の男性は、元々声は大きいが、それに心の高ぶりを伴っているから余計大きな声になる。今日合格の電話が入るのは一体何の試験だったのだろうと考えてみた。電話が終わればきっと男性は、「言わずにはおれない状態」だろうから若干予備知識を持っていたかった。だが、もう10年以上受験などと言うものから遠ざかっているから見当がつかない。昔で言う国立の二期校の発表でもあったのかと、適当なところに落ち着かせていた。
 さあ、言わずにはおれない劇場が始まると思って待ち構えていても、全くその話題に誘導しない。と言うよりさっきまでと同じように黙々と仕事をしている。結局、僕がお暇するまでその話は出なかった。いわずにおれない状態どころか、終始クールだった。仕事を評価して僕はお付き合いしているのだが、こんな態度をとられたら人間性まで評価してしまう。
 一本取られての帰路、カーラジオでニュースを聞いていたら、県立高校の合格発表の日だってことがわかった。自分の喜びが決して人様の喜びになるとは限らない。むしろその事で辛い思いをする人のほうが多いかもしれない。その事をよく知っている人なのだ。たった一人の観客の前で、最上のパフォーマンスを見せてくれた。こうありたいと思えるほどの。


2017年03月17日(Fri)▲ページの先頭へ
卑怯
 最近のアホノミクスの親友学園のニュースを見ていて頭に来る人が多いのではないか。鬼業家の利益の為に、お国のためなどとごまかされ死んで行く若者を作ろうとする集団が大手を振って歩くようになったからではない。例の疫人達が、資料を残さず、しゃあしゃあとしているところだ。裏でやっていることは丸見えなのに、時の権力者に擦り寄っていれば身を守れると言う浅ましさが許せない。権力のめかけになっていれば守ってくれると思っているのか。何様のつもりだ。折角の学歴も権力の前では無能だ。アホノミクスになってから疫人が急にえらそうになったと思わないだろうか。必要がなくなったら捨てた?わずか1年前の会議録を残さずに、しゃあしゃあとしている。決して訴えられないという前提に腹が立つ。国民の金をアホノミクスごときに自由に使わせて、尻尾を丸めて犬のごとくおびえたり、逆に尻尾を振って媚を売る。嫁さんや子供もいるだろうに恥ずかしくないのだろうか。それともプライドなど捨てないと勤まらない職業なのだろうか。
 誰か勇気のある疫人はいないのか。自分を守るのではなく国民の財産と命を守れ。黒塗りの資料や書類の破棄を市民がやったら自分達はどうする。ありとあらゆる手段を使って潰しにかかるのではないか。国とか県とか市とか漠然とした組織名でしか行動できない卑怯な人間の個人の名前を出させるべきだ。責任は組織ではなく個人だ。


2017年03月16日(Thu)▲ページの先頭へ
 なんとも言えぬ美しさだった。砂が光って、どう見ても牛窓の海ではなかった。すると遠くから「帰って来い」と言う声が聞こえた。折角綺麗な砂浜を見ていたのに呼ばれたから帰って来た。目が覚めると寒いのに布団から出ていた。夜が明けるのを待って、弟に電話をして来て貰いそのまま病院に運ばれた。
 僕の体験ではない。処方箋を持ってきた男性が、薬が出来るまでの時間僕に教えてくれた。本人の体験でもない。この逸話を教えてくれた男性は、ある商売をしている人で、綺麗な砂浜を見た老人が退院した日に偶然家を訪ねたらしい。そこで聞いた話だ。その老人は、同じ経験を1ヶ月前にもしている。だから「2回は行けんかったけど、3回目はたぶん戻ってこないと思う」と言ったらしい。案の定つい最近老人は予言どおり亡くなったらしい。
 「ワシは(私は)死ぬときは綺麗なお花畑が見えるという話は何回か聞いたことがあるけれど、綺麗な砂浜が見えたという話は初めてじゃあ。やっぱり、牛窓の人間は違うんかなあ、あの人は海のそばじゃからなあ」と納得気味に話してくれるが、僕も1度店頭で倒れたおじいさんが、やはり美しい花を見たと後日言っていて、同じように呼び止められたから帰って来たと言ったのを覚えている。呼びかけたのは僕だったのだが、皆さん結構同じような経験をしている。海辺の人だから砂浜だったらしいが、これがアルプスの人だったら高い山が見えるのだろうか。北海道だったら草原が見えるのだろうか。それでは東京だったら何が見えるのだろう。
 綺麗な花畑、綺麗な砂浜、人間は最後の最後まで神様に守られているのだろうか。最後にそんな綺麗なものが用意されているとしたら帰ってくる必要はないのかもしれない。


2017年03月14日(Tue)▲ページの先頭へ
前代未聞
 義兄の血を引いているのだろう、姪はなかなか機械に詳しいというか、不具合に果敢に挑戦する。時に及ばないことはあるが、僕が頼んだことの多くを解決してくれる。探究心が強いのか倹約家か分からないが、いずれにしても僕は多いに助かっている。
 今日も事務室からなにやら叩く音が聞こえてきた。音から判断してどうやら卓上の計算機が不都合になったみたいだ。数字を入れて確認しているのだろうか、随分と長い時間その作業を続けていた。壊れた機械をヒステリックに叩いているようにも聞こえた。
 そのうち諦めたのか僕のそばまで来た。と言うことは修理できないから新しいのを買ってもいいかと許可をもらいに来たのだ。案の定「叔父ちゃんこの計算機、もうだめかもしれない。不思議なんだけれど114−57だけが出来ないんですよ。あとは全部できるのに」不思議な壊れ方もあるものだと思いながら、言われるままの数字を打ち込んでみた。するとちゃんと57が出てきた。計算機を疑うわけではないが、壊れたと言われたから暗算でも確かめてみた。「壊れていないよ、ちゃんと正しい数が出ているよ」と言うと姪は覗き込んだ。「ほれ見てごらん、57のまま引き算が出来ていないでしょう」と自信を持って答えた。「57だから正しいではないの」「えっ、なにっ、57が答え?」少し間が空いて「そうか、この57は答えか!私は引く57の57かと思っていた」照れ隠しに女性がよくやるように、手首で空気を切って笑いながら事務室のほうに入っていった。
 それだったら、222−111も出来ないんじゃないのと言ってやりたかったが、もうその時はいなかった。それにしても何故114−57なんて計算をしたのだろう。薬局の仕事でそんな数字が出てくるのか?前代未聞の勘違いよりそちらのほうが興味がある。


2017年03月13日(Mon)▲ページの先頭へ
残像
 実は昨日の第9回日本縦断和太鼓コンサートの「舞太鼓あすか組」の実力に圧倒されたのとは別に、もうひとつのささやかな喜びがあった。何気ないことでも、人はこんなに感動を呼び起こされるのかと自分でも驚いている。あすか組の熱演と同じように一日経った今でもその光景を鮮明に再現できる。
 倉敷市民会館だから1000人以上は収容できるのだろうか。ほぼ満席だったと思う。和太鼓の観客は年配の方が多い。まるで格闘技のように筋骨たくましい青年達が奏でる音楽だから、もっと若者の聴き手が増えてもいいと思うのだが、いまだ年配の方が多くを占める。和の音楽と言う先入観がそうしているのだと思う。演じるのが若者で聴くのが年配組、申し訳ないようなもったいないような感覚だ。
 本題の前に、前菜を少し。僕を含めて5人で聴きに行ったのだが、その中の3人はかの国の若い女性達だ。昨日は是非行きたいという「和太鼓大好き人間」を優先して連れて行った。例によって僕の奇声は留まるところを知らなかったのだが、始まってまもなく、僕以外のおきな声援が聞こえるようになった。それも若い女性の声だ。聴衆は誰もが同じような感動を味わえるのだろう、ここぞと言うときには自然と拍手が沸き起こるのだが、もっとここぞと言うときに若い女性の歓声が上がる。歓声は必ず奏者に届かなければならないと僕は思っているから正に一瞬芸だ。演者には必ず聴かせどころがあり、その瞬間に聴衆が反応してくれればノルことが出来る。このノリを聴き手が作らない手はない。演者の力をとことん引き出して楽しめばいいのだ。彼女達の一瞬芸が精度を増していることに気づかされたし、彼女達が又一段とコンサートを楽しんでくれている事が分かった。勿論「舞太鼓あすか組」の演奏には驚きを禁じえなかったみたいで、つたない日本語で何度も何度も感激の言葉を僕に伝えてくれた。
 さてここからが主菜。僕の前列の1つ右座席には白い毛糸の服を着た女性が腰掛けていた。髪は長くめがねの縁が時々見えた。横顔も結局見ることが出来なかったからどのような人か全く分からないが、恐らく30代から40代。その女性が太鼓のリズムにあわせて、体をゆっくりと揺らす。その自然な体の揺らし方が、本当に心から太鼓を楽しんでいる事を饒舌に語っていた。演者が手拍子を要求したときには、頭の上で手拍子を打ち、盛り上がったときには強く手を叩き、和太鼓をよく理解もしているように思えた。どのくらいの回数和太鼓のコンサートに足を運んだか分からないが、あのように体を左右に揺らせて聴く人は初めて見たような気がする。和太鼓だけでなく多くの音楽を聴いている人かもしれないが、僕には自分と共通する感動の壷があるのではないかと思えた。出来れば感動を分かち合いたかったが、そんな行動に出ればそれこそ不審者だから、何もなかったように会場を後にしたが、残像は今日になっても消えない。
 僕が音楽を聴いたり、自分が当事者になると必ずやってしまうあの体の揺れ。僕には無心の揺れ、幸せの揺れのように思えた。


2017年03月11日(Sat)▲ページの先頭へ
地球
 もずかヒヨドリか、はたまたムクドリか、誰もわからないから口からそれぞれ記憶にある名前を言っているだけだ。どのような姿形で、どのように啼き、そもそもどのような所にいるかも知らない。我が家のにわかブームでしかないのだが、僕は先行してひそかに楽しんでいた。娘が俄然興味を持ったから、そして若いだけあって興味を持つとそれを実行に移すから、ブームに火がついたのだと思う。面白いことに、人間の方がそうなると、鳥達も頑張るのか、しばしば目の前に現れるようになり、向こうから親しくしてくれる。こっちの思い入れが強いから錯覚しているだけだろうが、下手をしたら気持ちが通じるのではないかと思ったりもする。
 数日前、薬局の入り口のマットにメジロが降りてきた。当然すぐに飛び立つのかと思ったが、じっと動かない。娘婿がダンボールですくい上げ様としても動かない。きっと病気なんだとそこから又数年前の鳩騒動のように野鳥の保護団体などの手はずを整えようとした。マットの上から観葉植物の土の上に移し写真を撮ったりして、ついでに観察させてもらった。淡いオリーブ色でふっくらとした何とも言えない柔らかさがかわいい。僕らが幼い頃、メジロをつかまえて飼っていた人がいるが、そんな気持ちになるのも頷ける。結局脳震盪でも起こしていたのか、暫くすると飛んで行った。
 ところが翌朝僕がウォーキングするために駐車場を通ると、柿の木にぶら下げている2つの鳥小屋にりんごを半分ずつ置いていたのだが、その2つのりんごの中にメジロが入り込んで、りんごをつついていた。食事に夢中だったのか、僕が接近しても逃げなかった。それとも前日、助けようとしたのが分かったのか。娘が一所懸命餌付けをしていたが、数日前からムクドリがやってくるようになり、そしてメジロだ。やっと努力が報われた。
 そして今朝、いつものようにテニスコートを歩いていると。1羽のムクドリが何故か僕が歩く数メートル先を、まるで犬の仕草のように、振り返って僕の位置を確かめながら歩いた。テニスコートを1周したのではないか。考えすぎかもしれないが、明らかに鳥と僕との距離が短くなった。以前なら飛び去るだろうなと言う距離が明らかに短くなっている。
 たわいもないことで嬉しくなる。政治屋やそれに群がる悪党や、護身の権化の疫人の「たわいもあること」ばかり見ているから、けなげに生きているもの達がとてもきれいに見える。早起きは3文の得だったが、今は日中でも鳥達に会える。鳥達の仕草を見ていたら地球が人間のものではないことがよく分かる。


2017年03月10日(Fri)▲ページの先頭へ
大切
 ひょっとしたら、あの親友?学園の夫婦は時代を変えるヒーローになるかもしれない。野党や市民団体が出来なかったことを夫婦2人でやり遂げるかもしれないから。言いたいことを洗いざらい吐き出して、英雄になって朽ちて欲しい。今のままでは使い捨てカイロだ。ぬくもりが切れたらゴミ箱に捨てられる。もう捨てられる寸前かもしれないが、そこは例の勇ましい教育そのままに憧れの特攻精神で玉砕して欲しい。そうすれば権威にカビのように付着して私利をむさぼっていた最低の人間から、少しは役には立ったと言われて最期を迎えることが出来る。今のままでは恐らく口封じに合うだろう。精神的にか物理的にかは別にして。
 脈々とうごめいている、貧乏人には道徳と犠牲を、自分達には快楽と富をと言う人間達を表舞台に引き上げてみんなの目にさらした功績は大きい。陰でこそこそ自分達に都合がいいように社会の構造を変えられたら、人のよい国民は気がつかない。ところがここまで露骨に貧乏人を飼い犬のごとく扱えるシステムを作ろうとしている人種がこの国にいることを示してくれたら、さすがに気がつく。表彰大好き人間みたいだから、是非掃除大臣賞を授与して欲しい。同じ穴の狢どうし、すこぶる気が合うらしいから。貧乏人や若者が、これで鉄砲を担いで鬼業家の欲望の為に命を落とさずにすむ。80年も持つ命を人に差し出さないで、大切に大切にして欲しい。

http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/170309/plt17030915470008-n1.html?utm_source=yahoo%20news%20feed&utm_medium=referral&utm_campaign=related_link

http://www.news-postseven.com/archives/20170309_500069.html


2017年03月09日(Thu)▲ページの先頭へ
自給自足
東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が2015年9月に解除され、今春を「帰町目標」に掲げる福島県楢葉町の松本幸英町長が、町職員への対応で「帰町しない場合、昇格・昇給させないようにしたい」との趣旨の発言をしていたことが6日、分かった。

 この程度の人間が町長になる。分からないでもない。僕も牛窓に帰ってきてから「この程度」ばかりを見てきたし、そのうち免疫が出来て興味すらわかなくなったから、さもありなんだ。しかし水戸の黄門様がいたら、この紋所が目に入らぬかと言われ、切腹か牢屋に入れられるだろう。また必殺仕事人がいたら首の後ろにながーい金属の棒を刺されるだろう。よかったなあ、江戸時代でなくて。
 町の職員だって人間だ。危険な所で暮らしたくはないだろう。いやいや、町の職員だからこそ、情報を熟知していて、より危険性について知っているはずだ。彼らが帰らないなら、町民は彼らの様子をよく観察し自分達が勇み足をしないように気をつけたらいい。情報により多く接する彼らが帰るまでには何十年も要するかもしれないが、情報不足で自分の中に放射能を溜め込んではいけない。放射能を溜め込むのが被害者で、放射能から遠く逃れているのが加害者では割に合わないだろう。
 楢葉町の復興は住民が帰ってくることではない。放射能をばら撒いた東電幹部や誘致した国会、町会議員達に住まわせるべきだ。そこで是非自給自足をして、土壌に隠れている放射能を食べて自分の筋肉の中で濃縮して永遠に保管して欲しい。誰もが嫌がる中間貯蔵施設に是非自分達の筋肉を提供して欲しい。それが、加害者達がこれから世のため人のために出来る唯一のことだ。
 


2017年03月07日(Tue)▲ページの先頭へ
検査
 諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が『検査なんか嫌いだ』という著書をこのたび上梓した。意味のない検査やエビデンスが薄い治療はしたくないという。検査嫌い、病院嫌いの僕にはありがたい。偶然ここまで書いていたときに電話が鳴り、パーキンソン病の薬がありますかと質問された。処方箋でしばしば出される薬もあるし、漢方薬でお手伝い出来ることもある。そこで「病院で今何を飲んでいるの?」と確認してみると病院にかかっていないと言う。それではどうしてパーキンソンと言う病名を名乗ったのと尋ねると「知り合いのお医者さんが言った」と教えてくれた。そこで彼は(名前を名乗らなかったからその時点で僕は若干引き加減だが)「何かちょっと薬を飲んだら治らんのかなあ!」と言った。もうここで僕は関係を持たないことに決めたから専門医に行って診て貰うよう勧めた。話が逸れたが僕はここまで医者嫌いではない。その事が言いたかった。
 ところで2010年ごろから、アメリカの50の医学会が賛同し、「Choosing Wisely」(賢明な検査や治療法を選ぼう)という運動が始まった。その後日本でも同じ会が出来た。
 70歳を超える高齢者のコレステロールは下げてはいけない。コレステロール値が低いほうが死亡率が高い」日本でもコレステ   ロール値が少し高い人のほうが長生きしているというデータがある。
 予測される寿命が10年以内の人ががん検診を受けるのはほとんど無意味
 アメリカでは、がん検診そのものに関して、やる意味があるかどうかエビデンスが厳しく問われている。おおむね意味があると  いわれているのが子宮頸がん検診である。
 欧米で科学的根拠ありとされているのは、便潜血反応による大腸がん検診。遺伝子検査やPET検査(陽電子放射断層撮影)より  も効果大。
 マンモグラフィを使った乳がん検診も有効と言われている。
 胃がん検診の効果については胃がんが多い日本では死亡率を低下させるデータがでており、胃がん検診は意味があるとされてい  る
読んでいてなんだか頼りなくなるし、逆に無駄な力みもなくなった。如何にも〇〇から逸れると深刻な病気が待っているかのごとく宣伝して、暴利をむさぼっていたのだろうか。或いは全くの善意で検証することなく継続していたのだろうか。製薬会社や医療機器会社や医者や薬剤師など、旨い汁を吸わんとする業界がよってたかって作り上げた検査神話を錦の御旗にして親方日の丸から暴利をむさぼっていたのだろうか。連日の親友学園のニュースを見ていたらよく分かるが、この国で巨悪をなすには役人を丸め込まなければ出来ない。僕は薬剤師会しか知らないが、どう見ても他の組織も同じ穴の狢だと思う。


2017年03月06日(Mon)▲ページの先頭へ
稀勢の里
 珍しいことが続く。ニュースを見ていてまたまた噴出した。だが今日の噴出しはすがすがしい噴出しだった。数日前の「親友学園」のアッキード事件の気味悪さとは雲泥の差だ。
 横綱に昇進した稀勢の里が今日、相手力士と頭と頭でぶつかり稽古をしていて目の横を11針縫った。病院からの帰り道マスコミに様子を尋ねられ「たいしたことないです。怪我のうちに入らないっす」と答えた。顔を11針縫って怪我のうちに入らない?耳を疑う前に思わず噴出した。そもそも頭と頭をぶつける?鹿や牛でもあるまいし。角でも生えていたら分からないでもないが、髪の毛だけではクッションにはならない。相撲を実際見たことがないから分からないが、聞くところによると立ち合い、頭同士がぶつかると異様な音がするらしい。髪の毛の下は頭蓋骨なのだ。よくもこんなスポーツ?を考え付いたものだ。
 以前何かで読んだか、誰かがテレビで語っていたか忘れたが、全ての格闘技の中で、一瞬のパワーで言うと相撲がダントツだろうと言っていた。その時はそんなに確信を持って信じることは出来なかったが、今なら十分信じられる。どんなに鍛えた人でも、あの体重の人とまともにぶつかり合ったら、吹っ飛ぶだろう。僕なら即あの世行きだ。
 政治屋や疫人の汚さに毎日のようにさらされる今日この頃、確かに血は流したが、11針の怪我をまるで蚊に刺された程度に言いのける豪快さに、「まいった」。


2017年03月04日(Sat)▲ページの先頭へ
直立不動
 ニュースを見ていて思わず噴出すなんてことは滅多にあることではない。ところがそれこそ反射的に噴出していた。世の中には面白いことを思いつく人間がいるものだ。
 例の教育勅語を唱えさせる幼稚園のニュースを見ていたときだ。質問に立った山本太郎参議院が、アホノミクスに向かって「アッキード事件」と言ったのだ。アホノミクスの嫁さんが幼稚園を見学に行って、子供達が唱えるのに感動して涙を流したというのだ。アホノミクスの答えが「限度を越えている」だから、もう1度噴出させてもらった。幼少のみぎりから取り巻きに守られ続けたおかげで、攻める(責める)のはめっぽう強いが、守るのはめっぽう弱い。すぐお腹が痛くなる。限度を超えているのは自分だろう。日本人の多くが望みもしない時代、おじいちゃんが無念の時代に帰したいのだろうが、それこそ限度を越えている。国民の4人に1人しか投票しなかった政党ごときが国のあり方を変える権利など、4人に3人は与えていない。自分のやっている事こそが限度を越えている。
 それにしても日本の役人と言うのは後進国レベルだ。政治屋の尻拭きもはなはだしい。よくもプライドが許すなと哀れになってくる。その分庶民にえらそうに当たって何とか精神のバランスを保っているのだろう。あれだけ勉強して高級官僚になったのに、あほの政治屋の太鼓もちになるのだから、世の父兄も考えたほうがいい。頭の良い子はもっと違う道に進めさせるべきだ。我が家で同居しているかの国の二人が母国の腐った政治屋や役人のことを話すが、聞いていて日本となんら変わりない。美しい日本を目指していると言うアホノミクスは、自分にとって美しい国で、それは庶民があの幼稚園児のように直立不動で自分をたたえてくれることか。今の状態を放置したら、北の将軍様と同じ事をし始める。迂闊に空港でチケットなど買えない時代になる。


2017年03月03日(Fri)▲ページの先頭へ
管理
 姑との確執のせいで離婚後も体調不良が続く。実家に帰ってから食事も喉を通らないし、泣いてばかりで1日中布団にこもっている。死にたいと何度も口にする。病院の内科の医師に話を聞いて貰うときだけ何とか元気を出すが、帰ってきたら又哀しみに打ちひしがれる。内科の医師は心療内科の処方だけでは救えないと思ったのだろう、電話で「何か助けられる漢方薬はない?」と処方を尋ねて来た。ある煎じ薬と粉薬を処方するように助言した。母親がその日のうちに処方箋を持ってきた。母親も相当まいっていた。お嬢さんがもし来られるようなら一度会いたいと言うと、とてもそんな状態ではないらしい。ところが2週間後には、本人が処方箋を持って1人で車を運転してやってきた。肉体的にも精神的にも随分と楽になったらしい。僕が話を聞いてあげることで、なんとか薬の効くスピードを上げようと思ったのだが、必要なかった。
 母親が薬を取りに来たときにお嬢さんは適応障害と診断されていると教えてくれた。適応障害とは、世界保健機構の診断ガイドラインによると「ストレスにより引き起こされる情緒面や行動面の症状で、社会的機能が著しく障害されている状態」と定義されている。なるほど確かに当てはまっている。食べれないわ、起きれないわ、家から出れないわ・・・で著しく生活の質は落ちている。ただし障害と言う言葉が正しいのか僕には分からない。僕にはその言葉の持つ語感が、本人の不調を克服しようとする意思を阻害するのではないかと思われるのだ。正常以外を障害と片付けてしまうことに抵抗がある。そもそも正常自体が怪しくなっていて、一体どのレベルが正常かも分からない。社会が歪んでしまっているのに、これに旨く順応できたりしたものなら異常極まりない。
 立ち直れないようなショックを受けたとき、食べれて、起きれて、外出して遊びまくる、こんな芸当が出来たらそれこそ異常だ。じっと布団の中で力が湧いて来るのを待つ。それが自然だ。何でもかんでも病気にしてしまう。それは管理しやすいからではないか。生き方まで製薬会社の管理下に置くなど、真っ平ごめんなすってだ。


2017年03月02日(Thu)▲ページの先頭へ
基準
 何年も前からヤマト薬局の漢方薬を飲んでみたいと思っていたと言いながら、処方箋を持って入ってきた。あるトラブルを我慢していたらしいが、もう限界と思って漢方薬を飲むことにしたらしい。そのトラブルは命をとられはしないが、かなり不自由を強いられる。もっと早く決断すればいいのにと思うが、経済的な理由で躊躇っていたみたいだ。ただ、処方箋には、息子の名前が入っていたから僕の処方と同じと考えてもいい。迷い迷った歳月が悔やまれるがそれは仕方ない。ひたすらお役に立てれるように智恵を絞るだけだ。 
 会計の時に何かの拍子に奥さんの調子も悪いと教えてくれた。僕や息子に何かを期待しているわけではなく、なんとなく口からほろっと漏れただけだ。それによると奥さんは、脊柱管狭窄症で不自由しているという。なんでもわざわざ遠くの大学病院にかかっているらしい。それでいて治ったらいいのだが、効果はほとんど無く、日常生活がかなり阻害されているらしい。脊柱管狭窄症は現代医学ではほとんど治らない。僕は得意としているから、「もしよかったら漢方薬を作るよ」と言いたかったが抑えた。ひょっとしたらその大学病院の先生が息子を知っているかもしれないから。薬剤師ごときが生意気だと思われると息子にとっては不都合だろう。それと基本的には僕のほうから頼まれてもいないのに提案するようなことはしない。商売はしたくないのだ。それにしても脊柱管狭窄症で歩きにくいとは、あまりにも若すぎると感じたので「まだ若いのに大変ですね!」と言った。するとその男性は「若いもんか、もう70の大台に乗るのに」と言った。その瞬間、僕はあっけに取られた。何も考えずに自然に口から出た言葉なのだが、言われて見れば何となくおかしい。そう言えば、その男性の奥さんはもう何十年も見ていない。顔は思い出されないが美人だったような気がする。僕が「まだ若いのに」と言ったのは、何十年前の記憶によるもので、誰にも等しく過ぎた歳月は勘定していなかった。
 最近、歳の話が確実に増えている。昔は年齢など興味の対象にはなりえなかったが、今はそれを避けては通れない。だから頻繁にその言葉が出てくる。しかし、気がついたことと言うか気をつけなければならないと思ったのは、歳の話をするときの基準が明らかに自分なのだ。だからかなりの年齢の人に「まだ若い」などと言う言葉を使ってしまうのだ。年下の人にも同じ言葉を使うことも増えて、その人たちも同じように「若くないですよ、もういい歳ですわ」と答える。一体どの年齢を基準に考えればいいのかわからないが、少なくとも自分でないことは確かだ。恐らく世間の概念に近づけて言葉を選ばなければならないのだろう。赤ちゃん、幼児、子供、青年、おじさん、年寄り・・・・僕は自分のことは「おじさん」を多用している。ちょっとさばを読んでいるが。 


2017年03月01日(Wed)▲ページの先頭へ
謝意
 ストレスがかかると、急に腹痛がし冷や汗を流してトイレで倒れる。そして慌てた家族が救急車を呼ぶ。病院に行って手当てをしてもらうと回復し帰ってくる。そうした若い女性を二人知っている。不思議とどちらも母親が自分の漢方薬をとりに来たついでに「実は娘が・・・・」と、あたかもついでみたいな感じで相談された。そして偶然、どちらのお嬢さんもすこぶる元気になってもらい、片やヘルパー、片や金融機関の職員として、この春社会に出る。つい最近その1人のお嬢さんが「ヤマト薬局が田舎にあるのはもったいない」と言ってくれたそうだ。パニックで倒れそうになっていたお嬢さんが卒業旅行で外国に行ったり、イベントで国内を飛び回ったり、それなりに貢献出来ているから、評価してくれたのだと思う。
 「じゃあ僕もやはり大志を抱いて都会に薬局を出そう!」とは思わない。薬局の前を今の何十倍、何百倍の人が通るのか知らないが、誰か分からないような人に今と同じような接し方は出来ないだろう。内面も外見も全く飾らずに、決して媚びず、誰にも平等に接する。僕にとって一番大切なそれらのルールを維持できるだろうか。まさか僕が相手によって言葉遣いを変えたり、媚びた笑顔を無理やり作ったり、お世辞を言ったりはしないが、暗黙のうちにそれらを要求する人が来ない保証は無い。僕が僕でなくなるような代償を払ってまで得るものは無い。僕と全く同じとは言わないが、そこそこ似ている人たちのお役に立てれば心は満たされる。どれだけ多くの人より、どれだけより善い人を・・・のほうが心は満たされる。病気の話をしながらでも、お互いが楽しくないと意味がない。
 僕の薬局を利用してくれる人達は、僕の薬局が田舎にあったから会えた人達ばかりだ。田舎で70年以上小さな薬局が存続できたのは、嘘をつかなかったからだと思う。潮で汚れ、土で腰を折り、懸命に働いている人たちを毎日何人も見てきたから、普通の人たちの営みに自然と感謝できる。無意識にまで昇華したその人達への謝意が、天井からいつも僕を見下ろしてくれている。


2017年02月28日(Tue)▲ページの先頭へ
御座候
 先日「水いぼの国用地園」で運漏会があった。選手宣誓をするのかと思ったら、専守先制だったから訳が分からなくなった。どっちかはっきりせいとは見ていた父兄の声。その後に続いたのは「安呆首相ガンバレ、安呆首相ガンバレ 安呆首相ガンバレ」の声。「自分党や混迷党が心改め、歴史教科書でうそを教えないようお願いいたします」と間違えずによく言った。「国会つうか、大阪府つうか、豊中市つうか、よかったです。みんな悪い人に手を貸してよかったです」訳も分からず丸覚えで通過よかったです。
 政治屋のためなら何でもする罪無省も「適切な手続きで国民の金をのっとった」らしい。幼い時から周りの大人達に守られ続けてきた安呆首相は、ちょっとの皮肉にも耐えられず小学生の喧嘩レベルでやり返す。こんな茶番魅せられても尚この国の民は御座候。


2017年02月27日(Mon)▲ページの先頭へ
従順
「東京電力福島第一原発事故の損害賠償費用は、原発を持つ東電以外の電力会社も一部を負担している。家庭の電気料金でまかなっている7社について、朝日新聞が取材を元に国の家計調査を当てはめて試算したところ、1世帯(2人以上)あたり年約587〜1484円を負担している概算となった。家庭の負担額は料金内訳が書かれた検針票には示されておらず、利用者の目には届かない。国の試算で、賠償費用は7・9兆円にのぼる。うち5・5兆円分について、東電の負担に加え、他の電力会社も「一般負担金」として、原発の出力などに応じて負担している。7社は東京、北海道、東北、中部、関西、四国、九州の各電力。」朝日新聞
 よかった、中国電力は入っていなかった。原発を持っているからいつか他に変わりたいと思っているが、今現在、東電の事故の賠償費を肩代わりさせられていないことがわかってほっとしている。何で東電や背後にいる政治屋や利権会社たちの尻拭いを国民がしなければならないのだ。あれだけの土地や仕事や家屋を奪い、地域を壊し、国土の一部を使えなくした奴等がのうのうと生きていて、それらを奪われた人間達が身銭を切らなければならないのだ。水戸黄門に毎回登場する「お代官様」のやりたい放題を良くぞ国民は許していると思う。番組に登場するあの惨めな民百姓が現代の自分達だとは気がつかないのだろうか。
 自分は他の人間よりは高貴だと、だから人々が額づき、恐れおののいてくれないと居心地が悪い人間が、大手を振って歩く時代になった。今のうちに止めておかないとこの国には前科があるからいとも簡単にそれを繰り返す。正義の為に身を挺する人間が少なくなったから、奴らの思いのままだ。自分の子や孫が、命まで操られるようになるまで気がつかないおめでたい人間の為に、気色悪い時代にされてはかなわない。
 アメリカもたいした国ではないが、少なくともカルタにたてつく人間やマスコミがある。太鼓もちだらけのこの国とは違う。きゅうきゅうで暮らしている人でさえ従順な不思議な国だ。


2017年02月25日(Sat)▲ページの先頭へ
筋力
 毎日平凡に暮らしているのに、この憂鬱さは何処からやってくるのだろう。それは恐らく目に飛び込んでくる「思いあがり人間」のあまりにも多すぎることによるのではないか。ニュースをテレビで見る時などその極みだ。そんな人間ばかりが目に付く。
 北の将軍様が兄を殺して罪に問われないのは、それこそ何様かと思うくらいの思いあがりなのだろうが、その事で多くのおこぼれを頂戴する輩が一杯いるのだろう。だからまだ彼は生きている。これは北の国の特有の景色ではない。
 幼稚園で教育勅語を唱えさせるような人間は、自身を何様と思っているのだろう。特別選ばれた人?高貴な人?他者を導く存在?いやいや他者を従属させることが出来る力を持った人間?いくら法律を犯しても起訴もされない官僚をあごで使える人間?恐らく東大あたりを卒業して官僚になった人間に、しどろもどろの答弁をさせられる実力者?本人の心のうちはどれに近いのだろう。僕や僕の漢方薬を飲んでくれている人のほとんどが「思い下がり」人間だから、あの種の人間の心の中は分からないのだ。
 類は友を呼ぶ。同じ穴の狢。責められるとやたら早口になり、むくんだ顔を充血させ、しどろもどろのアホノミクスは、もし関与が証明されれば議員も辞めると言っていた。是非証明するものを探し出して欲しい。アホコミがアメリカと同じように信頼されないものになり下がるかどうかの瀬戸際だ。
 日本人は変わったのか。昔のままなのか。どちらにせよ、今の日本人の精神など自慢は出来ないだろう。強い奴にめっぽう弱く、弱い奴にめっぽう強い。昔のように紙切れ一枚で命を捨てさせられるような時代が来そうだ。自分で手を下せないような年寄りが若者をあごで使う。若者はその筋力を年寄りに差し出してはいけない。



2017年02月23日(Thu)▲ページの先頭へ
引力
 今年から営業開始時間を9時にしたおかげで、朝の時間に余裕がある。その為にウォーキングの時間を早朝から8時半に移した。この時期だと朝の6時はまだ暗くて、足元がおぼつかないから、危険回避でもある。勿論転倒だけでなく寒さのあまりのプッツンも考慮に入れている。
 この時間に歩くようにしたら、この時間はこの時間の空があることに気がついた。早朝だと、朝焼けがとても綺麗で、東の空を向いて歩くときが楽しみだ。テニスコートを周回するから、東を向いて歩くのは4分の1だ。ところが朝の8時半頃同じ場所を歩くと、澄み切った空の青さが印象的だ。その時間帯だと既に太陽が高いので結構まぶしくて、太陽を避けて見上げなければならない。そして発見したのだが、その時間帯に特別飛行機がよく飛ぶ。昨日など、雲ひとつ無い空に、飛行機雲が13本あった。今正にお尻から吐き出して飛んでいるのが3つあったし、ついさっき通ったに違いないと言うのも6本くらいあった。そして既に風に流され、ゆがんで拡散しつつあるのも4本あった。
 多くの飛行機雲は東から西に向かっていて、それぞれがかなり近い航跡を残している。詳しいことは分からないが、空にも道があるのだろうか、主要道と側道と、バイパスみたいに見える。そのうち数本は北東から南東に向けて飛んでいる。いつも空を見上げて不思議に思うのだが、一体牛窓の北東にどこの飛行場があって南東にどこの飛行場があるのだろう。いやどこの県からどこの県に向かっているのだろう。いやいやもっと視野を広げて、どこの国に行っているのだろう。南東はそれでも分かる、台湾かフィリピンか候補は一杯ある。ただ、北東からやってくるのはわからない。牛窓の北東といえば丹波か北陸くらいしか思い当たらないのだが。それとも飛行機も車と同じように右折も左折もあるのだろうか。
 いくら考えてもこれはと言う答えが見つからないので、いつかインターネットで航跡なるものを調べたことがある。するとあまりにも多くの飛行機が飛んでいるみたいで、日本の空が塗りつぶされているようだった。
 ウォーキングの時間帯には通らないが、1つ僕が目をつけているコースがある。それは北西から南東に向かうもので、結構低く飛ぶ。まるで下から見上げると巨大な魚がお腹を見せて泳いでいるように見える。牛窓上空であれだけ低く飛ぶのだったら着陸は高松しかないと思うのだが、定かではない。途中下車できるものなら降りて来てもらって確かめたいくらいだ。ただし飛行機が途中下車したら全員あの世のについてしまうからそれは望むまい。
 晴れた日に空を見上げ、銀色に光る機体を下から眺め、まるで上空から海の上を泳ぐ白イルカを眺めているような気持ちになる。僕がはるか上空を飛行機で飛んでいるような気持ちになる。地球の引力から解き放たれたらきっと僕はあそこまで落ちていく。、




2017年02月22日(Wed)▲ページの先頭へ
専門書
 今度はもうだめだと断言していたのに、結局原因は分からず、ただ悪い病気ではないとお墨付きをもらって帰って来た女性の夫が今日薬をとりに来た。夜を徹して働くこともあり、疲れを回復するのに便利な薬が僕のところにある。それを時々とりに来る。
 妻が悪い病気ではないと診断されて帰って来たので喜んではいるが今ひとつ不満げだ。それは妻が激痛と表現していた痛みが、癌によるものでないことは分かったが、原因は同定されていない。その事が彼には不満なのだ。と言うのは彼には同じような体験があり、それがフラッシュバックするのだろう。「大きな病院の先生なんか、ワシに指図するんかと言わんばかりなんじゃ」と語り始めた内容によると、彼のお父さんがもう6回くらい手術を受けている。ある夜、お父さんが急にお腹が痛いといい始めたので救急車で大きな病院に運んでもらったらしい。当直の医師に診てもらったが特別悪いところは無かった。何処も悪くないのだから連れて帰ったのだが、翌日になってもよくならない。そこで彼は再び岡山市にあるその病院に連れて行った。痛い痛いと訴えるのに、再び原因は見つからなかった。帰ってもいいと言われるが、おんぶして車の中から診察室まで運ばなければならないような人間が、異常がないと言うのに彼は引っかかった。途方にくれているときに偶然主治医が通りかかった。そこで父親の経過を知らせると、レントゲンを撮ってくれて肺に炎症があることを見つけてくれた。父親の痛い痛いは、苦しい苦しいだったのかもしれないが、外科の先生にとって異常無しでも、他の医師が見ると異常ありかもしれない。
 大病院のように高度に専門化すると、意外と自分の対象としている以外の病気にはクールなのかもしれないと思ったが、だからと言って僕達の薬局のように、低レベルで何でも屋も困る。情の熱さで病気が治るのならいいが、専門書の厚さにはかなわない。


2017年02月21日(Tue)▲ページの先頭へ
無防備
 なんて痛々しい格好で薬局を巡っているのだろうと、正視するのが気の毒だった。目をそらすわけにも行かないが、僕の薬局など飛ばして帰って欲しいくらいだった。ただ、根っからまじめなセールスだし、働くことが好きな日本人だし、又企業の厳しさもあって、以前と同じように訪ねてきたのだろう。でもあまりの気の毒さで、薬の話など出来なかった。
 そのセールスは大きなギブスを首に巻いていた。正面しか見えないのだろう、やたら姿勢がよく見えた。首を固定しなければならないのだから当然のように「鞭打ち?」と尋ねた。すると想像を超える答えが帰って来た。「骨折です」その瞬間僕自身があたかも疑似体験するかのような気分の悪さに襲われた。首を骨折して、他県から車を運転してやってこれるのかと、すぐにはその答えを受け入れられなかった。しかし彼が12月の事故の詳細を教えてくれると、そうしたこともあるんだと納得した。
 広島県のある田舎道を走っていたときに、老人が運転する車が急に優先道路を走っている彼の目の前に飛び出てきた。彼は急ハンドルを切って衝突を防いだのだが、反対車線の側溝にタイヤが落ちた。その落ちた衝撃で首の骨を折ったらしい。側溝に一輪落ちただけだから、そんなにダメージはなさそうだが、無防備に落ちるとこんな骨折もままあることらしい。側溝があることなどわからないから、身構えることも無かった。落馬した騎手が同じような骨折をするらしい。
 その老人は、脱輪した彼の車を無視していなくなったらしい。「いっそのことぶつかっていればよかったのに」と彼の身体を優先して言うと、救急病院の医師も同じことを言ったらしい。自分にも責任があることはそのお年寄りも分かっていうはずなのに、現場から立ち去ったのは許せない。防犯テレビなど無い田舎道だったから結局はやられ損だ。そう言うと彼は「この程度ですんだのですから、いいとしないと」などと聖人のようなことを言う。そこまで寛容になられると僕が卑しい人間に思えてくるが・・・その通りだ。反論はできない。
 夜、暗い道を歩いていて、ほんの少しの段差でも急に落ちると、結構な衝撃が首に走る。そんな経験は何回か僕にもある。同じ道を昼間意識して歩くと何の変哲も無いのに。無防備とはこんなに衝撃を受けるものかと驚いたものだ。彼の話を聞いて人よりきっと僕は臆病になれる。こと車を運転するに当たっては臆病すぎてなんら差し支えない。誰も傷つけず、自分も傷つかない。免許証を返納するまでそうありたいものだ。


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