過敏性腸症候群


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漢方薬を初め、天然素材の薬を用いて、さまざまな慢性疾患の回復のお手伝い

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2008年06月14日(Sat)▲ページの先頭へ
ガス型

 過敏性腸症候群のガス型を治すのはかなり難しい。僕がお世話した過敏性腸症候群の人で完治が4割くらいだから、ガス型の人の確率が足を引っ張ってその数字になっているのだと思う。ただ、漢方仲間に言わせればそれでも異常に高い数字だから、余程難しい対象なのだろう。
薬局をやっていて、薬を出した方の4割にしか「よく効きました、ありがとう」と言ってもらえないとしたらかなり心苦しい。毎日色々な相談の方が来られるが、やはり7割の方に効いてもらわなければ心苦しくてやっておれない。その数字は毎月キープするように努めているし出来ている。だから仕事としてやれるのだ。医者も同じだと思う。いや、医者の場合は僕らよりもっともっと高度な知識や器具、強い薬を駆使できるから、ハードルは高く設定しているかもしれない。
 この半年の間に、過敏性腸症候群のガス型の治癒率が一気に上がった。毎月新しい相談を受けるが、9割くらいの確率で症状を軽減できている。この間、ガス型だけに限れば、100人近く新たに挑戦しているが、10数人だけが漢方を飲むのを止めている。この10数人は1回(2週間分)しか飲んでないので、本来は統計に入れる必要もないのかもしれない。いわゆるドクターショッピングで、色々な医療機関で期待を裏切られ続けたから、持続して治療を受ける気力を無くした人達だ。本人のせいではなく、医療機関の力不足なのだろうが、これから延々と病院をさまよい歩き、商業主義にはめられサプリメントなどと言うものに大切な自分の身体をゆだねるとしたら気の毒だ。
 実は確率が急に上がったのは、僕自身の昨年の思い出すだけでもぞっとする体験のおかげなのだ。それも好ましからぬ出来事のおかげなのだ。
 丁度昨年の今頃、僕は驚異的な労働を強いられていた。薬剤師に急に止めてもらうことになり、1人薬剤師として薬を作る作業を朝の5時から、夜の11時くらいまで毎日続けていた。2ヶ月くらいだと思う。特別養護老人ホームの110人分の薬を決まって作らなければならない。それも飲みやすいように錠剤を粉砕したり、一つの袋に数種類の薬を混ぜたりと簡単な作業ではなく、新たに導入した最新の調剤機械を駆使してもなお1日数時間はその為だけにとられた。8時から20時までは、いわゆる普通の業務(OTC販売、漢方相談、処方箋調剤)をこなした。不思議なことに疲れは全く感じなかった。四六時中高揚して充実感もあった。よく働いて、毎日ご褒美にビールを飲み、窓を開けて眠った。低体温の僕が、まるでサイボークにでもなったみたいだった。
 そうしているうちに娘が帰ってきてくれた。調剤専門薬局に勤めていた娘は驚くほど調剤に関しては技術を身につけていた。僕の仕事の半分以上を引き受けてくれた。やっと本来の僕の仕事量に戻れた。それでも止めなかった急ごしらえの習慣があった。それは気持ちが高揚したままよく食べよく飲み窓を開けっ放して寝ることだった。10月の半ばまで窓を開けて寝ていた。あまりの寒さで震えながら毎晩目を覚ましていた。寝る前の高揚感だけで開放して寝ていたのだが、本来僕はその様な熱量は身体には備えていない。
 ある朝目覚めると、抜けるように体がだるかった。仕事をしなければと思ったが、起きあがる気力も出てこなかった。体温を測ると僕にとってはまずまずの熱が出ていた。風邪を引いてしまったんだと思い薬を飲んだ。本来なら半日で解決できる。今までの経験で言うと半日あれば風邪を追い出せた。ところが昼が来ても夜が来ても、最高級の薬を飲んでいるはずなのに症状が全く軽減しない。僕にとっての最大のストレスは仕事を休むことだから、少し焦った。翌日も翌々日も同じように身体が重く、起きあがる気力も起こらなかった。おまけに食欲が全くなく、鼻の先に食事を運んでもらっても、それこそ一口も食べれなかった。体調不良でご飯が食べれないという経験は初めてだった。熱は平熱より1度高いくらいで推移した。微熱、食欲減退、倦怠感、この3重苦で仕事が出来ない。どうしても僕が応対しなければならない人の時だけ2階から降りた。1週間位するとそれでも少しずつ食べれるようになったが、体のだるさと微熱は改善しなかった。全く家から1歩も出ない日々が続き、心は鬱々としていた。しょちゅう体温計で測るが、漢方薬が効いている数時間だけ機械的に熱は下がったが、薬が血液中から消えると又元の木阿弥だった。息子は最初は何かの感染症だろうと言って興味を示さなかったが、さすがに1ヶ月も微熱が続くとガンかもしれないから、調べにおいでと言ってきた。実は僕もその事ばかりを最後の方は考えていたのだ。倦怠感を押して仕事は続けたが、頭の中にいつもその言葉が浮かぶようになった。毎晩激しい動悸で必ず目が覚めるようになった。激しく汗をかいていた。朝が来るのが待ちどおしかった。体より心の方がやられ始めていた。
 息子が勤めているところにいきたくても自分で車を運転する体力はなかった。帰ってきたばかりの娘と妻に全てを任せるのは心許なかった。タクシーで行っても途中で気分が悪くなりぶっ倒れるのではないかと心配した。そんなときある女性が連れて行ってあげると申し出てくれた。もう20年来漢方薬を出し続けている親しい人で、その人に頼むのは抵抗無かった。結局はある空白の時間を狙って妻が連れて行ってくれたのだが、人の親切がとても嬉しかった。何故か血液検査の数値も良くて、腫瘍マーカーもいっさい問題ないことが分かった。息子に何かクスリを出してと言ったら、こんな時こそ漢方薬と言ってクスリはくれなかった。食事がとれている人に点滴も必要ないと言った。意外と半病人には武器がないものだと驚いたが、病気が隠れていないことを判断してくれて、この日を境に一気に解放へと向かったのだが、問題は残されていた。
 病気でないのなら積極的に外出してやろうと考えた。1ヶ月近く太陽に当たっていないし、歩いてもいない、まして車の運転もしていない。外を歩けば、くらくらとして倒れそうになった。それでも少しずつ時間と距離を伸ばして歩くようにした。漢方の研究会があったので出席してみた。車も運転して岡山まで行った。2時間、好きなことだから意外と体はもって有意義に勉強出来た。喜んで車を運転して帰った。会場から、10分くらい走ったとき、信号で止まった。岡山市では一番大きな交差点だろうが、赤信号を2回から3回も我慢すれば必ず通過できる。いつものように待っていると急に息苦しくなってきた。それと同時にいいようもない焦燥感、何か込み上げてきて叫びたくなるような気持ちに襲われた。冷や汗が出てきて失神しそうになる。何の予兆もなく突然に始まった発作にあわてた。自分でパニックをおこしたのだとすぐに気が付いた。大声で歌い、口をすぼめて息を吐き、窓ガラスを開けた。いつ失神するかと冷や冷やだった。念のためアクセルから足をはなしておいた。やっとの思いで信号を脱出した。するとすぐに高架橋の上で又止まった。一瞬収まっていた症状がすぐに復活した。これが例のパニックなんだと、僕もこんな症状を起こすんだと情けなかったが、失神しないことだけを願って牛歩の歩みの車列を恨んだ。恐らく人生で最大の危機だと、パニックを起こしながらも考えた。やっと危機を脱して再び帰路に就いた。田舎に近づくにしたがって信号も気にならなかったが、バイパスの長い橋にさしかかったところで又同じ症状が出た。たた数十秒も走ればわたれるので、先ほどの症状ほど激しくはなかった。
 体力が少しずつ回復していたのでこの出来事はショックだった。日曜日、試みに町内を運転したが、信号で止まると動悸がし息切れがした。完全にトラウマとして残っていた。嘗て同じような患者さんを治したことがある。若い彼はダンプの運転手だったが、事故を起こした高架橋の下を通ると必ずえらくなり気を失いそうになると言っていた。全く彼と同じ状態だ。こんなにしんどいのかと、本当に彼の苦しみを理解してクスリを渡していたのかと、罪の意識すら感じた。ただ、彼も、その他の同じような人も治しているから、僕も必ず克服できるものだという予感はあった。この果てしない予期不安を克服しないと日常生活がかなりの制限を受けてしまう。この克服は緊急の課題だった。パニックと予期不安、病名を並べてもしょうがない。要は極度の体力の消耗から始まった一連の神経の衰弱を治せばいいのだ。本来僕がもっている繊細な、臆病な心が覗いただけなのだ。体力を回復し、気を強くする煎じ薬を飲めば絶対克服できると思った。現代医学なら安定剤か抗ウツ薬が定石だろうが、絶対それには手をつけまいと思った。いったん手をつけるとなんだか止めれないような気がするから。
 消化器系を強くする薬とパニックを抑える薬を両方早速飲み始めた。煎じ薬と粉薬で作ったが、美味しいと思った。真っ黒でとても美味しそうには見えないが、とても美味しかった。それの効果は夜の動悸と寝汗にすぐ現れた。飲んだ日から効果を感じて恐らく数日でそれは治ってしまったと記憶している。夜がまず怖くなくなった。日曜日を待って実験を行った。心配した妻が、いつも岡山に行くのを変更して玉野の教会まで付いてきてくれた。往復2時間、ミサが1時間。運転は全部自分がした。橋も信号も全く問題はなかった。ただ、心配な心は顔を持ち上げてくる。信号の度に、橋の度に心配にはなったけれど、症状は起こらなかった。翌週は、1人で同じ行動をとってみた。同じように懸念はその都度あったが、結局何の不都合も起こらなかった。次の週も次の週も行動範囲を拡げながら挑戦し、最終的には漢方薬を飲むのも忘れていた。ほぼ1ヶ月くらい飲んだだろうか。
 おかげで今は何の問題もなく、どんな渋滞でも問題ない。不運な体験でつかんだ処方だが、その後多くの人に役に立っている。予期不安、パニックなどはそのものの目的なのだから効くのは当然なのだが、一番幸運だったのは、過敏性腸症候群のガス漏れタイプの人がかなりの確率で改善していることだ。あれ以来、「繊細病」「考えすぎ病」にはこの処方を使っている。僕にはそれらで苦しんでいる人達の性格や心のありよう、果ては生き方まで手に取るように分かる。僕が僕の性格を好きなように、その人達がとても好きだ。その繊細さを失わず、とても大切な個性として持ち続けて欲しいと思う。その上で、気を強くもてるような煎じ薬で物事に動じないようにしてあげると「ガス漏れ」から解放されることに気が付いた。現代医学の逆だ。思考力を抑えてなんとか日常生活を送れるようにするのではなく、強い気持ちを持ってもらえるようにするのだ。そして、そこに笑いの一つでもあれば十分だ。治らないはずがない。だって、人を傷つけることもなく懸命に生きているんだもの。祝福されないはずがない。勇敢で攻撃的がいいはずがない。僕はそんな人間でなかったことを喜んでいる。それだからこそ今会えた人達がいることに感謝している。傷心でも臆病でもない、僕らは繊細なだけなんだ。それ以上何を望む。繊細だからこそ得たものがいっぱいあるはずだ。それを大切にすれば十分だ。繊細だから失ったものはなにだ。そんなもの必ず取りかえせれる。だって、自分の心の中にあるのだから手は延ばせば届く。
 何故こんな体験をよりによってさせられるのかと当時思ったが、これで若者の何人かが救われるなら当時のつらさは全部肯定できる。みんな似たり寄ったりと見えないだろうか。特別な人なんてそんなにいないのだ。良しにつけ悪しきにつけ。この年になってやっとそれが分かってきた。それが分かれば生きるってことは実は結構楽なものなのだ。早く気が付くことを祈っている。

2008年06月01日(Sun)▲ページの先頭へ
中庸

 僅か数年の内にこんなに変わるのか。いやいや、この変化こそが当たり前だ。
家から出るのも困難。当然、学校は行けないし、乗り物にも乗れない。美容院、歯医者、出来ないことより出来ることを上げる方が早かった。青春前期は劣等感の固まりだった。そのおかげか文章はとても上手だった。言葉に出せれないつらさを昇華して、豊富な語彙でいつも綴っていた。ガス漏れで人に迷惑ばかりかけていると言っていた。どこに行っても周りの人が鼻を押さえたり、咳き込んだりすると言っていた。
 僕は何を治したのか。10代の子の自然と開く肛門を治したのか。皮膚から漏れるガスを治したのか。自然と漏れるガスを無臭にしたのか。いえいえ、そんなことはする必要もないし出来るはずもない。(肛門括約筋を強くすることは確実に出来る)僕が強くしたのは、消化器系と心。逆に弱くしたものもある。いつも仮想の敵を作りファイティングポーズをとり続けている緊張感。弱いところを強くして、強いところを弱くするのが、中庸を重んじる漢方の極意だ。右でもない左でもない、上でもない下でもない、強くでもない弱くでもない、重くでもない軽くでもない。まさに中間、バランスのとれた真ん中に戻すことを目的とする。これが中庸だ。
 中庸を得た彼女は、都会で自由に暮らしている。彼が出来て、彼女の匂いを「とてもいい香り」と言ってくれるそうだ。当たり前だ。若い女性だからいい香りをしているに違いない。人間も含めて、全ての動物が若ければ美しい。幼ければ可愛い。当然のことだ。数年前、数日一緒に行動したが、何の香りもしなかった。彼ほどは接近しないからだろう。彼女から発するものが変わったはずはない。数年前も今も同じだ。変わったのは、彼女の意識だ。取り戻した自信が、客観的な判断を呼び起こした。ただ、それだけのことだ。
 想いで自由を失ったのなら、想いで取り返さなければならない。僕はたったそれだけのお手伝いを漢方的にしているだけだ。

2008年05月26日(Mon)▲ページの先頭へ
もったいない

 ある女性が、6月に留学の為に出発することになった。最近は漢方薬を送っていないが、時々よこすメールが、どんどん明るいものに変わってきていることに気が付いていた。過去のトラウマから脱出するのに少し時間を要したが、今が過去を引きずるのではなく未来を引き寄せる瞬間だと気が付いてくれたのかもしれない。今を克服するにつれ、やりたいことが段々形になっていったみたいだ。散弾銃みたいな文章が、段々ライフルみたいに照準を合わせた文章になっていった。その変化の過程に関われたことが嬉しい。
 実は僕が関わった過敏性腸症候群の方で留学する人は意外と多いのだ。学校や会社におれなくなった人達が、このトラブルを克服して、以前より大きな羽をはやして大きく飛び立つことが珍しくないのだ。以前からの夢を叶えたのか、新たな展開にかけようとしているのか分からないが、勇気ある1歩を踏み出す。青春の一時期に失ったものを、取りかえして余るほどの旅に出るのだ。あんなに臆病だった彼らや彼女らが、こんなに勇気を持っていたのかと驚かされる。
 最近の僕の処方の特徴か、気が強くなってくれる人が多い。強いというと語弊があるが、ものに動じなくなるみたいだ。その結果、活動範囲が広がり、お腹のことを考えなくなるみたいだ。お腹のことなんかで青春や人生を棒に振るのはもったいない。もったいない、もったいないとエールを送っているが、その真意を理解してくれる人が増えた気がする。僕自身や、多くの人が克服した経験を生かさないのもこれまたもったいない。日本人特有の文化「もったいない」が救えるものが身近にいっぱいあることに気が付く。がむしゃらに自己を主張するのではなく、自分自身を本当に大切に出来れば必ず克服できる。


2008年05月15日(Thu)▲ページの先頭へ
箇条書き

 牛窓にも訪ねてきてくれたし、一緒に備中温羅太鼓の公演を聴いたりしたので、色々なことが手に取るように分かる子だ。2週間毎に電話もくれるから、声質や話し方で、彼女の様子も分かる。
 彼女がメールで、薬を飲み始めてからの体調の変化を箇条書きにして教えてくれた。と言うのは、電話では自分の想いを伝えたくてどうしても、困っていることが優先的になる。いやいや、ひょっとしたらそればかりかもしれない。ある日ふと、彼女が気が付いて、最初に僕に依頼してきた時の文章と現在の体調を比べてみたらしい。すると11項目に改善が見られていたというのだ。マイナスのことばかり僕に伝えていたというのだ。
 ずいぶんと体調が良くなっていることに気が付いたのはよいことだ。体は部分の集合ではない。血液や神経やリンパで繋がっている有機体だ。だから完全に独立して病気にもならないし、完全に独立して回復もしない。連携しながら全体が病み、全体が回復する。箇条書きに客観的に整理したことで、彼女は一歩退いて自分の体調を眺めることが出来るようになるだろう。治療に力みが消えることはとっても良いことだ。頑張って頑張って、力んで毎日を戦っている子だから。
 今日あるお母さんから、お嬢さんが1人住まいをしたいと言い出したと相談があった。大学入学後、登校できないかと心配したけれど、もうほとんど完治が見えてきた。お母さんは心配だが、1人住まいしたいと言うくらい自信が出来たのだ。僕は嬉しかった。お腹が治って、1人の立派な大人にこれから脱皮していくのだ。本人は勿論、お母さんと幼い妹の3人で牛窓を訪ねてくれた。丁度僕の体調が悪いときで最高のおもてなしが出来なかったのだが、この結果にいたって、僕自身もほっとしている。妹さんが、大きなリュックを背負って、海外旅行にでも行くのかといういでたちがとても可愛く印象的だった。
 過敏性腸症候群の僕の処方もずいぶんと変化してきた。色々な出会いが、僕に力を与えてくれる。僕が与えるよりはるかに大きなものを、彼女たちから頂いている。彼とうまくいっているかな、バイトを始めたかな、授業をさぼったかな、色々な風景を想像しながら薬を作る。1日があっという間に逃げていく。

2008年05月09日(Fri)▲ページの先頭へ
経過

 中部地方に住んでいる方から、何回目かの薬の注文が入った。頂いたメールを読んでいて何か強く印象に残った。平易な言葉で表現されているのだが、あることに関してとても的を射ているような気がしたのだ。
 過敏性腸症候群の治り方、言い換えれば治っていく経過をとても端的に表してくれているのだ。過敏性腸症候群の相談をしてくれる人は、まず治らないと言う前提の人が多い。それでも相談してくれるのだから、一縷の希望は繋いでくれているのだろうが、期待感は非常に少ないように感じている。また、治り方が分からない、元気だった頃がどうだったのか想像できないなどとも良く言われる。そうした疑問に僕が答えるより、彼女の文章ははるかに説得力があることに気が付いた。僕が理論や理屈を言うより数段雄弁だ。僕はすぐにその方に、貴女のメールを僕のブログに引用させて欲しいとお願いした。すると彼女は、快く承諾してくれた。中学校以来20年間苦しんでいるので、同じ悩みの人の苦しみが少しでも軽減するならと言葉を添えて。以下にそのまま全文を載せる。

「こんばんは!最近の調子は、、、すこぶる調子いいです(^−^)気持ちが随分ラクで、心が軽いです。こんな気持ちの状態は、本当に久し振りです。便が朝、毎日でるので日中ガスも少なくなりました。ガスが出ても、あまり気になりません。自分が人生を楽しむこと、自分は自分であること、自分本位であること、事実と現実が違うこと がよくわかったように思います。と、言っていて明日になると最悪になったりして・・・まだ薬をやめるのは不安ですので、漢方の粉の薬のみを注文します。(煎じ薬は、まだあります)。よろしくお願いします

 体調の変化と共に、心の持ちようがずいぶんと力が抜けてきている。最近僕が多くの方に飲んでもらっている処方が、なぜか心がリラックスして力みがとれるみたいだ。漢方の世界に安定剤みたいなものはないけれど、薬草で気を強くすると逆にリラックスできるみたいだ。だから恐らくまじめ一本で、愚直に、控えめに生きてきた彼女も、少し自分をわがままに大切にしようと思ってくれるようになったのだと思う。もう青春は帰ってはこないが、大人は考え方によれば青春以上に楽しい。今からでも何倍にもして人生を取り返すことは出来る。嘗て僕も住んだことがある街で、1人の女性が青春の落とし穴から這い出ようとしている。そこには胸まで髪を伸ばし、汗くさいTシャツ、破れたジーパン、すり減ったズック靴の痩せて青白い青年がいた。30年前彼が歩いた商店街を、彼女が今歩いているだろうか。




2008年05月04日(Sun)▲ページの先頭へ
ドミノ倒し

 自分の町を久しぶりに海から眺めた。それも過去のように前島に渡る漁船やフェリーではなくヨットだったのでゆっくりと眺めることが出来た。珍しく息子が孫と嫁さんの家族を伴って帰ってきたので、妻がヨットを手配したらしい。
 今日の牛窓は、観光客で一杯だった。目立ったのは家族連れだった。高年齢の家族、幼い子供を連れた家族、現役2世代家族、まちまちだったが健全な家族の風景が観光地を活気づけていた。陸にいたら暑いくらいだったが、沖に出ると帆を一杯にふくらます潮風はひんやりとして気持ちよかった。10年に一度眺めるかどうかのアングルは、山肌に広がる新しい建物を印象づけた。都心部から移り住む人がモダンな家を建て、風景の香辛料になっている。リマーニというホテルに泊まっている観光客と同じヨットに乗せてもらったが、皆とても心地よさそうに風の音を聞いていた。まさにこの海で育った人間にとっても癒しのミニ航海だった。
 この数年、僕の薬局でのジンクスがある。過敏性腸症候群の相談に来た人達と僕の家族が、日が沈む頃フェリーで前島を往復する。片道5分くらいの距離なのだが、フェリーの甲板から眺める夕陽がとても綺麗なのだそうだ。その夕陽を見た人がほとんど治っているのだ。僕は実際見たことがないのだが、とても綺麗らしくて、全員が感動してくれている。実際、日本夕陽百景にも選ばれているらしい。新しい家族と楽しくのんびりと過ごしながら、僕は今度訪ねてくる人がいたら是非ヨットに乗せてあげようなんて考えていた。都会の人や、山間部の人には確かに珍しい体験になるだろう。
 ジンクス通りだと、僕の漢方薬が効かなくても、フェリーや夕陽が助けてくれる。ヨットによるクルージングならもっと助けてくれるだろう。何の力でもいい、治ってお腹のことなんか気にせずに人生を謳歌してくれればいい。1人が幸せになれば、きっと回りに幸せのドミノ倒しが展開されるだろう。小さくてもいいから、ゆっくりでもいいから、終わりのないドミノ倒しが。

2008年04月30日(Wed)▲ページの先頭へ
目標

 関東から突然来てくれた女性と話をしているときに、その女性と全く同じトラブルの女性が入ってきた。偶然県内の女性で何回も薬を取りに来ているので、親しみが沸いて我が家の中では珍しく○○ちゃんと名前で呼ぶ。
 その○○ちゃんがとても嬉しそうな顔をして入ってきた。笑みがこぼれている。どんないいことがあったのかと思ったら、今日は1日中お腹が悪くなかったそうだ。それを絶対報告しようと来てくれたから体中で喜びを表していたのだろう。色白で、冷え性で、スリム、それに少しだけ心が優しすぎれば、1日中元気なんて至難の業だ。それが今日は100点に近かったのだから嬉しかったろう。その話を聞くだけで僕なんか嬉しくなる。2人のやりとりを聞いていた関東から来た女性を、○○ちゃんに紹介した。薬を作っている間2人で話をしていた。同じトラブルの人にあったことがないので、その機会が出来たことは、2人にとっても良いことだ。もっとも、2人とも僕の娘からは体験談を聞いているが、娘は今はスタッフだ。全く同じ立場同士の人と話すのは意義が深いだろう。それも、かなり克服できた人と、これから始める人の組み合わせだから、理想的だ。
 お昼過ぎに来て、結局薬局が閉まる8時までいたが、その間、薬局の中にいた。薬局に色んな人が色んな訴えをしてくるのを見ていた。僕とおもしろおかしく会話し、薬を持って帰るのを見ていた。帰る前に彼女が印象を語ってくれた。彼女は8時間の間、とても安心してここにいたそうだ。彼女の住む街では、仕事は勿論通勤途中でもどこでも緊張しているらしい。常に競争原理が働いて、戦いのモードらしいのだ。飾らない人達と、飾れない薬剤師の奇妙なやりとりに驚いたかもしれない。権威も礼儀も何もない。あるのは、遠く関東の地から来た女性を、大切に思いやる心。僕の代わりに○○ちゃんがその女性に別れ際にかけてくれた言葉が最高のもてなしになった。過敏性腸症候群は青春の落とし穴。しかし、その穴に落ちた人だけが得られるものもある。他者をいたわる心、他者を傷つけないこと、謙遜であること。これらは本当はお腹以上に価値がある。ただ、見えるものに変えれないから、その価値に気がつかないのだ。その心を保ちながら、身体だけ元気にする。これが最近の僕の目標だ。

2008年04月25日(Fri)▲ページの先頭へ
英会話

 薬局の前に中学校がある。毎夕5時に校内放送で下校を促している。生徒が放送するのだが、新学期から日本語放送の後、英語で繰り返している。いや、断言は出来ない。英語で言っていることが分からないから、繰り返しているってのは単なる想像だ。
 ネイティブ以外の英語は、一つ一つの単語は聞きとりやすいが、文章としてはなかなか理解できない。発音なんかは、僕の中学校時代とほとんど差はないと思うのだが、それでも堂々と英語で話をしている。国の中に英語の需要があるらしく、生活の中で覚えた人は強い。単なる受験の手段だった僕なんか、受験が終わった翌日には全部忘れてしまった。もっとも英語以外もほとんど忘れてしまったが。忘れなかったのは、首に当たるカラーの窮屈さだけだ。何であんな不自由なものを生徒に強要していたのだろう。
 高校を卒業後、英語で話をする機会もなかったし、必要もなかった。ところがこの年になって、東南アジアの人と同席する機会が増え、英語が話せれたらなと思うことが多くなった。意識して、NHKの英会話の番組を観るようにしたが、半年くらいして気が付いた。半年でたった一つのフレーズも覚えていないことに。15分番組を観て覚えたフレーズは、その後の入浴時間中に完全に忘れている。恐らく10分も僕の頭の中に留まることも出来ないのではないか。結局、電子辞書を買う期間が、半年延びただけに終わったのだが、無駄な努力と居直れる大人であることが後ろめたい。
 たどたどしい発音が風に乗って聞こえてくる。その声の持ち主にエールを送りたい。

2008年04月15日(Tue)▲ページの先頭へ


 最初初めて会った時、この子を治せば過敏性腸症候群なんて全員治せると思った。関東から2回訪ねてきて、3回目を迷っている間に治ってしまった。今頃どうしているんだろうと妻と話していると、1年ぶりのメールが突然入ってきた。
 当時、JRの深夜便で乗客がまばらな時間帯以外には電車に乗れなかったのに、今はバスの前の方の席にも何の心配なく乗れるそうだ。ガス漏れに関しても100%克服している。数年間の苦しみ自体も思い出すこともあまりないらしい。それはそうだろう、何と彼が出来ていて、相談は自分のことではなく彼のことだったのだから。元々、文章がとても得意な人だったから、以前もそうだったが、彼の症状についても非常にわかりやすく丁寧に書いてくれていた。彼女の、彼に対する思いやりがとても表されていた。
 2度目に訪ねてきたとき、夜、彼女と妻と3人で土手をヨットハーバーまで一緒に歩いた。その光景が一番印象に残っている。入学した高校がまさに家の前にあり、結局は学校に行くこともなく過ぎた3年間を回顧する彼女が不憫だった。どんな気持ちで校門に消えていく学生の姿を見ていたのだろう。どんな気持ちで放課後に聞こえる歓声を聞いていたのだろう。見ず知らずの僕らと過ごした数日が彼女の人生を救えたとしたら、都落ちするように田舎に帰ってきた僕自身が救われる。しかし、よくよく考えてみればいつも救われているのは僕の方なのだ。壊れそうな精神を水面に浮かべて映るのは、僕自身の姿なのだ。光は必ず空から降ってくるとは限らない。湖底からはにかみながら浮かび上がる光だってあるのだ。僕はそんな光に照らされている。

2008年04月07日(Mon)▲ページの先頭へ
臆病

まだ見ぬ貴女に
 僕は高校時代、古文の時間に突然声が震えだし、僅か1ページの本読みが永遠の時間の長さのように感じました。それ以来本読みが当たりそうな授業は全部、そっと校門から抜け出ていました。高2の時です。僕もあなたと同じように浪人しました。その後何年もかけてかなり克服できましたが、青春時代いつもそのハンディーと共に生活しなければならなかったのは、つらかったです。若かったし、何も守るものもなかったので結構やばいこともしましたが、ただ人前で本を読むことは出来ませんでした。いわゆるトラウマなのです。
 娘が突然、学校を休みたいと言って帰ってきたのも、高校2年生の秋でした。僕自身の経験と、父親としての経験、又薬剤師としてあなたと同じような人を450人くらいお世話した経験から言います。親に訴えるべきです。恥ずかしいことでもありません。素人だから最初は親はとまどうかもしれませんが、話せば、あなたが苦しんでいることは分かってもらえます。症状が分かってもらえなくてもいいのです。苦しんでいることが分かってもらえればいいのです。このトラブルは1人で挑むには敵が強すぎます。敵が自分自身の中にいるからです。回りを巻き込んで、一緒に戦うべきです。かく言う僕も自分の過去を口に出せれたのは、つい最近なのです。あまりにも過敏性腸症候群の相談が多いので、自分の過去を正直に公表して、若者達を救いたかったのです。今は僕の家族も、親類も、嘗ての仲間も皆知っています。ずっと上手く逃げ回ったので、誰も気が付かなかったのです。でも、僕は苦しくて苦しくて仕方ありませんでした。本当の自分を隠して、快活で冗談好きで明るい僕の異なったイメージが一人歩きするのが、いやでした。こんなに臆病だから助けてと、あの頃訴えていれば良かったとつくづく思います。
 でも、このトラブルになってからあなたは失ったものばかりではありません。恐らく「謙遜」と言う名の美徳を身につけたと思います。これが身に付くのはとても難しいのです。
得ることばかりの人生では決して身に付きません。大切なものを失ってこそ気付く心のありようだと思います。あなたは決して治らないトラブルと対峙しているのではありません。僕は過敏性腸症候群は病気だなんて全く思っていません。あなたのとてもすばらしい個性だと思っていますよ。
ヤマト薬局

僕が薬を送っている人以外に、ブログの読者がいることを知った。知らない町の知らない人に今朝返信した文章を、その人の許可を得て、知らない町で1人で悩んでいる人達に届けたい。

2008年04月02日(Wed)▲ページの先頭へ
一秒

 嬉しい知らせが届いた。いつものように短い文章だが、喜びは十分伝わってくる。十月十日、よく頑張ったと思う。お母さんになるべく少しずつたくましくなっていった。関西人のシャイの典型みたいで、斜に構えながらもちゃんと物事を見ていた。
 僕は1人の女性の復活を漢方薬を介してずっと見せてもらった。何も出来なかった女性が、遅ればせながらに、普通の女性がたどる道を歩んでいる。家から出られるようになり、仕事をし、恋愛をし、結婚をし、ここで赤ちゃんを得た。○○ちゃんがいれば幸せという言葉で、空白の数年間が新しい命で満たされたことを感じる。
 過敏性腸症候群は青春の落とし穴だ。いくつも用意された中のひとつだ。誰がいつ落ちるか分からない。浅い穴もあれば暗くて深い穴もある。深い穴の中で、もがけばもがくほど、身動きとれなくなる。穴から出るには、ロープを投げてもらうか、はしごを降ろしてもらうしかない。ロープを投げる人は、医療関係者かもしれないし、家族かもしれない。ロープやはしごは、現代薬かもしれないし漢方薬かもしれない。でも一番大切なことは、穴に落ちた人が声を上げることだ。大きな声を出して、助けを求めることだ。そうしないと地上の人は誰も気がつかない。分かってくれないと嘆くのではなく、自分を、自分の苦しみを訴えることだ。お腹のことで、青春を無為に過ごすのはもったいない。ほんの一秒勇気を出して、助けてと叫べば、以後何十年の解放が待っている。

2008年03月30日(Sun)▲ページの先頭へ
電友

 この数年、僕が一番会いたかった女性に今日会えた。四国にお子さんを連れて里帰りする途中岡山駅で1時間あまり話をすることが出来た。今カルテを拡げてみると、この春で6年目の付き合いになる。過敏性腸症候群が治り安くもあり、治り難くもありって事を体現してくれているような人だ。
 彼女は電話派だから、何があっても電話をくれる。彼女の声と分かるのに1秒も要しない。もう何回、いや何百回話をしただろう。越えがたい壁が現れたときは現場からリアルタイムで電話をしてくる。けたけたと屈託なく笑うくせに繊細な心をしていて、その不釣り合いなバランスが、恐らく彼女の魅力なのだろう。郵便局、美容院、歯医者、外国旅行、お産、入学式、卒業式、コンサート。ほとんどを克服したのに、克服できるという事実を克服できていない。
 東京に住む田舎者の遺伝子がお子さん達に受け継がれているのか、2人の男の子がとても感じよかった。お兄ちゃんはわざわざ東京から釣り竿を持って里帰り。途中ご主人の田舎で釣ったり、四国でも釣るらしい。家の近所の池で釣りをすると言うから、東京にも自然があるんだと、少年に教えてもらった。見ず知らずの僕を警戒気味だとお母さんはそっと教えてくれたが、最初からとても楽しく話が出来た。下の4才の男の子はそれこそ無邪気で、天真爛漫だった。お母さんが過敏性腸症候群のために飲んだ薬で、妊娠しやすくなって出来たお子さんだ。漢方薬のすばらしいところで、患部を狙うのではなく、心身共に元気になるって至極当然な目的のための処方だった。
 「幸せじゃないの」何回かこの言葉を僕は口に出したと思う。こんな素直なお子さんに恵まれて、それ以上の幸せはないと思った。十分すぎるくらい幸せだと思った。僕は子育て世代のお母さん方をとても美しいと思う。崇高な大事業を成し遂げつつある生き生きとした姿が美しい。優しくもあり、たくましくもあり、色々な人格を積みあげている。
 どんな女性だろうと、とても興味を持って迎えたが、駅で一言声を聞いただけで、もう旧知の間のようになり、久々に帰ってきた妹を迎えるような感じで少しの時間を楽しく過ごせた。年のはなれた妹が、子供を2人連れてきたようなものだ。「何かの縁」としか言いようのない、ある雨の日の出来事だった。

2008年03月17日(Mon)▲ページの先頭へ
夜の運動場

 月も出ていないし、外灯と言ったら広い運動場に2カ所しかない。近寄ればさすがにその下だけは何とかまだ明るいが、ちょっと離れれば、かすんで外灯があることしか分からないくらいの頼りなさだ。外灯が目的を果たしているとはとても見えない。そこにあることだけで何かを許されようとしている感じだ。
 土の上を歩く方が膝のために衝撃が少ないと思ったので、最近は中学校の運動場を無断で歩いている。田舎の夜は早いので僕が歩く時間はもうすっかり町は夜の中に浸っていて、時折遠くを仕事帰りの車が通り過ぎる音が聞こえるだけだ。人の気配を感じることはまずない。運動場に面しているある家の方が昨日の朝急に亡くなった。救急車で運ばれるのを家から見ていた。元気な方で亡くなり方もやはり元気だった。
 いつものように、暗い中を遠くの外灯を頼りに歩いていた。急に春がやってきたが僕はフードのついたガウンで未だ防寒して歩いている。何周かした頃、温かい風が急に吹いてきた。さっきまで冷気に身を緊張させていたのに。すると僕の足音にあわせて、背後から近づいているのを隠すようにザッ、ザッと言う音が聞こえ始めた。僕は気持ち悪くて振り返ってみた。でも暗い中で目を凝らしても動くものは見えなかった。少し早足で歩き始めるとその音もピッチをあげたらしくてついに耳元で聞こえるくらいになった。絶対誰かがいると思った。走って運動場から逃げ出そうと思ったが、誰もいないたった1人の状況でも自尊心は働くらしくて、僕は再度勇気を出して振りかえった。すると・・・・結局誰もいなかった。
 僕は気持ち悪くなって、いや恐ろしくなって、急いで家に向かった。家に近づくに従って足音がだんだん小さくなってきた。はっきりとは分からないが、どの辺りからか足音は消えていた。諦めたのだろうか。恐ろしい経験をした。フードをかぶったまま我が家の階段を上がろうとしてまたしてもその足音が聞こえた。階段の途中で立ち止まると消える。又一段上るとザッと音がする。さすがにこれはおかしいと思って立ち止まったまま顔を横に向けるとあの音がした。何回か繰り返してやっと分かった。フードに自分の耳がすれて音がしているのだ。何のことはない、耳がすれて出る音だから耳元で聞こえるはずだ。恐らくその音は毎晩歩くたびに聞いていたに違いない。ところが今日は亡くなった方のことを思いながら歩いていたから、偶然足音に聞こえた音を恐怖が増幅してしまったのだ。恐怖が新しい恐怖を作ってしまったのだ。
 同じような恐怖を経験した人は多いのではないか。全く何でもないことをドンドン増幅していって、勝手に恐ろしがったりした経験はないだろうか。
 春の訪れを待っていたかのように体調を崩して相談してくる人が目に見えて増えている。特に過敏性腸症候群の方で多い。この時期にしっかり治っている人もいるから統計的に言えるわけではないが、やはり春に自律神経をかき回され、その自律神経が不安感を増幅しているように見える。もっと自信を持ってとお願いするのだが、それが出来れば悩むこともないだろう。嘗ての僕がそうであったように、なかなか我が心の中の敵は手強い。科学的な判断を心がけるように努めているが、人間らしく生きよと闇ガ誘う。

2008年02月29日(Fri)▲ページの先頭へ
操縦

 田舎の人の親切を実感してくれただろうか。東京から来てくれた女性が娘と一緒に船に乗った。すると船長さんが一瞬だけ船を操縦させてくれたそうだ。1秒だったのか2秒だったのか知らないが、滅多に出来る経験ではない。少し話も出来たみたいで親切さに驚いていた。彼にとっては何でもない日常の一こまなのだろうが、体調不良を克服したくて意を決してきた若い女性にとっては、思い出に残る体験だったと思う。
 2週続けて飛行機で過敏性腸症候群の人が訪ねてきてくれた。意外と近いんですねと2人が同じ感想を漏らしていた。新幹線派の僕にとってはその時間と意外と安い運賃は魅力ではあるが、やはり羽がない僕は高いところは苦手だ。今日来た女性には少し牛窓を観光してもらえた。海の色がとてもきれいだったと、山のカフェから帰って感想を言っていた。少し波が高かったそうだが、彼女の日常の波ほど高くはない。抱えている物はうねりとなって襲ってくるのだろう。負けないでと櫓を漕ぐ姿を応援するが、僕の声は風に運ばれて届きはしない。いずれあなたは大都会のすし詰めの中で、自分を殺しながら生き、生かしながら殺す日々に帰っていく。主のいないツバメの巣を見上げ感慨深げに見入っていたあなたは何を考えていたのか。僕はその後ろ姿を見つめながら、いつかあなたが胸を張って、あなたであることを誇りにし、あなただからこその人生を謳歌して欲しいと願っていた。あなたのままで充分。ちょっとだけお腹がおとなしくなってくれればそれでいいではないか。変わらないで、変えないで。

2008年02月20日(Wed)▲ページの先頭へ
自然

 実はその時薬局にいた大人3人、子供2人のうち大人2人が過敏性腸症候群、子供1人が過敏性腸症候群だったのだ。別にそのトラブルの集いでも何でもないのだが、偶然そうなった。僕は全員の症状を職業柄知っているから、正確に把握できる。その時5人は薬を取りに来たのではなく、あることで集まったのだが、いかに過敏性腸症候群がありふれたトラブルかよく分かる。
 現代が暮らしにくいのかどうか僕には分からない。唯一の習い事がそろばんの子供の時代も、子供の数の割には少なかった大学に入るためにがむしゃらに勉強した少年時代も、現代に比べて数倍余裕があったとも思えない。なるほど用意されすぎたシステムに振り回されるようなことはなかったが、勝ち抜かなければならないプレッシャーはそれなりにあった。当時の「お腹が弱い子」が、実は現代の過敏性腸症候群だったのだろうが、それを隠すようなことはなかった。弱いことはハンディーではあったけれど欠点ではなかった。正露丸で乗り切っている同級生が中にはいた。
 人間はどこかを犠牲にして生命を守る。過敏性腸症候群の人は偶然それがお腹って事だろう。お腹よりもっともっと大切な所を守るためにお腹を犠牲にしているのだ。学者ではないから滅多なことは言えないが、僕はそう思っている。現代的なトラブルと言われているものに、もっとも古典的な薬(漢方薬)を使わなければならない不思議を思う。それは化学薬品で押さえ込むようなものではなく、自然の声を聞き自然の薬草で、自然の生理に戻せば治るって事を、うすうす誰もが気がついているからだろう。いかにも自然なトラブルを不自然なもので治すのはこの上なく不自然だ。

2008年02月14日(Thu)▲ページの先頭へ
別人

・・・この前授業で津和野まで行きました。汽車の中で、みんなの中に1時間くらい座っていましたが、お腹のことはほとんど気になりませんでした。去年だったら、まず1番離れたところに座っていただろうと思います。それよりも、お腹のことを心配して、行かなかったと思います。本当に、この半年間で随分前に進むことができました。治ったら、今悩んでいる他の患者さんたちに、何か役立てられることがあればいいなぁと思います。・・
 今日、薬の注文時の文章だ。治ったら・・・と言うより、もうほとんど治っているのではないかと思った。遠くから3回訪ねてきてくれた人だから、かなり詳しく彼女のことは分かるのだが、このメールを読む限りほとんど別人だと言っても過言ではない。当初、常に何かにおびえていて、ちょっとしたことで涙を流した。備わっている知性も、ほとんど自虐だけに用いられていた。自信はかけらも探すことが出来なかった。清算できない過去を重たく背負い、暗闇を選んで歩いていた。
 恐らく彼女が一番変わったのは、他者を思いやる余裕が出てきたことだろう。上の文章の内容は、彼女の口からまず出なかった言葉だ。他人は、彼女を苦しめる存在であっても、共に生きる存在ではなかった。体力、気力が少しずつ充実してくると、当たり前のように存在する友情とか家族愛とかが感じられるようになったのだろう。干上がった彼女の心に水を注ぎ、再び蘇らせたのは過敏性腸症候群の漢方薬でも天然薬でもない。夏、彼女が泳ぐのを砂浜で見守った僕の88才の母や、彼女の好きな料理を作った僕の妻や、同じ悩みを克服した僕の娘達の世代を越えた友情だと思う。
 愛されることよりも愛することを。ちょっと寄り道をしてしまったが、彼女はきっと立派な大人になる。

2007年12月11日(Tue)▲ページの先頭へ
川の流れ

 過敏性腸症候群を治すことが難しいのは、発症から何年もたって相談に来られるからかもしれない。そういった方はほとんどが、いろいろな治療を受けた後だから、もう治らないのではないかと言う先入観でやってくる。症状に対して知識も多いし、治療法にも詳しい。眉唾みたいなものにも多く手を出して、もうこれ以上頼るものがないと言った状態で来る。わらをもつかむ思いでやってくるから、僕は最初からわらだ。おぼれかけている人をわらが救ったりしたら大変だ。
 この町の過敏性腸症候群の人を治すのは簡単だ。症状を聞いて1週間分薬をつくり、改善の度合いにあわせて工夫すればいい。過敏性腸症候群なんて病名は必要ないし、知らない方が治りやすい。過敏性超症候群が治りにくいものなんて認識がないから、彼らには特別なトラブルではない。風邪を治すように治せばいいのだ。
 今日、県外の女性が2週間分でほとんどの症状が治った。「ゆるゆる飲んだ」のに治った。本人がとても不思議がってくれた。治らないと思っていた人の喜びようだ。単純に喜んでくれればいいのに、喜ぶのにも躊躇している風だった。中学校から引きずっていたのだから、その気持ちは分かるが、やはり治るものなのだ。
 過敏性腸症候群も治るんだって所からすべてが始まらないかなとつくづく思う。もしそうなればもっともっとなおる人が増えるだろう。上流に向かってボートをこぐのがこのトラブルの治療だ。川の流れにのって、ボートをこげたらどんなに楽だろうかと思う。今日電話で話した女性も、もっと昔に僕の薬局を知っておけば良かったと言ってくれた。僕もそう思う。そのころ治っていれば今頃、彼女は歌手か女優になっていたかもしれないから。

2007年11月23日(Fri)▲ページの先頭へ
関係

 このような関係もなかなかいいものだなあと思った。
 今日、中国地方の西の端からと四国から二人の大学生が一緒に尋ねてきてくれた。一人は3回目だが、彼女がもう一人の子を誘って連れてきてくれた。後楽園と市内が展望できるホテルの屋上でお茶を飲んだ後、一緒に牛窓に帰ってきた。教員を目指していることが共通だったので、数ヶ月前に紹介したのだが、二人のうち解けた様子を見て紹介した事が良かったなと思った。彼女たちは今日が実際に会うのは初めてなのだが、メールや電話でコンタクトを取り、僕たち家族が岡山駅に迎えに行ったときはすでに以前からの友達のように見えた。
 過敏性腸症候群の薬は、病名で作ると難しい。その人特有の症状と個性に合わせなければなかなか効いてくれない。四国の子の情報も今日は生で手に入る。文面では知り得ない情報がかなり話の中で収集できた。わざわざ尋ねてきてくれたことを生かさなければ申し訳ない。それにしても何て善良な子たちだろうとつくづく思う。今まで何十人が泊まっていったか分からないが、僕はその子達に不快感を感じたことがない。むしろ好感を持って接することが出来る。今日の四国の子も、是非お腹で苦しんだ経験を将来の教師という職業に生かして欲しいと思った。子供達の苦痛を理解出来るのは、元気すぎる先生ではない。痛みを体験した人でないと他人の痛みは理解できない。
 今夜は二人一緒だから母の家に泊まって貰うことにした。海岸沿いの漁港に面しているところに母の家はある。朝はきっと漁船のエンジンの音で目が覚めるだろう。今夜は二人でいろいろな青春模様を語り合って欲しい。過去から脱皮しつつある先輩格の子からも、何かを得てくれれば嬉しい。二人で手を取り合って是非完治して欲しい。出来ないはずはない。

2007年11月19日(Mon)▲ページの先頭へ
奇跡

 普通科高校に進学して、英語の教師を目指していた子が、過敏性腸症候群のために満足に勉強も出来ずに卒業後工場に就職した。最初に就職したところも辞めて、今は服を売る店で午後の4時からバイトをしている。その子がインターネットを見て訪ねてきてくれたのが、今年の6月。最初の頃はお母さんと一緒に来ていた。母と娘で僕の前で涙を流したこともあり、その後も、涙もろい彼女は何度も僕の前で涙を流した。少しづつ行動範囲が広がるようになり、ヘルパーの養成講座に申し込み出席できるようにもなった。その過程で医療に興味を持ち、ある特別な資格を見つけた。現在求人倍数何十倍という特殊な職業だが3年間専門学校に行かなければならない。その試験を受けると言い出したのは恐らく2ヶ月くらい前だったと思う。以来、親も感心するくらい勉強をしていたらしい。ただ、あまりにも期間が短かったので、僕は試験会場に行けるだけで十分だと思っていた。16日の発表の日はそれでも10分ごとにメールを開いて奇跡の報告がないかと1日中待っていた。これで受かればほかの受験生に失礼だなんて勝手な慰めを用意して僕は諦めていた。ところが今日彼女が、合格通知を持って入ってきた。奇跡に近いことってあるものだと思った。僕をびっくりさせるために直接合格通知を見せようと言うことにしたらしい。その甲斐あって、本当に驚いた。地獄から天国まっしぐらだ。国家資格を持って生きるのと、アルバイトで生きるのとでは、それこそ天地の差がある。ふとしたきっかけで僕の薬局を見つけ、ふとした涙で過去と決別でき、ふとした漢方薬で改善し、ふとした興味で勉強の道に帰り、ふとした出会いで専門職を知った。何かの拍子にこんなに人生が変わるものかと思う。その一つのふとしたことに参加できて僕はとても幸せだ。とても幼く見える愛くるしい女性だから、それも青春の一時期を一人で苦しんだ人だから、僕は患者さんに喜ばれる職業婦人になると思う。
 偶然だがもう一人今日、大学に合格したと報告を受けた 。この子は家族で牛窓のホテルに泊まって訪ねてきてくれたのだが、しっかりとして知的な子だったから合格に関しては全く心配していなかった。
 体調のせいで、人生を下方に修正しなければならないとしたら、また、公平であるべき選択のスタートに立てないとしたら、こんなに不公平なことはない。僕はそのことには耐えれない。世の中、公平であるべきだし、平等であるべきだと思うから。

2007年11月15日(Thu)▲ページの先頭へ
合格

合格】しました―♪入試が終わったとたん、体調が良くなってます! 前は肉、パン、デザートなどを食べたらすぐお腹がボコボコなるから避けてたけど最近は食べてもそんなにボコボコにならないんです!!(少しずつ食べてる程度ですけどね)

 まさに、待ちに待った報告だ。よそ様のご両親が大切に育てたお子さんの合格を、喜べるのは幸運だ。家族の方の喜びのほんの少々だが分けてもらった気がする。彼女は、オープンスクールに行くと言って家を出たけれど、学校には行けずに僕の薬局に来た。高校の制服姿で来たけれど、恐らくもう長い間着ていなかったのではないか。突然の来局に驚いたが、僕も娘もなんとしても彼女を受験会場に行かせたかった。実力で落ちるのは仕方ないが、学校に行けないと言う理由なんかでは夢を諦めては欲しくなかった。10年前、娘が過敏性腸症候群になったとき、目標を受験に絞って親子で頑張ったことを、鮮明に覚えている。久々に近くで見た高校生の制服姿に、あの頃の苦しかった日々を思い出した。でも合格ですべてが報われる。彼女もまた、寄り道で得たものを自分と他者のこれからの人生に生かしてくれると思う。
 彼女が合格したのは特殊な学科だから、いつか舞台に立つかもしれない。その時はサインをちょうだいねと昨夜お祝いの電話の時にお願いしておいた。
 僕の印象だと、親が協力的な過敏性腸症候群の人は改善する確率がとても高い。学生という非常に治りにくい環境の中でもかなりの確率で治っていく。逆に、家族の協力が得られずに、孤軍奮闘しなければならない人はとても難しい。僕の入っていけない分野だから、幸せあれと祈るばかりだが、家族の救いはとても大きい。一人で苦しまないで、一人で苦しまさせないでとお願いしたい。僕の漢方薬なんかよりよほど効くに違いないから。

2007年09月26日(Wed)▲ページの先頭へ
垂直

 カルテを見てみると3年半の付き合いになる。最後のほうは、半月分送れば1ヶ月も2ヶ月も薬がもっていたから、実質はそれほどでもないのかもしれない。しかし、結構長い間お付き合いをしていたことになる。彼女は最初に電話をくれた時、ほとんど泣いてばかりで、こちらが聞きたいことを引き出すのに苦労したことを鮮明に覚えている。それだからこそ、なんとしても完治のお手伝いをしたかった。
 思春期からの過敏性腸症候群は、家庭を持ってからも治らず、家庭に引きこもっていたように記憶している。2週間に1回、必ず電話で漢方薬の注文を受け、その機会を利用して色々な話をした。彼女が日常遭遇する漏れ体験をいちいち2人で考えた。不可能だと諦めていた日常のありふれた行動にも少しずつ挑戦出来た。
 大きく飛躍したのはやはり彼女が外に仕事を求めて出ていったことだろう。不安を抱えながらでも彼女は社会の一員にデビューした。チャンスから逃げなかった。職場での不快な感覚に苦しみながらも、彼女は僕との電話でその都度解決を図ってきた。メールでのやり取りとは比べ物にならないくらいの膨大な言葉を交わしながら解決した。メールが得意ではないと言うアナログが幸いしたのかもしれない。
 僕と会ったら改善しているのが逆戻りすると言う彼女特有のジンクスでついに会うことはなかったが、目が釣りあがっていると言う自己紹介と電話での気の弱そうな話ぶりとのギャップをついに確かめることが出来なかった。相談を受けた時は30代だったが、今は40代になっている。お子さんの大学進学や高校進学など色々な話をした。受話器を受ければすぐ顔以外全て浮かんでくる、近所の人より寧ろ親しいような方との、待ち焦がれていた「お別れの電話」が今日あった。この為に頑張ったのだと、すがすがしい喜ぶべき別れの電話だった。
 長い時間をかけてしかお手伝いできなかったが、彼女には最後の1年は実は更年期障害の漢方薬を送っていたのだ。僕には分かっていた。彼女のお腹が全く異常がないことを。勿論彼女にもその処方変更は伝えた。過敏性腸症候群の薬なんてないのだ。その方の過敏性腸症候群が治る薬が過敏性腸症候群の薬なのだ。これからは、栄町ヤマト薬局があるだけで安心しておれるといっていた。でも果たしてどれだけ目が釣りあがっているか見れなかったのは非常に残念だ。まさか垂直までは行かないだろうが。

2007年09月06日(Thu)▲ページの先頭へ


時々、今日もそうなのだが、過敏性腸症候群の人は、いったいどのように治っていくのですかと質問を受けることがある。多いに関心があるだろうが、僕にも分からない。はい、今日から治りましたというような割りきれる症状ではないので、ケースバイケースだとしか答え様がない。このトラブルに公式がないというのはいやというほど感じている。これで皆が治るなんて処方に今だお目にかかったこともないし、成功体験も普遍性を持たない。一つづつ個別対応が僕の印象だ。症状も薬も治り方も一人一人異なる。だから画期的な薬が出来ないのだろう。一斉風靡しそうな薬もすぐに消えてしまう。
 今日メールで幾人かが報告をしてくれているが、その中の3人のメールの一部を紹介する。偶然3人とも僕は会って、沢山話をしているから、プライバシーを侵害しない範囲の引用を許してね。貴女方と同じように苦しんでいる人がきっと一杯いるから、その人達に若干の参考になればいいと許してね。貴女方がやっと辿り着いたところまでまだまだの人も多いだろうから。お礼に今度泊まりに来た時は、牛窓ホテルのランチをご馳走するからね(3人ともあたかも僕の次女軍団と言うような存在だ。)

A)・・・・・日によって違いますが午前中の2,3時間はおならを気にすることなく過ごせます。その後は、徐々にでてしまうのですが・・・。前にもメールで書いたと思いますが仕事に行くのが余り嫌ではなくなったので少し前進してるかなと思っています。

B) 昨日、ホームヘルパー2級の講習に行ってきました。9時から17時までの長い時間でしたが、最後までちゃんと授業に出ることができました。あぶない場面もありましたが、前の自分から考えるとかなりの進歩だと思います!! 本当にありがとうございます(>u<)* また来週薬局に伺いますので、よろしくお願い致します

C)今日、ATMでお金を下ろしていたら、途中まで人が後ろにいたのに全く気づきませんでした。自分が周りのことに、あまりに鈍くなっていたので、笑ってしまいました。なんだか治る過程が分かってきたような気がします(^^)このまま過敏のことを考える時間がなくなっていけば、今日のように自然に忘れ
ていくのかな、と、ふっと思いました。当然学校が始まると、また戻ってしまうのではないかという不安もあるので、まだ心配は多いですが、意識が「私も本当に治るの?」から「あ、こうやって治っていくんだ」に変わりました。今日のようなことが、これから増えていけばいいな、と思います。

つい最近きた長女軍団は、とても知性的で落ちついた雰囲気だったが、今日の次女軍団は若くて随分幼い感じを残している人達だ。能力も人格も申し分ないのに、自分で縛った鎖を解けないでいた。呪縛から逃れられたらどのくらい人に大切にされるだろうと思える人ばかりだ。3人ともやっと光が見えてきた。その光のほんの少しを今日は分けてあげてね。

2007年09月05日(Wed)▲ページの先頭へ
考え過ぎ病

 久しぶりに魚も肉も卵も牛乳もパンも家族と同じように食べたと、喜びのメールが今日入ってきた。過敏性腸症候群の人でなければ、何でもないことだが、彼女にとってはおそらく数年ぶりに口に出来たのだから、喜びもひとしおだろう。それよりも家族の方の方が喜びは大きかったかもしれない。長い間何故わが子がその様な大切な食材を避けるのかおそらく理解できなかっただろうから。
 僕は、彼女に何でも食べるように勧めた。彼女の食生活を聞いて、とてもストレスに強くなるとは考えられなかったから。上記のものを避けているのだから、心どころか、体が持っているのも不思議だった。若いからなんとかなったのだろうが、失うものは気がつかない間に失いつつあった。妻が牛窓で獲れた魚をこの辺りでは極普通の料理方法で出したら、こんなに美味しい料理は食べたことがないと言って、とても喜んでくれた。その反応を見て僕は気がついたのだ。彼女の偏った食事に関する考え方に。
 多くの過敏性腸症候群のガス漏れの方と話をしていて、極端な食事制限をしている人がいることに気がついた。もともと、几帳面でがんばり屋さんが多いから、やりだしたら徹底する傾向がある。ところが、ただでさえ几帳面な人が寄り几帳面に徹すると、つねに緊張を強いられ、交感神経びんびんの性格、生活になってしまう。緊張型の人が寄り緊張することになるのだ。それではさすがに持たないだろう。ゆるまなければ改善しない。
 最近の僕は、食事指導を余りしない様に心がけている。過敏性腸症候群を治す為に、いや一般の方でも健康を維持するために役立つことだが、そのことが精神を縛っては逆効果だと気がついたのだ。だから今は「法律を破らない範囲で好き放題して」と助言している。おいしいものを食べ、好きなことをして、他人を傷つけなければ、人生は楽しくて、過敏性腸症候群なんて忘れてしまう。「考え過ぎ病」「真面目過ぎ病」「頑張りすぎ病」全部僕がネーミングしたと思うのだが、余りにも多すぎて気の毒だ。だって、その反対の人達はうまくやって「幸せ過ぎ病」になっているのだから。いくらなんでも、それでは割に合わないだろう。さあ、体に悪いものを食べ、体に悪いことをしてごらん。病んだ心も体も治ってしまうかもしれないから。

2007年08月30日(Thu)▲ページの先頭へ
父親

今日はうれしい電話を数本頂いた。症状が改善してくれた人が報告をしてくれたのだ。その中で、過敏性腸症候群の完治が近い高校生からのものを紹介する。勿論プライバシーに関することは、一切報告できないし、その必要もない。ここで敢えてその高校生を取り上げ様と思ったのは、一度だけ、父親から漢方薬の追加注文をもらったことがあるからだ。薬が切れたから又送ってと言う内容だったのだが、その種の電話を父親からもらうのは非常に珍しい。僕はその機会を捕まえて少し話をさせていだいた。詳細は覚えていないが、僕はお子さんのことを、細心の注意を払って、最高の無関心を装って下さいとお願いしたと思う。お父さんは「ほったらかしにしていますよ」と笑っていたが、僕はすぐ、僕がお願いしたいようなことを実践されている方だと分かった。そして、ああ、この家庭なら治してもらえるのではないかと思った。案の定、その子は今日の報告の中で、ガスが自然に漏れるなんか有り得ないと思えるようになったし、落ちこむことがあっても家族がすぐフォローしてくれるから、立ち直れると言った。青春前期の過敏性超症候群は、親の協力がないとなかなか治りにくいだろう。
 学校が始まりそうになると不安が頭をよぎるだろう。しかし、冷静に考えてみればすぐ分かる。口から不安を出して、誰かに受けてもらえれば、ダメージは少なくてすむ。いつも言うが、一人で頑張らないで。周りをまきこんで治ったらいい。一人で立ち向かってもかなう相手ではない。「考え過ぎ病」は、口から出した回数だけ治り易くなるのだから。

2007年08月29日(Wed)▲ページの先頭へ
まだ見ぬ君に

 まだ見ぬ君に。
泣きたいくらいつらいよね。こんなに真面目に、こんなに頑張っているのに、お腹が痙攣してしまうんだよね。ここ一番に限って、お腹が痛くなるんだよね。手を抜いたり、蔭でこそこそするのが苦手だから、一所懸命頑張ってきたんだよね。でももう緊張状態を保つのには疲れたよね。
 君はまさにあの頃の僕と同じなんだよ。僕も教室の中がとてもつらかった。何日も一人で校門を抜け出ていたよ。誰も僕のことなんか気にもしないで、受験勉強で必死だったのに、僕は勝手に級友の視線を感じていた。僕が僕のために作ったおとぎばなしに、気がついたら自分が一番影響されていたのだ。
 青春はいたずらだ。あんなに順調に過ごしていた僕を、一気に気弱で臆病にしたのは、青春特有のナルシシズムだ。ちょっとした誤解が、大いなる人生の計画を狂わせる。しかし失った歳月は実は、多いに収穫した歳月でもあったのだ。あの頃の時代がなければ、僕は多くの人の苦しみを実感できない扁平な生き方しか出来なかったろう。
 貴女の街では今、熱いアスリート達の戦いが毎夜くり広げられています。暑さに負けたのか多くの競技者が思いもかけない敗退ぶりを演じています。その反対に、意気揚揚として表彰台に上がる選手もいます。僕は地面にひれ伏し、涙を流す選手に感動します。勝者が必ず、善を代表するものではありません。電話口で涙で話す君に、競技場で倒れこんだ選手たちの姿を重ねます。倒れこんだ選手たちには、悲しみの中の絶望ではなく、希望が見えるのです。電話から時々聞こえた貴女の笑い声が、まさにその希望でした。

2007年08月20日(Mon)▲ページの先頭へ
青春の落とし穴

 今日、自分で納得出来るくらいに回復した青年から、漢方薬の卒業の連絡があった。一番うれしい瞬間だ。この瞬間を求めて、薬を作ったり、情報を交換したりする。これがあるから、又頑張ろうと思えてくる。
 これからは、法律を犯さない範囲で、人を傷つけない範囲で、何でも挑戦して欲しい。お腹を理由に、色々なことを制限していたに違いない。しかし、本当は誰もが同じ人間なのだ。誰もが青春の落とし穴に落ちて苦しんでいるだけなのだ。青春の落とし穴は、学校や家庭、職場にあるのではない。それは、自分自身のの心の中にあるのだ。心の中の大きな穴を掘り進むのも、それを埋めるのも、自分自身の問題だ。僕はほんのちょっとお手伝いしているだけだ。自律神経の過緊張が取れて、内臓がゆったりとしたら治ると思わないか。予期不安が消えて、何事にも逃げなくなれば治ると思わないか。


2007年08月16日(Thu)▲ページの先頭へ
結婚

過敏性腸症候群の相談で近隣の市からやってくる子がいる。今日その子と話して感じたことをひとつ。
 話の中で「結婚している人もいるのですね」と、彼女が言った。彼女は、この病気で英語の先生になるのをあきらめた子だ。教育学部に行きたかったのだが、おそらく大学には行かなかったのかな。小柄でとてもキュートな感じ(本当は僕はキュートと言う意味をよくは知らない)で、本来ならとてももてそうな子だ。その彼女がいみじくも、縁のない世界の話しのように問題を提起したので、僕の拙い恋愛論を伝えた。結婚観かな。どちらにせよ、余り得意ではないが、恋愛対象の世代の親としての立場でものを言わせてもらった。極普通の男か、或いは男らしい男はまず、相手に、少しだけ成績が悪く、少しだけ気が弱く、少しだけ体調不良をもって、少しだけ経済的に劣る人を選ぶだろう。男は本能的に守って上げるべき人を好む。自分が守らなくてもいいような人を、好きにはならない。逆に女性っぽい男は、この逆の人を好きになる。自分を守って欲しいと思うから、強くて自立した相手を選ぶ。強い女性はほとんどおとなしい男性とくっついている。婚期を迎えた息子が、貴女を連れてきたら僕はすぐにでも許すと彼女には言った。僕の息子は実際には奥さんもいるし子供もいるので権利はないが、仮の話しとして、舅の価値観からすると、貴女は歓迎されるだろうと言った。これは彼女を慰める為に言ったのではなく、30年薬局をやっているとかなりの人間を観察できる。その経験から導き出したものなのだ。
 僕のところにはもう随分沢山の方が過敏性腸症候群の克服の為に泊まりにきたが、こんな女性を恋人に、或いは奥さんにすれば男も幸せだろうなと感じることが多い。このトラブルの為に「幸せ過ぎない」のがいい。勝気で攻撃的なのはよくない。もし、恋愛願望、結婚願望があるなら、どんどんしたらいい。男は単純だから、相手のおなかが鳴ろうが、トイレにしょっちゅう行こうが、体臭がしようがそんなものほとんど気にしない。ただ、軽蔑さえされなければ万歳なのだ。
 彼女はもう少しで完治するだろう。やってくるたびに娘にひとつ質問をし(僕はそのことには関わらないことにしているから、具体的には何を相談しているのか知らない)見違えるくらい明るい表情で帰っていく。表情から暗さが消えてとても明るい素敵な表情になっている。もう先生にはなれないだろうが、以前から希望していたものに挑戦しはじめたらしい。早く完治を一緒に喜びたい。

2007年08月06日(Mon)▲ページの先頭へ
言葉

関東から、今日2泊3日である女性が訪ねてきてくれている。今まで来てくれた人達と異なるのは、彼女はすでに克服した人だってことだ。今までの人達は、症状が最悪の時に訪ねてきてくれている。だから、話しは勢い、症状の説明、背景、原因究明、処方などと、治療に関したことが多かった。ところが彼女はもう過去このことになっているので、その種の話題にはならない。
 健康以外の話題なのだが、彼女がいかに当時、多くの言葉を持っていながら封印して暮らしてきたかよく分かる。苦難の日々に多くの言葉を熟成させていたかよく分かる。食卓で妻を相手に話している彼女の横顔を見ていて、隊列を組んで出てくる言葉が、彼女を一際輝かせていた。想像力を働かせても、彼女の当時の苦痛の片鱗にも届かないだろう。彼女を見ていると当時、電話口の向こうでまるで別人のような表情で話しかけていたことは想像しにくい。
 彼女と話していると、過敏性腸症候群の治療で示唆に富んでいることが多い。ああ、だからこの人は治ったのだという共鳴するところが多い。日頃僕が感じていたことをまさに彼女が指摘してくれたり、共感してくれたりする。僕の果たした役割はたいしたことではない。ただ、僕は他の人と同じように、彼女にも完治して欲しかっただけなのだ。彼女が訪れてくれたことが、他の人の役に立てれたら幸いだ。

2007年08月01日(Wed)▲ページの先頭へ
価値観

 栄町ヤマト薬局では、牛窓にある「あじさいの丘」と言う、特別養護老人ホームの入所者の薬を作らせていただいている。100人くらいの入所者なので、毎週薬を作るのは大変な作業だ。医療スタッフとの協調が欠かせないので、医師の診察に同行して情報を共有するようにしている。僕は2週間前はじめてそこを訪れたのだが、若いスタッフの活気と笑顔に圧倒された。大手介護施設での不法が大きく報道された後だったので、その負の印象との落差に驚いたものだ。
 今日から娘が担当することになった。初めてなので僕もついていって、事務方や看護師さん達に紹介した。はじめに事務室に入り娘を紹介したのだが、2人の若い男性職員が、目を点にして娘を見ていた。娘も緊張しているのでお互いに会話にならなかったから、僕が間に入り、豊岡名物の土産を受け取っていただいた。 2階に上がると、丁度お医者さんが入所者を診ていて、看護師さんも偶然4人そろっていた。娘を紹介したのだが、4人とも僕が見た事もないくらいの優しい笑みを浮かべ(薬の用事で薬局には来られる)大歓迎してくれた。最初からこんなに受け入れてもらえるのかと、とてもありがたかった。安心して僕はすぐに帰ったのだが、任務を果たして帰った娘は、開口一番「楽しかった」と言っていた。とても気さくな先生と、楽しい婦長さん、そして途中で出会い名刺まで渡してくれたスタッフの方々のお蔭らしい。「入所者の為になることなら何でも言って下さい」これが僕と娘のスタンスだ。勉強して尽くすこと。あじさいの丘の中でもこれに徹しようと二人で話し合った。
 娘が過敏性腸症候群にかかり帰ってきた日を僕は忘れない。二人で懸命に戦った日々を忘れない。それらの日々は今日ここにある為の試金石だと思っている。あの日々を越えなければ、娘も単に薬を作るだけの薬剤師で終わっただろう。娘は自分で薬を選択し、患者さんが治る手助けをしたくて帰ってきた。今全国の多くの過敏性腸症候群の方と僕は連絡を取り合っているが、その方々に言いたい。「あきらめないで、過敏性腸症候群は治らないものではない、あなたの人生をおなかごときであきらめないで。苦しみの中から得られた価値観は、健康な人などでは決して手にすることの出来ない価値観だ。是非その価値観を大切に、自分のためだけでなく人のためにも生きていって欲しい」と。

2007年06月30日(Sat)▲ページの先頭へ
古都

今日の午後、突然尋ねてくれた若い女性がいる。僕は毎晩、彼女とメールをやり取りしているので、僕の中で彼女のイメージはかなりできあがっていた。ところが名前を名乗ってくれた一瞬に、築き上げたイメージを爆破されたような感じだった。僕がいただくメールの中で彼女のは群を抜いてマイナス志向の強いものだ。しかし、目の前にいる彼女は

ハンカチを哀しませないで
貴女の声は 真空の孤独の中でも 届く力を持っている
色は飾らないし 形は主張しない
黒髪から覗く瞳は 慈しみをあふれさせているではないか

風貌も表情も余りにも娘に似ているのに驚いた。妻が僕に、姉妹だと言っても通用するのではないのと言った。娘と同じ苦しみを抱え、8年の歳月を耐えている。8月にはそれを克服した娘が牛窓に帰ってくる。彼女が今日、帰りの長距離バスの切符を買っていなければ、泊まっていってもっと話をしたかった。3時間一杯話をしたけれど、それでは足りない。娘が帰ってきたら又訪ねてきてくれると思う。

光のないところに影はできない
届かないところがあるから 生きられる
光り輝く玉石よりも 路傍で焼かれる小石の方が
貴女の人生を 導いてくれるとは思わないか

いかつい漁師が買い物に来た。僕は彼に頼んで、彼女が腰掛けている椅子の後ろにひざまつかせ、彼女のいわゆるガス漏れを臭ってもらった。お尻から20cmのところで彼は鼻をくんくん言わせ神妙に臭ってくれた。おそらく彼の人生で一番屈辱的な行為だったろうが、一生懸命僕の要求にこたえてくれた。5分間で2回漏れたと彼女は言ったが、漁師の自慢の鼻でも分からなかった。嘗て大学病院にも行った彼女だが、さすがにここまでして治そうとはしてくれなかっただろう。抗ウツ薬でなんかでは治らない。泥臭いけれど、彼女の思いこみを1つずつ解明していくしかない。そのうち漢方薬で気がうまく巡れば完治する。

人を信じられなくなった僕を見てごらん
振り向く価値もないし 踏みつける値打ちもない
心の門を開いて 魂の奏でる美しい言葉をいただいて
歴史が乱舞する古都の夜明けを 激しく駆け抜けてみないか


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