漢方
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漢方薬を初め、天然素材の薬を用いて、さまざまな慢性疾患の回復のお手伝い
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漢方薬
出来たお嫁さんなのだろう。義父が毎晩痛い痛いとつらがって、鬱になっているから何とかならないでしょうかと相談に来た。1年半前トラクターで事故を起こし2ヶ月入院した後、夜になると痛がるのだそうだ。退院後、鎮痛薬やリハビリの治療を受けていたが、医師はもう治っているから、心療内科に行ってくれと言われ、今は心療内科と整形外科の両方を受診しているらしい。夜になると痛むというので僕は漢方薬でなおせれると思い、楽しみにして2週間分薬を渡した。案の定2週間を待たずに何と、本人がやってきた。それも隣の市から軽トラックを自分で運転して。86才と言うから、車の運転の方が心配だ。応対していて病院で3種類の安定剤を処方されているようには全く見えなかった。お嫁さんが言う鬱状態とも見えなかった。軍隊時代の話を含めてとても生き生きと会話をした。痛みのストレスから少し解放されるだけでここまで変われるのだろうか。それだけ痛みは人間にとって苦痛なのだ。僕も同類項だからそれは良く理解できる。その方が帰りがけに「いつ死んでやろうかと思っていた」と呟いた。そして「何で嫁がここのことを知ったんじゃろう」とも言った。何かの偶然が働いて僕がその方の薬を作ることになったのだろうが、漢方しかできない事もあるのだ。ほんの偶然の小さな出来事でしかないが、先人達の営々とした努力が底には隠れている。それなしに偶然なんか成立しない。漢方は突出したヒーローのおかげではなく、延々と繰り返された壮大な4000年に渡る人体実験の集積なのだ。言い換えれば無数の悲鳴で出来た処方なのだ。守らなければならないものは身の回りにいっぱいある。漢方薬もその中の一つだ。
枯渇
今日、漢方薬のセールスさんがやってきて、ある生薬が品薄で、底をついた問屋もあり、供給が再開したらかなり値上がるだろうと教えてくれた。まるで昨今の石油関連製品の値上がりみたいな話だが、漢方の世界でも、理由は異なるが同じ様な問題が起こっている。このところ漢方薬の材料が物によってはしばしば供給が不安定になるのだ。
こんなことはずいぶんと前から予想できて不安を持っていた。大衆薬の売れ行きが落ちたから大手の会社がここに来て、さも効くような宣伝をして漢方薬を気楽に飲めるように普及し始めている。漢方薬は患者さんの症状にあわせて処方を決めていかなければならないのに、マスコミ製品は、まず売りたい物を決める。そしてそれに人間の方を合わせていく。太っているとか何とか、どうでもいいようなことを目安にして漢方薬に人間の症状を誘導する。本当は人間の症状に漢方薬を近づけていかなければならないのに。安易に商業主義だけで大量消費を企てるから自ずと原材料は枯渇し始める。必要な人に必要な生薬を飲ませてあげるように考えればいいのに、どうでもお金を儲けたいらしい。生薬は化学薬品と違って、合成できないから資源に限りがある。それを一時の金儲けのために使い切ってしまうと、本当に救われないといけない人が救われない。また、これからの時代の人から漢方薬を奪ってしまうことにもなる。悲しいことだ。貴重な薬草をこの時代に使い切ることは許されない。金儲けのために、貴重な生薬を消費者のお腹の中に捨てるのは許されない。
地球温暖化と同じ様な問題だ。地球は未来から預かっていると言われる。今を生きる人類が欲望のまま地球を破壊し未来に手渡していいはずがない。生薬だって同じことだ。それから受ける恩恵を今絶やしていいはずがない。膨張を余儀なくされる経済の幻想から誰もが冷めなければとんでもない罪を犯してしまう。覆水盆に返らず。
漢方薬
昨日偶然二人の方から喜びの電話を頂いた。そんな日は僕の心も晴れる。職業柄どうしても喜んでいただけない方が出る。全ての人に満足していただこうと懸命に努力しているが、なかなかそうは問屋がおろさない。 喜びを共有出来ると、さあ、又頑張るぞと力みが抜けた高揚感に浸れる。時々はそれがないと気持ちの充電ができない。日々のありふれたトラブルのお世話は、そんなに感激もないが、何年も、何十年も苦しんでいる方のお世話は、緊張感と共にやりがいを感じられる。僕の薬局の立地が田舎だからかしらないが、毎日痛みを抱えた方がよく来られる。何故かかなりの確率で改善してもらえている。薬の効果が出ない人のほうが珍しいから、人間が持っている自然治癒力の素晴らしさに感嘆する。僕が治しているのではなく、本来備わっている自然治癒力で治っているのだ。漢方薬は所詮草木だから、自然治癒力を導くものくらいの認識がいい。痛みのトラブルと対極にある心のトラブルも多い。時代を反映しているのだろう。この心のトラブルにも漢方薬がよく効く。4000年の歴史かどうか知らないが、延々と繰り返された人体実験で薬の処方が決まったのだが、大したものだと思う。漢方薬は日々処方が組みたてられるわけではない。古典的な処方でなお、多くの方が救われることに驚いてしまう。
本
今日、ある漢方の問屋さんのセールスが、1冊の本をくれた。漢方を標榜した立派な装丁の本だ。最初から3分の2くらいのところまでは漢方薬の治験例や対談が載っていた。後の3分の1は全国の漢方を使用しているお医者さんと、漢方の○○研究会に属していると言う薬局の名前が出ていた。勿論僕は出ていない。僕の薬局に来てくれた方はわかるだろうが、漢方薬局などと言う面構えではない。建物は勿論だし、僕自身もそうだ。僕の頭の中などもっとそうだ。鉄筋の真っ白い建物に、ジャズかレゲエか賛美歌が流れ、ジーパンをはいた胡散臭い男がやっているのだから、雑誌に名前を載せることすら躊躇うだろう。僕の実力もまだまだだと息消沈してページをめくっていると、どうも名前が挙がっている県内の病院も薬局もしっくり来ない。本を閉じて眺めていてその理由に気がついた。なんとその本を丸々買い取っているのがある漢方薬のメーカーで、要は、そこのメーカーと取引をしているところが、漢方をよく勉強している医者や薬局なのだ。 テレビ番組の捏造事件がどんどん暴かれているが、実はこの種の本も同じ穴のムジナだ。あたかも客観性を保っているようだが、実は単なるコマーシャルなのだ。善意の欠片も感じられない。
思案
薬局へ入ってくるなり「漢方薬って素晴らしいですね」と今日ある女性が言ってくれた。症状の改善については店頭日誌で紹介してもらうが、わずか3日まえに初めて来ていただいたかたの言葉で、とても嬉しかった。と言うのは、3日前は僕の相談机の前でとても辛そうな表情で終始され、さすがの僕も冗談でほぐすことができなかった。一応状態をつかんで薬を作る段になって、「飲めるか飲めないか分からないから3日分だけお願いします」と言われた。自分が飲めるか飲めないかではなく、主人が煎じ薬を作っていやがるかどうかを心配しているみたいだった。病気の為に自由に薬を飲めない家庭の事情があるのだろう。この種の事は決して珍しくもないのだが。
ところが今日はとてもよく喋ってくれた。そのおしゃべりが又彼女の調子を上向けるに違いない。物事はうまく回転する時には放っておいてもうまく行く。そんな回路に彼女は3日にして入っている。 丁度彼女がやってきた時、運悪く僕が一人で仕事をしていた。スタッフが3人ともで払っていた。覚悟を決めてゆっくり応対していたら何人か入ってきた。でも後から入ってきた人達を先に僕がこなすのをゆったりとした表情で見守ってくれていた。その余裕も又回復を早めるだろう。
僕自信、彼女の一言で慰められたが、喜びは数秒で去っていく。もう追っても届かない。次の小さな喜びの為に、大きい思案を繰り返さなければならない。そういった職業なのだ。ところで僕が幸せを感じた瞬間を集めたら今までどのくらいの時間になるのだろう。1時間か2時間か、1日もないだろう。逆に不幸を集めたらどのくらいになるのだろう。1月か、2月か1年か、それとも・・・
情報
僕を実際には知らない多くの人が、僕の薬を飲んでくれている。会ったこともないのに信用して飲んでくれている人に感謝する。薬局に実際に足を運べる地域の人達は、僕の人となりは視覚的にも理解出来るが、メール交換だけの人は心細いだろう。
僕は、薬局内で五感を働かせて患者さんの情報を集める。薬剤師は医師のように診断という行為が出来ないから、問診と言って、患者さんの訴えに耳を済ます。一方、メールでの相談でも原則は同じだ。僕が知りたいことを質問してそれに答えてもらう。僕はその人を与えられた情報でイメージする。そしてやっと処方が決まり、薬局だけに許可された薬局製剤を駆使して皆さんのお世話をする。その間は生みの苦しみなのだ。
実際に患者さんと対峙しているときは、出来るだけ明るく楽しく振舞い、生身の患者さんの情報を頂く。僕の前で緊張したりしたらもったいないから、堅い話はしない。沢山の下らない話から真実が見つかることも多い。悲しい顔、嬉しそうな顔、一刻一刻の変化が僕には大きなヒントになる。心が通った時、なにかがひらめき処方に辿り着ける。反射的に出てくるような物ではなく、泥臭い作業がもたらす結果なのだ。とてもスマートな作業ではない。スマートとは縁がない僕がやっているのだから無理はないけれど。
だから、メールで病名を書いてきて、薬を送ってといわれても戸惑う。僕はカリスマ薬剤師ではないから、病名のほかにその人の体質的な特徴をつかまなければ薬は作れない。そうしないと薬を売ることは出来るが、治すことは出来ない。多くの完治した人達は、そういった効率の悪い作業を僕とやってきた人達だ。
歳と友に、なんでこんなに体調が悪いのだと自分でも情けなくなる。しかし、僕の不調は確信犯的なところがあるから泣きごとを誰も聞いてくれない。この歳だから諦められるが、僕のところに接触してくる若い人達は、先が長すぎる。願わくば早く今の苦しみから脱出して、自分のため、家族のため、地域のために活躍してほしいと思う。苦しみだけで過ごすには人生長すぎて、社会に恩返し出来るようになるには短すぎる。
草根木皮
九州にあるA老人施設は、去年1年間の発熱患者70例の内65例に漢方治療を行った。その内漢方薬だけが60例、アセトアミノフェン坐薬(すごくマイルド)併用が2例、抗生物質併用が5例だった。漢方薬だけで治療した患者さん60例中54例が3日以内に解熱し治癒した。解熱しなかった6例中5例に抗生物質が与えられ、2例は入院した。一方初期に漢方治療が行えなかった5例中4例が入院した。
僕の薬局でも老人施設の処方箋薬を作っているのでこの報告には驚いた。そもそも、肺炎のリスクが高い老人施設で、抗生物質を使わない医師の勇気に感服する。本来なら風邪を治すのに抗生物質は全く必要もないし、効きもしない。ところが日本では悪しき習慣で医者が抗生物質を乱用する。患者も戦後の抗生物質信仰が未だ残っていてそれをありがたがる。実際には、身体の中の善玉菌を殺すし、耐性菌が出来るのに荷担してしまうのだが。安静を保ち、漢方薬で治すと風邪はスパッと治ることが多い。身体の中を製薬会社が喜ぶ薬の最終消費地にすることなく、自然治癒力を大切にしながら老人の発熱を治しているA施設の善意を感じる。
ちなみにこの施設では年末に流行ったノロウイルスによる嘔吐下痢にやはり漢方治療を行った。すると誰も点滴をすることなく平均1.2日で下痢が治った。僕も嘔吐下痢には漢方薬を作りそのくらいで治って頂いていると思う。普通現代医療で治療するとこの3倍はかかっている。下手をすると10日くらいかかる老人も居る。
漢方薬が全て優れている訳ではない。むしろ逆だろう。科学の粋を集めた現代医学に勝てる分野の方が少ない。しかし、科学が、自然から離れていく距離を埋める物をもっていない限り、漢方薬を始め自然科学のよってたつ所は大きく捨てがたい。身体の中に石油から出来たものを入れるより草根木皮から出来たものをいれる方が自然だろう。直感に近いけれどそう思う。
常識
NHKのラジオニュースで、東京の漢方薬局(薬剤師がいないのだから薬局ではないか)が摘発されたそうだ。なんでも薬剤師がいないのに、医者から白紙の処方箋をもらい、勝手に薬をつくってお客に売っていたらしい。巣鴨というところでお年寄りに人気があり、カリスマ的だったらしい。
僕は何回も繰り返し折に触れ訴えているが、治療なんて地味な作業だ。まして薬局に出来る対象はたかが知れている。それなのに分不相応な訴求をして、難病奇病を治しますだなんて、口が裂けてもいえるものではない。ところが口も裂けずに言える人がこの業界の中にも外にもいる。どの業界でも同じなのだろうが、神懸り的な人は出てくるものだ。悲しいことに神懸り的なのは他者からの評価ではなく、自分でそう演じるのだから性質が悪い。それでは新興宗教と何ら変わりない。
どのくらい薬を飲んだら効きますかとしばしば尋ねられる。僕には答える能力はない。2週間分しか作らないのは、そのくらいで何か変化を起こしたいという希望だし、そのくらいで変化を起こせないなら処方を変えるべきだと思っているからだ。あるカリスマ薬剤師が驚くような高額な薬を売るが、2年くらい飲んでくれれば必ず治しますと言うらしい。決り文句なのだ。効かなければどう責任を取るのかというくらい高額なのだが、難病の人は病院に行ってどうでもだめだから、最後の最後に薬局に来る。だから2年も生きないのだそうだ。よく考えているものだ。薬剤師にしておくにはもったいない。
僕の幸運は、田舎に帰ってきたことだ。ブルジョアなんて滅多にいない町だから、常識がまだまだ十分通用する。まっとうな仕事が要求され、それで暮らしていける町なのだ。商売人にならずとも職人で生きていける町なのだ。
黄金色の船
もう、どのくらい前のことだろう。僕の薬局で気を失ったおじいさんがいて、救急車を呼んだ事がある。そのおじいさんはその後、元気に退院されたのだが、後日談がある。あの日僕と話していて気が遠くなったらしい。すると、牛窓の港に、黄金色の船がいて、その上に知っている人が沢山乗っていたらしい。皆がおいでおいでと招いてくれたのだが、誰かが呼びとめてくれたので船に乗らなかったらしい。知人たちは全員死んだ人だったらしい。呼びとめてくれた人はどうも僕らしくて、気を失っていたその人の名を何回も呼んでいたのだ。この種の話しは何度か聞いたことがあるからどうやら本当らしい。
今日もまた同じことかと思った。ある女性が、入ってくるなり胸が苦しいと言い出した。まもなく女性はソファーに横たわり胸を抑えていた。話すことは出来たが苦しそうだった。僕は救急車を呼ぶタイミングを逃さないように気を付けながら、よく知っている人なので色々尋ねてみた。今日薬局には歯痛の薬を買いに来たらしい。虫歯があるのと尋ねたらないらしい。僕は彼女の歯痛も今横になって苦しんでいるのも、同じ心臓のトラブルではないかと思った。急を要するので、僕はある漢方薬を急いで彼女に与えた。すると数分もしないうちにがばっと起きて、治ったと不思議そうに言った。見ていて楽になるのが分かったが、手のひらをかえす様に回復した。
僕は薬剤師だから診断は出来ない。逆に診断が出来ないから、効きそうなやつをぽいと与えることが出来る。今日の女性にはとても奏効した。目の前で数分のうちに回復する姿を見て、今日の1日が救われた。
紹介
今日、岡山の街で明かに僕に向かって微笑みながら近づいてくる男性がいた。僕は自分を指差し、「どこかでお会いしましたっけ、でも僕は覚えていないかもしれないから失礼に思わないで下さい」とすぐに先手を打った。僕は人を覚えるのがかなり苦手で、カルテは薬剤師さんがしばしば僕の代わりに揃えてくれる。彼は、数年前不妊症で奥さんが世話になり、赤ちゃんを授かったと教えてくれた。その瞬間僕は彼を思い出した。奥さんに付いて何回か来たような記憶がある。当時に比べ数段、恰幅がよくなっていたので余計分からなかったのかもしれないけれど、自分でも言っていたがメタボリックシンドロームの典型みたいに太っていた。そのうち、奥さんと3歳になる男の子が現れ、奥さんの顔を見た瞬間全ての記憶がよみがえった。住所もすぐ思い出した。飾りっけのないのお礼の言葉がとてもうれしかった。何より素敵なお子さんを見せてもらって、漢方薬をやってきてよかったなと思った。辛いことも多いけれど、喜びもある。今日初めて知ったのだが、この夫婦が紹介してくれた不妊の2組が2組とも妊娠したらしい。僕は紹介患者さんに敢えて誰の紹介か聞かないことにしている。先入観を持たずに、白紙のまま問診に入りたいから。不妊に関して言えば、僕のところに来る人は、最終の希望を持ってくる人が多い。だからかなり高齢でやってくる。もっと若い時に来てくれるともっと確率は高くなるのにと残念に思うことは多い。
あの年令で、あんなに可愛いお子さんを持ったら可愛くて仕方ないだろうなと容易に想像できる。今も数組不妊のお世話をしている。この人達にこそよいお子さんが授かるべきだと言うくらい善良な夫婦が多い。きっと素晴らしいお父さんお母さんになるだろうと思える人が多い。もっともっと早く僕と縁があってくれたらと思わずにはおれない。うぬぼれではなくて。漢方薬は不可能を可能にするものではないのだから。もっと、もっと地味な治療だから。
緊張感
70歳代の男性が助手席に同じような年代の男性を乗せ、2週間前にやってきた。子供の頃からハンディーを持っている弟さんを今まで支えているらしい。勿論これは他人から聞いた話だ。本人の口から聞いた事ではない。その弟さんが今年に入ってから腰から大腿部にかけて痛くて、不自由しているらしい。なんとか痛みを抑えられないかとお兄さんが相談に来られた。病院に行ってもらう痛み止めが何故か効かないそうだ。僕は痛み止めが効かない痛みは、身体を良くするしかないと思って、その為だけの漢方薬を作った。2週間して大腿部の痛みが完全になくなったと大変喜んでくれた。今朝、これとは逆の出来事があって落ちこんでいたので、とても救われた。(栄町ヤマト薬局のホームページを読んでいただければ分かっていただける)
薬局だってこの緊張感だから、お医者さんなどの緊張感はもっとすごいだろうなと思う。テレビは買えば必ず映る。しかし薬は買っても効いたり効かなかったりする。僕は確率の仕事だと認識している。よい結果が出れば一緒に喜び合えるが、逆だと申し訳なくて本当に謝りたいのだ。今日のおじいさんにも何回も謝った。難しいトラブルだからこそ僕は2週間分しか薬を渡さない。でもその2週間が命取りにもなるのだ。好転の兆しもなくてそれ以降も飲んでと言うのも言いづらい。なかなか悩ましいところだ。
今夜はウインブルドンのテニス中継で「チャングムの誓い」がない。唯一の楽しみなのにショックだ。今週のショックから来週こそは立ち上がるぞ。
コーヒー浣腸?
県外ナンバーの車から降りて薬局に入って来られた方が、コーヒーの浣腸を下さいと言われた。コーヒーと浣腸とが別々の物と思ったので聞き返すと、コーヒーでできた浣腸をくださいと繰り返された。突拍子もないことを言われたので尋ねてみると、本に出ていて便秘によいとのことだった。本に出ていたら何でも正しいのかと言うと、寧ろその逆で、本に出ているからこそ疑わしいことが多い。実際に摘発されることも多い。空気を嫌うところ(内臓)に、コーヒーや空気を毎日入れるべきでないと説明したら、意外と簡単に理解してくれて、それではということになり相談してくれた。
要は立派な便秘なのだ。数年前までは薬局で下剤を買って飲んでいた。その後でなくなったので、病院で下剤をもらって飲んでいる。先生は安全な薬だから気にせずに飲んで下さいとのことだ。プルゼニドを4錠毎日飲んでいるらしい。安全な薬とは、さすがにそれで致死的な副作用は永久には起こさないだろう。しかし、毎日下剤を飲まなければ催してこないのが正常といえるのかどうか。先生の言う安全と、患者さんの安全は違う。
僕はその女性に言った。貴女は関西からわざわざ牛窓みたいなのんびりとした田舎を夫婦で選んでやってきた。都会に行かずにその逆のコースを選んだ。と言うことは、貴女は日常に緊張を抱えていて、いつも戦いのモ−ドだ。だから貴女の心が緊張しているように、貴女のおなかも緊張しまくっている。だから僕は貴女が今まで服用したおなかを痙攣させて便を出すような薬は作りたくない。寧ろ貴女の心もおなかもほぐすような漢方薬を作りたいと説明した。そして、1週間だけ作って試してみようと提案したら、快く受け入れてくれた。
途中からお互い冗談も言えるように和やかになって気持ちのよい時間を過ごした。たまにこのように観光客との心地よい出会いがある。そしてこれが縁で、その人の以後の健康生活に多くの貢献が出来ることもある。今回もそのような結果を望むけれどさてどうだろう。なにでも、以前岐阜県の有名な漢方薬局ですごく高い便秘薬を買って全く効果がなかったと、漢方には否定的だったから、ここで僕が一念発起して漢方薬に対して誤解をとっておかなければならない。牛窓においては、漢方薬は早く効いてそんなに高い物ではない。1週間か2週間で効果は現れる。治れば止める。再発すれば又始める。これが常識だ。都会の有名な薬局の常識とはエライ違う。
効果があったら連絡をくれるそうだ。効果がなかったら首を絞めに来て下さいといっておいた。
先天の精
東洋医学での生命は両親から授かった生命力が「精」と言う形で胎児の体に宿る。これを「先天の精」と呼び、腎に蓄えられ、一般に「腎精」と呼ばれる。腎精は人間の成長に大きく関与していて、人間が二十歳前後にその働きは最高潮になり、腎精の働きはその後段々と衰え、老化と深いかかわりを持ってくる。先天の精は、そのままでは消耗してなくなってしまうので、絶えず補充しなければならない。僕達が毎日食べている食事(これから得られる力を後天の精と呼ぶ)から、腎精は補充されているので、食養生は健康で長寿をまっとうする為には欠かす事は出来ない。東洋医学では、僕達が健康に生きられるということは、自然と調和が取れているからだと考える。日本人は日本と言う国土、環境と調和をとることで健康な人生を送ることが出来る。食生活だけでなく、精神生活も同じことが言える。本来戦闘的でない農耕民族が、欧米の狩猟民族の価値観を無分別に導入して、他人を蹴落としてでも生きていく姿は似合わない。黄色の肌を持った人間が、心の中まで白くはなれない。
エール
どれだけ辛い思いをして毎日生活しているのか容易に想像がつく。本人もそうだろうが、一緒に来た親もそうだろう。僕は職業柄、冷静を装っているが、本当は一緒に悲しみたいのだ。そして毎日懸命に自分に鞭打っている君に最大限のエールも送りたいのだ。勿論僕がエールを送って解決するわけではないが、薬剤師である前に子供を育てた一人の大人として君に接したいと思った。
今日僕は、珍しく多くの種類の薬を出した。漢方薬を2種類、天然薬を1つ、ビタミン剤、入浴剤。もし君が僕の娘だったらこれだけのものを使い絶対に治そうとするだろう。僕は物売りにはなりたくないから、経済的な負担をかけるのは苦手だ。しかし、君の今日の背負っている不調を解決するにはそれだけ必要だと思った。
君が再び明るく笑って、毎日が楽しくて仕方ないようになって欲しい。だって、こんなに一所懸命生きているんだものね。
薬局には幸いに、命に関わるような患者さんは原則としてこない。しかし、生活の質を決定的に落としてしまっている人は沢山来る。過酷な状況の中で懸命に暮らしている人達に幸せになって欲しい。もっと、もっと、僕に知識と武器が欲しい。
無知の知
僕が毎週見舞っているその人の主治医が、その人に10歳から15歳若いですねと言ってくれたそうだ。そのことをお嬢さんが今日教えてくれた。医者が驚いているそうだ。もう80歳に手が届くかどうかくらいだから、60歳代半ばということになる。抗がん剤を3クール打って、髪は抜けたけれど、数日の食欲がなくなることを凌げば、又体重も復活する。僕は毎回体重を尋ねるが、3kg戻っているらしい。見舞っている間、ほとんどその人が喋る。生来の明るさでどちらが病人かと言うくらいだ。1ヶ月前の検査で腫瘍が7cmから3cmに小さくなったらしい。抗がん剤がよく効いているのだろう。入院が決まった時、主治医は健康食品などを勝手に飲まないように言ったらしい。その方は身の周りに僕の漢方薬を飲んでいる人がいたので、迷わず僕に依頼してくれた。返しきれない恩がある人なので僕は言われなくてもお世話をするが。僕は抗がん剤にまけない体を維持することを目標に2種類の漢方薬を飲んでもらっている。その漢方薬を飲むと抗がん剤を点滴した後の食欲の復活が早いと言っていた。ガン患者さんでも太れば希望があるのだ。薬局がガンの治療の前線に立つことなんか有り得ない。ガンをうたい文句にしている薬局には入ってはいけないと思う。身のほど知らずの無知の知を地で行っているようなものだから。まして健康食品をや。僕らに出来ることは、現代医学が到達した最高の医療を受けることが出来る体になってもらうことだと思っている。今朝もらった電話で今日は1日中気分がよかった。役に立てると言うことはとてもうれしいのだ。こんな仕事をしていたら。
アナログ
今日、ある製薬会社のセールスがきて、資料をメールで送りますからアドレスを教えて下さいと頼まれた。僕はアドレスを調べるのが面倒だったので、FAXで送ってと言った。すると彼は、不思議そうな顔をして、先生はITが好きそうで何でも取り入れているように見えるのですが不思議ですねと言った。僕は、彼がそんなふうに察した方が不思議に思えた。僕は完全なアナログで、今多くの方があたかも必需品のように使いこなしているもののほとんどを持っていないか、持っていても自分で使うことはできない。今現在使用しているこのパソコンも、ただひたすら指1本で、文字を打ち込んでいるだけだ。僕にとってはワープロの延長でしかない。
携帯電話も持ったことがないし、人に借りる時にはいちいち使用方法を尋ねなければならない。持ったことがないから、便利そうにも思えないし、24時間連絡OKなんて耐えられそうにない。どんなに便利でも一人で過ごす時間を侵略されたくはない。
最近煎じ薬を作る患者さんが増えた。便利だから、エキスの粉薬を多用していたが、患者さんが意外と煎じることを面倒がらないのだ。これは僕にとっては大きな発見だった。コーヒーだって、インスタントより豆をすりつぶして飲むほうが数段美味しい。薬草だって同じことだ。クツクツと煮て成分を出したほうが濃いものが出て効果も高い。ITの時代に似合わないかもしれないが、本来動物としてある人間にとって自然なのは薬草の方で、電磁波ではない。必需品と思っているものが実は、人間にとってどのくらい害があるのか、自然からどのくらい遊離しているのか検証を欠かしてはいけない。
原稿
来週の月曜日に漢方の講演をするために、ちょっと真面目に原稿を書いた。原稿通りにやったことはないのだが、今回はチョットだけ知的にやってみようかと思っている。
人を、およそ8種類に分類して、各々のグループの性格や病気になりやすさなどを特徴としてまとめたいと思っている。その中の1つのタイプを紹介する。これを1時間半の間で8種類紹介しようと思っているのだが、時間が足らなくなるような予感はしている。
生まれながらに虚弱体質で一生病気勝ちに過ごしている人は意外と多い。僕の薬局にも沢山いて、長いお付き合いになるから結構親しくなるタイプだ。見るからに精気に乏しく耳が小さい。何か始めても最初だけで長続きせず何も完成させない。意志が弱くてすぐ自説を曲げてしまい、ひどくなると恐怖心が強くなり何をやってもおどおどとした態度になる。精力がなく足腰が冷え、食欲もなくすぐ下痢をする。太っている人は汗をよくかき、暑がりで寒がりだからたちがわるい。めまい、息切れ、動悸がしていつも異常を訴える。低血圧やメニエル、神経痛や神経麻痺、腸カタル、心臓病、腎臓病になりやすい。
極めつけは、このタイプの人達は食べたからと言って元気になるわけでなく、運動して体力がつくこともない。こんなことを言うとお先真っ暗のように思えるかもしれないが、このタイプの人達はひたすら長生きなのだ。ビヤビヤ言いながらもひたすら生きる。
こうしてみると、読者の周りにもいるだろう。僕が書いたとおりの人が。後の7種類のタイプも、面白いくらい具体的な人を想像できる。統計的に話すだけでも具体的な顔を想像できないだろうか。人間なんてそんなに変わった人はいないということだ。蛇足だが、この手の人にはこの手の処方があるのだ。漢方薬のすごいところだ。
スーパーマンシンドローム
1年に1度くらいしかこの10年の間に息子とは会っていない。忙しそうだからなるべく邪魔をしないようにしてきた。昨日あることで息子と電話で話をした。電話をすることさえ、実は遠慮している。日曜日の昨日もやはり1日中働いていたらしい。受け持っている患者さんがなくなったらしくて、残念そうな口ぶりだった。親としたら、元気でいるか、食事はちゃんと摂っているか、睡眠は十分かなどと気にかかる。仕事の流れが出来たらしくて、気を抜ける時間が少しは持てるようになったこと、夕食はなるべくファーストフードなどでは済まさずに、家に帰って食べていることなどは安心した。ストレスはどうか尋ねたら、やはり目が覚めるとすぐに、気になる容態の患者さんのことが頭に浮かぶらしい。真面目に仕事に取り組んでいる証拠だが、スーパーマンシンドロームに陥らないことを願う。患者さんや家族はどんな病気でも治して欲しいと願う。しかし、医療とは所詮自然治癒力の範囲内でのこと。不可能を可能にすることは出来ない。それを常に認識して、全てに答えようとはしないで欲しい。
僕が30年近くかかって得た知識を息子は数年で越している。助けて上げられる人達も、僕が長い間に健康のお手伝いが出来た人数を遥かに超えるだろう。最先端の医療の知識を駆使している彼と、漢方薬を調剤している僕とでは全く立場が違うが、いつか僕が集めた漢方の知識も利用して、病める人達を助けて欲しいと願っている。電話で話す内容は、父と息子ではなく、同じような職業の人間としての話が多い。寂しいけれど。
ミミズの足
ふくらはぎや大腿部の血管が紫色に怒張して、まるでミミズがいっぱい這っているような初老の女性(下肢静脈瘤)を半年くらいお世話している。真面目に煎じ薬と天然薬を飲んでくれたお蔭で怒張はかなりなくなり、痛くてふくらはぎの一部が茶色に変色して盛り上がっていたのもほとんど治った。
それに気をよくして今日、その女性にある治療を頼まれた。去年の夏タイから帰国して胃の痛みに襲われた。胃カメラを飲んだら潰瘍が見つかり、3ヶ月治療したが治らなくて、大きな病院に行って手術するように言われ紹介状を書いていただいたらしい。ところが本人は、手術が嫌だから、大きな病院に行かなかったらしい。1年近くたって、市の検診で、再び潰瘍が見つかり精密検査を受けるように指示があった。そこで、静脈瘤を改善した僕を思い出し、何とかしてくれと言って来られた。自分の感情が先走り、旨く説明出来ない彼女に繰り返し質問して僕は情報を集めた。この数年、潰瘍にはとてもよい薬が開発され、今では手術をする人は激減しているはずだ。3ヶ月も治療をして潰瘍が治らなくて、手術をするようにといって開業医が紹介するはずがない。僕は、一番嫌な病気を想像しながら問診をすると、かなり当てはまるのだ。女性は、なんとか自力で治そうと思っているが、僕は最悪の病態の方が説明がつくと感じた。がんとして、大きな病院へ行こうとしないので、2週間分だけ胃の薬を渡した。2週間で治らなかったら、精密検査へ行くことをあきらめさせるために出したようなものだ。簡単な薬で治ればそれにこしたことはない。誰だって検査や手術は避けたい。僕もその筆頭の人間だ。しかし、ここまでいやな情報が集まるとそんな事は言っておれない。あの女性が早く人生を終えることを防がなくてはならない。 残念ながら、ある年令に達すると、嫌な病気に忍び寄られる。長寿の方を見るとそれだけで太刀打ちできないくらいの偉業に見える。戦後生まれの人間は、不自然な空気を吸い、不自然なものを口に入れ始めた最初の世代だ。その結果がもう出始めている。半世紀を経て壮大な人体実験の結果が出始めている。この数年始まった、電磁波の中での暮らしの結果は、又何10年後に出始める。進歩とは決して発展への道のりとは思えない。
二重のおばあさん
一見して二重のおばあさん、いやいや、スーパーの制服を着てモップで床を拭いているから、見かけほどは歳を取っていないのかもしれない。日曜日の午後、多くの買い物客は、物と引き換えに、ストレスをおいていく。自分の子や孫と同年代の者達が落としたストレスを、モップで集めてまわる。年令から推測して、戦争時代に育ち、戦後の貧しい時代に子育てし、高度成長時代に子供に出ていかれ、バブルがはじけてから子供に捨てられた、この国のどこにでもある話しを連想させる。
一体いつが変換点になったのだろう。稼ぐ以上に堂々と使い始めたのは。必要のないものを一杯集めて、必要なものを見失っている。お金で買えるつまらないものを求めて、お金で買えない大切なものを失っている。僕の財布には1枚か2枚の千円札が入っている。同じ紙幣が数ヶ月持つ。買いたいものがないからだ。1つ物を手にするたびに、1つ動物的な要素を失った。
免疫学で有名な学者が、人類は後200年しかもたないのではないかと危惧していた。地球にとっての唯一の害は人間だ。身の回りにあるもので本当に必要なものは、一握りのものでしかない。1年間使わなかったものは、一生使わないだろう。使われずに捨てるものを地球の資源を使って作っている。その無駄なものを作るために雇用は存在し、その存在が又架空の需要を作り出す。荒れた水田や畑が放置されている。老人が泣く泣く鍬を置いたが、スーパーの中を闊歩する若い人達に、供給された作物(命の源)に、感謝の気持ちはサラサラない。車はなくても生きて行けるが、野菜や魚がなくては生きては行けない。
僕には2重になって長いモップを操っていた老婆が、幼い頃畑で見つづけていた祖母の姿に重なって辛かった。
カリスマ薬剤師
丁度去年の今頃、薬局の裏の事務室で、瞬間の激痛とともに崩れ落ちた。思わず出た悲鳴とともに瞬時のうちにその場に倒れた。恐らくぎっくり腰だと思うが、ぎっくり腰常連の僕にも経験がないほど痛みが激しく12時間くらいその場に横たわっていた。ほんの少しの動作が、痛みの為に出来ず腰の大切さを思い知った。
煎じ薬も、天然薬も回復とともに自然と飲むのを忘れていった。よく患者さんから、いつまで薬をのむのとたずねられる。僕は決まって、たいぎになったら自然と飲むのを忘れるよと答えることにしている。一生薬を飲むなんて、寂しすぎる。身体によいものなら続けてもいいが、治療薬は出来れば早く止めたいのが人情だ。僕はその人情を大切にしたい。
僕は朝の8時から夜の8時まで薬局の中に閉じこもっているので、太陽にはまず平日は当らない。日曜日だって、勉強会などで建物の中にいることが多く、滅多に太陽に当らない。そのせいで、恐らく骨格が弱っているのではないかと思っている。ろっ骨を折っていることもあり身体がそもそも曲がっている。心はもっと曲がっているが、調べたら骨粗鬆症くらいなっているかもしれない。太陽に当らないことで唯一よいことがあるとすれば、シミが出来にくいことだろう。人間はシミったれているのに、最近までシミとは縁がなかった。しかしついに1箇所できた。自分でシミの漢方薬を作ってのみ始めることにしたが、さて、これが痛くもかゆくもないトラブルなのでいつまで続けられるか。
漢方薬は別に魔法の薬ではない。現代薬で行き詰まった時によく利用するので、何か特別のことを期待してしまうが、当然ながら、現代薬で難しいのは漢方薬でも難しいのだ。僕が重視しているのは、根拠だ。漢方薬を作る時に根拠がある処方にしなければならない。相談を受ける前から、売る薬を決めているようなことは出来ない。カリスマ気取りで難病を相手にできるほど薬剤師に力はない。あれだけ勉強している医師が、慎重かつ謙虚なのだから。薬局漢方の出番は、日常の不快症状の改善だと思う。
気の巡り
九州から牛窓に20数年前に嫁いだ女性がいて、何かにつけて僕を頼ってきて下さる。つい10日前も、里のお母さんが転んで内出血を起こしているからと言われて、漢方薬を送った。今朝、その女性がやってきて、お父さんの癌が悪化して、痛みで苦しんでいるから、薬を作ってと頼まれた。スタッフに煎じ薬を作ってもらっている間に僕はその女性と話をしたのだが、とても示唆に富んだ話だった。彼女の話の本質は、まさに僕が作ろうとした処方そのものだったのだ。彼女はそんな理屈はわからないだろうが、彼女が経験した出来事こそが、漢方薬の目指すところなのだ。
彼女の話をかいつまんで紹介する。癌が悪化したので、顔を見せてあげてと実家から連絡が入って、彼女は久しぶりに実家に帰った。90歳になったお父さんは、軍人上がりでとても我慢強い人らしが、さすがに癌の痛みには耐えづらくて、襲ってくる痛みに声を何度も上げていたらしい。彼女は、身体をさすってあげていたらしいが、さすっている間に、むくんでいた顔がしぼんでいったらしい。食事も美味しく食べたし、なによりも聞こえなかった耳が、大きな声で語りかければ聞こえるようになって、会話が成り立つようになったらしい。そして心からうれしそうな顔をして、毎日看護していた人達が、娘の力に驚いたそうだ。それこそ僕が作ろうとした「気」の巡りをよくする漢方薬そのものなのだ。彼女は存在だけでそれをやってのけた。悲しいかな遠いので、いつも一緒にいて上げれないけれど、父親に対する娘の存在の大きさが伝わってくる。これは世の大多数の父親に共通する想いなのだ。
科学が発達して、解明されないものは全て不可解なりの世界に追いやられる。でも、まだまだ僕らの身の回りには、科学にあがなって、神秘の世界を保っている分野がある。それを失ったら、僕らは単なるひ弱な時限式のサイボーグだ。