栄町ヤマト薬局 - 2017/01

漢方薬局の日常の出来事




2017年01月31日(Tue)▲ページの先頭へ
外来語
 富士山の土砂?何でそんなものがここにあるのだろう。神の山だから、大雨で流れた土砂を小袋に入れ売っているのだろうか。それにしては軽いし、包装が中身とは似つかわしくなく、金色のセロファンに富士山のイラスト入りで、神々しさに欠ける。富士山と言う漢字も使わずに、英語でMount Fujiと書かれている。おまけに土砂と言う字も漢字を使わずにカタカナでドシャと書かれていた。金色の包装を使いカタカナで書けば全てモダンに見えて新しいユーザーをつかめると思っているのか。金色もカタカナも汎用され食傷気味だ。まして土砂で流れてきた土を売るだけなのに。
 誰か富士山に行ったの?とスタッフに尋ねてみると、富士山に行って買ってきたものではなく、娘婿の実家のお土産らしい。そしてよくよく見て見ると、土砂と言う字の前にラングと書かれてある。ダンプの土砂?かと一瞬考えたがよく見てみると小さな字で「はちみつクッキーとバター風味のチョコレートの」と但し書きがあった。一体これは何なのだと娘に尋ねてみると、クッキーみたいなものと教えてくれた。クッキーならクッキーと書いてよと言いたいが、よく分からないが国によって呼び方が違うらしい。初耳、いや初目のものだったので全く想像がつかなかったが、これで又覚えなくても良いことを覚えそうだ。
 ややこしや、ややこしや、外来語はややこしや。ややこしやややこしや、働きづめの日本人が媚を売り売り物も売る。休暇と財布に糸目をつけぬ外来種に媚を売る。金のためなら魂の一つや二つ外来種に踏みにじられてもかまわない。ややこしやややこしや。美しい日本を標榜するアホノミクスが外来種を呼び寄せて鼻高々。ややこしやややこしや。道の真ん中を闊歩する外来種に押しのけられる日本人。ややこしやややこしや。金持ち外来種に貧乏同胞。どちらを向いているのかわが同胞。ややこしやややこしや。


2017年01月30日(Mon)▲ページの先頭へ
体験
 僕の薬局は牛窓中学校の目の前にある。体育館もテニスコートも何にもさえぎられずに見える。テニスコートなど朝と夕はウォーキングで私物化している。そうした景色を見ながらある男性が言った。3ヶ月くらい、2週間おきに漢方薬をとりに来ている。
「先生もこの中学校ですか?」
「そうだよ、自分も?」
「そうです。僕らのときは木造でしたが」
「僕も当然木造、と言うことは小学校も牛窓?」
「そう、東小学校」
「なんだ、それでは中学校か小学校で僕と一緒に通っていたんではないの」
「それはないでしょう。先生何年生まれですか?」
「26年」
「だったら会わないですよ。僕と14歳も違うじゃないですか」
「なんだそんなに違うのか、それでは学校で会っている筈がないな」
で終わったのだが、なんと14歳も離れていたのだ。かなり歳が近いのかと思っていた。勿論カルテには書き込んでいるのだが、まさしく先入観だ。僕と年齢が近いと信じ込んでいた。彼の生活が歳を間違えるほど老けさせたのか、彼の病気がそうさせているのか、或いは僕の人を見る目がないのか分からないが、結構失礼な間違いを犯した。もっとも彼はそんなことを気にする人ではないし、僕の薬局は気にさせる薬局でもない。お互い笑っただけだ。
 この会話をしているときにある男性が入ってきた。簡単な薬だったので断ってからその男性を優先した。その男性が出て行くとすぐに彼が言った。
 「アイツは〇〇でしょう。昔は悪かったんですよ」
 「今も悪い。〇〇君を知っているの?」
 「知ってますよ。家が近所だから。学年も近いし」
 「学年が近い?そんなはずはないじゃろう。彼は僕の弟と同級生だよ」
 「弟さんは何歳ですか?」
 「僕より2才下」
 「そんなはずはないでしょう。アイツは〇〇才のはずですよ」
 「兄弟がいたんではないの?」
 「そうかなあ、いたかなあ」
 「自分より10歳以上、上のはずじゃあ」
 どうやら彼も僕に負けず人を見る目が無いらしい。ただ僕とは逆に10歳以上も若く見てあげているから歓迎される間違いだ。社会の迷惑も考えずに御法度の裏街道を歩いてきたから悩み無しで若く見られるのだろうか。
 女性の年齢を判断するのは難しいが、男性も負けていない。ある年齢からは前後10歳くらいの差ができるらしいが、その事を目の当たりに体験した一日だった。





2017年01月29日(Sun)▲ページの先頭へ
観察
 以前から気になっていた事を今日検証するチャンスに恵まれたので実行してみた。
 僕は、潔癖なところは少なく大雑把なところのほうが圧倒的に多い。神経質なのかと自分で思うことも多いが、意外とそうでない部分も多い。単純化すれば、命にかかわるところだけは繊細だが、そうでない分野は大雑把というところだろうか。だからごく普通の病気などは大雑把の部類に入れている。
 以前から気になっていたことと言えば、1日何人の客が来るかわからないような大きなスーパーで、多くは入り口付近にあるが、パン屋さんの商品が何の覆いもなく露出したまま陳列されていることだ。昔のパンは工場で作られて店頭に陳列されるだけだから、全て袋に入れられていた。ところが今のパン屋さんは現場で焼いて、焼き立てを陳列するから、何の覆いもない。1日1万人でもその前を通り過ぎるかもしれないのに全く無防備に陳列されている。僕は自分の薬局でマスクをつけないのは、患者さんからインフルエンザなどを移されないように用心しているところを見せたくないからだ。折角僕の薬局を選んで処方箋を持ってきてくれる人の「病気はもらいません」と意思表示することになるのが嫌なのだ。移るか移らないかは僕の体力であって、患者さんの責任ではない。ましてウイルスなど人ごみに出れば無数に飛び交っている。目の前の人物だけが感染源ではない。1日万の数の人が集まる空間など、ウイルスや細菌の培地みたいなものだ。その中に何の躊躇いもなく鎮座ましましているパンが信じられない。清潔志向を企業に植え付けられた日本人の誰もがその光景を受け入れているかのようだ。日本人がしばしば敢えて自慢することとは、かけ離れた印象を持っている。
 教会でのイベントが意外と早く終わったので次の用事まで2時間も時間が余った。そこでいつも行くスーパーをくまなく探検したのだが、もう1つ同じような現場を見つけた。それはてんぷら?揚げ物のコーナーだ。我が家では滅多に口に入らないような揚げ物が一杯陳列されていたが、これもまた無防備だ。油物だから如何にも空気中のゴミを吸い取りそうだが、これもまたお構いなしで手にとり買い物籠に入れる人が多い。どうしてこの2種類だけ寛容なのだろうと不思議だった。
 そこで薬剤師根性が芽生えて、一体マスクをしている人達はそうしたものを実際に買うことができるのだろうか観察してみることにした。冬だからマスク姿の人は多い。観察は簡単だ。じっと傍で見ていたら営業妨害になってしまうので、如何にも用事があるかのように振舞いながらパンと揚げ物のコーナーを何度か往復した。結果は誰も手にしなかったと言うより、素通りだった。実際に話を聞いたのではないから、それとサンプル数が少ないので確かではないだろうが、吸い込むウイルスにだって気をつけている人が、口からとるウイルスに関心がないと考えるほうが不自然だ。
 暇に任せての実験だったが、なんとなくその無駄な時間を有意義に使えたような気がした。転んでもただでは起きぬ潔癖さを持っている事もついでに証明できた。


2017年01月28日(Sat)▲ページの先頭へ
訓練
 昼食の為に2階に上がったときに偶然ニュースの時間と重なれば幸運だ。ニュースを見ながら食事が出来る。ただその時間帯とずれると悲劇だ。タラントや口から先に生まれたような進行役が程度の低い言葉を口にする。お笑いをを標榜するタラントのくせいに笑いも取れないし、番組を進行する役なのにコメンテーターの話の腰を折る。見るに堪えない、聞くに堪えない。何故そこに座らせるのかわからないが、今や教育テレビまで進出している。くだらない番組からの逃避行が教育テレビなのに、そこでタラントに待ち構えられていたら逃げ場所はもうない。スイッチを切って沈黙のうちに食事を済ませるしかないのだ。
 今日の逃げ場所での番組は違っていた。珍しく土曜の2時過ぎに浪曲をやっていたのだ。何気無しに見始めたのだが、50年前の記憶が甦ってきた。それは僕が岡山市にある高校に通うために下宿生活を始めた頃のことだ。当時バスで通うには少し遠すぎたから、下宿する人も何人かいた。僕もその1人だ。おばあさんがやっていた下宿は当時は当然のようにまかない付だ。風呂も沸かしてくれる。隣の部屋とはふすま一枚で仕切られているだけだから息遣いまで聞こえそうだ。ただ当時はそれが当たり前だったから別段居心地が悪かったわけではない。ただ、英語など声を出して勉強したいときが困った。僕も遠慮するが明らかに学年が上の同居人も遠慮していた。たださすがにここ一番では音読をしたかったのだろう大きな声を出して勉強することもあった。僕はさすがに学年が下だから、その人が風呂などで部屋を空けるときに待ってましたとばかり声をあげてを勉強した。
 そうした生活の中で唯一の楽しみはイヤホーンでラジオを聴くことだった。僕は当時下宿で言葉に飢えていた様に思う。下宿でと言うより、そうした年齢なのだろうか、ラジオから流れてくる言葉なら何にでも聞き耳を立てていたように思う。そして今日聴いた浪曲もその中の一つだった。16歳くらいの若者が浪曲を聞くのは珍しいかもしれないが、イヤホーンから聞こえてくる独特の節回しに引き込まれることがしばしばだった。あの節回しよりも言葉を追っていたような記憶もあるが。
 今思ったのだが、ひょっとしたら当時の止むに止まれぬ娯楽が、その後の人の訴えを聴く耳を養ってくれたのかもしれない。口に出すことを禁じられて、心で言葉をつむいでいた。音に出来ないもどかしさの中で感受性が少しだけ訓練されたのかもしれない。


2017年01月27日(Fri)▲ページの先頭へ
前島フェリー2
 処方箋を持ってきた男性が前島の人だから、若夫婦が薬を作っている間に雑談をした。前島の人に尋ねてみたいことがあったのだ。
 つい最近、岡山市から漢方薬をとりに来た家族が、漢方薬の注文だけして前島に牡蠣を食べに行った。なんでもフェリーが着く所に緑の観光公社の建物があり、そこの庭で牡蠣を焼いて食べさせてくれるのだそうだ。炭火で焼くからとても美味しく、家庭では味わえない美味しさだと言っていた。どうして岡山の人がそんなことを知っているのか疑問に思ったので、いつか前島の人でそうしたことに詳しそうな人が来たら尋ねてみようと思っていたのだ。それにうってつけの人が来た。
 その男性は尋ねるたびに「うちのフェリーは・・・」と言う言い回しをするので役員か株主かもしれない。恐らく昔から前島住民のためのフェリーだから島民は全員株主なのだろう。その男性いわく「結構遠くから食べに来てくれるんよ。この前の日曜日なんか岡山から団体で20人くらい来ていて、牡蠣が足らなくなったくらい。大阪のほうからも来てくれるよ」
 聞けば3年位前からこの企画を始めているから結構知っている人が増えたらしい。職員もインターネットなどで宣伝しているみたいだ。僕は3年前に、フェリーで牡蠣の水揚げ現場がある錦海湾の沖に見学に行ったことがあるが、取立てだから美味しさも人気の理由なのだろう。岡山県の牡蠣は1年物だからやわらかくて美味しいらしい。これはテレビで漁師が説明しているときの受け売りだが。
 もう1つうれしいことをその男性から聞いた。僕にとってはこちらのほうが圧倒的に価値がある。ずっと前からこうしたことが実現しないかなと思っていたのだ。と言うのは、僕の大好きな四国フェリーが大赤字で便数をかなり4月から減らす。恐らく2時間に1本くらいになるのではないか。今までは四国に行くときにあの1時間の船旅を楽しめたが、これからは時間の制約がありすぎて不便になってしまうのではないかと思うのだ。よほど偶然イベント時間が船の時間に合えばいいが、最悪2時間待ちなどになったら目も当てられない。いやでも瀬戸大橋を利用しなければならなくなるかもしれない。
 そうした好ましくないニュースに落胆していたのだが、前島フェリーが小さな船を買って、クルージングをしてくれるのだそうだ。豪華な船ではなく、漁師の船を大きくしたようなものらしいが、あまり運賃が高くなさそうだから、そのほうが嬉しい。高いのなら牛窓には、ホテルリマーニが運航している豪華ヨットによるクルージングがあるから、庶民向けのクルージングが出来たら歓迎だ。「ついでに、四国の高松まで定期航路を作って!」などと勝手なことを言っているが、僕の長年の夢がかないそうだ。
 潮風を切って海上を走るのが気持ちの良い季節になれば、僕も以前のように患者さんを招いて、一緒に楽しんでみたいと思っている。ウツウツとした気持ちなど瀬戸内海の波の上に流してしまえ!


2017年01月26日(Thu)▲ページの先頭へ
価値
ある女性のお嬢さんが看護学校に通っている。お母さんがヤマト薬局特製?のインフルエンザにかかりにくい漢方薬を買いにきた。理由は、クラス中がインフルエンザにかかって順番で学校を休んでいると言うのだ。お嬢さんもそろそろ順番が来そうなんだとか。そこで買い物に来ていたときに見ていたインフルエンザ予防薬を思い出して娘に飲ませたいと言ってとりに来た。お母さんは「インフルエンザの予防注射をみんなしているんですけれどねえ」と言っていたが、アルバイトで病院の仕事をするらしいから予防注射は必須なのだろう。僕のいつもの持論で、インフルエンザに上手にかかって上手に治せばいいと思うのだが、それでは製薬会社にがうまみがないのだろう。彼らにとっては、予防接種がことごとく外れて、インフルエンザの薬を飲んでもらうのが最良のパターンだ。僕らはいつの間にか、製薬会社の為にインフルエンザで振り回されている。
 そう言えば、次女三女もクラス総倒れの中、何事もなさそうに通っている。こちらも介護の専門学校に通っているが、看護師の学校ほど厳密な管理はないらしい。僕らと、薬局と言う同じ空間にいるから毎日ウイルスにさらされ元気なのかもしれない。そう言えば昨夜市役所に勤めている男性が閉店ぎりぎりに入ってきた。なんでも市役所でインフルエンザがおおはやりになり、多くの職員が休んでいるらしい。いつものように予防の漢方薬と万が一移されたときの為にヤマト薬局製の風邪薬14号(これは3号より強い)を持って帰った。
 僕の薬局を利用する人の多くは、自分で何とかする派が多い。なるべく自分の持っている力で解決しようとするものだ。人には病気を治す力が十分備わっていて、驚くほど回復する。そうした力を導き出すための努力をする人たちだ。これでもかこれでもかと作られる薬はまだ人体実験をしていない。何年も何十年も経た安価な薬を使えば人体実験やりまくりだから安全性は確保されている。いたずらに製薬会社を養うことはない。
 薬局でよく僕が使う言葉「室町時代でもインフルエンザを治したんだから」は皆さんへのエールなのだ。死に病は人生で一度だけ、何回も来ることはない。それ以外は全部生きるために試練。生きるために病気をする。勝ち取ったもの(免疫)は与えられるもの(ワクチン)よりはるかに価値がある。


2017年01月25日(Wed)▲ページの先頭へ
綿密
 東京より遠いある県から一人の女性が漢方相談に来てくれた。時々そうした労力を惜しまない方がいるが、今度の方は交通機関の利用の仕方が慣れているのか、得てているのか、勇気があるのか、驚きでもありうらやましくもあった。
 詳細は分からないが、恐らく利用したのは飛行機と長距離バスと、ローカル電車と、ローカルバス。どなたにも、邑久駅まで迎えに行くと提案するのだが、その女性は、邑久駅からバスの連絡がいいのでバスで行きますと言った。そんなところまで調べられるのかとびっくりした。過疎地を走るバスなのに、よく分かるものだと感心した。
 遠くから来るのだから疲れるだろうと思って、3階に泊まって行ってもいいと提案したら、もう岡山市内にホテルの予約していた。翌日に神戸空港まで行って、そこから飛行機で自分の住んでいる県の飛行場に戻るらしい。聞いていて実に合理的な動きをする。
 その女性に触発されて今僕は、パソコンを酷使しながら頭をひねっている。と言うのは4月に帰国するかの国の女性達が思い出に雪を見たいと言ったのだ。ただ僕達県南の人間はとても穏やかな天候の元で暮らしているから、雪とか寒さとかには全く慣れていない。雪の厳しさが想像つかないのだ。或いは危険を伴うことも大いにあるだろうという心配もかなり先にたつ。何とか思い出を作ってあげたかったが、さすがに真冬に北に行くのは気が進まない。しかし、はるばる来てくれた女性の行動力や綿密さを見習って、かの国の女性達のために尽力しなければと言う気持ちが強くなった。
 朝仕事前に、昼仕事の合間を打って、夜仕事を終えてからパソコンに向かって悪戦苦闘しているのだが、なかなかスケジュールが出来上がらない。ただ雪景色を見るだけではもったいないので、サプライズでスキー場へ連れて行ってあげようと思っているのだが、電車やタクシーの手配、スキー場での貸し衣装、食事など、なかなか課題が多い。スキー場はさすがに田舎で、インターネットで調べた連絡先に電話をしても、なかなか連絡がつかない。情報が集めきらないのだ。いたずらに日にちだけが過ぎていく。
 こうした場面をあの女性ならはどうして乗り切るのだろうと思いながら、空白だらけのスケジュール表を恨めしく眺めている。


2017年01月24日(Tue)▲ページの先頭へ
情報
「わが国での最近のインフルエンザとノロウイルス感染症の流行時における定点サーベイランスデータを用いた研究から、これら感染症の流行と土壌放射線が相関していることが報告された。本研究は岡山大学の井内田科子氏らによる探査的研究で、今回の結果から免疫力低下と土壌放射線による照射に潜在的な関連があることが示唆された。Epidemiology and infection誌オンライン版2017年1月16日号に掲載。

主な結果は以下のとおり。

・インフルエンザとノロウイルス感染症の流行・集団感染は、放射線被曝が比較的高い地域でみられた。
・発症率と放射線量との間に正の相関が認められ、インフルエンザでは r=0.61〜0.84(p<0.01)、ノロウイルス感染症では r=0.61〜0.72(p<0.01)であった。
・放射線被曝が0<dm<0.01と0.15≦dm<0.16の地域の間には発症率の増加が認められ、インフルエンザは1.80倍(95%信頼区間:1.47〜2.12)、ノロウイルス感染症は2.07倍(同:1.53〜2.61)高かった。

 統計学の難しいところは分からないが、放射線濃度が高いところで暮らす人たちは、免疫力が落ちて、ウイルスにやられやすいと言う結果は分かる。僕ら素人は感覚でしか理解できないが、こうした学問的なアプローチは説得力があるのだろう。ただし、僕ら素人はこれでよく分かったとはいかなくて、下手をしたら余計わからなくなる。ただし、僕らが肌で感じることは学問的にも正しいことが多い。ただ、その学問的な結果を導く人が権力に媚びる人間の場合は別だ。彼らに喜ばれる結果を最初から用意しているのだから、むしろ疑ってかからなければならない。
 放射能の影響は癌がよく取り上げられるが、むしろ日常の体調不良の形を借りることが多いみたいだ。風邪を引きやすいとか、なんとなく疲れるとか、循環器系で医者にかからなければならなくなったとか、そうしたどこにでもある不調、誰にでもある不調に姿を変える事が、逆に奴らをのさばらしている。加齢のせいでしょうなんて、いくらでも言い逃れが出来るからだ。
 上記の文章は、今日、薬剤師宛に送られてきた情報だ。職業柄医学的な情報は毎日、全部に目を通すことが出来ないくらい入ってくる。こうした情報の中から患者さんに有益な情報を選んで教えてあげるのだが、薬剤師が、あまり権力を批判するのを聞いたことがない。と言うよりむしろ権力の有力な応援団だ。選挙のたびに薬剤師会から痔見ん党を応援するように連絡が来る。見返りを求めて何でもするというところだろう。おかげで薬局経営も僕らが若い時代に比べて随分と楽になった。奴等の不都合なことには目をつむり、票を出す代わりに金をくれだ。どこにでもある構図だが、この悪いところは、業界に属していない人達が割りを食らうって所だ。自分達さえよければ後は野となれ山となれの典型だ。放射能で汚染され、後どころか現実に野となり山となっているのに。
 こうした情報が目に触れ、当然いろいろなことに注意を払う。ただそれを薬局を利用する人達に還元しないなら、かかりつけ薬局などと言う資格はない。かかりっきり薬局と名前を変えたほうがいい。権力にかかりっきりなのだから。



2017年01月23日(Mon)▲ページの先頭へ
吐露
 いつも笑いが溢れる薬局にしたいと思っているが、時にそうは出来ないこともある。
 御主人が自分で処方箋を持って薬をとりに来ていたのに最近は奥さんが代理でやってくる。どうしたのかと尋ねてみると、もうほとんど家から出られないのだそうだ。もう何年も前から緑内障を患っていて、最近とみに悪化したこともあるが、内臓も悪かったらしい。家の中の移動は何とか出来、トイレも今のところ自分で行くことができるらしいが、それもいつまで持つか分からない。実母を10年以上介護し、最近見送ってやっと肩の荷が下りたところなのに、次は御主人の番だ。お互い元気だった頃には、不自由になったら施設に入ってもらうよと言っていたそうだが、実際にそれが近づいてくると不憫でなかなか言い出しにくいらしい。本心はもう入って欲しいのだが。
 何年もウツウツとしている姿を見ていたので、これから又同じ状況に耐えなければならないのが気の毒だ。「何か楽しいことがある?」と僕が尋ねたところから心情を吐露し始めた。年齢とともに介護が負担になり、それが自分の体調に跳ね返り、決して万全の体調ではないから、日々老いを感じて将来に対して悲観的な見方しか出来ないらしい。「安楽死と言うものが日本でできるならやって欲しい」と言う言葉は、恐らく本心だと思う。「これから楽しいことがあるなどと想像もできないし、あるはずがない」と言ったのは、その女性だったか、僕だったか。いずれにしても全く意見が一致した。
 虚空を見つめ続け、時々訳もなくうなづき、口をもぐもぐさせる。スプーンに載せたゼリーを口に運んでもらいやっとのことで飲み込む。時間が来ればヘルパーがおしめを替えてくれる。後はひたすらコンクリートの天井を見ながら眠るだけだ。時計もカレンダーも季節もない。時間はいつも時計の中に閉じ込められて、悲鳴を上げることすらしない。当てもなく廊下を車椅子で何度も往復し「ごめんね、ごめんね、家に連れて帰ってあげれなくて」と謝る。久しぶりに母の後ろに隠れて涙を流した。
 そんな昨日が、その女性の話と重なった。




2017年01月22日(Sun)▲ページの先頭へ
先入観
 「クタクタ」と言われたら、疲れきっているのかと思う。ところがそうではない。では「ガウガウ」は?「メオ」は?「ビエー」は?「ウンボー」は?
 最初から、鶏、犬、山羊、牛の鳴き声なのだ。それでは烏は?と尋ねてみるとないと答えた。烏は鳴かないのではなく、不吉だから物まねをしないそうだ。まさに所変われば・・・だ。
 何かの拍子に僕が鶏の物まねをした。二人にとても受けて、三女はいつものように床にしゃがみ込んで笑い転げた。彼女は変わった癖があり、あまりに面白いとさっきまで腰掛けているのに何故か床の上にしゃがみ込んで笑う。不思議だが笑いの程度で何処でどのように笑うかがはっきりと分かれている。鶏の鳴きまねもかなり彼女に受けたのかと思ったが、僕の前歯がないのがもろ見えになってそれがおかしかったらしい。何か秘密めいたことになるととたんにかの国の言葉で二人が会話し始めるから、不吉な予感はしていたのだが、どうやら僕の滑稽さを笑っていたようだ。何はともあれそのおかげで又、文化の違いについて勉強できたのだから、馬鹿にされるくらい耐える。
 この話題について話しているときに食卓の下でモコがご飯をくれと吠え始めた。その声を聞いて当然僕と妻は「ワンワンでしょう」と勝ち誇るが、彼女達も「ガウガウでしょう」と譲らない。何度聞いても同じで歩み寄る余地はない。そんなときに次女が「お父さん、ガウガウと吠えていると思って聞いてください」と言った。先入観を捨ててガウガウと啼いていると思うと、なんとそう聞こえるのだ。逆に彼女達にワンワンと思いながら聞いてみてと提案すると、やはりそのように聞こえると言っていた。最初は国によって耳が違うと主張していた三女も、耳が違うことは否定した。同じ人間だから構造は同じだろう。
 不思議な出来事だったので少し考えてみてある理由を思いついた。全くの素人だから合っているのかどうか分からないが、自分で納得できたからそれでいい。恐らく、日本人は日本人の鳴き声を親から受け継いできたのだ。母親がコケコッコーと言いながら子供を育てるからコケコッコーなのだ。かの国ではクタクタと言いながら育てるからクタクタなのだ。
 外国人2人と同居して、なんらあちらの言葉を覚えることが出来ない。僕が若かったらとうにバイリンガルだ。しかし、この年齢では、二人が熱心に言葉を教えてくれようとすればするほど「クタクタ」だ。
 


2017年01月21日(Sat)▲ページの先頭へ
緊張
 夕食が終わってから、薬局のパソコンを使わせてくれと言うから、何に使うのかと思ったら、課題発表の為にパワーポイント用の資料を作りたいそうだ。パワーポイントで学生が発表すると言うことに時代を感じたが、その資料を我が家のパソコンで作ると言うから驚いた。と言うのは、今やあらゆるところでパワーポイントが使われ、それを見るたびに、講演者本人の能力かスタッフの能力を尊敬していたものだ。よくあんなものが作れるものだと。
 あんなことが出来ると便利だろうなと思っていたが、所詮高嶺の花で関係ない世界のことと思っていた。ところが次女と三女が宿題の発表で使うパワーポイント用の資料を我が家のパソコンで作ると言うから驚きだ。なんて能力があるのだろうと思った。後進国から来ている二人は完全に僕を越えている。興味があったので後ろから覗いていた。すると最近買い換えたパソコンはちゃんとパワーポイントが使えるようになっているらしい。それを見つけるとすぐに作業を始めた。
 マウスを器用に動かして表紙を作ろうとしていた。デザインも簡単に出来ると見えて、せわしなく動かしているマウスが形を仕上げていく。そして格好いい表紙ができて後は表題を入れるだけだ。
 二人の発表の内容は日本人の自殺に関するもので、どうしてこんなに自殺する人が多いのだろうという疑問に答えてくれるインターネット上の答えを探していた。そして、あわよくば格好いいタイトルも探してコピーしようと思っているらしい。
 寒い薬局の事務所で頑張っている二人の為に、温かい牛乳を作ってあげようと2階に上がった。思えばこんなことをするのは20年ぶりくらいだろう。2度目の子育てみたいなものだ。僕のを含めて3人分のコップに入った牛乳を持って降りると、タイトルが決まったらしくて枠の中にきれいに収めていた。「おとうさん、どうですか?」と尋ねられたので目を近づけてみてみた。すると幾何学的な緑の枠の中に、はっきりとタイトルが浮かび上がってなかなか旨いものだと感心した。ただしタイトルは最初から拝借するつもりでオリジナルではない。タイトルを確認すると「1日100人自殺する自殺大国の日本がマジ笑えない」だった。おかしいと言うより慌てた。彼女達にとって語呂がよかったのか、それとももっと正当な理由があってこのタイトルを拝借したのか分からないが、とても若い女性が演壇に立って発表するときに使う言葉ではない。このマジの意味を教え、品を落としかねないから使うべきではないと助言した。
 日本語もよく勉強しているからかなりのことは理解できるが、こうした落とし穴は必ずある。それに落ちることが外国人にとっては愛嬌だが、学習発表会の場ではさすがに使えない。二人といるといつも笑いが耐えないのだが、さすがにこのマジのコピペにはマジ緊張した。


2017年01月20日(Fri)▲ページの先頭へ
沈黙
 10時頃、ある方から電話がかかってきた。辛うじて落ち着きを保っているが、その時間帯に勤務している病院から電話をしてくるのだから何かあったのだろう。案の定、脈が飛び動悸がするらしい。不整脈の検査はしてもらったが病気が見つかったわけではなく、処方された薬も飲んでいない。結局は僕の漢方薬で解決して楽しく過ごしていた。
 何があったのか分からないが、急に動悸がし始めたらしい。病院でもらった薬を持っているから飲んでみようかと言うが、原因もないのにくれた薬だから薬自体にも不安を感じている。しばしの沈黙が続いたから僕が口を開いた。「もって行ってあげようか?」これで全て解決だ。まさか車で1時間近くかかるところに持ってきてとは言えないだろうから、どうしようか迷ったのだろう。沈黙の瞬間は策を色々めぐらせた時間なのだ。僕には切羽詰っている様子が十分伝わってきたから、あの答え以外にはない。安心したのか「午後から大切な会議があるんです」と最大の理由を教えてくれた。
 恐らく激務続きで体力を落として、久しぶりに不整脈を起こしたのだろうが、漢方薬で簡単に乗り越えることが出来れば、自信にもなるし、何よりも病気ではなくなる。単なる不調ですんでしまうのだ。命にかかわらないという理由で、不整脈の多くの方が薬を処方されない。不整脈の薬が不整脈を誘発するというデータが蓄積され、命にかかわる不整脈しか相手にされなくなったが、こうして不快に苦しむ人は結構いて、しばしば漢方薬を求めて相談に来る。
 僕が配達に行くわけではないのでえらそうなことは言えないが、いいことをするって気持ちがいい。医療従事者だからプライドもあるだろう、病院の玄関でさりげなく薬の入った紙袋を手渡すことにした。合言葉は「北の将軍様」「アベ」にしようと思ったが「プー沈」「アベ」、いやいや「トランプ」「アベ」がいいかな。


2017年01月19日(Thu)▲ページの先頭へ
平坦
 瀬戸内芸術祭の一会場である犬島へは、40年前に一度行っただけだ。小さな島で、中央に小高い山がひとつあり、どちらの方向に下りても、海に落ちそうな猫の額ほどの平地があり、家々が密集している。田んぼは勿論、本格的に耕作している畑もなかった。恐らく昔は漁業で生活の糧を得、100年前からは製鉄所で生計を立てたのだと思う。
 犬島で育った人で牛窓にお嫁に来たり、移り住んでいる人を何人か知っている。船でしか行くことができないところだが、やはり生まれ育ったところはいいと見えて、話によく出てくる。
 昨日もある70代の女性が面白いことを教えてくれた。バイクの免許を返納したから不便になったという話からだ。ある病気で困っていたので、息子の勤めているところに通ったらと勧めたのだが、足がないから今の病院から変われないと言った。峠を二つ越えなければそこには行けない。そこで僕が運動を兼ねて自転車で行ったらと提案したのだが、「私は島の人間じゃから自転車には乗れん(乗れない)」と言われた。島の人間だから乗れない、このことが理解できなかったから、尋ねると、島には平坦なところがないから自転車に乗る必要が無い。だから子供も乗る練習をしないというのだ。なるほど、縁がないわけだ。それなら乗れなくても不思議ではない。
 今の日本で自転車に乗れない人がいるということがにわかには信じがたかったが、説明を受ければ納得が行く。今の日本で携帯電話を持っていないと言うとにわかには信じてもらえないが、僕もまた何かのきっかけで理由を話すことがあるのかもしれない。平坦な土地がなかったように、平坦な人生がなかったからとでも話そうか


2017年01月18日(Wed)▲ページの先頭へ
皮肉
 第3次世界大戦をみたくないから、安倍晋三首相からのミサイル供与の申し出を断った――。フィリピンのドゥテルテ大統領がこんな「発言」をしたと、現地の日刊英字紙フィリピン・スターが15日に報じ、波紋が広がっている。
報道のもとになったのは、ドゥテルテ氏が同日、ダバオ市商工会議所の総会で行ったスピーチ。英語とタガログ語で、首脳会談をしたばかりの安倍首相の名前を挙げ、「安倍にも言ったんだ、私はミサイルは必要としていないと」と述べた。その後、ロシアのプーチン大統領のハッキング疑惑やトランプ米次期大統領に触れ、「もし第3次世界大戦が始まれば、それはこの世の終わりを意味する」と話した。
一方、その前段でドゥテルテ氏は、「安倍氏には軍事同盟は必要ではないと言った。私は外国の軍人がいない国を目指したい」とも述べた。

1兆円援助するわ、ミサイルを供与するわ、いったいかの国の今を、どの程度に捉えているのだろう。貧しくて無教養くらいに思っているのだろうか。ひょっとしたら70数年前と同じように、軍靴で足を踏み入れてもいいくらいに思っているのだろうか。
 それにしても「道理で」氏が反戦主義者だとは。数多の人間が日本に殺されたのを見ている親に育てられたからだろうか。アホノよりはそのあたりはしっかりしている。ただし2人とも憲法より己が大事なのは同じ穴の狢だ。
 世界で最も富裕な8人が、最も貧困な36億人分と同じ財産を所有しているとの推計が発表された。なんてことだと思うが、世の中を見ているとそれもなんとなく想像できる。毎日爆弾が落ちるところで暮らしている人など仕事もないだろう。家を失い、体の一部を失い、家族を失い、土地を失い、絶望と恐怖と憎しみ以外に何を持てるというのだろう。片や爆弾を落とせば落とすほど儲かる人間がいる。破壊に比例して富が転がり込んでくる。この壮大なる理不尽をいつまで人は許し続けるのだろう。まるで皇帝のごとく振舞う奴らの私兵に、いつの日か銃口を向けられるまで耐えるのだろうか。
 爆弾が落ちて出来た巨大な土埃の上を、鳩の群れが飛んでいた。なんていう皮肉。



2017年01月17日(Tue)▲ページの先頭へ
漢字
 長年の疑問が解けた。僕の疑問が幼稚なのか素朴なのか分からないが、納得だ。恐らくどの国にも同じような経緯があったのだと思う。
 もう10年位にはなると思うが、教会に行きだして、多くのフィリピン人と知り合った。そして数年遅れること、多くのベトナム人とも知り合った。そんな中である疑問が起こり、何度か尋ねてみたが、納得の行く答えを今だ聞いた事がない。それが数日前に毎日新聞で答えとなるような記事を読んだ。
 戦後アメリカは日本にローマ字を強要しようとしたらしい。漢字の使用を禁止してローマ字を唯一の文字にしようとした。理由は、戦前の漢字教育によって軍国思想が叩き込まれたと彼らが考えたからだ。それに賛同する日本人もいたが、国語学者たちが反対したらしい。そこでアメリカは、漢字テストをして、日本人があまり書けないならいっそのこと変えてしまおうと提案した。その結果、日本人の識字率はとても高くて、断念したということだ。要は、国語学者たちが漢字を守ったってことだ。  
 タガログ語もベトナム語も、何故アルファベットなのか僕にはどうしても理解できなかった。実際に聞くと分かるが、とても英語やラテン語、果てはドイツ語にイタリア語、どれとも似ていない。関係ないが、顔なんか天地の差がある。それなのに何故アルファベットで書いてしまうのか。その延長線で僕は、ひょっとしたらそもそも文字がなかった国なのかと思ったりもした。彼らに尋ねても、昔は中国の影響で漢字があったなどと教えてくれた。ではどうして漢字などを放棄したのだろうと思い巡らしたが、答えには出会わなかった。そんなときに読んだ新聞が上記のエピソードを伝えていてハッと気がついたのだ。恐らく戦後すぐの日本のように、植民地化されたときに強制的に固有の文字を奪われたのだ。恐らく資源や土地や財産などを奪われたのだろうが、とても大切な文化まで奪われたのだ。
 僕は外国人に日本語の豊かさをしばしば口にして、実際に日本語の中で美しい言葉と思われるものを紹介する。物やお金では買えないとても大切な財産だ。かの国々はそれらのものをあっさりと捨ててしまったのだろうか。精神を売り渡してしまったのだろうか。
 「オトウサン、ローマジダケダカラ ベンリ」と屈託なく笑うが、僕には哀れにしか映らない。年とともに日本語の美しい表現に気持ちを洗われることが多くなった。かの国の通訳などはそのことに気がついてベンリなどとは言わず、面白いと表現する。恐らく趣があるという言葉に近い面白いだと思う。日本人に生まれてきてよかったなどと誰かが喜びそうなことは言わないが、漢字が残っていて良かったとはつくづく思う。


2017年01月16日(Mon)▲ページの先頭へ
松葉杖
 レビー小体型認知症と言う言葉を次女三女から聞くとは思わなかった。僕らでも縁遠い言葉、いわんや一般の人にはなおさらだ。それをかの国の若い女性が口に出したのだから驚きだ。介護の専門学校ではそんな難しい事を教えているのかと感心した。少しずつ知識を増やして成長しているのを感じた。言葉のハンディーがあるのに立派なものだ。
 驚きついでにもう1つ。4人で話しているときに妻が用事で抜けた。台所の戸を開けて廊下に出たのだが、その後姿を見送っていた三女が、妻が和室に消えるや否や大声で笑い始めた。それもしゃがみ込んで。立ったままで姿勢を保てるほどの笑いではなかったみたいだ。よほどおかしかったのだろう。そしてその笑いが一段落つくと、その笑いの原因を実演して見せてくれた。
 もう1つ回復が遅い妻は時々松葉杖を使う。その時も松葉杖を使って部屋から出て行ったのだが、その姿が滑稽だったみたいだ。次女の実演は、杖をまず出して、その後よいほうの足を出し、最後に傷めた足を出す仕草だった。そうして数歩歩いた後、杖を持ち上げて歩く仕草をした。時々薬局にも杖をぶら下げて入って来る慌てものの老人がいるが、その姿そっくりだった。要は杖の役割を果たしていないのだそうだ。むしろ杖を支えているようなものだ。「まず杖の後はカンソク、その後ケンソク」と教えてくれたが、言葉の意味が分からなかった。ちょうど松葉杖の講習があったばかりらしくて、次女と三女が合唱で教えてくれるのだが、頭に浮かんだのは「観測?」てなところだった。
 結局、専門用語で患足、健足のことだと分かったのだが、専門的な知識を蓄積して行っている姿をリアルタイムで見ることが出来るのはなかなか嬉しいものだ。少し僕の職業とも重なるところがあるので、頼もしく感じる。ちょっとした偶然から始まって、少しばかり運命を重ねようとしている。人生とは面白いものでもある。、


2017年01月15日(Sun)▲ページの先頭へ
結婚式
 帰ってくるなり、三女が「オトウサン、今日私 日本の 悪いところ 見つけた」と驚きの顔で教えてくれた。
 牛窓のホテルでアルバイトをさせてもらっているのだが、今日は結婚式で忙しかったらしい。まだアルバイトを始めたばかりで、結婚式の手伝いなどは出来なかったみたいだが、垣間見ることは出来たのだろう。「日本の人 クリスチャンでないのに、教会のような結婚式した」と言うのだ。「あの人 神父様でないでないですよ。どうして 神社で しないですか?」と問われた。
 かの国はフランスの植民地だったせいで、立派な教会がたくさんあり、クリスチャンも多い。僕がかの国の人と深くかかわるようになったのは、教会に連れて行くようになってからだ。彼女達と行動をともにして、日本人の信者以上に生活の中に宗教が根付いていて、敬虔な信者が多いことに気がついた。だから次女は今日の結婚式がカトリックの結婚式でないことをすぐに見抜いたのだろう。「日本人は、外国の習慣を取り入れるのが得意だから、こんなことはよくあることなの」と答えたが納得できないらしくて「遊びでしょう?」と言った。遊びと言う言葉が彼女の気持ちを正確に表現出来ているのかどうか分からないが、さしずめ「違うだろう!」くらいなイメージか。
 日本に来て、2つの学校に行き、いくつかのアルバイトをし、日本人と暮らす。僕の青春時代などとは比べ物にならないくらいの経験をしている。それを財産にこれから生きていくのだろうが、いずれ今来日中の多くの同胞とともに、おのおのの場所でリーダーになっていくのだろう。それを目撃することは僕には出来ないが、そうした姿を想像しながら一つ一つの疑問に答え、経験を積んでもらえるように心がけている。





2017年01月14日(Sat)▲ページの先頭へ
 なんとなく見ていたニュースでも、その額を聞いたときにはさすがに正気に戻った。「なに1兆円援助?」
 いったい、そのお金の出所はそもそも何処なのだ。僕のもきっと含まれていて、数千円か数万円は僕のものだ。「僕みたいな庶民から集めた金を、自分のものみたいに使うな!」最早憤りのみだ。やることなすことが気に食わないからストレスだらけで、ニュースなど最近はまともに見ることが出来ない。太鼓もちのアホコミが、つまらない映像を流すから、テレビをもう電気屋さんに頼んで捨ててやろうかと思ったりする。
 あの国に1兆円上げて何を得ようとしているのだ。土木や建築に日本の企業を行かせて、金をお友達企業に還流させようとしているのか。それとも、もっともっと問答無用を推進させようとしているのか。日本でも真似てやりたいのか。
 この国の人たちに、その金を使ったらどうだ。見渡せば、幸せから遠く離れて暮らしている人が一杯いる。孤独の中で誰の助けも呼べないまま暮らしている人が一杯いる。机の前に腰掛けパソコンを操作するだけで錬金術さながらに稼ぐ人種がいる一方で、体を機械のように酷使して悲鳴を上げながら働き、生活するにやっとの金しか稼げない人がいる。悲しいことにそちらのほうが圧倒的多数で、力をあわせることに得てていないから、まるで生かさず殺さずの時代錯誤そのままだ。
 醜い顔をした政治屋が一気に増えた。見るに耐えない形相をしている。貪欲と狡猾そのものの表情をしている。汚れそのもので作られた形相だ。そうした奴等に何を託したのか知らないが、生かさず殺さずが、もうじき生かさず生かさずになる。是非お先にどうぞ。僕は選んでいないから。





2017年01月13日(Fri)▲ページの先頭へ
移住
 今週は毎日のように町内の学校を訪ねている。毎年恒例の学校の環境調査のためだ。僕が牛窓に帰って来た頃に比べると格段に環境はよくなり、調べなくても良いのではと思いながら、各学校を訪ねている。
 西小学校に行ったときに面白い事を先生に教えてもらった。と言うのは、過疎化して生徒数が激減しているにもかかわらず、ある学年が突出して生徒数が多かったのだ。他の学年の倍、少ない学年に比べたら3倍くらいいるかもしれない。当然、僕はその理由に興味を持った。理由は、原発避難を含めた都会避難の家族が西小学区に増えたからだそうだ。何でも、災害が少ない県としてまず岡山県を選び、気候温暖な区域として瀬戸内市を選び、海の傍と言う条件で、牛窓が最後に残るのだそうだ。それに牛窓土人の僕が付け加えるとすれば、人のよさで鹿忍地区(西小学区)を選ぶのだろう。
 牛窓町は牛窓、長浜、鹿忍の3つの地区から成り立っているが、無理やり特徴をつけるとしたら、クールな牛窓、お百姓堅気の長浜、人情の鹿忍だ。牛窓は中心だから何処となくクールだが、長浜や鹿忍は人がとても穏やかでいい。もし隣人にでもなれば野菜などくれまくりだろう。恐らくそうした事に心地よい思いをした移住先駆者達がネットワークを利用して誘っているのではないかと思う。
 どうしても口にしないといけない親密さ、或いは迂闊を除いて、決して東のものを口にしない楽しくて安全な生活が送れる。貪欲な企業のいけにえにならなくてもすむ人生が送れる。そうした価値観の人にはやはりうってつけだろう。


2017年01月12日(Thu)▲ページの先頭へ
 この二人が、頑として僕の言うことを拒否したのは初めてだ。
 次女と三女と一緒に暮らし始めて、僕が気にかけていることの1つが食事だ。ぎりぎりの生活をしていたから、ろくなものは食べていないはずだ。だからごく普通の食事をしてもらうこと、そして安全なものを食べてもらうこと、この2つはなるべくかなえようと思っている。
 そこで、毎週妻が利用している生協の宅配サービスのパンフレットを見て、喜んでもらえそうなものを注文した。それが届いたから早速僕の一押しの料理を妻に作ってもらった。喜ぶことは請け合いだ。それより何よりもこの僕自身が楽しみにして待っていた。と言うのはもう何年も、ひょっとしたら何十年も鯨の竜田揚げなど食べていないからだ。僕の記憶の中では最高の味なのだ。
 冷凍庫の中の袋を見つけた二人が怪訝そうな顔で僕に問うた。「オトウサン、これ鯨ではないですか?食べますか?」と。僕は今夜食べると、当然喜んでもらえると思って答えたが、二人が妙な質問をする。「オトウサン、鯨を食べてもいいですか?」僕は二人が反捕鯨の思想を持っているのかと思って驚いたが、そうではなかった。なんと、かの国では鯨は神様なのだそうだ。だから決して鯨は食べないそうだ。僕は、日本人は鯨を昔から食べていたこと、なんとも言えぬ美味しさってことを伝えたが、食べようとしない。いくら僕が美味しかった記憶を話しても「食べない、食べられない」を繰り返すだけだった。まして次女は海上生活者だから、海の神様を食べるようなことは出来ないし、食べればお父さんに不幸が降りかかると言っていた。
 そこまで教えてもらってむげに食べろなんてことは言えない。犬や猫を食べる国の人間がどうして鯨の肉を食べることが出来ないのか最初は疑問に思っていたが、理由を聞いて納得した。
 しかし僕がそれを聞いて食べるのを止める手はない。あの懐かしい味を楽しまない手はない。食卓に並べられると記憶が甦る。あの至福の味。ところがいざ口にしてみると全く記憶の味と違う。この世のものとは思えない味・・・・だったはずなのに、この世のものにしか思えない。次女は香りをかいで「人間の肉のよう」と言った。それを聞いて余計美味しくなくなったが、確かに待ち焦がれて食べるほどのものではない。あまりの落胆振りに妻が「イルカだったんじゃない」と止めを刺してくれた。
 食べ物がなかった時代に肉の塊を食べられたのだから、よほど美味しかったのかもしれない。実際よりも何倍も美化していたかもしれない。ああ、これでもう食べる必要も、食べることもないだろうと思った。調査捕鯨などと姑息な手段で捕った鯨を食べる後ろめたさからも卒業だ。


2017年01月11日(Wed)▲ページの先頭へ
高橋真梨子
 インターネットでその窮状を知ったから、そしてその状況から脱出の兆しも見えていないみたいだからメールを送った。読んでくれるのかくれないのか分からないが、一言伝えたかった。何の病気か知らないが、体調不良でかなりやせているらしい。やせているのを太らせるのは難しいが、そして原因がはっきりとしていないものを治すのは難しいが、僕なら出来ると直感した。いや、もう少し謙虚に、漢方薬なら出来ると直感した。だから、どうでもいいことなのだが漢方薬と言う選択肢を加えたらどうかと助言した。
 1度、ある政治家にもメールしたことがある。勿論戦争をしたがりの党の人間ではない。新聞報道で知って、これもまた漢方薬の適応だと直感した。報道で足元にも及ばない超有名病院にかかっていることを知っていたが、そんなところでも治すことができない病気は一杯ある。そんな隙間みたいなところで活躍しているのが僕達の漢方薬だ。もっとも僕がそんな人のお世話をすることは出来なかったが、丁重な断りのメールが届いた。
 漢方薬全般に言えることだが、気力体力を改善しながら、訴えの症状を取るようにするから、驚くような結果をもたらす場合がある。彼女に、どんな過去があり、どんな人生があったのか知らないが、笑いながらまるで冗談のように治す。こんな低次元薬害師との縁もいいかもしれないのに・・・











2017年01月10日(Tue)▲ページの先頭へ
誤解
 昨日、昼から母の施設を訪ねた。母がお世話になっている施設は、母が生まれ育った実家から数百メートルしか離れていない。その家が峠から見下ろせるあたりに、大きな池がある。その池を横目に見ながら峠を下るのだが、そこを通るたびに母が幼い時の話をした。なんでもその池で泳いでいて溺れそうになったのだそうだ。どう見ても灌漑のために作った人工の池だから、堰から急に深くなっているだろう。水面もいつも青々としているからかなり深いと思う。
 母の実家は即、僕が幼い時に預けられていた家でもある。薬局をやっていて5人も子供がいたら、世話が出来ない。そのせいで僕はしばしば預けられ、農家の子の様に育った。優しい祖父母とおばがいて、幸せな幼少期だったと思う。
 そうした記憶を思い浮かべながら峠を下っているときに、ふるさとと言う唱歌が頭に浮かんできた。僕はいつまでその歌の詞を誤解していたのだろうと最近考えたことがある。と言うのは、僕と同じような誤解をしていた人の文章を読んだからだ。その時、「ああ、僕だけではなかったんだ」と思ったし、ひょっとしたらかなり多くの子供達が、いや若干の大人も含めて誤解しているのではないかと思った。古文と現代国語を習う国だから仕方ないが、そして何を勉強していたのだと言われるかもしれないが、同じ過ちを繰り返さない(戦争か!原発事故か!)為にここで披露する。

(元歌)
兎(うさぎ)追いし かの山                
小鮒(こぶな)釣りし かの川               
夢は今も めぐりて、                   
忘れがたき 故郷(ふるさと)               

(僕の勘違い)
うさぎ美味しいか 野山君
小面憎いか 野川君
夢は今も めぐりて
忘れた 敵 故郷(ふるさと)



2017年01月09日(Mon)▲ページの先頭へ
色紙
 「永いき死たい」意味不明?或いは深い意味がある?なんとなくその色紙を見入ってしまった。
 牛窓を出るときには小雨が降っていて、玉野に着く頃には日が差して車の中は暑くなった。ただ若干の風でも体感温度は一気に下がるので、母を施設の外に連れ出すのは躊躇われた。そのせいで施設の中を母の車椅子を押してゆっくりと散策した。そこで見つけたのが、壁に10数枚貼られていた色紙だ。おのおのに名前と今年の抱負が書かれていた。字は僕以上に乱れているから、読むのに苦労するが、想いは伝わってくる。「酉年」などと心のうちを旨く表現することができていないのもあったが、大半は心のうちが伝わってくるものだった。そして気持ちを表現している色紙の中で冒頭に上げたもの以外は、すべて健康に関するものだった。全員が表現に違いはあるものの「健康で暮らせるように」と書かれてあった。
 多くは痴呆だが、色紙に自分で字が書ける人は、肉体的なハンディーで施設に入っているのだろう。だから多くの人は痛みか、心臓病などの不快さか、活動制限で苦しんでいるはずだ。だから健康とか元気と言う表現を用いるのだろう。少しでも痛みから逃れたい、少しでもしんどさから逃れたい、少しでも不自由から逃れたいのだろう。何歳になってもその思いは共通だ。その想いがひしひしと伝わってくる。
 僕は冒頭の色紙を見つけたときに、死にたいと表現したものだと思った。長生きし過ぎたと読んでしまった。しかし他の色紙を読み終えたときには、「死」が「し」の単なる間違いだと分かった。「長生きしたい」の間違いだと気がついた。十分長生きしているはずなのだが、もっともっと生かせて欲しいと願っているのだ。
 筋肉も脂肪さえも落ちて、骨の周りに皮を張っているだけのような姿になっても尚、健康で長生きしたいという希望を持つことが出来るのが人間なのだろうか。不遜な先入観で言葉の意味を解釈しようとした自分の未熟さを思い知らされた。近い将来、僕は差し出された色紙になんて書くのだろうと思いながら母の手を握った。


2017年01月08日(Sun)▲ページの先頭へ
音声入力
 今朝ある所を訪問した。訪問するや否や、必要事項を書かされた。と言うか打た?された。と言うのは、本来なら住所、氏名生年月日などアンケート用紙に書かされるが、そこは違った。言葉遣いが間違っているかもしれないが、アイパッド?を渡された。レポート用紙くらいの大きさの薄っぺらいパソコンみたいなものだ。なんとなく受け取ってしまったので、僕が使えない、触ったこともないことを伝えるタイミングを失った。ただ、毎日パソコンを使っているので、あながち使えないことはないだろうと思って、郵便番号から打ち込んでいった。始めてみると、ほとんどパソコンと同じだから結構旨く打てた。ところが何故か番地の数字が打てなくなった。どこかを操作すれば数字が現れるのだろうと思って、色々な印を押してみたがどうしても出来なかった。仕方なく受付の女性を呼んで番地だけ入れてもらった。
 女性は心配して少しの間一緒に操作してくれたが、おおむね出来ると思ったのだろう、受付のカウンターに戻った。来所理由のところの画面で、日本語入力をしようとして色々な印を押しているうちに「音声入力」の画面が出てきた。僕は今まで音声入力できる機械に触れたことがなかったので、そして珍しく好奇心を刺激され、果敢に挑戦してみた。
 「ボクガ キョウ ココニキタリユウハ ユウジンカラ ショウカイサレ ・・・・」どこにマイクがあるのか分からなかったから、よく聞き取れるように、ゆっくりとはっきりと声を出した。まるでロボット相手に喋っているように周りの人には聞こえたかもしれない。それが証拠に、近くにいた若い女性達が笑っていた。「ココヲオトズレテ スグニ キヅイタコトガアリマス・・・」アンケートに協力してあげようと思ったので、なるべく詳しく書いてあげようとした。ただ、喋っている言葉がいつ画面に現れるのか分からなかった。正しく日本語に転換出来るのか不安だったが、文字を打たなくて良い便利さは痛感した。面白いので、もっと気がついたことを書こうとした矢先、カウンターから身を乗り出してさっきの受付の女性が「お客様、それは音声入力できないんです」とばつが悪そうな顔をして教えてくれた。
 ガチョーン!この数分間の出来事を文字化けして消してしまいたかった。


2017年01月07日(Sat)▲ページの先頭へ
誤算
 「無駄なことは何もない」と言ったのはもう10数年前に過敏性腸症候群を完治させた娘だが、同じ言葉を昨夜次女が口にした。
 数日前から不注意の後遺症で妻が家事が出来ない状態だ。我が家に年末から一緒に暮らしている次女三女に「お父さん達が自分達のお世話をするより、自分達がお父さん達を世話してくれる確率のほうが高いよ」と言っていたのだが、正にそれが現実のものになった。それもまだ2週間しか経っていないのに。
 昨夜も2人に食事を作ってもらうことにした。それまでは妻が買い置いていた食材で何とかなったが、昨日から冷蔵庫は空きスペースだらけになった。二人が何か相談しながら紙に必要な食材を書き出していたからお金をことづけた。そこまでしか僕はかかわれない。
 仕事が終わって2階に上がってみると食卓に料理が並べられていた。狭いテーブルの上が一杯だった。チャーハンとスープと鮭の・・・なんて言うのか分からない。野菜と一緒にホイルで焼いていた。僕はかの国の料理は全然ダメなので、まず匂いをかぐ。そして受け入れられる匂いなら恐る恐る口に運ぶ。香りがよかったから期待させる。そして味はといえば・・・どれも、とても美味しかった。
 意外にも全くかの国の料理特有の臭みがない。臭みなどと言うと失礼だが、にんにくを多用する料理が多いから、僕には臭く感じる。実際に寮に遊びに行っても料理が始まるとちょっと閉口する。ところがそんな懸念は全くない。とにかくおいしいのだ。こんな料理も作れるのかと不思議だったので、「これ、国の料理に国のスープ?」と尋ねてみた。すると暮れまでアルバイトをしていた介護施設で覚えた日本料理なのだそうだ。なんでも週に一度は、彼女達が料理の担当だったらしい。道理で美味しいはずだ。どのくらいのレパートリーがあるのか尋ねると一杯あると答えた。これは嬉しい誤算だ。彼女達と同居するようになって、妻が4人分を作っていたが、この分野でも彼女達の世話になることが出来る。出てくるおかずの種類も増えそうだ。
 管理者に対する不信感でそこからの援助を断って僕のところに来たのだが、こうした恩恵も受けていたのだ。そこで僕が「いいこともあったんじゃない」と言うと「ムダナコトハ ナニモナイ」といつか聞いた言葉で返した。
 


2017年01月06日(Fri)▲ページの先頭へ
勝負
 そう言えば歯科医が、神経を取っているからいつ歯が抜けるか分からないと言っていたような気がする。実際には抜けるというより欠けたイメージだが。ただ欠けた部分が多すぎて残っているのがわずかだ。元旦早々、あの堅いフランスパンを前歯で噛まなければよかったと思うが、早晩同じ運命を辿る歯だったのだろう。
 それにしても前歯がなくなるなど想像しなかった。鏡で見るとなんとも恐ろしい顔をしている。ますます老け顔になりなんとも痛々しい。しかし、唇で歯がない事は隠すことができると思っていた。ところが翌日神戸にかの国の女性9人を連れて行くために邑久駅で待ち合わせをしたのだが、会うや否や、通訳の女性がこういった。「オトウサン、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。オトウサン 歯がなくなったのですか?」かの国の人は身長が低いので僕の口を見上げるようになる。だから見えたのだろうと思ったが、それ以降、僕は笑うときに口を大きく開けずに、おちょぼ口で通すようになった。でも、数日経った今日など、以前と同じように大きな口をあけて笑っている。数日の時間経過の中で、恥ずかしさはなくなり、どうでもいいやくらいの居直りが出来るようになった。老いを隠してどうなると思い始めたのだ。考えてみれば、しみ1つなかった僕の顔に、最近になって初めてしみを見つけた。恐らくかの国の女性達を連れて太陽の下に出ることが増えたからだろう。しみも結構老いを感じるネタになる。また、随分と前から髪もうすくなった。着実に老化は進んでいる。
 その一つ一つの老化現象は、招かれざる客ではあるが、避けることは絶対出来ない。だからそれらを初めて発見したときには、それなりの衝撃はあるが、結構認めるというか慣れるものだと最近では思っている。だからいたずらにショックを受ける必要はない。数日も経てば、歯がなかろうと、髪の毛がなかろうと、しみが出来ようと慣れるものだ。結局この慣れによって人間は救われているのだ。これは癌になった患者さんと同じ過程を辿る。癌を発病した人は最初は決まって「何故この僕が」と受け入れを拒むそうだ。そのうち不思議なもので、受け入れられるようになり、又立ち向かって行こうとするのだそうだ。
 ただ老いに立ち向かう必要はない。特に見かけの老いに対しては。筋骨が衰えて立ち居振る舞いに支障が出るのは辛いから、筋トレやウォーキングに励むのは必要かもしれないが。
 子供なら蛇でもかわいいが、老いれば犬でも醜い。それが自然だ。残るは、ほとばしり出る内面の美しさだが、これをもっとも苦手としている。勝負あった。


2017年01月05日(Thu)▲ページの先頭へ
天晴れ
 ヤマト薬局の特徴は笑いが絶えない事。僕はいつもそう心がけて来た。実際、病気の人が来てくれる割には笑い声は多い。深刻ぶって病気が治るなら僕はそうするが、やはり人間の体は弛緩こそが治癒への近道だ。まして緊張を強いられ続けている現代人ならなおさらだ。
 40年も前から僕を笑わせ続けている人がいる。大学を卒業して2人とも牛窓に帰って来た。そこで何か面白いことをしようと相談し、バレーボールをすることになった。同じくらいの若者を集めて素人バレーを楽しんだが、25年の間、僕達は毎週日曜日の夜、2時間笑い続けた。そしてその笑いの中心には僕と彼がいて、自然に僕が突っ込み、彼がぼけの役をした。チームメートは勿論、ひょっとしたら相手チームまで25年間笑い続けることが出来た。
 そんな彼は、年金が入るとあっという間にエタノール入りの飲み物に換える。最近、食事、コーヒー、酒と引き換えにあるお店の手伝いをしている。お金をもらうよりいいのだそうだ。もしバイトでお金が手に入れば、命を養うものより早く競馬や競輪やボートに消える。だから、このシステムがいいのだそうだ。
 昨日バスの時刻まで時間があったみたいで、ぶらっと入って来た。コーヒーを飲みながら少し意地悪な質問をしてみた。「〇〇君、貯金あるの?」と。すると彼はすぐに「そんなものあるもんか。年金が入ってきたときは少し増えるけど、あっという間に1000円くらいになる」と答えた。僕は笑いながら、いつか尋ねてみたかった最大の関心ごとをぶつけてみた。「怖くないの?」すると彼は笑いながら「怖いことあるもんか、死んだらすみじゃ。後は知らんわ」と答えた。居直りでもなんでもない、何十年の付き合いで分かる。彼はお金を借りるとき以外は嘘をつかない。
 そう怖くないんだ。だからいつもお金がなくなるまで酒を飲みタバコを吸う。普通ならいくばくかを貯金に回していざと言うときのために備えておきそうだが、彼にはそうした心配がそもそもないのだ。数年先の不幸より、今日のエタノールのほうが関心ごとなのだ。
 天晴れと言うしかない。その度胸は僕にはない。そうした生き方はひょっとしたら楽しいのかもしれない。世間的に見れば負け組みのごとき暮らし方だが、本人に自覚がなければ、むしろ失うことを恐れて毎日おびえるように暮らしている人間のほうが哀れに映るかもしれない。
 今日エタノール入り飲み物を飲んでいないと、明日飲めるかどうか分からない。患って逝くことを前提としない楽観も又天晴れだ。


2017年01月04日(Wed)▲ページの先頭へ
決断
 他の方にもこんなタイプは多いのではないかと思うが、自分でも嫌になる。
 何かやりたいと思えばすぐに道具をそろえる。サクソホーンもその中のひとつだ。テイクファイブをサクソフォーンで吹いてみたいと思っていたから買った。もう10年位前のことだ。教則本を買ってきてやってみたが埒が明かない。そこで偶然ある若者を知って頼んで教えてもらい始めたが、すぐに結婚を機に終わった。数回教えてもらっただけで何も残らなかった。その後サクソフォーンに触ることはなかった。娘が一時興味を示し、アパートに持って帰ったが、就職と同時に丁寧な梱包で送り返されてきた。以来押入れの高いところに閉じ込めていたから、僕の目にも心にも触れることはなかった。
 玉野教会に来ているかの国の姉妹を丸亀の第九に連れて行ったときに「オトウサン バイオリン ジョウズ サクスフォーン ジョウズ」と言った。かの国の人が、その子たちのお父さんと言う年齢の人が、サクソフォーンとバイオリン?正直耳を疑った。しかし、よくよく聞いてみると、教会で演奏する係りだそうで、それなら納得だ。ところがかの国のサクソフォーンは質がとても悪くて、お父さんはかねがね日本の楽器を欲しがっていたらしい。その憧れの日本に娘達が働きに来たことになる。父親の夢を知っていたから、日本で買えないか調べたらしいが、とても手が出る値段ではないことを知って諦めていたらしい。何の目的もないごく普通の会話だったのだが、僕はその瞬間決めた。あの使われずに眠っているサクソフォーンをプレゼントして、是非楽器に命を与えてもらおうと。このまま僕のところに置いていては、恐らく楽器として使われることは二度とないだろう。恐らく大きなゴミとして僕が死んでから捨てられるはずだ。それなら、吹ける人、そして欲しい人の手に渡そうと決めた。
 2人を3階に案内し、押入れを開けおもむろに梱包された大きな荷物を下ろした。娘が送ってきたまましまっていたので、送り状にサクソフォーンと書いてある。それを見つけた姉妹は、言葉にならないような大声を上げて驚いていた。姉のほうは涙を隠すようにしゃがみ込み、妹は機関銃のように「アリガトウゴザイマス」を繰り返した。その後、つたない日本語で、もらうわけには行かないようなことを繰り返したが、一緒に3階に上がってきた次女に、母国語でオトウサンの真意を説明するように頼んだ。次女は僕の性格を知りきっているので、頷いてから何か喋っていた。僕はその言葉を理解できないが、彼女を信頼しているので任せた。すると二人はわかってくれたみたいで、感謝の気持ちだけを口にするようになった。
 2人の喜びようを見て、僕の判断が正しかったことが分かった。と言うのは本当は少しは迷ったのだ。何かのきっかけでサクスフォーンを吹けるチャンスが巡ってくるのではないかと思ったのだ。しかし、この10年そんなチャンスが巡ってこなかったのに、ますます老いるこれから余計そんなチャンスにめぐり合うとは思えない。そしてこのサクスフォーンにとってどういう選択が一番いいのかを考えて、あのような決断をした。僕にとってはほとんど粗大ゴミでしかない楽器が、人々を感動させることが出来るかもしれない。
 手放すことで価値が生まれるなんて、持ち主にとっては屈辱的だが、これからの僕に可能性として残っているのは、良い演奏が出来る人になることではなく、良い演奏を楽しむことが出来る人間であることだ。そう考えると断捨離は心を軽くしてくれる。




2017年01月03日(Tue)▲ページの先頭へ
幸先
 僕の中では、これが牛窓ベスト3なのかと思うが、実際には「僕の家から近く」のベスト3だろう。2時間くらいの短い素人案内だったが、得ることも多かった。
 これは付録扱いでいいが、最初に行ったのが、匙屋さんと言うお店。手作りで匙を作って全国販売をしている人だが、縁あって母が住んでいた家を使ってもらっている。自由に手を加えていいと言う条件なので、そこは職人さん、徐々に徐々に、御自分の感性に合うように古い家を作り直している。今日は閉まっていたが、外観も随分とそれらしくなり、ガラス越しに覗いてみると工房が一目で分かり、僕などがもっとも縁遠い魅力的な空間を作り出していた。いずれそこにカフェが併設されるらしいから牛窓の人気スポットになるかもしれない。その事を僕自身も大いに期待している。
 牛窓海水浴場は、波がほとんどなく、透明度も高くとても穏やかな気持ちになれた。三々五々楽しむ家族連れはあったが、砂浜の時間は止まっていた。秒単位で動かされる現代人には、その緊張から解き放たれる場所になるかもしれない。玉野教会で知り合ったかの国の姉妹と、牛窓の介護施設で働いているかの国の女性が、遠くから近づいてくる船をバックに一杯写真を撮っていた。真夏の喧騒よりは魅力的だった。覚えたての日本語で「きれい、きれい」と繰り返していた。
 次に向かったのがオリーブ園。1度廃れかけていたが、今又復活しつつある。廃れた時期を知っている僕には不思議な感覚だ。誰の意図と力で復活したのかよく分からないが、案内した人の誰もが喜んでくれる。誰かが言っていたが、牛窓の海は島の配置が絶妙らしい。その言葉を聞いてからそういう風に見始めたからかもしれないが、正にその配置の妙に頷かされる。嘗てオリーブ園には、オリーブの画家と呼ばれる佐竹徳画伯が長い間住み着いていて、オリーブの絵ばかり書いていた。時折見かけるその姿は単なる品のある老人でしかなかったが、絵1枚で家が建つなどと教えられ、外見だけで判断してはいけないという戒めにも一役買っておられた。頂上の広場で何組かの人が、銀色に光る海に浮かぶ島々を見下ろしてゆっくりとした時間を過ごしていた。遊ぶための何かが用意されているわけではないのに、ここまで登って来たい人がいる事がよく分かった。牛窓は他所からやってくる人にはどんな魅力があるのだろうと、長い間疑問に思うばかりだったが、言葉に出来ない何かがあるのだと今日は確信した。しいて今思いついたことを書くと「牛窓の景色は、眺めるだけでα波が優位になる」とでも言えようか。
 最後に案内したのがホテルイルマーレ。ここは結構穴場で、まさに日本のエーゲ海を髣髴させる場所だ。日本のエーゲ海を名乗る資格があるとすればここからの眺望だろう。鹿歩山の頂上付近に建つホテルだが、見下ろす海との距離が近い。前島、黒島、黄島も随分と近くなる。このホテルは知る人ぞ知るという表現が似合うと思う。ランチを食べに行ったのに予約で一杯で諦めざるを得なかった。結構ここは食べられずに景色だけ頂いて帰ることが多い。あの眺望で頂く食事の付加価値を常連の人達は知っているのだろう。ここもまた100%案内したら喜ばれる。
 2階で玉野教会の姉妹、介護施設の職員、そして次女三女が足を痛めた妻を手伝って夕食の用意をしてくれている。日本で暮らすには料理を作ることが絶対必要だからどの子も料理が上手だ。僕はかの国の料理は口に合わないから食べないが、恐らく今作っているのは日本料理だと思う。お正月の風習を少しだけでも体験してもらえればと思っている。
 3が日が終わる。微力ながらも世のため人のため。僕ら世代でそれを除けば何も残らない。どうせなら自分の存在に意味を持たせたい。元旦にフランスパンをかじって前歯が折れた。どん底からの出発。幸先良し。


2017年01月02日(Mon)▲ページの先頭へ
試練
 食事中と言うのに、次女と三女が真剣に悩んでいる。理由を聞くと、冬休みが後二日しかないのに、宿題がそれぞれ残っているそうだ。その中で、2つは何とか出来そうなのだが、残り1つが問題なのだそうだ。未提出だと困りそうだから何か手伝えることはないかと尋ねてみた。すると二人が「この宿題だけは出来ないです」と声をそろえて言うので、それでは保証人の僕としては困るので、もう1度聞き直した。
 すると、どうしてもできない宿題がわかった。それは紙おむつを実際に付けてみて、その感想を書くことなのだそうだ。その紙おむつは学校から支給されているからそんなに難しくなさそうなので、「紙おむつを持っているなら数分で済むことではないの」と急かした。すると、紙おむつをつけて実際におしっこをしてみることなのだそうだ。なるほどそれならハードルは少し高い。失敗してはいけないので「うちで売っている物を貸してあげるわ」と提案すると「お父さん、その紙パンツをはいてスーパーで買い物をしなければならないんですよ」と大声で笑い始めた。なるほどそれはハードルをかなりの高さに上げてしまう。若くて美しい二人が、尿をしみこませた紙パンツをはいてスーパーに出かけるのはかなりの勇気と、介護を受けている人への尊厳が必要だ。そのどちらかが欠けても出来ないだろう。
 介護を志す若者達がこんな試練をくぐって、現場に立っているとは思わなかった。「あと20年くらい待ってくれればお父さんが実際にして感想を書いてあげる」と言うと「お父さんは、いつまでも元気でいてください」と言ってくれた。家族以上の家族だ。


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