栄町ヤマト薬局 - 2016/11

漢方薬局の日常の出来事




2016年11月30日(Wed)▲ページの先頭へ
湯葉
昨日夕方、僕がお願いしていた湯葉が届きました。ありがとうございました。
京都の患者さんで僕が世話になっている人がいます。
その人がお土産にくれて初めて口にしたのが湯葉と言うものでした。
全く知識が無くてその美味しさに驚きました。
何度も京都に行きましたが、買い物が苦手なので自分で買うことはありません。
今朝早速頂きましたが、形や味を思い出しました。2年くらい前でしょうか、一度食べただけで、実際の姿や味よりも印象のほうが強くて、
「思い出しました」。ほとんど具体的な記憶は無かったのです。
もう一度何かの偶然があれば食べてみたいと思っていたので、あなたの申し出に甘えてしまいました。
八橋より断然良いです。僕もやっと大人になったのかな。いやいや老人になったのかな。
堅い焼いた八橋、やわらかい生の八橋、湯葉。この変遷がそれを物語っています。
嘗て青年期には、わざわざ岐阜からイノダのコーヒーを飲みに行ったこともあるのですが。
高田渡と言う人の歌に誘われて。堅い八橋の前にこの体験を置くべきでした。
僕自身の人生はもう終わりましたが、あなたや京都の人のように、僕と縁が出来た人には幸せでいて欲しいと思うのです。
今朝一包装を食べてしまいました。残りの一つを又自分で食べるか、娘夫婦に上げるか、これが今日の夕方までの心の葛藤です。
ヤマト薬局


2016年11月29日(Tue)▲ページの先頭へ
精一杯
 この数年、僕は基本的には病院の処方箋調剤にはかかわっていない。漢方薬で精一杯と言うと格好がいいが、ついていけないというのが本当のところだ。数多の薬が新しく作られ、保険診療に採用される。その1つずつを理解して覚えていくことがもう無理になった。それに比例して興味もモチベーションも無くなった。そしてそうした全ての前提に勿論、薬剤師の存在意義があまりにも小さいことがある。経済的には処方箋調剤が一番利益が上がるが、どうも僕には向いていない。
 娘夫婦が忙しく薬を作っているときに、僕が処方箋患者を応対することはある。今日もある患者さんが手持ち無沙汰に薬が出来るのを待っていたので話しかけてみた。年齢からすると僕の15年後くらいを生きている人なので、どうして日々を暮らしているのか興味もあり、あわよくば参考になることでもないかなと思ったのだ。
 日々どうして暮らしているのか尋ねたら、本を読むかテレビを見るかだった。定年まで都会で働いていた人だから、牛窓の景色は好きらしく、家の近くに都会からやって来た人が開いているカフェに入りびたりだったらしいが、75歳を超えてから足が次第に遠くなり、今はもっぱら家で時間を潰すらしい。本を読むといってもほとんどが小説で、難しい本は読めなくなったと言っていた。
 「75歳までは大丈夫ですよ」「今でも挑戦しようと思えば行けると思いますよ」と言うのは、東京まで車で行くことだ。これには驚いたし、これこそが僕が引き出したかった言葉かもしれない。「やはり動くのが良いですね。じっとしていたらダメです。旅がいいのではないですかね」と言い始めたときに、ここまで嬉しくなる様なことを言ってもらえるとは思えなかった。実は僕は車を運転することが好きでもないし慣れてもいないから、東は姫路、北は新見、西は福山、南は丸亀辺りまでなのだ。それを越える所に運転して行ったことが無い。もっぱら電車だ。それなのに、僕のまだ遠い10年先に、軽自動車で東京まで運転していける可能性が出てきた。彼は既に20回くらい、ぶつかったら電話帳の厚さになりそうな軽自動車で東京まで行っているらしいのだ。「泊まるのはビジネスホテルで安上がりだし、食事は外で食べるのが安くて楽しみでしょう」なるほど、旅館に泊まって食べきれないくらい料理を出されてもお金を捨てるだけだ。なかなか参考になる。引退後が苦痛の日々のようには思えなくなった。
 一度挑戦してみたいのが神戸だ。水族館が好きだから須磨の水族館に行ってみたい。何年か前、かの国のイルカを見て見たいという若者を2人連れて行ったが、喜んでもらえるのは嬉しいが費用対効果から言えばどうかなと、その後二の足を踏むばかりだった。もし新幹線を使うことなく行けるなら、格安ツアーになる。「慣れですよ」といとも簡単に言ってくれるから、ハードルが一気に低くなる。「後は死ぬだけですもん」とまだそこまでは達観できないが、なんとなく「まだまだ」と思わせてくれる会話だった。


2016年11月28日(Mon)▲ページの先頭へ
時代
 「ええかわりいか、かわらんけど、一度やりだしたらやめれんが(良いか悪いか分からないけど、一度やり始めるとやめれないです)」
 僕ならよいか悪いか分からなければ元々やらないのだが、どうも世間の常識とは逆な方もおられる。いや結構そちらが増えているのではないかと思う。
 この半年くらい、息子さんの癌の漢方薬をとりに来る女性が、圧迫骨折をしているくせに、僕の漢方薬を買った後、スーパーに水を買いに行くと言う。わざわざ重いものを持たなくてもいいと思うし、水道があるのにどうして水を買うのかと思ったら、なんとなく体に良いような気がするらしい。事実もう10年以上その水だけしか口にしていないみたいだ。料理もお茶もコーヒーも全てその水らしい。水道水はもっぱら洗い物に使うみたいだ。漢方薬もその水で煎じてくれているみたいだが、別に嬉しくもない。このところ癌の煎じ薬を作る人が急に増えたが、恐らくその女性以外水道水で作ってくれていると思う。どなたもそれなりに効果を感じてくれているから、水の影響はないと思う。
 そもそも僕だったらこう考える。あれだけ高い水を飲んでいるのだから、癌や成人病にはならないだろうと。たて続けに家族で二人も癌になったのだから、よほど効果が無いのだろうと。もっとも水で効果をうたったりしたものなら法律違反だから、何かイメージで体に良いと洗脳したのだろうが、このレベルの詐欺に引っかかるようでは、オレオレサギでも、いとも簡単にかかってしまうだろう。ただそのレベルなら被害は個人レベルの問題ですむが、アホノミクスの支離滅裂な言い訳ですらだまされてしまうとなると、こと自分のことだけではすまなくなる。欧米の価値観の押し売りの時代が終わり、世界中にヒトラーが跋扈する時代に入った。人間が又、犬畜生のように扱われる時代に入りつつある。巻き添えはごめんだ。


2016年11月27日(Sun)▲ページの先頭へ
見舞い
 「どう言っていいか分からんが。だから、『大事にして、元気でなあ』とだけ言って帰った」なるほど、僕も分からない。僕自身も最も苦手とする場面だし、あまり経験もない。願わくばそういった場面に遭遇したくない。
 昨夜、薬局が閉まる直前に頭痛薬を取りに来た男性と少しだけ話をした。常連さんで、僕より2歳上だと思う。彼が最近ある人の見舞いを頼まれて出かけて行ったらしい。頼まれたのは、仕事仲間の息子さんらしくて「お父さんが〇〇さんに会いたがっているから、会いに行ってやってもらえませんか?」と言われたらしい。そのお父さんが癌で入院していることは知っていて、いずれ見舞いに行かなくてはならないと思ってはいたそうだ。そこで意を決して見舞いに行きベッドのそばに立ったのだが、掛ける言葉に苦労したらしい。酸素マスクで呼吸も頼りなく、言葉を交わすことも出来ない。一方的に彼が話さなければならない立場だったみたいだ。そこで辛うじて口から出た言葉が冒頭の言葉だった。「まさか、いてえか(痛いか)?苦しいか?とも言えんしなあ。本当に困った」
 腰が痛いと半年くらい前に言うから、「癌かもしれんから、病院に行ったら」と冗談で言ったらあたっていたらしい。肝臓がんで転移もしていたのだろうか。別に責任を感じているわけではないが、痛いという言葉がかなり耳に残っているらしくて「癌だけにはなりとうねえ(なりたくない)」「癌が一番つれえ(辛い)」と同じ言葉を何度も繰り返した。それもそのはずで、つい最近同級生をその病気で亡くしているらしいから、年齢的に身近に迫っていることを感じているのだろう。癌の一番の原因は長寿だといわれるくらいだから、長生きをしている人や長生きを目指している人は誰もが覚悟しておく必要がある。
 いつもは決まった薬を決まっただけ持って帰るので1分もあれば帰っていくのに、昨夜に限って5分以上話をしたと思う。なんとなく不安に思っていて、口から出して楽になりたかったのだろうか。案の定、話し終わると結構笑顔が出て、「よう(よく)話した。スッキリしたわ、タバコを買いに行ってこう(いって来よう)」と言いながら出て行った。


2016年11月26日(Sat)▲ページの先頭へ
三段跳び
 売り言葉に買い言葉ではないが「元気じゃったら、こんな所に来りゃあへんわ(来ないわ)」と即座に返って来たから、かつての面影はかろうじて残している。その言葉も返ってこなかったら本当に心配だ。
 声だけは10年以上前と変わっていないが、見掛けは哀れなくらい変わっていた。ただ歳を取ったというだけならかまわないが、病気で風貌が激変したのなら可哀想だ。「元気そうじゃな!」と声を掛けたのは、そう掛けなければならないような気がしたのだ。見るからに元気な人に敢えて元気そうと言う必要は無い。本人はそんなこと意識もしていないだろうから、挨拶にはならない。ただ、いかにも健康を損ねている人には、正反対の言葉を掛けて自分で体調不良を言える環境を作て上げるほうがいい。多くの言葉を持っている人なら、そこから詳細にわたって自分の不調について話してくれる。言葉が苦手な人は彼みたいに単発のギャグで返す。「そりゃあ、そうじゃ。元気なら来んわな(来ないね)」と、僕が彼のギャグの健在ぶりに喜んだら、自分が陥っている症状について自分から話してくれた。何で僕の薬局に今更処方箋を持ってきたのか分からないが、見るからに怖そうな彼のことだから、よその薬局では無難な応対をしてこられたに違いない。ただ僕は嘗てあることで若干交流があったから、そして僕はチョイ悪くらいが気が合うので、彼にとって耳の痛いことまで言った。
 ひょっとしたら10年ではきかないのかと彼が帰ってから思った。僕が最後に彼を見たときは、スマートで健康そうで、なかなかハンサムな30代だった。今はじゃあ何歳?と思わせる老け様だったのだ。年齢が僕に追いつくのではないかと思えた。もっとも僕も自分のことは言えない。彼もまた久しぶりに見た僕をなんて変わりようだと哀れんでくれていたかもしれないから。
 ただ、心を酷使し、肉体を酷使し、環境を酷使した人は老けようが激しい。歳相応を三段跳びで駆け抜けている。逆に心も体も環境さえも穏やかな人はやはり若い。下手をすると若すぎるほどだ。同じ生きるなら、穏やかに生きたいものだ。


2016年11月25日(Fri)▲ページの先頭へ
野犬
 「インフルエンザにかかったら家で十分水分を摂って安静にする。4,5日以上続く発熱、呼吸困難、胸痛、失神、錯乱状態、ひどい嘔吐が見られるようなら受診をする」
 一体どこの機関がこんなことをホームページに載せて注意を喚起しているのかと言うと、アメリカのスタンフォード大学だ。日本ではどうかと言うと、「早期受診 早期診断 早期治療がきわめて重要で、初診時に重症化の有無を判断をするのは難しいから、可能な限り抗インフルエンザウイルス薬の早期投与が必要」だそうだ。
 病院や薬局や製薬会社が泣いて喜びそうだ。日本では自力で治すなんてことは推奨されないらしい。薬の力を借りてウイルスの働きを抑えるのだそうだ。これで自己免疫力が備わるのだろうか。ウイルスや細菌と戦ってこそ勝ち得る免疫力と言うものを、そんなに軽んじていいのだろうか。病原性のウイルスや細菌は一杯存在しているのに、そしてそのおのおのに抗ウイルス薬など作れるはずも無いのに、折角自然免疫を獲得するチャンスをその都度潰していいのだろうか。アメリカと日本では圧倒的にアメリカのほうが医学は進んでいる。それなのに、ことこのことに関しては日本が正しいというのだろうか。
 一体日本でインフルエンザにかかったら、病院と薬局と製薬会社をどれだけ儲けさせるのだろう。恐らく半端な数字ではない。それが一冬で何百万人の患者が出るとなると、ああ、恐ろしや。税金をいくら払ってもこれではきりが無い。国が借金漬けになるのも無理はない。政治屋はわが身の当選が第一義だから、そして自分の財布には全く影響が無いから、集票マシンの医師会や薬剤師会や経団連のために働く。国民も養生しなくても税金で病気を治してくれるのだから、文句も出ない。皆が丸く幸せに収まる仕組みだ。
 かくして人は何処に行くのだろう。ヒトラーみたいなむくんだ顔をした奴に、まるで使用人のように扱われて、顔色を伺って生かされるのか。屈辱も知らないなら我が家のミニチュアダックスと同じだ。山陰から突如現れる牙をむいた野犬は何処に行ったのだろう。


2016年11月24日(Thu)▲ページの先頭へ
気配り
 水道の検針に来た女性が裏口でインターホンを鳴らした。我が家のインターホーンは2階でしか聞こえないという欠点があるが、姿がすりガラス越しに見えたので裏戸を開けた。開口一番「水道のメーターが壊れているみたいなんですが」と言うから、すぐに又出費かと、例のトラウマ(車を標識に当ててドアを取り替えた)が甦ったが、次の言葉で安心した。「何か、変わったことがありましたか?例えば家族構成とか」それなら思い当たることがある。息子夫婦が出て行ったのだ。「使われた量が半分になっているんですけれど」最初からそう言ってくれれば僕も一瞬いやなことを想像しなくてもよかったのに。「ああ、それなら分かります。息子夫婦が出て行ったんです。だからでしょう」故障ではなくつじつまがあう。「ああ、そうですか、何処に行かれたのですか?」この質問にはちょっと驚いた。嘗て薬を何度か取りに来た女性に似ていたが、ひょっとしたら初対面かもしれない。それなのに、えらいことに興味を示したものだ。「あそこのマンション」と隠す必要も無いので正直に答えた。「今度は、あそこのマンションのメーターが上がるよ」と僕が言うと、女性は笑顔を残してカブで走り去った。
 ちょっとしたやり取りだったが、とても印象に残ったことがある。それは彼女のプロ意識だ。メーターの数値から何かあったと感じ、それを確認しにわざわざ面会したのだ。会社から指導を受けているのか、彼女の能力か分からないが、見習うべき点は大いにある。そのことを是非家族に伝えたくて、すぐに皆に話した。すると妻は、「2年前にその人は逆のことをわざわざ尋ねたよ。メーターが壊れているみたいですけど、何かあったんですか。倍位に増えていますけれどって」
 こうした細やかな気配りは日本人特有のものか、或いは何処の国でも同じことか知らないが、ぎすぎすしがちな現代の空気にはなくしてはならないものだ。ちょっとした会話にも笑顔が付き物。そうした人間関係の中で暮らし続けたい。


2016年11月23日(Wed)▲ページの先頭へ
物色
 ジーパンの数箇所が破れたのでついに新しいのを買うことにした。僕が欲しいのは今履いているのと同じ、やたらポケットが多いやつ。そしてそのポケットには必ずボタンかチャックが付いていて、財布などが落ちようが無いやつだ。記憶では数年前にユニクロで買ったはずだから、まずユニクロを訪ねた。棚に陳列されているのを見てみたが、ズボンの横にボタンつきのポケットがあるようなものはなかった。又お尻についているポケットにもボタンやチャックは無かった。これなら容易に落ちるし、容易にすられる。僕はカードなどと言うものを持っていないから、他の人より紛失のダメージは少ないかもしれないが、それでも健康保険証のカードと免許証くらいは持ち歩いている。そしていくばくかの現金と。
 店員さんに尋ねてみると、昔はあったけれど今は無いと説明してくれた。昔と言うほど僕のズボンは古くは無いが、流行遅れなのかと残念だった。「便利なんですがね」と泣き言を言ってもどうにもならない。諦めてスーパーの中のエドウィン?のお店に行った。そこでもなかったのだが、面白いものを見た。後ろポケットにチャックが付いているから、これなら落としたりすられたりしないから妥協しようかと思ったのだが、なんと、そのチャックは装飾目的で、実際にはポケットではなかった。チャックが付いているだけで、何も入らない。なんて無駄なことをして1人の客を逃がしたんだと思ったが、実際は、なんて格好良いデザインで多くのファンをつかんだのだろう・・・かな?
 12月に県北の津山に第九を聴きに行くから、どうしても隙間風が入らないジーパンを買わなければならなかった。気力を振り絞って記憶にあった岡南ハッピータウンにあるライトオン?と言うジーンズ専門店に行った。専門店だけあって広い店内に沢山の商品があり、又沢山の客がいた。それに比べて店員が少なかった。めぼしきところを探しても望むようなものに近い商品すらなかった。店員さんに尋ねたかったが、数少ない店員さん(制服を着ていないから実際には店員か客か分かりづらい)をつかまえるのが気が引けて、諦めて帰って来た。
 ここまでがこの日曜日の話で、今日はライトオン再挑戦だ。今日は妻を連れて行って、妻に店員さんをつかまえてもらおうと思っていたのに、妻は車で待っていると言った。目論見が外れたが、冷えて腰痛でも起こしたらいけないので、暖かいジーパンを求めて突入だ。好みの黒色のジーパンがあるところは日曜日に確認済みで、又同じ所を物色し始めた。最後には黒色に拘らず探したが、結局はポケットが多いジーパンは無かった。
 諦めて帰ろうとしているところに若い女性店員さんが来てくれて、定番の「何かお探しですか?」と声を掛けてくれた。買い物苦手の僕には地獄に仏。自分が履いてきたジーパンを示しながら、「こんなポケットがついているジーパンが欲しんですが」とお願いした。するとその店員さんは「このジーンズはレディースですが」と笑顔で言った。レディース(聞こえたように書いてみたが正しいのかどうか分からない)と言う言葉を実際に聞いたのは初めてなので一瞬分からなかったが、すぐに女性ものと想像した。道理でどれもなんとなく細すぎるように見えた。こんなの入るのかなあと日曜日も気になっていた。
 それからはとんとん拍子にことが運んだ。正に履いて来たのとそっくりな商品があり、サイズもm寸を選んだらぴったりだった。女性用の商品を熱心に物色していた不審人物に終始笑顔で接してくれ、すぐに希望の商品を見つけてくれた若い女性店員さんに何度もお礼を言って店を後にした。
 そう言えば最近やたら僕の右手の小指が立っていた。


2016年11月22日(Tue)▲ページの先頭へ
面接
 逞しいものだ。僕があの年齢の頃あんなに逞しかったのだろうか。
 仕事を始めてまもなくの時間帯に連絡無しに次女と三女がやって来た。授業が午後かららしくて如何にも遊びに来たと言う雰囲気だった。1時間くらい雑談をして、僕は漢方薬を作る作業に入った。すると妻が2人を近くのリゾートホテルに連れて行ってくると耳打ちをした。リマーニと言うそのホテルは、高級と言うか高いというか、地元の人間などとても利用できないレベルのもので、3人でリマーニに行くなどと言うことは考えられない。何しに行くの?と当然聞くところで当然聞くところが僕の凡人たる所以だ。なんでも、アルバイトの求人があるから面接を受けに行くらしい。
 クリスマスの頃から二人は我が家の3階で暮らす。学校も我が家から通う。そうなれば今までのアルバイト先からは随分と遠くなる。学校はそのことも考慮してくれて、系列の施設でアルバイトを斡旋してくれると言っているが、自分達でどうやら探したらしい。近くて便利と言う理由らしいが、地元に住んでいる僕でも知らない求人を見つけて応募しようとしたのだ。今日来たのはまさにそのためなのだ。それなら着くなり言えばいいのに、どうも大事なことは直前に言う癖がある2人で、結構翻弄される。
 結局僕は、何も知らされないまま、漢方薬を作っていた。小1時間経ってから妻だけ帰って来た。なんでも丁度いいバスが来たからホテル前からそれに乗って学校に行ったらしい。結果は、二人とも採用されたらしい。何でも英語が喋れる人が欲しかったらしいのに、かの国の言葉でも採用してくれみたいだ。あれよあれよと言う間に望みの結果を得られたみたいだが、なかなか逞しいものだという印象を僕に残した。あの頃の僕にはこんな気持ちの強さはなかったことだけは言える。異国で暮らすためには最低限必要なのかもしれない。
 同列で語っていいのかどうかわからないが、ある有名大学の学生が異国で命を落とした。将来後進国のためになるような仕事をしたくて見聞のために、それらの国々を回っていたと聞くが、彼もまた並々ならぬ逞しさの持ち主だ。僕の青年時代に比べれば天地の差だ。豊かな国にも彼のような気概を持っている青年がいるのだ。しかし、それだからこそ遭遇した不幸でもある。今更僕が、のほほんとした青春期を悔やんでも仕方ないが、失う価値もないものを失うことを恐れて送っていた青春であったことだけは確かだ。それに、この年齢になっても彼らに勝るものを持っていないこともまた確かだ。


2016年11月21日(Mon)▲ページの先頭へ
懺悔
 「お母さん、紅葉がきれいだから見に出よう」と言って施設から誘い出したのはいいけれど、実際には施設の背後にある山は所々にうす茶に変色した葉っぱがあるだけで、紅葉などとは程遠い。今年は暖かいせいか、言われるほど紅葉が進んでおらず、山はまだほとんど緑色だ。
 それでも昨日は気温が高く戸外が気持ちよかったので、施設の横にある坂を車椅子で上ってみることにした。少しでも山に近づけば黄葉もどきでも楽しめるのではないかと思ったのだ。薄茶色の葉っぱでも母が認識できればいいと思ったのだが、息子の顔も名前も分からない人にそれは難しいだろう。見せて上げるだけの自己満足かもしれないが、僕にはそれ以上の孝行をする心も技量も無い。それで精一杯なのだ。
 施設から坂道に出るところに一本だけそれこそ真っ赤に色づいた葉っぱを蓄えた木があった。モミジのように見えたが、定かではない。急な斜面に立っている数本の中の一本だ。それが正面に見えたところで母が一言「きれいじゃなあ」と言った。確かに背景はまだまだ緑なのに、一本だけ鮮やかに燃えている。何の理由でそうなのかわからないが、恐らくそれを見た人の多くは母と同じ感慨を味わうとだろう。
 母の的を射た言葉に喜ぶが、母はその色彩についての感想を述べたのだろう。周りの風景に全く同化せず凛として立っている姿に母が感銘を受けたとは思えない。ただ僕はその時何故か、その木の孤高と言うべき姿を美しいと思ったのだ。母と同じ単語を共有できたことはうれしいが、それ以上の会話は出来ない。
 思えば母がまだしっかりしていたときに、こんなに近くで時間をともにしたことなど無い。何かの用事を伝えるだけで、心を通わせたことなど無い。他の家族ともそうだ。一番大切で多くの価値観と行動を共有すべき存在と、むしろ淡白な関係を築いてしまったような気がする。家業に振り回されていた大和家代々の特徴か、或いは世間一般の姿か分からない。僕は他の家族の本当の姿を見た事が無いから。
 僕が母の車椅子を押すのは懺悔の何物でもない。
 


2016年11月20日(Sun)▲ページの先頭へ
飛行場
 岡南のハッピータウンから出て、広い駐車場を自分の車まで歩いていた。上空でモーター音がするから見上げると、真上ではなく南の空にセスナ機が飛んでいた。セスナ機だからエンジン音だと思うのだが、正にモーターの音のように聞こえた。
 昔岡山県の飛行場は岡南と呼ばれる淡水湖付近にひとつだけあった。実際に見た事が無いから想像でしかないが、ジェット機が飛べないという理由で県の中央部の丘陵地帯に飛行場が移されたのだから、飛行機をよく利用する人だったら規模は想像がつくかもしれない。そんな場所だからセスナ機が飛んでいてもなんら不思議ではなく、僕も過去数回セスナ機が飛んでいるのを目撃したことがある。ところが今日のは明らかに飛び方が変わっていた。
 まず、僕が音がするほうを見て見つけたのは、かなり低いところを飛んでいた飛行機だった。正に着陸態勢に入っているかのような姿だった。ところがその飛行機が急に上空目指して飛び始めた。僕は着陸に失敗したのだと思ったが、そうではなかった。その飛行機は、羽を左右に揺らせながら高く上がり、又降りてきた。危ないのではと思わせるほど地面に近いあたりで、又上昇し始めた。そして今度は急上昇したかと思うと背面飛行になり円を描いて降りてきた。その他数種のアクロバットな飛行をして、最終的には滑走路に下りたみたいだ。家々の屋根で飛行機が隠されたから、着陸したのだろう。大きな爆発音も煙も無かったし。
 観客がいて飛行ショーをしていたのか、練習か分からなかったが、とにかく僕は初めて曲芸飛行なるものを見た。色の付いた煙を吐きながら、或いは何機かが編隊を組んでなどとテレビでは見た事があるが実際には初めてだ。ただ、残念ながら、感動は無かった。ほんの数分の出来事だったが、心の中に入りこむものは何もなかった。
 そのあたりの人はひょっとしたら見慣れているのか、駐車場には結構な人がいたが、僕みたいに足を止める人は誰もいなかった。人それぞれが、それぞれの思いで暮らし、この社会を形作っている。皆が同じ価値観で同じ方向を向くことは無い。あの曲芸飛行の下では多くの人が拍手喝采を送っているかもしれないが、少し離れた駐車場では誰も目もくれない。ただ見の僕以外はきわめて健全だ。
 南の風が気温をどんどん上げて、厚着の僕を汗ばましたが、何時代に返したいのかと思われるような気持ちの悪い風が世の中では吹き始めている。人様を傷つけない範囲でどちらを向いていてもいいような時代を終わらせてはいけない。


2016年11月19日(Sat)▲ページの先頭へ
屈託
 ウォーキング中は数学の問題は解けないが、言葉は多く浮かぶ。この発見をしたのは僕だが、イグノーベル賞並みの発見だと思う。ウォーキングをもう10年以上続けているから次第にそれが正しいということに自信を持っているが、ひとつだけ懸念材料がある。それは、僕は歩いていなくても数学が解けないと言うことだ。だからそこのところを証明することがどうしても出来ない。
 昨日歩いていて浮かんだ言葉がある。それは屈託と言う言葉だ。屈託の無いとはよく使われる言葉だが、僕は正にその屈託の無い笑顔に慰められ救われているのだと気が付いたのだ。10年かかってやっと説明が付く、それらしい言葉に巡り会えた。
 今僕が親しくしているかの国の若者は4箇所にいる。それぞれ個性はあるが、概して言える事は、彼女達はとても明るくて正に接し方に全く屈託が無いのだ。それはまるで幼い子供か、人間のように育てられた犬みたいだ。明らかに違うのが、人と人との距離感だ。近い、かなり近い。日本人なら後ずさりするような距離感で多くのことが回っている。異国に来たからの連帯感ではなく、自然に出る行為だと言うことは観察していればすぐに分かる。色々な機関が助けてくれるのではなく、まだ人と人が助け合わなければならない所に暮らす人達の必然なのだろうか。
 日本人の距離感で60年以上生きてきたから、当初その距離感に馴染めなかったが、今は違う。介在するものが心だけ、或いはそれに近い状態で接する精神の自由たるや、何者にも換えがたい。僕は彼女達に、ひたむきに働いている姿を見せて貰い応援する。帽子に作業服。そんな姿が好きだ。寮にお邪魔しているときに集団で帰って来た子達が「オトウサン タダイマ」と大きな声で挨拶をしてくれる。それだけで僕は幸せな気分になる。歩きながら、僕はそうした一つ一つの出来事を知らず知らずのうちに反芻しているのかも知れない。だから「屈託の無い」と言う言葉が突如沸いてきたのだ。10年分の思い出がまるでブラックホールのようにその1つの言葉に吸い込まれていったのだ。


2016年11月18日(Fri)▲ページの先頭へ
恐縮
 腰の曲がったおじいさんが、大きなビニール袋に、白菜を3つ入れてやって来た。大きな白菜と言うのが想像できる人は田舎の人だ。本当に大きくて3つも入っていたら、持つのがたいぎになるくらいだ。長さが40cmくらい、縦横がそれぞれ25cmくらいだろうか。普通の家庭なら1個もらえば十分なのだが、百姓のプライドでそんなみみっちいことは出来ないから、大抵の農家の人は一度に沢山くれる。ただ、今なら僕ら夫婦、娘夫婦、めいの家族と丁度1つずつ分けることが出来るから3つは有り難い。
 数日前に血圧計のセッティングをしてあげただけなのに、恐らくそのお礼としてくれたものだ。「白菜食べられるかな?」と一言喋っただけで帰ってしまったから、想像でしかないが、日付と時計の機能が狂っていたのでそれを直しただけだ。僕みたいな機械音痴でも直すことが出来たのだから、本当に簡単なことだ。それなのにわざわざ数日後に白菜を抱えて入ってきてくれたのだがら恐縮しないわけにはいかない。
 なんて律儀なのだろう。もし家に若い人がいたらわざわざセッティングにやってくるほどのことではなかったはずだ。それなのにわざわざお礼を届けてくれた。僕がしたことと、頂き物があまりにも不釣合いだ。長年の重労働のせいで腰が曲がっている。あの体でこうした重量野菜を作るのは大変だろう。そのことが分かるから余計に申し訳ない。
 今回のことは、この町で暮らしていたら特別なことではない。このような律儀はしばしば体験することだ。牛窓だけでなく、田舎ならありふれた光景だ。ただ、こうしたことが特別有り難く、かけがえのないものだと分かるには長い歳月を要した。感謝1つにも長い時間をかけた訓練がいる。そうした訓練に参加できなかった人たちが、時にして、いや往々にして力を持つ。そして低俗でいかがわしいそうした力に抗うことの出来ない人たちが彼らをのさばらす。
 白菜3つ分の恐縮を天の窓から降らせたい。


2016年11月17日(Thu)▲ページの先頭へ
季節
 好むと好まざるによらず、自分の将来のことが頭に浮かぶことがある。ほとんどのテーマは仕事上のことだが、発展的な発想はほぼない。どちらかと言うと卒業を前提の発想だ。ただ、そのどちらにも属するようなことを最近考えて、それを漢方問屋の専務さんに漏らした。
 近所の農家が誰も住む人がいなくなって空き家になっている。農家とあって庭は広い。建物は古いが、リフォームしてよみがえらせれば結構趣が出るに違いない。そこに漢方薬だけ移して薬局をしたいと思った。ガーデニングで庭を飾り、1日中水の音が聞こえるように水車を回したいと思った。薬局のガラス窓越しに水車が回る姿が見えれば、心が洗われ、副交感神経がより働いて、内臓の働きがよくなるだろう。そうすれば現代人の苦痛を漢方薬でより治すことが出来るようになる。そう踏んだのだ。もちろん僕自身の労働量も歳相応で済むようにもなる。
 それを聞いていた専務が、同じようなことを言っている先生がいて、その人は実行に移しそうだと教えてくれた。今は国道に面したところで薬局をやっているらしいが、山の上に店舗を移して本当に漢方薬が必要な人だけに来てもらいたいのだそうだ。既に土地は手配しているらしいが、地元の人でも滅多に近づかないような山の頂らしい。でも町がすべて眼下に広がりそうで、ロマンがある。グーグルで見せてもらったが、町外の人にはたどり着けないだろう。
 専務いわく、その薬局が頂上に移れば、その町は漢方薬の空白地帯になるらしい。そしてもうひとつの地域も教えてくれた。こちらはもっと規模の大きな街だが、いわゆる漢方薬を標榜している薬局がないらしい。だから僕に支店を出したらと言うのだが、引退までの道のりを相談しているのに逆行する提案だ。もっとも、彼にとっては漢方薬を標榜する薬局が減ることは死活問題だから、そういった提案もしたくなるのだろう。「僕が若かったら、そして僕がここを空けることが出来るような後継者がいたらできるかもしれないが、それは絶対出来ない」と答えた。
 多くの現代の薬局は、処方箋を調剤することが主なる業務になったから、昔みたいにのんびりと勉強をすることが出来ない。持ち込まれる処方箋にかかりきりだろう。ゆっくり何年もかけて勉強してそれで少しだけ人様の病気を治すことができるようになる。その積み重ねはかなり時間的に難しい。だから、漢方薬局などと言うものは、減る運命にあるのだ。
 僕のところで数年勉強した女性薬剤師も結局は結婚して急速に漢方薬への興味を失った。僕の属している勉強会で熱心に勉強していた薬剤師夫婦も結局は開局を躊躇っている。金銭的な投資や時間の投資に見合うだけのものを得ることが容易でないから、新たに挑戦する人は少ない。
 このままか、それとも何か変化があるのか、自分の意思で切り開けるほどの環境はもう整ってはいない。川の流れに身をゆだねるのか、風に吹かれるのか分からないが、僕の季節はもう春を見ることは出来ない冬になっている。


2016年11月16日(Wed)▲ページの先頭へ
奇跡
 1週間前だったか、突然やって来た。この女性は2週間に一度定期的に煎じ薬を取りに来る女性だったから、何があったのだろうと思ったが、その女性の顔を見た瞬間、何かよからぬことが起こったのだとわかった。顔に焦りと恐怖が表れていた。
 実はこの女性のお子さんが、ある病気で入院していて、そのためによその県から引っ越してきている。毎日病院に通って世話をしているのだが、あの慌てようは何かお子さんに起こったのだろうと推察できるものだった。案の定、お子さんの症状が退院を目の前にして突然悪化し集中治療室に入ったそうだ。あるトラブルが起こったのだが、そのトラブルに効く漢方薬がないかと言うのだ。 
 大病院で出来ないものが漢方薬で出来るはずもないし、そもそも守備範囲が違う。漢方薬は急性の命を落としそうなトラブルには全く太刀打ちできない。そうした判断が出来ないくらい彼女は舞い上がっていたのだろう。そのことを伝えると急に涙ぐんで、その後涙を止めることは出来なかった。何回か僕の非力を謝ったら、やっと分かってくれて涙を拭いながら帰っていった。
 子供を亡くす母親の姿などあまりにもかわいそうで見たくないから、何とか奇跡が起こらないかと願っていたら、今日いつもの漢方薬を取りに来た。その表情が悲しみに打ちひしがれているものではなかったので、ある程度希望を持ってその後を尋ねた。すると無事回復したそうで、もう心配はいらないと言っていた。「母親の愛情だろう!」と言うと、その病院が薬ではなくある治療法を試してくれてそれが奏功したらしい。何回か母親の愛を強調したが、その女性は「新しい方法を試してくださった病院のおかげです」とその都度返した。こんなことで押し問答をしても仕方ないので最後は僕が折れたが、他県からわざわざ住むところを変えて看病している母親のおかげだと僕は心の中では譲らない。
 親についてはいいに付け悪いにつけ数多の格言が言い尽くされているが、どれも的を射ていて、どれも的を外す。それだけ難しいのだ。喜びもあり哀しみもあり、希望もあり絶望もある。時に愛し、時に憎む。正反対の心模様も幾度となく体験する。ありそうでなさそうな正解を求めて苦悩する。
 最悪を覚悟し恐怖の深淵から救い出された母親の笑顔を何に例えればいいのだろう。何に感謝すればいいのだろう。こんなことが時として起こってくれるから、人は何かに向かって頭を垂れるのだろう。


2016年11月15日(Tue)▲ページの先頭へ
翻訳
 僕より背が高い。体格ははるかにいい。40年前に、商工会の青年部の野球大会に出ていた頃はヒーローだった。若いからと言う理由だけで借り出された僕とは違って、様になっている。高校時代に野球をやっていた人は田舎ではもう別格だ。甲子園に出たというレベルでなくても歯が立たない。僕らは野球は9人でするものというルールを満たす為だけに駆り出されただけで何の役にも立たず、今日来た男性のように経験者達を目立たすもの程度の存在だった。
 自営業の彼は、この半年くらいの間に処方箋をもち込むようになった。息子が勤め始めた診療所に患者として通っていたそうだが、縁あって息子に漢方薬を処方してもらうようになって処方箋を僕の薬局に持ち込むようになったのだ。当初は脊柱管狭窄症だけの漢方薬だったが、そのうち慣れてくると他の病院の処方箋も持ってくるようになった。眼科に、内科に、整形にと色々な科の処方箋を持って来る。
 今日彼が来たときに他に人がいなかったので、お茶を飲みながら雑談をした。今の体調のことを聞いて、養生方法などを思いつくまま話していたのだが、出てくるわ出てくるわ、こんなに不調を抱えているのかと思うほどだった。今でもがっちりして見えるから腰以外はいいのかと思っていたが、なかなか寄る年波には勝てないらしい。
 「ワシらがわけえ時にゃあ、親父が、ここがいてえ、あそこがいていと、よう、ようった。血圧はたこうなるわ、あたまはふらふらするわ 小便にはようおきるわ、目はよう見えんわ、歯は抜けるわ、体はかいいわ。何を毎日いよんじゃとおもっとたけど、ワシが今同じようなことをようる。わるういわんかったらよかった」嘗ての野球青年も、今は多くの薬の世話になっている。自嘲気味に父親を悪く言っていた頃を再現してくれたが、正に今の彼そのものだ。「皆歳をとったら同じじゃあ!」と僕も同意したが、彼、彼の父親、そして僕自身も含めて「皆」と言ったのは彼には分かっただろうか。ただし、5年前には今の僕を経験しているから、分かったかもしれない。「皆同じ」残酷な現実をこの一言で耐えるのだ。

 こうして文章にすると岡山弁もかなり難しい。念のため共通語に翻訳して会話の部分を再現しておく。

「私達が若い時には、親父がここが痛い、あそこが痛いとよく言ってた。血圧は高くなるし、頭はふらふらするし、小便にはよく起きるし、目はよく見えなくなるし、歯は抜けるし、体は痒いし、毎日何を言っているのかと思ったが私が今同じようなことを言っている。悪く言わなければよかった」


2016年11月14日(Mon)▲ページの先頭へ
無伴奏曲
 玉野の教会に行き、その後深山公園を少し散策しただけなのにやたら疲れていた。夕食も軽めに済まし、眠ればいいのに、何故か寝たほうが体調が悪化するような気がして無理やり起きていた。週に1回の自身への御褒美の缶チューハイも飲みたくなかった。結局は飲んだのだけれど、何か目障りなものを片付けるために飲んだだけのような気がした。そこはかとない倦怠感が、ただの疲れでないことは暗示していた。 
 ソファーに腰掛け、テレビをつけた。相変わらずくだらないものばかりで、電波を使う権利を返納しろと言いたいようなものばかりだった。そこで教育テレビをつけたら既にクラシック音楽の演奏が始まっていた。曲名も指揮者も知らないが、くだらない他局の番組よりは遥かに心が落ち着く。その間に例の倦怠が体から消えてくれればと思ったが、さすがにそこまでは効果がなかった。ただ、不思議なことに演奏を聴いている間は、体の不快感は随分と軽減されていた。音楽の持つ力だろう。心地よい脳の状態が恐らく体によいホルモンを分泌させ、不快感を少なくしてくれたのだろう。
 全くの素人だからの文章で恐縮だが、昨夜の放送で僕がはじめてみた光景がある。それは指揮者のすぐそばに陣取っている演奏家がいたのだ。チェロ奏者だった。明らかにその場所に特別陣取っている。ソロのパートが多いのだろうかと興味本位で考えていたら、正にそのとおりだった。チェロなる楽器がコンサートで主役になることもできるんだと、初めて知った。僕の記憶だとほとんどピアノの場所だったのだが、昨夜は長髪で大柄な男性奏者の場所だった。
 たぶん、さっきインターネットで調べたところによると演奏されていた曲はチェロ協奏曲 ロ短調 作品104(ドボルザーク)で
指揮はモスクワ出身のヴェデルニコフ。チェロはクニャーゼフ。演奏はN響だ。曲に関する感想は・・・恥ずかしいくらい分からなかった。指揮者に関する感想は・・・・動きが小さい。奏者に関する感想は・・・まるでスポーツをしているのかと言うくらい大量の汗をかいていた。見るからに大男で、恐らくコレステロール中性脂肪が高めだと思う。肉体的には行け行けどんどんのはずだ。その大男があの繊細な音楽を奏でるのだから、その不釣合いが魅力だ。そして彼がもっとも光ったのは、アンコールで演奏した曲で、たった1人で演奏をした。チェロ1つであんなに表現できてあんなに観客を、いや舞台の上のN響の演奏者達までをも魅了してしまえるのだ。正に目からうろこだ。そして昨夜覚えた言葉が「無伴奏曲」なんて格好いいのだろう。孤高の演者だ。この現実の社会では見なくなった孤高の人物の登場を待ち望むかのようにチェロが詠っていた。


2016年11月13日(Sun)▲ページの先頭へ
真似事
 紅葉を楽しむ感性を持ち合わせていないから、僕にとって秋は一足早い冬でしかなかった。そんな僕を少しばかり変えてくれたのはかの国の若い女性達だ。いつ何処で覚えるのか知らないが、紅葉と桜は彼女達の見たいものなのだ。桜を楽しむと言う経験もなかった僕だから、随分と逆感化されたものだ。
 今日の深山公園は残念ながらまだ紅葉の走りくらいだったが、それでも初めて訪れた2人には自然の中での時間は心と体の休息にはうってつけだったみたいで十分堪能していた。特に大きな池にいる沢山の水鳥(カモ、アヒル 白鳥)は圧巻だったらしくて、「おいしそう」を連発していた。ただ今日の深山公園行きは僕の発案ではない。1ヶ月前に、牛窓で看護師として働いている2人と玉野教会の姉妹は、同じ和太鼓のコンサートに連れて行ったのがきっかけで仲良くなって、姉妹が2人を招待したのだ。かの国の手作り料理持参でどうなるかと思ったが、辛うじて食べられるものがあって、場の雰囲気を壊さずにすんだ。もっとも僕がかの国の料理を受け付けないのは皆知っているが。
 それにしても自分で何をしているのだろうと思う。僕は自分が楽しむ?必要はない。和太鼓や第九を鑑賞するのは譲れないが、芝生にシートを敷き、そこで弁当を食べるようなことまでしなくていい。正直本来はかなり苦手なことだ。連れて行ってあげるまでが僕の本来の距離感だと思う。京都にしても広島にしても姫路、高松、丸亀、福山、もう年中行事になっているが、僕は案内人でいいのだ。いや案内人がいいのだ。
 天性の明るさで僕や妻を楽しませてくれた挙句「オトウサンのオカアサン アイタイ」と言って母の施設にまで4人が付いてきた。そして何故か分からないがいつもと同じ光景が展開されるのだ。メンバーは全く違うのに。
 母をホールの中で見つけた僕が母の車椅子に手を掛けると、4人はすかさず駆け寄り、すぐに話しかける。機関銃のように話しかけると母はとても喜んで、意味は不明だがまるで会話しているように見えた。そして母を施設の外に連れ出し、4人がそれぞれに母の手や肩に触れながら小一時間過ごした。施設の人も、「お孫さんが一杯きてくれて嬉しいね」と母に声を掛けてくれる。そう言えば、こんなに頻繁に沢山の人間が面会に来てくれる入所者はいないだろう。息子が訪ねても能がないが、この愛情深い孫達なら母も笑顔が頻繁にこぼれるし、時に言葉も的を射る。
 ひたすら子供のためだけに生きてきたような大正の生まれの母に、何もお返しをしてあげてはいないが、最期の最期に、あの子達の天性の愛を借りて恩返しの真似事が出来ている。


2016年11月12日(Sat)▲ページの先頭へ
見ず知らず
 岡山の人間が岐阜の薬科大学に行った。その数年前に、岐阜の人間が岡山大学の医学部に来た。当然後者のほうが数段優れている。その二人が瀬戸内の小さな港町で出会った。ほぼ半世紀後のことだ。
 市民病院の分院が牛窓にあり、そこに後者は勤めていて、前者はそこから出てくる処方箋を作る。後者が漢方薬に興味を持っていたのがきっかけで、処方箋の中に記載されている漢方薬について前者が尋ねたりしたから、接触を持つようになった。もっとも、それは医者と薬剤師と言う関係だけで私的なものではない。
 僕のことはよく知っていてくれたみたいで、漢方薬についてはえらく遠慮気味にいつも話された。僕は立場上、自分の想いを伝えることはしなかったが、婉曲に「先生、煎じ薬の処方箋を切ってくださればいつでもお作りしますよ」とは言っていた。それともう1つ「先生、〇〇〇以外の会社の漢方薬でも調剤できますよ。うちには東洋薬行と小太郎の漢方エキス剤も用意していますから」とこれまた婉曲に伝えていた。先生とは一度高松の漢方の勉強会で会ったことがあり、〇〇〇以外の漢方薬について興味を持っていることも知っていた。だから敢えて提案したのだが「いいですね」と言っただけで、僕もそれ以上は追及しなかった。病院と言うものは、使用する薬は委員会で認められたものしか許されないので、その壁を先生も知っていたのだろう。いいですねはほとんどため息のように聞こえたから。
 結局他のメーカーの漢方エキスも煎じ薬も処方箋で出てくることはなく、分院は閉鎖された。本庁に帰ることになった先生は、どこか旅行に行ったらしくて、そこで買ったお土産を持ってお別れの挨拶に来てくれた。わずか2年の短い間だったが、漢方薬が好きなお医者さんの処方を勉強することが出来た。
 今日、本院の看護婦さんがやって来て、その先生が体調を崩して病院を長い間休まれていると教えてくれた。威張りもせず、気さくに、対等に接してくれたお医者さんだから、その情報にショックを受けた。お医者さんだから病気をしないなんてことはなく、むしろ緊張を強いられる時間が長い分体調を崩しやすいだろう。入院しているとも言うから心配だ。僕の知識でお役に立てることもあるかもしれないが、それは先生のプライドが許さないだろう。役に立てるのに役に立てない、そんな歯がゆさは相手がどんな人であれ感じることは多い。「見ず知らず」医療にはこれが必要なときが意外と多い。


2016年11月11日(Fri)▲ページの先頭へ
退廃
 40数年前、レコードのジャケットを見たときはハーフの女性かと思った。日本人離れした端正な顔で、憂いに満ちた表情は、当時の若者には手が届かない雲の上の女性のように思えた。タバコと酒で作られたのか、しわがれ声を振り絞るように歌う。その発声もまた神秘に手を貸したのだろう。
 死亡を伝える今日のニュースには、シンガー・ソングライターで女優と紹介されていた。僕は歌手の部分しか知らないが、それもファーストアルバムしか知らないが、僕が彼女を卒業した後、女優として活躍していたのかもしれない。あの顔では十分女優としてやっていけるだろう。
 少なくとも当時僕よりは年上だと思っていた。世の中を知りすぎた女性のように思っていた。退廃的な詩と声を絞り出す歌い方で勝手にこちらがイメージしたのかもしれないが、少なくとも僕などよりはるかに世の中を知っているだろうと思っていた。ただ、そのイメージだけで、それより先に興味は喚起されなかった。何故なら僕にはもっともっと沢山影響を受ける歌い手がいた。彼女は、ダンボール箱にしまいこんだレコードの1枚でしかなかった。
 りりィ、本名・鎌田小恵子、なんて日本人そのままの名前。ふっくらとした顔。享年64歳。40数年ぶりの姿は、偶像をショッピングセンターのレジに並ぶおばちゃんにまで引き寄せてくれた。仰ぎ見た偶像は、僕らのすぐそばに40年かけて降りてきてくれた。「私は泣いてます」「ベッドで煙草を吸わないで」の2曲しか覚えていないが、今なら消防署の歌かと茶化すことも出来るが、余裕のない日々を過ごしていた当時の僕には、大人の世界を垣間見させてくれた衝撃的な歌だった。
 輝きは遅かれ早かれいつか必ず失せる。一度も輝くことのなかった人生とそんなに行き着くところは変わらない。そんなことを彼女のニュースで考えた。退廃がこちらに乗り移ったか。


2016年11月10日(Thu)▲ページの先頭へ
九死に一生
 世の中には九死に一生を得る人は多いと思うが、三十六死に一生を得た人は少ないだろう。運のよさと生命力を感じる。いみじくも漏らした「死ぬのは別に怖くないんじゃが」の勇気と言うか悟りと言うか、得も知れぬ価値観のおかげなのだろうか。 相も変らぬ処方箋を持ってきた男性に、最近調子はどうと尋ねたら、一杯喋って帰った。誰かに話したかったのだろうか。
 つい最近、山にサイクリングに行ったそうだ。仕事がその関連のものだから下調べにでも行ったのだろうか。そこで倒れたらしいのだ。物理的に倒れたのではなく、低血糖を起こしたのだ。動くことが出来なかったから携帯で助けを呼んだのだがつながらない。何故か10回目くらいに弟さんにつながったらしい。弟さんは慌てて警察に連絡してくれた。そして警察から携帯電話に連絡があり、「すぐに助けに行くから」と言ってくれたらしい。結局、救急車ではなく、パトカーで市民病院まで連れて行かれて点滴を打ってもらい帰宅したらしい。
 山の中で動けなくなったのに、そしてそこがどのあたりか説明もしなかったのに、パトカーで警察官が駆けつけてくれた。不思議そうに聞いていた僕にその男性がGPS機能のおかげと教えてくれた。よく事件の解決に携帯電話から電波が出ていたなどと書かれているが、きっとこのことだろうと思った。携帯電話を持ったことがないので、どのような機能があるのか分からないが、命を救ってくれることもあるんだと思った。そんなに安全が買えるならもう持ってもいい歳なのだろうと一瞬迷ったが、僕はそもそも人里離れたようなところに1人で行くことはない。まず何処にいても人はいる。何かあったら助けてくれるだろうし、助かる必要が無いときも人生で一度必ずある。
 周りに人がいるのに私的なことを大きな声で喋ってしまう、そうした行動は僕には出来ない。そのあたりは頭が古いのかもしれないが、人様に迷惑をかけないように背中で教えてくれた母がまだ顕在だから、僕もまた期待もされていないのに誰かにそうした姿を見せる。
ちなみにこの男性、今まで脳梗塞2回、低血糖で風呂で倒れ救急車で運ばれたこと1回。兵だ。


2016年11月09日(Wed)▲ページの先頭へ
恩恵
 これまで、コーヒー摂取と死亡・主要死因別死亡との関連を検討した前向きコホート研究はほとんどなかったが、今回、わが国における前向き大規模コホート研究により、習慣的なコーヒーの摂取が全死亡および心疾患、脳血管疾患および呼吸器疾患による死亡リスクを減らす可能性が示唆された。本研究では、ベースライン調査において、がん、脳血管疾患、虚血性心疾患の既往のない40〜69歳の日本人9万914人について、コーヒー摂取量と主要死因別死亡(全死因、がん、心疾患、脳血管疾患、呼吸器疾患、外傷、その他)との関連を調査した。平均18.7年追跡調査を行い、その間に1万2,874人が死亡した。男女とも、コーヒー摂取量は、心疾患、脳血管疾患、呼吸器疾患による死亡リスクと逆相関していた。

なんて心地よい結果だ。学生時代、食事代はなくてもコーヒー代はあった不思議な生活を送っていた僕には朗報だ。ただ当時タバコとコーヒーは付き物で同時にとっていたので、その点だけは今だ悔やまれる。しかし、今になってコーヒーを多飲していた事が健康に良かったなどと言われると得したような気分だ。
 自営の僕にとってはいつでも飲み放題だ。まだ薬局が処方箋調剤をしていなかった頃はそれこそ、薬局に薬を買いに来ていた人とよく一緒に飲んだ。そんなのんびりとした時代だったのだ。さすがに今は処方箋を持ってくる人が増えたから、和気藹々はなくなって、1人片隅で飲むのが実情だ。
 今日は何故か暇なので、水戸黄門の「この紋所が・・・」を見に2階に上がったのだが、今日は生憎嫌われ者同士といわれている選挙があり、黄門様の最後の決めぜりふが聞けなかった。片や土地成金、片や韓国のあの伯母さんよろしい銭の虫。こんな奴の二者択一を迫られるのだから、あの国もたいしたことはない。いやいやたいしたことはある。戦後常に戦争しまくっている軍需産業に支配されている国だから。どうもあの2人にそっくりなのは日本にもいる。会社経営で成功した奴と、2世3世の世襲議員が選挙で戦っているようなものだ。簡単に例を挙げれば、損さんとアホノミクスが戦っているようなものだ。銭の力と親やおじいさんの力で政界入りしたボンボンと。
 こんなつまらない奴らの顔を浮かべて飲んでは、折角のコーヒーの効果が半減する。心を満たしてくれる言葉や音楽や緑の風景に包まれてこそ香りの王者の恩恵を得られる。





2016年11月08日(Tue)▲ページの先頭へ
裏話
 昨夜「主治医が見つかる診療所」と言う番組を見ていると、ヒハツと言う植物が毛細血管の老化にいいと言うような話をしていた。漢方薬ではないが、勘違いして薬局に問い合わせがあるのではないかと思っていたら、案の定午前中に1人の男性から問い合わせがあった。僕のところに来る前にドラッグストアやスーパーなどを回ったらしいが何処にも扱いがなくて、最後に僕のところに来たらしい。漢方薬ではないからと断ったのだが、とても欲しがっていたので漢方薬の問屋さんに問い合わせてみた。すると昨日の番組について面白い話をしてくれた。その話を教えてくれたのは、僕が漢方薬を手に入れるのにいつもお世話になっている漢方問屋の専務さんなのだが、生薬だけでなく色々なその分野における裏話まで知っている。勿論僕がお世話になっているのは表話ばかりだが、裏話を教えてもらい、僕が馬鹿な役回りを演じることを防ぐのも大切だ。そうして少なくとも僕の薬局を利用してくださる人は守る。
 ある1つの会社がヒハツを持っているそうだが、そんなもの売れたためしがないから在庫が少ない。それを全国の薬局で分けるのだから、1週間待ってといわれた。待ってまで利用するものではないのですぐに断ったが、その時の話が興味深かった。こんな話は拡散して、不正義な奴らを暴かなければならない。そこから発展して、「馬鹿にするなよ」といつも凛とした大衆でなければならない。なめられたらいけんぜよ。
 当初番組は、同じ内容をニッケで放送するつもりだったらしい。ところが1週間前に同じような番組でニッケを取り上げた他局があるらしい。そこで急遽キハツと言うものに変えたらしい。だからそのことは専務さん達も知っていて、キハツなるものが売れると思っていたらしい。ところが商品が先に述べた理由でないものだから、これから粉にしたキハツを作るらしい。
 この話が本当なら、あのひな壇に並んでいる医者達は何なのだ。そう言えばキハツを紹介していた女医の表情がひどく暗くてこわばっていた。心ここにあらずのような受け答えだった。ひょっとしたら・・・・・と勘ぐりたくなる。
 アホコミなんてこの程度だ。電通に殺された東大出の女性も然り、原子力の巨額の宣伝然り、汚リンピックの企業の儲けのための誘致然り、金と権力の手先になり、酷民の洗脳の手段に使われている。信じないことだ。見ないことだ。読まないことだ。そして許さないことだ。



2016年11月07日(Mon)▲ページの先頭へ
屈辱
 薬を取りに来た女性から教えてもらったこと。正しいかどうか分からないが、彼女が職安で経験したことを教えてくれた。
 そもそも今は職安なんて言わないのか。ハローワークと言うのかな。「こんにちは、お仕事さん」なんて訳すと、なんとなく「仕事がなくてもいいじゃん」なんて気にもなるが、ネーミングの変更は世間に仕事がないことを覆い隠す目的もあるのだろう。役人の考えそうなことだ。正社員でない人がわんさといる時代にして、職業安定所などとはとても言えないだろう。職業不安定所、職業的格差追認所などと言う名前のほうが現実を反映している。
 ところで今言われている求人倍率は、派遣で働いている人も正規の人間と同じようにカウントされるから、実際にはもっと低いと思うと言っていた。求人倍率は、岡山市、その他の市、郡部と次第に下がってくるとも言っていた。
 伝えられるところによると、韓国では上位10%の富裕層が国の45%の富を握っているらしい。この国にそういった計算がされているのかどうか分からないが、結構同じような数字が出るのではないか。そして正に世界中でそのような傾向になっていると思う。働いて物を作って金を稼ぐのではなく、金が金を生み出す経済が大手を振って歩く時代だから、情報量が少ない庶民に富は回ってこない。富は、まるで吸い付けられるかのように富裕層の周りに集まってくる。
 持てない者たちはこのままずっとその地位に甘んじるのだろうか。いつか不平を声高く叫ぶ日が来るのだろうか。ありとあらゆる機関を独占する者達にどうやって立ち向かうのだろう。或いは抵抗の苦手なこの国の人間は、永久に飼い犬よろしく餌をあてがわれて尻尾を振り続けるのだろうか。屈辱を屈辱でしか処理できない屈辱が蔓延を始めていることに気がつかないのか。





2016年11月06日(Sun)▲ページの先頭へ
担保
 先週初めてスーパーでてんぷらを買って、僕に出来ることが1つ増えた。前回は、ちくわといかとげそだったので、なんとなくおかずっぽくなかった。そこで反省して今日は店に入る前から買う物を決めていた。しっかりとおかずになるものを買うべきだと思ったのだ。前回沢山買いすぎた反省から、今日は2種類だけ買うことに決めていた。それはアジの開きのてんぷらと、かき揚だ。妻と2人分なので2個ずつ買った。それでも510円だった。と言うことは1人250円で夕食がまかなえるってことだ。これは衝撃だった。牛窓が都会で、近くにこんなに大きなスーパーがあれば毎日でも買いに来るかもしれない。ただ、運がいいのか悪いのか分からないが、我が家では立地上料理しなければ食べられないようになっている。まだまだ料理を作ってくれる人がいないと暮らせない状況だ。
 今夕食後1時間くらいだが、なんとなくむかむかして気分が悪い。恐らくてんぷらの油のせいではないかと思う。家庭で作るときは必ず新しいもので、使い古したようなものは使わない。酸化した油は大変な毒だ。体に入れるのには抵抗がある。ただ、店頭で売られているものはそれを確かめることは出来ない。一か八かの博打みたいだが、どうもこの気分の悪さは裏目に出た可能性がある。やっと、ひとつの壁を越えられたのに、壁の向こうの景色はそんなにいいものではなかったか。
 ついでにもう1つそのスーパーで遭遇した光景について書く。
 スーパーの中には医薬品コーナーがあり、登録販売士といわれる最近出来た資格で薬が販売されている。白衣姿だからすぐ分かる。僕が今日そのスーパーに寄ったのは夕方5時頃だったから、店内は混雑していてレジには人が並んでいた。何処のレジが一番早く進みそうか目安をつけて並んだところは、白衣姿の男性がレジを打っていた。僕の番になってその男性の胸元を見ると登録販売士の名札がついていた。忙しい時にはレジを打たされるのだと思った。薬剤師とは違うがなんとなく、刺身や寿司や野菜を籠から出してはレジでピピッとやっている姿は見たくなかった。折角勉強して資格を取ったのにと同情した。
 漢方講演会の帰り道での出来事だが、こうしたたわいもない日常により多く接することも、薬がよく効く為には必要な作業だと思う。現代人の不調は薬だけで治るような単純なものではないから。効く薬は効かす事が出来る人間性に担保されるのではと、歳のせいかもしれないが、最近とみに思う。(僕のことではなく、僕の先生のこと)


2016年11月05日(Sat)▲ページの先頭へ
先生
 朝の6時はやっと明るくなりはじめで、まだかなり薄暗い。寒いという言葉を出しても不思議ではないくらいその時間帯は冷えている。だから箱根駅伝の選手が来ているような大きなスポーツ用のコートを着て散歩に出る。でも20数年前に買った物だからとても重く、着ているだけで肩が凝る。
 土曜日の朝は、NHKで講演会の録音が放送される。今朝は5分遅れぐらいで聞き始めた。だからタイトルも講師も分からないまま聞き始めた。ただすぐに薬についての講演だと分かった。いったいどのような人を対象に話しているのだろうと思いながら、頭はラジオに、足は地面につけたまま結局6時50分までテニスコートを何十周もした。薬についての話を聞くのは実は結構苦痛だ。朝のきれいな空気を吸いながら、ウォーキングで体にスイッチを入れている時間帯に、職業に直結するような事柄は避けたいから。ただし、今日の話には何故か気持ちが集中してしまった。テーマは薬の吸収から代謝までの過程や仕組み、そして鎮痛剤の効き方だったのだが、とても分かりやすかった。職業柄使われる単語のほとんどは理解しているつもりだったが、正確にと言う点ではとてもおぼつかない。いつも通り20分でウォーキングを切り上げなかったのは、質の高い復習が出来ると途中から気がついたからだ。
 こんな感じで学生時代授業をしてくれる先生がいたら、僕ももう少しは授業に出て、薬についての知識を積めたと思う。そしてそれらが生かされる道を歩んだかもしれない。薬科大学に入りまるで文系かと言うような本ばかり読み漁っていたから、薬剤師としては失格だが、まあそれだからこそ人間失格にならなかったのかと、勝手に手を打っている。
 放送の最後になり、なんとなく声や喋り方で講師は、土曜の夜のニュースワイドにコメンテーターとして出演している東京大学の薬学部の先生かと思っていたら、なんと岐阜薬科大学の教授だった。名前を聞いても知らなかったから、僕とは大学で出会わなかった人か、或いは他大学からの人か。もし出会っていても天地の差だから交わってはいないだろうが。
 散歩から帰って妻に「あんな先生が当時大学にいてくれたら」と話をした。するとやはり妻は僕の一番の理解者だ。「そんな先生がいてもどうせ勉強はしていなかったわ。興味がそっちには全然向いていなかったんだから」「あたり」


2016年11月04日(Fri)▲ページの先頭へ
笑顔
 どうしてあれだけの不快症状で困っているのに、笑顔を振りまいておれるのだろうかと思う人がいる。30年前の交通事故の後遺症で、頚椎を傷め、自律神経のバランスを崩したゆえの症状と、神経を傷めた症状のダブルだ。想像がつかない人のためにほんの一例を紹介すると、冷たい風で髪の毛が揺れても頭皮が痛い。背中がつって痛い。乳房を持ち上げていないと胸が苦しい。くしゃみしただけで顎関節とこめかみが痛む。そして極めつけは、首の痛みで帽子をかぶることが出来ないだ。帽子が重過ぎるのだ。
 春からお世話を始めて、恐らく症状は半分以上取れたと思う。本人もそれは自覚してくれていて、ますます笑顔がさえる。他の人が同じ症状を持っていたら果たして自然な笑顔が出るだろうか。ただ、ここまではあくまで伏線でこの後が大切だ。
 僕より少しだけ若い。農家に嫁いでお百姓を手伝っている。あれだけの症状を持っての手伝いだから、どれだけ苦痛な作業か想像はつく。それでも毎年やり遂げている。当然今年も十分手伝って、稲刈りも済んで後数日働くだけらしい。そんな彼女が、自分よりもおじいさんやおばあさんのことを褒めた。80台半ばらしいが、とてもよく働くらしい。若夫婦の手伝いをしてくれるのだ。農家の方なら年寄りも働くのは当たり前かもしれないが、この義理のご両親は持っているものが違う。義父は心筋梗塞と脳梗塞、義母は心臓弁膜症と脳腫瘍。これらの病気を持ちながら、田んぼに出て手伝ってくれるのだ。「よく働くでしょう」と言うが、本当によく働く。どちらもいつ逝ってもおかしくないような持病なのに、感心するくらい働くらしい。ただひたすら働いてきたあの世代の特徴だろうか。
 この方々は牛窓の人ではないが、牛窓のお百姓だって恐らく同じだ。皆とてもよく働く。家族に迷惑をかけてしまうという意識が強いから働けないのは屈辱なのだ。だから、「申し訳ない」と言う言葉をよく使う。僕が幸運なのは、そうした人たちを子供の頃からずっと見て、接して来れたことだ。だからおのずと感謝の気持ちが育つ。見かけは決してスマートではないが、彼らこそ僕らの命のよりどころってことを自然に学ぶ。だから親しみを持ち尊敬もする。肉体を機械のごとく酷使して、辛い老後に待たれていても、それでも懸命に働く人たちに、感謝せずにはいられない。だから僕にはグルメなどと言うものはないのだ。お腹が満たされれば十分なのだ。舌が満たされなくても胃袋が満たされれば十分なのだ。魚に味噌汁に菜っ葉にたくあん。お代わりができれば幸せ。


2016年11月03日(Thu)▲ページの先頭へ
抵抗
 こういった日は必ず勘違いする。日曜日は何とか用事を済ませて5時半(笑点の時間)までには帰らなければと焦るのが常だ。ところが今日は何度かそうした勘違いを防いでくれるものがあったのに、気がつかないまま帰宅した。いつもと違った光景が目に入ってきたにもかかわらず、結局道中では気がつかなかった。
 最初は国道に出る寸前のある道路で。ヘルメットに作業着姿の男が数人列を成して歩いていた。僕は道路工事かと思ったのだが、近づいたところで、工場から出てきているところだと気がついた。大きなシャッターが開けられ、中は結構広い空間だった。今まで何年もその前を通っていたのに、そこが工場だとは気がつかなかった。日曜日なのに、この会社は忙しいんだと思った。
 2度目は、旭川を下っていたときだ。河口付近に大きな工場がある。野球のグラウンドを擁するくらいだからかなりの規模の会社だ。そこの駐車場は隙間がないくらい車が止められていた。車関連の会社だと聞いていたから、さすが好景気なのだろう、日曜出勤で働いているのだと思った。
 3度目は、母が世話になっている特別養護老人ホームでのこと。いつもならかの国から来たスタッフが働いているのに今日はいなかった。勤務中だから仕事のじゃまをするわけにいかず、ほんの短い会話で終えるが、純朴な微笑を返してくれる二人が今日は珍しくいなかった。
 最後は、帰り道のバイパスに上がる前のマルナカと言う大きなスーパーでの印象。日曜日の割には空いていた。恐らくよく流行っているスーパーで、いつも人が多い。今日は珍しく人が少なかったので、以前から一度買ってみたかったてんぷらに挑戦した。色々なてんぷらが並べられているが、どうして買ったらいいのかわからない。簡易の容器と輪ゴムがあったのでその中に食べたいものを入れればいいのは分かるが、一体何処で会計をしたらいいのかわからない。そこで同じように買い物をしている女性に尋ねたら、レジで会計をすればいいと教えてくれた。どうして色々なてんぷらの値段が分かるのか不思議だったが、これで次回からてんぷら類を買うことができるようになった。
 結局、いつもとは違う光景に触れながら、今日が日曜日ではないということが分かったのは、笑点を見ようとしてテレビをつけたときだ。最近になって、祝祭日も仕事を休むようにしたので慣れていないせいもあるのだろうが、まだまだ人様が働いている日に仕事を休むのには抵抗があるみたいだ。それが如実に顔を現した一日だと思う。


2016年11月02日(Wed)▲ページの先頭へ
奈義町
 興味がないから当然知識もない。尋ねられても答えにならない。ただし、頼まれれば俄然ハッスルする。
 インターネットで調べようと思ったが、その種の公演を見ることが出来るのは大都会だろう。それも京都とか大阪が似合いそうだ。テレビで見るときも確かに背景はどちらか、或いは東京だ。1つだけ例外は金比羅何とやらでローカルニュースで見たことがある。京都や大阪の地名を入れて検索すると正にその女性から頼まれたものにフィットする。ただうかつだったがチケットがべらぼうに高い。1人分で和太鼓なら下手をすれば20人、第九なら6人くらい連れて行けそうだ。
 それでは経済的に無理だから岡山県で検索してみた。すると市民会館レベルの大きな会場に有名な役者が来て公演をすることが分かった。ただ、そこでも又かなりチケットが高額なので諦めた。ところが、同じキーワードでいわゆる農村歌舞伎がヒットした。県北の奈義町にあるらしく、歴史もあるし、そもそも衣装が自前であることをアピールしていた。僕はその点が大切なのかどうかは分からないが、有名な役者の舞台もいいが、歌舞伎の原点ともいえるものを見せてあげれば喜ぶのではないかと思った。そもそも僕に歌舞伎について尋ねたのは、牛窓ではない工場の通訳だった。実習生の通訳として偶然知り合ったのだが、来日に当たってとてもよく日本について勉強していた。ただ来日して2年間のうちでどれだけのことを経験したのか尋ねたら、牛窓工場の子達のほうがはるかに沢山のことを経験していた。そこでいつものようにでしゃばって日本の文化について知りたいことがあるかと尋ねたのだ。
 運のいいことに、奈義町の歌舞伎公演は無料だった。ただ、その町はいわゆる県北で、最南端の牛窓からだとまっすぐ北上して2時間以上。他所の工場の通訳を連れて行こうと思えば、三角形の二辺をとおらなければならなくなるから3時間近くかかるのではないかと思う。とすれば往復では6時間だ。僕の運転能力をはるかに越えてしまう。
 ほどほどの場所で、ほどほどの値段で、ほどほどの演目をやるような、いわゆる庶民にも手が届くような舞台はないのか。新幹線で行かなければならないような場所で、驚くような値段で、聞いたこともない演目で、庶民には手も出ないような舞台が、日本文化を代表するようなものなら、僕は躊躇う。命がけで県北に行くか、金がけで京都に行くか。




2016年11月01日(Tue)▲ページの先頭へ
指名
 今回この子を僕は敢えて指名した。他の子も喜んで彼女を優先してくれた。おじいさんが亡くなってから急に無口になり、笑顔が消えていることに僕も気がついたから、何とか気を紛らわせてあげたかったのだ。実際寮の中での口数も随分と減っていたと通訳が教えてくれた。
 狙い通りに、建部の旭川のきれいな景色も和太鼓も楽しんでくれた。笑顔が戻り、一緒に行った5人の女性たちとも嘗てのようにじゃれるように行動していた。
 当日僕の狙い通り以上のことが起こった。この女性はとても勉強熱心で、日曜日ごとに倉敷にある無料で開設されている日本語の勉強会に出席している。寮を訪ねても本を片手にしている光景をよく目撃していた。ところが実際に言葉を交わす機会はとても少なかった。何故なら寮を訪ねると必ず通訳が自分の部屋から出てきてくれて僕のそばに陣取る。だから自然と誰もが彼女に依存してしまい、通訳を介しての会話になりがちだ。だから僕は一人ひとりの日本語の能力が分からない。
 ただその日は通訳は同行しなかった。比較的来日して日が浅い人ばかりだったので、その女性が通訳をかねることになった。物怖じして僕は沈黙の中で運転しなければならないのかと思ったが、彼女は果敢に話しかけてきた。今まで何処にそんなエネルギーを秘めていたのかと言うくらいだった。覚えた日本語を駆使して僕に話しかける。そのほとんどを僕が理解できるから驚きだ。知っている少ない言葉を駆使して、まるで工作のようだが、それでも目的のものを完成できるのだ。
 帰り道、乗り物にめっぽう弱いかの国の子が3人、後部座席で眠り込んだ。助手席に乗っている彼女は、ここぞとばかかり話しかけてきたが、その中でいわゆる身の上話になったときは、同情と祝福が混在した。
 農村部は今でも結構貧しいみたいだ。「ワタシ コドモノトキ オコメナカッタ オトウサン オカアサン イッパイハタラク カナシカッタ」「15デ ガッコウ オワッタ ホーチミンデタ オサラアラッタ ソウジシタ ソレダケ」どういった経緯で今の会社に就職できたのか知らないが、現地に大きな工場を持っている会社で、そこで選抜された人だけが日本に来ることができる。いわゆる業者に100万円を超える礼金を払ってくる人たちとは違って、手厚い保護を受けている人達だ。だからかもしれないが、人間的に礼節を重んじることが出来る子が多くて、お金を貪欲に求めている感じはしない。頑張れば正当な報酬を得られることが約束されている数少ない子達なのだ。これはひとえにその会社の誠実さによる。
 「お金を沢山持って帰って、どうするの?」と尋ねると、はにかみながら「タベモノノ ミセ ツクル」と答えた。僕が寮を訪ねると時々自分が作った食べ物を勧めてくれる。残念ながら僕には苦痛そのものなのだが、恐らく料理も得意なのだろう。高校には誰も進学できない農村部に生まれ、卒業と同時に都会に出て、ひたすら下働きをした。本人から直接教えてもらってはいないが、マッサージ店でその後働いていたみたいだ。チャンスをつかんだその子に向かって両親は「ニホンデ ベンキョウ イッパイシテクダサイ」と言っているらしい。
 昨夜寮を訪ねたときにその子は僕の正面に腰掛け、僕と通訳の会話をノートにとりながら聞いていた。痛々しい・・・・でも僕はきっと3年のうちに、彼女が自国で経験できないようなことを一杯体験させる。誰かの役に立つ、それ以上の喜びを僕は知らない。


   


漢方薬を初め天然素材の薬を用いて、さまざまな慢性疾患の回復をお手伝いします。
お店のホームページ
お問い合わせフォーム

☆★汗・臭いの気になる方はコチラ★☆

☆★ FAXで漢方相談 ★☆
※漢方のご相談は「漢方相談FAX用紙」を印刷し、ファックスもしくは郵送でヤマト薬局までお送りください。

新着エントリ
授業 (22:48)
性善説 (10/19)
勉強会 (10/18)
喪失感 (10/17)
(10/16)
動機付け (10/15)
揶揄 (10/14)
保身 (10/13)
視点 (10/12)
出発点 (10/11)

新着トラックバック/コメント
治療効果 (12:13)
9880円 (03:17)
写真 (10/11)
高松 (10/11)
後姿 (10/11)
ベース (10/10)
平穏 (10/10)
笑い声 (10/9)
年下 (10/9)
生花 (10/7)

■店舗名■
有限会社 栄町ヤマト薬局

■住所■
〒701-4302
岡山県瀬戸内市 牛窓町牛窓4808-3

■連絡先■
[TEL] 0869-34-5466
[FAX] 0869-34-6017
[E-mail] ご相談はこちら
[URL]

カレンダ
2016年11月
   
     

アーカイブ
2006年 (266)
4月 (25)
5月 (29)
6月 (31)
7月 (30)
8月 (31)
9月 (29)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (30)
2007年 (354)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (30)
4月 (31)
5月 (30)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (22)
11月 (29)
12月 (31)
2008年 (366)
1月 (31)
2月 (29)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2009年 (364)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (29)
12月 (31)
2010年 (364)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (30)
11月 (30)
12月 (31)
2011年 (364)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (29)
12月 (31)
2012年 (365)
1月 (31)
2月 (29)
3月 (30)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2013年 (366)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (32)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2014年 (365)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2015年 (364)
1月 (31)
2月 (27)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2016年 (365)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2017年 (293)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (20)

アクセスカウンタ
今日:5,766
昨日:9,253
累計:7,194,402