栄町ヤマト薬局 - 2016/10

漢方薬局の日常の出来事




2016年10月31日(Mon)▲ページの先頭へ
超下々
 ・・・熱や風邪の症状はないが、「胃腸の不調」や「ふらつき」がある。宮内庁病院での検査も異常はなく、病名や症状名は特についていないという。・・・

 体調不良の原因に「いじめ」もあると書いていた。天下の学習院でもいじめがあるのかと思ったが、それ以上に印象深かったのは、子供なのに〇〇様と呼ばれるような人間に対していじめをする生徒達の度胸だ。およそ〇〇様の後ろには国家権力をはじめとする色々な力が存在していそうだが、それをものともせずにいじめることが出来る人間がいるのだ。それは勇ましい人でもなく、勇ましい組織でもなく、ごくごく普通に育っている生徒たちのはずだが。
 無邪気か無恥か知らないが、子供達によい意味での身分の垣根が無いのだろう。マスコミに追われ警備員に守られる人でも、ただの級友なのだろう。
 ところで、僕なら治すことができるのではないかと思う。うぬぼれでは無く、同じような症状の子は沢山世話をしている。あの頃の子は、急に心も体も成長するからそれについていけないのだ。漢方薬はそうしたところを補ってくれるから意外と身も心も元気になる。特に、品よく育てられた子には、下々のありふれた生活ぶりを教えてあげるのが効を奏すると思う。堅苦しさの中で窒息しそうな子には、落ちこぼれる解放感を教えてあげるのがいい。いつも緊張していい人を演じることなど出来ない。隠れて、いや堂々と悪戯をすることだって許される、そんな生き方を教えてあげればいい。品のいい、人を喜ばせる悪戯は、自分自身も解放してくれる。人を傷つけず、自分自身もまた傷つけない、そんな生き方はある。
 取り巻きが「恐れ多くも水戸の御老公であらせられるぞ」と言いそうな人でも、子の笑顔が復活し、登校でき、親もまた苦し紛れの笑顔をしなくてすむ心の状態であるべきだ・・・と超下々の薬局は思う。





2016年10月30日(Sun)▲ページの先頭へ
 第22回晴れの国和太鼓祭りに行って来た。岡山市の北のはずれにある建部町の文化センターで行われたのだが、いろいろなことが1日のうちでも起こるし、色々な情報も得る。思い出す範囲でそのいくつかを書いてみる。たわいも無いことが多いし、たわいもあることも1つある。
 建部町はJR津山線の駅で、かの国の子達が勤める会社がある駅からひとつだけ北にある。11時の待ち合わせにしていたので少しだけ早く建部駅で待っていたが、その駅は秘境の駅かと言うくらい寂れていて、2人が電車の到着を待っていた。駅の周りも田んぼが広がり、田んぼの向こうにはすぐ山が迫っていた。降りたのも僕が待っていた女性2人だけで、他の乗客もあまりいなかったみたいだ。コンサートの帰りにもこの電車を利用しなければならないので、念のため上りの電車の時刻を調べたら、丁度コンサートが終わる時間帯には2時間くらい電車が通らない。結局は帰りは寮まで車で送っていった。電車が走らない牛窓から見ればうらやましいが、必ず鉄道が繁栄をもたらすとは限らないことを知った。
 どうも会場の駐車場が狭そうだったので、少しばかり早く到着するように計画していた。案の定着いたときには駐車場はがらがらで、牛窓から同行した4人以外を建部駅に迎えに行く道順、皆が合流できてから時間つぶしのために計画していた旭川の散策などについてガードマンにたずねた。若い男女のガードマンだったが、2人ともとても親切で、色々な智恵を授けてくれた。おかげで1時間くらい、彼女達は川の景色を堪能出来た。
 岡山県内の10団体の演奏会だったのだが、どのチームも腕が毎年毎年上がってきていることを実感する。その差がなくなってきているように感じる。技術からしたらそれこそ差が縮まり始めている。その差を感じさせてくれるのは、パフォーマンスと作曲能力だと気がついた。どのチームも随分と若返って、進化についていけない世代が裏方に回っているのではと思わせるくらい舞台から消えていた。オーソドックスな手法では受けないことをどのチームも気がついてきているのだろう。
 コンサートが終わって、まず2人を寮まで送ったのだが、道中興味深い話を聞いた。1人は通訳として企業に就職しているのだが、自分が最後の通訳になるだろうと言う。理由は、今現在働いているかの国の人間に代わって、ロボットを導入するらしいのだ。そのために、今45人のかの国の人を15人くらいに減らしたいそうだ。正にテレビで見ているようなものだ。大企業だからその程度のことはもう研究してるのだろう。労働人口が少なくなる日本だから、ロボットに変えるという計画は分かる。優秀とはいえないような人間がどんどん入国し始めているから、住環境を守るためにもいいことだと思う。「お父さん、今度から、ロボットと一緒に和太鼓を聴きに行くの?」と冗談を言ったが、あながち冗談ではなくなるかもしれない。時代はこんな身近なところでもダイナミックに変化している。
 息子が7人乗りの車を貸してくれなくなったから、不便この上ない。もっとも買って間もない車を傷つけたのだから仕方ないかもしれないが、所詮物に振り回されたくは無い。そのうちロボットに振り回され始めるのだから、せめて今だけは傷つきやすい人間でいたい。


2016年10月29日(Sat)▲ページの先頭へ
不自然
 「山梨県は28日、清涼飲料水製造業の富士ピュア(西桂町)が製造し、ポッカサッポロフード&ビバレッジ(名古屋市)が販売するミネラルウォーター「富士山麓(さんろく)のきれいな水」に基準値を超える発がん性物質が含まれていたと発表、食品衛生法に違反するとして富士ピュアに製品の回収を命じた」

 僕は薬剤師だから、それも調剤薬局みたいに医者の下請けではないから、直接患者さんの健康に関わる。だから自分の健康にも気をつけて、水にも、食べ物にも、空気にも細心の注意を払って・・・・・いない。
 水は、わざわざ不自然なペットボトルにはいっているようなものを買ってまで飲まない。水道水をひねれば、ただみたいな値段で美味しい水が出てくる。食べ物は体に悪いものでも好きなもは我慢しない。甘いものも大好きだから、この歳で歯がなくなるほど食べる。ただ1つ放射能だけは、被害者になるのが分かりきっているから、東のものは口にしない。後は好き放題だ。空気は田舎に住んでいるからとてもきれいだ。問題になることはない。これも西に暮らしている事が幸運だった。
 ミネラルウォーターなるものの内容を知らないから、その成分について言うつもりは無い。ただ、ミネラルを水に求める姿勢がおかしい。客になるようにどのように誘導されたのか知らないが、ミネラルなど食事から比較にならないくらいの量をとっている。何を今更水にそんな冠をつけて買わされなければならないのだろう。企業群が時間と莫大な金をかけて国民を洗脳した。わざわざ莫大な税金を使って回収しなければならないようなプラスチックの器に入れて、ただ同然の水を有り難く飲む風潮を作り上げてしまった。おめでとう企業家たち。
 資本主義とはほとほと不必要なものを作って金を稼ぐシステムだと思う。周りを見渡せばいらないものばかりだ。1つ手が加わるごとに、一つ企業が関与するごとに、自然が不自然に変わって行き、その間に多くの労働者の賃金と企業家の富が生まれる。農民や漁師から、野菜や果物や家畜や魚から、僕達の口に入るまで多くの行程を経る必要は無いのだ。そのままで頂く、それ以上に健康を約束されるものは無い。お金と健康をわざわざ差し出して、お金と健康を失うことは無い。


2016年10月28日(Fri)▲ページの先頭へ
簡単
 交代要員で数日前来日した3人のかの国の女性と昨夜初めて会った。インターネットでかの国の挨拶を調べて練習していったのに、全く通じなかった。10年近く交流があるのに全く覚えることが出来ない難解な言語だ。「ニホンゴ ムツカシイ」は彼女達のお決まりの文句だが、僕はあの国の言葉で「〇〇〇〇語難しい」と言えないから、はるかに彼女達のほうが学習能力がある。
 新しいメンバーが来たときに僕が必ずすることがある。それは彼女達が日本で是非してみたいことを聞いて、ぞの実現のために協力できるかどうかを判断することだ。大抵のことは今までしてきたが、たまに実現に至らないこともある。控えめな国民性か、今までの生活が質素だったせいかあまり無理難題を吹きかけられたことは無い。今までにできなかったことは、東京に行きたいと、富士山を見たいの二つだと思う。
 今回3人が新たにやってきたが、1人は京都に行きたい、一人は桜を見たい、1人は日本のきれいな景色を写真に撮りたいだった。これなら簡単に全員の要求をかなえてあげられる。桜は勝手に春になれば咲くし、日本の景色はきれいと何人もの人が嘗て言ってくれているから、敢えて何かをする必要も無い。京都は僕には助っ人がいるから結構楽しんでもらえる。
 基本的に僕がかかわる分野は「遊び以外」と決めているから、今までしてきたことを繰り返すだけでいい。昨夜、かの国に半年前に帰国した女性とインターネットで話をしたが、「ニホンノ タイコ キタ デモ ワタシイケナイ コチラ キュウリョウヤスイデスカラ タイヘンデス」と残念そうに言っていた。日本で10数回はコンサートに行ったからすっかりファンになってくれたが、それだからこそ余計残念だったろう。
 彼女達はこれから3年間、牛窓で実習生として働く。若者が少ないこの町で、作業着に作業ズボン、帽子にマスク姿の彼女達が1列になって自転車をこぐ姿を見るのは僕は好きだ。僕が帰って来た頃はそれこそ日本人の若者が同じ光景を見せてくれていた。豊かで貧しい若者が、貧しくて豊かな若者に取って代わられたこの2,30年の光景だ。


2016年10月27日(Thu)▲ページの先頭へ
立つ瀬
 よほど、人望が厚い先生なのだろう。午前中自院で診察をし、午後ある婦人集会で講演をし、夜は学術会議に出席した。普段はプールに通って健康にも気をつけているから、この程度のスケジュールは難なくこなせて、むしろ充実感で満たされていたそうだ。日曜日に、岡山市からちょっと足を伸ばし、三角形の2辺のような帰り方をするだけで疲れる僕とは大違いだ。もっともそれ以前に肩書きをはじめ、能力からして大違いなのだが。
 その医師が、翌日目が覚めたら、かなり咳き込む状態になっていた。さすがに漢方薬をたしなむお医者さんだけあって、良いチャンスとばかり自分で漢方薬を飲んで治すことにしたらしい。まず最初は参蘇飲、ちょっと効いたが期待したほどでもない。濃い痰が出始めたから肺炎だと思い清肺湯。これも効かないから初心に帰って葛根湯、当然タイミング的にも効かないから、こじらせたと思って柴胡桂枝湯。それでも効かないから喘息かと思って五虎湯や麦門湯、滋陰至宝湯、滋陰降火湯、挙句の果ては柴陥湯に竹如温胆湯。それに加えて麦門湯。
 もうこうなれば御自分でも言っているが、「手当たりしだい」状態だ。1ヶ月何とか頑張ったが一向に改善しなくて、結局は友人の呼吸器を専門にするお医者さんに診て貰ったらしい。するとマイコプラズマ肺炎だと分かり、マクロライドの抗生物質で嘘のように治ったらしい。先生は謙遜だと思うが「漢方馬鹿につける薬は無い。我流漢方の屁理屈の敗北」と言っている。
 自分の病気は治せない。これは医者の間でも通説らしい。だから自分で自分を診察しても保険で医療費は払われないらしい。それはそうだろう自作自演も行われるだろうし、この例のように客観的な判断も出来ない。
 この先生は、加齢のせいで免疫が落ちたことを最大の理由に挙げている。いくら医者でも、老化には勝てないし病気もする。手当たりしだいのうち2つくらいは的を射ているかなと思うが、残りは正に手当たりしだいだ。自分相手だから許されるが他人様には出来ない。僕などよりはるかに地位のある人が、面白おかしく自虐的に体験談を書いていてくれ、読んで救われた。非の打ち所が無い、遠く及ばない・・・・僕ら程度の人間にも、せめて立つ瀬くらいは残しておいて欲しいから。


2016年10月26日(Wed)▲ページの先頭へ
華政
 昨日やっと、「華政」と言う韓国のテレビドラマを見終えた。60回以上続いたから、結構引っ張られて、全てを見た。朝の8時から50分間の番組で、誰にも邪魔されずに見えるから堪能した。韓国のドラマは敵が次から次へと現れるから、飽きない。大体ワンパターンで、王様に仕える家臣が派閥争いをしていて、腹黒いほうが権力を握り、良心的なほうが色々な策略にあいながら立ち向かっていくというものだ。
 今回も御他聞に漏れず、アホノミクスと言う派閥の長が痔見ん党と言う利権集団を率いて、やりたい放題なのだ。民の命を軽んじ、奪い、富の蓄積にのみ奔走する。そこに公女(コンジュ)様と言う不遇の皇女が立ちはだかるのだが、幾度となく殺されそうになりながらも悪をやっつける。はらはらしどうしの60余週だったが、最後は大いなる溜飲を下げさせてもらった。ただ、テレビの中では満足のいく展開だったが、現実のこの国にコンジュ様はいない。まるで封建時代に戻ったかのように、底辺では多くの民が生かさず殺さず状態に置かれている。残念ながら、今その声は、アホコミ総ぐるみの報道管制状態だから、外部に届かない。いや、ひょっとしたら声すら上げてないのかもしれない。長い間、お零れ頂戴に慣らされているから、民は精神を去勢された集団なのかもしれない。
 見てはいけない、見てはいけないと思いながら、今日次のドラマの1回目を見てしまった。又僕好みの不運の王子が出てくるみたいだ。何故か知らないが、僕は常に王道嫌いだ。亜流か虐げられたものにしか共感できない。だめだだめだ、あの時間を読書に使えば、溜まっている薬の雑誌を何冊も読める。ただ、この60余週の様に1時間かけて気持ちと体を仕事が出来る水準まで持っていけるウォーミングアップには使えない。「コンジュ様〜」


2016年10月25日(Tue)▲ページの先頭へ
信頼
 全幅の信頼といえば大袈裟だが、「ここの会社でダメなら仕方ないか」くらいの信頼感はある。ただ実際には結構不手際も起こるが、さすがに短時間で今までは解決してくれていた。ところが今回は違う。21日に広島に漢方薬を発送したのに、今だ届かない。未着は患者さんの連絡でわかったのだが、もしその方が遠慮がちだったりしたら、一体どのくらいの漢方薬服用の空白が生まれていただろう。
 多くの方が経験してうんざりしているのではないかと思うが、大企業には急を要するときにいつでもかけられるホットラインがある。ただ、それらはまともにつながることはない。例の人工的な声で「只今込み合っていますから後ほどおかけください」と繰り返される。本当ならそちらから電話をしてくるのが筋だろうに、こちらから何度も屈辱的なコールを繰り返す。
 昨夜もこの屈辱を何度も味わった。全国的な会社だから、何処の県でもつながってくれればと言う思いで色々な所に電話をしたら、10分後くらいにつながった。こちらの素性を確かめられた後、確認しますとのことで安心して電話を切ったのだが、1時間後にかかった電話では、荷物が行方不明だということだった。そして今晩中には見つけられないだろうから明日連絡しますと言うことだった。このあたりでもなお僕は、かなりクロネコヤマトは信用していた。
 ところが今朝の電話では今だ見つからないということで、新たに患者さんに漢方薬を作り直して送ってくださいとのことだった。運賃は当方で負担しますということだったが、薬を飲むことができないでいる方に対しての心配りは感じられなかった。マニュアルどおりに謝って、マニュアルどおりに解決する、当たり前といえば当たり前の対応だった。
 僕がクロネコヤマトを利用する理由は牛窓出張所の所長の人柄だ。それ以外に理由はない。だから今度のことで他の会社に変えようとは思わない。あれだけの大企業が、あれだけの先端技術を使ってもなお行方知れずの荷物が出てしまうってことが驚きだったのだ。絶対安全と見栄を切っていた原発事故の犯罪に比べればこんなミスは、宇宙の塵くらいなものだ。
 クロネコさんと名前は同じでも、前時代的な管理体制のヤマト薬局だから、行方知れずの僕の頭の中をまず、何とかしなければ。


2016年10月24日(Mon)▲ページの先頭へ
不謹慎
 不謹慎と思われるかもしれないが、彼女達に全く悪意はない。
 鳥取地震は、岡山でも結構揺れた。聞けば長野県のほうまで長周期地震動は届いたらしいから、近距離の岡山県が激しく揺れるのも無理はない。地震を始め自然災害が少ないといわれている岡山県だから、僕も恐らく片手で収まるくらいしか地震は経験していない。そこへ地震警報が発令されるくらいの揺れだったから緊張した。
 日本は地震が多いから、激しく揺れたときは津波を警戒してすぐに逃げるようにと、数日前にかの国の女性達の寮で皆に話したところだった。ところがかの国では地震はほとんどないから、経験したことがなくなんとなくピンと来ないみたいで、あまり興味を示さなかった。寮の構造を見てあまりにも柱が少ないので気にもなっていた。
 数日後だから、僕の話が少しでも役に立ってくれていたのかと思ったが、夜尋ねてみると開口一番「オトウサン ジシンアッタ タノシカッタ」だった。「怖かったでしょう!」と言うつもりだったのが出鼻をくじかれた。「ニホンジン ツクエ モッテ コワソウダッタ」
 さすがに日本人は地震を経験しているから、それも直近では熊本で大きな不幸を見ているから、かなり地震に対して恐怖感を持っている。すぐに頭によぎる映像を一杯持っている。だから恐怖を感じないほうがおかしい。ところが彼女達は経験がないから恐ろしさが分からない。恐怖を感じるくらいの大きな揺れではなかったから、日本に来て地震を実際に経験できたことが喜びだったのだ。「〇〇〇〇ジン ミンナエガオ」と言う言葉がその時の心情を的確に表現している。
 ただしそれは不謹慎ではない。南の人が雪を喜ぶようなものだ。豪雪地帯ではあの忌まわしい雪でさえ、南の人たちにとっては憧れのものなのだ。それと同じことだ。恐らく国に帰れば自慢げに地震について語るだろう。物ではない、言葉を持ってでしか語れないお土産だ。
 今4人と最後の別れをしてきた。僕と妻で1人ずつ抱きしめていたら、見送る子達が数人で抱き合って、大声で泣き真似をし僕らの周りをぐるぐる回っていた。おかげで涙ぐんでいる姿を隠すことが出来た。この3年間、僕の出来る範囲で4人を大切にしてきた。悔いはない。忍び寄る冷気のようにこの時間の僕は既にクールだ。


2016年10月23日(Sun)▲ページの先頭へ
下5桁
 「ワシは、人生で3度死にかけた」と面白いことを言うから、その3度を確かめたくなるのが人情だ。
 決して饒舌ではない。僕が10秒で話せることを1分くらいかけて話す。内容を吟味しているのではなく、根っから出てこないのだ。こんな人を、僕は好きだ。全くの無防備でおられることが嬉しい。
 1度目は、生まれてまもなく。当然本人は知らないからお姉さんに聞いたらしい。助からないと医者に言われたらしいが、奇跡的に助かったらしい。
 2度目は、長崎の原爆。被爆したがこれもまた、命を奪われることはなかった。ただし原爆手帳は持っている。
 3度目は、岡山県に来て工場で働いているとき。感電して右の頬から胸にかけて電流が走ったらしい。これも奇跡的に助かった。
 「ワシは、よほど運が悪いんじゃろうかと、神父さんに言ったんじゃ」と言うから「よほど運がいいのではないの!3回も助かったんだから」と答えると、「そうとも考えられるなあ」と感心していた。その後話していると、20年前に脳梗塞もしていた。その後遺症で少しばかり足の痺れなどがあるらしいが、これもまた運がいい。「これからは、ワシは、人生で4度死にかけたと言ったら」と助言しておいた。ただその運の強さには理由があるらしい。長崎の人だから恐らく生まれながらのクリスチャンなのだろうが、残念ながら神様の力ではないらしい。彼がもらっている原爆手帳の下5桁が「死ににくい」なのだそうだ。これではなかなか逝けそうにない。まるで漫才みたいな内容だが冗談を言えるような人ではない。事実なのだろう。「よかったね〇〇さん、死に安いだったらもう済んでいたよ」


2016年10月22日(Sat)▲ページの先頭へ
接待
 これで僕もやっと大人になれたのだろうか。或いはヤマト薬局を認めてもらえたのだろうか。
 数日前に区長がふとやって来て、秋祭りのだんじりの接待をしてもらえないかと頼まれた。牛窓は昔港町で遊郭があったから、だんじりは女装した男が引く。化粧も分厚くして、色っぽいというより気持ちが悪い。漁師町でもあったから、気性が荒く、今でも酒を飲んだ、いや酒に飲まれた若者達が、うねりながらだんじりを引く。
 薬局の前の駐車場兼花壇は、大きなだんじりが横付けして、数十人の引き手が一休みするにはうってつけだ。僕は二つ返事で引き受けた。嘗ては僕も酒に飲まれて交通法規を無視して、道路をふさぎながらだんじりを引いた人間だが、さすがに体力がなく引退してから、なんら町に貢献していないことが気になっていた。ひたすら仕事をし、休日にはまず牛窓にはいない。後ろめたさを救ってくれるまたとない誘いだった。
 一体接待がどのようなものか知らなかったので区長に尋ねるとビールとするめくらいを用意しておいてくれたらいいということだった。ただ、それではわざわざヤマト薬局がする必要はない。色々と考えたが、何一つ実際に僕が出来るものはない。そこで娘に丸投げしたら、すぐに色々と考え手配してくれた。普段の伝手やインターネットを駆使して本当に手際良かった。色々そろえたが、中でも一番受けたのは、民宿青島さんに頼んだ地のエビのから揚げだろうか。子供達には妻が作ったケーキや有名店から取り寄せたクッキーなども受けたみたいだ。そして何よりも一番受けたのは、牛窓工場ではない他の工場からわざわざ2時間かけて手伝いに来てくれた二人のかの国の女性だろう。特に今日初めて会った方の女性は、工場で帽子をかぶり作業着を着て働いている人には見えなかった。一目見て目を見張った。まるで雑誌の表紙から飛び出してきたようなスタイルの女性だった。そして当然、かの国の女性特有の控えめさもあった。僕が176cmの身長だが、目の位置は明らかに向こうのほうが高かった。聞けば178cmだった。そしてそれが正にバランスが取れていて、素人目にも美しいと思った。僕は「国に帰って、モデルになったら」と冗談ではなく本気で言った。笑ってごまかしていたが、テレビに出てくる日本の馬鹿モデルたちよりはずっときれいで奥ゆかしい。もし彼女が日本人なら、モデルになれるだろう。
 えてしてこんなものだが、ちょうど接待中に漢方薬の患者さんが続いて僕は全く外の様子が分からなかった。ただだんじりが再び東に向けて動き出した後娘が来て「何も残らなかった、むしろ足らないくらい」と嬉しそうに言った。酒飲み達があれだけのものをつまみにして食べたのかと驚いたのだ。嘗て僕が引っ張っていた頃、酒以外のものを口にするようなことはなかった。区長が「大和さん、こんなにしてくれたら癖になりそう!」と言ってくれた。癖どころか、もっともてなさないと普段のお返しにはなりえない。
 小雨で寒かったが、こうした人間関係が築けている間、町が凍えるようなことはない。


2016年10月21日(Fri)▲ページの先頭へ
お礼
 口に出せばお互い泣けてくるから、飛行機の中で読んでもらうように約束してこの手紙を渡す。日本語が完全に理解できないかもしれないから、通訳に訳してもらい母国語も添える。半年毎にこうして見送り、又同時に迎える。何度経験しても別れはつらい。ただ、多くの経済的なお土産を持って凱旋する彼女達の喜びを知っているから、喜んで送ることは心得ている。
 数日前、自分達で開いたお別れパーティーの時に20人近い娘たちが集まって僕のことを話してくれたそうだ。「お父さんがいなければ、私たちは 牛窓とスーパーがある邑久町と、岡山駅しか知らない。お父さんのおかげで京都も姫路城も福山のバラ祭りも、神庭の滝も、丸亀城も、四国村も倉敷も行けた。そして和太鼓やベートーベンのコンサートも何回も行けた。シアワセ」通訳がみんなの会話をまとめて教えてくれた。その都度嬉しそうにお礼を言ってくれるが、こうして間接的に聞くと数倍嬉しかった。今まで僕がやってきたことが少しは役に立っていたんだと確認できたことが嬉しかった。本当は心地よい交流で僕の日々の緊張を解きほぐしてくれていて、お礼を言わなければならないのはこちらなのに。



〇〇ちゃん、3ねんかん ごくろうさまでした。
よくがんばりましたね。はじめてきたときに ベトナムのはなしをして なかせてしまいました。
でもそのあとは いつもたのしく わらいごえでいっぱいでした。 
3ねんかんの けいけんを たいせつにして これからも すばらしいじんせいを おくってください。
まわりのひとを いつもえがおで。
いつかまた あえるかもしれません。
そのときまで。
〇〇ちゃんにあえて おとうさんは しあわせでした。
にほんの おとうさんより

□□□さん 3ねんかん ごくろうさまでした。
いつも あなたの えがおに なぐさめられていました。
あるいているときに すぐにうでをくんでくるあなたは まるでほんとうのむすめのようでした
よいかていを きづき ひとをたすけ くらしてください。
せいしゅんじだいの にほんの けいけんが やくにたちますよ
いつかまたあえますように
にほんのおとうさんより

△△△△さん 3ねんかん ごくろうさまでした。
あなたは にほんじんが わすれている やさしさや けんきょさなどを もっているひとです
きっと これからも おおくのひとにあいされ しあわせにくらしていけます
いつまでも そのこころを もちつづけてください
いつかまたあえますように
3ねんかんの たのしい じかんを ありがとう
にほんのおとうさんより

▽▽さん 3ねんかん ごくろうさまでした。
よくがんばってはたらきましたね。あなたが かぞくのために いっしょけんめい はたらいていたのが よくわかります
きっと よい おかあさんなのでしょうね
これからも しあわせに くらしてください
3ねんかん フンさんのおかげで たのしかったですよ
にほんのおとうさんより


2016年10月20日(Thu)▲ページの先頭へ
警告
 新しいことわざがある。作者不詳ではなく、作者不肖で申し訳ない。今日出来たことわざだ。「去るものは追わず・・・だけど猿なるものは追う」
 昨日配達に行っていた妻が、帰るや否や興奮気味にカメラを見せてくれた。妻は雲博士だからいつもカメラを車に積んでいる。地震雲を見つけるたびに見せてくれるが、最近は地震が頻繁に起きているから、ほぼ中る。
 今回は雲の写真ではなかった。西脇海水浴場辺りに配達に行ったのだが、そこに行くために一つ峠を越えなければならない。ちょうどその峠を海水浴場の方向に下りかけたあたりの空き家の屋根に2匹の猿が登っていたそうだ。車を運転して見つけたのだから、カーブのところでその空き家が正面に見えたのだろう。妻は慌てて車を止め写真を撮ったのだが、さすがに猿には驚いたのか、少しピントがずれていたが、それは紛れもなく猿だった。
 猪の後は鹿、この辺りまではなんとなく郷愁を誘われていたが、猿と来るとちょっと危険を意識した。テレビニュースで都会に猿が出て大捕り物をしているのが何度も放映されたせいか、危険な生き物と言う印象が先に来る。うかうかその辺りには出かけられないなと思う。もっとも猪の方が危険だが、こちらが敢えて彼らの領域に踏み込んでいく機会は無い。薬局があるところや僕の行動範囲にはいわゆる里山はない。だから恐らく遭遇はしないだろう。ただ猿は、屋根から屋根の世界だから何処にでも出没できる。より身近に来ることが予想される。
 日本中で過疎化が進んで、人間の居住空間が狭くなるにしたがって、野生動物の安全地域が広がる。その視点からすると今はどのくらい時代を後戻りしたのだろうか。戦後?昭和初期?大正時代?明治時代?まさか江戸時代?面白いといえば面白い。物欲の鬼となり、ひたすら経済だけを追いかけて来たこの国の人と言う動物に、彼らが警告してくれているようにも映る。、


2016年10月19日(Wed)▲ページの先頭へ
示唆
 興味深い経験をした。普通、向精神薬といわれるものを飲んでいたら、その薬から離脱するのはかなり難しい。まして何年も飲んでいたら尚更だ。ところがこの方はわずか2週間で3種類のそれらの薬を切ってしまった。と言うことは如何にそれらが今まで無駄に飲まされていたかってことでもあるし、中毒になるほども効かなかったってことだ。いわゆる毒にも薬にもなっていなかったてことだ。
 30数年2時間睡眠だというから、僕の持論を証明しているような人だ。2時間意識不明になれれば大丈夫。その代わり6時間くらいは横になる。これで脳と体は休まっている。ところが僕達は、理想の睡眠を求めるからこんな数字には耐えられない。だから不眠症の薬をもらい、それは脳の中に入っていける薬だからどうしても依存してしまう。飲まなければ眠れない悪循環に陥ってしまう。ただ、この方は珍しく「飲んでも眠れない」人で、苦痛はかなりだ。問診中にもふと涙を流しそうになった。ただ善良そうな人柄が零れ落ちそうな方で、僕はなんとしても希望をかなえたいと思った。紹介してくださった方の善意にも応えねばならなかった。僕は話していて、医者が感じて投薬したこととはまったく別のことに気がついた。この方の不眠は全く心と関係ないと思ったのだ。心より体の治療が優先されるべきだと思ったのだ。体調が整えば自然に眠れるようになってもらえるのではないかと思った。問診で肉体的な歪が分かったから、それを治せば自然に解決できると思ったのだ。
 40年近い不眠がわずか2週間で治った。不眠イコール心の悩みなどと言う勝手な決め付けをしないようにと戒められる経験だった。運よく漢方薬には脳の中に入っていける薬はない。多くの依存症を作ることに漢方薬は加担しない。体や心にどんな歪を抱えているのかを問診で確かめ、それを解決する処方を探す。その処方が合えば驚くほどの自然治癒力を発揮する。
 不眠だけでなく、多くの示唆に富んだ経験をさせてもらった。何歳になっても学ぶものは多い。


2016年10月18日(Tue)▲ページの先頭へ
山肌
 僕が持参した紙袋の中に薬が入っているのを見つけると一瞬にして満面の笑みを浮かべ、通訳に向かって、けたたましく何か話していた。僕はその顔の変化を見てしまったから「こんなに期待してくれているんだ」と嬉しさより緊張感のほうが勝った。
 数日前に、その女性から甥の事について尋ねられていた。なんでももう5歳になるらしいが、食欲がなくやせ細って、病気ばかりしているということだった。伯母に当たるその女性が帰国するにあたって、何か薬を買ってきてと頼まれたらしい。向こうの国の人にはよくあることで、荷物の重量制限ぎりぎりまでお土産を買って帰る。僕は液体のアミノ酸製剤を思い浮かべたが、後1kgしか荷物に積めないといわれ苦肉の策で処方を考えた。錠剤で4か月分560g。これなら大丈夫だ。優しい伯母の顔があった。
 それにしても、まず国で医者にかかるべきだと思うが、医者には行っていないらしい。病気か虚弱か分からない。日本で果たして同じ状態の子を病院に連れて行かないことが出来る親がいるだろうか。日本に働きに来て、日本人と同じような顔をして同じような服を着ているから、あたかも同じ生活水準だと勘違いしてしまうが、本当は病院にも連れて行けないくらいなのだ。まして農村部の女性が多いからこの話のような水準で暮らしている人ばかりなのだろう。一度国に帰ったら、向こうの生活水準に戻るから日本の薬など買えなくなる。だから僕もお土産として持って帰れる量で治すことが出来るような薬を作らなければならないのだ。
 今回のように子供に関しては、体が弱いという相談や皮膚病が多い。大人は、酒とタバコと重労働が原因のトラブルが多い。僕は2週間勝負の仕事を毎日やっているので、途中で病状の変化を確認できずに、数か月分の薬を手渡すのには抵抗がある。もっと役に立てるのにと思っても制限が多すぎて、歯がゆさこの上ない。
 助け合わなければ暮らしていけない国から来た女性達に僕は多くのものを教わる。多くの感動も得る。見上げれば満月。数日後には、かの地の山肌で彼女達はこの月を見るのだろうか。


2016年10月17日(Mon)▲ページの先頭へ
消耗品
 当然といえば当然だ。素人だから本質のところは理解できないが、舞台での演奏を数年見てきているから、もう十分「志多ら」のメンバーになれると思う。昨年だったか、コンサートが終わって出口でメンバーの見送りを受けるときに「志多らに入ったら!」と声を掛けたのだが、その通りになって嬉しい。全くの部外者なのに、夢幻の会のレベルの高さにはいつも驚かされ感動をもらっているので、自然に肩に力が入る。
 志多ら入りの報告の挨拶の時にOさんが自分で言っていたが、3歳から15年間和太鼓を打っているらしい。資質(お父様が創始者?)と鍛錬でつかんだ腕前だろうが、どれだけの人を感動させてきただろう。太鼓は鼓動と共鳴して人の心を大地に戻してくれるが、どれだけの人が明日への決意を心に秘めただろう。
 若者の多くが、一部の大金持ちの老人達や政治屋達によって使い捨てと言う辛酸を舐めているが、こうして自ら進路を切り開く若者にいっぱい出てきて欲しい。まるで将棋の駒のように手の内にあるような生き方をしないで欲しい。いやなものはいや、決して安易に妥協しないで、自らの才能に気づき、用意された面白みのない道には進まないで欲しい。くれぐれも消耗品などにはならないで。


2016年10月16日(Sun)▲ページの先頭へ
第1回よさこい高松
 つくづく言ってみる、いや言われてみるものだ。
 通訳としてやって来ている女性が、国にいるときによさこい踊りを見て感動し、日本に行くチャンスがあれば是非見てみたいと思っていたそうだ。それとは全く違う内容の会話をしているときに突然その女性が言った。願いをかなえることに生きがいを感じている僕は早速調べてみた。条件は日曜日に開催されること。日帰りが出来る所。この2点だ。となると県内か香川県か、兵庫県の岡山寄りくらいに絞られる。全く興味がなかったので、条件に見合うものがあるなどとは想像できずに、義理チョコみたいなノリで調べた。ところが僕にとって最高の条件、これ以上の条件はないくらいのものが見つかった。2ヶ月以上前のことだ。
 大好きなフェリーに乗って行ける高松が会場。今日の日曜日。そして凄い偶然と言うか幸運が重なった。なんと僕が大好きな和太鼓集団志多らと夢幻の会のコラボが香川県民ホールで行われたのだ。僕は踊りには興味がないから、俄然和太鼓のコンサートがあることが分かってモチベーションが上がった。楽しんでくれるのを楽しむより、自分も楽しい方が数倍の喜びだ。
 ニュースか何かで見たことがあるから、よさこい踊りに度肝を抜かれるようなことはなかったが、音楽の大きさと衣装の派手さには確かに目を見張った。若者達の楽しそうな表情、激しい動きにも好感は持てた。ただ残念ながら僕の感性ではそこまでだ。それ以上の感動を呼び起こされることもなく、1人の引率者として振舞った。ただ、意外と言うか当然と言うか、希望した通訳をはじめ連れて行った6人のかの国の女性たちは、想像以上に喜んでくれた。日本の衣装もよかったらしいし、若者の楽しそうな踊りも良かったそうだ。それが証拠に写真、動画を撮りまくっていたし、最後には舞台から降りてきた踊り手たちと一緒に写真に収まっていた。 
 かの国の女性達との付き合いがなければ、よさこい踊りなど見ることもなかったし、屋台で肉うどんを食べることもなかったし、屋台で売っている棒に豚肉のソーセージみたいなものを串刺しにしているようなものも口にすることもなかった。なんだかんだと言ってこちらのほうが確実に得るものが多い。僕がしていることなど些細なものだ。来週又4人が3年間の仕事を終えて帰国する。本当の娘みたいに親しいのに・・・


2016年10月15日(Sat)▲ページの先頭へ
 10月14日、厚生労働省は「エチゾラム」(商品名デパス)という物質を含む薬を「向精神薬」に指定した。乱用や依存の危険があるので、慎重に管理・使用すべき薬としたのだ。 不安や不眠、さらには腰痛などの症状を和らげるため、いま多くの患者さんに処方されている薬だが、以前から、いわゆる「依存症」を引き起こすリスクが高いことが指摘されていた。
 薬物によって精神障害を起こした人のなかで、どんな原因が多かったか?厚労省研究班が全国の医療機関にアンケートした結果。(2014年度) 1位の「覚せい剤」、2位の「危険ドラッグ」に続き、「医療機関で処方された薬」が大麻やシンナーより多く、第3位に入っている。 そして、数多あるお薬のなかでも特に大きな原因となっているのが、冒頭にご紹介した「エチゾラム」(デパス)だ。
Q なぜ、エチゾラムは乱用・依存を起こしやすいのでしょうか?
原因の一つは、皮肉ながら「良く効く」ことにあると思います。不安や不眠に悩んでいる人がエチゾラムを服用すると、すぐに気が楽になったり、良く眠れるようになったりします。そしてふらつきなどの副作用も比較的少ないとされています。 それはとても良いことなのですが、ずっと飲み続けているうちに、脳が薬に慣れて効果が出にくくなる「耐性」が生じます。すると、薬の量が増えたり、服用する間隔が短くなったりする。それでも効かなくなるともっと量を増やす…という風に、悪循環に陥ってしまうのです。

 やっとと言うかついにと言うか、僕らが素朴に疑問に思っていたことに国が重い腰を上げた。製薬企業の力が強くて身動きできなかったのかもしれない。アメリカに許可なく持ち込むことが出来ないような薬が、毎日国中で莫大な量が処方され続けたことを、患者は知らない。上記のようにお医者さんが答えてくれているが、薬だけで解決しようとする患者と、薬だけで解決しようとする医者との共同作業が何の躊躇いもなく行われていたって事だ。楽して楽になるのなら、頑張って楽になることはない。多くの人が選択しそうなことだが、折角脳の関所があって、得体の知れないものを脳の中に進入させなかったのに、関所破りを常態化することが出来る薬を作ったものだから、それなりの代償は払わされるだろう。急性疾患にデパスはいいと思うが、だらだらはさすがに抵抗がある。薬は確かに数時間リラックスはさせてくれるが、そうなった理由を解決はしてくれない。必ず原因があって薬が欲しくなったのに、その原因を解決しないで、体調や心が元に戻るはずがない。例えば糖尿の人が甘いものを好み、肝臓の人人が酒を好み、喘息の人がタバコを吸うのと同じように、心が疲れるような人間環境や労働環境を変えずして、改善するはずがない。1錠9円の薬で何が得られるだろう。
 1時間働けば1万円は稼ぐお医者さん達が、9円の薬を出して「心よお元気で!」では情けない。知識と温情で1時間分働くべきだ。患者にしてあげられることはプロだから一杯あるはずだ。泣いたり笑ったりをともに出来る存在があれば改善する人ばかりだから、超プロがそうしてあげればいい。そうしたら薬などいらないのではないか。人と人の心がまるで刀のようにつばぜり合いを繰り返す現代のこの国で、薬物だけで人の心を回復させようなってことができるはずがない。
 デパスを手に入れにくくする代わりに、心を割ってプロと話が出来る環境を作らなければ、多くの依存者たちは闇のデパスに手を出すだろう。



2016年10月14日(Fri)▲ページの先頭へ
風に吹かれて
 ボブディランがノーベル文学賞を受賞したのが嬉しいのではない。当時同じような思想をもち生きていた若者が評価されたことが嬉しいのだ。世界中に、ボブディラン的に生きていた何億もの若者が評価されたのだ。半世紀の時が経っても、あの頃と同じように武器は作られ、消費=使われ、多くの人間が殺され、多くの独裁者気取りが国をあたかも私物のように動かしている。
 あの頃強いものに抵抗することに慣れていたはずの若者達は、今どうしているのだろう。独裁者気取りの側に立ち、おこぼれをちょうだいしているのか、或いは諦念のうちに窒息したまま生きているのか。
 今の時代にボブディラン的に生きている人がいるのだろうか。今の時代にボブディランが必要ないはずがない。今の時代にも、今の時代だからこそ必要なのに、あのような人を目撃しない。あのような人が生まれてくる素地が何処の国にも地にも無くなったのだろうか。大いなる力が情報を独占し操作して、人々の精神を去勢することに成功したのだろうか。

  どれほどの道を歩かねばならぬのか
  男と呼ばれるために
  どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか
  砂の上で安らげるために
  どれほどの弾がうたれねばならぬのか
  殺戮をやめさせるために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

  どれほど悠久の世紀が流れるのか
  山が海となるには
  どれほど人は生きねばならぬのか
  ほんとに自由になれるために
  どれほど首をかしげねばならぬのか
  何もみてないというために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

  どれほど人は見上げねばならぬのか
  ほんとの空をみるために
  どれほど多くの耳を持たねばならぬのか
  他人の叫びを聞けるために
  どれほど多くの人が死なねばならぬのか
  死が無益だと知るために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない



2016年10月13日(Thu)▲ページの先頭へ
西日本
 妻がえらく嬉しそうな顔をして配達から帰って来た。手には4つのキャベツが入った袋を持っていた。「やっと、牛窓産が出始めたわ」と言って、子供達と姪に一つずつ分けていた。いつも利用する農家の直売所で買ってきたらしい。何でも1個150円らしくて、僕にはそれが安いのか高いのか分からないが、それが問題ではなく、牛窓産が問題なのだ。「これでお好み焼きが出来るわ」「私もお好み焼きをしよう」と話がお好み焼きに発展したが、それが問題ではなく、今までお好み焼きをするためのキャベツが手に入らなかったことが問題なのだ。
 キャベツが手に入らなかったなどと、不思議なことを言うと思うかもしれないが、厳密に「安心して食べられるキャベツが手に入らなかった」と言えば分かってもらえると思う。これは食べられるか食べられないかと言うことが問題ではなく、安心してと言う一番大切なことを問題にしているのだ。
 今まで妻がキャベツを買わなかったのは、店頭に並べられているのがほとんど関東産だったからだ。福島の原発事故?事件?以降、静岡県から新潟県ラインの東側のものは原則として口にしないことにしている。だから今回のキャベツの件のように多少の不都合はあるかもしれないが、放射能に汚染されている可能性のあるものを口にする勇気はない。勿論検査で放射能が「検出されず」が多いのだろうが、検出されずと「限りなくゼロに近い」は異なる。今回の事故でより鮮明になったことは、国や学者はほとんどが企業の味方で、国民が被爆しようが死のうが問題にならないってことだ。唯一企業の儲けが減らないこと、それが関心ごとなのだ。だから都合の悪い数字は出さないし、都合が悪いことは風評被害などと都合のいい言葉を使う。自分達が犯した死刑に匹敵する罪など簡単にないものにしてしまった。国の機関が全て企業家の為にあるのだから、赤子の手をひねるより簡単だったろう。
 世の中では、あたかも放射能について気にしなくてよいがごとくに情報操作されているが、その手に乗って健康を害することに甘んじるほど僕は勇敢ではない。ただでさえ強靭な肉体を持っていないのだから、少しでも害されると日常が地獄に変る。そんな被害者にはなりたくない。偶然、西に暮らしていただけで直撃は免れたが、巡り巡っての被爆は避けられない。加害者がより豊かに、被害者がより隷属する、こんな理不尽がまかり通る国に僕らは住んでいるのだ。
 「ももっ、ももっ・・・」若い女性達が円いテーブルを囲んで体を揺らしながら手を叩いている。そこで敢えて山梨県産とナレーションが入る。あたかも山梨県産だったらいいと言いたいのだろうが、我が家ではその瞬間から絶対その飲み物は飲んではいけないリストに入った。
 罪を償わなくても良い犯罪から、捜査されない犯罪から懸命に身を守っている西日本に住む住人は沢山いる。


2016年10月12日(Wed)▲ページの先頭へ
直感
 この場を借りて、メール代わりに、ある方に連絡をしたい。「すぐに返信のメールを書いて送りましたが、受け取り拒否みたいです。何度挑戦してもダメだったので娘に携帯電話から送信してもらいました。それは届いているみたいですから、僕の質問に答えてください。そうしないと薬が作れないのです」
時にこういったケースがあり、その都度大変な労力を要する。この残りわずかの気力体力を、今治療中の人達のために使いたいからこの場を借りてお願いした。又将来同じように僕に連絡をくれるかもしれない人たちに前もってお願いできたら、今回のことも多いに意味を持つ。
 僕に相談してくれるときは、住所や電話番号を最初から書いておいて欲しい。僕は田舎で暮らしているし、贅沢もしないし、何故か患者さんも多いから、経済を目的に仕事をしなくてすんでいる。だから薬を「売る」ための努力はしない。ただ求められたものだけを提供する作業を30年くらいやってきた。薬が必要にない人に売った事もないし、まして押し付けたことなど一度もない。相談者と一緒に問題の解決の努力のみをする。それ以上のことはしない。病気が治れば喜び、役に立てられなければショックを受け自分の未熟さに業を煮やす。治らなければあとを引く。治ればすぐに忘れる。
 卑近な言い方をすれば「僕の薬局に対して無駄な警戒はしないで!」に尽きるのかな。一緒に問題を解決しようとするときに、探りを入れたりしないで。僕にはそんなことをする時間は残っていない。
 娘が返信が届かないで困っているのはどの企業も同じで、だからこそホームページの最後に、設定によって返信できない事があるから気をつけてというような文言を何処の会社も載せていると言っていた。指摘されて僕の薬局のホームページを改めて見てみると同じ文言が載っていた。それを見て少しは気持ちが楽になったが、相談メールを見て「この人は治すことができる」と直感したので、みすみす治らない状態でこの先を生きていくのかと思うと残念なのだ。医療従事者なんてそんなものではないか。
 


2016年10月11日(Tue)▲ページの先頭へ
覚悟
 「治せ言うほうが無理じゃわ」「もう覚悟はしとる」なんておおらかな方だろう。なんて勇気がある方だろう。悟りの境地に達しつつあるのだろうか。お医者さんを思いやる気持ちに溢れている。
 まだ、70歳を越しているが元気そのもので、海に毎日船で出ている。日焼けして骨格もしっかりしているから僕なんかよりはずっと元気に見える。声も大きくて、話も大きくて、きっと楽しい人生を送ってきたのだと思う。昔は船乗りで瀬戸内海を東西に行き来していたみたいだ。
 その男性は毎週処方箋を持ってやって来る。多いときには週に2回来る事もある。最初の頃は照れ隠しで「毎日来ているような気がするなあ!」と言っていたが、今はもうお互いに慣れてしまって、そうした無駄な挨拶はしない。このように処方箋を持ってくる機会が多いのは、いくつもの科にかかっているからだ。元気そうに見えても色々な不調を抱えている。ただ僕に言わせれば、不養生や気にしすぎ、果ては治るはずがないものまで病院にかかっているから、こんなに頻繁に薬を取りに来なくてはならないのだ。たとえば皮膚病など10年近くかかっていてますます悪化している。人間の手ではなくなってほとんど「象か!」と言うくらい悪化している。あまりにひどくて見ておれないので、僕の薬局で作っている皮膚病薬を無料で上げたら(紳士協定で介入できない)結構改善した。ところがやはりお医者さんのほうがえらいと見えて、いつものように処方箋を持ってくる。
 他の疾患も同じようなものだ。医者にかかってさえいれば元気になったり病気が治ったりすると思っている人が多いが、この男性も同じだ。治せ言う方が無理だとか、覚悟をしていると言うが、無理だと分かっているなら、覚悟しているなら治療を止めればいいのに、ひつこく病院通いしている。本当は小心で、横着で、臆病で煩悩だらけなのだ。ただし、そうした人こそが普通なのだ。善良で地域を支えた人たちは皆こんなものだ。野心に満ち、人様を踏み台にして自分の欲望を満たす人種にこんな人はいない。そして運がよければ、そうした人間に生涯接することなく過ごせれる。ただ、そうした人間達に、僕らには見えない手段で多くのものを奪い取られていることは大いにありうる。目を凝らし耳を澄まし、悪意から遠ざからなければならない。そうしないと大切な人たちと一緒に不幸を強いられることになる。
 このところ、見たくもないような人間、触れたくもないような人種がお日様の下を闊歩している。善良な庶民は崖っぷちにじわじわと追いやられていることを忘れないように。



2016年10月10日(Mon)▲ページの先頭へ
児島湾干拓和太鼓フェスティバル
 児島湾干拓和太鼓フェスティバルに行って来た。第8回になるらしいが、僕は半分辺りから聴いている。出場5団体のどのチームも次第に力をつけて、随分と上手になった。喜ばしいことに、子供の打ち手がどのチームも確実に育っていて、幼子も舞台の上に上がり熱演をする。ただ以前と違うのは、その幼子達もただかわいいというだけで拍手をもらっているのではない。れっきとした打ち人として登壇し拍手をもらっている。かわいいけれどまだ人に聴かせるほどではない・・・と言うのは今日の子供のチーム何処にもなかった。確実に幼い頃からの訓練が実を結んでいる。
 これは幼子ではないが、「風人」に若者2人が加入した。今まではある女性の打ち手に魅了されたコアなファンが多かったが、これからはより発展的な変化も期待できる。1曲目にいつものように3人で演奏され、女性の鍛えられた演奏に会場中の恐らく全員が魅せられたが、その後に太鼓が5つ並べられて、新人二人が加入したことを知った。その若者も元の3人になんら劣ることなく演じきった。
 ところで風人の演奏までは会場で「奇声」を上げて喜んでいるのは僕だけだったが、風人の演奏が始まる前に大きな拍手が起こり、誰かが大きな声で応援していた。ファンがいて多いに盛り上げてくれていた。僕の声援は風人には必要ないくらいだった。嬉しかったのはその一人の大きな声援だけでなく、自然に拍手が盛り上がり、これは終始演奏中、続いた。誰もがその実力を知っているのだ。そして何度も訪れる美技のたびに声援と拍手が送られる。
 今日一緒に聴きに行ったかの国の女性は、来日2年目の介護施設の女性二人と、ある大手の工場で働いている姉妹だ。その姉妹は和太鼓は初めてだったが、風人が一番良かったと二人して評価できるくらい熱心に、それも驚きをもって聴いてくれていて、ついに最後のほうは僕に劣らぬ大きな声援を送っていた。声援が演者にとってどれだけの喜びかを教えてあげたからかもしれないが、恐らく感動を現すことの壁が無くなったのだろう。
 僕自身が楽しめる事、一緒に行った人も楽しめること。この大切な二つの要素を満たしてくれる太鼓チームの人たちに本当に感謝する。来年も是非聴きに来るぞと帰るときには決まって誓うのだが、今日はかの国の女性達が、「一緒に来年も来ようね」と約束していた。初対面の二組が一瞬にして打ち解ける光景を、僕は幾度も見せてもらっている。こんな場面に立ち会えることで、非力な日常を何とか水面まで持ち上げることが出来ている。


2016年10月09日(Sun)▲ページの先頭へ
トロッコ嵯峨野
 トロッコ嵯峨野の駅に12時丁度に着いて、そこで偶然会って喜ぶ様に演出していたのに、なんと京都在住の僕の若い友人は来ていなかった。20分くらい待ったが現れないし、携帯電話もつながらなかったので諦めて、そこからも僕がかの国の女性4人の観光ガイドをすることになった。トロッコ列車を降りてから全て彼女に丸投げの予定だったから、正直慌てた。ただ、半年前に彼女に案内された行程を全て頭に入れていたので、嵐山あたりの案内は粗相がない自信はあった。案の定、嵐電駅のまん前の大きなお寺とそこから通じる竹林、そして渡月橋は十分案内できたと思う。1時間くらいそれに費やしただろうか、滅多にない公衆電話を見つけて3度目の挑戦をしたら、彼女が電話に出てくれて、やはり嵐山に来てくれている事が分かった。
 そこからはもう神様に会ったようなものだ。いや京都だから仏様だろうか。僕は彼女の後をついていくだけでいいのだ。すでに2回京都を案内されているから、なかなか自立できなくて安易に頼ってしまうようになっているが、これからも頼りきろうと思っている。彼女が現れてくれてからは、僕も一旅行者になれた。もう何度も京都に行っているが今日が一番楽しかったような気がする。理由はいくつかあるのだろうが総合的な判断だ。4人の女性達が、一つ一つの体験をとても素直に口に出して喜んでくれたこと。トロッコ列車からの風景が、海辺に暮らしている人間にはかなり珍しかったこと、知らない日本人や外国人の旅行者と言葉を交わす機会が多かったこと、そして何よりも僕の若い友人が寝過ごして遅刻したこと。まじめすぎることを心配している僕に、遅刻して待たせてしまうような偉業?が出来たことだ。
 年齢を重ねると失うものも多いが、時に得ることもある。今日気がついたのだが、歳をとると多くの人や生き物を愛したり大切に出来たり尊敬することが出来るようになった。いや、人だけでなく多くの物事にも感謝できるようになった。若いときに犯した多くの罪をこうして少しずつ許されていくのだろうか。
 京の自分にも、今日の自分にも、満足している。かの国の4人の女性達と、若い友人のおかげだ。


2016年10月08日(Sat)▲ページの先頭へ
一途
 今月4人の女性が3年間の実習生としての仕事を終え帰国する。このタイミングで必ず行われることがある。国への土産として日本の薬を持って帰ることだ。数年前までは、いわゆるドラッグストアで売っているサロンパスみたいな有名OTCだけだったが、今はほとんど僕の薬局で調達する。今はほとんどの人が治療目的のものを持って帰る。親や兄弟、それに親戚、果ては近所の人のものまで頼まれるが、通訳を介しての問診だから、情報不足を補うべく知識を総動員して真実に迫らなければならない。結構大変な作業だ。寿命がまだまだ短い国だけあって、中年が日本の老人みたいなことを訴える。病院に継続してかかっている人はまれで、治療と言う治療をしていないのか、僕の選ぶ薬は神業のごとく効く。だから逆に不可能と思われるようなものまで頼まれる。
 日本にいる人なら2週間毎に薬を作り直すということが出来るが、かの国の人にはやり直しはきかない。一発勝負だ。なるべく沢山のお金を国に持って帰って欲しいから薬は原価で渡しているが、それでも効かない薬は渡したくない。このところ思案の日々が続く。
 昨夜通訳と話していて面白い話を聞いた。僕が漢方薬をしばしば作るので、最近になって初めて漢方薬がどんなものか分かったみたいだ。かの国の漢方薬は、薬用になる木を農家の人が切って、それをお寺にもって行き、病気の人に無料で配るらしい。ただそれだけのことなのだ。薬が買えない、病院にいけない人がまだまだ沢山いて、そうした人にお寺さんが施すらしい。「でも、効かないです」と笑っていたが、それでは無理だろう。実際、昨年帰ったある女性の母親が若くして癌で死んだが「バナナを毎日食べさせてあげた」と言っていた。バナナが癌の薬だったのだ。
 「オトウサン ナニヲカンガエテイマスカ?」話が中断して少しの沈黙があればこのように尋ねられる。いつも心の底から笑っていたいが、僕がなすべきことが、話の内容から少しずつあぶりだされてくると、隠している真顔が不覚にも覗いて来るのかもしれない。真剣なまなざしで親の病気を伝えようとする一途に、僕は心を動かされる。
 


2016年10月07日(Fri)▲ページの先頭へ
地道
 オリンピックの体操金メダリストを呼び捨てに出来る友人がいる。何処の時点で知り合ったのか知らないが、彼自身も中京大学で体操を専門にやっていたから、同郷の人間として接点はあったのだろう。ただその栄光はもう40年位前のことだから、そのオリンピック選手も彼自身もかなりの歳になっている。オリンピック選手のほうはタレントとして活躍しているから時にテレビで見かけるが、さすがに最近はあまり出番が無くなったみたいであまり見かけなくなった。
 金メダリストを呼び捨てに出来る彼は、最近肩が痛い。昔のハードな練習の無理がたたっているのか、若いときの交通事故の後遺症か、或いは乱れた生活のせいか、肩が上がらずに困っている。そんな彼が地元の先生にかかった。よく知っている先生で、冗談が好きな先生だ。その先生が「〇〇君、あんたの方が治し方はよく知っているじゃろう。昔体操部で習わなかった?」と言って痛み止めだけくれたらしい。次に、僕の息子が勤めている隣町の病院に行って院長に診てもらったらしい。友人は先生に自分の症状を説明したらしいのだが大胸筋に、三角筋に、上腕二頭筋にと筋肉の名称が次から次に出てくるから、先生が「お宅は何をされている方なんですか?」と尋ねたらしい。答えると「さすがによく知っていますね。運動をよくしてください」と言って痛み止めだけくれたらしい。
 その彼がやって来たのは、以前腰が痛いときに僕が分けてあげた痛み止めがよく効いて、その薬のことを思い出したからだ。「〇〇君、二人の先生が遠慮するくらい体操を極めているのだから、自分でリハビリをやったらいいじゃないの」と僕が言うと「運動なんかするもんか。たいぎなのに。自分でもどうしたら首や肩が楽になるかわかっとんよ。わかっとるけど、めんどうなんじゃ。だから大和君又薬ちょうだい」と笑いながら答えた。僕はいいチャンスだと思って「どうやったら肩こりが治るの?」と尋ねてみた。するとほろ酔い加減の彼は、昔取った杵柄で実演して見せてくれた。昔取った杵柄はなんとなく理解できるが、昔の筋肉は全くなく、おまけにタバコで脂肪まで削っているから哀れなものだ。国体に何度も出ている人間でも、運動をやめてタバコを吸い酒でカロリーを補給するような生活をしていればここまで、衰えるのかと思った。嘗て逆立ちで階段を上り下りしていたヒーローも、杖で上り下りする一歩手前に見える。
 あんな体操のプロがちょっとした運動でも面倒なのだと再認識した。薬局内で、僕は推奨する運動を実演することが多いが、実行している人は果たしてどのくらいいるのだろうか。時に熱心に継続してくれる人はそれなりの結果を出しているが、多くの人は聞くだけなのだろうか。
 何事も地道と言うのは難しい。僕も大いにその傾向がある。忍耐強くリハビリをするより1錠飲めば楽になるのならその方を選ぶのも人情だ。ただそれがエスカレートしてアメリカのように鎮痛剤中毒患者がうようよいるようになってはかなわない。患者の人格破壊が企業に富をもたらす。人を殺して企業が儲ける兵器と同じだ。


2016年10月06日(Thu)▲ページの先頭へ
底力
 何の偶然かわからないが、最近、若い癌の患者さんのお世話をする機会が急に増えた。癌の発症が低年齢化しているのか、昔から僕の薬局を利用してくれている人達のお子さんの発病だから僕を頼ってくれるのか、或いはその両方か。
 病気の深刻さゆえに、お引き受けするのも覚悟がいる。最近、現代医学でもやっと免疫について認知されてきたが、僕はもう随分前から、そのための漢方薬を飲んでもらっていた。漢方薬のように多くの生薬の相乗作用では現代医学では正式な薬効としては認められずに、オプシーボのように単一成分でないと認められない。だが免疫と言うことでは、現代医学のほうが漢方薬を追っかけてきた感じだ。
 お昼ごろあるお母さんから電話があった。病院から息子さんの報告を受けてすぐに結果を教えてくれたのだ。咽頭癌で放射線治療を受けたのだが、癌を宣告されてすぐにお母さんが飛んで来て、その日から煎じ薬を飲んでもらっている。放射線治療の副作用もほとんどでずに、咽喉科の先生が珍しいといってくれた。そして今日の最終的な検査で、がん細胞は見つからなかったらしい。母親の安堵の様子が痛いほど伝わってくる。
 漢方薬でどのくらいのことができているのか実際には確定しようがない。ただ多くの人たちが同じように治療を受けている病院仲間より自分は元気だといってくれるし、信じられないような日々を過ごしてくれている人も多い。癌に関して薬局が出来ることは、今受けている治療の悪影響を出来るだけ抑えること、そして将来にわたって免疫を正常に保つ投資を手伝うこと。それだけしかない。子を思う母の力、夫を思う妻の力の底力をまざまざと見せ付けられる日々だが、いつまでもその人たちが笑顔でいられるように微力ながら貢献したい。


2016年10月05日(Wed)▲ページの先頭へ
善人
 僕や僕の家族、もっと言えば両親達もこの仕事をやってこれたのは、利用してくださる人達が善人だからだと思う。時にそうでない人も紛れ込むが、おおむね善人ばかりで気持ちよく仕事をさせてもらっている。
 牛窓と言う半農半漁の町の特権かもしれないが、漁師も百姓もよく笑い楽しい。美しい言葉を使うことは出来ないけれど裏表が少ない。おしゃれしてやってくる人はいないが、話していてなかなかおしゃれな生き方をしている人が多い。僕ら世代の人間は、毎日魚に菜っ葉の食事だったから、地の物を食べて大きくなった。さすがに今はそんなことは出来ないが、その程度の食生活だったので、今更美食もなくて、食べ物の話題が出ないことも特徴かもしれない。どこかに何かを食べに行くなどと言う話題が出たことがない。ただ僕らより下の世代ではそうした話題も出るが、所詮田舎だから、そんなに豪華な食事ではないのだろう。
 今では市外の人が半分を占めるから、知らない人同士が多いが、たまに町内の知り合い同士が薬局で出会った様なものなら、話が終わるのを延々と待たなければならなくなる。遠慮のない大声で語り合う、にわかサロンになってしまうが、にわかサロンは僕の願いでもある。町の人が少しでも多くの会話を交わし、つかの間の解放感を味わってもらえればありがたい。
 いっそのこと、娘夫婦が思い描く理想の薬局を建て、バトンタッチしたらいいのではと思う。僕には残された時間がないからその当事者になる資格はないが、僕なら小川が流れ、水車が回り、竹林を真似た緑の中にたたずむ薬局を作ってみたい。屈託のない田舎の善人たちに最高のおもてなしをしてみたい。


2016年10月04日(Tue)▲ページの先頭へ
回収
 毎日大量に送られてくる医学や薬学の情報に追い立てられるのは、それらに目を通しても面白くないからだ。面白くないのはこちらに知識がなくて、ほとんど追いつけなくて理解不能だからだ。懸命に目を通すのは、取り返しが付かなくなるまで先頭集団に離されたくないからだ。先頭が見えなくなったら走る意識も萎えて、援護車に回収される運命にある。専門職とはそうしたものだ。専門的でない人間が専門職に付いたから、今日の脅迫観念から逃れられず、うつろなまなざしで文字を追う。
 ところが今日見つけた文章は、僕でも分かる・・・と言うか、面白くて、独り占めするのはもったいないくらいだった。だからコピーして読んでもらう事にした。こうして説明を受ければなるほどなと頷けるが、どうだったんだろうと想像をめぐらしてもこの文章のようなことは想像できなかったかもしれない。奇抜と言うか、これしかないと言うか、考えたものだ。いや、考えなかったものだ。実力行使あるのみだ。
 こんな面白いことを授業でやってくれたら僕も4年制大学を5年もかけて出なくてもすんだのだろうが、なにぶん授業は面白くなかった。恐らく教えている人間が面白くなかったのだと思う。同じような年齢になって思う。若者を育てようなどと言う気概は全く伝わってこなかった・・・・なんて言える学生ではなかったが。


麻酔の無かった時代の外科手術はどうだったのか?!

17世紀頃の西洋の絵を見てみるとその現状を知る事ができます。そこには、
脚を切断された患者と、ノコギリを持った外科医(当時は床屋でした)
が書かれている横に、ボクサーのようなグラブをはめた強そうな男性が
書かれています。お察しの通り、手術の前に患者を殴って気絶させた後に、
床屋が手術を行った図です。この頃は、パンチによる強打や、天井から
患者を逆落としにして気絶させてから手術を行っていたのです。それから
年月を経て、この一見野蛮な床屋外科手術に置き換わって、近代的外科
手術に置き換わっていきました。もちろん無麻酔で行っていましたので、
痛みをどうやって我慢するかがこの頃の課題でした。この頃の病院の
手術部屋は最上階に配置されていたのも、手術中の患者の悲鳴が病院
全体に響かないようにとの配慮からだったそうです。その後アルコール
やモルヒネを投与して手術を行うようにはなりましたが、効果が弱かったので、
手術をいかに素早く行うかが当時の外科医の中の重要テーマだったそうです。







2016年10月03日(Mon)▲ページの先頭へ
禅問答
 同僚や部下の不誠実が嫌になって、職場が苦痛に変ってきた。女性としてはほぼ最高位にいるのに、それを投げ打ってもいいという。それが証拠にかばんの中から辞表を見せてくれた。僕は初めて見たから、こんなものかと一瞬病気?の相談よりそちらのほうに興味が行きそうだった。
 辞表を明日出すのに、相談内容が矛盾していた。「最近、仕事をやる気が全く出ないから、何とかやる気が出る漢方薬を作ってちょうだい」と言われて僕は困った。仕事を辞めようとしている人にやる気を出させていいのだろうか。「僕がやる気の出る漢方薬を作って、やる気が出たらどうするの?」と確認した。「それはもう、明日絶対辞表を出すんだから関係ないわよ」と。なら安心して作れるから、1週間分だけ作って飲んでもらうことにした。
 ところが3日後くらいに職場から電話がかかってきた。日中に職場から電話がかかってくると言うことは、辞表を提出していないって事だ。と言うことは僕の漢方薬が効いて俄然やる気になったのだろうか。動悸がしたり寝れなかったり、汗が噴出したり、そんな症状も消えたのだろうか。答えは全くそのとおりで、「何を言われてもあまり気にならなくなったんです。これならやれると思うんですわ」と、手のひらを返すことに全く抵抗がない。これは喜ぶことなのだろうか。辞めたかったのに辞めなくてもいいかと思わせたのは、希望に沿うていないのか。やる気を出す漢方薬を作って、仕事を辞めたくなくしたのは、希望に沿うていないのか。
 「最初から分かっていたんでしょう。私が辞めたくなかったのが」辞表をかばんから出されて、辞めたがってはいないとは思わなかった。そこまで追い込まれているのだから逃げるのもひとつの手段だと思った。ただ一杯喋った後に「なんだか話したらスッキリした」と言って薬局を出て行ったときには、辞めなくてすむかなくらいは感じた。まるで禅問答みたいな要望に、漢方薬なら応えることができる。
 


2016年10月02日(Sun)▲ページの先頭へ
勝央金時太鼓保存会
 2年越しか、3年越しか忘れたが、やっと遣り残していたことが片付いた。いつも心に引っかかっていて、いつか必ず実現したいと思っていた。
 まだかの国の人を見かけるのが珍しい頃、教会でその女性に出会った。アオザイを着ている姿がとても美しく、目を見張るほどだった。日本語が堪能で、僕の理解を超えていたのは、日本の企業で正社員として働いていることだった。かの国から来ている人たちは皆実習生と言う認識しかなかったので、とてもその待遇が不思議で、尋ねてみた。努力の賜物としか言いようがないが、日本の専門学校にやって来た時に、勉強を中心に生活を組み立てて、決してアルバイトに現を抜かすようなことはしなかったらしい。その努力の結果、企業からの評価を得て、外国人として初めて採用されたらしい。
 教会でかの国の人たちのリーダーを任され、仲間が堕落しないように常に同胞を気にかけていた。日本人とも積極的にかかわるようにしていて、同胞からも日本人からも評価を得ていた。
 当時、彼女を含め6人の青年達を和太鼓のコンサートに誘ったのだが、あいにくその日が台風で中止になった。以来何度か誘ったが、ことごとくコンサートの日と彼女の用事が重なって行けずじまいだった。今日、総社市であった「太鼓三国志」と言うコンサートが初めて彼女のスケジュールの空欄と一致した。
 広島の専門学校時代に和太鼓?を聴いたことがあると言っていたが、まず総社の市民会館に入った時点で喜びの声を上げてくれた。そして子供達のかわいい演奏にも興味をとても示し、山手福山合戦太鼓が始まると、日本の太鼓の実力を理解し始めて、勝央金時太鼓保存会の演奏になると、身を乗り出して聴いていた。そして清麻呂太鼓が始まるとやたらパンフレットの演奏曲順に目をやり、終了が近づいてしまうことを気にし始めた。そして備中温羅太鼓が始まると「オトウサンありがとう、オトウサンありがとう」と何度も繰り返し、感動が伝わりすぎるほど伝わってきた。僕自身もその頃には、懸案が片付いてほっとしたなんて悠長なことは言っておれず、毎年毎年進化し続けている岡山県の太鼓の実力に酔っていた。
 今日の一番の収穫は、懸案解決ではなく、勝央金時太鼓保存会の演奏を初めて聴けたことだ。名前も知らなかったくらいだが、実力は十分あり、何で名前が知られなかったのだろうと不思議なくらいだ。若い打ち手が多く、スピードも力強さも十分だった。これからはマークしようと思った。
 帰りは岡山市内がかなりの渋滞だったため彼女と多く話したが「お金が沢山欲しいです」と言われた時は夢が一瞬覚めそうだった。でもその理由を聞いて従来よりも増して彼女を評価できた。「私の国は、親のいない子供達が沢山いて、教会でシスターが世話をしています。でもシスターは仕事をしませんからお金がありません。だから私が働いてお金の援助します」
 だったら、僕もお金が欲しい。


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