栄町ヤマト薬局 - 2016/09

漢方薬局の日常の出来事




2016年09月30日(Fri)▲ページの先頭へ
彼岸花
 布団をかけて寝ているはずなのに、寒くてしばしば目が覚めた。起き上がってもう一枚布団をかけることはしない。それよりは震えながら朝を待つタイプだ。朝着た服は日中寒くなろうが暑くなろうが決して着替えない。いつも妻に笑われる。こうと決めたら頑として変えない・・・そんな格好いいものではない、単に横着なのだ。
 早朝のウォーキングも始めは寒かった。ただ、さすがに30分近く歩くと体は温もってきた。もっとも心は凍ったままだが、今日の朝の景色はそんな心までも温かくしてくれそうだった。まず朝焼けがきれいだった。東の空だけが灰色の雲を割るようにして、ピンクに染まっていた。
 隣の広い駐車場まで帰ると、法面に彼岸花が存在を誇示して今は盛りに咲いていた。この時期他に咲く花が少ないのか一際目立つ。まるで1人勝ちかのようで、大きなアゲハチョウが蜜を吸って花から離れようとしない。その1人勝ちもどうやら孤高の花らしくて、色々と噂される。そもそも別名が彼岸花には多くて、その多くが不吉なものだ。
 ここからはインターネットの押し売りだが、あまりにも面白くてためになったのでコピーする。彼岸花の別名には以下のようなものがあるらしいが、まあよくも名づけたものだ。「彼岸花を家に持ち帰ると火事になる」「彼岸花を摘むと死人がでる」「彼岸花を摘むと手が腐る」という3つの恐ろしい迷信があるためらしいが、えらい迷惑な話だ。
 曼珠沙華(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか) 死人花(しびとばな)地獄花(じごくばな)幽霊花(ゆうれいばな)剃刀花(かみそりばな)狐花(きつねばな)捨子花(すてごばな)毒花(どくばな)痺れ花(しびればな)狐の松明(きつねのたいまつ)狐花(きつねばな)葉見ず花見ず(はみずはなみず)雷花(かみなりばな)
 こうして列挙しているのを眺めていたらよく似たものを連想した。花を鼻に置き換えるだけでアホノミクスのことを言っているように思えた。


2016年09月29日(Thu)▲ページの先頭へ
引きこもり
 数分間の電話の中で、何回この言葉を使っただろうか。彼女が本当に「引きこもり」なら、全国の引きこもりの方に失礼だ。もしその言葉に拘るなら「明るい引きこもり」か「心は引きこもり」位に留めた方がいい。そうしないと相手に伝わらないだろう。この僕でさえピンと来ないのだから、周りの人や友人にも理解してもらえないだろう。
 僕に最初に接触してきた頃はさすがにあらゆる公共施設やスーパー、果ては美容院や歯医者に行けなかったのだからその素質は十分あったが、今では毎日パートに出かけているし、電車にも乗れるし、はるか四国の里にも帰れるし、つい最近は京都に旅行したし、1ヶ月に1度は友人とランチを共にすることにも挑戦しているし。こうして羅列すると何を持って引きこもりか分からないが、自称引きこもりは絶対に譲れないのだ。
 彼女が唯一根拠に挙げれるのは、ことに構えて下痢をすることだ。何か重要なことがあると今でも下痢をする。ただ、下痢をしてしまえばお腹が空っぽになりその後意外と困った経験がないから、結構いろいろなことをこなしているのだが、その程度では満足できないのだろう。そこさえ解決すれば何も言うことがないのだが、唯一そこがあるから、堂々と引きこもりを名乗っているのだと思う。
 華の都大東京でよき御主人とめぐり合い、家を建て、お子さんにも恵まれ、幸せに暮らしていると僕は確信している。10年位前に四国への帰郷の途中で岡山駅で一度だけ会ったことがある。小さなお子さんを連れた小柄な女性だったが、一目見ただけで幸せなお母さんと言う印象を受けた。リュックを背負わせたお子さん、自分は大きな手荷物、まぶしいばかりの光景だった。肝心の顔は忘れてしまったが、受話器を受けての第一声でその人だと分かるくらいその後一杯電話で話をしているから、そしてその都度お子さん達の成長の様子も耳に入るから、幸せなお母さんと言う評価は揺るぎもしない。だけど、だけど、彼女は引きこもりなのだ。明るい声で悲壮を語る引きこもりなのだ。言葉の乱用をものともしない明るい引きこもりなのだ。
 


2016年09月28日(Wed)▲ページの先頭へ
風潮
 同じ言葉をもう10年近く前に聞いたことがある。初めてその言葉を口にしたのは久々にやって来たある県会議員だった。そして2度目に口にしたのがいつもお世話になっている税理士の先生だ。数日前にやって来た時に「ヤマト薬局さんが残っているのは奇跡に近いのではないですか?」と言われた。
 そういった感想を持たれるのは僕の薬局が時代の流れに全く乗っていないのに、どう見ても取り残されているのに今だ存在しているからだろう。ドラッグ全盛時代に多くの薬局は駆逐された。そこで台頭してきたのが病院のまん前にヤドカリのように乱立したいわゆる門前薬局だった。僕は医者に処方箋を回してもらうべく機嫌をとるようなことはできないからそういった薬局に方向転換する事はしなかった。経済的に立ち行かなくても、完全に独立した状態の薬局としてしか存在させることは出来なかった。
 僕の薬局に初めて来る人は、特徴がないから戸惑うかもしれない。見るからに調剤薬局でもない、見るからに漢方薬局でもない、見るからに昔のままの薬局でもない。若夫婦が店舗のイメージを変えてしまったから、特徴がないのが特徴になってしまった。珍しい観葉植物、カフェのようなテーブルや椅子、カフェのようなもてなし、そこでうろうろする汚れた白衣姿の初老の男。
 不思議ついでにもう1つ。過疎地の牛窓にあって、僕の薬局には若い人が結構来る。それも結構真剣なテーマでやってくる。僕が彼らの親にあたる年齢だから話しやすいのか、かなり多くの言葉を交わす。時代の風潮についていけない素朴な若者が多い気がするが、彼らがまるで時代の犠牲者のような生き方を強いられていることに僕自身が耐えられなくて、個性的に生きていける手伝いがしたくて、つい一所懸命になってお世話したくなるのが伝わるのだろうか。
 旨く生きていける人間が勝者になり、よりよく生きていこうとしている人間が敗者となる。そうした風景を僕は見たくない。そのためには僕の薬局は、見るからに経済を追いかけている薬局にはなれないのだ。


2016年09月27日(Tue)▲ページの先頭へ
推敲
 こんなものを見せられていいのかと思ったが、たっての願いだから預かって帰った。
 来日して半年経った頃、思えば一度相談を受けていた。教会で知り合った女性で、日本人の男性に恋をしたらしい。ただ、会社が厳しくて、そうした関係になるとすぐに国に帰らされるのを知っていたから、友人関係を望んでいたが、当然本心は恋人になりたかったのだ。決して外見は美人ではなく、むしろその逆だが、内面は僕は滅多にお目にかかれないくらい素晴らしい女性だと思っていた。だからそれに気が付いてさえもらえれば、恋は成就すると思っていたが、結局その後2年間何も進展はなかったみたいだ。ただ、半年後に帰国することになった今、僕に彼に手渡す手紙の推敲を頼んだくらいだから、未練を断ち切れないのだろう。
 手紙を読むのも気恥ずかしくなると思っていたが、内容はそうした予想を翻して、謙虚なものだった。愛とか恋とかと言う文言はなく、友人関係を望み、帰国した後、彼女の国に遊びに来てください。そうしたら喜んで案内しますと言うものだった。ただ、職場でもっと話しかけて欲しかったと、また私を好ましく思っていなかったのでしょうかと言う問いかけには心が痛んだ。
 要は一方通行の恋だったのだろう。その男性に恋人がいるかもしれないし、どの女性にも興味を持っていないかもしれない。だからこんな未練がましいいことはしないほうがいい・・・・とは言えない。恋心はあの世代には特権だ。誰も許されるものだ。実らないのが世の常で、実ればラッキーくらいに構えることが出来るようになるにはまだ若すぎる。
 日本語1級試験を受けるレベルの女性だから、結局何処も訂正するところはなかった。そのまま郵送で返したが、なんらこの分野では貢献できない。僕は「日本の文化の紹介」と「日常の楽しい会話」に限っての貢献に絞っている。言い換えると、感動と笑いだ。僕がかの国の女性達から頂いているそれらの倍返しだ。


2016年09月26日(Mon)▲ページの先頭へ
大合唱
 不覚にも歌い始めてすぐに涙が出始めて、旨く歌うことが出来なかった。
 昨日の岡山シンフォニーホール開館25周年記念公演のアンコールにこたえての曲は、日本人なら誰でも知っている歌だった。ただ僕はもう何十年も歌った事がなかったから、歌詞を何箇所か忘れていて、完全に歌えてはいない。全員が立ち上がっての大合唱に感激して涙が出たのではなく、歌詞の情景が僕と重なったからでもない。歌詞がそれこそシンフォニーホールに連れて来ているかの国の若い女性達と重なってしまったのだ。
 彼女達の出身はほとんどが農村部だ。バスで8時間かかるとか、16時間かかるとか、帰国して空港から家までの道中を尋ねると多くの女性が答える。中には1泊する女性もいる。3年間の日本での文化的な生活の後は、彼女達いわく「50年後れている」ところに帰る。ただ彼女達の多くは帰国を喜んでいる。経済的な理由だけで来日しているから、それを果たせば、自分が生まれ育ち、親兄弟や友人が沢山いるところに帰りたいらしい。自然に囲まれた村に帰り、本来の生活に帰りたいらしい。話していると家族とか友人と言う言葉が頻繁に出てくる。人とのつながりを喜びとなす地に帰りたいのだ。
 合唱が終わり後ろ髪を惹かれるようにホールから出かけたところで通訳が「オトウサン アノウタハ ダレモガシッテイマスネ?コッカデスカ?」と尋ねてきた。瞬く間に大合唱になったからよほど不思議だったのだろう。「日本では小学校で全員が学ぶ歌」と説明したら納得していたが歌詞に興味があり教えてくださいと頼まれた。
 実際に50年の差があるなら、僕らが小学生の頃この歌を学んだ時と、かの国の現在の世相がよく似ているのかもしれない。彼女達にこそ、歌われるべきものかもしれない。


兎追いしかの山
小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷

如何にいます 父母
恙なしや 友がき
雨に風につけても
思いいずる故郷

こころざしをはたして
いつの日にか帰らん
山はあおき故郷
水は清き故郷



2016年09月25日(Sun)▲ページの先頭へ
ボレロ
 念願の「ボレロをコンサートホールで生で聴く」願いがかなった。
 岡山シンフォニーホール開館25周年記念公演があって岡フィル、岡山交響楽団、岡山市ジュニアオーケストラ合同の演奏だった。クラシックの素人にとってボレロは親近感が持てる曲だ。素人でも、あの静かで単調なメロディーが、徐々に力強くなってクライマックスを迎える醍醐味は分かる。まるでどんどん力を増す大衆の蜂起のように聞こえるが、僕の勝手なイメージだろう。ラヴェルがどのような意図で作曲したのか知らないが、僕はボレロを聴くといつも勝手な空想をして勇気付けられるのだ。
 今日のコンサートでもう1つ素晴らしい経験をした。今日は3部構成になっていて、一部は打楽器中心の構成だった。その中で圧巻だったのは、IPU・環太平洋大学のマーチングバンドのパフォーマンスだった。予備知識無しで始まったので、一瞬にして引きずり込まれた。和太鼓の訓練された打ち方に圧倒され続けている10年間だったが、正直それらの経験を上回っていた。なんて集団が岡山県にあるんだと驚いたが、それもそのはず、全日本3位の実力らしい。一緒に行ったかの国の若い女性達も、和太鼓びいきのはずなのに「オトウサン ツギハ イツアリマスカ?」と催促の言葉をその場で出してきた。
 ひたすら仕事だけをして、色々な経験を積む機会を失っていた。もう寄り道を許される年齢に達したから、積極的に仕事以外も充実させようと焦っている。ただ今の経験を若いときにしたからと言って、僕の力が増したわけではなく、今と同じ程度の自分でしかないが、感動の数だけは増えていただろう。日常とは全く異質の感動は、芸術の最も優れた功績だ。生きていて良かったと、自力で思えなくても、芸術家達のおこぼれで同じ感情に浸ることは出来る。芸術に救われることに気が付くまでにこんなに時間を費やした。


2016年09月24日(Sat)▲ページの先頭へ
「乱用されやすい処方薬の代表格で、薬物依存の入り口ともなっていた抗不安薬のエチゾラム(商品名デパスなど)が、睡眠薬のゾピクロン(商品名アモバンなど)と新たに向精神薬に指定される。乱用や依存を招きやすい物質を、国が「向精神薬」として指定し、処方日数などに制限をかけている。ところが、デパスは規制対象とはならなかった。日本以外に販売している国は少なく、国際的な規制の優先度が低かったためだ。エチゾラムの依存性は過小評価され、長く放置されてきた。「薬の力で一時的にでも現実を忘れたい」などと考える人たちの乱用や、救急搬送につながる過量服薬に用いられやすかった。エチゾラムはこの調査で、最も乱用されている処方薬と指摘された。」

 何か変だなとずーっと思っていた。これでからくりがよく分かった。処方する医師は安全だと言うし、何年も飲み続けている人も大して問題にはしない。持ちつ持たれつでうまくいっていたのだ。ところが統計には出てこないが、恐らく多くの事故や事件にからんでいたのだと思う。だから国も思い腰を上げたのだ。今までの事例を見れば一目瞭然だが、国にとって大切なのは国民の健康などではない。製薬会社がどんどん儲けて大きくなることなのだ。それに寄与すれば役人の定年後はばら色だ。合法的に中毒にすればザックザックと金が入ってくる。オレオレなどと危険な事をしなくてすむ。やはり大企業はやり方がスマートだ。国を動かしているのはやはりアイツらなのだ。政治屋や役人ではなく陰で操っているのはアイツらなのだ。




2016年09月23日(Fri)▲ページの先頭へ
沈黙
 10年前はもっと勢いがあったように思う。職業柄、裏街道を歩くような人と交渉しなければならないようなことも多々あったみたいで、柔い人では勿論その職を全うできなかっただろう。だからと言って本来の気性がそうだったかと言えばむしろその逆で、繊細で気の弱い人のように僕は感じていた。
 それが日増しに本来の自分の気性に戻っているように感じる。色々なきっかけがあるみたいだが、一番の理由は残して死ぬわけには行かない家族がいることだろう。自分の老いるスピードを制御できなくなり、守ってあげるべき人も年齢を重ねる。今自分がいなくなれば残された人が、路頭に迷うことが目に見えている。そうなれば多くの人や機関に助けてもらわなければならない。そのことが身にしみて分かり始めたのだろう。誰もが自分はさておき、家族のことになったら弱いものだ。
 永遠に親であることを強いられている人がいるし、数も増えた。親が長生きになってきたから、子がどんどん追いついてくる。幸せなどという言葉を何年も味わったこともなく、終わりのない日常が終わるのを恐れる。どうして?と数多の問いかけに木霊は沈黙する。


2016年09月22日(Thu)▲ページの先頭へ
変化
 僕にとってはとても珍しいドライブだった。いつもはかの国の若い女性達と一緒なのだが、今日はこの国の若くない女性達と一緒だった。御歳80歳に乗るか乗らないかあたりの女性達だ。少しの距離でも杖が必要で、雨も降っていたので、正にドアtoドアだ。老人保健施設も渋川の瀬戸内マリンホテルも軒下まで車で侵入した。
 結論から言うととても楽しい小ドライブだった。もっとも僕は企画した時点でそうなることは分かっていた。何故なら皆長年僕の薬局を利用してくれている人達で、長年幸せな思いをしていない人たちで、思ったことがそのまま口に出る人たちだからだ。飾り気のない田舎のおばあちゃんたちが、母が入っている特別養護老人ホームを見学したいと言ったので、ただそれだけではもったいないので玉野市にあるホテルのランチバイキングに招待したのだ。どうせいつものように母を見舞うのだから、同乗する人が誰でもいい。1人で行くよりは楽しい。まして口の周りの筋肉だけが衰えていない人たちばかりだから、賑やかな道中になるのは分かりきっていた。
 期待にそぐわず、喋るわ喋るわ、噴出すことも多かった。日ごろのストレスなんか飛んでいって、楽しい半日だった。3時間くらい話し続けていたから、具体的な内容を紹介するのは困難だが、あの世代の総意がなんとなく分かった。口をそろえて出ていたのが「私らは損な世代じゃ。若い時は姑の顔色ばかり伺って、今は子供の顔色を伺って暮らしている」だった。男と同じ土方をし骨格をゆがめ痛みで歩けない人、疲労骨折で歩けない人、百姓で二重になっている人それぞれだが、共通していることは子供達から疎まれていること。それゆえに1人で暮らすことを選択し、それを肯定的に捉えていること、そして毎日が空しく過ぎていくこと。
 母のことを薬局で話す機会が多かったから、そして僕が施設に感謝していることを口に出すから、是非その施設を見てみたいと頼まれたのだが、自分のために見たい人もいたし、100歳が近くなっている親のために見たい人もいた。ただ、そうは言っても自分のことが根底にはある。話の端々でそれは伝わってくる。どのように人生を終えるか、そのための場所探しの小ドライブだったが、見学の後は、判で推したような無味乾燥の日常から一瞬でも解放して上げたかった。ただ、この企ては大いに中って、何度も何度も美味しいと楽しいと言う言葉を繰り返してくれた。もう悟りの境地に近づいた人たちにはドロドロとした欲望がないから結構気持ちよい時間を共有できる。「又来たいわー」と口から出た言葉に、すかさず「又一緒にきましょう、みんなの日程を合わせて!」と答えたのは、かの国の若い女性達と比べて勝るとも劣らない楽しい時間を過ごすことが出来たからだ。年齢のせいか、職業のせいかわからないが、自分の中のいくつもの変化をこれから少しの間楽しんでみようと思う。


2016年09月21日(Wed)▲ページの先頭へ
評価
 ある施設に実習に行き、その後レポートを書いて発表したらしい。その発表を聞いて先生は涙を流したらしい。他の先生も涙を流していたと教えてくれた。生徒の発表を聞いて涙を流したのは、20年の教員生活で初めてだと言っていた。
 次女も三女も介護の専門学校でとても大切にされていた。その学校の上位の肩書きを持っておられる3人の先生と話す機会を得たが、どうしてこんなに親切にしていただけるのか分からないくらいだった。そこでその理由を尋ねてみると、2人の生活ぶりと向学心をとても高く評価してくれていて、二人がこれから外国人学生の受け入れのためのよき先例となったみたいで、「手放したくない人」と表現してくれた。若い学生の模範になっているらしい。
 現地法人の数千人の中から選抜されて嘗て日本で働いていただけあって、自分を律する力は強いと思う。最初のときとは違う目的を持って来日して、その新たな目的に沿って懸命に生活している。決して楽な日常ではないが、全くぶれない。経済のためでなく、享楽のためでなく、将来の意味ある生活の構築のために、今日本でなすべきことを知っている。
 今まで二人を主観で判断していたが、そしてその判断にはかなりの自信を持っていたが、第三者から想像以上の評価を得ている事がとても嬉しかった。そしてかなりの肩書きを持つ人たちが僕を信用して二人を任せてくれたこともまた嬉しかった。
 何年もの間に、延べにしたら50人くらい僕を「オトウサン」と呼ぶ娘や息子を持ったが、やってきたことがいいことだったのだとつくづく思った。僕は常に、彼らから形はないが大きな目に見えぬものを頂いている側だと認識して出会いに感謝している。


2016年09月20日(Tue)▲ページの先頭へ
予算
 コースによってこんなに影響が異なるのかと、対象は何に対してか分からないがとにかく感謝したいくらいだ。胸の辺りの深さまでの浸水を経験したことがあるから台風はトラウマなのだが、今回も幸運にも岡山県には影響が少ないコースを取ってくれた。おかげで雨はまあまあ降ったが、風は木の葉を揺らすほども吹かなかった。強風域の円内には十分入っているのに、何故か無風状態だった。これまた四国山地のおかげなのだろうか。もし広島に上陸のコースだったらこんなに台風が通過するときに穏やかに過ごすことは出来なかっただろう。
 ただこの程度の雨でも、同じ市内の隣町では避難勧告が出た。わずか半日降っただけでそんな勧告が出るのかと思ってしまう。役所の過剰反応か自然の水を蓄える力が落ちているのか分からないが、情けない気がする。昔はこんなに詳細な予報が出なかったから無頓着だったのかもしれないが、雨降り2日目にして避難準備や勧告が出るのだろうか。もう20年位前、いやもっと以前だっただろうか、一度だけ牛窓で山が崩れたことがある。その時は大粒の雨がとにかく止まなかった。1週間以上降り続いたと思う。経験がないことで最後のほうは恐怖で山ばかり見ていたが、牛窓の山の限界を知ったような気がして、その記憶は子供達にも一応話して聞かせている。いたずらに恐れることはないが、1週間も雨が止まなかったら危険と判断するように言っている。
 ナルシシズムの権化みたいな奴が今政権を汚しているが、そいつに自然の恩恵を受けるがゆえに自然の脅威にもさらされる土地に住む人間のことは理解できない。自然を守り、自然に守られる、そんな関係を築く事に予算は使って、人殺しの武器や自然破壊のコンクリートには使うな。


2016年09月19日(Mon)▲ページの先頭へ
三段跳び
 例のラブラドールの〇ちゃんに会う絶対条件は、飼い主のお父さんを絶対治すことだった。漢方薬の効果を2週間で感じてもらえなければ恐らく再来店しないから、気合が入っていた。もっとも、大学病院での診断により、その病気に薬がないように言われていたので手ごわいとは思ったが、問診により沢山ヒントがあったので漢方薬なら解決できると自信もあった。案の定、結構効果があって、症状によっては2週間で苦痛が半減していた。だから又〇ちゃんと再会できた。
 2回目ともなるともう、薬局が安心出来る場所と認識するみたいで、随分と落ち着いて相談机のそばまでやって来て腰を下ろした。床に頭を付けたままの上目遣いの視線と合ってしまった。この視線がなんともいえない。あまりの頭の大きさに、つい人格化してしまい、心の中が見えそうだ。巨大ぬいぐるみよろしく、抱っこしたり、頭のうえに顔を載せたりして写真を撮ってもらった。
 娘が「大型犬の魅力を知ってしまった」とけだし名言を吐いていたが、ところでこんなに大きな犬を飼う資格って何なのだろう。何が揃っていなければ飼えないのか。〇チャンが帰ってから思った。単純に考えると、体に見合った家の大きさ。餌代がまかなえるだけの経済力。運動をしてやらなければならないから、広い庭。散歩に付き合える体力と時間。そして何よりも好きなこと。奥さんは大型犬が好きなんですと言っていた。代々大型犬らしい。
 次回来られたときに尋ねてみたいが、我が家は庭のない家のつくりで、1時間近く歩かせてあげる時間も体力もない。何も条件が要らないミニチュアダックスからは三段跳び選手くらいにならなければ資格が手に入らなそうだ。


2016年09月18日(Sun)▲ページの先頭へ
自己防衛
 不思議な光景がある。以前から気になっていたが、今日時間があったのでしかと確かめた。ただあいも変らず僕は食べ物には無頓着だから、正しい名称が使えないのが残念だ。
 スーパーの中で2箇所だけ食べ物が露出して陳列されているところがある。1箇所はパンのコーナーだから、僕も時々利用する。もう1箇所が僕が決して近寄らない(無関係と思っているから)揚げ物のコーナーだ。てんぷら類だと思うのだが、てんぷらだけではなく、今日必死で1つでも覚えて帰ろうとしたフランクフルト?など何種類かの揚げ物が陳列されているコーナーだ。大型のスーパーだったら恐らくそれらの前を1日何百人、いや3桁の単位で通るはずだ。客の中の何人かは病気を持っている人もいるだろう。手にとって戻すようなことはないだろうが、飛まつ感染や空気感染などは当然起こっても不思議ではない。清潔をこよなく愛するこの国の人が、この2つのコーナーに限ってなんておおらかなのだろうと不思議で仕方ない。どちらも熱を利用した調理方法だから、ラップで包んだりすることが出来ないのかもしれないが、何の安全の保証もない状態で陳列されることに違和感はないのだろうか。結核菌はもとより、これからは風邪のシーズンだから、ウイルス付きのパンやコロッケを食べることになる。
 パンが好きだから、いくつかのスーパーの中にある手作りのパン屋さんのパンを買うことが多いが、買いながらいつも思うのが、一か八かの賭け事だ。おかげで今までそれから何かに感染した気配はないが、なんとなく普通にあって指摘されない不思議な存在だ。日本人が好きなパンと揚げ物だから大目に見ているのだろうか。胃酸の分泌が落ちているだろう世代には、自己防衛も必要な気がする。


2016年09月17日(Sat)▲ページの先頭へ
発見
 鳥類学会に発表したいくらいの発見だ。一石を投じるかもしれない。田舎薬剤師にしておくにはもったいないといわれそうだ。
 今朝見た鳥の中で一番高いところを飛んでいたのは、対になって悠々と西から南へと飛んでいった・・・・あれはなんていう鳥だろう、羽は細く、首から先が長い、まるで鵜のようだったが、一体鵜があんなに高いところを飛ぶのだろうか。鳥の名前をほとんど知らないから鵜のようなやつとでも言っておくが、そのペアは上昇気流を旨く捉えてほとんど羽ばたきをしなかった。その下を飛ぶのはカラスで、カラスはせわしなく羽ばたきをする。あの高さでは最早上昇気流なるものはないのだろうかと言うくらい滑空と言うものをしない。その次の高さはツバメだ。ツバメは一度羽ばたくと、その勢いで結構な距離を進む。せわしなく羽ばたくのではなく、一度の羽ばたきでかなりの距離を稼ぐ。その次はと言うか一番低いところを飛ぶのは雀だ。雀は近距離を移動するときは、羽ばたきをし続ける。ところが遠くに飛ぶときは、一度の羽ばたきで結構な距離を稼ぐ。ところが体が重いのか、羽ばたきをすると、少し高度が下がるのだ。そこで又羽ばたきをして高度を回復する。まるでたるんだロープのような航跡を残して飛んでいく。落ちそうになるがすぐに又高度を稼ぐ。それの繰り返しだ。この光景に今まで気がつかなかった。こっけいのようでもあるし、けなげだし。とても印象深い発見だった。この驚きを共有しない手はないから・・・・ブログか。今は「シェア」とか「いいね」とかで容易に拡散できるのだろうが、僕は原始人だから、この手段しか持ち合わせていない。
 「雀は飛びながら落ちそうになる」。なんてセンセーショナルなどうでもいいような発見なのだろう。


2016年09月16日(Fri)▲ページの先頭へ
狂想曲
 もう10年とは言わないのではないか。今でもはっきりとリアップ狂想曲は覚えている。発毛を訴えることが出来る医薬品と言うことで鳴り物入りの新発売だった。よく知っている人は勿論、見たこともない人まで朝からどんどんやって来て、仕入れていたのはすぐに売り切れ、買えなかった人は予約を取って後日取りに来てもらうことにした。そんなに売れるとは思わなかったので、最低仕入れ個数しか入れていなかったのでそれを悔いたが、逆に多くの人に嘘をつかずにすんでよかった。本当に生えるのかと疑いながらの仕入れだったから、傷口が浅くてよかった。沢山の人に売っていたら、なんとなく後ろめたくなる。
 当時のリアップは勿論、その後発売された5倍濃いと言うリアップも1個ずつ在庫している。当時のリアップは、唯一使い続けてくれている人のため、5倍濃い奴は僕自身のため。だから薬局の一番目立たないところにおいてある。売ろうとも売れるとも思っていない。ところがそんなものに限って見つける人がいて、「先生、リアップって効きますか?」と尋ねてきた。僕が冗談で「髪が邪魔になるほど生えてくる」とポップで書いているのを見つけたのだ。「効くもんか、僕を見れば分かるじゃろう」と答えると、その男性はそれから話題にしなかった。「少しは迷えよ!」
 最早死語みたいなリアップがその日もう一度話題になった。ある男性が買い物に来ていた。僕は他の方の相手をしていたので、その男性の用事が全く分からなかった。その男性が帰ってから応対した娘が「リアップを又仕入れておいて」と言った。たまには売れるのかと思いながら、「さっきの人はふさふさしていたように思うけれど、あれでもリアップがいるのかなあ」と娘に尋ねた。すると娘が「リアップじゃないよ、奥さんのビアップを買いにこられたんよ」と言った。最近何故かよく売れるコラーゲンのドリンクなのだが、字で書いた以上に言葉に出されると似ている。
 唯一使い続けてくれている男性、そして僕しか効果の判定をする対象を持たないが「効く訳ないじゃろう」の思いは今でも続いている。単なる習慣で使っているだけで効果が無いことは彼も僕も知っている。髪だけが老化を免れたりしたら気持ちが悪いし、ありえない。歳をとれば皆外見は醜いアヒルの子。出来ることはただ1つ、内面が豊か過ぎて見にくいアヒルの子になることだけだ。


2016年09月15日(Thu)▲ページの先頭へ
証明
 「オリーブ園の上がり口のところで見られたような気がしたらやっぱり追いかけてきて捕まった」「写真屋の前でパトカ−が見えたと思ったら追いかけてきて捕まった」1ヶ月の間に2回もシートベルトをしなかったせいで捕まったらしい。罰金は要らないが、点数を1回1点引かれるらしい。運よく僕はその点数制度を知らないから、ダメージはわからないが、岡山県の免許試験場から今帰ったところと言うから、それなりに切羽詰った環境におかれたのだろうか。「その日の内に免許証がもらえるからわざわざ試験場まで行った」と言う言葉でそう想像した。
 2回も呉の法務局に長期出張していた人だから、警察官と顔を合わせるほうが嫌だと思うのだが、むしろ点数に拘っている。もっとも本来は悪人ではなく、ちょっと酒癖と金癖が悪かっただけなのだ。人を傷つけてはいない、むしろ大いに楽しませてくれた。警察官とも仲良くやれる素質を持っているのに、もったいない話だ。
 今回も彼は反省をしていない。僕には手に取るように分かる。僕らは幼馴染だし、彼がシートベルト対策で考えついたことがそれを証明している。「今度から車に乗るときには、服にシートベルトの絵を書いておく」


2016年09月14日(Wed)▲ページの先頭へ
条件反射
 「漢方薬が効いたのなら、そうされたらいいですよ」と大病院の偉い先生が言ったそうだが、それは漢方薬を評価して言ってくれたものではない。恐らく4回も何の用事か知らないが電話をしたからいい加減嫌になったのだろう。僕には分かるし、その人自身もうすうす分かっているみたいだ。
 病気になれば薬と、ほぼ条件反射みたいに人は思い浮かべるみたいだが、どうもそれが裏目に出ているのではないかと言うような人に遭遇する機会が増えた。病気則薬だから、病気が増えるたびに薬が増え、薬が増えれば薬の副作用で病気のような不快な症状が出現するから又薬。悪循環を重ねている人が目に付く。薬を所望する患者も単純だが、その要望に応えたり、薬をどんどん増やす医者も単純だ。
 娘夫婦が気が付かなければその患者に8種類の薬を調剤して出すところだった。他所の病院で薬をもらっていることを2人は知っていたから、処方元に電話してその薬は飲めないと申し出たから6種類に減ったが、それでも6種類の心療内科の薬を飲んでいる。頭がボーっとして一日中倦怠感との戦いだ。薬が切れそうになるとイライラしてじっとしておれない。睡眠薬を飲んで寝ても満足に寝れないから、昼からその睡眠薬を飲もうとする。そんな泥沼を、調剤薬局と言う理由で受け入れる。紳士協定で何も言えないから歯がゆさだけが残る。何十年もそうした治療を受けて、段々権威のある先生にまで手を伸ばし、結局は同じだったと諦めたところで初めて相談を受けたから、漢方薬でお手伝いした。一気にある症状が2つ解決した。処方箋を10年々持ってきていたが、ただ調剤された薬を持って帰るだけの関係だったが、漢方薬を出しだしてから随分と長居して話して帰る。話すとスッキリするらしくて笑顔がかなり増えた。本人はもちろん嬉しいだろうが、お医者さんも嬉しいのではないか。大先生のところに1日4回も電話する患者なんていないだろう。恐れ多くて「頭が高い、控えおろう」の世界だから、電話がかからなくなれば先生も大助かりだ。
 東京都で市場の移転に絡んで大嘘がばれた。何処の世界でも日常茶飯事のことだろう。医療の世界だからそんなことはない・・・なんてありえない。薬や医療なんかよりはるかに大切なものがあるはずだ。生き物を傷つけず、人を傷つけず、社会を傷つけず、川や海を傷つけず、畑や田んぼを傷つけず、森や山を傷つけず、月を消さず、星を落とさず。


2016年09月13日(Tue)▲ページの先頭へ
固定電話
 歯医者さんでこれから正に治療を始めようという段になって、電話が鳴った。歯科衛生士が電話を受けたが、先生が「私ですか?」と言って電話に出ようとした。先生は僕に「ちょっとごめんなさい」と言って謝ってくれたのだが、結局は家から僕宛の電話だった。電話に出ると「漢方薬の患者さんが来られたからすぐに帰ってきて」と妻の慌てた声が聞こえた。すぐにと言われてもせっかく決心して治療に来たのだから、ここで中断すれば心が折れる。なんだかんだと治療しない理由を考え出して時間を稼ぐに決まっている。自分の性格はよく分かっているし、その患者さんは脊椎管狭窄症で2週間前から漢方薬を始めた方だから、少しの時間くらい待ってくれることも予想が付いたから、治療を取敢えずやってもらってから帰ると約束した。
 先生も5分で済ませますと言ってくれたが、なんだか早く済ませると歯医者さんに言われると、サービスや真剣さの尺度のようには聞こえない。「先生ゆっくりでいいです」と思わずお願いした。
 言葉とは裏腹に先生は口もよく動かした。「何年ぶりかに電話で呼び出されたのを見ました」どういう意味かと言えば、おじいちゃん、おばあちゃんでも今時携帯電話を持っていない人はいなくて、治療中に携帯の呼び出し音が鳴ることは結構あるが、固定電話にかかってきて、呼び出してくれってのは本当に珍しいらしい。「僕は携帯電話を持ったことがないんです」と答えると、歯科衛生士が不思議そうな声で「本当に持っていないんですか?」と尋ねてきた。治療中に彼女が話しに割り込んできたのは今日が初めてだ。それだけ珍しい人間に思われたのだろう。持ってもいないし使い方も知らないと言うと驚いていた。たった携帯電話を持っていないことだけでこれだけ驚きを提供できるなら、意地でもこれからも持つことが出来ない。
 携帯電話だけでなく、持っている事が普通で、持っていないことが珍しい、逆転した価値観が横行するようになった豊かな国の日常だ。白物家電から車に至るまでの果てしない物欲、そして原子力発電・・・それと大いなる悪意。


2016年09月12日(Mon)▲ページの先頭へ
維持
 そう言えば昨日のGONNAのコンサートで、僕にとっては珍しいことがあった。コンサートの終盤でちょっとしたイベントが設けられていて全員でじゃんけん大会が行われた。上位4人までに景品が出ると言うことで、結構盛り上がった。どっちか言うとこんなことはして欲しくなくて、1曲でも多く演奏を聴きたい僕としてはしらけた気持ちで参加した。舞台の1人と全員がじゃんけんをするのだが、なんとことごとく僕は勝って、最後の4人に残った。200人くらい聴衆はいたと思うが、舞台に結局上がらされ、4人でじゃんけんをして勝敗を決めることになった。そこまで何回勝ち続けたのか分からないが、舞台で初めて負けた。結局おもちゃのブローチをもらったのだが、じゃんけんで連続して勝つなんてことはありえないことだったので結構その結果には驚いた。ただ、舞台上の演者が次に何を出すかなんとなく分かった。くせみたいなものを瞬時につかんだのかもしれない。ちょっとした功績だったが、舞台上で残り3人の出すものはさっぱり見当が付かなかった。単なる偶然で負けただけだろう。でもこの歳で舞台上の若い和太鼓奏者に呼ばれ、じゃんけんをさせられ、ブローチをもらい、結構恥ずかしかった。でもそのおかげで、コンサートが終わり、かの国の女性達の一緒に写真に写りたいと言う希望をかなえるのが敷居が低くなったのはよかった。新しいメンバーの青年がいわゆるイケメンで、彼女達は演奏が終わるのを楽しみにしていた。何でもいい、来春帰国する女性の思い出をさら1つ作ることが出来た。
 これは余談だがもう1つ。彼女達を迎えに行くときに利用した駐車場で清算すると、本来なら100円のお釣りがあればいいのに、なんと300円お釣りがあった。これは天からの贈り物、まじめに生きていたらこんな幸運なこともある。明治時代なら家が建つ。日々懸命に働いているとこんなご褒美がもらえる。あまりの嬉しさにかの国の人たちの昼食をホテルのランチにしたら、明治時代なら大きな工場が建つくらいのお金が飛んでいった。平成の時代なら「腹が(建つ)立つ」くらいのお金だ。時代によって立つものは違うものだ。
 こんなたわいもないことで喜ぶことが出来る今の心調と体調を維持したいとつくづく思う。


2016年09月11日(Sun)▲ページの先頭へ
GONNA
 誰の趣味か分からないが、赤磐市にある普門院というお寺でGONNAと言うプロの和太鼓集団のコンサートが、去年に引き続き行われた。僕が去年インターネットでコンサートを見つけて聴きに行っただけでその前から恐らくやっていたのだと思う。メンバーが特定の聴き手と随分親しい感じを去年持ったから。
 この1年で随分と上手になったと思う。特に若手が加入して、スピードがかなり加わった。マリンバ奏者の浅岡栄子と5人の和太鼓奏者の変った組み合わせなのだが、僕が慣れたのかあまり違和感はなかった。和太鼓大好きの僕からしてみれば、和太鼓を集中して聴きたいのだが、マリンバとの掛け合いがかなり自然になったように思った。連れて行ったかの国の女性2人、男性3人はいずれも、浅岡のマリンバに魅せられ感動していた。おそらくマリンバの演奏など初めて見て聴いたのだと思う。女性達は何度も和太鼓の演奏会に連れて行っているが、男性は日本に来たばかりで、演奏会そのものが未体験だったらしい。通訳の女性を介して、今日のコンサートが素晴らしくて、又連れて行ってくれとのことだった。
 そう言えば今日のタイトルがクラシックだった。クラシックを和太鼓でやろうというのだからかなりの冒険だ。だから浅岡のマリンバが今日は特に引き立ち、心に響いたのだと思う。僕みたいな素人でも分かるクラシックを選択してくれていて、マリンバだけでも楽しめた。何故か分からないが最近、クラシックが聴けるようになったし、聴きたくもなった。年齢のせいではない様に思うのだが自分でも理由は分からない。ただ1つ言えるのは世の中に本物がなくなってきたからだと思う。ちゃらちゃらした人間ばかりが目立ち重宝される低俗な世の中になったからだと思う。
 浅岡や太鼓打ちに滴る汗にしか僕は本物を感じることが出来なくなったのだ。


2016年09月10日(Sat)▲ページの先頭へ
飼い犬
 クウクウ、あるいはキュウキュウ、そんな音が数分おきにしていたが、何の音か気がつかなかった。台所の戸を閉めてニュースを見ていたからテレビの音かとも思った。そして最後にその音が階段の方からしていることに気が付いて、扉のガラス越しに目を凝らすと、モコと目が合った。
 事務室の電源を落として2階に上がって夜のニュースを見ていたのだが、モコが階下に下ろされていたのに気が付かなかった。事務室の隅で時々居眠りをしているが、僕がそれに気づかず、モコも僕が上がったことに気が付かず、大分時間が経ってから上がってきたのだ。ところがモコはもう13歳で、人間で言うと70歳を越したおばあさんだから、階段の最後の段が上がれずに身動き取れなかったのだ。どういう理由か知らないが、最後の段だけが数センチ高くて、いつの頃からその一段だけ上がれなくなっていた。悲しそうな泣き声を遠慮がちに出すだけで、吠えて僕を呼ぶようなことはしない。そのことが哀れで急いで僕は戸を開け階段を数段下りてモコを抱えて廊下に下ろしてやった。ミニチュアダックスだからそもそも階段を1人?で上がり下ろしさせないほうがいいらしいが、まだ若いつもりか結構自分で降りてきたりする。
 この1年くらい耳は完全に聞こえなくなった。目はまだ随分と見えているような気がする。お腹に腫瘍がいくつもあり、見た目はグロテクスだが意外と元気だ。幸運にも体調不良はない。ただ、犬種がそうさせているのか、老犬になっても赤ちゃんのようなものだから、生理的な衰えと外見が結びつかない。13年前と外見は同じなのだ。だから分かってあげられていないところがあるのではないかと、昨夜の経験が問いかけてきた。まるで幼子のように皆から愛され、大切にされてはいるが、どこかこちらに落ち度があるのではないかと問われたような気がする。より老いていずれ別れが来る。幼い風貌にそれは似合わないが、現実を受け止めなければならない瞬間が確実に近づいている。死のみ絶対を、永遠を保証できる唯一のもの。飼い犬に噛まれるのではなく、飼い犬に教えられる。


2016年09月09日(Fri)▲ページの先頭へ
偶然
 こんな考えられないような偶然を起こすことが出来るのに、どうしてロト6では起こせないのだ。欲がからんでいるからかなあ。
 数ヶ月前に、ある人から、どうして我が家の空き家を都会の人に貸したかを調べている学生がいるから会ってやって欲しいと頼まれた。あまり詳しくは分からなかったが、紹介してくれた人が、町おこしで頑張っている人だから、協力しない手はないので即答した。2人の青年がやってきたのだが、京都大学の学生だった。見るからに知性的・・・・ではなかったが、楽しく彼らの質問に答えることができた。
 ここまでが単なるあらすじでここからが脅威の偶然。こんなことがあるんかと言うような展開になった。
 一昨日、完成させた報告書を見せに牛窓に来るという連絡をくれたのだが、電話を切る前に余談話として、実は一方の学生のお母さんが僕を知っていて、牛窓に若いとき(学生時代?)に来たことがあり、僕が牛窓を案内したというのだ。突然の展開に、頭に浮かぶものは何もなかった。全く記憶から消えていた。そのうち「そんなこともあったっけ」になり、「誰か訪ねて来た気がする」になり「名前も顔も覚えていないけれど確かに誰か来た」に落ち着き、「後は牛窓で」と言うことになった。
 以前にももらっているはずだったが彼がもう一度名刺をくれた。と言うより報告書の中に挟まっていた。その名前を見て直感的にある作家の名前をもらってつけたなと思った。そこで彼にそのことを尋ねると正に図星だった。その作家は僕らの学生時代は多くの青年が心酔していて、僕も男の子が出来たら付けたいと思っていた。ただ僕の場合苗字と名前がよく似た字になるのでバランスが取れなくて止めた経緯がある。その青年の場合自然な感じだから、理知的でいい名前だと思った。すぐに見破られるような名前をつけるのだから、お母さんなる人物も所詮僕等と同じ穴の狢だったのだろう。
 彼が東海地方の実家に帰り、ふと今やっている研究の話を口にしたことから、とんでもない「偶然」が生まれた。優秀なお子さんを持って幸せな人だと、顔かたちのない幻の女性を祝福したい。
 


2016年09月08日(Thu)▲ページの先頭へ
 このところ夏の始まりを告げる雷も、夏の終わりを告げる雷も経験しない。季節は妙に美人ぞろいの気象予報士が伝える天気予報の中に閉じ込められている。
 ところが昨夜久しぶりに雷の音を聞いた。稲光も睡魔でもうろうとしている僕の網膜を何度も窓ガラス越しに照らした。前線が近づいていただろう時間帯からとても暑くて、いつものように窓を開けて網戸一枚で寝ていたが、まるで地球を冷やすような雨の降り方で、思わずガラス戸を閉めた。
 曖昧な記憶だが、夕立やそれに伴う雷は最早珍しいものになった。少年時代は、海水浴場の南の空に積乱雲が立ち上り、ゴロゴロと言う音に追いかけられるように家路を急いだものだった。ところが最近は、季節の変化を告げる雷も、夏を盛りの雷もどちらも極端に頻度が減ってしまった。何がそうさせているのか分からないが、そのことに気がついたり研究したりする人はいないのだろうか。
 本当に久しぶりの雷だったので、薬局にやってくる人の口の多くに上った。それぞれが、集中的に降った雨と稲光と雷鳴が怖かったと言っていた。雷くらいで怖かったというのは、他所の県の人には申し訳ないが、災害が少ないといわれる県だからこその「大袈裟」だろうか。
 大雨とか台風とかに縁遠い北の国の人たちの災難の映像を目にする。為政者達にどのくらいの想いがあるのか知らないが、汚輪ピックに浪費する金があるなら是非あの人たちに回して欲しい。いずれはわが身。お偉い方々がすむ花の都大東京でも、いずれ地獄絵が展開される。


2016年09月07日(Wed)▲ページの先頭へ
間一髪
 「あんたの方が『やっすいス』」とちょっと離れていたところで炊事をしていた妻が言った。テレビ画面を見ていたのではないが耳に入ったのだろう、インタビューに答えていた青年の揚げ足を取っていた。
 何が安くなるのかよく分からなかったが、ニュース番組でLINEによる通話料金が4000円〜5000円くらい安くなってインタビューに答えていた青年が歓迎のコメントを述べていたのだが、その「やっすいス」が僕同様に耳障りだったのだと思う。間一髪いれずに出た妻の冗談が、間一髪僕より早かったので分かる。僕も妻と同じことを感じたから。
 若者言葉を使えなくなったからか、若者言葉を使うタイミングが気になり始めた。若者言葉から現代語に昇格するのは、いつの時代でもそうだったのだろうと想像に難くないが、その過渡期にはいつも戸惑う世代があったこともまた想像に難くない。僕はかの国の人たちと話をすることが多いせいか、きれいな日本語を話すようにこの数年は心がけてきた。彼女達が正に若者言葉を使った瞬間、彼女達に抱いている印象がもろくも瓦解するのを何度も経験したのだ。彼女達の多くが備えている愛すべき純情が、ちょっとした言葉遣いのせいで少し濁って見えることがある。
 インタビューに答えた彼の職場に行き、同じ質問をして同じ返事をするなら「やっすいス」と言う返事をするだろうか。普段着と正装を旨く着こなす人、普段着のままの人、それぞれがあっていいと思うが、せめて「このタイミングでは使うな」をもう少し求めていいのではないかと思っている。


2016年09月06日(Tue)▲ページの先頭へ
経験則
 1年前に、甲状腺の機能亢進症になった。同じ頃ストレスがかなり重なった。そのせいかどうか分からないが首が震えるようになった。首の震えは他人にも分かるので恥ずかしい。大学病院で治療してもらったが治らない。今度精密検査を受けるから、それまでに何とか軽くしたいといって相談に来た。
 牛窓の人だから1週間分だけ漢方薬を作って飲んでもらった。1週間後にどうなったか結果を知りたかったので手紙を書いた。が、返事が無かったので効果が無かったのだと結論付けていた。ところが昨日1ヶ月ぶりに大学の処方箋を持ってやってきた。その薬はずっと飲んでいるものだから首振りとは関係ないが、良い機会だから漢方薬で首の震えが改善したかどうか尋ねてみた。すると青年は思いもかけぬことを言った。1週間漢方薬を飲んで首の震えは完全に止まったらしい。丁度その後、以前から予約していた大学病院の精密検査をしてもらったが結局は異常無しだった。青年は医師に、ヤマト薬局で漢方薬を作ってもらって飲んだと告げたらしい。するとお医者さんが「その漢方薬が効いたんでしょうね」と言ったらしい。
 青年にどうしてもっと早く教えてくれなかったのと尋ねると、僕が出した手紙が他の郵便物に挟まっていて気がつかなかったらしい。薬を作った方が本人より真剣に症状について考えているいい例だ。青年は取ってつけたように「まだ飲んだほうがいいですかね」と尋ねたが「治れば飲む必要はない」と答えておいた。
 漢方薬の欠点でもあり、長所でもあるところが彼を救った。言い換えると、程度の低い僕の欠点でもあり、長所でもあるところが彼を救った。漢方薬は現代医学みたいにミクロの世界まで極めることは出来ない。漠然とした経験則の上に成り立っている。だから現代医学を総動員して原因が分からなかった症状を、単なる一薬剤師の経験が消し去ってしまった。
 世の中には捨てがたいものが一杯ある。捨ててはならないものが一杯ある。己の欲望で捨ててはならないものを捨てようとしている奴が政権を牛耳っている。早く気が付かなければ 首振りの1つも治せられなくなる。



2016年09月05日(Mon)▲ページの先頭へ
 余り遭遇したくないもの。それは蛇。夏には時々目にするが、今年は会わなかったと喜んでいたら今朝遭遇した。
 毎朝と夕に不法侵入してウォーキングをする中学校のテニスコートは、隣接する体育館のコンクリートの土台から少しだけ低くなっている。その間に浅い溝がある。今朝そこをまたいでテニスコートに入ろうとしたら、太くて長い綱みたいなものが溝に落ちていた。最初は綱だと思っていたが、なんとなく僕の大嫌いなものに見えてきた。そこで確認すると例の気持ち悪い頭もあった。1mくらいある蛇だから青大将だと思うが、身動き1つしない。と言うよりなんとなく干からびている。蛇は光沢があり表面はみずみずしいが、干からびて体も滑らかでなく、不自然に所々で折れているように見える。牛窓はこの夏は極端に雨が少なかったから蛇も水を飲むことが出来なくて力尽きたんだと嬉しくなった。と言うのは我が家にも一匹住み着いているらしくて、今年娘が見つけて、使用していない水道管に逃げ込んだのを外から蓋をしたらしいのだ。食べるものも飲むものも無く蛇がどれくらい生きれるのか分からないが、確認することが出来ないから確かめていない。もし今朝の蛇が息絶えたのなら、我が家の蛇はとうにくたばっいるだろう。
 蛇が死んでいるのを見つけた中学生はどのように処分するのだろうと考えながら、いつものように20分ウォーキングをした。
そしていつものように例の溝をまたいで帰ろうとすると、蛇の死骸がない。蛇のくせに狐につままれたみたいだった。あの干からびた蛇が死力を尽くしてどこかへ這って行ったのだろうか。体育館の縁の下には鉄の格子があるが蛇なら通り抜けられそうだ。又溝には何処からかパイプ間が引かれていてその中をさかのぼることも出来るだろう。又近くにはちょっとした植え込みもある。その3つに逃げ込んだとしか思えないが、人間が至近距離にいて身動き一つしなかったこと、干からびて、しわになっている部分もあったことなどから、どう見ても死んでいたと思う。それが何故消えたのだろう。本当に不思議でかなわない。半日たった今でも合点が行かない。ひょっとしたら大きな鳥がくわえて行ったのだろうか。それなら僕の目に留まるはずだが。それが一番ありそうにも思う。一番ありそうでないのは、蛇が死んだ真似をしたこと。
 摩訶不思議な出来事だった。


2016年09月04日(Sun)▲ページの先頭へ
歴然
ほぼ毎週決まって訪ねるところがある。そこは数週間前に道路標識に車をこすったところで、当初から道の狭さに不安を持っていた。今日時間があったので、そのあたりの道路の様子を探るために近所を歩いてみた。出来れば広い道路を通り、信号がある交差点を利用したい。もう数年間通っているがそうした考えは今まで起こらなかった。そのことを後悔しながら歩いた。
 歩いて驚いたのだが、一歩国道から外れると、結構規模が大きいマンションやテレビでよく宣伝されているアパートなどが沢山あった。あるところでは道路がアパート群の中で終わって、進入禁止の看板で私有地だとわかるところもあった。結構迷路みたいだった。と言うのが道路がおよそまっすぐではなく、わずか数十メートル先も見通せないような、いわば無計画に住宅街が作られた印象だった。大小さまざま、新旧さまざまの小さなアパート、個人の住宅、大きなマンション、それぞれが共存している「家だらけ」の区域と言うのが僕の印象で、歩きながら45年前のある些細な出来事を思い出した。
 浪人した後、名古屋市立大学の薬学部に合格した。岐阜薬科大学は当時、名古屋市立などよりはるかに難しかったので、勝手に岐阜薬科には合格しないと決めて、名古屋にアパートを探しに行った。大学から紹介されたところを訪ねると、簡単な鉄の外階段を備えた如何にも安普請のアパートだった。それはそれで受け入れられなくはなかったが、アパートの窓から眺めた風景が、それこそ家々の屋根ばかりだったのだ。道路と簡易なアパートばかり。周りに緑は全くなかった。何て乾燥した景色なのだろうと思ったのをはっきりと覚えている。19歳の青年なら、都会と言うだけで何でも許しそうだが、さすがに後に引く光景だった。
 今日、岡山の街を歩いていて、45年前名古屋で見た景色を思い出した。「まるで同じではないか、僕はここには住めない」と思った。偶然集まった人たちが、経済の差によってそれぞれにふさわしい住処を見つけている。歴然とした収入の差が、住まう方法に現れている。
 働きたい企業がなかったので仕方なく帰って来た牛窓だが、牛窓に建つ家で、海が、山が、島が、畑が、田んぼが見えない家など一軒もないと思う。今日我が家を出て行った息子のマンションからはこの全てが見える。出て行くはずだ。


2016年09月03日(Sat)▲ページの先頭へ
飼育
 「全国の複数の医療機関の精神科医が、強制入院などの判断を行う「精神保健指定医」の資格を不正に取得していた疑いのあることが、厚生労働省の調査でわかった。不正取得が疑われる医師とその指導医は計100人前後に上り、神奈川県相模原市の知的障害者施設で起きた殺傷事件で、逮捕された容疑者の強制入院措置に関わった医師も含まれているという。」

 精神科医にとってこの精神保健指定医の資格はかなり価値があるものらしくて、収入が1・5倍から2倍くらい違うらしい。僕らでも今の収入が1、5から2倍もらえるとなるとかなり魅力的だ。何に使ってやろうかと一度に財布の紐が緩みそうだ。ただ僕らは小心だから、いくら倍増するといっても悪事は働かない。働けない。ところが世の中で尊敬される職業として上位に来そうな彼らが、かなり悪質だとしたら、どんな制裁を加えられるべきなのだろう。相模原市の事件などいわばその医者は共犯者だ。20人近く死んだことに対して、無関係を通すのだろうか。
 本当のうつ病やそれ以上の心の病に関して、専門家である彼らが、オフィスの机を挟んで、患者さんと数分対峙し投薬する。効果が得られなければ精神病薬をこれでもかこれでもかと増やし続ける。まるで薬以外に治療法がないかのようだ。外から見ていたら、まるで人間を飼育しているように見える。
 もし海を見下ろす丘の上に、ロッジ風の建物が並び、動物が草むらで戯れ、虫が鳴き、鳥が空を飛べば、心のトラブルはかなり改善されないだろうか。そこにもし本当に心優しい人がいたら、病気は個性に変わらないだろうか。コンクリートの狭い部屋、あてがわれる薬。普通の精神の持ち主だと監獄に近いような環境でどう改善していくのだろう。最終目標は何処に定められているのだろう。
 優秀な人材が集まる医者の世界でも、時々脱落する人間が出てくる。受験戦争を勝ち抜く間に身につけておくべきだったことをないがしろにしていた付けを、いとも簡単に払う人達だ。
 
 


2016年09月02日(Fri)▲ページの先頭へ
ラブラドール
 なんて優しいまなざしなのだろう。こんなに至近距離で見たのは初めてだったから、体の大きさに驚いたし、頭の大きさにはもっと驚いた。人間より大きいのではないかと思われるぐらいだから、頭もかなりいいのではないか。その証拠に飼い主夫婦の言うことをよく聞く。薬局の中だから、人間にもそれなりの礼節は要求するが、このワンちゃんは非の打ち所がない。御夫婦が漢方薬の相談をする時間、1時間近かったと思うのだが、相談机のすぐそばでおとなしく待機していた。時に眠るように体を横向けにするが、薬局の中やスタッフを信用していてくれるようで皆が嬉しくなる。我が家は全員が犬好きだから大歓迎だ。そもそも駐車場の車の中で一人?待っていたのを妻が見かねて招き入れたのだ。
 あまりにも大きいので体重を尋ねると43kgあるらしい。スリムな大人の女性と同じくらいだ。テレビやユーチューブでよく見かけるように、子供はもちろん大人でも体を枕にして眠ることが出来そうだ。何でも御夫婦はワンちゃんと川の字になって眠るらしい。よほど深い眠りを約束されそうだ。
 一度だけ、机の下に大きな頭をもぐらせて、僕の手を舐めた。まるでご主人様を治してくれと言わんばかりだった。あの優しい目で見つめられると、意思の疎通が出来そうだ。心は瞬く間に通い始めた。奥さんが「この犬は自分が犬ではなく人間と思っている」と教えてくれた。僕も、目の前の大きな顔を見ると犬のようには見えなくてまるで人格を持っているようだった。
 分かる、分かる、いや分かった分かった。、下手な人間なんかよりはるかに愛情を注ぎたくなる理由が。人間なんかより犬を選択する人がいても不思議ではない。あのまなざしは人間には出来ない。何故なら、人間は悪意に満ちているから。


2016年09月01日(Thu)▲ページの先頭へ
クール宅急便
 犬の殺処分を防ぐ団体で活動していた薬剤師が漢方の勉強に来て、かなりの数のワンちゃんを漢方薬で世話していたが、家庭を持った関係で来ることができなくなった。今までお世話していた方の漢方薬を時々作りに来るくらいだ。ただこの数年の間に、僕が人間のために考えた漢方薬の処方がそのまま犬に当てはまることをそばで見ていて確認した。その事実は興味深かったが、実際僕がその代役をやろうとは思わない。
 3週間前に御自分の漢方の相談に来た女性が、漢方薬が出来上がるのを待っている時間に、店頭に陳列しているアトピーのための塗り薬を見つけた。娘が東京の研究会で知識を得て作り始めたものだが、人間によく効くことはもう数年の経験で確かめている。ただ動物にはまだ使ったことがない。ところがそれを女性が使ってみると言ってくれたので、思わぬ実験が出来た。猫の漢方薬の相談だったら断っていたかもしれないが、塗り薬を使ってみるというのだから拒む理由はない。
 翌日あることで来店したときに、1年半獣医に通ったが、塗ってもすぐに舐めてなんら効果が無かったが、昨日は塗った後舐めなかったと教えてくれた。たったそのくらいのことだけで飼い主は喜んでいたが、今日漢方薬を取りにきたときに自分の症状の好転のお礼よりも前に、猫の皮膚炎が9割くらい治ったことを報告してくれた。家族に内緒で飼っている猫らしくて、高額な獣医の費用のこともあって、満面の笑みで報告してくれた。
 こうした体験はあまりないので、猫を治しても結構喜ばれるんだと思った。動物は人間に比べてワイルドだから薬が効きやすいのはそばで見ていて分かっていた。まるで人間のように動物を愛する薬剤師の様には気持ちをこめることは出来ないが、心はクール宅急便でも、知識さえあれば治すことができるものだと思った。


   


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