栄町ヤマト薬局 - 2016/03

漢方薬局の日常の出来事




2016年03月31日(Thu)▲ページの先頭へ
 開かずの扉は、実は開けずの扉だった。
 今となっては、僕の機械音痴を嘆くだけだが、逆にどうしてその一瞬だけ勇気を持って挑戦してみようと思ったのか分からない。薬剤師根性が芽生えたのか、何かが降臨したのか分からないが、意を決してみればなんでもないことだった。
 漢方薬の調剤には、なるべく古い機械がいい。だから僕はアンテナを張って、古い機械が市場に出るのを見張っている。今僕が使っているのは、ある廃業を決意した薬局から譲り受けたものだ。古くて重くて、なんらいいところはないが、漢方薬を調剤する者にとって、シンプルと言う最大の長所がある。そして安いという絶対条件もある。と言うのは漢方薬は一度に飲む量が多いから、新薬のために出来ている機械ではなかなか分包しきれない。昔の機械だったら、精密にできていないから、ぎりぎり詰めても機械が壊れない。最新式のものだったら、コンピューター制御だからすぐに壊れてしまう。壊れればベンツが買える位のものだから、大変な出費だ。せめて10年くらい持ってもらわないと元が取れない。片や、譲り受ける機械なら、お礼は片手ですむ。これなら毎年壊れても立ち直れるし、逆にシンプルな造りのものはなかなか壊れない。
 シンプルだから、機械の掃除も簡単だ。備え付けの掃除機で吸引するだけでいい。ただ、機械の裏側には、製造業者以外触らないで下さいという一角があり、もう何年その部分を覗いていない。恐らく前の持ち主もそこは絶対触れなかったのではないか。古いながらもそこは機械の心臓部らしい。ただ、大量の漢方薬を調剤するので他の部分と同じように、漢方薬の粉塵が届いているはずだ。板で覆われているが、熱を逃がすための穴は数箇所に開いてある。20年やそこら使ってきているから、その小さな穴を潜り抜けている漢方薬もあるはずだ。何故かその中を覗いて、もし粉塵に覆われていたらきれいにしてみたいと思ったのだ。
 何度かそのようなことを考えたことはあるが、面倒を超える強い意志はもてなかった。ただ今回は明らかに、開けてみたいという欲望が勝った。
 意外と簡単に背中部分に当たる金属板をはずすことが出来た。なるほど中には心臓部となるべく配線が張り巡らされていた。そして案の定外部から漢方薬のエキスが進入し、所々に小さな山が築かれていた。そして張り巡らされたコード、それは束にされているものが多かったが、に漢方薬の粉がまつわりついていた。それを僕はスタッフにきれいにするように頼んだ。2人係で色々工夫をしながら丁寧に汚れを取ってくれていたが、束ねられたコードの間に漢方薬が入りこんでいたり、コードの下に溜まっていたりで、なかなかきれいにならない。思案しながら頑張っている二人に娘婿がキンチョールみたいなものを持ってきた。僕は初めて見たのだが、スプレーを噴射すると、風圧でさっきまでこびりついていた漢方薬の残渣や隠れていたゴミが飛び散った。スタッフはえらく喜んでいた。僕はえらく驚いた。大掛かりにすればそのまま工事現場で使えそうだが、恐らく事実は逆で、工事現場のものを家庭用に小さくしたのだろう。こんな製品があることに驚いたし、こんな製品をちゃんと我が家に用意していたことにも驚いた。
 かくして手付かずだった場所がきれいになった。触ってはいけない、外してはいけないという先入観で全く触れなかった場所が扉を開いた。ちょっとしたひらめきや行動力が扉を開けてくれる。誰でも、どんな目的でもちょっと手を伸ばして見ることが大切なことを学んだ。


2016年03月30日(Wed)▲ページの先頭へ
上品
 過日、タレント女医が診療報酬不正請求により逮捕された。言語道断の愚行であり、医師の社会的信用がガタ落ちである。無論、保険医はその良心に従い、不正請求など皆無に近いのであるが、テレビが大々的に保険診療の仕組みなんぞを特集したため、保険医療制度がある程度一般市民に知られるところとなった。それはそれでいいのであるが、世の報道番組はさまざまであり、俗に「ワイドショー」と呼ばれる部類の情報番組は医師に悪意を持つがごとき放送をする場合があり、全ての医師は容易に不正請求ができるがごとく報道されることもあった。コメンテーターも好き勝手なことを言い、おおよそ医療に関係ない、見るからに馬鹿丸出しのタレントが、「自分は健康であり、あまり病院にはいかぬが、医師は信用できない」などとヌカシテいたが、そもそも保険制度のコメントにはほど遠い話であり、つまるところ小麦高騰のニュースに対し、「自分はラーメンが嫌いであり、ラーメン屋に行かぬので小麦は関係ない」などといった意味不明のコメントに等しい。

 ある医師が、インターネットに載せていたコメント(医療系の人しか閲覧できない)だが、同じような考えの人間もいるし、同じような言葉を使う人間もいるものだと思った。お友達になれそうな印象だ。馬鹿丸出しとヌカスは品はないがそれに変わる言葉がないから正しい使い方だ。まあ、僕のアホコミやアホノミクスよりはやや上品だし、浜先生のドアホノミクスよりはよっぽど上品だ。ただ、このお医者さん、この後にはもっと面白い逸話を載せてくれていたのだが、本人(単なる庶民)が見たら分かりそうなので、さすがにそれは遠慮した。思わず読者が笑い転げ、溜飲を下げるのだが・・・残念だ。
 アメリカにはメディアドクターと言う制度があって、アホコミに登場する医学知識を検証するらしい。アホコミは受け狙いだけで成り立っている職業だから、何でもかんでもネタにしてしまう。そして悪意に満ちた情報を信じる層の健康と金をボッタクル。合理主義の国らしい検証制度だ。献金と引き換えに野放し状態を勝ち取っているこの国とは大違いだ。
 悪より正義のほうが圧倒的に分が悪い最近の国際情勢、国内情勢、電力業界、球界、メディア・・・・医療の世界も同じだ。


2016年03月29日(Tue)▲ページの先頭へ
実験
 朝鮮ガンマン第二弾。不思議な体験をした。そしてその呪縛から今日も抜けなくて、不愉快な思いをしながら見ていた。我こそはと思う方は是非挑戦してその不思議な誘惑に打ち勝って欲しい。
 ますます面白くなって、今日など2時に早くスタッフが食事を終えて降りてきて欲しいくらいだった。じっと耐えて待っていたが、2時を少し過ぎてしまった。
 自分でも理由が分からない。ドラマにひきつけられるにしたがって本気で字幕を読むようになった。偶然その番組を見つけた頃はほとんど集中していなかったから、字幕は読んだり読まなかったりで食事に集中していた。すばやく食事を済ませ、階下に降りることが優先だった。ところが内容が少しずつ分かり面白くなると、一言も漏らすまいと懸命に字幕を追うようになった。ところが何日目だろう、ふと気がついたのだ。その番組は日本語で放送されていたのだ。そのことに気がつくまで僕は数日を要した。韓国ドラマをNHKで追っかけてきた僕は、ヨン様のときから全て字幕だったような気がする。はっきりと覚えているわけではないが、しっかりと字幕鑑賞がインプットされていたのではと思われる。だから自然に字幕を追っていたのだと思う。
 ところが、それからが結構苦行なのだ。日本語吹き替えでやっているとわかっているのに、どうしても字幕を読んでしまうのだ。そしてその時は吹き替えの言葉を全くブロックして聞こえない。何語で喋っているのだろうと言うくらいほとんど意味を持っていないのだ。これではダメだと思い、いや少し恐ろしくなって、懸命に字幕に抵抗するがすぐに引き戻される。もう数日僕はこんな葛藤を抱えながらドラマを見ている。
 そのことを昨日妻に話してみた。「字幕を読んでいる?このドラマ日本語よ」と。すると妻は「本当だ、びっくり!」と言った。妻は韓国ドラマを見ることはないが、やはり字幕のトリックには引っかかるのだ。僕だけでないことが分かりほっとしたが、盲点ってあるものだ。誰もが共通して陥るブラックホールってあるんだと実感した。テレビで脳の働きを検証するような番組があるが、日常にもそうした状況は転がっているのだ。脳の優れたところか頼りないところか分からないが、とんだ実験が出来た。


2016年03月28日(Mon)▲ページの先頭へ
外国人
 別に意図してその時間に食事に上がっているのではないが、このところ食事時間に民放の「朝鮮ガンマン」と言う番組によく出くわす。いつから始まった番組か分からないが、数回見たらだんだん楽しみになってきた。物語りもなんとなく理解できるようになった。もっとも韓国のドラマは、はっきり敵が存在し、最初はやられっぱなしなのだが次第にやっつけると言う、恐怖のワンパターンだから、ストーリーの展開が分かりやすい。だから物語の最初を見ていなくても、悪人が誰で、正義が誰でと分かってきた。次第に興味がわいて、嘗て冬のソナタ以来、日曜夜の韓国ドラマをこよなく愛した僕としては、有難い限りだ。どうした理由でNHKが韓国のドラマを放送しなくなったのか知らないが、まさか韓国蔑視の勢力に組したわけではないだろう。
 まあ、それにしても出るわ出るわ、整形美男美女が。昔から韓国の人は田舎にもいたからだいたい顔がどんな風かはよく分かる。ドラマに出てくるような人は見たことがない。今でもその他大勢で出てくる人達は整形していないから、如何に主役級がいびつかよくわかる。日本人でもある年齢に達した俳優達の多くが整形していると聞くが、彼らは若い。一番きれいな頃を造形美でごまかす必要はない。異国の人間にとっては、ありのままを見たり聞いたり触れたりしたいものだ。日本もどきや白人もどきを見たくはない。ありのままで、あの面白いドラマを作ってくれたらいいのに・・・と思うのは外国人だからだろうか。


2016年03月27日(Sun)▲ページの先頭へ
無常
 「よう来たな(よく来たな)」が僕の祖父母の口癖だった。今なら車で50分で行くことができる母の里は、僕が子供の頃は船とバスを乗り継いで行っていたから、半日以上かかった。だから基本、長期休みしか行くことはなかった。でも逆を言えば必ず年に3回は行って、休みの期間中滞在していた。だから毎年2ヶ月は行っていたことになるし、母は僕たちを置いてすぐに帰ったから、正確に言うと預けられていたのだ。当時の薬局はとても忙しくて、5人兄弟の我が家では絶好の口減らしだったのだろう。第一声が必ず「よう来た」だったから、今でもはっきりと耳に残っている。祖父母は僕たちの到着をとても喜んでいたのだと思う。何故ならその後僕は、その挨拶をことあるごとに真似ていて、歓迎すべき人にはつい口から出てしまうから。
 今日母を訪ねたら母はいい顔をして眠っていた。起こすことは出来ないからじっと母の顔を見ていたら、上記のようなことを思い出した。今から50年以上前の光景だ。母もまた僕の子供達を同じ心で慈しんでくれたのだろうと思うと、目頭が熱くなってきた。30年周期くらいで同じような光景が繰り返されているんだと指を折って数えてみると、後30年したら目の前で眠っている母のように僕もなるのだと不思議な気持ちがした。母だけではなく僕にも人生を終える日が着実に迫ってきていることを感じる。
 僕は、何かを残すのではなく、漢方薬のノート以外は何も残さないようにしようと思っている。過去の無数の人間がそうであったように、一瞬地球に顔を出しただけのように思うのだ。全て無常なのだ。いくら力んで生きても所詮無常なのだ。


2016年03月26日(Sat)▲ページの先頭へ
恩恵
 僕の顔を見ながらしみじみと「効くんですねぇ」と笑顔を浮かべながら言ってくれた。だから僕は褒め言葉として受け止めた。これが同じ言葉を発せられても、薄ら笑いとともにではまともには受け取れない。長年田舎と言うハンディキャップを背負いながら仕事を続けてきたのでその辺りには敏感だ。
 確か大阪から引っ越してこられた夫婦だ。定年退職して田舎に住む人が時々こうして牛窓を選んでくれる。温暖な気候と海辺と言う立地と、垢抜けない住人達が心地よいのだろう。だから当然、商業施設にしても垢抜けないから、近隣のスーパーにおのずと買い出しに行く。皮肉だが、他所の街のスーパーに行き、牛窓産の魚や野菜を買うことになる。商業施設がもっと整っていたらもう少し牛窓を選んでくれる人が多いと思うのだが、いまいちだ。ただ、昨年ドラッグストアが進出してくれて随分と便利になった。後は、生鮮食料品に特化した大きなお店が1つあれば十分だと思っている。ほとんどのものがインターネットで翌日には手に入るから、町の風景や秩序を壊す全国チェーンの店などいらないのだ。地元の人と本当に触れ合える昔ながらのお店と、消耗品と食料をそれぞれ大量にそろえていてくれる店があれば十分だ。
 大都会に住んでいて、どうしてヤマト薬局みたいな薬局と巡り合えなかったのか合点がいかなかったみたいだ。初めて訪ねてきてくれたときの不安で、それでいて何か好奇心をそそられる心理は表情でびんびんに伝わってきた。僕の薬局に入るには度胸がいったのではないか。期待に沿わなければ、何も買い物をせずに出なければならないのに、会話必須の薬局だから。ただ期待に沿うことが出来なかった経験はほとんどない。(薬の効果ではない)
 田舎のハンディーと戦い続けた40年だったが、今は田舎の長所に助けられている。岡山市から時々訪ねて来てくれるある女性が、駐車場がプロの手によって大きな花壇に変わっていく様を見て「公園のようですね」と言ってくれた。恐らく娘夫婦もそれを目指しているのだと思う。超ミニチュアだが、薬局と関係ない人でもベンチに腰掛け、鳥の声に耳を傾け、花を愛でてくれれば喜びだから。自分達のためではなく、薬局の前を通る人達の為に花を咲かせる。そうした発想こそが田舎で暮らすことで自然と身につく恩恵だ。
 


2016年03月25日(Fri)▲ページの先頭へ
琉球
 娘夫婦が連休を利用して沖縄に行ってきたらしい。連休と言っても土曜日に仕事をしているから一泊二日と言うことになる。関空から飛行機に乗ったらしいから、そこまで行く時間を考慮すると結構な強行軍と思える。若いからできるのだろう。僕ならさしずめ、関空で一泊、沖縄で一泊、帰りに関空で一泊となるだろうし、そもそもそこまでして行かない。
 どうして沖縄に行ったのが分かったかと言うと、漢方薬が出来るまで待ってもらう人達に出すお菓子が、新しいものが用意されていて、箱に「琉球王国伝承 沖縄ちんすこう」と書かれていたのだ。勉強会などで県外に出ると必ずその地の珍しいものを買ってくるから、沖縄に行ったのがすぐに分かった。沖縄の印象を尋ねると「車のプレートの、例えば岡山なら岡〇〇と始まる所が、沖縄は、その岡の部分がアルファベットだった。それが面白かった」と言っていたが、わざわざ強行軍で行った沖縄の印象がそれかと、突っ込みを入れたくなった。
 箱に書かれている「琉球王国」が目を惹いたので、インターネットで少しばかり沖縄について調べてみた。僕はエイサーが好きだから、沖縄の文化を大切にするために独立したらいいのにと思っているが、歴史を少しだけ調べてみてますますそう思った。言語をまず同化されて、精神まで同化されようとしている。そんなに日本になることが魅力なのかと疑いたくなるが、実際は分からない。
 下記のような記述をインターネットで見つけたが、ひょっとしたらあの時沖縄は嘗てのように独立していたのかもしれない・・・などと考えるととても残念な気持ちになる。異なる言語、異なる文化、穏やかな人達、亜熱帯の自然・・・沖縄県ではなく琉球だろう。

「戦争終結後、アメリカ政府は沖縄県は独自の国で、日本に同化された異民族としてアメリカ軍政下に置いた。しかし、朝鮮戦争の勃発によってアメリカ政府の琉球に対する見方は「東アジアの要石」へと次第に変化し最前線の基地とされると、アメリカ本土からの駐留アメリカ軍が飛躍的に増加した。旧日本軍の施設以外に、米軍は軍事力に物を言わせ、住民の土地を強制的に接収した。いわゆる「銃剣とブルドーザーによる土地接収」である」


2016年03月24日(Thu)▲ページの先頭へ
勇気
 場所によるがいずれ高速道路の最高スピードが120kmまで許されるようになるらしい。鉄砲の弾が時速何キロメートルで飛ぶのか知らないが、鉄砲の弾の重量とスピードを掛けた数字と、車の重量とスピードを掛けた数字のどちらが大きいのだろう。ひょっとしたら、車のほうが勝ったりして。仮に勝たなくても、それに近いような数字が出たら、車の形をした鉄砲の弾が道を走っていると思えばいいのだ。
 出来れば免許をとって、それを返納するまで誰も傷つけずに過ごしたい。出来ることが限られているから自信を持って乗り切れると断言はできないが、せめてスピードは法廷速度まで、車間距離は必ず止まれる距離、睡眠不足で運転しない、時間に余裕を持って出発するなどは実践できる。それで何か事故に巻き込まれたら、ほとんど相手に非があるだろう。
 僕も時々高速道路を利用する。1人で通るときはあまり高速を走っていることを意識しないが、他人様、特にかの国の若い子達を乗せているときはかなり緊張する。家族の期待を背負って来ている子達を傷つけてはいけないこと、僕に何かあっても代わりの運転手がいないことが大きな理由だ。7人を乗せられる車は車高が高いから高速道路には向かない。横風をしっかり受ける。だからゆっくりと左側車線を走る。4人を乗せることが出来る車は逆に高速道路には最適の車らしいが、恥ずかしながら軽四にどんどん追い越されてしまう。一歩間違えば絶対助からないと思われるような小さな車にどんどん追い抜かれる。勇気がある人達だなあと感心する。
 高速道路では、追い越され上手もかなり必要なテクニックだ。僕に危害を与えないでと先を譲るテクニックが危険から遠ざけてくれる。時に新幹線かと思われるようなスピードで追い抜いていく車があるが、これからはそのような車が増えるわけだ。前方より後方に気をつけなければならないってことだ。
 交通規則の改正?改悪で勇気ある人達が増えるのだろうが、出来ればその勇気を何か世の為人の為になることに使って欲しい。強いものに立ち向かってこそ、弱いものを身の危険を顧みず救ってこそ、勇気と呼べる。この国に勇気ってある?


2016年03月23日(Wed)▲ページの先頭へ
回答
 「オトウサン ナンサイデスカ?」と尋ねられたから「64歳」と答えると、かの国の若い女性は悲しそうな顔をした。僕は瞬間的に彼女の心を読み取ることが出来た。残酷な答えをしてしまった。うそを承知で50歳くらいに、いや40歳でもよかったかな、要はさばを読んでいればよかったのだ。ただそんなに機転が利くタイプではないのでつい本当のことを答えてしまった。 寮には現在18人のかの国の女性がいるが、いったいその中で両親がそろっているのは何人だろう。最近では、恐ろしくてそのことを尋ねることが出来なくなった。意図的に尋ねたことはないが、話の内容から、両親がそろっている人が少ないように思えるのだ。20歳から30過ぎまでの年齢層だから、親は僕の年齢の前後にほとんど納まっているはずだ。ところがそれでも片親の人が多い。どちらかと言うと父親がいない方が多いような気がするが。
 興味があるから色々調べたり、直接彼女達から聞いた話を総合すると、かの国の男性は、あまり仕事に熱心ではなく、昼間からカフェでコーヒーを飲んでたむろしたり、タバコをよく吸い、酒もよく飲む。おまけにこれは僕の勘だが、紫外線も強い。だからガンや、いわゆる循環器系の病気で若くして亡くなる人が多いのだ。と言うことは、僕ら日本人よりかなり外見も内面も老けているはずだ。ひょっとしたら20才くらい老けて見えるかもしれない。男性のほとんどが愛煙家ならその副流煙を吸う家族はもっと危険だ。男性と比べて向上心が強いと言われている女性がそんなことの犠牲になるのは気の毒だ。
 冒頭の女性は、父親は既に50歳代で亡くなり、母親は僕より2歳だけ年上なのだそうだ。ところが僕よりはるかに年上に見えることが哀れだったのだ。6人を育てたと言うから苦労も並大抵ではなかっただろう。そうしたダメージも重なって、老化を早めていることは想像できる。僕が「ごめんね、若く見えて」と言ったのは冗談ではなく本心だったのだ。他の女性達が気を使ったのではないだろうが「ニホンジン ワカイ」と口々に言ったのもまた本心なのだ。
 成長を遂げた国から、遅れてくる人達を見れば多くの回答を持ちあわせているが、その逆も多いことを僕は肝に銘じている。


2016年03月22日(Tue)▲ページの先頭へ
無謀
 集中治療室からやっと出てこれたばかりなのに、お母さんのために漢方薬を作ってと頼まれた。症状を聞いてとても僕がお世話できるようなものでないことはすぐに分かった。命が危なかったのに、僕に出る幕はない。それでもなおかつ食い下がって何か作ってと言われたが、そんな無責任なことは出来ない。
 その後2週間位して、退院したからとお嬢さんがお母さんを連れてきた。3人で話していたときに、母を思うお嬢さんの心がとても強いことに気がついた。だからあの無謀にも思える要望が口から出たのだろう。無茶な要望だが、その理由はとても愛情深い母娘の関係だったんだとよくわかった。時にこのようにお嬢さんとお母さんの関係が深い光景に巡り合う。ただし、それは多数派のようには思えない。逆の関係のほうも含めて、淡々とした関係の方が圧倒的に多いような気がする。
 それはいいことか悪いことか僕には分からない。人は皆、無いものねだりだから、逆の対場にあこがれるが、逆になればなったで息苦しさもそれなりにあるのだろう。だから結局は当人同士の関係が収まるべくして収まった所なのだろうと理解している。子供の自立を何で測るか、手持ちの秤で違ってくるから一般論がなかなか通用しない。
 今正に嘗ての秩序が崩壊して、混沌の時代に入っていることを感じる。新しい秩序が何処に収まるのか分からないが、気がついたら元の木阿弥のような危険性はある。そのほうが為政者にとって都合がよかったのを奴等は覚えているから。何しろ、貧乏人を飛行機で軍艦に体当たりさせることすら出来た奴等だから、その味は忘れられないだろう。他人の命を合法的に奪える快感たるや想像を絶するのだろう。
 母を思う子の本当の力で、奴等の欺瞞をあぶりだして欲しい。


2016年03月21日(Mon)▲ページの先頭へ
金属
 「それじゃあ、自分は鉄か亜鉛か?」これはちょっとかの国の、それも通訳じゃない女性には難しかったみたいだ。皆きょとんとしていた。
 昨日の京都の土産話をする二人を囲んで数人で話をしていた。僕は京都観光の間に、英語とフランス語とドイツ語は察知できたのだが、かの国の女性達は「中国人と韓国人とタイ人が一杯、〇〇〇人は3人だけ会った」と言っていた。少なくとも母国語以外に3ヶ国語を聞き分けていたことになる。〇〇〇人とタイ人の見分けがつくのかと不思議だが、それには理由があることがその後の会話で分かった。
 そうした伏線があったからだと思うが、話の途中で突然通訳が「日本は1つの民族ですね」と尋ねた。当然一つと言う答えを予想していたみたいだったが僕は二つと答えた。アイヌの人達がいるから二つだと答えると驚いていた。僕の浅い知識で簡単な説明をしたら分かってくれたみたいだが、そこから発展して自国での民族の数を教えてくれた。彼女は少数民族という日本語も知っていた。かの国にはその少数民族が50数個あるらしい。そして一番多い人口の民族は「キン族」らしい。そして彼女が「ワタシハ キンゾクデス」と言ったから「鉄か亜鉛か」と高級な洒落で返したのだ。
 寮には18人いるがその中でキン族は16人で、1人はタイ族、もう1人はなにやら族と教えてくれた。タイ族はその名前の通りタイ国境に近い人達でタイ語を話すらしい。そこで気になることがある。「少数民族を差別したりしないの?」と尋ねると「昔はあったけれど今はない」と教えてくれた。確かに寮のその2人の少数民族の人達ともとても仲良く暮らしている。若い人には関係ないだろう。銅か錫か知らないが、屈託のない笑い声が響く寮の中に、世の指導者と言われるやつらがもっとも恐れる光景が広がっている。


2016年03月20日(Sun)▲ページの先頭へ
対話
 帰国を控えたかの国の女性達に一番喜んで欲しいのか、今回も僕たちを案内してくれた京都在住の女性に一番喜んで欲しいのか、僕自身が一番喜びたいのか分からなくなっている。少なくとも僕が喜ぶ事が一番ではないと自信を持って言いたいが、僕の未体験コースを開拓してもらえれば、好奇心も俄然湧いて来る。今日は旅行記みたいなものを敢えて書かない。ある光景に自分の非力を感じたのでそのことについて書いてみたい。
 連れて行ってもらう受動的な旅だから、名前などはっきり覚えていないが、確か天龍寺と言ったと思う。女性が興味を持っていた石庭があるから、女性に一番喜んでもらいたかったが、ダントツで喜んでいる人たちが既に沢山いた。それも静かに。
 敷き詰められた砂利、そんな低級なものではない。正式な名前を知らないから便宜上そう呼ばせてもらうが、その上に12個?の大小の石たちが置かれている。もちろん無造作ではない。何かを象徴しているのだと思うが、どの方向から見てもその12個が重なるところがあって全てを一度に見ることはできないなどと解説してくれた。それだけ教えてもらえば、僕が目撃した光景のように真似ることも出来るだろうが、そこは今回感じた僕の感受性の低さで、僕はまるで修学旅行生のように見学しながら移動しただけだった。
 その石庭を眺めるために、寺の廊下?縁?一杯に腰掛けている人たちがいた。その後ろをカメラを覗きながら通り過ぎる人達とは違って、一様に静かでじっと庭を見つめていた。まるで美術館で静かに絵と対話をしている人のように。ある意味それは衝撃だった。京都観光の僕のイメージは、見て歩く観光だったから。見ながら移動することが観光であり京都そのものたったから。ところが廊下の縁側に腰掛けて動かない人達は違っていた。明らかに鑑賞し味わっていた。どんな感情が彼らの中に沸いてくるのか、無感動の僕は教えて欲しい。そのことを女性に言うと、彼女は「知識を増やせば感動できるのではないでしょうか」と答えた。なるほど、それはすべてのことに当てはまるだろう。僕は旅行とか観光とかに全く無頓着だったから、そのあたりはかなり遅れている。正に行き当たりばったりが人生と同じく好きだったから、予備知識全く無しだ。
 和太鼓にしても、ベートーベンの第九にしても、自然と聴き手として成長していることは自分でも感じている。京都を味わう上でも同じことが言えるのかもしれない。ひょっとしたら、一握りの洗練された京都上手の人達は、目の前の風景と対話できているのかもしれない。


2016年03月19日(Sat)▲ページの先頭へ
定年
 今日、法務局帰りの友人が、小さなポスターを持ってやってきた。老人がギターを抱えて唄っている姿だった。目を閉じて唄っている姿だったが、持ってきた本人の写真かと思った。その品のなさ、やつれ具合、そして何より顔の構造がそっくりだった。冗談で作ったものかと思ったが、そのライブの案内のポスターには、嘗て「五つの赤い風船」と言うフォークグループの一員だった人の名前が書いてあった。僕はポスターの案内を見るまで本気で僕の友人かと思った。それくらいのドッキリはする人だから。
 僕の友人は、実年齢より10歳は老けて見える。歯もない、髪もない、金もない。ないないずくしでわが道を行っているが、その彼と瓜二つのその歌手が、良くぞそれで今だ歌で稼いでいるなと思った。学生の時、岐阜で五つの赤い風船のコンサートに行ったことがあるが、少なくとも僕よりはかなり年上の人たちのように見えた。とすると70歳に手が届いているかどうかと言うあたりだろう。その年でギター片手に全国のライブハウス回り?昔ならとても考えられないことだ。僕ら素人は、学生が終わるとともに歌も終えたが、まさかあれからずっと音楽に携わりながら生きていく人がこんなに沢山出ようとは思いもよらなかった。僕らが青年の頃はやはり人前で唄うのに、定年と言うものがあった様な気がする。それが僕らが大人になり中年になり、老年になるにつれて定年も延びた。いわば僕らの世代がやり終えるまで定年は存在しないと言うことだ。
 スポーツ界を見ていてもそれは感じる。野球界でも相撲界でも、スキーのジャンプの世界でも定年をひたすら延ばし続けている人がいる。食べ物か、労働環境か、医療の発達か何かわからないけれど、現役が大挙して歳を積み重ねている。3000円と言うチケット代にたじろいで断ったが、「自分を見ているよう」と言う、世にも恐ろしい光景を避けたような気もする。


2016年03月18日(Fri)▲ページの先頭へ
空白地帯
 薬局に帰ってきて40年。漢方薬を勉強して30年以上経っているから、県の南東部ではそれなりにヤマト薬局の名前が浸透していると思うのだが、意外にも牛窓から峠を一つ越えただけの岡山市のある一区画が、僕の患者さんの空白地帯だ。薬局を継いだときから、牛窓町の人口の少なさに危機感を抱いて、町外に積極的にチラシを撒いてきた。商品名を全く載せずに、漢方薬が解決できるトラブルをひたすら解説してきた。だから今では町外の人、岡山市や備前市、果ては倉敷市や赤磐市など、車で1時間以上かけて来て下さる人が多い。なのにその一番近い、およそ10分で来ることが出来る岡山市の一区画の方はめったに訪ねてこなかった。その理由が最近やっとわかった。
 その地区に診療所があって、その先生がことのほか患者さんを治すことに熱心で、ほとんどその地区の人達にとって神様状態なのだ。医師の仕事に熱心と言うより、仕事がとても好きみたいで、それこそ休みなく働いている。市は違っているが、隣り合わせの僕の町からわざわざ行く人も多い。だから、そのように力がある先生が君臨しているところから僕みたいな田舎の薬局に来る理由はないのだ。
 ところがその診療所に息子が勤め始めて、漢方薬が使える医師が来たと言うことで、漢方薬を飲む患者さんが少しずつ増えている。昨日3回目の処方箋をもってきた女性は、10年間、20近くの症状を抱えて苦労している人だったが、煎じ薬と粉薬の処方で、もうほとんど症状がなくなったと言っていた。おまけに、体調不良で2年間だけ通学して専門学校を休学していたのだが、体調がよくなったので復学することに決めたみたいだ。医療関係の専門学校で卒業すれば引く手数多は間違いない職業だから、本人は見違えるように明るくなっていた。人生まで変えてしまうほどのお手伝いが、やはりその地区でも出来るのだ。あまりにも院長が熱心で信頼を集めすぎていたからこそ、漢方薬との縁が生まれなかったと言う皮肉な結果だ。息子も最近の患者さんの成果に、こんなに漢方薬で救える人が多いのかと驚いていた。今では空白の地域から漢方薬の処方箋を持ってくる人が絶えない。
 これで僕の地図から空白地帯が消えた。後は僕の人生に空白地帯を残さないようにしなければならない。


2016年03月17日(Thu)▲ページの先頭へ
自転車
 今日ある若い女性が電車とバスを利用して訪ねて来てくれた。漢方薬をとりに来てくれたのだが、あいにく以前来てくれた時は僕がぎっくり腰で薬局に降りてこれなかったので会うことは出来なかった。普段は電話で話をする女性だから、なんとなく人間性はつかんでいたが、想像通りの女性だった。よく笑い、明るくて健康的な女性だった。人のよさがあふれ出ていて、どうして僕の漢方薬が必要なのかと思われるくらいだった。得てして多くのこの種の若者が僕の漢方薬を必要としがちだが、総じて繊細すぎるのだ。長所が方向を間違えて発揮されているだけのような気がする。
 就職活動が始まるらしくて、もうすっかり忘れていた40年前の僕を思い出した。思い出して自分自身得るものもなければ、彼女の役に立つこともない。ただ、青春真っ只中のスリリングさは羨ましいと思った。ぞくぞくするのは風邪を引いたときだけの世代になると日常が平凡すぎて、多少の起伏も欲しくなる。
 せっかく遠くから来てくれたのだから、牛窓を少しでも感じて帰って欲しかった。スタッフが案内することが出来ない時間帯だったので、自転車を貸してあげることを思いついた。次のバスが30分後に出るから、自転車で3分くらいの距離にある海を見てきてもらうことにした。瀬戸の鏡のような海が足元に広がり、運がよければ、大サギが岸壁で物思いに耽って海を眺めている姿や、小サギが民家の屋根の上で集会をしたり、鵜が海面から消えたりするのが見える。僕のお気に入りのスポットだ。
 荷物を相談コーナーの椅子に置き、薬局の裏側の駐車場に回ってもらった。そして彼女に「これを貸してあげるから気をつけて行って来て」と自転車を出してあげた。黄色でちょっと派手だが、ちゃんと買い物籠もついているし、安全なように左右に補助輪もついている。倒れる心配もない。サドルが彼女に高すぎないのは確認していた。地面から30cmくらいだ。
 それを見て彼女は「これは、ダメでしょう」と笑いながら言った。「そうかなあ、2歳児から乗れるんだけどなあ。頑張れば乗れるよ」


2016年03月16日(Wed)▲ページの先頭へ
安易
 今朝の症例報告に少し手を加えて書く。何しろかなり踏み込んで書けるのはこのブログだけだから。
 
 70歳を少し回ったばかりの女性が、年末に交通事故に逢い入院していた。退院してから体調不良が続き、心療内科にかかっている。そこで睡眠薬2種、抗ウツ薬2種、抗不安薬1種 めまい止め1種 食欲増進薬1種をもらって飲んでいるが、今だ食欲はなく、体がしんどい。イライラと落ち込みの振幅が激しく、いつも動いていないと気が狂いそうになり、不安感で押しつぶされそうになると訴えてやってきた。僕の説明も上の空で自分が言いたいことだけを言う。だから僕が養生法などを言っても聞き漏らす。ただ、僕はこんな方こそ漢方薬で救うことが出来ると思った。恐らく僕の前で演じているそのものを医者の前でも演じたから、わずか3ヶ月でこんなに薬を飲まされているのではないか。医師も当然懸命に治療しようとした挙句なのだが、僕に言わせれば自然治癒を助ける薬が一つも含まれていない。とことん患者の(心の)不快症状を押さえ込む薬だから、目の前の女性のように無気力になってくる。
 心身ともに元気にしてあげる漢方薬を飲んでもらったら2週間で、焦燥感(じっとしていられない)は全くなくなり不安感も随分和らいだ。イライラと落ち込みは半分に減って、思い込みがなくなってうれしいと言っていた。僕の話も随分と落ち着いて聞くようになって、車で連れてきてくれる友人も随分リラックスして待っていられるようになった。
 僕は精神科領域のお医者さんの力をもちろん否定するものではないが、もっと自然なものを患者の体に入れるようにしたほうがいいと思う。心のトラブルを治すのは石油から出来た薬ではないと思う。そんなものを安易に脳の中に入れること自体が自然への冒涜だと思う。
 息子に心療内科系の漢方薬を教えてやると、随分とその領域の患者さんが増えたみたいだ。今まではその種の患者さんは心療内科に回していたらしいが、今では自分で積極的に漢方薬で治療している。息子の書いた処方箋を持ってくる患者さんからも、20年近く治らなかった心と体の不調が2週間で改善したなどとお礼を言われる。もちろん社会的な危害を及ぼすような患者さんは、専門医しか対応できないが、ちょっとした心の不調などは漢方薬のほうが圧倒的に効果があると僕は思っている。
 現代は心療内科の範疇の病名も数十に上る。もうほとんど細分化された名前にはついていけない。それでは診断も進歩したかと言うとそこは取り残されたままだ。何かのマーカーが存在する疾患ではないから、医師の主観が大いに介入してしまう。一方、治療薬が進歩したかと言うとこれも心もとない。本来、極度の疲労の上に、極度のストレスがかかったか、或いはボデーブロウのようにストレスがかかり続けたかによって発症するだろうものは、石油から出来た薬より、周りの人間達の寛容のほうが数段回復に寄与する。それがないから安易に薬を飲ませたり飲まされたりするのだと思う。本来はこの欲深い社会こそが患者だ。社会を先に治すべきなのだ。そうしないと、弱い人間が心まで破壊され、破壊されてもなお、医薬品と言う名の石油製品の消費者にならされる。


2016年03月15日(Tue)▲ページの先頭へ
ポール・ポッツ
 恐らく僕は何年も遅れているのだと思う。知る人ぞ知るで、もう何年も前から知っている人も多いのではないか。
 僕がその歌手を知ったのは、外国人が日本の歌を唄うコンテスト番組を見ていたときだ。フィナーレで全員が日本の歌を唄ったのだが、その最前列の中央に、その日歌っていない男性が陣取って唄っていたのだが、その声の美しさ、声量ともに、その日出演した他の外国人を圧倒するものだった。「誰この人?」と思わず一緒にテレビを見ていた妻に尋ねた。妻ははっきりとした知識はなかったみたいだが「タイタニックの歌を唄っている」と言うような答えをした。だから恐らくその日が初めてではなかったのだろう。ただ、彼が誰でどのような肩書きを持ってその日中央で唄っていたのかは分からず仕舞いで、結局数日間僕の頭からも消えていた。
 ところが昨夜僕は、彼が誰で、どのような経歴の持ち主か知ることが出来た。それは全く偶然のものだった。僕はフラッシュモブと言うのが好きで、多くはベートーベンの第九かボレロのボレロが奏でられることが多いのだが、昨夜もその投稿をユーチューブで探していた。そこである動画に出てくる彼を見つけたのだ。正に偶然見つけたのだが、あの夜の声で、あの夜の堂々たる体格で、あの夜と同じように聴衆を魅了している姿だった。彼の唄を聴きながら涙している人もいたし、まるで東洋人が拝むような仕草を白人がしていた。人は美しい歌声に接すると、それが日ごろ自分とは縁遠いジャンルでも、感激するのではないか。それこそ老若男女が彼の歌に引き寄せられていた。
 この歳になってやっとクラシックにも耳を傾けることができるようになったが、どうしてもっと若い時にこうしたチャンスと巡り合わなかったのか悔やまれる。音楽だけではない、もっと色々な分野に興味を示し、色々な知識を増やし、色々な経験をつめばよかったと思う。受験勉強、フォークソング バレーボール 漢方薬 カトリック 和太鼓 第九、その時々で結構熱するのだが、ものにならないのが僕の特徴で、なんとなく点と点がつながらない、実り少ない人生だった。偉大な世界の先人達が残してくれたものにもっと目を凝らし、耳を澄ませばよかった。つまらない商業主義に邪魔されずにもっと時間と体力を有効に使えばよかった。
 後悔上手のまま終わってなるものかと気を取り直しているが、頭に浮かぶのはまたまた飛び地のような新たな点だけだ。


2016年03月14日(Mon)▲ページの先頭へ
下々
 よほど民主党のときに上手い汁が吸えなかったのか、アホノミクスになってからはアホコミが太鼓もちに徹している。だから新聞によっては裏から読むほうがいい。あいつらは戦争になっても自分の身内が戦場に行くのはコネで防げると思っているから、目先の経済的な欲望だけが全てだ。ただ、そんな奴らにつき合わされたら大変だ。損を見るのはいつの世も貧乏人と相場は決まっている。
 名前がそもそもおかしいが笹川平和財団と言うのがアメリカにあるらしく、そこでアホノミクスが演説したときにいみじくもあいつの本音を露呈した。と言うより皆お友達だからいつもの話をしただけなのだろうが、それが漏れ聞こえてきている。アホノミクスで経済が潤えば(本当は簡単な株価操作だが)そのお金で国防費を増やすことが出来ると言ったらしい。GDP600兆円も、一億総活躍も全て国防費の増額のためなのだ。社会保障を充実なんてあいつらは考えたことはない。如何に合法的に下々を支配するかしか頭にはない。僕らは下々なのだ。何をされても何を言われても首を縦に振る下々なのだ。


2016年03月13日(Sun)▲ページの先頭へ
倉敷天領太鼓
 どうして鼓童は、あんなにしょうもないことをするのだろう。聴衆は民謡か日舞か知らないけれど、そんなものを聴きに来たり観に来たりしているのか。いみじくも主催者と思わしき人が締めの舞台挨拶で「昔の鼓童が聴きたかった、だからそうした選曲をお願いした」と言っていた。恐らく多くの聴衆が同じことを思っているに違いない。特に第2部は全部鼓童が独占したから、期待も大きかった分失望も大きかった。僕は12月の岡山公演に続いて2回連続で期待を裏切られたことになる。今日も前回同様、最初から最後まで省エネがにじみ出ていた。もう嘗ての鼓童はないのだろうか。嘗ての栄光だけでいつまで観客を集められると思っているのだろう。
 それに引き換え、山部泰嗣と山田瑞恵のユニット、倉敷天領太鼓、大野原龗王太鼓、ゆふいん源流太鼓の真摯さはどうだ。肉体の極限まで太鼓を打ち鳴らす。彼らが出演した第一部の充実振りは圧巻だった。帰国するかの国の女性達に最後のお土産と思って連れて行ったのだが、耳が3年間で肥えているにもかかわらず圧倒されていた。誠心誠意は、ひたすらさは、簡単に国境を越える。
 僕は和太鼓に興味を持った頃、確か倉敷天領太鼓のコンサートに行ったことがある。ところがそれ以来、この団体が単独でコンサートを開いたことを知らない。今日聴いてみて実にもったいないと思った。岡山県では備中温羅太鼓がぬきんでているように思っていたが、倉敷天領太鼓は全く劣らない。むしろ趣を異にするから、両雄と言っていいのかもしれない。ただ、備中温羅太鼓は企画力があり、年に2回くらいどうしても総社に足を運びたくなる。願わくは今日の圧巻の演奏を毎年単独コンサートでじっくり聴かせて欲しい。


虚勢
 発病?した頃は少年だった。今は青年だ。その間、どのくらい苦しんだのか分からないが、少なくともお世話させてもらい始めて2年で「人として、ちゃんと生きていく」と言ってくれた。もちろん僕は単なる薬剤師だから、彼がどのような人生を選択しようが僕の責任範囲外だが、何年も苦痛を抱えて暮らしていた青年が、そこから脱出できそうになったことに貢献できたことは嬉しい。家から出ることが出来なかった、上手く自分の苦痛を訴えることが出来なかった、まるで孤軍奮闘、いや奮闘ではない、孤立無援の状態から、人様のことまで考えられるようになったのだから、周囲の人が待つということがどれだけ大切かがよくわかる。恐らく彼の回復を待つ人がいなかったのだと思う。
 それにしても人間の治癒力は神の存在さえ思わせるほど偉大だ。よくもこんなに治してくれると驚きだ。人類が勝ち取ったのか、与えられたのか知らないが、それがあるからこその命だ。何回心身に不都合を生じても、その都度修繕してくれるのだからありがたいものだ。死に病は人生で一度、その明快さがいい。だから若者は、偉大な力で守られていると思って欲しい。病気など跳ね返す力が十二分に備わっているのだ。ちょっとしたトラブルで病気などと考えないで。病気になってもらったら潤う人の餌食にならないで。自分を信じて、胡散臭い人や物を信じないで。
 僕の薬局は田舎にあるのに若者が結構来てくれる。僕が彼らの父親くらいの年齢からかもしれないが、人生の素晴らしさを少し、人生のつまらなさを多く語れるからかもしれない。多くを手に入れなくたって、多くを失わなければ人生はまずまずだと語れるからかもしれない。虚勢を張って自滅するより、虚勢も張れずに己から解放されているほうが楽だと語れるからかもしれない。
 みんな力んで何処に行く。


2016年03月11日(Fri)▲ページの先頭へ
 「東京電力福島第1原発事故の発生から5年間に損害賠償や除染、汚染水対策などで国民が負担した額が、確定分だけで3兆4613億円を超えることが分かった。日本の人口で割ると1人2万7000円余りに上る。今後も増え続ける見通しで、総額が見通せない状況だ。」

 そうか、東電は国民から1人当たり27000円巻き上げたのか。1人の人間から27000円盗んだらどんな罪になるのだろう。留置所に入れられ、刑務所まで行くのだろうか。それでは10人から27000円ずつ盗んだらどの程度の刑罰を受けるのだろう。そして1億人から27000円ずつ巻き上げたら、これは史上最大の犯罪であること間違いないから、どの程度の残虐な刑罰が待っているのだろう。電気椅子程度では今までの悪人どもが不満だろう。罰に釣り合いが取れない。いくら時の権力者とずぶずぶの関係でも、市中引き回しの上、打ち首獄門は免れないだろう。出でよ遠山の金さん。
 毎日爆弾が空から降ってきて、破壊の限りが尽くされているシリアの内戦の被害が4兆円だと言う。東電が落とした放射能爆弾とほぼ被害額が同じだ。あの8頭身の大統領はきっと畳の上では死ねない。あの国に畳がないから、ベッドの上では死ねない。市民が許さないだろう。あの国の市民は武器を持っているからいずれ天誅を下すだろう。一方、この国の放射能で儲けた奴等は特別料金の豪華な病室で死ねる。この国の市民は最早言論の武器さえ放棄しようとしているから。
 市民に絆を強要する奴等こそが絆で結ばれていて、根こそぎ税金を持っていく。ベルリンの壁かと言うような巨大壁で海を隠し、まるで住民は檻の中だ。北の国だけではなく、この国全体が檻の中だ。


2016年03月10日(Thu)▲ページの先頭へ
経験則
 僕の40年間に渡る薬剤師生活の経験則を覆すことが牛窓で起こっている。昨日そのことを聞いて珍しい現象だなと思った。
 あるお母さんがヤマト薬局特製の風邪薬を買いに来た。いつもその薬で簡単に風邪を治してしまう人だから別段ごく普通の光景だった。ところがそのお母さんが「息子にうつしたら困るから早めに飲みます。今日、中学校では3年生がインフルエンザのために学年閉鎖になったんです。明日が入学試験なのに」と言った。ここで「3年生が」と「明日入学試験」が引っかかった。普通、インフルエンザが流行していても緊張状態にある人はうつされない。だからこの時期学年閉鎖が起こっても3年生が含まれることはまずない。ところが今回は3年生だけが閉鎖らしい。そのことを言うとそのお母さんも「そうなんです」とやはり怪訝な表情をした。
 珍しいこともあるものだと、頭の隅に引っかかったまま仕事をしていたら、夕方違う親がやってきた。そこでその疑問をぶつけてみると、なんとインフルエンザにかかった子達は、推薦入試で合格した子供達ばかりらしい。合格してしまったものだから緊張感が取れて、ウイルスを体に導きいれてしまったみたいだ。さすがに、受験を控えている生徒はインフルエンザにかかっていないらしい。職業柄と薬局があるのが中学校の前と言う立地のせいで、中学校の動静はすぐに分かる。30年以上結果的にウォッチしてきたから、もし今回のようなことが起こったなら、緊張感の欠如だと一石ぶたなければならなかったが、合格が決まった生徒達だけだと聞いて安心した。いや経験則がまだ生きていることで面目を保った。
 僕ら一般人の経験則は汚い言葉で言うと「金にならない」が身を守ることは出来る。例えば「ちょっとしたことを言われてむきになって言い返す男はよほど気が小さい。だから常にいきがっていないとバランスが取れない。そんなお坊ちゃまは、おじい様の夢をかなえるために、北の将軍様のように、プッチンプリンのように、臭菌ペッのように振舞う」くらいは、手に取るように分かる。


2016年03月09日(Wed)▲ページの先頭へ
お疲れ様です。
猫さんの相談なのですが、現在15才で5年ほど前に他の猫さんと同居させたところひどくいじめられ、ストレスから脳疾患になり眼振が起こるようになったそうです。眼振が起こっている最中はふらつきが出て階段から落ちたりするそうです。同居はすぐに止めたそうですが眼振は続いているそうです。脳疾患というのは何か検査をしたわけではなく症状から脳疾患だと獣医さんに言われたそうです。眼振以外には症状はありません。獣医さんからはビタミン剤が処方されています。
漢方で何かお手伝いできることがありますか?教えてくださいm(__)mよろしくお願いします。

 飼い主さんにとっては、わが子同然だろうから笑ってはいけないが、思わず噴出しそうになった。猫と言うところを例えばA子と書き換えたら、そのまま人間の不調の相談になる。原因も今の時代ではありふれているし、症状もありふれている。人間そのものではないの、というのがこのメールを読んだときの感想で、だからこそ噴出しそうになった。
 犬の保護をボランティアで頑張っている薬剤師が、今日送ってきたメールだ。僕は動物のことは全然興味がなかったから、治療に関しても全く無関心だった。ところがこの薬剤師が漢方の勉強に来始めて、犬猫に対する処方が全く人間と同じでいいことを知った。だから薬剤師が僕に人間の処方を聞いては、犬猫の体重や症状にあわせて薬の量を決めているのを興味深く見ていた。
 めまいは人間でも恐怖だ。色々な原因で人間もめまいを起こすが、想像力を働かせて、この猫ちゃんを守ってあげよう。あの薬剤師のおかげで僕も少しだけ動物に優しくなれた。どんな縁で人は成長させてもらえるかわからない。だからこそよい関係を作ることに臆病だったり億劫がったりしてはいけないのだ。猫様の、いや人様のお役に立ててこその己だ。


2016年03月08日(Tue)▲ページの先頭へ
脱落者
 オリンピックスタジアムの聖火台が考慮されていなかった件で、またぞろ責任回避合戦が始まっている。こんなときに必ず出てくる掃除大臣経験者がいて、その品の無さが全く変わっていない事に驚くし、そもそもまだ生きていることに驚く。実際に命があることはもちろんだが、あの世界に今だ健在とは、そもそもあの世界がこの世のものではないと言う証明でもあるのだろう。
 政治屋とはよほどあつかましい人間しかなれないのか、そういった人間の就職場か知らないが、よりによってほとんど漏れなくそういった人間で占められる。だからごく普通の人間にとっては「気持ち悪い」のだ。およそ良心とか恥とか、社会で重要視される価値観が足をすくわれるものに変質してしまう世界なのだ。
 僕が牛窓に帰ってから付き合っている人達が最近よく死ぬ。どれも全うな人達ではなかったがよく気が合って好きな人達ばかりだ。あの掃除大臣やアホノミクスと同じくらい全うな人達ではなかったが、僕の知り合いは人畜無害だ。決して褒められた人生を送ってはいなかったが、人を傷つけたりはしない。自分で自分を苦しめているだけだ。自分の為に力ないものを調教するような奴らとは違う。自業自得で世を去っていくだけだ。その中で不思議と逝かない友人がいる。当然自他共に認める先頭打者だったのに、今だ4番を打っている。「まだ人の半分も酒を飲んでいないのに今から死ねるもんか」と今日も言っていたが、恐らく僕の1000年分は今までに飲んでいる。
 昨年死んだある友人が意識を失って病院に搬送されたときに、その4番打者が役所から病院に様子を見に行くように頼まれたらしい。身内がいないことが役所にも分かっていたから、友人代表として頼まれたみたいだ。しぶしぶ4番打者は病院に行ったらしいが、病院に着くと救急搬送された友人が廊下を歩いていたらしい。「どうしたんで!死んだのかと思ったのに」と本人に尋ねたらしいが、「知らぬ間に意識を失ったみたいじゃけど気がついた」と答えたから「ややこしいことをするな、逝くんなら逝くんで戻って来るな」とたしなめたらしい。今日初めてその話を聞いたのだが、もう10年近く前のことだから、思えば長生きをしている。 
 世の中ではそうした人達を惨めな人間と捕らえるかもしれないが、本人にそんな自覚はないからそれはあたらない。本人は結構自由でだらしなく過ぎる時間を楽しんでいるのだから、幸せなのだ。零れ落ちることを恥じるこの国に偶然生まれたから脱落者かもしれないが、もっと自由な国で暮らしていたなら、性質のよい自由人だったかもしれない。
 言い訳三昧の政治屋に比べなんて分かりやすい僕の友人達だろうと思う。ほとんどの人が何もかも失くして逝ってしまう。家族も仕事も財産も。いや、失くしたのではなく返したのかな。


2016年03月07日(Mon)▲ページの先頭へ
相乗効果
 僕はほとんど知識がなかったのだが、僕の先生は「確かに血糖値は下がるらしいですよ」と簡単に述べただけで、さらりと流してしまった。何かの講演の時に丁度ブームになっていたから触れたのだろう。数秒も寄り道をしなかったように記憶している。それが僕の唯一の糖質制限の知識だ。
 その糖質制限の第一人者と言う方が亡くなって、一瞬だけ話題になった。それじゃあダメだろうとすぐに思ったが、そんなことは死んでしまえばお構い無しだ。生きているときにセンセーショナルにアホコミに取り上げられ、本が売れ実入りに直結したほうがいいだろう。たとえそれで寿命が縮まろうが、生きているときが華だ。正しいとか、正義に反するとかはお構い無しだ。なるべくセンセーショナルに話題を振りまいて、知的レベルが低い大衆から巻き上げればいいのだ。
 繰り返す「何々をすれば元気になる」でこの国の知的レベルが低い人間たちはどのくらいなけなしのお金を貢いでいるのだろう。貢がせた奴等は下界を見下ろすようなところに住み、本当に大衆を見下しながら生きているのに、よくも貢ぐものだと開いた口がふさがらない。命の源は自然界にしかないのに、手を加え毒を加え値段を何百倍にも吊り上げたものをありがたく頂いている。
 この世の事象と同じで、何か一つのもので全てが解決するような単純なものはない。人間の健康でも社会の健康でも、些細なもの、小さきものたちの相乗効果の蓄積だ。胡散臭いアジテーションに乗る知的レベルの低い大衆に、個人の健康も社会の健康もゆだねてたまるものか。


2016年03月06日(Sun)▲ページの先頭へ
被害者
 昨日はよほど調剤が重なったとき以外は降りてこなかったのに、今日漢方薬の勉強会に行ったら娘がやってきた。昨日は発熱と喉の痛み、恐らく倦怠感で「基本休ませてもらう」だったのに、今日やって来たと言うことはそのどれもがかなり落ち着いたのだろう。僕らは自力で治すからいちいち原因を調べないが、B型のインフルエンザがはやっている施設に出入りする娘夫婦は感染の危険性はある。ただ、昨日も言ったように、治すのはそんなものには関係ないからどうでもいいのだ。要は如何に早く脱出できるかだけの話だ。折角の日曜日だから家で寝ていればいいのにと思うが、尊敬している漢方の先生の講義だから無理をしてまで聞きたかったのだろう。明日、仕事にやってきたときの体調で無理をしたのか、幸運にも早く治ったのか分かるが。
 勉強を終え夕方帰宅すると、妻が布団で寝ていた。娘と1日遅れで風邪を引いたみたいだ。朝僕が出かけるときには「風邪を引いたかもしれない」と言っていたが、夕方には、かもしれないは取れていた。ただし、さすがに早く寝ることが出来たから、もうかなり治っているみたいだ。感染症を治すのに如何に横になり体力を温存することが有効かよくわかる。病気など所詮、自然治癒力でしか治らないのだから休むにかぎる。最高にして最良の治療だ。ただし労働者使い捨ての時代に、働く人間の健康より会社の生産性の方が優先されるのは火を見るより明らかだ。
 車の中で音声だけ聞くようにしていたら、今日はやたら東北の番組が多かった。会社を国に置き換えて考えると、同じ理屈がまかり通っているのがよくわかる。東北人の存在そのものや東北人の健康、東北の産業などが簡単に切り捨てられているのがよくわかる。税金を投入して復興をと掛け声よろしきが、結局は東京の大資本が甘い汁を全部吸い取っているだけだ。東北の人達はおこぼれちょうだいで、大罪人達に一矢も報いない。あれだけの苦痛を強いられてなお従順だ。都合の良い人間にはなってほしくない。正義は彼らにあるのだから永遠の被害者にはなって欲しくない。


2016年03月05日(Sat)▲ページの先頭へ
安土桃山時代
 あまり、よその薬局では見かけない光景かもしれない。古い薬局だからこその光景かもしれないが、面白いから披露する。面白いのはひょっとしたらそんな要望をする患者さんのほうかもしれないが。
 薬局を開ける時間が待てなかったのだろう9時前に電話がかかってきた。「この前作ってもらったインフルエンザの漢方薬がよく効いたので又作って!」つい2週間前に作って飲んでもらったのを、又飲みたいと言う。2週間前は、お医者さんで治療を受けていたがあまり改善しないから頼まれて作った。インフルエンザの後遺症だろうか、不快な日々を過ごしていたからそのための漢方薬を作った。2週間後に、又風邪を引いたみたいだが、インフルエンザかどうかは分からない。漢方薬は症状がすべてだからインフルエンザかどうかなど関係ない。症状を確かめてから「はい、インフルエンザの漢方薬をことづける」と快諾した。
 この方は開店まで待っていてくれたのだろう。シャッターを上げるとすぐに入ってきた。「この前、ノロウイルスの漢方薬を1日飲んだだけでよく効いたので、今日はインフルエンザの薬をください」そんなものあるのかと一瞬迷ったが、高熱と悪寒と関節痛があるらしいから、薬局製剤の栄町ヤマト薬局感冒3号と漢方薬を出した。すると「頭がいいですね」とえらく感心して褒めてくれた。今年紹介されて僕の薬局を利用してくれるようになった人だが、あまり僕のような薬局を利用したことがないらしい。だから、要望を出すと薬を作ってくれるなんて経験がないのだ。薬局製剤の製造許可を取っているところなら当たり前の光景なのだが、ドラッグや調剤薬局しか知らない人には異様な光景だろう。だから今だ経験したことがない褒め言葉を掛けてくれたのだと思う。ただなんとなく年下の女性だから違和感はあったが。むしろ僕にとっては普段しばしば掛けてもらっている言葉のほうがしっくり来る。例えば「かっこいい」とか「スタイルがいい」とか「どうでもいい」とか・・・
 こちらも電話での注文。お孫さんが高熱を出したから「インフルエンザを予防する漢方薬を又作ってください」この方は毎年この種の漢方薬を作っている。だいたい12月から2月一杯飲む。呼吸器系に少しハンディーを自分で感じているからナーバスなのだろう。でも実際に生薬の抗ウイルス作用を期待して飲むとかかりにくい。その方がインフルエンザにかかったのを聞いたことがない。
 大都会で1人暮らしている青年は、あるトラブルで現代薬が飲めない。だからそれこそインフルエンザに漢方薬で対処すべき常に風邪薬を持ってもらっている。切らさないように注文が入る。おかしいと思ったらすぐに飲むそうだ。もう何年も元気で暮らしている。
 今の時代に薬局独自でインフルエンザに対処するのは珍しいと思う。タミフル他何種類も薬が出来たから。ただ、それらの薬の効果がそのかかる金額くらいあるのかといわれれば僕は疑問だ。熱が下がるのが1日くらい早いだけではないのか。それなら僕の薬を飲んで寝ているのとどちらが早いのだろう。恐らく遜色ないのではないか。僕はヤマト薬局にインフルエンザなどでやってくる兵に「室町時代でも治していたんだから、簡単だわ」と言うことにしている。安土桃山時代でもインフルエンザの患者は毎年出て、毎年多くの人が治していたんだ。今の時代に馬鹿高い薬を使わなくても、治すことができても不思議ではない。人間が持っている自然治癒力を目一杯導き出せば自然に治るのが当たり前だ。インフルエンザごときで製薬忌業に大もうけさせる必要はない。製薬忌業が儲かれば、政治屋が儲かり、厄人が儲かるのか。寝ていれば自然治癒するものに高額の税金を費やす必要はない。薬のレベルより、インフルエンザでも休めないのが問題なのだ。


2016年03月04日(Fri)▲ページの先頭へ
無造作
 この日曜日に丸亀に連れて行った7人のうち2人は牛窓ではなく児島で働いている。その中の1人が4月に3年ぶりに日本を離れて帰国する。いつものように「帰国するのは楽しみ?」と尋ねてみた。するとその女性は「ハイタノシミデス ニホンハ キレイデスガ カゾクガイナイ」と答えた。日本のよいところをきれいで表し、自身にとって一番大切なものとして家族と表現した。
 キレイは分かるが、カゾクガイナイは正直ピンと来なかった。同じ質問を受けて日本人が家族がいないなどと答えるだろうか。家はあっても家族ではない状態の家庭が多い中で、家族恋しさに帰ると言う発想が日本人に出来るだろうか。むしろ家族がいるから帰りたくないというのが大勢ではないか。それが良い悪いの話ではない。時代とともに変わってきただけの話だ。
 もう一つ質問してみた。これもまた僕が見送る度に全員にする質問だ。「国に帰ったら、何をするの?」すると女性は勉強すると答えた。3年間の労働で国に帰ればかなりの価値に換わる収入を得てきたから、果たせなかった勉強の夢をかなえるんだと感心気味にもう少し詳しく尋ねてみた。すると「ワタシハ ネールノベンキョウシマス」と答えた。何のことはない、爪に絵を描く仕事だ。それを勉強と表現するところが未熟だが、そのために3年間日本で頑張って働いたのかと若干悲しくなった。そんなことなら国にいたって出来るだろうと言いたがったが、夢を壊す権利はないので、ジャパニーズスマイルで煙幕を張った。
 知性的であれ!僕にえらそうに言う権利はないが、僕は彼女達が日本に留まっている間に、無意識のうちに知性を築く訓練が出来たらいいなと思って接している。元々僕にないものは提供してあげることは出来ないが、少しだけ僕のほうが得てていることは、無造作の中に織り込んで伝えたいと思っている。決して恩着せがましくでなく、垣間見える程度に伝えられたらいいなと思っている。


2016年03月03日(Thu)▲ページの先頭へ
入り口
◇業務上過失致死傷罪で在宅のまま東京地裁に
2011年の東京電力福島第1原発事故を巡り、東京第5検察審査会から起訴議決を受けた東京電力の勝俣恒久元会長(75)ら旧経営陣3人について、検察官役に指定された弁護士が26日午後にも、業務上過失致死傷罪で在宅のまま東京地裁に強制起訴する方針を固めたことが分かった。 第5検審は昨年7月、旧経営陣3人について「万が一にも発生する事故に備える責務があり、大津波による過酷事故の発生を予見できた。原発運転停止を含めた回避措置を講じるべきだった」などとする起訴議決を公表。3人が事故を未然に防ぐ注意義務を怠り、福島県大熊町の双葉病院から避難した入院患者44人を死亡させ、第1原発でがれきに接触するなどした東電関係者と自衛隊員ら計13人を負傷させたと認定した。事故後、福島県民らで作る「福島原発告訴団」が旧経営陣や事故対応に当たった政府関係者を告訴・告発したが、東京地検は計42人全員を不起訴とした。告訴団が審査を申し立て、第5検審は14年7月に3人を「起訴相当」と議決。再捜査した地検は15年1月、再び不起訴としたが、第5検審が起訴議決を公表した。同様に告訴・告発され不起訴になった旧経済産業省原子力安全・保安院元幹部と東電実務担当者ら計5人についても東京第1検審が審査している。

 在宅のまま?頼むから刑務所に入れて。そうでないとこの国では政治屋と結託している忌業人は何をやっても捕まらないことが定着してしまう。そしたらますます奴等は図に乗って、金のためにやりたい放題をしてしまう。政治屋も検察も裁判官も皆お友達だから、裁かれるのは庶民だけだ。パン一つ盗んでも、原発で人の命を危険にさらしたり、土地を捨てさせたりするより罪が重いなんて事がまかり通る。なんら罪も犯していない人を何十年も刑務所に入れた奴らでも、蜂に刺されるほどの痛みすら与えられないのだ。世の不公平も極まって、武士の時代かと思わず錯覚してしまう。そのうち士農工商も形を変えて復活するのではないか。新たな差別も作り出すのではないか。
 数日前の毎日新聞の朝刊にある対談が載っていた。なんだか難しかったのであまり頭に残っていないが、一つだけ強烈に印象に残った言葉がある。不幸な事故などの現場に遭遇したときに、昔の日本人なら絶対しなかったことがある。それは被害者に向けてシャッターを切るってことだ。正確な表現を忘れたが、嘗てなら誰一人としてしなかったことと言うような表現だったかもしれない。とにかく「0」なのだ。ありえないのだ。そこまで倫理は確立していた。してはならないことを知っていたのだ。
 それがどうだ、いまや不幸な被害者に向かって沢山のカメラが好奇心のシャッターを切る。むしろ不幸を喜んでいるかのように、不幸との遭遇によるシャッターチャンスを喜んでいるかのように。
 僕は下心を持って美しい国と称えない。他の多くの白人の国のように、爆買する国のように、将軍様を仰ぎ見せられる国のように、僕と化した庶民がお互い首を締め合う醜い国の入り口に立っていると思う。


2016年03月02日(Wed)▲ページの先頭へ
風土
 「弟はここの風土に守られたような気がします」と数日前に葬儀を済ませたお姉さんが言ってくれた。ここの風土とは牛窓のことで、温暖な瀬戸内地方を言っているのだろうが、土地の人に親切にしてもらったと言う意味も含んでいるみたいだ。だから僕みたいな人間にもわざわざお礼を言いに来てくれたのだと思う。ただ、僕は親切ではなく単純に気が合っていただけなのだが。
 もう随分長い間牛窓で暮らしているから、牛窓で育った人が中年になって帰って来ているのかと思った。むしろお父さんとの付き合いが深かったから、そう言えばいつからいたっけと言う感じで僕の前に現れた人だが、いったん認識してからは、関西人特有の表では茶化しながら、本心は冷めた視点が共通し、なんとなくたまに会って短い会話を交わすのは心地よかった。
 牛窓に来たのは、病気をして転地療法を兼ねていたらしい。定年で先に牛窓に帰っていた父親を追ってきた格好だが、病気が理由だった。そのせいで家族と別れたらしいが、牛窓の気候が合っていたのかお姉さんも驚くほど回復して、仕事にも就いて、長い間働いた。結局定年まで働ききって、昨年から暇をもてあそんでいたが、それらは温暖な気候のおかげらしい。結局、大きな手術のあとほぼ回復して20年近く牛窓で社会生活を営みながら、逝ったことになる。決して誰とでも仲良くなれるタイプではなかったが、お姉さんに「地域の役をさせてもらって皆さんと会話ができるのも楽しみにしていました」と意外なことも教えてもらった。
 この数ヶ月姿を見なかったが、急に体調を崩したみたいで、最後の頃の様子をお姉さんが色々教えてくれた。さすがにしんどかったのだろう、兄弟の前ではいつものボケは見られなかったらしいが、それでも僕はなんとなく幸せのうちに逝ったのではないかと感じた。まだ元気な頃に「俺が死んだら、土地と家を買ってや!」と冗談か本気か分からない様に言われ、ボケ専門の人間の中を一瞬垣間見たような気がした。まったりした関西弁を駆使し、衝突を避ける天性の才能は、漁師町の鋭い突込みをも萎えさせたが、迫り来る死の姿を彼はどう受け止め、どうぼけたのだろう。その道の達人に教えておいて欲しかった。


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