栄町ヤマト薬局 - 2016/01

漢方薬局の日常の出来事




2016年01月31日(Sun)▲ページの先頭へ
計算機
 同じような体験を何度もするが、今日の計算機も驚きの体験だった。
 必ずどこかにあるはずなのに、もう1年出てこない。僕が妻の計算機を借りてそのままにしておくから、もう我慢ならなかったのか買ってくるように言われた。今日はぎっくり腰の後遺症で、あまり何処にも寄りたくなかったのだが、これ以上妻の計算機を借り続けることは出来ないと思って、諦めて買うことにした。僕のイメージでは安いものだったら1000円を少しオーバーするくらいで手に入ると思っていたが、なんと498円だった。これには本当に驚いたが、1年も我慢していたことが、そのストレスがもったいないと思った。そのストレス代は498円どころではなかったはずだから。
 アホノミクスはデフレ脱却を図って、あの手この手で人の金を使って自分の政権の延命を図っているが、僕ら庶民は物が安くなることに何の不満もない。めったに買い物しなくて、買うのもメチャクチャ安いものだとしたら、こんなに日本人的な行為はない。質素倹約を地で行くのだから、武士道か大阪商人か近江商人か知らないが、日本人が好む道徳そのものだ。それに比べ似非愛国者のアホノミクスは、お金持ち大好きで、金持ちさんにも白人さんにも気に入られたくておべっかを使っているだけだ。浮腫んでいるのは顔だけではなく精神もだ。どうも筋金入りではないらしい。
 


2016年01月30日(Sat)▲ページの先頭へ
高齢者
 1人暮らしの高齢者は家族と同居している高齢者よりも生活の満足度が高く、悩みが少ない−。大阪府門真市の医師が実施した調査からそんな結果が明らかになった。高齢で体が不自由になると家族の介護が頼りと思われがちだが、体調があまりよくない人でも独居の方が満足度が高かった。調査した医師は「高齢者のお1人さま生活は、実は幸せなのでは」と話している。

 この文章を読んで、僕も同感だ。僕の場合、その医師のように調べたわけではないが、医者以上にそれぞれの人とどうでもいい会話が多いから、本音を聞くチャンスが多い。ほとんど僕には皆さん本音で喋ってくれる。個人情報などほとんどの人が気にしない。薬局の対角線に待つ人のためのコーナーがあるが、そこに腰掛けて待っている人がいてもお構い無しだ。個人情報より話してスッキリのほうが皆さん価値があるのだろう。だから家族の悪口も言いたい放題だ。
 多いのは、都会に住む子供に引き取られて行った年寄りの多くが帰ってくるというパターンだ。都会の見ず知らずの人達ばかりの中での疎外感も確かにあるだろうが、実は引き取られた家族の中の疎外感も大きいのだ。子供の家庭の中で居心地が悪すぎるのだ。それよりも、足腰が痛んで不自由でも、ゆっくりとした動きで一応のことがこなせればそのほうが気が楽なのだ。体が楽より「気が楽」の方がはるかに価値があるのだ。
 それと僕は最期の形態が大きく変化したことも、このお1人様志向が強まった要因だと思っている。僕の祖父母は4人とも家で看取った。僕の父も、妻の父親も病院で半年の入院の末亡くなった。妻の母親は、何年かの施設暮らしの末亡くなった。僕の母は、もう2年くらい介護施設で面倒を見てもらっている。恐らく亡くなる時は職員達に見守られながら亡くなるだろう。僕たちが必ず立ち会えるとは限らない。週1度1時間くらい傍にいる息子は、ほとんど世話などしていない。他人様の職員が手厚く世話をしてくれているだけだ。母にとっては、今は家族などないに等しい。だからたとえ家族なるものがいても結局は他人様の手を借りて、他人様の中で亡くなるのだ。そんな一瞬のことでそれまでの自由を失いたくないのが本音だろう。
 調査に答えたある高齢の女性は「3日連絡がつかなかったら死んだと思ってくれ」と家族に言って一人暮らしをしているらしい。後始末くらいはしろってことだろうが、粋なものだ。殺人事件の半数近くが家族内殺人の時代に、とってつけた家族愛は息苦しいだけが本音なのだろう。


2016年01月29日(Fri)▲ページの先頭へ
資産
国際NGO「オックスファム」は、2015年に世界で最も裕福な62人の資産の合計が、世界の人口のうち、経済的に恵まれない下から半分(約36億人)の資産の合計とほぼ同じだったとする報告書を発表した。経済格差が拡大しているとして、世界各国の指導者に是正への取り組みを呼びかけた。報告書によると、上位62人の資産の合計は1兆7600億ドル(約206兆円)で、この5年間で44%増えた。一方、経済的に恵まれない下から半分の資産は41%減ったと指摘。この結果、下位半分の資産額は10年には上位388人分に相当したが、14年は上位80人分、15年は62人分と、格差は拡大しているという。

 計算機でもないととても計算できない。36億を62で割ると、いや、僕の計算機では計算できない。紙に書いて計算するとおよそ5800万人だ。いやいやこんなはずはない。まさかたった一人が持っている資産が、貧しいほうから数えた人間の5800万人分の資産と同じ?580万の間違い、いやいやそんなことが許されるはずがない、58万の間違い、いやいやそれならこの世に神も仏もいないことになるから5万8千の間違い、いやいやそれなら政治などと言うものが、分配の公平を保つためにあるはずの機関が機能していないことになるから5千8百の間違い・・・・いやいや何処まで下げても僕は許せれない。5800人分の資産を独り占めにするなら牛窓町全員の資産を独り占めしていることになる。道で会ったら石でも投げつけてやりたくなる。もしそれが5万8千人分に等しいなら、瀬戸内市民全員の資産が1人分と言うことになる。道で会ったらレンガでも投げつけてやりたくなる。もしそれが58万人分の資産に等しいなら、岡山市民全員の資産と等しいことになる。道で会ったらブロックでも投げつけてやりたくなる。もしそれが580万人の資産に等しいなら、兵庫県民全員の資産と同じことになる。道で会ったら墓石でも投げつけてやりたくなる。それが5800万人分の資産に等しいなら、西日本全員の資産と同じことになる。道で会ったら石臼でも投げつけてやりたくなる。
 僕にはそれで下位36億人が生きていられることより、上位62人が生きておられることのほうが信じられない。



2016年01月28日(Thu)▲ページの先頭へ
大食い
 見たくもないのに、偶然そういった番組が他の内容の途中に挟まったので見てしまった。
 想像を絶する量の食べ物を、平らげることができるかどうかと言う内容で、ただそれだけのものだ。人が食べるのをテレビ画面の向こうで見せるだけの、僕にとっては一番嫌いな番組だ。どうして人が御馳走を食べているのを見なければならないんだと、不愉快で仕方ない。だからチャンネルを一瞬にして変えるのだけれど、家族も一緒に見ていたのでそのタイミングを逸した。
 食事をしながら息子が突然「あの人は、救急で来て、内視鏡で食べたものを排出してあげた」と言った。最初どういう意味か分からなかったが、大食いをした後は食べたものを吐いて出すのだそうだ。ところが、吐けなくて慌てて救急でやってきたらしい。それで納得だ。どうしてあんなに食べられるのだろうといつも不思議に思っていたが、出すのなら分かる。牛の反芻みたいなものだ。要は一時預かり所なのだ。正に胃「袋」だ。本当はこの事実以上に深刻なことを教えてもらったが、気の毒で書けない。
 それにしても、時々新聞の投書欄に載るが、テレビ番組を作る人間の知能の低さが加速度的に進んでいる。どうせ馴れ合いだから国も免許を与えているのだろうが、本当なら新しい組織と交代させるべきだ。あいつらが電波を独占的に使うなんて愚の骨頂だ。そんなレベルの集団ではない。メーカーも良くぞあんな低俗番組のスポンサーになるものだと思うが、恐らく余りかえった内部留保を経費で落とそうとしてあんな番組にでも金を出すのだろう。僕は基本的には買い物をしない、無駄なものは持たないと決めているから、テレビのコマーシャルに購買行動を左右されることはない。いやむしろコマーシャルを見ながら、買ってはいけない企業を見つけている。
 どうやらこの国は、一億総白痴化、いや一億総無力化して、何でも言うことを聞くロボット以下の人間を着々と製造しているらしい。低俗番組はひょっとしたら練り上げられたあいつらの戦略なのかもしれない。
 


2016年01月27日(Wed)▲ページの先頭へ
エイサー
 このところ、始業前とシャッターを下ろす頃に、ほとんど毎日エイサーを聴いている。いや、エイサーは見ても楽しいから、見たり聴いたり、いや見聞き、いや食い入るようにユーチューブの画面を見ている。とにかく気分が明るくなる。あの独特の踊り、力士がしこを踏むような格好をしながら太鼓を打ち鳴らすのがこっけいで面白い。そして何よりも格好いい。ごく普通に打ち鳴らすだけなら、本土の和太鼓にはかなわないが、あの踊りと一緒になったら引けをとらない。あの風土が生んだ独特のものだろうが、もうそれは日本には思えない。あれだけの文化や言語を持っているなら、日本に併合などされずに独自でやっていけばよいのにと思ったりする。歴史を知らないからなんとも言えないが、独立したらいいのにと思う。そうしたら、自分達の意思で米軍を追い出すか、共存するかなど全て決められるのに。本土の白人太鼓もちの政治屋に翻弄されることもないのに。
 





2016年01月26日(Tue)▲ページの先頭へ
寒波
 ほんの数日の寒波なのに、考えることはあった。経験しないと想像力だけではなかなか本物には迫れない。
 「寒さに恐怖する」正に初めての体験を言葉で表せばこうなる。実際に2度、その言葉が頭をよぎり、2度回避行動をとった。
 1度目は土曜日の夜だ。仕事が済んで夕食を済ませいつものように薬局に下りてきて、雑務をこなしていた。暖房もいつものようにエアコンを作動させていた。作業していて、なんだかしんしんと冷えてくる。寒いと言うより体温を奪われるような冷え方だった。そしてパソコン画面に向かっているときに、何故かバランスを失いかけた。明らかに体が何か不調のサインを出していた。僕は慌てて立ち上がり、そこかしこを歩き回った。なんだかじっとしていないほうがよいと感じたのだ。それは程なく収まったが階下にいる事がなんだか危険なように感じた。
 2度目は翌早朝だ。さんざん天気予報で脅かされていたから雪でも降っているのかと思ったら道路は湿ってもいなかった。これはラッキーとばかりにいつものように薄暗い中、中学校のテニスコートに散歩に出かけた。ところが家を出て、20メートルくらいの中学校の裏門あたりで、異様な寒さを感じた。体表が汗腺を全部閉めて熱の放散を必死で食い止めているのが分かった。筋肉は緊張し、自然に体表を狭くしようと五感がフル回転しているのも感じた。深部に閉じ込められた血液が行き場を失って激しく脈打った。「これは危ない」とすぐに引き返した。僕は意外と潔癖で、予定していたことは消化しなければ気持ちが悪いのだが、そんなことお構い無しのすばやい決断だった。自分でも不思議な決断だが、それこそ命の危険を感じたのだ。
 マスコミに脅されたのではないが、確かに経験したことがないような寒さだった。温暖を売り物にする県や町の恩恵を受け続けている住民にとっては結構こたえた。そしてその時に頭に浮かんだのが、東北の地震や神戸の地震に遭遇した人達の光景だった。何故かどちらも寒い時期で、暖をとることさえ出来なかった人たちの苦痛の何百分の一でも理解できたような気がした。今までは単なる観念でしか理解出来なかったが、あの寒波の経験のおかげでほんの少しだけ判ったような気がした。


2016年01月25日(Mon)▲ページの先頭へ
自爆
最初依頼されたときの希望がその程度だったのかと驚いた。お母さんが土曜日に漢方薬を取りに来た時に今までのお礼を言ってくれたのが「高校を卒業さえしてくれれば十分だったのですが、大学まで行かせてもらえました。本当にありがとうございました」だったのだ。僕は本人に一度だけ会ったことがあり聡明そうなのは分かっていたし、又電話で勉強が好きと言っていたから、当然大学に行くものと思っていた。恐らく大学に行けないと決め付けていたのは、僕のところに来るまでの病院の治療のせいだと思う。親子で、いやおばあちゃんを含めて3代で途方にくれていた。それまでかかった医療機関で、症状を本当に理解してもらえなかったことや、インターネットの世界の虚偽に満ちた情報で谷底に突き落とされていたみたいだった。本来は元気一杯に見えるお母さんだって気弱に見えた。最初相談、いやあれは相談とは言えない。最初はほとほと困った家族が、仕方なく来てみただけのような感じだった。おばあちゃんが町内だからしばしば僕の薬局を利用してくれていたが、遠くへ嫁いだ娘は実際に僕の薬局を利用したことはなかった。孫の病気が治らないので、里帰りの時に「冷やかし程度」で来てみただけのように映った。そして「娘が高校2年生のある日を境に教室におれなくなって・・・」と話し始めた。お腹が痛いとか何とか続けたが、僕には分からないだろうと言う雰囲気を今でも良く覚えている。ところが僕がそうした周辺症状ではなく「本当に困っているのは教室や電車の中でおならが漏れることではないの?」と尋ねたことから、お母さんとおばあちゃんの表情が一気に変わった。僕がそういった病気は過敏性腸症候群の範疇に入ると言ったことでも驚いたみたいだ。僕にとっては既に1000人以上過敏性腸症候群の方の世話しているから珍しくもなんともなかったのだが、こんな田舎、と言うよりこんな近くに過敏性腸症候群と言う病名を知っていて、おまけにその為の漢方薬を作れる薬局があることが信じられなかったみたいだ。もっとふるさとに誇りを持って欲しいが、田舎のこれが宿命なのだ。大都会の薬局なら、立地や名前でスタート時点から信用を得られるが、過疎の町の薬局は実績しか信用してもらえないのだ。僕は30年その屈辱とハンディーと戦ってきているが、それがあったからこそかもしれないと最近では自分に言い聞かせている。
 結局、1年と1ヶ月で完治してもらえたのだが、前途ある若者のハンディーを取り除けたことになる。多くの青年が、青年がゆえに自爆して青春やそれ以降を失う。こんなにもったいないことはない。個人が持っている力を社会の都合に合わせられ、肩書きと経済力を持っている人間だけに都合の良い社会が作られている。そうした流れに漢方薬を通して抗いたい。ちなみに彼女が克服した症状は、肛門に違和感がいつもある。大きなおならが出ない。心臓が圧迫されて息苦しい。登校しようとするとお腹が痛くなる。げっぷを無理に出す。唾液が溜まる。授業中ガスが漏れ続ける。電車の中で皆が騒がしい。臭いと乗客が言う・・・だった。





2016年01月24日(Sun)▲ページの先頭へ
 目を凝らしてみるとやはり、白いビニール袋のゴミの上にまるで保護色のような片足の犬が体を丸めて眠っていた。僕の足音に気がつくと体を起こし、僕を凝視した後すぐに逃げれるように反対側を向いた。するとコンクリートの下に広がっている、耕作を放置された草むらの中から茶色のやせこけた汚い犬が出てきて、山のほうに逃げ始めた。この犬もまたビッコで前足の下のほうがなかった。白い犬よりトラバサミで切断された長さは少なかったみたいだが、およそ走ると言うようなことはできない。人間が片足でケンケンをして進むようなものだ。なんとも痛ましい光景だ。
 白の犬は先週に引き続いて2回目だから、茶色の犬ほど逃げ足は速くなかったが、茶色の犬に誘われるように山のほうに逃げて行った。ただ、僕たちが追いかけないことを知ったのか、身をすべて隠すのではなく、こちらを伺っていた。わずか2回目で慣れてくれるなんては思ってもいないが、マイナスの気温の中で生きていることに敬意を払ってやってきた人間の持参した食料を受け取ってもらいたかった。ドッグフードを数箇所に山にして置いたが近寄る気配はない。犬語が話せる妻が話しかけながら接近したが、さすがに野犬には通じないらしくて、車に退避して見守ることにした。
 するとこともあろうに、カラスが2羽飛んで来て、その餌をついばみだした。慌てて妻が飛び降りてカラスを追い払った。
 母を施設に見舞って1時間後、再びそこを通って餌を食べているかどうか確認した。紙コップに汲んでおいた水も確認した。どちらもなくなっていたから恐らく2匹の犬のお腹に入ったものと思う。又来週まで訪ねることが出来ないから、もう少し食べてもらおうと同じことをしたが、これまた同じように山に逃げられた。
 山で見かけたこの光景を、犬猫の漢方薬を専門に作ってもらっている薬剤師に話すと、彼女は意外な事を言った。「その犬達は幸せなんではないですか?生きているんですから。恐らく誰かが世話をしているはずです」と。実は僕もそう思うのだ。食べ物や水がなくて生きていけるはずがないし、ちゃんとゴミに混じって毛布が置かれて?いた。もし誰かが不快だと感じ、保健所に通報したら確実に殺処分されるだろう。恐らくそれが分かっているから誰も通報しないのだと思う。切断された足で不自由に歩く姿を見て、それも懸命に歩く姿を見て、普通の人間なら可哀想と思う前に罪悪感を感じる。謝りたいだろう。誰もその犬を殺したくないのだ。命の「処分」なんてありえないのだ。
 娘はそれらの犬を保護して、県外のある施設に依頼しようと考えたみたいだ。1匹20万円出せば、死ぬまで飼ってくれるらしい。そのことを薬剤師に僕が相談すると、その施設はそれで収入を得ている(食っている)らしくて、それこそ犬達の今の幸せを奪うことになると助言してくれた。確かに、自由に暮らしている環境から檻の中には抵抗があるし、全くの無償で、いや大いなる持ち出しで世話をしている薬剤師を身近に見ているから違和感もあった。
 母を訪ねたある日、不自由な足で道路を横断しようとしているのに遭遇し、至近距離から見てしまった縁だが、犬達のために偶然僕が通りかかったのではなく、僕のために犬達が偶然通りかかってくれたのだと思う。



2016年01月23日(Sat)▲ページの先頭へ
手先
 「おぬしも悪よのう」と悪代官が賄賂を持ってきた人間に吐く決まり文句を、週刊誌に吐かれた奴がいる。役人との口利きで賄賂をもらったそうだが、岡山弁で言うと「そりゃあ、甘利じゃろう」
 よくもそんな奴にTPPなどを任せると思うが、そんな奴だからうってつけなのだ。本当に零細な人間達を守ろうとする人に出来る役割ではない。大企業の収益だけを考えるよほど無神経な人間でないと出来ない。いずれこの国がもっと落ちて行った時に、あの時のと追及できる人間がいるのかどうか。三権の全てをお友達で占めている世の中で、なかなかそれは出来ないだろう。
 田舎に住んでいて、ひたすら頼ってきてくれる人達の役に立つことばかりに励んでいればいいはずなのに、やたらこうした不快感に悩まされる。薬局が困りごとの解決を生業にしているからだろうと思う。あまり幸せ過ぎる人は来ないところだから、おのずと困りごとの解決方法を探し続けるところになってしまう。正義感とか道徳とか言うものではなく、ほとんど反射だ。だから反射的に今の政治の中枢にいて庶民を省みない奴らが不愉快で仕方ないのだ。
 市民が細部にわたって困っている人達を救っている。知識不足で、僕らが知らないくらいの沢山の人達がそういった活動を続けているのだろう。公がむしろ欲望の手先に成り下がっているのとは対照的だ。10年に一度の寒波が予想されている。人の世は10年変わらず寒波だ。多くの人が身も心も凍らせている。
 


2016年01月22日(Fri)▲ページの先頭へ
黄色
 ロシア情報機関の元スパイが、2006年に亡命先のイギリス・ロンドンで放射性物質で毒殺された事件で、イギリスの独立調査委員会は21日、「プーチン大統領が、おそらく暗殺を承認していた」と結論づける報告書を発表した。
 
 秘密警察上がりの人間が大統領になっている国ってどんな国なんだろう。その上、その実行犯が2人とも下院議員になっているというのだから、いったいどうなっているんだ。権力者を批判したら命を奪われる国って、今何時代を生きているんだ。日本で言うとせいぜい江戸時代までか。いやいや戦時中と同じか。
 そう言えば、アホノミクスはプーチンとやたら馬が合うらしい。戦犯で死刑を免れた自分のおじいちゃんと重なって見えるのだろうか。国会答弁で、ちょっと批判されたら、まるで幼子のようにむきになって言い返すあの幼稚さに、国民は耐えられるのだろうか。やられたらやり返す。包容力のかけらもない人間が、虐げられた人たちのために何かを出来るわけがない。そもそもそういった人達を知らないから何も想像できないのだろう。大切に大切に、じいややばあやに育てられた人間が、国を引っ張るなんて出来るわけがない。足を引っ張るのが落ちだ。僕には単なる白人コンプレックスにしか見えない。僕らは黄色だ。


2016年01月21日(Thu)▲ページの先頭へ
恐怖
 知らない言葉第2弾。昨日は「ガゼボ」について書いた。今日は「トラバサミ」だ。
 日曜日に母を見舞いに毎週玉野市に行くが、その道中の金甲山付近は昔から野犬が多い。岡山市から淡水湖をはさんですぐのところだから犬を捨てるには「交通の便がよい」のだろう。悪事をするにも便利でないと皆やらかさない。悪事で苦労できるくらいなら全うな世界で苦労も出来るだろう。
 秋ごろから見かけていたビッコを引く犬が、足が一本途中から切断されている事が分かった。切断と言う単語を使えたのは、漢方の勉強に来ている捨て犬を世話するボランティアに参加している薬剤師が教えてくれたからだ。僕は交通事故かなんかを想像していたが、彼女の推理によると猪をとる罠に引っかかったのだろうと言うことだ。その罠が、テレビなどで目にする、開いたサメの口みたいなのが一瞬にして絞まる機械だ。まるでサメの口のように見えるが、トラが口をあけたときのように見えた人がいるのだろう、トラバサミと名づけたみたいだ。本当かどうかは知らないし、ひょっとしたらトラを捕まえるための道具だったりして・・・。まあ、その名前が分かればいい。会話が進行しやすいから。
 恐らく、足を挟まれて、懸命に逃れようとして切断されてしまったのだろうと言うことだが、考えれば考えるほど痛ましい。是非来週は、雨をしのげる小屋と毛布と餌と水を持っていこうと思うが、親切な人がいて恐らく何かの保護を受けていると思う。「あの犬を捕まえることが出来ないかな」と薬剤師に尋ねると「先生、捕まえたら飼いますか?」とそれはそれは恐ろしい顔で迫られた。本当に犬の命を大切にしている人の覚悟が伝わってきた。「かわいそう」なんて甘い考えで彼女達は世話をしていないのだ。自分の仕事を制限してまで世話をする人たちの覚悟には及びもつかない。
 生半可な考えを糾弾されても、所詮僕には餌やりくらいしか出来ない。1週間に1度でも、健康によい食べ物を、恐怖で震える体の前においてやりたい。ごめんね、同じ人間として恥ずかしい。


2016年01月20日(Wed)▲ページの先頭へ
語彙
 思わず「かっこいい」と思った。口に出したか飲み込んだかは忘れた。
 「こうなって、こんな感じで、ここは曲がって、ガラスかプラスチックで囲まれていて・・・」言葉で言っても分からないから、簡単な絵を書いて説明した。するとまだ全てを書ききっていないのに「アイアンのガゼボですか?」と言った。「何?もう一度言って!」「アイアンのガ・ゼ・ボですか?」今度は絵どころではない、彼が発した単語を忘れないために紙に書き留めた。なんだか覚えられそうになかったから、何度か確認しながらその言葉を書き留めた。まるで大切な言葉のように。
 娘夫婦が業者の卵に頼んで駐車場に庭園を造り始めた。土が運ばれ、一部が石で囲われた。なんだか庭園を想像できるくらいにはなった。すると僕も楽しみになって、色々と思いを巡らすようになった。随分前のことになるがガゼボなる物をホームセンターで見かけたことを思い出した。それはプラスチックかガラスで周囲や天井が覆われていたから、冬でも庭を楽しむことが出来る。当時はおよそ関係ないことだから漠然と眺めただけなのだろうが、なんとなく思い出して是非それを備えたいと思い始めた。インターネットで探して買うことも出来るだろうが、さてそれを検索する言葉が分からなかった。色々キーワードを工夫して検索してみたが、ついに見つけることが出来なかった。
 そこで何年か前に見たホームセンターに日曜日寄ってみた。当然当時見ただろうガゼボはなくて、およそその類のものもなかった。そこで店員さんに尋ねることにしたのだが、下手な絵まで動員しなければ伝わらなかった。でも軽くその単語を発した店員さんに尊敬の念まで浮かんだと言えば大げさだろうか。少なくともプロだなあと感じたのは確かだ。そして何よりもその言葉を知ったのが嬉しかった。これでインターネットの中で縦横に探し回れる。
 それにしても何十年も生きて来て、多くの人と語らい、そこそこの活字に触れてきたはずなのに、知らないことがまことに多い。だが、逆にこうした未知の言葉と遭遇するのも楽しみだ。この歳になって語彙が増えるのは小気味よい。試験などでは試されないから知識欲にも汚れがない。心は汚れ切っているが。




2016年01月19日(Tue)▲ページの先頭へ
第二の人生
 ある大病院の先生が、患者さんが示したお薬手帳を見て「これは漢方薬をよく勉強している専門の先生ですね」と言ってくれたそうだが、息子が本格的に患者に漢方薬を出し始めたのは9ヶ月前からだ。それまでは、なんとなく〇〇〇の漢方薬を時々は使っていたみたいだが、興味も持っていなかったし、知識もなかった。日本中の医療機関でありふれた光景だ。必要もないのに、必要が無い患者に出していたに違いない。薬好きの日本人は、薬をもらわなければ納得しないから、そんなときには〇〇〇の漢方薬は便利なのだ。効かないけれど害もない。この絶妙のバランスは、ほとんどの医師に使ってもらうには大切だ。なにやら健康食品なるものと似ている。
 着実に免疫と血液成分の数値が下がっている女性は、ある値まで下がると入院を迫られる。そこで息子に相談したそうだ。保険適用の生薬で何処までできるかわからなかったが、2人で考えた。薬局だと使える最重要生薬は保険適用外で使えないから、工夫に工夫を重ねた。それを飲み始めて2ヶ月過ぎての検査で、はじめて免疫の数値が上がった。貧血もなくなった。息子のところに来るまでずーっと下がり続けていたのが、反転した。運がよければ、もっともっと健康になってあの辛い治療を受けなくてすむかも知れない。
 30年漢方薬を勉強してきて、病院でしか使えない処方も勉強していた。使う当てはなかったが、いつか役に立てるかもしれないと大切にノートに書き込んでいた。田舎の医院に帰って来た息子が何故か漢方薬を本気で患者に使ってみると言い始めて、医師向けの処方を2人で考えている。病院は保険の縛りがきつくて、何でも使える訳ではなく、玉不足はぬぐえないが工夫してまかなっている。
 患者さんは処方箋を持って、わざわざ車で10分くらいかかる僕の薬局に漢方薬をとりに来るが、全員に症状を僕は確かめている。息子がベストの処方を組んだか、薬剤師として確かめている。中には、この人のために息子は転職したんだと言うような人も出始めている。息子に会わなければ人生が辛いものでしかなかった人たちが、「第二の人生」と表現して喜んでくれる姿を見るのは嬉しい。
 早く知識を娘と息子に伝えきって、2倍も3倍もの人たちのお役に立てればと思う。


2016年01月18日(Mon)▲ページの先頭へ
心境
 ついに迫ってきた。数年前には、その光景を想像して羨ましいと感じていたが、その光景が現実のものになった。ただ僕はまだどちらにも遭遇していない。
 牛窓のことならこの人に聞くのが一番と言うその人物は、牛窓の人ではない。ただもう何年も、ひょっとしたら牛窓営業所が出来てからずっと所長のままかもしれない。毎日トラックを運転する運転手さんだから、いわば、監督とプレーヤーを兼任する野球選手みたいなものだ。だから牛窓のことは熟知していて、あっという間に情報が入る。時にはこちらから教えてもらうこともあるが、お喋り好きの彼から教えてもらうことの方が多い。勿論個人情報ではなく、公になってもいい情報だけだが。彼もまた僕たちと同じ個人情報には神経を尖らせているから、その点の信頼は厚い。規模が違うが会社が同じ名前だから親近感を持っている。
 前置きが長くなったが、今日オリーブ園の頂上にあるおみやげ物屋に荷物を運ぶときに、いのししを追いかけるように上って行ったそうだ。車の前をいのししが逃げた構図になったのだろうが、本当に迷惑そうな顔をしていた。と言うのはつい先日は、知り合いの人が同じ牛窓で、それも僕の薬局から車だったら10分もかからない所で鹿とぶつかって車が大破したのだそうだ。この大破は素直には受け入れがたい表現だが、要はそれなりに壊れたと言うことだろう。オリーブ園はさすがに山の上だから分からないこともないが、鹿と遭遇したのは民家がかなりあるところだ。勿論牛窓だから畑も多いが。
 こうした情報をもらうと嬉しくなるが、実は土曜日に、ある患者さんから、最近いのししが出るようになって、作物を根こそぎやられると愚痴を聞かされたばかりなのだ。今日のクロネコヤマトの運転手さんの話と重ねると、信憑性は格段に上がった。数年前、兵庫県境に近い町の人たちの話を羨ましく聞いていたのがついに現実になった。
 ただこれを手放しで喜んでいたりしたら、それも公に喜んでいたりしたら、お百姓さんの顰蹙を買う。僕はなんとなく、荒れた農地が山に返る姿を多く見かけるようになってから、地球を動物に返してあげてもいいのではないかと最近思うことが多いのだが、治水の面から言っても言語道断だろう。経験も知識もない僕が、ただロマンだけで発言は出来ないから、この心境は心に秘めておこうと思う。牛窓の人が、特に農家の人がこの文章をどうぞ読まないように。


2016年01月17日(Sun)▲ページの先頭へ
機知
 個人を特定できる内容は全く含まれていないから、ほぼ無修正で掲載させていただく。ヤマト薬局が作っている胃腸風邪の薬(ノロウイルス等)のキャッチコピーに使わせていただくか、説明文に使わせていただければもっとこの漢方薬が流行ると思うが、理由はそうした実利的な目論見からではない。
 僕は今までほぼ1000人くらいの方とメールでやり取りをした。短期間で終わる人もいれば5年10年の人も中にはいる。その中には、ごく自然に経過報告をしてくれているだけなのに、とても文章が上手い人がいる。恐らくすらすらと書き終えているのだろうが、機知に富んだ言い回しが随所に見られる人がいる。僕にメールを下さる人だから、体調不良を抱えている人で、それもかなりの年月をその克服のために費やしている人がほとんどだ。どうしても苦痛に満ちた暗い文章になってしまうが、それを思わず噴出させるほどの語彙で逆転させる人がいる。実はインターネットでお世話し始めてからずーっと感じてきたことだ。あえて上手ですねなんて言うと今度から構えられては本当の症状を聞くことができないから、1人上手いなあと感心しながら、楽しみに読ませてもらっている。そうした方はさすがに少なくて、片手でも余ってしまうが、僕はその才能を生かしたらいいのにといつも思っている。その中の1人に僕は実際にお会いしたのだが、言葉少なくて、どうしてあんな文章を書けるのだろうと思ったことがある。でもその方と2日間過ごして、僕が知らないことを、特に僕が苦手な分野のことに興味を持っていて、ぽつぽつと話す言葉に知識不足でついていけなかった。恐らくその方の心の中には溢れんばかりの言葉があるのだと思った。その方はそれを無意識に安売りしないだけなのだ。僕はそう確信した。以来無口な人ほど心の中に一杯の想いをためていると理解している。以下のメールを下さった女性もまた同じような人ではないかと勝手に想像している。僕にくれるメールを上手くつぎはぎすれば短い小説くらいにはなるのではないかと思ったりする。
 勿論皆、今までどおりさらりと、それぞれの個性で書いてくださればいい。僕はひたすら体調不良を如何に軽減できるか知恵を絞るだけなのだから。


先月、身に覚えのない胃腸の不調(熱、鼻水、下痢なし、身体も冷やしていない)を
感じ、1年も冷凍庫に眠っている胃腸カゼ用の薬の存在を思い出しました。最初は
ノロウィルスのように余程ひどい症状の際に服用する薬で「今じゃないでしょ」と思い
ましたが、飲んでみたいという好奇心が沸々と…見当違いとしても漢方薬なので問
題ないだろうと一包お湯に溶かして飲んでみたらビンゴ!2時間もしないうちに爽や
かに回復☆その後も怪しい時に2回服用しましたが効果覿面でした。有難い常備薬
がまた増えました。「ん?」と思ったら早めの一包。治ったと思ってももう一包飲んで
おくと万全です。コツを掴んできました。


2016年01月16日(Sat)▲ページの先頭へ
東西〇北
「こんなユニークな薬局があるとは知らなかった」と2週間後の今日言ってくれた。時々牛窓には来ていたが、ヤマト薬局の前を通り過ぎていただけだったらしい。ふと寄ってみようと思ったくらいの軽い気持ちだったみたいだ。そこで薬局の雰囲気から長年の懸案である「夜、足がうずいて何回も目が覚めて、寝るのが怖い」と言う症状を相談してくれた。ここ数年のうちに足がだんだん硬く太くなり、正座も出来ないらしい。見ると立派な静脈瘤があった。そこで煎じ薬と粉薬を飲んでもらうことにした。そして2週間後の今日、足が少し細くなり正座が出来る、夜足がうずくのがなくなった、こむら返りもしなくなったと驚いたように報告してくれた。2週間を待たず、1週間目くらいにはうずきは止まったらしい。煎じ薬を作る間、薬局の中を色々見ていたらしくて、手の荒れに使う保湿剤1号とあかぎれに使う紫雲膏も持って帰られた。その評価が「ユニークな薬局」だが、これは僕たちスタッフにとって最大の褒め言葉なのだ。僕の薬局は特定の医療機関の下請けにはならないようにしてきた。言いたいことが言えないようでは単なる金儲けでしかない。他人の病気を利用してそんなことはしたくないから、ダメなものはダメと言えるスタンスは確保しておきたかった。そうでないと仕事が空しすぎる。医療機関にぺこぺこしてお金をもらっても意味がない。娘もその褒め言葉を聞いていたが、やはり嬉しかったようだ。次の世代もその線で行ってくれると思う。ある県会議員が嘗て言ってくれた「こんな過疎の町のヤマト薬局が潰れないのは、岡山県の七不思議です」と。できればその七不思議をずっと維持したい。何故なら、南は海だから元々ありえないが、東西〇北、ユニークな薬局は半径何十キロ、全部廃業して無くなっているのだから。


2016年01月15日(Fri)▲ページの先頭へ
不器用
 まあ、本当に多くの人に助けられての毎日だ。僕だけではない。恐らく、誰もがそうしてなんとか暮らすことが出来るのが現代だ。あまりにも身の回りに物や事が溢れすぎて、とてもとても個人の力などでは対処できない。その道に秀でた人の力を借りるしかない。それがプロであったり、素人であったりはするが。
 今日もまた助けられた。今日は素人だ。昨日からプリンターが紙を引き込まない。姪が何とか工夫していわば強引に紙を引き込ませて漢方薬の宛名書きをしていたが、今日は宛名書きに加えて、学校の環境調査の報告書を作成しなければならなかった。折角早起きして原稿を仕上げたのに、印刷が出来ない。こんなことでてこずるのがいやでストレスを抱えたまま仕事をしていたが、何度挑戦しても印刷できないのでついに姪に頼んだ。姪がその道に秀でているわけではないが、僕よりははるかに詳しいのだ。だいたい我が家でパソコン関係の不具合が生じたら、まず姪に頼み、それでダメなら娘婿に頼み、それでダメなら漢方問屋の専務さんに頼む。今まで運よく、このルートで解決できなかったパソコン関係のトラブルはない。今回もいつものルートに乗せた瞬間から僕はストレスから解放される。気の毒だが、明らかに今度は姪がストレスを背負い込むことになる。
 姪が僕より優れているところは、困難にぶつかったら、インターネットで修復方法を探すことが出来ることだ。今日も最初は自力で挑戦していたが、それでは無理と判断したのかいつもの調子で解決方法をインターネットで探した。そしてコードを外してパソコンを逆さまにしていた。すると中から数センチの曲がった針金が出てきた。「こんなものが紙を引き込むところに入っていた」と見せてくれたところで、僕はプリンターが直ることを確信した。案の定1日半ぶりに従来どおりに使えることになった。こんなことが気になりながら仕事をするのが嫌で、妻に新しいプリンターを買って来るように何度言おうとしていたか。僕はお金よりストレス優先だ。
 安易な僕に比べて、姪は探求家だ。挑戦するところが素晴らしい。若いのか、質素なのか分からないが、試みてくれるのがありがたい。このようになんでもないことで多くの人に助けられる。何でもあるときに今までの多くの手助けにお返しをしなければと、不器用な僕は思う。 


2016年01月14日(Thu)▲ページの先頭へ
衝立
 昨日、環境調査に行った小学校の教室で見慣れないものを見た。それは衝立で、教室の中にあった。何に使うのか分からなかったが、養護の先生が教えてくれた。
 それは視線を遮るために備えられたもので、教室で同級生の視線が怖くなった時に使うのだそうだ。例えば普通の授業のときは皆と同じ状況で授業を受けることが出来ても、試験になると衝立の中でないと平常心を乱すというものだ。僕はその説明を聞いて、学校も変わったものだと思った。勿論いい方向にだ。画一的なことを望むこの国の公が、そうした個性を、それもハンディーに近い個性を守ってくれるようになったのだから。切り捨てることが得意なこの国では、嘗てなかった変化だ。
 本質的には同じだと思うが、顔を隠すためにマスクをする人もいる。僕の患者さんの中にも数人いる。顔を隠すと言うより心を隠している、いや自分を隠しているのだろう。マスクにしても衝立にしても、本当はほとんどが露出しているのだが、本人は身を隠しているような気分になれるのだろう。そうすることによって本人が安心ならそれでもいいし、周りがとやかく言うことではない。ただ、僕は職業的に深く関わるし、マスクが、相談される体調不良と根幹が同じであることを知っている。だからマスクを取れるようになる薬を作ったりはしないが、結果的にマスクをする気にもならなくなることは歓迎する。
 自分を隠すのは、成長のために必要と言われるナルシシズムの裏返しのような気がするが、そしてそれは全ての人が避けることが出来ないが、結構厄介なものだ。ある人はそれがあるから大きく成長し、ある人はそれのために自滅する。多くの人は「そこそこ」のレベルなのだが時に両極端がいる。
 積極的にハンディーのある子供達を受け入れている公の学校が、数年前より随分と落ち着いていた。子供達が先生の話を良く聞いている。地域の住民が学校をしばしば訪ねてくれるからと説明されたが、なんら脚光を浴びることなく、どこにでもある地域力が、子供達を育てているのかと嬉しくなった1日だった。


2016年01月13日(Wed)▲ページの先頭へ
息切れ
 僕は絶対自信があった。案の定、帰りに寄ってお礼を言ってくれた。それも「完全にはまりました」だから100点満点だ。
 ガンの術後のお世話をしていて、とても元気に毎日を過ごしてくれている女性が、ある患者さんを連れて来てくれた。そんなに難しいトラブルではなかったので楽しく応対した。薬を持って帰る段になって「このあたりで食事が出来るところはないですか?」と尋ねられた。遠くから毎回やってきてくれるが、僕の薬局から東には行ったことがなく、いつもUターンするだけだ。折角の観光地も単なる漢方薬をとりにいく町なのだろう。ところが今日は大の親友を連れてきたので、一緒に食事をして帰りたかったみたいだ。
 牛窓は食事が出来るところには困らない。僕も知らないところを含めるといったいどのくらいあるのだろうと思うが、娘がすぐに「うしまど茶屋・潮菜」を推薦してくれた。70年配のざっくばらんではあるが品も備えている二人に合うと直感したみたいだ。日本食が幕の内のようにして出てくるのだが、僕の姉2人がとても気に入ったので僕も自信があった。千葉と横浜の姉達がほめるのだから、それも牛窓にある店を大都会の女性がほめるのだから実力があるのだと思った。勿論僕も食べて美味しかったが、僕は何を食べても美味しいたちだから当てにはならない。
 娘達は、僕もそうだが、単に漢方薬だけでなく、牛窓の町を総動員してヤマト薬局に来てくれる人たちをもてなしたいみたいだ。単に薬を調剤して渡すだけの薬局をやりたくなくて「細々とのんびりと」やりたいみたいで、僕以上に牛窓の隠れた力を発掘しようとしている。それどころか、道路を挟んだ駐車場に誰もが憩える花壇を作りたいそうで、そうした職業を目指している若い女性に依頼している。花を楽しみながら美味しいコーヒーでも楽しんでもらえれば、体調不良もそれだけで改善する・・・ことはないけれど、よい気は巡るだろう。
 効率や生産性が優先される時代は、多くの脱落者を生む。それとは逆の発想が日常の中に浮かんだり消えたりするのは大切だ。息切ればかりでどうする。


2016年01月12日(Tue)▲ページの先頭へ
集中力
 なんだかひどく新鮮だった。
 僕は理性がない人は苦手だから、まだ理性が整わない子供も苦手だ。だから小学校などに行ってもなんら心は動かない。与えられた任務をこなすだけで淡々として帰ってくる。勿論、その任務に私情ははさまないから、質を落とすわけではない。
 ところが今日1年ぶりに牛窓のある小学校を訪ねたときに、自分でも不思議な感覚に襲われた。教室の空気の汚染を調べる定期検査に行ったのだが、指定された1年生教室を訪ねたときに、子供達がひどく熱心に勉強している姿を見た。先生の指導の声や生徒達が懸命に唱和する声などが教室から手に取るように聞こえてくる。時折機械を持って教室内にお邪魔するのだが、僕を目で追う子供達が少なかった。僕の記憶では毎回、空気検査の為に授業を邪魔するのではと小さくなって行動してきたように思うのだが、今日の子供達は気を散らすことはなかった。小さな椅子に腰掛け、一所懸命に前を見ている姿はとても好感を持てた。可愛いと言う表現ではなく、しっかりしていた。こんな幼い子が、45分集中力を切らさずに勉強をするんだと、驚きに似たような感覚だった。美しいといってもよいかもしれない。そして僕自身が、もう一度勉強してみたいと思った。あんなにいやだった勉強が、とても楽しいもののように映った。この年齢になって、あんな幼い子供達に触発されてどうするんだってところだが、今日の光景はそんなことまで考えさせるものだった。今でも目をつむればその時の廊下から見た光景が目に浮かぶ。
 そう言えばこの数年、授業中に廊下を徘徊する子供達を見なくなった。数年前までは学校を訪ねるたびにそうした子供達を見た。僕らの時代にはなかった光景だから驚いたが、頭をひねりながらそれ以上の追求はしなかった。何か理由があってのことだと思うが、こうして見なくなったのも何か理由があってのことなのだろう。ともあれ、のどかな田舎の学校には全く似合わない光景が消えたのだから喜ばしいことだ。明日から3校を順番に回る。同じような感動に浸りたいものだ。


2016年01月11日(Mon)▲ページの先頭へ
職業人
 施設の午後4時辺りがどのような時間帯になるのか正確には知らないが、今日訪ねると、母はリハビリの先生の指導の下に歩行訓練を終えたところで、気持ちよさそうに眠っていた。それなりに疲れて眠りについたのだろう、深い眠りだった。ベッドの隅に腰掛けて足をマッサージしたのだが、いつもなら強くもむと顔をしかめたりするのだが、今日は全くなかった。だから僕は黙ってもみ続けたのだが、その間に施設の職員と入居者のやり取りを聞くことができた。聞き耳を立てていたわけではないが。仕切りのために設けられたカーテンで、僕の存在が分からなかったのかもしれないが、余所行きではないやり取りを20分くらい聞いていた。
 入居者の部屋がホールを囲むように設置されていて、安全のために部屋の中はホールから見えるようになっている。部屋のドアは全て取り払われている。カーテンが仕切り代わりに使われているだけだ。僕が訪ねるといつも職員達は笑顔で応対してくれて、腰掛を部屋に持ってきてくれる。母に対しても優しく応対してくれている。ただ、それは母が痴呆でも本来的なやさしさや礼儀をを失っていないからだ。今でも人を見れば必ず挨拶をする。何かをしてもらえばお礼を言う。正に人格は全く破壊されていないのだ。だから誰にでも礼を失することはない。そのおかげだろうが、とても丁寧に尊厳を傷つけないように扱ってもらっている。だから僕の家族は全く不満がない。
 それに比べて・・・となればドラマのようで興味深いのだろうが、僕の存在に気がつかなくても、自然な対応が出来ているように思った。と言うのは、取り繕ったような馬鹿丁寧な扱いや言葉使いはなく、かといって蔑視したような言葉も扱いもなかった。当然痴呆相手の仕事だから忍耐は必要だろうが、しっかり否定するところは否定し、時には命令を下すような言葉もあり、毅然とした態度のときもあった。家族がいつも優しくなど全くできていないのに、施設の人にそれを期待するなどと虫のいいことは考えていない。計算されつくしたような不自然さではなく、他人が接することが出来る範囲の最良の接し方で十分だ。職業人として接することが出来る範囲で最良なら十分だ。例えば僕が出来る優しさの10倍も施設の人がしてくれたら、家族として立つ瀬がない。申し訳なさも半端ではないだろう。だから聞こえてくる完全ではない言葉遣いや対処の仕方が、むしろ姥捨てにした家族を救っているように思えた。


2016年01月10日(Sun)▲ページの先頭へ
胃腸風邪
 今年流行るノロウイルス(胃腸風邪)は新型だからほとんどの人が免疫を持たず、誰でもかかる可能性が高い。だから、僕の薬局で作っている胃腸風邪用の漢方薬を前もって持っていてくださいとお願い(宣伝)しているのだが、まさか僕が早くもお世話になるなんて。
 最近とみに大食いが続いていた。出されるものは残してはいけないと言う教育を受けてきたから、僕は基本全部平らげる。この数日自分でも食べる量が多いのではないかと思いつつ、癖は抜けない。昨日の昼など、トーストとおにぎりと日本そばを食べた。前二つでお腹一杯になっているところで妻が、日本そばを茹で上げたから、満腹だったけれどやっとの思いで食べた。そんな伏せんがあったから目覚めたときに吐き気がしたが、食べすぎだと思っていた。それでも朝食にトーストと目玉焼きなどを食べて、母の施設に向かった。道中も結構周期的に吐き気に襲われたが、やはりまだ、食べすぎで片付けていた。施設で母の足をマッサージしているときにも吐き気が続いたが、朝布団の中で寒気がしていたこと、頭痛も取れないことなどを考えて、ひょっとしたら胃腸風邪かもしれないと思い、牛窓まで薬を作りに帰った。普通ならそこで休めばいいのだが、今日は運悪く僕がお世話させてもらっている漢方薬の勉強会があって、年初の会だから、会費の集金と新年会の司会進行と言う2つの大きな任務もあった。だからどうしても又岡山まで戻らなくてはならなかった。2時間無駄な動きをしなければならないが、新年会に出られなくても、集金と新年会の段取りだけはしなければならなかった。その後は倒れてもいいから、とにかく午後3時くらいまでは何とか持って欲しいと思った。もし胃腸風邪なら、僕が作る漢方薬以外効くものはない。だから2時間の行程も迷うことはなかった。時間もぎりぎり間に合うし。
 会場に着くと先生と広島の若い薬剤師がいた。いきさつを話すとなんと先生もその薬剤師も正に僕が作りに帰った漢方薬を持っていた。2人とも都会の方だから僕みたいな田舎の流行などとは規模が違うから、かなり用心されているんだと感心した。勉強が始まっても、吐き気もおさまらないし、昼食を抜いたのにお腹もすかない。集金は抜かりなく出来たが、会食は無理に思えた。そこで漢方薬を飲んで2時間しか経っていなかったが、2回目の漢方薬を飲んでみた。すると30分位して空腹感を覚えた。そして気がついたらむかむかをほとんど感じなくなっていた。
 これなら料理に箸をつけれるかなと思い、3時半から始まった新年会では恐る恐る口に入れてみた。すると刺身がとても美味しかった。いつもなら僕はかなりのハイピッチで食べるのだが、今日は意図的にゆっくり口に入れた。それからは、女性陣よりも遅いスピードだが、結局は7000円分のコース料理のほとんどを楽しむことが出来た。(これは会費から充当される。毎年僕が口にする最高級料理だ)
 僕は職業柄免疫が出来ているのだろう、胃腸風邪には30年前くらいに1度かかっただけだ。だから、あれだけ取りに来る胃腸風邪用の漢方薬を飲んだことがない。結構人気の薬でいつもカウンターの上においているのだが、飲んでみて、人気があるはずだとわかった。結局、僕が不快感に襲われていたのは、午前7時から午後2時くらいまでなのだから。
 今日の不快症状で、新型に対する免疫が出来れば幸運なのだが。


2016年01月09日(Sat)▲ページの先頭へ
立場
 日本では、大物女優や大物歌手が元主治医と結婚したなどという話をよく聞きますが、カナダでは資格統括機関(薬剤師なら、いわゆる薬剤師会)の倫理法が、患者と医療従事者との関係が恋に発展することを厳しく注意しています。また、こういったケースの恋愛はカナダではまずありません。なぜなら、患者は医療従事者の指示に従って治療に専念しなければならず、患者と医療従事者の関係は明らかに上下関係が出来上がっています。そして、その時点で平等な関係が成立し得ず、不平等な関係において発展した恋は成立すべきではないという理論です。これは教師と生徒、上司と部下においても同じことがいえます。こちらカナダではこの点を厳しくチェックしているのです。関係の上位者がこの立場を利用すべきではないという考えなのです。

 これはカナダで薬剤師をしている日本女性のレポートの一部だ。薬剤師向けの雑誌に載っていた。自由すぎる白人社会でこのような規律が機能しているのは意外だが、それこそ意外と白人のほうが潔癖なところは多い。日本人の優位性など自国の宣伝文句だけのことが多い。このところやたらマスコミで流れる優位性は、裏返せば劣等感の始まりだ。落ちていく人や国が使う常套手段だ
。威勢のいい言葉や慇懃な言葉はあまり信じないほうがいい。隠されているものを嗅覚鋭く嗅ぎ当てるべきだ。
 牛窓に帰ってきて果たして何人の人を薬局で応対してきたのか分からないが、人と接する仕事だから多くの人格と接してきた。その中には当然はっとするような素敵な人格の人もいて、おのずと尊敬する人もいた。田舎の薬局だから、うれしいことにその逆の人はほとんどいなかった。ひょっとしたら片手で数えられるくらいかもしれない。人格紳士には何気ない仕草の中に学ぶものも多いし、人格美人には又会いたいと思う。しかし、カナダのような戒律があるわけではないが、仕事が仕事だけに感情は出さない訓練は出来ている。それは誰もが身につく癖だと思う。単純に褒めてあげたいなと思うときにも抑える癖は身についている。40年近く多くの人々と心が触れ合えたのは幸運だと思う。


2016年01月08日(Fri)▲ページの先頭へ
余地
 漢方薬って長く飲まないと効果がない、といわれていますが…?と言うタイトルのコーナーに回答を寄せてと頼まれたので、以下のような短文を書いた。ちょっと行儀がよすぎるのでもっとざっくばらんに書き足してみる。
 漢方薬も立派な薬だから、数十分もしたら効果を発揮する。例えば腹痛やむかむかなどは出来るだけ早く抑えてあげないと意味がない。そんなときに何の迷いもなく僕は漢方薬を使う。すぐに効果が出るのが分かっているから。それでは痛みでも頭痛や歯痛、神経痛などはどうだろう。逆に現代薬を迷わず使う。慢性のもの以外にこの分野で漢方薬を使うことはありえない。
 僕は冒頭のタイトルみたいな質問が漢方薬に限って飛ぶのは、嘗て漢方薬で飯を食っていた人たちの罪だと思う。実力不足で本当に時間がかかってしまったのか、或いは効かなくても長い年月漢方薬を飲んでもらうために考え付いた妙案か、どちらかだと思う。全ての人が正しい仕事をし、正しい啓蒙を行っていたら、こんな質問が出る余地はなかったはずだ。余地を作ったのは先人達の一部?の人達だ。だからこんな質問をされるのは僕らが最後にしなければならない。


「僕が漢方薬を勉強しようと思ったきっかけは、40年前に田舎に帰って父の薬局を手伝い始めた頃、店頭にやってくる人が10年も20年も病院の薬を飲み続けていると言う話をしばしば耳にしたからです。当時若くて健康だった僕には、不思議な会話でした。「治らないのに病院に通い続けているの?」と言う素朴な疑問でした。「治してもらえないのによく我慢しているな」とも言える心境でした。漢方薬を勉強し始めて、現代医学で治らないものが治る事も知ったし、現代医学より早く治る病気があることも知りました。逆に現代医学の素晴らしさもより深く感じることが出来るようにもなりました。結局40年漢方薬を勉強して言えることはシンプルです。漢方薬でも現代薬でも、急性のものはすぐに効くし、慢性のものは時間を要すると言うことです。漢方薬は決して奇跡を起こすものではなく、漢方薬が適している症状を見つけて、その症状にシャープに効く処方を見つけることにつきます。生薬が枯渇している今こそ、漢方薬の出番を見つけ、より確実に効果を感じてもらえるように努力することが医療者側に要求されています。」


2016年01月07日(Thu)▲ページの先頭へ
標語
 東京電力福島第一原発事故で全町避難が続く福島県双葉町は21日朝、町内2カ所に設置していた原発推進の4種類のPR看板の撤去に取りかかった。その一つが国道6号とJR双葉駅(閉鎖中)をつなぐ道路にまたがるゲート型の広告塔。1987年度の国の「広報・安全等対策交付金」で建てられた。「原子力 明るい未来のエネルギー」の標語の文字板が外されていった。


 どのくらいの歳月、国や東電から経済的な恩恵を受けたのか知らない。どのくらいの金をもらったのか知らない。それで何を作ったのか知らない。そもそも誰が誘致したのか知らない。そして誰が賛成したのか知らない。それらの人が生きているのか知らない。ふるさとを放射能まみれにして、それらの人が今どうしているのか知らない。いい目をした歳月が、これから発病におびえながら暮らす歳月を穴埋めして余るほどかどうか知らない。翻弄された日々を屈辱と捉えるかどうか知らない。あの頃を栄光の日々と回顧するかどうか知らない。本当のことを知らされているのかどうか知らない。犯罪者を許すのかどうか知らない。
 でも僕は知っている。大儲けした奴が、今でも大儲けしているのを。土地を奪い、仕事を奪い、命を奪っても決して刑務所に入らないまま大きな顔をして暮らしているのを。


2016年01月06日(Wed)▲ページの先頭へ
名刺
 マザーテレサの名刺の裏には「沈黙の実りは祈り 祈りの実りは信仰 信仰の実りは愛 愛の実りは奉仕 奉仕の実りは平和」と書いていたそうだ。インド人の神父様が教えてくれたから、ひょっとしたらインドで実際に会ったことがあるのかもしれない。同じ空気を吸っていたのかもしれない。
 僕の宗教は底が浅いから偉そうなことは言えないが、沈黙とか愛とか奉仕とか平和は、誰にだって腑に落ちる言葉だろう。究極の目的である平和へ至る道のりの最初が「沈黙」であることを指摘できる人はそんなにはいない。僕ら凡人には意外にすら思える。むしろもっと動的で熱情的で扇動的なものこそが平和へ導けそうだが、マザーテレサはそうは思わなかったのだ。むしろそうしたものが如何に嘘っぽいかを彼女は見抜いていたのだろう。
 きな臭い日常に回帰したいやつらばかりが目立つ時代に、小さな名刺の裏に書かれた言葉が輝く。本物を見抜く作業すら試みない人たちの道連れにだけはなりたくない。落ちるなら勝手に落ちて。失うなら勝手に失って。悲しむなら勝手に悲しんで・・・僕は誰も傷つけずに笑っていたい。


2016年01月05日(Tue)▲ページの先頭へ
対人恐怖
対人恐怖は、分けてみたらいかがですか。誰にだって、いやな人とそうではない人がいます。漠然と全ての人が苦手と言い表さずに、あのタイプは好き、あのタイプはまあまあ、あのタイプは最悪・・・などでいいのではないでしょうか。
あなたも御主人は好きだろうし、ご家族は好きだろうし、福山雅治は好きだろし・・・山が好きな人もいれば、海が好きな人、川が好きな人、そして考えられないけれど都会の雑踏が好きな人・・・さまざまです。人は社会的動物で、1人では生きていけません。ただ全員を好きになれるほど寛容でもありません。あなたを好んでくれる人を大切にし、あなたと合わない人は、誰かがその人を好んで大切にしてくれていますから、その人に任せればいいです。僕らが接することが出来る人は限られています。時に反社会的な人もいますが多くは善人です。親しくならなければ損をするような人もこれまた時にいるものす。みすみす縁を拒まないでください。あなたと縁があって人生が変わる人だっているかもしれませんよ。
僕はあなたとお会いして、あなたは人様から大切にされる人だと思いましたよ。そしてそれ以上に、人様を大切に出来る人だってことを忘れないでください。
ヤマト薬局



2016年01月04日(Mon)▲ページの先頭へ
神の手
 「神の手と呼ばずになんと呼ぶだろう」なんて言うと、テレビの低俗な番組のタイトルのようだが、そう思えることが今日もあった。僕がもっとも苦手な分野だからそこまで尊敬するのはいつものことだが、朝から挑戦し続けてくれた姪が、思わず拍手をしたのだからやはり「神の手」なのだろう。
 新年早々、妻のパソコンがダウンした。開けないのだ。今日から出勤した姪に頼んで回復させようとした。僕ら夫婦は使うこと以外には何も分からないから、姪の若さで救われたことは多い。姪はパソコンの製造会社に電話して、電話で助言を仰ぎながら回復作業を行ってくれた。故障相談の電話番号に電話しても、一度目は30分、二度目は1時間以上待たされた。それでも姪は根気強く修復作業を行ってくれた。しかし、夕方にはついに諦めた。その進捗状況を逐次漢方問屋の専務さんに連絡していた。
 姪が諦めた頃突然専務さんがやってきた。岡山市内からだから40分くらいはかかるのだが、事の重大さを理解してくれたのだろう。経理関係は全部パソコンでやっていたから使えなければお手上げだ。
 専務さんはやってきてから、姪に今日の流れについて質問をしていた。そしておもむろにパソコンの前に腰掛けると作業を始めた。その間僕は漢方薬を作っていたからその場所を離れていたが、ある時拍手が聞こえてきた。正にパソコンの画面に懐かしいいつもの画像が映し出された瞬間だったみたいだ。朝から6時間くらい懸命に取り組んで、結果を出すことが出来なかった姪にしてみれば驚愕なのだろう。これぞ神の手と思ったのは姪ではなくこの僕もだ。僕はその結果に、と言うのはメーカーの助言はデーターを取り出すから機械を送ってくださいとのことだったが、感激と言うよりも感謝の念が強かった。データを取り出す費用が5万円くらいと言われたことが問題ではなく、仕事が途切れることなく続けられることの価値が大きかったのだ。データを取り出すのに2週間かかると言うのは僕にはストレスだった。
 専務さんにはもう何度助けられたか分からない。それに見合ったお返しができているのかわからない。ただ、漢方薬を供給してくれている問屋さんだから、僕が全うな仕事をして、それが問屋さんにも反映されればいいと思っている。田舎の薬局で問屋さんにとって、うまみは少ないかもしれないが、漢方治療の、あるいは薬局の評価を、お互いに努力してあげることは出来ると思っている。


2016年01月03日(Sun)▲ページの先頭へ
腰痛
 さっきまで楽しく話していたのに、急に二人がかしこまって「ワタシタチ ビョウキデスカ?」と質問された。
 真剣な顔をしていたから、1人ずつ詳しく聞こうとしたら、2人とも立ち上がり、1人は右、一人は左側の尻タブを押さえて「ココイタイデス」と言った。正に対称部分だが、坐骨神経の通り道だ。腰が悪いというと、「コシデハナイ」と納得しなかったが、体の成り立ちを教えると結局は納得した。かの国での少女期の出来事、交通事故の経験、現在のアルバイトの内容などを教えてくれたが、要は負荷がかかって起きた坐骨神経痛なのだ。過去のことは原因ではなく、今の老人施設でのアルバイトが作った症状だ。2人ともモデルのような体型で、いくら若いといっても、要介護5に近い老人を世話するほど体格には恵まれていない。彼女達は多くの留学生と言う名の労働者とは違って、勉強する時間が必要だ。だから介護のアルバイトを探してあげたのだが、他の職員と同じ内容の仕事をこなせられるようになって、その分、腰への負担が増えたのだ。日本語試験も1段ずつ階級を上げ、今春の日本語学校の卒業後も、介護の専門学校に進学できるように、介護の運営会社に配慮してもらえたのだが、なにぶん腰が持たなければこの仕事で会社に恩を返すことは出来ない。学費の補助と交換に卒業後の数年間の働きが条件になっているが、約束を果たせなくなる可能性がある。いくら悪意がなくても、腰痛もちで老人の世話は出来ない。
 「下手をしたら、借金だけがのこてしまうよ」と言うと、やはりそれを一番心配しているみたいで、「オトウサン オネガイシマス」といつものパターンだ。漢方薬を作り、必ず実行して欲しい運動を教えると、安心したのか2階に上がって妻と又話し始めた。
 ひとしきり話した後、邑久駅まで送っていったが、夜の電車に飛び乗る2人を見て異国で暮らすたくましさに感心するが、心配もまた絶えない。「ワタシタチハ 50ネンマエノ オトウサンデス」そうか、僕は2人の中に嘗ての僕を見ているのだろうか。
 


2016年01月02日(Sat)▲ページの先頭へ
総合点
 インド人もびっくり。
 元旦のミサにかの国の女性を3人連れて行った。腰掛けたのは、祭壇に向かって、妻、僕、彼女達だ。3人はクリスチャンではないけれど、荘厳な雰囲気が好きなのか、祈りたいことがあるのか、希望されて連れて行った。普段ならベトナム人の神父様がおられるのだが、帰国されているらしくて、代理の神父様が来られていた。背が高くやせていて、色が黒くて彫が深い。となるとインド人かなと勝手に考えていたが、ミサ後にみんなでお茶を飲みながら談笑をした時、やはりインド人だと教えてもらった。
 その神父様が、僕らのことを夫婦と子供達と思っていたらしい。小さな教会で信者が20人くらいしか参列していなかったので、至近距離から全員を見ることが出来る。それでいて本当の親子に間違ったのだから、各々が如何に日本人に似ているかってことだ。インド人が見たから勘違いしたのかもしれないが、僕が見ても日本人そっくりなのだから、間違っても不思議ではない。
 そう言えばミサの後、近くにいた老人が挨拶をしてくれたので3人を紹介した。「山本さんと、野口さんと 土井さんです」と。するとその老人は全く疑うことなく日本語で挨拶をしてきた。簡単に信じてしまったので僕も居心地が悪くなったが、そばにいた妻が種明かしをしてくれた。
 「髪と目と顔の形」とは、僕が何人かに聞いた同じ質問に対する答えだ。誰もが同じ回答をする。日本人とそっくりな顔をしていることに驚いた僕は、時々思い出したようにかの国の人達にどうして同胞かどうかを見分けられるのと尋ねた。その3つが基本らしい。そのどれか一つでなく、3つの総合点で分かるのだそうだ。確かに僕も、「日本人ではない」というレベルくらいは分かりだした。何処となく漂う雰囲気が違う。この何処となくこそが、民族と言う縛りなのだろうか。どうでもいいようなものだが、なかなかこれが手ごわい。


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■店舗名■
有限会社 栄町ヤマト薬局

■住所■
〒701-4302
岡山県瀬戸内市 牛窓町牛窓4808-3

■連絡先■
[TEL] 0869-34-5466
[FAX] 0869-34-6017
[E-mail] ご相談はこちら
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