栄町ヤマト薬局 - 2015/10

漢方薬局の日常の出来事




2015年10月31日(Sat)▲ページの先頭へ
教訓
 教訓になりそうな話が、今日若い女性患者さんと出来た。
 もう長い月数、漢方薬を飲んでくれているその女性のトラブルは内臓の過緊張だ。ゆっくりだが確実に改善してきている。それが証拠に表情が全く違う。もともと品のある女性で苦痛の色を出来るだけ隠していたが、現在の表情は苦痛からかなり解放され本来のものだろうと推察される。これはしばしば経験することだが、不快症状が取れてくると女性は美しくなり、男性も魅力的になる。この女性も典型的で、最近はこんなに美人だったのかと思えるくらい変わった。
 話がそれたが、今日、完治手前で足踏みしているから、「よほどのうれしいことがあれば一気に解決するかもしれないよ。例えばロト6で3億円当たったりしたら一瞬にして内臓の緊張が取れて治るよ」と卑近な例を挙げて説明したら、「私はそれでは治らないと思う」と言った。一瞬耳を疑ったが、要は3億円で健康は買えないということだ。健康でなければ3億円など意味が無いと言うのだ。僕だったら3億円のためなら、病気の一つや二つと思うのだが、彼女はそれに関しては全否定だった。最初に相談に来た当初から、苦痛なはずなのに笑顔だけきれいな人だなと思っていたが、心までこんなにきれいだとは思わなかった。きれいと言う言葉は僕と比べて使えるのかもしれないが、又世の中では当たり前のことかもしれないが、俗物の世界からは高きところの話のように響く。
 この話のやり取りから、僕の仕事は、ひょっとしたら人によっては3億円以上の価値のことが出来ているのかもしれないと思った。この不調さえなければとしばしば患者さんから言われるが、正に今日の若い女性がそのことを代弁してくれたのかもしれない。小さな町で、限られた人たちを相手に続けてきた仕事だが、ひょっとしたら、40年間で何千人、うぬぼれで言わせてもらえば、何万人ものロト6の1等の当選者を出してきたのかもしれない。ただ残念なのは、当の僕は一度もそれに当たっていないことだ。



2015年10月30日(Fri)▲ページの先頭へ
睡眠
 思えば伏線はあった。気がついてはいたが、僕は壁にぶつからないと行動できない人間だ。嘗て同じような経験をしているのだが、今回も教訓にはならなかった。
 昨日仕事を始めた頃から、喉の軽い痛みと倦怠感を覚えていた。薬を飲んで普段どおり仕事をこなしていたが、予想に反して症状がどんどん進んでいった。昼過ぎから倦怠感で仕事が辛くなった。でも薬で抑えて仕事をすることはしばしばだから何とかなると高をくくっていた。だけどシャッターを降ろす頃には、倦怠感がピークに達し、そのまま布団に直行した。
 僕がそんな時間から寝ることなど無い。毎晩11時頃に布団に入る。仕事が終わっての数時間は僕にとって大切な時間でもある。だから僕にとってはよほどの体調だったのだ。布団に入ってすぐに眠りについた。結局、今日の午後6時まで、時々僕でしか対応が出来ない人で呼ばれた時間以外は、布団の中にいた。22時間布団を基地にしたことになる。
 話を伏線に戻すが、実はこの2ヶ月、全ての休日をかなりハードに過ごしていた。かの国の帰国組を色々なところに精力的に案内したことが大きな原因だが、案内して帰った後、普段では感じられない疲労感に襲われていたのだ。勿論、一晩眠れば回復はしていたが、この程度のことでと、自分でも不思議だった。疲労が着実に積み重なっていることに気がつくべきだった。一気に堰を切ったように昨日襲ってきたが、毎日の睡眠時間を増やしておくべきだった。
 結果的に患者さんやスタッフに迷惑をかけてしまったが、今回得たものがあるとすれば「睡眠(横になること)は薬より良く効く」と言うことだけだ。



2015年10月29日(Thu)▲ページの先頭へ
別枠
 世界中で何百万人もの高齢者がアルツハイマー病(AD)で苦しんでいる。治療薬にはアセチルコリンエステラーゼ阻害薬とメマンチンがあるが、その臨床効果は限られており、早期に薬物療法を開始することが長期的に良好な予後につながるかどうかも不明である。そこで、中国・香港中文大学のKelvin K.F. Tsoi氏らは、AD患者に対する早期治療の有効性について、前向き無作為化比較試験のメタ解析を行った。その結果、約6ヵ月早くAD治療薬の投与を開始しても投与開始が遅れた場合と比較して、認知機能、身体機能、行動問題および臨床症状に有意差は認められなかった。

 この何百万人と言う数字は少し疑問だが(もっと多いと思う)この結論には賛成だ。半年前に治療を始めた人と、遅れて治療を始めた人に差がないというのだから、永久に治療の必要が無いと言うことだろう。治す、或いは改善の必要が無いと言っているのではない。効かないものを飲ませて、製薬企業の暴利を助ける必要はないということだ。
 そもそもアルツハイマーで苦しんでいると言う表現も疑問だ。母など苦しんではいない。むしろあらゆる苦痛を超越しているように見える。骨折しても、肺炎になっても、飄々としている。そのたびに苦痛を訴えられても出来ることは限られているから、下手に何かをすると余計苦痛を与えてしまいかねない。若年のアルツハイマーはさすがに本人や家族にとって恐怖だろうが、ある程度の年齢に達した人とは別枠で考えたほうがいいような気がする。税金を製薬会社の高給に回す必要はない。


2015年10月28日(Wed)▲ページの先頭へ
小指
 帰ってくるとまだ仕事をしていた娘が「お父さん、顔に黒いものがついているよ」と言うから、簡単に手で払った。それを見ていた娘が「全然落ちていないよ」と言うから不思議に思って鏡の前に立つと、思わず噴出した。ついていると言うより、まるで刷毛で描かれたくらい広範囲が真っ黒だった。でも僕にはいつ何処でこんなに広範囲に黒いものがついたのか記憶に無い。不思議不思議と思いながら手でこすって取ろうとしたが全く取れない。むしろ顔についているものがコールタールみたいなものだと気がついた。コールタールがつくはずが無いと思いながらもコールタールにしか見えない。手触りもなんとなく記憶にある感触だ。幼い時に、頻繁に行われていた道路工事でお馴染みのものだから手触りも匂いも記憶にしっかりと残っている。コールタールなら手でこすっても取れない。むしろ手でこすった分だけ周辺の皮膚が赤くなり、余計汚く見える。
 そこで2階に上がって石鹸で洗ってみたが全く取れない。1時間後くらいにかの国の新人達に会いに行く予定だったから慌てたが、よく考えてみれば無理して取る必要もないと気がついた。皮膚が新陳代謝をすればいつかは剥がれ落ちるだろうと考えたのだ。歳をとれば便利なこともある。どんな風貌でも今更気にならないのだ。誰か特定の人を意識する必要がないのは気が楽だ。そんな人がいなければ、世間の目など余計に気にならない。
 時間が来たので、顔半分をコールタールでハロウィーンしたまま出かけようとすると、妻がなにやら持って来てくれた。これなら落ちるのではないかと差し出してくれたのはクレンジングクリームなるもので、お化粧を落とすものらしい。テレビで目のあたりをぬぐうと真っ黒にコットンに色がつく、あの優れものかと思い、コールタールの上に塗ってみると、さっきまでびくともしなかったものが、クリームを延ばしたと同じように色が移動して薄まった。女性にとっては何でもないことかもしれないが、僕にとっては驚愕もの。たいしたものだと感心した。そして一気にふき取った。あっという間に皮膚が傷むことなくもとの顔にもどった。化粧の真似事は、なかなか気持ちよいものだ。自然に小指が立っていて、違う自分を見つけて少し怖くなった。


2015年10月27日(Tue)▲ページの先頭へ
 6トンを超える体をもちながら70年以上生き、ほとんどがんにならない動物―それがゾウである。この世界最大の陸生動物ががんにならない理由の解明に取り組んだ研究チームが、その秘密を突き止めたという。
研究著者である米ユタ大学のJoshua Schiffman氏は、「男性の半数、女性の3人に1人は生涯にがんを発症する。加齢とともに細胞の損傷を修復する能力が低下するため、がんは加齢による疾患であるといえる」と説明する。ゾウの体はヒトの100倍もあり、細胞数も多いことから、確率的にはすべてのゾウががんで死んでもおかしくない。そのゾウががんにならないという不思議な能力は科学者らの関心の的だった。
 動物園の記録を分析した結果、ゾウががんで死亡する確率は5%未満であることが判明した(ヒトは11〜25%)。さらに、ゾウの全ゲノムの解析を実施し、特に腫瘍抑制因子として知られるP53遺伝子に着目した結果、ヒトにはP53が2コピーしかないのに対し、ゾウには40コピーあることがわかった。
次に、8頭のアフリカゾウおよびアジアゾウから採取した血液を、ヒト10人の血液と比較した。これらの血液検体に放射線を照射し、DNAに損傷を与えた。ゾウの遺伝子はヒトに比べ、損傷した細胞を修復するよりも死滅させる比率が高いことがわかった。その数は健康なヒトの2倍以上だった。
付随論説の著者である英ロンドン大学がん研究所(ICR)のMel Greaves氏は、「本当の謎は、なぜヒトはがんに対する防御力がこれほど弱く、がんの発生率が高いのかということだ」と述べ、その答えはヒトの社会的進化が異常に速いことにある可能性が高いと示唆している。ゾウは喫煙することも、過剰なカロリーを摂取することもない。「多くのがんは予防できるものだ」と同氏は述べている。

この文章を見つけたとき僕はかなり興味をひかれた。象がガンにかかりにくいと言う導入部分の文章と、人のガンに対する防御力がこれほど弱いと・・・と、嘆きにも似た言い回し、そして社会的進化が異常に早いと言う知見が特に興味深かった。と言うのは、最近「仁」の再々放送を見ていて、史実にどれだけ忠実なのかは別として、わずか150年前の日本が、描かれている通りだとすると、余りにも時代が早く進みすぎているのではないかと恐ろしくなっていたのだ。同じ印象を、この学者が癌と言う病気で表現したのが心強かった。凡人と学者が同じような感覚に陥るのも面白い。もしかしたら嘗て人間が何千年もの歳月で変化させたものをわずか1時間くらいでやってしまっているのではないかと思うのだ。その変化についていけるほど、細胞レベルでは強靭ではなかたってことではないのか。もうこの位でいいだろうと折に触れて考える。これ以上何を欲するのだと思う。何をこれ以上便利にしようとするのかと思う。1年単位で暮らしていた人間が月単位になり、そのうち1日が単位になり、それが1時間になり1分になった。僕らはいまや秒速で暮らしている。
 もつ訳が無い。細胞が心がもつ訳が無い。ひずみを訴えている人はそこかしこに溢れている。制御不能の人たちが身をもって訴えている。


2015年10月26日(Mon)▲ページの先頭へ
軒並み
 ニュースを見ていて分からないことばかりだった。分からないから僕の文章も正確ではないが、あまりにも疑問ばかりが浮かび上がってきたので、同じようにそのニュースを見ていた人と共感できるのではないかと思う。
 田舎で暮らしていると、トルコなど遠くて遠い国だ。そんな国で行われる選挙に、日本在住の人たちが投票できるのだから、意外と近代国家なのかもしれない。ただ、その投票に集まった人たちが乱闘までしでかすのだから、血の気が多いのだろうか。見ていて乱闘慣れしているようにも見えたが。
 まずトルコ人とクルド人の見分けがつくのだろうか。僕にはさっぱり分からない。敵味方にどうやって分かれることが出来たのだろう。血が上っていても相手が分かるのだろうか。警察官が止めに入っても全く効果を上げていなかった。制止を振り切って又殴りかかっていた。どうして日本の警察官は止めることが出来なかったのだろう。彼らの多くは軍隊の経験があって、むしろ彼らのほうが屈強なのではないか。もし軍隊の経験があれば彼らは殺人の訓練を受けている人間ってことになる。乱闘など軽いものだ。そう言えば鼻や他の骨折を訴えていた人が多いから、結構効果的な暴力を振るっていたことになる。
 インタビューを受けていた数人は、いずれも流暢な日本語を話していた。彼らはいったい日本で何をしている人なのだろう。何で生活の糧を得ているのだろう。あれだけ日本語が堪能ってことはずいぶんと日本暮らしが長いことを物語っている。いつどういった理由で来日できて、どういった理由で定住しているのだろう。
 岡山教会では、数年前にベトナム人といえば10人にも満たなくて全員と親しく交流できていた。ところが最近は一気に人数が増えて、3桁に届こうとしている。もうこうなればお手上げで誰かと親しくなると言うのは難しい。と言うのは、彼らはもう日本人と交流しなくても自分たちのコミュニティーの中だけで暮らすことが出来るのだ。自国の言葉、習慣が許される空間を作り上げてしまっている。手の届かないところで群れをなしている集団だ。ただでさえ犯罪率の高い民族が、日本の社会から孤立して、日本の社会に存在できるようになると、僕はドロップアウトして行く人間が鼠算のように増えていくのではないかと危惧している。何処の国でもある〇〇タウンなどと言うものを既に作り始めているような気がする。
 企業家達や政治屋達の思惑で、「軒並み」は許されまい。良質を如何に保つかが既に問われ始めている、いやもう遅いのかもしれない。


2015年10月25日(Sun)▲ページの先頭へ
 ベッドサイドで大きな声で呼びかけるとすぐに目を開けた。もともと眠っていたのではなかったみたいで、目を開けるとすぐに何やら話し始めた。ただ、今日はこの何やらの中に結構分かる言葉が多くて、30分くらいかかって拾い集めた言葉をつなぐと一つの意思表示になる。
 葬儀屋さんに、家族葬について教えてもらって、これで何とかなると思っていたら、母の受け答えが何とか様になっている。ベッドに横たわったまま目は一点に集中しているが、その視線の先に僕が立てば目を見ながら話すことが出来る。腰掛を用意しましょうかと親切に施設の人が言ってくれたが、腰をかけたら母と視線が合わないから断った。視線の先に立ちじっと母を見ていると「アンタ、1人で来たの?」で始まり、結局30分の間に「皆、元気?」「・・・食べれる」「岡山の・・・」「・・・心配せんでいいよ」「片付けるかな?」「ほんならいいよ」「お世話になりました」「はい、ありがとう、気をつけて}「楽しみ」で終わり、僕は母の部屋を後にした。
 確実に拾えた言葉はこのくらいで、後は、喋り続けているけれど意味不明だった。人様にはわからない、いや他人だったら他人なりの解釈があると思うが、僕はあるストーリーを組み立てた。まさか痴呆の真似を母がしているとは思わないが、明らかに回線がつながっている事がある。だから今日の脈略には僕へのメッセージが入っていると思った。何度も何度もお礼をいい、来週の日曜日に又僕が訪ねてくる事を楽しみにしていると言った。
 あまりにも母の言葉が多かったので看護師さんに様子を尋ねると、車椅子に乗り、他の入所者と食事を摂っているらしい。量は半分くらいらしいが、点滴をしていたことを思うと大きな進歩だ。おまけに入浴までしているらしい。プロフェッショナルな介護のおかげだ。家庭では到底出来ない。ただ、それを母が許してくれているかどうかは今だ謎だ。


2015年10月24日(Sat)▲ページの先頭へ
不意打ち
 「〇〇サンガ オトウサント オカアサント ワカレルノツライ ズットナイテイタ ヨロシクイッテ クダサイ ナンドモイッテ バスニノッタ」
 深夜に迎えに来たバスに乗り込むまで、帰った3人のうちの1人が言い続けていたらしい。僕はきっぱりと区切りを付けていたつもりだったから、不意打ちを食らったような気がした。折角後ろ髪を惹かれること無くお別れできたのに、その様子を想像すると哀れに思えた。そう言えば彼女が一番口数が少なかった。日本語が得てていないせいもあるのだろうが、今思えばそれだけでないような気がする。フェイスブックにはいつも社会問題を取り上げていたらしくて、妻が一目置いていた。僕はその類を見ないことにしているから妻から教えてもらっただけだが、熱心な仏教徒でもあったから、僕ら夫婦が3年間にさせてもらったことを評価してくれたのかもしれない。
 ただ一日経って僕が不意打ちを食らおうが何をしようが問題ではない。若くて先が長い青年が過去に引きずられてはいけない。かの国の空港に降り立ったら、再び新たな道を切り開き、有意義な人生を送って欲しいと思う。3年間と言えば中学生を全うできる時間、高校生を全うできる時間だ。やりようによっては人生を決めることが出来るくらいの時間だ。日本で過ごした同じ時間が、人生を決めるほどまでは行かなくても、人生の質を高めることに貢献できるそれであって欲しい。その一角を担えたとしたら幸せだ。僕の年齢になって、職業以外でなかなか人の役に立てるのは難しいから。


2015年10月23日(Fri)▲ページの先頭へ
娘達へ
 今、貴女達の眼下には何が広がっているのでしょう。大都会の密集した建物群でしょうか。或いは太古から受け継がれた深い山々でしょうか。それとも光り輝く太平洋なのでしょうか。それとも雲の上を飛んでいるのでしょうか。いずれにしても僕はいつもの場所でいつもの建物の中で、いつものように仕事をしています。ただ、貴女達がこの国を発つ時間には、空を見上げてみようと思っています。3年間の数々の思い出を封印するために。何故なら、貴女達には新たな旅立ちです。過去は思い出の中に閉じ込めて、これからも力強く生きてください。
 貴女達の国は、これから発展します。そのことが良いことか悪いことかを、貴女達はこの国で3年間見てきました。良いところは生活の中に取り入れ、合点がいかなかったことは克服してください。この国では、失ってはいけないものを失った人達も多く見かけたのではないでしょうか。経済行為のために来日した貴女達ですが、たかが物のために生きていくのは空しいです。お金で買えないものにこそ価値があることを、この国で悟りませんでしたか。たかが物を手に入れるために、多くのこの国の人は、時間や健康や人間関係を犠牲にしています。その行為に価値があるかどうか考えてみてください。恐らく貴女達が日々感じていた「違和感」の中に真実は隠れているのだと思います。
 お父さんは、貴女達と知り合って、正に沢山の子持ちになりました。まるで本当の家族のように、いやもしかしたら本当の家族以上に大切にし合えたように思えます。お父さんは貴女達と永久の別れになるようには感じないのです。いつか又、会おうと思えば簡単に会えると思いますし、ふと偶然会うなんてこともありうるのかなと楽天的に考えています。地球がどんどん小さくなったおかげでしょうか。
 3年間で多くのものをお父さんに与えてくれてありがとう。毎日を一所懸命に生きようとした動機の多くの部分を貴女達に支えてもらったような気がします。若いから元気でいることは簡単でしょうが、不意のトラブルには気をつけてね。
 
いつか又・・・、お父さんの愛する娘達へ!

〇〇さん・・・・・今以上に、知的に好奇心を持って生きてください。
〇〇さん・・・・・おばあちゃんにとても優しくしてくれました。家族を代表してお礼を言います。
〇〇〇ーさんへ・・お母さんが、あなたの社会問題に対する関心を褒めていました。宗教心にも感心しました。仏様に祈る          姿は崇高でした。


2015年10月22日(Thu)▲ページの先頭へ
場所
 もう数年、牛窓に住んでいる家族が、訳あって今借りている家を出なければならなくなった。そこで又牛窓に住みたいから町内で探しているらしい。唯一つ条件があるみたいで、それは譲れないみたいだ。その条件を聞いて僕は思いを巡らしてみたが、牛窓には不釣合いな条件だと思った。むしろ大都会のほうがその条件に見合うものは多いと思う。
 例えば、国会議事堂あたりに目星をつけるのはどうだろう。多数を占めた与党のアホ議員たちが、アホノミクスのそのまた下を行くような低落振りで、今度は是非落として、国会の膿を出さなければならない。
 例えばオリンピックの招致で儲けるだけ儲けて、エンブレムも競技場もその失敗の責任を負わないやつらの組織に巣食っている膿を出さなければならない。うまい汁を吸うやつはどこかでつながっているのだ。
 例えば、悔いが残らないのが不思議な杭打ちで、手を抜くような仕事で巨万の利益を上げる旭化成の膿は出さなければならない。早く走ればいいのはマラソンで工期ではない。
 例えば沖縄はどうだろう。アメリカにぺこぺこするようなアホノミクスが、本当にこの国の人たちを大切にする気など全く無い。お友達同士でいい目をしているアメリカの太鼓もちの膿を出し切らなければならない。
 例えば原発に賛成している奴等はどうだろう。福島で当然監獄に入っているはずなのに、今だ大手を振って歩いている。人の命も尊ばない集団の膿を出し切らねばならない。
 「なぬ!条件って、膿が見える場所ではないの?海が見える場所なの?」


2015年10月21日(Wed)▲ページの先頭へ
水前寺清子
 水前寺清子の唄に「ぼろは着てても心は錦」と言うくだりがある。独特のうなり節で一世を風靡して、そこのところだけは覚えていて今でも歌える。
 昼食は、若夫婦、次に姪、最後に僕が摂る様になぜか固定してしまったから、僕の昼食時間は2時を過ぎる。40年来の癖で、10分で食べて又仕事にかかるのだが、この2週間は違う。例の「仁」の再々放送に夢中で、食事が終わっても階下に降りないことにしている。運がよければ最後まで見ることが出来るが、たいていは途中で呼ばれる。後ろ髪を惹かれまくりで降りて行き、何もなかったように接客するのだが、結構未練はある。
 今日は運が悪く、仁を見ながら食事を始めたのだが、3分後くらいに呼ばれてしまった。漢方薬の相談の患者さんが来たので僕が担当だが、口の中にまだあるものを犬のように飲み込み、白衣を急いで着て階下に急いだ。遠くから来てくれる青年だったが、彼の苦痛の表情を見ればスイッチが一瞬にして入る。あっという間に僕自身の戦闘モードに入る。経過の説明を受けてから煎じ薬を作るのだが、今日は勉強に来ていた薬剤師に手伝ってもらうことにした。煎じ薬は結構粉が舞うので、薬剤師の職業病である鼻炎や喘息を防ぐためにポケットからマスクを取り出そうとした。でもいつものポケットに入っているはずのマスクが取れない。取れないというよりマスクが、いや、ポケット自体が無い。アレッと思って着ている白衣を見てみると、裏にして着ていた。昼食のときに慌てて脱いだから裏返しになっていたのだろうがそのまま着て階段を下りてきたのだ。漢方の相談者はもとより、病院の処方箋をもって来ている人もいたから挨拶もしたのだが、恐らく2人は僕の姿に気がついたと思う。相談者など数十センチの距離で10分近く対峙しているのだから必ず分かる。深刻なトラブルなのに、けったいな格好で申し訳ないなと思う。でも寡黙な彼だからそれを話題にすることは無いだろう。ただ、調剤室の薬剤師と姪にはすごく受けた。薬剤師など調剤を間違わないのかと思うくらい笑っていた。職場が明るくなってよかったが、患者さんの信頼は明らかに失っただろう。でも僕はそんなことは気にしない。効けばいいが僕の薬局の信条だから。こぶしを思いっきり利かせて歌った。「裏は着てても心は錦」




2015年10月20日(Tue)▲ページの先頭へ
 話しながら、この雰囲気はあまり経験したことがないなと気がついた。僕の周りに10人くらいが集まって、真剣な表情で僕の言葉を待っている。優秀な通訳のおかげで、ほぼ僕の話す内容が伝わっているんだとも実感できた。
 最初からそんな話をしていたのではない。むしろ言葉が通じない分、楽しい雰囲気のうちに笑顔と笑い声が溢れる時間であって欲しいとだけ思っていた。ところがふと一人の女性が「ニホンジン ツメタイ」と僕に訴えたのをきっかけに真剣に話し始めた。するといつも挨拶だけで済ます子や、近寄ってこない女性も、まるで道端のアクセサリー売りを囲むように輪に加わった。
 僕が講義する立場には無いので、一方的には話さなかった。通訳が介在することが適度な間を設けて、彼女達が珍しく本音の話をした。色々な不都合を感じながらも、それらの全てを受け入れて、明るく頑張っている事がよく伝わってきた。恐らくイメージできないくらいの「田舎」から出てきた彼女達が、物質優先のこの国の雰囲気に染まることなく、まだ純情を多く残している事が伝わってくる。
 口々に「50年遅れている」と言うが、逆を言えば彼女達は自国の50年先を生きていることになる。新しい知識と経験とお金を持って帰ったら、自国で頑張っている人や、待っている恋人がつまらない人に見えてしまう可能性がある。それらの人になんら落ち度は無いのだから、決して馬鹿にしないでとお願いした。すると一人の女性が教えてくれた。「ニホンカラカエッタ オンナノヒト ミンナワカレル」と。
 彼女達を見ているからか、僕が老いて先がなくなったからか分からないが、人生ってそんなに力んで生きなくてもいいのではないかと思うようになった。何十年か過ぎてしまえば全てがなくなってしまうのだから、実は「いい目」をすることなど些細なことのように思える。逆に苦しい目に会う人も「些細な出来事」と目の前の苦難を思えるようになれば、苦痛もかなり和らぐのではないかと思う。僕が力んで生きようが、ゆっくりと生きようが、この星にはなんらかかわりの無いことのように思い始めた。


2015年10月19日(Mon)▲ページの先頭へ
説得力
 ふと彼女が漏らした言葉にひどく説得力があった。だから、「そうか、それでか!」と即座に賛同した。決して雄弁ではないのに、むしろその逆で言葉数は少ないのに、結構的を射る言葉が出てくるので、驚かされることが多い。
 昨日の広島観光は、地元ではないので大まかでいいとお願いしていたのに、性格なのだろう詳細に調べてくれていた。又こちらの急で勝手な要求にも誠意を持ってこたえてくれる。この性格こそが長所であり、不便でもあると、職業柄考えてしまう。
 午前中の尾道観光は時間が足りないくらいで、的を絞ってもらった。それでも観光資源に恵まれている土地だけあって、短い行程で多くのものに触れることが出来た。だから満たされた気持ちで広島に向かった。本命は原爆ドームだが、僕が勉強している2時間、時間を有効につぶすことが出来る名所を彼女が探してくれた。その時に僕が彼女に投げかけた言葉が「広島って、こんなに大きな街なのに見るところが原爆ドームくらいしかないんだよね」だった。薬局で仕事中にも、広島からやってくるセールスなどに同じようなことを何度も言っているが、帰ってくる言葉はまるで鸚鵡返しだった。ところが彼女が答えたのは「原爆で全て無くなったからではないですか」だった。その言葉を聞いて僕は何故長い間思いつかなかったのだろうと思った。何十回と訪問している街で、本当に時間を潰すところが無くて勉強が済んだらすぐに帰る街だったが、やっと意味が分かった。例えば尾道のように、訪ねて行きたい所は何百年も以前に立てられたようなお寺なのだ。そうだ、広島のその種のものは全てあのときに無くなったのだ。
 口から出したときに初めて言葉は音を持つが、音にならずに無数の言葉が人の心の奥底で出番を待っているのだと、彼女を見ていて思う。人間が面白くて興味深い生き物である理由でもある。


2015年10月18日(Sun)▲ページの先頭へ
大成功
 大成功だった。今年一番の、いや、この数年で一番のドッキリが成功した。この種のことは大好きで、種明かしを1週間近く内緒にしておくのが唯一辛かった。
 かの国の女性の、最後の思い出作りとして2週間前に〇〇に行き、そこでお世話になった女性にかの国の人たちがひどく感激して、別れを惜しんでいたのを僕は見ていた。そこで思いついたのが、原爆ドームを見たいと言っていたことを思い出して、おまけの思い出作りとして3人を広島に連れて行こうと、それも偶然〇〇の女性が同じ列車に乗り合わせたように仕組んで、一緒に旅を楽しんでもらおうと画策した。僕らが乗り込む新幹線に、〇〇の女性が既に乗っていたら、それをかの国の人達が見つけたら、どれくらい喜ぶだろうと思ったのだ。
 あらかじめ1号車に乗ることは示し合わせていた。かの国の人達に女性を見つけてもらいたかったので、僕が最後に乗り込んだ。そして彼女達が女性を見つけたときの感動のシーンは、僕が想像していた以上に感動的だった。結構乗客はいたが、そんなこと気に留めずに大きな声で驚きの声をあげ、近寄るや否や抱きついた。
 実は今日の広島旅行は僕の漢方薬の勉強会のついでに企画したものだが、勉強している2時間、かの国の女性だけにしておくことは出来なかった。そこで〇〇の女性の企画力に若干の期待もしていた。〇〇では完璧な案内をしてもらったから、その手腕に期待もしていた。案の定、途中下車して尾道の観光も楽しませてもらったし、広島市内の有名な庭園も楽しんでもらったらしいし(僕の勉強中)、お目当ての原爆ドームあたりの観光も楽しんでもらえた。
 およそ半日一緒に過ごしてもらえたが、当事者同士はもとより、僕にも忘れられぬ思い出になった。分かり合えるって、大切にしあえるって、いたわりあえるって、とても素晴らしいものなんだと気づかされた。それがあれば、後のものなど枝葉末節に思えた。僕らが岡山駅で降りるために車内でのお別になったが、名残が尽きぬ雰囲気を見ていて、こみ上げてくるものがあったが、誰もがそれを見せないように懸命だった。〇〇へ向けてホームを離れる新幹線に向かって、初めて彼女達は涙を見せていた。「ニホンジンハ ワタシタチノコトヲワスレルガ ワタシタチハ3ネンカンノニホンノコトヲゼッタイワスレナイ」と通訳をしている女性が言ったが、〇〇の女性は「ゼッタイニワスレナイ」数少ない日本人になってくれた。僕からの、帰国する3人への最後のプレゼント。


2015年10月17日(Sat)▲ページの先頭へ
帰国
 来週、3人が3年間のお勤めを果たして帰国する。その交代要員として、また3人がやってくる。3人が関空に降り立った飛行機で、3人が帰国する。もうこの数年繰り返されている行事だ。多いときには春と秋に行われる。
 僕も幾組かの帰る人を見送り、幾組かの希望にあふれ来日した人を迎えた。ただ、この見送ることに今だ慣れない。深夜寮から、会社が用意したバスに乗り込んで関空まで出発するのだが、それを見送ったことはない。時間が遅いことと、部外者であることと、余計悲しくなるからだ。全ての帰国組は、夕方そろって僕の薬局に最後の挨拶にやってくる。どのくらい親しく過ごしたかによって、別れの悲しみの度合いは違うが、何回経験しても慣れることはない。
 あの人たちは、国に帰ればかなりの財産になるだけのお金を稼いで凱旋するのだ。家族や友人が首を長くして待っているのだ。日本で得た技術や言葉の能力でいい職場が見つかるのだ・・等、別れの辛さを薄めてくれる理屈を並べてみるが、やはり涙なしの別れはかなりの難易度だ。その場では懸命にこらえることは出来るが、無防備にふと青空を見上げたり、ふと星を眺めたりしていると、今でも数日後に迫ってきた別れを考え涙ぐんだりする。
 かの国の青年達と知り合うことがなければ、僕はどれだけ平坦な、それも下り坂の道を淡々と歩んでいただろうと思う。多くを語ることもなかっただろうし、遠い道を歩くこともなかった。花を愛でることもなかったし、山を登ることもなかった。大切にされたが、大切にもした。与えることもしたが、与えられることのほうが多かった。いつか又会える様な気がするが、僕には時間があまりないことも分かる。若さが溢れんばかり身の回りにあったが、力まずに暮らせる老いもいいものだと思うこともあった。どうにでもなることの価値のなさと、どうにもならないことの価値の大きさに気づかされる日々だった。


2015年10月16日(Fri)▲ページの先頭へ
差別
 感覚的な捉え方しか出来ないが、非正規雇用がかなり増えているみたいだ。新聞か何かで数字を見たが、かなりの数だ。賃金が低いことも問題だが、社会的な保証を受けるにもハンディーではないか。現在の保証もさることながら、将来の保証もかなり制限されると思う。
 そのことが問題な上に、そのことに疑問や怒りを感じない人が増えているのは、より問題だ。何百兆円と言う内部留保を溜め込んでいる日本の企業は、非正規雇用者の本来もらえるべき賃金を横取りしているようなものだ。あほな政治屋がそれを忠実に政策に反映している。
 同じ同胞が、そんな憂き目に会っているのに、次はわが身と考えられないのがこの国の人間のめでたいところだ。沖縄の問題、九州の高速道路、原発の再開、岩国基地の騒音、TPP、オリンピック、全て「他所」で起きている困りごとなのだ。永久に自分のところでは起きないと思っている。ところがどっこい、加速度的に意図された災いは身近に迫っている。小さきもの、弱きもの、貧しきもの、少数者は居場所を奪われ、やがて従属しか生きていく方法がなくなり、やつらの思う壺に動かされる。現代の士農工商は着々と進んでいる。新たなる差別の始まりだ。


2015年10月15日(Thu)▲ページの先頭へ
違和感
 これはさすがに拒否するだろうと思った。それでも効果を本人が実感していたら続けるモチベーションは保たれるだろうが、全く10ヶ月飲んで実感できなければ他の選択肢を探すだろう。まして、倒れた時と吐いた時以外は病院に行かない人達だから尚更だ。
 今度帰国する女性の蓄膿症を治してから、その話が一気に広がって、かの国の人脈で多くの人に色々な病気について相談された。僕で十分対処できるものもあるが、症状を追跡できない場合が多くて全部が全部お世話できるものではない。普段、2週間分漢方薬を飲んでもらって、その後の変化に合わせて薬を作り直すが、そのような臨機応変のお世話は出来ない。恐らく2度と薬を送ることは出来ないだろうから、お世話していいのかどうか見極めがかなり難しい。奇跡みたいな結果を期待されても、治るものしか治すことはできない。
 岡山駅前の噴水で待ち合わせて、その場で色々な問診をした。勿論通訳には来ていてもらった。工場の近くの医院で薬をもらっているみたいだが、アレルギー性鼻炎の薬だった。飲み薬が4種類、目薬が2種類だ。たかが鼻の病気に多いなあという印象だったが、それを袋から出して見せてくれたかの国の女性も同じ印象だったのだろう、納得しづらい表情で渡してくれた。通訳をはさんで、身振り手振りも利用して得た情報だと、本人が一番辛いのは「後鼻漏」だ。のどに鼻汁(痰)が降りる、鼻が詰まる、咳払いばかりするなどは、後鼻漏の特徴的な症状だ。実際かの国にいたときは、かの国の病院で蓄膿症と診断されていたらしい。どちらの国の医者が正しいのか分からないが、言えることは全く改善していないこと。だから僕に接触してきた。
 牛窓の寮の女性達も時々病院に行くが、とにかく日本の病院は薬を沢山くれると驚いている。後進国から来ているのに薬が多いことを喜ばない。むしろ疑っている。「オトウサン コレノンデ ダイジョウブデスカ」とよく聞かれる。彼女達の感じる違和感こそが身を守る嗅覚なのだろうか。


2015年10月14日(Wed)▲ページの先頭へ
 「教えてあげたら採りに行きますか?」と親切に言ってくれたのだが、僕は即座に断った。もともと何十年も口にしていないのだから今更食べなくてもどうってことはない。その寛容さにだけ感謝した。
 すぐ痛みが止まる薬をくださいとその女性は要求した。ただ、その種の要求にすぐに出すことが出来る薬も持っていないし、何か裏があると思ったので腰をかけてもらって雑談を始めた。そもそも僕の息子が書いた処方箋を持ってきているし、腰痛は4割がた軽快している事も知っていた。それなのに、急に痛みが止まる薬を僕に要求するのがなんとなく不自然だ。その種の薬なら病院の方が効く薬を持っているし。
 そこで、何故又急に痛みが増したのと尋ねると、山に登ったからだと言う。そして又登りたいと言う。それなら痛み止めを飲んで又山登りをしてもらっては困るから、薬は出さないと断った。以前他の病院でリリカと言う痛み止めを出されて、かなり不都合な症状で困ったらしいから、あえて病院でその種の薬を要求しないことにしていることも分かった。痛みを抑えてでも山に登りたいことに、少し疑念を持ったのでそこの点を詳しく教えてもらうことにした。と言うより、本来楽天的でお喋りが好きなその女性は1人で喋り始めた。で、その内容は、山にマツタケを採りに行くのが楽しみで、休みたくないそうだ。僕はマツタケといえば北朝鮮くらいしか産地を知らないので、北朝鮮まで行くのと言うと、家の近所の山に採りに行くと言った。僕の北朝鮮は冗談だが、その女性の近所の山も冗談だと思った。彼女の住むところは岡山県の最南端で、瀬戸内海の風景とマツタケはどうも結びつかない。しかし、真顔で話している。大好きなボーリングの大会のときなど、マツタケご飯の弁当を10数人分の作って持っていってあげるなどと話してくれた。料理が得意な人で、詳しく作り方を教えてくれたが、教える人間を間違っていることは僕が一番知っている。何の興味も持てず、料理講習の時間はスルーした。
 僕が近くでマツタケが採れる事に「すごい、すごい」を連発するものだから、携帯電話で採ったマツタケの写真を見せてくれて、それは女性の手首から指先まである大きなものばかりだったが、「先生、教えてあげるから採りにいく?」と誘ってくれたのだ。こんな貴重なものが採れる所を他人に教えるってことが考えられなかったので、よほど心が広い人と感心したが、ひょっとしたら僕が決してそのようなことをしない人間だと見透かしているかもしれない。
 「僕は面倒だから採りには行かないけれど、持ってくるものは拒まないよ」と言いたかったが、そんなことを言うと本当にしそうな人だから、ぐっと言葉を呑んだ。


2015年10月13日(Tue)▲ページの先頭へ
一期一会
 よかったです。その日の単なる漢方の勉強会が、3倍の楽しみに変わりました。
僕は勉強会お宅で、40年近く、日帰りで参加できる勉強会には積極的に参加しました。
でも、会場との往復しかしていません。その街や観光への興味がなかったこともありますが、
僕が作ったバレーボールチームの練習があったので夜7時までに必ず帰らなくてはならなかったのです。
練習に遅れないために、新幹線のホームや街中を走ったりして懸命にたどり着いたりしていました。正にわき目も触れずです。
25歳から55歳くらいまでの僕を支えてくれていたのは、漢方の勉強とバレーボールでした。
今思えばその他のことは何もしていません。
僕達もよほどのことがない限り、その新幹線に乗ります。
母の突然の不幸、僕の腰が不確定要素です。
あなたのメールを読んでいてハッとしました。僕はあの新幹線が尾道に止まるものとばかりと思っていました。
僕達も福山で乗り換えないといけなかったのですね。広島まで行ってしまうところでした。
僕達は別々の新幹線に乗って福山で合流できると思っていたのですが、よく見たら貴女が乗っている新幹線に僕達が岡山で乗り込むのですね。
もし、最後尾が自由席ならその車両に乗っていてください。「あれ、どうしたの、奇遇ですね!」と大げさなリアクションをします。
奇遇と言う日本語は分からないから、分かりやすい言葉を考えておきます。
尾道は一度行ったことがありますが、貴女の提案でいいです。
ゆっくりとしたスケジュールのほうがいいです。貴女も見て分かるとおり、どうせ彼女達は写真ばかり撮りますから。
広島では、僕が勉強している間に、お城でも案内してください。
その後何処で待ち合わせかも、出来れば考えておいて下さい。
広島駅の近くが僕の勉強会の会場ですから、一度駅まで帰ってきてくださってもいいです。
その後一緒に原爆ドームに行きましょうか。
或いは、僕も何度も原爆ドームには行っているので、後から僕が合流でもかまいません。
地図でどのような行動が最適か調べておいて下さい。貴女の負担にならない程度に今回はラフでいいです。
僕はサプライズが好きなのです。帰国する3人に、3年間出来る限りのことはしてきたつもりですが、
これ以上のプレゼントはないと思っています。貴女は、あの3人が最後に出会うことが出来た最良の日本の友人ですから。
一期一会が一期二会になってしまいましたが、このサプライズほど彼女達の心のお土産になるものはないでしょう。
後5日、僕が秘密を守ることが出来るかが一番の問題です。



2015年10月12日(Mon)▲ページの先頭へ
区分
 10年前くらいにカトリックの洗礼を受けたが、それ以前から寝る前には簡単にお祈りをする習慣はついていた。妻の影響だと思うが、それは今でも続いていてもうそれ無しで寝ることは恐怖だ。人知を超える災難を回避できるのは、いわゆる神頼みしかない。正しいお祈りとは思えないが、人が神に一番望むところでもある。
 母についても毎晩お祈りする。ただその祈りの言葉が日替わり定食になりつつある。ただメニューは二つしかなく、その二つがアットランダムに交代しているだけだ。
 一つは「母を長生きさせてください」もう一つは「母に安らかな死をおあたえください」だ。この二つがその日その日の母の容態によって交代する。長生きを祝福できる体調の日と、生きていることに何の意味があるのだろうと思う日がある。ピントは外れていても僕達と意思疎通できる時には長生きを望むが、寝たままでうつろな目をしている時には、もうこれ以上生きている意味を感じないだろうから、苦しむことなく安らかに眠るように亡くなってくれる事だけを祈る。
 今日はベットに横たわっていたが、眠っている顔は笑顔だった。笑いながら眠っているようだった。血色もよく、看護師さんから明日から食事を摂ってもらいますと言われた。点滴をしていたらしいが、点滴にこれだけ回復させる力はない。やはり母の生命力だろうか。ただ一つ言えることは、恐らく母は苦しむことなく最期を迎えることが出来るだろうってことだ。元気で長生きをした人のそれは特権だ。体中が同時に機能を失っていくから、正に眠るようにと言うことだ。今日も母にベッドサイドで何回か叫んでみたが、目を開けることはなかった。ところが娘夫婦が来てから急に目を開けた。そして会話も始めた。 帰るときに又来ると挨拶したら、布団をはねのけて上半身を起こそうとした。さっきまで寝たきりだったのに、昭和の習慣が甦ったのだ。そのけなげな姿を見て、僕の日替わり定食が間違っている事が分かった。長生きをして、安らかな死を与えられる、二つを区分など出来ないのだ。どっちも与えてくださいと今日から祈る。


2015年10月11日(Sun)▲ページの先頭へ
贈り物
 さすが、備中温羅太鼓の実力は安定している。出来れば2時間あまり、備中温羅太鼓だけの演奏を聴いていたかったが、主催が総社市文化協会だからそうは言っておれない。市内で活躍する他の和太鼓グループも発表の機会を与えられて当然だ。
 和太鼓ファンとしては、太鼓だけで十分なのだが、演者は新しい試みにも挑戦したいのだろう。昨年のダンスパフォーマンス・ズンチャチャとのコラボに加えて、今回はアクリル画家のパフォーマンスが2時間太鼓やダンスの舞台上で行われた。申し訳ないが僕はほとんど絵は見ていなかった。ただ、ダンスは、昨年より優れていたように思った。昨年は出来れば参加して欲しくなかったと思ったが、今年は備中温羅太鼓の演目をよく研究して創作した様に見えた。よく曲に合っていて、連れて行った7人のかの国の若い女性達もとても喜んでいた。和太鼓はもちろん、ダンスパフォーマンスも、かの国では絶対見れないものだ。都市部はともかく、田舎からやってきている女性達には、いったん帰国してしまえば、文化とは縁遠い日常に帰ってしまう。
 7人のうち3人はこの23日に3年間の実習生としての勤めを終えて帰国する。今牛窓で17人働いているが、このところこの3人を優先的に色々なところに連れて行ったり、色々な経験をしてもらっている。二度と日本に来る事がないだろう3人に、日本の良い思い出を詰め込んでいる。日本が誇る「物」ではつまらないから、日本が誇る文化や人の情けなどをお土産にして欲しいと思っている。会社の指導もあって(実習生を守るためには必要)日本人と私的に接することが出来なくて、外国にいても小さな同胞の集団だけで過ごしてしまう弊害(物でしかこの国を判断できない)を何とか僕は克服したかった。
 その努力?(僕自身も楽しいから努力とは言えないが)が一つだけ裏目に出ている。勤め上げ、自国では相当な額に上るお金を持って帰るのに、帰りたくないと言い出したのだ。意気揚々と喜色満面で帰って行ったころもあったが、最近は帰るのが辛そうになっている。数少ない日本人の友人としての我が家の人間や、会社でお世話になった人たちとの別れが辛いのと同時に、拝金主義がはびこりだしたかの国の人心の乱れをかなり危惧している。
 3年ごとに数人が帰国し、またその補充として数人がやってくる。10年近く一期一会を繰り返しているが、自身の夢とか希望とかを持つことが困難になってきた僕には、異国の青年達の笑顔に勝る贈り物はない。


2015年10月10日(Sat)▲ページの先頭へ
牛窓国際交流ヴィラ
 牛窓の国際交流ヴィラは、名前の通り外国人向けの宿泊施設だと思っていたら、日本人も泊まれるらしい。牛窓に住んでいる僕が知らなかったのに、関東地方に住んでいるその女性は知っていた。だから彼女は僕の薬局を訪ねてくれる時に利用した。素泊まりで4800円?位だと彼女が教えてくれたから安いのだろうか。食事など外人よろしくコンビニ弁当で済ませればいい。
 病気?について沢山1日目に喋ったから、2日目は偶然開かれていたオリーブ漬けの体験を楽しんだらしいが、「昨夜、ヴィラの方に親切にしていただいた」と教えてくれた。その内容は、夜喉が渇いたから何か飲みたかったのに、飲み物が販売されていなかったらしい。すると、管理人が、下に下りるから(ヴィラはオリーブ園と言う小高い山の上にある)そのついでに買ってきてあげると言ったらしいのだ。事実飲み物にありつけたらしいが、この些細な親切が彼女にはありえないくらいのレベルのものに映ったらしい。「〇〇では、ありえないですよ」と言った言葉が証明している。
 大都会に暮らす彼女にとっては、この地に暮らす人間にとって当たり前のことでも特別な行為に見えたらしい。この辺りの人情を持ってでしか測る術がない僕達には、違和感がある。都会の光景がゆがんでしまっているのか、田舎の人情が時代遅れなのか分からないが、都市部の環境の荒廃を、田舎の田や畑や山や海がが守っているのと同じように、都市部で暮らす人間の精神の荒廃を、田舎で暮らす人間が守っているような気がする。田舎の人間の心が壊れたときに、この国は本当に壊れてしまうだろう。


2015年10月09日(Fri)▲ページの先頭へ
映像
 爆弾が落ちる映像を見ない日はない。何人死んだか報道されない日がない。映像でしか想像できないが、いったいどのくらいの広さが一瞬のうちに破壊され、人間の何が残るのだろう。肉屋のショーウインドウに並べられている肉片くらいは残るのだろうか。骨付きの鶏肉くらいの骨片は残るのだろうか。それとも行方不明と数えられるように、何も残らないのだろうか。
 実際の音を知らないからどのくらいの爆発音がするのか分からない。鼓膜を破るくらいの音なのだろうか。耳の後遺症が残るくらいの音なのだろうか。頭の症状が残るくらいの音なのだろうか。戦闘機やヘリコプター、戦車や砲撃の音、いったいどのくらいの音なのだろう。いわゆる想像を絶する音なのだろう。
 一帯にどのような臭いが漂うのか知らない。死臭は小学生のときに、岩場で発見した真っ白にふやけた胴体だけの死体を発見したときに嗅いで、今でもはっきりと再現できる。あのときの臭いが町中を覆うのだろうか。あのときの臭いが衣服までしみこむのだろうか。
 おびただしい殺人を犯しているのは、オバマやプーチンやその他の国の支配者であり、それを支えている国会議員であり、それを飼っている企業屋どもだ。彼らには司法の手は伸びないのか。銃口は向けられないのか。貧乏な若者が、肉片と散ることを強いられて、年寄りが戦争で儲ける。戦闘機もヘリコプターも戦車もロケット弾も、銃口を向ける相手が間違っている。同じような田舎者同士が殺しあう必要はない。戦うことで何のメリットもない人間が、メリットだらけの人間のために命を捨てる必要はない。銃口はやつらにこそ向けるべきだ。


2015年10月08日(Thu)▲ページの先頭へ
再・再放送
 かぐや姫ではないが、このところ僕は毎日のように同じ時間が来ると涙を流している。涙があふれて仕方ないのだ。人の、いや人生と言い換えてもいいかもしれないが、哀れを感じてしまうのだ。華やかさとか、喜びとか、そうしたものとは無縁の無数の生き方が綿々と続いていることに人生のはかなさを感じる。
 原作が素晴らしいのだろう。脚本家が素晴らしいのだろう。プロデューサーが素晴らしいのだろう。監督が素晴らしいのだろう。時代考証が素晴らしいのだろう。小道具大道具が素晴らしいのだろう。そして俳優も素晴らしいのだろう。何回見ても涙を抑えることが出来ない。
 僕は昼食を10分くらいで食べて、すぐ仕事にかかるから、何年に一度くらい贅沢な昼の時間を過ごしても許されるだろう。実際、僕しか応対できない人が来たとき以外は、2階に呼びに来られない。大目に見てもらえているのだろう。安心してゆっくりとまでは行かないが、まずまず中座されることなく数日間至福の時間を過ごしている。
 あの時代をかなり忠実に再現しているとなると、僕らが生まれた頃のわずか100年前には、あんな人たちがあんなことをしながら生きていたのだと感慨深くなる。わずか数世代前の話ってことがどうしても理解できない。大昔のことみたいだ。数々の道具の発達で急速に時代が進歩したことが分かる。過去の何万年、何千年、何百年、何十年が、現代では数時間、いやいや数分で置き換えられるくらいの変化の早さだ。いやいやひょっとしたら数秒で過去の何百年の変化を越えるかもしれない。
 大昔と同じ遺伝子の人間がこんな急激な変化についていけるのだろうか。懸命についていっている人もいれば脱落する人もいる。機械の発達で人間が淘汰されている。
 今の時代に「咲様」はもういない。仁先生ももういない。竜馬もいない。野風もいない。計算高い人種がひたすら繁殖を繰り返している。「もどるぜよ」


2015年10月07日(Wed)▲ページの先頭へ
連絡
 わが子たちも同じだったが、次女、三女も同じになってきた。困った時しか連絡をしてこなくなったことが。
 1週間ほど前に夜遅く電話がかかってきた時は、さすがに本人達のことでなく友人の話だったから少し手を抜いた。恐らくノロウイルスの胃腸風邪だろう、嘔吐下痢と腹痛で困っている友人のためにドラッグストアに薬を買いに来ているから、何を買ったらいいか教えてくれという電話だった。ドラッグストアでノロウイルスに対処できるものはないから、スポーツ飲料だけ買って帰り、吐いたり下したりしてもいいから脱水症状だけ防ぐように助言した。かの国の人たちは強いからそれで耐えれると思ったし、その時間に岡山まで往復するのは辛かったから、敢えて漢方薬を運ぶことはしなかった。ただ後日談では早く回復したらしい。
 昨日は自分達の困りごとだった。蕁麻疹が急に出だしたって言うのだ。さすがに辛いのだろう電車とバスを乗り継いでやって来ると言う。2時間位したら2人でやってきた。蕁麻疹は夕方から出ることが多いが、目の前で出始めて掻き出した。目の当たりに症状を見ることが出来たから、確信を持って娘夫婦が作っている飲み薬と塗り薬を渡した。帰ってから飲むと最初は言っていたが、発疹が次から次へと現れだしたから、その場で飲んだ。
 岡山に帰る途中に若夫婦のアパートがあるから、夕食を御馳走してそのまま送っていくといって、4人で出て行った。今年のノロウイルスは新型で免疫を持っている人がいないから、大流行する可能性があり、当然次女と三女もその洗礼を受けるだろう。だからヤマト薬局特製の胃腸風邪の漢方薬を作って渡した。それを持っていればかなり早く治る。上手くいけば一服で治ることも多い。結局、僕が当日袋に入れて持たせたのは、蕁麻疹の飲み薬と塗り薬、それとノロウイルスの風邪薬だ。ところが薬を入れたビニール袋をひょいと持つと、楽しそうに4人で出て行った。アリガトウもコレイクラデッカもなかった。まるで本当の娘になったくらいドライだった。


2015年10月06日(Tue)▲ページの先頭へ
白内障
 先日白内障の手術をする予定だと薬局で話していた女性が、今日ゴーグル姿でやってきた。術後瞼が痒くて、その塗り薬を処方箋で取りに来た。
 瞼の痒みはあるものの、上機嫌だ。その理由はとてもよく見えるようになって「輝いて見える」と言う表現を使わなくてはならないくらいの変化らしい。今まで見ていたものの全てが実は色あせて見えていたってことに気がついたらしい。わずか15分の手術で生活の質がずいぶんと上がったみたいだ。自然界のものをはじめ、薬局の装飾や、人の着ている服、或いは自分が着ていた服、そして趣味のパッチワークの作品なども、術前の見え方とはかなり違うらしい。自分の服やパッチワークの作品が、いかにも鮮やかさに欠けていた事に気がついたらしい。そして何よりショッキングだったのは、鏡で自分の顔を見た時に、しみだらけなことを突きつけられたことで、このときばかりはよく見え出したことが裏目に出たと言っていた。出来れば見たくはなかったと。
 嘗ては白内障になるほど長生きが出来なかったから、手術をする人も少なかったが、今は多くの人が経験をするようになった。手術方法もずいぶんと発達したみたいで、全く苦痛もなく15分で終わるらしい。医学の恩恵を大いに感じるところだ。今だ「初めての病気で死ぬ」国が結構ある中で、死に病でないと死ねない国に暮らすことが出来る幸運を、外国の人から教えられる。この国は、見たくないところも大いに抱える国だが、輝くところもそれなりにある。



2015年10月05日(Mon)▲ページの先頭へ
重鎮
 泊り掛けで過敏性腸症候群の相談に来てくれた方が、養老の滝のお土産を買ってきてくれた。東京辺りから岐阜県まで遊びに行くんだと思ったが、その発想は全国共通ではないことをその時初めて知った。と言うのは、その女性が訪れたと言う養老の滝が千葉県にあると言うのだ。最初聞いた時その女性が、例えばお酒に付けたネーミングをもって、養老の滝に行ったと言っているものだと思った。何か商品の名前を勘違いして地名と信じていると思ったのだ。ところが彼女は、商品名ではなく、確かにその滝の名前だと教えてくれた。僕ら岐阜県に一時でも関わった人間だったら、養老の滝といえば岐阜県のものと思っているが、よその土地にも同じ名前の滝があるとは考えもしなかった。
 思い出したくもない大学時代は岐阜県のせいではない。金もやる気もなかったから、怠惰の極みみたいな5年間だった。何を迷ったのか、5年間のうちに生活圏から離れた所に出かけていったことが数回ある。その中の一回が養老の滝だ。ほとんど記憶になくて、単線の電車、かすかな滝の映像、それ以外何も覚えていない。それなのに、岐阜にある養老の滝のプライドを守ろうとするのは、思考が保守的になったのだろうか。
 今では滝といえば岡山県の神庭の滝だが、さすが国産に拘って、ナニヤラの滝と言うアメリカの滝などは思い浮かばない。こうなれば僕も保守の文鎮だ。お習字の文鎮だ。桂文珍だ。


2015年10月04日(Sun)▲ページの先頭へ
感動
 その女性は、一日中僕ら4人の前を歩いて、電車やバスを巧みに乗り継いでその街を案内してくれた。おかげで、お願いしていた滞在時間8時間を効率的に使わせてもらった。その街に住んだことがない人間には到底出来ない業だ。観光スポットの数で言うと恐らく右に出るところがないその街を、まるでガイドさんのように上手に案内してくれた。
 同行したかの国の女性3人のうち1人が思わず言った。「ワタシハ ホーチミンヲ オネエサンミタイニ アンナイスルコトデキナイ スゴイデス」と。ほぼ完璧な案内が印象深かったみたいだ。
 どう見てもその街の人のように見えないその女性は、まだ十分田舎の匂いを残していて、いや田舎で暮らしていたままのようないでたちや心遣いで、その街の観光などよりよほど僕たちに感動を与えてくれた。帰りの新幹線の中でも、寮に着いてからでもその女性の話題のほうが圧倒的に観光より多かった。今月下旬、3年間の労働を終えて帰国する彼女達には、最高の思い出になったみたいだ。「ダイマンゾク」と何度も帰路に繰り返していたことで分かる。本当の満足とは対人で得られるもので、対物ではない。日本人の僕も、大役を押し付けて気楽に観光を楽しめるという幸運を与えてもらったが、それ以上に飾らない人の美しさと言うものに感動を覚え続けた一日だった。


2015年10月03日(Sat)▲ページの先頭へ
ポイントカード
 なかなかかわいいデザインだ。いわゆるカードと言うものを1枚も持っていない僕だが、妻の勧めで持つことにした。もっとも常時携帯する気はないからどうせどこかに消えてなくなるのだろうけれど、ポイントをためれば色々なサービスが受けれるらしい。そのカードが使えるお店もいくつか紹介されていたが、我が家が使う店はなかった。となるとカードをくれたところでしか使わないということだ。なかなかそこでだけでポイントを増やすのは難しい。ただ、入会記念で、最初に4万円値引きしてくれるのに妻は心を動かされたらしい。
 母の体調が一気に不確かなものになったから、そろそろ葬式の心構えだけでもしていなければならないと思って、牛窓町にある葬儀場に教えを請うことにした。すると連絡してから1時間もしないうちに来てくれて色々教えてくれた。母が亡くなったらという過程の話だが、現実味を増してきたから、冷やかしではない。知らないことばかりだから丁寧に教えてくれて少し自信がついた。兄とも話し合って、概ねのイメージは出来上がった。
 話の中でしきりに会員になるように勧められた。会員になればさし当たっての母の葬儀が4万円安くなるそうだ。どうせ家族葬で質素なものにするつもりだから、安くしてくれることはあまり興味がないのだが、あまり勧めるので妻もそろばんをはじいたのか、僕に会員になるように促した。そしてこれまた早速会員証を持ってやって来てくれたのだが、その中にかわいいカードが入っていた。 「どねんせい、言うんじゃ!」「次から次へと死んでポイントを貯めろとでも言うんかい!」
 業界によってしてはいけない、しないほうがいいサービスもある。正にその典型だと思う。


2015年10月02日(Fri)▲ページの先頭へ
道案内
 助かります。僕には絶対考え付かない、と言うより考えるほどの体力がありません。
僕にはそれこそ、日常の仕事のほうが意味を感じるしやっていて楽しいので、
余力は正直残っていません。ただ、50年前の僕たちの生活をしている国からきて、
懸命に働いている人達に、一生残る思い出を残してあげたいだけなのです。
母国に帰ればまた、1日500円稼ぐために働く田舎の農家の若者達ですから。
彼女達のほとんどは、幼い頃から学校に行き、授業が終わればすぐに家に帰り農業を手伝ってきただけの人達なのです。
僕がしばしば連れて行くコンサートや、小さな旅行も全て初めての体験なのです。
自国でも旅行などしたことがない人達です。
あなたにお願いして本当によかったと思います。
ゆっくりとしたスケジュールが歓迎ですから、〇〇〇を外してください。
5時頃までには〇〇駅に帰ってきたいです。
僕は〇〇駅のビルの最上階にエスカレーターで上り、〇〇の街を眺めるのが好きです。
もう少し若い頃、勉強会お宅だった僕は遠くの勉強会にもよく参加しました。
〇〇の勉強会ではしばしばそこに立ち、人生の孤独をかみ締めていたように思います。
また、念のため〇〇方面コースも具体的に教えていただけますか。
同行する中の1人が敬虔な仏教徒です。年に何回か断食に近いことまでします。
同じようなお寺が続いても、彼女にとって最高のコースかもしれませんから。
明後日が、彼女達の良き一日であるようにあなたに力をお借りします。
あなたにも良き一日でありますように。
ヤマト薬局


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