栄町ヤマト薬局 - 2015/08

漢方薬局の日常の出来事




2015年08月31日(Mon)▲ページの先頭へ
自滅
昨夜、NHKの11時前のニュースを見ていて、国会前のデモのニュースが流れなかったから、朝から気にして色々なチャンネルをはしごした。すると、漏れはあるかもしれないが、唯一TBSが取り上げていた。参加人数も12万人と伝えていた。警察発表の3万人を発表するのかと思ったら主催者の発表した数を用いていた。もし、僕がチャンネルを変えまくって他の局でデモのニュースを見つけられなかったのが正しいとして・・・
 もう既に僕がネーミングしたアホコミが名実共に定着してしまっている。もう期待もできない。どこかの馬鹿作家が言ったと同じことを、角度を変えて言えばいい。既に権力の道具に成り下がったのだから、国民が不買運動をすればいい。テレビニュースは買うものではないから見ない運動をすればいい。スポンサーがいやになるほど視聴率を下げてやればいい。と言うかもう若者の間ではテレビなどほとんど意味を成していないから後は自滅を待つだけか。ただ、現在権力に手を貸している奴等をずっと覚えていて、いや現代では詳細に記録が残るから遡って打ち首獄門だ。
 やつらの家族、親類、会社の同僚、近所の人達が、こぞって自由を奪われ、割に合わぬ人生を送らされるなんてことは考えないのだろうかと、そしてそんな奴等が書く記事やニュースをどうして目にしなければならないのかと思うとアホらしくなる。良くぞインターネットなるものが出来ていてくれたものだと思うが、それを作ったのもアホノミクスの爺を救った国の人間だから歯がゆさもある。
 何はともあれ、NHKをはじめとした放送局やそこで働く人間達の自滅を願う。是非、中東に出かけ、尖閣に出かけ殺し殺されるのは、自衛隊の人達でなく、あなた達と企業の経営者の息子と政治屋でありますように。


2015年08月30日(Sun)▲ページの先頭へ
選択肢
 選択肢は4つあった。一つは国会前、一つは福山、一つは高松、一つは姫路。そして結局決めたのは姫路だった。東京はさすがに日帰りする体力がない。明日が休日なら十分可能性はあるが、さすがに明日から仕事だと、想像しただけでも怖くなる。福山は、牛窓が岡山県の東部にある分、西の県境を越えてすぐと言われても結構遠い。高松は、同じ趣旨だが、今日の目標にはカウントされないみたいだから見送った。フェリーで行けるから好きな街ではあるのだけれど。そして結局姫路に決めたのは、カウントされるだろうし、意外と近いからだ。
 どうしても100万分の1にならなければならないと思った。前日妻にそのことを言うと、妻もそうなりたくて、結局は100万人分の2は我が家だ。息子や娘にそれとなく明日は姫路にこういう理由で行くと言っても興味を示さなかったのは世代の差か、知識の差か。
 2時間近く確かに姫路駅の北側にプラカードを持って立ち続けていて同じような印象を持った。駅から城のほうに向かう人、あるいは城のほうから駅に帰ってくる人達がひっきりなしに200人が持ったプラカードの垣の中を歩くが、配られるチラシを受け取る人は3割くらいだったろうか。40年前にはもっと過激に同種の行動をしていたが、穏やかな訴えに対しても無関心に通り過ぎる人が多かった。「その無関心こそがアホノミクスがやろうとしている犯罪を助けるんだ」と、真っ先に徴兵されそうな若者達を見ていて情けなくなったが、僕ら世代より上の人が多かった参加者の忍耐強さに考えさせられた。「無教養な貧乏人が真っ先に殺される、それはあんただろう」とマイクを持たせてもらって訴えたかったが、忍耐強さの前では如何にも幼稚で、足をひっぱてはいけないから自重した。
 攻められたらすぐにポンポンが痛くなるお坊ちゃんだから、ぜひ100万人を突破して引導を渡したかった。

戦争法案廃案!安倍政権退陣!
国会10万人、全国100万人大行動!
(兵庫県姫路市)


2015年08月29日(Sat)▲ページの先頭へ
葬儀
 「シェルターに入っていた子が亡くなったので、明日葬儀があります。申し訳ありませんがお休みさせていただきます」
 何があったのだろうと、不安で胸が高鳴った。ひょっとしたら亡くなった人は中東かウクライナに出かけていたのか、あるいはドメスチックバイオレンスで逃げていた人か。
 「通夜は何処であるの?お寺さんは何処なの?出棺は何時から?市役所に連絡をした?」薬剤師はまだ若いから、葬儀の手配など慣れていないだろう。手落ちがないか心配になり、僕の記憶を呼び戻し(牛窓は町内会を2年毎持ち回りで世話をする。だから運が悪ければ葬儀の中心的な世話係りになることがある)思いつくままメールを返した。亡くなった子と薬剤師との関係がいまいち分からないから、僕の関与の仕方も分からない。落ち着かない時間を過ごしていたら返事が帰ってきた。「犬です」
 捨てられた犬や猫を世話している人達にとっては、犬は擬人化されるほど可愛がられ、大切にされる。だから部外者には紛らわしいこんな言葉が自然に飛び交うのだ。
 「ややこしや、ややこしや」


2015年08月28日(Fri)▲ページの先頭へ
神主
 薬剤師が、ある方の漢方相談を受けた。恐らく2週間もあれば何とか効果を出せると思う。僕は薬剤師から処方の相談を受けただけだが、漢方の相談を受けたいきさつを教えてくれた。
 ある有名?な漢方を標榜している薬局で漢方薬と健康食品を勧められて飲んでいたらしいが、効果は全くなかったらしい。もっとも効果が無かったから薬剤師に(ヤマト薬局に)相談してくれたのだろうが、その患者さんの嘆きが面白かった。漢方薬の2万円はともかく、それにあわせて飲むように言われた健康食品がとても高くて「泣く泣く」買って飲んだらしい。ところがと言うか案の定と言うか効果が無いことを訴えると、最後はなぜか神主さんを紹介されたらしい。嘘のような本当の話。
(前の薬局が出している試行錯誤の漢方薬群を見ると、精神障害と思っているらしいが、僕に言わせれば大人の起立性調節障害だ)
 僕は有名と言うのをあまり信じない。ほとんど自作自演だから。人の目に触れるところに極力露出を増やし、アホコミを利用するようなところに、本当に患者さんを治してあげようと思う人は少ないと思う。「あわよくば何々」と言うのが見え透いている。
 僕は知らなかったのだが、インターネットを検索していて、上位に出てくるところは、お金を払ってそうしてもらっているらしい。僕の以前のOCNのホームページが会社の都合で打ち切られて、ゼロからまた始めなければいけないのだが、そのことをインターネットに詳しい人に相談すると、お金を払ったらまた過敏性腸症候群のトップページに復活しますよと言われた。僕は何年もの間、過敏性腸症候群の患者さんのことを書き続けていたから上位にあっただけで、そんなことをしなくてもお金をその種のサービス会社に払えばあっと言う間にできるのだそうだ。なるほど、だから本当に治す事ができるのかと勘ぐりたくなるようなところも名を連ねているのだ。
 せっかく田舎でのんびりと善良な人たちを相手に仕事をさせてもらっているのだから、余裕のある時間とスタッフで、身の丈にあった数の人に喜んでもらえればと思っている。(2年間の市民病院の調剤が若夫婦には過酷だった)30年以上も尊敬する先生に漢方について教えてもらっているから、治す力は恐らく歳月に比例して身についた。しかし、これから一番難しいのは「辞め時」だと思う。そのことにふと頭が行きしばし時間が止まることがある。そうだ、それこそ神主さんに相談に行こう。


2015年08月27日(Thu)▲ページの先頭へ
同伴者
 僕にはその若い女性が薬局に入ってきたときから、何か心の問題を抱えている事が分かった。お腹の処方箋を持ってきたのだが、お腹は単なる代償でしかないと思った。そのことをその女性にも説明して、勇気を持って対処してもらうように心がけた。
 夕食を食べながら息子にそのことを話すと、ある薬でお腹の調子がよくなったので、今回は漢方薬にしたと言っていた。なるほど処方した漢方薬はお腹だけではなく自律神経にも効くから、なかなかいい処方だと思ったが、その女性の憂いを秘めた表情までは治す事が出来ないだろうと思った。と言うより、その女性が何かストレスを抱えているという僕の言葉を不思議そうに聞いていた。消化器内科が専門だから、その女性のお腹の症状を治してあげれば本人は達成感があるのだろうが、僕は女性が望んでいるのはその上のクラスだと思った。僕の患者さんではないから具体的に質問することを躊躇った。そのせいで確実な処方提起も、本人に助言も満足に出来なかったが、次回、処方箋を持ってきたら詳しく話を聞いて、最善の漢方薬が処方されるようにしてあげようと思った。
 僕はその女性を見た瞬間から、多くの人に大切にされ、多くの人を大切に出来る人だと思った。何ともいえぬ優しさが表情に表れている。本来的に備わったものだろう。恐らくそれが災いして心を痛める出来事に遭遇したのだろうが、それだからこそ心も身体もより元気になって欲しいと思った。薬局に専門はない。ただ30年も人を見続けてくれば、色々なことが分かり出す。処方も浮かぶが、その人の戻るべきところも見える。幸せが似合う人、幸せになる権利を備えている人、そうした人が脱落したときに一緒に戻ることが出来る、その時だけの同伴者になりたいと思う今日この頃だ。


2015年08月26日(Wed)▲ページの先頭へ
圧巻
 受話器を耳にするとすぐにオバアサンと思しき人が話しだした。まず住所だが、鹿忍と言うのはわかったのだが、その後が難しかった。小学校も郵便局も分かったのだが、〇〇さんの前を上がって、△△さんのところまで行くと、お地蔵さんがあるから、そこを右に曲がればすぐ・・・の辺りからついていけなくなった。ただだいたいは分かるから後で番地を聞けば地図でたどり着くことは簡単だ。我が家の配達人は牛窓中駆け回っているからこの程度は何のことはない。分かったと告げるとやっと要件に入ったのだろうが、そこもかなり理解に苦しんだ。「あまり沢山は採れんかったけど、冬瓜とゴーヤと南瓜くらいは送ってやろうと思うんじゃ。箱に詰めて玄関においてるから取りに来てください」といわれて僕は少し迷った。農家の方が野菜を下さるのは日常よくあることで、車を運転できなくなった老人はしばしば取りに来てくれとも言う。ただし、送ってやろうと思うという言葉は引っかかった。「奥さん、今電話はヤマト薬局にかかっているんだけど、野菜をもらいに行っていいの?」と確認すると「京都の娘に送ってやろうと思うんじゃけど、娘がヤマトに頼んだらすぐに取りに来てくれるから、ヤマトに頼んだらいいと教えてくれたんじゃ」
 これですべてが理解できた。お婆さんが電話をしたかった相手は「クロネコヤマト」だったのだ。恐らくお嬢さんはクロネコの部分を省いて「ヤマト」とだけ言ったのだと思う。名前を短くして呼ぶことはよくあることだから、お嬢さんにとってはヤマトはクロネコヤマトなのだ。間違ってもヤマト薬局ではない。ところがオバアサンにとってはありがたいことにヤマトはヤマト薬局なのだ。
 天下のクロネコヤマトと田舎のヤマト薬局が間違われて光栄だが、名前以外に何も共通点がないところがいい。太平洋と金魚蜂くらいの差がこれまた圧巻だ。
 


2015年08月25日(Tue)▲ページの先頭へ
 朝夕のシャッターの上げ下ろしは手作業だ。シャッターと僕が古くなったせいで、なかなかの重労働だ。腰を入れて注意深くしないと、腰を傷めそうだ。上げ下ろしに使う鈎がついた棒は、夜の間は柱に立てかけている。
 今朝いつものようにシャッターを開けようとして決まった動きを始めた。まずシャッターの両サイドについている鍵を外す。その鍵も壊れかけていて、容易ではないのだがまだ何とか努力すれば使える。そしてその後は、先ず腰を入れシャッターを僕の背の高さ位なところまで持ち上げる。そこの段階でおもむろに柱に立てかけている棒を持ち、シャッターを天井まで押し上げる。
 ところが今日に限っていつもと違う。鈎がついた棒を持とうとしたら、なにやら抵抗があるのだ。いつもなら目もくれずに同じ動作を繰り返すだけなのだが、さすがに棒が何かに引っ張られているような感じがしたので見てみた。すると1m50cmくらいある棒の下の部分に蔓(つる)が絡まっていた。下30cmくらいのところまで細い蔓が絡まっていた。だから抵抗があったのだ。それが分かったので強く引っ張ると簡単に棒は抜けた。 
 ただ僕がその棒を置いたのは昨夜7時半だ。それが今朝シャッターを開けようとしたのが8時半だから、わずか半日の間に蔓は延びたことになる。もともとシャッターの傍に生えている植物は、娘が買ってきた観葉植物だ。それに蔓があることなど知らずに、植木鉢の近くに無造作に棒を立てかけていた。すると夜の間に蔓は棒を見つけ、ちゃっかり天高く伸びていこうとしたことになる。太陽の光で光合成をしなければならないから、あの手この手で光を求めようとする知恵が、他人(木)を利用する方法を編み出したのかもしれない。触覚があるわけでもないし、どうしてそこに利用すべき木があることが分かったのだろうと、不思議でならない。そして一晩で延びた蔓の長さに驚いた。なんていう生命力だ。まるで意思を持った生き物のように感じた。


2015年08月24日(Mon)▲ページの先頭へ
 昼過ぎの訪問だったが、大きな木陰ではずいぶんと涼しいことを確かめて、母を車椅子で連れ出した。数メートル間隔で大きな木が、母と二人では十分すぎるくらいの陰を作ってくれていた。3箇所を母が飽かないように車椅子で回る。ちょっと移動しただけだが見える景色が違って、一面の緑にも理由があることが分かる。360度緑に覆われていて、空の青、そして入道雲の白、山や田んぼの緑の3色があれば見渡す景色は全て絵に出来そうな場所だ。母が幼いときに遊んだころと、ほとんど変わっていないのではないかと思った。変わったのは家の素材と道路のアスファルトくらいなものではないか。
 何の木かわからないが、いやいや春には桜が咲いていたような気がするから、ひょっとしたら桜の木かもしれないが、蝉が好きと見えて、鳴き声が激しい。見てみると手が届きそうなところで蝉が鳴いている。またいくつもの抜け殻が懸命に木にしがみついている。まさか捕まえることは出来ないと思ったが、あまりにも目と鼻の先で木にしがみついて鳴いているので、捕まえてやろうと手を伸ばした。すると蝉はおしっこをして飛び立った。やはり網でも持ってこなければ捕まえることが出来ないと思ったが、そこまでするほど幼くもないし、執着もない。ただ次の木陰に移った時にまた目の前の幹に蝉が止まって鳴いていた。同じように手を伸ばすと今度は簡単に捕まえることができた。これは予想外だった。母に蝉を渡すと「気持ち悪い」と言いながら正にそのような仕草をした。その瞬間は脳の回路はつながっていたと思う。昼訪ねたときにすぐ「昼ご飯食べたんかな」と心配してくれたからその日の回路はもともとかなり繋がっていたと思う。
 興味があったのはそんな母の症状ではない。僕が興味を持ったのは、いとも簡単に蝉が手で捕まえることができたことだ。僕が子供の頃は、網を持ってかなり苦労して捕まえていたと思う。手で捕まえるなんて発想はなかったし、そんな発想ができるわけがない。僕はその時考えた。最早人間は彼らの天敵ではなくなったと彼らが認識できるくらい、人間が蝉を捕まえない時代が続いているのではないかと。ホルマリンを注射され腐らないようにされてから、ピンで刺され空き箱に大切そうに並べられ展示されたのはずいぶんと昔話になったのだ。だから蝉にとって人間は恐ろしい存在ではなくなったのではないかと思ったのだ。子供たちが恐らく、標本作りなる夏休みの宿題をしなくなったのではと思ったのだ。
 一つの生き物でも人間を天敵視しなくなったとしたら嬉しいことだ。毎日天敵だらけの世の中を恨んでいる人間としては。



2015年08月23日(Sun)▲ページの先頭へ
逆境
Y君へ
 あれは紀行文と呼ばれるものでしょうか。タイトルが「自転車に乗って」と言うものだったから、高田渡の唄についてのものかと思って読み始めたのですが、高山を訪れた方の一日が書かれていました。少しばかり高山の経験があるのですが、そんなもの役に立たないくらい新鮮で、ぐいぐいと連れ回させる、いや、もっと早く先に行きたいような気持ちで読ませてもらいました。話の内容は勿論ですが、紀行文など読んだ事がない僕には「上手いなあ」と言うのが一番の感想でした。紀行文なるものが出版のある分野を占めるのが分かったような気がします。
 あの表紙の女性が誰で、あの男性が誰だかも分かりません。文章を書いた人?絵を書いた人?訪ねられた人?出版者?手作りを超えた手作りだから分からないのだと思います。分からなくてもいいし、分からないのがまたいいのでしょう。何事にも秘めたものがあるのは魅力ですから。
 ただ僕と〇〇さんには秘めたものが、全くなかったのだと思います。当時青春真っ只中だからそんなものがあるほうが珍しいかもしれませんが、この年齢になっても全くない関係しか考えられません。当時も、その後お会いしていない長い時間も、そしてつい最近の再開も「裏表がない」心地よさの極地です。僕は家族も含めて、〇〇さんと△△さんの2人以外に、その関係を完成させられた人はいません。そうした人との時間の共有が5年間も濃密にあったからこそ、その後の生き方に後悔がないのだと思います。その生き方さえ維持していれば得ることも失うことも全部簡単に説明がついてしまうのです。僕は一見〇〇さんとは違った景色の中で生きたように他者からは見えるかもしれませんが、同じように自由に生きてこられたのではないかと思っています。裏表がなければ、自由でいられますから。
 あなたもそうした人かもしれませんね。だからあなたが〇〇さんに吸いよせられたのだし、〇〇さんはいつもの〇〇さんでおられるのでしょうから。少し健康面は心配ですが(僕も同じようなものですが)あの独特の優しさは天然記念物です。岡山県のオオサンショウウオみたいなものです。先輩をよろしくお願いします。僕も引退が見えてきたら高山くらいいけるのですが。
 写真係と言いながら逆光なのでしょうか。すごい色ですね。でも記念になります。自分の写真なんかほとんど無いのですが、あれは記念にとっておきます。でもあなたや〇〇さんが逆光、いや逆境でなくてよかった。またいつか!

追伸
あなたの「自由さ」に驚いた息子は触発されたのでしょうか、あれから自転車ではなくゴムで出来たカヤックを買って海岸を走らせています。浮き輪みたいなおもちゃのようで怖いですが。せめてパンクしないものにして欲しかった。人生であれだけパンクしているのに。

大和


2015年08月22日(Sat)▲ページの先頭へ
拍手喝采
 恐らく今日は日本中で拍手喝采を送っているのではないか。勿論相手は日本の警察に対して。夜間の駐車場のぼけたライトの映像しか残っていないのに、どうして犯人までたどり着けるのだろうと半ば諦めていた。逆に日本の警察の能力に期待もしていた。昨夜犯人逮捕のニュースを聞いたとき本当にうれしかった。遠くの見ず知らずの子供たちの恨みを晴らさずに、大人達が許されるはずがない。できればあのどれくらい続いたかわからないくらいの苦痛、いやその何倍もの苦痛を味わいつつ消えていって欲しい。間違っても病気になどならずに、それまでは健康体でいて欲しい。
 あの男は当然その道まっしぐらの残りの時間を過ごすのだろうが、それを免れている、それどころか威張り腐って、ありえないことに幸せな人生を送っているやつらもいる。できたら彼と一緒に同じ道を進ませて欲しい。例えば、アメリカにいい顔をして、日本の青年を死に追いやろうとしている政治屋や、すでに多くの人を死に追いやって、まだまだ100年にわたって間接的に殺人を犯すことになる東電の経営者達だ。それで無罪なら、法律などいらない。北の将軍様と同じだし、何を習ったのかわからないが、習うと言う字がついている指導者?がいる国と同じだ。
 そんな醜い人間に今日の警察官達が鉄槌を下してくれたら、鳴り止まぬ拍手喝采を送るのだが。


2015年08月21日(Fri)▲ページの先頭へ
墓穴
 こう言った頼まれ方をしたことがない。ただ、その輝いた目からはそれが本心だと分かる。もう10数年会っていないから当時の神経質で華奢と言う女性の面影はなく、ふっくらとしている。病気を訴えられなければ何処が悪いのだろうと思ってしまう。
 「私は、52歳までずっと家にいて家事ばかりしてきたから、今こうして働くことが出来るのが幸せなんです。働くって事がこんなに楽しいものだとは知らなかったんです。だから病気を治して下さい」その訴えを聞いてその通りだと思った。多くの人と接して、多くの会話をし、多くのことを学び、多くのことを分け与え、喜びや失敗を共有することこそ、人の生きかただ。人間は孤立して生きていける動物ではない。社会的な動物なのだ。それに目覚め、日々わくわくして暮らすことが出来た環境を、体調不良などで失いたくないだろう。社会参加は、本人も病気を克服する大きなモチベーションになるし、僕にもそのお手伝いが出来たらすばらしいだろうなと言う大きなモチベーションになる。かなり難しいトラブルだが、1週間分で何か変化を起こすことが出来たから、二人で、治る訳がないといったお医者さんを見返してやろうと話し合った。
 薬局の漢方薬を飲んでいると言ったら、お医者さんの表情が豹変し、いやみを言われて、それ以上何も言えなかったらしいが、僕は何故患者さんがそんな墓穴を掘るのだろうといつも不思議に思う。自分の病気くらい自由に治せばいいと思うのに、ましてかかっている医者で治してもらえないから次なる選択肢を探しているのに、どうして医者の逆鱗に触れるのがわかって白状するのだろう。漢方薬と現代薬が重なって不都合なことなどまずない。医者の薬を飲みながら漢方薬を飲むことは出来る。黙って飲んで、黙って治し、去っていけばいいのに、金を払って怒られては割に合わないだろう。
 漢方薬が本当に分かっている医者なら何も言わないが、わかっていない医者が99%だから倍返しがあるだけだ。医者の高度な知識や技術をいただきながら、こそっと元気になればいいのにと時々思わされる光景に出くわす。



2015年08月20日(Thu)▲ページの先頭へ
養鶏場
菅義偉官房長官は20日午前の記者会見で、韓国が東京電力福島第1原発事故後に福島県などの水産物の輸入を禁止している問題で、韓国を世界貿易機関(WTO)の紛争処理小委員会(パネル)に提訴する意向を表明した。日本は5月、韓国との2国間協議を求めてWTOに提訴したが、協議が不調に終わったため、紛争処理の次の段階となるパネルへの提訴に踏み切ることにした。菅長官は会見で、「韓国政府はWTOのルールに基づいて誠実に対応するとともに、WTOの結論を待つことなく規制を早く撤廃するべきだ」と述べ、韓国側に速やかな規制解除を求めていく方針も示した。韓国は2011年3月の福島原発事故を受け、福島など8県の水産物の輸入を一部禁止し、13年9月以降は禁輸対象を全ての水産物に拡大した。

恥も外聞もないとはこのことだ。よくもこんなことが出来るなと思うが、こんなことが出来るから政治屋になっているのだろう。国民に放射能まみれの食べ物を食べさせないと、もし本気で政治屋が思っていたら、同じことをどの国もすべきだ。そして何よりもこの国がすべきだ。ところがこの国の政治屋や役人は庶民の寿命が縮まろうが病気が増えようがそんなことは気にならない。ただただ、企業家を助け、やつらと仲良くし、おこぼれを頂戴し、人生を謳歌できればいいのだ。福島の誰々さんが病気になるより、トヨタの車が売れるほうが嬉しいし、宮城の誰々さんが寿命を縮めるより東芝の原子力発電所が売れるほうが嬉しいのだ。
 アホコミは相も変わらず政治屋の広報係りに成り下がる。放射能を食べさされている国民はさながら養鶏場の出荷を待つ鶏だ。くちばしで一矢報いることもなく、毛を抜かれ皮を剥かれる。とうに精神は抜かれているから痛くも痒くもないが。 




2015年08月19日(Wed)▲ページの先頭へ
連発
「ございます」の連発は聞いていて気持ちが悪い。相手の人格を尊重して出ている言葉ならすんなりとこちらの心にも入ってくるが、人を馬鹿にしているのが見え見えだから、その不自然さだけが強調される。早口で声高で、間を置かなければ相手を論破できるとでも思っているのだろうか。幼いときから恐らく他者を圧倒してきたのは、ひとえに戦争犯罪者のおじいさんと、親の後ろ盾のおかげだ。それをわが実力と勘違いするのは世の3代目の通る道だ。だいたい3代で潰れるらしいから、その路線にしっかりと乗ってほしい。
 財界やアホコミ総動員の芝居のネタがそろそろ尽きて、いくらお人よしのこの国の人間にも見透かされて、もう末期症状に近づいてきた。打たれ弱いからまたまた病気に逃げるのだろうが、次は何の病気だ。もくろんできたことは全て帳消しにしないと、貧乏人が殺される。合法的に殺される。


2015年08月18日(Tue)▲ページの先頭へ
大昔
 日曜日の早朝はニュース番組もないから、教育テレビを見ることがある。その時間は宗教の話をしている事が多く、どんな宗教でもさすがに奥が深くつい聞き入ってしまう。この日曜日もそうだったのだが、いつもと違って岡山県と言う言葉にひきつけられた。
 その日のテーマは「栄西」と言うお坊さんについてのものだったが、彼が岡山県出身と言うことだけでひきつけられた。彼についての説明はほとんど右から左だったが、二つだけどうしても解けない疑問が残った。いや、彼についてだけでなく、昔の話を聞いているといつもいつも疑問に思うことがあり、今だ解決をみない。
 栄西が生きたのは1141年 -1215年で平安時代末期から鎌倉時代初期にあたるらしい。そんな時代に、仏教をもっと深く学ぶために中国に渡ろうと発想して、実際に渡って、向こうで本当に信頼できる高僧を探して教えを請い、また帰ってくる。そんなことが出来たのだろうか。何を持って向こうの水準を知り、どのような船を作り、言葉も分からないのに向こうで師を捜し教えを請い、また船で帰ってくる。今では誰でも出来ることだが、一つ一つ疑問が残る。と言うより信じがたい。
 当時の中国に行けば仏教をもっと極めることが出来ると何を根拠に思ったのだろう。平安時代に、中国の人が船でやってきて、日本語を話していたのだろうか。その人に感化され中国にあこがれたはいいが、日本海を渡る船が当時日本にあったのだろうか。あったとしても、水平線の向こうに朝鮮があることをどうやって知ったのだろう。また太陽や星を見ながら航海したのだろうか。通訳もいない状態で、単身渡ってどうやって会話をしたのだろう。最初は身振り手振りで、そのうち少しずつ覚えて行ったのだろうか。
 「わからん、ほんとうにわからん」牛窓のように船大工が集まるところがあって、大陸まで連れて行ってくれる人達がいて、それぞれが生計を立てていたのだろうか。1000年前といえば大昔みたいだが、実は意外とついこの前なのかもしれない。




2015年08月17日(Mon)▲ページの先頭へ
不幸
 なんて皮肉だろうと思った。こんな偶然があるのだろうかと、ニュースに接した多くの薬剤師は思ったに違いない。事実、急遽犬の漢方薬を作りに来た薬剤師も知っていた。
 今医者が日本中に何人いるのだろう。そして薬剤師が何人いるのだろう。どちらも恐らく何十万人と言う単位で免許を持っていると思う。だから歩道に猛スピードで乗り上げた医者と、そこを偶然通りかかった薬剤師が遭遇する確率は、何十万分の一掛ける何十万分の一だ。もうほとんど宝くじの確率で、無いに等しい。そんな確率であんな不幸に出会うのだから、何が起こるかわからないのだ。もっともその確率はまだまだ色々な要素を考慮しなければならないから、限りなくゼロに近い。それなのに何故と家族の方は問うてしまうだろう。
 何が原因かまだ分からないが、駐車場から出て50メートルで居眠りをするほどの睡魔ってあるのだろうか。あれだけの事故を起こして「何が悪いんだ」と居直れる人間が医者をしていたのだろうか。警察官数人に取り押さえられなければならないくらい事故を起こした人間が凶暴になるのだろうか。脂ぎった顔はどうのような日々の積み重ねなのだろうか。薬も酒も検出されないみたいだから、事実を追求して、それに続く人間が出るのをぜひ防いで欲しい。いつだって誰だって加害者に簡単になれる時代、皆で防がなければ不幸がまた街に咲く。




2015年08月16日(Sun)▲ページの先頭へ
逆転
 僕にとっての渋川海水浴場は、と言うより、渋川海岸は、バイキングでかの国の青年達をもてなすホテルの下に広がる人気のない砂浜だ。広い砂浜に足跡を残す青年達を眺めているのが好きだったし、瀬戸大橋のかなりの部分が一望できるのも好きだ。教会に近いと言う理由、少し値段の設定が安いと言うこともあり、しばしば利用する。
 夏真っ盛りに、県外に暮らすかの国の青年達が30人以上集まりバーべキューをするというから付き合った。砂浜の端にバーベキューコーナーが作られ、自由に楽しむことが出来るから、なんて行き届いた配慮だろうと感心していたら、何のことはない、うるさいやつらを一箇所に閉じ込めているだけの話だ。なるほどそうすればほとんどの海水浴客は、そうしたアルコールが入った人間と接触しなくてすむから楽しんで帰れるだろうが、酒も飲まずにバーベキューを楽しもうとする人間にとっては不愉快だ。日ごろどのような職業についているのだろうかと疑いたくなるような若者達が、10組くらいいただろうか。時に紋々を見せびらかして威嚇して回る輩もいて、とても楽しめる空間ではなかった。
 その光景を見ながら僕は思った。この若者たちが僕らの世代になったら、きっと立場は逆転しているだろなと。自国では1日働いて500円、多くもらっていた人でも1000円までだろう青年達が、日本人がしない仕事を引き受けてやっている。いわば彼らは日々鍛えられているのだ。ところがその反対の日本人はどうだ。聞きたくもないが聞こえてくる話の内容で、或いは態度で、誰かの庇護の元で暮らしているだけだ。着飾ることくらいしか能がないのに、親が死んだら一気に生活苦に襲われるのに、あの能天気はどうだ。いずれやってくるだろう、日本人が東南アジアに出稼ぎに行く光景が。それとも日本の会社のほとんどの経営者は東南アジアの人になるのか。偉そうに言っていても、早晩日本人が彼らに頭を垂れる日が来る。


2015年08月15日(Sat)▲ページの先頭へ
教育
 ひたすら仕事ばかりしていたので、また2人とも中学を出たら寮やアパートに入れて、教育と言うものをほとんどしていないから言う権利はないのだが、少し質素さを教えていればよかったと今になって思う。親を見て育つのなら、親を見せていなかったことになる。僕の子供の頃はまだ、戦後の貧しさが社会に色濃く残っていたから、倹約なんて教えてもらうまでもなく当たり前すぎることだったが、その子の代には倹約は、かなり難しいものになっていたのかもしれない。
 よい意味で、一癖あるような人間とも付き合えるようにしておけばよかった。心地よい穏やかな人ばかりでは、なんとなく人間に幅が持てないような気がする。上手く行っている間はいいが、躓いたときなどに、這い上がる気力に欠けるような気がする。強くあって欲しいのではない、気持ちに余裕があって欲しいのだ。
 経済的に恵まれていない人達とも親しく付き合える人間にしておけばよかった。その逆の人達とは馬が合わないようにしておけばよかった。自分を測る物差しはいつも、底辺の人達を基準としたものであって欲しい。
 親が知らないところで、親が思う以上に大人で人格を築いているのかもしれないが、そして親の前では照れてそれを見せるのには消極的なのかもしれないが、生きることが下手な人達と一緒に不器用に生きていける人であって欲しい。


2015年08月14日(Fri)▲ページの先頭へ
健康
 健康体の人は、身体の部位を意識することはない。足も手も、頭も肩も、お腹もお尻も意識することはない。健康体の人には身体はないのだ。ところが体調を崩すと、途端に身体の部位が存在を強調してくる。頭痛がすれば頭を、胃痛がすればお腹を、動悸がすれば心臓を、筋肉が衰えれば関節を、眠れなければ心を。
 この国を意識せずに、ひたすら働いていればよかった健康な時代は過ぎた。毎日のようにどこかが痛む。その痛みようも歯痛や頭痛の程度ではない。モルヒネを使わなければ消えないような激痛に、この国のあちこちが見舞われている。ガンに匹敵する痛みを国民がさまざまな分野で強いられている。正にガンみたいな男と政権と与党と思しき奴等に。


2015年08月13日(Thu)▲ページの先頭へ
誘導
 帰省客も海水浴客もいないのかと言うくらい、薬局の前の道路はいつものままの密度で時間は過ぎていった。お盆は正月と同じようになんでもない日になったのだろう。官公庁は働いているから余計かもしれない。
 実は、一部の人を除いてそんなに経済が味方してくれてはいないから、休みだといって倹約を解除できる人は少ないのだろう。健康が担保と言うぎりぎりの生活を送っている人も多い。そんな中、かの国の通訳が一人で遊びに来た。薬局が暇だからいっぱい話が出来た。3年間の期限がこの10月に切れて帰国するから、言っておきたいこともあったみたいだ。自分が帰った後もお願いしますと言うことなのだが、人が増えすぎて派閥ができることを心配していた。
 帰国を前にして初めて言えるようなプライベートな話も出来た。彼女たちは「お金を稼ぐ」と言う強い意志で来ているから、今の労働環境などなんともないみたいだ。そもそもかの国にいたときには休みなく働いて、その上技術がしっかりした「選ばれて」日本に来た人達なのだ。彼女は、自分を大学に行かせてくれたご両親に家を建ててあげるために日本に来たらしい。その夢がかなえられるくらいの収入を3年間で得られるのだそうだ。そう言えば3女が日本に来てすぐに僕の車に乗って車の値段を尋ねるから答えると「ワタシノクニ ノウエン カエマス」と言って驚いていた。その驚いた内容に驚いたが、いっそのこと移住して年金で暮らそうかと思ったりした。ただ、暑くて耐えられませんよと最近忠告してくれた人もいたから、急ブレーキが音を立てて今はかかっている。
 日本で3年間働けば家が建つなどと具体的な目標があれば頑張れるだろう。翻って、この国の青年達に、そんな具体的な目標があるのだろうか。この国で稼ぎ、この国で消費したら、結局は何も残らない人は結構いる。かの国の人も、かの国で同じような体験をしている。国全体が豊かでも、這いつくばって暮らす人たちは何処にいても同じだ。ある年齢までは飢えささず、持たさず、油まみれの歯車だ。いやいやこれからの青年は飢えさされて、兵隊にでも入らなければ食えない状態に誘導されるのかもしれない。(経済的徴兵制)


2015年08月12日(Wed)▲ページの先頭へ
晩年
 以前にも書いたが、僕は「変わった人」の知り合いが多い。逆にまともな人は少ない。立派な肩書きや職業を持っている人など皆無だ。僕が苦手なのか向こうが嫌うのか分からないが、若いときからだ。それが今になっても持続しているから若気のいたりなどではなく、僕本来の性格なのだと思う。
 今日、その中の変わった人が、もう1人の変わった人が死んだと教えに来てくれた。その変わった人は別に悲しそうな顔をしているわけではない。無味乾燥な日常に現れたちょっとした変化を楽しんでいる雰囲気はあった。ただそれは悪意ではない。あることで町中から白い目で見られている人が、いち早く僕に知らせようと思ってまたとない機会を大いに活用しただけだ。
 僕の回りの変わった人達の共通点は、アル中、簡単にお金を借りて返さない、仕事より優先する楽しみを持っている、家族より自分を優先、その結果家族崩壊。見事に共通している。自由に生きると、自業自得が相反するものではなく、自由に生きた結果が自業自得で表現されるくらい落ちぶれるのも共通している。それらの共通点となんら接点のない僕と何故合うのかわからないが、牛窓に帰ってからそれぞれ10年単位くらい関わったと思う。ただそれは長続きせず、全て向こうの理由で去っていった。ある人は法務局に出張し、ある人は特別養護老人フォームの中を徘徊し、ある人は孤独に死んだ。確信犯の晩年は結構哀れなものだ。


2015年08月11日(Tue)▲ページの先頭へ
 薬局の入り口でかなり躊躇っていた。その理由が、床がピカピカに光っているからだ。僕がやっていた時代は汚くて、その理由で入るのを躊躇う人がいたかもしれないが、今は逆だ。
 その老人を見てすぐに誰だかわかった。昔の面影が残っていたから、何十年遡ったのか分からないが、確かだと思う。僕が牛窓に帰ってきた頃はまだまだ、この町で多くのものが循環していた。例えばこの男性のようにトラックの運転手だったら、ずっと牛窓の配送をやっていて、転勤で人が変わるということがあまりなかった。農協にしても病院にしても郵便局にしても新入社員で入り定年で出て行っていた。だから顔なじみばっかりで、買い物にしたって保険にしたって、常に牛窓の方にお願いしていた。
 この男性は県貨物と言う岡山県では老舗の運送会社のトラック運転手で、毎日のように薬を届けてくれていた。だから僕が牛窓に帰った頃から見てくれていたことになる。いつの間にか定年になり僕の前から消えたのだが、何十年の時を経て再会したことになる。
 その男性の必要なものを渡し、会計を済ませたときに、なにやら男性が感慨深そうに薬局の中を見回した。そして感想を独り言のように言った後、さっきつり銭をしまうために閉じた財布を再び開き、その中から千円札を一枚取り出し僕にくれた。そして「これで奥さんとコーヒーでも飲んでください」と言われたのだが、いくら昔を懐かしんでくれたにしても、大の大人がまるでチップのようにお金を頂くわけには・・・・いった。「ありがとうございます。妻も喜びます」と僕の得意の豹変で感謝の言葉を述べた。男性はまた、きょろきょろと店内を見渡しながら出て行った。
 娘夫婦が彼女達の感性で薬局の中を変えてしまったから、昔しか知らない人には戸惑いもあるだろうが、よい変化を喜んでくれていたのは十分伝わって来たから、よくも薬局を潰さず頑張っている僕に御褒美をくれたのだろう。恐らく男性には僕がまだ牛窓に帰ってきたばかりの、頼りなさげな青年の姿に見えたのだろう。
 今度の日曜日は玉野教会にかの国の青年達が集まってバーべキュー大会をする。1人分の参加費は出来た。後5人分床を磨くぞ。


2015年08月10日(Mon)▲ページの先頭へ
理由
 「 急に胸が痛くなる。急に息苦しくなる?」きっとこの女性は僕のところに相談に来ると思っていた。数日経っても来ないからどうしたのかなと思っていたら、ストレスが原因で、狭心症と同じような症状を示すと病院の検査で分かったらしい。動脈硬化が進んで、冠状動脈が詰まり加減なんだと想像して漢方薬の処方を考えていたのだが、その処方は必要なくなった。ただ、むしろストレスが原因で、冠状動脈が痙攣するのだったらますます漢方薬が適しているから、結局は相談に来ると思っていた。
 おかしい、おかしいと思っていたら昨日テレビを見ていて理由が分かった。名前を呼ばれるたびに「様」がつくし、一挙手一同が全て敬語で表されるし、周りの人がなぜか皆深々とお辞儀をするし、歯を見せない笑顔が出来るし・・・これじゃあ、僕の薬局にはあわない。僕の薬局にあうのは、悲しいときには涙を流し、嬉しいときには内臓の奥まで見えそうなくらい大きな口を開けて笑える人だ。庶民だからこそ出来る武器で、だからこそ病気が治る。


2015年08月09日(Sun)▲ページの先頭へ
写真
 「おばあちゃんはひいばあちゃんそっくりじゃが。この写真はおばあちゃんかと思った」何処で見つけたのか、息子が古いアルバムを持ってきて驚いたように言った。その言い方はまるで大発見をした小学生のようだった。
 そうなのだ、いつの頃からそっくりになった。90歳が近くなって、徐々にやせてきた頃だろうか。正に瓜二つと言っていい。それまではなんとなく似ているなくらいな印象だったが、ある時期から一気に祖母に近づいた。息子はひいばあちゃんの記憶がどの程度あるのか知らないが、だから写真上の印象のほうが比重は大きいだろうが、僕は正にリアルだ。こうした傾向は母や祖母だけのことではなく、巷にもごくありふれたことだ。正に遺伝子のなせる業なのだろう。同じ造形に戻っていき、命が絶たれるのが神秘的だ。
 昨夜のそんな些細な出来事を思い出しながら、母を木陰に連れ出して、自然の空気を一杯吸ってもらった。人工的に調節された気温と湿度の中で季節を知らないまま暮らしてもらうのは忍びない。まして母が育った田舎にある施設で、大正の頃と景色はあまり変わっていないような気もするのだ。発展から取り残された村だから、道路がアスファルトになり、小川の護岸がコンクリートになったくらいなものだろう。蝉と烏の競演に耳を傾けながら、果たして母の脳裏に浮かんだものは何なのだろう。孝行下手の息子を持ったことを嘆いているのだろうか。あのしどろもどろの言葉で。


2015年08月08日(Sat)▲ページの先頭へ
長閑
「苦しい。ごめんなさい」と言う言葉を残して、ある男性が自ら命を絶った。ニュースで流れる映像から、長閑なところで自然を愛して暮らしていた人だろう。動物の被害を防ぐために電気柵を作り、なんら悪意なく暮らしてきた人だろう。このような結果を予想していた人は周りには多かったかもしれない。それでも防ぐことが出来なかったのは家族の方にとって痛恨の極みだろう。
 悪意がなくてもいずれ裁かれるのかもしれない。でも僕は自ら命を絶つのをもっともっと先に延ばして欲しかった。そうすればその方が、命を絶つ必要などなかったことに気がついてくれるはずだから。なぜなら、『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく」とツイッターで批判した童顔の政治屋や、集団的自衛権に対し「法的安定性は関係ない」と発言した酒がすぐ回る政治屋や、オリンピックの競技場で儲けようとしたやつらや、数え切れない人間に被爆させている東電のやつらや、アメリカさんの言いなりになっているアホノミクスなど、悪意があっても裁かれない人間が多いことに気がつくはずだから。
 こんなやつらよりあなたの方が先に逝くべきではなかったのだ。


2015年08月07日(Fri)▲ページの先頭へ
お土産
 僕の手元に届いたときには既に箱は開けられ、一つは誰かの口に入っていたみたいだから、どこで買ってくれたお土産か分からなかった。そもそも彼女が何処で開催されるコンサートに行ったのかも知らない。ただ、今までの経験であまり鳥取県とか島根県に彼女が出かけて行った話は聞かないから、恐らく、神戸、大阪、福岡、いや場合によっては名古屋や東京まで行ったのかもしれない。そのくらい熱狂的なファンなのだ。
 行く前に新幹線に1人で乗るのは初めてだから不安だと言っていたが、こうしてお土産が届くと言うことは見事行ってこれたってことだろう。聞く所によるとコンサートではお土産がつくらしいから、ひょっとしたら頂いたスイーツがお土産だったのかもしれない。だがそんな貴重なものを手放すとは考えにくい。ましてそんなもの僕が食べたりしたらほとんど共食いだ。
 仕事や家事で一杯一杯の女性が、心を解放する為に、年に一度や二度彼のコンサートに出かけるのも悪くはない。コンサートから帰った後御主人を見て疲れがどっと出るというリスクはあるが、日々の頑張りのモチベーションを維持する源になるのなら健全なものだ。まだ若いから、僕みたいに来年まで生きてまたこの和太鼓を聴きたいというのとは若干違うが、気持ちが正のほうに振れるのは共通だろう。音楽の持つ一面だろう。
 これからその女性にお礼のメールを送ろうと思っているのだが、あれだけ話をしているのに顔が思い出せない。確か吹石一恵似だったと思うのだが。


2015年08月06日(Thu)▲ページの先頭へ
手紙
 県外のインターネット経由の患者さんは別として、わざわざ足を運んでくれる方に漢方薬を作ったときには必ず効果を聞く。その手段はもっぱら手紙だ。手紙といっても内容はすこぶるシンプルで、経過を尋ねるだけで、知りたい情報は箇条書きに近い書き方で質問をする。それでもこの作業は僕にとってとても大切なもので、早い段階で薬があっているかどうかを確認する作業は欠かせない。
 今日も2人の患者さんに手紙を書こうとしたのだが、丁度レポート用紙が切れて一人も書けない状態だった。使いさしが結構あるから、心当たりを探しても残念ながら一枚も見つけることが出来なかった。そこで姪に買ってくるように頼んだら、妻が「お父さん、ちょっと待って!」と言うや否や、ある引き出しからレポート用紙を出してきた。見ると表紙から色あせていて、中は言わずもがなで、ほとんど茶色のレポート用紙だった。年代物なのはすぐに分かった。子供たちが使っていたものか、ひょっとしたら僕たちが使っていたものかと言うくらいなものだった。「こんな古くて色あせたものが使えるか!」と言う会話は我が家ではありえない。「ありがとう、これですぐ書ける」と感謝だ。薬を飲み始めてもらい、2週間後に症状を尋ねるだけだから紙が焼けていようがいるまいが、関係ない。こちらの想いが伝わればいいのだ。そして返事を返してもらって僕が勉強をすればいいのだ。きれいな紙で手紙を書いて送れば、僕の漢方薬が一段と効くのなら僕は躊躇わず文房具店に走るが、効くかどうかは僕の実力だから、紙質とは関係ない。
 そう言えば先日高山から先輩と一緒に訪ねて来てくれた男性が、お礼の手紙を届けてくれたが、彼は僕より「気にしないタイプ」だ、なぜなら彼の手紙はチラシの裏だった。でも折り紙のように丁寧に折られていたから彼の性格は「どれがほんとなんじゃぁ〜」息子に見せるとまた「自由な人達じゃなあ!」と感心して感化されそうだから、娘夫婦と妻にだけ見せた。危ないところだった。


2015年08月05日(Wed)▲ページの先頭へ
熱中症
 熱中症を自覚したことは過去3度くらいある。小さなものは除外して「やばい」と思ったのが3回だ。
 もう10年以上前、神戸で行われた漢方の勉強会に参加して、やっと午後7時半のバレーの練習に間に合った。食事を摂る時間がなかったので、ビールを引っ掛けただけで参加した。真夏でいつものようにタオルを首からかけて練習を始めたのだが、ある一瞬を境に、吐き気とふらつきと倦怠感と・・恐らく他に症状があったのだろうけれど、このままでは倒れるという予感がした。当時熱中症は今ほど話題には乗らなかったが、なぜか自分でも熱中症ではないかと気がついて水道水をがぶ飲みした。そして程なく回復してまたバレーに興じた。タオル1枚では足りないくらい夏には汗をかいていたから、ビールによる利尿効果で水分の貯金がなかったのだろう。あっという間の悪化に驚いたが、体験したことで以後はそこまで「やばい」ところまでは行かなくなった。
 ただ体力は確実に落ちてきているのだろう。その後かなりの症状に2回襲われている。いずれもかの国の女性達を県外に連れて行ってあげているときで、一度は真夏の清水寺、一度は四国村だ。バレーのときの経験で以後は大体熱中症だと自覚できるから、水分を慌てて摂るが、どうしても遅れがちになる。その理由は熱中症になどなる自分が許せなくて、それを認めたくないからぎりぎりまで粘ってしまうからだ。その挙句かなりの不快感に襲われる。それどころか、そっとポケットに忍ばせている救急時の漢方薬(1回分が3000円する)に頼らざるを得なくなる。
 高校生まで夏休みの40日を毎日海水浴で過ごしていたあの頃の体力は何処に行ったのだろう。色白の夏男を自認していたが、今や下手をしたら新聞に載りそうだ。夏が過酷になったのか、体力がなくなったのか、或いはその両方か。
 嘗てはパチンコの熱中症で青春を褪せさせた僕も、今度は人並みに本物の熱中症に襲われるようになった。


2015年08月04日(Tue)▲ページの先頭へ
建物
内部告発サイト「ウィキリークスは、米国家安全保障局が、日本の政府高官や三菱などの大手企業に対する盗聴活動をしていたとする文書を公表した。少なくとも35件の盗聴対象のリストも公開している。ウィキリークスは声明で「リストは、NSAが少なくとも2006年9月から07年9月までの第1次安倍晋三内閣のころから、日本の大企業や政府高官、省庁、政府顧問らをスパイしていたことを示している」と述べている。

 アメリカちゃん大好きのアホノミクスは、いきがってもこんなものだ。ユーチューブで、憲法の条文について質問されて一つも答えれなかった映像が出ていた。要は何も知らないのに、いきがっているだけなのだ。よくもこんな人間を担いだと思うが、今の与党は終わっている。いや終わりにさせなければならない。終わるだけではダメだ。東電の人間と一緒にぜひ入って欲しい建物がある。

 再稼働が間近に迫った九州電力川内原発(鹿児島県)。だが、未解決のごみ問題は、使用済み核燃料以外にもある。再稼働で発生する低レベル放射性廃棄物の一部も処分場が決まっておらず、原発敷地内で増え続けることになる。低レベル廃棄物のうち処分場が課題となっているのは、「L1」と呼ばれる放射性物質濃度が高いごみ。核分裂反応を抑える制御棒や、冷却水から放射性物質をこし取るための樹脂などが該当する。原子力規制委員会がまとめた資料によると、川内原発には2013年度末時点で、使い終わった制御棒や燃料を長期使用するための器具などが、使用済み燃料プールに460本保管されている。タンクなどに詰められた樹脂は150立方メートルに上り、200リットルのドラム缶750本分に相当する。L1はこれまで、処分する場合の技術的な基準が決まっていなかった。規制委は専門家を加えた検討会を設置。基準を検討しているが、埋設後10万年は人間の生活環境から隔離を目指す方向で議論している。

 こいつら馬鹿ではないの。馬鹿でなければ重大な罪だからやはり、政治家や東電の人間とぜひ一緒に入って欲しい建物がある。キリストが生まれてまだ2000年ちょっとだ。わずか2000年前のことでも具体的に何も分かっていない。それが10万年?誰が責任を取るのだ。どうせあと10年くらいしか生きられない人間が決めているのだろうが、今の名誉欲とお金が満たされれば後は野となれ山となれだろう。裁かれるまで永遠に生きておれって言いたい。


この国はいったい誰のものなのだ。いつの間にあいつらのものになったのだ。何処のお殿様じゃあ!


2015年08月03日(Mon)▲ページの先頭へ
完治
短い期間だったが、よい仕事が出来た。これで2人の青年がハンディーを持たずに暮らしていくことができる。時代劇風に言えば「これ以上めでてえことはない」僕ももう少し頑張ろうという気力をもらえた。無断拝借を許して欲しいが、なんとなく僕の治し方が、今日交わしたメールに現れていたように思えたので、まだ見ぬ患者さんに読んでもらう。

こんにちは。
大変お世話になっております。
夏休みに入り、気温は毎日35度を越え、この地方特有の蒸し暑さの中、長男、次男共に毎日元気に暮らしています。
次男は朝も起きられるようになり、部活のテニスにも朝から行っています。部活帰りにごはんを食べたり、あれだけ腹痛に悩まされいたのが嘘のようです。たまにお腹が痛くなることがありますが気にすることもなくなりました。
長男も朝起きられるようになりました。立ちくらみもイライラもなくなり暑い中も元気に部活の〇〇制作をがんばっています。2人共、前回作っていただいた漢方もまだ半分くらい残っているので、お守りとして持っています。
先生には本当に本当に感謝しています。ありがとうございました。
もっと早く先生にお願いていればと、それだけが悔やまれます。

良かったですね。
薬局製剤と言うものを利用して、頂いた情報に忠実に漢方薬を作るのが僕の職業だと思っています。
僕は、お母様と話をしたときに、「治すことができるお母さん」だと思いました。
だから治したのは僕ではなく、貴女だったのです。
今まで1000人くらいの過敏性腸症候群(起立性調節障害は数十人かな)の患者さんをお世話させてもらっていますが、残念ながら全ての方が、愛情を持って大切にされている雰囲気が伝わってくるわけではありません。中には見放されたり、守られすぎたり、程よい距離感の中で過ごすことができない患者さんも多いように感じています。病気は孤軍奮闘では治りません。細心の注意を払って無関心を装う、難しいけれどそれが出来たら完治は見えます。
どういった経路で僕の薬局に連絡してくださったのかわかりませんが、よくこんな田舎の薬局を信用していただけました。それもまた貴女が治してあげた理由かもしれません。
また僕の薬局が必要になったら連絡してください。カルテはずっと残していますから。
お子さん達が失った時間を取り戻してください。ただし、彼らが、そして貴女が苦しみの中で得たものはそれ以上かもしれませんよ。
ヤマト薬局


ありがとうございます。
それでもやはり、先生のおかげだと思っています。
私がどうして先生にお願いしたのか…ですが、
ネット上にはたくさんの漢方薬局がありました。でも、先生の薬局のように実際の患者さんの声がどんどん更新されているところはありませんでした。ブログも毎日更新されていて、とても身近に感じられたからです。治るんじゃないかという直感です。
今は自分の直感を信じて良かったと思っています。
もう先生にお願いすることがないのが一番ですが、その時はよろしくお願いします。
ありがとうございました。









2015年08月02日(Sun)▲ページの先頭へ
けなげ
 それはけなげな姿だった。
 漢方の勉強会の会場から母の施設へ、旭川に沿って延びる道路を南に下っていた。その道はいわば主要道の抜け道で、全く信号がないからとにかく早い。ただ、いいところもあれば必ず欠点もある。
 川沿いを走る道は、車がやっとすれ違える幅だ。対向車が来れば自然と速度を緩める。なぜなら例えば上流に向かうときには、落ちたら死ぬ箇所が何箇所もある。直接川に落ちるから、助からないだろう。と言うのはガードレールがないのだ。最初に通ったときには何故ガードレールがないのか不思議だったし、何故こんなに危険なところをこんなにたくさんの車が通るのか不思議だった。前者の疑問は今だ解けていない。
 今日僕は母の施設に向かっていた。だから川とは反対側を走ることになる。車の中から見えた光景だが、それはそれはけなげな男の子を見せてもらった。
 ガードレールの代わりにはならないが、岡山市をもってしても予算不足か、草がまるでガードレールのように連なって背を伸ばしている。そして御他聞に漏れず、道にかなりせり出している。それは幼い子が自転車に乗って走っているときに、ちょうど自分の顔辺りまで背丈を伸ばしている光景を想像してもらえればいい。お父さんと見られる男性が当然道ぎりぎりに自転車をこいでいる。その後に幼い子供が続いている。お父さんは当然、川にも落ちない、車にも跳ねられない辺りをこいでいた。その後に幼い男の子が続いていたのだが、子供は恐らく父親の指示通りのところを走っていたのだが、顔にその草が丁度当たる。草の壁みたいになっているので、顔に次から次に草が当たっている。そしてそのたびに我慢の顔をしていた。もう少し道路側を走れば当然回避できる痒さ?痛み?だっただろうに、少年は果敢に草に触れながら走っていた。きっとお父さんの助言を誠実に実行しているのだろう。少しスピードを落とさなければならない状態だったので偶然目撃した光景だったが、少年の親の言いつけを従順に守っているかのような姿がけなげだった。





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