栄町ヤマト薬局 - 2015/04

漢方薬局の日常の出来事




2015年04月30日(Thu)▲ページの先頭へ
臨場感
 昨日から我が家に珍客がいる。
 昨日の夕方、娘が隣の駐車場から鳩を1羽拾ってきた。拾うと言うより丁度捨てているところに通りかかったから、救ったと言えるだろう。と言うのは、駐車場の脇は草がかなり伸びていて、そこに捨てられそうになっていたのだ。そこに飛べない鳩を捨てたりしたら、猫か蛇にやられるのは必定だ。
 捨てていたのは近所の人で、会社で糞をするから困って草むらに捨てようとしていたらしい。「どうせゴミみたいなものだから」と言ったせりふが我が家で話題になり、そう言った人物の評価が格段に下がった。近所なのに交流があまりないから人となりと言うものを知る由もなかったが、残念ながら評価に値しない。
 娘は早速、広島にあるNPOに連絡していた。「警察に届けましたか?」と言う返事に僕も驚いたが、意図して野生の動物を殺したら犯罪になるらしい。それはともかく、その団体が保護してくれることになった。娘は今度の連休に広島に連れて行くらしい。どうして傷ついた鳩のためにそこまでするのだろうと思っていたが、2日間鳩と一緒にいると、結構情が移ってしまう。鳩にどれだけの感情があるのか知らないが、人が近寄っても驚きもせず恐れもしない。それどころか、優しく撫でられるのを喜んでいるようにも見える。鳥類は恐竜の子孫で結構怖い顔をしているが、鳩は近くで見てもかわいい顔をしている。だから平和の使いとして親しまれているのだろうか。
 今日はひょっとしたらと思って、公の機関や動物病院に連絡を取った。あわよくば娘達を広島に行かせたくなかったので、それらしきところに電話したのだが、野性の鳥を診てくれる様な獣医はいないし、保護してくれる機関もない。仕方ないからどうしても広島に行かなければならないが、とんだ事から公の機関の臨場感のなさが浮かび上がってきた。


2015年04月29日(Wed)▲ページの先頭へ
志多ら
 どう表現してよいのか、いやいや志多らの演奏を言葉で表現できるほど僕に能力はない。
正確さと力強さ。そして演奏しているときの表情。どうしてあの神業のようなバチ捌きが笑顔の状態で出来るのだろう。圧倒的な演奏で多くの観客が息を潜め、満開の藤を目当てに来ていた人たちも、吸い寄せられるように集まり、何重にも用意された席を取り囲み人垣が出来ていた。
 今日の演奏の質の高さをひょっとしたら僕の行動が如実に物語っているかもしれない。と言うのは、2度のアンコールが終わって、観客が去った後、今日の出演者全員が舞台に集まって記念撮影をしていた時に、かの国の若い友人たちの希望で、一緒に写真撮影を頼んだときに、僕自身も入れてもらった。写真を撮られることはかなり苦手な僕なのに、出来れば一緒に写真に収まりたかった。それも、志多らの全国ツアーのポスターに出ている女性、これが今まで見た女性の奏者の中でダントツに上手い人だった、と一緒に写真に収まることが出来るなら、苦手などと言ってはおられない。それどころか僕は彼女に感謝とエールの言葉を口にしながら、恥ずかしげもなく、いやいや自然に、握手をしてもらった。まるで芸能人の追っかけみたいだが、出来れば追っかけて志多らの演奏をもっともっと聴きたいと思った。愛知県の集団だから、中部地方の演奏会が圧倒的に多いが、大学で5年いた縁で愛知県なら親しみがある。どのコンサートでも8人分チケットを求めるが、こそっと僕1人で行けば新幹線代も出る。このくらいの贅沢もそろそろ許されるのかなと、いやいや許すのは自分だから、思い切ってもいいのかなと思った。
 それにしても、打ち手たちの真摯な姿勢にはいつも感心する。僕だけではなく、聴く人のほとんどの人が拍動にも似た空気の振動に精神を鼓舞されているのではないか。志し多き青年達の熱情が藤棚の下で炎と化す。


2015年04月28日(Tue)▲ページの先頭へ
割り
 最近息子のほうから、こんな患者にはどんな漢方薬を処方したらいいか教えてくれと頼まれる機会が増えた。今までの病院では自分が中心で患者さんを診ていたのが、今度の所は今のところ新参者で様子見らしい。だから患者さんに多くの時間をとって診察が出来るらしい。そうなると今までは無かったことらしいが、患者さんの要望が多岐にわたり現代薬では対処できなくなる。だから僕に質問と言うことになるのだが、薬剤師にとっても医師にとってもそんなに難しいことではないのに、結構高い壁が存在して不自由を感じる。
 医者が処方箋で漢方薬を使おうとすればかなり縛りがきつくて、僕が暖めていた処方が完全には使えないのだ。誰が決めたのか知らないが、医者が使うのは、この症状に限ってというのが決められていて、そこから外れれば使えない。そもそも漢方薬に病名はいらないのに、決められた病名にしか使えないとなると、根本から存立基盤が違っている。薬局なら、効能書きと違ったことに使っても、飲んでくれる人が納得してくれれば問題ない。僕もしばしば婦人薬を男性に飲ませたりする。「生理はない」と冗談で返す人はいるが、文句は言われない。こうした自由な発想で、漢方薬の能力を導き出せれれば医者も今まで以上に漢方薬を使いこなせると思うのだが、そこはしっかりと法律の歯止めがかかっていて、方手落ちの処方しか作れない。
 僕は病院のほとんどが使う〇〇〇の漢方薬が濃度が薄くて効かないのだろうと思っていたが、そもそも出されている処方が片手落ちなのだ。だから効果が出せるのは簡単な症状に使う数種類に限定されているように見受けられる。
 誰かが「滅多に効かない」と教えてあげれば保険から適応が消え、生薬の保護に貢献できると思うのに、天下り予備軍にとっては、自分の天下り先に失礼なことはしないだろう。割を食うのはここでも又庶民で、大量生産、大量消費、大量浪費?に関わっている者達がいい目をする。


2015年04月27日(Mon)▲ページの先頭へ
居心地
 正確ではないかもしれないが、恐らく合っていると思う。
 高校生の6人に1人が、親の月収が10万円以下で暮らしているという新聞の記事を読んだ。新聞は最早信じるに値しないが、その文章を書いている人は信頼しているから引用させてもらった。なんとも不愉快な事実だ。居心地が悪いと言ったほうがいいかもしれない。
 日本も中国も同じだ。あの国を馬鹿にして溜飲を下げている間に、この国でもとんでもない事態が進行している。世の事件を見ても分かるように、最早不幸、不運の再生産はしっかりと軌道に乗っている。アホノミクスやそのお友達は、それを画策しているからしてやったりだが、その本質を見抜けない庶民は、谷底に向かって集団で転がり落ちている。やがて、ネーミングは何か他のものになるだろうが、現代の奴隷や小作に成り下がるだろう。そして小作同士がいがみ合い、高みの見物でありとあらゆる富を吸い上げるやつらだけが傷つくことも無く、人生を謳歌するようになる。不正か、都合の良い法律か知らないが、あの国もこの国も、狐でも兎でも鷹でも紅葉でも狩らなければならないだろう。
 生れ落ちてから、日の目も見れないなら、ぐれて当たり前だ。生活が苦しくて、同じように成長するのに手に出来るものが圧倒的に少なかったら、道をそれなきゃやっておれないだろう。表通りなんかまぶしくて悔しくて歩けるわけが無い。まるで生産性の無い時間を、拷問のような屈辱のなかでしか生きられないなら、弱きがより弱きを餌食にしても不思議ではない。アホノ何とやらにはうってつけの循環だ。何とでも使い、又捨てることが出来る階級の新たなる出現だ。まるで死にに行くようなところにだって疑問を持つことも無く出かけられる人間の製造だ。
 一部の持てる奴等が大部分の持てざる人間を生かさず殺さず。何時代じゃあ!


2015年04月26日(Sun)▲ページの先頭へ
和気清麻呂太鼓
和気清麻呂太鼓目当てで、 赤磐市旧熊山町の常念寺に行ったのだが、思いもかけぬ歓待を受けた。
 寺は小さな集落を過ぎてすぐの山の麓にあるのだが、大河ドラマでも有名になったらしく歴史を感じさせる独特の雰囲気だった。古さが重厚さを演出していて、深い山の借景が、いやむしろ寺のほうが深い山のアクセントに見えるくらいの存在感だった。
 寺に到着すると、係りの人が出迎えてくれ、名前を記帳した。そしてなにやらお土産物らしいものが入ったビニール袋を渡してくれた。境内では既にマジックが始まっていたが。奥のほうでお餅がつかれていた。出来上がりをトレイに入れて振舞ってくれたのだが、黄な粉と、餡と、これは初めて見たが大根おろしと酢しょうゆで食べる、3パターンで振舞ってくれた。そして、僕と一緒に訪ねた女性達がかの国の人だということが分かると、杵でお餅をつかしてくれ、機械で小さく丸めるのも体験させてくれた。なぜか知らないが警察官(恐らくあのうち溶けようからすると駐在所のおまわりさんだと思う)がお餅の係りで、日に焼けたおばさん達と一緒に彼女達を接待してくれた。おばさん達の物怖じしない態度に、僕が幼い頃預けられた母の里を思い出した。とても気風が似ているように思えたのだ。似ているといえば、進行や裏方を担っている人たちが、ほとんど初老、或いは本老?で、一様に日に焼け、冗談もよく飛ばし不器用ながら懸命に盛り上げていた。この人たちもまた、牛窓の漁師達と似ているように思えた。田舎の人間の、殺気のない風情がとても気持ちいい。同行したかの国の一人の女性が、前日あることで心を傷めていたのだが、帰りがけには心が楽になったといっていた。和気清麻呂太鼓の演奏もあったが、帰りにはクイズなどで楽しませてくれた一連の接待が彼女を救ってくれたのだと思う。ついでだが、そのクイズで彼女はとてもよい賞品が当たった。
 さて、初めて聴く機会に恵まれた和気清麻呂太鼓について書かなければならない。恐らく歴史ある和太鼓集団だから名前はしばしば耳にしていた。6人編成で、人口減少のあおりを受けているのだろうと推測できるが、おのおのがしっかりした技術を持っているから、6人と言う小編成の弱点をい感じることが無かった。もう少し人がいれば、そしてこの6人に並ぶくらい上達した人たちが加わればもっと迫力ある演奏も可能だろうが、今のままでも十分と言う印象を受けた。狭い寺の境内に。50人くらいが居ただろうか、そのおかげで僕たちはかぶりつきで聴くことができたのだが、強い日差しを受けての熱演で、汗が顔を滴るところまで見え、しんどそうな息遣いまで感じられ、演奏者に感謝の気持ちまで沸いてきた。1時間くらいに熱演だったが、強くてアップテンポの局が多くて、和太鼓好きにはたまらなかった。ちなみに今日初めて和太鼓を聴いたかの国の女性が、通訳を介して「言葉では言い表せないくらい感動した」と言ってくれた。
 演奏が終わってから、子供たちやかの国の女性達に太鼓を開放してくれて、体験させてくれた。彼女達の希望で清麻呂太鼓の全員と記念写真も撮らせてもらった。今日の常念寺での時間を覆っていたのは「親切」これに尽きる。


2015年04月25日(Sat)▲ページの先頭へ
実践
 大方の予想通り、アラン・ドロンをアホノミクスの住む家の屋上に降ろしたのは原発反対を訴えるためのものだった。小出先生の言うとおり、放射能のゴミは元の所有者に返すべきだというのを実践した形だ。ゴミは福島のものだから、何処ででも簡単に手に入る。と言うことは、何処ででも被爆しているってことだ。たった一つのアランドロンのせいで警察官をあれだけ動員したのなら、福島にはもっと動員して住民を守るべきではないか。そしてアランドロンを飛ばしたくらいで逮捕されるなら、放射能を撒き散らし莫大な利益を得ているやつらは極刑しかないだろう。庶民に厳しく、金持ちや肩書きを持っているやつらは罪も問わない、こんな現状にお墨付きを与えている庶民が情けない。変えようと思えば簡単に変えられるのに。自分が、何があっても守られない側に属することを知れば簡単だ。お人よしに付き合わされて、今までに手にしたもの全てを失わされてはたまらない。


2015年04月24日(Fri)▲ページの先頭へ
寛容
 こちらの話に耳を傾けているのかどうか分からない。自分が思ったことを、それこそ間をおきながら、それも異様に長い間をおきながら喋る。笑顔は全く出なかった。相談に来た割には熱意が感じられない。症状や不安を教えてくれれば処方を決めることが出来るのだけれど、のらりくらりと会話が成立しない。やる気が無いように見えるが、帰らない。結局は10日分漢方薬を持って帰った。後味の悪い時間だった。運よくこうした不快な応対はめったに僕には無い。牛窓人の人柄なのだろうか。ところが最近は、牛窓以外の人が半分以上になったから、気質が違う人が時に紛れ込む。想像もしないような人物が時に来る。慣れていない分、気分がどんよりと落ち込む。
 もう2度と会わないだろうと思ったのに、再びやって来た。漢方薬が効果を発揮したらしい。前回と同じ内容のものを取りに来たのだけれど、前回同様、焦点は絞れない。ところがある言葉を漏らしたのを聞いて、それで彼の態度の由来が全て理解できた。苦しみを背負い、懸命に生きているのだ。自分に降り注いだ苦しみではなく、一番大切な人に降りかかった不幸で彼は苦しんでいるのだ。だからたとえ薬局に来ても、完全な精神状態で完璧な意思疎通が出来るはずがない。心はその大切な人のところにいつも預けていたのだ。片時も開放されること無く。
 最初に会ったときに、まるで馬鹿にされているのかと思って不快感を感じた。若いときほど鋭い感情ではないが、それでも不愉快だった。その態度の原因らしきものが分かって、恥ずかしかった。少しでも取り乱したことを恥じた。医者ほどではないが、薬剤師もかなりの寛容さが要求される。まだまだそれが足りないことを教えてくれた事例だった。わが心とわが体を何処まで差し出せるか、常に問われている。


2015年04月23日(Thu)▲ページの先頭へ
宿命
 いったい何の涙だったのだろう。一瞬の変化だったからびっくりした。懸命に顔をゆがませて我慢していたが、あふれる涙を隠すことが出来ずに、持っていたハンカチでぬぐった。思うように体が動かないことに対する歯がゆさか。本当は優しいのに、突き放すような言葉遣いをする奥さんのせいか、はたまた薬を出していいのか迷っている僕のせいだったのか。
 奥さんの許可を得て「漢方薬を作ります」と言ったときには、とても嬉しそうな顔に変わった。と言うことは許可が出ないのか不安だったのだろうか。それとも僕が奥さんの許可を求めたのがプライドを傷つけたのか。体調不良を抱えて長生きは辛いだろう。死ぬことが救いだとは思えないが、それでも日常に楽しみが無ければ、生きることが苦痛になる。
 善良がにじみ出るような方の涙だから、僕自身もとても辛かった。あの世代の人がそんなに遠からずやってくる最期の時を想像して気弱になっているのだろうか。人類が始まってから、無数の先人が、宿命を冷静に受け入れて、その時を待ったのだろうか。いやいや、この世でたった一つの宿命と呼べるものの前で、たじろがない人はいないだろう。
 お医者さんほどではないが、薬局でもこんな辛い光景に遭遇することがある。


2015年04月22日(Wed)▲ページの先頭へ
濃度
 今は亡き、ある漢方問屋のセールスからの助言を守り続けていて良かったとつくづく思った。その助言に素直に耳を貸していなければ、今頃僕はこうして漢方薬の仕事が出来てはいない。
 今僕が事務方のお世話をさせていただいている漢方の研究会に入会させてもらったときに、既に勉強をしていたそのセールスが、〇〇〇の製品を使うなら入れてあげないといった。理由は、せっかく先生から素晴らしい処方を教えていただいても、〇〇〇の漢方薬を患者さんに飲ませたら効かない可能性があるから、絶対使わないことを約束してくれと言われた。勿論僕は、勉強したいから約束は律儀に守ったし、田舎の顔が分かる患者さんに飲ませるのだから、効果があるのは必須条件だった。それ以来、僕は主に〇〇の漢方薬を使い続けている。ただ世の中は相変わらず9割くらいの割合で〇〇〇の漢方薬が使われている。
 数日前、台湾に漢方薬の材料につい交渉に出かけた人が昨日やってきて、色々な土産話しを聞くことができた。
その中で特に印象深かったのが、やはり僕が拘って使ってきた台湾の会社の漢方薬の質の良さだ。まず濃度が濃い。そしていらぬものが入っていない。マイナス面はその分吸湿性に優れ、湿気やすいということだが、効果が無ければ何の意味も無いから、やはり僕は管理しづらいが良く効く〇〇の漢方薬を使う。
 台湾は日本よりずいぶんと漢方薬に関しては進んでいて、例えば、エキス剤を作るときの濃度を如何に上げるかの研究に余念がない。現在台湾で最も抽出率が高い〇〇の製品で、1日あたりの煎じ薬から作られるエキスの量は1.6gらしい。と言うことは日本のものはそれより少ないということだ。日本の有名メーカーのデータも分析していて、その数値は恥ずかしくなるようなものだ。日本の超有名な会社の漢方薬の1日量は7.5gだから、如何に添加物だらけかってことが分かる。80%は薬ではないってことだ。その上、日本の病院で使う漢方薬の値段は、成分だけの量ではなく、添加物の量も含めて計算してくれるらしいから、途方も無く儲ける。役所も企業には甘いものだ。
 同じ薬を出しても効果が在るのと無いのとの違いが数字ではっきりと理解できた。若くして亡くなった先輩達の助言に感謝だ。


2015年04月21日(Tue)▲ページの先頭へ
子猫
 猫とは縁がなかったので、いやごみ漁りの被害者としての縁はあるが、それは話しても分からない相手だから諦めて工夫でしのいでいるが、今の時代にこのようなことが行われているとは想像もしなかった。役所に言えば処分してくれるのかどうか分からないが、その筋と接点がないのでまるっきり分からない。
 煎じ薬を作っている間、妻とその方の会話が聞こえてきた。猫を5匹飼っているらしい。と言うより野良猫に餌を与えているらしい。餌の種類や金額で盛り上がっていたが、子猫の処分についての話題が出るや否や妻のテンションが一気に下がった。
 幼い頃何度も目にした光景が今だ見えぬところで行われていたのだ。幼心にやはりかなり強烈な印象を与えられたのだろう、今でも子猫達の表情まで思い出すことが出来る。海岸沿いに集落があるから、子猫の処分もやはり海だった。ネズミ捕りの中に入れられた子猫が数匹、海中に沈められるのだ。そしていくらかの時間がたった後引き上げられる。勿論毛が濡れて余計に小さくなった子猫たちが網の中に横たわっている。海中から小さな泡が上がってこなくなるのを大人達は目安にしていたようだ。今思い出すと哀れで仕方ないが、当時その哀れと言う感情の記憶は無い。海辺の町でのありふれた光景のように見ていたと思う。
 その男性は似たような行為を営々と続けているらしい。不妊手術をしていない野良猫だから、生み放題だ。不妊手術が1匹2万円だから10万円を倹約しているらしい。「野良猫だからあほらしいが!」と言うのを責めることは出来ない。その彼が、最近いつものように海に捨てに行ったらしい。最近は海岸に捨てるらしいが、翌日どうなったか見に行ったところ、道路を挟んだ山の中で泣いていたらしいのだ。よく生き延びたものだと突然情が移って、家につれて帰ったらしい。一匹増えることは仕方ないが、命を救いたくなったのだろう。「かわいいから殺せないでしょう」と言う妻の本心は「殺さないで」に尽きるのだが立場上口にはできない。
 50年も経てば色々なことが変化し、人の心も優しくなっているはずだが、そうではないらしい。すさんだ事件が報じられる頻度は増したような気もする。幼い猫を窒息させて殺すことはさすがにしなくなったのだろうが、窒息しそうな社会に甘んじている子猫のような人間が増えているような気がする。


2015年04月20日(Mon)▲ページの先頭へ
潔癖症
 どれだけ辛かろうと思う。その苦しみを誰かに打ち明けているのだろうか。それとも1人で戦っているのか。ただ敵はあまりにも強くて、一人でかかっていっても返り討ちに逢うだけだ。もう袋小路だ。脱出するチャンスはあまり無い。誰かに悲鳴を上げて助けを求めるべきだ。それしか脱出の方法は無い。
 自分に触れるものの全てが汚いのだから、逃げ場は無い。多くの具体的な行動を代理の方が教えてくれたが想像を絶する。テレビのリモコン操作も、本のページ捲りも全て割り箸で行うのだからよほど器用でないと潔癖症にはなれない。その他のことは押して測るべきだ。
 原因に思い当たることは無いと家族は言うが、原因が無くてこんなに追い詰められるはずが無い。時間をかけて話し合ってみると原因はかなり浮かび上がってきた。後は家族の対処の仕方だが、これを理解してもらうのに時間がかかった。ただ良く理解してもらえたので2週間後に早速効果が出た。漢方薬が効いたのか、家族の対処の仕方が効いたのかわからないが、入浴時間が1時間減ったらしい。具体的な成果で嬉しいが、本人の苦痛から言えばまだまだ序の口だ。
 生きづらくてもだえ苦しんでいる人が多い。最早どなたの周りにも居るのではないか。職業的に僕が接する確率が高いのはあるかもしれないが、恐らくそうした人を知らない人のほうが今は少数派に属すると思う。見えないものや測れないものに価値を置かなくなってから、人間性は喪失し、人々の心が傷ついてきた。傷つけられた人が居場所をなくし、傷つけたやつらは大手を振って歩く。こんな理不尽がありとあらゆる分野で増殖している。人は何かを犠牲にして命を守る。潔癖症も例外ではない。


2015年04月19日(Sun)▲ページの先頭へ
空元気
 母は目を開けていて、手を振る僕を見つけて笑顔で迎えてくれた。前回の小一時間に及ぶ瞼を閉じた状態は何だったのだろう。後で皆で想像したように、単にまどろんでいただけだったのだろうか。何はともあれ回復?していたことにまず安堵した。と言うより今日はかなり調子がよくて、雨が上がったのをチャンスとばかりに外に連れ出すと、すぐさま寒いと言ったし、すれ違う人全員に挨拶もした。ただ昼の1時ごろだったのに「こんばんわ」を多用したのは残念だが、それでも笑顔を振りまいていたのは傍に居て嬉しい。又これは毎回不思議なのだが、看板や案内板の漢字を見つけるとすぐに口に出して読む。そしてそれがかなり難解なものでも間違えなく読む。言葉を正確に文章に組み立てるのが困難なのに、漢字はパーフェクトだ。昔の人は特に漢字には強いが、その部分が全く衰えていないことが不思議だ。
 今日は僕もゆっくりと母の傍に居るべく小道具を持参していた。しばしばフェリーや新幹線で使う手だが、日ごろたまっている薬の情報誌を持っていってて、1ページでも多く読もうと計画していた。案の定、母も調子が良くグランドの散歩が嬉しそうだし、子供たちの野球の練習もなかったので、二人だけで広いグランドを独占した。雨にぬれた山々の緑は濃く、鳥の声くらいしか音はせず、眼下に母が幼少の頃を過ごした村が横たわる。
 息子が母を近くの特別養護老人フォームに入れる算段をしようかと最近提案してくれたが、正直迷っている。車で10分くらいのところだから、家にしばしば連れて帰ってあげることが出来るが、今居る施設に比べたら環境が圧倒的に劣る。現在のところは田舎にある施設でスタッフもとても親切にしてくれたから、その人たちと縁を切るのも心苦しい。本人の意向と言うものが無い状態で物事を判断しなければならないのはとても難しい。想像力も経験に裏打ちされなかったら危なっかしい。戦争体験の無い政治屋どもの空元気が危なっかしいのも同じ理由だろう。


2015年04月18日(Sat)▲ページの先頭へ
距離感
「お父さん、お母さん、こんばんは。〇〇です。覚えていますか?久しぶりです。お元気でか?今は薬局の仕事が忙しいですか?私はそろそろ帰国する時間になります。明日は十時半に出発します。日本での三年間で、皆が優しくしていただいて、本当に良かったです。お父さん達のお陰で、私達は新しい場所の生活に早く慣れ、安心で過ごすことが出来ました。いつまでも皆に優しくして下さい。^ - ^ 。今までお世話になっており、ありがとうございました。お父さん、お母さんのご健康とご多幸をお祈りいたします。では、失礼致しました。〇〇より。」
 奈良県の大学に留学していた女性が帰っていく。この距離だから、県内のかの国の青年達とは違い、適度な距離感があった。だからこうしたメールが来ても寂しくて涙を流すこともない。むしろ、こんなに上手く日本語で文章を書く事が出来るようになったのかと、そちらのほうが嬉しい。特にこの女性は、多くの留学生と同じように「留学生と言う名の働き手」として稼ぐためにやって来た人だ。それが学校で授業を受けるに従って、日本語の魅力に取り付かれ、勉強を懸命にした女性だ。グループで泊まりに来たり、僕が訪ねたりして数回会っただけだが、信念めいたものを持っていて、時折鋭い眼光に急変する。特にベトナム戦争の話をすると質問攻めにあった。自分のおじいさんが実際にアメリカと戦ったみたいだから、日本人の評価をとても気にしていた。僕ら世代はリアルタイムでベトナム戦争を見ていたから当たり前なのだが、ベトナム戦争について詳しいことに驚いていた。彼女にとってそうした日本人が珍しく、興味深かったのだろう。
 「いつまでも皆に優しくしてください」は、いつまでも皆に優しくされているからできる。彼女もそうだった。覚えたての日本語で精一杯ジョークを言い懸命に場を盛り上げていた。会うたびに「美人の〇〇です」とおどけていたが、懸命に異国で学ぼうとしている姿は、本当に美しい姿だった。
 たった数時間で暮らす国が違う。僕らの時代ではありえない暮らし方で、自分自身も他者も幸せにして欲しい。


2015年04月17日(Fri)▲ページの先頭へ
日の目
 急に息子が漢方薬に興味を持ち始めた。長い間こうなることを望んでいたが、必要がなかったと見えてずっと無関心だったから僕自身は諦めていた。仕方ないから、勉強に来ている薬剤師になんとなく教えていたが、やはり他人と家族では教える僕の熱意が違う。より精度の高い知識を与えようと自然に力が入る。
 昨日初めて、ある患者さんに処方したみたいで、調剤の依頼がFAXで入ってきた。簡単にどのような症状の患者さんか説明書きも添付されていたから、おおむね賛成できる処方で安心した。その夜食事をしながら、その患者さんについてのより詳しい情報をもらい、漢方的なアプローチの助言をした。高齢の方で、本人は勿論、家族も治療する側も諦め加減だったのだが、息子が何とかしようと行動したことがとても嬉しかったみたいで「よい先生に巡り合わせていただきました」とお礼を言われた。この3年間、もっぱら若い患者さんの世話が多かった息子が、急に老人ばかりの地域に転勤して、今までの武器が通用しないことを悟っての変身なのだろうが、それを享受していただける人たちの評価を聞かせてもらって、30年僕がせっせと集めた知識が無駄にならないと確信を持った。
 と言うのは、法的な制限があって、医者でないとできない処方、薬局でないと出来ない組み合わせなどがあり、歯がゆい思いをしていた。僕の先生の先生は、有名なお医者さんで、医者だから出来る処方を使われ、僕の先生は有名な薬剤師だから、薬局だからこそ使える処方を教えてくださった。だから知識は二つあっても、片一方は使えなかったのだ。封印して、いつか日の目を見るかもしれないと淡い期待を抱いていたが、やっと集め続けたお医者さんならでの処方も患者さんに役に立つことが出来るようになった。
 どのくらいの時間をかければ息子が、納得のいく処方を組み立てれるようになるのか分からないが、ふと僕の隠退が見えた。今まで決してそんなことは頭に浮かばなかったが、昨日ははっきり見えた。そしてそれもまたいいのではと肯定する自分が居た。


2015年04月16日(Thu)▲ページの先頭へ
自立
 なんとなく見覚えがある。もうずいぶん長い間店頭にはやってきていないが、確かに見覚えがある。牛窓に帰ってきた当時は、全く役に立たなかったから配達要員だったが、その頃の記憶だろうか。それとも少しは役に立てれるようになって、相談に応じるようになった頃の記憶だろうか。よくはわからなかったが、処方箋を受け取りながら名前を確認した。名前も記憶にある。だがそれが何年前の記憶かは思い出せなかった。
 薬の説明を始めると聞き取りにくそうだった。そこで得意の大声を出したが、それでも聞こえなかった。薬の説明が出来なければトラブルを未然に防ぐことが出来ないので、筆談にした。それもマジックを使い大きな字ではっきりと書いた。すると老人は納得したようで、お礼を言った。そして「すいませんなあ、100歳じゃから、耳が全然聞こえんのです」と言った。
 「100歳?すごいではないですか!元気ですね。歩いてこられたの!」とやたら感激したが、僕の言葉は一切聞こえていないようだった。一人で買い物に来て、それなりに目的は完遂し、又歩いて帰っていく。どうしても母を基準に見てしまうので、その自立振りに驚き、ほとんど生身の作品のように感動してしまう。母より6歳年上で、母より劣っているのは聴力だけと見た。何十年前の面影を僕は今の表情に見つけたのだが、生命力の保証なしにそれは難しいと思う。僕が見たのはまだまだ人生を保証されているような人の表情だった。


2015年04月15日(Wed)▲ページの先頭へ
学歴
〇〇さんへ
 僕が知らなかっただけで、あなたは僕のブログを読んでいてくれたのですね。さすがは日本語を勉強していた人だけありますね。今朝目覚めて、あなたの行動を全てを説明できる言葉を思いついたのです。帰国にあたって、仕事が出来ないと卑下していたあなたを、僕が学生時代にしでかしたエピソードを引用して気にしないでと言いましたが、正に今朝思いついた言葉をあなたに伝えるべきだと思ったので、あなたがこの文章も読んでくれると期待して、その一言を伝えます。この言葉を届けることが出来たら、僕は後ろ髪をひかれることなく、多くの患者さんのお役に立てるよう頑張れるし、あなたも日本で体験した負の経験を笑って語れるものに昇華できると思います。
(エピソード・・・大学時代、僕は野球部に所属していた。部費集めのために夏休みグリコのアイスクリーム工場へ部員全員が深夜アルバイトに行かされた。大音量の音楽で眠れないようにされながら、洪水のようにアイスクリームが流れてきて、それを箱詰めにする仕事だった。いやでいやでたまらなかったが、仕方ないと諦めて、機械になった。体温が36度の機械だ。朝までの間に一度だけ休憩がある。15分くらいだったと思う。数日何とかもったが、ある日その15分の間横になったら、全員が眠り込んでしまった。そしてその朝、工場の人が起こしに来て、日本酒の1升ビンをくれ「もう来てくれなくていいです」と言われた。立ったまま電車で暴睡したのはその時だ)
 あなたが今回、退散したのは、あの時の僕たちと同じなのだ。僕は学生時代決して勉強などはしなかったが、それでも薬大生だったのだ。それも当時は競争率が20数倍の難関校だったのでそれなりのプライドと言うものを持っていたのかもしれない。だから、アイスクリームの箱詰めは合っていなかったのだ。もともと薬剤師が血沸き肉踊らせる仕事ではなかったのだ。だからモチベーションなどと言うものは全くなく、地獄の、まるで拷問のような時間だったのだ。
 あなたも同じだったのです。あなたの国で大学の経済学部を卒業し、その上専門学校で日本語を習得したのですから、あなたが工場で他の人に混ざって、単純な手作業をすることに耐えられなかったのは当たり前です。そのことを悔やむ必要は全くありません。あなたが単に通訳としてだけ会社で存在できたなら、こんなに心も体も傷めはしなかったでしょう。工場の方針とすれ違っただけなのです。だからこの1年を悔やんだりしないで。あまり好きな言葉ではありませんが、あなたを救いたいがためだけに書きますね。あなたを苦しめたのはあなたの能力や忍耐不足ではありません。「学歴」が邪魔をしたのです。ぜひこのことにあなたも気がついて、母国で再起してください。そして僕はいつでもあなたをこの国に招いて、あなたを娘と同じ愛情で包みたいと思います。ぜひ次回は自由に、建設的に僕の住む町で学び働いてください。連絡を待っていますよ。
 僕も妻も、昨夜、涙のあなたを抱きしめたことを忘れませんよ。日本にいればあなたは僕たちの娘です。大切な大切な娘です。本当はあなたが苦しくて仕方なかったときに、僕達の胸に飛び込んできて欲しかった。いつか再会の喜びで抱き合えることを願っています。
                                           日本の お父さん


2015年04月14日(Tue)▲ページの先頭へ
手紙
〇〇さんへ

 この手紙を読んでくれるのは、関空に向かうバスの中でしょうか、それとも飛行機の中でしょうか。
 あなたを含めた数人と初めて会った日は、まだ寒い時期の、小雨が降る岡山城でした。あなたは興味深そうに、明らかに他の女性達とは違った視点で、城を見学しました。そしてその時に僕に言った言葉を、その後のあなたとの接し方の基本においてきました。「日本の文化についてもっと知りたい」は、あなたのように日本語を操れる人たち、国に居たときに日本語を勉強した人たちに共通した希望です。僕は多くのあなたと同じ国の人に接してきましたが、日本の経済的な豊かさだけを、実際にはそれを支えに来てくれるのですが、表面的に見て帰っていただくのには抵抗がありました。だから、僕の紹介できる範囲のこの国の文化に触れていただこうと苦心しました。ただあなたは体調を早い時期に崩し、僕の企画に参加できる機会が極端に少なかったです。そのことだけが今日送り出すあなたに対しての心残りなのです。
 あなたはこの国で働いて、不本意な帰国を余儀なくされました。ただ、そのことで今の体調不良からあなたが解放されることを僕は知りました。だからあなたを見送ることが辛くはないのです。あなたと一緒の日々を送ることができただろう後2年が、果たしてあなたにとってどれだけの意味を持つかは誰にも分かりません。国に帰り、家族と再び平和のうちに暮らすことが出来ればそれに勝るものはないでしょう。
 国に帰ってからの健康や仕事の不安をあなたは最近なって教えてくれましたが、それらは何処で暮らしていても常に付きまとうもので、何処で暮らしても乗り越えていかなければならないものです。ただ、体や心を壊してまで頑張るものなどこの世にはありません。悲鳴を上げることは恥でも何でもありません。身は自分で守らなければならないのです。僕は遠くこの国に居て、あなたの悲鳴が聞こえるように耳を澄ましておきます。ぜひ1人で頑張ったりしないでね。
 いつか又会えます。世界情勢がどんどん変わって、あなた方もいつか自由にこの国に来ることができるようになるでしょうし、僕もいつかは仕事をやめて自由な時間をもてるでしょう。
 最後にクリスチャンのあなたに贈ります。あなたの国の言葉で既に知っているかもしれませんが、あなたはこれからも僕にとって大切な人ですから。
                                          日本のお父さんより



貧困と飢えのうちに生きて死ぬ世界中の仲間のために、主よ、仕えることのできる人にならせてください

私たちの手を通して、今日この人々に日々のパンを与えてください。

私たちの理解を通して愛を、平和と喜びを与えてください

主よ、あなたの平和を人々にもたらす道具として私をお使いください

憎しみのあるところには愛を

不当な扱いのあるところには許しを

分裂のあるところには一致を

疑惑のあるところには信仰を

誤っているところには真理を

絶望のあるところには希望を

暗闇には光を

悲しみのあるところには喜びをもっていくことができますように

慰められることを求めるよりは慰めることを

理解されるよりは理解することを

愛されることよりは愛することを

求める心をお与えください

わたしたちは自分を忘れ去ることによって自分を見出し

許すことによって許され

死ぬことによって永遠の命をいただくのですから


2015年04月13日(Mon)▲ページの先頭へ
共有
 国道の交通事故のせいで、旧街道みたいなところに迂回路として警察官に誘導されたのだから、その道は先ほどまでの渋滞に輪をかけたくらい渋滞した。当たり前の話で、ほとんど笑い話だ。あまりの道の狭さにUターンすら出来ずに、1人旅だったことに感謝した。僕一人なら誰に迷惑もかけないから、諦めればすむことだ。
 乗用車がすれ違うのがやっとの道幅で、岡山方面に向かう側は、人が歩くのより遅かった先ほどよりまだ遅くなって、猫が歩くくらいのスピードに落ちた。そんな中で出会った光景を紹介する。
 突然僕の前を走っていた車の影からカラスが出てきて、歩いて道路を渡り始めた。頭の良いカラスだから今何が起こっているのか分かっている風で、ゆっくりとした歩みだった。渡っている途中に、前方から車がやって来た。恐らく地元の人だろう。津山方面は渋滞はなかったから、この道を通る必要はない。それが証拠にこの迂回路の反対側は。時折しか車には出会わなかった。車が十分近づいたのにカラスは飛ぼうとしない。頭が良くて、ぎりぎりまで判断を延ばしているのだろうと思ったが、至近距離になっても飛ばない。そこで対向車はブレーキをかけクラクションを鳴らした。それでもカラスはスピードを上げることなく、運転手のおかげで山際のコンクリートの壁の下にたどり着いた。コンクリートは高さが3メートルくらいはあるだろうか、その上は急な山に続いている。本来ならその辺りまで飛び上がればいいのだが、なぜかカラスは見上げたあと、おもむろにコンクリート壁に沿って歩き始めた。不思議な行動にカラスを良く見てみると、なんとなく左右が違って見えた。片一方の羽の部分が短い。左右が同じように見えなかった。きっと傷ついているのだ。それで今しがたの光景の全て説明がつく。
 ツバメの巣を襲われるようになってから、カラスに対しての印象は悪化の一途だった。ところが、目の前に展開された寸劇には正直心を打たれた。恐らく初めてカラスに対して優しくなれた瞬間だ。傷ついているであろうカラスが哀れに思えた。飛べない鳥のなんて哀れなこと。その生き物の持っている一番の特徴を失ったときの哀れに心が痛む。翻って人間に当てはめても同じ哀しさを感じる。失ってはいけないものを不本意ながら失っている人たちの苦痛を共有し、幸あれと陰ながら祈らずにはおられない。


2015年04月12日(Sun)▲ページの先頭へ
渋滞
 津山にある作楽神社で行われた祭りの和太鼓のイベントを聴きに行くために、片道2時間半を往復した。色々あって、結局は1人で聴きに行ったのだが、それはかの国の人たちに日本の文化を紹介するチャンスを1回失ったってことでもある。往復5時間は、結構疲れた。この数年、言葉は通じなくても、かしましい話し声の中で運転をしているから、眠気を催すこともなかったが、今日は久しぶりに睡魔に襲われて、敢えて途中で休憩を取った。
 チャンスを失ったのは残念だったが、でも結局それは良かった。と言うのは帰り道、ふと気がつけば渋滞に巻き込まれていた。国道53号線は、岡山市と県北を結ぶ幹線道路だが、なにぶん何処の県でも同じだろうが、南北に走る道路は基本的には空いている。だから53号線で渋滞などとは考えもしない。だから最初に車が止まったときは信号待ちかと思った。その状態が結構続いたものだから、渋滞だと分かったが、それでも南北道路だからすぐに解消すると高をくくっていた。ところが、歩くのより遅いスピードをかなりの時間強いられた。挙句の果ては、警察官がある信号のところで車両を本来の道路とは別の方向に誘導した。わけもわからず指示に従ったが、幹線道路から逸れるときに前方から救急車が猛スピードで走ってきたから、自動車事故があったせいで渋滞を起こしているのだと分かったが、さて迂回道路が又渋滞で、運転していても気分が悪くなりそうだった。
 それはそうだろう、誘導された道は、それこそ貴重な体験にもなったのだが、まるで牛窓みたいな港町に海岸沿いに延びる細いものだった。片側は山で、反対側は昔ながら商店が連なっていた。車がすれ違うのがやっとの道で、途中に津山線の駅もあったから、嘗ての町の中心部だったのだろう。今はその面影はなく、山の陰でひっそりと息を潜めている。瀬戸内の港町と、山間の町が嘗て同じ顔をしていたことが興味深かった。
 本来の時間を30分は悠に越えて我が家にたどり着いた。車に弱い人が多いかの国の女性達を連れていたら、余分の苦痛を与えていたに違いない。諸般の事情で同行できなかったことが幸いした。


2015年04月11日(Sat)▲ページの先頭へ
昭和
 なんとなく物足りない。牛窓に帰ってきてから40年近く、毎日店頭で反射的に続けてきたことだから、それがないのは、合唱のない第九みたいなものだ。
 エスエス製薬と言うところが提供してくれていたのだが、サービススタンプとでも言うのだろうか、兎のマークのスタンプを100円買い上げごとに1つ押していく。それが50個で台紙が1枚埋まる。そしてそれは金券代わりにもなるが、冊数によって結構魅力的な景品に変わる。
 レジを打った後必ずその作業をする。もっとも、それがいらないと言う一見さんも多いが、地元の人が多かったから皆さん結構楽しみに集めてくれた。それがこの4月から廃止された。恐らく外資に吸収されたエスエス製薬が、新しい経営者に経費削減を強いられたのだろう。そこで生産性のない分野の筆頭として、ピョンチャン会を廃止したのだろう。なんとなく数年前に外資に吸収されたときに、今回のようなことは予想していたが、実際になくされると無慈悲に思える。と言うのはそもそも薬局なんてのは、明るい職場ではない。やってくるのは病気の人ばかりだし、こちらも病気っぽいし。そんな中で唯一ピョンチャンシールを集めるのは「楽しいこと」だったのだ。薬の相談や選択が済み、会計が済んでほっとしてから、病気とは関係ない楽しい時間に入る。ほんの1分くらいの作業だが、一気に解放されて皆さんが楽しい顔に戻るときだ。シャチハタの判子を手馴れたスピードで押すのも楽しかった。
 ヤマト薬局もようやく昭和を卒業して、カードになった。恐怖の早押しの姿はなく、機会にカードを通すだけですむ。一つの風情が又薬局から消えた。昭和が又一つ消えた。残った昭和は、このやつれた僕だけだ。


2015年04月10日(Fri)▲ページの先頭へ
副作用
 病気が病気だから、あえてこちらからは勧めないが、声をかけてくれていたらもう少し長生き、いや少なくとも、もう少し質の良い晩年を送っていただけていたかもしれない。
 折角お母さんの漢方薬を2週間毎に取りに来ていたのに、そしてそれが生き返ったと評価してくれるくらい効いていたのに、どうして若いその方の相談をしてくれなかったのだろうかと残念だ。若いから病状の進行も早いかもしれないが、それだからこそ用いられる薬も結構強くて、副作用でかなり辛かっただろう。
 その病気が見つかったときはもう手遅れだったといっていたが、その場面では逆に漢方薬しかないだろう。ただ、その選択肢に気がつかなかったのは、僕の広報不足だ。勿論、あの病気を薬局が標榜することは、薬事法違反だから、向こうから気がついてくれるようにしなければならない。老いた母親があれだけ元気になったのだから、漢方薬を利用することに気がついてくれると思っていたが、それは思い過ごしだった。
 難しい、本当に難しい。政治献金のなせる業だろうが、これからは健康食品だって治療効果的なものが歌えるらしい。健康食品と言う名の添加物の塊が何にいいのかさっぱり分からないが、政治屋の懐だけには効くのだろう。プロが出来ることを制限され、素人が好き放題。まさに政治屋による副作用だ。


2015年04月09日(Thu)▲ページの先頭へ
 「3日で効果を出せなかったら怒鳴り込まれる。日本のお客さんは優しい」とは、中医(中国の漢方医)の先生の言葉らしい。ある漢方の製薬会社の社員が昔講義を聴いていた時に言われた感想らしい。さすがに3日は極端かもしれないが、僕は出来れば1週間、せめて2週間で効果を感じてもらえるように頑張ってきた。これは優しいお客さんのためではあるが、一番は僕自身のためだ。そのくらいで効果を出さなければこちらの精神が持たない。勿論医療だから確率の問題で、全く効かない事も往々にしてあるが、それでも10人相談に来てくれたら、7人は効かせたい。この確率もまた僕自身のためだ。僕自身が気を病まずに仕事が出来る最低ラインに決めている。
 漢方薬の荷物を毎日姪が開けてくれるが、そしてそれぞれケースに移してくれるが、彼女が最近時々僕にそれを見せて「質が落ちてきましたね、見て、私でも分かる」と言う。本当にそうなのだ。値段が上がって、質が落ちていっている。自生しているものなど今はほとんどなく、栽培品だらけだが、それでも劣化している。それを承知で先の数字を達成しようと言うのだから、ハードルが次第に高くなる。それを乗り切る手段は、そんなにはない。量を増やして使うか、知識を磨いて切れ味を磨くかだ。前者は値上げに通じるし、後者は才能不足に阻まれる。ドラッグストアやアメリカなどが、効かせる事も出来ないのに湯水のように漢方薬を使い始めて、品薄に輪をかけている。大量生産に大量消費ならまだ何とかなるが、自然にゆだねるしかないものを少量生産で大量消費など出来るわけがない。法律には載っていないけれど、これは何の罪?


2015年04月08日(Wed)▲ページの先頭へ
評価
 自信を持って否定できることがある。僕に対する評価で「優しい」と言う言葉を使われることに対してだ。全く適していないことは僕の心の中を覗けば簡単に分かる。いやいや心の中を覗いたりしなくても、優しい人を見抜く簡単な方法はある。顔の表情だ。本当に優しい人は、見るからに優しい表情をしていて、笑顔が絶えない。僕など平生は厳しい顔をしているし、紛らわしいが笑顔ではなく笑いが絶えないだけだ。人の心と体を弛緩させるのに笑いが効果的なことを体験的に知っているから、応用しているだけで、笑顔が絶えない人間ではない。笑顔と笑いは似て非なるものだ。
 人が僕にそのような評価を間違ってしてくれる大きな理由は、僕の職業によるのだと思う。僕だけでなく、他の薬剤師は勿論、お医者さんなどその際たる者だけれど、体調不良を抱えている人の問題を解決する方法を懸命に探る習性がそのように映るのだと思う。優しいのではない、反射的に問題を解決しようと身構えるのだ。単なる癖といっていい。僕など既に40年近くその作業を休むことなく続けてきたのだから、反射にも磨きがかかっているのだろう。だから照れくさいような、いや後ろめたいような評価を頂くのだ。
 特にかの国の青年達から言われる頻度が高いが、かの国の人たちが、体調だけでなく異国で暮らすハンディーや不便や不都合を口にしたとたん、スタートする僕のおせっかいが、そう言わしめているのだろう。
 そんな僕に適しているのは「やさしい」ではなく「やましい」だ。


2015年04月07日(Tue)▲ページの先頭へ
異物
 さすがセブンイレブン、たいしたものだ。そこまで管理できるのかと、セブンイレブンと言うより、そう言ったソフトを開発する人たちに驚く。
 セブンイレブンで働いている女性に教えてもらった情報だが、賞味期限が近づいて、もうお客さんの手元に渡ってはいけない弁当などは、レジでピピーとやっても、通らないそうなのだ。それも、お客さんがすぐに食べなかった場合のことも想定されているらしい。だから、危ない状態でお客さんの手に渡ることはまずないらしいのだ。人間のすることだから必ずエラーはあるが、レジを通らなければその時点でエラーは防ぐことが出来る。売ろうにも売れないのだから、これに勝る防御はない。細心の注意は最早、心と言う字が表すような人の営みではなく、コンピューターの中に存在するのだ。
 今流行の異物混入はさすがに100%防ぐことは出来ないみたいだが、僕などは余り気にならないタイプだと思う。子供のときは畳に落ちたご飯は拾って食べるように厳しく言われて育ったから、異物どころではない。長じて今は、戦後の長く続いた平和の中に混入したアホの何とかと言う異物に辟易としているから、食べ物の中の招かれざる客くらいなんともない。


2015年04月06日(Mon)▲ページの先頭へ
「オトウサン コンド ユックリキタイ」とかの国の2人の女性が言ってくれたのが3週間前だ。毎週僕は1人で訪ねてはいるが、30分くらい母の車椅子を押すのが精一杯だ。その時もいつものペースで帰ろうとしたのを見ての2人の反応だ。
 「今度来るときはゆっくりできるようにする」と軽く請け負ったのだが、果たしてどのくらい居たいのか確認してみると「2時間以上」とはっきりと要望された。2人のうちの1人は、来週不本意な帰国を余儀なくされた女性、もう1人は幼い子供を残して働きに来ている女性だ。前回母を挟むようにしてずっと話しかけてくれた2人だ。
 母を訪ねるおよその日程を考えているところに、僕をしたって再来日した2人と、最近知り合ったA工場の通訳の1人が偶然、「オバアチャンニ アイタイ」と連絡してくれた。
 何故痴呆の「オバアチャン」がそんなに人気なのか僕には分からないが、一緒に行ってくれるだけで、見舞いの質が数段上がる。数分に一言、義理チョコみたいな僕の会話では、母の萎縮した脳を覚醒することは出来ない。
 運よく雨が上がっていたので、車椅子のまま施設から連れ出して、広いグランドに植えられている桜の木の下に陣取った。ただ母はずっと目を閉じていて、呼びかけにニコニコしながら頷くだけだ。そうした母の姿に最初は驚いていたようだが、その後果敢に母を覚醒させようとそれぞれが知恵を絞って、例えば、足を揉んだり手をさすったり肩を揉んだり、挙句は母の閉じた瞼に口付けをしたりして、堅い瞼を開こうとした。その間絶え間なく優しく、時にユーモアを交えて母に語りかけてくれた。母はニコニコしたり、声を出して笑ったりするが決して目を開けなかった。
 そうした攻防が1時間くらい続いただろうか、偶然僕だけが母の正面に居たときに突然目を開けた。「あっ、開いた」とまるで何かの吉報を手にしたときのような驚きの声をあげた。まるで開かずの扉が開いたような衝動だった。折角沢山の若者が母に会いに来てくれているのに、そしてその中の初対面の女性は「カオガミタイ」と言うくらいだから、目をあけた顔を見せてあげればと僕も思っていたので、「間に合ってよかった」
 そのうちグランドの奥にある小さな遊園地に場所を移して、母を楽しませてくれた。そして圧巻だったのは、なんと母を車椅子から降ろし、一人が前に回り手を引きながら、両脇と後方を3人が支えながら歩行訓練をしてくれたのだ。5人のうちの2人が介護のバイトを始めていたので、理にかなった介助をしてくれて安心して見ていれた。
 結局2時間では時間が足りなかった。彼女達の持つ本来的な愛情は、ほとばしるようにあふれる言葉や態度で現れ、時間などではとても評価できない。微塵の修飾もない彼女達の態度に驚き、ただただ感謝あるのみだ。僕の家族が100年費やしても注ぐことが出来ない愛情をわずか2時間で母に注いでもらった。そしてぬぐいきれない僕の姥捨ての罪悪感からも、解放してくれたような気がした。


2015年04月05日(Sun)▲ページの先頭へ
 ここまで追い詰められていたのかと、分かって上げられなかったことを後悔した。
 不本意な帰国を余儀なくされたかの国の女性と共に過ごすことができるのは今日が最後だったので、後楽園の花見を楽しみ、その後はしばしば僕が彼女達を招待するプラザホテルのレストランで食事をした。招いていたのは、職場の女性と、派遣された工場は違うが、かの国にいるときからの親友、そして僕をしたって再来日した二人だ。最後の晩餐?昼餐だから妻も同席した。
 午前中の花見は同じ工場の女性と彼女と僕の3人だったが、終始楽しそうだった。桜並木の美しさに触発されたのか力強く「オトウサン ワタシ ニホンニ マタクル」と言ってくれた。これは僕が一番望んでいることだ。自分の職場での不器用さに苦しみ、そのことが耐えられなくなっての職場への不適応が不本意な帰国の原因らしいが、失意のうちに心と体を病んで帰っていくその女性が哀れで仕方なかった。性格的に心のうちを人にぶつけることが出来ないので、同僚も本当の理由を測りかねていた。ただこの数日、帰国が迫ってきたからか初めて本当の理由(仕事に対するコンプレックス)を話し始めてくれた。
 いざ食事が運ばれてきても彼女は箸をつけなかった。それどころか何度もトイレに通う。口も開かなくなった。他の人間は楽しそうに食事をしていたが、そのうちさすがに青年達も耐えられなかったのだろう、彼女に話しかけるようになった。そこから長い会話がテーブルを挟んで続いた。僕は言葉が分からないので黙って聞いていただけだが、全員を信頼しているから、介入しないようにみんなの表情を伺いながらじっと聞いていた。どんな内容の話だったのか分からないが、真剣な表情で終始した。青年達が、真剣に言葉を交わす姿を見て、異国で暮らす人たちに連帯感を感じた。
 気まずいままホテルを出たところで、しきりにその女性が今しがた雰囲気を壊したことを謝ってきた。僕は職業的に、病んでいる人の相手が多いので、謝ってもらう必要がないことは分かっているし、むしろ苦痛を態度や言葉で出すことが出来たことを褒めた。今まで半年位、苦しんでいたらしいが、全く僕にはそのそぶりを見せなかったのだから、むしろ僕は評価した。
 レストランで急遽取り乱したのは、仕事の話が出たせいだと、その後教えてくれた。そう言われれば確かにそうだ。急変といってもいいくらいの変わりようだった。それだけ仕事が苦痛だったのだと再認識したがそれでは遅すぎる。ちょっと仕事の話題を出したばっかりに彼女を苦しめてしまったのだ。彼女の受けてきた教育レベルから言うと全くヒットしないような仕事内容で、モチベーションを保つことが出来ずに不器用と言うラベルを張られても、それはむしろ勲章だと昨夜励まし、納得していたばかりなのに、うかつにも僕が再来日のための手続きを、先輩に当たる二人に話させたのがまずかったのだ。後進国の人たちが一度研修生で来日し、その後又来ようと思うとかなり難しいことを知っているから、その知恵を伝授して欲しかったのだ。
 国に帰ることを決意してから新たに生まれる不安(仕事と健康)と葛藤しながら、表面では冷静を装っていたその女性が不憫でしかたない。多くの女性達が錦を飾って帰るのとは対照的だ。仕事中でも休日でもそのことが頭をよぎる。僕の限られた、いや限られすぎた力でどれだけの援助が出来るのかわからないが、手にすることが出来なくなった向こう2年間の幻の体験を、いつの日か再現することを約束したい。


2015年04月04日(Sat)▲ページの先頭へ
助言
 畑違いなのに、助言してきたらしい。取りようによっては苦言に聞こえたかもしれないが、息子は本気で心配してあげたみたいだ。話しぶりで分かる。
 薬局から歩いて5分くらいの海岸に10日くらい前にイタリアンのレストランがオープンした。僕の散歩コースだから改装を始めた半年くらい前からずっと気になっていた。早速食べに行った人たちに、流行っているかどうかを尋ねた。日中はまずまずだが、夜はお客さんが少なくてそのことを店のオーナーが嘆いていたと聞いた。昨夜息子が後輩と食べに?飲みに?行ったらしい。その報告を今朝の食事中に聞いた。
 料理に対する評価がよかったから、夜の営業を隔日と言うのは残念だ。そもそも宣伝はチラシが一度新聞に入っただけだから、店の存在が余り周知されていないと思う。その段階での見極めは早すぎる。折角関西のほうから来て牛窓に店を開いたのだから、長く繁盛して欲しい。息子の話を聞きながら妻が「お父さん、田舎でつぶれない秘訣を伝授してあげたら」と言った。なるほどそれは名案だ。何気なく食べに行って、それとなく伝えようかとその気になった。立派に改築して、スタッフも充実していて、むしろ僕のほうが指導して欲しいくらいだが、つぶれない方法だけは僕のほうが上だろう。なぜなら、金魚の糞みたいな医院の門前薬局にならずにつぶれていない薬局は、今ではかなり珍しいから。40年近い実績だけは負けない。いやいや父の代から言えばもう70年近くつぶれないのだから、恐ろしいものがある。ほとんど不気味な世界だ。足がないのか、地に足が着いていないかのどちらかだ。
 参考までに、息子に何を食べたのと尋ねたら、パスタとピザと答えた。「じゃあご飯はないの?」と尋ねると「それがご飯じゃあ」とむっとして言った。僕は今までパスタもピザもご飯のおかずだと思っていた。どおりでお腹が膨れて食後は苦しいと思った。ところで、パスタとスパゲッティーって違うの?


2015年04月03日(Fri)▲ページの先頭へ
量産
 ユーチューブで佐高 信の講演を聴いていて大笑いしたところがあるから、これを皆さんに披露する。彼の講演はユーモアに富んでいて、僕みたいに集中力に欠ける人間には丁度いい。
 アホノミクスが初めて総理大臣になったときに、年の暮れにテレビ局の人間が「今年一年を振り返って漢字一つで表すとしたらどんな漢字でしょうか?」と尋ねた。するとアホノミクスは「変化」と答えた。これでは記者はニュースにならないからもう一度同じ質問をした。すると「責任」と答えた。佐高 信はこのやり取りを持って「相手の言うことを聞けない人間、1と2の区別が出来ない人間」とこき下ろしている。そのような人間を指導者?と仰ぐように投票した人々を恨む。とんだとばっちりだ。
 本来なら、アホコミがそれらを暴くのだろうが、飼い犬に成り下がっているので、むしろ隠蔽に回っている。いつか来た道で、本人たちの子や孫まで奴隷のように命を粗末にされる日が来るかもしれないのに、目先の何を欲して太鼓もちになっているのだろう。
 今日も10人近い若者から苦痛に満ちたメールをもらった。底辺と呼ばれる人たちではないだろうが、恐らく社会の庇護とは縁遠い、孤立した人たちだと思う。守ってもらえない人、こうした人々が量産されている。これでもかこれでもかと、社会の富を手にする奴等の影で、失うものをほとんど無くした青年たちが息を潜めて暮らしている。羊などにはならないで。


2015年04月02日(Thu)▲ページの先頭へ
地味
 目からなまこ、これはぬるぬるして気持ち悪いな。目からうどん粉、これは美味しそう。目から売り子、これは郷愁を誘う。そう、やっぱり目からうろこだ。
 冷え性の女性に勇気を与えるような文章を今日見つけた。アミノ酸についての読み物だったのだが、その中の一部を紹介しよう。
 ・・・冷え性の女性は、エネルギーの放散が緩いため、厳寒の雪山などや水難で遭難した場合には、むしろ生存期間が長いと言われている・・・
 この文章を娘に読んで聞かすと「冷え性もいいことがあるんだ」と喜んでいた。それを実証する機会があってはいけないから、確かめることは出来ないが、これも一理あるかぐらいの認識にとどめておこうと思う。常識的には、筋肉盛り盛りで。熱の塊みたいな人のほうがいいと思うのだけれど、正解は分からない。
 朝から晩まで色々な情報に接しているが、そしてその情報がほとんど無限大に増えていくから、真実を見つけるのが難しいが、嗅覚を磨いて、嘘を見抜かないと頼ってきてくれる人たちを裏切ってしまうことになる。胡散臭いものをかぎ分けるコツは、「真実は地味」だってことだと思う。華々しいことの中には嘘がある。自分の中にこの程度の防波堤を少なくとも築いておかないと、足元をすくわれる。


2015年04月01日(Wed)▲ページの先頭へ
滅私
 ある議員によると、オープンした初年度から数億円の赤字が出るのではないかと言われているらしい。それでも市長が拘って市民病院を新築するのは何故だろう。昔なら民間病院がなかったから、公で作らなくてはならなかっただろうが、今は民間の同規模のものは、いくつも近隣にある。医師を集めることも出来ずに、非常勤で埋め尽くされているスタッフで、患者を今以上に集めることが出来ると思っているのだろうか。
 市民何とかは、所詮市のひも付きだから、多くを望めない。医者の努力と言うより、市長や議員が幅を利かす非効率な組織だ。息子が誘いを受けたときにも、そのことが気になって、勧める気にはならなかった。地元の人たちの役に立てるのはいいが、滅私の対極にいるような人達の口出しには自尊心が傷つくだろう。そんなストレスにさらされることなく、頼ってきてくれる患者さんに没頭したいだろう。息子もそちらのほうを選択してくれたからほっとしている。
 合併により周辺部になった牛窓から診療所が消える。議会に上程されたときに誰の質問もなかったというから呆れたものだ。民間が採算性ゆえに手を出さないところにこそ福祉の手を差し伸べるのが普通の発想だが、給料泥棒みたいな人間には通用しない論理だ。思考停止の集団に何かを望むことはもうずいぶん前に止めているが、国から田舎まで、落ちるところまで落ちている感がある。
 
 


   


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