栄町ヤマト薬局 - 2015/03

漢方薬局の日常の出来事




2015年03月31日(Tue)▲ページの先頭へ
専売特許
 折角のよい天気もそろそろ崩れて、今週は曇りや雨が続くと気象予報士が伝えていた。テレビの天気予報を見ていた妻が「もうこれ以上雨は要らんのになあ」と言った。その自然に出た言葉が僕には印象深かった。岡山市内の、およそ農業などとは無縁の地区で育った人が、30年以上田舎で暮らすと、農業で生計を立てている人たちの専売特許みたいな言葉を口にするんだと思ったのだ。
 雨が降って欲しくないときに、「雨はいらない」と言うことはあるが、「もうこれ以上」はなかなか普通の人はつけない。「もうこれ以上」をつける人は、雨の恩恵を受けていることを知っている人に限られる。雨は恩恵と言う染み付いた考えがない限り「もうこれ以上」はつけない。牛窓はもともと漁業と農業が盛んなところだから、薬局にも多くのお百姓さんがやってくる。だから自然と天気の話題になることが多くて、僕ら素人でも雨が少ないとか多すぎるとかの大体の判断は出来るようになる。だから妻はこれ以上降ったらお百姓さんが困ると判断して、「もうこれ以上要らない」と言ったのだろう。
 腰や膝を一様に痛め、それでも懸命に働き続けるお百姓さんの視点で、雨の降り方を評価した姿は、この町で過ごしたおかげだ。懸命に頑張っている人たちに自然体で寄り添える幸せを感じる。同じ土地で暮らす者同士の一体感を感じる。とってつけたものではなく、自然に口から出てしまうくらいの一体感を感じる。
 ふと漏らした言葉の中に見つけた郷土愛だった。


2015年03月30日(Mon)▲ページの先頭へ
 その夜、早速夢を見るのだからよほど印象が強かったのだろう。
 確かに、車で近づくにつれ、どこかで見た光景だと感じた。山の谷に向かってくねくねと曲がった狭い舗装道路を登っていくにつれ、嘗て僕が幼少期を過ごし、その後何十年と訪ね続けている母の里とそっくりなことに気がついた。周りには広い庭、大きな木、納屋、耕運機と言った同じ素材を持つ農家が点在し、2つの牛舎も見えた。おまけに小さな池が集落の真ん中にあり、小川が舗装道路に並行して流れている姿など、まるで作られた模型のように似ていた。そして目的の家を探しあてて庭に車を止め、玄関の戸を開けたときに、驚きのピークに達した。
「同じ」、嘗て50年以上前に僕が預けられ多くの時間を過ごした母の実家とそっくりなのだ。入ってすぐに広い土間があり、結構高い座敷があり、その奥はふすまで幾部屋かに仕切られ、縁側が長く続いていてその行き当たりにトイレがある。台所からは納屋に降りていける。広い庭には農作業で使われるトラクターや農機具が無造作に置かれ、広い庭は手入れが行き届いていない。恐らく大家は結構な年齢に達しているのだろう。だからかの国の青年達に寮として貸しているのだと思う。
 牛窓工場のかの国の青年達が、赤坂工場の同郷の友に会いたいと言う希望をかなえる為にアッシー君をしたのだが、僕も歓待され、手料理が山のように用意されているのを見つけた。ただ哀しいかな僕はその手料理をかなり苦手としているので、母の見舞いを口実に昼食時間を避けるように退散した。そして午後、もう宴は終わっているだろうと言う時間を見計らって、南部の玉野から又北上して迎えにいったのだが、なんと僕の分だけ料理を残してくれていた。折角の好意だから、出してくれた数種類の料理全てに義理箸をつけた。そしてその時に昨日書いたように、心臓病に蜂蜜と何かを混ぜただけのものを薬の代わりに飲ませたという衝撃的な事実を知った。かの国の青年達の友として、又薬剤師としてとても辛かった。死ななくても良い人が、みすみす命を落としてしまう理不尽を恨んだ。そしてその理不尽にも負けず、日本語を勉強し、遠い異国の地に仕事を見つけた青年のけなげさに感動した。
 その後、工場を案内してあげると通訳の女性が散歩に連れ出してくれた。そしてその道中のこと、同じような道を、わずか数歳の幼き日の僕が歩いていた姿を想像した。そのくらい、景色は勿論、空気や風や音や香が似ていたのだ。坂道を数分歩くと人工的に切り開いた広い場所に出て、いくつかの大きな工場が見えた。工場団地だ。さっきまでの景色と全く違う景色が一気に広がる。そこに工場群がある必然性を全く感じなかった。道中であった数人の地元の人たちとの接点も全く感じなかった。「ワシ等にとってはただの侵入者だ」のどかな景色が僕にそう言った。
 家の前の広場で夜祭が行われ、一人で家に帰った僕は縁側の戸が開いていることに気がついた。誰かが侵入したのではないかと心配になり、ガラス戸を閉め布団に入った。大人達がまだ帰らないので不安だった。そんな夢の舞台が、正にその日訪ねた赤坂の山間の集落だった。


2015年03月29日(Sun)▲ページの先頭へ
分相応
 どうしてもっと早く相談してくれなかったのかと思う。不本意な帰国を2週間後に控えて初めて心のうちを話してくれた。日本で心を許すことが出来る仲間に恵まれなかったことが原因らしいが、かといって帰国してから何の保証もないことを漏らした。帰国してからの不安は、健康と仕事の両方らしいからひょっとしたらこちらにいるときより深刻になってしまう可能性すら含んでいる。体調の不安に対する注意と処方、心の不安に対する対処の方法と処方を伝えたが、そしてそれらが必要になればすぐに送るからと約束したが、まるで薬局に相談に来た患者さんと同じレベルの話をした。今までなら僕が問診めいたことを始めると、日本語が堪能なくせに突然〇〇〇〇語になったりしていたが、今日は自分から不安ですと喋り始めた。
 今日同じ国の女性に、母親をなくしたときのいきさつを聞いた。心臓をはじめ他の内臓も弱っていたのに、医療費が高くて病院にかかれなくて、蜂蜜か何かの民間療法で対処したらしい。勿論それで救われるはずがなく、若くして亡くなったらしいが、その話を聞いた後だけに、帰国する青年に、「僕に向かって悲鳴を上げて」と何度も約束した。母親をなくした女性と同じような無念を経験させたくない。折角僕と知り合ったのだから、そしてそれが漢方薬を作ることが出来る人間だったのだから、その縁を利用して欲しい。贅沢三昧の挙句のこの国の人が、おかれた境遇の有り難味も感じることなく、湯水のように薬を浪費する姿と、正に対極にある人たちこそ救ってあげたい。
 今日会った二人の女性の話をふと思い出すたびに悲しくて涙が出てくる。役に立てるくらい、もっともっと大きな力が欲しいが、もしそれを手にしていたら、こんなに心を傷めることも経験できなかったのだろうか。分相応。空しくもあり救いでもある。


2015年03月28日(Sat)▲ページの先頭へ
健康長寿
 その日のニュースを確認しようとテレビをつけたとき丁度、古賀さんがガンジーの言葉を引用して何かを訴えていた。その場面だけしか見ていなかったので、その前の覚悟の訴えの部分はライブでは見ていない事になる。保身しか考えない奴等ばかりが、お抱えコメンテーターとして稼ぐ姿にうんざりしているから、古賀さんの存在は、まだテレビのスイッチを入れる数少ない理由でもあった。お上に尻尾を振るしか能がないやつらを雇うしかない能がない奴等が作る番組を、疑うことを知らない能がない奴等が視聴して支えている。とても富みや肩書きと程遠い奴等が、富も肩書きも手にしている奴等を支える、摩訶不思議な太鼓持ち精神。ついていけないどころか寄り付きもしたくない。願わくば道連れにしないで。持てる者達の為に自分の人生を捧げたりはしない。
 アホコミのトップがアホノミクスと食事会をしているらしいから、そもそも所詮危ない奴等でしかないのだが、昨今の奴等のやり逃げを許さない記憶と記録が必要だ。それが生かされる日まで、彼らの健康長寿を心から祈っている。


2015年03月27日(Fri)▲ページの先頭へ
的確
 さすが、プロフェッショナル、その的確なコメントに感心した。
 フランスで墜落した飛行機のパイロットが故意に、山にぶつけたと言うことが分かって、フランスの検事が記者の質問に答えていた。その中の質問が「自殺をしたのか」と言うものだったが、それに対する検事の言葉が適格だった。僕ら素人には、沸いて出ない言葉だ。
 「自殺と言うものは一人でするものだ。150人一緒に死んでいるのだから、私は自殺と言う言葉は使わない」およそこんな発言だったが、考え抜いた言葉でなく反射的に出た言葉だ。考え抜いても出そうにない言葉をいとも簡単に的確に出せるのだから、その道に精通している人の能力に感服する。
 それにしても、人間って余り違わないんだと言う感想を抱く事件だ。アジアで行われた特攻隊みたいなことを中東の人たちがすることに驚いていたが。ヨーロッパの人でもするんだと思った。もっとも今回の事件は、人に強いられてやったのではなさそうだから、本質的には違うかもしれないが、岩肌に向かって高速でぶつかっていく恐怖を当人は克服していたのだろう。太平洋戦争中に航空機でぶつかったり、人間魚雷でぶつかったり、中東では爆弾を体に巻きつけて爆発させたり、考えただけでも恐怖で震えてしまいそうなことを出来る人たちが同じ時代にいると言うことが想像できない。宗教や正義は、命と引き換えに守るほど崇高なものなのだろうか。自分の体を飛び散る肉片に変えてまで守るべき対象なのだろうか。自分の存在を消してまで守るべきものなのだろうか。命じられるほうに正義があり、命じるほうに腐敗や悪意があるのではないか。合法と言う名で、戦時中の日本や現在の中東と全く同じことを先進国とやらもしているのではないか。
 人の命をもてあそび、自分の命を永らえる。胡散臭さで地球が覆われている。


2015年03月26日(Thu)▲ページの先頭へ
潔癖症
もうずいぶん前、それこそ漢方薬を勉強し始めた頃このようなことをしたことがあるが、それ以来少なくとも30年以上記憶にない。どうしても薬を飲まない人には家族の同意の下こんなこともありだ。初めてそうした手段に出たときは、アル中の御主人を何とか立ち直らせようと言うことで、奥さんに味噌汁の中に犀角の煎じ薬を混ぜてもらった。御主人は気がつかずに飲んだが、なにぶん犀角が高すぎて継続できなかった。もっとも今になって思えばそもそも犀角がアル中に効くとは思えないが、当時は教えてもらった処方に小躍りして試したものだ。
 今回は強度の潔癖症の息子さんが対象だ。70歳を十分過ぎた夫婦の息子さんだ。ある理由で10数年前に潔癖症を発症し、今ではトイレも手洗いも風呂も2時間を要するらしい。そのため外出も出来ずに、苦しんでいる。相談に来てくれたのだが勿論本人は来ない。薬も飲まない。本人にその気がないのだから薬が効くはずがないと思って最初は断ったのだが、老夫婦の気苦労が余りにも哀れだったので、かつて一度だけ試みた方法でやってみようと思った。何か食べ物に内緒で混ぜるって方法だ。お母さんに漢方薬をなめてもらって、これなら何とかごまかせそうと言う感触を得たので挑戦してもらうことにした。最初は3日分だけ渡した。1回分を何回かに分けて恐る恐る飲ませたらしいが、翌日からは1回で飲むべき量を味噌汁に入れて飲ませたらしい。すると気がつかないことが分かったので、2回目に来たときは1週間分持って帰ってもらった。そして今日又、薬を取りに来たときに、トイレや手洗いが30分くらいで終わっていると教えてくれた。そしてなんと、ぼそぼそと会話もするようになったらしい。これには御両親も喜んで、御両親の顔つきが全く変わってきた。苦渋に満ちた様子で最初に相談に来たが、今は笑顔がこぼれるようになった。
 「効くと思わないと薬は効かない」などとまことしやかに言われるが、何も知らずに、飲んでいることすら知らなくてもこれだけ効くことが分かった。果たして知っていればもっと効いたのか、それとも逆に効かなかったのか実験はできないが、どちらにしても古代中国の人たちは凄い。良くぞこんな処方を考えたものだ。思えば日本が中国より勝ったのは、ほんのこの何十年だけだ。古来多くの文化や技術は大陸からやって来た。僕らは明らかに後進国だったのだ。
 強迫神経症と言う理不尽な苦しみで人生を捨ててしまいそうな息子さんに、もう一度社会に参加してもらえれば僕は古来の中国人に感謝する。


2015年03月25日(Wed)▲ページの先頭へ
出世
 メールの中で使われていた単語、職掌が分からなかったが、前後の文脈で、要は関東地方のその方が出世しそうなことだけは分かった。迷っているみたいだが迷う必要はないと返事をした。短い文章で毎回、漢方薬の注文をくれるのだが、気負わず書いてくれた文章が、なんとなくいつもまとまっていると感じるから、そのあたりの才能が買われたのかもしれない。
 そうしているうちに、これは県内の女性だが、今までは派遣?で働いていた県のある機関に、正式な職員として勤務できるようになったという報告兼漢方薬の注文だった。職場の名前を聞いて驚いたが、40歳を前にして良く就職できたなあと思った。本人も言っているように「勉強した」らしい。採用試験に合格したみたいだ。昨日まで職員に頭が上がらなかったのが対等になる。こんなに嬉しいことはない。必ずしも人間関係が得意でないその女性が、堂々と存在できる場所を自分の手でつかんだのだから。「先生のおかげです」と言われたが、僕が出来ることなどしれていて、ストレスに負けない胃と腸を作っただけだ。本人の努力が99.9%を占める。
 ただ、症状にあわせて漢方薬を作ろうと、日々そのことばかりを繰り返してきたが、体調以外にも役にたっているんだと教えてもらった気がする。僕が作る過敏性腸症候群の漢方薬を飲んでいる人のほとんどが、人を押しのけてと言うタイプではない。むしろその逆で後に引くように暮らしている人が多い。そうした人たちが自分の力で新たな境地を引き寄せたのだから、余計嬉しい。「自信なさげ」こそが魅力の人たちに、自分の魅力に気がついてほしい。


2015年03月24日(Tue)▲ページの先頭へ
皮肉
 一つには道理に反するから決してこちらから声をかけない。二つには、物売りになりたくないからこちらから声をかけない。これらを守っていれば昔ながらの薬局も結構楽しい。無理をするからしんどいし、嘘をつくからしんどいので、もしお金が欲しいなら門前薬局になる。
 持参した処方箋の内容でガン治療中だと分かった。手術の時機を逸したらしい。病院の治療と並行して友人に勧められた健康食品とやらを飲んでいると言う。新しい薬が本人に合っていて、主治医をやたら褒めていたが、僕にはそうは思えなかった。抗がん剤が効くのは最初の一時期だけだ。案の定、2ヶ月もすると、違う内容の処方箋を持ってきた。その時に薬局に陳列していた漢方薬の材料を免疫を高めるためと言って買っていった。そこで初めて僕の薬局のお勧め品を手にしたことになる。それまでは処方箋を持ってくるだけの関係だった。それから1ヶ月くらい経って、追加の生薬を買いに来た。そして、実はガン治療がしんどいんだけど何とかならないかと相談を受けた。こうなるとやっと介入が許される。正々堂々と仕事はしたいから、当事者の想いが口に出るまで待つ。
 この方の希望は、抗がん剤治療を余りしんどくなく受けれて、生活の質を落としたくないと言うものだった。その程度ならそんなに難しくはない。とりあえず1週間分だけ持って帰ってもらった。自分で煎じて呑むことが出来るか試したかったのだ。すると今日やってきて。「全然違う」「全然違う」ととても評価してくれた。1週間前までのしんどさと比べ物にならないくらい体が(心も)軽くなったそうだ。確かに表情も違うし、背筋も伸びていた。
 抗がん剤で正常な細胞まで攻撃されたらしんどいに決まっている。治療では避けて通れないのだろうが、それが少しでも楽になればなおいい。その分野で自然の生薬の力を借りる。何百年前に完成された処方か知らないが、それが現代の最先端の薬の欠点を補うのだから皮肉なものだ。


2015年03月23日(Mon)▲ページの先頭へ
閑谷学校
 岡山県人を自認はしていないが、この年齢になって初めて「旧閑谷学校」に行った。小学生などの合宿に使われる所と言うイメージが強かったから、訪ねて見て驚きだった。
 通称で旧と言うのは使われないから省いて閑谷学校という。その閑谷学校についての情報はインターネットの世界に任せるが、国道2号線から外れて少しばかり北上したところにこんな静寂の空間があるんだと、本当にタイムスリップしそうな感覚に襲われた。300年前に作られたものがそのまま残っているのではないだろうが、まるで映画の中のセットのように、僕らを300年前に遡らせる。周囲を山に囲まれ、それでいて学び舎を建てるだけの平地が用意されている。俗世間とは隔離された状態で、多くの少年達が学んだのだろう。学びにとってはうってつけの場所だったに違いない。昨日は特別暖かく、囲まれた山から覗く空は青く、木々は空に向かってまっすぐに伸びていた。隔離された地で時間もまた独自のスピードで流れる場所のように思えた。
 地形も時間も、隔離されているようなのに、多くの人が訪れていた。そのことにも少し驚いた。車で1時間もかからない僕が、初めて訪れたなんて、疎いと言うか、合わないと言うか、場違いと言うか・・・この歳になって初めて訪れる資格を得たような気がした。もっと若い頃なら、何の感動も受けなかっただろうが、今は学び少なく過ごした青春期を痛恨の思いで回顧する日々だから、江戸時代にこの広間に子供たちが書物を広げていた光景を想像出来る。
 予備知識なしで突然訪ね、後知識なしで帰ってきたが、一種独特な空間?世界?ははっきりと覚えている。何処へ行くのも手ぶらな僕には、感性と言う名の色褪せないフィルムだけが頼りだ。


2015年03月22日(Sun)▲ページの先頭へ
勝央金時太鼓
 和太鼓ファンの僕がうかつだった。勝央金時太鼓と言うグループが県内にあることを知らなかった。名前の通り県北の勝央町にあるらしいのだが、そして勝央町で行われたコンサートに行ったこともあるのに、そのグループの名前は知らなかった。僕にとって無名のグループだから、正直余り期待はしていなかったが、十分人様の前で演奏できる力は持っていた。人数が少ないから少しばかり迫力に欠けるが、自前のコンサートを開き、公演を重ねて、新たな打ち手を募れば、もっともっと知名度も上がるのではないかと思った。コンサートを開いてくれれば、県南から今日のようにかの国の青年を連れて8人で聴きに行く。
 それにしても、今日梅祭りを開催してくれた山麓窯と言う備前焼の窯元を訪ねて、認識を新たにした。と言うのは僕が知っている備前焼の作家は、ほとんどがそれでは食っていけない人ばかりだ。備前焼が空前のブームになったのを見て作家を志した人ばかりだから、自分が窯を持って焼き始めた頃には、既に時遅しで、高いものは、いやそれどころか、安いものでも売れない時代になっていた。だから全員と言っていいほど他で生計の足しにするべくアルバイトをしていた。なんとなく接点が出来た作家は沢山いたが、一人だに成功しなかった。
 ところが今日訪ねた山麓窯と言うところは、広大な敷地?山?に立派な展示館を持ち、恐らく窯で働く人や、販売に従事する人などスタッフも豊富で、礼儀正しく洗練されていた。肝心の窯は見ることができなかったが、僕ら素人が想像できるレベルのものではないと思う。日曜日ごとに和太鼓のグループを招き、屋台もプロらしき人を招き、あのたくさんのスタッフを擁しなどと考えていくと「どれだけの売り上げがあるのだろう」と下衆の勘繰りが頭をよぎった。数え切れない梅の花を見せてもらって、大好きな和太鼓を聴かせてもらって、なんて時限の低いことが頭をよぎったのだろうと、われながらいやになるが、それは嫉妬ではなく、僕もやりたいと思ったのだ。こんなに大掛かりなことは出来ないが、薬局の前の駐車場を開放して、屋台でも何でも有意義に使ってもらえればいいなと考えたのだ。僕にはあれだけの経済力がないから大それたことは出来ないが、人様に喜んでいただくことに徹している姿を見て感心しきりだ。
 


2015年03月21日(Sat)▲ページの先頭へ
甘受
 これだけ間引かれると、かなり行動に無駄が出る。行きは昼食をゆっくりとる時間を工面できなかったし、帰りは・・・・それがとんだ拾い物をした。
 今までと様子が一変していたので窓口の女性に尋ねた。「ひょっとしたら、積み残しが出るのではないの?」と。すると彼女は、僕が乗ろうとしていたフェリーの前2便とも積み残しが出たって教えてくれた。なんとなく僕が感じれるくらい岸壁に並んでいる車の数が多かったのだ。今日は一人で高松の漢方研究会に出席するから、車は駐車場に置いて人間だけ乗り込めばいい。だから実際には高みの見物だが、もし車で渡ろうとしていたら焦っていただろう。経費節減で1時間半に一本になった四国フェリーの目論見が当たったのだろうが、僕の大好きなフェリーが消えたら何にもならないから多少の不便は甘受する。今回の措置は勿論賛成だ。
 2時間の講演だと案内されていたからてっきり3時に終わると思っていた。ところが2時半には終わってしまって、下手したら帰りは予定の便より早く帰れることになった。だがせっかく高松まで来て、特に今回は一人だから自由に楽しんでみようと思って、会場のホテルから丸亀商店街に入っていった。すると程なくハーモニカの力強い音が聞こえ始めた。はるか遠くから聞こえるのだが、ブルースハーモニカ特有の軽快さが伝わってくる。それもかなり上手いように思えた。その音に引き寄せられるように歩いていくと、円形ドームの交差点でライブが行われていた。結構大掛かりで人垣が出来ていた。屋台でなにやらグッズめいたものが売られていた。舞台では3人の男性が演奏していた。ボーカルとギターとハーモニカを担当しているは外国人で、あとの二人は日本人だった。こんな特設舞台で演奏するのはもったいないくらい上手かった。すぐに僕は3人の演奏に引き込まれた。そのうち妙に緑の服を着た人や緑のめがねをかけた人など、緑が目立つことに気がついた。冷静に周りを見回すと、明らかに日本人のスタッフと思しき人のほかに、白人が多くいた。そして円形ドームから降ろされた大きな旗を見て、この催しがなんだか初めて理解できた。第4回アイルランドフェスティバルと書かれていた。道理で曲もアップテンポで、どこか聴いたことがあるような感じがしていた。
 ライブの途中の挨拶で分かったのだが、3人組は普段は東京で音楽活動をしていて、CDなども出しているグループで実績は十分らしい。歌も演奏も良かったが、こうした路上での音楽も実力があれば十分人をひきつけることが出来るんだと再認識した。今は余り見かけなくなったが、岡山駅辺りのそれとは全くレベルが違っていた。
 フェリーが4時半までなかったのでゆっくりと演奏を聴くことができた。余り接することがないアイルランドの歌、いや、アイルランド人の歌と言ったほうがよさそうだが、それに接することが出来て、今日と言う日が、少し上質になった。


2015年03月20日(Fri)▲ページの先頭へ
舞台裏
 2階のキッチンで何気なくテレビを見ていたら、コマーシャルで僕がおっかけをしている備中温羅太鼓の姿が一瞬映し出された。何事かと思ったら、梅祭りに出演するということだった。バックの映像に使われていたから、コマーシャルは梅祭りの告知だったのだが、太鼓に目がない僕にとっては、バックの映像のほうが主役だった。
 早速2階から駆け下りて、キーワードになるような単語をインターネットで探してみた。するとすぐに備前焼の窯元で梅祭りが開催され、余興に和太鼓の数チームが招かれていることがわかった。画像では前に大きな池があり、梅ノ木が広範囲に植えられていた。備前に梅林と呼ばれるようなところがあり、それが個人の持ち物となればたいしたものだ。もしオーナーが和太鼓が好きで招いているとしたらもう尊敬ものだ。
 こんなチャンスを逃す手はないとばかりに、今夜かの国の青年達の寮に行って、「日曜日に梅を見に行こう」と誘った。すると通訳は、「私は用事があるからいけない」と言葉が分かる分すぐに反応した。するとその様子を見ていた一人が「ワタシ イキタイ」と手を上げた。来日して丸2年になるから、理解力はある。そしてその女性がかの国の言葉で大きな声を出して何か喋った。すると広い寮の中で、各々用事をしているメンバーから、いっせいに大きな声が上がった。用事を伝えに来るのではなく、その場を動かずに声を出すから、結構迫力があった。そして一人が紙とペンを持って立ち上がると、1分もしないうちに、梅祭りに行く人間の名前を書いていた。僕は私情を挟むようなことがあってはいけないので、いつも計画を示すだけで、メンバーを選ぶのには立ち会わない。だから今夜のような、早い者勝ちと言うか、強気がちと言うか、余り好きではない光景を見て少し考えさせられた。しかし彼女達が決めたことを翻すことは出来ないから、何も言わずに紙を受け取ったが、何か釈然としないものがあった。どう見ても僕の企画に参加する回数が少ない人が数人いたが、こうした理由からなのだろうかと勘ぐってみざるをえない。公平とか平等とかが気になるタイプの僕にとっては、見なければよかった光景かもしれない。舞台裏は所詮舞台裏で、美しくはないのだ。僕がいるべきは客席だと悟った夜だった。


2015年03月19日(Thu)▲ページの先頭へ
 何年かいてもまだまだ日本について理解できないことがあるらしくて、時々鋭い質問を受ける。言葉の壁があるからなかなか正確には伝わらない。だから時に大幅に省略して答えることがある。今回の場合もその典型だ。だからこそ、数時間後には反省し、1週間も過ぎればほとんど悔いている。何でそんな低次元の答えをしてしまったのだろうかと。
 通訳としてやってきている女性に「オトウサン ナゼニホンジン ケッコンシナイ」と聞かれたのは丁度1週間前だ。「オトシヨリバカリ オトシヨリゲンキ」と来日してすぐそう感じるのか、多くのかの国の青年達が同じような感想を言う。それに対して彼女達には、およそ過ぎるが「日本人の半分は結婚しない。そして結婚した人の半分は分かれる。子供も生まない」と説明してきたから、「日本の生活が便利になって結婚する必要がなくなったからだよ。食事はコンビニ、洗濯はコインランドリー、衣服は使い捨てと奥さんがいなくても回るのよ。そして女性も、自立している人が多いから、頼りない主人の下着を洗ったりしたくないでしょう」と言うようなことでお茶を濁した。喋った後すぐに自分でも居心地が悪かった。正解とは程遠いのが自分で分かった。
 この1週間、仕事をしているときでもこの居心地の悪さが甦った。そしてなんとなくいつも頭の中に回答を求める自分がいた。もう少しまともな、それだと思えるような答えに行き着きたかった。そしてついに自分なりに納得できる答えに昨日たどり着いた。キーワードは「家」だ。まだ僕らが青年の頃は「家」は概念の中でかなり重要な地位を占めていた。さすがに封建時代ではないが、今の人たちから見ればそれこそ封建時代並に存在感があった。「家」は僕らを無意識のうちに縛り付けていたものなのだ。家の為に、家を絶やす、家柄、家を守る・・・何か呪文のように有難く奉られていたものが、いまや全く価値を置かれなくなった。いわば家はどうでもいいものに成り下がってしまったのだ。若い人たちは何のこだわりもないのだ。「家」からの解放が、どれだけ自由な人生になるだろう。最早「家のため」は死語になってしまった。正に「家」より自分の時代が来たのだ。しがらみから解放された人が、結婚などのしがらみに回帰するはずがない。「家」などと言うくだらない概念で自分を縛り付ける必要がなくなったのだ。「家」が家に戻った、それだけのことだ。


2015年03月18日(Wed)▲ページの先頭へ
寝すぎ
 半年くらい前から時々やって来るようになった老夫婦。自家製の紫雲膏が気に入ってくれて、信頼を勝ち得たのかもしれない。
 今日の要望は、1時間毎に目が覚めるのを治してと言うことだった。その都度おしっこにも行かなければならないから大変だそうだ。それはそうだろう、寝た気がしないとはこのことだ。ただ不眠を訴えてくる人のほとんどは既に病院の薬を飲んでいるから、そのことを尋ねてみた。するとマイスリーの10mgを既にもらって飲んでいる。これで眠れないのに薬局自家製の催眠剤2号で効く筈が無い。無駄な出費をさせたくなかったので正直にそのことを伝えた。でも何とかしてと食い下がってくるから、仕方なく漢方薬で、マイスリーの効果を少し高めてあげようと思った。でも、なんとなく引っかかる。老人の訴えとは裏腹に「元気そうで、幸せそう」なのだ。もう少し辛そうな雰囲気を漂わせてもいいはずなのに、すこぶる快調そうだ。
 そこで矛先を変えて、奥さんに質問をしてみた。「御主人は寝れない寝れないって言うけれど、本当に眠れない?」と。するとやはり眠れないで困っていると言う。ただ、夫婦が来たのが12時前だったのに、「今朝2時間くらいテレビを見ながら寝とります」と、とんでもないことを教えてくれた。「昼からもたぶんテレビを見ながら寝るじゃろう」とも付け加えた。「なんじゃこりゃあ!」
 恐らくこうした問診も無く、病院では眠れないと言う訴えだけで簡単に薬を出しているのだろう。余りにも無神経だ。脳に作用する薬をそんなに簡単に飲ませていいのだろうかと思う。本来脳は薬など入れないところなのに。そこで御主人には正直に薬は出せないし、出す必要もないことを伝えた。「御主人、6時間以上寝ようなんて大それたことを考えたらいけんよ。昼寝だけでそれに近いくらい寝てるんじゃから、運転が好きなら朝から夕方まで車で家から出とかれえ(出ていなさい)」これが僕の結論で、当然漢方薬も作らなかった。日本の老人「寝すぎじゃあ!」


2015年03月17日(Tue)▲ページの先頭へ
生活費
 世間の多くの人が今正に働いている時間帯に、のんびりと処方箋を持って入ってくる。一見老けているが僕よりは若い。それでも定年を迎えてもう1年近く家にいる。いずれ同じ境遇になるのは必然だから興味本位に尋ねてみた。「〇〇さん、1日中何しょん?(何して過ごしているの)?」と。すると顔をゆがめながら「何にもすることあらへん、毎日パチンコとテレビや」と、さすが関西帰りの彼は、大阪弁で独特の怠惰な雰囲気をかもしながら教えてくれた。「パチンコをしていたらお金がいくらあっても足りんじゃろう(足りないでしょう)。退職金を沢山もらったの?」と立ち入ったことが聞ける関係だ。
「そんなもん、小さな会社やから1円もあらへんわ」
「じゃあ生活費はパチンコで稼いでいるの?」
「稼げるわけあらへんわ、負けてばっかりや」
「じゃあ年金はもらっているの?」
「もらってるで、少しやけどな」
「ほんなら、パチンコなんかせずに倹約したら」
「出ていかな、家にじっとしてたら気が変になりそうやわ」
「そりゃあ、そうじゃな」
小説ではないが、こんなくだらない会話で薬局の中の時間が過ぎていく。薬局は、市民の健康に貢献するのが本来の目的だろうが、僕の薬局は、いや昔ながらの薬局は(もうほとんど残っていないが)生活全般を診る職業だ。そうでないと病気など治すことができないし、医療に貢献も出来ない。医療機関の単なる下請けなら、高度に機械化された先進技術でいい。
 のんびり時間が過ぎていた頃の薬局の姿も、又来店する人たちの姿も変わった。人情が無くても営業できる、いや人情が無いほうが利益を生みやすい、全てが事務的に運んでいく生産性優先の空間になった。


2015年03月16日(Mon)▲ページの先頭へ
生態系
 気温が上がって、気持ちよい今日の午後、用事で裏に出たときに、なんとなくぎこちない鳥の鳴き声が聞こえた。ホーホチョピ、ホーホチョピ。駐車場の奥に広がる里山から聞こえる。ほとんどホーホケキョのリズムに近いから鶯だとすぐに分かったが、それにしても下手と言うか、未完成だ。幼い鶯か未熟な鶯か、適当な鶯か分からないが、鶯の面子丸つぶれで、鶯の業界から糾弾されるのではないか。
 人間様の世界でも、未熟が増殖していて、もはや未熟を恥じることもないし、未熟に頼らなければならない場合も多いらしい。未熟が標準になると、基準が下がったことになり、国を挙げての劣化と言うことになる。確かな数字は分からないが、印象からして悪いやつは政治屋を筆頭に、教師に警察官・・・となると、ほとんど公の人たちだ。こうなれば、やたら週刊誌が煽っているあの国と同じだ。鳴き声が未熟で、それが可愛かったりする鳥とは違って、人間様の場合は人間の生態系に影響する。悪が栄えて善良が駆逐されれば、精神も物も破壊される。生きづらい世の中なんて真っ平だ。


2015年03月15日(Sun)▲ページの先頭へ
衝撃
 まだ岡山教会の、かの国の青年達に和太鼓のすばらしさを体験してもらうことができていなかったので、今日倉敷で開催された「日本縦断和太鼓コンサート」に連れて行ってあげる約束をしていた。ところが待ち合わせの岡山教会に行くと、約束していた7人は揃っているのだがその中の2人が体調を崩していて、一緒に行けないと言う。約束していたのは2ヶ月前だから、この2ヶ月の間で体調を崩したことになる。
 2人のうちの男性のほうは、会社が忙しくて、寝るのが毎日午前2時、起きるのが朝の6時だと言っていた。一目見て痩せたなと思ったので尋ねてみると、そのような答えが帰ってきた。車で30分くらいで行ける距離でもためらうくらい疲れているのだろう。
 女性のほうは疲れているというより病的だった。ミサでもしばらく会っていなかったので「元気?」と声をかけてみると「元気ではないです。病気かもしれません」と流暢な日本語で答えた。かの国の青年たちの中心的存在なのに、それでは多くの仲間達が困るだろう。「お父さんに、詳しく教えて?」と言うと、知っている日本語を駆使して病状を説明してくれた。残念ながら細かいところまでは伝わってこなかったが、恐らく起立性調節障害と貧血だろう。「病院にかかっているが治らないんです」と心配そうな表情で訴えるが、皮肉にも、その分野は現代医学が苦手としているところだ。病院でもらっている薬を教えてくれるように頼んで、残りのメンバーだけで倉敷に向かったが、2つの意味で心残りだった。
 1つは、体力にいまひとつ恵まれていないタイプの青年達の、手伝いをもう少ししてあげたいこと。そしてもう1つは、2枚も貴重な和太鼓のチケットを無駄にしたこと。せめて前日にでも教えてくれていれば、コンサートに行けず我慢した青年達の中から2人を連れていて上げれたのにと言う後悔。
 完璧を求めても仕方ないことは分かっているが、色々な小さな不備には遭遇するものだ。初めて見た和太鼓演奏の衝撃の表情を唯一、僕への御褒美として毎回連れて行くが、ほとんどツアーコンダクター状態だ。


2015年03月14日(Sat)▲ページの先頭へ
車間距離
 頼まれたらいやと言えない・・と言うより、いやと言わないことをモットーにしている僕だが、これはさすがにできないと思った。なにしろ僕は東は吉川、北は新見、西は福山、南は高知と、いたって近隣の地味な市町村をドライブ最長記録にしているから、関空まではちょっと。
 息子が関空まで人を送っていかなければならないというタイミングで高熱を出した。ホテルも飛行機も予約しているから、どうしても今日送り届けなければならないらしい。高熱がある状態で関空まで車を運転するのは危険だから、何とか僕が代わってあげようと思って、グーグルで調べてみた。
 幸い牛窓は岡山県の東に位置しているから、ぶっ飛ばせば3時間くらいでいけるらしい。ところがホテルが大阪となると・・・と調べると、意外と大阪市内からは1時間以上かかる。もっとも、あんな大都会を運転したことがない僕には、所詮無理に思えた。片側何斜線か分からないが、車間距離などとりそうもない大阪人の運転する車の中を運転する勇気は無い。薬の会社は大阪に多くて、セールスが何人か毎月訪問してくるが、大阪の交通マナーの悪さは、半端ではないらしい。ちょっとのスペースがあれば、滑り込み、いや振込み、いや使い込み、いや口コミ、いやいや割り込みをするらしいから、車間距離50メートルの僕には別世界だ。
 色々思案した挙句だんだん弱気になっている僕を見て、息子は自分が行くから気にしなくてよいといった。それは助かるが、やはり高熱のまま運転してもらったら怖い。そこで思いついた。熱を早く下げてやればいいんだと。そして倦怠感をとってやればいいんだと。やはり後方支援のほうがあっている。
 嘘か本当か分からないが、熱も下がって体力も回復したからと言って出て行った。僕はこの1年、ナビがついている車に乗り始めてかなり強気で運転できるが、やはり大都会は怖い。県外は新幹線に限る。


2015年03月13日(Fri)▲ページの先頭へ
成長
 もう10年くらい毎朝同じところを歩いているのに、1ヶ月前から遭遇し始めた光景は初めてのものだった。初めて目撃したときは、てっきり自然災害から逃げているのだと思って、このブログにも書いた。ところが最近毎日のように見かけるのだ。僕が歩き始める時間帯が、彼らの集団歩行と、いや集団飛行と一致したのだろうか。僕の散歩時間は、何年も夜の明け具合にスライドさせているから、毎年同じことを繰り返しているはずだ。となると、こちらの要因ではなくあちらの理由からだろうか。そもそも当時彼らがいたのかどうかも分からないし、他のあまたの要因は知識不足で想像できない。しかし、理屈は分からなくても、その光景を目撃すると、なんだか幸せな気分になる。Vサインをしたこともない僕だし、これからも絶対しないだろう僕だから、その飛行形態に同じような感慨を重ねることはまず無い。むしろ風の抵抗を出来るだけ防ごうとする小さな鳥達の知恵やけなげさに感動するばかりだ。
 鳥達の編隊飛行が西の空から南東に消えるまで、上を見ながら歩く。同じ鳥達かどうか分からないが、毎朝の出会いに喜びを感じる。何かいいことがあるかもしれないと、今では感想も違ってきた。こんな些細な楽しみや喜びを見つけることができるようになったのは成長か、それとも老いか。


2015年03月12日(Thu)▲ページの先頭へ
腕時計
 姪が「おじちゃんは珍しい人ではないですか?」と言うが、自覚は無いが、そうかもしれない。珍しいと言われても何か特技があるわけではない。それなら格好いいがそんな人に言えるようなものではない。ただ僕が時間を知るものをもう40年以上持ったことがないからそれを言っているのだ。つい最近までは腕時計、最近は携帯が腕時計代わりになっているらしいから、そのどちらも持っていなのが珍しいと言うのだ。
 公衆電話はかなりが撤去されたから不便を感じるが、店舗の時計はさすがにまだまだ健在だ。少しばかり前傾して店の中を覗けばかなりの確率で時間を知ることが出来る。たまに入り口に向かって横壁にかけているものもあるからそういったときは苦労する。店舗の都合なのだろうが、あてにしている僕には冷たい仕打ちだ。
 恐らくこのまま時計なし、携帯なしで通すだろうから、得意の前傾がいつまでも出来るように筋骨の衰えを防がなければならない。数日前、腕時計式のスマホ?が出来て発売が近いと言うニュースを見たが、そこまでして僕に買わせようと言うのかと、究極のナルシシズムを発揮したが、電磁波びんびんの道具を腕につける勇気はない。電磁波の人体に対する影響は、現在、壮大な人体実験の途中だと認識しているから、実験動物になるつもりもない。
 便利で得られるものは無くても困らないが、便利で失うものは無くては困るものが多い。


2015年03月11日(Wed)▲ページの先頭へ
働き蜂
 もともと能力が無いのか、原発犯罪から目をそらせるための考え抜かれた策略かどうか分からないが、民放はいつものようにくだらない奴等がくだらない番組をやっている。原発犯罪者とグルだから当然と言えば当然だが。見るに耐えられないからNHKにチャンネルを変えると、若い女性アナウンサーが福島から中継していた。彼女の被爆はどうなるのだろうと心配しながら見ていると、声を上げない被害者が登場して、見るに忍びない。頑張っているのはよくわかるが、頑張れないのはよくわかるが、償いきれない罪を犯した犯罪者達は、それまでと同じように富と権力に守られて生活し、被害者が何処までも救われない境遇で不満を口にすることすら、いや数え切れない糾弾の声は上がっていると思うが、ためらっているように見える。まるで何もなかったかのようにのうのうと暮らしているやつら、あれだけの犯罪を犯して誰一人死刑にならない奴等をなぜ許すことが出来るのか僕には分からない。彼らの資産を没収して、被害者達に配るべきだろう。(あっ、没収する側も仲間だった)
 何十万人の避難者、何百万人の被爆者を作って、罪に問われないなら何をやってもいい。手に入れるべきは善良ではなく悪意に満ちた権力と言うことになる。庶民は本当は守られてなんかいないことを知るべきだ。物言わぬ働き蟻で生涯を終えることを強いられているだけだ。それに気がつかずに、守られているなんて勘違いしている人たちの道連れはごめんだ。


2015年03月10日(Tue)▲ページの先頭へ
そんな嘘ならついてもいいだろう。ただ、まだまだ修行が足りないから怪しまれていたけれど。
僕を頼って再来日したかの国の二人が寮を出て今月アパートへ引っ越す。家賃が二人で1万5千円倹約できることが理由だ。そこで必要になったのが、洗濯機と冷蔵庫と電子レンジらしい。偶然岡山駅の近くで会った娘に相談したらしくて、中古屋さんで揃えようとした。ところが事前に娘が調べていたものは古すぎてさすがに二人もいやらしくて、少しばかり値段がいいものを買った。結局3点買いたかったのが予算の関係で電子レンジだけ我慢した。そのことを電話で報告してきたのだが、娘は話を聞いている途中で慌てて電話を切った。そして「お父さん、電子レンジ一つ余っていなかった?」と僕に尋ねた。それらしきものが2つ台所にあったような気がしたから妻に尋ねてみると、一つ捨てたばかりだと教えられた。
 娘に「お父さんが買って上げる」と伝えてと言うと、娘はすぐに電話をかけなおした。僕の伝言を伝えるのかと思いきや、「古いのが一つ余っていたから使って!」と言った。それからしばらく押し問答が続いた。やり取りの様子で、かの国の子がかなり遠慮しているのが分かる。娘は「古いから失礼なんだけど、使ってもらえればありがたい」と何度も繰り返していた。最後はなんだか娘が謝っているように聞こえた。どのくらい押し問答を繰り返したのか分からないが、結局は使ってもらえることになった。
 古いのが無いのにどうして古いのが見つかったと言い張るのだろうと思いながら聞いていたが、娘が受話器を置いた瞬間に分かった。さては、自分が新しいのを買って、今まで使っているのを上げるつもりなんだと。やはり図星だった。娘達の電話での応酬を聞きながら僕の頭にも一瞬よぎったくらいだから、ひょっとしたらかの国の子に悟られたのかもしれない。
 果たして見え透いているのか見え透いていないのか分からないが、おそらく僕でも同じことをするだろうことをしてくれたことがとても嬉しかった。何かを教えるように育ててきていないので、価値観を共有することが親子で出来ているのかはなはだ心もとなかったので、少しは似ていることを発見して安堵した。


2015年03月09日(Mon)▲ページの先頭へ
拍手
 才能が無くても、しこしこと続けていると何とかなるものだ。そんな体験を昨日した。わけも無く好きになった第九も回数を聞いていると、上手い下手が分かるようになった気がした。
 開演時間前にロビーでコーヒーを飲んでいると、合唱する人たちが、まるで引率者に連れられるように行列で目の前を通過した。先導者が1から9までの番号を書いた小さなプラカードを頭上にかざし、控え室のほうに消えていった。総勢何人か分からなかったが、100人はいるのではないかと思えるほどだった。目の前を通過していく人たちは、女性は白のシャツに黒のロングスカート、男性は黒の上下だった。だが、全員が僕くらいな年齢で、腰が二重のお婆さんもいた。勇気ある人だなあと感心はしたのだけれど、一気にこれから始まろうとする第九のコンサートに失望感が広がった。
 ところがいざ演奏が始まると、今まで何回も聴いた事がある中で「上手なのではないの」と思い始めたのだ。理由はわからなかったが、心が集中して曲の中に入っていっているのが実感された。第九を聴くのはまさに「歓喜」を体験するためと勝手に僕は決めているが、沸いて来る勇気を感じた。そして合唱も決して劣るものではなかった。目の前を通り過ぎるメンバーを見ていなかったら違和感はなかったと思う。
 演奏が終わってから拍手が10分間は鳴り止まなかった。地元の人で作った合唱団と言うのもあるかもしれないが、不器用なブラーボーもあちこちで聞こえ、観客が高く評価したことが雰囲気で伝わってきた。僕も手が痛くなるほど、いやいや、手がだるくなるほど叩き続けた。
 会場を出てから気になったのでパンフレットを見てみると、指揮者が藤岡幸男と言う人で、演奏が関西フィルハーモニー管弦楽団だと言うことが分かった。クラシックに疎い僕でも関西フィルハーモニーの名前くらいは聞いたことがある。どの程度のランクに属しているのか分からないが、上手な楽団ではないかと思った。合っているのかどうかわからないが、そうした判断が出来るようになったのかもと、少しだけ喜んだ。


2015年03月08日(Sun)▲ページの先頭へ
血縁関係
 今朝は分刻みで動いた。その中の一箇所が母が入所している施設だ。かの国の女性二人を伴って訪ねた。まだ事務室が空かない時間に訪ねたのは、その後何箇所かで倉敷の第九のコンサートに行くかの国の青年達を拾わなければならなかったからだ。同行する予定の若者が数組に分かれて午前中に行動するらしく、それぞれを拾って倉敷に向かわなければならなかったから、時間の余裕がほとんど無かった。
 先週、施設の方から印鑑を持って来る様に言われていたので、書類作りに時間がかかると予想していた。案の定、事務方の説明を聞くのに20分くらい要した。その間、かの国の女性が母の相手をしてくれた。その時間は太陽がまだ雲間から顔を出していなかったので、施設の中を車椅子を押して何回か回っていた。そして事務室から見える廊下の端に車を止めて、母を間にはさんで3人がお喋りを始めた。二人は母の手をそれぞれ握り、母の顔を覗き込むように話し、又母の言っている事を理解するために、母の口元に耳を寄せていた。結構離れていたのに、母の声も聞こえる。あんなに大きな声も出るんだと意外だった。僕と二人だと、ぼそぼそと、とつとつと話すだけなのに、二人の若者と話をすると楽しいのだろうか声が大きかった。又笑い声も時々聞こえた。
 結局、僕は最初と最後の挨拶をしただけで、ほとんど二人が相手をしてくれた。別れを言って僕は施設の外に出たが、二人はなかなか出てこなかった。迎えにもう一度建物の中に入っていくと、二人はまだ母の手を取り、別れが尽きぬようだった。僕が促すと二人はしぶしぶ施設から出たが、その滞在時間の短さを責められた。
 二人の中の一人は、来月に志半ばで途中帰国する女性だ。朝、車中で、日本の思い出作りの為に、帰国する前に京都に連れて行ってあげると約束していた。ところが、施設から岡山に向かう車中で「オトウサン ワタシ キョウトイカナイ オバアチャントコロ ユックリキタイ」と言った。その言葉を僕は「ありえない選択」とは思わなかった。僕が大切にしているかの国の若者だったら「ありうる選択」なのだ。誰が痴呆の老人とあれだけ長く話してくれるだろう。そして別れを惜しんでくれるだろう。帰国する女性だけでなく、もう一人の女性も同じ提案をしてくれた。
 ふとしたきっかけで多くの異国の青年達と接するようになったが、僕は血縁関係などたいしたことではないと思えるほど多くの娘達を持った。それぞれが滞在中に有意義な日々を送ってくれること、帰国してから滞在中の経験や稼いだお金が役に立ってくれることを本気で願っている。


2015年03月07日(Sat)▲ページの先頭へ
三者三様
 三者三様とはこのことか。
「シアワセスギル」と言う最高の表現を使って、備中温羅太鼓の公演を喜んでくれたかの国の青年の寮が御津にある。明日行われる倉敷の第九のコンサートのチケットが8枚手に入ったから誘ったのだけれど「オトウサン ゴメンナサイ ニチヨウビ ミンナイソガシイデスカラ イケマセン ホントウニゴメンナサイ」と電話してきた。どうやら日曜出勤らしい。和太鼓の迫力に感激してくれたから今度は一転ベートーベンと趣を変えて楽しんでもらおうと誘ったのだが残念だった。
 仕方なく今度は赤坂工場の寮の青年達に声をかけた。一人だけ和太鼓のコンサートに連れて行った青年がいて、その女性に後6人まで大丈夫と言っておいたら、昨日の夕方電話で「オトウサン、ミンナ アソビノホウガイイ ゴメンネ」と半ば失笑気味に伝えてきた。彼女は日本語1級を目指して働きながら勉強している女性で、来日して初めて日本の文化に触れることが出来たことをとても感謝されたのだが、どうやら後の12人の女性達は興味ないらしい。僕は出来るだけ質の高い体験をと思ってチケットを選ぶのだが、興味のない人には何の意味も持たないのだと勉強した。
 二つの寮の青年達が行けないことになったので、今までとは全く逆の悩みが生まれた。いつもは、限られたチケットを如何に公平にみんなに順番に手渡すかに苦心していたのだが、今回は初めて行ってくれる人を探さなければならなくなった。最後の砦は牛窓の寮の青年達だ。満を辞して夜寮を訪ねると、本当に久しぶりに明日の日曜日が休みだって事が分かった。こうなればいつものように彼女達に任せて人選をしてもらえればいい。牛窓の寮の青年達はもう多い人で10回くらいは色々なコンサートに行っているから、そこからは手際よく進んだ。折角手に入れたチケットが無駄にならなくいてよかったと安堵した。
 働いている会社の都合を知らずにチケットを手に入れるリスク。本当に内容に興味を持っているのか分からないリスク。そのことに気づかされた今週だったが、そんなリスクはしれている。リスクと言うよりちょっとした不都合だ。故郷を離れ、よく働き、明るく慎ましやかに暮らしている青年達のちょっとしたオアシスになれば、僕自身の存在に意味を感じる。
 明日は荘厳な詩を聞きメロディーに浸り、勇気を喚起されて帰ってきたい。


2015年03月06日(Fri)▲ページの先頭へ
年下
 ひときわ日焼けして茶色になったカルテに、又今日も一行書き込んだ。何気ない作業だがふとその人物の表紙を見てみると、昭和52年から始まっている。それ以来幾度と無く書き込んでいる。当時僕は26歳で、OTCしか武器は無かったから、今思えば恥ずかしいような内容が書き込んである。それでも当時は多くの人が僕の薬局を利用してくれていた。当時は健康食品なんてわけの分からないものはなかったから、多くの街の薬局が一応全うな応対をしていたのだと思う。
 対象の女性はいつも電話相談で、その後お嬢さんに薬を取りに来させるのだが、しっかりしている。自分を自律神経失調症と判断し、不快症状の解説を求める。95歳にして電話で何不自由なく話せて、それで自律神経失調症とは信じられないが、それを否定すると落ち込むので、そうかもしれないねくらいでとどめておく。ちょっとだけ病気の余地を作ってあげておいたほうが居心地はよいみたいだ。ただし、どう転んでも将来、僕などには真似のできない健康体なのだが。
 こうした日に焼けたカルテは何枚かあり、健康長寿に役に立ってきているのだなと感慨深い。だいたい、薬局を利用する人は、経済に余裕があり、健康志向が強い。ここ10年以上定員120人くらいの特別養護老人ホームの入所者の薬を作らせてもらっているが、嘗て僕の薬局を利用していた入所者の飲む薬は圧倒的に種類が少ない。ホームに入るまでほとんど自立していた人ばかりだから、何種類もの病気を抱えていないし、そもそも病気は自力で治してきた人だから、自然治癒力を鍛え、免疫を獲得してきているのだと思う。
 お世話し始めたときのその方の年齢を僕は越えているんだと、不思議な感覚にも襲われたが、時の流れは残酷なものだ。今朝、福島の詩の朗読をしている吉永小百合の特集番組を見たが、どうして彼女が僕よりずいぶん年下に見えるのだ。せめて時の流れくらいは平等に・・・


2015年03月05日(Thu)▲ページの先頭へ
太刀打ち
 ガチョウかコアラかカンガルーか何か忘れたが、ある日セールスが飛び込んできて、これを塗れば痛みが改善すると言ってサンプルを数個置いて帰った。僕は職業的に何でも疑ってかかるほうだから、熱心に説明してくれたが、上の空で聞いていた。がまの油でもあるまいし、医薬品でもないものを塗って痛みが取れるわけが無い。そもそも医薬品でもないもので効能効果を標榜するのはその時点で違法だ。違法を知りながら売り込みにくる厚顔さを別にしても、その会社を僕に紹介したのも薬局だと言うから困ったものだ。親切で言ってくれているのだろうが、僕はやはり科学に裏付けられたものでないと手は出せれない。
 数日後、漢方問屋の専務さんが来ていつものようにパソコンを管理してくれていた。その時に彼がその小さなサンプルを見つけ、どうしたのですかと不思議な顔をした。と言うのは僕が健康食品(名前を出すのもいやなくらい胡散臭いものばかりだが)といわれる範疇のものを扱わないことをよく知っているからだ。そして僕がそのサンプルがある理由を教えてあげると「効かないですよ。マッサージするクリームですから、マッサージで気持ちよくなっているだけです」と教えてくれた。そしてその商品を扱っていた健康食品とやらの会社の一つがつぶれたらしい。それはそうだろう、嘘はいけない。いつかは見抜かれるだろう。
 そう言えば首をひねって赤ちゃんを殺した人間のニュースを見た。どうしてこの程度のことが見抜けないのかと空恐ろしくなる。こんな胡散臭いことが見抜けなくて、総力を挙げて嘗てのように階級社会を作り出そうとしているやつらに太刀打ちできるわけが無い。そんな無防備な人たちの道連れはごめんだ。胡散臭いものに囲まれ窒息しそうだが、いつからこの国は、いやいや、もとからこの国は麗しくはないのだ。


2015年03月04日(Wed)▲ページの先頭へ
0.3
 うかつだった。今まで雨上がりの土の表面の放射線量を測ったことがなかった。
 教育委員会から電話があり、幼稚園の環境調査もしてくれとのことだった。黒板も無いようなところで何を調べればいいのか迷ったが、とりあえず小中学校に準ずるような内容で検査した。教室内の検査が終わり園庭に出て何気なく測っていたら、今までに無い数値が目に入ってきた。それこそ予想していない数字だから、小さかったけれど声をあげた。
 小さな砂山があったから園児が喜んでこのあたりで遊ぶんだろうなと思い、それこそ何気なく測った。すると土の表面で0.26マイクロシーベルトの数字が表示された。福島の後ずっと測ってきたが、0.2を超えたことは無い。今までの最高でも0.15くらいだったと思う。0.15を見てもいやだなと思っていたのが一気に0.2を突破していたのだから声も出るだろう。驚いて持っていっていたスコップで穴を20cmくらい掘ると数値は0.28に上がった。同じような値は花壇でも出た。
 その砂山がいつ作られたのか尋ねると先月だった。何処の会社が何処の土を運んだのと尋ねると、運んだ会社だけは分かった。その時はその砂に問題があるのだろうと考えたが、午後から検査したほかの幼稚園でその推測が正しくないだろうことが分かった。と言うのは、午後からの幼稚園では、ついに0.3マイクロシーベルトの値が出たのだ。そしてその原因を探ったが、朝の幼稚園のような特別なことは無かった。同じような値が出たのだから、恐らく一般的な原因で数値が上がっているのだろうと考えざるを得ない。と言うより素人の僕が原因に迫れるとは思えない。僕なりに得た結論は、(決して自信はないが何らかの結論を得ていないと居心地が悪い)空気中の放射能が明らかに増えているってことだ。西風に乗って、地球を1周して届く。これを既に数え切れないくらい繰り返しているせいだ。いったいそれでは東日本はどのくらいの放射能を溜め込んでいるのだろうと心配になった。海洋に流されるものが時折話題になるが、空気中に放散される気の遠くなるような量の放射能は話題にも上らない。話題にしては困るやつらが、ありとあらゆるものを動員して閑古令を強いているのだろう。
 いや待てよ、4年間の蓄積ではなくて、何か新たに・・・


2015年03月03日(Tue)▲ページの先頭へ
難聴
 スマホで音楽を聴いている人の中で10億人が難聴になる可能性があるらしい。大音量で長時間聴くからだそうだが、当たり前の話だ。都会の騒音の中で音楽を聴くと特に大きな音を必要とするから影響は大きいらしい。
 このニュースを聞いていて一つ解決したことがある。しばしな見かける光景がいったい何をしているのか分からなかったのだが偶然今日解決した。電車の中で、或いは歩いている人で、或いは自転車に乗っている人で耳にイヤホーンをさしているのを目にする機会が多かったが、僕はてっきり勉強しているのだと思っていた。ところがニュースによると、それらの多くの人は実は音楽を聴いていただけみたいだ。大切な聴力を犠牲にしてまで聴く価値がある音楽っていったいどんなものかと思ってしまうが、むしろ単なる無知なのかもしれない。若くして、一部の機能が老人になる辛さが想像できないのだろう。全ての機能が老化し始めている僕からすればまことにもったいない話だ。
 僕はしばしば思うことがある。いったいどれくらい大切なものを犠牲にしてまで消費者でい続けるのだろうと。消費しなければ、手に入れなければ防ぐことが出来る不幸はいくらでもある。不自然きわまるものに大金をはたいて、似非何々を手に入れる。懸命に働いて手に入れたわずかばかりの収入をそんなものに吸い取られて気がつかない。近寄らなければ防げた事故や事件と同じように、手に入れなければ防げた不幸も多い。これでもかこれでもかと生活の糧を奪い取られて身も心もやせ細っていく。そしてそれはやがて国の予算かと言うくらいの巨万の富になって少数の人間を潤わせる。
 無くてもいいもので囲まれ、無ければならないものを枯渇させる。富める者から富めない者まで、人間って罪な生き物だとつくづく思う。


2015年03月02日(Mon)▲ページの先頭へ
賄賂
 かの国の話ではなく、その国の話だ。ただ内容がとてもよく似ていたから驚いた。どちらがより程度が低いのか分からないくらいだが、こんな話を聞かされると一度は行かなければと思っていた気持ちが一気に萎える。
 ある女性がスマホの画面を心配そうに見ていたからどうしたのかと思っていたら、家族が交通事故にあって入院したと言う連絡をもらったらしい。夜歩いていたらオートバイに跳ねられたらしい。怪我の状態をスマホで送ってきているのだが、顔が傷だらけで痛々しかった。当然「加害者はどうしたの?」と日本の場合と同じような質問をしたら「ニゲタ」と言った。そしてそこからその国の事情を教えてくれたのだが、聞いていて怒りがこみ上げてきた。
 相手のナンバーを見ていないから自分では見つけられないこと。警察には届けないこと。怪我をしても朝まで我慢していたこと。救急車は呼ばないことなどを教えてくれたのだが、その理由が腹立たしい。まず怪我をしても朝まで我慢していたのは、救急車を呼んでも来ないからなのだそうだ。いつ来るかもしれないものを待つよりは、通りがかった人に運ばれるのが普通だそうだ。そして警察に言わないのは、警察官は賄賂をもらうためスピード違反などの取調べばかりして、事件の犯人探しなどしないからなのだそうだ。これを聞いて、警察官を信用して殺された外国での話などを思い出した。かの国でもその国でも、そうした理由で警察官になっていることを承知しておくべきだと思った。
 一番適した言葉だと思うし、それ以外に漏らす言葉がないから僕の口から何度も出た言葉は「なんてこった」だ。あきれて物が言えないが、あきれても物を言う。ひどすぎるにもほどがある。長年腐っていた国だからこのような後遺症が延々と続くのだろう。まあ世の中には、大統領に異を唱えて殺される人間が続出する国もあるのだから、そして決して国家の犯罪だから暗殺者は捕まらない国があるのだから、警察官が小遣い稼ぎにいそしんでもかわいいくらいだが、そこで暮らす人間達はたまったものではない。そんな人間でも全うに人生を送ることができるのは、幸運すぎる。そんな人間に訪れる幸があってはいけない。ところが、ところがだ、そういった人間ばかりが得をする構図を作り上げたい輩がどの国にもいて、この国にも下々をもっと疲弊させようとしている奴が再登場している。高音で喋り、顔がむくんだ男だ。


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