栄町ヤマト薬局 - 2014/11

漢方薬局の日常の出来事




2014年11月30日(Sun)▲ページの先頭へ
津高公民館
 Ohちゃんの唄も、わかこ?の唄も何度も聴いている筈なのに、今日岡山市のはずれにある津高公民館でのコンサートが一番良かったような気がする。二人の唄は毎年一度だけ、新見市にある城山公園で行われる野外コンサート(SONG巣)で聴いているだけだが、この違いは何だろうと思いながら聴いていた。そして僕はあることに気がついた。小さな会場ならではのことではないかと思ったのだ。会議で使われるいすを並べただけの、いや、なぜか舞台はあったが、PAも誰か個人の持ち物を借りてきたようなものだったが、それでいて歌い手が何を何故歌おうとしたのかが良く伝わってきた。言葉が、取ってつけたような会場に閉じ込められて、聞き手の耳に入ってこざるを得なかったのではないかと思ったのだ。たとえば新見の城山は、南(瀬戸内沿岸)に住む人間にとっては不思議な空間で、設置される野外の舞台の後方に、尖がった山々と晴れ渡ってもなお手が届きそうに低い空が圧倒的な存在感を示すのだ。それはどんなに歌い手が強い意思を持ってがんばっても、歯が立たない、比べ物にならない存在感だ。歌い手から出る歌詞がもろくも霧散して聞き手に届かない。僕はいつも唄を聴きに来ているのか、はたまた自然に敗北しに来ているのか、結論が出ないまま悶々として家路を急いでいた。
 最近僕がもっぱら聴きに行くのは、和太鼓だったり、吹奏楽だったり、ジャズだったり、クラシックだ。若いときにはどれも選択肢にはなかった。考えてみればどれも言葉がない音楽のジャンルばかりだ。わずか数分の曲の中に思いを込める作業の困難さが分かるがゆえに、そしてそれは形として残らない宿命であるがゆえに、完成度が容赦なく評価される言葉のある音楽と距離を置いていたのかもしれない。
 決して勧められるものでもないし、正しい聴き方でもないが、やはり僕は言葉に拘ってでしか、言葉のある音楽は聴けない。


2014年11月29日(Sat)▲ページの先頭へ
お膳立て
 2週間毎に定期的に漢方薬を取りに来る女性が「まあ大変でした」と言うから、折角好調だった症状が再発したのかと思った。話を聞いてみると本人の症状悪化ではなかったから胸をなでおろしたが、本人にとってはお嬢さんの不調だったから余計辛かったかもしれない。
 なんでも、1週間前にお嬢さんがトイレで気絶して救急車で運ばれたらしいのだ。助けを求められてから自分の腕の中で気絶するまでを体験したのだから、不安は想像を絶するものがあったと容易に想像できるが、臨場感あふれる説明に想像力を掻き立てられた。
 ただその気絶の原因は本人の体質的なものに由来していないから安心だ。救急車で運ばれたお嬢さんが処置を受けた後帰り際に、この1週間風邪をひいて医院から出された薬を家族が見せたらしい。すると救急の医師はこれが原因だからもう飲まない様にして下さいと言ったらしい。医師が他の医療機関の批判をするのは珍しいが、患者のためを思ってタブーを犯したのだと思う。僕もお薬手帳を見せてもらったが、確かに3回処方が変わるたびに薬が増えて、最終的には吸入薬を含めて5種類処方されていた。例によって、たかが風邪で抗生物質は初日から出ている。高リスク以外の人には必要ないとあれだけ言われても、風邪でまだまだ抗生物質を出す医師がいるんだと、変わることの難しさを痛感する。
 風邪など日が経てば治るのだから、如何に早く治すかだけが問われる。だとすれば今患っている不快症状を取ってあげれば自然治癒力であとは勝手に治ってくれる。だからヤマト薬局では娘夫婦が作っている900円の薬で対処する。安いから皆さん早く取りに来てあっという間に治している。今年も風邪の人が結構来だしたが、100人以上服用してもらった中で、治らなかったと言う声はまだ1件も聞いていない。
 大企業の製品を買えば、解禁された企業献金のせいで、お金が政権政党に行く。いい目をし合っている人間のために庶民が風邪をひくなんておろかなことは避けるべきだ。ありとあらゆる生活場面でのお膳立てに胡散臭さを見つけるべきだ。


2014年11月28日(Fri)▲ページの先頭へ
小気味
 すでに僕が腰掛けていた食卓の前に立ち、息子がしばし動きを止めた。奇妙な間だったのだが理由はすぐにわかった。僕がまさに箸をつけようとしていたものがいったい何か分からなかったのだ。僕にとっては何十年の習慣だからなんでもないことだが、不思議なことに彼にとっては初めて見る光景だったらしい。
 「びっくりした、ミンチ肉を生のまま食べるのかと思った」そう言われて改めて見ると確かに良く似ている。特に買ってきたままのトレイで食べようとしているから余計だ。もう少しだけ色が濃かったら生のミンチ肉そのものだ。ただ、さすがの僕もそんな勇気はない。「ゲタの崩し」と答えると、「どうやって食べるの?」と尋ねてきたから「えっ!食べたことがないの。昔牛窓にいるときに食べなかったっけ。さすがに子供には食べさせなかったのかなあ」と言うと妻が「普通は団子にしておつゆに入れるんだけど、お父さんは刺身でたべるんよ」と教えた。「メチャクチャ安くて美味しいんよ。一皿が150円だもの」と言うと恐る恐る?息子は箸をつけた。その結果「あっ、美味しい。骨ばゆいトロみたいだ」とまんざらではない表情だった。そして結局は一皿(一トレイ)平らげた。
 大の男が二人、今夜のメインディッシュは計300円なり。マグロの漁獲制限なんて瀬戸内に暮らしている人間にとっては全く痛くも痒くもない。こんなに美味しいものを150円で味わえるのだから、質素な贅沢を毎日のように味わえる。新鮮なゲタでしか出来ない食べ方だから地元の人間でしか味わえない。太平洋を泳ぐ魚は絶対口にしないと決めているが何の不自由もない。贅沢がお金の額と比例しないところが小気味いい。


(ゲタは、シタビラメ、ウシノシタ類の香川・岡山あたりの方言。カレイやヒラメのように平たく、口が体の先端でなく、目の下にあること、背びれ、尾びれ、尻びれがつながっていることが特徴 )


2014年11月27日(Thu)▲ページの先頭へ
元凶
 結構なお金と時間を使って挑むのだから悔いが残らないようにしなければならない。そういった意味では今日来られた方は残念だろう。
 藁をもつかむのはいいが、その藁もできれば調べたほうがいい。脊柱管狭窄症でルミンを買って飲んでいたらしいが、買うほうに責任はない。責任があるとしたら売るほうだ。もっとも生活のために売るのは当然だからそれはそれでいいのかもしれないが、少なくとも、効かなくても「仕方ない」と言えるものでないといけない。無駄な投資をした上に、治療が遅れるようなことがあったら悔やまれる。
 ルミンを脊柱管狭窄症に売る意味は分からない。薬理的に言ってもお門違いだ。高価のものを売ると、売る側の財布は潤うが、買う側は逆だ。財布を空にさせるなら、それに見合う効果を提供しなければならない。ルミンに対して店側の狂信的な信頼があって、それ以外の選択肢を最初から持っていなかったのだろう。恐らく僕の30年以上の経験で言うと、その店はどんな客が来てもルミンを売ることを優先していたのだろう。こんな店は結構一杯あって、どんな人がきても勧めるものは同じって言うところがある。えてしてそういったところのほうが情熱的だから、よく流行っている。ただ当然といえば当然だが結局は見透かされて、次第に衰え廃業していく。今日来た方がひいきにしていたところも店を閉めたらしい。
 そもそも売るためのトークが機関銃の玉のように出てくるところは気をつけたほうがいい。必要なのは質問で説明ではない。薬を選ぶために僕など質問しまくる。といってもポイントは抑えるが。今日の方の場合はルミンだったが、ルミンが悪いのではない。商品に患者を合わせる・・・・これがすべての元凶なのだ。商品に合わせるのなら医者も薬剤師も必要ない。健康食品みたいに企業と消費者が密着していればいいのだ。
 最近はすべてのものが企業の言いなりのような気がする。朝から晩までコマーシャルを流され洗脳される。番組まで買収されているようなものもある。相手は何千億の金を使うのだから、よほどこちらがしっかりしておかないと言うなりだ。必死こいて働いて得た金を、いとも簡単に奪い取られる。浮かばれない人生を強いられて、沈んでいるとは気がつかない。いつの世も庶民はお人よしで、金持ちはやりたい放題だ。


2014年11月26日(Wed)▲ページの先頭へ
戦士
 インドネシアでは養殖業者が景気がいいらしいが、稚魚をとるにわか漁師が横行して乱獲され、ここでも稚魚の保護が問題になり始めている。食事の前の挨拶の「頂きます」は、命を頂きますと言う意味だと、随分前に永六輔が解説しているのをなぜか強烈に覚えている。仏教的な発想なのだろうが、僕はいたく感動した。その頂きますが現代の日本人には「根こそぎ頂きます」になってしまったように見受けられる。どんなにうなぎが美味しくても、それ以外の選択肢は一杯あるのに、何故そこまでこだわるのか分からない。マグロだってそうだ。福島のあとほとんど魚を口にすることが無くなった僕にとって、あのこだわりは想像を絶する。食物連鎖で恐らく最後のほうに属するだろうあの魚を、よりによって絶滅まで追いやろうとする「食い気」に驚かされる。
 うなぎにしたって、マグロにしたって、1年に1度くらいしか口にしなかった人間にとっては、どうでもいい話で、折角この世に現れた種を人間様が絶滅させる権利はない様に思う。かつてアジアの人たちの資源を頂きますと言って出て行き、多くの命も頂いたこの国の人間に本当に反省の気持ちがあるのなら、インドネシアのうなぎくらい手を出さない決断はできないものか。いやできるわけはないだろうな。
 今年も牛窓には漁業関係の仕事をしにある国の人たちが働きに来ている。彼らは良く働くらしいが「マネー、マネー」と口癖のように言う。でも彼らのマネーは可愛いものだ。魚のにおいをさせ、汚れた服を着て日本人労働者の半分にも満たないお金で働く。インドネシアにうなぎを買いに行くこの国の人はどうだろう。ジェット機から降り立ち、高級車に乗り、身だしなみは整い、決してマネーなどとは口に出さない上品で優秀な人たちだろう。彼らは小金など見向きもしない。一網打尽の大金だ。金になるなら何でも「根こそぎ頂きます」の戦士たちだ。



2014年11月25日(Tue)▲ページの先頭へ
凡人
 初めて会った時に「日本の文化に触れたい」と言い、積極的に出かけようとしたのに、実行できたのは最初の2ヶ月だけだった。その後は色々と企画しても彼女だけは参加しなかった。気になるから会う度に体調を確かめるが返ってくるのは決まって「お父さん、元気です」だった。
 昨夜、同僚に尋ねてみると「ゲンキジャナイ タベル ハク」と教えてくれた。「4キロ ヤセタ」とも教えてくれた。もともとスリムな女性だが、見ると確かにお腹が背中につきそうだ。かつて彼女の2代前の通訳が「吐いた時と倒れたときしか○○○○人は病院に行かない」と教えてくれたが、彼女は吐いてもまだ行かないみたいだ。そこで薬を作ってあげると提案したら、かたくなに断る。どうしてと尋ねると薬が好きでないらしい。若いから薬が好きでないのはよくわかるが、食事のたびに吐く人をほうっておくことは出来ない。そこで「お父さんは、草で薬を作ることが出来るのよ。化学薬品ではないから安心して」と言うと、びっくりしたようで、薬を飲んでくれることになった。
 若くて、暴飲暴食とは縁がないような生活をしている女性が吐いたりするのは明らかにストレスだ。単純労働だけで来ている女性たちは意外とストレスはないみたいだが、通訳の肩書きを持っている女性は、なぜかしら気持ちを病みやすい。偶然かもしれないが代々の通訳で一人を除いて全員が僕の前で涙を流した。仕事に関することだから直接的な手助けはできないが、気持ちを軽くしてあげることはできた。
 2週間毎に漢方薬を届けてなんとしても2月までには解決してあげたい。備中温羅太鼓も倉敷の季節はずれの第九も間に合う。それらに触れて僕自身は感激に当然浸れるが、この年齢になって初めて、感激してくれているのを見て感激できるようになった。自分で太鼓も打てないし、トランペットも吹けないが、会場に連れて行くことだけはできる。こんなに簡単なことはない。凡人はこれに限る。


2014年11月24日(Mon)▲ページの先頭へ
数字
 備中温羅太鼓の2月公演のチケットが昨日から売り出された。いい席を取るために、いや、安い席を取るために今日岡山まで慌てて買いに行ったのだが、指定のプレイガイドには一番安い席は配布されなかったらしくて手に入れることは出来なかった。今日岡山まで行った唯一の目的がそれだったので、朝寝坊してウォーキングが出来なかった分、当てもなく歩き回ってみようと思った。
 と言っても、岡山で歩き回れるところはそんなにない。昔から栄えた表町と駅界隈の2箇所を結ぶあたりだけだ。最近は表町が廃れて駅界隈の一人勝ちの様相を呈している。来月は西日本で最大級の商業施設が駅の傍にできるから、これで勝負あっただ。まだ開業していないのだが、今日表町を歩いて、もうほとんど王手状態だと言うことを再確認した。大げさに言えば区画によれば半分の店がシャッターを下ろしていて、それでもまだ大丈夫と思わせる区画でも、いくつもの店がシャッターを下ろしていた。すれ違う人もまばらで、かつて体をぶつかり合わせながらアーケードの下を歩いた面影はまったくなかった。
 駅界隈でも明暗ははっきりと分かれていた。駅から出て北側の商店街は昼間でも暗く、通り抜けるのもためらいそうだった。日の当たらないところには、日の当たらない人たちが似合うのか、あるいは居心地がいいのか、避けて通り抜けたほうがいい雰囲気をかもし出す若者たちがいた。
 南側の明るい通りを歩いても、今日はなんだか気がめいった。すれ違う人々はさすがに休日を楽しんでいる人たちばかりだろうから、人が出すオーラはまったくない。それぞれの人たちが本当はそれぞれの力を発揮して日々を充実させているのだろうが、輝きを失った街にすっかり同化している光景が希望を奪う。
 子供の6人に1人貧困家庭。にわかに信じられないような数字を今朝の新聞で読み、その余韻を引きずっての徘徊だから、シュプレヒコールのひとつも響かない大通りに、暗澹たる未来を感じ唖然としたのが正直なところだった。





2014年11月23日(Sun)▲ページの先頭へ
 和太鼓だけではせっかくの県北がもったいないので、午前中はノースビレッジと言う、県の?農業体験型施設?とやらへ行ってみた。そんなに期待していなかったのだが、意外と良かった。何がいいといって入場料が要らないのが一番だが、自然に少し手を加えただけで心地よい空間が作られているのがよかった。これ見よがしの設備はないが、ゆっくりと散策するにはうってつけだった。花が大好き人間が多いかの国の若い女性にとっては、楽しいひと時だったようだ。
 4人連れて行ってあげたのだが、その中の日本初めて組の二人のうちの一人が常に先頭をきった。時には小走りで、いかにも興味津々のように見えた。僕はその好奇心がとても頼もしく思えた。僕はかの国から来た女性全員に必ず「好奇心を持って日本にいる間は過ごしてね。お父さんはその手伝いをするから」と伝える。せっかく青春期に外国に行くことができたのだから、その国の文化を体験せずに帰っていくのはいかにももったいない。僕らが青春期には考えられないくらい地球が狭くなったのだから、そして後進国の人でさえ外国にいける時代なのだから、仕事(お金)だけではもったいない。
 早川太鼓のコンサート会場の隣が公民館で、偶然貼り絵の展覧会をしていた。時間つぶしのために入った不良観客だったのだが、先ほどの先頭を気って歩いていた女性が、とても興味を示し、絵から離れない。すると同僚たちが「○○ハ、エガ ジョウズ ダイスキ」と教えてくれた。そして彼女が描いた絵を携帯画面で沢山見せてくれた。日本に来てから描いたものらしいが、絵を超苦手としている僕にはとても上手に思えた。プロが見ればつたないものなのだろうが、「絵を描く事が好き」で僕には十分だった。これで彼女に向こう3年間「して上げられること」が分かった。早速、倉敷の大原美術館に連れて行く約束をした。
 あまりにも増えすぎたかの国の女性たちに「意味のあるもの」だけを選りすぐって体験してもらおうと今年は決めている。


2014年11月22日(Sat)▲ページの先頭へ
勝手
 レポート用紙に縦線を引いて方眼紙みたいなものを作った。横軸には15人の名前、縦軸には、上から日付、項目、参加したかどうかを記録する○×を記す欄を作った。いわば仕切りなおしだ。
 会社が好景気なのだろうか、今月新たに3人がかの国からやってきた。来春にはもう3人来るらしい。僕のモットーの平等を徹底するためにはもうこれで管理するしかない。積極的な人がどうしても得をしてしまうから、おとなしい消極的な人にも日本の文化に触れてもらおうとすれば、落ちがないように記録するしかないと思ったのだ。
 僕が今時間を費やしているのは、県内は勿論、兵庫県、広島県、香川県のイベントを漁ること。そう調べるなどと品のいい表現ではない、まさに漁っているのだ。あまりにも人数が増えたので、機会を均等にしようとすれば多くのイベントをまず探し出すこと。そしてその入場料が安いこと。無料ならなおいい。そして最近覚えた僕の手段だが、出来れば途中でパン屋さんがあればいい。僕は以前接待と言う感覚から抜けれなくて、喜んでもらえるだろう食事を探していたが、あるとき息子が「外国人に高級な料理を食べさせてあげても喜ばないよ。お父さんは○○○○料理を出されたらえずくじゃろう」と言われて悟った。以来おいしいパンを途中で買い昼食にしたりしているが、結構喜んでもらえる。もともと大食漢でない人種みたいだから、量も丁度いいらしい。こちらは予算が下手をしたら10分の1くらいで済むからなおいい。
 明日は県北の勝央町で早川太鼓のコンサート。12月の第一日曜日は赤穂で第九のコンサート。2月15日は本命の備中温羅太鼓、3月8日は倉敷で第九のコンサート、15日は久世町で早川太鼓。どうして3月に第九があるのか不思議だが、これで行きたくても行けない人も連れて行ける。要は僕が聴きたくて仕方ないものばかりに連れて行っているだけなのだが、これだからこそモチベーションが持続する。もしこれが氷川きよしや歌舞伎では朝、目も覚めないだろう。
 勝手と言えば勝手だが、僕みたいな人間が人様の役に立てるとしたら、勝手くらいではないと続かない。かつてスポーツ少年団でサッカーとバレーを教えたが、僕の子供たちが属していたこと、僕がバレーを30年やり続けるくらい好きだったことが最大の動機だった。家族も自分の時間も犠牲にしてなんて格好いい話ではない。家族も自分の時間も大切にしたからこその選択だったのだ。まるっきし、今の僕にも言えている。


2014年11月21日(Fri)▲ページの先頭へ
精度
 「あれだけ漢方薬を取りに来る人が多いのに、どうして風邪には現代薬を出すのですか?」と業界関係の方に尋ねられた。答えは簡単だ。「良く効くから」それだけだ。付け加えるとしたら、僕にとっては選択肢の中に加えたくないが、圧倒的に安い。3日分で900円頂いているが、ほとんどの方がそれだけで治るし、早く飲んでくれる人は1包で治ってしまう。今は僕はほとんど補助みたいな形で働いているが、娘夫婦がしばしば処方箋調剤の間に風邪薬を作っている。皆さんによく浸透して結構上手く利用してくれているみたいだ。病院に行く必要もなく、ひょっとしたらそれで体力を失うことも防げるから、病院にかかるより良く効くかもしれない。
 そんなことを感じる日々だったが、今日ある業界紙を読んでいたら、その僕の日々の感想を裏付けるような記事が載っていた。ある大学の感染症を専門とする教授の文章だ。医師や薬剤師のために書かれたのだろう。長い文章だからまとめることは出来ないが、心に残った箇所を箇条書きでもいいから紹介したい。
 ○医学部の講義で風邪の診療を教えているところはほとんどない
 ○風邪は基本的にはウイルスの病気だから抗生物質を使うメリットはなく、副作用と天秤にかけると副作用のほ  うが上回る。
 ○風邪とは気道症状があるもの(咳 鼻 のど)
 ○子供は年に5から6回風邪を引くが、60歳以上は1回
 ○風邪が1週間以上治らなかったら、抗生物質が必要になってくる
 ○風邪には病院の薬はあまり効かない。家で安静にしているほうがいい
 ○高齢者や心臓や肺に病気がある人以外は、風邪とインフルエンザを区別する必要はない
確かに大学病院など大きな病院にかかっている患者さんの風邪薬は至って簡単なものだ。遠路はるばるそこまで行ってこれって思うけれど、理屈がよくわかっている医師たちだから、安易に患者に妥協せず、正しい処方を出すのだろう。特に僕が一番印象深かったのは、風邪とインフルエンザを分ける必要がないという項目だ。僕はずっとこの考えをしていた。室町時代でもインフルエンザを克服して人々は暮らしていたのに、いやそれにかかることで免疫を強くしていったのだと思うが、平成の世で、ことさらインフルエンザの脅威を強調する「魂胆」にうすうす気がついていた。特に福島の事故のあと、安全神話を金で買い続けて、国民を洗脳したのと同じ手を使っていることに気がついた。ほとんど製薬会社の陰謀で、役人まで実質支配しているのだろう。
 僕の薬局には、調べたら絶対インフルエンザだろうなと言う人が時折やってくる。薬を出せば元気になってくれるからそれでいいと思っていたが、これからはもっと自信を持って対処できる。なんとなく僕も患者さんもアウトサイダーのような感じでいたから。やっていることが正しいとなったら今まで以上に勉強して精度を上げたい。


2014年11月20日(Thu)▲ページの先頭へ
製品名
 「人をかなぐったりしてはだめ」と怒っても、このあたりの子供以外だったら、何を怒られているのかわからないかもしれない。そんな分かりにくい言葉が薬の新製品に使われていたのだから驚く。「カナグル」と言う新しい薬が発売になり、セールスが早速持ってきた。見たとたん思わず噴出すのは岡山県人だけかもしれない。どう見ても標準語には聞こえない「かなぐる」と同じ名前だから噴出さずにはおられない。
 岡山弁でかなぐるとは引っかくことだ。爪を立てて移動させると傷が線状になる。そのことをかなぐると言う。新発売の薬は糖尿病の薬らしいが、岡山県民には、そんな攻撃的な薬は受け入れられないだろう。せめて「ナデール」とか「クスグール」くらいなら受け入れられるだろうが、暴力はいけない。
 それにしても医薬品は同じ名前を使ってはいけないからそろそろネイミングも限界に来ているのかもしれない。似たような名前で間違うことが往々にしてあるから、よほど気をつけて名前をつけないと医療事故に繋がる。
 僕の薬局では、若夫婦がいわゆる薬局製剤と言って、薬局だけが作ることが出来る治療薬を一杯作っている。製薬会社の薬など必要ないくらいだ。ただ名前は日本中画一で、風邪薬3号とか、消化薬2号とかで面白みがない。出来れば規制緩和をしてもらって薬局独自の名前をつけさせて欲しいものだ。僕は以前からそのときのために結構考えてストックしている。名前の権利を確保しておきたいからあまり公にはしたくないが、一つや二つならばらしても惜しくはない。「ムカツーク」「ノボセール」「ヒエール」「オチコーム」「キカナーズ」「アキラメール」「アホノミークス」


2014年11月19日(Wed)▲ページの先頭へ
座右の銘
 高倉健に特別な思い入れはないけれど、死亡ニュースがトップニュースになるのだから、よほどたいした役者なのだろう。大学を卒業してから映画館に入ったことがないくらい映画とは縁遠いので、解散のニュースより大々的に報じられていることに違和感を覚えた。まさか、アホノミクスから目をそらせるためだとは思わないが、どんな手でも使い、居心地の良さを守ろうとする勢力の原発の事故の後の、なりふり構わずを見たら、まんざら可能性がないとは言えない。
 僕らより大分上の世代の人たちがテレビのインタビューに答えて色々な反応を示しているが、すべての人がべた褒めだ。僕は健さんを褒めるより自分を褒めたらと言いたかった。引退しているのか現役か分からないが、答えている人の一人ひとりに歴史が刻まれていた。「あなたもスターだろう」そう言いたかった。
 たださすがに高倉健はプロで、老いても、亡くなっても格好良かった。その代表が昨日から話題になっている彼の座右の銘だ。多くの方は昨日の報道で見て知っているだろうが「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」と言うものだ。高名なお坊さんが教えてくれたらしい。仏教についてもまったく知識はないが、一目見て強烈に惹かれた。それは僕だけではなく、インターネットの中でも賞賛の嵐だった。ひょっとしたら、高倉健世代でない人たちにはこの言葉のほうが印象的だったのではないか。僕もその一人だ。あまりにもテレビで取り上げすぎるので勘ぐりたくなることはあるが、あの言葉に接することが出来たのは、やはり健さんのおかげか。


2014年11月18日(Tue)▲ページの先頭へ
初耳
 難しい本を仕方なく読んでいても思わぬ拾い物はある。今日の初耳の2つの言葉も大きな拾い物だ。
 医師の悩み相談みたいな内容の雑誌を読んでいて「治らないのは誰かのせい。今まで自分にかかわった医師が悪い。看護師が悪い。薬が悪い。――と、いつも他人に責任を転嫁する人がいます。この患者さんもそういった性格なのかもしれません」と言う書き出しの文章の中で、外罰欲求と内罰欲求と言う言葉を知った。知っている方もあるだろうけれど、人間は誰でも、「他の人が悪いのだ」と周囲を責める「外罰欲求」と、「自分が悪い。自分の不注意だ」と自分ばかりを責める「内罰欲求」の両方を持っているそうだ。一般的に大人は、やっかいな問題に対しては是々非々で臨み、ある時は他人が悪く、ある時は自分が悪いと分析判断し、相手が悪ければ謝罪を要求したり、逆に自分が悪ければ謝ったりしながら生きていると言うのだ。
 自分を当てはめても、多くの患者さんを当てはめても、誰もが両方を持っているのは当たり前だ。ただどちらかに大いに偏っている人も時々見受けられる。僕がお世話している多くの過敏性腸症候群の方は、どちらかと言うと内罪欲求に傾く傾向がある。どうしてそこまで思うのと声をかけてあげたいくらい自分を責める。他者に何の迷惑もかけていないのに、自分だけが苦しいのに、自分を責める。その挙句、何かが生まれるのならまだいいが、生産性はない。自虐の螺旋階段をひたすら下りていく。
 漢方薬だけで、その負の連鎖を食い止めることは出来ない。多くの言葉を借りて一つずつ障壁を取り除いていく作業と並行して行わなければならない。。氾濫した言葉の中にも心に届く言葉はまだ耳にするチャンスはある。そうした言葉の力と薬草の力で、外罪と内罪を正しく使い分ける術を学んで欲しい。


2014年11月17日(Mon)▲ページの先頭へ
ギャンブル依存症
 何枚か重なっているチラシに「のめり込まないで」という言葉を見つけ、そのチラシを1枚引き出してみた。興味深いキャッチコピーで、僕が一本釣りされた第一号かもしれない。
 なかなか魅力的なキャッチコピーだが、そのチラシはパチンコ屋さんのものだった。パチンコの広告の隅にさっきの言葉が書かれていた。その下にはパチンコの全国組織の名前、遊技場何とかと書いていた。パチンコ協会が昨今のギャンブル中毒の圧力をかわすために入れたキャッチコピーだろう。無理やりというか、心にもないことをというか、複雑だった。と言うのはまさに45年前から6年間、誰よりものめりこんだ人間だったから。
 のめりこむことに関しての評価は2分される。ノーベル賞をもらった科学者たちは、のめりこむ環境があったことをほとんどの人が感謝している。学問だけでなく、芸術や音楽やスポーツなどの多くの偉業もまた、のめりこんだ人たちの結果だ。
 翻って僕ら凡人は、哀しいかな、のめりこむ対象がまったく非生産的だ。何かを作り出すためにのめりこむのではなく、のめりこんだ挙句失うことのほうばかりだ。今日のテーマのパチンコはその筆頭かもしれない。ばくちはもとより、酒、遊び全般、男女関係、政治、マネーゲーム・・・
 ただし世の中の経済のほとんどの部分がこの「のめりこみ」の恩恵を受けている。こののめりこみがなければ経済規模はもっともっと小さいだろう。車にのめりこみ高級車を買い、家にのめり込みリフォームを繰り返し、旅にのめりこみ、健康食品にのめりこみ、美容にのめりこみ、食にのめりこみ、ファッションにのめりこみ、タレントの応援にのめりこみ・・・世を挙げていかにのめりこみの人間を創造するかだ。企業も、商店も、あらゆる職業がのめりこみをいかに沢山作るか、日夜苦心している。
 偶然だが今日、NHKでギャンブル依存症の番組を放映していた。新しい知見として、依存症の人は大脳があまり働いていないと言っていた。気持ちの問題ではなく明らかに病気らしい。どうりで僕は普通の人が4年で卒業する大学を5年もかかって卒業したはずだ。ちなみに僕が通っていた薬科大学は、当時まともに4年で卒業する人間は半分もいたかなあという印象を持っている。僕など1年遅れただけだから優秀なような印象を持っていたのだが。今日の知見によると僕の仲間は皆、大脳が働いていなかったんだ。学校に行くよりパチンコ屋に行った方が、同級生に良く会えたのだから。
 




2014年11月16日(Sun)▲ページの先頭へ
散歩
 「きれいじゃな、きれいじゃな」と30分くらいの車椅子による散歩の間に、何回も言ってくれた。それは独り言のようでもあり、僕に返しているようでもあった。否定的な言葉は一切出ないから、一緒にいてもつらくはない。いくつの言葉をまだ使えるのかわからないが、長い文章を完成させるのは困難なみたいだ。単語の羅列に近いようなことが多い。一日中施設の中で過ごしているのだから、紅葉は贅沢かもしれないが、せめて生い茂る木々を見ながらの散歩コースくらいプレゼントしたい。僕が訪ねる度に施設の外に連れ出すものだから、規則違反だから遠慮してくれと言われたが、母の残された時間を他人に支配されたくはない。カラスの鳴き声を真似て、空を横断する一群をずっと目で追っている母を、一日中頭を机につけて居眠りをしながら時間を消していく、典型的な痴呆像からせめて一時でも解放してあげたい。
 数ヶ月前、二人の姉と訪ねた時に撮った写真を持っていってあげた。分からないだろうなと思っていたら、写真を見るなり「この前来たときの写真じゃな」と言った。そして写真を食い入るように眺めて、何度も何度も頷いていた。あの頷きはなんだろうと思うが、確かめる必要はない。母が何かを思い出したのかもしれないと、良いように勝手に理解しておく。そのほうが希望がある。僕は「分かる?分かる?」を決して言わない。尊厳を傷つけているような気がするから。
 特別養護老人ホームなどをまだ見たことがない人は、特に若い人は、一度見ておくといい。必ず万人が行き着く先を教えてくれる。その光景を見たら、誰もが今の若さに感謝し、有り余った時間をもっと大切にし、努力してよりよく生きていこうと思うだろう。どんなに栄華を極めても、老いは、死は平等にやってくる。それも今を嘆いていることを許すほどゆっくりとした歩みではなく。



2014年11月15日(Sat)▲ページの先頭へ
増殖
 やたら捨てられている犬が見つかっているからだろうか、テレビで犬の繁殖業者の施設を紹介していた。白黒映像だったからはっきりとは分からなかったが、床には毛玉がまるで雪のように積もっているように見えた。恐らくカラーだと糞尿と混ざったもので見るに耐えない映像だったに違いない。今の時代に証拠写真や映像を白黒で記録することはありえないから、あえて白黒に加工したのだろう。
 素人の僕は、全体的に伝わってくる雰囲気に嫌悪感を持ったが、処分される羽目になった捨て犬を保護しているボランティア活動に一所懸命の薬剤師は、何段にも重ねられたケージとケージの間に仕切りがないことを指摘していた。だから糞尿が下へひたすら落ちるらしい。下の犬たちはたまったものではないだろう。なるほどそう言えば、どのケージにもまるでツララのように一杯垂れ下がっているものが見えた。ツララというより鍾乳洞と言った方がいいかもしれない。恐らくそれらは細菌の巣でカビだらけだろう。だから犬たちは不健康そのものだ。
 残酷なことが出来るものだと思うが、結構この国の人たちは残酷なことを平気でやる。わずか70年前には何百万人という人を殺したのだから、脈々とその血は流れている。相手が弱ければとたんに強くなるのもこの国の人の特徴だ。原発の犯罪的な事故の論点を摩り替えるために、またはオリンピックを誘致したいがために、やたら最近はこの国の美徳を強調していたが、精神を誇れるような図々しさは持ち合わせていない・・・と思いたいが、持ち合わせている人間は増殖している。口に出すのも気恥ずかしいようなことを平気で言ってのけれる人間たちのはびこる時代が、早く終わることを祈っている。





2014年11月14日(Fri)▲ページの先頭へ
旋回
 我が家の誰も知らないうちに、そっとお墓の掃除をしていてくれたのだからお礼をしなければならない。偶然にもお墓が隣り合わせだから、わざわざ出かけて行ったと言うわけではないが、でも誰が他人のお墓を掃除してくれるだろう。わざわざ出かけなくても、わざわざしてくれたことには相違ない。よほどのことがないと出来ることではない。彼にとって何がよほどだったのだろうと思うが、実はよほどではないから、彼の人格と言えるのだろうか。だから彼が2度も法務省に出張に行っていたのが残念でならない。
 ジャズやデキシーと言ったら目の色が変わるような人だから、ライブハウスでのコンサートは格好の機会だった。案の定十分楽しんでくれたが、面白いシーンを目撃、いや鑑賞させてもらった。チケット代には1杯分の飲み物代は含まれていたのだが、彼が日本酒の一杯で足りるわけがない。曲の途中で早くもお代わりを取りにカウンターに行っていた。そして3杯目・・・・を取りに行かない。とうにコップは空になっているのに、動かない。曲に熱中しているのかと思うが、それはそれで別のようだ。ついに、「500円しか持ってこなかったんで、大和さんおごってちょうだい」と切り出した。酒飲みがいい音楽を聴きながら断酒しても似合わないから、勿論お金を渡した。すると彼は嬉しそうにカウンターに行き、お代わりを所望していた。そして女性が注いでくれたのだが、近くで見ていた僕は3回目もまた「少ないなあ」と思った。簡単な使い捨てのプラスチックのコップについでくれるのだが、どう見ても7文目だ。これで500円は高いと僕は思っていたが、彼もまた同じことを考えたのだろう。カウンターの中の女性に向かって「もうちょっと入れて」と催促していた。すると女性は「8文目までと決まっているんです」と答えた。決まっているという言葉に僕も違和感を覚えたが、彼は「そんなことを言わずに、なみなみと入れてちょうだい」と要求していた。未練たらしく彼は繰り返していたが、結局は根拠のない決まりに寄り切られ諦めて席に戻った。ほんの1分くらいの寸劇だったが、なかなか面白かった。彼女が従業員でなければ、彼がせめて1000円札でも持ってきていれば上演されなかった寸劇だ。
 れっきとした公務員だったが人生に躓いた。コップ一杯のお酒代に苦心する転落を自分で予想できただろうか。悪意はなくても身を滅ぼす誘惑は枚挙に暇がないくらいある。人の生活を破壊してまで贅沢を追及する禿げたかは優に里山を超え、市街地の空を獲物を狙って今日も旋回している


2014年11月13日(Thu)▲ページの先頭へ
屈辱
 「今、給料前でお金がないから支払いは後からでいいですか?」と言われて僕は「いいよ、いつでも都合がいいときに」と即座に答えたが、本当は「いらないよ」と答えたかったのだ。ただそれをすると、次回から薬局に来にくくなるからしないほうがいい。お役に立てる機会は他の薬局に比べて圧倒的に多いと思うから、これから先も敷居が低いままがいい。
 庶民などと言うものを経験したことがない政治屋が多くを占めてきたから、下々のことはほとんど理解できないのではないか。底辺生活者の底上げをもっぱら政治はやればいいと思うのだが、むしろ今は逆で、高所得者の生活をまだ底上げしている。彼らは天井知らずのバブルを夜な夜な楽しんでいるのではないか。原材料を必要としないような仕事をしている人間が、多くの富を手に入れている。たった1000円の薬代を待ってもらう善良な人間が今までも、これからも報われる可能性は低い。黙々と、不満を訴える術もなく生活し老いて行くのだ。
 総選挙があるのかどうか分からないが、せめて、いい目が出来る仕組みを虎視眈々と構築しているやつらの一人でも退場させたいものだ。浮かばれぬ人たちが、浮きっぱなしの人間達を支える屈辱に気がついて欲しい。



2014年11月12日(Wed)▲ページの先頭へ
運転
 処方箋に書かれている年齢が85歳だ。さすがにそのくらいの年齢になるとすべての動作がゆっくりとしている。ただ駐車場に止めたその男性のオートバイがなんとなく気になる。どう見てもあれは原付のカブではない。クラッチ式でなんとなく格好がいい。プレートもピンクだから排気量も原付なんかよりは大きい。
 「御主人、エライ格好いいオートバイに乗っているんですね」と声をかけてみた。すると、結構古いが、今ではあのオートバイは手に入らなくて、若いオートバイ好きの人から値段はいくらでもいいから譲ってくれと言われるらしい。僕が「1000万円くらいで譲ったら」と言うと、そこから面白い話をしてくれた。面白いと言うか、危険と言うか。
 「歳をとったら自転車に乗れんようになるんですわ。ふらふらしてなあ。その点オートバイは楽ですわ。勝手に動いてくれるから、倒れる心配はないんですら。今でも80kmくらいは出せますら」
 出るからといって牛窓はほとんどの道路が40km制限だ。いったいどこで出しているのだろう。出したらだめだろう。歩くのも歩幅が小さくてゆっくり、自転車は乗れないと白状している人が、せめて40kmで走るならいざ知らず、40kmオーバーはほとんど暴走だろう。自分があの世にまっしぐらならまだいいが、道連れを作ったりしたら人生の完成期に汚点を残してしまう。田舎ではやむにやまれず運転免許を返さない人が多いが、暴走するお年寄りなど聞いたことがない。ある年齢が来たらほとんどの人が軽四に変えて身を、そして他人を守っているのに、度胸がある人だ。
 願わくば、白内障でスピードメーターが読めなくて、僕に教えてくれたスピードを勘違いしたことにして欲しい。さもないと恐ろしくてあの老人の住む地区には行かれない。いやいや白内障で運転?これも恐ろしい。とかく今の世は、恐ろしや恐ろしや。


2014年11月11日(Tue)▲ページの先頭へ
構図
 果たして国の家族にいくら工面してもらったのか分からないが、15万円貸してくださいと妻のところにメールをしてきたらしい。どうして妻のところかよくわからないが、学生として再来日したときに、日本での必需品代が足らないからと言う理由で頼まれ5万円用立て、入学祝だから返さなくていいと言ったのを心苦しく思ったのだろうか。かの国の人にとっては人に借金することは、ごく普通のことなのだ。村ぐるみで、町ぐるみで助け合うから、勉強のために外国にわたる青年たちを喜んで応援する。
 日本語の勉強のために来日し、1級試験を受けるほど上達したから、専門性がある大学に編入したいらしい。素晴らしいことだ。ただ日本の大学の授業料は彼らの生活水準からいえばやはり高くて、大学や学部の選択は希望よりも経済のほうが圧倒的に優先する。国費を使って留学できるエリートならいざ知らず、普通の青年にとってはやはり家庭の経済力がチャンスを左右する。
 今は円安だから実際の換算は出来ないが、テレビでかの国から来た人が、10倍くらいの貨幣価値の差があると言っていた。となると、かの国で集めたお金は、かの国ではどのくらいの負担になるのだろう。僕の入学祝を律儀に返してくれたように、何年もかかって返済するのだろうか。それとも日本で見事職を得て、あっという間に返してしまうのだろうか。いずれにせよ、向学心とその後の人生設計に貪欲なことには頭が下がる。親の庇護の元、なんとなく食って行くことが出来るこの国の若者たちよりも逞しく感じる。いずれはこの国も他の国のように多くの国籍の人たちが住み、良いことも悪いことも人種の坩堝と同じだけの容量を持った坩堝になるのだろう。まあ、その頃は僕はいないだろうから、大手を振って歩く外国の人たちの影で右往左往する日本人を見ることはないだろう。
運よく僕は良質な外国の人たちと接する機会が多いから、又この国の悲惨な人間性の低下をよくニュースで見聞きするから、外国人が増えることを必ずしも否定的には取らないが、せめて残っている日本の良質な部分を、日本の低俗に輪をかけたような外国人に蹂躙されない様に願う。安い労働力として輸入した人間の実害を被るのは輸入したやつ等ではなく、同じ共同体で暮らす羽目になるごく普通の住民達だ。何をしても、何が起こってもこの構図は変わらない。しわ寄せはいつも弱い人たちの上にもたらされる。




2014年11月10日(Mon)▲ページの先頭へ
使用人
 「競争に明け暮れ、時間や情報に追われる現代人はまさに自然と調和する豊かな感情が失われ、機械の歯車のような存在に貶められていることが新型欝の原因になっている」
 この文章は、ある漢方雑誌に投稿されていた九州に住むお医者さんの文章だ。普通の内科を標榜している人みたいだったが、新型鬱に対する洞察が印象に残ったから引用させてもらった。
 内科のお医者さんだから、報告内容は内科の病気で、こんな病気に漢方薬を使ったらよく効きましたというような事例の紹介だったのだが、最後のまとめの部分で、太陽をはじめとする自然に感謝し、自然の恵みを頂かなければこれからの時代に健康を維持するのは難しいと、持論を展開されていた。事例報告の場を借りて常日頃感じていることを、全国に発信したかったのではないか。又漢方薬の事例発表の場には似つかわしくはなく、漢方薬や漢字などの文化を入れてくれたのは中国や韓国だから、もっと感謝しなければならないとも書いていた。昨今のヘイトスピーチや売らんがための週刊誌のなりふり構わない下劣な内容を憂えてのことだと思う。どうも日本の医師は、経済最優先で、なんでもない人に抗精神病薬を処方したり、福島の放射能漏れに対して無関心だったり、まさに受験と言う競争に明け暮れて得た職業だから、精神が片手落ちどころか、両手まで落ちている人が多い。そういった意味で、投稿されていた医師の強いメッセージが、あの世界では異質のように感じた。
 若者や壮年をどんどん精神疾患に追い詰めてもなお、金が欲しい輩が今の政権を支えている。貧乏人や病弱な人達が間違っても支えてはいけない。泥棒に家の鍵を渡しているようなものだ。物も精神も根こそぎ持っていかれる。僕らはやつらの使用人ではない。
 


2014年11月09日(Sun)▲ページの先頭へ
ライブハウス
 N響のトランペット奏者がジャズのバンドを作っていて、そのライブがあるからと誘いを受け、法務省に2度も出張したジャズ大好き人間を連れて土曜日の夜、岡山市にあるライブハウス(MOGLA)に聴きに行った。数曲聴いた後、なんとなく主催者に尋ねてみた。「これってジャズ?」主催者も、「ジャズと言うより、ヒュージョンかな?」と答えた。ジャズ大好き人間を連れて行ったのだが、ジャズではなかったので、彼はどんな反応を示すだろうと思っていたら、さすがに耳が肥えているらしくて、トランペットの柔らかい音をしきりに褒めていた。僕はギターのテクニックに圧倒されていたが、日本には恐らく僕らが知らないすごい音楽家がいるのだろうなと想像した。
 そもそも伏線は店内に入ったときからあった。ジャズのライブにしては若い客がほとんどだったのだ。確かに僕たちより年上の人も散見されたが、ほとんどが20代から30代あたりに集中していた。若い人でもジャズを聴く人は多いんだと、勝手に解釈していた。好きなジャンルだったら4000円のチケットなんて意に介せないんだとも思った。僕はあの年齢で、4000円を払って音楽を聴きにいくかと問われれば、NOだ。
 ラテン音楽など一部の曲で激しくリズムを打ったが、おおむねおとなしい音楽だった。夜空のトランペットを始め3曲だけ知っている曲だったが、オリジナルが多くて、気持ちが入りきらなかったことは否めない。ただその上手さに圧倒され、トランペットも、ギターも、ベースもいい音が出るものだと、プロの実力に感嘆した。一言で言うと、上品なメンバーによる上品な曲を、上品な観客とともに楽しんだと言うことに尽きる。
 驚いたことに、昨夜のコンサートを企画したのは、誘ってくれた人そのものだったのだ。彼がトランペットを吹いている方の指導を受けていることは知っていたが、彼もまたひとりの聴衆かと思っていたら、彼自身が企画したらしい。建設会社の社長でありながら、その風貌からとても音楽など分からないように見えるが、トランペットもギターもたしなめる人物で、福祉関係の会社も経営していて忙しいはずなのに、これだけのことをこなしやり遂げたことに驚くとともに感心した。僕にとってはむしろその事の方が演奏よりも驚きだった。見るからに活動的な人だが、動いていくらに生まれついているらしくて、好奇心も行動力も旺盛だ。夕食時間と重なると言う理由で全員にカツサンドを振舞っていたが、御法度の裏街道を歩くような顔をしてよくも気がつくものだと、おどろ・・・あきれた。
 何十年ぶりに「ライブハウス」とやらに入ったが、場違いな感じは受けなかった。音楽を楽しむことに年齢のハンディーはないものだと、若い客を見ながら思った。


2014年11月08日(Sat)▲ページの先頭へ
早起き
「早起きは三文の徳」ならぬ「早起きは三問の得」だった。
家を出た瞬間、東の空にそれはそれは美しい朝焼けが広がっていた。そのままフィルムに写すしかその感動は伝えられないだろう。ところが人生で一度もカメラを持ったことがない僕だから、感動を人に分けてあげることは出来ない。
 テニスコートでいつものようにウォーキングを始めると、今度は西の空に満月が浮かんでいるのが見えた。東に朝焼け、西に満月、おまけに東寄りの高い空は、まるで金箔を貼られたような雲も広がっていた。これで「早起きは三問の得」なら誤字だ。三問は以下のようなことだ。
 月が、視覚では完璧に近いような円だったので僕はふとひらめいた。「そうだ、どうして地球も太陽も月も、他の星も球なんだ。四角や三角や、いびつな形があってもいいじゃないか」と。この歳になって初めて芽生えた疑問だった。そして、いつものように20分テニスコートの中を巡回しながら考えた。高校生までは結構勉強していたから、いやしなくても誰だってわかることだが、重力のなせる業ということは想像がついた。ただそれだけのことで、何がどうなって星が生まれたかなどというレベルのことはまったく分からなかった。そして家に帰ってすぐパソコンを開き「星は何故丸い」とキーワードを入れてみると、親切な人たちの回答が一杯出てきた。そこで教えられた知識は勿論だが、こんな素朴な疑問にストレートに回答が出てくることにも驚いた。
 実はもう一つ、ウォーキング中、浮かんだ思いがあった。頭上でカラスの鳴き声が聞こえるので、そちらのほうに目を向けてみると、はるか上空を数匹のカラスが飛んでいたのだ。カラスがあそこまで高く舞うのをあまり見たことがないから、いったい何の目的であんなに高いところを飛んでいるのだろうと思った。ひょっとしたら地を這う僕を上空から眺めているのだろうかと想像した。そして地を這う僕は、目の前の問題をこなすことだけで人生を送ってきた人間だと思った。はるかかなたに目標を設定して、それに向かって努力する人間ではなかったし、大志や欲望でモチベーションをいつも高めておく人間でもなかった。試験があるから勉強し、健康相談に来るから解決できるように努力し、ただただその繰り返しに人生のほとんどを費やしてきた。そしてそれなりに満足しているのだ。少なくとも不満はない。
 それに加えて今の若者の環境はどうだ。富や福祉を老人に独占され、かつての僕以上に夢や目標を設定しにくくなっているのではないか。低賃金を余儀なくされ、牛や馬でもあるまいし、外国人と単純労働を競わされている。そうした彼らが、果たして少なくとも僕と同じくらい、出来ればもっと高レベルで人生を満足のうちに終えることが出来るのだろうか。いやいや人生を満足のうちに始めることができなかったのだから、なかなかそれは難しいだろう。それ見てごらん、生きがいとか、やりがいとか、理由の乏しい日常に零れる陽さえためらいがちではないか。
 


2014年11月07日(Fri)▲ページの先頭へ
自業自得
 なるほど、本人が言うように、僕の仕事とよく似ている。僕が人の健康に対して相談を受けるように、彼はお金について相談を受ける。健康とお金の違いだけだ。健康を害する人が最近とみに増えたとは思わない。ただ、彼の分野の患者さんは、素人が見てもわかるように増えているらしい。一部のアホノミクスのお友達以外は、相変わらずのそこそこに甘んじ、そこそこにも及ばない多くの人たちが船底であえいでいる。
 前回のバブルを忘れている人は僕らの世代ではいないだろう。当時もまったく蚊帳の外だったから、いい目にも悪い目にもあっていない。世間の雑音に耳を傾けることなく、淡々と暮らしていたから、失われたと言われるその後もまた淡々と暮らすことが出来た。要は、根っから馬が合わないような輩が一喜一憂しているのに関わってなんかいられないってことだ。カネがすべての人種とは最初からすむ世界が違うから、やつらの口臭が届かないところで暮らしたい。
 このところ大きな地震をほぼ当てている先生、名前を忘れた。確か地震の研究が専門ではなく測量が専門らしいが、その先生が来年の1月までに大地震が起こると予測している。今まで当たっているのだから今度も当たりそうだが、それが来たら例のアホノ何やらも、オリンピックも、全部終わる。東北地震で少しは謙遜を取り戻すのかと思ったら、この国の人たちは、謙遜のけの字も知らないようなやつらを、いたる分野で祭り上げている。
 自業自得のカウントダウンが始まる。


2014年11月06日(Thu)▲ページの先頭へ
異質
 「昨夜の雨にはびっくりしたなあ」と出し抜けに言われたので、そのほうにびっくりしたが、実は僕も同じような印象を早朝受けていた。と言うのは、昨夜いつものようにウォーキングをしていた時には、月が空一面を照らしていて、南のほうにあった雲が白く見えるほどだった。星は高く、いつものように飛行機が星になって東西にいくつも通り過ぎていくのが見えた。
 ところが、今朝は雨の音で目が覚めた。どうしてと、まどろみの中で考えた。そんなに懸命に天気予報を意識して見ることはないが、無意識のうちにでも雨かどうかなどは判断していると思う。不意打ちに感じたのは、恐らくその可能性を示唆するような文言が天気予報の中で使われなかったからだと思う。「出し抜けの男性」は僕よりふた回りくらいお年の人で、農業を営んでいる人だから天気には敏感だし、天気予報なんかなくても身につけた勘で天気などそれこそ予報できる人だ。その人がまるで不意打ちを食らったように言ったのだからよほどのことだったのだろう。
 どちらかと言うと共通点を探すのが困難なような二人の人間が、どうでもいいような些細なことで、まったく同じような印象を持っていたことが興味深かった。牛窓でくくるのか、岡山県でくくるのか、日本でくくるのか、亜細亜でくくるのか、それとも種でくくるのか分からないが、「同じようなもの」に警戒心を解除する。
 誰かが得するために大量の異質を受け入れようとしている。異質が異質で終われば、この国は混乱する。ほんの一握りの人間のために、圧倒的多数が生きづらさを感じる。そんなことお構いなしに上手い汁は茶碗を満たす。異質を上質に変える努力もせずに野に放てば、僕らはアフリカのサバンナで暮らすことになる。


2014年11月05日(Wed)▲ページの先頭へ
例の
・・・昨日は大変お世話になりました。その際、例の薬剤師の女性から「エキス剤などに配合されている滑沢剤のひとつ、ステアリン酸マグネシウムをマグネシウムの摂取制限が出ているペットが服用しても大丈夫でしょうか?」という質問を受けました。・・・
 昨日偶然漢方問屋の専務さんと薬剤師が会えたので、薬剤師が専務に質問をしたらしい。その答えが今朝メールで僕の所に入ってきたのだが、この冒頭の部分で何か違和感を覚えた。何だろうと数回読み直してみて気がついた。「例の」と薬剤師の前にわざわざつけた言葉が引っかかったのだ。この「例の」が必要だとは思えないのだ。もし敢えて使ったとしたら、何か強烈な印象を持っているのではないかと勘ぐってみたくなる。なるほど初めて会った時に僕が冗談で「ホーチミンから来たニャーさんです」と紹介したら、まったく信じてしまって、「言葉が分からなくてすみません」と謝っていた専務さんだから、罪の意識は引きずっているだろうが、果たしてそれだけなのだろうか。
 専務さんも薬剤師も、どちらも謙遜で頭の低い人だから、「例の」はひょっとしたら謙遜?南方系と自認するくらいだから、健康的?色黒?知性が光っているから、知性的?僕の漢方薬の知識を貪欲に盗もうとしているから、熱心?言葉を選んで口を開くから、慎重?・・・何をイメージしてその言葉が出たのか分からないが、2度薬局内で、動物用の漢方薬について話をしただけで、心の中ですでにイメージが出来上がっているかのようなのが興味深かった。


2014年11月04日(Tue)▲ページの先頭へ
赤頭巾
 本人は必要があってそうしているのだろうし、通りすがりの職員たちは思わずにこっとして、声をかけてくれたりするからそのままにしておいた。それで誰も迷惑を受けるわけではないし、むしろ笑顔がこぼれるなら、それもまた長年培った母の人徳だ。何十年もお客さんを接待し続けたのだから人を傷つけたりしない。一見絶望的なしぐさの中に何か、秘めたる意識があるのかもしれない。そうでも思わないと、その光景を目撃して平静ではおられないだろう。
 妻が着替えの服を持参したビニール製の買い物袋をテーブルの上に置いていた。するとそれを見つけた母はおもむろにそれをたたみ始めた。いつもの光景だ。ところがそれを今度は逆さにして頭にかぶった。と思うと、今度はそれを手で下に引っ張って、まるで銀行強盗のように頭全体を隠した。そしてそのままの姿勢でいるから、窒息してはいけないと思ってすぐに袋を持ち上げて顔を覗かせた。赤ちゃんなら事故が起こりそうだ。いやいや年寄り赤ちゃんだからその種の危険は同じことだ。
 顔を覗かせたはいいが、今度はそのポーズが気に入ったのか、ビニール袋の手で持つ部分をまるで帽子紐のようにして、そう、まるで赤頭巾ちゃんのようなポーズを取って身動きしなくなった。話しかけても適当な答えしか帰ってこなかった。一瞬もまともな時間がなかったのは初めてのような気がした。時折傍を通る職員たちが一瞬驚いたような顔をするが、ほとんどの人は面白いものを見つけたように笑いながら、又声をかけてくれながら通り過ぎた。
 僕は哀しくはなかった。恐らく母はもう何も苦痛を感じていないのだと思った。何もかもお返しして、何も持たず旅立とうとしているのだと思う。だから、いかにも自然のように思えたのだ。


2014年11月03日(Mon)▲ページの先頭へ
矛盾
 両肩を上げると、いわゆるいかり肩になる。「現代はこうして暮らしている人が多いですよ。だから肩がこるんですな」と先生が講演の途中で言われた。僕はいからせた肩は思いつかなかったが、同じようなことは毎日感じていた。そして僕の場合は「力み」と言う言葉を使っている。「現代人の多くは毎日力んで暮らしている」と表現することがあまりにも増えたと自覚していた。同じことを先生が感じておられたので、少しは近づけたかなと思ったが、まだまだ何週も遅れて僕は走っている。
 「アクセルを踏みっぱなし」ともしばしば表現する。ブレーキが下手とも言う。頑張りすぎとも言う。どの表現を使っても交感神経優位と同義語だ。休息の神経の逆、まさに戦うための神経だ。そこを四六時中覚醒させているのだから、筋肉はガチガチになり肩も凝る。
 自ずと毎日の仕事の中で使っている漢方薬は、そっち系の薬草ということになる。ハーブという言葉を使うと最近ではあまりよくない印象があるが、結構気持ちをめぐらせる薬草や、落ち着かせることが出来る薬草を僕らも使っている。正に漢方薬と言う名のハーブだ。どこにでもある紫蘇の葉っぱや薄荷などはわかりやすいと思う。作っていても良い香りがして気持ちよくなる。
 実は、いかり肩も、アクセルを踏みっぱなしも、ブレーキが下手も、頑張りすぎもすべて僕に当てはまる。と言うより僕自身だ。だから相談にやってくる人たちのことが手に取るように分かる。当然治し方も分かる。僕の負の経験を若者たちに繰り返してほしくないと言う思いが、僕の漢方人生をを支えてくれていると言っても過言ではない。行き着くところまで行き着いて僕が悟ったことなどを伝えられたらいいなと思っているが、行き着くところまで行き着くことは決して悪いことでもないと言う矛盾を僕自身も孕んでいる。
 行き着くところまで行って悟った簡単な結論は「体力の保証があるときだけ全うできていた個性は、実はまことに頼りないもの」だと言うこと。






2014年11月02日(Sun)▲ページの先頭へ
空振り
 「そんなことないですよ」関西弁だから「な」の位置にアクセントがある。先生は2度言ってくれた。
 教えを請い始めてからもう30年になる。まったくの初心者から始めて、先生の講義を一言も漏らすまいと懸命にメモを取り続けてきたから、今の僕がある。僕が研究会に属することを許された時の、そうそうたるメンバーはかなりの方が亡くなった。僕が極端に若かったから30年も経ってまだ現役でおれる。ありがたいことに先生も現役だから、リアルタイムでまだ教えを請うことが出来る。先生がお元気で、僕が元気でおればもう数年は世間の役にたてるかなと思う。ただ僕の実力不足で空振りに終わらせる人がやはり3割くらい出続けるので、如何に治癒率をあげるかで毎回苦心している。今日の勉強会の後、先生にヒントを頂きたくて質問したときに、僕の脳裏には治すことが出来なかった人たちの顔が浮かんでいて、そのことを話すと先生が冒頭の言葉をかけて下さった。頂いた助言と僕が投薬した内容が違っていたので、余計後悔の念が膨らんだのだ。
 先生の薬局で修行して開業した方が薬局を閉められるのだそうだ。先生のお仕事を手伝いながら知識を得た方だから、僕なんかより実力はあるかもしれない。それでも現代は調剤専門薬局以外はなかなか経営的に厳しくて、廃業を余儀なくされるところが多い。20kmくらい行かなければ同業者を探すことが出来なくなった牛窓のような田舎も、先生がおられるような大都会も同じようなものだ。
 先生は集まった薬剤師の人たちに、講義を脱線させてエールを送られていた。決して自身をカリスマ化するのではなく、庶民を貫き通して地域に貢献することを身を持って僕たちは教えてもらった。僕が30年間で教えられた「漢方薬局の姿」なるものが、参加者達に2時間の講義で伝わるのかどうか分からないが、まず身につけて欲しいのは「謙虚」だと僕は思いながら、一番後ろの席でペンを取った。
 


2014年11月01日(Sat)▲ページの先頭へ
集団
 企業と言うものは、こうした人たちの集団だから強いだろうなと思う。個人がかなうものではない。理路整然としたしゃべり方、忠誠心、義務感、野心。体調不良の相談をしているときでも、僕ら個店の人間とは違う。ただそうしたものが行き詰ったときには己に向かってくる刃物になる。そして心を病む。
 漢方薬で解決してあげると、ずいぶんと力が抜けるらしくて、笑顔が増え、話題も自分の趣味にまで範囲が広がり、見ていてとにかく楽しそうだ。だからこちらまで楽しくなり、ついつい立場が逆転して、こちらが教えを請うているようになる。特に僕が自分の専門以外に疎いから、驚きの連続で皆さん楽しそうに教えてくれる。こんなときは専門馬鹿が役に立つ。いや間違えた「専門も馬鹿」が正しい。
 ドラッグストアが牛窓に進出してきて、薬局は勿論ほとんどの商店が影響を受け、衰退するだろうと、誰もが思っていただろう。さすが開店当初は多くの商店が影響を受け、商店主は浮かぬ顔をしていた。ところが最近になって、どのオーナーも、心配顔をしなくなった。吹けば飛ぶような商店が、吹いても飛ばぬようになったのだろうか。あるいはドラッグストアの肺活量が意外と小さかったのだろうか。冒頭で述べた企業戦士たちの集団と戦いにもなりそうにない人たちが、なぜか自信を取り戻している。長年築いて来た信頼?友情?などが防波堤の役をしているのだろうか。
 心を病むほど働かなければならない人たちが、大きな集団にも個店にもいる。人生と言うのは言われるほど素敵なものではない。何のために、何故働きづめになるのか分からないまま働きづめになる。インプットされたいくつもの問答無用に抗うことすらできないまま読みさしの本は閉じらようとしている。


   


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