栄町ヤマト薬局 - 2014/07

漢方薬局の日常の出来事




2014年07月31日(Thu)▲ページの先頭へ
単刀直入
 あまり岡山県から出たことがない女性が、紙切れに大阪市の、とある住所を書いてきて、行き方を教えてくれと頼まれた。
昔から僕の薬局をしばしば利用してくれる人だがら、そしてその割には生活習慣が極端に悪い人だから、行き方より、生き方を教えてあげようかと提案したが、まったく受けなかった。
 9月のある日、そこの場所に用事があるらしい。夕方の用事らしいから泊まるところも探して欲しいと頼まれた。まったくインターネットなどしない人だから、僕のレベルのインターネットでも役に立てるらしい。
 なんでも抽選に当たったザイルを買いに行くらしい。お子さんと一緒に行くらしいが、色白でスリムなその女性が山登りをするとは驚いた。そんな話は過去聞いたことがなかったが、見るからに身軽そうだから、山登りにはうってつけなのかもしれない。薬剤師的に見れば、筋肉があまりなさそうだから、冬山登山はどうかと思うが。
 ユーチューブで検索するとその場所は京セラドームだった。岡山県でも山登りの道具を売っているスポーツ店くらいありそうだが、やはり規模が違うのだろう。あの広いドームの中が山登りのためのイベント一色に染まれば、華やかだろう。山ガールと言う言葉ができているくらいだから、女性客も多いのだろう。
 会場が京セラドームと分かったから、京セラド−ムのホームページを開けば、アクセス方法が分かるのでそこを開いた。案の定、いくつかのアクセス方法を書いてくれていたが、僕でも難しそうに見えたので、ザイルを買うためにわざわざ行かなくてもいいのではないのと提案してみた。すると「せっかく、抽選に当たったのに、もったいないじゃろう、めったに当たるもんじゃないんよ」と完全に提案は却下された。どうしてザイルごときで抽選しなければならないのかよくわからなかったが、ホームページで当日のイベント情報を調べて分かった。なんと入場料が一人12000円なのだ。二人で24000円、新幹線代が2万円、ホテル代が16000円、締めて6万円がザイル1本のために消えることになる。もっとも他人が介入する権利はないし、そんな野暮なことはしない。でも、そこまでして、ザイルのために大阪まで行くのか知りたかったから「そんなにいいの?」と単刀直入に尋ねてみた。すると高揚した表情で「娘のほうがファンなんじゃけど、実際の舞台はすごいらしいよ。エグザイルは徹底して楽しませてくれるらしんよ」と教えてくれた。何?ザイルではない?まるでネイティブの発音のように最初のエグの音を消すからザイルと間違えたではないの。


2014年07月30日(Wed)▲ページの先頭へ
反転攻勢
 鬱についてのある報告を読んでいて、鬱症状の改善の指標に「疲労感」がなりうると報告されていた。疲労感が取れれば鬱が改善されつつあると言うことなのだろうが、その中で妙に引っかかる部分があった。その疲労感と関連して4つの項目が列挙されていたのだが、その4つがまるで重要な要素であるかのような印象だった。「女性」「失業中」「教育を受けた期間が短い」「月収が低い」の4つなのだが「女性」が繊細だから上げられているのは分かるが、その後の3つについては、鬱どころか、人生そのものの質をおとしめる要素だ。
 人間としての充電時間が短くして社会に出、安い賃金でこき使われ、その挙句失業でもしたら欝にでもならないとやっておれないだろう。これらの要素を併せ持っている人は現代では多いと思う。実際僕のところに接触してきてくれる人の中にも、該当する人は多い。体調不良、心調不良を理由に仕事をやめるとよく言う人もいるが、経験上、失業状態のほうが心を病む人が多いのも経験している。これらの3要素は、本人のせいではない部分も多い。望まなくてその状態になってしまった人も多い。いわば時代の被害者と呼ぶべき人も多い。家庭環境に恵まれ、経済的に恵まれ、最高の教育を受けたようなやつらが牛耳るこの国で、そうでない人たちの悲鳴を受け止めてくれるところはない。孤立して、屈辱のうちに、計り知れない不安と同居して毎日を消化している人は多い。青春真っ只中で、すでに人生の消化試合に臨んでいるようなものだ。理不尽を友に、足跡さえ残らない空疎な人生を耐え忍んでいるのだ。彼ら、彼女らは、この先反転攻勢に出る仲間も手段も持ち合わせず、あのままで終わってしまうのだろうか。


2014年07月29日(Tue)▲ページの先頭へ
無為
 道路沿いに駐車場があり、その真ん中に畑を作っているものだから、みんなが活動し始める時間になれば、挨拶を切らせない。だから僕はなるべく早朝に畑の草を抜くことにしている。この時期だと時間がたつにつれて耐えがたい暑さになるので、そういった理由でなるべく早くと言うのも勿論ある。
 もうほとんど草を見れば反射的にしゃがみこんで抜きたくなるように訓練された僕は、今、中学校のテニスコートに点在している草が気になって仕方ない。ほとんど麻薬犬状態だが、ここは理性を持って耐えている。特に雨が降った翌日など、草を抜くのに最高のタイミングだから、歩くたびにつけられるテニスコート上の僕の足跡に嫉妬する。
 よく考えてみたら、この状況は当事者たちこそがよく見ているはずだ。毎日テニスの練習をしている声が聞こえるし、姿も垣間見れる。もうずいぶんと長い間僕は気がついているから、彼らも気がついているはずだ。でも、どうして抜かないのだろう。硬式テニスのように硬いボールならまだ草の上に落ちても反発力を失わないだろうが、中学生が使用している軟式ボールだと、弾かないだろう。その程度のことはどうでもいいのだろうか。あるいは燃える太陽の下で草を抜くなんてことはしたくないのだろうか。誰かが、それはほとんど大人だと思うが、草を抜いてくれて、当然のごとくテニスを楽しめると思っているのだろうか。
 僕が彼らと同じ頃ならどうするだろう。当然草が生えていることなど無視するだろう。ボールが少しだけ草で方向を変えようが、跳ねなくても、しゃがみこんで草を抜くよりはましだ。誰かがやってくれて、そのうち快適な空間に戻ると考えていただろう。青春時代、何一つ褒められるようなことをせずに、ただひたすらに無為に過ごした人間が、どうでもいいようなことに気がつき口を出す。この気づきさえ後ろめたい。


2014年07月28日(Mon)▲ページの先頭へ
評論家
 かの国に行ったことがないのに、かの国評論家の僕としたら、今回のような事案は想像していた。と言うのは、かの国だけではないかもしれないが、日本に来て、努力が報われて満足して帰って行った人が果たして何割いるのだろうと常々考えていたからだ。この国の人たちが避けている分野をまさに補うためにやってきて、この国の労働者の半分にも満たない報酬しかもらえなかったら、心のうちに何を思って帰って行くだろう。
 たとえば休日、着飾った若者が、闊歩するのを横目できつい労働をしたら、若い家族が楽しそうにテーマパークで遊ぶのを見ながら、汚い仕事をしたら、高級車が頻繁に目の前を通り抜けるのを見ながら危険な仕事をしたら、おいしそうなレストランで食事をするのを窓越しに見ながら炎天下で仕事をしたら、いつ勉強しているのか分からないような女の子がたむろするのを見ながら、寒空の下で仕事をしたら、彼らは何を思い帰っていくだろうか。
 そしてこの国の人たちが親しく交わり、人格を評価し、多くの親切を経験させていないとなると彼らは心に何を持って帰るだろう。多くの反感とそれがきわまった憎しみをもって帰る人がいても不思議ではない。
シシャモに農薬と人糞が混入していたのは、作業ミスなんかではなく明らかにこの国の人に対する復讐だろう。経済的に豊かな国に対するその人間の一矢だろう。やり場のない怒りだろう。「オトウサン サベツッテコトバ シッテマッカ?」3年間の研修と言う名の労働を終えて帰っていくかの国の若い女性が残した言葉だ。僕のもっとも嫌いな言葉を覚えてしまわざるをえない彼女たちに、それがまったく存在しない時間と空間を僕は出来るだけ多く作りたい。いやむしろ、尊敬と感謝が支配する時を共有したい。


2014年07月27日(Sun)▲ページの先頭へ
S・Sさんへ
 今日は変化に富んだ1日だったのだが、この場を借りて以下のことを書かなければ、僕が悪者になりそうだし、いつまでもこうしたストレスを抱えたくない。又これからも繰り返したくない。
 もう1週間以上前に相談された方に、いつものようにすぐにメールで返事をしたのだけれど、僕のメールが届かないと言うメッセージが帰ってくるばっかりする。おおむねドコモの携帯電話からの相談に多いのだけれど、どうやらそれが最大の原因でもないらしい。パソコンからの受信拒否を設定している人が多いようなので、姪に頼んで携帯電話から返事を送ってもらった。ところがそれも数日挑戦したのだけれど返事は来なかった。結局もうこちらが出来ることはすべてしたってことで諦めていた。すると今朝数日振りに返事がないので頂きたいと言うメッセージが入っていた。運よく、携帯からとパソコンから両方を経由して入っていた。だから今回はパソコン同士の交通になるから、やり取りが可能だろうと喜んでいたら、結局帰ってきてパソコンを開くと、送信できなかったと表示がされていた。せっかく楽しみに帰ってきたのに、元の木阿弥で少しショックだった。
 以前は僕の機械音痴のせいにしてすべて片付けていたが、こうしたことが繰り返されて少しは学んだ。折角相談メールを送ってくれているのに、着信拒否をしている人が少なからずいること。そして名前はさすがに書いてくれているが、住所や電話番号を書かなくて相談する人が時にいること。だから今回のようにメールでの交通が出来なければ、その他の手段は閉ざされているから連絡のとりようがないのだ。お互いがかなりのストレスではないか。治ってもらうことだけが僕の興味だから、住所などを最初から書いてくれればいいのにと残念に思う。処方を決めると言う真剣勝負に匿名などは似合わない。どこに住んでいる誰かなど僕には関係ない。ただ縁あって接触してくれた人が苦痛から脱出してくれればいいのだ。
 S・Sさんと、これから僕に相談してみようと思われている方が、今日のブログを読んでくれることを望む。


2014年07月26日(Sat)▲ページの先頭へ
マムシ
病院の待合室に「マムシに注意」と書かれてもどうしようもない。まさか待合室に出るのではないだろうと、患者さん達は不安そうだったが、結局は病院の裏の畑だったらしい。病院はそれこそ海岸沿いに建っていて、マムシが出そうな所ではない。そういったところでマムシが目撃されるのは、畑が耕作放置され山に戻ったってことだろう。
 何人かの患者さんから、マムシの話を聞いた。農家の方にとっては別段珍しいことではないから、冷静な体験談が聞かれ、そうでない人からは恐怖だけが伝わってくる。そんなやり取りがすんだ時間帯におもむろに薬剤師が言った。「お父さんを呼んで来ましょか」と。ぼくは何を言っているのか分からなかった。当然聞き返すと「父はマムシを捕まえるのが得意なんです」と若干照れながら言った。それは照れるだろう、世の中にどれくらいの割合でマムシを捕まえるのが得意な人がいるだろう。怪訝そうな顔をしているだろう僕に説明をしてくれた。「父は、マムシを食べるために捕まえるんです。だから捕まえるのは得意です」これには参った。マムシをとって食べるお父さんと、上品な薬剤師が結びつかない。ただマムシを捕まえるお父さんに、いや、その捕まえ方に興味がわいた。だから薬剤師に頼んでいた。お父さんがどうやってマムシを捕まえるのかを。
 その答えを今日もらった。棒が一本あればよくて、頭をねらって一撃するのだそうだ。マムシはそうされると気を失った真似をして動かなくなるから、そのタイミングで頭をつかみ一件落着らしい。道具が棒一本には驚いた。もっと重装備かと思ったら、原始的にも程がある。よほど踏んだりしなければ飛び掛ってきたりするものではないらしいから、実際には素手で捕まえられるらしいが、やはりその勇気は僕にはない。食べるのを目的に捕まえるから、きれいに殺さなくてはならないから、紐で首を絞めるらしいが(どこが首か僕には分からないが)、話のどの部分をとっても興味深かった。薬剤師から間接的に聞いた話だが、昔の田舎で育った人は勇気がある。


2014年07月25日(Fri)▲ページの先頭へ
北斗八星
夜のウォーキングの楽しみは、空の星を眺めながら歩くこと。梅雨のころからなかなか晴天に恵まれなかったので、昨夜は久しぶりに星空を見上げた。僕が歩く時間帯は、飛行機がとても多く飛び交い、一つの空に5機が同時に飛んだりする。多くの人が飛行機を利用していることに驚く。東西に飛ぶ飛行機のほうがやや多いような気がするが、意外と南北に飛ぶ飛行機も多い。どこからどこに向かって飛んでいるのだろうかと興味を持ち、航路をd調べたことがあるが、想像以上の沢山の線が地図上に引かれていて結局は何も分からなかった。あの時間帯だから、国内に帰ってきているのか、はたまた外国に飛び立っているのかと想像をかきたてるが、僕にはもともと知識はない。子供たちが独立するまでは絶対飛行機には乗らないと決めていたし、独立してからは、好奇心もなくなり、もう乗ることはないだろうと勝手に決めている。
星座についても何の知識もないが3つくらいはわかる。その中の北斗七星がなんだか昨夜は間延びしていた。見上げた空にすぐに見つけたのだが、それもずいぶんと長い間お目にかかっていなかったから、なんだか旧友に会ったみたいに嬉しかったのだが、なんとなく柄の部分が長く感じた。そして気がついた。今夜のは「北斗八星」なのだと。そして8個目の星が少しずつ動いていた。丁度柄の部分の延長線に飛行機の灯がまるで星の輝きのように見えたのだ。偶然のいたずらだ。
 毎晩暗闇のテニスコートをまるで不審者のように徘徊する。誰かに見つかれば逃げられるか警察に通報されるかだろう。夜空を見上げ瞑想に耽りながら、人生の迷走振りを悔やむ。若いときに感じていた「9の苦しみを1の楽しみでごまかして生きるのが人生」と言う感慨は、現代の若者にも受け継がれているように思う。いやひょっとしたら9ではなく、9.5くらいに苦しみが増えているのではないかと危惧する。


2014年07月24日(Thu)▲ページの先頭へ
不完全燃焼
「この紋所が目に入らぬか」と言われても、その紋所は目には入らなかった。クライマックスで助さんが葵の御紋を悪代官に見せて、観念させる場面のために、それまでの40分テレビ画面に釘付けなのに、なぜかそのころになると階下から呼ばれる。
牛窓に帰ってきてから20年近く一人薬剤師だったから、昼食をゆっくり食べたことなどない。もともと早食いだが、犬のようにかきこんでハイ終わりだった。その癖で、薬剤師が増えても同じように昼食をかきこんではすぐに階下に下りて仕事をしていた。それはいやでもなんでもなく当然のことだった。今でも抵抗なくそれを繰り返している。
一方、当然といえば当然なのだが、僕以外のスタッフはゆっくりと昼食をとりに上がる。食事の後ゆっくりしているのだろう。僕みたいな貧乏性で暮らす必要はない時代だから、それはそれでいいと僕も思っている。そうした光景を見ていて、一つ僕もわがままをさせてもらおうと考えた。それは毎日午後4時から再放送されている水戸黄門を見るということだ。なんとなく居心地は悪いが、夏の盛りのその時間帯に薬局に来てくれる人はそんなにいない。だから僕もその時間帯はおおむね手持ち無沙汰にしているのだが、その手持ち無沙汰を薬局ではなく、2階で実演しようと思ったのだ。東野英次郎ふんする水戸黄門だから、なんとなく古典のにおいがしてなかなかいい。人情物に涙さえ浮かべてみていると、そして最後の印籠の場面が近づいてくると、なぜかほぼ決まったように階下から漢方の患者さんが来られたから応対するようにと呼ばれる。今週は今のところパーフェクトだ。何でこのタイミングでと毎日のように悔しがっている。勿論階段を下りたところで、薬剤師モードに一瞬にして変われるが、日々の偶然がおかしくてかなわない。
 「この紋所・・・」を見ることが出来ない水戸黄門は、不完全燃焼の極みだ。泡の出ないビール、溶けたカキ氷、断罪されないあいつら。


2014年07月23日(Wed)▲ページの先頭へ
お神楽
今年も伊勢神宮のお神楽がやってきた。僕にとっては、夏には欠かせない風物詩だ。誰もが知っていると勝手に思っていたら見たことも聞いたこともいない人が世の中にはいるらしい。それもよりによって、すぐそばにいたからショックだ。3時に帰りますというのを引き止めて、強引に?恩着せがましく?見せてあげた。
お神楽を見て感激するのは僕くらいなものかもしれない。僕の家族もことさら大喜びするでもない。ただ昔からの風習で丁寧にもてなして家内安全を祈る。それ以下でもそれ以上でもないみたいだ。和太鼓を追っかけ、お神楽を心待ちにする僕は、どれだけ古風なのかと外からは見られるかもしれないが、それほどではない。ただこの2つに限っては心が打たれ踊る。
予想に反して薬剤師はクールだった。ただ初めて見た事をとても強調していた。と言うことはお神楽そのものには感激しなかったのだろう。それはそうだろう、単純な動きでしかないのだから。ただ僕には目の前に繰り広げられる数分間の舞が、一瞬にして人生絵巻を僕の心の中で広げてくれるのだ。そこには祖父母や父が登場する。普段頭をよぎりもしない人たちがよみがえってくるのだ。幼い頃とても大切にしてもらった至福の記憶とともに。
僕は、愛とは疎遠の現代の若者に、かつて僕がもらった愛情の何分の一かでも返してあげたいと思っている。かつては当然のようにあった愛に、当然のようにない現代の一部の若者たちにそっと触れてもらいたいと思っている。それも気がつかないように自然な形で。
何十年ぶりに、お獅子の大きな口で頭をかぶってもらおうかな。健康で健やかに成長するといわれているが、健康で健やかに老いるために。


2014年07月22日(Tue)▲ページの先頭へ
自尊心
悲しみをもって、いや怒りを感じながらでしか読むことが出来なかった。毎日新聞の朝刊の1面に載っていた文章を読んで、冷静でいろと言うほうが難しい。
「朝7時に起きて、水汲み、家の掃除、買出し、洗濯・・・夜10時になるまでずっと働いている。食事は1日に1回で、少しのパンしかもらえない。働かないとものすごく怒られる」
ハイチ地震で孤児になった13歳の男児は親戚に預けられた。学校に通わせてもらえず、朝から晩まで家事をさせられた。食事をもらえず、欲しがると電気コードや木の棒で繰り返し叩かれた。彼が一番つらいのは朝で、一緒に暮らす叔母の長女を学校に送り出すときだ。「悲しさと悔しさがこみ上げてくる。こんな生活から逃げ出したいけれど、逃げる場所もないんだ」
フランスの植民地時代の名残で白人の血が流れるムラートと呼ばれる全体の数%しかいない人種が広い土地を持ち、失業率は70%、ほとんどの人は1日100円以下で暮らしている。
独立と引き換えに100年にもわたる借金の返済を強い、独裁者の為政も度重なり、世界の最貧国に甘んじている。フランスの置き土産が今のハイチだ。えらそうなことを現代では言うが、ちょっと前までフランスもこの程度の人権意識しかなかった。列強といわれた国々の悪意の置き土産で現代どれほどの紛争が起こっているだろう。彼らに善人ぶる資格はない。
翻ってこの国もそうだ。そうどころかそのものだ。そしてそれを象徴するような程度の低い男が、陶酔状態でラリッている。早く転んでこの国を救って欲しい。10数機買う予定の「コスプレ」でどれだけの幼い子供たちの自尊心を救ってやれるだろう。もっともこんなことが分かるほど普通には育っていないだろうが。


2014年07月21日(Mon)▲ページの先頭へ
対策
都会に住んでいたら分からないかもしれないが、郡部に住んでいる人なら同じような感想を持っているかもしれない。
どの地方自治体も恐らく長年の土建偏重行政のせいで台所は火の車だろう。そのあおりを受けているものはあげれば枚挙にいとわないだろうが、道路事情にもその影響が顕著に出ていると思う。僕が気になっているのは道路といっても道路自体ではなく、ガードレールの内側や、ガードレールを越えて生い茂っている草のことだ。ガードレールのこちらに生えている草も、ガードレールを超えて生えている草も、実質道路を狭くしているし、カーブだったら目隠しになって、対向して歩いてくる人間を跳ねてしまいそうだ。
 今日、牛窓町を初めとする瀬戸内市、それと岡山市と玉野市、昨日は備前市と計4つの市を車で走ったが、中心部を抜けて郊外と思しきところになると、前述の草で狭くなった道路があちこちで見受けられた。そのつど歩行者にはかなりの気を使った。
 これらは以前なら茂る前に手入れされていた。向こうからやってくる人間が見えなくなるほど生い茂げらさなかった。そう言えば草刈の作業をしている光景をほとんど見ることがなくなった。以前なら、気の毒になるくらいの炎天下で草を刈っている光景をしばしば目撃した。要はそれらの経費を節約しているってことだろう。仮に予算をつける人間が僕と同じような体験をしてなお倹約するなら、交通事故に加担することになる。事故が起こってからでは遅い。
 僕のつたないブログを、その分野を専門としている人が読んでくれないかなあ。そして何らかの対策を打ってくれないかなあ。僕ら素人の憂いが、悲惨な事故から一人でも守ることが出来たら憂い甲斐がある。


2014年07月20日(Sun)▲ページの先頭へ
善人
自分でやってからその行動に気がついた。
この数日、マスコミは倉敷の児童の行方不明事件で持ちきりだった。聡明そうな顔写真を何回も見ているから、思い入れも増幅していたのだろうが、実は事件現場辺りは10数年前に、息子と娘が同じアパートで暮らしていて足しげく通ったところで、土地にも思い入れがあった。だからニュースで伝えられることが容易にイメージできるのだ。地元とはいえないが、大いに関係深い街で起こった事件ということになる。
車のナンバーを覚えていた人がいたから、早晩犯人はつかまるだろうと思っていたが、それでも昨夜、児童が無事に救出されたというニュースを聞いたときは、思わずガッツポーズをしていた。好きではないが、まるでサッカーの日本代表がゴールを決めたときのような衝動的な行動だった。ガッツポーズを決めてからそのことに気がついたが、自分でもその行動が解せなかった。別に悪いことではないが不謹慎のような気がしたのかもしれない。
今朝朝刊を呼んでいて、同じ学校に通っている児童のお父さんが、記者の質問に答えて「思わずガッツポーズをしてしまいました」と答えているのを見つけた。何だ同じことをする人間がいるんだと、昨夜からの引っ掛かりが一気に取れた。
最高の結末は、子を守る母親の愛情の深さや、ナンバープレートを張り替えていたのを見て、下側の番号を覚えていたという住人の知恵によるところが多いと聞く。傷つくべきではない善人たちを守るのもまた、善人の側にいる人たちの知性と勇気かもしれない。


2014年07月19日(Sat)▲ページの先頭へ
よかった。昨夜のライブでの僕の印象が、的を射ていないのかと心配していたが、そうでもないらしい。
昨夜一緒に聴きに行った友人が今日やってきた。昨夜の入場料のお礼なのだろうが、僕の興味はむしろ彼がどんな印象を持ったのか聞きたかった。僕と同じように割り切れないものを感じながら聴いていたのか、それとも音楽好きだからノリノリで聴いていたのか、そのことが知りたかった。
ところが彼は薬局に入ってくるなり、僕が何も尋ねてもいないのに「あんなもんじゃろう」と言った。どんなもんじゃろうと思うが、やはりあんなもんじゃったのだろう。それなら僕らの意見は一致したってことだ。
僕が思ったのは、歌詞がほとんど聞き取れなかったってこと。だから何を唄っているのかわからないし、何を訴えているのかもわからない。外国語の歌を聴いているのとなんら変わりない。どうして言葉をもっと大切にしないのかと思った。それとどうも身内、何の関係か知らないが、それらと勝手に盛り上がっているだけで、唄だけを目的に訪れた人間にとっては居心地が大変悪かった。部外者が訪ねていったのだから当然といえば当然なのだが、まるでカラオケで盛り上がっている所に偶然顔を出したような感じだった。
僕が最後まで結局その場にいた理由を彼に言おうとしたらこれまた、彼のほうが先に口を開いた。「昨日は、赤田さんがいたからもったんで!本当なら途中で帰るところじゃった」まさに同感なのだ。即興ジャズの赤田晃一さんがライブに助っ人で来ていて、3組の出演者のすべての曲に即興で参加してくれた。まさに赤田晃一のサックスが二人を慰めてくれたことになる。
 現代は、いとも簡単にUチューブで世界的な音楽を無尽蔵に聴くことが出来る。僕らは簡単に世界最高峰の音楽に接することが出来るのだ。それで肥えた耳は、なかなか素人の楽しみだけの音楽には耐えれない。どのグループもかつての僕らよりはるかに上手だが、時代には味方されていないと思った。よほど上手でないと、比較対照されるものがあまりにも多くて、並か並以下になってしまう。
僕はもうずいぶんと長い歳月、和太鼓を追っかけてきた。彼らの印象は猛烈な練習量と礼儀正しさだ。舞台では楽しさを超えた苦痛の表情で真摯に演奏している。僕は最近、音楽などを評価する際、和太鼓から得た印象を基準にしてしまう。あの真剣さが昨日のライブに出ていればもっと楽しかっただろうにと悔やまれる。


2014年07月18日(Fri)▲ページの先頭へ
哲学
去年の反省を教訓に、雨で土が軟らかくなった後を見計らって、早朝からの草抜きに余念がなかったおかげで、ずいぶんと駐車場はきれいになった・・・・と自負していたら、昨年見かねて草を丁寧に抜いてくれた男性が、今年もしてあげようと言ってくれた。
ありがたい申し出だったが、今年はちょっとした魂胆があった。草を抜く代わりに、今夜キッチンかいぞくで行われるコンサートの入場料を払ってというのだ。そのコンサートは1週間くらい前に彼から教えてもらっていたもので、せっかく牛窓で行われるのだから、頭数で聴きに行こうと決めていた。その紹介してくれた張本人が入場料1500円を払ってくれと言う。僕はその男性が好きだし、時々野菜のおすそ分けを持ってきてくれたりするから、当然のように彼の意に沿った。ただ草抜きは断った。まったくの善意でやってもらえるなら甘えたかもしれないが、大の大人に、わずか1500円の報酬で草を抜いてもらうのはあまりにも心苦しい。おごらせてもらうのが一番自然だし、抵抗がない。
1500円のライブ代が出ない彼に「○○君、大丈夫なの?貯金はいくらしているの?」と単刀直入に尋ねてみた。好奇心なんてものではない。本気で心配だったのだ。すると彼はしっかりと通帳の残高を把握しているみたいですぐに答えた。「300円」
いったい何時代に彼は生きているのだ。明治なら大金持ち?あきれはしなかった。正直うらやましいと感じた。僕らは将来に備えて、あくせくと働き、いざという時のために貯金にいそしむ。いつも何かにおびえるように気を配り、石橋を叩きながら生活している。それに引き換え彼の潔さや、思考の身軽さはどうだ。失うものがないことが本当の自由と唄にも歌われているが、彼はそれを地でいっている。「明日、○○さんの家の草を抜くのを頼まれているから3000円手に入る」と悠然としている姿はほとんど天晴れだ。
彼の今の生活が望んで得たものでないことは知っている。ただ自業自得も究めればまるで哲学のように見える。、


2014年07月17日(Thu)▲ページの先頭へ
素質
僕が漢方薬を送る用意をしているのを見たセールスが、「先生もインターネットで検索をしたら上位に来るようにお金を払っているんですか?」と尋ねた。そういったシステムがあることも知っているし、実際その種の案内も時々入るが、僕はそういったやらせは好かないからやっていないよと答えた。不思議そうな顔をしていたがこうも言った。「ある薬局さんでお聞きしたのですが、日本相談薬局100傑というのがあって、そこもお金しだいで上位に掲載されるらしいですよ。実力とはまったく関係ないと、お得意さんが言っていました。お金を払えばどんどん順位が上がるらしいですよ。インターネットも同じでしょうね。そうしないと、上位に来ますと100社に案内してみんな1位にはさせれませんものね。」
ほんのちょっと想像力を働かせれば容易に分かることだ。みんな上位にと勧誘してみんな上位に出来るわけがない。こんな簡単なことを見破られずに、いいカモにされる人がこの国では続出している。疑わなくても何とかなってきたのだろうが、疑わなくても何百万人の同胞を殺し、それ以上の外国人を殺した稀有な歴史を持った国だ。そんな素質は脈々と受け継がれている。僕らには何度も何度も反芻して、正体を確かめ見破る努力が要求されている。それは懸命に生きている人たちを守ることでもある。


2014年07月16日(Wed)▲ページの先頭へ
仕事冥利
知らなくてもいいことだが、知れば驚きの声を上げる。いくつになっても好奇心は燻っていて、毎日のように知識が増えていく。もっともその質は保障されないが。
偏頭痛でもうずいぶんと長い間苦しんでいる男性は、溶接の仕事をしているらしい。こんな姿勢で仕事をするから肩も凝ると実演して見せてくれた。しゃがみこんで左手で光をさえぎるものを、右手で溶接の機械を持つ。よく見かける光景だが、その後の彼の説明が面白かった。
「溶接は、真っ暗闇の中で小さな光を見つめてする仕事なんです」
合点がいかなかったから怪訝な顔をしている僕に気がついたのだろう、もう少し分かりやすく教えてくれた。
「こうして持っている面みたいなやつはハンドシールドって言うんですけど、あれで見ると真っ暗なんですわ。そこにピンポイントで光を当てるから結構気を使うんです。だから頭も痛くなるし、肩も凝るし」
合点は行かないが、合点するしかない。職人がそういっているのだからそのとおりなのだろう。僕が解せなかったのは、真っ暗というところだ。幼いころからサングラス程度の透過性は保たれているのかと勝手に想像していた。
 なんでもないような会話から得られた、なんでもないような知識だが、やはりその日1日がわけもなく満たされる。たったそれだけの、ひょっとしたら僕以外の人にとっては常識以前のことかもしれないが、僕には結構インパクトがある。相手の目を見ながら言葉のやり取りが必然の仕事冥利に尽きるのかもしれない。


2014年07月15日(Tue)▲ページの先頭へ
造語
会話は順調に楽しく進んでいたのに、その一言が挟まったばっかりに、違う方向に進んでいることに気がついた。なんとなくちぐはぐなのだ。もうこの辺で整理しておかないと分からなくなりそうだから、彼女に尋ねた。僕は「かんぐる」とか、「くぐる」とかの意味にとってその後の会話を続けていたのだが、僕は東に彼女は西に向かっていた。
僕の問いに対する彼女の回答は予想を超えていた。いやまったく別世界の発想だった。答をひらがなで書けばいいのか、カタカナで書くべきか。牛窓も田舎だが、岡山市民といえども彼女の家があるところは同じ田舎だ。どうもこのギャップは地理的な要因によるものではないらしい。となるとやはり、親子ほどの違いがある世代間ギャップだろうか。はたまたいつもの機械音痴のせいだろうか。
 職場で彼女が上司にあることを説明したときに、その上司はその内容についてあまり知らなかった。そこで彼女が言った言葉が「あとで、ググッてくださいよ」だった。これは正直まったく分からなかった。同じ日本人だからなんとなく一言くらい抜けても後で理解の穴埋めくらい簡単に出来るが、正直これはわからなかった。「かんぐる」が僕にとって本命だったから、マイナスのイメージを持った。「くぐる」となるとまったくの方向違いを起こしてしまいそうなくらい本質とずれてくる。
彼女は僕の質問に丁寧に答えてくれた。と言ってもグーグルの一言を聞いた時点で僕も意味を理解できたのだが。日々、考え方などあまりギャップを感じることはないが、さすがにこうした造語にはついていけない。でもせっかく覚えたのだからこれからは身につける為に乱発してやろうと思っている。何かあったら「ググッて」と言う。でもあまり僕が乱発すると「グズッて」いるように聞こえる。


2014年07月14日(Mon)▲ページの先頭へ
疑似体験
運がよかった。なぜその時間にNHKにチャンネルを合わせたのかわからないが、何かに導かれたに違いない。何かというより、きっとトンイだ。
トンイが終わってから日曜日の楽しみがなくなった。せっかくの休日が日中だけで終わってしまい、夕方帰宅してからはほとんど消化試合の様相を呈していた。イギリスの番組か何かがトンイの後、放送されていたらしいが見る気もしなかった。最近のヘイト何やらのせいでNHKが韓国ドラマを放送しなくなったのかと残念な気持ちでいたから、11時丁度に始まった放送に遭遇して本当にびっくりしたし、うれしかった。韓国ドラマは最初を見ていないとなかなか理解できないことが多いから、スタートを上手く切ることができた。
昨日の放送もこれからに期待させる仕掛けが十分なされていて、すでに虜になってしまったようだ。以後どれだけの回数がある番組かわからないが、これで日曜の夜が再び楽しみになる。おそらく僕と同じ心境の人がかなり多くて、待ちに待っていたのだと思う。基本的にはニュース以外テレビを見ないが、木曜夜のNHKの時代劇ドラマと日曜夜の韓国の時代劇は見る。偶然どちらも時代劇だが、結局は貧しくて虐げられた人が勝利を手にするという現実社会ではありえないことを期待して番組を見るのだと思う。いわば正義の疑似体験なのだ。
今のところ子役だからどんな俳優や女優が中心になって話を進めていくのかわからないが、僕の希望はトンイだ。話を捻じ曲げてもいいからトンイを登場させてほしい。


2014年07月13日(Sun)▲ページの先頭へ
まるでお経のように人々の声が重なって流れていく。僕はその流れの中で好奇心を大いに満たしていた。ただ2年前に同じ体験を広島でしていて、もう一度経験したいとずっと思っていた。今日その願いがかなったことになる。
40人近い若者が聖堂に並んでいたから全員がクリスチャンかと思っていた。ミサが始まると3分の1くらいの青年がぎこちない動きをしていたから、クリスチャンでないことがわかった。ということは、クリスチャンでないのにカトリック教会にやってきて、信者の青年たちとミサを受けていたことになる。 神父様がかの国の人だと言うこともあるのだろうが、遠く国を離れて何かに頼りたくなったときにそこにキリスト教があったのだろうか。そう言えば牛窓から連れて行った中にも熱心な仏教徒が2人いて、手を合わせて祈っていた。
最終のバスが岡山駅4時発というからかなり不便なところからやってくる子がいる。ミサが4時からだから、参列することが出来ない。せっかく同胞の神父様と参列者が集まるのに、泣く泣く不参加を決めていた。1月前、偶然その話を僕の前でしていたので、今回ミサを受けてもらって僕が送っていくことにした。牛窓から連れて行った子達とドライブがてらと考えればそんなにしんどい距離でもない。
 送っていく場所は行ったことがないところだからカーナビ頼りと言うことになる。ほぼ目的地辺りまでは簡単にたどり着けたのだが、まさに目的地かという辺りで急に山道に誘導された。以前ならカーナビは次善の策なのだが、主観頼りで裏目ばかり経験したので、最近はカーナビを頼り切ることに決めている。だからなんとなく不安になるくらい狭いくて急な登り道でもあえて進んだ。ところがそのうち恐怖を覚えるような道になったのでさすがに僕もためらった。運のいいことに丁度そのとき道路の下の田んぼでおばさんが働いていた。おばさんいわく、僕が目指している地名と同じことを言ってたくさんの車が迷い込んでくるらしい。そして先週は僕が車を止めたまさにその場所で車が転落したらしくて、道を教えてくれた後「気をつけてUターンせられえよ」と声をかけてくれた。
 僕は深々と頭を下げて車に乗り込んだ。こうしたちょっとしたことに感動し深々と頭を下げることが出来るのはとても嬉しいことだ。頭は下げられるより、下げるものと決めている。


2014年07月12日(Sat)▲ページの先頭へ
居場所
見たことがある穏やかな顔をした女性がテレビのインタビューに答えていた。夜のニュース番組だったがローカルな話題の時間帯だった。7月10日を岡山県牛窓産 冬瓜の日と制定することが決まったらしい。その記念式典の様子だったが、初めて知った。地元の人間でもわからないのだから、よほど広報をがんばらないと全国的な知名度は獲得できないだろう。微力ながら協力しようと思ったが、さて何が出来るやら。
いつのころからだろう、夏になると農家の方がお礼に冬瓜を持ってきてくれるようになった。当初は我流の味付けで食べていたから、美味しいとは思わなかった。いやむしろ苦手だった。ところが漢方薬の研究会の新年会などでちゃんとしたところで出てくる冬瓜は品がありとても美味しかった。京料理に使われ人気があると農家の方が教えてくれたがそれもうなづけた。出荷ももっぱら京都方面だと聞いていた。
 ところが数年前から冬瓜専門のスープが売られ始めて、まるでホテルで出てくるのと同じ味で食べられるようになった。そこからは明らかに僕の評価は逆転した。いわゆる大人の味に変身した。牛窓にいながら京料理のほんの一端が味わえることになった。
報道によると出荷は全国3位らしい。なかなかベスト3など生まれる町ではないからたいしたものだ。そしてそれよりもうれしかったのは、冬瓜を出荷している農家の数が60戸ということだった。僕は食べ物の消費地より生産地のほうが好きだ。1次産業に従事している人の働いている姿が好きだ。だから冬瓜だけでも60戸の方が従事しているのはうれしかった。もっともっと知名度を上げて若い人がUターンして跡を継いでくれたらと思う。
手付かずの畑が山に帰っているのを牛窓でもよく見かける。人間関係に悩む人が土によって癒されるのをよく耳にする。居場所を変えてみるだけで救われる人も多いのではと、放置された田畑を見るたびに思う。


2014年07月11日(Fri)▲ページの先頭へ
洋菓子
近畿地方の方で、漢方薬を飲んでいただいている女性から高級そうな洋菓子が送られてきた。丁度その時、牛窓北小学校の保健委員会に出席するために急いでいたが、興味深々だったので慌てて蓋を開けてみた。洋菓子なのにまるで王冠のように輝いていた。送ってきてくださった方が前もって教えてくれていたので「これが有名なマツコデラックスのケーキらしいよ」とみんなに教えてあげて「僕が帰って来るまで食べないで」と言い残して出かけた。
保健委員会に集中できないほどの甘党ではないが、かなりの甘党には違いない。結構楽しみにして1時間半後に帰ってきた。するとパソコンの前で、薬剤師と漢方問屋の専務さんがなんとすでにケーキを食べていた。特に薬剤師は極度の甘党で、幸せそうな顔をしている。捨てられた犬猫の世話をし、それらを救おうと獣医さんで病気について、僕のところで漢方薬について勉強しているが、ケーキを食べた後の表情はそうした使命感からは遠く離れていかにも幸福そうだった。
昼食をとる時間がなかったこともあって、少し多めに食べた。当然といえば当然なのだが、とてもおいしかった。僕は自分の甘党の害を少しでも減らすための一手段として、頂き物しか口にしないことを鉄則としている。最近では、めったに口にしないから美味しさやその価値がよくわかる。送ってくださった方も認める有名品だから、期待通りにかなり美味しかった。施設の入所者のために一所懸命に調剤をしている娘夫婦と、お預けをまじめに守っていた姪に「有名なマツコデラックスのバームクーヘンだからいただいてみて」とせかすと、娘が馬鹿にしたように言った。「お父さん、あれは関西で有名なマダムシンコよ」


2014年07月10日(Thu)▲ページの先頭へ
発進ショック
「発進ショック」・・・なんて格好いい言葉なのだろう。覚えたての言葉だから早くどこかで使ってみたい。
僕は自分でも無口なのかおしゃべりなのかわからない。年代によってその両方を経験しているような気もするが、少なくともこの職業についてから、無口であったことはない。毎日多くの方と会話をするから、無口でおれる筈がない。帰ってきた頃は若くて経験もなかったから、もっぱら当たり障りのない天気などの外堀の話ばかりしていた。年を重ねるにつれて、薬に関しては勿論だが、社会的な事象に関しても知識が増えてくる。そうなると自ずと会話の質も異なってきて、むしろ内面に入りこむ内容、いわば内堀の話題が増えてきた。でも単刀直入には尋ねない。事務的に情報を収集するのは得意ではないし、薬局ごときで、そこまでする権威はない。
今日初耳の「発進ショック」もそうした会話の中で出てきた。20代の若い男性は、機関車の保守点検などを職業にしている青年だ。鉄道お宅なら泣いて喜びそうな話を淡々としてくれる。おかげで僕も鉄道には少し強くなったかもしれない。
彼が電車に乗るときには職業柄色々なことを考えながら、感じながら乗るらしい。たとえば電車が走り始めるとき、ゆっくりとスムーズに出なければ、体が後ろに引かれるようになる。車に弱い人ならそれだけで酔いそうだ。その発進のとき体が後ろに押さえつけられるようになることを「発進ショック」と言うらしい。彼も時々私用で電車を利用するそうだが、時にそのショックをやわらげろと言いたい運転手がいるらしい。
 時に漢方相談をしていて「自分に自信がない」という言葉を若者の口から聞くことがある。この青年もそうした傾向がある。ただこの「発進ショック」という言葉一つで今日の僕を仕留めたのだから、大いに自信を持ってほしい。人は誰もそんなに優れてもいないし、劣ってもいない。必ず用意された舞台はあるものだ。誰もあなたを演じることは出来ない。あなた自身で演じなくてどうする。


2014年07月09日(Wed)▲ページの先頭へ
典型
今日漢方薬届きました。ありがとうございます。薬袋を見て大爆笑して元気が出ました!
人の電話まで取りたくなる…思い出しては笑ってしまいます 笑
 昨日はお仕事中に電話相談してすみませんでしたm(_ _)m聞いていただけてスッキリしました。先生もおはようございます を言うのが難しいこと、紙に書いた○○名を読むのは悪いことではないので利用しても良いこと、かむことやパニックが一時的なストレスによるものだということ を教えていただいて心が軽くなりました。今日は1度もかむことはなく何とか1日過ごせました。送っていただいた漢方薬は電話が心配な時に頓服で飲むものでしょうか?それとも毎日飲んだら良いのでしょうか?1度飲むと電話に対する異常なドキドキはなくなりました。紙に書いて読んでいるしやっぱりまだ今までのように普通に電話とることはできません。シーンとしているときの電話は怖いです。でも少しずつでも元に戻ってくれるといいなと思います。

気が弱いくせに、家庭や環境のせいで青春前期にぐれて、その後全うな生活を送っている・・・なぜかそんな経歴を持っている女性たちと僕はよく気があう。上記の女性もそう?だが、同じような女性が数人いる。偶然かもしれないが、なぜかその女性たちは僕の漢方薬がよく合って、心や体の不調の改善に役立っている。
僕も青春時代落とし穴にまんまとはまったが、そのときの深い孤独感や無力感が、彼女たちとの暗黙の連帯感に役立っているのかもしれない。僕は消すことが出来ない青春の影を引きずりながら懸命に生きている彼女達が愛おしくて仕方ない。だから僕は彼女達が僕と話をして1回でも心から笑ってくれたらいいといつも思っている。今回彼女が職場で電話をとるのが怖いという相談を受けたから、作った漢方薬の患者名のところに「人の電話まで取りたくなる薬」と書いて送った。そのことを彼女が喜んでくれているのだ。漢方薬の力より、その方が効くのかもしれない。
不器用な人間が不器用にそして懸命に生きているの姿が僕は好きだ。彼女はその典型なのだ。


2014年07月08日(Tue)▲ページの先頭へ
完成度
かつて僕もその中の一人だったから言う権利はないが、今日、ふと理由がわかったので書いてみたいと思う。
僕もそうだが、おそらく今も昔も素人の音楽など聞くに堪えれないものだと思う。今思えば僕は加害者だったようにも思う。よくもあんなつたない歌を聴いていてくれたもんだと思う。穴があったら入りたいくらだ。
僕にはいまだ歌っている友人が何人かいるが、歌自体に興味を持って聴きにいくことはない。歌にというより友人に会いに行っているようなものだ。そこで何か琴線に触れるような歌との出会いがあればもうけものだが、そんなことはもう何十年とない。いやプロの歌でも今は感動しないのではないかと冷めた見方をしている。だから僕はフォークソングを今、コンサートにまで行って聴こうとは思わない。そこには行にも似た訓練や練習を経たという迫力が感じられないのだ。
こうした僕の心境の変化は和太鼓に負うところが多い。ふとしたきっかけで好きになり追っかけを今だやっていて、多くのグループの演奏を聴いたが、どのグループもほとんどプロ並だ。プロと素人の差がこんなにないものは他にないくらいだ。僕が今日ひらめいた言葉は「完成度が違う」ってものだった。
和太鼓奏者の人間業とは思えない演奏は、その影に隠れた並外れた努力だと思う。あの筋肉を見ればわかる。そしてあの演奏を聴けばわかる。素人もプロもあまり違わないくらい練習をしているのだと思う。だから遜色ないのだ。あれだったらプロが目の前に陣取って聴いていても、気後れすることなく演奏できるのではないかと思う。要は完成度が違うのだ。
何歳になっても不完全を地で行っている僕が、芸術に完成度を求めるのはおこがましいが、完成された人たちの演奏に行くたびに、この貧相な耳でも肥えてくる。


2014年07月07日(Mon)▲ページの先頭へ
屋島
ついにこの時がやってきた。待ちに待っていた瞬間だ。屋島の展望台の辺りのベンチでそれは突然訪れた。
7人のうちの2人が少し疲れたのか、ベンチに腰をかけた。隣のベンチには、僕よりは少し上に見える男女3人がいた。にぎやかに話すかの国の女性たちが気になったのか、その中の1人の女性が「中国の方ですか?」と尋ねた。そこで僕は自分の胸を指で押さえながら「ホーチミン、ホーチミン」と繰り返した。すると女性は「ベトナムの方ですか?」と納得した。そして少し間をおいて「ベトナムも大変でしたね」と言うから「ナゼデスカ?」と少し訛って答えた。すると女性は「30年前にアメリカと戦ったんでしょう」と答えた。この30年は直しておいたほうがいいから「40ネン」と答えた。「なんでも今までアメリカに勝ったのはベトナムだけらしいよ」と女性は仲間に知ったかぶりを発揮していた。「ワタシタチ イマ チュウゴクとタイヘン」「島でもめているんでしょう?」「ニホントオナジ」「ところで今日は何しに来たんですか?観光?サイトシーイング?」「チガイマス ワタシタチ ジッシュウセイ ハタラキマス」
どうやら僕をかの国の人間と思ってくれたみたいだ。よく外国人のコントをするときに聞いていたどくどくの言い回しを真似したのだが、結構僕を信用してくれた。してやったりだが、よく考えてみたらこんなに整った顔のかの国の人間がいるはずがない。


2014年07月06日(Sun)▲ページの先頭へ
気分転換
どういったジャンルに分類されるのかわからないが、多くの観光客を集める施設の中に「マムシ注意」とか「いのしし注意」の看板がそこかしこにあるのは珍しい。来る季節を間違えたなとすぐに思ったが、入場料を払って入っているし、引き返せれる距離でもない。
サンポート高松での和太鼓の公演に誘った岡山市在住のかの国の青年たちが今日は日本語の検定試験で急遽来れなくなって、牛窓在住のかの国の女性たちを誘った。まったくのピンチヒーターだから、又先週は自衛隊の音楽を聴きに高松に行ったばかりだから、何か新鮮味がないと彼女たちも興味半減だろうなと思って、四国村に足を伸ばした。
先週高松に行った女性がほとんどだったが、一人新しく通訳としてきた女性が初めて僕と同行した。他の女性たちが四国村に入るなり、写真を撮るスポットばかりに興味を示す中、彼女だけは丹念に一つ一つの展示物(ほとんどが200年以上前の日本の家屋なのだが)の中に入り、建物の素材や道具などを手で触りながら興味しんしんだった。日々僕もネタ探しに余念がないのだが、なかなか彼女たちの好奇心を満たしてあげることは出来ない。今日の四国村は写真派にも、好奇心派にもうけたかもしれない。
予定した時間より少し早く四国村を回れたので、わらやでのうどんには時間が早すぎた。和太鼓の会場であるサンポート高松の隣にあるJRのホテル、クレメント?高松とか何とか言うホテルのバイキングに彼女たちを誘った。好き嫌いを聞いていたら、どの店に入っていいのか決まらないから、自分で好きなものを選んで食べてもらうのが一番だ。案の定ホテルのバイイングだからとても喜んでくれた。最初は少し気後れしていたが、途中からさすがに若い女性で、僕が目に留めないようなものまで見つけてきて、楽しんでいた。
もう何度も僕と和太鼓追っかけツアーをしている女性も数人いるが、初めての女性もいた。最初の曲からとても感動して、驚きの声を何度も上げていた。そして僕に何度も感謝の言葉をかけてくれた。別に僕が太鼓をたたいているのではないから感謝してもらう必要はないが、異国で若い女性が単調な毎日を送っているのを、何とか気分転換をはかってほしいと願っている僕の思いが少しでも届いてくれたらと思う。


2014年07月05日(Sat)▲ページの先頭へ
簡単
姪が仕事に来るなり「おじちゃん、インターネットでジューサーを買ったんだけど、来てみたら○○県のだったんよ。どうしよう」と心配顔で言った。「線量計を貸してあげるから家で測ってみたら」と提案すると「段ボール箱は車に積んで持ってきているんよ、持って入ろうか」と言うから僕はあわてて「持って入ったらだめ、車で測ったら?」と薬局に入れるのを阻止した。線量計の使い方を教えると、姪は急いで駐車場に行き段ボール箱に向かって測っていた。
程なく笑顔で帰ってきた。見せてくれた値は小数点2桁で僕自身も安心した。おそらく機械自体も大丈夫だろうと言うことで「安心して使う」ことで落ち着いた。このように作られたところが具体的に書いてあれば、こちらもそれなりに調べて買うが、ノーマークのものは手が出せない。
これを風評被害とは言わない。基本的には東のものには手が出ない。東の人が悪いのではない。東に作った人間や作らせた人間が悪いだけだ。責任を取って今頃牢獄かと思うが、牢獄はむしろ被害者に門戸を開く。いつの世も同じだ。
多くの外国の人が訪れ、多くの日本の製品が売れる。見えない、臭わない、聞こえない、味がしない、触れないなら恐怖を感じようがない。もし、10分もいてはいけない危険な濃度と言われても怖さを実感できない。それよりも御法度の裏街道を歩く人が1mの距離にいたほうが余ほど怖い。
姪もかなり神経質に口に入るものを選んでいたが、ちょっとした油断で小さな騒動になった。自分や家族を守るのは当然だ。人様まで守る必要はない。色々な価値観の人が共存しているのだから粛々と信念を貫けばいい。簡単なことだ。


2014年07月04日(Fri)▲ページの先頭へ
香辛料
なんとなく因果関係がありそうな気がしてきた。好みが合わないだけでなく、実際に口にすると僕の体も拒否反応を示すのかもしれない。善良な人たちだから、好意で勧めてくれるのだが、強い意志で、いや煙に巻いて、いや泣き落としで断らなければならない。
少しは慣れたということだろうか、以前みたいに匂いをかいだだけで吐き気がするようなことはなくなった。だからつい口に入れたのだが、そしていつものように反射的においしいと言ったものだから、継ぎ足してくれて結局はお腹が膨れるくらい食べた。そうめんはやはりつゆで食べたいし、具は海苔くらいが僕はいい。要はどんな料理でもシンプルなのが好きなのだ。ところが彼女たちが作ってくれたのは、具に圧倒され姿が見えないようなそうめん?なのだ。味はいつものように、おそらくにんにく?を多用したもので、これまた多用する鶏肉の脂が浮いていた。嘔吐中枢が若干刺激された。
翌日僕は何度もトイレに通った。過敏性腸症候群の下痢型よろしく、少し働くとすぐに催してきて、朝のバナナから、次第にカレーのルウまで経験した。若干しぶって、僕が漢方薬を送っている人たちの苦痛を追体験することが出来た。最近同じようなことを数回繰り返したから、冒頭の気づきにつながったのだ。僕には香辛料の何かがあわないのだ。だから命を守ろうとして下痢を起こしてくれているのだと思う。合わない物を早く体外に出すには吐くか下痢しかない。どうやら後者のほうらしい。おいしく食べることが出来ずにおまけに下痢までしたらかなわない。ここは正直に・・・言えない。まるで子供のように「オトウサン ドウゾ ドウゾ」と繰り返されたら、にんにく尽くしでも口日にしそうだ。
かの国の青年たちと文化の違いは乗り越える自信はあるが、食べ物の違いは乗り越えられない。味覚だけではなく「大腸よ、お前もか」には参った


2014年07月03日(Thu)▲ページの先頭へ
系図
「うつ病である55歳以下の女性は、心筋梗塞リスクまたは心疾患で志望するリスクが健康な女性の2倍以上であることが、アメリカエモリー大学ローリンズ公衆衛生大学院の助教授らによって示された。この年齢の女性は男性や高齢女性に比べてうつ病になりやすいこともわかった」
 割に合わない結果を出してもらったとこれを読んで思う人も多いと思う。この雑誌を読んだすぐ後に偶然、まさに当事者と言えるような人が漢方薬を取りに来た。勿論今仕入れたばかりの知識を披露する訳にも行かないし、さりとて、せっかく得た知識だからその人のために生かさない手はない。理由を明かさずに、過度の緊張や睡眠不足を戒め、果ては摂ってほしい食べ物の話までした。今日に限ってまじめに僕が応対するから不思議だったかもしれない。本来なら、くだらない話で盛り上がるだけなのだが。鬱を治しながら血栓症の予防までこれからは考えなければならないってことだ。
 漢方薬を好んで扱っていても、知識は今日のように現代医学から得るところが大きい。僕の漢方のルーツがそうした先生の系図だから、漢方薬自身もかなり科学的に対処できていると思う。超人的な術を使う人だけが漢方薬を扱えるのなら、恩恵に浴せない人だらけだ。おかげで僕はそうした先生方から距離を置いた現代医学に精通した先生に教えていただいたので、効く確率が高い漢方薬を提供できているのだと思う。


2014年07月02日(Wed)▲ページの先頭へ
邪念
クー、クー、クック、クー、クー、クック・・・この鳴き声がわかる人は、田舎を持っている人だ。この鳴き声を懐かしいと思う人は田舎で育った人だ。
母の里に預けられて育った僕は、毎朝この鳴き声で目を覚ました。その声を聞くたびに自分が預けられていることを悟った。ただ、決してそれは悲しいことではなく、優しい祖父母やおばに大切にされて、幸せな日々だった。ほとんど記憶の断片しか思い出せないが、思い出すのはすべて楽しいことばかりだ。まるで映画に出てくるような田舎の風景にいつも包まれていて、邪念一つなく生活できた稀有な日々だ。
その鳴き声に僕はこのところ、何十年ぶりに遭遇している。最初は誰かが鳩を放ったのかなと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。一羽の鳩が、頭上の電線に止まり例の鳴き声を披露してくれる。朝の5時は十分明るいが、人はまだ通らないし車も少ない。鳩も安心するのか、駐車場の電線の上に止まり懐かしい声を聞かせてくれる。僕は見上げて鳩がひとしきり鳴いてやむまで耳をそばだてる。鳩はまるで僕のアンコールに応えるように、なかなか飛び立たない。まさか気持ちが通じることはないだろうが、毎朝楽しみな時間だ。
母の里に比べれば当時の牛窓はかなり賑わっていた。山鳩の鳴き声で目を覚ますような風情はなかった。それがこのところの鳴き声は、牛窓が当時の母の里のように自然回帰している証拠のような気がする。開発の波に遅れたといえば負のイメージだが、いまさら開発が何かよいものをもたらすと言う保証はない。むしろ、自然はもとより人の心の持ちようまで破壊してしまうような気がする。まるで根こそぎ壊してしまいそうな危うさすら感じる。発展がすべてに優先する時代はもう終わった。僕の知り合いがいつか言ったように「牛窓は取り残されたぶん残すべきものが残っている」ことに感謝しなければならない時代が来ようとしている。
山鳩の鳴き声で目が覚める町。朝が待ちどうしい。


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