栄町ヤマト薬局 - 2014/02

漢方薬局の日常の出来事




2014年02月28日(Fri)▲ページの先頭へ
島根県
 僕らの所に届く業界紙だから、週刊誌のように低俗な興味本位の記事ではない。だから島根県の人は喜んだらいい。日本で一番美肌の人が多いというのだから。
山陰は日照時間が短くていやだと、こちらからお嫁に行っている人が帰省するたびに言っていた。逆に、僕の薬局に泊まりがけで病気を治しに来た若い女性は、朝、戸外に出たときにまぶしいと言った。僕らがそんな表現をするような天気ではなかったから驚いたのだが、彼女にとっては山陽の空はまぶしかったのだろう。
 日照時間が短く、冬でも湿度が高いと言うのが肌にはいいらしい。洗濯物が乾かないと言う日常の不便はあるかもしれないが、今流行りの美肌効果が高いとなると、長所と短所、どちらを洗濯、いや選択するかが問題だ。
 島根の人は美肌だけではなく、心も綺麗なのかもしれない。綺麗と言うより純朴と言った方がいいのかもしれない。例えば過敏性腸症候群で僕の漢方薬を飲んでくれている人は圧倒的に都会が多いのだが、当然関東圏と関西圏と中部圏だが、意外とかの長閑そうな島根県にも多いのだ。直接会った人も数人いるし、電話注文で話をする機会が多い人もいるから、人となりが良く分かるのだが、とても誠実さが伝わってくる。大都会の喧騒の中の孤独と、共同体がまだ恐らく破壊されていない地域での孤独と、呈する症状が同じと言うところが興味深い。昔、神話が生まれた地域と、今、新しい罪悪に満ちた神話を作り出している地域に住む人達が同じ症状を呈することが興味深い。
 美肌と美心と美共同体。幻想の中に消えないで欲しい。


2014年02月27日(Thu)▲ページの先頭へ
身長
 「日本小児アレルギー学会は、子どもの気管支ぜんそくの治療で広く使われている吸入ステロイド薬を、より慎重に使うよう注意喚起する声明を出した。副作用で子どもの身長の伸びを抑える可能性が、海外で報告されたためだ。ただ、治療の効果は大きいため、病状をこまめに調べて、使うのは必要最少量にすることを求めている。子どもの身長の伸びが抑制され、その影響は成人した後も続くという報告が、3年ほど前から米国で相次いだ。」 おかしいなあ、今24歳の男性が小学生か中学生の頃、僕はその子の母親にステロイドで身長が本来より少し低くなるよと話したことがある。恐らく10年以上前のことだと思う。どうして田舎のそれも勉強熱心でない僕がそんなことを知っていたのだろう。そして何故今頃になってまことしやかに、大本営から発表されるのだろう。その母親は基本的には僕の漢方薬でお子さんの喘息の世話をしたが、時に発作を起こし救急で病院にかかったりした。その時には当然ステロイド治療だった。ステロイド治療を避けることは出来ないが、ダラダラと治療することには抵抗があり、母親とは頻繁に連絡しあった。成人して背丈が父親を越えているから母親の気持ちが通じたのだろう。
 この様に、巷の単なる薬剤師の懸念や、もっと言えば、素人の患者さん達の懸念の方が真実だったりすることは結構ある。もっとも、製薬会社と言えども唯一営利を目的に成り立っているのだから、そしてお金大好き学者が、なんとでも製薬会社の意に添うように研究結果をねつ造したり、好ましからざるデータを隠したりするのだから、あれ、東電の話をしていたのかな、いや、やっぱり製薬会社の話だ。余りにも似ているのでこんがらがってしまった。
 何時代も、鎌倉時代も室町時代も、今のようにお金目的でありとあらゆる悪行を人はしてきたのだろうか。どの時代かに、良い国であったり、良い民衆であったりしたのだろうか。勝手に神話を作られて、いいようにあしらわれているのではないか。そう考えると、力んで生きるほどの価値はないような気がする。


2014年02月26日(Wed)▲ページの先頭へ
朗報
 「オススラミン?オトスラミン錠?オトシガミン錠でございますね?」姪が何度も受話器に向かって確認していたが、ようやく正確に注文を受けれたのか受話器を置いた。そして早速注文のメモを片手に薬を揃えていたが、何度も繰り返していた薬がどうしても見つからないので、僕にメモを見せながら助けを求めた。電話で話しているときから聞き覚えがない薬の名前だから、どうせ僕の薬局では扱いがないだろうと思っていたが、案の定活字を見せられても初耳の名前だった。「そんな薬はないよ」と言うと、姪は「お客さんが、奥さんにいつも持ってきてもらっているから、奥さんに言ってもらえれば分かると言うんです」と経緯を説明した。妻が時々配達してあげている老人だから妻に聞けば分かるだろうと思っているところに娘婿がやってきて「落とし紙ですよ」と助言してくれた。姪の電話が聞こえていたのか、姪が薬が分からずに狼狽していたのを見ていたのか、何か娘と話し合っているなと思っていたら回答をくれた。彼には過去の配達のデータがインプットされていたのか自信を持って落とし紙と断言した。
 そこへ妻が2階から降りてきた。妻に尋ねたら同じ答えだった。最終的には自信を持って聞き取った姪の立場がない。ただ姪にみんなが「落とし紙」と言ってもぴんと来なかった。なんとその単語を知らないのだ。ひょっとしたら見たこともないのかも知れない。20歳くらいしか違わないのにこの断絶には驚いた。だから「落とし紙(がみ)3つ」が「オトシガミン錠」になったのだ。
 まるで言葉遊びのような結末だったが、大いに笑わせてもらった。最近嬉しくなるような、楽しくなるような、幸せになるような、飛び上がるような朗報に接することが全くない。こうした些細な失敗をネタにお腹が痛くなるほど笑い、その日その日を懸命に生きる。


2014年02月25日(Tue)▲ページの先頭へ
問題
 関東に住む男性からあるトラブルの相談があった。相談主は初めてだったが、嘗て岡山在住のお母さんを漢方薬で僕が世話をしたそうなのだ。幸いお母さんがとても良く改善して、息子さんに、僕に相談するように助言したらしい。お母さんとよく似た症状で病院にかかっているが何故か改善しないらしい。何故かというのは彼の感想ではなく、主治医の感想だ。現代医学ではそんなに難しくない病気なのに、同じ病気を3回も繰り返していて、医者が不思議だと言うらしい。今は簡単に効く薬が開発されていて、その病気で手術する人が激減しているのに、彼にはその薬が効かないらしいのだ。食事が美味しくとれないから痩せて、体力も落ちているという。
 僕にとってそんなに頭を抱えなければならないような症状ではなかったので、2週間分漢方薬を作って送った。最初は少しだけ効いたが、喜んでもらえるほどではなかった。2週間分を飲み終えて経過を報告してくれたとき、処方を決める上でとても重要な情報を彼がつぶやいた。そこで処方を変えて2週間飲んでもらったら、医師が再び同じ言葉、不思議、を口にしたそうだ。彼の不快症状が一切消えたのだ。本人はただただ喜んでくれたが、医師は「不思議」という言葉を使ったらしい。
 今日、お母さんが3回目の漢方薬を取りに来たが、とても喜んでくれた。東京にいる息子に薬を送ってやることくらいしかできないが、母の愛情は、僕に向かって様子を教えてくれるときの真剣な眼差しで伝わってくる。僕は今回の問題解決は、母が子を思いやる心が全てだったような気がする。既に成人して活躍している息子を気遣った母の愛だと思う。僕は淡々と与えられた問題を解いただけだ。孤立無援でもがいている青年と接することが多い僕に、世の中がまだすさみきっていないことを教えてくれたケースだった。


2014年02月24日(Mon)▲ページの先頭へ
敬意
 沢山の漁船が牛窓の沖に集まっている光景を見て、クミちゃんは込み上げるものがあったと教えてくれた。丁度薬を配達に行った病院が黒島を正面に見る位置にあるから、昨日から行方不明になっている漁師を捜す漁船の群れを見ることが出来たのだろう。海で誰かが事故を起こせば誰もが捜索に出るのは当たり前だが、海のことを知らないクミちゃんには感動的に見えたのだろう。
 この辺りに限っての話だが、その漁師はとても人気があった。恐らく現代の価値観からすると何が評価されるのと思うかも知れないが、現代だからこそ彼の人となりは評価され、今日の捜索も多くの人が出た。一見厳つくて、実は人見知りで優しい。牛窓の漁師の気質を代表しているような人だった。薬局にも時々やってきていたが、口べたなのに話したがり、例によって、否定の否定で物事が進んでいく。
 僕は今日彼が発見されるまであることを念じていた。出来るなら彼が脳梗塞とか心筋梗塞で突然亡くなっていて欲しかったのだ。苦しむ間もなく、さっきまで漁をしていて、まるで舞台俳優が舞台で亡くなりたいというのと同じ最期であって欲しかった。足を滑らせて海に落ちたり、網に引きずり込まれたりしていないことだけを願った。
 ところがさっき薬を取りに来た若い漁師の話だと、残念ながら後者の方だった。ライフジャケットを着ていなかったことが悔やまれると青年は言った。ライフジャケット一つで命を無くさなくてもすんだことを聞いて僕は悔しかった。ライフジャケットと交換できるような人柄ではない。見かけや立ち居振る舞いからは想像できないくらいの優しさはこの町にとっても損失だ。
 瀬戸内海の漁師は一人で沖に出ることが多い。今回のようなことを僕が牛窓に帰ってからもう何度か経験した。危険と正に隣り合わせの職業だから、それを忘れたいのか大風呂敷の話をよく聞いた。悪意があるのではない。恐怖を何かで紛らわせたいのだ。酒でもなにでもいいのだ。
 僕の祖父が船の鉄工所をしていた関係で、幼いときから漁師が沢山出入りしていた。彼らに可愛がられた経験はない。そんなところまで不器用なのだ。ただ彼らの中で成長したから、魚の臭いと同じように言葉遣いや考え方も僕には染みついている。だから僕は漁師みたいな薬剤師なのだ。都会で通用する薬剤師ではない。否定の否定でしか話が進んでいかない不思議な会話が日常の町でのみ通用する薬剤師だ。
 命をかけた漁師という仕事が本当に信頼や尊敬を集めているのか僕には分からない。1次産業にもっともっと敬意を払って欲しいといつも願うが、知的で綺麗であか抜けて、そして華やかな仕事にばかりスポットライトが当たり、富もそちらの方に偏る。生きていく上にもっとも大切なものであるはずなのに、敬意は払われない。寒い海の上で着ぶくれして、そのまま落ちれば老いた漁師は上がって来れない。都会で権力も富も手にしてぬくぬくと暮らしている奴らに老いた漁師が上げた魚は食わせたくない。


2014年02月23日(Sun)▲ページの先頭へ
免罪符
 想像していた以上に元気そうだった。もう少し痩せているのかと思ったが、数週間前と同じだった。腰掛けることが多いから、お尻が皮膚炎みたいになりかけていると連絡が施設からあったが、それを思わせない表情と姿勢で僕の前に腰掛けていた。会話はある一言以外通じなかった。色々と話題を変えて話しかけてみたが、全て空振りで、自分の世界から出てこなかった。いやもう自分の世界もなくなっているのだろうか。
 唯一会話が成立したのは、もう少し暖かくなったら桜を見に行こうと誘ったときだ。それは明らかに通じたような気がした。ニコリとして同意の言葉を吐いた。それまでは時に厳しい顔をしたり、時に穏やかな表情に変わったりと、春の天気のような変化だったが、どちらにせよ会話は成立しなかった。施設の人の計らいで談話室とやらで二人だけにしてもらったのだが、最初僕の顔を見た瞬間の笑顔が嘘のように険しい表情に変わったとき、ああ僕はやはり許してもらえていないのだと思った。僕を苦しめまいと知らぬ顔をしているのだと思った。本来の母ならそう言った気配りは人以上にする。僕を恨んでいるかと確かめたいが、事実は恐らく明らかにならないだろう。母にまだ思考力が残っていれば僕を気遣い嘘をつくだろうし、完全に痴呆状態ならこれもまた確かめようがない。
 僕は今日、まるで新幹線に乗るときのように難解で退屈な薬学の雑誌を持参した。恐らく会話は成立しないだろうから、せめて長い時間傍にいて上げようと思ったのだ。気の利いた言葉を投げかけてあげる術は持っていないから、ひたすら傍にいたことだけで許してもらおうと思ったのだ。思い出したような単発の声かけに、訳も分からず答える時以外母は眠っていた。何十年に渡る無償の愛に僕は免罪符で応えようとしている。


2014年02月22日(Sat)▲ページの先頭へ
農業
 農業は産地間競争だ。野菜ではないが、同じように栽培される海苔もそうだ。どこかの産地が天候不順に見舞われて作物が被害を受ければ、同じ物を作っている他の産地のものは値が上がる。いわば経済競争が天候の運不運に依っている。だから他の地域の天災を心の中で喜んだりする。ただそれは余りにも不見識だから口には出さない。
 薬局には多くの農家の方が来るのでその話題を出してみた。大雪で関東の農家の被害が、埼玉県など200億円を超えているというニュースを見たから、さぞこちらの方の野菜が値上がりしているだろうと思ったのだ。ところが意外とそうではないらしい。関東は雪でやられたが、中部圏が被害がなかったので供給には支障はないらしい。牛窓の野菜はさすがに関東までは行かないのだろう。山、関西圏までか。僕は農家の方が大いに潤って、笑顔がこぼれんばかりになったらいいのにと思っていたのだ。帰ってきた言葉に当事者でもないのに少しがっかりした。
その会話の中である農家の方がしみじみ言った。「ニュースの中で言っていたが、あっちの方の百姓は結構借金しとるんじゃなあ」と。最初僕はその感慨深そうな言い方が何を表しているのか分からなかった。「牛窓の百姓は、何回も不作で懲りているから借金はしてないもんな。だからあんなことがあっても食うに困らんもんな」決して自慢しているわけではない。それこそ同業者だから理解できるものがあるのだろう、愁いに満ちた表情でその言葉を吐いた。産地間競争は経済行為としては仕方ないかも知れないが、同業者としての連帯感はかなりあるように思えた。大地の恵みを頂いている人達のひょっとしたら当然の気持ちかもしれない。そこが全く経済だけで繋がっている都市部の人間、いや、第2次、第3次産業の人間とは違う。
 今年も白菜御殿は建たなかった。お百姓が潤えば町は明るくなる。働いている姿が絵になり、多くの人達の視界に触れる。子供達もその姿を見ながら成長する。産地間競争に勝って、牛窓の土地だけではなく町民の心の土壌まで豊にして欲しいと思う。


2014年02月21日(Fri)▲ページの先頭へ
恋愛
 ニュースを見ていると現代の恋愛は命がけだ。命を捨てる覚悟がないと人を好きになることも出来ないみたいだ。恋愛は、リンクのない場所での格闘技だ。
殺されるなら一人でいた方が余程ましだと思うのだが、それでも恋愛がしたいのだろうか。恋愛の向こうに幸せな結婚、家庭生活が待ち受けていると思うのだろうか。いやそれ以前に恋愛自体が、幸せに満ちていると思うのだろうか。僕が結婚する人に決して祝辞を述べないのは、本来なら、いや、従来ならおめでたい儀式がとんでもない不幸を抱え込むことになる、人生を一転させるような不幸を背負うことになる確率が高いことを知っているからだ。薬局、それも漢方薬を多く扱う薬局をやっていると、苦痛を抱えた人が来る可能性が高い。そうした人は色々と話してくれるが、まるで十字架を背負って生きているような人もいる。そして恋愛さえしていなければ、結婚さえしていなければどれだけ幸せに生きて来れただろうと思う人が多い。一気に転落する切っ掛けが恋愛であったり結婚であったりする。
 逆に一人で暮らしている人は、落ち着いているし、結構心も安定している人が多い。煩わしさから解放されているからか、自分の価値観をおかされないからか、何となく精神的に追いつめられている人は少ないような気がする。何よりも自由というものを多く持っているから、一番失いたくないものを失わなくてすむ。これに優る自由はないのだろう。
 昔なら、命をかけて守るとパートナーにプロポーズするのだろうが、今は違う。心変わりしたら、「お命頂戴します」では恐ろしくて恋愛なんてやっていられない。「命がけ」は今は比喩ではなく現実だ。


2014年02月20日(Thu)▲ページの先頭へ
喝破
・・・雪は14日朝から積もり始め、翌朝には130センチ。例年にない積雪量だったが、孤立した5日間の生活を尋ねると「何ともねえ」。市街地から離れているため、多くの家は普段から一度の外出で大量の食材を買い、食料は十分。千島さん宅に血圧の薬は来月分まであり、灯油もドラム缶1缶分。「あと10日孤立しても平気だ。この辺りで食うに困ってるのはサルぐれえだ」。車庫は雪の重みで傾いたが、軽トラックと軽乗用車が柱代わりに崩壊を食い止めた・・・
 「サルぐれえだ」に思わず吹き出した。仕事前に読めたおかげで今日は爽快な一日になった。見ず知らずのおばあさんに感謝だ。恐らく僕と同じようにパソコンの前で吹き出した人が沢山いたのではないか。山間の限界集落みたいな所なのだろうが、そこに根を張って生きてきた人達の力強さを感じるとともに、力みのない生き方に癒される。能力もないのに何かが出来るかもしれないと、漠然と夢想した青年時代、しかし結局は努力もせずにその時もその後も生きてきたけれど、今となっては、人生ってそんなに力んで大きなものや多くのものを得ようとする必要など無かったのではないかと、ひがみではなくかなり本心に近いところで言える気がする。
 一見多くの物や大きな力を手にしているような人間の、余りにも汚くて醜い姿を毎日のように見せられると、その対極で生きてきただろうおばあちゃんの「食うに困っているのはサルぐれえなもの」と喝破する潔さが崇高に見える。自然に身を任せて生きてきた人間の澄んだ魂に優る物や力を僕は見たことがない。


2014年02月19日(Wed)▲ページの先頭へ
踏切
 「知らない人も多いんです」と知らない人間の前で言われても困る。オタクと呼ばれる人が多いらしいが、僕はどちらかというとその逆だ。と言うより僕は淡白な人間だからオタクとばれるまで何かに興味を持てたことがない。寧ろ恐怖の飽き性と呼ばれている。良く父が間違って飽夫と名付けなかったものだ。
 なんやら鉄と良く耳にするが、彼は正真正銘の本職だ。なんやら鉄の人には神々しく見えるかもしれない。ただ僕には一好青年でしかないが。そんな彼の具体的な職種を尋ねたとき気動車という言葉が出てきた。僕にはそれがイメージできなかった。そんな様子をすぐに見取って彼が教えてくれた。素人は気動車の気の字から電気をイメージしがちだが(僕だけかもしれないが)それなら電車と言う別の名前がある。不思議に思っていたら彼が、油で動くんですと教えてくれた。車と同じなんですと言われても、どこに油を積んでいるのか、あるいは煙突かマフラーか知らないがそれが見あたらない。と言うよりもっと初歩的な、架線がない線路が岡山県にまだあることすら知らなかった。架線がないところは石炭で走る蒸気機関車しか走れないと思っていたから。
 僕レベルの読者のために昨日彼から仕入れた知識を忘れない間に披露する。油を炊くくらいだから煙突がいるのではないかと尋ねたら、さすがに煙突はないけれど、排気ガスを排出するところはあるらしい。煙突のように突起物ではなく、寧ろくぼんでいる構造らしくて人には見えない。だから気がつかないのだ。先にも書いたように架線がないから、何か遅れているように思えるけれど、寧ろ最近は見直されているらしい。架線を引く必要がないところが強みになっているらしいのだ。それは車と同じようにハイブリッド型のエンジンが開発されて燃費もいいし環境にも優しいから架線を引く工事代が倹約できるわけだ。
 何か鉄道会社の宣伝みたいになったが、かの好青年は素人の僕に分かりやすく教えてくれた。なんでそんな青年が僕の漢方薬が必要になるのだろうと思うが、憧れの職業に就いたのはいいけれど、どこにでも様々な人間模様はあり、気動車を走らせるようには人間様を意のままに走らせることが出来なかったのだろう。
 自分の土俵に上がった時の生き生きした表情と、体調不良を訴えるときの自信のなさは、どこの街でも見かける踏切で分断された駅の表と裏みたいだ。


2014年02月18日(Tue)▲ページの先頭へ
紫雲膏
 面白くて興味深い話を聞いた。
 ある製薬会社のセールスは女性だ。毎月かなりの距離を走り回っていると思う。大阪や北九州を担当したときの交通マナー事情などを面白おかしく話してくれるが、昨日の話は特に面白くてなおかつ役に立った。
 運良く去年から実家の岡山を拠点にセールス活動をしている。実家にはミニチュアダックスと猫を飼っていて、お互いが仲が良くて、猫が犬の世話をしたりするそうだ。僕はその話題だけでも面白いと思ったのだが、興味深かったのはそのことではない。
 先月やって来たときにお母さんのあかぎれや手荒れのために、僕の薬局で作っている紫雲膏を買って帰った。効果の程は自信あるのだが、なんとその紫雲膏をえらく二匹が気に入って、容器を舐めるのはもちろんだが、ひび割れを治す為に塗っているかかとを舐める始末だそうだ。それも寝ているときに布団に潜り込んで舐めたりするから、仕方なく靴下を履いて寝ているそうだ。「いい匂いがするのでしょうね。動物は絶対不自然なものを口にしませんから余程安全なもので出来ているのでしょうね」と彼女は言ったが、正にその通りだ。作っているときからいい香りが薬局の中に立ちこめるし、そもそも材料は最高級品を使っている。材料のトウキも日本産だし、ごま油はメチャクチャ高級で百貨店にわざわざ買いに行く。その甲斐が人間ではなく犬と猫に評価されたのだから・・・・嬉しくも何ともない。


2014年02月17日(Mon)▲ページの先頭へ
記憶
 小児期の最も古い記憶は7歳頃に消え始める――米エモリー大学Patricia Bauer氏らの研究でこんなことが示唆された。ほとんどの成人は3歳頃までの記憶しか遡れないことが知られており、この年齢以前の記憶の喪失は小児期健忘と呼ばれる。Bauer氏らは、初期の記憶が消え始める正確な時期を調べるために、まず3歳児80人超に、誕生日会や動物園へ行ったことなど最近の数カ月で経験した6つの出来事について両親が尋ね、その回答を記録した。被験者をグループ分けして、各グループが特定の年齢(5歳、6歳、7歳、8歳または9歳)のときに、これらの出来事の記憶を調べたその結果、5〜7歳の子どもは3歳時に覚えていたことの63〜72%を思い出せたが、8、9歳までには約35%しか思い出せなくなっていた。年少児は年長児より3歳時の出来事を多く覚えているが、年長児のほうが情報は多かった。この差の理由として考えられるのは、長時間定着する記憶は関連情報が多いこと、年長児では言語スキルが向上するため記憶の説明が明瞭になり、さらに印象づけるのに役立つ可能性があるという。

 えっ、あの頃のことをそんなに鮮明に覚えているのと、息子に尋ねたばっかりの今日、こんな文章を見つけた。最近の知見らしい。ひょっとしたらこの3歳頃のギリギリの記憶に驚いていたのかもしれない。とするとごく普通なのだ。寧ろ驚いている僕自身に問題があるみたいだ。僕のもっとも古い記憶ってなんだろうと考えてみたが、どれが古いのか前後関係が分からない。かなり自信を持って言えるが、幼稚園の時の記憶は全部吹っ飛んでいる。成人して母やいとこなどに脚色されて教えてもらったことが記憶に近い形で蘇るが、それは記憶ではない。
 やま小学校だろうか。振り返るのは好きではないから、いや振り返るほど毎日に余裕がなから振り返ったりはしないが、今敢えて記憶を辿ると、小学校の高学年くらいだろうか。
勿論いい想い出なんかは蘇ってこない。かといって悪いものもない。毎日が淡々と過ぎて行っていたのだろう。それはよいことに違いない。大きな山もなかった割に、登れないくらい深い谷もなかったのだろうから。
 ただこの文章を見つけただけで、記憶探しをやったが、やはり気持ちいいものではない。僕は時間に追われ、人に追われ、結果に追われているのが心地いいのかもしれない。


2014年02月16日(Sun)▲ページの先頭へ
感謝
 いらぬお世話かもしれないが、敢えてする。いらぬお節介かもしれないが、敢えてする。恩着せがましいかもしれないが、敢えてする。
 これが日本だと感じてもらえることで、自分で出来ることは何もないから、プロの人の力を借りる。これが日本だと紹介できる物に関して知識が余りにも少ないから超マンネリなのだが、僕自身も便乗して楽しみたいから、僕の好みの範囲で選択する。地方都市だから、イベントの質や数は限られてくるが、その中でやりくりするしかない。経済も時間も体力も限りがありすぎる。
 前置きが長くなったが、岡山県が誇る日本的な文化の中で僕のお薦めは「備中温羅太鼓」なのだ。今日もかの国の4人、順番で連れて行っているから、最後のグループと言ってもいい人達を定期公演に連れていった。前回見つけた吉備津神社に立ち寄るコースも評判だったので、今日もその内容のツアーにした。かの国の人達にとっては、神社とお寺の区別が難しいらしくて、必ず「テヲタタキマスカ?」と尋ねられる。何を祈っているのか分からないが、頭を垂れる後ろ姿にうたれる。残してきた子供や家族の幸せ、健康で3年間を勤め上げられることなどであろうか。
 驚異と言うしかないような2時間にも及ぶ太鼓との戦い。筋力か、柔軟性か、リズム感か、訓練で得たものだろうが、僕には天性のように見える。正確に力強く打ち鳴らされる太鼓に言葉の壁はない。最後まで身を乗り出し、手が痛くなるまで叩いている姿を横目で時々確認しながら、いらぬお世話、いらぬお節介に確信を持った。備中温羅太鼓のメンバーの人達に感謝。


2014年02月15日(Sat)▲ページの先頭へ
3剤
 主な国で、統合失調症に使われる薬の種類を調べて表にしてあるのを薬の専門誌で見た。
予想通りと言えば予想通りだが、外国の治療の簡素さが際だち、日本のその種の領域が手つかずのまま、何か大切なことを欠落させたまま長年来たのではないかと思った。
 2剤(2種類の薬)を飲ませる割合は日本では8割なのだが、アメリカは1割しかいない。その8割の中で3剤以上が5割だと言うから驚きだ。アメリカにはそもそも3剤などない。3剤は香港、シンガポール、フランス、ハンガリー、イタリアしかないが、香港以外は1割にも満たない。ないに等しいのだ。英国国立医療技術評価機構によると、一人の患者に抗精神病薬2剤以上または高用量で投与して効果が上がるエビデンス(根拠)はないらしい。
 なんでこんなことになるのか分からない。お国柄の何がこの差を作るのか分からない。医師のお国柄か、患者のお国柄か、製薬会社のお国柄か、社会のお国柄か、あるいはその複合か。そもそも診断自体も難しそうだ。客観的な評価が難しいトラブルだろう。
 どの分野でもこの国は何か進んでいる国のように思ってしまうが、実はそうではないのだ。誰かが歴史をやたら巻き戻しそうにしたがっているが、そんなことをしなくても、科学も医療も文学も哲学も、実は随分遅れているのだ。政治などその最たるものだ。どれも大したことはないのだ。もっともっと進んでいる国はいっぱいある。それを認識しないと、この国が素晴らしい国などと勘違いしてしまう。所詮、北の将軍様とまるっきり同じことをしたがっている人間にとんでもない肩書きを与えるような国でしかないのだ。
 実在しない知覚情報をリアルに体験する症状(幻聴 幻視)妄想(客観的に見てあり得ないことを事実と信じ込む)誇大妄想(自らの実際より遙かに偉大だ)もうとっくに症状が出ているのではないの?東京を世界一の都市にするなんて言ってた人間もいたっけ。この人達には3剤じゃあきかん!


2014年02月14日(Fri)▲ページの先頭へ
生活感
○○さんへ
 良かったですね。やり遂げたではないですか。今までの人生がもったいないような気がしませんでしたか。誰に強要されるのでもなく自分でブレーキを踏みまくっていたのですから。これからは今回の体験を生かして、今までの分を取りかえしてみたくなりませんか。
貴女はそうしたことが出来る知性と理性を持ち合わせています。もったいない限りですよ。恐らく同じような青春を送ってきた僕が、少なくとも克服していますから、貴女にも出来ると思います。必然性がない場や時で、自分を抑える必要はありません。出来ることは積極的にやり、今以上に人様のお役に立てればそれが日々を満たしてくれますよ。もっともっと喜びに満ちた日々のために、力を抜いて、自分を信じて・・・なんだかオリンピック選手に言っているみたいですね。
 ひたすらスポーツに専念している人達もそれなりに立派ですが、生活感が見えませんね。僕ら庶民は生活感しか自慢できるものは持ってはいませんが、その中には世の正義というものが含まれています。スポーツ選手や芸NO人からは決して伝わってこないものです。 1週間前の雪がまだ溶けていないのに今日又積雪です。この辺りではないことです。ないことが起きるのですから、ないことなどないのです。原発の恒久的な安全も、あなたが治らないことも、同じようにないのです。
                    痴性と裏性が溢れる ヤマト薬局より


2014年02月13日(Thu)▲ページの先頭へ
連鎖
 「分からないかもしれないですけれど、東京に住んでいるときは頭の中で生きていたように思うんです」と言われても、やはり分からない。僕が首を傾げると、向こうは余計言葉を見つけるのが困難になって、顔に苦痛の表情が浮かんだ。苦しむほど上手く表現してもらわなくてもいいとそこでストップをかけてあげたかった。
 結局彼女が言いたかったのは、牛窓に引っ越してきて、結構肉体労働もするようになって、自然と共生しているという実感が心地よいみたいだ。人も穏やかで親切で、人間関係自体も自然な感じらしい。
 いつも作業着っぽい服装で来るから完全に肉体労働かと思ったら、会社のイベントの企画もやっているらしい。それは決して本職ではないらしいが、回を重ねる毎に企画も告知も上手になって、今では新しい風を確実に吹かしている。彼女が企画したことが縁で、食べ物屋さんが越してきて、近く店舗を牛窓にオープンするらしい。
 「野菜なんか頂き物が多いし、家賃も安いから、生活には困りません」と明るく応えるその表情は、ほとんど牛窓の人間の表情をしている。見ず知らずの所に移ってきて不安はあったかもしれないが、暗黙の歓迎が同化の時間を短縮する。
 彼女は3月に前島フェリーと共同であるイベントをする。フェリーの担当者をやたらいい人だと褒めていたが、都会に出たことがなく、未だ純粋な牛窓弁を話すシャイな男性を評価しているところを、僕こそ評価する。
 ゆっくりではあるけれど、素朴の連鎖が始まっているように思う。自分だけの時計を持っている人達、自分だけの羅針盤を持っている人達が三々五々逃げてきて、何も強いられない生き方を模索し実践している。もう遅い僕が、彼ら彼女たちのために出来ることを見つけて、まだ遅くない僕になれたらと思う。


2014年02月12日(Wed)▲ページの先頭へ
クマムシ
 クマムシ類は体長が0.1mm〜1mm未満の微小な動物で、4対の脚を持ちます。通常の市街地のほか、深海、高山、極地まで幅広く生息しています。ゆっくり歩くことから緩歩動物と呼ばれマス。陸生クマムシの多くは乾燥耐性を持ち、周囲が乾燥すると脱水して縮まり乾眠と言われる状態になります。この状態では水含量は数%にまで低下しており、生命活動は見られません。驚いたことに死んだわけではなく、水を与えると速やかに活動状態に復帰します。超低温(ー273度)・高音(100度)超真空・放射線(人の致死量の100倍の放射線)水深1万メートルの75倍の水圧に耐性を持つことから、乾眠状態のクマムシなら宇宙空間に曝露しても耐えられるのではないかと指摘されてきました。この仮説を検証するため2007年秋にクマムシの宇宙曝露実験が行われました。穴の空いた箱にクマムシを入れて宇宙空間(高度258 ? 281 km)に10日間曝露しましたが、生存率や寿命、繁殖率について特に影響はありませんでした。宇宙空間に曝されて生存した初めての動物になります。

 定期的に送られてくる薬学の雑誌に出ていた文章を要約してみたが、面白くなくて退屈な文章ばかりの中にこの文章を見つけ、珍しく目が釘付けになった。生きているのだから、生命力と言っていいのだと思うが、並はずれた、いやはずれすぎたその生命力に驚いた。これだけ過酷な環境をものともしないのだから、何が敵なのかと思うが、恐らく一番怖いのは圧力だろう。踏みつけられる、握りつぶされる、かみ殺される・・・だけどそれもないか。あまりに小さいので靴底は運動場のように間延びしているだろうし、握り拳などクマムシにとっては東京ドームみたいなものだ。歯の隙間も瀬戸内海くらい広いかもしれない。となると天敵がいないってことか。だから何もない状態で生きていけるのだ。ただクマムシのえらいところは、アホノなんやらと違って身の程を知っているってことだ。いずれ現れる驚異に無知ではしゃいでいる奴らとは違う。


2014年02月11日(Tue)▲ページの先頭へ
食パン
 「こりゃあ、おえん」由美かおるが演じる水戸黄門の中の「おえん」ではない。岡山弁で「これはだめだ」と言う意味だ。
 普通の食パンの3倍以上の値段。それよりも、あの美味しいホテルの食パンと至るところでうたわれているパンよりさらに高いのに、この味では「おえんじゃろう」
 日曜日、岡山からの帰り道、あるスーパーに寄った。その中に入っているパン屋さんで普通なら100円チョットの食パンなのに、400円もするパンが目に入ったので買ってみた。あのホテルのなんとかとうたっている食パンでも250円くらいだから、かなり高い。記憶が定かではないが、400円以上したと思うから、ホテルのパンの2倍近い値段と言うことになる。どれだけ美味しいのだろう、そしてその美味しさをどの様に表現できるのだろうと思って買ったのに、ソチの「檻」ンピックよりもっと地に着いた期待をして買ったのに、「なんじゃこりゃあ、全然おいしくないじゃないの、これじゃあ、おえんじゃろう」になってしまった。表現のしようがないのだ。100円台のパンと何ら変わりない。ホテルのパンとは格段に落ちる。値段が間違って印刷されたのではないかと思った。それとも故意なのかと、好ましくない憶測をしたりするが、そんな考えが浮かぶこと自体が不愉快だ。「なんでこんなに高い食パンを買ったの」とまるで子供のように妻に注意され、その買い物で良いことは何もなかった。
 安いものを買って失望することはしばしばだが、その逆は珍しい。まあこれがパンくらいで良かったが、高級品だったらかなり悔やまれるだろう。一生に何度もないような買い物は慎重になってこんなミスは起こさないかもしれないが、お金を使うことに慣れていない僕は羽が生えるどころではなく、ロケットエンジンをお札につけている。


2014年02月10日(Mon)▲ページの先頭へ
都民
○○君へ
 折角家にいるのだから、過去と別れを告げる時間にしたらいいです。今までとは違ったとても自由な生活が始まります。後1,2年もすれば20歳になるのだからもう大人として扱われます。だから学校でも管理されることがないのです。自由になった分、責任も問われます。何をしてもいいけれど、結果は自分で背負います。
 僕は学生時代のほとんどを、パチンコと、アルバイトと、唄に費やし、その結果、人より長く大学に残されました。でもそれは至極当たり前のことです。良いことでもなく、悪いことでもなく、ごく普通の社会のあり方です。
 そう言えば東京で「まきぞえ」と言う奴が当選したらしいですね。その結果、東京で原発の果実のみを今まで同様、貪欲にむさぼることにイエスと出ましたが、これから長年放射線を浴び続けて、早く老化してしまうのも都民です。被害者である福島の人達の苦悩を微塵も感じない人達の負うべき結果だと思いますから自業自得だと思いますが、これから同じことで日本中の田舎の人間を巻き添えにするなと言いたいです。
 あなたの県でも、島民による原発反対の運動が継続されていますね。お腹のことを考える時間を、そちらの方に振り向けてみませんか。折角の人生、一握りの金持ちのために奴隷のように生きるのはいやでしょう。
ヤマト薬局


2014年02月09日(Sun)▲ページの先頭へ
切れ味
 こう言うのを切れ味というのだろうか、それとも開け味というのだろうか。
 牛窓に帰り、薬局を手伝い始めてからずっと使っていた物だから相当の年数になる。紙に穴を開けるたびに、ある部分は切れているし、ある部分は切れていなくて、圧力がかかった証拠のような溝だけが出来ている。だからそのたびに指で押して穴にしなければならない。2度手間だけど、月に1回、処方箋の請求の時に使うくらいだから、不便承知で使い続けていた。
 ある文房具を買いに行ったついでに穴開け機(商品には1穴パンチと書かれていた)を見つけたので、それといつものようにとても安いことに気がついたので(300円台だったと思う)買ってみた。30数年ぶりの買い換えとなったと思うのだが、大いにその価値を実感した。1回だけ穴を開ければすむことなのだが、何気なく昨日使って、そのなめらかな切れ味?開け味に驚いた。まるっきり抵抗がないのだ。今までなら、机の上に置いて体重をかけて開けていたのだが、それも数枚紙を重ねているものに穴を開けるだけのために、指に軽く力を入れるだけできれいな穴が開いた。たったこれだけのことだがその行為にストレスを全く感じることなく出来たことが嬉しかった。
 どうも僕には倹約とけちが混在しているように思う。どちらが僕の中で優勢なのか自分でも分からない。まだ使える物の基準が人様と違うかもしれない。ただし、それはこの国の人達との比較であって、後進国の人達と比べれば僕の基準は恐らく犯罪的だろう。だから質素を貫き、その人達と同じ地平で語り合える環境を是非維持し続けたいと思う。そうしないと、僕が僕でなくなるような気がする。


2014年02月08日(Sat)▲ページの先頭へ
薄情
 「もうこれで笑ってこらえて。北へ行っても同じことだから」今度会ったらこう言おうと思う。
 何かしたいことはない?どこか行ってみたいところない?と時々全員に聞くが、なかなかどこに行けば楽しいのか分からないみたいで答えは滅多にない。地名で言うと、東京と京都しか上がってこない。それもそうだろう、逆に僕がかの国でどこに行きたいかと尋ねられても同じことだろうから。せいぜい北と南の嘗ての首都の名前くらいしか知識がないからあげようがない。
 この時期多くの子が言うのが「雪を見たい」だったから、今月北の方に雪を見に連れていってあげる予定だった。中国山地に行けばいいと息子が教えてくれ、僕では心許ないので連れていってあげるといってくれた。僕も彼女たちも既にその心積もりでいるが、今日の大雪(この辺りではの話)で何年ぶりかで辺り一面雪景色になったから、これでこらえてもらおうと思った。恐らく北の方に行っても、積もっている雪の厚さが違うだけで、同じような光景だろう。スキーでもしたいというなら別だが、触れて戯れるくらいなら今日の雪で十分だ。
 昼前まで来店する人もいなかったから今日は事務仕事がすこぶるはかどった。数年に一度の雪景色でもはしゃぐ人はいない。それよりもあの懐かしい言葉がやはり多く聞こえた。
「きたねえもんがふったなあ(汚いものが降ったね)」この辺りでは、雪の後の挨拶の決まり文句だ。北国のように厳しいながらもその恩恵を受けているのとは異なり、ただただ迷惑と感じるのだろう。さすがに積もったばかりの雪景色はきれいだと感じないこともないが、多くの人はその後の溶け始めて泥と一緒になった姿を想像するのだ。それが雨と違って長く残るから、汚いものに見えてしまうのだ。
 なんだか情緒を全く解せない野蛮人みたいだが、僕が幼いときからこの挨拶は変わっていない。南の方から来た素朴な子達の感動に水を差すようなことはしたくないから、決して彼女たちの前で口にはしないが、災害が少ないので有名な県で暮らす人間の薄情だろうか。


2014年02月07日(Fri)▲ページの先頭へ
常套手段
 正直、もっと悪い奴は一杯いるだろう。第一、商品として上げたり下げたりしているマスコビ(マス媚び)自身に批判したり断罪したりする権利はない。自分たちが一番の共犯者なのだから。僕なんか寧ろ共犯者として謝っていた作曲家にエールを送りたいくらいだ。今回のことで表舞台に立ったのだから、チャンスとばかりいい作品を発表してもらいたい。 下世話な憶測を薬剤師的にすることを許してもらえるなら、今回のことを以下のように推理する。耳の不自由なサングラスの方が、ゴーストライターは表舞台に立てない何かがあるように感じたと言っているが、僕は彼の目ではないかと思った。僕にとっては、何ら問題のないことだが、いや多くの人にとっても問題ないことなのだが、本人にとってはそれが全てのように感じていたかもしれない。まして18年前というと彼もまだ青春後期と言っていい頃で、自分への執着はかなりあっただろう。会見でも目を伏せる時間が多かったが、それは自身がハンディーと認識している部分を自然に隠したいからだと思った。
思春期には、いやそれ以降も、たとえ大人になっても、自分で受け入れがたい所は持っていて、出来れば隠したいものだ。自分の才能を公にしたくても、遙かにハンディーは隠したいものだ。そうした誰でもが持っている理由で今回のことに甘んじていた彼があるのではないかと思った。
 どうでもいいようなことをいつものように飯の食いっぷちにしているマスコビの厚顔さの裏に、僕はもっと不快な想像をしている。今回の過剰報道は、日本の真ん中の選挙で、原発が話題になったり、アッチイケイと言うテレビ局のお友達のグループの食べ放題、いや好き放題を隠すための大騒ぎだと疑っている。とるに足らないミスで、とるに足る巨悪を覆い隠そうとする常套手段だと思っている。


2014年02月06日(Thu)▲ページの先頭へ
納得
 何となく感じていたことだけれど、言われてみれば納得だ。
教会にはフィリピンの人がやってくる。仕事で短期間玉野市に滞在する若い人もいるが、日本人と結婚した女性も多い。その中で幼いお子さんがいる人がいて、ミサにも連れてくる。そのお子さん達をまるで我が子のように、日本在住の女性は勿論、若い短期間滞在の男女も可愛がる。人間関係を知らなければ、誰が父親で誰が母親か分からないくらい大切にする。それに応えて子供も人見知りをせずに誰にも甘えていく。
 こんな光景は指摘されなければ「何となく」で終わってしまうが、フィリピンによく行く人に言わせれば、ごく当たり前の光景なのだそうだ。家の垣根は勿論、心の垣根もまるでないかのようにお互いが親密に関わり合いながら生活しているらしい。他人の子供に声をかけて暴力をふるわれたというような、この国の道徳回帰を煽る乾いた人間関係はない。 同じような光景は、かの国の若い女性達の間でも見られる。小さな子供を見つけると自然と寄っていき、声をかけている。その母親とも片言の日本語で話を始める。本当かどうか分からないが、平均年齢が28歳というのを聞いたことがあるかの国では、恐らく子供がうじょうじょいて、誰彼となく可愛がり大切にしているのだろう。子供が溢れんばかりにいるところでの当たり前の光景なのだろうか。少子社会になると、一人の子供に対する気持ちの集中が起こり、大切「過ぎる」ものになってしまったのだろうか。
 この国の日常と何となく違う雰囲気をかもし出すのは、こうした人口比率に原因があってのことなのだろうか。それとももっと根元的な、単なる優しさの問題なのだろうか。望んでか、望まなくてかわからないが、孤立して生きる人が多いこの国では、今では珍しい光景だ。


2014年02月05日(Wed)▲ページの先頭へ
道連れ
 「今、働いている所がもう崖っぷちで倒産寸前です。最後のあがきでいろいろやってみていますが、持ち直すことは難しそうです。いろいろ相談されて精神的に辛い事はありますがなんとか頑張れていることがとてもありがたいです。以前の私なら真っ先に体調がボロボロになっていたと思います。人間関係にもたくさん悩んだ職場でしたが、なくなると思うと寂しいですね。いつまで続くかわかりませんが。。。頑張ります。」

 体調を報告してくれたときに、ついでに書いていてくれた文章だが、この下りを読んだときに、大袈裟に言えば、日本人の持っている善良な部分を何となく感じた。会社の倒産、失業、職探しなどのこれから控えているだろうことの悲嘆が出ていないのだ。寧ろどちらかと言えば他者を思いやる気持ちが前面に出ている。
 日本人の日本人らしい長所だが、最近はこの特性を備えている日本人は少ない。毎日のようにエセ強者が我が物顔に振る舞うのを見せられて、不愉快になることばかりだから、こうしたごく普通の人達の優しさが余計に印象深い。多くを求めずに、懸命に生きている人達の何気ない心情に心を打たれる。胡散臭いタレントや醜く歪んだ政治家どもの顔を見るたびに、こちらの品格まで道連れにされているみたいだが、巷には逆に道連れになりたいような人達がいる。


2014年02月04日(Tue)▲ページの先頭へ
無難
 今日、世にも珍しいものを見た。正直どう表現していいのか分からない。最初は「今日、凄いものを見た」と書こうと思っていたのだが、どんな表現もぴたりと当てはまらないような気がする。
 勇気がある人なのだろうか、無頓着な人なのだろうか、単なるずぼらなのだろうか、あるいは逆に悟りを開いて世間を超越して生きている孤高の人なのだろうか。賞賛の対象ではないし、単なる驚きの対象でもないし、軽蔑も出来ないし、結局は無難に無関心を装ったが、こうして今日のテーマにするくらいだからとても無関心ではおれなかった。
 今までそれに近い人も見たことがない。ふとした油断でほんの少々というのはあるが、そこまでの人は見たことがない。と言うことは、多くの人がかなり気にしているってことだ。どう見てもそのことに無関心でも良さそうな人でも、余程のことがない限り気を使っている。他の部分ではとても寄りつけそうにない人でも、そこだけは気を使っていると言うことだろうか。不思議だ。
 その人を初めて見たのはもう20年、いや30年前にでもなるだろうか。ほとんど無名だった人が突如選挙に立候補して議員になったときだ。品があり、物腰の柔らかい人だった。その後も時々やっては来ていたが、今日のようにテーマにすべきものはなかった。議員を辞めた後静かに暮らしている。だが今日のその人は違った。いつから伸ばしているのだろうか、見るに耐えれなかったからすぐに目を逸らしたのだが、2cmはあった。いやひょっとしたら3cm近くはあったかも知れない。薬局の入り口当たりで見えたときには口ひげかと思ったくらいだったから。でもカウンターの所まで来て処方箋を出されたときに、それが「鼻毛」だと言うことに気がついた。それもほとんど白髪の・・・・見たくなかった。う〜ん、今夜はうなされそうだ。


2014年02月03日(Mon)▲ページの先頭へ
車幅
 右折のため正面からやってくる車をやり過ごしていたら、大きなバスが近づいてきた。今はバスの運転席が結構低いところにあるから、アルファードの運転席の高さとあまり違わない。だからバスの運転手さんを間近に見ることが出来る。何となく近づいているときから雰囲気が違うと思ったら、案の定女性運転手だった。30歳代くらいに見えたが、凛とした表情で運転していた。一瞬のことだが見とれてしまった。
 車幅が以前の車からどのくらい広くなったのか知らないが、アルファードになってから急に運転しづらくなった。さすがにもう慣れたが今でも結構気は使っている。車幅の差は僅か数センチのことだろうがそれでも感覚的に広く感じ、いやがおうにも慎重になる。バスに比べたらおもちゃのような僕の車でもこれだけ気を使うのだから、あの大きな乗り物を運転するのにどれだけ気を使うだろう。と言うより、よく平然と運転できるものだと思う。教習所でかなり訓練を受けたのだろうが、それ以前に大きな車を運転してみたかったのだろうなと想像する。好きだったんだろうなと想像する。夢が叶ったんだろうなとも想像する。前輪と後輪があんなに離れている車を操ることが出来るのだから、運転嫌いの僕には驚異的だ。
 それにしてもどんな職業でも、一生懸命働いている姿は美しいし神々しい。


2014年02月02日(Sun)▲ページの先頭へ
表現
 アーサービナードと言う詩人が、今日テレビで面白い表現を使っていた。面白いというか興味深いというか、正に詩人だからこその表現だと思った。
あの日を境に歴史が逆回転し始めているのは多くの人が感じているのではないか。気がついているが、生活に追われ無関心を装っている間にますますそれが加速されている。そのことについてのコメントで「歴史教育は大切なものだが、覚えるものではない。疑って、検証するものだ」と言った。権力者が都合のよいように歴史を解釈し、それを鵜呑みにさせ、正に試験などがそうだが、都合のよい解釈を正解とされたらそれをそのまま検証することなく子供達は覚えるしかない。だからみんなが同じ間違いを植え付けられる。まるで野蛮国家のようなことが、先進国と言われる国で行われている。
 こうした表現で今の流れを批判してもらえると、少しは気がつく人が増えるのではないか。言葉の持つ力を感じた朝の出来事だった。そしてプロの力を感じた朝でもあった。


2014年02月01日(Sat)▲ページの先頭へ
罰当たり
 罰(ばち)が当たりそうだが、僕は目の前にいる女性を治したかった。顔を歪ませて苦しそうにして、ため息ばかりつくのを、なんら楽に出来ずに僕の薬局を出ていかすわけにはいかない。
お嬢さんに付き添われてやって来た。入って来て椅子に腰掛けるやいなや、上記のような苦痛の表情が始まった。連れてきてくれたお嬢さんも心配顔で母親の顔をのぞき込む。軽いストレスくらいではないなと思ったので、理由を尋ねてみた。最初は答えるのを少し躊躇っていたが「こんなことを人様に言うようなことではないんですが」と断りながら、心の不調をもたらした出来事について教えてくれた。いざしゃべり出すと、堰を切ったように饒舌になった。大きな声も出だした。
 彼女を落ち込ませたのは「今時?」と言うような内容だった。お葬式にまつわることで、いわば親戚同士のいざこざだった。岡山では「おかんき」と言って、葬式の日から1週間毎、親戚が集まってお経を上げるしきたりがあるが、その出席もやはり親戚中が顔を合わせるからストレスらしい。合理的な僕は「もうやめにしよう」と親戚の人達に提案するように助言した。その根拠となる10年以上も前の、父のおかんきでの出来事を教えてあげた。
母が一人残された家に1週間毎僕ら夫婦と兄夫婦が集まった。お経を読める人がいないからテープを流しながらみんなで唱和した。最初は真面目にやっていたが、2回目になるともう飽きてしまって大儀大儀読んでいた。そのうち、お経の中であるところに来ると必ず吹き出すような所があり、笑いをこらえるのに必死だった。それは「ぎゃーてー、ぎゃーてー、はらぎゃ−てー」と言うところだ。言葉で書くと何でもないかもしれないが、みんなで唱和すると我慢できないくらいおかしい。そしてある夜、遂に笑いをこらえることが出来ずに吹き出してしまった。以来僕は人様の葬式に行ってもこの下りを非常に苦手としている。他人様の厳かな葬式でも吹き出してしまいそうなのだ。舌を噛んで我慢しないといけないくらいおかしい。
 そのことを思い出したから、その女性に教えてあげた。話しながらその光景を思い出し、僕は笑いの壺に落ちてしまった。腹筋が痛くなるほど笑い、制御不能になって薬局の中を歩き回った。するとそれに連れて女性もお嬢さんも大笑いを始め、3人でしばらくの間だ笑いこけた。
 結局、女性はとてもいい顔になって帰っていった。娘夫婦にその間漢方薬を作ってもらったが、ひょっとしたら漢方薬はいらなかったかもしれない。お経をネタに笑い転げたが、一人の女性が笑顔を取り戻したのだから許して欲しい。
 不見識かもしれないが、亡くなった人より目の前の人に全力を尽くす。罰当たりでもなんでも。


   


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■店舗名■
有限会社 栄町ヤマト薬局

■住所■
〒701-4302
岡山県瀬戸内市 牛窓町牛窓4808-3

■連絡先■
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