栄町ヤマト薬局 - 2013/10

漢方薬局の日常の出来事




2013年10月31日(Thu)▲ページの先頭へ
野球
 野球に全く興味がない、知識がない僕だからこそ目に留まったのかどうか分からないが、「上原が3人斬り レ軍世界一」と言う見出しにすぐに違和感を持った。
 誰がどの様に検証して大リーグで優勝したチームが世界一の野球チームだと言えるのだろうと、すぐに思った。こんな短絡的な発想が許されるのがあの世界だから、真実など伝える能力はそもそもないのだ。それはそうだろう、別にその世界に就職しようとした人達が何か正義感にかられてその会社を選んだかというと恐らくそんな人は皆無だろう。給料がよい、安定した会社などと他とかわらない理由で就職した人がほとんどに違いない。だから、そうした媒体で事実や知識を得ようとするのは、その時点でこちらが間違っているのだ。
 その点、ユーチューブなどで、介在する人間の主観を極力排除した情報を発信している人達の先見性に今になって感心する。現実に起こっていることを何ら凝縮する能力もない人間が、つまらない商品に仕立てているのを無批判に受け入れざるを得なかった時代はもう終わった。少なくとも自分の力量で物事を判断する、しなければならない、そしてそれが出来る時代になった。
 億かその上の単位を使わなければならないのか、素人にとっては無限と言っていいほどの盗聴を繰り返した国をあがめ奉る卑屈さにへきへきする。害リーグで見えにくくしているものの方が余程恐ろしい。


2013年10月30日(Wed)▲ページの先頭へ
死角
 もしこの行為を、お金(代金)を貰ってやったのなら問題かもしれないが、無料で差し上げたのだから問題はない。まして長い間解決しなかったものが1,2日で好転したのだから、寧ろその薬の使用をその治療に用いることを提案したいくらいだ。
門前薬局で処方せん薬を貰ってこない人が時々いるがこの方もそうだ。家族の薬を取りに来るのだが、病院の薬を作るのを殊更標榜していない僕の薬局に薬を取りに来続けてくれた意味がやっとあったと自負している。
あるトラブルで1ヶ月以上苦しんでいる。処方箋から一体どんな病気で苦しんでいるのだろうと想像するが、薬から類推するとかなりの症状だろう。こんな薬まで使うのかと、処方箋を見ながら思ったが、家族にも聞きづらかった。何度も処方箋の薬が変わり、家族の方もため息混じりだったので、遂にどんな症状で困っているのと妻が聞いた。すると1ヶ月余りの闘病の様子を教えてくれたらしいのだが、妻はある薬を思いついたらしい。我が家で作っている薬局制剤というもので、単純に言うと安くてよく効く薬だ。
 処方箋の患者さんにはOTC薬を勧めないと言う暗黙のルールがあるから、薬を勧めることは出来ない。しかし妻はその家族の不憫を思い、ヤマト薬局で作っている薬を少しだけ分けて与えた。すると2日も経たない間に改善し始めたのだ。そして3日目には処方箋にサンプルで差し上げたヤマト薬局の薬と同じ名前のものが載っていた。医者もその効果を認めたのだろう。
 この患者さん家族の方は病院オンリーだから、僕の薬局で薬を買ったことがない。ヤマト薬局を利用する人達なら、何かあったら必ず相談してくれるが、処方箋が唯一の縁の人にはそう言った理解はない。もし薬局を上手く利用してきた人なら、こんな時は気楽に僕に相談してくれていて、もっと早く解決できていたと思う。田舎の一薬剤師でしかないが、病院では出来ないことが出来る武器は色々持っている。高度医療の死角を意外と簡単なもので埋めることが出来る。


2013年10月29日(Tue)▲ページの先頭へ
桁違い
 たとえ少しの時間くらい常温に晒されても腐ったりしないだろう。たとえ安いエビが高級なエビに化けても分からずに食べているのだからほうっておいたらいいだけだ。たとえ御法度の裏街道を歩く人達にお金が回っても、庶民の財布には一向に響かない。それらによって何人の被害者がいるのだ。商品が腐ったという話は聞いたことがないし、高級ホテルで食事が出来る人なんて割合からしたら、微々たるものだし、御法度の裏街道に金が流れて誰が傷ついたのだろう。
朝から晩まで鬼の首をとったかのような報道が続くが、もっと大きな犯罪を意図的に隠しているように見えて仕方ない。被害を受けた人の数が桁違いに大きくて、被害のレベルも桁違いに大きいものをあたかも何でもなかったかのように報道し、巨悪を守っているとしか言いようがない。巨大スポンサーが今この瞬間も、国民、いや世界中の人間に健康被害を与えていても報道さえしない。
狡狂の電波を使い、やたら悪リンピックとはやし立てたのも同じ意図を感じる。薄気味の悪い時代だ。


2013年10月28日(Mon)▲ページの先頭へ
集会
 別に興味があったわけではないが、一人フラッシュモブが実行できなくなって日曜日をもてあましそうだったので、妻に言われてある集会に出席した。開始時間まで必死で時間を潰して数分前に会場に着いた。2階会議室とチラシに載っていたから階段を上がっていくと、その集会の案内が見あたらなかった。部屋はいくつかに別れていて、ある部屋では中から声が聞こえていた。施設の人みたいな服装の女性がいたから尋ねてみると、彼女はその様な集いを知らなかった。僕がチラシを見せると確かこの部屋ですが、他の方達が使っていますよと教えてくれた。なるほど中からは楽しげな声が聞こえてくる。親切なその女性は階下の事務室に様子を尋ねに降りてくれた。そして程なく帰ってくると気の毒そうに「同じ会場を同じ時間に二つのグループに割り振っているみたいですよ」と教えてくれた。
 それを聞いていたある初老の男性が、僕を手招きして隣の和室の小部屋に案内した。さっきまで僕と同じようにロビーにいた男性だ。畳の上に座るやいなや、持って来た資料を拡げ始めた。どうやらこの方が講師らしい。そこへ又一人の老人がやってきて、3人で少しの時間を過ごした。僕のことが気になったのか初老の男性が、「演題に興味があるのですか?」と尋ねたから「嫁さんに言われてきました。別に興味はありません」と答えた。いつものように嫁さんの圧力に負けたのと、まるで予定のない日曜日だったので、次善の策だった。
予定時間が10分以上も過ぎてから、隣の集会の人達が会場を譲ってくれた。しかし会場にはその後加わった初老の婦人の4人だけだった。僕を除いた3人は親しいらしくて会話が弾んでいたが、僕は全く手持ちぶさたで無駄に過ぎていく時間にいらだっていた。そのうち誰々は欠席、誰々は疲れが出ているから云々と、もうこれ以上人が増えないだろうことが分かった。そしてもう1人重要なキーパーソンを待っていることが何となく3人の話で分かった。もう30分は優に過ぎている。僕は妻から、そしてチラシから、今日の集いは憲法改悪に反対する集会だと思っていた。だから時間ぎりぎりで席があるのかと内心ミスッたと思いながら教会の門をくぐったのだが、どうも講師が3人で聴取が2人になりそうだ。会場を取り損ない、予定時間を30分過ぎても始めようの言葉を誰も発しない。憲法以前の問題に僕の忍耐も底をついた。どうも最近待たされることが多くて、勝央町に和太鼓を聴きに行ったときもうどん一杯で30分待たされたが、憲法でも30分待たされるとは思わなかった。あの日、懸命に動き謝り続けていた女子高校生に優しい言葉を思いついてかけることは出来たが、この知的集団に声をかける気はしなかった。「失礼します」と冷静を装って挨拶をしたら「もう少しで始まりますよ」だって。「あんたらのもう少しはどれだけなの?」と聞き返したかったが、それ以上関わりたくなかった。崇高なテーマとのあまりの乖離に失望したから。ただそんな光景は何度も見てきたから今更どうでもいいのだが、そこでの僕の居場所がどんどんなくなっていく。


2013年10月27日(Sun)▲ページの先頭へ
フラッシュモブ
 残念。入念に1ヶ月前から考えていた一人フラッシュモブなのに台風で流れてしまった。 夏にかの国の4人の留学生が奈良県から泊まりにやってきた。帰るときに学園祭が10月にあるから是非お父さん来て下さいと言われた。たかが学園祭のために奈良まで行くのは自分でも意味を見いだせなかったので、即座に断った。ところが彼女たちが帰ってから、彼女たちと一緒に行動したときの知的好奇心に感心していたから、又会ってみたいと思い始めた。それとその後4人全員の体調について相談を受けるようになって、その中の二人は医師の力も借りないといけないトラブルだから、直接会って説明しようと言う動機も重なって、一人フラッシュモブを思いついたのだ。
関西からやってくる漢方の会社(東洋薬行)のセールスに智恵を貰って、一番早くて確実な奈良への行き方も頭にたたき込んだ。びっくりするだろうなとワクワクしながら最後の確認をしようと思い大学のホームページを開いたら、台風のため学園祭は中止と緊急の通達が赤字で載っていた。びっくりさせようとした僕がびっくりした。台風は土曜日の時点ではるか東の方に通り過ぎていたが、大事をとったのだろう。
 かの国では経済的な理由で大学に行けなかった子達が、日本で研修生として働いて得たお金で学生として再来日する。彼女達にとってはそれこそ夢の学園祭なのだ。当然のように大学に進学し、当然のように遊び、当然のようにリクルートスーツに着替え、当然のように卒業していける環境にいる学生とは違った感動を持って日々暮らしている。その感動をほんの少しだけでも上質なものに出来たらと非力を承知で、ない知恵を絞っている。


2013年10月26日(Sat)▲ページの先頭へ
罪作り
 「又明日、癌じゃ癌じゃと言ってくるわ」と息子が笑いながら言った。テレビで何かしら癌に関することが放映されたら決まって翌日から不安になった人達が病院にやってくるらしい。痛みがあったら癌が隠れていると言うような内容だったが息子はそんな時には「癌じゃない。単なる腰痛」と言う風な感じですますらしい。なんともさっぱりしているが、悪戯に不安を煽って、しなくてもいい検査をして、時にはそれが被爆をもたらすような検査だったりもするだろうから、不安に乗じて金儲けするよりはそのさっぱりの方がいい。 でもこのところのテレビの品のなさにはほとほと閉口する。スポンサーとグルなのだろうからまっとうな番組を作れるとは思えないが、せめて利益誘導見え見えのものだけは公共の電波に乗せないで欲しい。「罪作り」この言葉が一番彼らには相応しい。悪意は持っていないと嘗ては思っていたが、今は悪意の塊だと思っている。法律で罰せられないことをいいことにやりたい放題だ。もっともいとも簡単に法律を無視し、被爆も廃棄もやりたい放題の政府だから、この国から秩序は早晩なくなる。良心も放射能もだだ漏れだ。


2013年10月25日(Fri)▲ページの先頭へ
真意
 寧ろ不意打ちで助かった。もし心の準備を整えて、今か今かと待っていたらあんなに冷静でいられたか自信はない。日にちを勘違いしていたのが幸いした。
3年間牛窓で頑張ったかの国の子達の第2陣が昨日帰国した。昼過ぎに別れの挨拶をしに来てくれたのだが、丁度そのときに漢方薬の相談の方が重なっていて、ゆっくりと話をすることが出来なかった。事務室で待っていてくれたのだが、帰国の準備があるからそんなにはおれなかった。彼女たちの許す時間が迫っても患者さんが切れなかったので、一人の患者さんに理由を説明して、別れの儀式だけはした。ただその中で一人だけ日本に未練がある子がいて、実際には国に帰ったらすぐに結婚するらしいのだが、僕が事務所に入っていって別れの言葉を言った瞬間に涙をこぼし始めた。他の二人は満面の笑み、それはそうだろう国に幼い子供を残してやって来たのだから1分1秒でも早く会いたいだろう、を浮かべているのだから極めて対照的だ。さすがにその涙を見たときは僕も思わずもらい泣きをしそうになった。3年間ひたすら働いて、お金を稼いで喜びのうちに帰っていくはずだから悲しむ必要もないのだが、別れというものが持っている力にひれ伏してしまう。  必ず会いに行くからねと言う一時の感情で以前帰った子達を何人も裏切ったから、もうその言葉を口に出すことはしない。指切りを迫る子もいるがそれも出来ない。なんとか無理をしようとすれば時間はとれるようになったが、なにぶん気力が沸いてこない。誰かを助けるとか役に立つと言うのなら動機としては僕の中では成立するが、センチメンタルだけではまだかの国は遠すぎる。
 この国にいるときだけの「オトウサン」が丁度良いのではないかと思っている。少しでも日本人と対等に接し、日本文化に触れて帰ってもらえれば、僕の関わりが生きてくる。「オトウサン メズラシイ」と彼女たちに良く言われるが、言葉の壁で真意は分からない。だが、彼女たちが言う「メズラシイ」は「イケメン」の意味だと信じている。


2013年10月24日(Thu)▲ページの先頭へ
腹立つ〜
 何年か前、過敏性腸症候群で普通の学校に行けない少女が制服のまま、電車やバスを乗り継いで僕の薬局に来てくれた。それから漢方薬を挟んでの交流?が始まったが、僕はその子のゆっくりとした成長を見続けることが出来た。世間で言う普通のことがことごとく出来なかった子が、普通のことを一つづつ積み重ねていって、今では会社の一つの部門を仕切るような立場になっている。彼女との関わりは、僕が同類の子達に挑むモチベーションの大きな支えになっている。頑張れば、こんなに人間って変われるし、社会で活躍できるんだと彼女が身をもって教えてくれている。自分を表現することが得てていない多くの若者達に、プライバシーを保護しながら一部だけ紹介する。

またまたお久しぶりです!
最近もなんとか色々がんばっています!が、会社の・・・・・・。もう腹立つーー!!ああ腹立つー!笑
でもそんな・・・にイライラしてる時間は私には無いんですがね(笑)泣ながらも、着々と進んでいってます!仕事はあまり休みが無いですが、仕事、仕事仕事!ってなるのは絶対に勘弁なので、仕事終わってから遊んだり、趣味に没頭してます!時間が勿体無いですもん!わたし、幸せです!今が一番幸せかもです!人の中で働いてると色々ありますが、勉強になる事がたくさんあります!ただ、そのグシャグシャした中で、いかに自分を無くさずいられるか、倒れてもまた起き上がれるか、が大切だと感じてます!忘れないように、たまに思いだしたり確認したり、休んだりしていかなきゃですね!
またお店に行きますね!!
○○

 失礼な奴だと思ったり。もう腹立つーー!!ああ腹立つー!笑
この文章いいですね。この様な言葉が出せるようになったのだから、あなたは随分と自分を解放できましたね。少しずつ自分に自信が出てきたのでしょうね。あなたにとって一番大切なことです。少し回り道したけれど、立派な社会人になっているではないですか。僕は嬉しいです。あなたとの交流は僕の仕事にとっても良い体験なのです。今、生きづらさを感じている人、みんなに社会に参画して欲しい、その為に僕は頑張っているようなものですから。どうでもいいような奴ばかりが、上でも下でものさばっている、そんな社会が僕は受け入れられません。負ける人が負けるばかりではいやなのです。同じように生まれてきてそれでは余りにも不公平です。
 いつでも遊びに来て下さいね。
ヤマト薬局


2013年10月23日(Wed)▲ページの先頭へ
練習
 日曜日、朝の9時からまず東に走り、それから北に向かって走り、午後4時から、今度は南西に走り日が暮れる前に岡山市内にたどり着いた。一体どのくらいの距離を走ったのか分からないが、その区間だけでも4時間は走っている。ところがその移動中、いわゆる昔ながらの薬局は一軒も見なかった。いくつ市や町を通り過ぎたのか分からないが、ひょっとしたらどの町でも僕の薬局のような形態のものは潰れてなくなっているのかもしれない。
 ところが逆に、どこの市や町を通っても大きなドラッグストアがあった。それも何故か決まったように複数軒あった。どちらが先に出店し、どちらが後から出店したのか経緯は分からないが、こんな商圏の中でお互いやっていけるのだろうかと心配になるような競合状態だった。聞けばより大きなドラッグストアが後から出店し、より小さいのを駆逐するらしいが、なかなか熾烈なものだ。恐らくその煽りを受けてどの町からも僕の薬局のような形態が消えていったのだろう。あれだけの規模のものが来られたらクシャミ一つで吹き飛ばされるだろう。
 ただ医者と上手くやっていけたところは調剤専門で生き残っている。生き残るというより以前の形態よりははるかにいい目をしているだろう。何もしなくても医者が患者を運んできてくれるのだからこんなに楽なことはない。いつまでこんなにいい目をさせてくれるるのか分からないが、業界の長いものに巻かれる立ち位置が功を奏している。
実は牛窓にも遂にドラッグストアがやってくるらしい。これで牛窓の暮らしやすさが一気に向上する。不思議かもしれないが僕の家族は全員喜んでいる。今まで何か欲しいときには週末まで待って岡山市に出かけ買っていたが、これからは必需品が手軽に手に入る。こんなに町民に喜ばしいことはない。後は岡山県最後の昔ながらの薬局だったと過去形で言われないようにするだけだ。
 来年の今頃、風の便りで「あの店主は全国をライブツアーで回っている」なんて噂を立てられないように今日から・・・歌の練習をする。あれっ!


2013年10月22日(Tue)▲ページの先頭へ
辞書
 ニュースを見ていて、ふと「盗人猛々しい」と言う言葉が頭に浮かんだ。会話でも文章でもあまり使ったことがない言葉だから自信が無くて、確認のために辞書で調べてみた。すると以下のような説明があったからなるほどなあと感心した。国語は苦手だったから小学生か中学生の頃この様に先生が教えてくれていれば僕も少しは級友についていけたのだが。
盗人猛々しいとは・・・IAEAという国際原子力機関が福島の放射能汚染状況を調べに来て、除染が順調に行われていることを評価し、除染の目標を年間1mmシーベルト以下に拘る必要はないと助言した。如何にも日本国民を守っているような発言だが、そもそもIAEAは原子力を推進しようと言うためだけに出来た機関だから、出来るだけ国民の被害を小さく装って、再び原子力の悪用を押し進めようと言う唯一の目的を完遂するための発言だ。素人でも分かるコメントをあの低劣なマスコミどもは有り難くそのまま流している。もっとも長年いい思いをし続けた同じ穴の狢だから、当たり前と言えば当たり前だが、見え透いた欲が分厚い面の皮を突き破って見えてくる。人の命や健康や正義と引き替えに巨額の税金をむさぼり続けた企業やマスコミ、それに御用学者ども、そしてそれらにお墨付きを与えるIAEAこそ「盗人猛々しい」と言う。


2013年10月21日(Mon)▲ページの先頭へ
真似
 僕が薬局の仕事を始めて数年経った頃、あるメーカーのセールスが結婚するなら山陰の女性がお勧めですと教えてくれたことがある。当時僕はすでに結婚していたから対象にはならず、息子が将来そう言う年齢に達したら参考にしようくらいな気持ちで聞いていた。山陰は当時まだ、3世代で住むのが当たり前で、お嫁さんが良く尽くしてくれるというニュアンスだったのかもしれない。まだそう言った価値観が残っていた時代なのだろう。ありきたりな言葉で言えば「人がいい」と言うことになるのだが、昨日山陰までとは行かないが、県北に行ってふとその言葉を思い出した。
 岡山県でも中国山地に近いところはまだ3世代同居は珍しくない。恐らく昨日和太鼓のコンサートで行った勝央町も同類ではないかと勝手に想像する。そうした予備知識があったからなのだろうか昨日特異な経験をした。
 はるか彼方にある見知らぬ土地へ行くのだから結構余裕を持って家を出なければならないと思って早く出た。ところが予想以上に交通網が整備され、着いてから余裕があった。その時間を潰す目的もあって、昼食をとろうと思った。勝央町に入って会場までの道中で1軒だけお店があったので、その店に入った。入った時には結構お客さんがいて、僕は一人なのでカウンター席に腰掛けた。ところが注文を聞いてもらってからが地獄だった。時間が少し過ぎた頃何となく不自然さを感じた。他のお客さんがテーブルの上にもうなにもなくなっているのに席を立たないのだ。そのうちに実はまだ注文の品が出ていないのではと思い始めた。見ると半分くらいの人がまだ料理を待っている状態だった。数十分後にはコンサートの入場が始まるのにと気が焦るが、なかなか料理が出てこない。僕の予想が当たったことを確信したのは、そのうち店員が入ってくる客を断り始めたのだ。お客さんは空席が十分あるのに何故断られるのか怪訝な表情だったが、後何十分時間がかかるか分からないなどと説明を受ければ、全員が諦めて帰ったのも無理はない。
 僕が驚いたのはそうしたやりとりを全部の客が見ているはずなのに、一向に店員を責めないのだ。高校生のアルバイトにしか見えない幼い子が二人懸命に動き回っていたが、なにぶん料理が出来上がらないのだから彼女達も為す術がない。仕事中とおぼしき男のグループが何組かいたが、彼らはブツブツも言わなければ店員達に罵声を浴びせることもしなかった。これが岡山市内だったら、罵声が飛び交うのではないかと思う。こんなに忍耐強く寛容に待ってくれることなどあり得ないと思った。たった一杯のうどんを食べるために僕は25分結局待った。僕は他の客ほど冷静ではおれなかったが、それでも取り乱すことはなかった。これがあの頃聞いた「人がいい」の一例かと思った。
 いくらかはいらついていた自分が恥ずかしくなった。そんな僕の反省を込めた起死回生の精算時での言葉は「大変だね、頑張ってね」だった。きっと文句を言われると思っていたのだろう、硬い表情をしていたが、僕のその時に出た言葉でとてもいい笑顔を見せてくれた。伝説の北の土地の人の優しさを少しだけ真似できた瞬間だった。


2013年10月20日(Sun)▲ページの先頭へ
古道具屋
 「お父さん、ほとんど追っかけじゃなあ」と娘が言ったが、自分でもそう思う。
 赤田晃一がリサイタルの時に、和太鼓と即興演奏をしたのを聴いて封印していたものが目を覚ましてしまった。あれから今日で3回目の和太鼓のコンサートだ。それも回を追う毎に会場がどんどん遠くなる。それでも大儀だと思わずに行ってしまうのだから、立派な追っかけだ。今日の会場は県北の勝央町という町で、僕にとっては未知の土地だ。温泉で有名な美作市の西だとおよそのことは調べていたのだが、県北と聞けばどうしても険しい土地というイメージがあり、落ちたら死ぬような道を通って行かなければならない危険と隣り合わせの印象がぬぐえない。これは学生時代、先輩達と岐阜から長野あたりにドライブをしていて、天生峠と言うそれこそ車一台がやっと通れ、欄干もなく舗装もしていなくて、はるか100メートル下の谷底が車から見えるような峠をボロ車で越えたことがある。その時の恐怖の記憶が消えないのだ。僕達4人はあの時死んでいても不思議ではなかった。「劣等生4人、谷底に転落死」くらいな見出しは岐阜日々新聞ならつけてくれたかもしれない。いや「薬科大学生、まっとうな人生から転落し」の方が的を射ているかもしれない。
 話がそれたが、岡山県を東西に走る国道から垂直方向にひたすら上っていった。備前市から上り始めてひたすら1時間くらい上ったような気がする。道中は吉井川に沿って走るが、結構川面は下の方にあって、時々緊張する場面もあった。ただ勝央町にたどり着くとそれはそれは長閑な、いや豊かそうな自然に覆われていた。稲も刈り取りを待っている状態で、四方を囲んだ山がまるでどんぶりの底のような田圃を包んでいた。
 そんな中に結構立派な文化センターがあり、僕のもっとも好きな備中温羅太鼓を始め勝央金時太鼓、清麻呂太鼓が演奏した。どれも本当に素晴らしかった。2時間半かけて、たった一人でやって来た疲労を吹き飛ばしてくれた。3回連続で和太鼓を聴いても、全く感動が色あせない。マンネリなんてものがないのだ。超飽き性の僕には珍しいことだ。人生でやり残したものと本気で思える筆頭だからだろうか。下るばっかりの帰り道の間、正確に刻まれる太鼓のリズムが頭から離れなかった。思わずハンドルを岡山市内の方に切って古道具屋を探してみようかと思った。


2013年10月19日(Sat)▲ページの先頭へ
評価
 話していると、時々手を鼻の横辺りや目の下辺りにやって、軽く押さえる仕草が気になった。「どうしたの?」と尋ねると本人ではなくお姉さん役の僕と親しい方が答えた。「○○サン、ハナカラ チ デル」本人は笑顔だが笑顔ですまされる説明ではない。職業的にぴんと来ることがあったので、今度は通訳を介して質問した。「鼻が出る?」「デマス」「色は何色?」「ミドリデス」「匂い分かる?」「・・・」「コーヒー、いい香り、分かる?」匂いという単語が分からなかったようだから、僕はコーヒーカップで香りを楽しむような仕草をした。「ワカッタ イイニオイ シナイ」
恐らく副鼻腔炎で、かなり悪化させている。「○○さん、いつからなの?」「3カゲツ」「3ヶ月前、風邪をひいたの?」「ヒイタ」
 なんてことだ、この子は3ヶ月前に風邪をひいて、その後遺症で副鼻腔炎を患っているのだ。恐らく鼻づまりも激しくて毎日が不愉快だったに違いない。「病院に行ったの?」と尋ねてみたが当然行っていない。何故なら彼女たちは以前帰った通訳が教えてくれたのだが「吐いたときと、倒れたとき以外は病院に行かない」のだから。正にこの子もそうだったのだ。僕はその不快さと、放っておいても治らないことを知っているから、翌日漢方薬を2週間分作ってことづけた。するとかなり軽快してくれたらしくて「チ デナイ ハナイタクナイ」と言っていた。まだ鼻に色が付いているから昨日1ヶ月分作って渡し、飲みきるように言った。「オトウサン イクラデスカ?」と尋ねるが、3年間、国の家族に少ない給料の半分を送り続けているのを見ていたから、お金はもらえない。「国に帰っても治っていなかったら病院に行って治してね」と言葉を添えたが果たしてそうするかどうかは分からない。
 とんでもなく物が豊かな国で3年間を暮らし、とんでもなく素朴な人が待つ国に帰る。この国で汚れた埃を全部払い落として帰って欲しい。「ハヤクカエリタイ」と揃えた口がこの国の偽らざる評価だ。


2013年10月18日(Fri)▲ページの先頭へ
 それは僕の原風景を通り越して、恐らくもう一代前の風景ではないだろうか。目の当たりに出来る僕はやはり幸せなのか。
3年の仕事を終えてかの国に帰る子のために、大きなダンボール箱を寮に持っていってあげた。僕は経験がないから良く知らないが、40Kgまでの荷物なら飛行機で持って帰れるらしくて、それに見合った箱を彼女たちが帰るたびに調達してあげる。薬局はそう言う場合便利だ。毎日多くの荷物が入ってくるから、彼女たちの希望にかなう箱は容易に見つかる。
玄関の戸を開けると一人の子が鍬を持って丁度正面にある勝手口から入ってきた。僕を見つけると勝手口の方に来るように手招きした。そして彼女は僕に、戸外用のスリッパに履き替えるように促して「ハタケ、ハタケ」と言いながら先に畑?に降りて「マメ イモ ○○」と濃い緑の葉っぱが元気よく茂った植物を指でさしながら説明してくれた。恐らく1m×3mくらいの狭い土地に数種類の野菜を植えているのだろうが、知らない名前の物もあった。
彼女は丁度畑仕事の途中らしくて鍬を使って土を耕し始めたが、よく見ると裸足だった。前々日の雨で土がかなり水分を含んでいて、見ていてとても気持ちよさそうには見えなかった。「裸足ではないの」驚いた僕は指で足許をさして彼女に言ったのだが、彼女はただ笑顔を浮かべて「オトウサン ダイジョウブ」と答えて鍬を使い続けた。
 二人の声を聞きつけて数人が部屋から出てきたが、その中の一人が同じように素足で庭と接している大きな田圃のあぜ道を歩いていって、腰掛けるやいなや刈られた稲を一本手に取り口にくわえた。何をしているのか分からなかったが、僕には遠く離れた故郷を思い出しての行動に見えた。
僕は、いつか見たような光景、と言うのは僕は兄弟が多くて、幼稚園まで母の里で過ごすことが多かったのだが、戦後のお百姓の生活を身をもって体験している。だから目の前のかの国の子達の織りなす光景がとても懐かしく思えたのだ。実際に幼いときに見た光景よりもまだ以前の光景のように思えた。
「○○さん、農業していたの?」と通訳の子を介して尋ねてみると、数人が農家の出で、「○○○○ノコドモ アサ ガッコウイキマス ヒルカラ ハタケシマス」と教えてくれた。道理で仕草が板に付いていた。素足になるのは彼女達にとっては当たり前なのだ。機械で刈られて田圃に整然と並べられている稲を指さして、一人の女の子が「ニホン ベンリ。オトウサン オカアサン タイヘン」と鎌で稲を刈る仕草をしながらしみじみと言った。 ただ箱を届けに行っただけなのだが、こうしたちょっとした光景に出くわし心を洗われる。願わくばこうした感動の体験をもっと若いときにしたかったが、その頃の僕だと逆にこんなに感動を持って接することは出来なかったのかとも思う。
 上手くできているものだ。凡人は所詮凡人で終わるように出来ている。


2013年10月17日(Thu)▲ページの先頭へ
美談
 一体なんて言う光景を僕は見せられているのだろうと思った。
 プロ野球のOBが小学生に野球を教えている映像が映し出されていた。小学生達が使い古した野球の道具を持ち寄って、アフリカに寄付をすることも放映されていた。さすが元有名選手達の呼びかけだけあって1000を越える野球道具が集められていた。心温まる話だ。だけど僕の心は温まるどころか凍り付いた。
 会場は福島県だった。子供達が教えて貰っている脇で父兄が除染作業をしていた。土手に上って作業しているのだが、その服装がなんとも心許ない。つなぎを履いてマスクをしているだけだ。その格好で子供達のために懸命に除染作業とやらをしている。鎌で草を刈っている様子だったが、僕に言わせれば放射能をまき散らしているだけのように見えた。寧ろそっとしておいた方がいいのではないかと思えるのだ。舞い上がった埃を子供達は吸うだろうし、大人だって常にマスクをしているわけではなく、やがて吸い込んで内部から被爆してしまうだろう。
 たしか今調子に乗っているお腹痛いおじさんが行ったときは、毒ガス工場に入っていくのかというようないでたちだった。あんな服装で近くに来られたらこの世の終わりかと思うような物々しい格好だった。ところが3回りも若い父親達が無防備に作業しているのだから、世の不平等を思い知らされる。
 それにしてもスポーツマンや歌手や芸能人などの無知か保身か知らないが、まるで権力に雇われているかのような放射能に関する無関心ぶりには驚く。所詮その程度のレベルの人間の就職先だから仕方ないのかもしれないが、中には反骨精神に富んだ人間もいていいと思うが、勇気と知性のかけらも備えていない。彼らは美談稼ぎの陰に被爆を押しつけている業を悟らなければならない。


2013年10月16日(Wed)▲ページの先頭へ
誠実
 この郷土愛はなんだと思うが、プロが言っているのだから単なるホラ話ではないのだろう。
牛窓で旅館を経営しているある男性と、薬が出来上がるまで話をした。そんなに親しい人ではないが、調剤が済むまで待ってもらうのが退屈だろうと思って、いわば接待だった。ただ多くの人が言うように無駄なことなど何もない。僕の知らないことが沢山会話の中に出てきて、少しだけ物知りになった。
 その旅館の自慢はやはり瀬戸内らしく魚料理だ。僕らが日常食べている魚が美味しいことは認めるし、実際、我が家に泊まりにきた多くの患者さん達もとても喜んでくれた。そこまでなら素直に受け入れられる。ところがその先は一瞬耳を疑った。瀬戸内の魚は北陸の魚なんかよりはるかに美味しいと言うのだ。僕は北陸とか東北とか北海道と言われると、どうしても遠洋の大きな魚をイメージするから太刀打ちできないと思っていた。ところが彼曰く「小さな近海の魚は、瀬戸内海のものに比べると数段落ちる」らしくて、それが証拠に北海道からわざわざ魚を食べに来る常連客がいるというのだ。信じがたいが信じる。それはその後に続いた彼の説明に納得したからだ。
 なんでも瀬戸内海は、潮の満ち引きの差が激しく海水が良く入れ替わっているから、そして潮流も激しいから魚の身がよく締まっているというのだ。それに比べて日本海は池みたいなものだから潮が入れ替わっていなくて、近海の魚の身はブヨブヨだというのだ。北陸の人と同席して魚を食べたとき、どうして北陸の人が美味しいと言って食べるのか分からなかったと言っていた。
 近海物と断った上での説明に、それも感情を高ぶらすことなく冷静に教えてくれた彼の説に納得した。これが息巻いたとなるとクエッションマークだが、淡々と教えてくれたから全てを信じる。郷土愛か誇りか知らないが、とってつけたあのくだらない「お も て な し」より数段誠実だ。


2013年10月15日(Tue)▲ページの先頭へ
二束三文
 娘夫婦から言うともう我慢の限界だったのだろう。家の中をスッキリさせたいと以前から言っていたが、昨日遂にリサイクル業者に来て貰って、家中がスッキリと・・・とはいかなかったみたいだ。こちらがもって帰って貰いたいものと、向こうが持って帰りたいものとにかなりのギャップがあって、期待したほどは持って帰ってはもらえなかったみたいだ。それでもリポビタンなどを冷やす大きな冷凍ショーケースは持って帰ってもらえたみたいだからそれだけでも有り難い。2階のリビングにあった大きなソファーも持って帰って貰ったのに今日言われるまで気がつかなかったのだから、余程普段から無用のものだったってことが良く分かる。
娘に尋ねてみると8点持って帰って貰ったらしい。意外と古いものが人気があるのか、断られて元々のものを持って帰って、自信があった新しいものはことごとく断られたみたいだ。
 僕は売って得たお金を何に使おうかと内心楽しみにしていたのだが、娘達はH薬剤師が熱心にボランティア活動をしている、捨てられた犬や猫のお世話をするNPO法人の募金箱に入れると決めていた。いつもなら山100円玉までしか入らない募金箱に千円札が2枚入っていたらから、ひょっとしてこれが昨日の成果なのと尋ねると、案の定8点分の値段だそうだ。 ただでもいいから持って帰って欲しいと言うのが本心だからこの2千円がとても有り難かった。あれらの物にいくらの値段を付けて販売するのか知らないが、1点200円余りの仕入れ値だから、結構儲かるんだろうなと下世話な想像もした。
 買い物が嫌いな僕の家で何故あんなに溢れんばかりの不用の物があるのか分からない。文化的な生活を気取っていても、所詮僕達は二束三文のがらくたに囲まれて生活しているのだ。本当の価値は買うときではなく売るときの値段で分かる。後生大事にがらくたを抱えて心までがらくたになってしまいそうだ。


2013年10月14日(Mon)▲ページの先頭へ
自転車
 こんなに長い時間、岡山市内を自転車で走ったのは高校、浪人時代以来だ。僕らの高校生の頃は嘘か本当か知らないが、全国で一番自転車が普及している街と言われていた。確かに高校生の9割以上が自転車通学だから、朝の自転車の列は壮観なものがあった。
かの国に帰った子が、岡山の語学の専門学校にやってくると連絡をくれたので、その専門学校をこの目で見てみようと思い、自転車を荷台に積んで今朝は出かけた。インターネットで調べたが、あまり行ったことがないような所だったので、小回りの利く自転車が便利だろうと思ったのだ。見当を一応はつけていたのだが結構苦労した。とんでもないところを最初は探していたのだが、印刷していた地図を何度も見直して最終的にはたどり着けた。でも今日の行動で二つのことを見つけた。
 一つ目は折り畳み式の自転車のサドルはとても小さくて、10分も漕げばお尻が痛くなるってことだ。今までよく考えてみたら連続でそんな時間漕いだことはない。せいぜい近くの歯医者さんに行くときに使っていただけだから、まさかお尻が痛くなるなんて考えもしなかった。結局途中からは平地なのにお尻をあげてあたかも急いでいるような漕ぎ方をした。
 二つ目は、岡山駅は色々な路線の交わるところだから、結構線路が沢山あって、大きな駅だ。駅の裏側に渡るのに、五〇〇メートルくらい離れたところにある跨線橋を利用しないと渡れないのかと半ば諦めていたのだが、ひょっとしたら自転車のための通路があってもおかしくないと閃いた。と言うのは昨日京都駅に京都水族館から歩いて帰るときに、上手く作った抜け道を通ったのだ。人の流れについていったら驚くような工夫で便利な抜け道が造られていた。だから何となく岡山でも自転車の為の抜け道があるのではないかと思ったのだ。さもないと自転車の人達の迷惑はかなりのものになる。案の定、自転車置き場のすぐ傍に、地下へ降りていくかなり急なカーブのある地下道が造られていた。高校生時代、岡山の街を自転車で徘徊していたが、この地下道は知らなかった。いつ作られたのか知らないが、自転車しか通れない道なのに「事故多発、スピードの出し過ぎに注意」と大きな看板が出ていた。如何に急ごしらしたかよく分かる。
 夏なみの暑さの中の自転車は楽しかった。嘗てほど機敏に動けないんだと自分に言い聞かせながらの自転車だったが、心は青年のようだった。


2013年10月13日(Sun)▲ページの先頭へ
再認識
 横浜のTさん、薬剤師のHさんの助言のおかげでなんとか今日、京都旅行の約束を果たすことが出来た。それにしても京都の街の、特に清水寺界隈の混雑振りは、助言して頂いて抱いていた危機感をはるかに越えていた。車はほとんど動かずに、人の流れはよどんだ川のようで、はがゆいを通り越していた。
 ただ僕は運が良くて、京都の職業人、特に交通関係の人達の親切で、その多くを切り抜けることが出来た。勉強会でしばしば訪ねた京都だが、ホテルでの勉強会を終えるとすぐ退散していたので、いわゆる観光地巡りなどしたことがない。かの国の帰国する数人の想い出作りの為に連れていってあげたのだが、僕自身にも発見があった。
 その発見は、と言うより再確認と言った方がいいのだが、僕はやはり観光などと言うもので満たされる人間ではない。京都の代表的なスポットとして金閣寺、平安神宮、清水寺の3箇所を勝手に選んだのだが、ほとんど感動はなかった。金閣寺の金箔を見ても逆にやすっぽくて綺麗だとは思わなかったし、平安神宮もその広さに驚いたくらいでどうってことはなかった。清水寺も、その参道の商魂の逞しさに圧倒されただけで、肝心の寺は有り難くも何ともなかった。全てが大いに商魂を露出していて、ありがたさに欠け、おかげもとてもあるようには思えなかった。僕は嘗て漢方薬の講演をさせて頂いたことを切っ掛けに、県内のお寺さんの奥さん連中と親しい。その人達の日常の方が余程親近感が持て仏の道を感じる。
 今日僕の気持ちを引きつけた光景が二つある。それは早朝岡山駅前の駐車場に車を預けて駅に向かって歩いていると、バス停のベンチに僕に背中を向けて腰掛けている人がいた。遠景ではバスを待っている人に見えるが、長い髪、まだ季節は早すぎる厚手のコート、大きな紙袋が3つばかりとなるとほとんどホームレスの必要条件だ。日が昇ってから1時間になるが、遅い夜明けをどこで待っていたのだろうかと哀れに思った。
予定にはなかったのだが、通りすがりにあまりにも大きな門の寺があったので訳も分からず石段を登っていったのが知恩院と言う寺で通の人には有名なのだろう。沢山の人が参拝していた。知恩院の最上部に経を唱えるようにセッティングしてくれている小さな堂がある。僕らも真似事で焼香をしたのだが、その時に一人の若い青年が、それらしき服装でやって来て、しばらく黙想していた。手には数珠を持ち、小声で何か唱えていた。ひょっとしたらお経を唱えていたのかもしれない。何があったのか、何を志しているのか分からないが、恐らく今日、幾万の人とお寺さんですれ違ったと思うが、数少ないその場に相応しい人だったに違いない。僕も含めてどう見てもほとんどの人が観光なのだから。
 取り敢えず一仕事終わった。旅をするなら一人がいい。そんな嘗ての価値観も再認識させてくれた1日だった。


2013年10月12日(Sat)▲ページの先頭へ
 大の大人が4人いるのに名前が浮かんでこない。旅行好きの女性は行ったことがあるのに浮かんでこないから重症だ。僕は何となくその人の説明で地理は分かるが、肝心の名前がでてこない。そのお嬢さんと僕の妻は話の内容がピンと来ていなかったので頭には何も浮かんでいないようだった。
今年も町の商工会主催で招待旅行があるそうだが、「嘗て私もくじに当たっていったことがある、四国に、あっちの方から・・・」と話が途中止めで終わったものだから気持ち悪くなって、そのあっちをハッキリしたかっただけなのだ。僕はあっちという言葉遣いであるところを想像したのだが名前がでてこない。その内やっと尾道の地名がでてきた。「尾道じゃろう、尾道から四国に渡った旅行じゃろう」とやっとの事で言うと、「そうそう尾道じゃ、尾道から橋で四国に渡ったんじゃ」女性もホッとした表情になった。そこで僕がやっとたどり着いた結論を言った。「しなまみ街道じゃ」と。すると女性も「しなまみ街道じゃ。やっと思い出した」とたどり着いたことを喜んだ。すると妻が「なんか違うんじゃないの」と異を挟むとお嬢さんもそれに同調した。「あっそうか、しらなみ街道じゃ」「いやなんか違う、しがらみ街道じゃないの」「なんでしがらみがあるの?」「やっぱり白波か?」と最後には訳が分からなくなって、僕は少し冷静になろうと距離をおいた。こんな簡単なことが分からないのが不思議だったが、最初に似たようなことを言われたばっかりに、本物が口から出てこない経験はしばしばある。だから少しだけ冷静になれば当然答えは出る。「しまなみ街道じゃ」「そうじゃが、どうしてそんなことが出て来なかったたんじゃろう」その後4人が同時に笑いの壺に落ちてしまい、倒れ込むくらい笑った。これでこの女性のウツウツは2週間安泰だ。これだけ笑える人が気持ちを患うことなんてあり得ない。日常の中に欠けているこんな風景こそが人の心を解放する。僕の漢方薬以上に。


2013年10月11日(Fri)▲ページの先頭へ
皮肉
 人より顔は整うべきか、人より知性は整うべきか、人より笑顔はさわやかであるべきか、人より親切であるべきか、人より勇気を備えているべきか、人より・・・
 歳を重ね、残された道が来た道より圧倒的に短くなっても良いことはある。そんな良いことがいくつあるのか知らないが、ただ一つだけは自信を持って言える。それは多くの事柄に対して「大したことではない」と言えることだ。
 嘗てなら人生を左右してしまうようなことすら問題にならなくなった。学校の成績、職業、家族、もっと重要な要素はあるのだろうが、その要素すら他に思い浮かべることが出来ないくらいおおらかになった。それらが比較の対象に、いや興味の対象にならないのだ。やっとここに来て随分と精神的に自由になったような気がする。
圧倒的に「大したことではない」ものに囲まれながら、人類が遭遇した最悪の大したものに「大したものでない」と無関心を強いられているこの国の有り様は大したものだ。これだけは譲れないだろうと言うものを、いとも簡単に譲っている。日々伝えられる悪事の数々もこの最悪に比べれば次元が違う。いくつの罪を重ねても足許にも及ばない。
 もう物も便利もいらない。それらに取り残される年齢になっても何ら不自由はないし、寧ろそれらから必然的に取り残されることによって皮肉にも自由を得ている。少しの笑顔、少しのユーモア、少しの思いやりさえあれば、あのこと以外は大したことではない。


2013年10月10日(Thu)▲ページの先頭へ
一長一短
 僕の漢方薬で効果を感じてもらえたのだが、漢方薬を3つも飲むとなると経済的な負担が大きいので、健康保険で飲めるようにと依頼された。薬局で扱っている漢方薬は必ずしも保険で出される漢方薬と一致しないのでどうしようかと迷ったのだが、なるべく内容が近くなるように考えて息子に紹介した。
 その後は僕に主導権はないが、すこぶる改善して、漢方薬の評価を落とさなくて良かったと安堵していた。ところが、保険では3種類も飲めないと病院に指導があったみたいだ。薬局の場合、患者さんの経済が許せば可能だが、健康保険ではむやみやたらと漢方薬を飲むことが出来ないらしい。削られた一つの処方もとても重要な役割を担っているのだが、何故か保険での服用は認められなかった。
 そうしてみると不便なものだ。場合によってはいくつかの漢方薬を組み合わせなければ効かないことがある。それを出来ないと言われたら医者も困るだろう。みすみす効きにくい薬を出すことになる。
 興味があったので製薬会社の人に経緯を説明して、どうしてだろうと尋ねたら、岡山県は原則2剤だと思いますと教えてくれた。漢方薬の資源が枯渇しているときに、不必要に処方するのを副次的に防げるかもしれないと思った。
 医師は切れ味鋭い現代薬を漢方薬と一緒に使える特権を持ち、薬局は規則に縛られない処方が使える特権を持っている。例えば僕も良く男の花粉症に女性の冷え性の薬を使う。健康保険なら許されないが、薬局の販売は自由だ。もっともなんでこんなものを飲まされないといけないのかと不評を買うが、僕の薬局に来てくれる人達は笑いながら許してくれる。
 一長一短、帯に短したすきに長し。「丁度いい」は車のコマーシャルだけか。 


2013年10月09日(Wed)▲ページの先頭へ
会員制
 もう2年になると思うが、町内の薬局さんが廃業してから、そちらを利用していた人が僕の薬局にも来るようになった。同じ町でも、知らなかったような人も来だしたのだが、出来れば来て欲しくなかった人も何人かいる。そうしてみればその薬局さんに結構助けて貰っていたことになる。営業の形態の差か何か知らないが、明らかに歓迎できないタイプの人が結構混ざっている。僕の薬局よりかなり商品の値段を引いて営業していたらしくて、どうでもいいような会話に当初戸惑った。さすがに最近はその様な低次元の会話は誰もしなくなったから助かっているが、総じて言えることは感謝知らずが多い。スタッフ総動員で値段交渉以外のかなりな要求にこたえてあげているから、お礼の一言でも言えばいいのにと思うが、その一言が言えない人が多い。その上挨拶一つ出来ない人もいて、それが嘗てそれなりの肩書きを持っていた老人だなんてことになると、なにをかいわんやだ。
 僕の薬局は、父の代から受け継いだ人も多いが、僕が掴んだファンも多い。そうした人達のみがやってくる薬局だった頃の最大の自慢は「客層がいい」に尽きたが、今はそうとも言いきれなくなった。来て欲しくない人には、その気持ちが如実に表れるような応対をして以心伝心を図っているが、未だ完成していない。もし法的に許されるなら、会員制の薬局にしたいくらいだ。


2013年10月08日(Tue)▲ページの先頭へ
優勝
 息子さんが直接相談に来たのではないから、何があってそうなったのか分からなかったが、急激に10Kgくらい痩せて、毎日仕事に行くのが苦痛で、会話もしなくて困っていると母親に相談された。病院から当然うつ病の薬を貰って飲んでいるが一向に改善しないから母親の独断で相談に来たらしい。
 運が良かったのはその独断を息子さんが喜んでくれて、以来きっちり2週間分ずつ母親が煎じ薬などを取りに来た。そのうち本人が直接漢方薬を取りに来るようになった。食事をしようと一口ご飯を口に運んだだけでムカムカが始まるのが治って、僕を信頼してくれたみたいだった。初めはほとんど会話も無く、ただ漢方薬を取りに来ていただけだったが、そのうち症状についてぼつぼつ話してくれるようになり、何より笑顔がこぼれるようになった。元々生真面目そうな人だが、それでも笑うと空気が一瞬にして和む。
結局1年半くらい飲んで完全に元に戻った。もっとも僕は元を知らないから、本人の主観だけが判定材料だが、本人が納得しているのだからそれにこしたことはない。そして何よりそれが正解だろう。
 つい最近、彼があるテニスの大会で優勝したと風伝いに聞いた。彼の名は何かを織るような名前・・・なんて言うとみんな期待するだろうが残念ながらそんなに有名な人ではない。いや超無名だ。いやただの素人だ。それでも動くことすら億劫で出来なかった人が好きなテニスを復活し優勝したなんて聞くと、田舎でもくもくと薬局をやっていて良かったなどと感傷に浸ってしまう。
 僕が治したのか、漢方薬が治したのか、母親の愛情が治したのか、牛窓の風土が治したのか分からないが、願わくばもっと牛窓らしい病気になって欲しい。ウツなんて都会すぎて似合わない。せめてオコゼに刺されたとか、ミツバチに刺されたとか、後ろ指をさされたとか、冬瓜の毛に負けたとか、ウルシに負けたとか、世間に負けたとか・・・


2013年10月07日(Mon)▲ページの先頭へ
新製品
 牛窓で映画の撮影などがあると必ず世話をする人がいて、その人が今日映画のポスターとチケットを持ってきた。「晴れのち晴れ、ときどき晴れ」と言うもので、喜劇っぽいものと教えてくれた。ポスターに載っている人を見たら2人ほどは分かったが、肝心の主役は誰だか分からなかった。名前を教えてくれたのだが、最初主役の名前を言っているようには聞こえなかった。何か薬の新製品か登山用具の新製品の名前かと思った。何何ザイルだからてっきり高血圧の薬か、ザイルの名前かと思ったのだ。まして松とかなんとか言うから、松のエキスから作った高血圧の薬か、山登り関連だと思ったのだ。
 予定では、11月17日の日曜日にそのなんとかザイルの梅、いや竹、ああ松という人が、なんでも中心で唄って踊る人らしいが、牛窓公民館にやってきて、上映会で挨拶をするらしい。その上映会のチケットを10枚置いて帰ったが、どうやらくれたのではなく欲しい人に売ってくれとのことだった。なんでも映画の7割くらいが牛窓で撮影されているらしくて、僕の良く知っている米屋のおばさんや、八百屋のおばさん達がでてくるらしいのだが、ひつこいけれど、それでもチケットをくれたのではなかった。なんでも松?が来るのが知れ渡ると大勢の人が詰めかけて混乱するからあまり公言しないでと言われた。ただ、その時点で僕はもう今夜のブログに載せようと決めていた。
 僕は財布の紐は堅いが、口は軽い。


2013年10月06日(Sun)▲ページの先頭へ
 いくら健康にいいからと言って、これでは如何にも行きすぎだろう。ただこの循環がますますエキサイトしそうだ。
このところ毎朝4時半に目が覚める。僕は目が覚めたらそのまま起きてしまう習慣があるから、まだ真っ暗な内に起きていることになる。ただ、有り難いことにその時間には新聞が届いているから、30分かけてゆっくりと読む。夏なら5時には十分明るかったからそのまま散歩に出れるのだが、今は5時でも真っ暗だから、電磁波を無駄に浴びることを知りながらパソコンを開く。そうしている内に段々と辺りが白みかけて来るから、6時前に家を出て中学校のテニスコートをウォーキングする。
学生の時は、ほぼ昼夜逆転。牛窓に帰ってからは無駄な睡眠はとらないようにしていた。ただ眠るのがもったいなかったのだ。もっともそれを裏付ける体力があったのだが、それが次第になくなってくると、健康のために眠ろうとし始めた。早く寝れば早く目が覚めるのが道理だが、自分はそんなことは出来ないと何故か思っていた。睡眠時間は短くても良いように出来ていると何となく昔から思っていて、早い時間帯に眠りにつけるタイプではないと勝手に思っていた。ところがそれなりに早い時間帯、例えば10時に床についてもすぐ眠れるのだ。これには自分でも驚いた。そして当然ながら早く寝れば早く目が覚めて、それなりに体調も良かった。それが日常になり10時には眠り、朝の6時頃に目が覚めるように習慣付いた。ところが同じ10時に寝ても、起きる時間帯が少しずつ早くなった。あげくこのところ4時半起床になってしまったのだ。4時半に起きると言うことは、昼の12時にはほとんど8時間近く活動していることになる。健康のためが、より多く働く?活動するようになった。もっともそれで体調が損なわれるような感じはしないから、やはり早寝早起きは、たとえそれが若干行きすぎたとしても健康によいのだと思える。ただこの程度に止めておかないと、早寝早起きの睡眠不足になってしまいそうだ。過ぎたるは及ばざる如し、ひょうたんから駒、犬も歩けば棒に当たる、犬が西向きゃ尾は東、蛙の子はオタマジャクシ、猫にマタタビ、四面そうか、急がばタクシー、医者の無表情、煮え湯を冷ます、主婦の友


2013年10月05日(Sat)▲ページの先頭へ
カラオケ
 僕はカラオケ屋とかカラオケボックスに、同じことかな、行ったことがないからどんなものかさっぱり見当が付かない。そもそもカラオケが嫌いだから知りたくもないのだが、今日ある青年と話していてその実体が少し分かった。
なんでその様な方向に話題が行ったのかと言うと、どうも彼はカラオケに一人で行くらしいと分かったからだ。僕は、カラオケは悦に入っている下手な歌い手にいやいや拍手をするところと言うイメージがかなり深く刻まれているので、一人でカラオケに行くと言うところが全く新鮮?いや理解不能だった。一人で唄って拍手の一つも来ないで何が楽しいのかと思うが、今は一人で行く人も多いと教えてくれた。さすがに最初は恥ずかしくて店の前を行ったり来たりしていたらしいが、今では慣れたらしい。しかし、一人で唄うとさすがにしんどいという落ちもついていたが、1時間500円だったら安いとも言っていた。 彼は珍しく僕と面と向かって話が出来る環境にいる過敏性腸症候群の青年だ。9割以上が県外の人だから、車で1時間で来られる地に住んでいる人は珍しい。1時間ほど喋った後漢方薬を作ったが、上記のような話題がほとんどだ。もっとも彼は熱心な人だから質問は多いが、だからといって堅苦しくはならない。まるで冗談のように治す。マイク片手で治す。心のトラブルはこれしかない。


2013年10月04日(Fri)▲ページの先頭へ
合格
 今年の合格第一号がでた。別に予備校の宣伝でもないが毎年恒例の受験生からの報告だ。僕の場合、普通の報告と違うのは、多くが過敏性腸症候群の子からの報告だから健康な子に比べれば喜びは比べものにならないくらいある。
 授業で、自由を50分間奪われる学生が過敏性腸症候群を治すのはかなり難しい。大人なら自由に動き回ることが出来るから、ガスが出ようが、溜まろうが、お腹が鳴ろうが痛かろうが関係ない。席を立ってトイレに行けばいい。それでその時はなんとか逃れられる。ただ生徒はそうはいかない。手を挙げてトイレに駆け込むのはかなり勇気がいるから根性で我慢することになる。緊張もピークに達し、時にはしくじることもあるだろう。まるで囚人状態の教室で心が原因のトラブルを治すのは難しい。
大学に入れば治る。そう言って励ましてきたが、ほとんどの子がその通りになる。パチンコ屋にいる時間が、教室にいる時間の数倍も長かった人間が、薬剤師になっているのだから、そんなに学生生活を力むことはない。学者にでもなろうかというならそれなりに頑張ればいいけれど、ほとんどの人は所詮凡人で、たかだかしれているのだ。
 「病むほど頑張らない」簡単な言い回しだが実際に真面目な子ほど難しいテーマで、頑張って病んでしまう。高校を卒業するのにあわせて、頑張らない術も身につけて欲しいと思う。嘗て僕が入学後数日で身につけたように。


2013年10月03日(Thu)▲ページの先頭へ
 やたらえらそうなことを言う通称エライ奴が増えたから、毎日のように不愉快な言葉や言い回しが聞こえてくる。息子が盗人をしても正義面するような奴が電波で顔を出すのだから、その不快さから逃げることは出来ない。もっとも今世紀最大の嘘をついた奴を一国の長に据えているのだから、そもそも倫理が超欠乏した国と言わざるを得ない。
 片や小さな集団でもそんな輩が存在する。どこにでもいるものだからこれ又逃げようがないが、近い分不快さもねちねちと伝わってくる。昔はよかったと言えるほど昔を知らないし、昔が良かったなどと懐古趣味でも解決はしない。他国に攻め入り殺戮を尽くしたのだから昔がよいとは言えない。少なくともその頃よりは随分と良くなったはずなのに、どうしてもその頃に帰りたい奴らがいる。何を得るのか、いやきっと美味しいものがあるから帰りたいのだろうが、奪われる一方の庶民はそんなことは御免蒙る。
 あることで、どうも最初から違和感があったが、その違和感を広瀬隆が払拭してくれた。最近気象庁がやたら語気を強めて、いやNHKのアナウンサーが語気を強めて「過去に経験がないくらいの・・・」とやっている。最初からかなり違和感があったのだが、広瀬隆曰く「気象庁のその人間に経験がないだけで、数十年前には結構同じレベルかそれ以上の災害を経験している」と言うのだ。あの大げさな言い方は避難を迅速にさせる意図以外に自然災害を大袈裟に見せて、如何にも原発が必要ですという風潮を復活させる為の手段だというのだ。官民揃っていい目をしたい奴らの壮大な仕掛けだと言うのだ。この説明の方が僕にはしっくり来る。
 力を持っている奴らは仮面をいくつも持っているから、一見えらそうに見えないことも多い。力のある奴もない奴も、どうも人の上に立って力をふるうことに快感を覚えるらしいから、剛柔織り交ぜて不快の連射だ。心に鋼鉄の鎧を纏っていないとやられてしまう。


2013年10月02日(Wed)▲ページの先頭へ
風貌
 選挙じゃあるまいし。しょうがないからくだらないものから捨てていって最後に残った政党と同じように、しょうがないから最後の選択肢に残ったくだらない番組を見ていたら?テレビをつけていたら?、息子が耐えられなくなって「チャンネル変えても良い?」と珍しいことを言った。ほとんど使命感でやっているとしか思えないNHKの歌番組だったのだが、演歌のオンパレードでさすがに耐えることが出来なかったのだろう。
 どれでも良かったのだろうがあるチャンネルに止まったときに、アメリカのセレブの日本人妻の映像が流れていた。子供のパーティーを利用して大人同士が親交を深めるというものらしいのだが、親同士の会話や表情を見ていた息子が「楽しそうではない」と言った。とってつけたような会話がとってつけたような表情から繰り出されているのを僕も感じた。そしてパーティーの準備でかり出されているイベント屋や料理屋などのほとんどが、人種が明らかに違うことに気がついた。ほとんどの業者が移民を思わせる風貌だった。何千円の稼ぎのために大金持ちの虚栄を縁の下で支えている。御多聞に漏れず低俗なナレーションが流れていたが、息子は「寧ろあのおじさん達(移民)と話してみたい」と言った。 中学を出て寮に入り、以来離れて住んだから、ほとんど会話をしていない。どの様な価値観の大人になっているのか知る術もなく、ただひたすら信頼するしかなかったが、このところ珍しく長い時間会話する機会が増えて、やっとその後の人となりを理解できるようになった。まるで他人事のようだが、息子などと言うものは所詮その様なものだし、それでいいと思っている。取り返しのつかないような人格になって貰っては困るが、親の期待するような型にはめることは出来ない。
 ごくごく普通の人達を慈しみ、偉すぎる人や悪過ぎる人を好まない。僕と同じようなスタンスを垣間見せる姿に意図した放任の成果を見た。


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有限会社 栄町ヤマト薬局

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〒701-4302
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