栄町ヤマト薬局 - 2013/09

漢方薬局の日常の出来事




2013年09月30日(Mon)▲ページの先頭へ
発見
 丁度出かけようとしていた頃、息子から電話があり、蚊が多いからスキンガードを持ってきてくれと頼まれた。確か西脇の海水浴場でバーベキューをすると言っていたのに、頼まれたのは近くのヨットハーバーだった。
ヨットハーバーに行くと、イベント広場から岸壁に出る小道の両脇の芝生の上にテントが張られ、その下には大きなテーブル二つと椅子が10個以上並べられていた。傍にはバーベキュー用のコンロが出番を今か今かと待っていた。息子は2時間近く前に西脇の海水浴場へ出かけたのだが、風が強くて張ったテントが飛ばされて急遽、このヨットハーバーを思いついたらしい。さすが子供の頃よく遊んでいた場所だから、後ろの山が風を遮ることも計算したのだろう。確かにテントは等間隔で植えられている広葉樹にも助けられて、びくともせずに立っていた。
 昨日の日曜日に、職場の人とバーベキューをすると数週間前から言っていた。時々道具を買って帰っていたが、テントや椅子まで持っているとはしらなかった。これだけ道具があればどこにでも行けるのではないかと思った。又親子でこんなにも違うのかとも思った。僕はとにかく遊ぶことや食べることにほとんど興味がなかったから、何も持たない、何もしないに徹していた。それは決して苦痛ではなく僕にとっては一番楽な生き方だったのだ。
 息子は3時間も前から一人で黙々と仲間のために一人で準備していたのだ。恐らく若い女性が多い職場の仲間達は席に着くなり美味しい焼き肉を楽しめるだろう。自分は車で行くからビールも飲まないと殊勝なことも言っていた。こんな場合、食べて飲むだけの僕とは大違いだ。
それにしても彼らの職業はストレスが多いのだろう、こうした息抜きを良くやる。僕は週1回バレーボールをしていれば何十年も持ったが、彼らはそうしたものでは解消できないのだろうか。飲んで食べて喋ってがストレス解消になることを僕はほとんど経験したことがないから、その効果の程を知らないが、何となく少ない経験からでも、お釣りも結構多かったことを経験している。心のお釣りか胃袋のお釣りか倦怠感のお釣りか分からないが、結構それは負担だった。
 夜帰ってみると、牛窓町のゴミ袋数個分の宴の後が駐車場にあった。水道の傍にはバーベキューで使った道具が綺麗に水洗いされていた。これだけしてあげれば同僚達は喜んだろう。決して息子が招待したものではないのだが、気さくにこんなことが出来るんだと今まで見たことがない発見をした。


2013年09月29日(Sun)▲ページの先頭へ
たいこ・タイコ・太鼓コンサート
 何も失っていないし、素質もないだろうから、その言葉が当てはまっているのかどうか分からないが、次から次へと出てくるグループの演奏を聴いていて「取り返しがつかない」と何度も思った。
津山鶴丸太鼓は嘗てわざわざ県北まで聴きに行って実力は良く知っていたから、感動ものは当然予想していたが、玉島和太鼓愛好会、吉備の中山龍王太鼓、備中かぐら太鼓、泰山太鼓、和太鼓風人、応神太鼓、水島灘源平太鼓、備中真備太鼓保存会、早島イ草太鼓の全ての演奏が圧巻だった。和太鼓ほど素人とプロが接近している演芸はないと何度聴いても思う。歴史が浅いのかプロとして生計が立てれないのか分からないが、実質もはやどのグループもプロ並みだと思った。
 嘗てはただ一つのグループの演奏会に行くだけだったからそんなに思わなかったが、今日沢山のグループを見て確信した。和鼓はほとんど格闘技並の体力がいるから、若い人でないと出来ない。圧倒的な力で迫るにはやはり強靱な肉体が必要とされる。老練さが通用する楽器ではない。それが証拠に今日の演者の多くは二十歳過ぎが多かったみたいだ。中には10代の子も混ざっていてしっかりと伝統が受け継がれていることも知った。もし僕があの年齢の頃和太鼓に出会っていれば絶対やっていたと思う。理屈抜きで太鼓の音が心臓を射抜くのだ。理屈を介して物事を選択してきたから、この感動は僕にとっては希有なものだ。薬剤師的に言えば交換神経が副交感神経を完全に置き去りにしてしまうのだ。3時間僕は正確に刻まれる恍惚の中で「取り返しがつかない」あの頃のことを思い返していた。


2013年09月28日(Sat)▲ページの先頭へ
卒業
 日本のアニメが世界で注目を浴びているそうで、先日フランスでの人気振りがテレビで紹介されていた。日本の文化が輸出されて喜ばしいことなのだが、単純には喜べない。
 僕が漫画を読み始めたのは、恐らく小学校からだろうが、中学生と高校生の時に読んだ記憶がない。ひょっとしたらそれなりに勉強をしていて、漫画を読む時間がなかったのか、それとも興味自体がなかったのかもしれない。その後大学に入って少し読んだが、そのうち読まなくなり漫画をそれ以来手には取っていない。勿論テレビでやっているものも見ないし、最近引退表明した有名な監督の映画も見ていない。
 最近僕が何かにつけ感じることを言葉で表せば「卒業できていない」となる。例えば、インタビューに答えるフランス人の年齢層がかなり高かった。○○を見て育ったと言うが、育ちすぎだろうと言葉を返しそうになる。もう自分が何かを育ててもいい年頃なのに、まだ育っているのか、まだアニメかと言いたくなる。
 この傾向はアニメだけではない。ありとあらゆる事象でその傾向が定着している。いつまでも同じ所に留まり脱出できない人があまりにも多い。人は年齢を重ねるに従って新しい境地を発見し、それを楽しむものだと思うのだが、いつまでも同じことに興味が留まっている。まるで成長を止めたようだ。多くのものを積み重ねていって一つの人格を築くのかと思ったら、たった一枚の薄っぺらな服で満足している。
 一つのことにこだわり続け何かを作ることが出来る特別な才能を持っている人は別として、多くの凡人はそれなりのステップを踏みながら、時には捨て、時には得ながら成長するものだと思う。卒業下手の若者や中年が、余りにも多すぎるのではないかと感じる。


2013年09月27日(Fri)▲ページの先頭へ
大見得
 ぼそっと「感謝しています」って言われたから、「ええっ!そうなんだ」と心の中で答えた。個性なのだろうが、神秘性を秘めた女性と言えば格好いいが、恐らく派手なことが嫌いな裏表のない女性なのだろう。言葉は多くないが、ゆっくりと少しだけ笑みを浮かべて会話は進む。力みがない人で応対しても心地よい。こちらも裏表無く接することが出来る。もっともそのことに関しては誰に対しても同じだが。
 彼女のお父さんがリンパの癌になった。彼女もお母さんもとても良くしてあげた。結構遠くの方なのだが、漢方薬の縁で長いつきあいだから、何となく自然にお父さんの漢方薬も頼まれた。僕が癌の方のお世話をするスタンスは至って簡単だ。病院の抗ガン剤治療をダメージ無く受けて頂くことに尽きる。それが出来れば結構皆さんその後も元気で暮らして頂いている。僕の役割などそれだけだから大したことはないのだけれど、何故か漢方薬を飲んで頂くと圧倒的に抗ガン剤治療の副作用が減り、結構元気で長生きをしてくれる。
 この女性のお父さんも、余命半年と言われていたのに1年が過ぎ、後は健診だけでいいと言われたらしい。家族の献身の割にはお父さんは、せっぱ詰まっていなかったのか、入院中などにも漢方薬をそんなに真面目には飲まなかった。だから今回退院しても、どうしても僕の漢方薬を飲むとは言わなかった。僕は薬を自分で勧めることは原則としないが、今回は違った。折角命を拾っているのだからせめて5年間は飲めばいいと思うのだが、本人はもう治ったつもりでいるのだろうか。しかしさすがにお嬢さんは「漢方薬のおかげ」と評価していてくれてお父さんを説得すると言っていた。
 何度も繰り返すが、僕は好んで癌の方の世話はしない。多くのカリスマ漢方屋さんは、あたかも自分が治しているかのように喧伝するが、結局は自身がその病に倒れている。それはそうだろう、薬局ごときに癌の方の世話が出来るはずがない。分不相応の大見得を切れば、それによって自身が苦しむだけだ。もっともそうした人達は現役の時は快感の中にいたのだろうが。


2013年09月26日(Thu)▲ページの先頭へ
詩吟
 インドネシアの楽器によるコンサートとうたい、ゲストで即興ジャズの赤田晃一が出演するとパンフレットに書いてあったからコンサートに行ったのに、何組目かに出てきたのは、僕よりいずれも年配の男女で、それも各々10人くらいいたと思う。いでたちは男はスーツ、女性はドレスだったが、先生と呼ばれていた人は、と言うのは出演前には客席の僕の近くにいたのだが、男も女も着物姿だった。
 どんな演奏をするのかと思ったら、と言うより一足早い第九でもやるのかと思ったら、なにやら腹の底から声を出し、聞き取れない言葉をうなりだした。曲?の紹介の時から意味不明なのだが、一度だけ新島襄という言葉が聞こえた。恐らく彼が作った曲?なのだろう。結局予定されていたらしい3曲?に1曲?増やして4曲?唄った?演じた?朗読した?吟じた。演目の全てを、単語も含めて理解できなかった。だから感動もなかったが、姿勢が良く、何となく皆さん「真面目そう」という印象は強烈に残った。詩吟なるものを好んで練習する人が本来的にそうなのか、詩吟なるものが本来持っている力か知らないが、いずれにしても丁度僕の対角線上に位置するような人達だと感じた。
 街が大きいと、色々な人材がいて、文化も多彩に花開くのだと羨ましかった。自然以外に自慢する物がない町に、誇れるような人材はなかなか現れないが、キャベツを作らせたら、魚を獲らせたら、船を修理させたら、オリーブを育てさせたら、漢方薬を作らせたらレベルでみんな精一杯生きている。


2013年09月25日(Wed)▲ページの先頭へ
電気自動車
 何を思ってそんなことを教えてくれたのか分からないが、説得力は無茶苦茶あった。それで新車を買おうとは思わなかったし、それで買うまいとも思わなかった。「まだ乗れる」唯一の理由を駆逐するほどの理由付けにはならなかった。
 安全で知られる外車の販売店の責任者が教えてくれたのだが、電気自動車が普及しないのは、まだ技術的に乗り越えれない障壁があるためではなく、単に、自動車産業で働いている人の解雇を、それも莫大な数の解雇になるらしいのだが、防ぐだけのためらしい。車の開発はもちろんのこと、充電ステーションのインフラ整備なども簡単に本当は出来るらしい。ガソリン車に比べて極端に少ない部品で出来上がる電気自動車が普及したら、それこそ下請け工場などほとんどが不要になるらしい。もっとも時々テレビなどで見かけるが、高校生がソーラー自動車を走らせるくらいだから、恐らくメーカーにとっては簡単すぎるくらいだろう。環境に優しいなどと言うのはメーカーも政治屋もお題目だけで、実際は失業者が増えるのを恐れているだけなのだ。物作りだけが繁栄をもたらすと思っている輩だから、それ以外に人材を生かす発想は浮かばないのだろう。
 こんな奴らだから福島のことなんか気にも留めていないだろう。自分たちが犯罪者だってことも思いもつかないばかりか、貪欲に火事場泥棒に徹している。道徳のどの字もない奴らが道徳を庶民に押しつけたがっているのだから、あの手この手で着々と庶民の首を絞めてくる。それを招いているのがなんとしたことか当の庶民だから救いようがない。
 体よくあしらわれている。このところとみにその思いが強い。


2013年09月24日(Tue)▲ページの先頭へ
今夜は父子家庭
 仕事が終わっただろう時間帯に息子に電話を入れ、夕食のおかずを買ってきてくれるように頼んだ。息子はスーパーのビニール袋をぶら下げて帰ってきた。早速覗いてみると、自分用のビールの他に、お好み焼き、ブリのカマ照焼き、ボイルヤリイカ、小魚の佃煮、そして明朝のサンドイッチが二人分ずつ入っていた。野菜は全くなかった。冷蔵庫に何かわからない野菜を煮たのが昨日からあるのを覚えていたから、それも食卓に並べた。お茶がなかったので慌てて自動販売機に買いに行ったが、恐らく5分くらいで夕食の用意は出来たと思う。ご飯は、炊飯器の中に昼のお粥が残っていたからそれを片づけようとしたら冷たかったので息子が少し迷っていたが、その辺りは全く拘らないので二人で冷たいお粥をすすった。丁度医学のテレビ番組をやっていたからそれを見ながら、僕の患者さんに対する漢方処方などを話しながら父と子だけの時間を過ごした。
 勿論料理を皿に分けたりしない。パックを拡げ食べるのだが、その時間帯に買い物をすれば安くなっているみたいで、30%OFFとか物によっては50%OFFになっていた。なかなか上手い買い物をしたねと褒めてやったが、つい全ての臭いを一応かいでから食べた。勿論冷蔵庫の野菜も炊飯器の中の冷たいお粥も。男二人では全てが心許ないから。
 実は午前中に母をあずかって貰っている施設から電話があり、転んだか落ちたかして、痛がっているというのだ。岡山の総合病院に連れて行ってみて貰ったら、肋骨が4本折れていて、水も溜まっているらしい。痴呆があるから家族の人に泊まって欲しいと言われ、急遽妻は帰らないことになった。そこで上記のように息子に連絡して夕食作り?をしたのだ。
 今日僕らは、買い物籠を抱え夜のスーパーを徘徊する独り者の男性になった。とても健康のことなど考えてもいない独り者になった。好きな物だけを買い物籠に入れる独り者になった。


2013年09月23日(Mon)▲ページの先頭へ
芸達者
 まず最初に謝っておかないといけないことがある。数日前「御免蒙る」というタイトルで文章を書いたのだが、タイトルだけ載せて肝心の文章が載っていない。ブログを開いてくださった人はかなり不快に思われたと思う。単純に本文を載せるのを忘れていただけで、僕自身ももったいないことをしたと悔やむことしきりだ。プロのように上手く文章を書く能力はないが、その時感じたことをまるで即興音楽の様に毎日書いている。そして書いた文章は翌日には僕のパソコンから削除するから、2度と書き直すことは出来ない。後悔だけが残った。
 今日は、倉敷にコンサートを聴きに行った。教会から妻がパンフレットを貰ってきて、インドネシアと東北の子供達を支援するチャリティーコンサートと言うことだった。インドネシアのアンクルンと言う民族楽器を演奏するグループが主催らしいが、竹で出来たハンドベルみたいなようなものだった。だから一つの曲を演奏するのに沢山の人が必要で、器用にみんな演奏していた。しかし僕のお目当てはゲストで出演する赤田晃一だった。なんとなく、いや絶対サックスで「海女ちゃんのテーマソング」を演奏すると思ったのだ。案の定1曲目に演奏してくれたから感激だった。曲の紹介がない前に僕が拍手したから彼は舞台の上で「もう分かっている人がいるんですか?」と言ったが、その拍手が僕だとは気がつかなかっただろう。
 同じ岡山県でもなかなか西の方に用事で行くことはない。ほとんど県庁所在地の岡山市で用事が済むから、そこから先は余所なのだ。ただその余所がいい。知っている人がまずいないと考えて良いのだ。今日のコンサートも結局教会からの紹介なのに一人も知っている人がいなかった。だからのんびりと自由に行動できた。少し時間もあったので隣の福田公園と言うところも散策したが、工業地帯を抱えた倉敷市の財政の豊かさを羨ましく思った。
 午前中、再来週開かれる和太鼓の演奏会場を下見に行った。倉敷からまだ30分くらい西にあるその町(玉島)をほとんど知らないから、そして会場の駐車場が狭いですよと教えてくれた人がいるから、どうしても下見しておいた方がいいと思ったのだ。道路標識に従って懸命にたどり着くと、嘗て若いときに訪ねた記憶が蘇った。勉強会オタクだった僕がわざわざ20年くらい前に訪ねた町だった。
 動かずの大和と鍼の先生に揶揄された僕でも、さすがに若い時は今よりは数段行動してたのだ。ただこの何年間で明らかに行動力は落ちた。ところが運良くかの国の若い女性達と知り合うようになって、動かざるを得なくなった。そうした中で、嘗て好きだった音楽にも再び心が動かされるようになった。今こうして少しずつ色々なものに触れ始めて、自分の不器用振りを再確認するとともに、逆に多くの人の芸達者に驚かされる。


2013年09月22日(Sun)▲ページの先頭へ
和解
 こう言うのを和解というのだろうか。ただ母はかなり脳の働きが落ちているから、一方的な、僕にとってだけの和解なのかもしれない。
 妻が一緒だったから気負うことなく施設の門をくぐり、母の目の前に立った。母は僕を分かったのだろう自然な笑顔で迎えてくれた。かつてアリセプトを飲ませて急に凶暴になったあの消してしまいたい日々以前の笑顔だった。ただ僕を○○ちゃんと、従姉妹の名前で呼んだ。そのことがかえって僕を安心させ、嘗ての親子関係に一瞬に戻れたと思う。
 母の好物の天満屋で売っている御座候を二つ持っていってあげた。施設の決まりで、目の前で差し入れは食べて貰い、残りは持って帰るというのを以前教えて貰っていたから、敢えて二つにした。母はとても喜びすぐにでも食べたがっていたが、同じテーブルの4人に気兼ねしてなかなか食べようとはしなかった。妻が促すと、もう一つの御座候を切って他の4人にふるまうように妻に言った。その気配りこそ嘗ての母の姿そのものだったのだが、そうしたことがまだ出来るのだと嬉しかった。と同時に、早く施設に入れすぎたのだろうかと、申し訳ない気持ちも蘇った。
母の口から友達が出来たと聞いた。実際親しく話しかけてくれる人が数人いた。その人達は何故ここに入っているのだろうと言うくらい健常に近かったが、各々が理由があって入居しているのだろう。その人達に母は結構人気があるみたいで、僕ら夫婦が連れて帰ると勘違いした一人が、えらく寂しがって又帰ってきてくださいと母の手を握っていた。姥捨ての呪文にずっと縛られていたが、家にいたときと今とどちらが母にとって心が安らかなのだろうと考えざるを得なかった。ただ家にいるだけで、家族が親しく話しかけれる時間は少なかった。今は施設の若い働き手も含めて沢山の人と会話は出来る。1時間くらい話していると母が「もう帰ってもいいよ」と言った。恐らくそれが母の答えなのだろう。家族も家庭も施設や施設の人達に負けているのだ。愛においても。


2013年09月21日(Sat)▲ページの先頭へ
年金
 海女ちゃんが始まってすぐに電話がかかってきた。風邪をひいて熱が出たのだが、1週間以上になるのに熱は下がらないし、体中が痛いという。大きな病院にかかっているがまだ改善しないらしい。風邪薬を作って下さいという言葉の後に「代金は、年金を来月15日にもらってからでいいですか?」と付け加えられた。僕は即座に「いつでも良いよ」とまるで反射のように返したが、電話の主が分かるから辛かった。
 僕よりは随分若いと思うが、それでももう四捨五入すればひょっとしたら50歳の方に入るのかもしれない。良く僕の薬局を利用してくれていたお父さんが数年前亡くなり、その後お母さんも体調を崩され、彼女がお世話しているはずだ。いつも伏し目がちで、遠慮ばかりしているが、経済的に余裕がないとは想像できなかった。そこまでしなくてもと思うくらい頭を下げ、まるで人目をはばかるように出ていく。
 今日も辛い体で良く来れたと思うのだが、自分がしんどくても誰にも頼むことが出来ないのだろう。僕は彼女が笑ったのを見たことがない。僕の薬局は結構笑い声がする薬局なのだが、彼女に笑って貰ったことがない。幸せですかと尋ねるのもはばかれるくらい、いつも表情は暗い。何か楽しいことが彼女の身に起こってくれればと、他人ながら思う。幸せがいつも素通りしてきたのではないかと、年齢より明らかに老け込んだ後ろ姿が物語っている。
 恐らくこの国には一杯、彼女と同じように、重荷を背負って、それもやっとの事で立ち上がることが出来る程度の力しか残っていない人達が一杯いるだろう。誰も責めず、文句の一つも言わず、耐えて耐えて耐え抜いて静かに去っていく人達が一杯いるだろう。その逆の大罪人ばかりが我が世の春をむさぼる映像ばかり見せられと、やり場のない怒りで心が震える。


2013年09月20日(Fri)▲ページの先頭へ
御免蒙る


2013年09月19日(Thu)▲ページの先頭へ
感謝
 駐車場の一角に、いや中心に作った小さな畑に紫蘇が盛んに育っている。もう一つ、名前は分からないのだけれどハーブが同じように勢いを保ち続けている。 名前の分からないハーブもとても良い香りがして、かの国の女性が時々やってきては少しちぎって帰る。スープに入れると美味しいのだそうだ。僕は根こそぎ持って帰ってと言うのだけれど、数枚しか持って帰らない。そのハーブは栃本天海堂のセールスの人が駐車場の取得の記念にくれたもので、紫蘇は娘夫婦が植えたものだ。
何を植えてもことごとく失敗したが、この2つだけは枯れなかった。そもそも生命力が強そうなことと、虫が来た形跡が全くないのだ。あの強い香りが虫を寄せ付けないのだと思う。だから放っておいても育つのだ。素人にはもってこいの植物だ。
 紫蘇は当初喜んでジュースにしていたが、それもすぐに飽きたのでそれこそ放置されていた。余りにも状態がいいまま毎日目にするのでもったいなくなって、漢方薬に使ってみようと思った。紫蘇は気持ちをほぐす作用があって僕はかなりの量を使用している。折角目の前にあるのだから使わない手はない。無農薬だから安心して使えるし。
 そこで生薬として流通している紫蘇(ソヨウ)の作り方を調べた。摘んだ葉っぱを半日天日干にし、その後は陰干しらしい。まず葉っぱを摘むところからしなければならないが、結構茂っていて、摘んでも摘んでも体積は減らなかった。早朝30分くらい頑張ったが、買い物籠半分くらいにしかならなかった。その後駐車場に拡げたビニールシートの上に並べて半日太陽に当てた。時々葉っぱを裏返しながら。その後は夕方までそのままにして置いたが、必要かどうかは分からないが時々葉っぱを裏返し続けた。
 数日後の今日、色も香りも今まで仕入れていたものと遜色ないようになったので、どのくらい出来たのか量ってみたら、なんと200gしかなかった。金額で言うと480円くらいだ。と言うことは恐らく僕が費やした時間で割れば、時間給160円と言うことになる。僕は時間給160円で働いていたのだ。
 「無駄なことをした」とは思わなかった。勿論紫蘇は買った方が安いが、お百姓さんの生産性の低さを痛感した。もっともプロだからそれらを克服しているのだろうが、ありふれた言葉で言えば「経験して初めて分かった」ことばかりだ。漢方薬を作ってくれている中国のお百姓さんに感謝。食べ物を作ってくれている日本のお百姓さんに感謝。


2013年09月18日(Wed)▲ページの先頭へ
忘れ物
 一泊二日の強行軍で奈良からやって来た子の中に、若いのに「忘れ物上手」の子が一人いて、折角友人が買った服を高松に忘れてしまった。と言うのは、僕が高松に連れていくために車で玉野に向かっているときにまず最初の忘れ物を白状した。「お父さん、携帯忘れた」若い女性にとって携帯はかなり大切なもののはずだが、それを我が家に忘れたらしい。引き返すことが出来ない辺りで思い出したから、それは送ってあげることで解決したのだが、服の方は当日高松で、それも商店街の真ん中で正にコンサートが開かれていた場所での忘れ物だから、それが出てくるのはかなり確率的に低いとすぐに想像した。
翌日奈良から電話があってそのことを知ったのだが、今更どうにもならないだろうと思いながらも、常に日本人の道徳を自慢していた僕には一縷の望みもあった。彼女たちが懸命に選んだ、おかげで僕は1時間無意味に好きでもない音楽を聴いていたが、50%引きの服は高松では有名な百貨店の紙袋に入っていた。そして彼女は、その交差点にある商業ビルの2階にあるスパゲッティの店で、僕が精算をしている間に店の外にあるベンチに忘れたことはハッキリしていたのだ。 紙袋に服を買った店の名前が入っていた。それを忘れた場所も覚えている。だから僕はまずスパゲッティー屋さんに電話を入れてみた。すると即座にそんな忘れ物はなかったと答えられた。この即座が僕には不快だった。何となく他のスタッフに尋ねるとかそれらしいことをした後の結論ならまだ良いが、全く気持ちは伝わってこなかった。
 次にその服を買った店に電話してみた。するとそこの経営は大手百貨店だった。近くに百貨店があったから別のものかと思ったが、経営はその百貨店だった。さすがにこの百貨店の対応はこちらが潔く諦められるくらい丁寧だった。担当の人が電話口に出るやいなや、色々な可能性を考えてくれて、色々と照会してくれた。これだけ手を尽くして貰ったのだから仕方ない、かの国の子達にもそう言える。
 時になくしたものが手元に届くという美談が伝えられるが、今回は残念ながらその美談をかの国の子達に経験して貰うことは出来なかった。もしそれが実際に起こったら、国に帰ってどれだけ日本のことを良くみんなに伝えてくれるだろうと思うが、それはかなわなかった。
 正味払ったお金は2600円くらいに見えたが、彼女たちにとっては大金だ。落胆振りが電話口から伝わってくる。忘れ上手の女の子に僕が電話口で言ったことは「牛窓での想い出を忘れないでね。それは宅急便では送ってあげられないよ」


2013年09月17日(Tue)▲ページの先頭へ
失敗
 どう見ても僕の趣味でないことは分かるから、僕に言うべきかどうか迷いながらそれでも結構多くの人が、薬局の中の雰囲気を褒めてくれる。一番褒めてくれるのは腰掛けが2つしかない喫茶コーナーだ。薬棚で少しだけ隠れるようになっているが、全部隠れてはしまわない。寧ろ、陳列している薬の向こうに人はしっかりと見える。ただ壁に向かって腰掛けるようになっているから誰だか分からない仕掛けはしている。
僕の習慣からするとコーヒーを飲む人が圧倒的に多いと思ったのだが、意外とコーヒーを所望する人は少ない。普通のお茶が胃に楽なのかどうか分からないが、圧倒的に多い。ただ僕の薬局では普通のお茶は出さない。普通では面白くないからとっておきのお茶を出す。すると薬が出来上がって会計をするとき「心が和みました」などと礼を言ってくれることが多い。報われる瞬間だ。娘達が選んだ家具で、姪が作った特別なお茶で、漢方薬をフォローしてくれるくらい交換神経が緩んでくれればこんなに有り難いことはない。それこそが全ての病気の解決方法だと思っているから。
 ところでとっておきのお茶の正体は、ほとんど僕の目算の誤りの結果なのだ。超デスストックの代物なのだ。だいたい商売のセンスはこの仕事を継いだときから無い。それは良く分かっていたから、実績で評価されるものを頑張るしか無かった。漢方薬の効果を極めれば田舎でもやっていけると思い、そのことだけを頑張った。なんとかその努力は報われているが、35年前に感じたセンスのなさは未だ証明中だ。何故ならセールスが持ってきた新製品に惹かれ、仕入れたもので売れた物はこの10年無い。これはきっと人気商品になると直感で仕入れた物のほとんどが、デスストックになった。例の特別なお茶が正にそれなのだ。漢方薬を沢山扱っている薬局だからと、目新しい薬草で出来たお茶を新発売するたびに問屋が持ってくる。僕はそんなものを見るとすぐにヒットするんじゃないかと思って仕入れてしまうのだ。ところが今はみんな無駄な買い物をしないから全く売れない。だからどんどん不良在庫で残ってしまう。そこで思いついたのがそうしたお茶を皆さんにサービスで出してあげれば喜ぶだろうと言うことだった。案の定、多くの人が例のコーナーで美味しそうにお茶を飲んでくれるようになった。結構1杯辺りにすると高いものなのだが、あの高い評価を得て、僕の仕入れの失敗を補ってくれることを思うと安いものだ。お茶を飲んで少しだけストレスから解放された人を見て、僕自身がストレスから解放される。正に仕入れの失敗がもたらしてくれた、ひょうたんから「こまー」だ。


2013年09月16日(Mon)▲ページの先頭へ
即興音楽
 見ていて、いや聴いていて、僕は詩のボクシングを思い出していた。それぞれが、それは管弦楽器は勿論、篠笛、和太鼓などとの組み合わせを含めて、いわば戦っているように見えた。演奏者の表情がそうだったこともあるが、音がお互いに戦っているように聞こえた。恐らく即興音楽だから、耳の肥えた聴衆にとっては心地よい音なのだろうが、僕には合戦のように聞こえる。
 ただそれは決して不愉快ではなく、とてもスリリングだった。どうして音が一致するのか、どこで音が離れるのか、何を切っ掛けに一致したり離れたりするのか見当が付かないが、ひょっとしたら演奏者自身がスリルを楽しんでいるのかもしれないと思った。合奏とは表現しえない共闘の音楽のように思えた。
 初めて即興音楽というものを見たが、聴いたが、即興音楽とは何かと聞かれたら、僕は答える。譜面台がいらない音楽だと。譜面台がないから演奏者の動きが激しい。この動きが格闘技に見える。そう、まさに即興音楽は格闘技だ。


2013年09月15日(Sun)▲ページの先頭へ
瀬戸大橋
 僕が家に帰ってからずっとテレビが先ほどまでいた街や海の警報を出し続けている。朝何回も天気予報を確認して計画を立てたのが功を奏して、天候が荒れないうちに帰ってくることが出来た。つい先ほど奈良県に帰ったと電話で連絡もくれた。責任を果たせてホッとしている。もっともしっかりした女性ばかりだから僕が何ら心配することはないのだろうが、それでも異国で暮らすにはハンディーを多く抱えているだろう。
1泊2日で4人の留学生が泊まりにきてくれて多くの経験をさせて貰った。短い時間だったが濃密な時間を過ごさせて貰った。その中で2つだけエピソードを紹介したい。
 今回の小旅行は、一昨年まで牛窓にある工場で働いていた一人の女性が友人を連れて遊びに来ることが目的だった。当然その女性の嘗ての仲間はまだ何人かは牛窓にいて再会をとても楽しみにしていた。僕が協力したかったのは、当人は勿論牛窓に残っている女性達も喜ぶことが分かっていたから、その劇的な再会の場面に居合わせたかったのだ。案の定、その瞬間は抱き合って喜んでいた。通訳が出来る女性が5人もいるのに、さすがにその瞬間は母国語ばかりだった。
 ところがそれと同時に2人のある予期せぬ再会がそこで行われたのだ。お互いは訪ねた側、訪ねられた側なのに、驚きの声をあげた。なんと、かの国で同じ学校にいた人だったのだ。方や学生として奈良県に、方や通訳として牛窓に来たのだが、当然そんなことはお互い知らない。世界の人口が何十億いて、世界の国が100いくつあって、世界の工場がいくつあって、世界の学校がいくつあって・・・・・どんな計算式の上に成り立つ確率か知らないが、二人が僕のちょっとした出しゃばりで再会したのだ。職業柄、人のお役に立てれる機会はかなり多いが、こうしたことで役に立てれるのも本当に嬉しい。それが素朴で明るくて人なつっこい女性達のためなら尚更だ。
 朝早く起きて、台風の接近時間を調べている内に、今日のもてなしの内容でグッドアイデアが浮かんだ。まさに早起きは三文の得だ。早朝、傘をさして海を見に行ったら台風の接近が報じられている割に波が穏やかだったので、宇野から高松にフェリーで渡るのは危険はないと思った。船が波で揺れることもないと思った。ところが帰る時間帯にはきっとかなり波が出て船酔いでもしかねないと思ったのだ。だから僕は当然宇野港に車を置いているからフェリーで帰らないといけないが、彼女たちは瀬戸大橋を渡って直接岡山駅に行かせればいいと思ったのだ。そのアイデアをフェリーから瀬戸大橋が見え始めたところで彼女たちに打ち明けた。すると一人の女性がその案のことを何度も聞き直して手を叩いて喜び始めたのだ。かの国で歴史の先生をしていて、日本語のより高い修得を目指して来日している女性だが、インテリには似合わない喜びようだったので少し驚いた。ところが彼女が教えてくれるには、彼女はかの国にいるときに瀬戸大橋の工事のドキュメント映画を見たらしいのだ。だから僕などが知らないことを沢山知っていた。そして彼女は、あんなに素晴らしい物が作れる日本という国に憧れ、是非日本に行ってみたいと思ったのだそうだ。ところが、彼女は瀬戸大橋が具体的にどこにあるのかは知らなかった。そしてそれを探して見に行ける余裕など経済的にないから、見ることが出来ないものとしていた。ところが不意に彼女の前にその橋が遠くに、微かに姿を現したのだ。そして帰りには電車でその橋を10数分かけて渡れることを知ったのだ。その驚きがまるで子供のような仕草になったのだ。僕にとってはかの国の多くの子や僕の患者さんを案内する単なる定番だったのだが、こんなに深く理解してくれた人の感激のシーンに立ち会えたのも、今日の大きな喜びだった。
 後進国の人もなんとか世界を行き来できるようになった。僕はとても良い傾向だと思う。物質主義にまだ犯されきっていない人達と接するのはとても気持ちがいい。僕の青春時代にこうした人達と会っていたら、確実に僕の生き方は違っていただろうと確信を持って言える。彼女たちの一つ一つの行動や言葉に「生きるとは」と言うテーマが僕の頭の中で乱舞するのだから。


2013年09月14日(Sat)▲ページの先頭へ
中和
 まあ驚いた。日本語を自由に操ることが出来るようになると、ここまで楽しいのかと見直した。僕が知っているかの国の子達は、働くことを目的にやってきているから、日本語は来日してから最低限仕事に必要なものだけ覚える。僕と偶然知り合った子達は必要に迫られて日常会話を辛うじてこなせる程度には上達するが、今日の4人は段違いだ。
今日、奈良から訪ねて来てくれた4人は、それぞれが目的を持って来日している。すでに向こうにいたときから専門的に日本語を勉強していたこともあるが、日本人とほとんど遜色ない意志の疎通が出来る。日本人の集まりと錯覚しそうなくらい精度の高い日本語が飛び交う。そして今日僕は発見した。彼女たちは、いや彼女たちのお国柄はとても快活で陽気なんだと。今まで知り合ったいわゆる研修生達は、それぞれが目的を持っているにしても、どこか過酷な労働のせいで覚悟が支配しているような印象を受けた。それがこの4人には全くない。
 日本のくだらない番組などよりは数段上質な笑いも届けてくれた。いつもなら僕が笑いをとって緊張の糸をほぐすのに努めるのだが、今日は全くの受け身で緊張感から解き放たれた。このところこの国のエライ奴らの悪意にうんざりさせられることばかりだが、こうした名もなき人達の善良が懸命にそれらを中和してくれる。


2013年09月13日(Fri)▲ページの先頭へ
貯金
 元々僕は物には拘らない性格だから捨てがたいものなど何もない。いや一つだけあるかな。学生時代弾いていたギターくらいなものかな。それも別に想い出がつまっているからではない。勉強がいやで逃避の象徴みたいな物だったから、よい想い出も蘇らないが、今でも十分使えることと、もうあの値段であのギターは作れないと聞いているからだ。
そんな僕がついに今乗っている車を諦めかけた。17年経てば、シートは破れて、ドアの内側の皮もかなりはげている。そのくらいは気にならないのだけれど、販売店で試乗した車があまりにも安全性が向上していたから、替えるべきかなと思ったのだ。僕の車選びの唯一の基準は安全性だから、その点にはかなり惹かれた。そして気持ちはほとんど契約状態だった。
 ところが家族はみんな反対した。質素を家訓としている僕には合わないと言うのだ。その言葉で僕は心の急ブレーキを踏むことが出来たのだが、今回のことである想いに確信を持った。
 世はまさにアホノミクスのせいで虚構に向かってひた走っているが、そして物を買えとせき立てられているが、僕は当分物はもたない、買わないのが良いと思っている。経済には全く疎く、そのせいで僕の薬局もこの程度なので論ずる資格はないが、感覚で分かる。オリンピックを誘致したが、それも出来ないと思っている。漏れ出る放射性物質を早晩コントロール出来なくなって、日本中のどこがどの様な状況に晒されるか想像が付かない。そんな状況の中で、家を買え、車を買えなんてあり得ない。家も車も置いて逃げなければならない状態で、借金だけつきまとってくることになる。
家は賃貸、車は乗り捨てできるほどのポンコツ、後進国に逃げて、貯金で一生を終えられるように現金を持っていた方がいいと思う。月1万円から4万円くらいで過ごせる国に逃げれば、僕ら庶民でも何とかなる。下手にこの国にしがみついて放射能にやられたら悲惨なだけだ。
 消費税が上がるから等とくだらない番組でやたら煽っているが、今どう振る舞うかが問われていると思う。


2013年09月12日(Thu)▲ページの先頭へ
悪意
 今日初めての相談を受けた子が、こういったものを飲んでいますと教えてくれた。聞いたことがないものだったからインターネットで調べてみたら、臭いを消す食品だと書いていた。口臭とか体臭とか便臭とかを消すと標榜しているが、何故そんなことが出来るのかは書かれていないし、数字で評価(確率)も表せていない。もし書いたら薬事法か医師法に違反するから勿論書けないし、根拠も所詮自称だろう。
 ただ画面はそれこそプロが作ったのだろう、それらしく出来上がっている。藁をも掴みたい人にとっては、望みを託したくなるのだろうが、元々効果などないのだから、改善などするはずはない。
 この世界だけでなく、本当に世の中悪意に満ちている。悪意が増殖しているのではないか。経済行為なら、なにをしても良いという風潮が蔓延しているのではないか。大企業から個人まで、お金のためなら今やありとあらゆる悪智恵が競われている。それに加えて政治がその上前をはねようとするから、悪意が奇妙に許されるのだ。もっとも戦争の次に大きな罪を犯した奴らが、未だ特権を持ち、この国を好きなように操っているのだから、悪意の塊にような国になってしまうのも当然だが。
 綺麗な風景に会いたい。心の綺麗な人に会いたい。心を打つ言葉に会いたい。


2013年09月11日(Wed)▲ページの先頭へ
吉永小百合
 ああ、なんて変わりようだ。僕が知っている頃はこんなにむくんだり、たるんだり、シミだらけではなかった。若いときはさぞかし美人だっただろうなと想像させる雰囲気がまだ残っていた。歳月の残酷さを思い知る。
日曜日に一人家にいたら、あるおばあさんから配達を頼まれた。常連の方で、昔は良く薬局に来てくれていたが、今は足腰が弱って余り外出をしないらしい。定期的に紙おむつや薬を配達しているが、僕はもう随分と会っていなかった。地図で家を確かめ、時間をもてあましていたから自転車で配達した。途中小さな坂があるのだが、そこをお尻をサドルに載せたまま漕いで上がれたので少しだけホッとした。その坂でもしお尻をあげて漕いだり、自転車から降りたりしたらそれこそショックで寝込みそうだった。どうにか、いや余裕のゆうちゃんで乗り越えておばあさんの家に着いたのだが、約束どおり玄関で待っていてくれたその人の顔を見て、今度は本当にショックで寝込みそうだった。
 何年会っていないのか分からないが、その人が刻んでいる分僕も同じだけ刻んでいるはずで、僕も等しく歳月の残酷さの晒し者になっているはずだ。毎日見ているから気がつかないだけで、誰にもほとんど平等にやってくる老いの実相は、かくも残酷なものだと再認識させられた。
 僕ら凡人は、吉永小百合にはなれない。


2013年09月10日(Tue)▲ページの先頭へ
墓穴
 まともに聞いていたら首を傾げることばかりだから、まともに聞かないことにしているが、チャンネルを変える前に耳に入ってきたものは仕方ない。
 アホノミクスがいくら嘘をついても、ちゃんと見ている国はちゃんと見ている。東の県の水産物を全面輸入禁止にするのは当たり前だ。そこで今日耳にしてしまった言葉がある。輸入禁止を解いてもらうためにもっと安全情報を発信すべきだというのだ。それは違うだろうとすぐに思った。チャンネルに手が伸びるのが遅れて聞いてしまったが、それを言うのなら「危険情報」だろう。なんでも安全と言い続けてきたこの国が信じてもらえるとしたら、初めて自分たちに不利な情報を晒してからだろう。身を切る人間がいない国を誰が、どこの国が信じてくれるというのだ。
見え透いた安全情報を流して、その裏にあるものを探らせるより、危険なものを晒して、そこからはずれたものだけ選択させればいい。その方が余程身を守れる。情報を操作できるのが権力者のうまみらしいが、どうせもう少しで墓穴を掘る。是非彼らには自分は勿論、大勢のお友達も一緒に入れる特大のものを掘って欲しい。


2013年09月09日(Mon)▲ページの先頭へ
死に目
 「死に目に会えなかった」と老人は嘆くがどうもその言葉の使い方が正しいとは思えない。
 1年くらい前突然夫婦でやってきて、心臓の漢方薬を10日分ずつ持って帰る。遠くから心許ない運転でやってくるのだから、もう少し沢山持って帰ればいいと思うのだが何故か毎回10日分だ。もうかなり高齢なのに、薬局に来てまでよく喧嘩をする。お互い耳が遠いらしくて余計喧しい。最初奥さんの問診をして薬を決め服用して貰ったのに、何故か途中から旦那の方が薬を飲んでいる。途中と言ってもほとんど翌月くらいから旦那の方が飲んでいたらしい。そう言えば奥さんには心臓が悪そうな様子はなく、旦那の方が喋るたび息を切らせていた。
 奥さんの様子を見て薬が欲しくなったのか、自分の症状を奥さんに言わせたのか良く分からないが、結果的には旦那が薬を飲んでいた。今日、漢方薬を取りに来たのだが珍しく旦那が薬局に入ってきた。いつもは足が悪いから車で待っているのだが、奥さんではなく自分で取りに入って来た。その時になんで一人でやって来たか説明してくれたのだが、例の使い方が正しいのか間違っているのか分からない言葉が出たのだ。
「実は先週、嫁が死んだんだわ。デイケアから二人一緒に帰ってきてソファーに腰掛け、ワシがトイレに行って帰ってきたら死んどったんだわ、オシッコだから2,3分しか行ってないと思うんじゃが。死に目に会えんかったんが残念じゃ」
2,3分どころか、ひょっとしたら1分くらいかもしれない。この不意打ちのような短い時間に立ち会うのは難しい。死を予感して片時も監視を怠らないのならまだしも、元気な人にその様なことは出来ない。枕元で看病して遭遇するのが死に目だとしても、この場合も正に死に目だろう。死にゆく1,2分会えなくても3分後には発見したのだから立派すぎる死に目だろう。
あれだけ喧嘩ばかりしていたのに何をそんなにこだわるのだろうと思うが、誰もがもっていて、意外と捨てることが出来ない自身の教科書に縛り続けられるものだと、再認識した。


2013年09月08日(Sun)▲ページの先頭へ
出来過ぎ
 結局僕は母の目の前に姿を現すことが出来なかった。遠くから後ろ姿をしばし眺めるだけだった。母は我が家にいたときと同じように一点を見つめていた。目の前に二人入居者がいたが、僕が見ている間、お互い会話はなかった。
思えば家にいたときも状況は同じだった。仕事時間が長い僕の家では、施設から4時に帰って、その後夕食の7時半までは一人2階にいて、モコを相手に独り言を繰り返していた。家にいたときと何ら変わりないなら、寧ろ先週面会した娘曰く「粗相をしても叱られないから施設の方が居心地が良いのでは」と言う感想どおりだとしたら、そろそろ姥捨ての後ろめたさから解放されても良いのだが、どうしても払拭できない。今日施設に1人で訪ねたときも、何度も母の前に姿を現そうと試みたが、結局は出来なかった。
来月の新しいケアプランと今までの経緯を説明するという連絡を受けて訪ねたのだが、ケアプランの説明も、リハビリの様子も、それぞれ若い男性の担当だった。ケアプランの方は30代、リハビリ担当はまだ20代前半に見えた。彼らの浮かべる満面の笑みに比べて、僕の表情の恐らく険しいこと。専門職の力量を見た。
 本来なら若者の力は生産に向かうべきだと思うが、求人チラシを見てもこの様な施設のものが多い。どちらかというと物事の終わりに立ち会う仕事に、いやな顔を見せずに従事している彼らに頭は下がるし感謝しているが、どこか不自然な気はする。世話になっていて言うのもおかしいが、若者は本来、生産的であり破壊的だ。うまくは言えないが、「できすぎている」


2013年09月07日(Sat)▲ページの先頭へ
草抜き
 朝、まだ出勤の車もまばらな時間帯、我が家の新しい駐車場に人影がある。這いつくばって、手袋を履いた手で草を抜いている。雨上がりだから抜きやすいのだろう。結局僕がシャッターを開けるまでやっていたから、2時間近く頑張ってくれたことになる。薬局を開けるとともに作業を切り上げて入ってきたから一緒にコーヒーを飲む。
もう3日目になる。草刈り機も使ったし、鎌も使った。駐車場を譲って貰ったとき、憧れていた花壇を狭い場所ながら作ると綺麗だと思って、わざわざ耕作用の土を入れて貰ったが、結局育ったのは9割が草だった。当初は珍しさも手伝ってこまめに草を抜いていたが、いつの間にか圧倒的な生命力に押され、抜いた数倍も新たに陣地をとられる有様だった。そのうち諦めて敵のなすがままになった。万歳してからは凄い勢いで草が生えだし、瞬く間に背丈を延ばし、ちょっとでも草の中にはいるのが躊躇われるくらいになった。僅か数坪の広さなのに。
そんな時彼が声をかけてくれた。法務省にもう2度も出張しているから仕事はない。時々それこそ草刈りの真似事をして報酬を貰っているみたいだ。折角声をかけてくれたが僕は躊躇った。幼なじみだし、全うに暮らしていれば僕の家の草抜きをして貰う関係には絶対なっていなかった人だ。僕は今目の前にいる彼より、昔の彼を本当の彼だと思っているから、頼みづらい。いくら報酬を払ったら相場なのか知らないし、彼が受け取るようにも思えなかった。
 偶然カウンターの上に置いてあるポスターに目がいった。と言うより、僕より早く彼が目を通していた。無類のジャズ好きの彼だからそんな臭いは簡単に嗅ぎつける。そのポスターは岡山在住のサックスプレイヤーの赤田晃一の20周年記念公演のもので、ゲストに佐藤充彦と言う全国的にも有名なピアニスト(僕は知らないから受け売り)も来ると言うものだ。ふとした切っ掛けでポスターを置いていたのだが、めざとく見つけた彼の目は「私をスキーに、いやジャズに連れていって」と言っているようだった。
僕はすぐに閃いた。これなら彼の好意を金銭などに換算する必要もないし、彼のプライドも保たれるし、僕らの対等性も保たれる。1日あればできると思っていた草刈りが、3日かかったから、アル中気味の彼の大好物を行き帰りにご馳走すればいい。
 這いつくばってまで綺麗にしてくれた才能を生かして、草刈りのビジネスでも始めたらと提案したら興味も示さなかった。正式に立ち上げるといろんなことに縛られるからいやだと言う。「もう2度も手を後ろに縛られたのに」と僕は心の中でつぶやいたりしない。もろ口に出して言った。結構受けた。


2013年09月06日(Fri)▲ページの先頭へ
症例集
 「お薬を飲む前の頃とは比べものにならない程改善されています。以前は1日中しんどかったので何をしていてもその事ばかりに気がいって集中出来ませんでしたが今はさほど考えずにいられます。先生のブログなどを見ているとどんな症状でも治して頂けるのでないかと期待してしまいます。」
 有り難い言葉で礼を言われたが、くすぐったいのを覚悟でよい機会だから、説明させて頂く。症例集に載せているのは100%店頭の事例だが、それはうまく治ったものだけを載せている。陰には役に立てなかった症例も一杯隠れている。僕が具体的な治験例を載せるのは、漢方薬の守備範囲をしっかりと訴えたいためだ。漢方薬は最早昔のようにベールに包まれた不可思議なものではない。実践的に治療を積み上げてきたあげくの統計学みたいなものだ。最近は科学的なメスが入ってますますその価値を高めたが、古人が正に人体実験の無限の積み重ねで得た知識だ。だから効くのは当たり前だ。効くものだけが残っているのだから。ただし、僕達勉強を重ねてきた人間には、何に効いて何に効かないかは良く分かっている。漢方薬は夢を売るものでもないし、絶望の淵に追いやるものでもない。効くものには効き、苦手な領域には効かないのだ。僕の症例集を見てもらえると、立派な書物より何に漢方薬が効果があるか分かってもらえる。自分と同じ症状だと思えば、漢方の守備範囲だと考えてもらっていいし、載ってなければ漢方薬でも難しいのだと思ってもらえればいい。
世の中にはつまらない書物もつまらない○○もいる。残念ながら、そう言ったものに限って虚飾のオンパレードだから立派に見える。要は騙されて大切な今にも枯渇してしまいそうな生薬を浪費して欲しくないのだ。漢方薬しか解決の方法が無いものだけに生薬を使って欲しい。どんな症状でもと言ってくださった方の言葉の前に、「症例集に載っている」とつければ万全だ。


2013年09月05日(Thu)▲ページの先頭へ
薬剤師免許
 4時間その場にいたら死んでしまうような高濃度の所で誰がタンクの修繕作業をしてくれるのだろう。これから次から次へと同じことが起きるのは明白だ。いや、それ以上のことも起こるだろう。もうお手上げに近いところまで来た。そんな国でオリンピックを開催して、どこの国の若い選手がやってくるのだろうと、不思議でならない。人の健康に配慮すらしない本性がばれないと信じ切っているおめでたさには呆れる。
福島がもういつまでもつか分からないから、そろそろ準備くらいしておいた方がいいと思って、昨日ある国の大使館に電話をかけた。東京にある大使館なのに出てきた女性が英語で喋り始めた。込み入った話になるから日本語が出来る人はいないですかと尋ねたら、まだ英語で返事をしてきた。何を言っているか分からなかったが、15分という英語だけ分かったから、15分経ったら日本語が出来るスタッフがやってくると理解した。
 かなり余裕を持って1時間後くらいに電話をし直した。するとやっぱり英語の女性が出てきたから、僕の15分後という理解は間違っていたのかもしれない。英語のできなさを残念に思ったが、残念に思っても勉強をしようとは全く思わないところが僕の抜けたところで、それだからこそもっている。潔癖も頑張り過ぎも良くない。
 当事者に聞くのが一番と思って大使館に電話をしたのに、言葉の壁で回答は得られなかった。そこでインターネットに以下の言葉を入力して検索した。「薬剤師免許 外国」すると正に僕が知りたいと思っていたキーワードで回答が出ていた。回答の内容は残念だったが、言葉が通じない国で薬剤師として、日本の薬剤師免許を持っていても、働けるわけがないよなと納得した。淡い期待をもって放射能を避けて外国に行き薬剤師として第二の人生を送ると言う選択肢は、一瞬にして消えた。
こうなれば残された選択肢は2つだ。薬剤師ではなく、この美貌を生かして外国で俳優として生きるか、僕だけこの国に残り放射性物質に晒されながら漢方専門薬局に間口を狭め、せっせと家族に仕送りをするかだ。どちらも現実味を帯びて実現性は高いが、それにしても被害者として国を出ていくのは腹立たしい。せめてあいつらが塀の中に入れられるのを見てからにしたい。


2013年09月04日(Wed)▲ページの先頭へ
流行語大賞
 今年の流行語大賞の本命は「じぇじぇじぇ」だと思っている人が多いらしいが、今日穴馬が現れた。
 久し振りの強い雨だった。途中から風も強くなって台風崩れの面影があった。3時頃、遅い昼食に上がってテレビを見ていると、昨日に続いて竜巻が関東地方を襲ったと伝えていた。外では横殴りの強い雨、テレビ画面では竜巻の爪痕。自然災害のニュースも今日は臨場感を持って迫ってきた。
台所で用意をしていた妻に竜巻の映像を見せてあげようと思って声をかけた。「すごい、今日もたつなみがあったらしいよ!」と。「たつなみって何?」と妻に聞き返されて初めて間違ったことを言ってしまったことに気がついた。自然の猛威を見せられていたから、今日の竜巻と一昨年の津波が一緒になったのだ。「あっ、間違った。竜巻が今日もあったらしいよ」と訂正すると妻が「竜巻と津波が一緒になったんではないの?」と解釈してくれたが全くその通りだ。「今朝から天気が悪いんで少し不安になっていたんだと思う」と正直に答えた。
 ただ後で考えると、この「たつなみ」はなかなか良い言葉だ。野球選手の立浪と言う字を当てると意味が違ってくるが「竜波」とすれば世の最強の天災を現すことが出来る。今日ここで発表の僕の造語が、嘘で固めた政治家やマスコミや学者達の目に留まり、今年の流行語大賞に選ばれないかなと思っている。ただし「じぇじぇじぇ」には負けても良いが「強い日本を取り戻す」等の時代錯誤には負けたくない。


2013年09月03日(Tue)▲ページの先頭へ
 涙、涙の再会だったらしい。と言うことは分かっているんだと思ったが、数分で集中力が切れるから、どこまで分かっているのかは怪しいとは、娘夫婦が母を訪ねてくれた後に施設を訪ねてくれた従姉妹の弁だ。
娘夫婦が施設を訪ねた時、母は数人の入所者と一緒に簡単なリハビリを受けていたのだが、笑顔が溢れてとても楽しそうだったらしい。家にいた最後の頃は笑顔など見ることが出来なかったから意外だったが、姥捨てをした僕としては救いだった。
 入所者の中で3人頭がしっかりしている人がいて、彼女たちが「○○さんは、昔先生でもしていたん?」と従姉妹に尋ねたらしい。まさに母は小学校の先生を一時していたのだが、その頃の名残、それも好印象の出来事でもあったのだろうかと僕が従姉妹に尋ねると、正にその様なエピソードが施設の中で生まれたらしい。ある時誰かが何かを探しているときに丁度母がそのものを使っていたらしくて、「私は後で良いから先に使ってください」と言って譲ってくれたらしいのだ。この姿勢こそ僕が晩年まで目撃し続けていた光景なのだが、急速にこの数ヶ月それは失われていった。
 実はそのしっかり者の3人は、施設に入所したときには「歩けない、喋れない」だったらしい。そこで持ってきた薬を全部止めさせると、「歩ける、喋れる」に変わったというのだ。母もかの有名なボケの薬を止めてから攻撃性が無くなった。恐らく日本中で同じような光景が展開されているに違いない。副作用にちゃんとその様なことは載っているのだが、治そうとしていることと副作用が同じだからなかなか気がつかない。だから多くの無駄金が合法的に企業に流れているのだろう。老いをまるで病気のように扱って、ほとんど制御できていないのに莫大な報酬が支払われる。下流から上流に流れる、いつもの金の流れだ。
 「会いに行けば良いんじゃない?」と娘が言ってくれた。会わす顔を失ったから早く会える顔を見つけなければならない。 


2013年09月02日(Mon)▲ページの先頭へ
無茶苦茶
 「孫が今日学校が休みなんじゃ、本当に困る」と独り言か聞いて欲しいのか分からないような言い方をされたが、意味も分からなかった。
 小学生だから今日は始業式の日だろう。学校を休むと言わずに学校が休みと言ったから、僕には分からなかったのだ。男性が不機嫌な様子で教えてくれたのは、今日は大雨で学校が休みになったけれど、雨は降っていないし、牛窓に警報は出ていないはずだと言うことだった。確かにその男性が買い物に来たときには雨は降っていないかったし、早朝の雨も小雨くらいだった。結局夜になってこの文章を書いているが、ほとんど雨は降らなかった。男性が困ると言った意味は分からないが、僕は違う意味で問題だと思った。
 小学校の高学年の頃の夏の遊びと言えば、初盆の家が流す精霊船を翌日手に入れて、手作りのオールで沖にこぎ出すことだった。簡単な作りの1メートルくらいの精霊船は、ほとんど夜の内に転覆するから提灯やお供えの果物などは翌日には無くなっていて、死者の気配を感じることもなかった。今思えば罰当たりなことだが、そんなことは誰も考えなかった。大人に注意されたこともない。懸命に水を掻き出さないと沈みそうな船(?)に乗って、小学生が漁船が行き交う沖まで漕いで出るのだから危険このうえない。当時の牛窓の子は小学校の高学年にでもなると、ほとんどの子はいつまでも水の上で浮いていることが出来たから、親も心配しなかったのだろう。親に気をつけろと言われたこともない。台風の前日くらいには高波を楽しむために海水浴場にわざわざ泳ぎに行っていたくらいだから今思えば無茶苦茶をしていたことになる。
 土砂降りの雨くらいうたれればいいと思う。山が崩れてきそうな所などないのだから。守ろうとしているのは大人の立場で、逃れようとしているのは大人の責任だと思う。子供には立場や責任はない。


2013年09月01日(Sun)▲ページの先頭へ
世も末
 張本人が言うのだから鵜呑みには出来ない。寧ろそれより悪い状況を想定した方がいい。それにしても、作業員がその場に法律で規制された被爆量を超えないと思えば1分しか留まれない、4時間いたらどんな人間でも死んでしまう放射線量と聞けば余程のお人好しでも、もうほとんどその地に希望がないことは分かるだろう。これから同じようにどんどんタンクから汚染水が漏れ、隠しきれない地下水汚染も表沙汰になれば、老い先短い人以外は脱出しなければならないことになるだろう。奴らはこの期に及んでまだ「安全」を繰り返すだろうが、こと放射能に安全なんてあり得ない。
 一体、1分しか留まれない状況でどんな作業が出来るのだろう。現場に着いて道具をポケットからとりだしたら、そそくさと逃げなければならない。そしてその作業員は、もう1年間仕事は出来ない。一体どのくらいの人間をかき集めれば、作業が継続できるのだろう。24時間突貫工事しても1日1400人の人間が使い捨て状態になる。無限に労働者が集まるとでも思っているのか。
江戸時代なら打ち首獄門になるような奴らが、この世の春を謳歌している。すきま風に凍える庶民がそれを崇め支えているのだから、世も末だ。


   


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