栄町ヤマト薬局 - 2012/11

漢方薬局の日常の出来事




2012年11月30日(Fri)▲ページの先頭へ
大学院
大和先生
3年程前にIBSでお世話になっていた○○です。当時はお電話で沢山相談させていただき、とても勇気づけられました。お陰様で現在は不自由なく生活しており、夫と4羽のセキセイインコと楽しく暮らしております。今回お手紙を書かせていただいたのは、大和先生にお礼とご報告のためです。一度お礼に岡山にも伺いたいと考えておりますが、なかなか実現できないので、いずれは夫と瀬戸内海の観光に行く予定を立てて、牛窓のヤマト薬局さんにごあいさつできればと考えています。
本年の3月に勤めていた会社を退職し、先日臨床心理士になるための大学院に合格しました。入学後はIBSの方々への心理療法について研究を行いたいと考えています。大和先生のように漢方薬を使うことは出来ませんが、自分にできるやり方で、いつかどなたかのお役に立てたら嬉しいです。まだスタート地点に立ったばかりですが、苦しんでいた頃の私からすれば、今がすでに奇蹟に思えます。本当にお世話になり、ありがとうございました。大和先生やご家族の皆様もどうぞご自愛ください。
○○

 メールではなく、丁寧に手紙を頂いた。過敏性腸症候群の方を800人くらいお世話してきたから、すぐに誰々と確信を持っては思い出せないのだが、この女性は恐らくいつも都会の雑踏から電話をくれた人だと思う。電話の向こうには行き交う人々や街の騒音がいつも聞こえていた。カルテには体調に関して知り得た情報を所狭しと書いているのだが、人となりなどは知るよしもない。ただ大学院に、それも臨床心理などと、難しそうな勉強をしに行くのだから、余程しっかりとしていた女性だったのだと思う。間違ったら失礼だが「治ったら、駅の景色が全く違って見える」と表現した人ではないかと思う。僕はその表現がとても気に入って、過敏性腸症候群で治療を始めた方によく披露している。どなたにも、落ちこぼれることなく経験して欲しい感動なのだ。
 心理学など全くの素人の僕の話でも役に立てることがあるのだから、大学院で勉強して、それも自分が長い間苦しみ克服した症状だから、大いに人の役に立てると思う。近い将来、青春の落とし穴に落ちた若者に専門家として、又体験者として手を差し伸べて欲しいと思う。


2012年11月29日(Thu)▲ページの先頭へ
ショベルカー
 今日から道路を挟んだ向かいにある古民家の解体が始まった。大正の家か昭和初期か分からないが、何となくこぢんまりしていて、何処かそれらしいところに展示すれば、入場料を取っても良さそうな趣がある。
朝からショベルカーが活躍し、その回りを男達が手作業でカバーするのだが、壊せば壊すほどそのこぢんまりした家の体積が増えるような錯覚に陥った。1の物を壊して2になるようなものだ。いや2倍ではすまされないようにも思う。壊せば壊すほどがれきは大きさを増し、山のように盛られる。トラックで少しずつ運び出されるのだが、いつまでも同じだけ山があったような気がする。
 物珍しさで午前中はしばしば調剤室の窓から覗いていたのだが、さすがに午後になると飽きた。日暮れ前に見ると山は低くなって、今までは決して見えなかった体育館が、当然のように目の前に現れた。
妻も何処か落ち着かない風で、時々眺めていたが、ふと「震災のがれきみたい」と言った。西に暮らす僕達は映像でしか見たことがないが、そう言われればいつか見た光景だ。つい昨日まで形があり機能していた物が無惨に破壊される、それが意図しないものだったらどれだけ無念だろうと思う。
 恐らく明日は全てが撤去され視界はもっと広がるだろう。小股で歩き、目をショボショボさせる気の弱いじじいが、この先数年も生きそうにないのに、気の弱さを隠すために又偉そうに吠えている。益々視界不良のこの国にショベルカーばかりが闊歩する。


2012年11月28日(Wed)▲ページの先頭へ
廃業
 岡山県から遠く離れた地らしいが、そこである漢方薬局が廃業を決めた。10年くらい頑張ったらしいが、経済的に成り立たなかったのだろう。とても研究熱心な方で、知識が豊富だったらしい。しかし、顧客を集めるのに苦労していたらしくて、漢方メーカーの社員は相談に乗ってあげていたらしい。
 廃業を決めて、そのセールスに電話連絡をくれたときの消沈ぶりは、声で充分伝わってきたらしい。恐らく10年前は、意気揚々と開業に踏み切ったのだろうが、実際にはそんなに甘くなかったってことか。自分で集客して、自分でお世話して、全て自分に責任がかかってくる。誰かのおこぼれを頂戴するようなことも出来ず、孤軍奮闘してきたのだろう。 余りよい話ではないから何となく具体的に尋ねない方がいいような気がした。だから、どのくらいの人口の町でやっていたのとそれだけ尋ねてみた。すると30万人くらいと言った。結構大きな町で、裏日本だったら県庁だってあり得る人口だ。僕が人口に限って尋ねたのはやはり、唯一の僕のハンディーがそれだからだ。だからその答えによっては参考にすべき所も多いのではないかと思ったのだ。ところが30万人と答えられるともうこれは比較の対象にはならない。ざっと僕の町の40倍くらいの人口があることになるのだから。そんなに人口があってどうしてやっていけないのか僕にとっては不思議でしかない。都市部は都市部なりで難しいこともあるのだろうが、狸や烏やかかし相手に商売をするのではないから、僕にとっては夢のような立地だ。都会で薬局をやった経験がないから、知識なし、愛想なしでも流行りそうだ。
僕は学問は好きではないから、漢方薬に関しても古典を読むようなことはしていない。まずそれをやっていないから、圧倒的に存在感はない。だから声高に漢方を名乗る資格はない。どんな会合でも小さくなっている。その代わり、実践的な勉強は良くやったと思う。田舎にあると言うハンディーのおかげで、「効かない」は致命傷になった。だから効かせる漢方をひたすら追求することで生き残っている。廃業を決めた方はまさに学者肌だったという。書物の上の学問では患者を治すことは出来ない。これは僕が独学でやっていた頃の教訓だ。
生薬が激しく高騰しているのに医者もドラッグもひたすら浪費する。ひたすらさばけばいい企業の犯罪性は原子力と同根だ。


2012年11月27日(Tue)▲ページの先頭へ
学会
 偶然かもしれないが、今日3人の報告の中に同じような症状があった。吐き気がし、腹痛がして下痢が続くと言うものだ。それに付随してガスが多くなったと書いている人もあった。でも恐らく3人ともロタウイルスかノロウイルスか分からないが、いわゆる胃腸風邪をひいたのだ。関東、近畿、中国地方の3人だから、その地域でどのくらい感染が広がっているのか分からないが、今年も又かなり流行ると予想されていて、僕の薬局にもぼつぼつ漢方薬を取りに来だした。
 ことウイルス性の胃腸風邪に関しては漢方薬の方が現代薬より圧倒的によく効く。タイミングよく飲めればムカムカの時点で治ってしまう。そこから先の腹痛や下痢を経験しなくて治ってしまう。先人の知恵は大したものだと感心する。手元にあればいつでも飲めるから、3日分くらい備えておいてもいいだろう。冷凍庫に保管しておけばいつまでも持つからあの悪夢を経験したくない人にはお勧め。
 珍しくブログで商売的なことを書いてしまったが、それが目的ではない。過敏性腸症候群の方が何が起こっても自分の弱点にくっつけて判断し悲嘆にくれるのを防いでもらいたいためだ。雨が降っても風が吹いてもお腹のせいと考えて欲しくないのだ。雨も風も低気圧のせいなのだから。
 嬉しい報告もあった。大学院で研究している方が学会で3時間も持ったという喜びの報告だ。1年間お世話しているが、勿論1年前だったらあり得ない快挙だ。それもいつも必ず陣取る一番後ろの席ではなく、中程の席で後ろに人も当然腰掛けている。本来なら最悪の状況で講演に集中できたのだから凄い。いつもなら上の空状態だったのだから、ゴールが一気に近くなった。過敏性腸症候群は現場でしか治らないと言う僕の主張も分かってくれたと思う。
 この様に過敏性腸症候群でお世話させて貰っている中で時に優秀な人がいる。僕の薬局は、ごくありふれた薬剤師がごくありふれた人をごくありふれた漢方薬材料を使って、ごくありふれた値段で、ごくありふれた会話の中で治していくのだが、彼女はこの2番目だけはずれている。ただ彼女は2週間に一度電話で状況報告をしてくれるのだが、穏やかでとても学問をしている人のようには思えない。時に知性が邪魔してあり地獄から抜け出せない人がいるが、彼女は寧ろ素朴そのものの印象が強い。大都市で暮らしながらこんな田舎の薬剤師を信用してくれる勇気に感謝。1ヶ月後は逆に彼女が学会で発表するそうだが、それも見事クリアして欲しい。こうして若い人が自分の可能性を広げることをお手伝いできるのは本当に喜びだ。もうほとんど終わっている僕が、これからの人に希望を託す、このところの僕を支えているのはそんなたわいもない喜びなのだ。


2012年11月26日(Mon)▲ページの先頭へ
憤懣
 背中が痛いのが治らないから漢方薬を作ってと言ってやって来たのだが、漢方薬を作っても帰らない。何か言いたいのだろうと思ったが、案の定、後から後から不満が出てきた。 序章は牛窓にお店が少ないってことだった。正確に言うと減ったと言うことだろう。増えているのは宿泊施設くらいで、これはホテルからペンション、民宿まで相当な数だ。これだけバラエティーに富んだ宿泊施設が揃っているのは県内でも他にないかもしれない。ただそれは住民にとっては関係ないことで、憤懣やるかたない彼が問題にしているのはごく日常の買い物のことだろう。今に始まったことでないことを今に始まって殊更問題にしたのは、二日連続で彼がひいきにしている食料品店でお釣りを間違われたかららしい。初日は20分くらいもめたらしい。二日目は向こうがすぐに謝って訂正してくれたから即解決したらしいが、さすがに連ちゃんには呆れたらしい。ただ彼が律儀なのはその後もそこのお店をひいきにしているところだが、一度口から出してスッキリしたかったのだろう。僕はそこのお店の家族を良く知っているので、どちらかの肩を持つことが出来ないから提案した。「○○さん、食料品店を開いたら。退職金をつぎ込めばいいが!」と。彼は体を折るようにして笑いながら「もうかるもんか」と言った。
息子さんはとても真面目な方で結構働き者だ。ある食べ物を造っている工場で働いているが、残業代が出ないらしい。オーナーに頼りにされているとも思えるが、家族としてはうまく利用されているととっている。オーナーの家庭内の問題を出して責め立てたから僕は提案した。「○○さん、独立して父と息子で○○屋さんをすればいいじゃない!」と。彼は体を折って笑いながら言った。「もうかるもんかと」と。
 彼の家の隣は立派な邸宅だが今空き家になっている。眺望も良くそれこそ東北や関東から逃げてきたい人には打って付けだ。「植木を庭に一杯植えて売りに出したから、その木の枝がうちまで伸びてきて困っている」と言うから「○○さん、不動産屋をして放射能から逃げてくる人を助けてあげたらいいが」と提案すると「もうかるもんか」とまたまた体を折って笑った。
 「店が少ないと嘆いても仕方ないから、○○さんが商売を始めればいいじゃないの。お店が一杯出来るよ」と言うと「もうかるもんか」と笑いながら出ていった。背中の痛みは何処に行ったんじゃあ〜


2012年11月25日(Sun)▲ページの先頭へ
人の目
 僕らの青春時代は「人の目」は寧ろ士気を高める動機付けだったような気がするが、現在の人は萎縮の動機付けのように見える。この「人の目」を巡る相談は最近とても多い。もっともそれが主なる問題点かどうかはさておいて、それに付随して起こる様々な体調不良は、問診票から時としてはみ出る。
僕は不特定多数の「人の目」はとるに足らないと思っている。見ず知らずの人間の評価などどうでもいいし、実際には見ず知らずの人間がどこにでもいるような相談者に興味や関心を示すはずがない。そんなありもしない関係性で自分を縛るのは、やはり青春期特有のナルシシズムだ。その結果の独り相撲で土俵の上に転がされたのでは、たまらない。せめて相手がいるならまだしも、架空の相手と相撲をとっても仕方がない。
 だからといってその性格が一朝一夕で治る?変わる?のは難しい。変わることが出来ればどれだけ生きるのが楽だろうと思うが、なかなかそうはいかない。「人の目」を意識して自分を律することが出来ればそれは長所にもなるが、残念なことに相談者の多くはその長所に振り回されている。
不特定多数に受け入れられるなんてあり得ない。「あの人に認められなかったら自分はもうお終いだ」なんて嘆く人に人生でそんなに出くわすはずがない。どうでもいい人のどうでもいい眼差しや物言いに付き合うほど人生はスローではない。ありもしない「人の目」より、ありもする「自分の目を」大切にして欲しい。


2012年11月24日(Sat)▲ページの先頭へ
仕事
○○さんへ
 昨日が休日だったせいか、今日は二日分くらいの方が入れ替わり立ち替わり来られます。今やっとどなたもいなくなったので遅い返事を書きます。
 偶然ですが、さっき3組の方に薬局の中で漢方薬が出来るのを待って頂きました。どなたも僕の思い入れが強かった方ばかりで、ゆっくりと話をしたいのですが、それはかないません。全員よその町からやって来て頂いているので、待ち時間だけは少なくしたいと思っています。ただほとんど僕の娘みたいな感覚で、薬以外の悩みも持ってきますから、いきおい雑談になってしまいます。その中の二人は偶然ですがパニック症状を克服してくれて、方やヘルパー、方や病院の受付事務として働いています。どちらも希望どおりの職に就きやりがいを持って毎日働いています。いわば、日常に恐怖を覚えていた方が、今や立派な職業婦人です。
 僕は彼女たちを社会の中に戻したかった。繊細な彼女たちだからこそ出来る社会貢献がいっぱいあると思っていましたから。案の定、一足先に働き始めたヘルパーの方はかなりの人気です。受付事務の方も、いずれ評価を得られると思っています。苦労したものが無駄になる訳はありませんから。僕はあなたのメールを読んで、やはりこの女性達と重ねてしまうのです。折角あなたは職業を得ているのだから、過敏性腸症候群にとって好ましい?寛大な?職場を探し続けるのではなく、貴女自身の気持ちと体を強くしてどんな職場でも働くことが出来るようになって貰いたいのです。職業を選択する条件にお腹を入れて欲しくないのです。何故なら最も苦手とするところで症状が出なくなって初めて完治したと言えるのですから。
 あなた方の世代は生きにくい時代を生きています。物と心の両方が豊かな時代ならまだしも、物を追って心を置き去りにしてしまった世代の負の遺産の中で生きているのですから。その様な社会を作ってしまったことに誰も責任をとりません。監獄の中に入れてやりたいような人達が人生を謳歌し、あなた方のような人が言われなき苦しみの中で暮らす、
僕には受け入れがたい不公平です。もっともっと早くあなたを解放できればと願わずにはおれません。
ヤマト薬局


2012年11月23日(Fri)▲ページの先頭へ
資源
 「名医達が先生と同じようなことを言っていた」と嬉しそうに教えてくれたのはどんな意図があったのだろう。県境の牛窓によく似た港町からやってくるその女性はなんだか嬉しそうだった。
その笑顔から、悪い評価ではなさそうだから安心するが、決して僕は嬉しくはない。そもそも名医とか神の手とかで修飾される人達を信頼しないし、その様に仕立てるマスコミはもっと信じない。信じないどころか最も汚い世界だと思っている。
 そんな奴らが作った番組の中で漢方薬についていくつかの体験例みたいなのが紹介され、名医達がコメントしたのだろう。そのコメントの内容が僕が日頃喋っていることと同じだったというのだ。ところが僕はもう30年、同じようなことを喋っている。今名医達がその次元のことを喋っているとしたら、30年遅れているってことだ。確かに専門分野では名医で通っているのだろうが、こと漢方の世界では初心者に近いだろう。これは僕だけの印象ではなくて日本中の漢方薬を勉強している薬剤師は等しく感じていることと思う。ただ、現在は処方せんなどで医院の経済的恩恵を被っている薬局が多いから、この様なことを口が裂けても言わないだけだ。ところがフリーの僕は口が裂けても言うのだ。何故なら、今毎日のように漢方薬を仕入れているが、仕入れるたびに値段が上がっているのだ。どんどん高くなっていると言うのが的確な表現だ。もう何年も前から危惧しているが、これでは金持ちしか漢方薬を飲めなくなる。だから保険で効きもしない漢方薬を人気取りで処方したり、ドラッグで分かりもしないのに自分で選択して欲しくないのだ。資源がこのままでは早晩枯渇してしまう。今を生きている人間が、欲望のままに資源を食いつぶして、20年後、30年後、いや出来るなら100年後に漢方薬が必要な病人を見殺しにしていいのか。見えない、想像できないが、それはもうほとんど犯罪だ。下手をしたら助かる人が助かるチャンスを失うとしたら、それは殺人に近い。
 30年結構真面目に勉強しても治癒率70%は難しい。それなのに、そうでない人達が生薬資源を無駄遣いする。金のなる木に群がる製薬企業と資本家と医者と薬剤師が自然の恵を食いつぶす。迷医の本質見えたり。


2012年11月22日(Thu)▲ページの先頭へ
潔癖
 しげしげと眺めてみるが、これが嘗て憧れの、そして手が出なかったかの有名なコーヒーかと思った。
ビンの大きさは随分大きくなったような気がした。買ったことはないから仕送りの多いやつの部屋かスーパーの棚で見ただけだろう。僕ら仕送りない組の人間はネスカフェを飲んでいた。仕送り多い組はこのゴールドブレンドを飲んでいた。コーヒー一つで生活ぶりが分かるくらい、嘗ては選択肢が少なくて単純に色分けできた。そしてその色分けは大いに現実を反映していた。
美味しいエスプレッソを作る機械があるので、我が家のコーヒーには自信があるが、そればかりも結構飽いてきた。最近はかの国の女性が国から送ってきてくれたコーヒーをくれるので、そしてそれが結構美味しいのでそれにはまっている。その影響か、妻が今日瓶に入ったインスタントコーヒーを買ってきた。それがまさにゴールドブレンドだったのだ。昔はこれは高くて飲めなかったというと、妻も同じことを言っていた。それをこんなに簡単に買えるのは、あちらの値段が昔とあまり変わらずに、こちらの収入が嘗てよりは格段に伸びたからだろうか。確か900円と妻が言っていたから、恐らく30年前とあまり値段は変わっていないのではないかと思った。当時の僕なら4日分の食費に相当する額だったと思う。
時代と共にあらゆる製品で選択肢が増えたが、肝心のこちらの選択「視」は全く進歩しないからほとんど恩恵を受けていない。むしろ選択するための労力が煩わしくて、嘗ての迷わなくてすむ状態に郷愁を覚えたりする。何もかもが分相応だったから、選択ミスで身を持ち崩す確率も少なかった。今では金を払う前にものが手に入ったり、何十年かけて払ったりも出来るから、身の程をわきまえる機会が少ない。自分が借り物を纏っていることを忘れてしまう。
 コーヒー一つでも決してあちらに足を踏み入れなかった潔癖な時代が懐かしい。


2012年11月21日(Wed)▲ページの先頭へ
卑下
○○さんへ
 いえいえ、一時の気持ちの取り乱しなど気にしないで下さい。僕なんか人生そのものを取り乱しているのですから。
 さて、あなたのように謙遜な女性を好む男性は一定の割合でいると思いますよ。そうした人に巡り会えば又あなたも心が晴れます。ただ、謙遜も過ぎれば慇懃になり、慇懃も過ぎれば単なる卑下になります。あなたが彼に対してどの程度で収まっていたのか彼の主観にかかっていますから、なんとも言えませんが、今度のことはよい経験にすればいいのではないですか。あなたが異性に対して身構えた結果がこうなのか知りませんが、以前電話で何度も話したように、男はあなたが懸念しているようなことには恐ろしく無頓着です。僕が青年だったら、一切あなたの今の状態をハンディーとは思わないでしょう。だから何をこの女性は心配して自分を卑下してしまうのだろうと思ってしまうかもしれません。謙遜は美徳ですが、卑下は相手にとっては辛いものです。人は決して常に優位に立ちたいものではありません。寧ろ対等の方が心地よいのではないでしょうか。まして恋愛で上も下もありませんから望まない上下関係を強いられたら彼も苦しかったかもしれません。仮に彼が優位に立てるとしても。
 「人を信頼し、自分を卑下せず自由に生きていくだろう。という文まで読んだ時。涙が止まらなくなっていました。 私もそう。人を信頼できず、卑下し続けた人生だなと」あなたがメールで書いてくれているこのくだりを僕は多くの人に届けたいと思っているのです。北陸から来た女性にその為に頼み込んだのです。是非あなたの経験を未だ苦しんでいる人達のために生かしてと。
 11月14日の「祝砲」と言うブログの文章を読んでいくつかの反応が届きました。その多くは北陸の方に是非治って欲しいという内容でした。みんなで主観を乗り越えてこの忌まわしいトラブルから脱出する、これが僕の願いです。あなたも結構色々なことができはじめたのですから、身の回りで起こる事象の全てをこのトラブルのせいにせず、勇気を持って生きていって欲しいと思います。
ヤマト薬局


2012年11月20日(Tue)▲ページの先頭へ
確信
 60年間薬局で人をもてなし続けてきた母にとって、迎えの車に乗り込んだときに無表情の同乗者は辛いだろう。施設までの会話のない10数分に果たして耐えられているのかどうかは分からないが、恐らく沈黙に恐怖し、とりとめもない言葉を連発しているに違いない。
 珍しく今日は車に乗り込もうとする母に、軽く会釈する男性がいた。ガラス越しだったから顔は見えなかったが、会釈をしてくれていることだけは分かった。車のドアまで見送りに行っていた妻が、「今日は恰幅のいいおじいさんが乗っていた」と言った。毎日見ている妻には珍しい光景だったのだろう。たったその事だけで話題になるのだから。なんでも革ジャンを着て、やはり母に会釈をしてくれたらしいのだ。
 しばらくして妻が大発見でもしたように「あのおじいさんは○○さんだわ。やつれていたから分からなかったけれど、きっと○○さんだわ」と言った。僕は顔を全然見ていないから答えようがなかったが、その人に関わるエピソードを思い出した。
 その人は町の有力者だからほとんどの人が知っていると思う。介護保険が出来た当時、その人の奥さんが、あんなものを利用する人間の程度が分かるみたいなことを僕に言った。制度が出来たときだから、ほとんど全容を理解できずに言った言葉なのだろうが、当時の風潮を良く表している言葉だ。まだ介護は家で家族が責任を持ってしなければならないと言うのが当たり前の時代だったのだ。だから奥さんがそう言うのは決して悪意ではなく、当然のこととしていったのだ。ところがそれから5年もしない内に、当の奥さんが介護施設に入居していることを知った。ご主人が自分で買い物に来始めたことで分かった。痴呆になったから施設に入れたと当時ご主人が教えてくれた。そして今日だ。奥さんに先立たれたご主人が介護施設の迎えの車に乗っていた。
 こういった経緯を4文字熟語でどう現すのだろう。何か的確なものがありそうだが思いつかない。ともかくあまり大きな声で批判しない方がいいかもしれない。自分自身が当事者になることだってあるのだから。まさに批判していた制度に夫婦とも救われている。
 国がやったことで評価できることをあまり思いつかないが、ことこれに関しては評価できる。現在、家庭で老人を介護しろと言われて出来る家庭がどのくらいあるだろう。人手と経済の両方の余裕があってやっとできるのではないか。その両方を満たす家庭がどのくらいあるだろう。
 毎朝母を見送りながら若干の後ろめたさがないではないが、このシステムに依存せずに日常を以前の通りに維持することは出来ない。どうせ当時僕は適当に相づちを打ったのだろうが、15年後にまさに自分が当事者になるとは思っていなかった。それだけは確信を持って言える。


2012年11月19日(Mon)▲ページの先頭へ
退廃
 昨日の話の続きのような内容だが、本当に適正な価格で土地を譲って頂いたので、僕も適正な価格で譲ろうと思う。と言うのは母の住んでいる家の敷地が70坪ほどあるのだが、母の後にそこに住む兄弟はいない。古いまま放置すれば町の景観に申し訳ないし、壊して更地にしておくのも意味がない。古民家が好きな人ならそのまま賃貸でもいいし、古民家が邪魔な人なら壊して更地にして自由に新築してもいい。選択肢はいくつか考えられるだろうが有効に使って欲しい。 牛窓にはこんな使われない家や土地がいっぱいある。東北や関東から放射能を避けて西に移動したい人は一杯いて、災害が特に少ない岡山県が人気なのだそうだが、牛窓は海岸に沿って延びる温暖な土地だから、北の国の人達には保養地みたいなものだろう。その上、3町合併して出来た瀬戸内市の中でも、市に対してクレーマーが一番少ない、いやいない穏やかな人が住む町という評価も高い。
 都会の人にはびっくりするような安い値段で土地は手に入る。穏やかな人達だから近隣の人とのもめ事も起こりにくい。と言うよりむしろ飾らない、少々照れ気味の親切に出会うことがしばしばだろう。
 皆さんも色んな媒体を通じて知っているだろうが、福島の若い女性が甲状腺癌の疑いがあると診断された。早速かの悪名高い医大は原発事故との因果関係はないだろうなどとコメントしている。共犯者のマスコミは当然その様に伝える。チェルノブイリより早く影響は出ると予想している良心的な学者は多い。その予想どおりの進行の幕開けかもしれない。政治家や役人や企業や学者に、騙されて傷つけられて捨てられてはいけない。被害者になるために生まれてきたのではない。命を守りいつか反撃にでなければ家畜のような人生で終わってしまう。
 温暖な地でゆっくりとした生活のリズムを刻み、特別大きな幸運も掴まず、特別大きな不幸にも出会わず人は暮らしいずれ朽ちていく。地球からすればほんの瞬きのような人間の一生で何を後生大事に抱えておく必要があるだろう。意味のない所有は退廃だ。


2012年11月18日(Sun)▲ページの先頭へ
仲間入り
 両手を合わせてくれたが、こちらが合わせたいくらいだ。
昼に散歩することは滅多にないが、余りにも手持ちぶさただったので珍しく歩いた。途中である方に出会ったのだが、その女性が「この度はお世話になりました」と礼を言ってくれたので、「僕の方こそ有り難かったです」と答えたときの仕草が冒頭の手を合わせる仕草だったのだ。
田舎の老人はいつまでも車の運転をする。行き交う車が少ないこともあるが、交通手段がバス以外にはないので、どうしても車は必需品になるのだ。だから恐ろしいくらい免許を手放さない。どうして事故がこんなに起こらないのか不思議だが、町内の制限時速を低く抑えているのが功を奏しているのかもしれない。
 僕の薬局は知っている人も多いと思うが、薬局の前に3台分の道路と直角の駐車スペースがある。薬局に用事がある人のほとんどは一部の用心深い人を除いて、頭から入り、お尻から出ていく。自然と言えば自然だが、出ていくときにお尻から出ると片側一車線だから、走行中の車とどうしても接近してしまう。案外見通しがいいから皆さん余裕を持って出て行っているように見えるが、時にニアミスや急ブレーキが必要な事態も起こりうる。運良く今まで30年間で一度だけの些細な事故ですんでいるが、これからの保証はない。もっともっと高齢の方が日常的に車を運転してやって来そうだから、又最近遠くから来られる人が増えて、その中にはかなりの高齢の方もいるから、頭から入って頭から出ていけるような駐車場があったらいいなと漠然と考えていた。
 そんな時に目の前にある家のことを思いついた。持ち主の方は近所に立派な家を持たれていて、もう何十年も空き家状態だが、他にも土地を沢山持たれているようで、殊更処分する必要はなさそうに見えたから、土地を売ってくれるようなことはあり得ないと勝手に決めつけていた。ところが、最近老人のニアミスを目撃してしまったために、急がないと不幸なことが起こりうると思い勇気を出してお願いしてみた。すると僕の危惧を十分理解してくれ、適正な、本当に良心的な値段で譲ってもらえることになった。買い物を済ませた方が車で道路に出、うまく流れに乗るまで気になっていた日常のストレスからこれでかなり解放されることになる。
譲ってもらえることになった土地は100坪以上あるからかなり広い。何の造作も加えない単なる空き地にしておけば、頭から入って、優に中で旋回して頭から出られるだろう。
言葉でわざとらしいもてなしは苦手だから、この程度でお年寄りに優しい薬局の仲間入りをさせて貰おう。


2012年11月17日(Sat)▲ページの先頭へ
訛り
 東北でもない、九州でもない、沖縄でもない、勿論岡山でもない。何処の訛りがかかっているのだろうと思ったら、中国の人だった。それにしてもその程度の誤解を与えそうなのだから見事な日本語だ。どのくらい日本に住んでいるのか分からないが、大したものだ。多くの国の人達と知り合う機会が日本の何処にいても増えたので、彼らの日本語の上達能力に驚かされることがしばしばだ。僕など9年間も英語を勉強してさっぱり喋れないし聞き取れないのだから、ほとんど無駄だったと言える。
中国の人に漢方薬の注文を受けるのだから、何となくくすぐったい。もっとも柔道は今や外国のものになってしまいそうなのだから、漢方薬が日本の方が優れていると声を大にして言ってもいいのだが。ただ病気を治す話になるとさすがに僕の方が当然プロなのだが、こと養生法については、興味深いことを色々教えてくれた。まだ日本には伝わっていない土着の健康法が多かったから面白かった。
 恐らく日本で相当努力してその成果を積み上げている人なのだろう、とても謙遜で、ニュースで伝えられるかの国の人物像とはかなり違う。こうした個人での交流を一気に壊してしまう国という訳の分からない概念が衝突している。国と言っても所詮一部の政治家や役人の思いつきにしか過ぎないのだが、その思いつきで国民を生かしもし殺しもする。あほくさい話だ。
 そう言った何様かと思う品のない奴らがこれからテレビや新聞に登場する。一瞬でも顔を見たくないからリモコンを手から放せられない。煽られて下々が対立したら思うつぼだ。檻の中に入るべき奴らが再び大手を振って歩き出すのかと思うとやりきれない。訛りに訛って真心を尽くす、そんな不器用さしか信用できない。


2012年11月16日(Fri)▲ページの先頭へ
仕事
 「仕事が楽しいと思ったのは今回が初めて」と言いながら顔は緊張していた。本来なら喜色満面で報告してくれてもいいのだろうが、持って生まれた几帳面さか責任感か知らないが、夢だった職に就けても又緊張している。もっともそれが彼女の最大の長所だから、体調を崩さないように頑張って欲しい。
 やりたかった仕事で、信頼され、チームワークがよければ彼女のような評価が口から出るだろう。ただ世の中でどのくらいの割合でやりたい仕事に就けているのだろう。仕事は生きていく糧を得るためと割り切っている人も多いだろう。アフターファイブや週末に自分を取り戻すことで、仕事に耐えている人も多いのだろう。
 仕事で信頼されるにはかなりの時間を要する。その時間を上司や雇用主が耐えてくれる保証はない。理不尽な要求がまかり通っているらしいから、余程タフでないと、評価を得るまで持たない。それを見越して採用するところがあるくらい今は悪意に満ちた時代だから、これ又余程タフでないと続かない。
 自分が生き残るのに必死だから、仲間のことなど構ってはいられない。連帯は分断の前で如何にもひ弱だし、シュプレヒコールのあげ方すら知らない。なんとも守りに弱くなったものだ。
 若者は、いや若者に限ったことではない、一体どのくらいの人が将来に希望を持っているのだろう。将来は明るいなどと疑うことなく信じることが出来る人が一体どのくらいの割合でいるのだろう。やたら保守回帰が叫ばれるが、その輩に後ろめたさはない。弱肉強食が一段と進むだろう。抵抗は受容だが反撃は破壊だ。


2012年11月15日(Thu)▲ページの先頭へ
 苗字と名前それぞれに金という字を持っている珍しい女性。70歳を越えているから元々は、名前の方の一字だけだったのが結婚して二つ揃ったのだろう。こういった苗字に出会って、物珍しそうにしたら相手に失礼だ。特に金なんて言葉が二つも並ぶと下品な印象を持つ。だから僕はその女性に言った。「余程お金が好きなんですね?」と。
 余りにもストレートすぎて、以来3年くらい毎月必ず一度はやってくる関係になった。ある慢性病で進行性のものなのだが、3年の間全く進行していない。病院の血液検査のデータは、3年前とほとんど変わりない。寧ろ見た目などは随分と元気になってくれた。
 その女性が息子さんの相談をしてくれた。ストレートをカーブのように投げるのが僕の特徴なのだが、僕の癖が分かってくれて信頼してくれているのだろう。ところが息子さんに出した薬を見てその女性が見覚えがあると言った。少しの間考えていたが、すぐに思いだしてその薬局の名前を教えてくれた。「昔、○○さんに勧められたことがあります。こちらでも勧められるのだから余程いいのでしょうね」岡山市内の方だから本来的には僕の所は遠い。僕の薬局を知らなくて当然の方なのだが、数年前から突然にやってきてくれるようになった。その方が口から出した薬局の名前は、僕がお世話をさせて貰っている漢方の勉強会の先輩だ。先輩と言うより恩人と言ってもいい人で、素晴らしい勉強会に入会することを許してくれた人だ。亡くなってもう随分経つが、未だ僕を助けてくれている。
 この様なケースは本当にまれで、嘗て利用していた所(薬局、病院、ドラッグ)の悪評の方が圧倒的に多い。投資したお金や時間や労力に見合う効果が得られなければ、誰だって否定的になるだろう。肯定を得るにはこの仕事はなかなか難しいと僕も肝に銘じている。
名前に金を二つ重なる人にあやかって、仕事で金をたまには取りたいものだ。


2012年11月14日(Wed)▲ページの先頭へ
祝砲
 北陸地方からやって来た女性が我が家にやってきて初めての朝を迎え、3階から2階のリビングに降りて来るなり出た言葉は「どうでした?臭くなかったですか?」だった。僕はその真意をすぐに理解することは出来なかった。
田舎の特権かもしれないが、地代が安いためどの家もおしなべて大きい。我が家も分不相応の大きな建物で、鉄筋コンクリートで出来ていて強固で広い。まして3階建てで3階で寝ていた彼女のおなら(ガス漏れ症状)が階下に、それも階段を駆け下り充満するわけがない。ところが「寝ると臭いがきつくて建物に充満する」という病気でずっと苦しんでいたというのだ。もう3年半漢方薬を飲んでもらっていたのに、そんな悩みを抱えているとは知らなかった。ごくありふれたガス漏れ症状で引きこもっていただけかと思っていた。引きこもりから脱出できて仕事に行けるようになっていたのだが、職場での人間関係にしばしば躓き、職に長く留まることが出来ない程度だと思っていた。だからこの初めての告白には驚いた。この女性はこんなことで、いやこんなに深い、そして滅多にない珍しい(僕にとっては3人目)悩みを抱えていたのかと驚いた。そして彼女の深刻さを表す言葉が続いて出た。「朝、学校に行く小学生が通りの向こうで臭いと言っていたと思うんですけど、臭ってたんでしょうね」だ。通りの向こうと言えば、彼女が寝ていた部屋からは30メートルはあると思う。列をなして登校している子供達が口にしたというのだ。その距離を歩く子供の声が聞こえるのもあり得ないし、勿論僕の家族が夜間異臭を感じたこともない。「何もなかったよ」と素直に答えると彼女は「本当ですか、良かった」と言って涙を流した。
 彼女は、眠ると臭いがきつくなることで悩んでいて、1時間しかその夜眠らなかったらしいのだ。夜間階下でモコ(ミニチュアダックス)が吠えたのも自分の臭いが原因だと思って余計眠れなかったらしい。実際は僕の布団に入って寝るモコを蹴ってしまったのだが、その事を教えると、納得していた。
実は今回僕は敢えて彼女を招いたのだ。理由は僕の全くの好奇心からだ。3年半前から彼女に漢方薬を送っているが、彼女は連絡は必ず電話でしてくる。と言うことは3年半の間、僕達は電話でやりとりしているわけだ。北陸訛りか、彼女の個性か分からないが、独特のゆっくりした、甘えたような話し方に魅力を感じ、一体どんな人だろうと常に想像をふくらませていた。何度か誘っていたのだが、いざ僕を訪ねようとすると、決断が鈍ることを繰り返してやっとその気になってくれたのだが、実際会ってみると僕が思い描いていた女性像ではなかった。かつて、あるトラブルでお世話していた元全日本のバスケットボールの女性そっくりの体型をしていた。華奢で女々しいではなく、寧ろ健康そのものと言う第一印象だった。
 その後の雑談みたいな問診みたいな会話を経て、勿論目で見させてもらった印象を含めて、彼女の新たな処方がすぐに頭に浮かんだ。今まで飲んでもらっていたのは一応社会に出ることには成功した処方だが、これからは完治を目指した処方が作れると感じた。そして、夜寝ようとすると動悸がして苦しくなることも知った。夜間のガス漏れ恐怖症はその症状でも増長されているのではないかと考えた。お腹の不快感も常に感じているらしいから、まず内臓の動きを正常にする煎じ薬、肝っ玉を強くする粉薬、横になると途端に始まる動悸の薬の3つを作った。持参していた以前の薬は止めるように指示した。
新しい処方の煎じ薬を飲んだその日に「この薬いいかも」と彼女が突然に言った。いつも不快な感覚をお腹に感じていたのが、その日から急激に減ったらしいのだ。そしてその夜は2時間くらい眠れたらしい。勿論朝起きてすぐ「昨日の夜は臭いはどうでした?」と尋ねられたから「何もなかったよ」と答えた。3日目の朝も同じ質問をされたが、その頃から僕は意図的に朝の空気を大きく吸い込んで彼女に報告してあげようとしていた。「気持ちのいい朝の空気だったよ」と教えてあげた。朝の空気を大きく吸い込むと本当に気持ちがいいことを知った。テレビでそんなシーンは目撃するが実際にしてみたことはなかった。4日目から彼女はその質問をしなくなった。寝ようと布団に入ると必ず始まる動悸も4日目から消え以来彼女は毎夜爆睡するようになった。これで「寝るとホテル中私のガス漏れで異臭がし、騒ぎになる」と言う症状が完治した。自分の家でも異臭がし、車の中で夜を過ごしていた過去の彼女がその日から消えた。
 残るは狭い空間や沢山の人との接触だが、これはかの国の若い女性達の協力で解決した。日曜日の朝、何故か彼女が教会に興味があると言ったので妻がかの国の女性達と一緒に教会に連れて行った。恐らく他の信者さん達と同じように振る舞ったのだろうが、ミサの後の自己紹介も堂々とみんなの前でこなしていたと妻から、報告を受けた。その後僕は3人と合流して倉敷観光に行ったのだが、何年もの間、そうした楽しみを封印していた彼女が楽しんでくれていることが強く伝わってきた。北陸に帰ったら仕事につく前に旅行をしてみたいと言っていたことが、彼女の回復ぶりを饒舌に現していた。だってホテルに泊まることなど出来なかったのだから。
 倉敷の後は再び玉野教会に帰り、フィリピンから来ていた高校生達の歓迎パーティーに出席した。すき焼きを食べ、楽しい時間を彼女も過ごしてくれた。こんなに沢山の人と知り合ったことは今までにないと昨夜話してくれたが、日曜日だけでもかなりの人達と彼女は何ら臆することなく語り合っていた。お喋り好きなんだと認識を新たにした日でもあった。
 前回自転車で京都からやって来た青年をやさしく包んでくれた薬剤師の存在も今回大きかった。独特の間合いで会話する水曜日だけの薬剤師だが、今回も彼女の話をじっくりと聞いてくれていた。自分も多くの不調を経験しているからか、同じ目線で話が出来るみたいで、僕がいない方がいい空気を二人で醸し出していた。
 そう言えば今回初登場の人物がいる。陶芸の修行をしている青年が、彼女を焼き物体験に連れていってくれた。自分が修行している工房で、土代だけ払えば焼き物が作れるのだそうだ。わざわざ車で連れに来てくれて、又送ってきてくれた。初体験のことだったが、彼女は作品を4点作ったそうで、とても楽しかったと、又自分の作品が焼き上がって北陸に送ってきてくれる日を楽しみにしていると言っていた。
 前回の自転車青年がやって来たときから娘が積極的に自分の過去の過敏性腸症候群の体験を語るようになった。体験者だから患者としての苦悩を理解できるし、又牛窓に帰ってきてからは、治す立場としての体験も沢山積んできた。過敏性腸症候群の医療者として最も適している彼女が積極的に語りかけることで、完治へのスピードは上がるみたいだ。
 こうした人達のおかげでほぼ彼女は完治した。もうこの数日体の話題が出なくなったのだ。そうすると日頃逃れられなかった体のなんとも言えぬだるさもなくなったみたいで、ごまかしで服用した鎮痛薬もいらなくなったらしい。体が軽い、なんとも当たり前の話だが、なかなかこれを手にすることは難しい。水泳、バレーボール、バスケットと本来はスポーツ少女だったのだから、「元気で当たり前」の状態が復活する可能性を伺わせた。進学校で挫折して過敏性腸症候群を発症したらしいのだが、スポーツの道に進んでいたらこんなことで青春を失うこともなかっただろうと、あるいは15年前に僕を見つけてくれたらと残念でならない。
一杯仕事を変えた・・イコール、一杯仕事を経験したってことだ。事実彼女はとてもよく手伝ってくれて、家族全員が助けられた。事務的なことや、漢方薬を作るときの下準備や、 出来上がりを発送するときの手際などもとても良かったし、覚えも早かった。彼女の長年のコンプレックスが、覚えが悪い、理解力がない、仕事が遅い等だというのだからそれは納得できない。あまりの助かりように、娘はずっと牛窓にいて我が家で働いてくれたらと希望を言っていた。
 今日の昼食はいつものようにテレビニュースを見ながら一人で食べた。そして食べ終わるやいなやそそくさと階段を下りてきた。この10日間、食事の度に彼女がいてまるで娘のように会話していたから、若干、空の巣症候群だが、彼女が我が家から荷物を持って出ていくときに寂しくはなかった。それは彼女の生活が一変することが分かっていたから。今まで苦しめられていた症状が全部消え、人を信頼し、自分を卑下せず、自由に生きていくだろうことが予見できたから。そしてその事に僕らがチームとして貢献できたから。家賃もいらない、遊ぶお金もいらない、調度品はない方がいい、食事は質素、そんな田舎の薬局だから出来るお世話が、精神的な未発達などと彼女を診断している医院に優ることを証明した瞬間だ。僅か何分間で診断し投薬することが、10日間一緒に暮らしてみて分かる真実に太刀打ちできるはずがない。安易な診断で未来ある若者を病人にはして欲しくない。彼女のエピソードに「凄い、凄い」を連発する僕は、統合失調症に使う薬が必要な理由はついぞ見あたらなかった。
 これだけ生きてくれば多くの若者の中に光るものを見つける術は鍛えられる。感動の連続がどうして人を病人に仕立てられるだろう。安易に病人にしたり病人になったりして、失うことの多さにどちらももっと真剣に立ち向かうべきだ。失わさせても、失ってもいけない。そんな思いを強くした10日間だった。
 この時期珍しい深夜の雷鳴は、彼女への天からの祝砲だったのだろうか。


2012年11月13日(Tue)▲ページの先頭へ
貢献
 一気に書き上げるほど文章力もないし、体力もないし、時間もないから、今日の出来事に限って書く。ただ明日は、北陸の女性に許可を貰ったから、彼女がどの様な苦しみで生きづらかったのか、そしてどの様にして牛窓に滞在している間に「今のところ完治した」のか書きたいと思う。重症の過敏性腸症候群で苦しんでいる人は明日のブログを読んで欲しいと思う。
昼前にかの国の女性が二人やって来た。日曜日に一緒に玉野教会に行ったり、倉敷観光をした北陸の女性にお別れの挨拶をするためだ。薬局で話をした後3人で2階に上がって行ったが、しばらくして食事だと呼んでくれた。実は3人で昼食を作ってくれたのだ。僕を含めて4人で食卓を囲み、楽しい時間を過ごした。いつもなら箸を置くとすぐに降りて仕事にかかるのだが、今日はゆっくりと話に加わることが出来た。日曜日に知り合ったばかりとは思えないくらい話が弾んだのは、やはりかの国の女性の底抜けの明るさと、長年の病気?からほとんど解放された女性の意外とお喋り好きのせいだと思う。
 こうした明るくて和やかな空気が僕の家に溢れるとは誰が想像できただろう。職業柄いつも緊張して、心を完全に解放することが下手な僕が、まるで一度に娘が3人増えたかのように喜んでいる。僕が彼女たちから得ているものを何かで測ることは出来ないけれど、それは僕があまり経験し得なかった趣を異にする特別な贈り物のような気がする。ただひたすらに目の前に現れる人達を、確率というものと戦いながら長年お世話してきた褒美に違いない。決してそのようなものを求めたのではないが、気がついてみると底抜けにお喋りに花を咲かせ喜び合う若い女性達がいた。
 かの国の女性達は、明日北陸に帰っていく女性に国から送ってきてくれたコーヒーやお菓子をお土産にことづけてくれた。貴重なものに女性も感激していた。果たしてこの様に無上の親近感を示してくれる友人が彼女にこの10年以上の間いただろうか。帰国したら是非かの国を訪ねてきてと言う友情が芽生えただろうか。目の前で繰り広げられる光景はひょっとしたら今年一番の僕にとっての贈り物なのかもしれない。
 仕事に行くために2時頃帰っていった二人だが、出口で振り返り両手でガッツポーズをしながら「○○さん、ゲンキデスネ」と笑顔を残してくれた。北陸の女性が今回完治した?陰の、いや僕ら家族以上の貢献者の二人に心から感謝。


2012年11月12日(Mon)▲ページの先頭へ
付加価値
 付加価値と言えば何かつけなければならないもの、つければ評価が上がるものと通説では考えられているだろう。1のものが、付加価値をつけることによって2にも3にもなる。ただそれだけのことならいいが、値段もそれにつれて2倍にも3倍にもなる。究極的にはそれを目的にしているのだろうが、その意図を露わにしないのがいわゆる付加価値と見た。 ところが僕の薬局はどうだ。付加価値を徹底的に剥ぎ落とし、シンプルこの上ない。不要の演出はまずないから、いや出来ないから、素のままだ。薬の効果が出るかどうかだけを問題にしているから、とってつけた癒しもない。効果が出ないのに、いい人だなんて言われたくないから、いい人の振りもしない。悪い人でない自信があるから、それ以上脚色はしない。
もう1週間我が家にいる北陸の女性には、全くの素を見せている。僕を含めた家族全員は勿論、薬局の内部事情まで丸見えだ。3度の食事は一緒に食べているし、仕事中は事務所で僕らの仕事を手伝ってくれているから、薬局の光景も丸見えだ。何も隠さないから恐らく見るもの聞くもの初めてのことばかりで、ちょっとしたその道のツウになっているかもしれない。
僕も僕の家族もとても彼女を尊敬している。一人の個性ある、有能な女性が仮初めのスタッフとして一緒に働いている。それ以上でもそれ以下でもない。何も劣ることがない一人の女性が、僕らと同じ時間を刻む。縁が深まった日々が、過去の自分との縁を切る。そうした喜びにとってつけた付加価値など必要もない。むしろ足を引っ張るだけだ。
 まるで冗談を言いながら治す。まるで冗談を言いながら治る。僕が理想とするところだ。付加価値など入り込む余地は全くない。とんでもない付加価値こそ真の「不可」価値だ。


2012年11月11日(Sun)▲ページの先頭へ
大原美術館
 最近の過敏性腸症候群の完治ストーリーはこうだ。
牛窓を自由に散策して貰う。特に夕日百景に選ばれている夕日を眺める。自分の煎じ薬を作ってみる。漢方薬の勉強に来ている優しい女性薬剤師に打ち明けてみる。娘の体験談や克服した経緯を聞く。フェリーに乗って四国の高松にかの国の女性達と行き、ショッピングをしたり有名なうどんを食べる。こうすれば何故か治る。
 ところがあいにく予定していた今日の高松行きは波浪注意報で取りやめた。大切な人をあずかっているのに危険に会わせることは出来ないし、それよりも荒れた海で船酔いしてしまいそうだ。そこで考えたのが若者に人気のある倉敷に連れて行ってあげることだ。雨が少し降っていたが傘さえあれば雨降りの風情も又いいのではないかと思ったのだ。北陸の女性は勿論かの国の女性も初めてだから喜んでくれると思った。
 案の定、観光地として整備されている街並みに北陸の女性は感心していたし、かの国の女性達は、遅れ遅れするほど景色や街並みを堪能していた。限られている時間の中で僕がどうしても案内したかったのは月並みだがやはり大原美術館だ。今まで数組の人を案内してきたが、訪れる度の「絵が分からない」状態から、「絵が分かる」状態になりたいと言う自分の欲求もある。
正直今日も「絵が分からない」状態で帰ってきたのだが、モネかマネか知らないが、エルグレコかエルグリコか知らないが、どうも名前ばかりに目がいってしまう。肝心の絵に対しては情けないけれど「上手」位の感想しかないのだ。やはり大原美術館では、偶然同じペースで鑑賞していた見ず知らずのベレー帽姿の女性のように、あごを出し口をすぼめて色合いがどうのとか、筆遣いがどうのとか独り言を言わなければならないのだ。
ただかの国の女性は、特に若い方は、最初裸の絵を茶化していたが、そのうち真剣に見入るようになった。彼女の短時間の変化に驚いた。若い感性が何かを捕まえたのだろうか。それだけで今日は良しと思った。
 いやいやそれだけではない。北陸の女性は、狭い車での移動にほとんど動じなかったし、有名なうどん店や柳が雨に濡れる水路を眺めながらの茶店でのコーヒーも(外食)、何年来のことと言いながら楽しんでくれた。是非彼女の同意をとって克服した症状を後日報告したいと思っている。同じ症状で苦しんでいる人にとてつもない希望の光をもたらしてくれると思うから。今まで800人近く過敏性腸症候群の人を世話してきたが、彼女の苦悩はあまり例がなかったので。
 ジンクスに頼るまでもなくすでに彼女は完治に近いだろう。とても出来た女性で裏方の仕事をとてもよく手伝ってくれる。娘はずっといて欲しいと言っている。それだけ家族中が助かっている。もし彼女が完治しなければ本当に留まるように提案しようと思っていたが、今の状態では寧ろその提案が彼女のこれからを邪魔してしまいそうだ。家に帰ったら、消去法でなく、自分のやりたいことを主に仕事を探すと言っていたから。
 今日はとても心地よい休日を過ごさせて貰った。こうした弛緩した時間が僕の心身の歪みを最も修復してくれる。


2012年11月10日(Sat)▲ページの先頭へ
極端
 「皆さんもしてみえると思いますが、煎じ薬を花の鉢におくと弱った苗が本当に元気になります。貰ったさし木のバラに、つぼみが出てきましたし、夏枯れしそうになったゼラニウムがオレンジの花を付け始めました。またできるだけ部屋をきれいにして、この冬を乗り切りたいと思います。」
 僕より少し若い方だと思うが、その方に頂いたメールの一部だ。このメールを読んですぐ浮かんだ言葉が「愛でる」という単語だ。普段使ったことがない言葉だが、何故か頭に浮かんだ。この言葉はもちろんそうだが、その方の書いて下さっている文章で表現された情景は恥ずかしながら僕の生活の中には一切ない。   
僕はバラは分かるが、ゼラニウムと言うのは分からない。語感から放射性物質の名前のようだが、勿論そんなものではなく綺麗な花なのだろう。その方の庭に咲くのか、ベランダに咲くのか、部屋の中に咲くのか分からないが、まさにまだ見ぬ女性が愛おしそうに花たちを愛でている光景が目に浮かぶのだ。
学生時代は遊び一色。田舎に帰ってからは仕事のみ。どうも僕には極端しかなく、ほどほどというのが欠けている。勉強も遊びも仕事も趣味も、どれも全開か怠惰の極みかのどちらかだ。気力体力が衰えていくこれからもそんな極端が出来るのかどうか分からないが、怠惰の極みを全開にすることだけは避けたいと思う。


2012年11月09日(Fri)▲ページの先頭へ
画期的
 「私にとっては画期的かも」これは褒め言葉なのか、はたまた単なる感動表現なのか。
 大したご馳走は出来ないが、折角牛窓に来たのだから瀬戸内の魚を食べさせてあげようと、妻は魚屋さんに通っている。北陸の海の幸が豊かなところから来た女性に、瀬戸内海の魚が太刀打ちできるのか自信はないが、それでも美味しい美味しいと言って毎日食べてくれるのでこちらも嬉しくなる。
 昨夜は生きのいいシャコが売られていたらしくて夕食に大きなお皿に沢山載っていた。我が家ではもてなしによく使うのだが、北陸の女性もさすがにシャコをあるがままの姿で見たのは初めてらしくて、食べ方を説明しても何となくそのグロテスクぶりに圧倒されて恐る恐る口を付けていた。ところが一口食べるやその美味しさに驚いたみたいで、冒頭の画期的発言が出たのだ。田舎にある割にはモダンな薬局だとか、漢方を良く作る薬剤師の割にはハンサムだとか、漢方薬をこんなに沢山の人が今の時代に利用するのかとか、画期的という単語を使うチャンスは多いと思うのだが、使われた対象がシャコなのだ。もてなしだから喜んでくれたのは嬉しいが、せめて僕のあか抜けた身なりとかに使ってくれたら、接待に拍車がかかるのだが。
この女性は我が家に泊まってこそ完治する条件が整うことが分かった。そしてその成果が目に見えて現れている。完全に解放されて帰って欲しいが、次回会うときは画期的な彼女の変身をみたい。


2012年11月08日(Thu)▲ページの先頭へ
勇敢
 帰化した人だからあまり素性は知らない。ただ日本人でも滅多に行くことが出来ない大学院を卒業し、日本人でも手にするのが難しい肩書きを持っているから相当の才能の持ち主だと思う。自然派志向だから良く漢方薬を利用してくれる。外国の人でも日本人と同じように作れば効くのだと勉強させて貰っている。
何の話から進展したのか忘れたが、僕の学生時代の話になった。あれだけ飲んでくれているのだから、恐らく僕を信用してくれているのだろうが、僕は僕で素性を語ったこともないから、お互いがベールの向こうだ。ただ彼のベールは結構透けて見えるところもあり、聞こえてくる実績は凄い。僕のどうでもいいようなベールは、薄汚く汚れてしまって、僕が学生時代ドイツ語を始めありとあらゆるもので欠点を重ね、特に生薬などちんぷんかんぷん、いやそれ以前のブロッキングで悩んでいたことなどを喋った。授業は出るものではなく、抜けるものだと自供したし、教科書を読むのが学生ではなく、パチンコの玉の弾き方を読むのが学生だと言ったし、4年生大学でももっと丁寧に年数をかけて卒業したことも喋った。僕の嘗てのごくありふれた日常は、真面目で優秀な彼にとってはほとんど武勇伝のように思えるらしくて、たわいもない話のほとんどが大受けした。
 コーヒーが美味しい国から来ている彼をもてなすのはいつも勿論コーヒーだ。いつもコーヒーを飲みながら雑談し、漢方薬を持って帰っていく。その日は珍しく奥さんが一緒に来ていて、僕と彼の話を静かに聞いていた。そしてレジをすませるとやにわに奥さんが言った。「私にも漢方薬を作ってもらえますか?」と。「今の話を聞いていて僕の漢方薬を飲むの?」と答えると、ご主人と二人でえらく受けて笑っていた。あの赤裸々な話を聞いて僕の漢方薬が飲めるとは勇敢な人だ。


2012年11月07日(Wed)▲ページの先頭へ
貯金
 こんな感謝のされ方もあるのかと思った。
僕は余程体調不良がない限り、痩せ薬なるものを作ったりしない。漢方薬を駆使すればかなりその目的を達することが出来るが、外見だけの為にその様な漢方薬を飲んでもらうことは出来ない。えてして外見だけの為に飲もうという人は、本来的に移り気で努力などしない人が多いから、断っておけば裏切られることはない。その方が圧倒的にこちらの精神状態にはいい。又時に飲む気もないのに尋ねる人がいる。そう言った人との会話は、全く時間の無駄だからしないことにしている。
 この男性がそのどれに当たっていたかは定かでない。ただ、「あの時先生が体には貯金があった方がいいと言われたけれど本当じゃった。あの後すぐに大腸癌の手術をして今はこの通りまともになった」と言った。なるほど以前見たときより随分とスリムになり、ほとんど中肉中背になっている。以前は大酒のせいでビヤ樽みたいなお腹をしていたが、今は人並みだ。
 その言葉を聞いて僕はほっとしている。まるで断り文句のように繰り返してきた言葉だから、もうカビが生えているのだが、それ以上に説得力のある言い回しを知らない。まるで知識や技術がないようにとられるかもしれないことを覚悟の言い回しだが、人の体を使って商売はしたくない。脅し商法や神懸かり商法で体の中を薬の処分場にする輩は多いが、家賃ゼロ、小遣いゼロで暮らしている僕には縁遠い。正直を通せる地域性や利用してくださる人達の人柄にとても感謝する。


2012年11月06日(Tue)▲ページの先頭へ
 こんなことなら早く直しておけば良かった。いやそれ以上、今日のささやかだが価値ある感動にもっと早く出会っていればよかった。
かの国の女性が通勤に使う自転車が壊れたので貸してくださいと数週間前に頼み込んできた。当然我が家の自転車を使ってもらえばいいのだが、我が家の自転車は数年空気を入れてもすぐに抜けてしまう状態だった。何かが壊れているのだろうが、使うことがないので放ったらかしにしていた。何を頼まれても全てかなえてあげていたのだが、こればかりは急にはどうにもならなかった。
 この経験でいずれ直しておこうと思っていたのだが、それこそ使う予定がないので再びずるずると放置していた。ところが昨日から我が家に泊まっている北陸の女性が、牛窓を散策したいというので、急遽自転車屋さんに運んで直してもらうことにした。町内で最後に一軒だけ残っている自転車屋さんには、昔から働いている職人さんがいる。店を訪ねると案の定店主ではなくその職人さんが居間から出てきた。もう随分長い間見ていないから、老けて小さくなっていることに、その「長い間」を再確認さされた。もう80歳は過ぎているのかもしれない。
 何となく頼りないが「どうしたの?」と開口一番質問されたので、自転車の具合を簡単に説明した。僕は仕事中だったので宜しくお願いしますとだけ言って、修理が終わったら電話をくれるようにお願いしておいた。ところが帰って20分もしない内に直ったと連絡があった。早速自転車をひきとりに行くと、料金が驚くことに200円だった。僕はいくらくらいで直るのか分からなかったので、1万円札を用意していったのだが、小銭入れの中のものですんだ。「200円でいいんですか?」と尋ねた僕に「チューブが腐っていた」と教えてくれたのだが、その時の表情は、嘗て僕らが少年の頃にお世話になっていたときの自信に満ちた表情を彷彿させた。腕のいい職人さんという評価が高かったが、素人の僕は今日当時と同じ印象をもった。
 なんでもその職人さんは身寄りがなくて、そこの店主が引き取ってお世話をしているという話だ。美談として地域の人はみんな知っている。どこかの施設に入るのではなく、まさに自分の仕事場で毎日暮らすことが出来るのは幸せだろうと思った。店主との絆を想像する。職人さんが毎日生き生きと暮らすことが出来るように、みんな自転車の修理を依頼してあげるといいななどと考えていたらなんだか涙腺が緩んできた。
 箱の中に閉じこめられ、とってつけたような押しつけのサービスに、自尊心が傷ついているのを隠しながら、手を合わせる屈辱を多くの老人が味わっているが、あの職人さんにはまだ腕がある。あっと言わせる腕がある。経済を超越している腕がある。自尊心を捨てなくてすむ腕がある。


2012年11月05日(Mon)▲ページの先頭へ
命題
 許可を頂いたので・・・

 お世話になっています。娘はおかげさまで、二日間風邪で休みましたが、そのほかは順調です。学校が楽しいらしく、寝る前に「早く学校、行きたい」なんて言います。私は嬉しさを少しこらえて「早く寝れば早く明日になるから、もう寝なさい」という感じです。
昨日も、天ぷらのあとにヨーグルトを食べてしまったら下痢してしまいましたが、今朝はもう大丈夫でした。ちょっと気を抜くとやはりお腹は弱いですが、治りが早くなっています。最近、寒くなってなかなか水分を取りにくく、一日二回しか飲めていませんが、歯車が良いほうへ動き出したみたいなのでもうしばらく続けていきたいと思っています。心と身体はひとつなんだなあ・・・と実感しています。
 とりあえず、感謝と報告でした。

 今メールを読んで妻と一緒に喜びました。そこでお願いですが、今頂いたメールの内容は何処にも個人を特定できる内容は含まれていません。もしよろしければ、僕のブログに載させてもらえませんでしょうか。特に・・・学校が楽しいらしく、寝る前に「早く学校、行きたい」なんて言います。 私は嬉しさを少しこらえて「早く寝れば早く明日になるから、もう寝なさい」という感じです。・・・この部分を全国の同じ悩みで苦しんでいる親子に読んで頂きたいと思うのです。「まるで夢のような現実」を再び手に入れることが出来る希望をどなたにも持って頂きたいと思うのです。僕が自分に課しているのは「落ちこぼれる人がいないようにみんなで治る」という命題なのです。もし載させてもいいと判断されましたら返事を下さい。
ヤマト薬局


2012年11月04日(Sun)▲ページの先頭へ
休日
 僕の薬局を利用してくれる人は本当に優しい。僕が結構休みなしで働いていたから(いやではなく働くことはとても好きなのだが)多くの人がたまには休んだらと言ってくれた。そう言った声に押されて少しずつ休みを増やして去年くらいから祭日も正式に休みにしている。休んだからと言ってすることはなく、どちらかというとそれで逆に落ち着かないのだが、耐えて耐えて休みにしている。悲しい性で働いているときが一番気持ちも充実しているし、体調も良い。
昨日の文化の日も何ら予定がなく、どうして時間を潰そうかと悩んでいたら、朝の8時20分に電話があり、アトピーの漢方薬を作ってくれと頼まれた。初めての方だったから、薬局を開けて待っていたら、薬局が開いているのを見つけて?いや確信を持って色々な人がやってきた。通りすがりのちょっとした買い物の方もいたが、そのほとんどは、結構深刻な悩みの人が多くて、数人は詳しく問診して漢方薬を作った。又、娘夫婦が作っているあかぎれや肌荒れ、水虫薬、わきがの薬などを市外から3組が取りに来た。噂で聞いたらしく、それぞれがそれぞれのものを取りに来たが、もし僕が根性で薬局を閉めていたら、小一時間かけてやって来たのが無駄になっているから、このときは朝、薬局を開けてと言って電話をしてきた人に感謝した。あの朝一のうったてがないと恐らく昨日は耐えて薬局を開けていなかったと思うから。
昨日来た方の中に絶対この人は昔、僕に休むように助言してくれたよなって人がいた。息子さんの風邪がこじれて、何か良い薬をと言ってこられたのだが、まるで僕がその日も薬局を開けているかのように自然にやってきた。本来なら電話で開けてと言ってくると思うのだが、なんの連絡もなくやって来たから。
結局日没まで薬局を開けていて30人近く応対した。もし僕が昨日薬局を開けていなかったら一体この人達はどうしていたのだろうと、遠くから来た人など不愉快な気持ちで帰って行くだろうと考えると、やはり休むのは精神的には良くないのかなと思ったりした。休日は、いっそのことすぐには帰って来れない遠出などが落ち着いたりするから、イベントあさりでもした方がいいのかと思ったりもした。
とにかく僕の薬局を利用してくれる人は優しい。休めと言って、休みの日に来る。


2012年11月03日(Sat)▲ページの先頭へ
打率
 もう何度か書いたが、これから何度も書かなければならないかもしれないが、これで最後にして欲しいが、と書いてくるといくつもの候補があることに気がついた。これからどの様に話を展開しても良いわけだが、日曜日を明日に控えているからついこの話題になってしまう。
 必要なもの以外はほとんど買い物をしない僕だから、店員に不愉快な応対をされるとその1日が打率10割の被害者になってしまう。明日もそんな僕が買い物をする所は決まっていて、ほとんど毎週例外はない。
 朝はまず町内のコンビニで母の昼ご飯を買う。ここが最大の関門で、折角の日曜日の始まりを打率10割で不愉快なものに変えられる。相手の目も見ない、聞こえるか聞こえないかの小さな声でマニュアル通りのフレーズ、投げるように置く釣り銭、全く心のない挨拶。どれを取っても不愉快な典型で、少しでもそれを補うような温もりはどこにもない。とくに僕が行く日曜日のその時間帯は高校生のアルバイトらしくて、レベルの低さは町の恥にでもなりそうだ。余程人材がいないのか、知らないうちに恐らく客を沢山逃がしていると思う。こうした子がいずれどこかの正社員にでもなるのかというと恐らくそれはかなり難しいだろう。他者に少しでも喜んで貰うなんて発想は皆無なのだから。
岡山で用事を済ませて帰り道に必ず寄るのがホームセンターだ。その前に時々大手の電気店にも寄る。そのどちらでも必ず言われるのが「カードをお持ちですか?」だ。普通の商店だったら僕がそんなものを持つ人間でないことはすぐに覚えてもらえるが、量販店だったらそれは期待できない。毎回毎回「いいです」と僕にとっては全く無用の言動を迫られる。その短い言葉が面倒なのではない。自分たちの都合を押しつけないでと言うことなのだ。用事を済ませたらあっと言う間に店から出たい僕だから、客を固定化させるための手段を営業目的に僕に押しつけて欲しくないのだ。
最近の僕のこうした不愉快から逃れる手段は、なるべく年配の女性が詰めているレジに並ぶことだ。少しでも世間の波にもまれていたら、少しでも助けたり助けられたりした経験があれば、もてなす術の少しは知っていると思うから。
 個人商店の消滅と比例して、ぶっきらぼうがまかり通る。何が便利か知らないが、人間どおしの交流まで無機質な合理主義が支配してしまった。


2012年11月02日(Fri)▲ページの先頭へ
ハギン
 僕らは「ハギン」と呼ぶがこれはどうやら共通語ではなさそうだ。先日備前市の日生に住む方が「ハギを一杯お父さんが釣ってきたから食べてください」と言って釣りたての立派なのを沢山持ってきてくれた。このハギはどうやら共通語に近そうだが、今インターネットで調べてみると「カワハギ」が正式名称みたいだ。 
 牛窓も漁港だから、その上海づたいなら日生までは少しの距離だから、魚は同じようなものだが、頂いたハギは大きくてとても美味しかった。どうしてこんなに味が違うのだろうと考えながら食べたくらいだ。鮮魚店に並べられる時間がないぶん、より新鮮だったのだろうか。
 頂いた頃はその日生では何も起こってはいなかった。ところが最近ニュースの常連になっているあの忌まわしい事件が発覚してから、ふとあの魚は何処で釣ったのだろうと気になっていた。あの事件が起きてからやたらその辺りの人が薬局に、陸路なら30分はかかるのだが、やってくるような気がしているが、今日まさにその魚を下さった人が漢方薬を取りに来た。
 まずはハギが美味しかった報告と勿論お礼を言ったのだが、一番聞きたい内容を次に尋ねた。「ところであのハギは何処で釣ったの?」と。すると相手はもう質問の意味が分かっていたみたいで船で沖に出て釣ったと教えてくれた。岸壁からあんなに沢山釣れるはずがないから勿論僕も分かっていたのだが、気にする人は気にするみたいで、以来魚を口にしていない人もいる。
おまけに主犯の女は日生のB級グルメが好きだったみたいでしばしば「カキオコ」を食べにやってきたみたいだ。人間の命を奪ってよく食事がとれるなと思うが、何が欠如すればあそこまで出来るのか僕には分からない。
とんでもないことに巻き込まれてその町は今、7機のヘリコブターが同時に空を舞い、騒音がうるさくて住民もおちおち仕事が手に着かないらしい。そう言った状況を「上の空」と言う。


2012年11月01日(Thu)▲ページの先頭へ
オリーブ園
 もう20年くらいはゆうに登っていないから、頂上辺りがどの様に様変わりしているのか分からないが、頂上から見える瀬戸内海の風景は昔と同じだろう。手前に牛窓のいくつかの島があり、四国との間にも又いくつかの島がある。この配置は変わり様がない。目をつむれば容易に昔何度も見た風景が浮かぶ。ただそれはあくまで昼の景色だ。わざわざ夜に登る理由はないから、夜の眺望は知らない。
地元と言うよりまさに麓で暮らす僕が、オリーブ園から見える夜の光景を東京からやって来た人に教えられた。目を輝かせて話してくれた女性の高揚感に、そんなに素晴らしいのかと、まるでよその土地の話のように聞こえた。
 まずその女性が感激したのは、はるか瀬戸内海を渡ったところに位置する香川県の県庁所在地、高松市の夜景だ。牛窓からだとかなりの距離があると思うが、それでもかなり明るく、そして綺麗に見えるのだそうだ。そして次の感動は、その夜景までの真っ黒の海を月の光が渡っているというのだ。その女性は月の道ができていると表現した。なんてロマンチックな表現だろうと思ったが、恐らくその言葉が自然に沸いてくるような月の輝く夜だったのだろう。
 7時を廻った時間だったが、これから家に帰り幼い二人の子供を連れて海水浴場に行ってみると言っていた。大都会の喧噪しか知らなかった子供達に夜の海に映る月を見せてやりたかったのだろう。お子さんの健康のためか、放射能を恐れてか、はたまた他の理由で牛窓に来たのか知らないが、土着の人間以上にこの町を楽しんでいる。


   


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