栄町ヤマト薬局 - 2012/01

漢方薬局の日常の出来事




2012年01月31日(Tue)▲ページの先頭へ
餌食
 遠く雪国で、お墓の管理小屋で暖を取っていた人達が、一酸化炭素中毒で亡くなったり意識不明になっていると言うニュースを聞いて、僕はすぐに放射能がまき散らされた所で未だ暮らす人々のことを思った。一酸化炭素は無色で無臭だ。触ることも出来ない、見ることも出来ない、臭えない、味わえない。五感でその存在を感じ取ることは出来ない。もうろうとした意識の中で、ひょっとしたら悔恨の念でその存在を推定できるのが落ちだろう。余程神経を研ぎ澄ましても、誰もその脅威からは逃れることは出来ない。
 なんて似ているのだろうと思った。あの放射能に。違いは、一酸化炭素はあっという間に勝負をつけるが、放射能は時間差攻撃だ。毎日少しずつ細胞の中の遺伝子を破壊し、体内にあってはならないものを作り続ける。やがてそれが増殖し身体を破壊していく。
 誰もがそうだが、存在を感知できないものに関して人は無頓着だ。恐ろしいものといくら説明されても、目の前に存在を気づかされない限り、恐ろしいとは思えない。だからこの史上最凶の物質をばらまいた奴らも、その心理を利用してのうのうと暮らしておれるのだ。何ら気にしない人達のいつもと変わらない風景に、あいつらは安堵しているだろう。やがてやってくる恐怖の光景も、時間差だからとんでもない理屈をつけて責任を回避するだろう。過去の公害事件と同じ構造だ。人の良い人達が又泣かされるのも見えている。
 どこかの町が「帰村宣言」を行うと言う。まるで破滅へと向かって行進している映画の中のシーンのようだ。平時に良いリーダーを選んでいなかったツケをこの国の至るところで払わされているように見える。もう幾年生きておれるか分からないような老人達の強欲の餌食に、東の人も西の人もならないように気をつけて欲しい。


2012年01月30日(Mon)▲ページの先頭へ
別物
 似て非なるものだと思った。今まで30年近く漢方薬を勉強してきたが、同じ生薬を扱っても、中医学というものと僕らが業としている漢方は別物だった。
 舌を診て処方を決めていくのだから、医師に向いていると思った。医師が中心の勉強会だったのだが、こんなに沢山の人が熱心に勉強しているのだと、従来の見方を変えた。今まではお宅っぽい医師がのめり込んでいるのだろうくらいに思っていたが、恐らくすそ野は着実に広がっていて、かの有名なツムラの講演会だったらもっともっと多くの医師が参加しているのではないか。小さい会社主催の講演会でもあのくらい参加者が多かったのだから。
 最近はほとんど勉強会に出ないから良く分からないが、漢方薬を学ぼうとしている人数は圧倒的に医師の方が薬剤師より多くて、質も高く上達も早いだろう。僕らが勉強している時代はほとんど薬剤師の独壇場だったからとても楽しく仕事が出来たが、恐らくこれからは、現代薬同様、医師の処方箋に基づいて薬剤師が調剤だけすることになるだろう。おまけに昔ながらの薬局はどんどん閉めていて、医院は逆に増えているのだから、どう見ても多勢に無勢だ。この分野でも下請けが始まる。
 息子に講演会を聴いてみたらと案内していたが、出席していなかった。忙しいのもあろうが、興味もないのだろう。若い医師らしき人も結構いたから、同じように学んでくれればと思ったが、今彼を動かす動機は存在しないのだろう。薬局で対応できる疾患は医師の領域から言えば恐らく幼稚なものだろう。薬剤師には出来ないが医師にはその幼稚から高度な領域まで扱える。中医学が僕が学んでいる漢方薬より優っているのかどうかは分からないが、中医学を学んでいる「人」は断然「僕」より優っている。それも数段。圧倒的な医師の質の高さが先か、生薬が枯渇するのが先か分からないが、どちらにしても漢方薬局などと言うものはほとんど存在しなくなるだろう。


2012年01月29日(Sun)▲ページの先頭へ
アグネスラム
 およそ35年ぶりだ。浦島太郎までは行かないが、その変貌ぶりには驚いた。いちいち上げればきりがないが、一言で言えば浦島太郎に居場所はなかった。
僕が入っていった時、若い制服姿の男性が深いおじきと共に「いらっしゃいませ」と挨拶をしてくれた。他の店員にもすれ違うたびに挨拶をされた。昔なら入ってすぐに沢山の台が迫っていたが、今日通りすがりに入ったところは充分すぎるくらい、言い方を変えれば、がらんとしているくらい玄関にスペースを取っていた。僕はお目当てのトイレを借りたのだが、とても綺麗で清潔で、ここも又とても広くて、水も石鹸も、手を乾かすことさえ全て器機に触れずに自動的に行われた。午後から参加した漢方の講演会場のホテルより余程贅沢なトイレだった。
 当時よりずいぶんと清潔になり、店員も若くて礼儀正しかったし、制服姿の女性店員の姿で、どこに入ってきたかと一瞬惑うくらいだった。ただ難点が二つあった。その為にここにはとても長く留まれないと思った。青春時代の6年間、毎日数時間入り浸っていたのが嘘のようだ。嘗ては流行歌が音量一杯で流されていただけなのだが、そこでは、機械の音かはたまた効果音か知らないが、音楽などとても聞こえないような音で溢れていた。とても心地よいなどとは思えなかったし、闘争心を煽られるようなものでもなかった。多くの先客達は何事もなく熱中しているが、僕にはただただ不愉快な騒音でしかなかった。
 もう一つは機械そのものだ。一面光っているのだ。ぎんぎらぎんに光り輝いている。ぎんぎらぎんが何百台も勢揃いしている光景は目がくらみそうで、不快感を感じた。腕に覚えがある僕にとっては、釘こそ命なのに、ほとんど釘など見えなかった。銀や青に光る背景に僕ら青春時代のアイドルのアグネスラムが微笑みかけていた。あの光をじっと見続けることはとても出来ないと思った
目的を達して改めて見てみると、駐車場には立派な車が一杯だ。当時柳が瀬の薄暗いアーケードをくぐって、皆が授業を受けている時間からタバコをくわえて玉の行方を目で追っていた胡散臭い学生など一人もいない。昼の日中から一体どんな人間がしているのだろうと、自分のことは棚に上げていた自分以外の身持ちの悪そうなおじさんやおばさんもいない。当時そこしか行き場がなかった人が今はどこに行っているのか知らないが、胡散臭そうな人間が集まるところではなくなったみたいだ。
 トイレだけ借りたのがばれないように、店内をゆっくりと一周した僕こそが、若くて礼儀正しかった店員達には胡散臭かっただろう。


2012年01月28日(Sat)▲ページの先頭へ
旧正月
 律儀な方もおられるもので、数日前、薬局に入って来られるやいなや「明けましておめでとうございます」と言われた。まさか20日以上すぎてそんな挨拶をされるとは思っていないから、ほとんど不意打ち状態だ。だからとっさに返す言葉に迷ってしまう。明けまして20日以上も仕事をしているので、今更おめでたくもなんともないからおめでとうとは言えない。そこで僕の口から出たのは「中国か、春慶節か」だった。
この女性とは別に昨日も一人の中年女性が「明けましておめでとうございます」と言って入ってきた。良く薬局を利用してくれる人だから「えっ、今年に入ってまだ会っていなかったの?」と今度は嫌みなく答えることが出来た。ただ今回もこの時期になって今更「おめでとうございます」なんて言えなかったから、体裁を取り繕って「ベトナムか、テト攻勢か」と答えた。僕と同年輩の女性だが僕の言っていることが分からなかったらしくて、「体調が良かったので来なくてすんだんです」と真面目に答えた。
 二人とも年が明けてから初めて会ったから、あの挨拶をしてくれたのだと思うが、毎日緊張を強いられて戦いモード全開の僕には、正月をいつまでも引きずってはおれない。だから僕の頭には、あの挨拶を聞いたとき旧正月のイメージしか浮かばなかったのだ。古風な人がいて、旧正月をまだ死守しているのかと思ったのだ。かの国の若い女性達が日本の正月に関して全く無頓着だったのも頭の隅にあった。旧正月以外の正月は彼女らにはないのだ。
 いつの間にか消えた旧正月をまだ知っている僕だが、実際の所は盆も正月もない生活を送ってきた。 


2012年01月27日(Fri)▲ページの先頭へ
ウシガマヤゴム
 岡山県南もインフルエンザが流行りだしたみたいで、ある女性が数日間、お孫さんのお世話をしたらしい。世話と言ってもそのお孫さんは、クラス閉鎖になったから外出を禁じられて家から出られずにストレスを溜めていただけらしい。何をさせようか毎日が大変だったそうだ。「子供も可哀相に、あんな状態を昔からウシガマヤゴムって言うんでしょうね」と言った。その女性は岡山市の方だが、牛窓に近い岡山市だから、そんなに牛窓と言葉は違わない。だが「ウシガマヤゴム?」とそのまま聞き返さないといけないくらい分からなかった。どういう意味か想像も出来なかったのだ。「昔から言うでしょう、ウシガマヤゴムって。マヤは馬屋のことで、今で言うストレスがたまってイライラするってことでしょうなあ」「そうか、マヤ、ウマヤ、馬屋、馬小屋のことですね、その中でイライラ動き回るってことですか?」何となく分かったがどうもしっくり行かない。「でも、何で馬小屋で牛なんでしょうね」と素朴な疑問を投げかけると、「そう言われるとそうですな、何ででしょうね、まあ昔からそう言われているからそれでいいんじゃろうけど」と何らこだわりなく簡単に答えを出してしまった。
 僕はその女性が使った言葉が果たして共通語なのかどうか気になったので、広辞苑で調べてみた。すると残念ながら載っていなかった。だとすると方言なのだろう。それもこの年齢になって初めて聞く言葉だから、かなり狭い地域での表現なのだろう。
 こんな話をしている間に、娘夫婦が彼女のために、脳梗塞予防、インフルエンザ予防、膝関節痛の漢方薬を作ってくれた。たわいもない会話を交わすだけで健康になって貰える。これも1年ぶりに散髪して僕に品が出たからだろうか。


2012年01月26日(Thu)▲ページの先頭へ
硬貨
 会計の時、出された硬貨が冷たい。近所の人だから何かの都合で、遠回りして歩いてきたのかと思った。時々冷たい硬貨に接することがあるが、ほとんどは外で働いていた人や、遠くを歩いてきたり自転車やバイクで来た人ばかりだ。
「どこかへ行っていたの?」と尋ねると、「いいや、仕事から帰って家にずっといた」と答えた。この硬貨の冷たさだと戸外にいたのと違わないのではと、もう一度感触を確かめる。暖房費を節約しなければならない経済状態でもないし、逆に倹約を美徳とするような人でもない。一人暮らしだから単なるずぼらなのか、あるいはアルコールという名の強力な助っ人を楽しんでいるのか、どちらにしてもこの数日の寒さをしのぐには心許ない。 ある時から次第に彼の家族が減って来た。自然の摂理で減った部分もあるが、人間関係をうまく保つことが出来ずに減った部分もある。結局はひとりぼっちになったのだが、現代は寧ろその方が気楽に快適に暮らせれることも多い。彼も又外見からはその様に見える。その事に関して良いこととか悪いこととかの判断は最早入り込む余地はない。それこそ時代の流れで、他者が評価することは出来ない。まさに個人の自由なのだ。
 「又寒い家に帰っていきますわ」と珍しく冗談めいた言葉を残して帰っていったが、硬貨の冷たさで見破られた孤独の照れ笑いのようにも見えた。


2012年01月25日(Wed)▲ページの先頭へ
雪花
 今朝、この冬初めての氷が張った。と言っても、なにぶん温暖な地だから、今日が最初で最後かもしれないのだが。昼には雪が横殴りに降り出した。これもこの冬初めてのことで、最初で最後かもしれない。この地方独特の表現か共通語か知らないが、薬局にやってきた老人が「雪花が散っている」と表現した。雪が降っているをこんなに美しく表現できるのは日本人だけだろうか。それとも多くの国の人達がそれぞれ表現を競っているのだろうか。
パソコン画面を見ていた娘が思わず吹き出した。薬局に送られてくる情報に目を通していたみたいだ。ある有力な雑誌のホームページに連載されているカリスマ薬剤師の連載ものを偶然目にしていたらしい。娘が笑ったのは、逆流性食道炎の患者を漢方薬で2ヶ月で治したって言う記事で、誇らしげに処方まで載っていた。超有名なホテルの中にあるその薬局は、相談するだけで僕らの漢方薬の1ヶ月分くらいを相談料としての名目でお金をもらい、その上漢方薬は僕らの3倍くらいの値段だ。執筆、講演と大活躍だから、さながらこの世界ではカリスマという称号もまんざら誇張ではない。
 娘が笑ったのは、2日前に彼女が相談を受け処方した逆流性食道炎の患者さんが、翌日にはもうお礼の電話をしてきて下さったことと比較してのことだろう。病院に数ヶ月かかっているが、深夜12時を過ぎると必ず喉のあたりが焼けるようになって目が覚め、夜明けまで気持ちが悪くてムカムカし、熟睡できなくて困っているという相談だった。娘はたしか2週間分作って渡していたと思うが、その夜から劇的に効果があって、喉の不快感はゼロ、目も覚めずに朝まで熟睡だったらしい。
 僕の傍で一緒に働き、2年間くらい僕の先生の治療を毎土曜日傍で見させてもらっただけで、この程度の力を蓄えた。誰も殊更娘を尊敬などしていないだろう。若くて心優しい女性薬剤師くらいにしか思っていない。それでもこんなことが出来る。ごくごく普通のどこにでもある薬局の何処にでもいる薬剤師でもこの程度のことは出来る。虚飾を纏い咲き誇ることは出来ないが、せめて雪を雪花くらいには言ってもらえるかもしれない。
 


2012年01月24日(Tue)▲ページの先頭へ
無茶
 そんなことが実際にあるのか、出来るのかと思うが、嘘を言うような子ではないから、事実なのだろう。その為には作っていないが、偶然飲んでもらっている漢方薬がそちらの方面にも役に立っているのだろう。
僕はコックさんの世界を全く知らない。そもそも男性が料理に興味を持つところから想像できないくらいの人間だから、その世界はまるで地球の裏側だ。でもこの1年くらいある若いコックさんをお世話しているから、少しだけ知識を得た。でも今日の「この1週間毎日1時間位しか寝ていない」と言うのには参った。本来ならお世話している病気がそれで一気に悪化しそうなものだが、寧ろ良くなっている。それに今にも瞼でも閉じそうになればいいのに、結構爽快そうな顔をしている。遠くから車を運転してやってくるが、居眠り運転の不安もないのだろう。
 どうしてそんな無茶をしているのと尋ねると、さぼったからと、自分を責めている。何をどうさぼったのか知らないが、何か遊びのために時間を費やしたのではない。努力不足で能率が悪かったという意味だ。将来の夢があるのだろうか、その働きぶりは目を見はるものがあったから、この労働条件でも何ら不満は述べない。寧ろ自分を責めている。過酷な労働を寧ろ楽しんでいるようにさえ見える。ただそれを可能にする体力、気力に感心する。嘗て僕にも必ず同じ世代があったのだが、今の彼のようなことが当時出来たようには思えない。努力は苦手だったが不平不満は得意だった。体力はなかったが時間だけはあった。活力も勝力も渇力も克力もない、ないない尽くしの青年だった。
 何かを得ると言うより、何かを失っていくと言う方が何となくしっくり行く僕の土俵にその青年はいない。


2012年01月23日(Mon)▲ページの先頭へ
葉書
 葉書には格好良くギターを抱えている姿がモノクロで写っている。歌手の名前を聞いてすぐに誰だかわかった。昔、薬局の2階でライブをしたことがある九州出身の歌手だ。もう何十年たったのか分からないが、ああ、あの時の青年が今こんなになっているんだと感慨深かった。彼より少しだけ年上の僕が、今こうなっているのだから自然の摂理は誰にでも公平にはたらいているものだ。
 2月にライブを行いますとその葉書を持ってきてくれたのは、牛窓でカフェを開いている人だ。面識はないが、その人の知り合いが僕の知り合いだと言うことで、コンサートを聴きに来てくれるように僕の知り合いに連絡して欲しいとのことだった。嘗てその歌手が牛窓で世話になったと言うことで、連絡を頼んだらしいのだが、当時僕も知り合いも彼に良い印象は持っていなかったと記憶している。でも勿論それは若いときの印象だから、その後どれだけ人間的に成長しているか僕らには分からない。案内の葉書には、Peaceful Feeling Tourとタイトルが付けられ、福島県を拠点に活躍していると説明が付けられていた。よりによって福島県まで流れていっていたのかと言うのが僕の印象だが、そこの県に住んでいたからこそ唄える歌が彼には今あるのかもしれない。
 そのカフェは自転車でも行けそうなところにある。今にも倒れそうな家を借りて、僕の友人が牛窓に流れてきた頃借りていて、若かった僕は毎晩のように遊びに行っていた。よそから流れてきた人が集まるボロ屋だった。そこが今、小さな文化の発信地になっているみたいだが、この町の風情にとても同化している。異質の同化だからこその魅力でわざわざ遠くから訪ねてきてくれる人がいるのだろう。
 そうしたところで、ブルースっぽい弾き語りが聴けるなんて、当時の僕だったら、胸躍らせるだろう。ところが今日の僕のクールさには、嘗ての片鱗はない。聴きたいと思わないのだ。年と共に感受性や好奇心が衰えたことを差し引いても、聴きたいという欲求が起こらない理由が、葉書で案内を受けている最中に分かった。僕には、唄の限界が分かりすぎるくらい分かるのだ。文章や演劇やその他の芸術に於いても、毎日無垢で無脚色の多くの名もなき作品そのものと接し続けて30年が、邪魔してしまうのだ。僕の薬局が田舎にあるが故か分からないが、都市部から来てくれた人でさえ心を開いて多くを語ってくれるから、何万もの生き様そのものの作品を見続けて来れた。それらの生き様を数分の唄で越えられるとは思わないのだ。作品へと昇華させた感性に胸打たれることは勿論今の僕にもあるが、知識も経験も乏しかった当時の僕とは違う。何重にも書き潰した跡に走らされる筆の感激は、白紙のキャンパスに大胆な筆を走らされる感激には、数倍も数十倍も及ばないのだ。僕はそれに無意識のうちに気がついていた。だから自然にそれらのものと遠ざかって来れたのだと思う。
 色々な芸術や文学に触れなければ、心豊かに生きることは出来ないのかもしれないが、もし芸術以上のものが、日々の生活の中で営まれているとしたら、そうした前提に縛られる必要はないと思う。それだけ普通の人が暮らす田舎が僕にとっては愛おしいのだ。


2012年01月22日(Sun)▲ページの先頭へ
別人
 結局はその詩を、その人には見せなかった。
 まさか米原出身の人が、僕の薬局に来てくれているとは思わなかった。お嬢さんの皮膚病から始まって今はご本人の世話をしているが、10年くらいは通って来ていると思う。出身地の話をするほど親しくはないが、と言うよりおよそ薬局で出身地の話など滅多にしない。1年に1人くらい話題になることもあるが、それはほとんど強烈な訛り故で、元々その辺りまで僕の興味は広がらない。
 この女性に、ある理由でカルシウムを多く含んだ食事を摂るように指導した。すると岡山市内から来ている人には珍しく「私は小魚が好きだから、良くカルシウムは摂っているはずです」と言う返事が返ってきた。街に住んでいる人はどちらかというと魚を食べる機会は少ない。食べても外用を泳ぐ魚の切り身が多い。だからこの方のように小魚が好きなどと言うのはかなりまれなのだ。驚いている僕に言葉を続けた。「私は琵琶湖の傍で育ったから、アユをよく食べていたんです」彼女はそこまでしか言わなかったのだが、珍しく僕がそれ以上を尋ねた。「琵琶湖の傍ってどこなの?滋賀県?京都?」と。この地理感のなさにもっと絞って答えなければならないと思ったのか「米原です」と答えた。一気にローカルな答えになったが、新幹線が止まるから誰にでも分かると思ったのだろう。「米原か、米原か・・・」と何度もくり返したから、何をそんなに感激しているのかと思っただろう。
 学生時代、牛窓に帰るときに、いや大学に行くときも、必ず中継駅として降り立ち、ホームで電車を待っていたことを彼女に話した。ある年、雪で電車が止まったときに一気に浮かんで書き留めた詩に、アパートに着いてからメロディーをつけ、その後数年多くの人の前で歌った。詩にしたためた光景を、僕は今でも鮮明に覚えている。米原というほとんど日常耳にしない言葉で一気にあの頃に気持ちが戻って、パソコンに書き写しているあの詩を開き、目の前で米原出身の人に読んでもらおうと思った。しかし、そこで僕は躊躇った。その詩を読んだ僕と、今彼女の前で漢方薬を投与している僕とはほとんど別人なのだ。一番の違いは、当時の感性のかけらも残っていないってことだ。そんな僕が、米原を詠んだものを探し出して見せても何ら訴える力はないだろうと思った。それよりも重篤な病気を抱えて、それでも気丈に明るく暮らしているその人の今と明日をより快適にすることの方が、圧倒的に大切で意味のあることだと思ったのだ。僕のセンチメンタルな想いなど薬局の中で何の意味もないと思った。
 まるで不自然だったかもしれないが、話題を急に変えて、いつもの田舎薬剤師に戻った。ふと聞こえた懐かしい言葉に、心を乱された自分が恥ずかしかった。


2012年01月21日(Sat)▲ページの先頭へ
先人
 世界的に有名な大学の留学経験が華麗な経歴の中でも一際光っている。僕など足元にも及ばないし、ほとんど後光が差している。花の都の大東京で実費による漢方診療を行っていたはずなのだが、いつの間にか他県の勤務医になっていた。とは言っても偉い人には間違いなく、そこでの肩書きも凄い。講演には多くの薬剤師が集まり、その実績や知識の片鱗にひれ伏すのだろう。漢方の世界にもこうしたカリスマ医師が時々いるみたいで、余りにも高尚なので、保険治療などと言う俗人の世界を超越して実費で勝負するみたいだ。保険診療で庶民を相手にしなくても、健康にはいくらでも投資する階層を相手していれば良かったのだろう。花の都はそうした大金持ちが多いからうって付けだ。他にも同じような話を聞いた。
 ただ、それも又バブルだったとしたらこうした転身もあり得るのかなと、げすの勘ぐりで勝手に溜飲を降ろしている。田舎の立地と言うだけで致命傷なのに、肩書きも、知識も、オーラもない、ないないづくしでその上に現金勝負。保険の援軍などあるわけがない。住人が少ないから、効かないなんて噂は命取りになる。懸命にハンディーと戦ってここまで来た。
 よせばいいのに、又一つ製薬会社が漢方薬に手を出すという。これ以上生薬を浪費したら、それこそかの階層の人しか、かのカリスマ医師レベルしか漢方薬を飲んだり作ったり出来なくなる。漢方薬だと馬鹿にされた時代を耐え抜いて伝承してきた先人薬剤師達の努力がいとも簡単に横取りされる。強いものが勝つのはまだ耐えられるが、強いものだけが治るのは受け入れられない。


2012年01月20日(Fri)▲ページの先頭へ
円卓
 朝開いたメールに以下の文章を見つけて、とても気持ちよく1日を始めることが出来た。確率の仕事をしているから、この様な結果ばかりが届くはずはないが、届くメールの7割がこの種のものであるように、知識や経験を蓄え続けなければならない。
 会ったことはないが、一人の若い女性が、自分の行動を規制して暮らしてきたことにたいして、つくづくもったいないと感じる。文章から感じられる人柄にも好感が持てるから、実際の生活でも、気配りを盛んにして自分を押し出すことを躊躇っているように感じる。この様な人こそ、多くの人と接して、世間に傷つけ合わない関係を醸造してくれたらと願う。僕は単に田舎で漢方薬を作ることしかできないが、自信を取り戻してくれた人達が、社会の無数の関係性の中で実りある交通をしてくれたらと思う。

ヤマト薬局様
 こんばんは。薬がなくなったので、また処方をお願いします。
 最近、調子がとてもよくガス漏れの生活を忘れつつあります。1月になってから、何回か会社で食事会があり、円卓に座る機会があったのですが、ガス漏れが気にならずに楽しく過ごすことができました。先月も、先々月も同じお店で同じメンバーで居たのに漏れなかったのだから、今日も大丈夫!と思って過ごしました。結果本当に大丈夫だったので、また1つ自信がつきました。それから毎日会社で、朝出勤後にバナナうんちが出ます。家ではまだ出ないのですが、出勤して着替えて、席に座るころにはうんちがおりてくる?感じで、とっても元気なうんちが出ています。なんというか、スカーっとすっきりした朝を過ごせます(笑)今は、70%くらい回復したように思います。完治まで先が見えるところまで来ているのでこれからもがんばります^_^最近、お腹が気にならなくなってきたおかげで、いろいろな目標もできました。ガス漏れが気になっていたころは無理と思っていましたが、もう少し良くなってきたら車の免許を取りに教習所に通いたいです。知らない人と密室で近距離に座って授業を受けたり車に乗るなんていうのは、今の私ではまだ少し怖くて、教習所に通う様子を考えただけでまた暗いトンネルに連れ戻されそうな不安が芽生えます・・・でももっと良くなってきたら、そんなの気にならないで通えるようになると思います。目標にむけて、もっと治していきたいです。これからもまた宜しくお願いします。(*^。^*)毎日乾燥して寒いので、お体に気を付けてお過ごしください。ではまた(^_^)/


2012年01月19日(Thu)▲ページの先頭へ
常識
真顔で驚かれたから驚いた。一瞬言葉の行き違いかと思ったが、パソコン画面のユーチューブの映像を見ながらだったから、間違いはないだろう。その時の二人はまるで落とし穴に落ちたような迂闊ぶりを照れていた。
 「えっ、ニホン ワニイナイデスカ?」「あたりまえじゃろ、ワニなんているもんか」「ソレデハ、ニホン ゾウイマスカ?」「いるもんか、像が普通にいたら恐いわ」何の拍子かこんな会話をした。彼女たちにとっては、ワニや象はいて当たり前の存在なのだ。
 常識も所変われば非常識になる。このギャップが面白くて海外に出かける人も多いだろう。言葉が通じればどのくらい楽しい時間を過ごせるかと思うが、意志の疎通の困難さを乗り越える真摯さが又新鮮なのかもしれない。もし意志が自由に疎通できると、逆に新鮮さを失い、どこにでもいる若い女性と、どこにでもいるおじさんになってしまうのかもしれない。
「ワタシ、コレアル」とある光景を映している場面で一人の女性が言った。これとは船のことで、かの国ではすなわち家のことなのだ。目の前にいる女性が、テレビの特集で見たかの国の水の上の生活者だってことも新鮮だった。一人は国に帰ったら以前勤めていたカナダの貿易会社に又勤めると言い、一人は勉強して海外旅行の添乗員になると言っている。数年日本で働けば学資が得られるのだろう。かの国の人は「ベンキョウ」と言う言葉をよく使う。いやいやさされたと言うような印象しか持てないその言葉が、彼女らの口から発せられたときは希望を伴っているように感じるから不思議なものだ。
 初めて口に合うものを作って持ってきてくれた。マメで出来ていると教えてくれたお菓子はスイートポテトによく似た味と食感だった。これならのぞき込むように「オイシカッタデスカ?」と尋ねられても顔が硬直しないだろう。「美味しかったよ」と硬直した顔で答えても「アリガトウゴザイマス」と頭を下げられる後ろめたさは、漢方薬が効かなかったときに優るとも劣らない。
 異国の地で懸命に生きる若者にいつものように幸あれと祈る。


2012年01月18日(Wed)▲ページの先頭へ
警鐘
 ノーカットというふれ込みが面白くて何の先入観なしにそのインタビューを見た。インターネットだけで見られたのか、それともテレビでも見られたのか知らないが、途中1、2度、吹き出すほど面白かった。
総じて痛快だった。報道陣に媚びることもなく、まして小心を隠すために大都会で君臨しているが如く振る舞う余命がしれている老人をこき下ろすところは、他の誰も出来なかったことだ。秘めた正義感か、失うものが少ないせいか、この国を危うくしているもの、巣くうものにたいしての痛烈なあの姿勢の悪さがなんとも言えない。
 恩師が彼の受賞を喜んでいると記者が述べると「それは嘘でしょう、学校では先生に嫌われていたから」の下りに至っては、正直とか事実とか、もう一度それらを大切にしろよって言う逆説のように思えた。体勢になびいて、無意識のうちにありとあらゆる不条理に荷担してきたこの国の人達に対する警鐘のようにも見えた。どうせマスコミは商品にしようと色々な都合の良い色を付けるだろうが、あの映像のスタンスを維持して欲しい。多くのそれらしき人達が、あっという間にその通りに変身していったのを見ているから、期待するほど無邪気ではないのだが。
 力を持っている奴にすり寄らないことさえ心がければ、判断に迷うことは少ない。心卑しく生きていくことさえ避ければ、人を傷つけることも少ない。多くのものを求めなければ、自由に生きれる。人を利用しなければ人生は楽しい。誰に教わったものではないが、逆でなくて良かった。恐怖の余り、生えてもいない牙を剥き、吠え続けなければならない人生なんて馬鹿らしい。


2012年01月17日(Tue)▲ページの先頭へ
理不尽
 正月が開けて日常が又始まったが、新しい年に希望を持って仕事に復帰した人ばかりとは言えないだろう。あるセールスもその中の一人かもしれない。そしてそれが平均的な職業人の姿か、あるいはまだ幸運にも少数派かは分からない。
 年末のボーナスの査定が思いの外、悪かったらしい。本人は頑張った気持ちがあるらしくて、その逆を想像していたのだそうだが、セールスにとってそのモチベーションだけでは評価の対象にはならず、唯一数字がものを言うらしい。正月明けの本社での初会議を3人のセールスが体調不良で欠席したり、途中退席したらしい。3人と言えば少なく聞こえるが、総勢で10数人の規模だから割合としては高く、その理由も意味不明な欠席ばかりだったらしくて、お互いがその心中を思いやったらしい。
 復興特需などという不謹慎を享受している人達の陰で、相も変わらぬ低空飛行は蔓延している。消費を煽った時代の数字に縛られて、働き人は鞭を打たれる。体を壊し、心を壊し、関係を壊し、自尊心を壊す。心弱き人は自壊し、退場する。
 自嘲気味のセールスに気持ちはなびかない。温かいコーヒーを飲んでもらって、注文なしで帰ってもらう。実り少ない商談を恐らく日がな一日、多くの取引先でくり返しているのだろう。食うに困らぬ報酬は保証されているが、輝きのない日常をどう消化しているのだろうかと勘ぐってしまう。
 およそ30%の若者がこの春も舞台に上がることが出来ない。何も演じないまま、あのセールスの落胆さえ演じることが出来ないまま、あてのない出番の前で力尽きる。この理不尽を食って肥満している一部の将軍様を、多くの餓鬼が養う理不尽こそが理不尽。


2012年01月16日(Mon)▲ページの先頭へ
転落
 同じ日に3人が、ある男性を最近見かけなくなったと言った。実は僕も同じことを思っていた。又あそこへ入ってしまったのかと思っていたら、その中のある女性は「入院でもしているのではないの」と言った。そう言われれば健康によいことなど微塵も行っていないから、入院はありうるなと思った。皮肉なことに入院の方がまだあそこよりは喜ばしい。 ところが今日妻が薬を配達してあげたところで、入院ではなく、そこに再び入っていることを聞いた。その男とどんな関係があるのだろうと言うようなお家だから、恐らくもう町の人はかなり知っているのだ。何も話題がない町だから、そんな話題は殊更喜ばれる。それも凶悪ではないから、又その男が結構重宝されていたから余計なのだ。
 もうそこには帰って欲しくなかったから、僕はことある毎に話すようにしていた。僕が酒を飲まないから酒を振る舞うことは出来ないが、彼の好きなコーヒーと音楽なら幾分かは振る舞える。多くの人が帰ってきた彼を避けている中で、僕は逆に招き入れた。有名な彼が僕の薬局でコーヒーを飲んでいる姿を、他の人はどう見てたのかは分からないが、僕は堂々と彼をもてなし、彼は隠れるようにコーヒーを飲んだ。スポーツを30年一緒に楽しみ、何万回も僕を笑わせてくれた。僕を笑わせてくれて、緊張をとってくれる数少ない人なのだ。緊張の多い働き盛りの30年間の健康は彼にもたらされている部分も大きかった。1週間の過緊張を2時間の過激な運動と過激な笑いでとってもらった。彼が行き着くところまで行き着く前までは本当に楽しい歳月だった。
 酒と博打は僕には分からない。全てを失うほど魅力的なのだろう。いや全てを失ってからもまだ失うほど魅力的なのだろう。病気と揶揄されるくらい魅力的なのだろう。家庭も、友人も、仕事も、信頼も、どれもこの二つのものには勝てないのだろう。
 酒代を博打代をあげるわけにはいかない。お金で救うわけにはいかないが、あげていれば余計のめり込んだだろう。ブレーキがない性格に効果があるのは何なのだろう。僕にはその答えはない。友情も常識も運動も音楽も宗教もことごとく討ち死にした。立ち向かう武器はない。今度出てきても又同じスタンスで付き合うしかないだろう。そしてまたまたあそこへ帰っていくのだろう。そのうち居心地がこちらより良くなって、あちらの住人になってしまうような気がする。人を何万回も笑わせて、そのあげく笑いものになる。転落、転げ落ちるとは良く言ったものだ。


2012年01月15日(Sun)▲ページの先頭へ
光景
 それはなんとも言えぬ心温まる光景・・・なのだろうか。夕方から見ていたNHKテレビで同じ町の暮れから今日までの二つの光景が放送されていた。
 その町はあれから急に有名になった。それ以前には聞いたこともなかった。もっとも東北地方は、西の人間にとってはほとんど異国の地で、余程有名でないと地名は耳にしないが。
 AKB48の6人がその町を訪れて、体育館で歌を披露した。その後地元の幼稚園に赴き園児達と楽しいクリスマスを過ごした。幼い子供達と握手や抱っこをして、可愛いを連発していたが、僕はまだその町に幼い子供達があんなに沢山残っているとは思わなかった。体育館の観客も女子学生達が一杯詰めかけていたから、かなりの人達が今もなお嘗てと同じように暮らしているのだと知った。
 その後のニュースで、イチゴ狩り農園が再開したというニュースが流れた。ボランティア達に勇気をもらって、絶望からの再出発とのことで、見ていて感動的でもある。だが、そのイチゴを美味しそうにほおばっているのは地元の招待された園児達なのだ。大きくて見るからに美味しそうなイチゴを、胡散臭そうな大臣の前でほおばっている。検出せずと言う票まで見せて、幼子を使って安全を強調したいのだろうが、検出せずの数値が9とか7.5以下では、隠しているとしか思えない。検出せずと言う表記は、その機械では検出できないでしかないのに、いかにもゼロに等しいと誤解を与えてしまう。
 危険だから逃げろと言わずに、ひたすら安全をくり返したこの放送局も、今だ何を守っているのだろう。自分たちか、それとも加害者(社)か、それとも政治家どもか。


2012年01月14日(Sat)▲ページの先頭へ
暗黙
 手術をしてくれた先生が「どうしてそんなに良くなったの?」と尋ねたそうだ。
この女性はもう2年間くらい半月毎処方せんを持って来ている。脊椎間狭窄症の手術をしたのだが、調子が幾分かでも良かったのは術後数ケ月だけで、その後は痛い痛いの繰り返しで、生活の質はほとんど元に戻っていた。医師に訴えても、もう異常はないの一点張りで、取り合って貰えなかった。そこをひつこく訴えると、又手術をほのめかされて、泣く泣く我慢をせざるを得なかった。痛み止めは何度も種類を変えてもらったが、その都度少しはいいのかと思うがすぐ元の木阿弥に戻る。処方せんを持ってくるたびに、一人暮らしの心細さと不便さと苦痛を訴えられるが、処方せんの患者さんだから、聞き役に徹していた。
 それでも、見て見ぬ振りも残酷なので、数ヶ月前についに漢方薬を飲んでみないとこちらから提案したら、待っていましたとばかり薬を頼まれた。嬉しいことに2週間分で少し好転の兆しがあり、1ヶ月飲んだところで、炊事も掃除も立ったままで出来るようになり、自転車以外で外出できなかったのも、歩いてある程度の所なら行けるようになった。今日も病院の薬を取りに来たついでに、煎じ薬を同じ日数分持って帰ったが、薬局にいた30分の間、余裕の読書にふけっていた。じっと同じ姿勢などとれなかったのだが、今はもう他人には分からないくらいになっている。経験者でないと分からないが、骨格系の病気は寝起きが一番悪いが、今は寝起きになにも苦痛を感じないらしいのだ。笑顔で教えてくれた。
 医師会と薬剤師会の、処方せんの患者には何も勧めないと言う暗黙の了解を破ったことになるが、僕は特定の病院の処方箋を受けるいわゆる門前薬局でないから、たまにはいいだろう。年に一人もそんなことはしていないのだから。ただ、本当のことを言うと、信頼できるルーズでおおらかなお医者さんがいたら、漢方薬の力を試してみたいとも思っている。所詮僕が出来るのは、薬局で扱える程度の病気でしかないのだから。試すチャンスもなくノートの中の一角に何十年も閉じこめられている処方がいくつもあるが、それらは当然お医者さんの領域だ。
 「ところで先生にどう答えたの?」と尋ねると、その女性は何を今更と思い「別に」と答えたらしい。


2012年01月13日(Fri)▲ページの先頭へ
気後れ
 若い女性の胸辺りを断ってから触らせてもらったが、特別な感触はない。次に指でつまんでさするようにしてみたが、どこにでもあるような素材の感触でしかない。それこそ初めて触れるものだから、どんなに未知の感触かと思ったが、未知と言うよりどちらかと言えば既知に近かった。たとえて言うならば、若い人には分からないかもしれないが、蚊屋に似ている。幼い頃、布団が敷かれている蚊屋の中に入ろうとして、布を持ち上げるときの感触に似ていた。見た目も、濃い藍色だが透けて見えるから蚊屋のように見える。   毎月、若い婦人警官が回ってきてくれる。この辺りを受け持ってくれているらしいが、僕の家は薬局だから、家族の安否だけでなく、劇物や麻薬などの医薬品についても尋ねていく。別に悪いことをしているわけではないから、気後れする必要はないのだが、制服でやってこられると何となく悪人になったような気分になる。それでも回を重ねると親しみが湧いて、今では笑顔で応対できる。隣の県の脱走劇でやはり忙しいらしくて、そんな話題から防弾チョッキを触らせてもらうことになったのだ。後学のために触らせてと頼んだら、快くOKしてくれた。
 「これを着ていてもここをやられたらお終いです」と笑いながら自分の喉を指さした。それはそうだろう、喉は無防備に露出している。一見頼りない蚊屋状の繊維も刃物は防いでくれるらしい。見た目よりもずいぶんと頑丈なのだと感心するが、小柄で可愛い女性警察官がそんなもので救われる現場に遭遇しないことを祈る。
 どうして警察官になったのか尋ねてみたい気もしたが、そんなことを人に説明しなければならない理由もないだろうし、珍しがられていると感じることは不愉快だろうから言葉を飲んだ。でも本当は聞きたかった。僕が白衣を着ているのも不釣り合いだが、あの若い女性が重たそうな装備を身につけているのも、何となく不釣り合いだ。戦えば恐らく一瞬にして倒されてしまうだろう武術を身につけている女性の不釣り合いにも何となく気後れする。一体何の記憶が僕にそうさせているのか分からないが。


2012年01月12日(Thu)▲ページの先頭へ
たらい回し
 これはなかなかお勧めの撃退法だ。
 盆と正月にしか帰って来れない弟にとって、このところの母親の衰え様は耐えられるものではないのだろう。つい2年前くらいは町一番の元気で長生きを証明していたような人だが、このところその分野での一人勝ちは怪しくなってきた。記憶は勿論、判断能力も急速に衰え始めた。あれよあれよと言ううちに、出来ることを大幅に出来ないことが上回ってきた。毎日様子が分かる僕と違って、急速な落下は受け入れられないのだろう。
 盆に帰ってきたとき、母親をもっと面倒を見るように、ついでに墓も綺麗にするようにと注意を受けた。母親を仕事の現場でこき使うことで緊張感のある日常を提供してきたつもりだが、それはあの衰え方で効果なしと判定されたのだろうか。墓は山の上の不便なところにあるから、蛇と遭遇する危険を冒してまで夏には近寄らない。その他の季節に綺麗にしているから、勘弁願いたい。
 さすがにこの正月に帰ってきたときは、実情が理解できたらしくて、僕になにも要求しなかった。母親の衰えに落胆は隠せなかったが、冷静に受け止めていたみたいだった。彼と一緒に奥さんと息子が帰っていたが、帰りの車にもう1人乗れるスペースがあるから「お袋を一緒に積んで帰って」と言った。3人はそれは出来ないと言って笑っていた。次の僕の提案は「3人兄弟でお袋をたらい回ししよう」だった。これにはさすがに困ったらしくて笑いでごまかすだけで返事はなかった。言いながらこれはいい手だと思った。全国の読者の皆さん、介護を強要されたら、あるいはその質を問われたら「みんなでたらい回しにしよう」と提案すればいい。すると相手は素直に引いてくれる。
 どうやら暗黙のうちに母親は僕(実際は妻だが)がみるようになっていて、それはそれで我が家も兄弟姉妹みんな全然かまわないのだが、我が家以外の方の参考になればと思って正月の笑い転げた小話を披露した。「みんなでたらい回しにしよう」。なんて素敵な言葉なのだろう。


2012年01月11日(Wed)▲ページの先頭へ
 哀れなものだ。結局は相手にされていないのだ。言い方を変えれば見殺しにされているのだ。人を小馬鹿にしたようなしゃべり方をするから、どこの病院の医師も相手にしなかったのだろう。その気持ちは分かるし、医者ではないが僕も同じだ。寧ろ僕の方が薬剤師という軽い肩書きだからもっと単純だ。
 「軽い肺炎の薬ない?」と言いながら入ってくるから妙なことを言うなと思った。元々この数年人が変わってしまって、妙なこと以外を聞いたことがないから、いつものようにこちらも頭はお休みモードのままの応対になる。肺炎と聞いて病院に行ったかどうか聞かない人はいないと思う。当然僕も尋ねたが、病院で診断を受けての結果らしい。何か薬をもらったのか尋ねると、何ももらっていないと言う。おかしな話だ。軽いから1ヶ月様子を見るように言われて様子を見ていたが、息苦しさが軽減しないから数日前又受診したけれど、又何もくれなかったという。CT検査までしたと言うから診断に疑いの余地はない。ただ、軽い肺炎ならそれこそ、ちょっと抗生物質を飲むだけですみそうだから、薬をくれなかったのが腑に落ちない。軽い肺炎、軽い肺炎・・・間質性肺炎?ひょっと思いついて「ひょっとしたらお医者さんは間質性肺炎って言わなかった?」と尋ねると「そうそう、それそれ」と答えた。「絶対それに間違いない?」と畳み込んで尋ねるとその事に関しても間違いはなさそうだった。
 「なんだ、軽い肺炎ではなく重い肺炎ではないの」と説明を始めたが聞く耳は持っていない。薬はないの?の繰り返しだ。人の話をまともに聞かなくて自分の要求ばかりを口にする。試みに「タバコを吸っているの?」と尋ねてみると、やはり沢山吸っていて、止めるつもりなどさらさら無い。これなら医師もその患者を守るより自分を守りたいだろう。手を尽くしても目の前で自殺行為をやられたら叶わない。引くに決まっている。僕も当然どん引きで、「そんな薬あるわけ無いではないの」と身を守った。
 まだ健康の後ろ盾がある年齢ならえらそうに振る舞っても足下をすくわれることはないかもしれないが、いざ歳をとると回りの助けなしでは暮らすことは出来ない。若い頃の過ごし方のしっぺ返しを、本人が気がつかないうちに食らっている。謙虚を学ぶ機会がなかった哀れも思わないこともないが、頭を下げることなく過ごしてきた報いはかなりの苦痛を伴う。人に差し伸べたこたがない手には、誰の手も差しのべられない。


2012年01月10日(Tue)▲ページの先頭へ
ターゲット
 田舎だからと言うわけではないだろうが、多くの人に助けられて漢方薬の腕を磨くことが出来た。一般的には、漢方薬は長く飲まないと効かないと言われているが、僕自身は効果がないのにダラダラと漢方薬を飲んでもらう器量も名声もなかったから、すぐ効く処方を追い求めてきた。しょちゅう顔を合わせる小さな町だから、飲んでもらっている漢方薬が効かなければ、堂々と歩ける道もなくなる。今はもう亡き漢方の先輩に、ある先生を紹介して頂いて、この世に飲んだらすぐ効く漢方薬?処方?があることを教えて頂いた。以来教えられるままに田舎の人の協力で少しずつ使いこなせるようになったが、なにぶんイラの僕のことだから、急性の病気やかなり症状の悪化したものが多かった。幸か不幸か力を試されることの連続だったように思う。
 ところが最近、僕自身としては珍しい処方を作る機会が増えていることに気がついた。そもそもその方が漢方薬を標榜しているところでは自然なのかもしれないから、やっと並になれたのかなとも思ったりする。今日も数人作ったのだが、ある人は風邪ばかりひく、ある人は口内炎をくり返す、ある人は単純ヘルペスを毎月のように出す、ある人は食欲が数ヶ月に渡ってない、ある人は朝1時間くらい布団から出られない、ある人は笑わない等々だ。
 一言で言うと気力、体力が落ちて免疫を落としているって状態だ。これらのお世話はたいして難しくない。そもそも漢方薬が得意な分野なのだから。しかし、簡単な割には感謝される度合いが大きい。薬の内容よりも、ご本人達の不快さが優っているからだろうか。必至で考えて作った急性の病気に負けない感謝のされようだから、ちょっと照れくさくなったりするが、免疫が落ちている向こうに悪い病気が待ちかまえていることも多いから、余計感謝されるのかもしれない。際どいところで後戻りできている場合も実際多いと思う。
 色々な役の立ち方があるが、こうしたゆっくりペースの改善もなかなかいいものだと最近は思えだした。薬剤師も年齢によって役に立てようが異なるのだろうか。心は二十歳、身体は八十の僕としたらどの世代にターゲットを絞ればいいのだろう。


2012年01月09日(Mon)▲ページの先頭へ
気兼ね
 昨夜寝る前から、明日はどうして過ごそうかと考えていた。一言で言うと何もすることがないのだ。世間並みに祭日は休みにしているが、困ったもので何の予定もない。したいこともしなければならないこともないのだ。行きたいところも行かなければならないところもないのだ。もっと言うと食べたいものも食べなければならないものもないし、会いたい人も会わなければならない人もいないのだ。
ほんの少しだけ遅く起きて、ほんの少しだけ長く散歩をしたが、鏡のように穏やかな海面に遊ぶカモメを10匹数えたのと、マンションの前の売れ残っていたモダンな建て売りの家についに住人が入ったのを確認しただけで、もうほとんど今日は終わっていた。
 こうなると僕の心を落ち着けてくれるのは仕事以外にはない。いつもより30分遅くシャッターを開けたら俄然体調が、いや心調が良くなってくる。まだ昼にならない時間帯にこの文章を書いているが、もう10人くらいが訪ねてきてくれた。もし閉めていたらあの人達はどうしていたのだろうかと、今日より実際に休んだ過去の日々の方が心配になる。今日がつゆ休みだと思わずにやってきた人がほとんどで、偶然開いていて良かったと喜んでくれた人の方が圧倒的に少ない。その中で二人の老人が、それこそゆっくりとした足取りでやって来てくれたから、無駄足を運ばせなくて良かったと思った。どちらも90歳を越えているらしいから、恐らく10分以上かかって歩いてこられたに違いない。又そのうちの一人が漏らした心情には教えられることがあった。
 93歳と言っていたが、娘の家に週のうちに何回か泊まりに行く(本当は泊まりに行かされるらしいが)らしいのだが、それが苦痛で仕方ないのだそうだ。何度も「やっぱり自分の家がいいです」をくり返した。どうしてと尋ねたら「気兼ね」なのだそうだ。まだ娘一人ならいいけれど、家族がいるから気兼ねですぐ帰りたくなるのだそうだ。これは僕の家でもこの数年のテーマなのだ。自立した人のしっかりした晩年を多く見かけているから、迷いはなかったが、それも限度があるって言うテーマを今は突きつけられている。偶然開けた休日に、正直な感想を教えてもらってとても参考になった。
 また、旅行客か、市外の人か分からないが、偶然漢方薬のポスターを見つけて入ってきた女性がいる。紫雲膏を求めてやってきたのだが、自家製だと言うことを知ってとても喜んでくれた。まさかこんな田舎でという意外性がお土産になれば嬉しい。もう一つ僕の都会的な風貌と言葉遣いと品がお土産になればこの町に観光客が増えるかも。
 さて、シャッターを下ろしてコンビニに昼ご飯を買いに行こう。あの嫌いな「温めますか?」「395円になります」に負けないように心準備をしてから。


2012年01月08日(Sun)▲ページの先頭へ
食い逃げ
 そうかやっぱりな。「さしあたって健康被害はない」とあの頃言い続けていた男は、結局東電から金をもらっていたんだ。だから、危ないなんて口が裂けても言えなかったのだ。分かりやすいものだ。ほとんどの行政がこの種の範疇から出ないだろうから、単純明快に政治的事象は理解できる。
 あるジャーナリストが、政府とマスコミと財界が手を組んだとき、実現できなかったものは何もないと言っていたが、原子力発電などその典型だ。僕は、何十年間それに関わった人達の健康で長生きを心から願っている。原子力発電所を促進した政治家、地方の首長、議員。それに御用学者、広告料に目がくらんで無批判を通したマスコミ関係者。みんな、みんな、これからも是非身体に気をつけて長生きしていてもらいたい。いつか、司法が正義に目覚めて、純朴な住民の土地や仕事を奪い、数年後に出てくるだろう健康被害をもたらしたそれらの人達を、罪に問う日まで、ずっとずっと元気でいてもらいたい。
日曜日の午後、時間潰しの大型店舗の中には疲れた生活人のありふれた営みがあった。恐らく僕を筆頭に輝きなどはない。どこか仮面のように無表情で、生活以上でもないし、生活以下でもない。人を人とも思わないとんでもない奴に、面白半分に何かを託してみようかと悪のりしたオモロイ街もあるが、それがどんなしっぺ返しを食うか想像もしない。そんな悪のりによその街で暮らす人間が付き合わされたらたまらない。原子力発電と同じしっぺ返し(弱い者が犠牲になる)が待っている。それに荷担した人達も、どうかどうか長生きして欲しい。捕まらない食い逃げは許されない。


2012年01月07日(Sat)▲ページの先頭へ
遠吠え
 ラッキー。こんなことで評判がとれるならすぐにでもカリスマ薬局になれる。
長年仕事に行く前になるとお腹が痛くなる男性が、長いことかの有名な大正漢方胃腸薬を飲んでいた。ドラッグで勧められたのか、テレビのコマーシャルを見て買ったのか知らないが、随分長い間服用しているらしい。当然(この当然は僕の知識ではってことだが)効果はない。それなのに何かに頼りたかったのか飲み続けているらしい。
 奥さんの膝痛の漢方薬を求めて僕の薬局に来てくれるようになったのだが、1ヶ月間で奥さんの痛みが7割方改善したのを傍で見ていて、ご自分の長年の不調の相談をしてくれた。僕にとっては簡単すぎるようなテーマで、1週間分だけ漢方薬を作ってお渡しした。恐らく1服で改善できると思うが、僕が一番残念だったのは、長い間貴重な生薬資源が無駄に使われたってことだ。自然に生えているものはどんどん少なくなり、かなりの部分が栽培に頼っている。それに輪をかけて中国の一般市民が漢方薬を飲める所得に達し始めている。もう日本に輸出のために生薬はあるものではなくなった。レアアースとまで揶揄されるようになった生薬を、販売だけが目的で扱って欲しくない。効果が期待できる疾患で、効果をもたらすことが出来る人だけが扱うべきだ。資本主義の世の中だからと言って、絶滅危惧種をこれ以上増やす権利はない。
 アメリカで生まれた薬の販売形式が、大量消費を前提に生まれたのは間違いない。今の時代に合っているのか、日本に合っているのかはなはだ疑問だ。弱小薬局の遠吠えだが、心ある人に届かないだろうか。自然に顔が揺れている所管の偉い人にも届かないだろうな。あの地位についたら一瞬にして人格が変わってしまうのは世の常らしいから。
 あの首振りの薬も僕は作れるのになあ。


2012年01月06日(Fri)▲ページの先頭へ
口癖
 ほぼ2年間、熱心に2週間毎に通ってきてくれたから僕の口癖が移ったのかもしれないが「教えまくって下さい」と笑いながら言ってくれた。
 僕の薬局人生で、生いたちやその後の境遇の過酷さで、この女性の右に出る人はいない。そのあげくがパニックをはじめとする超体調不良。詳細は嘗て書いたことがあるから繰り返しを避けるが、彼女が久し振りにやってきて、貴女と同じような人が一杯いるよと話した後に、上記のような言葉をもらった。私が治れば世の中の人は皆治るという症状の深刻さの自信、どん底の不幸を経験している人間だけが持てる他者に対する思いやり。恐らくその両方で言ってくれたのだろうが、僕にとっては嬉しい提案だ。勿論プライバシーがあるからほとんど「教えまくる」訳にはいかないが、こんなに症状が凄くても治るのかという良い例になる。
 完治して1年以上たってわざわざやって来たのは、ヘルパーの仕事である家を訪問したときに、まさに窒息しそうなおじいさんを見つけて、動揺して又パニックが出そうだったと言うのだ。しかしその話を聞いて僕は心底嬉しかった。まず、電信柱数本分の距離しか家から出ることが出来なかった女性が、自分で車を運転して利用者の家々を訪問している。そこで危機一髪、老人を動揺しながらも救った。そして介護センターの社長の評価もすこぶる高い(僕の知り合いが社長をしていて、いい人を紹介してくれたと喜ばれている)。これだけの変身ぶりは、嘗てを知っていて、そこから脱出することを手伝わせて貰えた人間にとっては、何よりの喜びだ。
 ここまで来れば、嘗てのおどおどとした視線はなく、優しい目をして話し相手を見つめながら話す。パニックの再発かと思っても、以前と同じ処方の漢方薬1服で解決つくのだ。この自信こそが「教えまくって下さい」になったのだ。
 以来、第2、第3のその方が次々にやって来てくれている。漢方薬を作らせてもらうだけではなく、本にも劇にも詩にもならないけれど、個性豊かな愛おしい人生に触れることが出来る。誰もが気づかないままに優れた脚本家であり、俳優なのだ。


2012年01月05日(Thu)▲ページの先頭へ
 僕のブログを、こんな方までが読んでくれているのだと言う経験を正月にした。
 元旦に大阪から帰ってきた孫のアトピーをみてくれとある方に頼まれた。30分以上薬局のシャッターを1枚開けて応対した。その間に偶然通りかかった家族がいて、今とばかりに入って来た。お目当ては、娘夫婦が作っている風邪薬だったのだが、会計が終わった後、東京に住んでいるという女性が、「通りかかったとき、ホームページの写真と同じだからこの建物だとすぐ分かりました」と言った。そして僕のブログも読んでいると言ってくれた。その人と僕とは直接的な関係はない。ある方がめまいで相談に来られ、そのお嬢さんの嫁ぎ先の義母のお嬢さんだ。良くは分からないが、4つの段階を踏まなければ結びつかないと思う。親類の親類の親類のと選挙になったら関係が露わになるのと同じくらい、要は全く関係ないに等しい女性だ。その人が僕の文章を読んでくれていることがなんだか不思議だった。元々は、こんな田舎の薬局を信頼して漢方薬などを飲んでくれている人に、どんな人間が作っているか分かってもらいたいだけで書き始めたのだが、漢方薬で繋がっていない人も読んでくれているのだと知った。
 他人に敢えて尋ねにくいことはいっぱいある。聞いてみればなんだと胸をなで下ろすようなことですら、自分の胸にしまっていれば不安材料になり、身も心も傷つけられることは日常茶飯事だ。一人思い悩み、青春を人生を良質のまま送れない人のために、実はこの程度なんだと露わにして、嘗ての僕の二の舞を多くの人に追体験して欲しくないと言う気持ちもある。あの当時失ったものがどれほどのものであったかは分からないが、ましてこの程度の人間が失ったというのだからそもそも大したことはないのだろうが、それでも塵も積もれば、大いなる損失だ。日本中の塵を集めれば大きな損失になるかもしれない。
 内容を修飾しないで書くを心がけているから、僕はほとんど読んでもらったままの人間なのだが、どうも容姿を偽る傾向がある。果てしないコンプレックスのせいか、マチャ(最近ある患者さんに教えてもらった)に競り負けた悔しさか。


2012年01月04日(Wed)▲ページの先頭へ
三が日
 まあ、この味気なさはどうだろう。年々存在意義を失ってはいるが、今年は一挙に極まった。三が日外出したのは元旦に教会に行ったことと、3日にお墓参りに行ったことだけだった。もっとも、僕の立てていた予定表はぎっしりつまってはいたが、そのほとんどは家の中でやることばかりだったから、予定通りと言えば予定通りなのだが。そしてそのほとんどをやり遂げたのだから、本来なら充実していたと評価してもいいのだが、そのやり遂げたことと正月という行事が全く連動していないのだ。ほとんど残務整理に近いことばかりだったから、新しい一歩ではなく、後始末に近かった。働いていると時間に追われる局面ばかりだから、この停滞した時間は僕にはかなり苦痛だった。働くこと以外に取り柄も生き甲斐もないことを思い知らされた三が日だった。
 ただ今年の正月の過ごし方は僕にとって例外ではない。延々とくり返されてきたことだ。元々好奇心は弱かったが、ますます衰退しているのを感じるから、来年こそは何か新しい正月の過ごし方を考えてみようと思った。自由すぎて不自由な拷問は学生時代6年間に渡って受けてきた。身につけてきたものがその拷問に耐える力だけでは洒落にもならない。
 体調不良の為、志し半ばで帰国したかの国の女性から「お父さん、お母さんと一度遊びに来て」と新年の挨拶代わりのメールが届いた。そうかそうすれば正月という味気ない数日が意味を持つのかと思った。実現するには色々障壁があるが、まず高所恐怖症から克服しなければならない。なにぶんみみっちい性格の僕は物事を大所高所から眺めるのをもっとも苦手としているのだから。


2012年01月03日(Tue)▲ページの先頭へ
火傷
 慣れないことなどするものではない。誰もじっと太陽を見た人はいないのだ。今昇って来ている太陽を見るとそれがご来光なのかと、余計な考えが頭をよぎったばっかりに意識して東の空を見た。前島の尾根の上をすでに十分照らしているから、雲が少しだけ途切れれば太陽が現れると思った。正月と言えどもいつもと何ら変わりない習慣で、テニスコートを周回していたときのことだ。
 どのくらいの時間、雲の切れ目から覗いた太陽を見たのだろう。1秒か2秒だと思うが、その後瞬きをする度に、真っ黒な闇の中に先ほど見た太陽が鮮やかなオレンジ色で瞼に浮かぶ。 それも雲で遮られたとおり、3つに分かれて瞼に浮かぶ。さっきまでは一つのまぶしい光でしかなかったのに、ちゃんと雲で細分化されたのを鮮明に網膜は残してくれていた。瞼を閉じればオレンジ色の小さな光が、目を開けて歩くと今度は黒い陰になって土の上に見える。勿論形も大きさも同じだ。ああ、僕はあの一瞬太陽によって網膜か何処かが火傷をしたんだと思った。太陽を正視することなどないから、この様な経験はない。いずれ回復するだろうと思いながら歩いていたが、意外と長い時間かかって消えていってくれた。医学的な説明は出来ないが、まるで子供のような軽率さに呆れた。
 長いこと生きていれば数多の残像に悩まされる。消し去りたいこともいっぱいある。たかがしれている人間が、たかがしれている数多の不出来を今更悩む必要はないと思いながらも、時として蘇る。楽しかったことなどほとんど覚えていない。至らなかったこと、恥ずかしいような行動ばかりが再生する。一時の網膜の火傷なら回復するが、脳に擦り込まれた火傷は一生残る。


2012年01月02日(Mon)▲ページの先頭へ
基準
 WHOから発表されたうつ病の診断基準によれば、@抑うつ気分(落ち込む)A何に対しても面白みや喜びを感じないB疲れやすい、活力の低下C集中力、注意力の低下D自信喪失、劣等感を感じるE自責の念F悲観的になるG自殺志向H睡眠障害(不眠、過眠)I食欲不振J体重減少K疲労倦怠L頭重、頭痛MめまいN性欲減退などの症状が現れるらしい。
 なるほど分かった。医師の前でこの様な苦痛を訴えればうつ病と診断され、尋ねられてもないと答えれば正常で帰ってこれるのだ。ところが僕なんか正直だから尋ねられなくても自分で白状しそうだ。仮に尋ねられたら全部ありますと一言で答えられる。典型的なうつ病でしっかりと薬による管理をして貰えそうだ。そして全ての症状がなくなるとはとても思えないから、一生薬から離れられそうにもない。下手をすると僕は製薬会社の上お得意になりそうだ。
 運のいいことに全ての症状を持っているのに、僕自身に病気の意識がない。症状があっても何ら困っていないのだ。寧ろ今の僕の生活には全て必要なような気がする。それらがあるからこそ今人の役に立てているように思う。もしそんな症状がなくて幸せ一杯なら、僕は単に薬売りになっていただろう。
 日本人の本来的な美徳はほとんど躁症状の人間によって破壊されている。黄色人種が白色になりたがって、壊してきた。アクセルばかりの人間がちやほやされて、ブレーキには見向きもしなかった。アクセルがこの国の情緒を壊し、昨年は国土そのものも破壊した。誰も断罪されないことをいいことに、又アクセルを踏み込もうと隙をうかがっている。彼らが鬱症状の一つでも備えていれば、何処かで自責の念や悲観論でブレーキに足をかけれただろうに。
 基準からはみ出せば病気なら、いくらでも病人なんて作れる。基準を作る人間が製薬会社とつるんでいることなんか簡単に想像できるのだから、科学と正義は全く無関係なのだ。病識のない日常こそ泥臭く目指すべきだ。


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