栄町ヤマト薬局 - 2011/10

漢方薬局の日常の出来事




2011年10月31日(Mon)▲ページの先頭へ
難解
 ある女性に、ある相談を受けた。体調を詳しく相談表に記入してメールで教えてくれた。その女性はある漢方薬局に行って以前相談したらしいのだが、その答えは「心と腎が生まれつき弱く、そこへ○○剤投与で腎陰が弱まり、その影響で心陰が心陽を冷ますことができず、不眠が発生している」と説明を受けたらしい。そして当然漢方薬を購入している。
僕は恐らく同じ訴えを聞いて「色白でスリムで冷え性で美人でちょっと神経質な頑張りやさんが、副作用で胃をやられてパニくっただけでしょう」とメールで答えておいた。その漢方の知識のかけらもない返信が彼女の琴線に触れたらしく、後日他府県からやって来てくれた。彼女の訴えは上記の不眠ともう一つあったが、もう一つの方は彼女と机を挟んで話しているついでに1包作って飲んでもらったら、その場であっという間に改善した。勿論薬は数時間で体内から排泄されるから効果は持続しないがその後の継続服用で、ほとんど一つの方は完治に近づいている。
 それにしても難しい説明を良く覚えていたねと言うと、薬局で紙に書いてくれていたらしい。それはそうだろう、僕だってあんな説明を受ければさっぱり分からない。あの難しい言い回しについていけず、30数年前一度漢方薬の勉強から脱落したのだから、ほとんどトラウマ状態だ。こんなに難しいものが分かるはずがないと得意の諦めの早さを発揮した覚えがある。
その後ある幸運で、効かせることに関しては恐らく誰よりも優れているだろう先生に巡り会えることが出来た。おかげで僕みたいな「生薬学で留年した人間」でも漢方薬で人様のお世話が出来るようになった。今でも多くの薬剤師が難しい理論と格闘しているが、2時間の難解な講義を10秒で要約してしまう無礼を薬局という現場で磨いてきた。とにもかくにも牛窓の人達が田舎という理由だけで漢方薬の恩恵を受けられないことだけは防ぎたかった。「漢方薬のことなら岡山市に出ていかないといけない」とだけは言われたくなかったのだ。何故この分野だけそんな妙な意地をはったのか分からないが、たった一つだけ張った意地のおかげで未だこんな田舎で薬局をやっておられる。
 難解は自尊心を心地よく満たしてはくれるが、患者さんの要望はなかなか満たすことは出来ない・・・と見た。


2011年10月30日(Sun)▲ページの先頭へ
長生き
 慣れていると言ってもこのおおらかさはなんなのだろう。恐らく肩まで浸かっている水には、色々な生活用水が混ざっているから、かなり劣悪な水質だと思う。足に傷があったりしたらたちまち化膿したり、全身的な疾患にかかってしまうことだってあるだろう。下水道の普及がどのくらいなのか知らないが、そんなに普及しているとは想像しにくい。となると・・・・顔をしかめるどころか、笑顔さえこぼし、諦念の極みかその中で日常生活を持続している人々に頭が下がる。奪われるだろうものの想像がついているのか、その災害の限界が分かっているのかうろたえていない。命まではとられないと言う妥協線がはっきりしているからかもしれない。
命は取られないという妥協線におおらかな生活を営むタイの国の人を心配してしている海のこちらのこの国の人は、命を取られる可能性をひた隠しにされ、だからこそうろたえていない。数字のトリックを無批判に受け入れる姿は半世紀前の不幸を彷彿させる。せめて子供には西のもの、出来れば九州のものをと言う善良な学者の声は一体どのくらいの人に届くのだろう。政治家、役人、マスコミ、拝金主義学者、自治体の首長、議員達、是非長生きして欲しい。東の国の人達の怒りが行動に転化されるまで。


2011年10月29日(Sat)▲ページの先頭へ
予行演習
 10時頃普通に仕事をしていたのだが急に倦怠感が襲ってきた。いつものけだるさ程度ではなく、立っているのもしんどいくらいだった。2階に上がらせてもらって布団に横になってもしんどい。そのうち悪寒がしてきたから風邪をひいたのが分かったが、一瞬にして始まった風邪だから余りよいものではないと覚悟した。元気がつく薬と漢方薬、それに娘夫婦が作ってくれた新処方の風邪薬を飲んで、3時頃には楽になって下に降りて仕事を復活したが、その間、波のように押し寄せる倦怠感に不快だった。
 もしこの様な倦怠感が数ヶ月続いたら、どれだけ不快だろうと思う。でも実際にその様な不調で困っている人はいるのだ。懸命に努力して手助けせよと諭されているような気がした。身をもって体験すれば困っている人の苦しみが実感として理解できる。年齢と共にその範囲がずいぶんと広がってきたが、出来れば遭遇したくないトラブルもこれからは列をなして襲ってくるだろう。
 体調が良かったから、いや最悪ではなかったから、このところ自分でも結構やれるなと思っていたのだが、その様な過信の後には必ずこうなる。もう何度も経験して痛い目に遭っているのにどうも気づかない。一体何歳くらいの体力を基準にして自分で動いているのだろうと考えてしまうが、図々しくも20代の何でも出来た頃を基準にしてしまっているのだろうか。老いを認めたくない気持ちがどこかにあって、いつも躓いてしまう。
それにしても体調が悪かったらすぐに休ませてもらえる環境が整って救われた。初めて相談に来られた患者さんや、何回も来てくれている漢方の患者さんの薬も若夫婦で全部作ってくれた。いつかは完全にバトンタッチしないといけないが、こうした予行演習の機会が段々増えるのだろうか。出来ればしんどい理由ではなく楽しい理由で予行演習したいが、逆らえない筆頭には誰もかなわない。


2011年10月28日(Fri)▲ページの先頭へ
殿様
 何がなにやら分からないうちに、税金を始め色々なものが上がるらしい。取りやすい所から取るのが常套手段らしいが、今回は取りやすい時に取るという新手の常識も作られようとしている。そしてそのお金が、史上まれに見る犯罪を犯した会社を潰さないために使われるとなると、空しさも甚だしい。以前もこれからも、のうのうと高給を取り続ける奴らのためにどうして庶民が身を削らなければならないのだろう。怒らない庶民に怒る。
一体あいつらは「何様」のつもりだろう。常に経済や政治の中心にいた奴らにとって庶民は所詮「外様」だ。逆にその日その日を精一杯生きる庶民にとって奴らは所詮「よそ様」でしかない。もし庶民がもの申すようなことがあったら、彼らにとってそれは単なる「お邪魔様」でしかない。何らこたえないのだ。そんな「無様」な仕打ちに耐えながら遠くの方で「貴様」なんて吠えても届くはずがない。ビルの上の高級なソファーに腰を下ろして、下々を見下ろしながら余裕の「お疲れ様」ですまされるのがおちだ。
 結局は何も変わらないのだ。とんでもない災害が起きても、とんでもない犯罪が起きても、何も変わらないのだ。狡猾は新たな触手を伸ばしている。不死鳥のようにどの時代にも繁殖するのだ。空しさをかみ殺して、目の前に現れた生き下手な人達との、束の間の心の往来をささやかな慰めとする。
 社会という名の夜陰の向こうで肉食の目が光る。


2011年10月27日(Thu)▲ページの先頭へ
判官贔屓
 かっこよく言うなら「またかよ」岡山弁なら「またかあ」
 外資系に買収された会社の薬がどんどん製造中止になっている。僕は昔から判官贔屓だから製薬会社でもいちばん大きい会社のものは基本的には推奨しなかった。2番手3番手あたりに力を入れていた。理由はやはり追いつけ追い越せで頑張っているセールスの懸命の姿勢が伝わってくるからだ。企業の業績にあぐらをかいているセールスに魅力を感じなかった。劣等生だった自分の姿に重ねていたのかもしれないが。
 その力を入れていた会社の目薬の在庫が切れたから注文したら、製造を中止しましたと若い女性がいともそっけなく教えてくれた。何か余分の言葉くらいあってもよさそうだが、外資系の会社の風土宜しく社員までもがドライだった。ドライはビールかクリーニングだけにしてと思うが、僕の関係する会社までがそうなってきた。
 目薬のヘビーユーザーの僕も気に入っていつも使っていたのだが、これでまた新しいお気に入りを捜さなければならない。あの目薬はこれでもうお気に入り削除だ。ワンクリックで全てが削除されるように、商取引さえもワンクリックだ。人情の入り込む余地などほとんどない。以前はセールスとくだらないお喋りを挟んで色々な情報を教えてもらっていたが、今は綺麗に印刷された紙切れか、画面の上だ。まさに生きた体の中に入れるものが、無機質な表現で伝わり、無機質に消えていく。せめて人の温かい、愚鈍な作業を経て体の中に送り込めたらと思う。
薬の世界で起こっていることは他の世界でもきっと起こっている。置き去りにされた愚鈍がますます恋しくなる。


2011年10月26日(Wed)▲ページの先頭へ
圧巻
 キャリーバッグをひきながら薬局に入ってきた姿は旅慣れた青年のように見えた。嘗て電話の声だけで想像していた女性像よりはるかにたくましく思えた。打ちひしがれた声しか聞いていなかったから安堵した。
北海道から訪ねてきてくれた人は初めてだ。今まで東京あたりからは何人かいたが、一気に距離が伸びた。2泊3日させてくださいと最初から予定を聞いていたから、ゆっくりと症状の把握も出来るし、ずいぶんと良くなって仕上げ段階かなとも思っていたので、背中を押すいいチャンスを与えられたとも思っていた。
勝手な先入観を裏切る話し好きの、話し上手な女性だった。おまけに職業柄か本来的か分からないが、若いのになかなか気配りも出来る女性だった。決して体育会系ではないが、鬱々とした話題はなく、焦らずに青春まっただ中を歩んでいるように見えた。さすがに過敏性腸症候群で寄り道はしたが、それだからこそ見つけられたものにちゃんと人生の舵を切っていた。失ったものよりもずいぶんと多くを取り戻しているように見えた。圧巻は、短期ではあるが、アメリカ留学を労働を提供することによって無償で実現させたことだろうか。留学期間中の生活ぶりを詳しく教えてくれたが、それこそ青春そのものだった。敷かれたレールから落ちたところが必ずしもはい上がれない底なし沼ではない。それこそアメリカ人のように、自由に生きていく土壌さえ与えられれば、多くの人が以前より、より高いところに這い上がり辿り着くことがある。彼女曰く、アメリカ人にとって見ればそれはごくありふれた日常だから、チャンスを失ったと嘆く土壌はないのだ。 
 この国で、単一民族だからこその同一性を求められる圧迫感は、時として体調にまで影響を及ぼし、過敏性腸症候群などという言われなき不調を押しつけられるが、それこそが社会の病巣だと理解すれば、面と向き合うほどの価値もない。僕が何時も言うようにまるで冗談のように、彼女が経験したアメリカ人の乗りのように治せばいいのだ。
 彼女は自分で煎じ薬を作った。色々な薬草の香りをかぎながら、しっかりと次なる目標実現のために作った。遠くの空の下で若者の能力を信じて、若者に自分自身の枯渇した可能性を託して、しこしこと煎じ薬を作っている田舎薬剤師の光景を覚えておいて欲しい。例え、福山雅治に似ていないことがばれたとしても。


2011年10月25日(Tue)▲ページの先頭へ
懇願
 何の権限も及ばない、何の権利もないところで起きたことだから、歯がゆくて情けない。誰も勿論悪いことはない。仕方がないことだとは分かっているが、ただただ悲しい。
1分でもいいから最後に僕と妻に会わせてくださいと懇願したらしい。僕のことをお父さんと呼び、妻のことをお母さんと呼ぶ若い女性が急遽手の届かないところに帰っていった。やむにやまれぬ事情があるのだろうが、たどたどしい日本語で書かれた短い手紙はそのことには触れていなかった。
 多くの笑顔とほんの少しばかりの寂しげな表情を僕の中に残した。この国の何十年か後を追いかけている、すなわち、この国が捨てたものをまだ持っていると言うことだ。その捨てたものの大きさを、身振り手ぶりで会話するときに気づかされる。
 出来ればいつか呼び寄せてあげたいと思う。日本で勉強したいとしきりに言っていた。あの年齢の頃、僕がそんなことを考えていただろうか。勉強が出来る環境を与えられながら、朝から晩までパチンコのバネを弾いていたのではないか。誰に対する罪滅ぼしではない、自分自身のあの頃に対しての罪滅ぼしなのだ。僕の出来ることでほんの少しだけ世の中にお返しをするしかないのだ。経済も肉体も勿論頭脳もないが、それでもなお出来ることはある。出来ないことの大きさにひるむのではなく、小さな出来ることを実行するに限る。
 別れの挨拶も出来ずに辛かっただろうなと思う。どのくらいの涙を流したのだろう。それとも弱みを見せまいと笑顔でも作ったのだろうか。突然届けられた手紙に昨日まで覚えた文法の痕跡はなかった。


2011年10月24日(Mon)▲ページの先頭へ
障壁
○○さんへ
 僕は今日2つの理由で○○教会に行きました。初めて○○にお邪魔したときに懇切丁寧にアドバイスしてくれたHさんのお通夜に先週行き、奥さんが教会でまた会いましょうと言ってくれたからです。奥さんはずっと来られていませんでしたから、僕がずっと行っていると勘違いしていたのだと思います。僕はあのご夫婦が好きだから是非今日はあの場所にいなければならないと思ったのです。
 もう1つどうしても行かなければならなくなった理由があります。昨夜、△△の若い女の子達が、焼き肉パーティーのお礼にお餅を作り、教会の人に食べて欲しいと持ってきたのです。生もので2日くらいしか持たない上に、妻が牛窓の祭りで教会に行けないから、△△の女性の真心を届けるために行きました。どちらも信仰上の理由で行ったのではないのです。義理と人情のまるで世間そのものの価値観です。ただ撲は世間の価値観が信仰に劣るなんて全く考えていませんが。
 ○○に通っていた頃の後半は、祈ることに集中出来なかった場所ですが、今日完全に割り切ってあの場所にいたら、昔の潜りのクリスチャンの頃のように意外と集中できました。今日僕にとって必要だったのはあの空間だったのです。ただご褒美ももらいました。嘗て「自費出版」で別れを惜しんだ人達がとても気持ちよく迎えてくれたことです。○○教会の土着の人達と言う表現がぴったりの方達です。いつか心の障壁が取り払われたらまた復活させてもらおうと思いました。
 僕は信仰について余り深く分からないし、今より深く束縛されたくないのですが、信仰という名を振り回して、趣味を実現する場所や個人の意図が色濃く反映されるような場所に未練はありません。 ひざまずくのに知識も肩書きもテクニックもいらないと思うのです。だから来週からはまた岡山教会に行きます。そちらでお会いしましょう。僕は職業柄人様のお役に立てる場所を与えられているので、まずはこの場所(薬局の中)を大切にしたいと思っています。

落ち込んだときだけ思い出して貰える大和より


2011年10月23日(Sun)▲ページの先頭へ
ちょいさ
 車で15分くらいの所にまた巨大なドラッグストアが開店した。僕は全くその情報は知らなかったのだが、心配してくれた人が教えてくれた。ドラッグストアは何故か花の名前が好きらしくて、ヒマワリとかコスモスとか言うらしい。ひょっとしたらその両方がその町には揃ったのかもしれない。牛窓から外に出ていく道は北回りと南回りの両方があり、以前からドラッグストアが林立していた南回りと合わせてこれで全ての道を固められたことになる。逃げ場を失い下水管に逃げ込んだどこかの悪党みたいに追いつめられている。
皆さんの心配をよそに、昨日の開店日も、僕の薬局にはいつも通り人が来てくれた。おまけに、まさにその開店した町からも、新たな漢方薬の相談患者さんが二組来てくれた。多くのドラッグストアや薬局を通り越してこの田舎にやってきてくれる。ドラッグストアで解決できるものは極限られたものだから、僕にとってはいくらその手のものが増えても実は関係ないのだ。
 最近辞めた電気店の主人に僕は頻りに店舗を再開してと頼んでいる。ちょっとした故障の時に頼める人がいないのは不安だ。遠くの量販店は些細な故障で来てくれるのかどうか心許ない。故障どころか機械にただ付いていけなくなっただけで呼んだりしたら怒られそうだ。出張費も取られそうだし。同じような町民の不安感は薬に関してもあるのではないかと最近思っている。意地でもこの過疎地に残らないといけないと思っている。幸運にも、遠くから多くの方が訪ねてきてくれるから、こののんびりとした綺麗な空気の中で、心を清くして患者さんに向き合えたらいいと思っている。ここにいるからこそ出来る仕事がありそれを目指さなければならないと思っている。
 白装束で御輿を担ぐ男達の声が近づいてくる。ここに色々な理由で残り暮らしている人達だ。とんでもない幸せを手にした人はいないが、「ちょいさ、ちょいさ」と繰り返す声に紡いだ人生模様が絡みついている。


2011年10月22日(Sat)▲ページの先頭へ
大丈夫
 10分くらいは押し問答をしたと思う。僕は危険だから帰るなと言うし、向こうは大丈夫を繰り返すし、結局は明日出勤のために自転車がどうしても必要だからと言うことでこちらが折れた。
 1ヶ月くらい前に、妻が教会に連れて行ってあげた若い女性3人が、その時の教会の親切にお返しをしたいと言って、手作りのお餅?を持ってきてくれた。大きなのを3つ作って教会の人に食べてくださいとのことだった。小さく切れば小さな教会の人全員に行き渡るだろうが、実はこのお餅を作るのに4時間くらいかかることを以前ご馳走になった時に聞いて知っていたから、手間が大変だっただろうと思った。恐らく仕事から帰った後、明日のミサに間に合うように一所懸命作ってくれたのだろう。そのお礼やねぎらいの言葉をかけているうちに、話が弾んで1時間以上時間が経過した。偶然かもしれないが3人とも日本人によく似た顔をしていて、礼儀正しくて謙虚だから、僕も仕事の手を休めて話し込んでしまった。
そうしているうちに一人の女性が雨の音に気がついた。来るときには雨は降っていなかったし、雨は夜にかけて次第に上がるという予想だったので、みんなが安心していた。次第に雨は激しくなり雷も鳴り始めた。ところが彼女らは平気な顔をして帰り支度のために合羽を着始めた。遠くで聞こえる雷ではなく、かなり近いところのような気がした。危ないから車で送っていくと何回も妻と申し出ても首を縦に振らない。大丈夫、大丈夫を繰り返すばかりだ。意志が硬いので、それだったら雨や雷が止むまで薬局で待っていたらと言っても、がんとして首を縦に振らない。結局は根負けして、気をつけてと何の安全策にもならない言葉をかけながら見送った。寮に着いてから電話をくれると約束して帰っていったが、その間の10数分が心配だった。
 それにしても毎日スコールがやってくる国の人は、雨や雷に強い。この程度なら安全と見極めるものを持っているのかもしれないが、僕らの常識からしたら勇気がある人か無謀かのどちらかだ。国柄なのか、人柄なのか知らないが、可愛らしい若い女性の後ろ姿に、逞しさを感じたりする。どこかの肥満した超大国もこれでは負けるわと、半世紀近い昔のことを思い出した。


2011年10月21日(Fri)▲ページの先頭へ
今頃
 最後の言葉が「撃つな、撃つな」では、映画の中の小悪党の姿だ。悪党なら悪党らしく覚悟を決めて啖呵の一つでも切ったらいいと思うが、所詮小心者だったのだろう。だから権力構造を作り上げなければ安心して眠れなかったのだ。強がりの向こうに小心が透けて見える。
40数年、延べにしたら何千万人の人が奴の死を願っただろう。人生でいちばん幸せな日と表現している人もいた。どれだけの命を奪い、どれだけの冨を奪い、どれだけの自由を奪ったのか知らないが、兵士に一度撃たれるだけですむ犯罪ではない。何回殺されても償いきれない罪だ。かの国の人達の無念が多くの血と引き替えに晴らされた。銃声を鳴らし歓喜のステップを踏むのは勝ち取ったが故のものだからだ。およそこの国では見たことのない風景だ。奪い取るとか、勝ち取るとかが苦手な農耕民族とは雲泥の差がある。権力を欲しいままにした奴と良く似たものがこの国にもある。どれだけの命をこれから何十年も危険にさらし、どれだけの土地や家屋や職場を奪い、どれだけの自由を奪うのだろう。何回罪に問われ何十年服役しても償えないほどの大罪だ。この国が農耕民族だからこそ許されているが、狩猟民族の地で起こったことなら、今頃は・・・


2011年10月20日(Thu)▲ページの先頭へ
だんじり
 嘗て秋祭りにだんじりを引っ張って町を練り歩いた仲間達も、最早その年齢ではない。牛窓は昔港町で栄え、遊郭が沢山あったらしくて、その名残でだんじりは女性の着物を着た男達が厚化粧で引っ張る。最初に参加した30代の頃は恥ずかしくて、酒の勢いでなんとかごまかしていたが、2.3年もすると快感になり、リーダーみたいに振る舞っていた。 左甚五郎の弟子とかなんとか言う人の作らしくて、恐らく江戸時代に作られただんじりは見事な造りだ。仁先生や咲様がいた頃よりももっと古い時代にあんなものが作られたことに感嘆するし、何十人でひかなければ動かないような重いものを先人達もひいていたのかと思うと江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。
 臑に疵がある友人がふらっと入ってきたから「○○君、だんじりはひかないの?」と尋ねると「祭りに出入り禁止くっているのにひくもんか」と答えた。当然僕にはその答えは分かっていたのだが、寂しくないのかどうか表情から読みとろうとしたのだ。御法度の裏街道を歩いてしまったから、表舞台にはこの小さな田舎町ではもう立てないだろう。それは自覚しているみたいで、だんじりをひくことに未練は残っていそうにはなかった。酒を飲み、大声を出して、交通ルールを無視して道路を占拠したあの頃の未練は無いと見た。酒の臭いを本能的に嗅ぎつける嗅覚も封印せざるを得ないのだろう。 
 僕にはそうした酒で人生を失った知り合いが二人いる。どちらもある時期とても親しく付き合ったのだが、酒で世間の評価を失うにつれて疎遠になっていった。世間の許容範囲を明らかに超えたのだ。ただ小さな町の良いところで、そうした人達が決定的に落ちることを防いでくれる人のつながりがある。だからとことん悪人になることは難しい。多くの人と日常繋がって育ち、過ごしてきた町だから、それらの人にも最低限大切にしなければならない人間関係は残る。だから悪の限りは尽くせなくて、まだ引き返すことが出来る一線を越えなくてすむのだ。
 何の遠慮もなく、嘗てのように道路を占拠して束の間の自由を謳歌するエネルギーはもう無いが、我が進む道だけは常にだんじり道にしておきたいと思う。


2011年10月19日(Wed)▲ページの先頭へ
大手
 外に偶然出ていたら、ある男性が声をかけながら近づいてきた。嬉しそうな顔をして喋ってくれた内容が、その表情とは裏腹に深刻だ。当の本人は深刻さにほとんど気がついていないのだが、若干ふらつくという症状が少しだけいつもとは違うかなくらいの気付きはあるみたいだ。血圧の上が210、下が110ある。こんなに高かったら、大手の工事では上に上がらせて貰えないから困ると言う。高いところでの仕事をする人だからそれはさすがに困るだろうと思うが、困る以前にすんでしまうよと脅かした。少しは、いやいやものすごく脅かさないと腰を上げるような人ではないから、こんな場合は最大級の脅しが必要だ。それにしてもこんな場合は「大手」と言う言葉がひどく存在感を増す。その反対の小さな現場だったら、高血圧でめまいがして転落しようがなにをしようが問題にならないような意味も含んでいるように聞こえた。田舎の小さな会社だから、下請けの下請けのまだ下請けのと言うくらいかもしれないが、大手の威光は絶対なのだ。これと同じような力関係で町全体が買われ、危険と隣り合わせで生きていかざるをえなくなった田舎町がいくつもある。幸運にも僕の町では、高いところから落ちる高血圧者を心配するだけでいいが、幾万の命を担保にさしだしている町はかなわない。
監督官庁にだけは形ばかりに尻尾を振り、庶民には牙を剥く。そんな今も昔も変わらない大手に今こそ「王手」をかけなければならない。


2011年10月18日(Tue)▲ページの先頭へ
洋菓子
 こんな喜びがあるから僕も今すぐに薬剤師を辞めて俳優になることが出来ない。このままだとどんどんデビューが遅くなる。デビューできる頃には水戸黄門が地でいけそうだ。

ヤマト先生
 大変ご無沙汰しております。以前、お腹のことでお世話になっていた東京の○○です。今でもよく、ヤマト先生のブログを読ませていただいています。何から書いたら良いか難しいのですが、とにかく今回ご連絡をさせていただいたのは、改めてお礼を言うためです。
 漢方を卒業して早1年近くでしょうか。私は今も仕事を続け、時々辛く、時々嬉しいというごく普通の日常を送っています。症状はまだ2割程残ってはいますが、今はそれに振り回されてはいません。この状態は、ヤマト先生にお会いするまでの私には考えられないことでした。ヤマト先生は、ご自身をカウンセラーではないと仰いますが、私は漢方薬にももちろん助けられましたが、ヤマト先生の言葉と存在にどれ程助けられたか知れません。ガス漏れがひどく、人の咳や鼻すすりが怖くて、昼休みに泣いてお電話をしたこともありました。自分からニオイが出ていると思い込んでいた私が、もしかしてそれはないかもしれない、と気づくのには随分時間がかかりましが、いつも根気強く励まし、一緒に状況を分析してくださったお陰で、私は回復していったのだと思います。
 今、私は勤めている会社を退社しようと考えています。症状のためではなく、心や脳を勉強するためです。私に起きた症状は、私に人生の目標を与えてくれました。まずは臨床心理士の資格を取ろうと思い、今は大学院の受験勉強に励んでいます。森田療法や認知行動療法などを学んでいると、ヤマト先生の言葉とリンクしていくのです。「現場で治るものなんだよ」「咳をしている人は本当にニオイが原因なの?他の可能性は考えられない?」など、励まされた言葉はまさにこれらの心理療法の本質を突いていると思うのです。先生は本能的にご存知だったのでしょうか。それとも、現場で多くの方々を診ているからわかるのでしょうか。学問的な事を学んで、どこまで人の役に立てるのかはわかりません。でも、自分の生きがいとして学ぶことが、いつか人の役に立つこともあるのではないかと思い、甘いかもしれませんがそれで自己・・・(ここより文字化け。再度送ってもらっても文字化けするので省略します)・・・・あの時、孤独で家族さえ理解できなかった症状を理解していただいたこと、どんなに心強かったかわかりません。本当にありがとうございました。受験が終わって新しい道を歩み始めることができたら、いつか牛窓に伺えれば、と思っています。ご迷惑でなければ・・・(*^^*)

○○さんへ
 どんな症状でも8割も改善すればほとんど完治です。逆に2割病気が軽くなっただけでも人間とても楽ですものね。新たな目標が出来て良かったです。現在の職業がどの程度の満足度か分かりませんが、より向上できたらいいですね。(大学院からでいいのですか、幸運ですね)僕は全て我流ですから、逆に貴女に、おおむね正しかったのだと教えられたくらいです。皆さんに現場で治って頂くように、僕も現場で薬を作ってきました。僕の恩師以外の、立派な畏れ多い処方も数多聞きましたが、僕は実際に効かない処方は排除してきました。良いタイミングが見つかれば遊びに来て下さい。偶然数日前に牛窓っていい所だと思う経験をしました。都会の人が心を洗うのにはいいのかもしれません。僕はヤクザな世界から足を洗わなければなりませんが。
 貴女が下さった文章を、過敏性腸症候群(ガス型)で現在治療中の人が読んだらどんなに治る期間を短縮できるだろうと思いました。またすでに色々な治療を受けて絶望している人達に読んでもらうと、もう一度挑戦してみようという意欲を出して貰えるかもしれません。そこでもしよければ、僕のブログにのさせてもらえないでしょうか。
ヤマト薬局

ヤマト先生
 お返事ありがとうございます。先生の過敏性腸症候群のブログにはいつも励まされてきたので、お役に立てればうれしいです。先生はヤクザな世界から足を洗うのですね!私はヤクザな世界へ戻ろうと思っているんですよ。(笑)大学まで過敏性腸症候群にならなかったのは、社会人になる前の私がヤクザな世界にいたからだと思っているんです。本当にダラけて規則を守れない子供で、いつも大人を困らせていましたが生きていくのが辛いとは感じていなかったです。私が苦しくなったのは、社会人になって周りに「すごい、優秀だ、完璧」と思われなくてはと思い始めた頃と重なるんです。今、その頃の自分は人間らしくない姿を目指していたなぁと感じます。だから先生はずっと心の豊かなヤクザな漢方薬剤師でいてほしいなと思います(失礼でしょうか・・)いつか牛窓においしい洋菓子を持って伺いますね!またお会いできることを楽しみにして、勉強に励んでいきたいと思います。お腹から学んだことを忘れずに・・・これからもブログは拝見していますので、よろしくお願いします!

○○さんへ
 有難う。あの文章は勇気づけられる人がかなりいると思いますよ。僕が読んでいても感激してしまいそうでしたから。特に返信の文章に思わず涙を流しそうでした。同じように懸命に演技して生きている人が多いのでしょうね。その人達に、地でいいのよと言ってあげたいのです。弱みを見せて生きていく気楽さを教えてあげたいのです。僕も福山雅治になりきるのにもう疲れました。
ヤマト薬局


2011年10月17日(Mon)▲ページの先頭へ
朝一番
 若者が朝一番に飛び込んできて、喉がイガイガするからトローチをくれという。そのほかの症状を尋ねたら何も無いという。9時過ぎには病院に行くとも言っていた。病院へ行くまでの30分のためにトローチを取りに来たのかと呆れたが、まさにその通りらしい。
何となくこのやりとりに違和感を感じた。後30分たてば病院に行くのだったら、30分くらい何もしなくたって同じではないか。あるいは喉がイガイがする程度の風邪くらい自分で薬を買って治せよと言いたかった。どうやら生まれてから病院代が無料の期間が長かったから、地力で何かを治すという習慣を身につけていない世代が増殖しているように見える。どんな些細な症状も病院に行って優しく手当てしてもらわなければ収まらないらしい。かかる病院によるが、どうせ抗生物質、去痰剤、風邪薬、下手をすれば吸入剤などが総動員されるから、かなりの金額になる。僕のところなら風邪くらい病院と遜色なく治すことが出来るし、安いし、何にもまして数分ですむ。たかが風邪くらいでこんなに国に税金を使わせてどうするのだろうと呆れる。国の財政が破綻するのも仕方がない。企業や政治家だけでなく、庶民までがよってたかって税金を奪い合っているのだから。
 夕一番に「○○さんが熱が出て関節が痛がっているから薬を作ってあげて」とお使いの青年がやってきた。○○さんは僕の同級生で関節が痛いと言うことはかなりの高熱の筈だ。その青年に電話で頼んできたらしい。たった喉がイガイガするだけの若者が病院に行き、高熱で関節が痛いのが薬局に来る。どう見ても逆転しているようだがこれが現実なのだ。これから心も体も鍛えて世の中を引っ張っていかなければならないような青年達のこの気概のなさ。それに引き替えもう引退しても良さそうな世代の人間の踏ん張り。まさに対照的だ。若者のように大切に育てられたわけでもなく、老人のように大切にされているわけでもなく、中間世代は甘え知らずで痛ましい。


2011年10月16日(Sun)▲ページの先頭へ
お礼
 その小さな教会での数年間は全てこの棺桶の中で眠っている老人から始まった。90歳を越えていると聞いて、にわかには信じられなかった。ふくよかな顔、ふっくらとした体型、それに何よりもみずみずしい顔の艶、その全てが少なくとも10歳は若く見せていた。ところが棺桶の中から覗くその顔は最後に見かけたときからはずいぶんとしまっていて凛としているように見えた。まるで97年生きた証を誇っているようだった。
数年前に初めてその教会を訪れたとき、偶然腰掛けた椅子がその老人の隣だったのだ。小さな教会だから当然僕が初めての来訪者だってことは分かる。僕が他の教会の30年の潜りだとは知るよしもないから、老人はいちいち儀式の進行具合を教えてくれた。今典礼というものの何処を読んでいるか、聖歌の何処を歌っているか、立ち上がるタイミング、腰掛けるタイミング、全てを丁寧に教えてくれた。ほとんどのことは分かっていた僕だが、初めて訪れた教会と言うことでぎこちなさは見抜かれていたのかもしれない。30年潜りだった岡山教会は大きな教会だったが、その間に誰からも話しかけられるようなことはなかった。その老人の過剰な親切に若干戸惑ったが、30年間、退屈な儀式と思っていたものに少しばかりの親近感を持てた。
 老人はその時僕をどの様に感じて親切にしてくれたのだろう。会社をリストラされたサラリーマンか、借金で首が回らなくなった自営業者か、汚職がばれて免職された公務員か、万引きを繰り返す一人暮らしの男やもめか、競輪場ですってんてんになった博打打ちか、公園で寝泊まりする路上生活者か。
通夜の席で神父から故人の簡単な紹介があった。生まれてすぐカトリックの洗礼を受けたのだから、筋金入りのクリスチャンだ。筋金入りだからこそ無理がない。背伸びがない。見え透いた信仰心を振りまいて陶酔している輩とは決定的に謙虚さが違う。小さな教会にこの老人を筆頭に長崎出身の家庭がいくつかあったが、どの家庭も僕ら中途洗礼者には決して越えることが出来ない肌に染みついた信仰があった。頭でっかちの信仰が所詮我欲に過ぎない例は一杯見せつけられた。
 今日僕は、居心地の悪さを感じて離れていた小さな教会に老人にお礼を言いたくて久し振りに入った。痛みを分かち合うことよりも楽しみを追求するばかりの変貌に付いていけなかったのだが、老人の凛とした寝顔のおかげで心安らかに家路につくことが出来た。


2011年10月15日(Sat)▲ページの先頭へ
海外
 「この間、海外旅行でいとことハワイに行ってきました!! 人生初のハワイは、異世界でとても楽しい旅行になりました! バスや船の移動が多かったのですが、トイレのことなんか一度も気にしませんでした(笑) 何もかもヤマト先生のおかげです!」
実はこの手の報告は意外と多いのだ。この方の場合旅行だが、留学した人も数人いる。どちらのパターンでも、おおむね楽しんで帰ってきてくれている。と言うより、旅行中や留学中にはほとんどの人が治った状態になる。余程この国は住みにくいのだと思う。この国を離れさえすれば、あれほど日常のほとんどを占めていた過敏性腸症候群の症状が出なくなるのだから。国を一歩でれば、息が詰まるような日常から脱出できるのだろう。何が日常をこんなに息苦しくしているのか分からないが、横並びの価値観や秩序がそうさせるのだろうか。
 治るのならどんどん出ていけばいい。自分の症状が異常なのではなく、この国のありようのほうが異常なのに気が付くかもしれない。発想の逆転が出来るなら、1年や2年遅れたって向こうで暮らしてみればいい。息をひそめて行動を縛り、やりたいことのかけらも挑戦できないでは青春ではない。正義とか平等とか自由とか、かけ声だけ与えられて何ら恩恵を受けられないような国にこだわる必要はない。嫉妬やねたみで足を引っ張られる必要もない。
 挑戦しながら治す。出来ないことを一つずつ潰していく。これが僕の治療のスタンスだ。病人になってもいけないし、病人にされてもいけない。どうせみんな欠点だらけの人間なのだから、一生隠し通すなんて労力はしないがいい。力んでいるのは自分だけなのだから。


2011年10月14日(Fri)▲ページの先頭へ
眺望
 マンションの10階のベランダが、透明のガラスで出来た手すりなら、高所恐怖症の僕でなくても恐ろしいのではないかと思いきや、妻もその女性も何食わぬ顔をして、手すりにもたれて景色を堪能していた。本来なら分厚い壁で被われるだろうバルコニーが透明だから、部屋に寝ころんだままで穏やかな瀬戸内海が遠くは四国や小豆島、近くはヨットハーバーに浮かぶヨット達が一望できる。
瀬戸内市唯一の高層マンションが、僕の散歩エリアに出来たときから一度中に入ってみたかった。ただ、物欲しそうにその下を歩いていたら何を言われるか分からないから、如何にも興味なさそうにその下は歩くことにしていた。その下で牛窓の人に会ったときなど「何号室に住んでいるの?」と先制攻撃を仕掛けていた。相手もさるもので「いくらしたの?」などとジャブを返してくる。お互い買えないもの同志がよそから来た「買えた人達」の下でさえないギャグを応酬する。
知人女性が突然やってきて、そのマンションを買うと言った。それに便乗して一緒に中を見学させてもらった。その女性は牛窓の穏やかさにひかれたみたいで、土地の風情や人情をとても評価してくれていた。1週間前に下見していたらしくて、とても気に入っていた。そんなに素敵なのかと若干首は傾げ気味だったのだが、10階からの眺望は想像以上だった。とても何十年住んでいた僕の町とは思えなかった。どこかのリゾート地のホテルでくつろいでいる様そのものだった。僕らが気恥ずかしくなるほど牛窓を絶賛してくれる人が時々いるが、この景色なら決して後ろめたくなる必要もないと思った。這いつくばるように送っている日常空間とは隔絶された空間があることを知った。
決してレジャーの町ではないのに多くの人が来てくれることに違和感を持っていたが、この町のこの景色だからこそ心に響く人達がいるのだと知った。その女性が、アクセスが不便だからこそ居心地の良さが残ったと逆説的な表現をしたが、なるほどなあと頷ける。住んでいる人間には何不自由はないが、その不自由で防いできたものもあるのだと教えられた。眼下を海猫が飛び、漁船が遠慮がちに水面を切る。堤防の上で小さな人影が竿を降ろしている。薄汚れた白衣で懸命に漢方薬を作っている日常が、体育館の屋根から滑り落ちたのが見えた。


2011年10月13日(Thu)▲ページの先頭へ
除染
 ほらほら本丸に近づいてきた。さて大東京に住む政治家や役人のお偉いかた、大企業の社長さんらどうする。遠く田舎の出来事で、東北の忍耐強い気性に助けられて何ら痛みを感じることがなかった加害者達も、これで等しく子や孫が放射線に晒されることになる。
さしあたって健康被害はないなどと、ほとんど殺人に近いことを言っていた奴も、日常的にすれ違う人達の恨みを買うことになる。ヒ素の保管場所を勘違いしただけで命を絶った大学の先生の潔癖さの一欠片でも持ち合わせていたら今生きてなんかおれない奴らの傍を、鬱積した恨みで心がはち切れそうな人間達が通る。
 3月11日以前の100倍の放射線が大東京に存在する。時速60Kmで走っていた車が、時速6000Kmで走る異常、数学のテストで40点しかとれなかった僕が4000点をとる異常、視力が0.3の僕が視力30も見える異常。こう考えてみればいかにあり得ない世界で生きなければならないことかが分かる。
除染除染で日が暮れる。何か高圧水を吹きかければ綺麗になると、元通りになると思っているのか思わせているのか知らないが、やたら水をかけまくっている。除染なるものをしてもやま3割が何処かへ流れていくだけで、その水が流れてきたところはたまらない。除染とやらで放射性物質が単に場所を変えただけだ。煮ても焼いても何をしてもなくならないものが、自身で滅び行く半減期を待たずに無くすることが出来るはずがない。いつ誰が考えた言葉か知らないが、悪意の潜んだ便利な言葉だ。誰かが「移染」と言うべきだと言っていたが、まさにその通りだ。言葉は正しく使わなければ。
 忍耐が苦手な大東京の人がどういった行動をとるのが楽しみだ。耐え上手で表現の下手な田舎の人と心を通わせてくれることを祈る。


2011年10月12日(Wed)▲ページの先頭へ
焼き芋
 欲しければ口に出して言ってみるものだ。思いがけないプレゼントが届くことがある。こんな書き出しだと僕にどんな幸運がもたらされたのだろうかと思うが、届いたのは焼き芋だ。大きいのが3つまだ熱いまま届けられた。
日曜日に時間つぶしでうろうろしていたスーパーの中で、石焼き芋が売られているのに気がついた。何仕掛けか知らないが、敷き詰めた石の上に紙袋に入れられた焼き芋が並んでいた。触ってみなかったから熱いかどうかは分からなかったが、出来たて云々と書かれていたから恐らく熱々の焼き芋なのだろう。煙も出ずに香りもしなかったので石の下で火が炊かれているようには見えなかったが、芋に焦げ目は付いていた。1個200円なり。帰りの車の中で食べれば美味しいだろうなと思って、何回か前を通って手を伸ばしかけたのだが、最終的に躊躇ったのはそれが何処でとれた芋か書いていなかったからだ。後学のために目利きの主婦の如く肉や魚や野菜や果物の産地をかなり詳しく点検してみたが、おおむね西日本や外国のもので占められていたが、中には渦中の県のものもあり、どうしてそれらが西日本の店頭に並べられているのか理解に苦しんだ。例えば薬局関係では、ほとんどの人が口にすることのない「十薬(どくだみ)」でさえ、長野県産のものは市場に出回らないように規制しているのに、好きな人は毎日でも口にしそうなサラダの材料になる野菜が並んでいるなんて。
 繊維質に富み、自然の甘みが摂れる焼き芋を食べることが出来なかった無念さを翌日店頭で話していたら、ある方が冒頭で書いたように早速持ってきてくれた。農家の方で自分の畑でとれたサツマイモを焼いてきてくれたのだ。うちのは甘くて美味しいよと自信に溢れたコメントと共に届けてくれたのだが、本当にその通りだった。石焼き芋ならぬ、電子レンジ焼き芋だそうだが、そんなに負けてはいないだろう。それよりも無機質にレジに並んで手に入れるより、心を添えて頂いた芋に値打ちがある。例えそれが同情から出た行為でも有り難い。
 今度は大トロを買いそびれたと言いふらしてみようか。


2011年10月11日(Tue)▲ページの先頭へ
共有
 ある女性から頂いた体験を多くの過敏性腸症候群の方に共有してもらいたくて掲載させて頂く。臨場感があるので、多くの方がこの貴重な体験を共有できるのではないかと思う。過敏性腸症候群は如何にも治りにくいように誇張されることが多いが、他のトラブルと何ら変わりない。

ヤマト薬局様
・・・みんな、寝不足だと体になにかしら変化があると思いますが、私の場合はお腹の調子が悪くなるんだと気が付きました。これを教訓に、睡眠は十分とる生活をしなきゃなぁと思いました。それから、昨日、中学の時の同級会がありました。乾杯のビールを1口飲んだ後、急におならのにおいがした気がして、そうすると気になって余計におならのにおいが私の周りに充満しました。隣に友達がいるのに・・・ほんとに悲しくなりました。
あわててトイレに行って戻ってきました。落ち着いて、食事をしようと目の前のお通しを見ると、大根おろしが使われていました。混ぜてみるとなんとなーくさっきのおならのにおいがするような・・・もしかしたらさっき漏れてはいなくて、隣の友達がこのお通しを食べていただけなのかも?と思いました。確かに友達は、最初のにおいがしたとき食べていました。「これおいしいよ」とも言っていました。その五分後、今度は硫黄のにおいがしました。「また漏れた?もう嫌・・・」そう思ったのですが、今度は友達がちょうど、サラダに入っていたゆで卵を食べていました。「もしかして硫黄のにおいがしたのはゆで卵だったのかも。。。」と思いました。そのあとはガス漏れは気にならず、後ろに人がいても気にならずに過ごすことができました。後ろに、たった15センチくらいしか離れていないところに人が座っているのに、ガス漏れ1つしないなんて、私には奇跡でした。鼻をクンクンしてみたのですが、においがしませんでした。もしかしたら、ほんとにガス漏れなんてもう気にならなくて、ただ偶然が重なって(大根おろしとかゆで卵のにおい)においがするような気がしてしまうだけなのかもしれませんね。私、だいぶ、回復してきたかもしれません!

○○さんへ
 貴女にも経験があると思いますが、徹夜したときのお腹の調子など最悪ですよ。今はそんなこと出来ませんが、学生の時はしばしば徹夜で麻雀していましたから、お腹の調子など最悪でした。身体も勿論最悪でした。熱っぽくてだるくて、若さ故でしょうが、今から思えばいい度胸をしていました。だから貴女が睡眠不足でお腹が不調になっても全然気にすることはありません。ほとんどの人が同じ症状ですから。
 それよりも同級会の時のあなたの、窮地の脱出の仕方の方を嬉しく思いました。落ち着いて考えてみれば、すべての事象に理由があることが分かります。科学的に考えればあの忌まわしい想像の産物をうち消すことが出来ます。今回のあなたの思考回路を覚えていてください。おやっと思ったら原因が必ず実在していることを思い出してください。あり得ないことってのは、あり得ないからあり得ないことなのです。それにしても15cmの奇跡はやりましたね。これでもうどんな距離でも克服できます。日常それ以上近づくことなんて滅多にありませんから。僕は貴女に「絶対越えられない壁を越えて頂く漢方薬」をお作りしています。勿論腸内環境や平滑筋の自然な動きをする処方も含んでいます。これでガス漏れが治らないはずがありません。他のどんな不調と何ら変わることなく治るべき症状を治しているだけです。僕にとって何ら特別な作業ではありません。
「私だいぶ回復したかもしれません」
僕もそう思います。もう少しです。あの何も考えなかった頃の自由を取り戻せますよ。今からでも遅くはありません。この症状が治ったら、女優か歌手になって僕にサインを下さい。
ヤマト薬局


2011年10月10日(Mon)▲ページの先頭へ
偶然
 多くの人がなりたくないものの筆頭に、交通事故の加害者と被害者があるだろう。悪意が全くなくても成立してしまう犯罪だ。悪意がないことが弁解にならないのだから当事者になってしまってからではどうしようもない。出来るだけその立場にならないように気をつけるしかないが、100%完全はあり得ない。
 今日、僕はまさにその加害者になるところだった。偶然がいくつも重なり事故が起こりそうになって、また偶然がいくつも重なって回避された。
牛窓に入る1番目の坂はかなりダラダラと続く。坂が終わりそうなところが緩いカーブになる。丁度その辺りにさしかかったとき、先頭が大きなジープ、後続の2台が普通車と言う順番で反対車線をやって来た。丁度ジープとすれ違ったところで突然カブが僕の車の前方に現れた。10メートルくらいはカブとの距離があっただろうか。そのカブが、と言うよりおじいさんが(すぐにお年寄りだと分かった)白線から僕の車線に入ってきたのだ。おじいさんは右に横切ろうとしたのだろう。それを見て僕はすぐに進行方向右にハンドルを切った。坂道を降りてきたけれど僕はそんなにスピードを出すほうではないので急ブレーキはかけなかった。その瞬間おじいさんは白線から元の車線に戻ろうとした。これには面食らって僕もまた元の車線の方向、すなわち左にハンドルを切った。ところがまたまたおじいさんは急にハンドルを切ったものだから、オートバイが倒れそうになり再び僕の車線の方に飛び出してきた。倒れたら当然低ひいてしまうので、僕は右側の車線に大きくハンドルをきった。おじいさんは倒れそうになりながらも態勢を立て直して、結局は道路を斜めに横切って、自分が目指していた細い山道を登っていった。バックミラーで確認したら凄い勢いで去っていった。余程恐ろしかったのだろう。なかなか状況を言葉で解説するのは難しいが、車とカブで事故の回避をしながら裏目に出続けた格好だ。最終的には衝突を避けることが出来てお互い救われたのだけれど。
 なぜだか知らないが僕は脈の一つも乱れなかった。瞬時にハンドルを右に左に切ったような経験はないが、まるで映画の一シーンのように危機を抜けることが出来たことを嬉しく思った。もし運の良い偶然が一つでも抜け落ちていたら、僕は老人をカブもろとも跳ね飛ばしていただろう。
 必要もないのに車には乗らないと気をつけているものの、こうしたハプニングに巻き込まれない保証はない。なるべく車に乗らずに事故に遭遇する確率を減らすしかないが、カーブで大きなジープの影で僕の車が見えなかっただろう偶然の産物まで避けることは出来ない。人の役に立てることが少ないならせめて傷つけることだけでも少なくしたいと思っているが、こうして夜になって回想しているうちに、次第に恐怖感が蘇ってきた。色々なものに守られたのだろうと自分を納得させるが、ただ一つ確実に僕を守ってくれたものがある。それは後続車の運転手二人だ。もしあの2台が急ブレーキで止まってくれなかったら、僕はカブを避けて反対車線に出ることは出来なかったのだから。


2011年10月09日(Sun)▲ページの先頭へ
繁殖
 僕も長い間タバコを吸っていたし、女性で吸っている人も沢山知っているから、タバコ吸いを特別視するつもりはないが、それにしても今日目撃した二つの光景は余りにも美しくなかった。銀幕を飾る女優のように格好良く吸ってとは言わないが、せめて醜い姿だけは見せないで欲しい。ほとんど精神の公害だ。
朝から沢山の車が薬局の真ん前にある体育館に集まっていた。何かの大会があるのだろう。僕は2階の窓から何気なくその光景を眺めていた。ユニフォーム姿の小学生らしい子供達が車から降りてくる。体育館の正門の前には男性が二人立っていて、急造のダンボールで作った案内板を頭上に掲げていた。それに誘導された車が次々に駐車場に入ってくる。丁度門の辺りで二人のお母さんが迎える段取りなのだろう、おそろいのジャージを着て車に軽く会釈をしていた。ある瞬間車が途絶えた。すると一人のお母さんがおもむろにタバコをとりだし火をつけて煙を一気に吐き出した。そしてもう1人のお母さんにタバコを勧めて二人で吸い始めた。その後やってくる車に会釈はするのだが、タバコを隠すこともせずどうでもいいような会釈に変わってしまった。こんな態度で迎えられる人はどう思うのだろう。そしてこんな態度で迎えた母親の子供が、コートの上で礼儀正しく競技できるのだろうか。それとも良くあるように子育てはスポーツ少年団や学校に任せているのだろうか。
 二番目のまるで良くできた話は昼前のこと。教会を出て駐車場に向かって裏道を歩いているときだった。駐車場の隣に中学校があり、まさにその正門の前を通った時、コンクリートで出来た大きな柱の脇から、投げ出されている足が見えた。それこそジャージ姿の足だった。歩みに従ってその全貌が見えたとき、朝と同じような不快な気分に襲われた。朝目撃したと同じくらいの世代の女性が、足を投げ出して一人タバコを吸っているのだ。門にもたれてコンクリートの上に座り込んでいる。恐らく校内が禁煙だから外で吸っているのだろうが、そのだらしなさに唖然とした。
 どうせ目撃するならもっと感動的な場面に遭遇したいものだが、なかなかそんなものあるはずがない。僕のために用意されるものなど何もないからとやかく言う筋合いでもないが、同じような不快感に襲われる人は多いのではないか。意識しようがしまいが、与えることが苦手な人が着実に繁殖しているように思える。


2011年10月08日(Sat)▲ページの先頭へ
神様
 「さっき喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、ある女性が先生のことを神様じゃと言っていたよ」と、常連の男性が教えてくれた。「なんでも数年不整脈が治らなかったのが、先生の漢方薬で2週間で治ったらしいよ」と付け加えてくれたことで、その奇特な人が誰かすぐに分かった。
「ところでその人は僕のことを何の神様と言っていた?フォークの神様?マネーの神様?金融の神様?競馬の神様?踊りの神様?選挙の神様?受験の神様?短距離の神様?恋愛の神様?捜査の神様?パチンコの神様?野球の神様?サッカーの神様?・・・・」
 どうやらどの神様にも当てはまっていないらしかった。こうしてみると神様ってのはギャンブルかスポーツか金の世界に多く住んでいるらしい。本来住んでいそうな精神分野には実は少なくて、勝負や欲望が渦巻くところに出没するみたいだ。その女性に褒めてもらった漢方薬の分野は勝負事も欲望も入る余地がないので地味なものだ。神様も当てがはずれて見過ごしてしまうだろう。
 本物の神様には滅多に会えないが、神様になりたがっている人には結構出会う。己の過信さえあればなれるらしい。どうやらそういった人物は寡黙にして人を引きつけるものではなく、多くの雄弁や詭弁を酷使して神に上り詰めるらしい。それが小さな集団ならいとも簡単に成就する。無邪気になりきる方も、無知で崇め奉る方も同じ穴の狢だ。本当の神への冒涜は神を口にする人達の中にあるのかもしれない。
こと信仰に関しては僕も一歩も後に引かないから、その男性に凛として言った。「今度また喫茶店で会ったら、その女性にハッキリ言っておいて、神様と思うならお賽銭をくれと」


2011年10月07日(Fri)▲ページの先頭へ
いじめ
 首を傾げて長い時間考えていた。でもやっぱり見つからなかったのだろう「ポルトガル語にはいじめって言葉はないですねえ」と言った。
10年以上も前から余程その存在が恐れられているのだろう、裏を返せばその人が権力を握れば都合が悪い人達が沢山いるのだろうと推測される人物が、尿管結石で搬送された。かなり辛い痛みが常識だが報道に病状を心配する気配はない。声を落として、悪意の間を入れて原稿を読まれてはますます作られた悪人になる。そう言った話をある方にしたら、まさにその方も腎臓結石の痛みで漢方薬を取りに来たところだった。ニュースでその話題を知っているかと尋ねたら知らなかった。一人の人間をこんなに長い間公の機関を総動員していじめるような国はないとオランダのある大学教授が言っていたが、ブラジルでもこんなケースがあるかと彼に尋ねたら、いじめと言う行為自体がなくてそれだからこそいじめという言葉もないと言っていた。
 この国しか知らない僕にとって彼の説明は興味深かった。ブラジルは歴史が浅い国で、色々な人間の寄せ集めみたいな国らしい。それこそポルトガル系からフランス系、黒人系、彼みたいなアジア系、勿論南アメリカの原住民系。それらがそれぞれの生活様式を受け継いでいるから、統一した価値観や習慣がないらしい。100人いたら100人全員が異質なのだそうだ。例えば友人の家に行く楽しみは食べ物が家々で全く違うと言うことらしい。みんな異なるという前提で社会は成り立っているのだ。だから異質を排除することはない。その発想すらないのかもしれない。誰もがそれぞれの個性や習慣を持っていていいのだ。だから日本みたいな画一的な価値観や習慣を強要されるようなことはない。島国で、ほぼ同一民族故の画一性がもたらした「いじめ」を国会や捜査機関やマスコミが堂々とそろって行っているから、社会の小さな片隅で大人や子供がそれを真似ても不思議ではない。善人面で、延々と繰り広げられる島国ならでの光景にうんざりする。


2011年10月06日(Thu)▲ページの先頭へ
ルームシェア
 ルームシェアという住み方が流行っているそうだ。寝る所だけが別でキッチンやリビングは共有らしい。なんだか時代の先端を行っているらしくて、人とのつながりを求めて敢えて選択している若者が多いのだそうだ。綺麗なキッチン、広いリビング、そこに集って談笑している姿を見ればさしずめ外国のようだ。その魅力と問題点を特集しているテレビ番組を偶然見た。
 その番組を見ていて思わず僕の口から出たのは「なんだ若竹荘と同じではないの」と言う言葉だった。若竹荘とは大学時代に住んでいたアパートだ。通称「監獄」と呼ばれ、東京間の3畳の一部屋に洗面器が一つ付いているだけだった。それ以外は何もない。牛窓から持っていった荷物はそれでも十分収まった。岐阜で新たに買ったものはひんしゅく以外ほとんどないから、持ち込んだ机とホームごたつと布団が収まって充分な広さだった。鉄筋3階建てに小さな鉄の扉が21個付いていたから、まさに外観は監獄だ。どうして同じような人種がアパートにも集まってくるのか分からないが、学生とは名ばかりの一癖も二癖も三癖も四癖も五癖も・・・・いい加減ひつこいか・・・・ある人間ばかりだった。
 若竹荘ではガスコンロが二つ階段の踊り場にあり、トイレは各階に二つずつあり、風呂は一階の階段の下のスペースを利用して二つあった。どれも共同だ。ただルームシェアと呼ぶにはガスコンロは外階段の途中だし、トイレも風呂も戸を開ければ外だから(建物の中ではない、部屋だけが辛うじて外の空気と遮断されるだけで、後は全て開放されて外気そのもの、道路から全て丸見え)和気藹々とは言えないが、それでも確かにシェアしていた。各々気が合う人間の部屋に集まっては、実り少ない時間を必死に食いつぶしていた。 ルームシェアなんて言うと格好いいが、なんのことはない、昔に帰っただけだ。経済が成長しなくなって、夢を追い求めることが出来なくなったから、慰め合って生きる仲間が欲しくなっただけだ。劣等生が集まり、破滅的な生活をしていた僕らと趣は異なるが、どこか似ている気はする。モダンか胡散臭いかだけの違いだ。
そうしてみると時代なんてそんなに進んではいないのかもしれない。道具はさすがに便利になったが、人は所詮人と繋がってしか生きられないのは今も半世紀前も、いや縄文の昔ともさほど違ってはいないのだろう。僕らは確かに部屋をシェアしたが、各々の青春も粉々にしてシェアしていたような気がする。


2011年10月05日(Wed)▲ページの先頭へ
後ろ姿
 浣腸でなんとかお通じを出していたおばあさんに、お通じの漢方薬を作ってあげたら気持ちよく出たらしい。近所の薬局が廃業してから、同じ町内でも初めて僕の薬局に来る人がいる。最初はお嫁さんが相談に来てくれたのだが、2回目は本人が取りに来た。今度は以前の倍の日数分を作ってと頼まれたので、待ってもらう間妻がコーヒーとケーキでもてなした。するとおやつを頂いたのは8年ぶりだと言った。とても美味しかったみたいでその後も話が弾んだ。
おやつを8年も食べていないことに驚いたが、食事も1日2食にしていることにも驚いた。「1日3食やはり食べない方がいいかなあ」と相談されたので尋ねてみると8年間ずっと2食だったのだ。「食欲がないのならそれでもいいのではないの」と答えると「食欲はあるんじゃけれど、膝を痛めて病院に行ったら痩せないといけないと言われたんじゃ」と教えてくれた。真面目な患者さんだ。8年間お医者さんの言うことを厳重に守っている。薬局に入ってくるのも難儀で、入って来るなり腰掛けを要求したくらいだから余程悪いのだと思うのだがやはり「膝は今はクッションがもう無くて骨と骨があたっているんじゃ、だから痛み止めをもらいに通うだけ」と情けなさそうに言った。どうやって来たのかと外を見ると老人用のゆっくり走る3輪車がとまっていた。
 僕はこのしばしば耳にする「痩せれば治る」と「痩せなければ治らない」がどうもぴんと来ない。事実薬局では「痩せるな」ばかりを連発している。この痩せろの言葉は、治せないと言う言葉と裏腹だ。治せないとは言えないので何か条件を付けているようにしか聞こえない。仮に1日2食にして痩せたとしても、老人が筋肉を保ちながら痩せれるとは思えない。辛うじて残っている筋肉をみすみす落としてしまうのがおちだ。残るのは恐らく脂肪だけだろう。8年の間我慢を強いて、結局はまともに歩けないくらい悪化させた上に、今だ食べることの喜びまで奪ってどうするのだろうかと思う。もし3食食べていたら骨や筋肉の衰えがもう少しゆっくりだったかもしれないのに。医師は僕らと違って威厳があるから、患者さんの信用度は高い。だからいい加減は許されない。8年間の不条理な節制を取り戻してあげれないし、進んだ老化を取りかえしても上げれない。
 治らないならせめて生活の質を上げるような工夫をしてあげればいいと思う。歩けなかったけれど楽しかったと言ってもらえるようにしてあげなければプロではない。「若い者に迷惑をかけるけれど、1日3食食べさせてもらいますわ」と腰をかがめ足を引きずりながら出ていった老婆の後ろ姿が哀れだ。


2011年10月04日(Tue)▲ページの先頭へ
輪ゴム
 たった輪ゴム一つ買うのに恐らく10分は店の中にいたと思う。いやひょっとしたらそれ以上だったかもしれない。
輪ゴムは調剤薬局には必需品だ。3分の1調剤薬局の当方もご多分に漏れず、簡単な薬は輪ゴムで留めることが多い。それが切れると何故か僕が補充係になる。日曜日、最近余り通らない岡山市内の一角を車で通過していて、大きな文房具のお店が道路沿いにオープンしているのを見つけた。ある動物の名前が店名になっていて、よそでも見かけたような気がするからチェーン展開しているお店だろうか。
文房具だけのお店でこんな広さが必要なのだろうかと思いながら興味本意でのぞいてみた。牛窓のショッピングセンターくらいあったと思う。目的買い以外あり得ない僕だからすぐさま輪ゴムを捜し始めた。最初は闇雲に通路を彷徨って捜した。意外にも見つからなかった。しかし、僕の世代をターゲットにしていないような雰囲気は感じ取れた。次に天井の案内板頼りに回ってみたが、これ又探し出すことは出来なかった。何となくあの懐かしい茶色の箱の輪ゴムなんか売る店ではないのだと思った。あの輪ゴムの箱は、なんだか昭和の匂いが強すぎてモダンな店には似合わないのだろうと思った。
 いつものようにホームセンターで買えばいいやと考えてお店から出ようとしたのだが、帰り道わざわざ輪ゴムだけのために寄り道をするのももったいないからカウンターの女性に尋ねてみたら、快く輪ゴムが陳列しているところまで案内してくれた。その前は数回通り過ぎているのだが目には付かなかった。それもそうだろう、腰を折り曲げてみなければ見つからないような低いところに置かれていた。その数は結構あったのだが、場所からしてお店にとっても利益商品ではなく、客にとっても滅多にいるものではないのだと想像した。
 僕にとっての文房具店は、子供が数人入ったら居場所がなくなるくらい狭くて、おばあさんが棚の上の方からプラモデルをとってくれるようなお店だったのだが、今は綺麗なお嬢さんが耳にイヤホーンをして丁寧な言葉で案内してくれるモダンなお店に変わった。文房具店も個人では営業できない時代になった。多くのお店がこの様に変遷して、最早個人が独立して営業できるような分野は余り残っていない。業界という鎧で守備をなんとか固めた職種だけが生き延びている。それも早晩、より政治家に強い影響力を持っている企業家によって一掃されるだろう。
 何処に行っても同じ看板を見つけて安心する日がもう実現しかけている。良いことか悪いことか、はたまたどちらでもないのか良く分からないが、そのうちこの国の人は「社員」「店員」ばかりになる。頭ばかり下げる人になる。相手によっては見上げる人になる。相手によっては見下げる人になる。


2011年10月03日(Mon)▲ページの先頭へ
 ダーウィンが牛窓にやってきた。それも薬局の隣の駐車場の電線に。
 僕は発見した。電線にカラスと一緒に並んで止まれる鳥と、止まれない鳥がいることを。
止まれる鳥はハト、ヒヨドリ、スズメ。止まれないのはツバメ。これは何ヶ月も観察し続けて得た貴重な結論だ。学会に発表しようか、それとも芸能界に入ろうか。
 若干の距離はとっているが、下から見ると並んでいるように見える鳥たちは、恐らくカラスよりすばしっこく飛べるのだ。カラスに負けない飛行スピードか小回りの自信と実績があるのだ。遺伝子に組み込まれたものか、後天的に理解したことか知らないが、なんとでもなる世界なのだ。ところがツバメはそうではないらしい。あの飛行スピードがあればカラスに襲われる心配はないのにカラスの傍には絶対近寄らない。これは恐らく卵や雛を食べられ続けたことの勉強が、遺伝子に組み込まれているのだろう。親から子へと天敵であることが伝えられている。
 人間社会の電線にもカラスは止まっていて、その傍で生きていける鳥も多い。僕は残念ながら遺伝子には組み込まれてはいないが、本能的に弱肉強食の関係は嫌いだ。ほとんどの世界がこの関係で成り立っているから、心から落ち着ける場所はなかなかない。こここそはと見つけたところも結局はその手でしかなく、裏切られることも多い。カラスの知恵も人間の知恵も弱き者にばかり向かうのでは品がない。  


2011年10月02日(Sun)▲ページの先頭へ
穏便
 3月に、福島の原子力発電所の水素爆発があってから今日初めて、学校薬剤師会で放射能についての講演会があった。「正しく怖がるために」と言うタイトルで分かるように、余り怖がらないでという裏タイトルが透けて見える。怖がれば怖がるほど国や東電の賠償額は上がるし、下手をしたら刑事訴追されるだろうから、何事も穏便にが都合がいい。講師を務めてくれた大学教授は放射線が専門で、素人の薬剤師達に分かりやすく初歩の知識を教えてくれたが、知識以外の思いは伝わってこなかった。だからどうしろって言うのと質問してみたかったが、だから何もしないと促されているような雰囲気にその言葉は飲んだ。薬の副作用の専門家を標榜している薬剤師なら、そんなものよりはるかに恐ろしく、誰にでも襲ってくる危害に鈍感であるはずがない。薬局の店頭や学校や地域ですでに啓蒙しているはずだ・・・と信じたい。しかし恐らく、調剤報酬を時の権力に上げてもらうことしか考えてこなかった薬剤師会にそんな気概はない。おこぼれ頂戴を延々と繰り返して原発を推進してきた政党を支持し続けてきたのだから、間接的な共犯者だ。どの業界も同じことだが。
 僕の質問に答えづらかったところもあるが、ふと漏らした本音の部分に先生の気持ちは表れていた。先生が先頭に立ってくださいとエールを送ったのは、今度のことで一気に胡散臭さの仲間入りをした学者達への皮肉なのだ。見えない、匂わない、触れない、感じることが出来ない相手に知性は無力だ。素人の肌で感じる感受性に嘗て優ったものはない。子を守る母親の恐怖以上の正しさはない。


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老衰 (12/11)
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■店舗名■
有限会社 栄町ヤマト薬局

■住所■
〒701-4302
岡山県瀬戸内市 牛窓町牛窓4808-3

■連絡先■
[TEL] 0869-34-5466
[FAX] 0869-34-6017
[E-mail] ご相談はこちら
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