栄町ヤマト薬局 - 2011/08

漢方薬局の日常の出来事




2011年08月31日(Wed)▲ページの先頭へ
気付き
返信
 過敏性腸症候群の、特にガス漏れの方はこの気付きさえ得られれれば必ず完治します。
貴女が実況中継のように書いて下さった文章は、まるで何かの脚本のように分かりやすく臨場感に冨み、いつか貴女が完治した暁には、貴女の許可を得てブログに載せて同じように苦しんでいる人達に気付きを届けたいと思いました。
 僕はこの何年間か、ガス漏れなんてあり得ないと誰も説得しないことにしています。以前は、ガス漏れの人を積極的に招待して、数日一緒に生活して、僕の家族や時には客としてやって来た方々の協力も得て、実際に臭いをかいでもらったりして、あり得ないことをなんとか証明して分かって欲しいと思っていました。ところがそうしても、治療成績がさほど上がらないことが分かりました。それからは、僕は積極的な説得はいっさいやめて、漢方薬だけで真っ向勝負するように努めています。
 その時に気がついた、体から心を治すと言う世間とは逆の発想で、過敏性腸症候群やうつ病(ウツウツ?)パニックの方々の治療成績が一気に上がったと思っています。だから今ではほとんど、いわゆるカウンセリングなどと言うことはしません。そもそも僕の所に来られる人はすでに色々なことを試している人ばかりですから、言葉でなんか治らないと思っています。それと皆さん僕を見てまさかカウンセリングを受けたいなんて思いませんよ。顔は福山雅治に似ていても、まとっているのは破れたTシャツと汚れた白衣と右左違う色の靴下なのですから。でもそれはそれで似合っているのです、元々心は破れているし、精神は汚れているし、右往左往して生きているのですから。
 もう「どうやって生きていこう」なんて考える必要もなくなりましたね。寧ろ今まで我慢していたことをどれだけ取り返すか、あるいは嬉しすぎて暴走しすぎないようにブレーキをかける必要があるかもしれませんよ。「お茶」どころか、貴女が一升瓶抱えて「酒もってこい」と叫んでいる姿が現実になるかもしれませんよ。
 1週間でのこの変化、僕もとても嬉しいです。
ヤマト薬局


2011年08月30日(Tue)▲ページの先頭へ
気配
 若い時からずっとこんな性格だったら良かったのにと、帰っていく後ろ姿を見ながらつくづく思った。
大きな病院をハシゴして結局何処でも異常なしの診断だった。当然薬も出ない。本来なら異常なしと言われると胸をなで下ろして喜び勇んで帰ってくればいいのだが、病名がつかないのはより不安になる場合もあるらしい。と言うのは自覚症状が結構激しくて、今まで出来ていたことがかなりの分野で出来なくなったらしい。敢えて挑戦するとすぐ息が切れて横にならざるを得ない。横になれば少しは回復するのだが、再挑戦はほとんどの場合出来ないらしい。老いても尚、習い事を多くし活動的だった面影はない。
 本来なら今日みたいに深々と頭を下げて礼を言って帰るような人ではなかった。この2ヶ月、1週間毎に漢方薬を取りに来て、不安を口から吐き出し、ずいぶんと楽になって帰っていく。最初に訪ねてきたときから言うともうほとんどゴールに手が届きそうならしいが、嘗てなら考えられなかった頭の低さはまだ継続している。出来れば今の不調が完治しても尚、その年齢で初めて身につけた感謝とか謙遜とかを忘れないで欲しい。
 余りにも人生が上手くいくと、この分野のことを学ぶ機会に恵まれない。上手くいっている人は本人の努力や偶然の幸運で責められる理由はないかもしれないが、この分野のことは本で読んだり人に諭されたりしてもなかなか本来的には身に付かない。偶然襲ってきた不幸を、誰かの助力で乗り切った時、初めて分かるものかも知れない。陰と陽の両方を持っていないと人間としても不自然だ。陰ばかりも哀れだが、陽ばかりで自分が気がつかないのはもっと哀れだ。
 夜のうちにそっと忍び込む秋の気配のように、充実しすぎないのも自然の教えるところ


2011年08月29日(Mon)▲ページの先頭へ
ボルト
 誰がどう集まっていつ決めたのか知らないが、陸上競技のフライング1発失格は、僕が競技場にいたら「金返せ」になるだろう。観客の多くの人が従順で、世界の多くの視聴者が寛容なのだろうが、走る本人より組織の役員の方がエライ構図が透けて見える。あれだけ練習して一度の失敗で許されないなら、世界中のすべての事象が許されざるものになってしまう。多くの国が戦であれだけ殺しても、世界中に放射能をまき散らしても許されているのに、肩書き欲しさに数ヶ月居座っても、一人の政治家を10数年国のあらゆる機関を利用して悪者にしても許されるのに、個人は些細なことでいつも許されない。誰がどの様な顔をして裁けるのか、表面には出てこないから特別いやらしい。
 こいつはフライングどころではないだろう。コース変更だ。長年、うまい汁を吸い続けられた蚊帳の外の人間達がやっと新しい蚊帳の中に入れたと思ったのに、以前の蚊帳と連立するわの、税金を上げるわなのと、古い蚊帳の中に帰れと言いだした。こんなやつこそ一発退場かと思ったら、そいつがトップに座るらしい。もうどうでもいいと思っているから劇場は見なかったが、まあ信じるに足るものがこの世に少ないこと。水戸黄門もうち切られるらしいから、スパッと悪が裁かれるのを見る機会がますますなくなってくる。現実の世界ではそんなものないからせめてテレビの中だけでもと思っていたのに。こうなれば僕ら庶民も信用するに足る人達の共通のスタンス、国を信じない、あてにしないを突き詰めていくしかない。
 1ボルトより100万ボルトを失格にせよ。


2011年08月28日(Sun)▲ページの先頭へ
臨場感
 有名な薬なのに、どうしても僕には使えない薬がある。2年くらいその薬の説明会に通ったのに、どうしても効果を信じることが出来なくて、結局は誰にも推奨できずにいた。ただ有名だから、僕の努力とは関係ない指名買いがあって、商品は陳列していた。巷の評判はすこぶる良いと全然効かないの両極端に分かれていたから、どんな薬でも確率7割を狙っている僕としたら、推奨は出来なかった。
どんな商品でも全国には大量に販売できるカリスマがいて、特に難病といわれるものに売っている。それを売りこなす能力はあたかも薬局のステイタスかと言わんばかりの熱の入れようだ。各々の病気には各々の薬が適応するように僕には思えるが、まずその薬を治療の中心に置く。そこまで商品に惚れ込めれば幸せかもしれないが、薬剤師としては二の足を踏む。
 僕の漢方の先輩はその薬を信頼して積極的に販売していた。若くして亡くなったが、その奥さんが先日その薬の使い方を教えてくれた。ある病気で奥さんご本人が服用しているから、臨場感に溢れ、寧ろ生々しい治験のように感じた。奥さんが現在はとてもお元気だから説得力がある。そして何よりも僕が教えて頂いた内容で嬉しかったのは、ずいぶんと謙虚な販売をしていたってことだ。高額なものだからそれこそ何の病気でも勧めることは出来ないし、経済的な余裕がある人にしか勧めることは出来ない。そうした制約の中で必要な人を見極め、効果が出そうな人を見極め販売していたのだと思う。とても的を絞った使用方法だと思った。それなら信用できる。極めて限られた使い方だが、今はこれしかないって言う緊張感のある使い方を僕はしたい。勿論全ての薬で。 
 実は多くの薬が何十年の間に新発売されているが、必要にかられて作られたようなものはそんなにない。日常普通の人が陥る不調なら何十年前に製造の許可を取った薬局製剤というもので対応できるし、手強いものなら漢方薬でかなりの部分が対応できる。それで駄目なら病院だ。企業は不安を煽り、欲望を煽り消費させることに躍起だが、いらない薬なんていっぱいある。「なんにもしないことが、なんかすることと、同じだったりする」友部正人はひょっとしたら数十年前薬について歌っていたのだろうか。その唄を当時大学で聴いていた勉強大嫌い人間が、薬について勉強しない日がないくらいの生活を送ってきた。勉強すればするほど田舎の人の役に立てたから、勉強のモチベーションなんて自然に保たれた。願わくばあのモチベーションを大学にいるときに経験したかったが、チューリップに吸い込まれるパチンコの玉の魅力にはかなわなかった。


2011年08月27日(Sat)▲ページの先頭へ
基準
 もう随分前に市民病院にかかっているはずなのに、一向に首や肩の回りのリンパの腫れがとれない。どの様な診断だったのか言葉の壁で余りこちらには正確に伝わってこないが、恐らく抗生物質を出されているのだろう。少しは腫れが小さくなったのかと尋ねると同じ大きさだという。それでは困るので、又受診した方がいいのではないかと何回か助言したが、気が進まないらしい。
その後も来るたびに首のあたりに自然と手をやるのでこちらも気になる。そこで、以前かかっていた病院に何か行きにくい理由があるのだろうかと考えて、「もし良ければ息子が勤めている病院に連れて行ってあげようか、大きい病院だから詳しく診てもらえるかもしれないよ」と言うと、それでも首を縦に振らない。悪い病気ではないのだろうと市民病院の対応で想像はつくが、治らずに放置しているのも本人にはストレスだろう。
 「どうしてそんなに病院に行きたがらないの?」と尋ねるとついにその理由を教えてくれた。かの国では病院に行くときは「吐いたときと、倒れたとき」だけなのだそうだ。簡単明瞭な答えだ。こんなに確かな基準を持っているなら最初から言ってくれれば僕も気を回したりしないのだが、言葉の壁やスタッフの態度などと他の要因ばかりを考えていた。そう言えば、彼女たちが不調を訴えてきたときにいわゆる患部に火傷みたいなものが出来ていて、それは薬草を焼いて患部にあてた跡だと言っていた。伝承の治療を試みているのだろう。僕はその、病院にかかる基準を聞いたとき、なんて未開な人達だとは思わなかった。寧ろその逆で彼女たちの強さと、この国の人の弱さを感じた。現代のこの国の人達は、ちょっとした異常でも病院にかかり地力で治すってことをする勇気も知恵もない。文明の発達が、医学の発達が人をここまで気弱にさせるのかとも思う。かの国の寿命はこの国の寿命より20年くらい短いから、若い時から死は遠くないものになっているのかもしれない。ひょっとしたら今僕の目の前にいる若い人達でさえ、僕より先に逝く可能性さえあるのだ。この若さで後何年かと心の中で指を折って、その理不尽さに同情するが、弱々しく何も生産せずにひたすら長生きだけを目指すこの国より余程理にかなっているとも思えた。
 僕が教えてあげられるのは、工場で生産されたものばかり。その代わりかの国の若い女性達が教えてくれるのは生きるってこと。たくましく、質素に、懸命に生きるってこと。
空しい豊かさの中に、人の心の豊かさが突き刺さる。


2011年08月26日(Fri)▲ページの先頭へ
お告げ
 今朝はいつもより1時間近く遅く目が覚めたので、モコの用足しの散歩も1時間遅れた。久し振りの朝からの太陽で、木陰にいなければ暑く感じる。木陰に陣取ってモコの動きを目で追っていたら、草むらの上に広がる小さな土手に沢山の光るものを発見した。大きさは小さな真珠の珠くらいだろうか、いやもっと実際には小さいのかもしれない。おおむね鮮やかな銀色に光っていたが、時に金色や紫色のもあった。見つけた場所からモコのゆっくりとした移動に合わせて、光る珠も土手づたいにずっと点在していた。最初の一つを見つけたときは草の中で光る金属片かと思っていたが、数の多さや光の綺麗さからすぐにそれではないことは分かった。これは解決しておかなければならないと思ったので、一つの光るものに狙いを定めて近づいて観察した。するとそれはまだ短いススキの葉の上に昨夜降った雨の滴が所々に留まっていて、それに朝陽が反射して色々な光を放っていることが分かった。虹色が全部そろっても良さそうに素人ながら思ったが銀色がほとんどだった。でもその輝きは相当なもので、十分日が昇って回りが明るいのに、緑の草むらに星のように輝いていた。さながら自然が織りなすプラネタリウムだった。気が利いた人ならそこでデジカメか携帯電話で録画して「投稿DO画」にでも出して、世界中から「なんてすばらしいんだ」なんて絶賛のコメントがもらえるのに。何しろ機械音痴の僕だからこうして文章に残すしかない。記憶よりも文章の方が確実だし。
毎日世間のさび付いた光景ばかり見せられているから、いくつかの偶然が重なって出来た小さな宝石に心が慰められた。今日こそはいいことがあるぞと期待するほど験担ぎではないが、それでも密かに期待していたら、弟から送られてきたブドウの食べ過ぎで大下痢をした。しんどかった。朝のあの幻想的な光はいったい何のお告げだったのだ。


2011年08月25日(Thu)▲ページの先頭へ
光年
 多くの人が目にしたニュースで、僕レベルの人がいることが分かってほっとした。「39億光年地球から離れたところでブラックホールに恒星が吸い込まれる瞬間を写した映像」が公開されて、それについて解説されていて勿論映像も見ることが出来たが、その光が何でどの様な意味を持つのかは皆目見当がつかなかった。でもそんな難しいことはどうでもいいのだ。僕レベルになるとどうしてそんなに遠くのものが今見ることが出来たのだろうと素朴な疑問を持ってしまったのだ。光だから夜空の向こうで星が爆発してすごい光を放てば見ることが出来るだろうが、なんとなく億光年というのが引っかかる。光年ってかすかな記憶を辿ると、光が1年間に勧める距離だったような・・・・?とすると科学者達が今見た光はひょっとしたら39億年前に爆発して光ったものなのか・・・? などと悶々と考えていたら、同じ質問をパソコン画面でしてくれている人がいて、又それに答えてくれている人がいて「はい39億年前の光です」と簡単明瞭に教えられた。
まあなんともスケールの大きい話だ。わずか1週間前のことすら忘れていて記憶を辿らなければならないのに、僅か数十年前に原爆が落とされたのに、僅か数百年前にコロンブスがアメリカを発見したのに、僅か2000年前にキリストが歩いていたのに、僅か200万年前に人間が生まれたのに、とてもそんな比ではない。凄すぎて気も遠くならない。 試みにインターネットでブラックホールを検索してみたが、書かれていることが難しくて理解不能だった。およそ元の意味から離れて日常会話に軽く登場させる得体の知れないものという理解が席の山だ。
 福島の事故もブラックホールのまっただ中だ。情報はエライ奴らが隠し続けて数年後から始まる未曾有の哀しみから目を逸らさせている。被告のいない殺人事件がこの世にあるなんて。


2011年08月24日(Wed)▲ページの先頭へ
心得
漢方薬は岡山の問屋さんに注文すればその日の2時過ぎには宅急便で届く。急ぐものはそうして注文し、荷物が届き次第調剤して皆さんの所に送る。と言うのはクロネコヤマトが集荷に来るのが4時だから、2時間猶予があれば材料不足で作れなかった漢方薬も滞りなく発送できるのだ。ところがその日は2時が来ても、いや3時が来ても荷物が届かない。心配になって会社に電話をすると、専務が用事を兼ねて荷物を持ってくるべく朝から出ていると言った。それは親切か合理性か分からないが僕にとってはありがた迷惑な行為だった。
 会社から専務に連絡を入れてもらってあとどのくらいの時間で来れるか尋ねてもらった。すると本人から電話がありもう40分くらいで到着すると言った。その時点で僕はその日に発送してあげれない方が出ることを覚悟した。僕にとっては珍しいことなのだ。ところがその連絡をもらってから意外と早く彼が荷物を持って現れた。恐らく言われた半分の時間も経過していないような印象だった。早かったねと彼に言うと、多めの時間を僕に伝えていたそうだ。その時点で僕は漢方薬がクロネコ便で届かなかったことに対する不満より、電話連絡をもらってから意外と早く彼が荷物を持ってきてくれたことに対する感謝の方が優っていた。これはなかなかのトリックだとその時も感じたし、以後も時に触れて思い出す。 
 と言うのは、僕は全く彼とは逆なのだ。僕は常に最短をまず答える。そしてそれに見合うように最善を尽くす。日常の薬局業務でもそうだし、漢方薬の日々の相談だってそうなのだ。有名な大先生のように数ヶ月も僕ら田舎の薬局では効果の発現をまってはもらえない。1週間か2週間勝負を毎日挑んでいるのだ。あるカリスマ薬局は2年付き合ってくれたらどんな病気でも治しますと言うそうなのだが、口が裂けてもそんなことは言えない。僕らは2週間で効果がなければ見捨てられるし、治すことが出来ないものはハッキリとそう言う。無駄なお金を使わせるわけにはいかないのだ。そうして得た金で買わなけらばならないものなど僕にはない。2年もたてば自然治癒で治るものもあるだろうし、永遠の眠りにつく人もいるだろう。薬局には薬局の守備範囲がある。その限られた守備範囲の中でもどうしても最短を選んでしまう。単なる性格なのだが、その性格も気力体力が充実している世代ならいいが、その裏付けをすでに失っているのに口からはいつもの癖のように出てしまう。追い込まなければ気が済まないなんとも不自由な性格だ。漢方問屋の専務のように余裕を持たして、あっという間に現れれば感謝すらされる。最短の時間を約束してちょっとでも遅れれば、不快感を与えてしまう。僕よりずいぶんと若い彼なのだが、なかなかの心得を持ち合わせている。
 その時の驚きの経験から、少しだけ余裕を持たせた返答を心がけているが、大脳の指令より早く動く口を持ってしまったおかげで今でも日々追い込まれている。


2011年08月23日(Tue)▲ページの先頭へ
不安
過敏性腸症候群が子供に遺伝するのではないかという懸念を時々相談されるが、過敏性腸症候群自体が遺伝することはない。自分が長い間苦しんだから、同じ経験をさせたくないと言う親心だろうが、結局遺伝の不安を口に出したお母さん方のお子さんは誰も発症していない。もっとも顔が似るように、気性も似る可能性が大きいから、その繊細さを学問や芸術などに転嫁させるようにおおらかに子育てすればいいのだ。過敏性腸症候群は繊細さが自分の身体に向かったときにのみ起こる症状だから、それを生産的な方面に向かわせる工夫をしてあげればとても能力を発揮すると思う。能力を生かす場所が違うってことだ。 僕も青春前期、異常なナルシシズムで苦しんだ。この道具が全く不揃いな顔で、福山雅治に似ていると勘違いしたばっかりに、回りの女生徒の視線が全部僕に集まっていると勘違いし、一つ一つの動作を完璧に演じなければ許せなかった。教室が僕にとってはまるで舞台だったのだ。あらゆる歓声は僕のものでなければならなかったのだ。失敗を許されない緊張の中で自分自身を追いつめてしまった。今ならなんて愚かだったのだと笑って話すことが出来るが当時は、その哀れな結果を一人で抱えてそれこそ心の中からその恐怖が消えたことはなかった。ただ、当然僕の遺伝子のほとんどは二人の子供達に受け継がれたと思うが、二人が僕と同じ病?で苦しんだことはなかったと思う。当然繊細さは似ていると思うが、顔の崩れきったバランスが僕よりは少し修正されたおかげで、僕ほどの苦しみではなかったようだ。


2011年08月22日(Mon)▲ページの先頭へ
ウツウツ
久しぶりに訪ねてきてくれた。用事はと言うとヤマト薬局特製のクラゲに刺されたときの塗り薬だ。わざわざそれだけのために遠くから来てくれるから、ちょっとしたそんな薬を作るのにも喜びがある。でも本当はもっと嬉しいのだ。彼が本来必要なものだけを取りに来てくれたことが。
 以前彼は、本来とはとてつもなくかけ離れたトラブルを解決するために通い続けてきてくれた。トライアスロンもなんのその、正確な言葉かどうか知らないがライフセーバー(海の安全を守るボランティア?)までこなしている体育会系どっぷりの彼が、その手腕を見込まれある大きな会社で部下を数百人もつ地位についた。前任者達もその責任に押しつぶされた魔の地位らしいのだが、外国人なみの体力の持ち主の彼に白羽の矢が刺さったのだろう。名誉なことではあるが彼も又前任者達のように過酷な仕事で心を折った。
 こうしたときの常套手段は、心療内科にかかり抗ウツ薬や安定剤、果ては睡眠薬などを処方され1年くらい会社を休むらしいのだが、彼はそれを欲しなかった。診断書をもらうために病院にはかかったが、薬はいっさい飲まなかった。その代わり僕の所に相談に来て、漢方薬で克服することにした。来るたびに美味しいコーヒーを飲みながら一杯話をし2週間分ずつ漢方薬を持って帰った。僕は彼が鬱病なんかにはとても見えなかった。彼は体格は僕とは天地の差だったが、性格はとても似ていた。だから彼の陥っている状態が手に取るように分かった。僕に言わせれば単なる頑張りすぎ病なのだ。これは病気ではなく長所だ。それを病院にかかると鬱病という。僕は彼の改善をつぶさに見ながら、僕を頼ってきてくれる人達の心のトラブルは病院にかかれば鬱病、僕がお世話すれば「ウツウツ」と言うことに気がついた。以来、多くの方をお世話したが、ほぼ100%近く「ウツウツの漢方薬で」復活してもらっている。同じ処方でパニックの人達もずいぶんと改善してもらえることに気がついた。その人達のネットワークはずいぶんと発達しているらしくて、紹介の紹介の紹介と多くの人が相談してくれるが、こちらの方もかなりの確率で脱出してもらっている。
 専門家を勿論否定するわけでない。薬局なんかではとても手に負えない人は多い。ただ、軽々しくウツ病薬を飲まされている人達がいることも事実だ。門前薬局ではないから僕は自由にものが言えるし、漢方薬も頼まれれば作れる。以来どれだけのウツウツやパニックの人を解放できただろう。以前にも書いたが、元々は僕自身が1日16時間以上、数ヶ月働き続けて心が折れたときに自分用に考えた処方だから、同じような人には効くに決まっている。あの時相談した息子が僕に安定剤などを出さず「こんな時こそお父さん漢方薬だろう」と言ってくれたことで多くの人を救えた。今日も数人のウツウツの人と「楽しく」一杯話が出来た。ウツの人があんなに楽しく話しては笑わない。僅か数ヶ月で脱出していく人達を見て、現代の生きにくさと、治療自体を泥臭く、又楽しくする必要を感じている。


2011年08月21日(Sun)▲ページの先頭へ
回遊
 思わずスピードを落とし、ライトを点けた。お昼をまだ回ったばかりなのに夕暮れ時のような薄暗さに一気になった。これを現代ではゲリラ豪雨と呼ぶのだが、何のことはない、かつて夕立と呼んで親しんでいたものだ。自然の営みにさえ人間様は都合が悪ければゲリラなどと恣意的な名前をつける。いずれゲリラでは気が済まなくて、テロ豪雨なんて言葉も発明されるかもしれない。法律よりももっと上位にあるのはいつの世も金と肩書きを持った輩達だ。法律が人様を律するなんて考えたら馬鹿を見る。弱者の為になんか誰が考えてくれよう。温情と餌を混同してはいけない。
 助手席に乗っている異国の若い女性によると、かの国ではその様な雨は毎日のことらしい。おまけにかの国の雨は強い風を伴っているから、自転車に傘をさして乗ることなど出来ないらしい。ただし、その様な雨は日本のように一日中とか数日間とか降り続くことはなくて、せいぜい2時間までらしいのだ。何処かでつじつまを合わせる自然に不遜な人間様のネーミングがやはり気にくわない。
肩こりやリンパの腫れを訴えながら懸命に働いている若い子を今日は鍼の先生達の祭りに連れて行った。無料で鍼をしてくれるイベントだから、僕自身の肩こりも便乗させて、日本の治療と日本人の親切を体験してもらいたかった。若いから効果も出やすくて、たどたどしい日本語で「楽、楽」と何回も繰り返していた。弱音を吐かず異国の地で懸命に頑張っている「貧乏」な若い女性達の豊かな眼差しに日々僕は癒されているが、友人の鍼の先生も彼女に「目が輝いているね」と言ってくれた。いずれ、かの国の人達も豊になり、勤勉とか謙虚とかを置き去りにするのかもしれないが、雨宿りを兼ねて立ち寄った百貨店のファッションフロアで溢れる商品の中を値札を見ながら回遊する浅黒き若き女性に、幸せ多くあれと願わずにはおれなかった。


2011年08月20日(Sat)▲ページの先頭へ
変換
 僕は町外から来てくれる人にはたいてい2週間分ずつ漢方薬を作る。それだけの期間があればおよそ薬が合っているかどうかは判断が付くから。その女性も6月の末から2週間分ずつ漢方薬を渡しているから、もう5回漢方薬を取りに来たことになる。症状を尋ねるたびに、余り変わらないと毎回答える。こう答えられると薬が合っていないのだろうかと普通なら弱気になるのだが、僕はそうはならない。世の中には、治っても「治らない」と言い続ける人がいることを知っているから。決して物事をよくは言わない人っているものなのだ。その人が善人であるとかそうでないとかの問題ではなく、肯定から入っていく人と否定から入っていく人の違いだけなのだ。気をつけていると結構癖があって、どちらかに分かれやすい傾向はある。勿論絶妙のバランスを身につけている人も沢山いて、相手に不快感を与えることもなく自己を主張できる人も多い。
この女性は平地を歩くのにも苦労し、ベッドを立ててでないと眠れなかった。仰向けになって寝るなんて激痛がして出来ないのだ。夜もしばしば激痛で目が覚め、痛い痛いと口から一日中出てしまい、ご主人にも心労をかけていた。ところが今日も「変わらない」と言う返事だったから、具体的に確かめたら、傍にいたご主人の客観的な判断と共に、4割方改善していると白状した。どんな症状でも4割も軽減すれば断然日常生活は楽になる。平地はすたすた歩けるし、平らな布団で眠れるし、夜もトイレで目は覚めるが痛みでは覚めなくなったらしい。「奥さんは治っても治らないと言うタイプでしょう」と言ったらくすっと笑っていたが、恐らく痛みから完全に解放され心から笑える日が来るような気がする。「変わらない、変わらない」と言いながら熱心に通ってくるのだから、報いてあげなければならない。
ずっと以前「死んでも死なないようにしてくれ」と頼まれたことがあるが、皆さん面白い表現を色々持っていて、薬局を営むには言葉の裏側まで理解できる国語力が必要だ。どうして「良くなっている」が「変わらない」に変換されるのか分からないが、その罪のなさにこの町に帰ってきたことをよしとする。


2011年08月19日(Fri)▲ページの先頭へ
糸トンボ
 駐車場の草は半月くらい前に草刈り機で丁寧に刈られているから、まだ余り背丈は伸びていない。ミニチュアダックスのモコでさえ隠れることは出来ない。丁度モコの顔の辺りまで草は成長している。モコは朝僕が散歩から帰ってくるのを待って必ず駐車場に連れて行くことを要求する。不思議なものだ、目覚めて僕が散歩に出かけるまでは起きても来ないくせに、僕が家に帰った気配で2階から降りてくる。僕の動きを完全に理解しているのだ。あの小さな頭で結構なことを理解できる。
駐車場の草の中を歩くモコの姿が好きだ。当然僕は上から見下ろすのだが、今日はかすかな生き物の気配を感じた。何かが飛んでいるように見えたから目を凝らすと糸トンボがモコの傍を飛んでいた。今年初めて目撃したトンボがなんと糸トンボだった。それも色が緑色でまるで保護色のようだから、よく見ていないと見失いそうになる。僕の勝手な記憶だが、糸トンボは茶色のような気がしたから緑色がとても珍しいように思えた。しばし目で追っていたが、やがて糸トンボはモコに追われるように草むらに消えていった。
 まるで無駄のないつくりだ。贅肉一つない。空気抵抗を極端に抑えた構造だ。何も余分なものを持たない姿に今更のように驚き興味を持つ。幼い頃は如何に捕まえてやろうかと考える対象でしかなかったが、今はその精巧さに驚き、命の長からんことを願ったりする。あちらは変わらないのに、こちらが全く変わってしまったのだ。命は終わらないものと思っていた頃と、命はやがて尽きるものと思う今とでは、まるで物事の見方は変わってくる。長じて尚、命は終わらないと勘違いしている奴らのせいで、命を強引に早く終わらされる人々が一杯作られるのに、奴らはブヨブヨと贅肉を揺らし今だ深い椅子に反り返っている。その性根をそぎ落とせ。糸トンボのように身を削りそぎ落とせ。


2011年08月18日(Thu)▲ページの先頭へ
優しさ
 小出先生が沖縄講演で引用した言葉を後日談で聞いた。ウォーリスチャンドラーと言う作家の最後の作品(プレイバック?)の中で「強くなければ生きていられない、優しくなれないなら生きている価値がない」と書かれているところがあるらしい。この言葉を先生は沖縄の置かれている状況や、福島を追われている人達のことをふまえて引用されたらしい。
 何が理由で分かれるのか分からないが、人は自然に強い立ち位置に居場所を求める人と、その逆に分かれる。それもいとも自然にそうなってしまう。どんな時でもどんな場所でも自然とそうなってしまう。大いなる意志が働いているようには見えない。居心地の良い方に人は自然と居場所を求めるみたいだ。僕は明らかに前者ではない。そんな立場に立ったりしたものなら居心地の悪さや後ろめたさで潰れてしまう。不幸なことに、政治家を始め多くの肩書きを追い求める人達はほとんどが前者で、その上に質の悪いことにその多くの人間が「優しくなれないなら生きている価値がない」人達ってことだ。
 放射能に汚染されて命を絶ったのは酪農家だった。お墓に避難しますと書き残したのは老婆だった。どうして被害者が自ら命を絶たなければならないのだろう。命を絶たなければならないのは、何万人の家や土地仕事を奪い、故郷から追い出した奴らだし、何百万人、正確に言えば世界中の人間に放射能をばらまいた奴らだ。ところが奴らは罪の意識が全くないから謝ることすらしない。優しさなんて奴らの辞書にはないのだろう。
 上手くは生きて来れなかったがなんとなく精一杯生きてきた。不本意に傷つけてしまった人もいるだろうが、出来るだけ後者に立ち居地を求めたから大きく傷つけることはなかったと思う。漢方薬を勉強したから、後者の人達が多く訪ねてきて来てくれてその人達との人間関係が今の僕のほとんどを占めている。一時宗教の中で「優しくなれないなら生きている価値がない」を学ぼうとしたが、そこも又何ら世間と変わりなく、いや世間以上に前者が居心地の良さに浸っていた。僕は今、日常の至るところで「優しくなれているから生きている価値」を掴んだ人に触れ合うことが出来る。苦しみの中でこそ掴んだ各自の価値観に触れさせてもらっている。謙遜に、根っから謙遜に暮らしている多くの人達に学んだ。そして多くの勇気ももらった。強くなるためではなく優しくなるための勇気をもらった。


2011年08月17日(Wed)▲ページの先頭へ
電話番号
 ある会社に品不足の電話注文をしようとしてふとその下にある名前に目が止まった。電話番号が勿論書いていて、携帯電話の番号だった。漢方の会社の重役だったから、本来なら会社の電話番号だけが分かればいいのに、個人の携帯番号を電話帳にわざわざ書き留めている。僕にとって個人的に大切な人だったことが分かる。もう随分前に亡くなったような気がしていたが、携帯電話が日常的に使われていた時代なんだからまだつい最近の出来事だったのだと認識した。只、今その番号に電話するとどうなるのだろうか。只今使われていませんとアナウンスされるのか、電話に出られませんとアナウンスされるのか、それともコールの音すらしないのか、それとも天国にいる彼にかかるのか、それとも地獄にかかるのか。
本来一取引先でしかないはずの僕だが彼はとても親切にしてくれた。僕の漢方に対する取り組みを評価してくれたのかどうか分からないが、そもそもその取り組みを教えてくれたのは彼だ。漢方薬を勉強しないと薬局に来てくれる人のお世話なんて出来っこないこと。サロンパスとかリポビタンとかどこにでもあるような商品では人を治すことは出来ないとか、漢方薬だからと言って経済的に裕福な人ばかりを相手にするような薬局になってはいけないとか、僕ら共通の先生から教えて頂いた知識を、むやみに知ったかぶりをして口外してはいけないなどと助言してもらった。僕はその全てを頑なに守っているが、ただ一つ、最近とても熱心な女性薬剤師が隔週やって来ては質問を連発される。最早電話が繋がらない彼との約束を守りたいし、正しい答えを彼女にしてあげたいし、確執の数時間を隔週送っている。
 奥さんと別れて一人暮らしをしていて、アパートで死後数日たって発見された彼はカップラーメンの食べかすに囲まれていたという。重役だから収入は十分あったのだろうが、荒れた生活をしていたのかもしれない。人の前では微塵もそんなことは出さずに恰幅の良いお腹で肩書きを表していた。最初知り合った頃は彼も又一介のセールスだったが、全くの初心者だった僕に常に的確な助言と慢心を諫める言葉をかけてくれていた。今の僕の実力で人に教えるようなことは出来ない。生きていたら彼やもう1人の漢方の先輩が若い人達を引っ張っていく役割を担うべきだったのかもしれない。どちらも十分力を発揮できる前に若くして亡くなったから、生きていたらどれだけの実力者になっていたのか想像もつかないが、亡くなっても尚僕にとっては、当時の二人との差を感じてしまうのだ。
 世に多くの自称カリスマ薬剤師がいるが、謙遜を旨とする薬剤師には滅多に会えない。彼らは人前には出てこないし、自分で自分を評価したりはしない。もっともっと実力を発揮して多くの人をお世話できていたであろうその二人との約束を破りたくない。繋がらない電話帳の番号を発見してそんなことを思った。


2011年08月16日(Tue)▲ページの先頭へ
高尚
 よその町から一人でやって来たその女性は名前を名乗ってから用件を言った。その女性は初めてお会いするがご主人はもう数年漢方薬を取りに必ず月に2度は来る方だ。自分が不調になったからご主人と同じように漢方薬を作って欲しいとのことだった。
問診を始めてすぐに本人の口から「これはストレスが原因だと思います」と確信を持って言われた。僕としては相談の不快症状がストレスとは無関係だと分かるのだが、本人は数回同じ言葉を繰り返した。「ストレスが原因ではないと思いますよ」とこちらは1回目に否定しているのだが、決めつけが激しいのか、どうしてもストレスに原因を持っていきたかったのか、ひつこく繰り返した。あげくの果ては「先生も分かるでしょう、何年も主人は通ってきているのですから」と主人がストレスの原因であることを暗にほのめかしてきた。とぼけて聞こえない振りをしていると「主人のせいなんですわ、先生も気がついておられるでしょうが神経質なんです。細かいことに気がついていちいちうるさいんです。一緒にいるだけでイライラしてくるんです」とついに本音を出した。確かにご主人には神経質な方特有の痙攣性便秘の漢方薬を作っている。毎回症状を細かく教えてくれて微調節を余儀なくされているから神経質なのは言われるまでもなく良く分かっているが、夫婦仲が悪いのはこちらには関係ない。いつもの「絞め殺してしまえ」を出す気力もなかった。やはり数年間通ってきてくれている主人の肩を持ってしまったのだろうか。
単なる幻想だったのだろうか、高齢になると男女とも次第に寛容になっていくのかと思っていたら、意外とそうでもない。最近僕の薬局にはウツ傾向の方が紹介されて沢山来るが、高齢の方の夫婦関係が原因のウツ症状が多いことに驚かされる。いや今では驚くこともなくなって一番にそれを疑うようにまでなっている。嘗てより20歳くらいは若いと老人が言われるようになったから、気持ちも若くて主張ばかりが激しいのかもしれないし、伴侶などいなくても社会が十分その機能を果たしてくれているから、夫婦である便利さより煩わしさの方が優ってきたのだろうか。良識ぶって生きにくい世の中になったなどとは全く思わない。寧ろ無意味な関係から解放されて自由になるのに年齢はない。そちらがより良い状態ならそれもいいし、口に出すだけで少しはうっぷんが晴れるなら、言ってみるだけでもいい。良識で返事をしないことが分かっているから皆さん喜楽に僕に言えるのかもしれないが、政治家や学者や役人の良識でこの国が世界を滅ぼしかけたのだから、そんなものまっぴらだ。
漁師と百姓に囲まれて育ったのだから僕の脳みそなんて第一次産業だし、価値観、立ち居振る舞いみな第一次産業だ。それでも魚の臭いも、肥やしの臭いも良識派の胡散臭さよりははるかに高尚だ。


2011年08月15日(Mon)▲ページの先頭へ
 明らかに変わった。嘗てなら盆の間は帰省客や、海水浴客、観光客などの体調の急変や軽い怪我などで忙しいのだが、今日は体を休める1日になった。ついつい油断して煎じ薬の待ち時間に利用して頂くパナソニックの電機マッサージ機に身体を委ねて熟睡していた。とは言っても、過敏性腸症候群の漢方薬が丁度今日切れた人が4人いたのでその薬を発送し、遠くから数人漢方薬を取りに来てくれたからそのお相手をし、勿論帰省客や観光客のお相手も少しだけした。娘夫婦は、岡大のちょっと難しい患者さんの薬を作ってくれて早々と帰っていった。ストッカーのモーター音と遠慮気味にかかっているBGMの音だけと今は同居している。日はまだ結構高いが、いつシャッターを閉めてやろうかと不謹慎なことを考えている。
 こうした手持ちぶさたな時間は嘗てはいっぱいあったのだが、今は貴重というか、いやいやもったいない非生産的な無駄な時間になってしまった。一つの文章をしたためて郵便で送れば数日後に返事がもらえる時代が、数分後には返事かくる時代になったのだから、人は同じ体力同じ知力でどれだけのことをこなさなければならなくなったのだろう。そしてそのあげくの果実は一体何なのだろう。心も身体も会社に供出してその代価として得た金で、一体何を買い求めるのだろう。豊になったのは何なのだろう。海外に旅行に出かけることか、美味しいものを食べることか、着もしない服を集めることか、エコと言われる車や家電を揃えることか。そのほとんどと縁遠い僕は何も豊にはなってこなかったのか。懸命に働いて何が豊になったのだろう。お金で買えるもので満足を得た経験が少ないから、元々物差しのない生活だ。僕にとって物差しで測れるもので豊は証明されなかった。哀しみに打ちひしがれている人の、孤独に苦しんでいる人の、大切にされないで自信を失っている人の不意に漏らした笑顔以上に嬉しいものはない。あの笑顔を何かで測れれば僕の豊かさも具現化できるのに。
 この年齢になると、自分で何かをして何かで報われたいなどと言うことはほとんどなくなった。枯渇寸前の能力体力では当然だろう。だけど上記の苦しみの中にある人達をチョットだけ幸せに出来たら、嬉しくて嬉しくてたまらない。僕にとって豊とはその喜びくらいなものなのだ。数分で返事が返ってくる時代が、数日で返事が返ってきていた時代より豊上手とは思えない。


2011年08月14日(Sun)▲ページの先頭へ
熱中症
 どうしても救って上げたい人がいる。勿論毎日そうした仕事をしているのだから毎日そうした思いに駆られるのだが、特別な人が時々現れて、どうしてもという言葉が頭の中を駆けめぐる。
車を運転しているだけなのに熱中症になりそうだった。その為に自動販売機に立ち寄りスポーツドリンクを買うだけで又熱中症になりそうだ。駐車場から教会までほんの少し歩くだけでまたまた熱中症になりそうだ。水分補給さえしておけば何とかなるだろうと闇雲にスポーツ飲料を買って飲んでなんとかたどり着いたが、そこまでして、どうしても救って上げたい人を救うことが出来る力が欲しくて教会に行った。神父さんが信仰とは謙遜ですというようなことを言っていた。もしそうだとしたら僕の薬局に来てくれる多くの人は信仰そのもののような人だし、逆に信仰を気取る人の中に謙遜などほど遠い人もいた。
 帰りにポプラってコンビニに寄った。お昼ご飯を買おうと思ってさて弁当コーナーの前で悩みに悩んでしまった。コンビニ弁当には材料の産地までは書いていないようだった。内部被爆は是非避けたいと思うから牛肉は何となく避けたいし、魚のフライも不安だ。餃子の中身は何か知らないから避けたしで、結局何を食べたらいいのか分からなくなった。何となくこの近辺の材料で出来ていそうな弁当を選んだら、ほとんど野菜が入っていなかった。店員さんがぎこちない僕に親切にしてくれて、美味しく食べれるようにしてくれた。温めますかとか問われたので躊躇っていると温かいのを食べた方が美味しいですよとか、ソースをつけておきましょうとか、野菜不足を補うのだったらこのコロッケを一つ追加したらとか、余り買い物経験のない僕はいつも冷たいのを食べていたが、マニュアル通りの会話ではなく、目を合わせて会話できたコンビニでは珍しい一こまだった。当たり前のことをやってくれたのかもしれないが、終始自然な笑顔で応対してくれて僕には熱中症加減を一掃してくれるとても心地よい涼風だった。
 難しいことを考える必要はない、自分を過度に律する必要もない。鍛え上げる必要もない。目を見て微笑むことが出来たら命がちょっとだけ喜ぶ。


2011年08月13日(Sat)▲ページの先頭へ
紙オムツ
 癌を患っている男性が自分で定期的にパンツ式の紙オムツを買いに来る。術後自分が履くのを家族がいるのに買いに来る。もっとも車にも乗れるし仕事も出来るのだから、買い物くらいはなんでもない。おおらかな人で自分の症状を事細かく説明してくれる。
昨日来たときに「便利なものがあって助かるねえ、昔だったら大変よ」と言うと「そうなんじゃ、昔の人はどうしとったんじゃろうかと思って○○のおじいさんに聞いてみたんじゃ。」と、偶然にも常日頃僕が疑問に思っていたことを彼も又感じていて、ある老人に尋ねてみたらしい。その老人は「昔は寝込んだら2ヶ月もしないうちにみんな死んだ」と答えたらしい。そう言えば僕の祖父母も数日寝込んだだけで自宅で亡くなった。意識を失っても病院にも連れて行かなかった。往診を頼んだだけで何となく数日のうちに亡くなった。予想される工程を足早に通り過ぎたような記憶がある。その老人のなんともシンプルな答えに、医学の進歩や現在の生きながらえる為の環境の整備の功罪が頭の片隅を過ぎった。
 ある統計では女性は7年、男性は5年くらい人の世話になりながら人生の最期を迎えるらしい。本当にそんなに長い期間患うのだろうか余りぴんと来ない数字だが、老人の言う2ヶ月に比べれば余りにも長い。何を持って幸せというのか、何を持って不幸というのか分からないが、生きながらえることだけが唯一の作業では苦しいし空しい。目的があるのかどうか知らないが、医学の進歩や環境の整備を上手く利用し、豪快に笑いながら大きな紙オムツを両手にぶら下げて出ていく男性の後ろ姿に、忘れていた光景を重ね合わせた。


2011年08月12日(Fri)▲ページの先頭へ
肩書き
 「これからヤマトサンのことをお父さん、奥さんのことをお母さんと呼んでもいいですか?」と尋ねられてだめだとは言いにくい。若干の思案のあげく「照れくさいけれどかまわないよ」と返事をした。これが「パパとかシャチョウさん」なら勿論断るが正統派の呼び方だから断る理由がない。乗り越えるべきは僕の照れだけだ。
 向こうの人は親しくなるとそんな呼び方をするのかもしれない。あるいは国に残してきた両親を僕らとのつき合いの中に投影しているのかもしれない。たどたどしい日本語で伝えられる国の発展の差を何か後ろめたさを持って聞くことがしばしばだ。頻繁に出てくる貧乏という言葉は、決して日本との差ではなく、かの国に住んでいるときの様子なのだ。昨日も不思議な言葉を聞いた。「ワタシは貧乏で8番目の子供だから水で育った」と確か言ったような気がしたから「水で赤ちゃんは育たないだろう」と言うと「米の水」と言い直した。それなら分かる。詳しくは知らないが日本でも昔母乳が出ないと米のとぎ汁で子供を育てたなんて話しもあったような気がする。この話は、彼女の体調不良について問診をしているときに出た言葉だ。僕は何か昔からハンディーがあるのではないかと思って質問したのだが答えがそうだった。漢方の世界で言う「お血」の典型である彼女にはその体質を作った何かがあると思っていた。話のついでに出てきたお姉さんの状況はもっと深刻だった。病院に行っているのかと尋ねるとお金がないから行っていないと言うし、僕が漢方薬を作ってあげようにも症状が具体的に分からない。彼女は日本語がかなり理解できるし喋れるが医学用語までは無理だ。
 僕が何でも頼みを聞いてあげるからお父さんと呼びたいのか、僕がベトナム人のような顔をしているからそう呼びたいのか分からないが、そう呼ばれるに耐えれるだけのことをしてあげたいと思う。幸い言葉がお互い不自由だから、意志の疎通は真実とか真心を通してしかできない。およそとか、まあまあとかはないのだ、強靱な肉体を持たずに異国に出てきて懸命に家族のために働いている若者に薬剤師だからこその援助が出来る。この肩書きをそんなに好きではないが、今は俳優か歌手でなくて良かったとつくづく思う。もし本気で目指していたら、俳優なら福山雅治、歌手なら福山雅治、ビールもタイヤも福山雅治、そのレベルだったと思うが。


2011年08月11日(Thu)▲ページの先頭へ
大道芸人
 夏用の半袖の白衣を僕は恐らく二つ持っていて、汚れて余りにも醜くなれば妻が次のを出してくれる。でも恐らくこの10年新しい白衣を着たことがないから、どちらも年季ものだと思う。
僕が着ているのは左に一つ胸ポケットがあり、左右に脇ポケットがあるオーソドックスな白衣なのだが、そのポケットの連携が素晴らしい。実は正面から見たら分からないが胸ポケットの底は糸がほつれていていわば底なしのポケットだ。何十年の癖で胸ポケットには数本のボールペンとカッターナイフが常時差されている。薬局の中そこかしこにボールペンは散乱しているが一応使った後は胸に差すようにしている。ところが忙しさにかまけてクリップを挟まずにポケットに直接差したり、元々クリップが壊れているもの多いからそんな手間も最初から必要ないものもあるのだが、どちらにせよそれらは瞬く間に胸ポケットから落ちる。ここからが僕のポケットの奇跡なのだが、胸ポケットから落ちるボールペンやカッターナイフは、100%脇ポケットの中に落ちて入る。この数年1度もはずして床に落ちたことはない。実は数年前から始まったことなのだが、当初は底が全開ではなかったから、胸ポケットの隙間から偶然落ちたボールペンだけが脇ポケットに収まっていた。最初は気がつかなかった。どうして入れる習慣がない脇ポケットにボールペンやカッターナイフがあるのだろうと不思議だった。そのうち気がついたのだがだんだん底が大きく破れてからは100%の確立で脇ポケットに集まっている。長年に渡るポケットに手を入れての応対で丁度いつも開きっぱなしのポケットにしてしまったのだろうが、いまではちょっとした楽しみでもある。何これ珍百景にでも応募してやろうかと思うが、あの能なしの司会者達の前にでるのも屈辱だから密かな楽しみにして取っておこうと思う。
 もしこの曲芸を見てみたいと思えばリクエストして呼んで欲しい。全国何処にでも行って、公園の隅で空き缶を前に置きこの鍛え抜かれた芸を披露する。
 今日から僕は大道芸人。


2011年08月10日(Wed)▲ページの先頭へ
そうめんかぼちゃ
 「そうめんかぼちゃ、ありがとうございました。いつもより箱が重かったので、なんだろう?と思いました^_^母が調理の仕方を知っていたので、作ってもらいたいと思います。まだお世話になってから日が浅いのに、贈り物をありがとうございました。とても嬉しかったです。今日、神奈川県の鎌倉と、江ノ島(サザンオールスターズで有名です)に友達と行ってきました。途中ガスもれしてるかも?と思うときもありましたが、電車でその子の隣に座るときや、どこかお店に入ってお茶を飲むとき、前より確実にガス漏れを気にする頻度が減って、今日は遊ぶことに集中ができました。その友達とは今まで何度かいっしょに旅行に行っていて、いつもガス漏れして迷惑をかけてるな、ごめんね・・・・と思っていたけれど、今日はそんな風に思うことがなくて、これも少しずづ治っている証なのかなぁと思いました。
 それから、本当に今更なお話なのですが、昨日、ヤマト薬局さんのホームページの、転倒日誌を読んでいたら、ぽろぽろと涙が勝手に出てきました。過敏性腸症候群の人のお話を読んでいるうちに自分と似ている人がいっぱいいることがわかって、感情移入してしまいました・・・・それと同時に、治っている人がいっぱいいることがすごく励みになりました。隣の人や後ろの人が咳をしたり、鼻をすすったからといって自分がにおいを発しているかなんてわからないんですよね。ガス漏れなんて本当はありえないのかもしれない、という考えが私の中に少し芽生えました。というわけで、長くなりましたが、いただいたお薬でまた2週間、センサーを横着者に変えられるように、頑張ります!暑い日が続きますが、体調に気を付けてお過ごしください。
では、失礼します。」

 僕はこのメールを関東に住む女性から頂いたときに2つの箇所を過敏性腸症候群で悩んでいる人に読んで欲しいと思った。「ガス漏れなんて本当はありえないのかもしれない」「センサーを横着者に変えられるように」の2箇所だ。平易なメールの中にとても大切な要素が含まれている。僕はガス漏れ症状は「ガスが漏れているかもしれない病」だと思ってその様な漢方薬を作っているし、心優しい人達の精巧すぎるセンサーを人並みのいい加減なセンサーにすることで完治に導けるものと信じている。まさにその2点が何気なく語られた文章の中に組み込まれていたので、早速彼女に僕のブログに載せてもいいかとお伺いを立てた。快諾を得たので今日プライバシーの部分を除いて掲載させてもらった。
 いずれこの女性は忌まわしい呪縛から放たれて、青春を取り戻してくれるだろう。失ったもの以上を是非取りかえして人生を楽しんでもらいたい。生真面目に懸命に生きるのもいいが、僕ら凡人が目指す生き方ではない。冷たいコンクリートの上で横になる犬のように、目だけを動かして怠惰を気取るのも良い。


2011年08月09日(Tue)▲ページの先頭へ
助言
 ある団体職員の男性がハチのスプレーを買いに来た。毎年恒例の行事だ。何の理由か知らないが余程ハチに好まれる建物の構造なのだろう。取りに来る係も毎年決まっていて、50前の男性がやってくる。独身男性で酒と肉があれば幸せと言うタイプで、素人相撲なら幕内力士になれそうな体型だ。その種の人によくあるようにいたって童顔で実年齢には余程のことがない限り見られないだろう。
 薬局に入ってきたときからある女性に対する不満がほとばしる。どうやらその団体の事務職員らしい。「事務のおばちゃん」「事務のおばちゃん」と何回も繰り返されたから、親近感があるのかと思ったらどうやら逆で天敵みたいな関係らしい。その憤慨ぶりに多少興味があったので、どのくらいの歳の人って尋ねたら、自分より年上だと言っていた。感情の起伏が激しくてどうやらそれに振り回されているらしい。誰にもと言うべきか、何処にもと言うべきか、苦手な人はいるもので、こいつさえいなかったら天国なのにと思ってしまうことはしばしばだ。自分のために世の中があるのならこの世は天国だが、残念ながら世の中は存在する人全部のものだから、この世はおおむね地獄なのだ。憤懣やるかたない彼は「このハチのスプレーで殺してやろうか」と最後に笑いながら言ったから、薬剤師の僕がそんな不謹慎な言葉を聞き逃してはいけないと思ったので彼に助言した。「どうせなら、隣の大きなスプレーの方が強いよ」と。


2011年08月08日(Mon)▲ページの先頭へ
奇跡
 ご本人の心情の奥深くまではとても入ってはいけない。想像のはるか彼方に苦しみや恐怖はあるだろう。さすがにとても平然とはしていないが、それでも取り乱すことなく現実を受け止めようと努力している。混沌の中で懸命に日常を維持している。慰めの言葉が必要なのか、又それが少しでも届くのか、又それが少しでも役に立つのか分からない。医学のようで医学でない言葉も登場させなければ、言葉が続かない。
現代の医学を持ってもほとんど不治の病であり、確定診断が出ているのに治療を始めることをしない。この段階では治療をすることにメリットがあるとは言えないのだろうか、進行してからの治療法は確立されているのに。まさにこの時点では漢方薬の出番だろうが、現代医学の難病は漢方薬でも当然難病だ。服用してもらってある指標が若干改善したが、それが漢方薬のおかげだとは誰も断定できない。患者さんの少しの希望を、喜びの表情を僕の喜びとして受け入れるにはためらいがある。寧ろ土色に変化を始めた顔色の方が僕には迫ってきて、体の中で着々と足音が聞こえるようになっているのではと危惧する。
 温厚な表情を崩さず、礼儀正しく、家族の支援にも恵まれている。少しでも病院の出番を遅らせることが僕の仕事だ。自然の薬草が持っている力の限りをあの温厚な人に注いで欲しいと、奇跡を願わずにはおれない。


2011年08月07日(Sun)▲ページの先頭へ
造語
 田舎の薬局だから、農家の方が多く来られる。長年よく働いているから腰は曲がり、足はO脚になり、肩や首が痛い方も多い。各々が一つの症状だけを持っていることは少なくて、腰が悪い人は首が、首が悪い人は腰が悪いのがほとんどだ。ただ何故か知らないがそれらが同時に痛むことは少なくて、痛む場所が交代するのが常だ。
「コビ」この言葉が飛び出したのは、農家の方と話しているときではなく、都市部に住む若い女性と電話で話をしているときだった。話の内容は、その方のお父さんの症状を尋ねているときで、主訴のしびれは首から来ているだろうと言う予想の元で、腰の状態を尋ねようとして突然に出た言葉なのだ。僕としては経験上、首が悪ければ腰も悪いだろうという、首と腰はほとんどセットだから、反射的に尋ねたものだ。別に焦っていたわけではないが、何故か二つの単語を一つにまとめて発音してしまった。ただその時女性とも話したのだが、ひょうたんから駒で、ひょっとしたらとても重宝な造語になるかもしれない。「コビ」と言うだけで腰と首の両方を一つの単語で表されるとしたら便利だ。問診の時「コビの状態はどうですか?」と尋ねると「はいコビは3年前から調子が悪いです」なんて簡潔に答えられる。田舎の薬局から新しい言葉が生まれ、インターネットで広まり、いずれは広辞苑に収載される。「コビ・・腰首」
アイルランドの氷河の下に廃棄される放射性物質の管理で問題になっていることに、言葉の問題がある。これから数百万年もの後にどんな言葉が使われているかなど誰も想像できない。僅か2000年前のことだって分からないことだらけなのに、数百万年後に触るな危険と言うことを伝えられる言葉を誰も知らないのだ。僕が作った言葉でさえひょっとしたら広まるかもしれないのに、数百万年もの間にどれだけの言語が生まれたり消えたりするだろう。想像も出来ない将来にまで危険をばらまいた奴らがまだ犯罪者の烙印を押されていない。生産者ばかりが保護されて、消費者はあたかも被害者ではないように扱われている。命を縮めるのは消費者だろう。消費者はいつまで「腰首」いや「媚び」ばっかり売っているのだろう。


2011年08月06日(Sat)▲ページの先頭へ
ドクダミ
 嘗てその肩書き故にとてもまともには話すことは出来なかった。この町の青年達は選挙もしばしば手伝わされた。陰の知事とまで言われた人のオーラは青年には強烈だった。
そんな人も引退して一市民になれば、こんなに穏やかな表情をした人になるのかと驚きだった。嘗ての多くの人を従えていたのが本当の姿か、今の穏やかな表情が本当の姿か分からないが、当然僕には現在の方が歓迎すべき姿だ。今まで30年以上お世話したことはないが、いやお世話させてもらうような関係にはなかったが、身内の方に漢方薬がとても好評を得たので、本人がやってきてくれた。肩書きから言って、大病院の偉い先生くらいしかかからないだろうから、僕の所に漢方薬を求めに来てくれるのは本来なら考えられないことだ。しかし嘗ての肩書きが全く邪魔しなかったので、他の人と同様に充分な問診と適切な漢方薬の選択が出来たと思う。
 その人が面白い話をした。長崎で原爆に遭遇したらしいのだが、被爆してから数ヶ月たって、長崎に何かの仕事で再び入ったらしい。多くの人が拒否する中で、人のいい奴ばかりが行ったと言っていた。そこで見た光景が面白い。何も植物は生えていないのに、ドクダミ(十薬)だけが生えていたらしいのだ。それを見たおばあさんが、ドクダミは原爆の毒も出すと言って、せっせと煎じてくれたらしいのだ。おかげで長生きが出来ていると言っていた。ドクダミが放射能の影響を軽減してくれるのかどうかは分からないが、身体によいことは確かだ。ドクダミが効いたのか、おばあさんの愛情が効いたのか分からないが、ドクダミの生命力は確かだ。漢方薬をやっている僕にはとても参考になるエピソードだった。
 嘗ての高嶺の花がドクダミのエピソードを話し、今でもドクダミのような薬剤師が辛うじて枯れずに残っている。人の本質を見抜くのは難しい。見抜けないから魅力なのかもしれない。煎じ詰めないのが漢方薬と和漢薬の違いだ。さすが日本人、薬にまで間を持たしている。


2011年08月05日(Fri)▲ページの先頭へ
怪しい人
 ある若い女性が、漢方薬を取りに来たときに、彼女が腰掛けるだろう椅子の丁度死角になるところのソファーに一人の男性が腰を下ろしていた。僕と10分くらい雑談をしていたのだが、彼女が入ってきたときも話をしていて、彼女にとって見れば僕が独り言を言っているように見えたかもしれない。ただ、その男性が気を利かせてソファーから立ち上がろうとしたので、彼女は人気を感じて振り返った。まだ男性はショーケースに隠れてみえなかったのだが、不安そうな彼女にすこぶるありふれた言葉をかけてしまった。「驚かないで、別に怪しい人ではないから」と。彼女は、気にしないで下さいという風な雰囲気で笑顔を浮かべた。ただ僕は怪しい者ではないと言っている途中から、とんでもない間違いをしていることに気がついた。ふと出てしまった言葉だがそれは全く正しくない。正しく言うなら「怪しい人だから用心して」だった。
 ショーケースの陰から出てきた男性は、日に焼けて、髪は耳の上あたりだけあって、歯は数本を残しているだけだから見方によれば牙のように見える。それでニタッとされたら夜なら恐ろしいだろう。幸いまだ日が高かったので驚くような素振りはなかったが、まさに怪しい人だったろう。その男性は一度薬局から出ていってすぐに「ヘルメットを忘れた」と言いながら帰ってきた。僕ら二人はきょとんとして見ていたが彼の言うヘルメットは、よれよれの野球帽だった。ソファーの上に忘れていた。彼はそれをかぶりながら「ヘルメットの上にヘルメットをかぶるんじゃ」と言った。僕にはその光沢のいい頭をヘルメットと比喩してのギャグだってことはすぐ分かったが、彼女は分からなかったみたいで反応はなかった。
彼女にとってはそんな珍しい光景が繰り広げられる田舎の薬局だが、インターネットの中で僕の薬局を見つけたとき「運命を感じた」らしい。彼女が長い間苦しめられている過敏性腸症候群が治るだろう薬局が同じ岡山県にあったからだろう。3回すでに通ってきてくれているがずいぶんと元気にかつ明るくなってくれた。控えめで清楚なところはそのままに、ただ一つこの乗り越えられない壁を乗り越えて、言われなき行動のブレーキを全て解除して欲しい。もっと自由に、もっと才能を生かし暮らして欲しいと思う。
 いつかあのおじさんの漁師ギャグに大笑いしている彼女を見てみたい。その時はきっと完治している。


2011年08月04日(Thu)▲ページの先頭へ
自立
自立できないと嘆く若き貴女に
 自立が必要なのは今ではなくて、常になのです。ただこの自立というものが難しくて、なかなか口で言うほど簡単ではないのです。経済的な自立や心の自立や、内容もまちまちですから。例えば僕が今完全に自立しているかと言えばそうでもありません。外から見ればそう見えるかもしれませんが、僕にはどうしても越えることが出来ない漢方の先生がいて、今でも困ったらすぐ頼りにしてしまいます。それこそ自立できていませんよ。先生にはいつまでも元気でいて欲しいと不純な動機でお会いするたびに思っています。僕よりずっとずっと上がいないなんて不安ですから。
 ご両親があなたのことを心配していないなんてことはあり得ないと思います。日本人は感情表現が下手ですから、欧米人みたいな見え見えのことは気恥ずかしくて言えませんが、心の中ではいつもあなたのことを思っていると思いますよ。親ってそんなものなのです。子供のことなんか気にせず暮らしてみたいと思いますが、それは本能的に出来ないのです。
 世界中が3月11日をもって変わってしまいました。放射能と共に生きていかなければならないとんでもない時代になったのです。余り期待しないことをこれからの人は覚えなければなりません。そんなにいいことはもう起こらない時代になったのです。そんな時代に自立だのなんだのってほとんど意味を持ちませんよ。そんなことを考えるより、如何に生きながらえるかを考えた方が余程身のためですよ。放射能を世界中にまき散らして何ら自責の念に駆られない奴らがのうのうと生きているのですから、貴女みたいに誰も傷つけたことがない人が自分に厳しく生きたりしてはいけません。「他人に厳しく、自分に優しく」そんな生き方も貴女には必要かもしれませんよ。
ヤマト薬局


2011年08月03日(Wed)▲ページの先頭へ
鰯雲
 歯の治療の前に「もう秋ですね」と謎かけみたいな言葉を投げかけられたから一瞬答えに困った。やっと蝉が鳴き始めて夏本番を迎えたような気分になっていたのに、もう秋が始まっているなんて。歯科医は治療前に「もう鰯雲が出ていますよ」と言った。鱗雲が秋の季語とはしらないものだから歯科医の博学をまたまた見直したが、あちらが博学ではなくてこちらが浅学なのだろう。
 昨日そんな会話をしていて今朝テニスコートに行ったら、空の半分をまさに鱗が被っていた。確かに秋は着々と来ているのだ。あの歯医者さんはちゃんと空を見ているのだ。見上げて季節を感じているのだ。人それぞれの感性を愛おしく思えるようになった自分の変化に残念ながら人生の秋を重ねた。
 と言いながら今日は童心に帰った。テニスコートに珍しくボールが散乱していたので、歩きながらボールを拾っては夜間照明灯の電柱に向かって投げつけた。最初は肩の運動にでもなるかと思って何となく柱に向かって投げていたのだが、途中から柱に命中させたくなった。幼いときに何かの的(海に浮かんでいるものや、運動場に並べた缶など)に向かって投げていたのと同じだ。最初はなかなかあたらなかったが、そのうち命中するようになった。距離も離してなるべく遠くから投げるようにもしてみた。まだまだ出来るではないのと思ったが、このところ投げ続けていたのは匙ばかりだから、筋肉の衰えは隠せなくてボールに勢いはない。
 ひ弱い肩で一石を投じて水面にさざ波さえ起こすことが出来なかったある所のある人から昨夜、帰ってきてと電話をもらった。その人以上にその場所が似合う人を知らないのだが、そんな人に限って窒息しそうになっている。同じ理由でいち早く窒息した僕が、とどめを刺されることを前提に帰る新たな動機は見つからない。今更身投げして大波を起こしてもサーフボードをこぎ出す人はいない。


2011年08月02日(Tue)▲ページの先頭へ
差し引き
 この歳にして初めて耳にする単語「調理靴」
 薬局は引きこもってする職種だが運のいいことに訪ねてきてくれる人が毎日多種多様だから、耳学問だけは蓄積される。田舎の薬局だから立派な人とは縁が少なくて偏りはあるだろうが、それだからこその知識も侮れない。
あるトラブルで最近お世話している若い男性は、岡山市で繁盛しているスパゲッティー専門店の(今風に言うとパスタのお店?)コックさんだ。(今風に言うとシェフ?)今日彼の足を見せてもらわなければならないことがあって、「職場では長靴を履いているの?」と尋ねた。そこで返ってきたのが人生初耳の「調理靴」だったのだ。僕の勝手なイメージだと、白い服に白い長靴だが、そうではないらしい。調理靴がどんなものか興味があったから尋ねると、つま先には金具が入っていて、足首まで覆う生地は水を弾くけれど通気性が良くできていると教えてくれた。床に水を撒くことが多いからその条件を満たしているのだろうが、金具が先端についているってのが腑に落ちない。まるで安全靴ではないか。彼がこの疑問に答えてくれたのだが、重い鍋などを落したときのダメージを防ぐためには必需品らしいのだ。必要が生み出した代物だろうがそれぞれの職種にそれぞれの必需品があって興味深かった。
 今日又僕は一つ新しいことを覚えて利口になった。ただ今日僕は覚えていたことを二つ忘れたから、差し引き一つ馬鹿になった。


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〒701-4302
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