栄町ヤマト薬局 - 2011/06

漢方薬局の日常の出来事




2011年06月30日(Thu)▲ページの先頭へ
逆転
 こんな田舎だからそんな人は来ないだろうと思っていたが、注意喚起のFAXを薬剤師会からもらって1時間くらいで問題の人物らしき人が来た。
全国的に問題になっていて、薬剤師会からの注意喚起はもちろんのこと報道番組でも時々目にしていた。睡眠薬をはじめとする心療内科、精神科関連の薬を医者をハシゴしてかき集めて乱用したり売ったりしているというものだ。窓口での負担がない人が、もちろんそうでないと原価がかかってしまうから利幅が薄くなるのだろうから、仮病を使って医療機関をハシゴする。その都度希望の精神用薬を処方してもらって原資を集めるのだ。それでも足りないのか処方せんをコピーして効率よく薬を集めようとする。こうなると法律違反だから医療機関と言うよりも警察の仕事になる。
 最近のコピーは性能がいいから処方せんくらいそれらしく複写するのは簡単だ。調剤した薬局が基金からお金を受け取れないことで発覚するのだろうが、全部薬局の持ち出しだ。医療機関が簡単に薬を処方するとばっちりを薬局が受けることになる。医師の時点で見破ってよと言いたくなるが、医師も同じような悩みを抱えているらしい。アメリカで医者をしている人が投稿していた。
「例え嘘を付いている(であろう)患者さんを見つけ出しても、処方箋を出さないことで患者を「罰して」終結できるわけではない。発見は、辛い会話のほんの始まりでしかない。痛みがうまくコントロールできていないために大量に服用していただけなのか、それとも自分で粉末にして鼻から吸引していたのか。また、余った薬を売っていたのか、ティーンエージャーの息子に脅されて手渡しているのか。誰かが“ハイ”になるために使ったかもしれない薬を処方してしまったという空しさと、それを見抜けなかった無念さ、嘘をついていた患者への怒り。そして何よりも、そうまでして薬を手に入れていた患者への哀れみという、相反する感情で胸が一杯になる。じっくり患者の話を聞いて、精神科や中毒患者用のプログラムの受診を懸命に勧めても、行ってくれる人は少ない。処方薬による中毒が社会を蝕んでいる限り、私たちの葛藤は続くのだと覚悟している。」
 善良な医師の真摯に悩んでいる姿を見ると責める気持ちにはなれないが、どうしてこんな見え見えのことを役人は見て見ぬ振りをするのだろう。善良な人々のちょっとしたミスには厳しいくせに、その筋の人間に対しては自分の身を守ることだけに腐心している。もっとも放射能でさえ浴びせさせてなんとも思わないのだから良心などと言うもはどこかに捨ててしまっているのだろう。
意地でも睡眠薬を手に入れようとする堅牢そうな患者と、それを断る睡眠薬中毒みたいな覇気のない僕と、肩書き一つで逆転する。


2011年06月29日(Wed)▲ページの先頭へ
無防備
 早く飛ぶことだけが唯一の武器のようなツバメが沢山、無防備にもテニスコートに降り立っている。地上では身を守る術がないだろうと思うが、僕がコートに入っても飛び立たない。周回コースでやっと接近したときに一斉に飛び立った。夏の太陽が朝から頑張っているがテニスコートの上にはまだ前日降った雨が所々に水たまりを作っている。こうしたツバメの集団行動は初めてではなく時々見られる。ツバメたちは一体何をしていたのだろうと思った。雨上がりは餌になる虫たちが地上を這うのか、それともツバメたちも水なしでは生きることができないだろうから水たまりの水を飲んでいるのか。
 こうした疑問など嘗て持ったことはない。自然溢れる田舎で育ったが自然は単なる風景で興味の対象ではなかった。ツバメがテニスコートに一杯下りていたなんて話しても興味を持つような人もいないだろうし、理由を答えてくれそうな人も僕の回りにはいない。バードウォッチングの会の人にでも尋ねたらすぐ正解をくれるのだろうが、僕の傍には焼き鳥しか見えない人ばかりだ。興味あるのは飛んでいる鳥ではなく、タレが濃い口か薄口かくらいなものだ。
 何となく答えらしきものを知りたかったので、インターネットで検索してみた。僕が勝手に導いたのは、雨上がりの柔らかくなったテニスコートに下りて巣作りのための泥をついばんでいたと言う結論だ。何故なら目を凝らしてツバメたちがいた土の上を見ても生き物らしきものは見えなかったし、ツバメは水面を飛びながら水を飲むとインターネット上に書かれていたから、他に地上に下りる理由がないのだ。消去法の頼りない見当だが、今更この季節になって巣を作るのだろうかという前提もあやふやだ。
 苦肉の策で始めた朝晩のウォーキングで結構自然と触れ合える。今朝もカラスにハトにツバメにスズメにもう一つ名前が思い出せない鳥に、いや思い出せそうだ、僕の頭に似た・・・・そうだシジュウカラ(四十空or始終空)にも会えた。


2011年06月28日(Tue)▲ページの先頭へ
裏表
 裏表があるのは人間だけかと思っていたら、木にもあるらしい。1年に1回、近所の大邸宅に庭木の剪定のためにやって来る職人さんが言っていた。いわゆる植木職人さんなのだろうか、毎年この時期に「暑い、暑い」と言いながら栄養ドリンクをのみにやってくる。昔はこんな人が薬局には一杯来ていたのだが今は珍しい。栄養ドリンク一杯で長い会話を楽しむような人達だ。まるで喫茶店に来ているかのような感じで長時間居座る。昔の薬局は病院の薬を作るようなことがなかったからいつも無防備で、エンドレスのホラ話に良く付き合わされたものだ。
もう引退してもいい年齢なのだが、お得意さんが離してくれないらしい。それどころか口コミでまだ客が増えている。口コミの理由は本人曰く安くて早いのだそうだ。おまけに出来映えがいいと来ているから、お客さんは離さないだろうし、紹介も良くしてくれるらしい。口べたなのに話し好きと来ているから言わんとしていることをかなりこちらが汲まないと、時間がいくらあっても足らない。どうやら彼の今日のテーマは、木のことが本当に分かって剪定している昔ながらの職人がいなくなったという嘆きのようだ。その話の中で出てきたのが木の表裏だ。自分の身体で表現して見せたが、人間の身体の表裏と似ていた。見る人に表を見せなければならないのに、今の業者はそんなことを理解せずにただ植えるだけだから、見て美しくないのだそうだ。そう言ったずさんな植木の修復にもしばしば呼ばれるらしい。そこで道理を説明をしてあげるとえらく依頼主に喜ばれておひねりも頂けるのだそうだ。
 そのほかにも3本木を植えるときは、不等辺三角形にしないとどこかの角度では木が重なってしまうからだめだとか、主なる木があってそれに従う木があるなどと、まるで人生の教訓を述べているような内容だった。
 話を聞いていてどの業種にも共通した時代の流れを感じた。僕は薬局のことしか分からないが、一人一人の患者さんの訴えを聞いて薬を合わせていく作業が出来る薬局(薬剤師)が減っていることと重なって聞こえた。棚に一杯薬を並べて、その中から合いそうなものを取ってもらい、良い目が出るか悪い目が出るか博打みたいな職業に成り下がっているのが主流では嘆かわしい。健康に寄与するのではなく消費させることが主なる目的だから似て非なるものだが、同じ薬を扱うものとしては植木職人と同じ感慨を持っている。薬には裏表はないけれど、薬を扱う人間や企業には裏表は付き物だ。残念ながら、表のない裏がないように裏のない表もない。


2011年06月27日(Mon)▲ページの先頭へ
生き病
 「腰が悪くなること程、辛い病気はないね、外を普通に歩いている人を見たら腹が立つ」と、さも当時を再現するかのように薬局の外を振り返った。残念ながらその時薬局の外を歩いている人がいなかったから、映画の回想シーンのようにはならなかったが、本人にとっては悪夢だったのだろう。ところがこういった言葉を聞いて単純に同情するような僕ではない。「みんな、自分の病気が一番不幸だと思っているよ。首が悪い人は首が、水虫の人は水虫が、潰瘍の人は潰瘍が、ウツの人はウツが」と言うと「それはそうだけれど」と照れ笑いした。「どうして自分より年上の人がごく普通に歩いて、自分が歩けないのかと思ったら腹が立つんだろう」と言うと「自分より若い人なら許すことが出来るけれど、お年寄りが普通に歩いているのは腹が立つ」と答えた。正直な人だ。誰もがそう思うだろう。でもさすがに言い過ぎたと思ったのか「自分に腹が立つんよ」と付け加えた。
 僕にとっては他人にでも自分にでもは余り問題ではない。その様な人が少しでも他人も自分も許せるようになってもらえるように努力することだけだ。医者でないから死に病はお世話できないが、生き病ならお世話できる。病気という孤独な戦いを要求される人達の苦痛が少しでも減ればいい。そして不幸すぎない人が少しでも増えればいい。幸福すぎる人ばかりが眼の中に入ってくるような社会になってしまったから不幸すぎる人が置き去りにされている。誰もがふとした契機でその仲間入りしてしまう危険性をはらんでいるのに、見ない振りをするようにしつけられてきたから気づくことが出来ない。危ないと声をあげれる人が少なくなったのだ。残念ながら現代社会は危ないことにさえ気がつかない程危なくなっているのだ。


2011年06月26日(Sun)▲ページの先頭へ
一滴
 その一言が出る人に脱帽。考えて出した言葉ではなく、何気なく出た言葉にその人の本質が現れている。そうした清流の一滴のような言葉に巡り会える幸運を実感する。
ある方に頼まれた景品は羽毛布団だから箱に入れられているにしても結構場所をとる。エスエス製薬から送られて来た日に、すぐに電話で荷物が届いたことをその女性に知らせた。羽毛布団は冬にしか使わないのだから取り寄せは急がなくてもよいと言われていた。その言葉が耳に残っているからいつまでこの大きな荷物を保管しておかなければならないのだろうと少し負担に感じていた。事務室も次第に器機が増えて窮屈になっているので、その布団のためにとられるスペースは結構ストレスだった。ところが荷物が届いたという電話をして10分もするとその依頼主の女性がやってきた。そしてその女性の開口一番が「あんなに大きい荷物は邪魔になると思って」だった。秋までとは言わないが、いつ取りに来るかは彼女の自由だ。ところが薬局のことを思いやってあっという間にやってきてくれた。その相手を思いやる想像力は僕にはなくて、心の中でつぶやかずにはおれなかった「完敗」と。
 車中、何十回と同じ言葉の質問攻めにあった。母を里に連れて行ったのだが「昼ご飯はどうするの?」と言うのが唯一の気がかりなのだろうか、手を替え品を替えての同じ内容の質問が繰り返された。平日、昼食が不規則になっているのをかなり気にしてくれていて、毎日のように食べたかどうか妻に悟られないように確かめる。僕が決まって昼食をとっていれば安心で、夕方近くまで時にとれない時など気が気ではないらしい。僕にとっては段取り優先にしているだけのことなのだが、母親としては食事さえ摂っていれば健康でおれると思うのだろうかこだわりは激しい。少し、いや段々と痴呆の足音が大きくなっている母を僕の従姉妹はとても親切に扱ってくれる。家族以上の愛情を注いでくれる。母を昼過ぎに迎えに行ったとき、美味しそうなお好み焼きを振る舞っていてくれて、お土産にケーキを焼いてくれていた。そして帰り際に「また、連れてきてあげてね」の感動の一言を聞かせてくれた。恐らく数時間同じ内容の話をテープレコーダーの巻き戻しのように聞かされたであろうに、あのような言葉を贈ってくれた。里へ行きたがるのは郷愁だけではなくこの様に大切にしてもらえるからだろう。
 大きな事は出来ないけれど日常のちょっとしたことに対する誠実さで庶民は許してもらおう。沢山の人を沢山の知恵で救えないし、沢山の人を沢山の経済でも救えない。沢山の人を沢山の時間で救えないし、沢山の人を沢山の人脈でも救えない。ないないづくしだが飾らない日常があれば、ささやかな善意は実現できる。


2011年06月25日(Sat)▲ページの先頭へ
人並み
 同世代の人に比べたらなんて運がいいのだろうと言うくらい健康に恵まれている。それなのに10年近くもパニック症状だけ抱えていて、一気に人並み以下の生活を余儀なくされている。1週間に一度近所のスーパーに買い物に連れて行ってもらうのが唯一の外出だった。車に乗れば勿論、車から降りてスーパーに入ってもすぐに息苦しくなって呼吸が出来にくくなる。失神しそうなのをなんとか我慢して出来るだけ早く帰る。だから買い物は必要なものを最小限に絞って持って帰ることにしていた。この方が今日漢方薬を取りに来て、この2週間で出かけたところを一杯教えてくれた。僕なんかよりはるかに外出していて、早晩完全復帰するだろう。
 実はこの種のパニック症状の方を現在進行形で5人お世話をしている。僕も経験があるから手にとるように分かるのだが、いてもたってもいられない、心の中から不快なものが込み上げてきて発狂しそうになる焦燥感は、見た目の正常さとはうって変わって、かなり辛いものだ。勝手な言いぐさだが、傷みの病気の方が耐えやすいなどとつい口から出てしまう。
 この種の孤独な苦しみの中にある人をお世話するのは結構やりがいがある。何故ならその種の人は一般的な傾向として繊細さをもてあましているだけだから。繊細さの矛先が自分に向いているだけで、もしその大いなる個性を何か他のものに、出来れば何か生産的なものに向けさせることが出来れば、むしろ人様のお役に立てる可能性が高いと思えるから。この種の人はきっと誰もが少なからず苦手な人や役割を心の中に持っていて、なおかつその人や肩書きに負けていて、体力が何らかの理由で落ちたときに運悪く発症しているのだ。全員が心療内科にかなりの歳月かかっていて安定剤なるものを飲んでいるが、解決していないばかりかその事に対して罪悪感を持っている。僕自身に降りかかったとき、手を伸ばせば調剤室にいくらでもその種の薬はあったけれど、飲んだらお終いみたいな気がしていた。安易に手を出せる環境にあるから余計に手を染めることはしたくなかった。タバコ屋さんが禁煙をするようなものだ。
 自分で試行錯誤したおかげで、と言うより漢方薬を作って飲んでから意外と早く完治して、その後同じような処方で沢山のパニックの方に完治して頂いているが、気力体力を上げるという単純なことで心の病気も治ることを体験した。研究員の叡智や何十億という開発費をかけなくて、単なる薬草で治ったりしたら怒られそうだが、心のトラブルでも自然治癒を追求してみる事も大切なような気がしている。ずっと患者として安定剤を飲むことを思えば国の医療費削減にも役に立つなんて大きな事を言う気はないけれど、何ら後ろめたさもなく普通に暮らすことが出来る楽さは何にも代え難い。心も身体も、ついでに財布の中身も人並みで充分だ。


2011年06月24日(Fri)▲ページの先頭へ
アンダルシア 女神の報復
ある青年への返信
 弱音ばかりでもいいのではないですか。強がりばかりよりは嘘がなくていいでしょう。
僕も高校2年生で急転直下、青春の蟻地獄に堕ちた人間ですから、あなたが本来はポジティブで自意識過剰すぎるくらいだったというくだりが苦い思い出として蘇ります。ただその心理的にどん底の数年間は、僕を大きく変えた歳月でもあります。もしあのまま挫折することなく上手く生きることが出来ていたら、今の僕の人格や個性はなかったと思います。
傲慢で、弱い人達の心も理解できなかったかもしれません。
 僕が過敏性腸症候群に陥った人達に常に繰り返し言っていることがあります。それは決して無駄な経験ではないって事です。その果てしない孤独な症状を体験することによって
弱者への配慮が培われるのです。教科書には載っていない方法で道徳を身につけることが出来ます。現代社会ではなかなかそう言ったものを勉強し身につける機会がありません。
家庭に教育力がなくなったこと、あるいは大人の振りをした大人しかいなくなったことなどを考えれば良識を身につけるのは至難の業です。招からざる要因でそうした心理状態を学べたことは決して無駄ではないのです。
 出来れば大切な場所で、大切な人の前で大失敗してください。あなたが偉大な業績を残すよりも、その方が本当に打ちひしがれている人を救うことが出来るかもしれませんよ。
完璧なあなたが誰を救うことが出来るでしょう。それよりももろいところを持ったどこにでもいる人のままの方が本当に救いたい人を救えるのではないでしょうか。あなたがずっこけて誰かが笑いをこぼす、最高の場面ではないですか。あなたが開く新境地です。青春は潔癖を求める時代です。でもそんな潔癖をある時捨ててしまえば、青春って結構怠惰でどうってことないものなのです。人生はダラダラと続いている冗談なのさ、それもとびっきり質の悪いものさ・・・・・力む必要なんてさらさら無いのです。この年齢になれば断言できます。当時の僕にもこのように力を抜くことを教えてくれる人がいたらもっと違った人生になっていたかもしれないと。例えば福山雅治とか、織田裕二と「アンダルシア 女神の報復」を作っていたりとか。
ヤマト薬局


2011年06月23日(Thu)▲ページの先頭へ
さりげなく
A)普段はお腹の調子悪くないですよ。今日も百貨店へ買い物しにいってました。
B)この前は迷惑電話に付き合って頂きありがとうございました!笑 同期が辞めてから何故だか、今までより仕事が楽しいというか、何より上司との関係が良くなりました!あれだけ私ビクビクしてたのに‥ビックリです。まだまだこれから壁にぶち当たると思いますが、その時はまた迷惑電話します!笑
C)人の車になんとか同乗できました
D)目が覚めてからオシッコに行くようになりました。便の回数も1回ですむこともあります
 今日、過敏性腸症候群の5人の方とメールや電話でお話したが、上記は4人の方の発した言葉だ。つきあいの長い方から短い方までそれぞれだが、この人達のさりげない報告に安堵する。以前なら話の9割9分がお腹のことで、それ以外の内容は入る余地もなかった。思いに余裕がないから、自分の話題に集中してしまう。集中すればするほど治りにくいトラブルだから、悪循環だ。でも体調が良くなるに従って、言葉に余裕が出てくる。本題のようで本題でない、でもさりげなく症状を僕に伝えておく。力が抜けた言葉が発信される。
 実際に会ったことがある人もいるし、声だけの人もいる。それぞれがそれぞれの場所でそれぞれの人間模様の中で、それぞれの風景の中で暮らしている。風が砂浜を渡り、尾根を上るようにさりげなく生きている人達がいる。何ら特別を持たず、何ら特別を求めず、さりげなく生きている人がいる。そうした人達とのさりげない出会いとさりげない別れを繰り返してきた。職業柄縁がないのが一番なので、そっと僕自身も消えるように心がけてきた。さりげなく食事の準備をし、さりげなくオフィスの椅子に腰をかけ、さりげなくウインドウショッピングを楽しみ、さりげなく会議の書類を作り、さりげなく車窓の景色を眺め、さりげなく店員さんに微笑む。そんな、さりげなくに保証された平穏こそを見失わないでほしい。


2011年06月22日(Wed)▲ページの先頭へ
変化球
 「絞め殺してやろうかと思う」と僕のいつもの指導より早く自分で言ったのが帰宅してからでも気になったのか、すぐに戻ってきた。そして入り口あたりで僕を手招きする。乗ってきた軽トラックの荷台には、カボチャとソーメンカボチャ?がいくつか積まれていた。「箱を持ってこられ、上げるから」と彼は言った。
 急にお母さんが入院して、痴呆気味のお父さんを母親に代わって病院に連れていく。これが続いているからストレスが相当たまっているのだろう。良く面倒を見てあげているのは誰が見ても分かるから、敢えて口に出した言葉を問題にはしない。寧ろそうして口から一杯ストレスを捨てて身を守ってほしい。溜めていたら本当に体も心もやられてしまう。介護の共倒れになったら身も蓋もない。定年を待たずに農家を継ぐことと介護を決心した孝行の美談が悲劇になってしまう。
 長寿社会になってどこにでもある話だ。誰もが通らなければならない道になった。どの様に通り抜けられるか個人によって大きな差があるが、個人の許容の範囲での通過を願うばかりだ。元気な親は子孝行だが、それにも限界があり、いつかは必ず力つきる。親孝行をする気力体力を日々培っていないと役には立てない。
 彼にもらったカボチャの一部を孝行がまだ十分得意な国の若い女性にあげた。嘗て、その国に今は帰った女性にどうして90歳の母親と同居しないのか詰問されたことがある。彼女にとっては考えられないことだったみたいで、慣れない日本語で僕を糾弾した。言葉の壁を上手く利用して僕はのらりくらりと逃げたが、思いもかけない不意打ちが今でも忘れられない。
大なり小なり誰もが重荷を背負って生きていかなければならない現代において、言葉でストレスから解放されるくらいの変化球は許される。偉い人なんか価値観そのものが変化球なのだから、下々の口先だけの変化球なんて可愛いものだ。


2011年06月21日(Tue)▲ページの先頭へ
 何気なく見ていた朝のテレビで面白い内容のものがあった。大阪のおばちゃんは飴のことをアメチャンと呼ぶらしいのだ。なんと6割くらいの人が飴ちゃん(アメチャン)とまるで人格を持っているかの如く呼んでいた。飴に親近感を持つようになり、実際に飴を携帯し始めるのは40歳から急増するらしいが、多くの人が飴専用の袋を持っていて、買ってきた包装から出して、自分流の携帯の仕方を考えている。また、飴はコミュニケーションの大きな武器らしくて、すぐ他人様にあげるそうだ。そうして話の糸口を掴むらしいが、図々しいおばちゃん達も結構もとは気が小さくて小道具に頼っているのが面白い。
 僕が漢方薬を作っている方の多くとこのおばちゃん達は対極にいるように一見写るが、ひょっとしたら結構根は似ていて、心底気が強くて人の視線も気にならないような本当の強者はおばちゃん達の中にも意外と少ないのかもしれない。そう言えば、過敏性腸症候群にしたってウツウツにしたって、別に大阪の患者さんが少ないわけではない。例のぼけとつっこみで一日中素人漫才していたって、病む人は病んでいるのだ。幼いときから身に付いた話法も病気や性格を駆逐してくれる力にはなり得ない。懸命に飴でご機嫌をとりながらも及ばなかった人がこの種のトラブルを抱えるのか、本来的に人と交わるのが苦手な人がこの種のトラブルに陥るのか分からないが、行き着くところが同じなら、いっそ無理をせずに正直に自分をさらけ出して、決して虚飾の衣をまとうことなく、出来ればもっと低く、もっと謙遜に暮らすのがいい。本当の謙遜が身に付けば人の視線など恐くない。恐い間はその謙遜の姿にまだ無理があるのだ。
 この番組を見ているときに妻がある人のことを例に出し、教会の○○さんもその通りだわと言った。大阪で暮らしていたことのあるその方によく飴を分けて頂くそうだ。飴だけでなく人格もついでに分けていただけばいいと思うが、人格までは小袋に入れては持ち歩いてくれない。真似るか盗むかしないと身には付かない。
 アメチャンが好きな大阪のおばちゃんは虫歯だらけかと思うが、心に虫が食っているよりは罪がない。歯医者さんもタンスにゴンも治せない虫食いは大きな肩書きの輩により多く見られる。

追記・・・丁度書き終わったところに加古川の家族がいつものように漢方薬を取りに来てくれた。その中のお母さんが迷わず「アメチャン」と言った。今日は朝も夕も、アメチャンに心をほぐされた良い日だった。



2011年06月20日(Mon)▲ページの先頭へ
たたり
 サンドイッチマンのコントではないがそれこそ「何を言っているのか分からない」状態だった。蚊に刺されて入院したって言うから、そのままの言葉の最後にクエッションマークを添えただけで返した。疑う僕に頼みもしないのにズボンの裾を上げて見せてくれたが、確かに小判くらいの瘢痕がまだ生々しく残っていた。
ある用事で訪ねてきた若者だが、その用事が済んだ辺りから雑談になった。妻が出したコーヒーや桃でリラックスしたのか口が軽くなった。そこで出てきたのが冒頭の、蚊に刺されただけで入院となった話だ。彼はふくらはぎ辺りを蚊に刺されているのが分かったから当然手で叩いて殺した。本来ならそれだけのことでその後の展開なんてあり得ない。ところが数日の内に刺されたところが腫れて、そのうち潰瘍になったというのだ。近隣の皮膚科の開業医にかかったのだが、最終的には足が倍以上に腫れて大きな病院にかかり直し、即入院となったらしい。どうしてもっと早く来なかったと医師に詰問されたから、皮膚科の開業医にかかっていたと答えると「ああ、又あそこの医院か」と思わせぶりな言葉が零れたらしい。岡山市内の若者だから敢えて医院の名前は聞かなかった。どうせ田舎の僕とは接点はないだろうから。
 それにしても珍しいことがあるものだ。蚊に刺された跡が赤くしこりなかなか跡形が消えない人は往々にしてあるが、倍になるほど足が腫れたり、そのあげく入院したりする人を知らない。「よっぽど(よほど)不摂生をしていたか、よっぽど疲れていたか、何かのたたりではないの?」と彼に言うと、病院の先生も同じ事を言ったらしい。「えっ、病院の先生もたたりだと言ったの?」と尋ねると、さすがにそこまでは言っていないらしい。それはそうだろう、たたりはヤマト薬局の特許なのだから。これが言えるのは余程信頼関係がないと言えない。僕なんかこの一言で如何に沢山の人の信頼を失ったか。分からないときについ便利な言葉として使っているが、この一言で離れていった患者さんは数え切れない。これこそ何かのたたりなのだろうか。


2011年06月19日(Sun)▲ページの先頭へ
海水浴場
 自分の町なのにもう何年も来たことがないなと、砂浜を優しく洗う波の音に諭された。牛窓町には2つの海水浴場があって、一つは急に深くなっていて目の前に大きな島が見える。(牛窓海水浴場)もう一つは大きなな砂浜で、遠浅でずっと沖まで遮るものがない。(西脇海水浴場)対照的な二つの砂浜だが、方や数年、方や20年以上行ったことがない。朝は牛窓海水浴場、夕には西脇海水浴場に放射線量を量りに行ったが、朝は数人が砂浜に腰をかけ、竿の先が揺れるのをひたすら待っていた。そして夕には一人の釣り人が広い砂浜を独占していた。
思えば子供の時以来彼らのように時間を止めたことはなかった。忙しかったのか何もしないことが恐かったのか、何かしら常にしている、動いている状態を作り続けてきた。それで何かを作り上げたとか、何かを極めたとかがあるわけではないが、竿が揺れるのを見ながら1日を過ごすなんて事は出来もしないし考えられもしなかった。
 いつかあのような時間が心底ほしくなるのだろうか。それとも従来のように時計の針の上を走り続けるのだろうか。余りにも小さな僕の営みにたいそれた理由をつける必要はないけれど、知らない世界や知らない営みなどを多く残しすぎたかもしれない。今日僅か数キロを車で走っただけで、嘗て見なかった建物や風景を見つけた。世界は無限に広がっているのに、こちらから訪ねることはしなかった。
 あの土地の人はある日を境に、今日僕が見たような生い茂る木々や緑の絨毯や波が寄せるたびに吸い込まれる砂浜の光景を見ることが出来なくなった。生活の場を追い出される屈辱を口に出さない人々の忍耐や寛容をいいことにまだ追い打ちをかけようとする街に住むお偉い方。どうぞ放射能はあなた方が食い飲んでくれ。もうこれ以上田舎を、田舎者を馬鹿にしないで。傷つき落ちた雀さえあなた方のせいのように思える。


2011年06月18日(Sat)▲ページの先頭へ
騒動
「何か恨まれるようなことはなかったですか?」と尋ねられても思い当たる節はない。そもそも何でそんな質問をされなければならないかと思うし、まるでテレビ番組の刑事物を地で行くような質問に、まるでテレビ番組の刑事物を地で行くような答えを返した。「人に恨まれるようなことはしていないつもりだけど」と。でもこれでは単なる不快な日常の出来事で終わってしまいそうなので、一念発起して次のように言った。「でも考えてみると僕はこの整った顔でしょ?品もあるし性格はいいし、何不自由していないし、羨むなって言う方が無理ですよね?」と言うと、警官はやおら腰から拳銃を抜くと僕の土手っ腹に突きつけた。(念のためこの最後の部分はフィクション)
 そもそも事の発端は、昨日来てくれた電気屋さんの若者がクーラーの室外機の天井板にあいた穴を見つけてくれたことから始まった。クーラーのスイッチが入らないから点検を頼んだのだが、原因はブレーカーが落ちたせいというのを簡単に見つけてくれた。ところがその穴を見て彼は誰かの悪戯だと言った。クーラーが働かなくなるような悪意のあるものだと言うから、セコムに連絡した。セコムは隣の県から備前あたりまでクーラーの銅線を狙った窃盗が流行っていると教えてくれた。だから警察に連絡しておくべきだと助言してくれた。そこでやって来た警察官が冒頭の質問を僕にしたのだ。
 薬局にくるその種のことに精通した人達数人に穴を見てもらった。塗装の仕方、はげ方、錆び方、色々な蘊蓄がかわされたあげく、今になって開けられた穴ではなく、最初から開けられていた穴と落ち着いたのだが、半日右往左往した。田舎だからとつい無防備に暮らしているが、近所の電気屋さんが室外機を盗まれたことも知った。それなりの警戒心を持つように諭されたが、残念なことだ。雨の日に偶然クーラーが止まった事から始まった騒動だが、結構無駄な時間を使ってしまった。何もない1日に感謝することなどなく、不満たらたらだったが、何もない1日がこんなに愛おしいとは考えもしなかった。


2011年06月17日(Fri)▲ページの先頭へ
雨漏り
 鉄筋コンクリートの家なのに泣かされることは多い。木造からこちらに替えたときにはその強いイメージばかりが印象の中に占めていたから、こんなにメンテナンスが必要になるとは思ってもみなかった。この種の事を世間では先入観というのだろう。どうも僕はこの先入観に裏切られるばかりする。いや、裏切られるからこそ先入観というのかもしれないが。
 鉄筋なのに雨漏りすると言ったら、多くの人が不思議がる。だけど結構それがするのだ。防水加工は5年もすれば効果が薄くなるからと言われ、何度か倹約しながら業者にお願いしたが、目を見はる効果は2年と持続しない。そのうち嘗てのように雨の度に天井にシミを作り、壁を水が流れる。誰か完璧に治してくれる人がいないのかなぁなんて、その種の人捜しの件は漠然といつも頭の隅にあった。
 ふとしたことで漏らした悩みを若い電気屋さんが聞いて、今日ある業者を連れてきてくれた。嘗ては専門業者なら必ず直してもらえるものと思っていたから、丸投げで任せていた。でも数回裏切られると最早直らないのが当たり前と思ったりしている。期待してはいけないのだと消極的になってしまう。今日紹介されたと言ってやってきた業者もほとんど期待していない。上手くいけばラッキーくらいな冷めた気持ちでいる。スーツ姿の2級建築士、リフォームの肩書きも持っていた。もう1人はまだ若くて作業服を着ていた。そして3人目はほとんどホームレス状態だった。それでも少しでもよくなればと言う気持ちで淡々と数ある不具合を説明した。この3人が今までの人達と違ったのは、ひつこく現場を点検しとくにスーツとホームレスが意見を交換し合っていた。どちらかというとホームレスの方が言葉は下手だが主導しているように思えた。スーツがホームレスの意見を聞いているような場面が多かった。二人で原因を懸命に探っていた。懐中電灯ではげた天井板の間だから中を覗いたりしていた。嘗ての業者にはそれはなかったように思う。そしてホームレスが最後に「水漏れはやりたくないんです。難しいから」と言った。僕はこの言葉は正直だと思った。難しいものは難しいと認識して、だからこそ挑戦してやり遂げてほしいと思った。僕らの仕事と全く共通しているのだ。だからこそのモチベーションが、努力や向上を保証してくれるのだ。
 帰り際、ついでに見せた外回りのある箇所で、ホームレスがある管を指でたたきはじめた。そして「この辺りがおかしい」と言った。風呂の配水管の詰まりもお願いしていたのだが、その原始的な方法がおかしくもあり心強くも思った。まあ、何か期待できるようなものを見つけないと、自分を納得させることが出来ないのだ。今回も又無駄なお金を使うのかと、後ろ髪を引かれっぱなしの依頼だから。やりたくないと本音を言えるホームレスの正直にかけたいが、「自信はあるけど実力がない」とうそぶく僕みたいな人間もいるから、今度こそは冷めまくって冷ややかな視線を送ってやろうと思う。
 誰かカリスマ雨漏りさんいないかなあ。


2011年06月16日(Thu)▲ページの先頭へ
一長一短
 所変われば何とやらで、又一つ利口になった。
 ブラジルでは小学校から留年があるらしい。昔のことですかと尋ねたら現代でもそうらしいから、徹底したものだ。ガキ大将でもさすがに留年すると恥ずかしいのか結構奮起して勉強するらしい。逆にその時点でドロップアウトしてしまう子もいるらしいから、やはりどんな制度でも一長一短がある。一長も一短も教えてくれたが、教えてくれた人はその一長のほうに価値を置いているみたいだった。話しぶりから想像がつく。
その話を聞いていて僕はブラジルに生まれていなくて良かったと思った。あの死ぬほど長かった留年の月日を小学生から経験さされてはかなわない。小学生では同じ留年仲間と麻雀は出来ないし、一人孤独にパチンコの台と向き合うことも出来ない。タバコを根本まで吸いコーヒー一杯で数時間喫茶店で粘れないし、下手なギターを仲間が学校にいっている時間アパートでかき鳴らせない。
 僕はそれらのものがあったからドロップアウトせずにすんだのだろう。危ういところだったと思い出すたびに恐くなるが、何かが引き留めてくれたのだ。でも僕には分かっている、その何かは、友情とか正義とか真理とかまして愛とかの立派なもの達ではなく、単に勇気がなかっただけなのだ。ドロップアウトして波乱に充ちた人生を歩むほどの勇気がなかっただけなのだ。起伏を求めながらも結局は舗装された平凡な道を選んだのだ。
 それで良かったのだと年と共に思う。舞台の上で何も演じることは出来なかったけれど、舞台に上がる人の手伝いくらいは出来た。とくに舞台に上がることを躊躇っている人や諦めている人の背中を押すことは幾多もできた。遠慮気味に、でも懸命に生きている人と沢山知りあえた。ブラジル人のように褐色の筋肉は持ってはいないが、ひ弱だからこそ経験できたことも多い。一短の方に居心地の良さを感じて来た人生には、色白の力無い筋肉が似合うのかもしれない。


2011年06月15日(Wed)▲ページの先頭へ
砂場
 池田小学校事件以来だろうか、学校が門を閉じているのが普通になったから、校内に入るのは気が引ける。いちいち許可を得て入るのも面倒だし、自分の仕事時間を費やしたくないこともあってこの2日間、早朝に町内の4つの学校を回って放射線量を測っている。 今朝はすでに2校で先生が登校していて、その中の一つの学校ではわざわざ近くまで来て挨拶をされた。もっともまずは不審者かと思ったのだろう、運動場の端にいた僕に校舎から大きな声で挨拶をされた。それで不審者かどうか見極めるのだろう。大きな声で挨拶をされたので僕も大きな声で挨拶を返し自分の名前を叫んだ。すると教頭先生が寄ってこられて僕の行動を理解してくれた。
昨日、運動場と砂場の放射線濃度を測ったのだが、過去(福島の水素爆発以前)の岡山県のデータとほとんど変わりはなかった。ただ砂場の土を10cm掘って測ったら気持ち高いかなという感触を得た。そこで今日はもう少し深く、20cmの穴を掘って測ってみた。すると測定した3つの小学校と一つの幼稚園全てで18%から38%の放射線濃度の上昇が見られた。素人だがこの変化くらいは容易に想像がつく。3月の水素爆発の時に飛来した放射性物質が、雨で地表から土中にしみこんだのだ。その深さが10cmの所辺りをすでに突破して、20cmあたりまで達していると言うことだ。明日は園芸用の小さなスコップではなく作業用の大きなスコップを持っていって30cmの深さの穴を掘って測ってみようと思っている。
 今日ある学校で保健委員会というものがあってそれに出席してきた。その席で、携帯電話の電磁波についても、放射線についても自分で自分を、そしてあなた方がお子さんを守るしかないと話してきた。胡散臭いものを見破る力を養ってと頼んできた。国や企業に雇われた学者達がそれらに都合の良いように動いて来たことが最近の事象で透けて見える。もう権威などを信じないことだ。肩書きはどうやら積み重ねた努力で手にするのではなく、すり寄った権威から与えられるものらしいから。不自然なものを顔の表情や言葉から感じ取り選別出来るフィルターを誰もが持つべきだ。相手は国を挙げての総力戦でオレオレサギを働いているようなものなのだから。


2011年06月14日(Tue)▲ページの先頭へ
キジ
 随分以前のことになるが、僕のバレーボールのチームにいた若い男性がおもしろおかしく言ったことがある。彼が住んでいる粟利郷と言うところは牛窓でも一番辺鄙なところにあるが、その事を自虐的に表現したのを、今朝車を運転しながら思い出した。
 「岡山で邑久郡ですと言うと田舎だと馬鹿にされ、邑久郡で牛窓町というと田舎だと馬鹿にされ、牛窓で長浜と言うと田舎だと馬鹿にされ、長浜で粟利郷と言うと田舎だと馬鹿にされる、どうすりゃいいんじゃ」と確かバレーボールの試合の打ち上げの時に嬉しそうに言っていたことがある。彼はその馬鹿にされる田舎が好きで、田舎の人が好きで、Uターンして帰ってきたのだが、この田舎町ギャグで打ち上げの席を盛り上げていた。その彼が好きな田舎の自虐ネタの神髄を今朝垣間見ることが出来た。
 その長浜の粟利郷に接する辺りに牛窓北小学校がある。今朝早く校庭の放射線濃度を測りにいっての帰り道、道路をキジが歩いていた。さも知ったかぶりに迷わずキジと書いたが、尻尾がかなり長かったからきっとキジだろう。まさかキジが牛窓にいるとは思わないから、結構感動ものでスピードを落としてゆっくりと通り過ぎた。僕の車が近づいているのを知っているはずだが、人に慣れているのか、車に慣れているのか慌てる様子はなかった。キジでこれだけ感動したのだから、あれがクジャクだったりしたらもう慌てふためいてauのお店に携帯電話の契約に走るだろう。
 そうしてみると彼の言うように、牛窓町の中の牛窓地区の中の紺浦は都会だ。早朝毎日歩いているが、烏がツバメの巣を狙うか、ゴミをあさるしかの光景しかない。早朝のすがすがしい空気の中で一番に弱肉強食を見せつけられてしまう。否が応でもこの社会の弱肉強食ばかりを見せつけられているのだから、せめて自然界では命を慈しむ光景を見せてほしい。


2011年06月13日(Mon)▲ページの先頭へ
祝詞
 今年地区の役員が回ってきたおかげで、昨日部落にある神社の夏祈祷という儀式に出席した。初めての経験だ。何をするのか分からなかったが指定された時間に石段を登って10数人の役員と共に本殿に借りてきた猫のように鎮座ましました。本殿と言っても社自体が小さいので、10数人も入れば十分スペースは埋まってしまう。いつの時代に出来たものか、又何を奉っているのか全く知識はない。それもその筈、昨日初めて石段を全て登ったのだから。
 どんなことが行われるのか興味を持って臨んだが、印象深かったのは神主さんの祝詞の内容だ。同類項にくくってはいけないのかもしれないが、僕が知っているのは葬式の時のお経とミサの時の典礼くらいなものだから、結構違和感があった。そのどちらにも属さない韻のふみようや抑揚についていけないから、一緒に唱えるのが難しくてすぐに脱落した。しかし、祝詞で延々と出てくる願い事の数の多さや具体性に圧倒され、昔の人が畏れを少しでも取り去ってもらうために一所懸命祈っていたことが伺われた。日常のほとんど全てのこと、地域のほとんどの営みなどが次から次に登場して祈りの対象となっていた。(具体的に覚えておこうとしたが途中で諦めた)地元に暮らす神主さんだからこそ出来る祝詞のような気がした。
 宗教で何が優って何が劣っているなんかないと思っている。僕より年配の方が多かったが、彼らの後ろ姿を見て、これもありだなと、快く受け入れることが出来た。僕もちゃっかり家族の幸せを一杯祈った。普段買い物に良く来る神主さんとそのお嬢さんだから、神秘性はないが、下手なカリスマよりも牛窓のことを懸命に考えているその一途さに親近感を持った。お嬢さんが舞を披露してくれたが思わず踊った後にみんなから拍手が湧いた。まだ神事の途中なのにいいのかと思ったが、いつか何処かで思わず拍手をして戒められた事を思い出して苦笑いした。
 お願い宗教をあるところで否定され宗教ってこんなに難しいものかと思ったことがあるが、僕は残念ながら高尚の中では生きていけない。高尚と高尚ぶるの混在から低俗の中に帰ってきて居心地の良い脱力感の中で暮らしているが、高所恐怖症の僕に高尚恐怖症が重なったりしたら目も当てられない。


2011年06月12日(Sun)▲ページの先頭へ
温度差
 我ら庶民と政治家の温度差に驚いた。大局的なものの見方が大切なのは分かるが、庶民の感覚も理解してほしいと思った。それと情報の質の圧倒的な差にも驚きを隠せなかった。 ある若手の国会議員がやって来たから、コーヒーでもてなしながら日頃感じていることを自制心を保ちながら喋った。せっかく国会議員と話が出来るのだから一番の関心事について単刀直入に尋ねた。ところがと言うべきか、案の定と言うべきか、福島の原発事故のことで僕と彼の認識は全く異なる。僕の知識の多くは原発に警鐘を鳴らし続けてきた小出先生や広瀬隆のものをもっぱらとするが、彼にはその手の情報源はどうやらないらしい。積極的な推進派とも思えないが少なくとも容認派の理論を踏襲していた。被爆線量の設定や電力不足の都合の良い東電の宣伝などは何ら疑いなく信じているように思えた。
話していて、この種の人達には被害者の視点ってないのだと思った。凡そ国というものが被害者になるなんてことはまずない。政治家や役人はあちらの世界に住んでいるのだ。ほとんどの場合加害者でしかないのだ。それも時に陰湿な加害者でしかないのだ。ところがほとんどの庶民がたたされる立場は被害者のそれだ。だから僕らはいつも被害者の視点で物事を考え判断するように訓練できている。だから結局は彼らとは相交わらないのだ。放射能だってまき散らす側とまき散らされる側しかないのだ。僕らには後者以外の選択肢はない。
 強いものの側に立つのは簡単なことだ。企業家も役人も政治家もマスコミも学者もそう願い実現している。ただ残念ながら圧倒的多数はその逆の立場に属するから、少しのアメと引き替えに強い鞭を受けている。美辞麗句の洪水に膝まで浸かって流される庶民の姿が見える。


2011年06月11日(Sat)▲ページの先頭へ
 癖だから抜けないのか、抜けないから癖なのか良く分からないが、繰り返すたびに一人苦笑いすることがある。
中学生から近眼だったから、集中すれば目をより見たいものに近づける癖がある。近くしか見えないから当然なのだが、老眼が出てきてからもつい同じ動作をしてしまう。見えにくければ目を近づける動作が何十年も身に付いていたから、遠ざける選択肢はないのだ。今ではのけぞるようにして距離をとるとピントがあったりするものだから、学習できない自分につい苦笑いをしてしまう。
 今日県北から訪ねてきてくれた若いお母さんと話していて、人生そのものも、この近視眼で生きてきたように思えた。この年齢になったからこそ少しは教訓じみたことも言えるが、そのお母さんと同じ年齢の頃、僕自身が話した内容のように暮らせていたかというと心許ない。若い頃とそんなに価値観が変わってはいないからとんでもない豹変はないと思うが、なにぶん当時は圧倒的に経験が少ないから、教科書のように教訓を並べる立場にはなかった。あの頃、のけぞるように対象と距離をとって眺める癖がついていたら僕の人生も何かしらの目的地に向かって歩む日々だったのにと思う。


2011年06月10日(Fri)▲ページの先頭へ
 「衰えかかる命を知るとは穴から空を覗くことさ、足を痛めた競馬の馬が小屋で死ぬのを待つようなものさ」若き日のボブディランはこの様に歌った。僕は今日この歌を思い出さずにはおれない人に薬を出した。2週間に一度大きな病院の処方せんを持って薬を取りに来るが、衰えようが手に取るように分かる。場合によればまだ不治の病に属するその病気に、筋肉が、いや脂肪までもがそぎ落とされている。会うたびに形相が嘗てとかけ離れていく。皮膚はくすみシミだらけになり水分は失われ干物のようになっている。
 自分でも気がついていないわけがないのだが、気丈に振る舞う。本心を尋ねることは出来ないが一縷の望も抱いているようにみえる。まだまだ充分に若いから諦めるなんて事は出来ないだろう。勇気とか希望とか、不安とか絶望とか、ベクトルはめまぐるしく振れているのではないか。心穏やかに暮らせられるわけがない。誰もが必ず一度は通る道を今確実に歩んでいる人にかける言葉をしらない。核心に触れないように差し障りのないたわいない会話で茶を濁すが、30年にも及ぶ僕の薬局人生を客という立場で支えてくれた人だ、出来れば穏やかな日々であってほしいと願う。お互い若いときからお互い若くない今まで、くねくねと曲がる言葉でやりとりしていた。ただ他の人には言葉の荒さで臆病を隠し、大風呂敷で孤独を隠し生きてきた。幸せを何で量ったのか知らないが、いつも斜に構え眉間にしわを刻んでいた。誰にも看病されず不治の病かも知れないものと闘っている。
 這い上がることの出来ない穴から見える空は何色なのだろう。


2011年06月09日(Thu)▲ページの先頭へ
理不尽
 信じられないのと、信じないのとどれくらいの差があるのか知らないが、僕は明らかに後者だ。前者の人達の悲鳴がそろそろ聞こえ始めた。福島は色々なものを暴露したが、信じない人達にとっては当たり前のことだし、信じられない人にとっては青天の霹靂かもしれない。国も企業も学者もマスコミも合法の鎧を着て簡単に人を殺すものだ。延々と繰り返された歴史は、今回もいとも簡単に繰り返された。情報を隠蔽し、見えない、臭わない殺人物質をまき散らした。これこそ力を握っている者達の壮大なテロだ。
 福島県南相馬市、伊達市の一部が避難区域になるらしい。こんなのは水素爆発したときから分かっていたはずだ。当時のデーターを公開していたら、当初の隠された被爆は防げたはずだ。これだけ放射線を浴びさせておいて今から逃げろだなんて、もし家族がそこにいたら、同じ事が出来ただろうか。真っ先に逃がしたのではないか。
イタリアでは地震を予知できなかったと言って学者が起訴されるようなニュースを聞いた。すごいことをするなと思ったが、地震で起訴されるくらいだったら原発は明らかに人災だから起訴どころか打ち首獄門だ。その土地の人も他の土地の人も寛容なのか臆病なのか分からないが、今の災難を引き起こした者達は何も傷つかずに生き延びるだろう。寧ろ時間をかけてバタバタと死ぬのは心優しい、ゆっくりとした言葉を喋る忍耐強い人達の方だ。理不尽だ、こんな事が許されていいのだろうかと嘆くだけではいけない。「最後は金でしょ!」とうそぶいてのけぞる奴らを許してはいけない。牛返せ、豚返せ、犬返せ、猫返せ、米返せ、家返せ。


2011年06月08日(Wed)▲ページの先頭へ
原因不明
 「もったいないなあ、もう少し続けていたら今頃は歩けていたかもしれないのに」僕が薬をもう少し飲めばよかったのにと言うのは珍しいと思う。体調が良くなれば薬を飲むのが面倒になり自然と遠ざかっていくのが一番良いくすりの止め方だと思っているから、僕は基本的には深追いしない。ところが朝一番にかかってきた電話の奥さんに関してはとても残念に思った。奇跡が起こりそうなのにどうしてその程度で良しとしたのだろうと、理解に苦しんだ。勿論又頑張るというのだから、以前にもまして僕も努力するが、意外と当事者より僕の方が熱心なことはある。
いつも薬の注文はご主人がしてくる。僕は本人から症状の変化を聞きたいのだが、人見知りなのかもしれない。でも時に奥さんに電話を代わってもらうのだが、さすがに本人しか分からない情報が手に入り重宝する。
 同じ年代の女性ならまだまだ十分元気にバレーボールだって出来るだろう。それなのにこの方は、ベッドから下りられなかった。調子がよいとベッドの上で体を起こすくらいが精一杯だった。勿論トイレにもいけれない。県内の有名な病院をハシゴして入院までして検査してもらったのに結局は原因不明だった。原因不明だから病院は何もしてくれない。本人は勿論ご主人も途方に暮れて訪ねてくれたのだ。現代医学とは違って漢方治療は病名がなくても薬を作ることが出来る。勿論現代医学の診断を僕は尊重して大いに助けられているが、今回のその方の診断がつかない状態は僕を漢方治療の原点に戻した。ベッドの端に腰をかけているだけで激痛やしびれ感で苦しんで、すぐに横たわっていた人が、僕の漢方薬でポータブルトイレまで歩いていき用を足せるようになった。何かにつかまれば風呂にもいけるようになった。そこまで8ヶ月で回復したのに、「様子を見ていました」には参った。あのまま続けていたら今頃は戸外に出て太陽の光を直接浴びることが出来ていたかもしれないのに。ご主人に車で送ってもらって、スーパーで買い物をしていたかもしれないのに。動けなくなるには、それも原因が不明でそうなるには若すぎるから、僕は回復のチャンスを自ら一時でも断ったのが悔やまれた。お金を倹約したのか何か理由は分からないが、本当に惜しいと思った。
 奇跡は起こせないが、奇跡みたいな事は時々起こる。漢方薬のすごいところと言うより、人の自然治癒力に驚くが、もう少し心の自然治癒力もほしかったなとちょっぴり残念だった今朝の仕事始めだった。


2011年06月07日(Tue)▲ページの先頭へ
気楽
 単純に驚いているのか、間接的に少しは褒めてくれているのか分からないが、職業柄沢山の薬局を、それも漢方薬を扱っている薬局を見ているはずだから、その反応は僕には役に立つ。
昨日、漢方問屋の専務さんが薬局に来て雑談しているときのこと、ある感慨を口に出した。「先生の所は変わっているんですよね、地元の人が漢方薬を取りに来るんですよね」と。素人の人が聞いていたら矛盾している内容に聞こえるだろうが、僕はすぐにピンと来た。「岡山の薬局には倉敷市の方から、倉敷の薬局には岡山市の方からお客さんが来るんですよね」と続けたあたりで確信を得た。皆さん漢方薬を極めると、カリスマ薬剤師になって遠くから患者を集めたがる・・・と言えば格好いいが、近所の人には見透かされているのだ。どの程度の大学を出て、どの程度の道徳心をもって、どの程度人に尽くしているか、全部知っているのだ。だから地元の人はまず尊敬しない。それどころか下手をしたら軽蔑さえしているだろう。だから素性を知られないところでしか市場を開拓できないのだ。カリスマを演じて法外な値段にすればするほどカリスマになる。どの業界でも同じではないか。胡散臭さと紙一重だ。
 僕は漢方の勉強をはじめたときから、正直に患者さんに訴え「頼むから飲んでみて」から始めた。人の良い地元の人は、勇気があるのか僕の覚えたての漢方薬を文句を言いながら飲んでくれた。「騙されたと思って飲んでやるわ」と何回言われたことだろう。僕も「騙したつもりで飲ませてやるわ」と売り言葉に買い言葉で鍛えられた。そうして効く処方だけをノートに残してきた。小さな町だから嘘はつけない。金持ちがいないから庶民が飲める金額、長く飲んで効くなどと処方に自信がない言葉は使わないなどと自制してきた。謙遜は僕の漢方の先生から知識と一緒に授かったものだ。
 地元の人に3日分や1週間分の漢方薬を作りその結果を教えてもらう。そんな作業の繰り返しが地元の人が来てくれる珍しい薬局にしてくれたのだろうか。カリスマをいくら演じても、生まれたときから知っている人達の町で、「あのあきちゃん」がいくら頑張ってもしれている。僕は徹底してあのあきちゃんのままだったし、これからもそれでいく。等身大ほど誠実で気楽なものはない。


2011年06月06日(Mon)▲ページの先頭へ
反比例
 この差はなんだと思うけれど今更嘆いても仕方ない。誰もが通る道なのだから。ただせめてあの時代に、その幸運に気がついていればもう少しはまともな日々を送っただろうと、若干の後悔が鎌首を持ち上げる。
12時を回って寝ても、5時台に目が覚めてしまう。それで疲労が残っているかと言えば結構スッと起きれて、朝刊をマーサージ機にかかりながら読む。ほぼ30分で読んでしまうから6時過ぎには中学校のテニスコートをグルグル回り始めることになる。以前はフィリピン人の為に歌を覚えなければならなかったから、英語の歌をイヤホンで聴きながら歩いた。今は原発事故についての講演のテープを聴きながらテニスコート2個分を周回している。だから外部の音はほとんど聞こえないのだが、今朝は隣の運動場を走る青年が目に入った。偶然だが僕が運動場に近づくときに、青年はテニスコートに面したあたりを走る。だから離れてはくっつくような感じになったのだ。ただ残念なのは僕がテニスコート2個分を歩く間に彼は運動場をフェンスに添って1周走って来る。田舎の中学校は恵まれていて、200mトラックがあるが、それが運動場の中ではかなり小さく見える。運動場が広いからだ。フェンス沿いに走れば、トラックの倍どころではないと思う。その距離を走る時間が、僕がテニスコート2個を周回する時間とほぼ同じなのだ。時速で言うとどのくらいの差があるのか、距離で言うとどのくらいの差があるのか、はたまた心肺機能や筋力の差はどれくらいの差があるのだろう。どうやら僕と青年との差は、生きている時間に反比例し、希望や夢に反比例し、純粋さに反比例し、姿形や心の美しさに反比例しているのだろう。
 多くの可能性と活力を人生の内で一番備えていることを自覚して、喜んだり悲しんだり憎んだり愛したりして、今この時期を生産的に生きてほしいと願う。早朝から心臓も肺も筋肉も過激に動かすことが出来るその青年を見ながら、一向に消化できない時間を恨みながらパチンコの台に向かい続けた嘗ての青年が悔恨を込めて切に願う。


2011年06月05日(Sun)▲ページの先頭へ
歓楽街
 今日も僕は労働者。場末のシャッター通りで荷物を抱え階段を上り下り。今日も僕は労働者。真っ昼間には似合わない人達が時折行き来する中で、そんな人達を避けるように台車を黙々と押す。男も女も子供達までが何となく僕の普段とは異なる。出来れば見たくないような触れ合いたくないような、その種の服装や顔つきや話し声に萎縮する。今日も僕は労働者。奥さん(お嫁さん)が白い封筒でお礼をくれた。昼飯代くらいかなと思って軽く受け取っていたら、ホテルのディナー代くらい入っていた。と言ってもそれがどのくらいするのか知らないのだが、僕の昼飯なら1ヶ月は食べれそうだ。今日の日当なり。日当って嬉しいものだ。学生時代の訳の分からないアルバイト以来だ。あの頃の貧乏が懐かしい。金はなかったが、愛すべき先輩や後輩に囲まれていて、みんなで留年した。今日も僕は労働者。百貨店はトイレなり。幸せな光景に紛れ込んで、紳士服だの化粧品だのデパ地下だの、トイレなり。今日も僕は労働者。昔、学生服のカラーが首にあたるのがいやでいつも詰め襟をはずしていた。校門で先生に注意されたが、生理には勝てなかった。学校帰りに立ち寄る本屋は夜には歓楽街に変わるその場所にあった。不良ではなかったが志もなかった。数十年の時を経て僕は今この風景と共に「陥落街」に立つ。


2011年06月04日(Sat)▲ページの先頭へ
胃散
 単純といえば単純だし、たわいもないと言えばたわいもないし、気の毒と言えば気の毒だし、羨ましいと言えば羨ましいし。でもなんて言われようと今の僕にはそれしかないのだ。唯一の楽しみで、日曜日を指折り待っている。
まず夜の9時から「仁」を見て、11時からは「イ・サン」を見る。その間に風呂に入り月曜日が寝不足にならないように、イ・サンを見終わったらすぐ寝れるようにしている。これが最近の日曜日の夜のパターンだ。
 物語の功罪が疑似体験にあるとしたら、僕はその時間「しぇんせい」になったり「東宮」になったりして「さき様」や「ソンヨン」に慕われていることになるが、いくら疑似体験でもせいぜい慕われるのは「モコ」くらいだから、空想の世界にも浸れない。それよりも羨ましいなぁなんて物欲しそうな観客に甘んじている。どちらもとても人気がある番組らしくて、僕の患者さんとの会話でも話題に出てくる。同じような疑似体験で喜んだり心配したりしている人が多いのだと思う。東北の人達には悪いと思うが、せめてこのくらいで喜んでいるのだから許してほしい。
韓国映画は敵を設定するのが上手くて、どうしても主人公を応援するのに力が入ってしまう。実際の社会ではそこまで悪人はいないだろうと思うが、ついドラマって事も忘れてしまいそうだ。いつか心に敵がいる人は漢方薬が効きにくいと書いた事があるが、ドラマの中にまで敵を作らせるのだから、監督としてはしてやったりだろう。僕みたいな単純な視聴者にどれくらい助けられているか。
 「イ・サン」を見ないようにみんなにお願いしておかないと、ただでさえ効かない僕の漢方薬がより効かなくなる。所詮僕が作る胃散くらいではイ・サンには勝てないって事か。


2011年06月03日(Fri)▲ページの先頭へ
督促状
 一体どの様な設備が整っていたらこんなことが出来るのだろう。見えない電話の向こうの世界に驚いたり恐怖感を味わったりする。
姉たちが母の家で未払いになっている保険の督促状を見つけて僕にことづけた。かの有名なアヒルが宣伝している保険会社の督促状で、被保険者が父になっていた。父はだいぶ前に亡くなっているのにどうして督促状が来るのか分からなかったから会社に確認の電話をした。事の経緯を説明しようとして話し始めたのだが、話の途中で母の名前を出した。すると間をおかずに住所や父の名前を相手が口にした。その間数秒もなかったように僕には思えた。寧ろほとんど同時くらいな感覚だ。だからどんな操作でどんな情報が向こうの手元に映し出されているのか不気味に思った。こちらのことは全部お見通しなのかって感じだ。大きな企業は、あるいはそれよりもっと恐ろしいところは一体どのくらいの情報を持っているのだろう。僕ら庶民は、お釈迦様の手のひらの上で踊らされているのだろうかと不安になる。
 ひょっとしたら彼らは、僕が歌手になろうとして結局はかすになったことや、有名大学を狙って結局は銀行の金庫を狙ったことや、唄を歌えば音痴だけでなく、旅すれば方向音痴、工作すれば機械音痴ってことや、格好良く歳をとろうと思っていたら小沢一郎みたいな顔で管みたいな腐った根性になったことなどお見通しではないかと不安になった。
 でも、それにしても不思議だなあ。あれだけ情報を持っているのにどうして父が亡くなったことだけ知らないのだろう。もう7回忌とやらをしているのに。そう言えば担当者がそれはがん保険だといっていたな。父は胃ガンの手術をして一気に衰弱したのだが、保険って一体どうなっているのだろう。素人が考えてもメチャクチャ儲けれそう。黙っていれば死んでまで金を払ってもらえて、対象者が死んでも払わずに。アヒルがクワクワ泣いている場合じゃない。


2011年06月02日(Thu)▲ページの先頭へ
返信
 焼き肉食べ放題というイベントに参加するかどうか迷っていた方に、是非自信を持って参加するように返信していたら、参加して楽しい時間を過ごすことが出来たと報告を頂いた。過敏性腸症候群の方にとって混雑をしているところで焼き肉をつつくということは結構ハードルが高いのだ。肉は不消化の代表みたいなものだから抵抗があるのだろう。タンパク質だからおならも臭くなると言う先入観が強いみたいだ。確かにタンパク質が腐敗したものは臭いがきつくなるからその様な懸念を持つのは分からないわけではないが、人前で出さなければそれですむことだ。本来ならそれで解決するのだが、ガス漏れ症状の方にとってはそれではすまない。お腹の中は常に綺麗にしておいて、香りの良いおならを出さなければならないのだ。僕は過敏性腸症候群の方の方が一般の方より臭いのないおならをするだろうと思っている。お腹のことを気にして節制が行き届いているのだから、内臓は普通の人より綺麗なはずだ。おならが臭いとしばしば相談時に告げられるが、僕はテレビに出てくるタレント達などより余程香りの少ないおならをしていると思っている。僕がお世話をしているほとんどの方は、福山雅治よりも綾瀬はるかよりも香りの良いおならをしていると思う。だって彼らより明らかに食事は質素だし、過酷な労働もしていないはずだから。顔では負けるが内臓の綺麗さでは皆さんの方が勝っている。顔で負けて内臓でまだ負ければ立つ瀬がないが、そこまで皆さん不運ではない。
焼き肉を食べて、そしてその延長には恋もして仕事もしてと続いてほしい。それらを妨げるものなど何もない。あるとしたら自分が作った壁だけだ。自分が作ったものだから自分で超えるしかないが、僕の漢方薬はそんな人のための脚立みたいなものだ。脚立の上に上れば見上げていた壁も低く見える。視点さえ変えれば超えられないものなどないのだ。清水の舞台から飛び降りるつもりで飛び上がってみればいいのだ。意外と簡単に超えられるのだから。僕はそうしたお役に立てる返信を送り続けたいと思う。


2011年06月01日(Wed)▲ページの先頭へ
良くある話
 世界保健機関(WHO)の専門組織、国際がん研究機関(IARC)は、携帯電話の頻繁な利用によって特定の脳腫瘍が引き起こされるリスクが高まる恐れがあるとの見解を示し、消費者に対し影響を最小限にとどめるための措置を講じるよう促した。一方、業界団体はIARCの報告に反発している。米移動体通信産業協会のジョン・ウォールズ氏は「発がん性が疑われる」とのカテゴリーには日常摂取する野菜の漬物やコーヒーも含まれているとし、「(IARCの判断は)携帯電話ががんを引き起こすということを意味しない」と述べた。

 良くある話だ。電磁波の悪影響はしばしば取り上げられているが、それで商売している業界に雇われた自称学者達にもっともな反論をされて存在感を薄くしている。それはそうだろう、業界とつるんでいれば多額の経済的な恩恵を得られるから、敢えて突っ張ったりはしない。従順にしていれば地位や経済は保証される。
良くある話だ。原子力は安全だと吹聴してきた自称学者達は、そしてその原子力を管理する奴らは、みんな同じ穴の狢で、推進派の奴ばっかりだったのだ。みんなでなけなしの庶民の税金を横取りして大儲けしたのだ。危険を察知し反対していた人々をまるで知性がないかの如く罵倒していた奴らの、欲まみれの正体を見たり。
良くある話だ。力が及ばない人達を自己責任で切り捨てておいて、自分たちの責任を回避する。法律などという決まり事はほとんどの場合、人を守るためではなく自分を守るために作っている。強い人を守るために出来ている。弱者はおこぼれ程度の保護しか与えられない。まだまだこの国では得たのは権利ではなくおこぼれなのだ。
良くある話だ。自称実力者や自称学者や自称マスコミに、知らず知らずのうちに洗脳され、本当のものを見抜く力をそがれている。そして貧乏くじを最終的には引かされる。庶民の行き着くところだ。良くある話だ。良くある話だ。


   


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