栄町ヤマト薬局 - 2011/04

漢方薬局の日常の出来事




2011年04月30日(Sat)▲ページの先頭へ
構図
 さぞかし無念だったろうなと思う。込み上げてくるものがあったのだろう。     {東京電力福島第一原子力発電所の事故への対応に当たるため、先月、内閣官房参与に任命された小佐古東大教授(放射線安全学)は29日、国会内で記者会見し、「政府の対応は法にのっとっておらず、誰が決定したのかも明らかでなく、納得できない」として30日付で参与を辞任することを明らかにした。その後、記者会見した小佐古氏は、辞任理由について、「今回の原子力災害で、官邸の対応はその場限りで場当たり的だ。提言の多くが受け入れられなかった」と語った。具体的には、政府が示した年間20ミリ・シーベルトという小学校の校庭の利用基準などを挙げ、「この数値を小学生などに求めることは許し難い 」と語っている。}
黙っていればすむことかもしれないが、良心に背くことが出来なかったのだろう。自分のヒューマニズムが許さないと言っていた。1ミリシーベルトから20倍に許容量を増やすことで将来続々と現れる癌発症者に補償しなくてもすむだろう。責任はそれこそ20分の一ですむ。この無節操な変更は誰を守ったかは見え見えだ。是非この策動の張本人達を東日本の人達は覚えていて、逃げ得を許さないでほしい。多くの命の危険と引き替えになるものを是非いずれ支払わせるべきだ。田舎者と庶民が犠牲になる構図にいつまでも甘んじていたら犠牲になる人達が浮かばれない。原子力を推進した人々と、住民を守ろうとしなかった人々の両方を覚えておくべきだ。そして絶対許さないことだ。20年後にのうのうとさせないために。


2011年04月29日(Fri)▲ページの先頭へ
柴咲コウ
 予告してこれ見よがしに行っていないから、彼女の映像はない。被災者が写したであろう写真があるだけだ。訪ねたのはボランティア過疎地だと言うからなかなかしっかりしているいる。
 つい最近、織田裕二主演の「外交官黒田康作」と言う連続番組に婦人警察官役で出ていたが、そのちょっと力量不足気味を熱演して好感を持っていた。その彼女がマスコミに伏せて東北に炊き出しに行ったらしいのだが、実像との乖離に魅力を増す。ヨン様から始まって、果ては有名服屋のおじさんまで著名人の被災地詣でや、巨額の寄付にはそろそろ食傷気味だったから、売名を目的にしない彼女のさりげなさに余計好感が持てる。
 都会からやって来た有名人が行列を作った被災者に料理を振る舞う。さんざん見せられた光景だが、ワイドショウの餌食かと思われる振る舞われる側の自尊心はどうなのだろう。何もかも失ったから恵んでもらわなければ仕方ないが、押し隠した屈辱感というものはないのだろうか。あの光景は見るに忍びない。あの津波さえなければ誰もがお情けを受ける立場の人ではなかったのだから。
 どんな手があるのか僕には分からない。偉い人達が知恵を絞っているのだろうが、尊厳だけは守ってほしい。昨日までのごくごく普通の人達が、食べ物をもらうための行列をするのだから、自尊心という最後の拠り所だけは守ってほしい。



2011年04月28日(Thu)▲ページの先頭へ
迫力
 偶然見た映像に、福島県のお母さん達が役人にくってかかっている場面が映されていた。お母さん達の子供を守る迫力に比べれば、出張程度の認識しかない役人には緊張感はなかった。幾ばくかの討論をこなせば又安全で居心地の良い東京のオフィスに帰っていけるのだから、そこで頑張る必要もないのだろう。帰りの新幹線の中でほくそ笑んでいる姿が目に浮かぶ。その役人の子を汚染地域に人質にでも取れるのなら言動に信憑性は出てくるだろうが、所詮その場をしのげばいいのだ。
 あるお母さんが言った言葉が印象に残った。風評被害とやらで県外に出荷できない野菜を学校給食で食べさせるのかという質問だった。県民の連帯感で出荷できない野菜を救うヒューマニズムと子供の体内に放射性物質を入れる可能性を天秤にはかけれないだろう。ただでさえ、許容量が会社や国にとって都合がいいようにどんどん高められているのだから、それらを信用できるはずがない。浴びてもいい放射線量なんてものがそもそもあるのだろうか。飲料水の安全基準が排水基準の7倍なんておかしなこともあると聞く。
 基準を上げる毎に責任から逃れられる。賠償も訴訟もどんどん免れる。どうしてすんなりとそんな意図的なシナリオを受け入れてしまうのだろう。あの地域の人達が発病する頃には政治家も役人も人が入れ替わっている。だれも責任なんか追及されない。だからやりたい放題なのだ。ニュース番組で口を開く人のすべてが穏やかにゆっくりと話す。こんなにいい人ばかりなのか、こんなに穏やかなのかと驚くが、ひょっとしたらこれも編集の成果なのかと勘ぐったりもする。
 病気は本来孤独なものだ。ヒューマニズムのあげくが孤独な闘病ではやりきれない。平和時に作られた数字を信用しないで、どうして緊急時の数字を信用できるだろう。何十年後かにいわれのない病で病床に伏せている孤独な自分を想像すれば、いまなすべきことは簡単に分かる。


2011年04月27日(Wed)▲ページの先頭へ
震度6
 どう見てもブログを読んだりするように見えないから安心して正直に書いていたのだが、何を間違ってか僕のブログを見つけて読んだらしい。運の悪いことに過去2回しか登場させていないのに、その1回を見つけて読んでしまった。その感想が「もうちょっと、格好良く書いて」だった。僕は正直に書いているから彼だけを脚色は出来ない。どう見ても僕のように福山雅治には似ていないし、どうみても僕のように見るからに音楽をやりそうには見えない。彼の魅力は意外性に尽きるのだ。ひょっとしたらこのブログも読むかもしれないが、いつものように正直に書く。 
仮設住宅の井戸を掘るために被災地に入っていたらしいが、そこで震度6の余震に遭遇したらしい。岡山県の人間でその規模の地震を経験している人は少ない。その規模どころか小さな地震すら滅多にないのだから、地震に対しての免疫はほとんど持っていない。従業員と一緒にホテルに泊まっているときに地震が起こったみたいだが、その時の慌てぶりを教えてくれた。一人の従業員が慌てて2階から飛び降りようとしたから彼が引き留めたらしい。もう1人は押入に入り込み布団をかぶっていたらしい。さて肝心の本人がどの様にしのいだのか説明はなかった。堂々と落ち着き払っていたのかどうか知らないが説明はなかった。ただいつもなら電話で要件しか言わない彼が珍しく長話した。人に喋らずにはおれない珍しい恐怖体験だったのだろう。
 地震の恐怖体験と共に興味をひいた彼の話は、一つは何処も同じかもしれないが役所仕事の遅さを嘆いていた。目の前の需要を前にして歯がゆかったのだろう。それともう一つ、幾度となく語られているが、東北の人達の忍耐強さにやはり感動していた。それに関して彼一流の表現方法を使って教えてくれた。「こんなことを言って悪いけれど、地震が東北の方で良かった。みんな本当に忍耐強く耐えているんだもの。これが岡山県だったらイラチばかりだから、あんなに整然と耐えるもんか。おっどりゃあ、なんじゃあかんじゃあといらついて世界に日本人って一体どんな人間なんだと思わせて赤っ恥をかいているのが落ちじゃ」と言った。運の良さを喜ぶのではなく、東北人の気骨を褒めた表現だが、こんな表現が出来る平穏を味わっているのかもしれない。
 毎日タバコを100本吸い、コーヒーを10杯飲み、それで健康なら人が怒りそうだが、それで健康なのだから人が怒る。井戸掘りの会社で実績はあるが、余りにも豪傑すぎてそのうち井戸ではなく墓穴を掘るのではないかと心配している。


2011年04月26日(Tue)▲ページの先頭へ
電文
 「○○です。漢方、よろしくお願いします!仕事、毎日はいつくばって行ってます!! 」
 まるで電文のように簡単明瞭だが、彼女の決意が良く表されている。せっかく手に入れた社会の一員としての立場だから手放してなるものかと必死なのだろう。この必死をいつまでも続けてほしいと思う。
 高校生活を捨て、友人を捨て、ありふれた青春の情景を捨て、孤立を余儀なくされている人は一杯いる。青春は同心円を忘れていびつな形になる。感情は研ぎ澄まされて刃物になる。生産は破壊の前で沈黙し、音もなく時計の針だけが無機質に回転する。
 風評被害は放射能だけではない。過敏性腸症候群も風評被害の最たるものだ。若者に臭いが漏れないと言うパンツをはかせ、何をなそうというのだろう。そんなもの必要ないと断言することこそが大人のなすべき仕事だ。何もかも失いそうな青年にあり得ない症状を植え付け、何かを販売するのは良くない。占いでもあるまいし、強迫観念を利用した商売は良くない。我が子だったら同じ口上で同じものを販売し使わせるだろうか。我が子に出来ないようなことを大人がしてはいけない。我が親やわが祖父母にオレオレサギを働けないのと同じように、出来ないことだと思う。生命力溢れる青年達に、大年寄りでもあり得ないような症状が出るはずがない。ありもしないことで脅してはいけない。
 とても優しい顔をして、とても優しい話し方をする彼女の必死の覚悟は恐らくすぐに時間が解決してくれる。彼女が職場で大切にされないわけがない。傷みを覚え、傷みを理解できる能力が職場で華を開くだろう。いつか彼女の口から過去多くの人が言った言葉が出るだろう、「無駄なことなんてなにもない」と。
 


2011年04月25日(Mon)▲ページの先頭へ
死火山
 遠くから笑顔で挨拶をしてくれるのは例の歌手だ。3月8日のブログ「生け花」に登場する歌手だ。僕の居眠りを白状した文章が勝手に没にされたときの重要な登場人物だ。3日前にも挨拶をしたのだがどうやらその時は僕の文章をまだ読んでいないらしくてそれこそ短い挨拶だけだった。ところが昨日はちゃんと彼女は僕の文章を読んでいてくれていたからその話になった。だが実際には予想通り彼女は全く意に介していなくて、ほとんどその話題は素通りになった。それよりも岡山教会で外国人のミサの時と日曜学校の子供の前でギターを弾いてくれるように頼まれた。勿論それは丁重にお断りしたが、どうしてこんなに良い人間関係に土足で踏み込むようなことをしてくれたのだと今更ながら残念に思う。もう少し深く読んで貰えれば彼女が僕を評価してくれている以上に、僕が評価していることが分かってもらえるのに。その後あの文章は多くの外部の人の目に触れたが、その処遇に疑問を投げかけてくれる人ばかりだった。
傍に息子がいたので彼女を紹介したのだが、「歌手の○○さん」と言ってしまった。彼女は、そんなんじゃありませんと照れながら否定したが、彼女は褒められて嬉しいタイプではない。下手に褒められると、裏を考えたり、下心を想像したりして単純には喜ばないタイプだ。勿論笑顔は作るが心から受け入れての笑顔ではない。幾分かの不快感を内包している笑顔だ。彼女がそんなタイプかどうかは1秒も顔を見れば分かる。だから僕は賞賛の文章は書きたくなかった。どうせ目に触れるのだから彼女を讃美する直接的な表現は意地でも使いたくなかった。それが彼女に対する僕の気配りだったのだ。
 横浜の女性に「先生噴火していますね」と電話でとても面白く表現されたが、今はどちらかというとほとんど死火山状態だ。火の粉が実際に僕に降りかかってきたから今度のような行動をとったが、本当は今回のことは単なる僕の習性のなせる技だったのだ。30年以上薬局で色々な健康相談を受け、一人一人に解決の処方を考え続けてきたことと全く同じパターンなのだ。体調と教会内の問題の違いだけで、僕は相談されたら反射的に解決しようと身体が動くのだ。相談者が片手では収まらなくなったから行動に移しただけなのだ。 今度のことで僕は何も失ってはいない。寧ろ気づいたことがいっぱいあった。見よう見まねから仮免みたいな感じで教会に通ったが、見よう見まねで勝手に決めつけていた姿は実際にはなかった。でもそれはそれでおそらくいいのだ。目の前にいる人の問題解決を延々と試行錯誤の連続でくり返している人間にとっては、正解にたどり着く困難さは日々味わわされている。立ちふさがる人間の壁に挑むほど僕にはスタントの運転技術はない。


2011年04月24日(Sun)▲ページの先頭へ
不完全
 教会で御聖体(パン、キリストの身体)を頂くときに、僕の前に長身の青年?がいる。卒業してから僕は社会にやったくらいの感覚でいたのだが、いざこうして前後して列に並んでみるとさすがにいいものだ。10年ではきかない年月この様な関係になったことはない。冠婚葬祭以外に会うとしたら、僕が患者になっているときだけだった。胃カメラをするときにもマニュアル通りに淡々と誘導し、診断結果を告げるときも親に対する配慮はなかった。勿論スタッフの手前それでいいのだが、僕の前ではいつも職業人だった。
 「教会に来ているの?」と尋ねると、「全然」と笑っていた。「お父さんはどうして○○教会に行かないの?」と逆に聞かれたので「もめた」と答えた。何をもめたか聞かれたので「価値観を否定された」とだけミサの途中に話した。当然僕は笑いながら答えたのだが、彼も笑っていた。短い会話だが何となく、親子をしていたあの不完全な懐かしい頃に戻ったような気がした。いや、ますますお互い不完全なのを確認して喜んだのかもしれない。何故息子が久し振りに教会に来たのか尋ねないし、息子もどんな価値観を否定されたのかは聞かなかった。信心深くない2人がよりによって教会で会うのだから、何となくどちらも幸せ一杯ではない。
 僕でさえ、こうした当たり前の会い方が久し振りなのだから、伯父達にとってはもっと久し振りだ。その中の一人が、それこそ涙を流して喜んでくれた。あの涙を見て、色々な人のおかげで生きていることを少しは感じてくれればと思った。何はともあれ何年も見たことがなかった明るい表情にほっとしたが、巷でよく言われる「親はいつまでたっても親」を実感させられた1日だった。


2011年04月23日(Sat)▲ページの先頭へ
上から目線
 「さすがですねえ」と褒めてもらったのだが、何となく上から目線だ。その言葉に悪意が全くないのは知っているし、ご主人の肩書きから言うとその様な言葉が自然に出ても仕方ないのかもしれないが、別に褒めてもらうようなことではなかった。ご主人の名前を言えば県内ならかなりの人が知っていると思うが、意外と奥さんは気さくで、気位が上から目線ではなくて、年齢が上から目線なのは分かっている。
 活躍している人の心の内は下々の人間からしたら推し量ることは難しい。一見豪快で何の苦労も不安もないように見える人が、実は充実した生活を謳歌しているとは限らない。職業上も家庭の中も結構危うい人がいる。
 肩書きの大きさに比例して達成すべき果実も大きいのだろうが、酒だけの力ではいかんともしがたく、僕の漢方薬を数年愛用して心身共に平静を保っていた。おかげでずいぶんと血が上る状態が少なくなり、奥さんも喜んでくれていた。ところが長年の交換神経優位状態が影響したのか癌になってしまった。術後体力の回復が遅々として進まないことと共に、気持ちも一気に沈んでしまって往年の力強さはない。そこで奥さんに心も体も強くなる漢方薬を作るように言われたのだが、その結果が最初の言葉だ。遠い方だから僕には珍しく最初から1ヶ月分作って飲んで頂いたら、それこそ見る見るうちに食欲が出て倦怠感が消えて、消極的になっていた心も元に戻ったということだ。
 僕が作ったのはたいした漢方薬ではない。多くの若者に飲んで頂いている金額と余り変わりない。癌と聞けばカリスマ薬局だったらこことばかりに高額のものを売りつけるのだろうが、高額だから効くなんてのは売る側の都合と買う側の妄想だ。唯一の判断基準は正しいかどうかだけなのだ。
 京都大学の小出先生が毎日奮闘している。力を持っている人達から疎ましがられ公に出ず情報を発信し続けておられるが、権力を持っている側の情報とどちらを信じるかと問われれば僕は圧倒的に先生を信じる。どの世界でも同じなのだ。本当に価値のある人は我が身に多くを求めないからいつだって謙虚だ。僕らの職業も同じだ。カリスマが何かを救ったのを聞いたことがない。救っているのは自分だけなのだから。対象が何でも怪しげなものを見抜く力のない人達を哀れに思う。


2011年04月22日(Fri)▲ページの先頭へ
そこそこ
おはようございます、○○です。
ニュースで復興に向けて努力している方々を見るにつけ自分が同じ立場になった時もはたして同じように頑張れるか疑問に思います。と言いつつ一気に10℃も気温差があった先週の土日に風邪でダウンしたので同じ境遇に置かれたらおそらくあっという間に寝込んで周囲に迷惑をかけるのは確実な気がします(汗)。募金等微々たる協力しか出来ませんが
被災された方が一時でも早く穏やかな暮らしが出来るよう願います。
 そんな大変な人達に比すれば私の悩みなどちっぽけなものですが一進一退を繰り返しています。朝に多少なりとも排便があると午前中はやり過ごせるのですが、昼食中に一度ガスで膨れそれをやり過ごすと定時の夕方頃までもつといった感じです。昔に比べれば全然軽い症状ですので快方に向かっているのは確実だとは思いますが。最近はこんな感じです。
それでは次回分の送付をよろしくお願いいたします。

 あなたの文章を読んでいて、もうかなり過敏性腸症候群から脱出して、後は僕の言う単に色白で、スリムで、冷え性、言い換えれば貴女が綾瀬はるかに似ているだけってことではと思ったりするのです。何かに当てはめて悩むより、体力勝負くらいにおおざっぱに捉えるのがいいかもしれませんね。僕はとにかく心も体も強くなって頂ける漢方薬を作り続けているのですから。○○県の野菜や水産物は大丈夫ですか。あまり信用しすぎないでね。
ヤマト薬局

 いつものようにメールが来て、いつものように返事を書いて、いつものように漢方薬を作って送ったのだが、ふとこの考えを多くの過敏性腸症候群で悩んでいる人に知ってもらいたくて引用させてもらった。
 余りにも有名になってしまったこの病名に多くの方が縛られているのではないかと思うのだ。最初の相談時点でハッキリと過敏性腸症候群のガス型(下痢型)ですと書いてくる方がほとんどだ。色々な医療機関を巡って僕の所に来てくれる方がほとんどだから、当然と言えば当然だが、いつまでもその病名に縛られる必要はないと思う。人には当然不快な症状がこれでもかこれでもかと襲ってくるが、必ずしもその個別のものが最初の病気と一致しているわけではないし、いつまでも付随するわけでもない。人間の身体だってすこぶる流動的なのだ。同じトラブルが固定するとは限らなくて、寧ろ考え方の方が固定しているのではないかと思うことが多い。何かあればすべてお腹に帰結させて悩みを深めていくのはもったいない。過敏性腸症候群が発症する前がスーパーマンみたいにすべてがそろって元気だったかと言えば、みんなハイとは言えないだろう。恐らくそこそこだったのではないか。そこそこなら充分だ。僕なんか所詮世間の中でこそこそ生きているだけなのだから。


2011年04月21日(Thu)▲ページの先頭へ
ご褒美
 突然「足を洗ってもらいませんか?」と電話がかかってきたので、もうとっくに御法度の裏街道から足は洗っているのにと思いながらその意味を教えてもらった。ほとんど素人クリスチャンの僕だから、今日から3日間がキリストの復活に関してとても大切な日だってことは知らなかった。今日はキリストが十字架につけられる前に弟子達の足を洗った日なのだそうだ。それにちなんで神父様が信者の足を洗うという儀式があり、キリストの弟子にちなんで12人集めなければならないと言うことだった。平日の7時から行われるミサの中での儀式だから、牛窓を6時には出なければならない。いったん断りかけたのだがすぐに思い直して参加させてもらうことにした。岡山教会は恐らく信者の数がとても多くて3桁になるのではないかと思うが、そのなかで、岡山教会に属していない僕に声をかけてくれたことが有り難かったのだ。恐らく最近傷心気味、と言うより横浜のある女性に言わせれば噴火状態らしいが、の僕をキリスト教から離れないように願ってくれた人の意図なのだ。長崎弁丸出しで、いつまでたっても訛りが抜けず、その信仰の厚さは誰もが認めながら、それでも不器用に一所懸命世話をしている人の配慮だった。
足を本当にごしごし洗ってくれるのかと思ったらただ水をかけてくれただけだった。こんな形式だけなら、緊張してブレザーを着て来る必要はなかったと後悔したが、それ以外はやはり参加して良かったと思った。岡山教会には金色の大きなキリストの像が飾られていて、嘗て数えられないくらいの回数僕はその前にひざまづいて、子供達のことを祈った。何年も何年も通い続け、見よう見まねでひざまづいて十字を切り祈り続けたものだ。その大きな十字架の上のキリストを見上げながら、今日も又沢山の祈りをしてきた。いや素人信者だから祈りと言うよりお願いかもしれないけれど、それでも僕は良いと思っている。祈らなければ、誰かにお願いしなければ抱えきれないほどの困難に押しつぶされてしまう。一人で頑張るほど僕は強くはない。何かに、誰かにすがりながらやっと生きていくのが精一杯だ。久し振りに教会で涙が溢れてきた。嘗てはこうして直接いと高き方と話をしていたように思う。
 せっかくの好意に報いることが出来たが、僕のほんの小さな決断に神様がそれこそご褒美をくれた。嘗て毎週温かくて柔らかい手に触れることが楽しみだったある人が家族と一緒にお祈りをしていた。もう1年くらいは会わないのだろうか、歩み寄ると家族の方がとても嬉しそうにしてくれて、再び当時と同じ柔らかくて温かい手と握手をすることが出来た。僕の少ない体験の中で最も教会が似合う家族だった。どんな言葉も太刀打ちできない家族愛をいつも見せて頂いていた。
 僕の心の中で時計の針がずいぶんと巻き戻されたような気がする。希望も勿論あったが、不安の方がいつも優っていた。勇気や無謀だけでは乗り越えられない津波は人生では繰り返される。


2011年04月20日(Wed)▲ページの先頭へ
口癖
 「右と左では3.5cmくらい違うからな」と教えてくれたが「3.5cmではきかないのではないの?」と僕は正直に見たままの感想を言った。「それはそうかもしれんね、こんなに違うもんね」と長い方の足で立って、もう一方の足をぶらぶらさせた。逆に短い方の足で立つと長い方の足が九の字に曲がる。
痛み止めが欠かせない。知り合いが痛いのと尋ねると「痛いのを通り越して疼く」と答えることにしているらしい。ただ痛みは他人にはなかなか分かってもらえないから、敢えてニコッとして答えるらしい。半月に一度ロキソニンを取りに来るが、病院には行かない。行ってもなにも解決しないことを知っているし、万が一手術なんかを勧められたら本人にとっては一番困るのだ。4人の男と結婚し分かれた財産はそれぞれの子供だけだから、子供に迷惑をかけることに対しての懸念は人一倍強い。「息子にお尻なんか拭いてもらえるもんか」が口癖だ。
 1日の内で仕事をいくつか掛け持ちしている。その理由はあの足で、じっとしているのがこたえるのだそうだ。薬局の中を歩くのにも身体を大きく揺らさなければならないのだから、不揃いの足でじっと立っているのは辛いだろう。「苦労ばかりしてきたからこんな痛みはどうでもいいんよ」と言うが、痛み止めを取りに来るのだから耐え難いのだろう。
 ほとんど歯は無く、顔は皺だらけだ。ずいぶんと実年齢より老けて見える。子供の頃は何処にいるのか分からないくらい存在感のない子だったが、いくつもの苦労をくぐり抜けてきて、今では充分すぎるくらいたくましくなり雄弁になっている。こんなに人って変われるのかと思う手本のような人だ。子供の頃はほとんど会話をしたことがなかったが、今は来れば長い時間話していく。僕らの何処に共通点があるのか分からないが、吐き出せるだけ吐き出していくその人のびっこの後ろ姿に声をかける。「一生働けよ、貧乏人が楽したら終わりだよ」と。


2011年04月19日(Tue)▲ページの先頭へ
信用
「一体何年僕の漢方薬を飲んでいるの?」と思わず僕の方が聞いた。信用するにも程がある。過敏な心と内臓を治していたはずなのに、心だけ治りすぎたのかと一瞬思った。仕事関係であまりに落ち込んでいたから、「帰りの電車賃だけ持って牛窓に遊びにおいで」と誘うと、「先生の所は遠いんでしょう、四国でしたよね。海を渡るのはちょっと・・・」と迷っていた。と言うより、富山県からは遠すぎるという言外の言葉か鮮明に聞こえてきた。「何が海をわたるの、僕は本州じゃ」四国の人には悪いが僕も言外で本州の根拠のない優越性を主張している。
 もったいない、もったいないをいくら連発しても足らない。考えすぎ病や思い込み病の多くの方は意外と健康だから、過去を翻すことが出来れば必ず治る。その為に僕は肝っ玉を強くしたり、超えられない壁を超えることが出来る漢方薬を作っているのだが、どうも思い込みとの戦いみたいだ。その思い込みをどうしても断ち切りたくて誘ったのだが、このおおらかさはどうだ。もう治っているのかと、いやいや元から漢方薬なんか必要ないのではないかと思わせるほどの無頓着ぶりだ。この姿勢が自分の体調不良に向かってくれればあっという間に完治する。
 北陸の人にとっては、岡山も四国も同じようなものなのかもしれない。瀬戸内海に面していれば同じに見えるのかもしれない。ただ彼女は必ず電話で症状を教えてくれ注文するタイプだから、僕の華麗な岡山弁で気がつきそうなものだが。それとも流ちょうな「あのさあ、あのさあ」で混乱したかな。
 繊細とおおらかを上手くバランスさせながら暮らしていけると、みんなとても素敵な人なんだけれどなあと、瀬戸大橋の真ん中あたりでため息を一つついてみようか。


2011年04月18日(Mon)▲ページの先頭へ
遺伝子
 最初母に向かって言った時は何も思わなかったが、僕に同じ言葉を出した時は、こういう癖があるのだと分かった。悪意は全くなく、お喋り好きの遺伝子を備えているだけと言うのは良く分かる。
一周忌を迎える僕の叔母の姉妹だから母とは何になるのだろう。ただ訳の分からない親類関係で便利な言葉を昔の人は見つけていて、年上の女性に対して「お姉さん」と呼ぶ。法事に連れて行って上がり込むとすぐにその女性が母を見つけて、と言うより母が誰かを従姉妹に尋ねてから、開口一番「お姉さんも歳をとったなあ」と言った。90歳を過ぎている人に向かってわざわざ歳をとったと言う言葉を使うのに聞いていて違和感を覚えた。見て分かるとおり歳は立派にとっている。その事は分かりすぎるほど分かる。富士山に向かって山、太平洋に向かって海、白鷺に向かって鳥、僕に向かって福山雅治と言っているくらい当たり前すぎる表現だ。何か他の挨拶でも考えればいいのにと思うが、単刀直入が素直に置き換わっているのかもしれない。だから違和感はあったが不快感はなかった。
 その後すぐに僕に向かって同じ言葉を発した。もっとも僕が誰か確信が持てなかったみたいで、僕に対してもかなり念を押して「薬大に行った人でしょう?岐阜の。やっぱりそうか、歳をとったなあ」と言った。言われるように僕も歳をとったが、さてこの女性を僕は全く覚えていなくて、いつから会っていないのだろうと気になった。いつの僕に比べて歳をとったと感慨深そうに言ったのだろうと思った。「僕はいつお会いしましたっけ」と尋ねてみた。「覚えていないの?そりゃまあ、小さかったから無理かもしれんわね、幼稚園に行く前だったから」
 的を射すぎて返す言葉もなかった。でもこの種の悪意のない言葉はこたえない。それよりも理路整然とした凶器のような言葉に身構える。隙を一杯出してくつろげる関係に時計の針も居眠りする。


2011年04月17日(Sun)▲ページの先頭へ
木の葉
 今度の震災で無限大の不幸を超えて多くの力強い言葉が生まれている。
その中で今のところ一番耳に残っている言葉は、名前は知らないが時々テレビで顔を見ていた一人の僧だ。僧と言うより小説家と言った方がわかりやすいのかもしれないが、僧であり小説家でもあると言う表現が風貌から推察すると正しそうだ。彼がテレビの対談で述べた言葉に「死に甲斐がなければ意味がないじゃないですか」と言うくだりがあった。今度の地震や津波で多くの方が亡くなったが、彼のお寺は原発避難区域の中?か周囲?の筈なのに村に残り亡骸を弔うのだそうだ。丁寧に弔い、残された人達の心に何かを起こさなければ死んだ意味がないというのだ。この考え方は僕には衝撃的だった。もし死ぬことに意味を持たせることが出来れば、死は終わりではなく経過になる。すべてが終わってしまうから死を恐れるし、逆に自分で死を呼んでしまうのだが、意味を持たせることが必要となると頑張って見事に往生しなければならない。
亡くなった警察官、消防士や団員、医療従事者、介護従事者、公務員などの勇気ある行動が多くの命を救ったと伝えられているが、これこそが死に甲斐を実践した人達だ。美しい語りぐさになるのは本人も家族も決して望んではいないだろうが、あの僧の言う「死に甲斐」を明らかに実践している。
 庶民には劇的な人生を送る事が出来ないように、劇的な終わりかたもできないが、せめて人の心の中の木の葉一枚くらいは風で揺らせてみたいものだ。


2011年04月16日(Sat)▲ページの先頭へ
簡単
 基準を都合良く変えるのは権力の常套手段だ。ついこの前まで平和に暮らしていた時に浴びてもいい放射線量を勝手に20倍にした。これを超えてはいけないと言う数字の20倍まで許すというのは、明らかに加害者を守るための変更だ。東電を守るためなら10年後、20年後、いやひょっとしたら逆に早まるかもしれない発ガンを、国民に受け入れさせるらしい。原子力の会社からどれだけの資金が出て今までうまい汁を吸ってきたか良く分かる。今まで一緒になってうまい汁を吸った政党の黙りも、これから相伴にあずかろうとしていた政党の腐った根性ももううんざりだ。高村薫の政治なんかに頼らない生き方を肝に銘ずる。
 こんな生き方を淡々と実践しているのが京都大学の小出裕章先生だ。多くの方がユーチューブから流れる解説を毎日今か今かと待っているのではないか。誰も真実を語ろうとしない中で、隠そうとしている中で、歪曲しようとしている中で、あの先生だけが信じられる。その根拠は、どの権力にも寄生することなく、自分自身も権力になることも拒否しているところだろう。僕らの世代、いやもう少し上の世代の人の多くは同じ志で同時代を生きた。それが歳月と共に、自分が拒否していたそのものに変質していった。多くを持ち多くを守ろうとしたからそれはそれで仕方ないし当然かもしれないが、情報を私物化して庶民の生命を脅かしてはいけない。
 それにしても久々に気骨のある人物に出会えた様な気がする。そうした生き様を垣間見ることによって目を覚ました人もいるだろう。嘗てはそのミニチュア番なら身近に一杯いたのだが、人の生き様や心証まで数値化する風潮にもろくも自滅した。弱い側に立つ。こんな簡単なことが出来ないのだろうか。


2011年04月15日(Fri)▲ページの先頭へ
寝坊
 中学生が部活動で登校して来る第一陣は毎朝7時頃だ。何の部か知らないけれどずいぶんと熱心なものだ。彼らに会うと不審者にでも勘違いされそうなので、それまでにはテニスコートから出ることにしている。今は夜が明けるのが早くなったから朝の6時半と言えば十分明るくて、太陽の光も浴びることが出来る。平日はもやしみたいな生活をしているからこの20分の太陽は有り難い。  なんだか寝坊をしたみたいで、散歩に出かける前の新聞読みにいつものように30分を費やすと7時が来そうだったから、習慣になっているマッサージ機上の新聞読みを省略して慌ててテニスコートに向かった。朝はマッサージ機をかけてから活動することにしているから、この儀式を省略するのはなんだか不安だ。身体が固まったまま動くと腰に負担をかけそうな気がして省略できないのだ。ただ、歩くことを省略するよりはダメージが少ないかと思ってウォーキングを優先することにしている。
 天気のせいか、いつもより回りが薄暗い。その分気温も低くて、ジャージか何か羽織ってくれば良かったと後悔した。車も通らずに人の気配も少なかった。野鳥が無防備に回りでさえずる。最近野鳥の種類が増えたような気がするが、それは人が減っていることの裏返しのような気もする。まあ、人間が地球を独占するべきものではないからいいことかもしれないが。いくら繁栄を誇っても、地球の大きな1発のクシャミでもろくも破壊されるのだから、ほどほどでいい。多くを持たず、身軽に暮らすに限る。何も持っていなかった学生時代に今でも心底あこがれている。自由があれば何もいらなかった。今は、手荷物一つ持つのがいやだった男が、分不相応な持ち物で不自由になり人生を空しくしている。 何となくいつもより世間の始動が遅いような気がした。明るくなるのも遅い。しばしテニスコートを周回してふと体育館にかけられている時計を見ると、時間が1時間早かった。眠気眼で確認した家の時計を見誤って出てきたのだ。早起きは一文の得にはならなかったけれど、学生時代の余りにも怠惰さで朝の6時か夕方の6時か分からなかった頃よりは少しは堅気に近づいているだろう。
 黄色のゴミ袋を制覇したカラスの朝食にかき回される朝は帰り道に転がっていた。


2011年04月14日(Thu)▲ページの先頭へ
風評被害
 30kmより遠くから撮っていますと何故説明を付けないといけないのか良く分からないが、とにかくNHKが流している福島原発の映像で、今度爆発の光景を見たら風下300km以内の人は半日以内に脱出しなさいと言う小出裕章先生の解説は簡単明瞭でわかりやすい。いくら安全ですと前日の数値を教えられても、今日被爆したら意味がない。あの画面を見ているだけでいいのだから素人でも分かる。
この先生が信頼できるのは、先生が言っていることが2週間遅れで実際に起こっていることの他に、政治家嫌い、政治嫌いで、全く国や政治家を信頼していないことと、気にもとめていないところ。そう言った気骨があるところだ。マスコミに登場したがって、安全の風評被害をまき散らしている学者達とは全く毛色が違っている。
 もし、最悪のその光景を目にしたら、首都圏は放置される。多くの人が西にやってきて、西日本から過疎地が消えるだろう。牛窓の狸も人波に押されてゆっくりと道路を横断なんか出来なくなるかもしれない。荒れた畑は整備され住宅地になり、おしゃれな家々が立ち並び、ヤマト薬局なんか一瞬にして潰されそうな資本家が営業を始め、町にはおしゃれな店が出来、「あのさあ、あのさあ」とさあ言葉が標準化し、人々はおしゃれになりランチを楽しむ。今まで見たこともないような演劇が上演され、タレントがカメラを引きつれて歩き、物珍しさで人垣ができる。
 国が滅ぼうとするときにしか脚光を浴びない哀れな過疎地だが、翻弄されるのは慣れている。戦いで死に、高度成長を底辺で支え、不況を質素で支え、放射能を放射NOで支える。自爆で滅ぶのかマグネチュード8の余震で滅ぶのか分からないが、そろそろ為政者の油断した微笑みが映像に漏れている。


2011年04月13日(Wed)▲ページの先頭へ
指導
ある人を見送っていたら、向こうの方からゆっくりと歩いてくるみすぼらしい男性が見えた。すぐに誰だか分かったから近づいてくるのを待って薬局に招き入れた。朝のコーヒーを僕自身も飲んでいなかったし、彼がコーヒーを好きなことも知っているから丁度良いタイミングだったのだ。
「何か変わったことでもないかな?誰か死んだとか」これが開口一番の挨拶なのだ。もし他人が近くにいてこんな挨拶を聞いたらびっくりするだろう。なんて不見識なと怒られそうだが、僕らの間では十分許容の範囲だ。御法度の裏街道を歩いて人が入りたくないところに入っていたから、同じ年くらいなのに髪の毛はないは、歯はないわで、見ようによっては僕の父親くらいに見える。「髪の毛が生えてくるような薬を頂戴」と言うから、「もう手遅れじゃ、入れ歯を造る方が先じゃろう」と良い指導をした。
 昼過ぎに2人連れの女性が来て、各々の煎じ薬を1ヶ月分ずつ作らなければならないので、結構待ち時間が長くなった。退屈させたらいけないので調剤を他のスタッフに任せて話し相手になっていた。すると「うちの息子が新卒で就職して出ていったのに、1週間したらホームシックにかかったと電話してきて週末に帰ってきたんです」と若い方の女性が情けなさそうに言った。「帰りたい家なんて最高ではないの。そんなに温かさを感じる家なんて滅多にないよ。羨ましいわ。いくらでも帰らせてあげて。そのうち帰らなくなって、あなたの方が会いに行くだろう。そしてうっとうしがられるようになるんだから。我が家なんて10年くらい帰ってこないよ」と言うと「先生ところには息子さんがおられたの・・・」と言いかけて何を察したのかそこで話が終わり、何となく嬉しそうな顔をした。良い指導をした。
 夕方、「朝目が覚めると、のどが焼けているのがなんとか治らないかな?」と70歳代の男性が相談に来た。理由を尋ねると、焼酎を結構飲むらしい。買い方もケース単位らしいから余程好きなのだろう。「龍角散を飲めば効くかな?」と尋ねられたので分からないと答えたが、焼酎を止めてまで治す気はない。「おじさん、焼酎の量をもっと増やしたら!そしたらのどが焼けるのにも気がつかないだろうから、飲みまくったらいいんだよ」と助言すると嬉しそうに帰っていった。その後ろ姿を見て思った。良い指導をしたと。


2011年04月12日(Tue)▲ページの先頭へ
退散
 何でこのタイミングでこんな記事が載るのだろうと思った。せっかく忘れようとしているのに又思い出してしまう。
ボブディランが念願の中国でのコンサートを開いたのだが、当局の検閲を受け入れて「時代は変わる」や「風に吹かれて」などの代表的なプロテストソングは封印したらしい。「承認された範囲の内容」を受け入れたらしいのだが、フォークの神様としては失望する人も多かっただろう。戦争や社会矛盾に立ち向かわない彼の歌に恐らく感動も共感も半減したに違いない。それに比べて、アイスランドのビョ−クが「独立を宣言しよう」と言う歌詞の後に「チベット」と叫んだのとは雲泥の差だ。
 あのボブディランが、詞だけで生きていたような人が、自分の言葉を削ったのは余程苦渋の選択だとは思うが、最初から削られるのが分かって、何を判断基準にしてあのような選択をしたのか後々彼自身の言葉で語って欲しいような気がした。ファンの多くは、今では嘗ての血気盛んだった青年ではないからどんな言葉も風に吹かれるように受け止めることが出来るのだから。
 さて世界のボブディランと牛窓のダレモシランを比べるのもおこがましいが、存在価値の天地の差はあるにしても同じようなことがあるものだと思った。片や21世紀で最大の国家にならんとする国が相手、片や小さな教会の騎士気取りのおじさん達。相手にも天地の差があるが、何処にでもうぬぼれが強すぎて頑張れば頑張るほど回りの人達を傷つけてしまう輩がいるものだ。宗教の自由があるところに必ず言論の自由もあるのは当たり前だと思うのだが、自分の都合を優先するのにはばからない。昔、牛窓に帰ってすぐ、地元の青年部という組織に半強制的に入れられたが、これも最終的には忍耐の許容量を超えてしまった。臨界を起こして辞めたときの僕の言葉は、その後多くの人に受け継がれて、それぞれがかかわったことに関しての後悔を少しでも軽減してくれることを期待して自虐的に使う便利なものになった。「馬鹿に馬鹿にされる」語呂がいいから多くの人の耳に残ったのだろう。この屈辱は逃げる以外には解決できない。読者の方もこの自虐ネタを覚えていたら便利だ。永遠に理解できない関係って意外に多くの場であるものだ。身も心も消耗するよりはこのネタを拠り所に退散するに限る。
 決まったことには口出しするな、文章は知らない間に検閲に会う、復活祭という大切な日にパーティーを開く。(ある教会は東北の被災者のためのバザーをする)これだけそろったらもう退散するしかなかった。今まで数年間の祈りが何だったのかと思う。あの祈りを返して欲しい。聖堂と言うから子や孫、患者さん達のために頭を深く垂れていたのに、又娘の結婚式も挙げてもらったし、何人かの永遠のお別れもしたのに、それが酔客も出る宴会場にしばしば変わるなんて。
 僅か二桁の数の読者の目に触れさせないための画策は、皮肉なことに一晩で1700数十名の目に留まった。何を守ったのか知らないが最も失ってほしくなかった神聖さは僕の中では残念ながら日々消えていった。嵐が過ぎるのを待つだけですと、退散できない人の言葉がいつまでも耳に残る。


2011年04月11日(Mon)▲ページの先頭へ
表現
 今日は薬局にやって来た方も、漢方薬を送っている方も含めて「何々が出来た」と言う表現が多く聞かれた日だった。今思い出しても6人の「出来た」が浮かぶ。選挙に行けた、自己紹介が出来た、旅行に行けた、姑に意見が言えた、看護を抜けて出られた、彼氏と付き合って1年になる等だ。どれをとってもごく普通の人にとっては出来たという表現ではなく「○○した」の方が適していると思うだろうが、過敏性腸症候群やウツウツとしている人にとっては立派な実績なのだ。漢方薬を作っている僕にとっても一緒に喜びあえる成果なのだ。
僕も実は苦手なのだが緊張はしない。何人ものそれなりの人の前で投票するのは照れくさい。普段良く知っている人なのに、余所行きの顔をして投票箱をにらんでいる。又政党に裏切られるのかと思いながらいやいや投票しているから余計かもしれないが、誰だって気が重いのは同じではないか。
ギャグから入るように提案していたのだが、真面目に挨拶したらしい。それでも出来ましたっていい顔で報告してくれたから胸をなで下ろした。新しい職場で期待もふくらむが人前が苦手な人にとっては拷問を受けるようなものだ。ただ、肝っ玉を強くする漢方薬で意外とこれが解決する。多くの成功例があるから僕は自信を持って勧めるが、何よりも出来ないことを克服すれば人生が何倍にも楽しくなる。
お腹が気になって、いつもならそこから痛みに変わってくるのだが、今回は気になっただけで痛くはならなかった。進歩を実感できたらしい。ただ泊まりがけだったので、帰りに薬が飲めなくて痛みが出たらしいが、過敏性腸症候群が治るものという希望は持てたらしい。
片づけが苦手な姑の乱雑さが気になっていたが、じっと我慢の連続で心身症になった。この方にも肝っ玉を強くする漢方薬とストレスをとる煎じ薬を飲んでもらっていたら、今日は義母に片づけてあげると言えたらしい。体調が良くなれば正しいことは口から出せれる様になる。片づけ大好き人間の長所がこれで生かせられる。
限界を超える介護で心も身体も患っていた。自分の方が重症だ。実際の年齢より10歳くらい高く見えていたが、体調の回復と共にずいぶんと若返って、笑顔も戻って見違えるようになった。介護に縛られて身動きがとれなかったけれど、元気になれば逆に「牛窓に漢方薬を取りに行ってくる」なんて言葉を口から出せて堂々と病院から離れることが出来た。後ろめたさを感じない実績に支えられていた。
 とても美人なのに恋に自信が持てなかった。でも僕には分かっていた。過敏性腸症候群になる性格こそが男性にとっては魅力なのだと。案の定それからすぐに付き合いだしてもう1年になるらしい。
 僕の薬局には、田舎だからかもしれないが、嘘がない。患者さんも僕も、勿論若夫婦達も誠心誠意努力していのは、その誰もが運良く健康すぎる心や身体を持ち合わせていないからかもしれない。患者さんと同じ地平に立てることこそ、僕らスタッフの幸運なのだ。


2011年04月10日(Sun)▲ページの先頭へ
不運
 不運は1秒でやってくる。1秒もあればさっきまでの日常をいとも簡単に奪われる。これは震災の話ではない。何処にでも転がっている日常の中の一つの出来事だ。
 今日見舞いに行ってきた方は機械操作のプロみたいな方だが、耕耘機がズボンを巻き込み畑を耕さずに自分の身体を耕した。もっとも見よう見まねで畑仕事を最近始めた方だから、耕耘機は専門外だ。これがほんとの畑違いだ。こんな文章の導入も、今日見舞いに行ってすこぶる元気だったから許される。病室にいなかったから帰りかけていたら、点滴をぶら下げて帰ってくるところに玄関で出くわした。じっとしているのが苦手な人だからリハビリを兼ねて病院外をウロウロしていたのだろうが、運良く耕耘機の爪が骨盤で止まって腸を粉砕するのが免れたというような悪夢はほとんど忘れている様子だった。救急隊員が駆けつけてくれた時に、耕耘機の爪が身体からはずれなくて彼らが困っていたら、自分でスパナを借りてねじをはずして、爪から逃れたというエピソードが残っている強者だ。現場にいなくて良かった。いたら一緒に救急車に横たわっていたかもしれない。
 「1秒よな」と言う僕に大きく頷いていたが、不幸中の幸いの典型だろう。幸いには滅多に遭遇しないが、不幸は小さなものなら幾度となく訪れる。そのたびに上手く交わせる何かがあればいいのだが、熱意や努力だけではどうにもならないことが多い。何かのせいにして忘れるのだが、そろそろ何かのせいにするネタが尽きてきた。自分のせいだといつになったら言えるのかと思うが、僕もその人も「口が裂けても・・・」と言うタイプなので舌の乾かぬうちに残された数少ない標的を狙っている。


2011年04月09日(Sat)▲ページの先頭へ
自費出版 最終
           自費出版 第2弾(最終)
2011・4・10
 下記の文章を教会報に投稿しましたが、掲載されませんでした。再読しても誰かを傷つけているようには思えませんでしたから図々しくお手元に届けます。

アベマリアとカレーライス
 カレーライスをお代わりするなんていつの頃からだろう。美味しかったのか牛肉入りのカレーが珍しかったのか、ついお代わりをしてしまった。2杯目も充分な量が盛られていて一瞬戸惑ったが食べてみればすんなりとお腹に収まった。沢山の人と会話を楽しみながら食べた勢いか、食べ終わった後ももたれた感じはしなかった。若いときの大食いの一瞬の復活劇だ。
何十人分も作ってくれたAさんが僕が2杯も食べたのを見て、その後のコンサートで眠くなるよと言った。丁度歌い手が僕の前を通っていたときだったので「あの美声を聴きながら眠くはならないよ」と答えたのだが、いざ始まってみると睡魔との戦いだった。世界中にアベマリアという曲がいくつもあるなんてのは知らなかった。その中の有名な1曲が偶然耳に届いていただけだったのだ。折角のアベマリアも歌詞が分からないから曲としての感動だけで詩を味わうことが出来なかった。寧ろソプラノの響きは僕のお腹に届いて、果てしない睡魔を呼び起こした。胃を充血させて消化に全勢力を注いだから頭が虚血状態になったのか、歌声が心をリラックスさせてくれたのか分からないが、戦いは9勝1敗で睡魔が勝利した。
 その1敗の時間、最前列に腰掛けていた僕は祭壇に飾られている生け花と至近距離で向かい合っていた。頭を上げて聴いていればいいのだが、うっかり船を漕いでいる姿を歌い手に見られたら眠っているのがばれてしまうから、まるで聴き入っているかのように身体を前傾し居眠りしていた。懸命に瞼を開くことができた短い時間は常にその生花と対峙した。単なる結果論だが、僕の人生でこんなに生けられた花を見続けたことはない。目の前にあったから見ていただけなのだが、結構綺麗なものだと思った。真ん中に数本の赤いバラが咲き誇っている。その両脇には百合の純白の花弁と凛と延びたつぼみが位置し、可憐なミモザの黄とかすみ草の白が全体を縁取りし、まるで突如空間にキャンパスが現れたような感じだった。片や咲き誇る勇姿と片やけなげに咲く命のコントラストが興味深かった。
 まるで不真面目な聴き手ではあったが熱唱を子守歌に、何も考えない何も作らない弛緩した時間を過ごさせてもらった。ためらいがちに降った雨は満腹の空から落ちてきた安堵の雫だったのかもしれない。


 数年お世話になった教会の皆さんに感謝します。神父様の話をずっと聴かせて頂いて僕は上記のような文章が書けるようになりました。歌い手を讃美することは簡単ですが神父様のおかげで、それに負けないくらい輝いているごく普通の人達が見えます。それはまぶしいくらいの輝きで僕の心に迫ってきます。毎週日曜日に、その様な方達の仲間に入れていただけたのは幸せでした。

Cさん Dさん 僕は○○教会を象徴している家族だと思っています。Cさんを会長に書記をEさん、会計を僕にして、腰痛委員会を作りたかったです。謙虚な二つの家庭を見させて頂いて信仰ってこんなに力を抜いた素晴らしいものなんだといつも思っていました。特にミサの途中でCさんの奥さんが子供達を誘導する姿は好きでした。

Aさん、刑務所に歌で慰問に行っているとふと教えて頂きました。それこそが、実際には日常何も出来ないことの居心地の悪さを感じている僕らに対する救いなのです。神父様の教えを他者に対して少しも実践できていない人間にとっては、それを実行してくださっている人と同じ空間にいることだけが救いなのです。

Eさん 貴女がどれくらいの多くの持てるものを注いで手作りで教会報を作っていたか傍で見ていて良く分かりました。何も手伝っては上げれなかったけれど、貴女が1回でも多く笑って緊張から解放されるのを祈っていました。体力に貯金がないタイプ、でもそれは長生きの証でもあるのですが、なのですから頑張りもそこそこにしてくださいね。

Fさん 僕の長姉と最初からだぶっていました。振る舞い、頭のキレなどがとてもよく似ています。天下一品の即興スピーチにはいつも感心していました。ミサの後頂くFさんのコーヒーと、持ち寄りのお菓子で十分でした。豪華な食事やパーティーで癒されたことは一度もありません。

Gさん 照れながらも主張を忘れない抜群の存在感です。少しカロリーを控えて元気でいて下さい。Gさんの不器用な熱意を種に、皆さんに笑いを届けることが出来なくて残念です。

Hさん  妻に親しくして頂いて有難うございます。これからも宜しくお願いします。

Iさん 上手くいって当たり前の日々のミサのコントロール、大変な知識が必要だと思っています。どのくらいの方があなたに感謝の意を伝えてくださったでしょうね。

Jさん、優しい顔立ちの中で、教会のユニフォームで清掃奉仕をしないなどの凛とした姿勢は立派ですよ。善を行おうとする時に、まず見られることを演出するのに僕も抵抗がありました。貴女の場面場面での判断に芯が通っているのを感じていました。ぶれないその価値観を大切にしてください。

Kさん 死ぬことが恐くないと教えてくれたときから、貴女は僕にとっては信仰の最終目標みたいだった方。何年も何十年も先を歩いている方です。体力を超える頑張りはしないで、心が折れてしまいますから。今朝、一番の電話は、見知らぬ関東の女性からでした。何度も走っている電車に飛び込もうと考えましたと言う方からの相談です。今日から又その女性ともかかわります。僕の関わりは漢方薬を介した経済活動でしかありませんが、その上に沢山の言葉を添えます。勿論沢山の笑いも。その為には僕の心も折れてはいけないのです。今回の判断は唯一このことだけのためです。

Lさん 人の良さでは類を見ない方です。聖書の勉強時間どちらがよく居眠りしていたでしょうね。その後はあなたの方がダントツ前を走っています。

Mさん 心に無理をしないで下さい。落ちこぼれていく人達を是非救ってください。先日の話を即座に理解してくださってありがとうございました。僕は教会に来る人を太陽の光では救えないと思っています。陽の当たらないところに心を置いていた人は、月の光くらいではないと逆に辛いのです。僕の薬局は月の光でありたいとずっと思っています。

Nさん 最後に知り合えて良かったです。あなたが書いて下さった文章は今まで読んだ文章の中で最高の物でした。あの原稿を清書させて頂いたことが光栄です。心も身体も元気でいて下さい。

Oさん あなたの気品はそれこそ天下一品です。教会では母親のようでした。そう思っているのは僕だけではないかもしれませんよ。

Pさん この1年で一番教会で感動した出来事は、あなたと古いスリッパを捨てない事で一致団結できたことです。僕は捨てれない、あなたも捨てれない。偉い人がひつこく捨てろと言っても僕らは頑張りましたね。僕らはきっと同じ考えだったのです。物を粗末にすることと心を粗末にすることは同じですものね。

Qさんの友人達 外車から降りてギターケースを抱えて見せたくない光景をいつも見せていました。後ろめたさの中でも、一番仲良くなりたかった人達です。いつもミサの後残ってFさんのコーヒーでも飲んでいってくれたらなと思っていました。

フィリピンの人達 あなた達のもう50cm近い距離感が僕の心をほどいてくれていました。感謝します。

Rさん 朗読の途中であなたが見せたFさんに対する涙以上にあなたを語るものはありません。それ以上に教会の何を誇らしく語ることが出来ましょう。

もっと多くの方の名前を挙げて感謝すべきですが、顔と名前が一致しない方も多くて申し訳ないと思っています。友人のように話が出来るSさんは意図的に割愛させてもらいました。

 嘗て、色々な宗教を信心している方から同じような相談を受けている。信仰はしたいのだけれど、幹部の方の接し方に不満や不信を抱いて心を病んでいると言う内容だった。当然それが体調に影響し、心身症に発展しているから僕との縁が出来た人達だった。漢方薬のおかげでそれぞれの不快症状はとって上げられたが、僕は現場から離れることも提案した。信仰を持っていない人の方がより謙遜だったりするのも日常だし、神様や仏様とつながることですべてが許されるわけでもない。大切なことは心の中に敵を作らないこと。せっかくの信心が否定や非難に変わったらもったいない。心の中に敵がいない人は病むことが少ないことは長い薬局経験で知っている。
 目覚めてからその日の行動を決めればいいのは30数年ぶりかなあ。

教会

そうさ誰もが抱えきれない重荷背負ったとき
坂道を上り たどり着くとこがある
ステンドグラスから零れる月の光が
十字架の上の いと高き方を包む

見よう見まねでひざまづいて 手を合わせ
見よう見まねで頭を垂れて 十字を切る
笑顔忘れて涙隠して 生きてきた
怯えて逃げて 逃げて怯えて 揺れる月の陰

何かとてつもない力に すがりたかっただけさ
耳を澄ませば揺れる炎の中で声がする
傷つけて 傷つけられて生きてきた
十字架の いと高き方の 許しを乞う

信じないで 許さないで 傷つけて
笑顔忘れて涙隠して 生きてきた
許さないで 許されないで 生きてきたのに
十字架の いと高き方の 許しを乞う

逃げて逃げて逃げて逃げて ひたすらに
逃げて逃げて逃げて逃げて どこまでも
逃げて逃げて逃げて逃げて いつまでも
十字架の いと高き方の 許しを乞う
十字架の いと高き方の 許しを乞う
十字架の いと高き方の 許しを乞う




大和


2011年04月08日(Fri)▲ページの先頭へ
絶望
 東日本の方には悪いけれど、この辺りで放射線についての話が出ることはほとんど無い。ヨウ素以外にも検出されるようになったが、危機感は西日本を通り越して韓国や中国、はてはインドの方が深刻だ。西日本人の寛大さか、勇気か、諦めか分からないが、今でも雨に濡れて小学生や中学生が歩いている。
そんな中で次元が違う嘆きを聞いた。初めて相談に来た若い女性だが、焼き物作家志望の女性ならではの気付きか、あるいは持って生まれた繊細さかしらないが、放射能に汚染される魚や鳥たちのことを心配していた。「人間だけではないのにね、鳥や魚だって・・」と悲しげに、まるで独り言のように言った。この視点で放射能について語った人は初めてだ。マスコミや報道の中でも聞かなかったし、まして巷でもなかなかあり得ない視点だ。それもぼそぼそとつぶやいたところが本心を現している。脚本のないつぶやきに人間様の視点しか持てない僕はいともたやすくノックアウトされた。
 肩書きを持った人間の保身の言動ばかりを見せられているから、このような素朴さが余計際だつ。土に向かって無心に造形する人達の、特に志の初期にある人達の素朴なつぶやきに、こんな事態を引き起こした「いい目をした人達」に対する嫌悪が込み上げてくる。勇気ある行動と讃えながら安全地帯で尚いい目をする人達と、勇気ある行動と讃えられながら、孤独な闘病を余儀なくされるかもしれない人達の縮めることの出来ない人の価値に絶望する。


2011年04月07日(Thu)▲ページの先頭へ
突然
 それは突然だった。ほとんど不意打ちだった。「あつ、○○ちゃんだ!」テレビを見て叫べるくらいだからまだ僕も若い。いつまでも心は二十歳、身体は昔から米寿。このギャップに悩まされ続けている。
 女子アナになるのが如何に難しいかを垣間見せてもらったおかげで彼女が決まったときには嬉しかった。希望する職業に就けるのは誰も出来そうで出来ないものだ。僕なんか当然俳優か歌手かモデルだと思っていたのだが、今では田舎のしがない薬剤師だ。
 昨夜何気なくニュースを見ていたら画面の右半分にマイクを持った若い女性が現れた。何かをレポートし始めたのだが、その女性の顔に見覚えがあり一瞬釘付けになった。そして画面左に小さく出た名前で彼女が○○ちゃんだと分かった。震災のことで、すっかり彼女がその職業に就いたことなど忘れていたので、時間が逆戻りした。冒頭のように叫んで妻にテレビを見るように促したが、その後はただ自転車がトラックに積まれる光景だけだった。ただ、確かに続いているコメントの声は○○ちゃんだ。何故僕が緊張しないといけないのか分からないが、終わるまでハラハラだった。よどみなく終えたのを確認してほっとしていた自分がいた。僕は親か?と自分で呆れるが、僕は祖父か?とまでは言いたくない。僕は叔父か?くらいが丁度いいかもしれない。
 他人の家の実力に便乗して喜ぶ癖は治らないみたいだが、これも疑似体験の一つの特技だ。我が家では到底経験できないことを多くのよそ様が提供してくれる。それだからこそ社会って面白いのかもしれない。似たり寄ったりでは幅が無くおもしろみがない。ただいつもこのような喜び多い疑似体験ならいいのだが、えてしてその逆が多い。そう言ったものとは距離をとる特技も必要だ。こちらのほうが寧ろ僕は苦手なのだが、最近は余力の無さを理由に勇気を持って撤退することにしている。「なんにもしないことが、なんかすることと同じだったりする」友部正人のこのフレーズが最近頭の中を駆けめぐる。
 早速、無地のTシャツを買ってこよう。今度漢方薬を取りに来たら背中にサインをしてもらわなければ。そう言えば女子アナになったら取材に来てねとお願いしていたな。タイトルは僕が決める約束だった。その時挙がった候補が「イケメン薬剤師」いやいや「雅治似の薬剤師」いやいや「漢方の達人」いやいや「匠」「神の手」「猫の手」「熊手」「やめて」・・・


2011年04月06日(Wed)▲ページの先頭へ
慰め
 印象に残っている事柄は何年もの間、頭の片隅にしまわれているものなのだ。僕が引き出したのか、本人が引き出したのか分からないが、突然に60年以上も前のことを想い出したらしい。常套句の「忘れもしないけれど・・」で始まったが、それは言わなくても分かっている。忘れていないから想い出して喋ろうとしているのだから。
牛窓は古い時代栄えた港町だから、昔のお金持ちと来たら桁がはずれていて、今で言うソフトバンクのソンさんみたいなのが居て、逸話だが、牛窓から岡山まで自分の土地の上を歩いて行けたなんてのが残されている。その家の息子と2歳違いで幼いときにはよく遊んでいたというのが今日の話の主役だ。何代か経れば名門もただの家になりそうなものだが、名門たる所以だろうか、未だ雲の上のような経済活動をしている。その名門のお家の方が最近アーティストを呼んできては、酒蔵を改装した音楽ホールでコンサートを開催している。主役の近所にあるから「コンサートを聴きに行っているの?」と尋ねると「行くもんか、この歳になってピアノじゃギターじゃ言って分かるもんか」と答えた。顔は日に焼けてくしゃくしゃだから見ただけで縁遠いのは分かるが、話の流れでそんな質問をしてみた。「そこの○○だけれどな・・・」で、「忘れもしないが・・・」が始まったのだ。彼が忘れられないのは、彼が小学校の2年生の時の出来事らしい。
 当時どの家も貧しかったからお小遣いなんかあるわけがない。ところが名門のうちにだけはそれがあって、おやつも自分で買っていたらしいのだ。ある日2人で遊んでいたときに、名門がお店でおやつを沢山買った。その光景を見て彼は黙って手を出した。頂戴って事なのだが、それをやりながらとても恥ずかしくなったらしいのだ。その時の自分の態度を思い出すたびに恥じ入るらしい。60年たってもハッキリと覚えているそうだ。卑しさで出た態度かひもじさで出た態度か分からないが、彼にとっては屈辱の一瞬だったのだろう。
 老人になってまで恥じ入るような仕草をしたから僕は慰めた。「普通なら、そこで一念発起して勉強に勤しみ、成功をして故郷に錦を飾って名門を見返したと言う美談になるのに、今じゃあ、よけい差がついているではないの」と。


2011年04月05日(Tue)▲ページの先頭へ
値上げ
 パソコンに向かっている僕の背後に回って、ポップ用に置いてある魚の模型で僕の肩をぽんぽんと叩いて話しかけてきた。この瞬間、異国の人、年長者、薬剤師などの垣根が全部取り払われてくれたような気がした。
先週、金融機関の不手際で、彼女の仲間のお金が一瞬行方不明になりかけた。顔色を変えて飛び込んできたのだが、30年以上金融機関に行ったことがない僕は、現代のシステムが全く分からない。キャッシュカードも持っていないのだから使い方も知らない。これは言葉以前の障壁だ。役に立ちようがなかったので妻に振った。何度か2人で金融機関を往復して解決したらしいが、その時に一気に僕との垣根も低くなってくれたのかもしれない。
 何百万倍、果ては億の単位まで現れだしたらついにさすがの彼らも、自己保存をはかり始めた。「1週間前に私が危惧して言ったのは・・・ 」得意の話法がそろそろ恥じらいもなく始まる。何を守って安心を連呼したのか知らないが、連呼した分の責任を追及されるべきだ。何日遅れの安全情報を流されても、もうすんでいる事では意味がない。取り返しがつかないことをいくら教えられても意味がない。
高田渡の歌に下記のようなのがある。福島のニュースを見るたびにこの値上げって言う彼の歌を思い出す。

値上げは ぜんぜん考えぬ
年内 値上げは考えぬ
当分 値上げはありえない
極力 値上げはおさえたい
今のところ 値上げはみおくりたい
すぐに 値上げを認めない

値上げがあるとしても今ではない
なるべく値上げはさけたい
値上げせざるを得ないという声もあるが値上げするかどうかは検討中である
値上げもさけられないかもしれないがまだまだ時期が早すぎる
値上げの時期は考えたい

値上げを認めたわけではない
すぐに値上げはしたくない
値上げには消極的であるが年内 値上げもやむを得ぬ
近く 値上げもやむを得ぬ
値上げもやむを得ぬ
値上げにふみきろう

 彼女に「あなたの国では1ヶ月いくらあったら暮らすことが出来る?」と尋ねたが、唐突な質問だったからかハッキリとした回答が得られなかった。実は僕にとっては別段唐突なことではなく、今度やって来たら尋ねてみようと予定していたことなのだ。旅行する気力も体力も僕にはないが、子や孫は避難させたいと思うのは誰でも同じだろう。
 偉い人達の常套文句は若いときに聴いたこの高田渡の歌で分かっている。そろそろ変わりはじめた言葉に僕は確信犯的に過剰反応する。風評被害などと言う便利な言葉を持ちだして希釈されてはかなわない。「実害」以外に使うべき言葉はない。


2011年04月04日(Mon)▲ページの先頭へ
 朝は鳥たちだけの時間がある。夜が白みはじめても人間がまだ眠りについている時間、鳥たちだけが支配する時間帯がある。早朝に出勤する車の音さえも遠慮気味だ。彼らが確実に支配している時間帯だ。自由があるのか、安全があるのか、はたまた満腹か、大いなる理由がきっと隠されているなどと、鳥でない僕が考えている。
 大津波の先端が入り江にやってきて、湾全体を飲み込もうとしたときに、何十羽の海鳥たちが甲高い声をあげながら一斉に飛び上がった。押し寄せる大波が見えたのか、まさに波の直撃を避けるようなタイミングで飛び立った。あの羽が欲しかっただろう多くの人がいる。その時、何を思ったかはかりしることは出来ないが、けたたましく飛び上がったあの羽さえあれば、助かっていた。鳥でない僕はもし羽があったらと夢想する。
 どうして種が違うのに、どうして大きさがあんなに違うのに争わないのだろう。まるで親子のように、同じ草むらで接近しあるいは交錯しながら餌をついばんでいる。肉食系でないから争う必要がないのかとか、人間みたいにそもそも貪欲でないのかと、鳥でない僕が感心している。
 ついに見破られて聖域ではなくなった。黄色のゴミ袋は透視できないと言われていたが、烏はそれを何年かかかって乗り越えた。幼子の知能くらいあると言われても、散乱したゴミを前のしては感心ばかりはしておれない。首をひねることばかりの人間社会から見ると頭を縦に振れるのは羨ましいと、鳥でない僕がやきもちを焼いている。


2011年04月03日(Sun)▲ページの先頭へ
重荷
さよならカソリック玉野教会

そうさ誰もが抱えきれない重荷背負ったとき
坂道を上り たどり着くとこがある
ステンドグラスから零れる月の光が
十字架の上の いと高き方を包む

見よう見まねでひざまづいて 手を合わせ
見よう見まねで頭を垂れて 十字を切る
笑顔忘れて涙隠して 生きてきた
怯えて逃げて 逃げて怯えて 揺れる月の陰

何かとてつもない力に すがりたかっただけさ
耳を澄ませば揺れる炎の中で声がする
傷つけて 傷つけられて生きてきた
十字架の いと高き方の 許しを乞う

信じないで 許さないで 傷つけて
笑顔忘れて涙隠して 生きてきた
許さないで 許されないで 生きてきたのに
十字架の いと高き方の 許しを乞う

逃げて逃げて逃げて逃げて ひたすらに
逃げて逃げて逃げて逃げて どこまでも
逃げて逃げて逃げて逃げて いつまでも
十字架の いと高き方の 許しを乞う
十字架の いと高き方の 許しを乞う
十字架の いと高き方の 許しを乞う




2011年04月02日(Sat)▲ページの先頭へ
後付
 科学者というのは警鐘を鳴らすのかと思っていたが、どうやら安全を安売りするのも仕事のうちらしい。スポンサーには強い態度がとれないマスコミの情けなさも目に余るが、二つがスクラムを組んでこられると、今まで危険の代名詞みたいに思っていた物まで、心配する必要がないもののように思えてしまうからたいしたものだ。ところが僕らひねくれ者達は権威をそもそも信じない癖があるし、言われれば言われるほど反対を考えてしまう癖があるから、うさんくささをたやすく嗅ぎつけてしまう。おまけにいざ事があった場合にとれる手段が限られている一市民だから、前もって予想していてやっと対処できることくらいしかできないのだ。とっさに国外に逃げることも出来ないし、まして地球から脱出することも出来ない。
 何十万人に被害を与え、何百万人に不便を与えて、これだけ謝らない人達を見たこともないし、揚げ足取りにうつつを抜かすマスコミも揚げ足一つとろうとしない。余程両者の関係がいいのだろうなと勘ぐってしまう。単なる勘ぐりかと思っていたら、そうではなくマスコミを普段から接待しているなんて話も聞くからなるほどなあと思う。これではちょっとした出来心で罪を犯しただけの人達が、まるで極悪人のような見せしめに合うのが納得がいかない。つくづく法律ではさばけない罪に逃げ込める力ある人達が羨ましい。庶民なら魔が差しただけのちょっとしたことまで法律で裁かれ、マスコミの餌食にされてしまうのに。
 空気中に放出して飛散してしまえば健康被害はないらしいし、海に流して希釈させれば健康や生態系には影響ない・・・・誰のための何のための説明だろう。聞いていて少なくとも僕のためではないらしい。岡山県でもヨウ素が検出されている。危ないものを吸って食べて飲むほど勇気はない。元々健康でおれない条件は少なからず持っているのだから、これ以上安易に増やしたくはない。米ソの核実験競争の頃より断然少ない放射線量・・・何を意図してこんな言葉が出てくるのだろう。後付の理屈に良くみんな我慢しているなと思ってしまう。今日堂々と薬局の前に車を横付けしたおばちゃんに腹が立っているのに。


2011年04月01日(Fri)▲ページの先頭へ
寄り道
 もう2年近く前になりますが、○大の医学生だった大学生の息子にお薬をいただき大変お世話になりました、○○市の○○です。突然学校に行けなくなった子どものことをよく聞いてくださり、漢方を送ってくださいました。その後本当におかげさまで大学に戻ることができ、1年留年しましたが、先日無事国家試験にも受かり卒業し、県内の病院に勤めることができました。大学に戻った時点でお礼を言いたい気持ちでいっぱいだったのですが、ちゃんと結果が出てからのほうがいいかと思っているうちに留年してしまったのでお礼がこんなに遅れてしまいました。漢方の力と苦い薬の味が子どもの気持ちを元に戻したような感じでした。漢方飲んでる??と時々アパートをのぞいたり、あまりの苦さにお互い笑ったりしているうちに乗り越えることができたように思います。その時書いてくださった大和様のお手紙に本当に励まされました。冷静に考えれば、私の育て方にも、子どもの中にもきっと甘いところ、弱いところや間違ったところもあったと思いますが、あの時にとにかく受け止め、子どもの良さを認めてくださったことでどれだけ救われたかわかりません。立派な医師にはなれないかもしれませんが、自分のやさしさを生かして誠実に仕事をしてくれたらと思っています。震災で医師不足の情報を聞くにつけ、子どもがこの仕事を選んだことで猫の手ほどでも世の中の役に立ってくれればいいのだけれどと思っています。ありがとうございました。お元気でこれからもたくさんの方を笑顔にしてあげてください。繰り返し、ありがとうございました。お礼が大変遅くなりましたご無礼をお許しください。○○より

 よかったですね。寄り道をしてしまったあげくの到着の感慨は殊更でしょう。彼もそうだけれど、貴女も重くのしかかっていた荷物から解放されましたね。でもこの寄り道こそがこれからの彼の医師としての道をより豊にしてくれますよ。何一つ無駄のない内容の濃い1年だったと思いますよ。上手く行くことで見えなくなる物が多い反面、上手く行かないことで見える物が沢山あります。その多くの物達を見ずに成長することはある意味では不幸です。それを見たからこそ他者と共有できるものも多いのです。そしてそれらが多くは教科書や本で学べる物ではなく、何気ない仕草とか、何気ない言葉などによってでしか感知できない繊細な物なのです。これらの多くの気付きこそが、医師として現場に出ていく彼の存在の源泉になると思います。
 せっかくの才能を頂き、磨くことが出来たのですから、これからはずっと与え続けることが出来る人であって欲しいと思います。これから彼の前に座る人は、ごくごく普通の人達です。決して選ばれた人達ではありません。多くの欠点や、多くの言えぬ過去を持ち、ひょっとしたら仕事を、家庭を、その日の食事代さえも失いかけている人かもしれません。口べたな、生き下手な人達の、医療上の良き理解者であって欲しいと思います。彼がお医者さんに無事なってくれたことで、僕が田舎の小さな薬局でお世話できる何千倍もの人を、それももっともっと苦しみ深い人達を救っていただけます。現在も幾人かの若い優秀なお医者さんやその予備軍を漢方薬でお世話させて頂いていますが、その最大の喜びはこれに尽きます。ああ、あの人が今日も大きな病院で何十人もの患者さんを世話してくれていると思ったら、感慨が込み上げてきます。幸せのおすそ分けを僕が頂いているようなものです。
ヤマト薬局


   


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■店舗名■
有限会社 栄町ヤマト薬局

■住所■
〒701-4302
岡山県瀬戸内市 牛窓町牛窓4808-3

■連絡先■
[TEL] 0869-34-5466
[FAX] 0869-34-6017
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カレンダ
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