栄町ヤマト薬局 - 2011/01

漢方薬局の日常の出来事




2011年01月31日(Mon)▲ページの先頭へ
佃煮
 もう随分前だと思うが、一人乗りの車が売り出されたことがある。と言うのは、以来余り普及したように見えなかったので、その持ち主である人に尋ねたら、収益がでるほど売れなくて会社が撤退したらしい。初めてその車で買い物に来たときに、わざわざ駐車場に出ていって車の中を覗かせてもらった記憶がある。持ち主は、牛窓の山の上に住んでいて、途中かなり細い道を通らなければならないから便利だろうことは察しが簡単に付く。どのくらい普及するのかと思っていたら、彼以外見ることはなかった。
彼はそれでも十分お気に入りで、あの小さな車で岡山市の繁華街まで出ていくのだそうだ。「あの車はええで(いいよ)一方通行の道を走っても誰も文句を言わんし(言わないし)知らん顔(知らない顔)をしとる」と自慢げに言う。「それは違うだろう、顔を見てその筋の人と間違えて恐くて何も言えないんだよ」と僕は印象のまま言った。誰が見ても恐ろしくて近づけない顔の構造をしている。それを知ってか知らないでか、丸坊主だし髭を生やしているから、間違ってくれと言わんばかりだ。ものの言い方も偉そうだし、寧ろどこから見ても堅気には見えないと言った方が当たっているかもしれない。
その彼が買い物に来たのは、佃煮に使う防腐剤。奥さんが料理が得意で色々な素材で佃煮を作ってくれるそうなのだが、早く食べないといたんでしまうので何処かで聞いたことがあると言う防腐剤を買いに来たのだ。風貌には似合わない細かいところがある。偉そうな物言いは、そうした無意識のハンディーを隠す為に身につけてきた処世術かもしれない。買い物が済んで他の人が入ってきているのに、なかなか帰ろうとしない。レジの邪魔になるからか、備え付けている体重計に乗っていた。「この体重計、壊れとるで(壊れているよ)」と、2,3回、乗ったり降りたりしていた。毎日誰かが量っているから、壊れているようには思えなかったが、大の大人が言うことだし、古いものだからそれもありかと、僕が試しに乗ってみるといつもの所で目盛りは止まった。「壊れてなんかないじゃない、もう一度乗ってみて」と促すと、当然目盛りは動いた。ただ、指す目盛りが、まさに誰も乗らない時と同じ所なのだ。「おじさん、丁度100kgなんじゃないの」と言うと、「そうか、1回転しとったんか」と納得した。お腹が出すぎて目盛りが動く間足元を見られないのだ。 人騒がせなものだが、以前ある漁師が孫を抱いたまま体重計に上がり「わしゃあ(私は)ものすげえ(ものすごく)太った」と驚いていたのに、優るとも劣らない。田舎の薬局ならではのこんな光景が僕の薬局でも減ってきたのかもしれない。


2011年01月30日(Sun)▲ページの先頭へ
場違い
 つい「自分の国は暖かい?」と尋ねてしまう。ベトナムが寒いと言うことを聞いてカルチャーショックだったのがまだ尾をひいているのだろう。まるでスキー場にいるような暖かそうな服を全員が着ているから、今度は正解だった。だから「日本は寒い」と顔をしかめていた。知ったかぶりの僕は「ベトナムって寒いんだって」と彼らに教えると彼らも又それは初耳らしく驚いていた。「ベトナムとフィリピンは同じくらいの緯度」とある女の子が言ったから家に帰ってから調べると確かにそうだった。同じ緯度でありながらこの差の理由は分からないが、当事者が言っているのだから何ら疑う余地はない。それにしても驚きだし、知らないことばかりだと自分でも情けない。
今日その中の一人の女性が国に帰っていく。でも彼女はすぐに韓国の同じ系列の会社に向かうそうだ。まだ日本に残る同僚達が彼女のことを可哀相と言っていた。色々な国で働けて楽しいだろうと言う僕に返ってきた意外な言葉だった。人差し指と親指でこれだけになると2cmくらいの間隔をあけたのは、目一杯開いた間隔からそれだけに減るって意味だった。同じ造船所で働いても、三井造船と韓国の会社では給料がかなり違うらしい。「日本では沢山給料をもらっているの? 満足しているの?」と尋ねると全員が満足と言っていた。僕はこんなたわいもない会話の中で、彼らが経済的に満たされていることを知ってとても嬉しいのだ。そう言えば全員がとてもいい顔をしているし、感謝や日常の小さな献身も自然に身に付いている。異国に来て真面目に働いている若者達が多くを手にして返って欲しいと素直に願う。
彼らの完全防備とは逆に僕は晩秋のままの服装だった。外に出していたバケツの水が底まで完全に凍り付くような冷え込みだったが、それで何か服装の工夫をするような習慣は僕にはない。だから偶然戸外で10分くらいのセレモニーの時間に、僕を見かねた神父様がご自分のジャンパーをわざわざ持ってきて下さった。大丈夫ですと断っていたのだが、いざ着てみるととても暖かく、さっきまで震えていたのが嘘のようだった。他人はこんなに温かいものを着ているのかと、珍しい経験をした。
 どうしてこんなに僕の不調を沢山の人が知っているのかと驚くくらい多くの人に声をかけてもらった。神父様にはぎっくり腰ですと、わかりやすい言葉で切り抜けようとしたら「それだけですか?」とまるで見透かされているような言葉をもらった。仕事を辞めれば治ると思いますと言うと、「それでは辞めてください」と言われた。単純明快だ。そう言った決断も出来ずに、これから先も不調を抱えて仕事をするのがいいのか、硬直した価値観の呪縛がわれながら情けない。
何の流れかみんなの前で「労務者とは云え」を歌った。昔あるところで歌ったとき「ワシらの唄だ」と言ってくれた人達がいた。当時僕にはそんな仲間がいた。今日僕は場違いを承知で歌った。場違いなところでこそ歌うべきだと思ったのだ。

『労務者とは云え』 訳詞: 高石友也 曲:ボブ・ディラン
1、ある日街を歩いていたら 年寄りの労務者が倒れてた
  冷たい歩道に仰向けになり 一晩以上もそのままらしい
※ 労務者とは云え 人ひとり死ぬ
  誰も歌わぬ 悲しみの歌 誰も看取らぬ その亡骸 
  労務者とは云え 人ひとり死ぬ
2、新聞紙1枚顔に被せて 道をベッドに石枕
  顔に刻んだつらい道のり 一握りのばら銭が彼の財産
  ※
3、衰えかかる命を知るとは 穴から空をのぞくようなものさ
  脚を痛めた競馬の馬が 小屋で死ぬのを待つようなものさ


2011年01月29日(Sat)▲ページの先頭へ
同類
 「人に喜ばれているんだからいいではないですか」さりげなくその人は口に出した。定年で医療の現場を離れた人だから、僕に言っているのか自分に言い聞かせているのか分からないような話しぶりだった。
 ほとんど歩けなかった状態だったから2日ほど2階で横になっていた。痛みだけだから、横になっていたからと言って、眠れるものではない。手持ちぶさたの上に、階下での物音が気になって仕方がない。若い2人に任せておけばいいとは分かっているが、僕から仕事を取ったら何も残らないのではないかと、仕事以外で生き甲斐を見つけることなんか難しいのではないかと布団の中で思った。自分でも仕事が好きなのだと再確認した2日間だった。
今何をしているんですと尋ねたら、百姓をしていると言った。農家の出だから帰るところがあったのだろうが、土地を守るという概念は意外と多くのお百姓さんには強くあって、勤めを辞めてから田畑を守る人は多い。自分の代で財産を減らすことに対しての抵抗は強いみたいだ。僕だったら、全部売り払って賭け事に費やしてしまいそうだが、それは持っていない人の発想で、実際に持っている人は結構堅実だ。
 長い間、多くの人を治してきた人が、ある日を境にもくもくと農地に向き合う仕事が出来るのかと思っていたが、復活の言葉はついぞ出なかった。こんなに未練もなく、区切りがつけられるのかと羨ましくもあるが、定年のない自営業者は、いつかは自発的な決断をしなければならない。色々な招かれざる出来事が襲ってくるから、気持ちが右に左に大きく揺れるが、何もしないことに耐えられる自分でないことは分かっている。体力の保証はとうになくなっているみたいだから、柳のようにしなやかに暮らせたら、もう少しは役に立てるのかなと思う。このところの不調を経験して、ストレスがいくら降りかかってもしなやかに対処できる漢方薬を作ってみたいと思った。僕自身のため、多くの同類のために。


2011年01月28日(Fri)▲ページの先頭へ
後ろめたさ
 誓約書か問診票か分からなかったが、現在治療中の病気を書く欄があったから、ぎっくり腰と書いておいた。動作の度に顔をしかめるし、痛いという言葉が自然に出てくるからあちらにもすぐ分かっただろう。おかげでスタッフの人がえらく気を使ってくれて、ゆっくりとした動作でいくつかの検査を受けることが出来た。
親だから後回しにされたのだろうが、頼んでから半年が過ぎた。これだけ放っておいても良いのかと思ったが、受けたくない検査だから、それにかこつけてこちらも敢えてひつこく言わなかった。正月に会った時に、ついに日にちを取るとわれたので、毎日を憂うつに暮らしていた。予約の3日前になってぎっくり腰を起こし、キャンセルするのは忍びなかったので気合いを入れて岡山まで妻に連れられて行った。
自分では内臓も血管系もガタガタだろうと思っていたが、意外とまだ大丈夫らしい。特にいつ血管がつまっても不思議ではないような自覚症状に襲われていたので、この結果には驚いた。今日の結果を境に働き方を考えようと思っていたので、出鼻を挫かれた思いはあるが、健診でセーフと爽快感とは相関関係は成立しないかもしれない。病気ではないが快調ではない、こんな所だろう。恐らく多くの方が同じような辺りでなんとか日々をしのいでいるのだろう。緊張を強いられている現代では、完全な脱力は難しいから、戦いの神経が常に亢進されている。休むことを知らない都会のように、休むことを知らない都会人のように、この田舎で暮らす僕たちまでが、いつも何かと戦っている。
息子にまるで近所のおばさんのように話しかける看護師さんがいた。もう40歳は過ぎているだろう、息子よりはかなり年上だと思うが、その会話に安心した。そう言った人間関係の中で育っているから、そう言った人を、そう言った関係をいつまでも大切にして欲しいと思っている。多くのスタッフの協同で患者一人を救うことの醍醐味をてきぱきと動き回っているスタッフの姿に見る思いがした。
 時間をもてあまして色々な科を順次覗いてみたが、僕たちの日々の仕事とは天地ほどの緊張感の差がある。僕らの仕事はあくまで命に関係のないレベル。彼らはそれに直結した仕事をしている。会うたびに仕事は楽しいと尋ねてしまうのは、想像を絶する緊張感の中で頑張る息子への後ろめたさかもしれない。


2011年01月27日(Thu)▲ページの先頭へ
底力
 数年ぶりにあいつがやってきた。そのせいで、たった1mを歩くのに数秒かかってしまう。調子に乗って働きすぎていたのかもしれない。1日10時間は立ち続けだからかなりの負担が腰に来ていたのだろう。魔女の一撃は薬局の仕事分担に多大の影響をもたらす。ただ前回までとは違って今は若い2人が僕を思いやってくれ、多くの分野をになってくれているから、精神的に追い込まれることはない。寧ろ僕がいない方が漢方の分野で訓練を積むことが出来るだろう。今日も初めての相談者を2人応対してくれた。
学校の二酸化炭素濃度も2人が調べてきてくれている。その結果を見ていると教室内の温度は、石油ストーブを使っていても10℃をやっと超えるくらいだ。こんな話をしていたら、兵庫県の中部?から来て下さる方が、あの辺りでは冬も教室に暖房がないと教えてくれた。何かの間違いだろうと思ったが、と言うのは僕は石油ヒーターでなくて都会はエアコンかなと思って会話を始めたのだから、暖房がないという話が出てくるとは思わなかった。
 その家族の住む街特有のことではなく、意外と兵庫県の都市部は学校に暖房がないらしい。理由がふるっている。鍛錬のためらしい。前世紀の言葉みたいな理由を聞かされるとは思わなかった。前時代的な言葉が理由としてしっくり来ない。寧ろお金がないからなんて言われるとそうかなと納得しそうだが、武士道精神もどきには違和感がある。それよりもよく都会のモンスターなんとかが許すと思うが、意外とその辺りは教育委員会と考え方が似ていたり・・・いや、あり得ないな。半ズボンやスカートから脂肪のない足を出しているのは見るだけで冷えノボセを起こしそうだが、子供は強いのだろう。とても健康によいとは思えないが、それで何の不都合も起こっていないのだから、意外と都市部の子供の方が精神的にも肉体的にも強かったりして。あの環境の悪さを生き抜くのだからどちらも確かに強靱を要求されるのかもしれない。
「今日は寒かったのに先生が暖房を切った」せいぜいこの辺りのモンスターの言い分だが、都会の親を見習わなければならないかも。都会の高校がスポーツが強いのは、単に人を集めてくる能力だけではなく、意外なところで培われた底力があるのかもしれない。


2011年01月26日(Wed)▲ページの先頭へ
先生、お久しぶりです。お元気ですか?
私は、先生のおかげで毎日、普通に生活できています。時々やばいなという時もありますが、こんな日もあるさって思えています。自動車も遠方まではまだ怖いですが普通に乗れています。自動車で先生に会いに行って見てもらおうと思ったりもしたのですが、自動車に乗れていることより今の私の太った体型のほうが先生はびっくりするだろうなと思って・・・(笑)本当に太ってしまいました。白米がとてもおいしいんです。以前は痩せないとって思っていたけれど今は全然(笑)あの苦しい体験をしたからだと思います。ご飯も砂を食べてるようだったのがいまはこんなにおいしい、家事ができることがうれしい、買い物に行けるのが楽しい、人と話せるのがうれしい・・・
この生活全部、先生が取り戻させてくださいました。っていうか新しい人生を作って下さいました。私は今、人生で一番幸せです。お金もないし、いいもの一つもってないけれど、幸せってそんなものじゃないですね。本当にそう思います。おびえて生活していたあの時とくらべれば天国と地獄です。
苦しい日々でしたが、今、どんなひとつひとつのことでもこんなに幸せだと感じられる私は、ラッキーだったのかも・・・と思っています。
最近、私と同じパニックの人がいました。その人は医者の薬漬けみたいです。何だか怖かったです。漢方の話をしたのですが、信じてもらえませんでした。よくなってくれればと思い私の体験を話したら泣いていましたが、薬がないと生活できないそうです。先生のことや漢方薬のことがもっと広まればいいのにと強く思います。
近々、仕事を・・・という話があるのですが、少し迷っています。まだ少し恐怖心があって・・・。もう少し考えて決めようと思います。
とにかく、先生は私の命の恩人です!いつも主人と言ってるんですが、先生に出会えなかったら今、生きてないかもねって・・・。薬を飲まなくてもいいのはいいことだけど、先生の顔を見に行けないのがさみしいねって。
先生も相変わらず、お忙しいと思いますが、くれぐれもお体に気をつけてください。

 僕にとってこれ以上の勲章はない。言葉少なく伏し目がちな目の前の女性を絶対「普通」に戻すぞと会うたびに思っていた。僕にとっても忘れ得ぬ人だ。彼女の回復をつぶさに見せてもらったから、かなりの精神的な困難を抱えている人でも漢方薬でお世話が出来ると今では思っている。彼女を越えそうな人もあれから数人「普通」の生活に戻っていったから、持てるものをすべて動員すれば何とかなると思っている。抱えている困難に押しつぶされた善良が僕には見える。だから僕も頑張れたのだ。此処彼処で覗く善良に、僕が導かれたのかもしれない。下がりがちな日々のモチベーションを上げてくれているのは、明らかに彼女たちだ。人の役に立てるほど自分の存在を認めるのに優るものはない。今度は彼女たちの番だ。



2011年01月25日(Tue)▲ページの先頭へ
移住
「ヤマト薬局様
お世話様になります。薬を頂いて、殆ど飲み終えました。体調の方はお陰様にて大部良くなりました。お腹にガスが溜まるのも少なくなりましたし、腹部の痛みの和らぎ、食事も取れるようになりました。何より変化したのは、便通が今まで硬くてコロコロだったのが、普通の硬さになり、トイレが楽になりました。後はもう少し、お腹の違和感がなくなり、食欲が出るようになって、体重が増えれば幸いです。今度、8月に帰りますので、その時はこうした薬を調剤していただきたいと思っています。その時は、またよろしく御願いいたします。先ずは、御礼致します。そして、同じような患者さんのために、頑張ってください。有難うございました。」
 丁寧な報告を下さったのは、東南アジアで第二の人生を送っている人からだ。今流行りの移住?だと思うのだが詳細は分からない。この方から久し振りに処方依頼があったのだが、正直緊張した。東南アジアへ引っ越しをしていることは知らなかったから、国内みたいに処方を頻繁に調節する事が出来ない。効かない薬をことづければ無意味に飲み続けなければならない。それはお金を頂くのに抵抗があるから絶対避けなければならない。メールによるとまずまず効果があったみたいだから安心した。
今までこのような人生の後半の過ごし方をしている人が身近にいなかったので、その方の暮らしぶりに興味を持った。何処の国でもいいから、僕にもそう言った芸当が出来るのだろうかと思いネットで調べてみたが、いいことばかりを書かれても心配になる。また言葉が通じないから騙されないようにと言うくだりもしばしば出てくるから、これも又不安材料だ。ただ、自分の性格からしたらあり得ないスタイルを築かない限り今の不調を解決する方法はないのだとうすうす気がついている。体力の保証があった数年前までは、この緊張感と少しでもお役に立てているという充実感でそれこそ時間が足りないくらいの生活を確信犯的に送っていたが、今はその原資が枯れてきた。
 「努力、真面目、勤勉を忘れ去って能天気に暖かい地方でぶらんぶらんと遊ぶこと、これが最も効果的です」と偉い先生の文章の中に解決法が書かれていた。丁度薬を取りにベトナムの若い女性がやってきたから「自分の住んでいるところは暖かい?」と国のことを尋ねてみたら「寒い」と答えた。何でやねん、あんなに南の国で!



2011年01月24日(Mon)▲ページの先頭へ
実名
 出来れば実名を挙げて話を進めたいくらいだ。実際に無駄な出費をさせられている人が五万といるはずだから。勿論法律を犯しているわけではなく、見方によっては業界の実力者かもしれない。でも僕の薬局では、いや娘達の目指している薬局でも到底受け入れられる考え方ではない。だから帰ってくるなり成果より先に教えてくれたのだろう。
ある製品を精力的に販売している会社の勉強会に出席したらしい。会合の中でフリートークがあったらしいのだが、娘が質問したのに応えてくれた人の回答が僕の薬局では付いていけないものだった。恐らく沢山販売して、会社にはちやほやされているのだろうが、その実力者らしい人の答えが、若い薬剤師に向かって言う言葉ではなかった。多くの方が何に効くのかハッキリしないと謙遜気味に語ったのとは裏腹に「薬は効かない方がいい」と言ったらしいのだ。僕の薬局では「出来るだけ早く効かす」を唯一の目標に真剣勝負を毎日繰り返しているから、「治らずにダラダラ飲んでくれる薬が理想」とは決して相容れない。恐らく世間から見れば向こう様が立派な実力ある薬局に見えるだろう。何故なら効かないのにずっと飲ませ続けれるのは並大抵の説得力がないと出来ない芸当だから。僕なんかすぐに謝って、処方を調節させてもらう。漢方薬にしたって、症状によっては1日分を出すこともあるから、それこそ効くか効かないかの真剣勝負なのだ。製薬会社の薬を売れば、効かなければその薬のせいに出来るが、自分で作った薬が効かなければ完全にヤマト薬局のせいなのだ。そんなリスクを30年近く背負ってきた。だから目標7割なのだ。7割の方を治さないと、薬局が存続できない。それ以下の治癒率なら衰退していくばかりだ。同じ覚悟を娘夫婦も受け継いでいるらしく、風邪薬など2人で作った薬が風邪の患者の9割の人に飲まれている。そんな覚悟を決めている若者達に例の返答はお粗末すぎる。薬局があれば十分なのに、ドラッグストアが隆盛なのは、そんなつまらない商売を見透かされているからだろう。
 いい薬局を見つけるこつはこれ見よがしに一つの商品を大量陳列していないこと。一つのものですべての症状を網羅できるはずがない。次は薬剤師が不健康そうなこと。本気で薬剤師に徹すると病気になる。難病を標榜していないこと。難病は医師の独壇場でそれ以外の素人が入っていけるはずがない。患者の財布が痩せて薬局のレジが太るのでは申し訳ない。


2011年01月23日(Sun)▲ページの先頭へ
疫学調査
 社会不安障害は1980年の米国精神医学学会において、まれな恐怖症として初めて登場した。米国では12%くらいの人が発病するらしい。もっともこれを病気と捉える人はさすがに少なくて、単なる性格の問題、内気と捉えることが多いからわざわざ病院にかかったりしない。
 ただ海外の疫学調査の結果が気にくわない。社会不安障害を持っている人は、収入が低い、学歴が低い、独身者の割合が多い、離婚者の割合が高い、就業率が低い、離職率が高い、果ては鬱病、アルコール依存を伴うことも多いだって。なんだ要は落ちこぼれって言うことなのか。
 良くしらない人達の前で何かをしようとするときに顕著で持続的な恐怖。恐怖している社会状況のなかで必ず不安が誘発される。いやな状況を回避し続けているなどと今回診断基準が細かく挙げられ、それをクリアした場合のみにパキシルを処方できることになった。こうした通達が出たって事は、今まで安易に出していたって事の裏返しだ。パソコンに向かい、患者の訴えを数分聞いただけで、長い間に築いてきた性格が変わるわけがない。何処まで効くか分からない薬を飲ませ続けられて、患者として生活することもまた新たな不安だろう。単なる個性か、患者か、それを当人は選択しなければならない。
日本では1930年代から対人恐怖症として研究はなされていたらしい。余程人を畏れなければならなかった状況が当時からあったのだと驚くが、戦争前だから天は人の上に人を作って、人の下に人を作ったのだろう。翻って現代でも、天に代わって経済が人の上に人を作り、人の下に人を作っている。何の裏付けのない人達にとって、上記の疫学調査の結果などいわば押しつけられたものだ。個人も社会も寛容が苦手になっている時代に、臆病になったり心が折れたりするのは当然だ。
 僕は社会不安障害は名前の通り、薬ではなく、社会が治すものだと思っている。忘れかけた、いや忘れなければたくましく生き抜くことが出来ない微笑みやユーモア、そして親切、あるいは失敗、あるいは不器用などが治してくれるものだと思っている。


2011年01月22日(Sat)▲ページの先頭へ
底力
 折角ある症状が半分くらいに軽減していた女性が悲しげに入ってきた。またこの1週間でどのくらい改善できているだろうかと楽しみにしていた僕は、一目見ただけで好転しなかったことが分かった。「今週はだめだった?」と尋ねた僕に、「仕方ないです。すごくショックなことがあったんで」と切り出して、詳細を教えてくれた。
実は彼女には同じ頃同じような症状で苦しんでいた友人がいる。どちらも不可思議な症状で悩んでいたらしいが、方や癌で、方や神経症だったらしい。前者は勿論手術を受け、後者は何軒かの医院を訪ね回った後、結局僕の所で改善を見た。勿論後者が今日の主役なのだが、彼女の友人である前者の癌が再発したらしいのだ。それをうち明けられてショックを受けているのだが、僕が感動したのは実はその後の話なのだ。
 再発を他人に話したのは彼女だけで、その理由は、今は地力で通院できるけれど、症状が悪化したり、薬の副作用で通院できなくなったら、病院に送り迎えして欲しいと言うことなのだ。2人に親戚関係があるのではない。同じ集落で近所のよしみなのだ。僕はそこまで他人に要求できて、それを快く受け入れる共同体の底力みたいなものに驚いた。よその町の人だから土地柄を理解できないが、思わずまだそんな人間関係が残っているのと尋ねてしまった。質問の意味がぴんと来なかったくらい、彼女たちにとっては自然な行為なのだ。一人暮らしではないが、老いた義父母には迷惑をかけれないというのだ。いつの時代の光景を見ているのだろうと思うが、現に目の前に心を傷め我が身を傷めている女性がいる。
 家庭の内外の苦労を抱え僕の所に頼ってきた女性がまた一つ大きなものを抱える。「可哀相でいったいどんな話をしたらいいか分からない」唯一の彼女の不安はそれなのだ。送り迎えはやってあげたい。それに関しての不満など全くないのだ。
テレビでは政治家が偉そうな顔をして保身に終始する。あいつらに見せてやりたいと思う、庶民の純情を。


2011年01月21日(Fri)▲ページの先頭へ
高齢者
 田舎にいればごく普通の光景で、お会いする人は高齢の方がダントツ多い。若者は朝早く登校し日中は学校に閉じこめられているから会う機会が少ないのも理由だが、圧倒的に割合が少ないのも事実だ。でも車で繁華街に休日出かけても、田舎と結構似た光景で、嘗てのように若者が闊歩する姿は見られない。数年前まで結構神戸や広島に毎月のように勉強に通っていたが、そこでも高齢の方が電車に沢山乗っている光景を目撃し、こういった生活が便利なのか不便なのか尋ねてみたい衝動に駆られたものだ。
今日届いた情報誌を読んでいたら、東京都リハビリテーション病院の林先生の面白い文章が載っていた。昔、まだ院長先生でない頃講演を聴いたことがある。当時も現場でこそ気づかれた知恵を教授していただいてとても参考になったが、今回もそれにますます経験を上積みされて、力みのない、しかし誰にでもすぐに役に立ちそうな知識が網羅されていた。
 元気高齢者への道10箇条というのがあって、それについて詳しく書いて頂いているのだが、僕のブログの読者はまだまだそんなことが気になる年齢ではないので、その中で僕も常々世代を越えて感じていることと共通の部分が1箇所あったので、披露する。
「主観的健康観を良くする」と言う項目があって、「自分は健康だと信じることが大切です。多少の生活上の不都合や身体の不具合があっても都合の良い部分を認め、健康な部分を見て喜ぶことが大切です。人は感情の動物ですから、前向きの気持ちで生活すると免疫機能が賦活されて病気が軽くなる面もあります」と解説されていた。これは僕が毎日のように目にしているメールによる相談者や薬局においての相談者に返したい言葉だ。特に若者は、苦痛を訴えながらも、僕みたいな年齢のものにとっては夢のまた夢のような体調を保っている。さすがに主訴は気の毒で是非お役に立ちたいと思うが、全体を見ると「なんて元気なんだろう」と羨ましい限りだ。苦痛に耐えろなんて当然職業柄思わない。この症状さえなかったら私は幸せとしばしば口に出してくれる彼ら彼女らの希望を是非叶えたいが、林先生の言われるようにもっと長所に気がついてくれれば、早く改善してもらえるのにとも思う。
 見渡せば4人に1人が高齢者の社会になった。高齢者にとっては住みやすいだろう。圧倒的な割合なのだから。だけどそれを支える若者達に、心や身体に不調を抱えさせてはいけない。これさえなければから、こんなにあると発想の転換が出来れば、思いもかけず「これさえもない」体調になってくれるかもしれない。


2011年01月20日(Thu)▲ページの先頭へ
肩こり
 数年来の強烈な肩こりと同居している僕としては、この記事には納得するし、人前で安易に肩が凝るなんて言えないような気もした。
大阪大学の大平准教授の調査によると、腹が立つことが多い、ウツ症状が続いている、仕事や生活環境に変化があった、経済的に困難な状況にあったなどのストレス要因が肩こりにかかわっているという結果がでたらしい。
 こうして列挙されるとほとんどが当てはまっている。いくら漢方薬を飲んでも僕の場合改善しないのは、これらが大群のように毎日押し寄せているからだ。逆に毎日薬を作ってさしあげている人達が意外と改善するのは、そうしたバックグラウンドが改善されるからなのだろう。先生が推奨する、生活の中の笑いも運動も薬と共に届けるようにしているから、効果があるのかもしれない。数年前までバレーボールをやっていた頃は勿論運動もいっぱいしていたし、吉本新喜劇の数倍笑いが溢れていた。今はどちらもほとんどない。当時も今と同じような疾患の方達に同じように漢方薬を作っていたが、あの至福の数時間でリセットできていたのだろう。腰や首を痛めて激しい運動は出来なくなったし、当時バレーボールをしている最中に機関銃のようにギャグを連発してくれていた人は、自滅して謹慎しているし。
生活環境を変えることは出来ないし、涙が出るほど笑わせてくれる人もいないし、仕事を辞めて東南アジアへでも移住すれば暖かいから肩こりくらいは治るだろうが、存在の意味を失うし。注意散漫の超飽き性なのに、どうして肩だけが凝り性になったのだろうと、なで肩の肩を怒らせる。


2011年01月19日(Wed)▲ページの先頭へ
ケーブルカー
 旅館で同室になった30過ぎの男性と一緒に試験会場に向かった。試験会場は豪華なホテルだった。入り口の所で筆記用具を忘れていることに気がついた。ホテルのボーイに尋ねると近所に文房具店があると教えてくれた。確かにほとんど隣り合わせくらいにひなびた文房具店があった。ところが目に付いたのは薄汚れた鉛筆が、使いさしの鉛筆と一緒にコップの中に無造作に立てられたものだった。これが商品かと思ったが、出てきた中年男性の店主は、それを僕に売りつけようとした。試験に鉛筆を忘れたことを説明すると店主は2本で2500円だと答えた。メチャクチャ高いけれど試験に間に合わないから僕はその値段で買ってホテルの会場に急いだ。会場について整然と並べられた椅子に腰をかけながら、しきりに思った。人の弱みにつけ込んでなんて商売をするんだと、また何で僕は今日薬科大学の入学試験を受けているんだと。そこで毎度のお決まりの悪夢から目が覚めた。 体調が悪いかストレスがたまっているときは必ずこの夢を見る。そしてうなされる。余程あの頃がいやだったのだろう、それ以外の悪夢なんて見ない。しばしば見るのは体調も心調も万全の日なんてないからだろう。いつからかこんな身体やこんな心調やこんな日常になってしまった。安楽な日々なんて思えば子供の時以来なかったのではないか。特別生産性に富んだ仕事や趣味は持てなかったけれどいつも何かをこなすだけで精一杯だった。目の前に降りてくるテーマをこなすだけで、羅針盤などいらなかった。何処に行くかなんて自分では決めることが出来なかったのだから。ただ流れに従って下流に向かっていただけだ。
 人生の頂点がどの辺りに来るのか分からない。人それぞれだろうが僕に関して言えば頂点などなかったみたいだ。牛窓から眺める四国の屋島の如く頂上は低くダラダラといつまでも続いている。転落しても怪我もしないようななだらかな尾根をもう恐らく下っているのだろう。息切れすることもなかった上り坂、気がつかない下り坂、どうせならケーブルカーで安直な登山をすれば良かったと、惜しむものを何も持っていない今の僕は思う。


2011年01月18日(Tue)▲ページの先頭へ
 僕のノートの片隅に書き留めている処方だが使えない。知識だけの処方だ。
 ガンで苦しんでいる人を早く送るための処方と言うが、試す機会はないし試したいとも思わない。叔母が苦しんでいるのを長い間見てきたが、さすがにその処方を思いつくことはなかった。体力を全部出し切るという処方で、そのあげく安らかに逝くことが出来るというものだ。これを試された先生はその効果を体験されて、いい仕事をされたらしくて家族にお礼を言われたそうだが、僕みたいな力不足では到底使うことは出来ないし依頼もない。僕のノートの中でいつまでも幻の処方のままでいるだろう。
 多くの方の依頼で毎日漢方薬を作っているが、僕レベルでは効果が幻にならないように、それだけで必死だ。


2011年01月17日(Mon)▲ページの先頭へ
醜男
 正解のなさそうな政治についてコメントするのは気が引けるが最近の流れについての素朴な感想。全くの素人だし、田舎でのんびり暮らしているから見方が狭いかもしれないが、そう言った前提にまず許しを請うておきたい。
青年期、田舎に帰ってきてまず町の有力者の全員に近い人が自民党の応援者だったことにとてつもない息苦しさを感じた。実力者達も僕の薬局に来てくれる消費者の一員だから、町政に不満を持っていても口には出せなかった。別におべっかの一つも言ったことはなかったが、反論もしたことはない。自分の心情は口には出されない状態がそれこそ政権交代が行われるまで何十年も続いた。政権が交代するかもしれないと言う時期から町民の口が一気に軽くなったことに気がついた。今まで我慢していたことが堰を切らしたように口から出てきた。ああ、この人はこんなに進歩的な考えをしていたのかとか、この人はこんなに正義感に溢れていたのかとか見直すこと、見上げることしきりだった。それに反して勢いを失った嘗ての偉い人の凋落ぶりも手に取るように分かった。僕はその変化を「よい目をする人達の交替」と捉えた。政権交代とは簡単に言えば「長年うまい汁を吸っていた人達が、攻守交代すること」だと感じたのだ。今まで苦汁をなめていた人達がやっと日の目を見れること、逆に今までよい目ばっかりしていた人達が今度は我慢することが政権交代だと思った。
ところが実際はどうだ。夢を語った前首相は、部下の手助けなく失脚し、その失脚を虎視眈々と狙っていたような現首相に交替し、自分が総理大臣でおれることだけを唯一の目的化した執着に国民が翻弄されている。実はこの10年余り、政治の流れはあの憮然としたカメラ写りが最悪の人の思うように進んできたのではないか。見かけの悪さからどんなに正論を繰り返しても、マスコミには揶揄されるが、政治家としての信念のまま進んできたように見える。彼の仕上げの段階になって、嘗て一度だけ貝割れ大根を食べた功績にしがみついている男やテレビ写りだけに興味を持つ女傑に本来持ってもいそうにない正義感を振り回されて窮地に陥らされている。ネタづくりが生活の糧のマスコミは国民のほとんどが関心もない「○○問題」をいつまでも引っ張って商売に励んでいるが、国民はそんな抹消の問題に振り回されるほど生活に余裕はない。
 マニフェストを実現してくれるから入れた1票を返して欲しい。何十年も日の目を見なかった人達に日の目が当たると思って入れた1票を返して欲しい。民主党を出て行けと言われるのは寧ろ今内閣を構成している人達ではないのか。今入閣している人達をいったいどのくらいの国民が支持して投票しただろうか。前回唯一潔癖に信念を貫こうとした大臣が更迭されたとき、実は「市民運動出身」の化けの皮は剥がれ落ちたのだ。今政権にいて心地よさそうな人達がいったいどのくらい票を稼いだつもりなのだろう。恐らく、醜男だけれど愚直なまで政権交代を目指してきた男と不器用に大臣に座っても初心を貫いた男がその多くを稼いだに違いない。
 テレビ写りしか気にしていないような言動が目に付く政治家の中で、そのハンディーを跳ね返して信念を貫いている政治家にこそ僕は期待したい。だって国民のほとんどは日の当たらないところで懸命にその日その日を暮らしているのだ。ふとした幸運にも恵まれることもなく若者は社会に放たれ、壮年は行き場を失い、老人はなけなしの蓄えを切り崩す。あの時政治に少しだけ期待して自嘲しているのが昨今だ。見かけが良く、雄弁、僕はそんなもの信じない。醜男で口べた。それでいいではないか。だって今まで、僕の回りにいる口べたな人に裏切られたことはないのだから。


2011年01月16日(Sun)▲ページの先頭へ
脇道
 その車は横道から僕が走っている主要道に出てきた。形からして食料品を運んでいるトラックだろう。恐らくルート配達の車ではないか。日曜日の朝、いつものコースをいつもの慣れた気持ちで回っていたのだろうが、偶然僕の前を走ることになった。その間1分も走ってはいないのではないかと思うが、突然旗を持って現れた警察官に呼び止められ脇道に誘導された。
僕はかなり制限速度に余裕を持って走っていたが、その車が僕からどんどん遠ざかるような感じには見えなかった。ただスピードの計測器が隠れるように設置されていたから確かに速度オーバーだったのだろうが、極め付きって感じはしなかった。何気ない1日がその人にとってはとんだ幕開けになったのではないか。あのスピードだから悪意はほとんどなかったのだろうが、ほんのちょっとした不注意が1日を曇らせる。誰にでもあることだ。 何もない1日が愛おしくなるほど、日常が険しくなっている。体力も気力も落ちてきた上に、責任や義務が重くのしかかる。夢も希望もないのに歩みを止めることが出来ない。明日の約束を今日破る程の不義理も電線を泣かす風ほど痛くはない。正しくあれ、強くあれと波打つ湖面で水鳥達が激しく揺れる。澄み切った空が讃えられるのなら僕は雨を待つ。じとじとと空気を湿らせる雨を待つ。心を濡らせる雨を待つ。


2011年01月15日(Sat)▲ページの先頭へ
疾走
 2日目は税務署の方もすることがなく、税理士さんと雑談をして帰っていった。その中で興味深い話があった。税務署の方はストレスがないのだろうと言う僕の冗談を受けて、税理士の方が、仲間に早死にをする人が多いという話をされた。同業者だから具体的な仕事ぶりも知っておられたみたいで、どの職業も頑張りすぎ病で寿命を縮める人が多いみたいだ。しかし、頑張るなと言われても性格的に手を抜くのが下手な人が多いから、人生を疾走してしまう人がいるのだろう。
早死にの代表として相撲取り、医者あたりは良く知られていることだが、これからはこれに税理士を加えなければならないのだろうか。僕の回りでは「難病を扱っている漢方薬局」も同様だ。薬局は本来難病など扱うべきでないし、能力的に扱えるわけもない。しかし、時々敢えてそれを標榜する強者がいるからすごいと思う。本気なら身の程知らずだし、冗談なら質が悪い。大学病院が手に負えないものが僕らの肩書きで何とかなるはずもなく、偶然の成果を普遍的な症例にしてしまう横暴は許されない。
 どの世界でもカリスマがいて、世間の注目を浴びるが、カリスマを通して本質を見てもらうことは出来ない。もくもくと地道に、功を焦らず毎日を過ごしているのがほとんどの漢方薬局だと思っている。いや、薬局だけではなく他の職業も同じだ。ちまたに溢れている僕らはカリスマどころか、フスマみたいなものだ。人間の厚みにしたって重みにしたって薄くて軽い。


2011年01月14日(Fri)▲ページの先頭へ
職業
 1枚の紙の中に数カ所、住所と薬局名と僕の名前を書いて印鑑を押した。そして理由欄と言うところに「失念」と書いて下さいと言われた。最初滅多に使わない言葉だから意味が良く分からずに「失恋?」と聞き返したが、税務署の書類にまさか失恋はないだろうと、失念に考えが至りそう書いた。書きながら余り意味もぴんと来なかった。僕は完全に無知で犯した失敗だから「無知」と書きたかったが、書きようによっては訂正の金額に差が付くことを教えてもらい、不本意ながら失念と書いた。
昨日から税務署の査定?を受けた。別に悪いことをしているのではなく、15年も税務署が調べに来ていないからもうそろそろですと税理士さんが教えてくれた。お金の面で悪いことをするだけの知識がないから、ただひたすら働いて、経理は妻と税理士さんに任せている。僕の給料を何十年も見たことがないが、日曜日の昼ご飯代をもらえれば別に不自由もしない。もっとも最近はコンビニでおにぎりを二つ買うだけだから、500円ももらえれば足りるのだが。
税務署の人が初日訪ねてきて、この種の人の世話をしたことがないことに気がついた。余程ストレスがない職業ですねと言うとそうでもないらしい。幸せそうな温厚そうな顔をしている人だったから余計にそう見えたのかも知れないが、実際には自宅の電話番号を公表できないくらいのストレスはあるみたいだ。与えるのではなく、取る職業だから仕方ないのかもしれないが、出来れば穏やかに生活したいものだ。壊すよりは作る方を、責めるよりは許す方を選択すれば心穏やかに職責を全うできるのかもしれないと、もくもくと作業をするその人を見ていて思った。


2011年01月13日(Thu)▲ページの先頭へ
高貴
 大学病院の先生に「もうこの子は学校に行くことは出来ないでしょう」と言われていたことを今日お母さんから初めて教えてもらった。ではこの僕が丁度1ヶ月漢方薬を飲んでもらって冬休み明けから完全に登校しているのはなんだろうと思う。漢方薬を飲んでもらったのは12月の9日からだからまだ1ヶ月あまりだ。
このお子さんの相談にお母さんが来られ教えて頂いた症状は、頭痛、フラフラする、腹痛、光がまぶしい、臭いが鼻につく、悪夢を見る、冷えのぼせ、登校前に下痢をする、やる気、根気、元気がないだった。最初かかった医院で抗ウツ薬を渡されお母さんがびっくりして大学病院に行ったらしいのだが、所詮僕は起立性調節障害でしかないと思った。だからいつものように簡単に引き受けて漢方薬を作ったのだが、当然よく効いてくれた。どうして立派な先生が「もう学校には行けないでしょう」と言われたのか良く分からないが、こう言ったときには僕みたいな程度の低い方が役に立てるのかもしれない。薬局は難しい検査も出来ないから、ただ元気にしてあげれば治ると思ったのだ。単純と言えば単純だが、30年も人を見てきていれば検査では証明できないことも分かることがある。
 あのまま病院にかかっていればそのお子さんは、ずっと不登校のままだったのだろうか。そうしてみると僕はとんでもない大事業をしたことになるが、漢方薬が分かっている人なら誰でも出来る程度のことだ。ただ、この漢方をやっている人というのがずいぶんと減ってきて、残っている人の中でも真面目に謙遜に取り組んでいる人と、神懸かり的な商売熱心な人とに別れている。漢方薬の高騰で将来お金持ちしか飲めなくなる可能性があるから、神懸かり的なところはますます繁盛し、そうでないところも、自分を殺してプライドを捨て、慣れない高貴なお方ばかりを応対しなければならない時代が来るかもしれない。どこにでもいる人を、どこにでもいるような人間が漢方薬を使って治すという当たり前の光景が近い将来なくなる危険性がある。僕もその時に備えて、ネクタイの結び方を覚えて、ざあます言葉を覚えて、ごますりを覚えて、お金の臭いを覚えて準備しておかなければならない。そしてそのあげく本性を見抜かれたときは「身に覚えがありません」と言う言葉も覚えておかなければならない。


2011年01月12日(Wed)▲ページの先頭へ
後発
 開口一番「歳をとったなあ」と、なんという挨拶かと思うが、20年も会っていなければ当たり前だろう。そう言う人に限って自分は変わっていないと思うのだろうか、「お宅もずいぶんと歳取ったね」には意外と弱くて顔が引きつったりすることもある。僕は意地が悪いほうだから必ず返り討ちに会わせるようにしている。
嘗て備前焼をやっていた彼がそれこそその挨拶と共に入ってきた。当時色々な人が僕の回りにはいて、そのほとんどが外部からの人達だったが、彼もそのうちの一人だった。備前焼がバブルと共に、僕に言わせればバブルのようにと言うほうが合っているように思うが、有名になり突然有名作家と言われる人が現れ(作られ)、小さな器に車より高い値段が付けられていた時代だった。そんな夢のような良い時代を追って作家を目指して若者が備前に集まった。ところが公害問題でご当地に釜を築くことが出来ない人が続出して、隣町の牛窓に流れてきた人達の中の彼は一人だった。色々な新人作家と出会ったが、ほんのちょっとしたデビュー時期のずれで、経済的には巷言われているような冨は築けなかったみたいだ。師匠について下積み修行をした人と陶芸学校を出て釜をすぐに持った人などの軋轢も聞こえてきた。門外漢の僕はそう言った経緯は分からないが、気の合う若手の作家達と付き合っていた。ところがやはりここでも僕は類を呼んでしまうのか、誰も大成しなかった。財を築くことはおろか、生活も結構苦しくて、備前焼そのものを辞めた人も多い。さすがに芸術家肌の人が多くて個性は豊かだったけれど、生活者としてはたくましくはなかった。夢を追い求める土壌が周回遅れの若手には残酷だった。いい目をした人達と彼らとの間に、どの程度の作品の差があるのか分からなかったが、百貨店の展示場にはなかなか彼らの作品は並ばなかった。作品の出来不出来より、、ネームバリューばかりがもてはやされるようにしか見えなかったが、単なるそれはひいき目で、素人の入っていける領域ではないのだろう。
どの業界でも最初に始めた人は立派で、当然財も築くのだが、後発組は少しのおこぼれを頂戴する程度だ。開拓者と物まねが同じ評価では浮かばれないから当然だが、なかなかパイオニアにはなれない。彼は備前焼を辞めて堅気の仕事についていたが、また焼き物を始めたらしくて、当時余り評価をしていなかった塗り物を使った作品を持ってきてくれた。感銘を受けるような作品には見えず「これお皿みたいだけれど使ってもいいの?」と思わず尋ねた。芸術作品か実用品か分からなかったから。何焼きとも説明がなかったから、独自の境地を開いたのかもしれないが、どう見ても開拓者には見えなかった。ますます、上手くいかない人が似合っているように見えたが、向こうもまた僕を見て同じ事を思っているかも知れない。でも返り討ちに会いたくなかったのでそのお皿は丁寧にお礼を言ってもらっておいた。「これ何年待っていたら価値が出る?」この程度ならいいか。


2011年01月11日(Tue)▲ページの先頭へ
 潰瘍持ちの遠くの女性が、僕の所に来れなかったから、ドラッグストアで胃薬を買ったそうだ。残念ながら効かなかったので、仕事を抜けてわざわざ今日取りに来た。これで一安心なのだが、彼女が面白いことを教えてくれた。
 症状を言うと店員さんが薬を選んでくれて「効かないと思います」と言ったそうだ。正直な店員さんだが、彼女は胃痛が辛いので「そんなことを言わないで効くと言って」と頼んだそうなのだが、嘘は言えないのか結局安心できる言葉はもらえなかったらしい。そこで彼女は考えて「絶対効く、絶対効く」と言い聞かせながら数日飲んだらしいが、やはり本当に効かなくてやむにやまれず2時間近くかけて来てくれた。潰瘍の原因は酒、タバコ、ストレス全部そろっていて、どれも自分から抜け出そうとはしない強者なのだが、それでも自分で言い聞かせて解放されたい一心さがなんとも愛おしい。
 潰瘍を患っても不思議ではないくらいの環境にいる人だが、それでも懸命に生きている。そんな人が僕の所には多くて、簡単に症状をとってあげることを僕自身が訓練されたようなものだ。病院に行けば優等生の医師から教科書的な指導を受けるから辛いのだ。幾多の挫折を経験した医師とならうち解けるだろうと思うが、なにぶん医師は多忙すぎて彼女の背景までは想いを致さない。見るからにドロップアウトしていそうな輩は、そうしたハンディーまでもがつきまとってくる。彼女らの純情に触れるとき薬剤師冥利に尽きるのだが、それもまた暇な薬局の特権かもしれない。
不況でドラッグストアも苦戦しているらしいが、正直すぎる店員さんと彼女とアウトロー的な薬剤師と面白いトライアングルだと思った。会話一つでつながる鎖もなかなか面白い。


2011年01月10日(Mon)▲ページの先頭へ
江戸時代
 成人式を迎えた人達に対するアンケートで、70%以上の人が交際相手を持っていないと回答していた。現在だけではなく、過去にもそう言った相手がいない人も多かった。これをもって世も末かと嘆くことはない。アンケートをとった意図がなにか知らないが色々な煩わしさから逃げるのは悪いことではない。恋愛で今あるそこそこの幸せを一気に失うことも往々にしてある。相手が出来たばっかりに不幸のどん底に落ちている人も、またそれらによる事件も後を絶たない。典型的な家族構成でなくても、最低限の社会保障も受けられるだろうから、カップルである必要もないのだ。人が一人で生きていくためのものは、社会がちゃんと用意してくれた。一人で生きていくための環境は、企業がちゃんとビジネスチャンスとして捉えて整えてくれた。一人部屋にいても、福山雅治に恋もできるし、綾瀬はるかにも恋することが出来るのだ。自分の周りを見回しても、福山雅治に優る格好いい男性もいないし、綾瀬はるかに優る美人もいない。2人に比べれば僕ら普通の人間は通信簿の1くらいなものだ。1+1が0.5になるなら何も相手を求めることはない。自由に気ままに暮らせばいいのだ。少しばかりの労働と、少しばかりの楽しみと、少しばかりの善意があれば誰にも後ろ指をさされることはない。もう少し時間がたてば日本こそが新しい社会の構成を世界中に示す時が来るだろう。かなりの人が一人で暮らし、人口がどんどん減っていく。それはそれでいいのではないか。健全な山野が復活してゆっくりとした時間を過ごすことが出来たなら、みんなで踏むブレーキも悪くはない。いくら働いても達成感がなくなった世代と、それを見てうんざりしている世代の一斉の意思表示なのだ。何も憂う事はない、電車が走り、パソコンを操り、携帯電話をかける江戸時代も悪くはない。そこかしこに仁がいて咲様がいる社会なんて夢のようではないか。


2011年01月09日(Sun)▲ページの先頭へ
真似事
 新年会を兼ねた漢方の勉強会で、都会の薬局の愁いを聞いた。実力ナンバーワンの先生の話だが、一般的な薬局の実情にも詳しく、漢方薬とは縁のない話も参考になった。
都会の話をそのまま田舎に当てはめることが出来ないと言う点が、皮肉にも一番の救いだった。田舎のハンディーが意外とハンディーでないような気もしたし、それだからこそ助けられている点が多々あることを知った。
 都会の人は経済的に余裕のある人が多いのだろうと言う漠然とした思い込みは実際にはそうではなく、意外と厳しい人が多いそうだ。田舎のように飲み屋も何もないところだったら無駄な出費がないから、また持ち家が多いから差し引きするとひょっとしたら同じくらいの可処分所得だったりするかも。例えば、薬を門前薬局で出している医院と、自分の医院で出しているところでは、前者は患者が減り、後者は増えているらしい。2度手間になる上に出費が1000円くらい増えれば当然のことだろう。いつも同じ薬を出されているのに投薬指導なんかいらないと言うことだ。景気がよい時代ならいざ知らず、少しでも倹約しようと言う時代だから当然ターゲットにされる。また薬局での買い物でも値切る人が結構いるらしい。僕の薬局では薬を値切られると言うことは、僕の努力を値切られると言うことだから絶対に受け付けないが、幸いにも1年に一人もそんな人が来ないから精神的に救われている。誰でも飲んでいただける値段設定にしていることもあるだろうが、人間関係が一番の理由だろう。
 昨日、東南アジアの若い女性が皮膚病の相談に来た。話しているうちに毎日痔の出血があるという。すでに貧血も始まっている。皮膚病薬を出した後、頼まれていない痔の薬も付けて1400円もらった。2週間分だ。彼女は「安いですねえ」と不思議な顔をした。僕はだいたいの彼女たちの給料も知っているし、国の生活水準も知っている。一杯お金を持って帰って欲しいと思ったし、痔出血をしているのにその薬が欲しいと言わないことを不憫に思った。症状を聞いてしまってそれに対する手当をしてあげれないのは辛いから、独断で痔の薬を渡したのだ。田舎で多くを稼がなくても生活できるからこうしたことも出来る。こうした善意の真似事で、薬局の中にちょっとした温かい風が吹けば、厳冬もまた楽し。 


2011年01月08日(Sat)▲ページの先頭へ
線引き
 若いのにこんなに頻繁に頭痛薬を飲まなければならないのは気の毒だ。嘗て事故などに遭遇してむち打ちにでもなっているのだろうかと勝手に想像していたが、敢えて原因を尋ねるようなことはしなかった。数年前突然やって来るようになって、来るたびに同じ薬を出している。
ある日、彼がお母さんと一緒にやってきた。お子さん、お母さんからすると孫に当たるのだが、の風邪薬を取りに来たのだが、その時点で初めてその男性の素性が分かった。嘗て彼が飲んでいるのと全く同じ頭痛薬を彼のお父さんがしばしば取りに来ていたのだ。それこそ定期便のように来ていた。20年とは言わないつき合いだったが、これも又頭痛について詳しく尋ねたことはない。ただ、その一つの薬をひたすら取りに来て、雑談をしては帰っていった。
 頭痛薬のヘビーユーザーは意外と多くて、何処の薬局にもなじみはいるのではないか。常識的に言えば、薬剤性の頭痛も疑って一度病院に紹介すべしと言うのが正しいのだろうが、彼らはもうとっくに病院などはハシゴしていて、頭痛薬中毒もほとんど病院でなった人ばかりだ。だから彼らに、一度病院で診てもらったらなんて禁句なのだ。今ある苦痛をとることの方が彼らには大切なのだ。
悲しいかな、親と似た不快症状を受け継ぐ人は多い。良いところも一杯もらっているのだろうがそれは当たり前のことだから悪いところばかりが目立つ。遺伝と言ってしまえばそれだけだが、2代続けてその非生産的な薬を取りに来られたりしたら割り切れない思いがする。ただ、正しいこととなすべきことは時として異なる。その場合教条的に正しいことを選択すればいいのならこんなにたやすいことはない。ところが僕たち田舎の人間は、共に暮らしている部分が多くて、線引きにも色々な基準を持たなければならない。都会の偉い人が机の前で決めたことで、健康も平穏も約束されない。塩っ辛い風が吹いて初めてつながる人と人もいる。


2011年01月07日(Fri)▲ページの先頭へ
勝負あり
 もう数回、漢方薬を取りに来ている30過ぎの女性が腰をかけるなり、この2週間の状態の変化を説明してくれはじめた。ところがその途中で、電話での相談が入った。運良く電話相談はすぐに終わったので事務所から薬局に戻ってくるとさっきの女性が携帯電話をしきりに操作していた。薬局を閉める前なのに制服姿でいつもやって来るくらいの女性だから、さぞかし忙しい仕事についているのだろうと推察して、メールを打ち終わるまで僕は待つことにした。電話相談はほんの1,2分だったから、瞬時を惜しむ姿に、今の若者達の働かされ過ぎの一端を見た思いがした。じっと待っている僕に女性が気がついてごめんなさいと言ってくれたので「いいよ、そのまま続けて。でも忙しいんだね、瞬時を惜しんでメールをやりとりするんだ」と言うと、「いいんです、モバゲイしているだけですから」と笑って答えた。「なんじゃそりゃあ、打ち首獄門にするぞ」「絞め殺してやろうか」「たたき切るぞ」普段だいたいこの3つを用意して落ちに使うのだけれど、どれも実際には口から出なかった。今僕が一番嫌いな宣伝のあの「大人のモバゲイ」を地でいっている人がまさに目の前にいたのだ。ある意味衝撃的な光景だった。してやったりと会社の人間は思っているだろう。彼女が特別なのではなく、全国では何百万人の人が同じように行動しているのだろう。携帯電話を顔に近づけ小さな画面に釘付けになっている光景は一種鬼気迫るものがある。優しい表情の温厚な女性なのだが、ここまで熱中している顔は見たことがなかった。心はギャンブラーなのか。いや、今はゲーマーとでも言うのだろうか。
 もうこれは勝負あったりだ。ごく一部のIT起業家の勝ち。軍配は上がった。負けたのは国民。その勝負に協力したのは多くの従業員と宣伝に登場するタレント達。プログラマー達は時代にマッチした能力をゲームに花開かせたのだろうが、その貢献が何か他の生産的なものだったらと思うのはアナログ世代の感傷なのだろうか。何百万人もの人が一斉に小さな画面に向かい小さなボタンを押している姿が、嘗てタバコをくわえ、身体をよじり、もくもくとパチンコのバネを弾いていた人種より進歩しているとは思えない。少なくともバスに乗り、歩いて通わなければならなかった当時より、時間も場所も選ばない便利さがより薄気味悪い。
会計の時も画面を見ていた女性は、嘗ての僕よりは数段品も経済力もありそうだ。これらの人をこんなに虜にするプログラマーの人に賞賛は惜しまないが、何か違う、何か違うと頭上で切れかけた蛍光灯がつぶやいていた。


2011年01月06日(Thu)▲ページの先頭へ
年賀状
 「最近また、よく唄っています。店の蔵でライブをしませんか」いったい何歳の人が何歳の人間に送っているのだろうと言うような内容の年賀状をもらった。嘗て大学で徹底的に落ちぶれた3人組の中の1人なのだが、どうもまだあの時のままで生きているらしい。風の便りに聞こえてくるのは、時計の針を全く進めていない生活ぶりだ。
僕に優るアナログだと数年前に突然訪ねてきてくれた後輩が教えてくれたから、まさか彼がやっている絵本屋さんがインターネット上に出ているとは思わなかったが、蔵と言う言葉に引っかかって検索してみたら、なんとちゃんとホームページが作られているではないか。ただ1ページの表紙だけだったが、ユーチューブの動画が貼り付けられていて、店内をお客さんの視線で眺めるように撮られていた。
本来的にはとても優しい人だったように思う。薬剤師としての才能も価値も持ち合わせていなかったから、絵本屋さんをしていると聞いたときにはなるほどなあと思った。似合っているとは思わなかったが、薬剤師としてよりは遙かに存在価値があるように思った。人なつっこい性格が幸いして沢山のフォーク歌手と知り合っているみたいで、彼が古い蔵を手に入れて、そこでライブをするってのは必然のような気がした。「安住の地を求めて」移り住んだらしいが、住処としてだけではなく、心の安住の地でもあるのだろう。夢を叶えたのかなとも思ったが、彼の夢を聞いたこともないし、もう10年以上も会っていないから実際の所は分からない。
唄もギターも取り立てて上手だとは思わなかったが、フォークソングの好きさでは別格だった。同じように行動していたのに、彼は並々ならぬこだわりを維持し続けている。そして全国には、同じようにその世界から抜け出さない(抜け出せれないではない)熱烈なファンが多く未だいることも最近知った。ひょんなことで昨年、それこそ何十年ぶりに僕も人前で唄ったが、遠回りして彼の所に帰ったのではなく、ほとんどニアミスに近い状態だと思う。僕が偶然唄ったことなど彼は知るはずもなく、「蔵でライブしないか」と誘ってくるのは、あの頃の僕の残像が蔵で見つけたシミに似ていたのかもしれない。あの頃の彼はいても、あの頃の僕はいないのに。


2011年01月05日(Wed)▲ページの先頭へ
床暖房
 面倒だから、スリッパを履かずに上がり込んだのだが、すぐに足の裏が温かいことに気がついた。これがかの有名な床暖房かと尋ねたらやはりそうだった。何処まで温かいのだろうと足を滑らして歩き回ると階段の上がり口まで温かかった。リビングとキッチンに床暖房が張り巡らされているらしい。数時間そこにいたのだが、足の裏が暖まるだけで寒さに対しての抵抗がかなり軽減されることを実感した。下手にエアコンをつけられると温かすぎて気持ちが悪いくらいだった。
心臓から遠いところ、まして心臓から下は確かに暖まりにくい。特に大人は足が長いからその間で血液が冷えて、身体全体を冷やしてしまう。そう言った意味では、一番冷えるところを温めるのだから健康面では理にかなっている。どのくらいの費用を上積みすればその設備を備えられるのか分からないが、まさかまだ標準装備とは言えないのではないか。よその家にお邪魔する機会が少ないから、初めての経験だったが、薬局で毎日沢山の人との会話する中でその設備の話が出てきた経験は今のところない。
真冬なのに上着を着てはおれない。薄着とまではいかないが、1枚分の服は我が家より着なくてすむ。これだけ快適に暮らせれば自然への抵抗力は養われにくいだろう。快適で得るものは大きいが、失うものも恐らくある。そしてその中で一番大きいものは、その快適さの何分の一すら手に入れれない人達が社会にはわんさといて、色々な不快に、色々な苦痛に日々耐えている人達がいることに思いが至らないと言う点だろう。幸せに、幸運に水を差すつもりは全くないが、お金では決して手に入らないものたちに価値を感じられる人であり続けて欲しい。


細々
 甥に漢方薬を大学で勉強するのと尋ねると、なんかそんな授業があったような気がすると答えた。余りぴんと来ないらしくて、薬理学の中の一こまであったかなあと言うくらいの印象で、どんなことを勉強したのと聞くと「なんか4つの要素で出来ているというような話だった」と漠然とした答えで、どう見ても建前でやっているくらいの内容だとこちらは理解した。4つの要素と言いながら具体的には言わなかったから、どうせ余り本気で聞いていないのだろう。僕もその4つの要素が何か分からないから、それ以上話を進めなかった。若い医者は漢方を学んで出てきていると言うけれど、まだこの程度だと理解した。個人的な興味で深く掘り下げて勉強する人を除いては、彼の程度がいたって標準なのだろう。
 と言うのは漢方の相談に来る人はほとんど病院の薬を飲んでいて、その前提で薬を作る。神経質な人はその薬を医師に見せるのだが、必ずしも、特に年齢の高い医師は好意的ではない。彼らが全く漢方薬について知識がないからだろうと思っていたが、医師の卵に尋ねてみても、若い医師が必ずしも漢方薬に精通しているって事もないことが分かった。気・血・水や陰陽五行の簡単な尺度は学ぶのだろうが、そんなもの漢方薬の知識の氷山の一角にもなり得ない。若い医師から闇雲に漢方治療を否定されることがないから、知識が増えたのかと思っていたら、自分たちが授業を受けた医学を否定することが出来ないと言う意味だと分かった。勿論僕たちとしてはそれで十分なのだ。折角改善していた人が、医師のささやきで治療を断念しないといけなくなる人も多い。もったいないなと思いながらも、格段に信頼度の低いこちらは諦めなければならない。苦々しい体験はこちらが腕を上げるに従って増えてきた。
 レアアースの次は漢方薬とも言われている。大切な資源だから国産でまかなえるようになるまで無駄に使ってはおれない。必要な人だけに正しくってのが大原則だ。売らんが為の法律違反すれすれのコマーシャルなんてもってのほかだ。又点数稼ぎの保険診療も又もってのほかだ。所詮地味な医療だから、細々と続けていくくらいが一番いい。




2011年01月03日(Mon)▲ページの先頭へ
変質
 何を思ったのか会計がすんだ後、「ちょっと待ってよ」と言い残して慌てて薬局の外に出ていった。すぐに戻ってきたのだが、手には新聞紙に包んだものを持っていた。「さっき掘ってきたんじゃけれど、クワイとレンコン、食べて頂戴」と、辛うじて残っている数本の前歯を見せながら照れくさそうに笑った。レンコンは分かったけれど、クワイが分からなかったからその場で新聞紙を広げてみると、なるほど正月のおせち料理に見る芋みたいな野菜だった。大晦日の午後の出来事だったので、おせち料理に間に合うように持ってきてくれたのかもしれない。
そもそも僕は彼の名前も、どこに住んでいるのかも知らない。もう10年来、月に1度くらい潰瘍の薬を取りに来るのだが、これから家を出るから用意しておいてと電話で連絡をしてきてから来るまでにかなり時間がかかるので、市外であることだけは確かだ。色黒で痩せて、先にも述べたが、笑った口の中の前歯の数が瞬時に数えられるくらいだから、人相はかなり悪い。ただ顔をくしゃくしゃにして笑うときには、その人の本来の姿を表すようで、僕の好きなタイプだ。人見知りの気弱さを、威喝さでごまかしているようなものでこちらには丸見えだ。貧血で倒れそうな吐血をしても僕の所に潰瘍の薬を取りに来るくらいだから、何か病院に行けない理由があるのだろう。だから僕は名前も住所も聞かない。入っていってはいけない領域があるのだろうと勝手に思っている。
 「うちの畑で掘ってきたんよ」と言うが、百姓の片鱗は全く感じない。いつかマスク姿で来たときにビルの解体の途中抜け出してきたと言っていたことがあるから、恐らくその種の職業なのだろう。レンコンは先を見通す、クワイは芽が出ると縁起を担ぐ野菜がおせち料理に好まれるらしいが、果たしてそれを知ってのことか知らずのことか分からないが、僕より自分が食った方がいいのではないかと年納めのギャグでまとめたかったが、持ってくる理由もない関係なのにわざわざ持ってきてくれたことに感謝して、丁重にお礼を言った。
いみじくも今日あるところで、工務店の半分は銀行が見放したら即倒産ですよと話してくれた人がいた。その職種にあまり縁がないので、そんなものかと思って聞いていたが、こんな不景気な時代でも芽も出るし、先も見通せれるのは大きな企業だけか。頑張ってきた人が少しずつ着実に脱落していっているのが現在の姿かもしれない。レンコンは怨恨に、クワイは恐いに、庶民の重箱の中で変質している。


2011年01月02日(Sun)▲ページの先頭へ
気配
 あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。m(__)m
お陰さまで、楽しいお休みを満喫しております。去年、初めて大和先生にメールしたのも大みそかと、お正月でした。去年の不安な私はもういません。大和先生の言う通り、お腹が昔の感じ(不快感がない)状態の時がでてくるようになったので力まずにがんばります?ね。今日の調子ですが、初日の出、買い物と沢山歩き回ったお陰で、快便です。おせちを食べ過ぎ、ガスは沢山でているのですが、(汗)気持ちよく出ているので、問題なしです。

会社の仕事納めの食事会(お昼)も腹痛がなく、とても楽しく過ごすことができました。
お腹の事を何も考えない幸せ。早く取り戻したいです。そうしたら、またハワイや、外食、お茶、ディズニーランド、習い事、新幹線にも乗りたいな。仕事も、もっと頑張りたいです。今日の○○区の富士山の写真とおせちの写真を添付しました♪

 添付してくれた富士山の写真が、とても身近に写っているから、麓で撮った写真かと思ったが、○○区から撮ったと説明してあるから、明らかに横浜市から撮られた写真だろう。数年前、山梨県の若い女性に薬を送っていた時に、同じように富士山の写真を送ってきてくれたが、それと迫力において遜色ないように感じた。横浜からこんなに富士山が近くに見えるとは知らなかったが、それだけ富士山が大きいと言うことなのだろう。遠くの方にほんの少しかすかに見える程度と勝手に決め込んでいた。だいたいよその県から山が見えるなんてこの辺りでは想像できないことなのだ。それだけでも僕にとっては価値あるメールだったのだが、それ以上に、彼女の落ち着いた過敏性腸症候群への対処の仕方に安心した。ここまで冷静に自分の症状を客観的に眺め、考えられれば、あとは体が自然な動きを覚えて次第に治ってしまう。不自然は正しく対処すれば自然になる。元々の構造が悪いのではなく、働き方が如何にも不自然なのだから、当然治るべきものなのだ。
昨日スーパーでなまこを見つけて買った。昔は祖父が海からとってきてさばいてくれていたのだが、今はスーパーですぐに食べられるようにして売られている。早速買って夕食に食べたが、その他のおかずはいらないくらい美味しい。写真で送られてきたおせち料理に比べればなんて貧困な食卓だろうと思うが、そう言った素材で育っているのだから仕方がない。出来ればおせちは写真ではなく本物を送ってきて欲しかった。富士山は本物とはいかないだろうが。
 難しいことは考えない3日間にしようと決めていた。ある所でたわいないお喋りを楽しんだが、完全には緊張はとれてはいない。それどころかもう1日で緊張をとらなければと緊張してきた。僕の先輩が、もう15年医者をしなければならないと年賀状に書いていた。お互い勉強だけしなかった学生時代のツケを払う運命か、大したことはしていないのによく働かされている。いつか又当時の怠惰の極みを極めてみたい。その道では自信があったのに道を間違って堅気の世界に戻ったものだからまるでボクサーのように身体を丸めて戦っている。戦う相手もいないのに鏡の裏側の気配に脅かされている。


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