栄町ヤマト薬局 - 2011

漢方薬局の日常の出来事




2011年12月31日(Sat)▲ページの先頭へ
褒美
 身体も古いが、考え方も結構古くて、その年に誰の薬を最初に作ったとか、最後に作ったとかは気になる。それで何かが占えるわけではないが、何となく験を担いでしまう。
そう言った意味で、今年最後の県外の方の薬は過敏性腸症候群の薬だし、来店してくれた方の薬は鬱(ウツウツ)だったから、何となくいい終わり方になった。どちらも今の僕の薬剤師としてのモチベーションを高めてくれている疾患だ。田舎の薬局だから、骨格系の痛みの患者さんが圧倒的に多いのだが、上の二つも恐らく都会の薬局なんかには負けない数の人達が訪ねてきてくれていると思う。同根の素因を持つ疾患だから、症状が重複していることも多く、僕の作る漢方薬で二つが並行して改善して貰えることも多い。
初日の出も見ない僕が、一昨日東の空に巨大なオレンジ色の太陽が昇ってきたのを見た。元旦の朝に見れば思わず手を合わせたくなるのかもしれないが、その大きさに驚いて、ありもしない科学の知識を動員したが、驚き以上の解釈は出来なかった。昇る陽に希望を感じることはなかったが、希望を持たないことこそが生き抜くに必要な時代になったのではないかと思ったりした。絆などと美しい言葉が飛び交ったが、そんな言葉の一欠片も落ちて来ないところで暮らしている人は、あの日の前も後も同じ数だけいる。世の中がまさかより不幸を求めているのではないだろうが、身の丈を知り、目の届く、手の届く範囲での気恥ずかしいくらいの善意で許してもらいたい。
 いずれ医療の世界に入っていく若き女性が、2週間分の僕の漢方薬であの世界を脱出しつつある。とても嬉しい報告をご両親から聞いて今年一年を締めくくることが出来た。よし、今夜は今年一年の自分へのご褒美に養命酒を20ml飲んで食欲を出そう。


2011年12月30日(Fri)▲ページの先頭へ
雨宿り
 元々夢などなかったから、何も叶ってはいないのだけれど、不幸感がないのは誰にも媚びずに生きてきたおかげだと思う。尊敬する人は少々、軽蔑する人も少々巡り会ってきたけれど、尊敬するのに媚びはいらない。そのくらいだから経済を媒体にして、何か利益をもたらせてくれそうな人にも全く媚びなかった。だから誰もお金にまつわることで僕に益をもたらしてくれた人はいない。それどころかそう言った会話は誰ともしたことがない。
 誰にも媚びないから価値観を偽ることも曲げることも必要なかった。このことは人生に結構大きな影響をもたらすと思う。それこそ本当に生きるのが楽なのだ。自分の思っているとおりに行動し、結果は当然自分で引き受ける。当たり前のことだが、この当たり前が身に付いていてくれたことは大きかった。
 大きなことを目論んで、例え大きなことを為し遂げても、行き着くところは同じだと思ってしまう。そう思ってしまうから、自分を変えてまで何かを企もうとは思わない。ほんのちょっとしたことで喜ばれ、ほんのちょっとしたことで哀しまれ、それで十分だと思う。偉人がいなくなっても、凡人がいなくなっても、山は山であり続けるし、川は下流に向かって流れ続ける。何もなかったかのように、海も波を静かに立て続けるだろう。人生なんて所詮軒下の雨宿りと思えば、重たすぎる雨を忌むのも又良い。


2011年12月29日(Thu)▲ページの先頭へ
原点
薬剤師兼医師の先輩へ

 電話では詳細が分からなかったので、あのような返事をしましたが、こうして状況を詳しく教えてもらえば、桃核承気湯で下痢をさせたり、じわっと逝ってもらえる薬を処方したりするより、一気にその場で首を絞めて葬送(おくり)だすのが最善の道だったのではないかと思います。うまく利用されたときの憤慨は誰もが共通です。よく朝の7時半まで我慢できましたね。僕なら深夜便です。彼は薬剤師と言うより、何処にでもいる患者と同じです。専門知識は恐らくないのでしょう。最早大企業の経営者でしかありませんから、
同級生と言えども、○○さんにはほとんど、部下に接するのと同じ感情しか持っていなかったと思われます。従業員が何千人いるのか知りませんが、恐らく自由にあごで使える人達ばかりでしょうから、その態度が身に付いてしまっているのでしょう。大学時代余りつき合いがなかったそうですが、今回のエピソードを聞くと接点が生まれていた方が不自然です。
 そもそもドラッグストアは僕に言わせれば、人間の身体を薬という化学薬品の最終処分場にしているような業種です。不必要に消費を煽り、体内に捨てるのですからかなりあくどいです。素人が自分で選択して治療できるわけがありません。田舎の小さな薬局のひがみかもしれませんが、恐らく確実に治療している人間の数はドラッグストア100店分より僕の方が多いでしょう。
 今度のことでもう一つびっくりしたのは、やはり医者って医学的な気配りが繊細だってことです。僕は電話で話したように圧倒的に医者の知識の多さにいつも敬服していますが、
それについていける薬剤師なんて滅多にいないと思います。分業論にも少し触れましたが、門前薬局は医院の真ん前で下請けしているだけなのですから、どうして患者のためになるでしょう。眼差しはいつも院長に向いているに決まっています。患者100人失っても、院長一人の機嫌を損なわなければ経営は安泰なのですから。
 ○○さんが突き放したことで彼になんの支障もないでしょうが、全ての人間が利害だけで生きているのではないってことくらいは・・・分からないでしょうね。○○さんが「今朝は早々から電話して、大和から、昔と変わらぬ言い方でアドバイスをもらい、僕なりに対処しました。」と書いていましたが、実は僕も同じことを感じていたのです。昔と変わらない愚痴や切り込みや笑いがとても懐かしく、いや懐かしいのではなく30年以上の時間を一瞬のうちに消して、あの頃に接着してくれたように感じました。狭くて汚いアパートの畳の上に寝転がって話している感覚でした。お互い当分まだ現役でいなければならないようですが、いつか寝転がって嘗てのように世の不満を魚に憂さを晴らしたいと思います。「なんかいいことない?」何千回くり返した言葉か分かりませんが、あの頃の非生産的な底なしの怠惰な生活こそが僕には原点のような気がします。
                                     大和


2011年12月28日(Wed)▲ページの先頭へ
取り柄
 いつもなら十分余裕を持って椅子に腰掛けることが出来るのだが、クリスマスともなると信者でない方も沢山来られ、肩が触れ合うほどの混みようになる。そんな中でフィリピンの人達が伴奏なしで歌うのを見て見ぬ振りは出来なかった。想像しただけで気の毒だった。だから僕はギターを持って、歌う曲を一杯持ってクリスマスイブのミサに参加した。
 ところが教会の駐車場に着いてみていつものクリスマスとは違う雰囲気にすぐ気がついた。止めてある車がないのだ。お客さん用に確保しているスペースに一台も車はなかった。案の定教会の中も普段のミサの参加数を少し越えている程度だった。僕の足が遠のいた頃はまだ結構ミサに人が集まっていたから、それを僅かに越えるくらいの数だった。用意された多くの椅子が空しく主を待っていた。結局その夜に教会を初めて訪ねた人は一人だけだった。逆に、当然参加してもよい数人の顔も見つけることが出来なかった。僕にはこの豹変が理解できるが、それを理解できない人達が今だ振り付け師を気取っている。
 その中で僕はとても美しいものを見た。勤めている会社の偉い人の計らいで特別ミサに参加できたかの国の若い2人の女性がアオザイを着て、化粧して正装で参加してくれたのだ。普段働いている会社のユニホーム姿しか見ていなかったので、それは見違えるばかりだった。少なくとも3代続くクリスチャンの家庭では当然と言えば当然だが、僕にはまぶしいばかりだった。それは、民族衣装が美しかっただけではない。彼女たちの凛とした姿勢や謙虚な物腰、ミサに預かれる喜びの表情、全てが彼女たちを輝かせていた。嬉しい、嬉しいを連発していたことでその喜びようが伝わってきた。発展途上の国からやって来た彼女たちの存在は、精神の発展を止めたこの国の人の心を、とても癒してくれた。
謙遜ではにかみ屋で働き者の彼女たちが、この国やこの国の人に良い印象を持って帰ってくれることを切に祈っている。一つでも多くの笑顔を贈り、一つでも多くの笑顔をみたい。それは薬剤師の肩書きがなくてもできる僕の数少ない取り柄かもしれない。


2011年12月27日(Tue)▲ページの先頭へ
臨場感
 本来なら抜粋してホームページの「過敏性腸症候群の生の声」で紹介すればいいのだろうが、全体を読んで頂いて、臨場感を持って追体験して貰えれば、読者の方も一緒に治りやすくなると思うのでそのまま載せる。

 こんばんは。実は最近、本当に調子がよく、たまに薬を飲むのを忘れてしまうことがあります・・・・それで少しずつ注文する日にちがずれてしまっています。申し訳ありません。
 お腹は、たまに漏れているような匂いの感覚に悩まされ、(なんというか焦げ臭いような、その時によってにおいが違うんですが)漏れてる!なんて考えると余計に漏れるような感じがしてしまいますが、割合でいうと、60%くらい良くなっています。前に、初めてお薬を処方してもらう前か初期のころかだったと思うのですが、先生から「健康な人は朝、音の大きなおならがでる」という言葉があったのを覚えています。初めのころはなかったのに、最近目覚めてすぐ音の大きなおならがでます。そのあと、会社に行って(食後1時間半くらい)ちゃんと毎日便が出ます。そこでお腹がすっきりします。前は、朝、おなかがガスでゴロゴロして、でもプスーというガスが少ししか出てこない状態で苦しかったのに、ここ最近は朝すっきり爆音の(笑)おならがでてとても快腸です。日中は昼食を食べすぎたときなど、お腹が張りますが、食後はみんなそうだと思うので、気にしません!
ガス漏れがなくなってきて、本当に会社に行くのも苦痛じゃなくなっています。後ろの人の様子が気になることもありますが、少しずつ治ってきているので、自信を持ってこれからも治療し、仕事に集中します(*^。^*)こうなれたのも先生のおかげです。ありがとうございます。なんだかまた長くなりましたが、以上報告でした。こちらは今日すこし霙のようなものが降りました。ホワイトクリスマスでした。少し早いですが、今年は先生と、漢方に出会えてよかったです。また来年もよろしくお願いします。お体に気を付けて良い年をお過ごしください。


2011年12月26日(Mon)▲ページの先頭へ
横隔膜
 田舎の薬局にも時々珍しい肩書きを持った方が訪ねてきてくれることがある。この方もそんな中の一人だろう。当然と言えば当然だが、珍しい肩書きには珍しい発見が多い。
 声楽家ともなると横隔膜の動きが分かるのだそうだ。発声の時にそれを意識できるらしい。さしずめ僕らはしゃっくりの時に意識するくらいだが、それでも横隔膜の動きを察知できている訳ではない。しゃっくりは横隔膜の痙攣ですと教えられているから、理論的に連想するだけで、その動きを感知できるわけではない。その道のプロのなんでもないことに、この道の素人はいちいち感激してしまう。
 何気ない会話の中に人それぞれの専門的な輝きが無意識に漏れることは多い。何気ない会話の中から漏れるからこそ余計輝くのかもしれないが、そうした言葉を切っ掛けに尊敬の念が生まれることも多い。とってつけた言葉が機関銃のように発せられる輩もいるが、見え透いたスクリーンに映し出される物はない。
 自分にとって、たかが薬剤師だが、他者にとってはされど薬剤師として捉えてくれる人もいるようで、クリスマスの日にも苦痛なメールがいくつか届いた。息子や娘みたいな世代が多いから、会うことが出来れば笑いながらでも解決できそうなのだが、印刷される言葉のやりとりだけでは、伝わらずに僕の手許に留まってしまう医学的事実や感情も多い。風で身を切られそうなこの日に、幸せにひたっている人もいれば、一人悩んでいる人もいる。何の相性か知らないが圧倒的に僕は後者と通じることが多い。力以上のことを試みて沈没し掛けた経験があるから、今は力むことは少なくなったが、それでも孤独なテーブルに小さなケーキ一つ届けたいと思っている。見栄えも悪く甘みも少ないが、人生を隅っこからでも味わえるものであればいいと思っている。


2011年12月25日(Sun)▲ページの先頭へ
メリークリスマス
 良く決心して実行されましたね。これからも是非その姿勢を崩さないでください。ガス漏れが治ったら何かに挑戦するではなく、挑戦しながら治すのが王道です。だから今回のあなたの挑戦は何ら問題もなく悔いるものではありません。
 さてあなたの文章を読んで薬剤師的に答えます。今まで700人以上あなたと同じ症状の人をお世話したり、その中の大部分がガス漏れ症状を併発していたり、実際にお会いした人も100人以上いたり、おまけに我が家に泊まった人もかなりの数がいるって言う経験からお話しします。

> 昼過ぎまでは調子が良かったのですが15時頃にハッキリと自分でもガスが出てる感覚が2回ありまして。本当はそれ以外にもあったかもしれませんが

まさに疲労が始まる時間帯ですね。会社員の方々にもなかなかくせ者の時間帯です。ただガスが発生しやすくてお腹にたまり不快感には襲われますが、漏れる人なんていません。もし100歩譲って、本当におならが漏れて臭いがしても、男はそんなことで女性をいやと思ったりしません。男にとって女性の魅力はそんなことの100万倍も大きいのです。だからそんなことが嫌う理由にはなっていません。

>御礼のメールをしましたが返信もなく音信不通になり、

僕はお腹以外のことであなたと相性が合わなかっただけだと思います。好きになるかどうかをおならなんかで決める男を想像できません。寧ろその事を気にしすぎておどおどしたあなたが彼にとって重たかったかもしれませんよ。

>この状態では結婚どころか異性と出かける事すらままならない状態で、元々なかった自信をさらに喪失した感じです。

僕はもっと自分を高く売ったらいいと思いますよ。今は男にとって付き合ってくれる女性を得るのは大変なことです。まして結婚してくれる女性なんてなかなか出会えません。あなたの値札に今回のことを切っ掛けにマルを一つ増やしたらいいくらいです。

>この病気で仕事、友人に恵まれているだけでも有り難いのに、恋愛などと欲張りすぎたかなと…。

僕はあなたが病気だなんて全く思っていません。ちょっとだけデリケートなだけです。何ら欠点ではありません。その繊細さが苦痛ではない男を見つければいいだけです。そこをこそ評価してくれる男を求めればいいのです。僕が今その年齢なら迷わず貴女みたいなタイプを求めます。そんな男は一杯いますよ。

> こんなクリスマスの日に全くそぐわない内容の長文を送ってしまい(笑)。読んで頂いてありがとうございました。

僕には一番相応しいクリスマスプレゼントだったかもしれません。物に余りこだわらないタイプなので、貴女が開いてくれた心の方が余程嬉しかったです。遠い地からメリークリスマス!主に感謝


2011年12月24日(Sat)▲ページの先頭へ
したたか
 「今時の女性は、したたかですな」と感慨深そうに言うから、僕も自然に頷いていた。ところが話が具体的になるに従って、「今時」に疑問が出てきた。僕が今時で想像するのはやま30歳代くらいまでだったのだが、その方の今時はどうやら、50から60歳代をさしているらしい。僕とその方を足すと、今時どころか「全世代が」になってしまう。
 自分から話しだしたのだから別に隠す事ではないらしい。勿論正式な届けを出すのだから何ら後ろめたいこともない。時代の先端を行っているのか、芸能人並かわからないが、今や特別珍しいものではなくなった。ただお見合いの時に、条件が色々と出てとても飲めるものではなかったらしい。まだ仕事があるから同居は5年待って欲しいとか、牛窓に住んでもいいが仕事場として岡山市内に2階建ての家を造って欲しいとか、借金が150万円あるからそれを払うことが条件だとか、まあ、足元を見られているのかどうか知らないが、全て金銭に絡む条件ばかりだ。その男性は80歳にならんとしても、とても理知的な人だからそんな魂胆は簡単に見破る。何が何でもというわけではなく、ある自分の志にどうしても伴侶が必要なだけらしいのだ。そのおかげでしたたかな計算に乗ることはなく、冷静に選別できたらしくて、6人目にとても良い女性に巡り会ったらしい。
 僕はこの6人目という、余りにも少ない数字がちょっと気にかかるが、本人は自信ありげだし、納得しているのだから僕の介入すべきものではない。良かったじゃないですかと適当な相づちを打ったが、したたかと良い女性があの年齢相手に5対1の割合であることが信じがたい。いくらでも足元を見ることが出来る圧倒的な優位に女性の方があることは明白だ。芸能人ならまだ失敗もネタになるが、一般人なら笑いものだ。
 したたかな女性達の中からしたたかに良い女性を選んだのだろうが、一番したたかなのはしたたかでないように演じたそのしたたかな女性ってことにならないことを祈るばかりだ。


2011年12月23日(Fri)▲ページの先頭へ
42年間
 番組の最後に「42年間有難うございました」と言うテレップが流れた。それを見て思わず苦笑してしまったが、超長寿番組にも、僕自身にもご苦労様と言いたい。
実際に42年見ていたかというとそれは自信がない。当初、僕の祖母が熱心に見ていたのだけは覚えているが、僕がその傍で見ていたかどうかは定かではない。ただ祖母はその番組をすこぶる楽しみにしていた。
僕が最初の出だしの場面さえ逃さないように見だしたのは、この10年くらいだろうか。出だしを見なければその後の内容がぼやけるから、とにかく出だしを大切にしていた。まさにツウの見方なのだ。おえんの入浴シーンなどがおじさん達に人気があったらしいが、僕はやはり悪が懲らしめられるところだ。そう言った当然のことが実世界で余りにも少ないので、水戸黄門を見て溜飲を勝手に下げていたのだ。ほとんどの悪役は代官と大店の商人と相場は決まっていて、退治の仕方も決まっているのだが、現代の肩書きと何ら変わりない悪人どもが観念する場面が痛快だったのだ。多くの視聴者も恐らくそこに共感して見続けていたのではないか。叶わぬ夢を重ね合わせていたのだと思う。
 番組が、世の役人や大企業の巨悪がなくなったから終わるのなら歓迎すべきだが、寧ろそれらはますます増殖し、この国を覆い隠さんばかりだ。堂々と居直る力まで付けてきた。世界中に放射性物質をまき散らし、70億人の遺伝子を大なり小なり傷つけて、それでもまだ国から金を取ろうとしている。庶民が懸命に稼いで得た金が、税金という名の年貢であいつらに納められるのだ。なけなしの金が全国から集められ、犯罪者の元に届けられる。この理不尽を断罪しようとする機関はない。全て同じ穴の狢だから。
 タイガーマスクが又ぞろ現れ始めたらしいが、出来れば沢山の光圀あたりも出てきて欲しい。


2011年12月22日(Thu)▲ページの先頭へ
車線
「思わずガッツポーズをとりそうでした」とまさにガッツポーズをとりながらその女性は教えてくれた。あの恐ろしいパニック障害を漢方薬で克服してほぼゴール間近だが、2週間毎に克服した成果が増える。今日は念願のバイパスを倉敷方面に向かって走れたことと(岡山県は圧倒的に西が発展していて車の量は東と比べものにならない)瀬戸大橋を電車に乗って心安らかに渡れたことを報告してくれた。何ら不安感に襲われることなく瀬戸大橋を渡ったとき思わずガッツポーズが出そうだったらしい。そう説明してくれる時の顔が本当に明るいし、自信にみなぎっている。恐らく本来は多くのことが出来る人で、何らかの不運が重なって発症したのだろうから、本来の姿は当然生き生きとしている。
実は今朝の新聞で、かの有名な(と言っても医療人の中でかもしれないが)鎌田實医師が、40歳代の時やはりパニック症状を発症して、かなり悩んでいたらしい。往診に行っても震えて家の中に入れなかったり、夜は奥さんにしがみついて寝たりしたらしい。本人は頑張りすぎたことを反省して、その後は立ち止まったり休むことを覚えたらしいが、あのレベルの人だって発症するのだから凡人が同じ悩みに陥っても不思議ではない。いや、ひょっとしたら僕の患者さん達は、鎌田先生レベルの人だったのだろうか。鎌田先生ほど肩書きもないし、経歴も実績もないし、知名度もないが、先生と同じくらいの優しさはみんな持っている。人を傷つけるのが苦手で自分ばかりが傷ついている。そんな人達が、今日の彼女のように苦痛な日々から脱皮できるのに立ち会えるのは、田舎薬剤師としてはこの上ない喜びだ。この牛窓の町にあるからこそ役に立てるような気がする。我が家の誰も、如何にもそれらしく構えることが出来ないから、すぐに親しくなれる。だから色々な情報を隠さず貰えて非力な僕でも役に立てれるのだと思う。
 次は車で瀬戸大橋を彼女は渡るだろう。眼下に行き交う大型船など、あまりの眺めの良さに運転を気をつけて欲しいが、やっと人生の元の車線に戻ってきたのだから、ガードレールにぶつかるくらいいいか。でも取り戻した人生に酔わないでね。


2011年12月21日(Wed)▲ページの先頭へ
 僕のコンサート、いや間違った。福山雅治のコンサートに行くのも大変なみたいで、準備に余念がない。今年最後のコンサートは横浜で数日ぶっ通しであるらしく、そのうちの1日がとれたと言って泊まりがけで行くらしい。それくらいは田舎のハンディーで我慢するが、その女性はダイエットに励んでいる。何人の観客が入るのか知らないが、席がどのあたりなのか知らないが、とにかくダイエットして格好良くしておかないと、会場でノリノリになれないのだそうだ。福山雅治に至近距離で会い、ハグの一つでもしてもらうのだったらその努力も評価するが、なんだか無駄な努力のように部外者には見える。
せっかく僕は元気にする処方を作り続けて、ヘルペスも口内炎も出なくしてあげたのにこの寒い時期に過酷なダイエットをするから両方を一度に出して来た。唇は溶岩ドームになり、口の中は潰瘍になり痛い。無理するからだと言っても聞く耳は持っていない。今は何よりも外見が優先なのだ。スリムで色白で冷え性の3大要素を備えなければならないらしい。それだけ揃えれば僕の言う過敏性腸症候群にでもなってしまいそうだが、それでも尚美しさが優先だ。
 話を聞いていて一体1人の歌手がどのくらいの経済効果をもたらすのだろうと思った。エステに通い、服を買い、ホテルを予約し、新幹線に乗る。恐らくもっと僕の知らないような出費もいるのだろう。その金額に数万人を掛けるととんでもない数字になる。牛窓に移住して来てくれると簡単に過疎から脱却できそうだ。それにしても、職安に通い、ひんしゅくを買い、歯医者の予約をし、自転車に乗る僕とは大違いだ。たったこれだけの顔の造りの差だけなのに。


2011年12月20日(Tue)▲ページの先頭へ
用途
やっと謎が解けた。この1ヶ月近く悩んでいたからスッとした。目の前にいつも転がっているから、何のためにこんなものがあるのか悩みながら使っていた。使えるものを捨てるのは忍びないから、正しいか間違っているかは別として、用途を工夫しながらなんとか使っていたのだが、これで思いっきり何も考えずに使える。
この、世にも珍しいものを誰に尋ねたらいいのか、それすらも迷っていた。芸術家か設計士か、投資家か、教育者か。でもほとんどそんな職業の人はこの田舎にはいない。だとすれば比較的若い人に尋ねた方が良さそうだ。少なくとも僕は初めて見たから恐らく最近のものなのだろう。
 小学生のお子さんを持つある親と、お子さんの健康について色々喋った後、このお母さんだったら知っているかもしれないと思った。健康相談の時にそんな疑問を持ち出して不謹慎かもしれないが、思い立ったら相談を遮ってでも知りたかった。でもその不謹慎が僕の悩みを解放してくれた。答えは単純明快だった。「楽しいからではないですか?」
なんだ、僕は元々意味がないものに必至で意味を持たせようとしていたのだ。製造業者は単なる「楽しい」を追求しただけだったのだ。それ以上の目的はないのだ。勿論決まった用途なんて最初からなかったのだ。もったいない、もったいない、この1ヶ月の悩みがもったいない。
 娘の部屋を片づけていたら、まだ使われていない鉛筆が見つかった。それこそもったいないので薬局で使おうと思い、新品をカッターナイフで削った。ところが赤鉛筆だと思って削っていたら、なんと赤の芯の間に黒の芯が挟まれている。サンドイッチ状態だ。だから鉛筆を寝かせて書けば赤鉛筆になるし、そのあげく真ん中が相対的に高くなれば黒鉛筆に変わる。もっともそんな極端な使い方は疲れるから自然に使っていたら、赤と黒が入り交じったりする。だから正式なものには使えない。工夫した使い方とは、僕は問診は簡単にメモ書きをし、夜に清書するようにしているが、清書をするときにメモの内容を書き写すことが出来たらすぐにその鉛筆で消していくようにして、大切な内容の脱落を防いでいた。要は何色でもいいのだ。転記済みの内容を消すことが出来ればいいのだから。
 お母さんは、今は6色が配置された芯の鉛筆があることも、数色が配置されたマジックがあることも教えてくれた。そしてそれらは結局「使っていて楽しい」のだ。なんだ、使っても全く楽しくない。ややこしいものを作らないでと言いたい。ただでさえややこしい機器に囲まれているのだから、せめて鉛筆くらいは時代に取り残されて欲しい。時代に取り残されている僕が使うのだから。


2011年12月19日(Mon)▲ページの先頭へ
職業
 大変ですね。僕の息子も大学時代同じような経験をして(いや、息子はもっと低級な理由でしたが)教授からあなたと同じような薬を飲まされようとしたことがあります。それを聞いて僕はすぐに今日作ったと同じ漢方薬を送りました。おかげで一度も現代薬を飲むことなく治ってくれました。それまでは苦労知らずで、どんな職業人になるのかと思っていましたが、それを経験してから初めて親としてその職業についてもいいような印象を持てるようになりました。あなたが今回経験したことは、将来メチャクチャ役に立ちますよ。患者の弱い立場が本当に理解できる看護師にやっとなれる権利を与えられたのです。責任感が強ければ落ち込むのは当たり前で、病気ではありません。悲しくて辛くてしんどいのは正常な人の正常な反応です。それで何もなければそれこそが病気です。落ち込んで食べれなくてそれでも回復していくから人間って凄いですね。
睡眠は2時間眠れば十分です。僕の先生の先生は2時間寝ている人には睡眠薬を出さなかったそうです。何も分からない時間が2時間あり、6時間横になっていれば十分です。僕はあなたに作った薬を医療関係者にも沢山飲んでもらっています。誰もがいつでも陥る現代特有のトラブルで病気ではありませんよ。何かあったらメールでも良いから相談してください。分かる範囲で答えますよ。1人で頑張らないでね。
大和


2011年12月18日(Sun)▲ページの先頭へ
無邪気
 ひょっとしたら今年一番のジョークかもしれない。その一言で随分気の重い朝が明るくなり、身体の緊張もとれた。たった一言で真実を、それも一杯内容を含んだものを言い表す能力はたいしたものだ。佐高信はポツポツと話すタイプで、他の出演者ほど雄弁ではないが、真実を突く洞察力は他の出演者より数段秀でている。
彼は福島原発の冷温停止宣言を出したノダと言う男のことを「頭がメルトダウンしているのではないか」と言った。僕の口から大きな笑い声がこぼれるのに、0.1秒でもかかっただろうか。ほぼ反射状態で僕は身体中を弛緩していた。100万人の被爆状態を未だ隠し通している男の神経を表現するのにこれ以上適切な言葉はない。正常な状態でのみ使える冷温停止という言葉を、復元しようがないほどに破壊された原子炉の中の状態に使う欺瞞を、外国は全部お見通しだ。知らないことで恐怖から逃れようとする当事者だけが、無邪気に信じている。
 どうやら保身にきゅうきゅうのこの国のエライ奴らは総じてメルトダウンしているみたいだ。そんな人間に将来を委ねなければならない国に住む庶民であることが情けない。自分さえよければ他人はどうでも良いと言う風潮は、この国にいつの間にか蔓延した外来種だ。ところが外来種にやられている弱い動物は、より惨めになることを嘗て経験したにもかかわらず、同じ轍を踏むが如く声高に叫ぶ男を関西の方で支持してしまった。
 切り開くべき道を持っていない多くの人達は、二股に分かれた三叉路で立ちつくす。用意された道に未来はなくてもどちらかを選択しなければ仕方ないのだ。行くも地獄戻るも地獄ならぬ3方地獄だ。放射能の降る町や森や畑で数年後、どんな不幸が待ちかまえているのだろう。メルトダウンしている頭の持ち主を銘記しておかなければ。


2011年12月17日(Sat)▲ページの先頭へ
企業
 お嬢さんと一緒に入ってきたのだが、これからどこかに寄らないといけないから漢方薬を作っておいてと笑いながら僕を急かす。つい1ヶ月前までは予想も出来なかった光景だ。そもそもまず笑顔はなかった。苦虫をかみ殺したような顔をして、僕の質問にもついて来れない。ゆっくりと間を取りながら答えるのがせいぜいだった。それも文章をなしていない、単語の羅列のようなものだった。ソファーに身体を深く倒し、物静かに薬が出来るのを待ってくれていた。
 1ヶ月前に胃腸の不快を相談されたが、僕には本当に胃が悪いようには感じなかった。そもそもあの年齢で胃を悪くするような不摂生はしていないし、病院の鎮痛薬も飲んでいない。だから病院で逆流性食道炎と診断されて、今流行りの薬を飲まされていること自体が不思議だった。当然効果を感じられないばかりか、以前にも増して倦怠感にさいなまれていた。心療内科の薬をもう数年服用しているから、それに輪をかけたようにしんどかったのだろう。こんな人が病名を一つ加えられると、それだけで気持ちが落ちてしまって新たな不調を呼ぶ。
 僕は独断で胃の不快感を取るためにいっさい胃の薬を使わずに、気持ちを軽くし体力を付ける漢方薬を胃の薬だと偽って作って飲んでもらった。それは1週間して効果がすぐに現れた。まず1週間で吐き気がかなり減って、2週目でほとんどなくなった。3週目で身体がだるくないと言い、そして今日冒頭のように娘や僕を急かしたりする。もうそこには無気力な女性はいなかった。
 病院の薬を作っているから逆流性食道炎の患者が一気に増えたのが分かる。漢方薬を取りに来る方の中にもその種の診断を受け、、薬を飲んでいる人が増えた。ただ僕には透けて見える、何か作為的なものが。嘗てある薬が発売された年に一気にウツの患者が増えたのと同じ現象だ。誰かが何処かで患者を意図的に作っているように見えて仕方ない。やっと取り戻しつつある笑顔の向こうに、見え隠れするのはどんな会社でどんな人間だ。一人歩きを始めた企業は恐ろしい。まるで人間の血が通っていないみたいだ。所詮人間の集まりなのに。


2011年12月16日(Fri)▲ページの先頭へ
絶滅危惧種
 一足早くクリスマスプレゼントを持って来てくれたかの国の二人を表現するのに、最適の言葉を探していたら、妻がいみじくも言った。「あの恥じらいは昔の日本人が持っていたものね」と。
通訳をしていた女性が不本意に帰国してから二人の女性が勇敢にも時々遊びに来てくれる。僕の英語よりは通じるだろう彼女たちの日本語を唯一の武器に、心を通わせる。向こうの習得した日本語が唯一の意志の疎通の道具なのだ。出来ればかの国の言葉を少しでも混ぜてあげようと本屋の語学コーナーの前に立ったこともあるが、見ただけでブロッキングが起きて、買うのは止めた。もし買っていたら一言数百円の高価なものになっていたと思う。それくらい馴染みのない難解な発音だった。
 クリスマスプレゼントは、紐でいちいち作った星や花や鳥が数百個ぶら下がった大きな風鈴で、仙台の七夕祭りを想像させるようなものだった。どのくらいの時間をかけて作ってくれたのか分からないが「凄い、凄い」をくり返す僕らの前で、うつむき加減でお互い目を合わせ微笑んでくれたのだ。その姿こそ嘗てどこにでもあった光景を思い出させたのだ。1時間くらい悪戦苦闘しながらも楽しく過ごしたが、僕も妻も表現する言葉を探すくらい印象深い姿だった。
 このささやかな感慨を味わう伏線には、ここ何年間かのテレビでの無能な奴らの態度がある。くだらないことにいちいち手を叩いて喜ぶ奴らの存在だ。この見苦しさには耐えられないから慌ててチャンネルを変えるが、変えたところでも同じような低能が出ているから、ついにはスイッチを切らざるを得ない。
 男も女性も、なにをうぬぼれているのか謙遜とか恥じらいとかを忘れている。いや、元々持っていなかった可能性の方が高いのかもしれない。日常遭遇していたものが、今は絶滅危惧種になっている。黄色人種のまま西洋人にはなれない。農耕民族のまま狩猟民族にはなれない。穀物に適した長い腸を持っている人間が、肉食に適した短い腸にはなれない。 夜道を自転車で帰っていく姿を見送りながら、帰りを待っているだろうかの国のご両親のことを想った。


2011年12月15日(Thu)▲ページの先頭へ
隣人
 今頃どうしているだろう。昨夜薬局を出る前には涙を流していた。机から立ち上がっても薬局から出ていくのにずいぶんと時間がかかり、行き場のないため息を丁寧に床の上に並べていた。平常心で職場に行き、平常心で職務をこなし、平常心で退社しただろうか。 どうしても許せない人が同じ職場にいる人は案外と多いのかもしれない。いや見ず知らずの人だったらいくらでも寛容になれるのだけれど、同じ屋根の下ではその人の多くが目に見え耳に入るから、いちいち気になってしまう。多くの情報が入れば受け入れられないものも当然多く、許すことが出来ない関係も容易に作られる。息が詰まり脈が乱舞し思考が停止する症状を僕の漢方薬がとれるかどうかが今日から試される。
 私はどうしたらいいのでしょうと尋ねられたから「絞め殺してスッとして刑務所に入るか、あるいは・・・・」と僕の嘗て得た教訓を話した。僕はすぐに解決できる前者を薦めるが、どうやらそんなことが出来る人ではない。
誰も僕のためになんて生きてくれるはずがない。僕が嫌いな、苦手な人にだって優しい家族がいて、頼られる地域や会社の仲間がいるはずだ。単に僕にとって不都合なだけで圧倒的な数の人に支持されているにちがいない。僕のことなどこれっぽっちも配慮する義務も必要もないのだ。こんな当たり前のことが分かってからは僕は不正義以外はほとんど受け入れられるようになった。彼女にもほぼこの下りと同じようなことを喋った。果たして今日これが少しでも実践できたかどうか。明日の朝刊に彼女の名前が載っていなければ、僕の漢方薬が効いたか、彼女が少しだけ寛容になったかだ。 
 どうやら対人関係は、負ける人はいつでも負けるようだ。その負け方の中に輝く個性があることに気づいている隣人は一杯いるはずなのだが。僕もその女性が人を負かしている姿を想像も出来なし、見たくもない。


2011年12月14日(Wed)▲ページの先頭へ
戦友
 僕の性格に連続性があるのか、あるいは何処かで大きな変化をしたのか分からないが、よく考えてみれば、人生の半分以上を病気の人、あるいは不調の人ばかりと接してきている。浪人時代を含めて学生時代の6年間は(4年生大学だが)見事に劣等生ばかりとつるんでいたから、もうかれこれ40年以上ほとんどまっとうな人と接してこなかったってことだ。まっとうな人、あるいは尊敬されるべき人は、片手あれば十分余る。ひょっとしたらVサインですみそうなくらいしかそんな人はいない。
 ほとんどよどんだ川の中を泳いできたから、僕自身も勿論よどみきっている。身の引き締まるような清流を知らない?忘れた?ただこのよどんだ流れがなんとも言えず気持ちがいい。このまっとうではない人達の中にいるのがなんとも言えず気持ちがいい。言葉も態度も鋭角を知らない。傷ついて自信を失っているときは、気弱が見え隠れするときは、人は人格を気取らない。素のままで接してくれる。素のままでしか接することが出来ない僕にとっては最高の舞台なのだ。上がることを躊躇うような舞台は似合わない。脱力した神経こそが僕の活力なのだ。
 戦いは破れるものと思いこんでいる多くの戦友と見えないものと戦ってきた。分けあう戦利品は少ないが、舐め合う傷は多かった。でも戦場は荒れ果てた荒野ではなかった。生きるに不器用な人達の歌声は風にのって山肌を駆け下りた。ただ一つ、健康すぎる不健康だけには冒されなかった僕の戦友達にこれからも届け人恋の風。


2011年12月13日(Tue)▲ページの先頭へ
踏み台
 やはり僕の勘が当たっていた。例の抗ウツ薬のルボックスなどが新発売された年から急にウツの患者が国内で10数倍に増えておかしいと思っていたが、こうした権威ある人が堂々と声をあげて断言してくれれば心強い。僕らが何を言ってもほとんど愚痴程度にしか評価されないから、世間に対するインパクトはほとんど無い。限りなくゼロに近いくらいだ。
 イギリス、カーディフ大学の教授が「製薬会社は薬を売るより病気を売れと言うやり方で、患者の掘り起こしをしてきた。精神科の薬の開発は、科学の衣をまとったマーケティングである」と述べていることを知った。まさに今逆流性食道炎の患者をテレビ宣伝で掘り起こしているのと同じ構図が何年か前に抗ウツ薬で行われたのだ。僕ら素人でも分かるようなことは良心的な専門家なら当然分かることで、川崎医大の青木先生は薬を出す前に出来ることはないかを考えると新聞紙上で述べていた。
 家庭や社会環境でウツウツとするようなことは日常茶飯事だ。不運にもぽろっと医師の前で漏らしでもしたら、うつ病にされてしまう。誰かに愚痴を聞いてもらいたいなら、素人から始めるべきだ。回りにそんな人がいないから病院を訪ねるのかもしれないが、犬にだって愚痴をこぼせば楽になることがある。それでウツウツがいくらかでも解消されれば儲けもんだ。製薬会社を儲けもんにしてやる必要はない。何ら法律的には問題はないが、健常な人を病気の範疇に引きずり込んで、薬の最終処分場にするのはいただけない。一生消費者に育て上げ、そこから得た金で裕福になったり幸せになられたりしたら、自覚のない当事者は浮かばれない。大衆はタンパク質で出来た踏み台ではない。


2011年12月12日(Mon)▲ページの先頭へ
美貌
 小さな町だから、立派な人も大金持ちも学者も芸術家も芸能人もスポーツ選手も出ないが、こんな人は幾多の確率をくぐり抜けて出るものだと思った。割に合わないけれど出たものは仕方ない。
特に眼の回りを赤くして、それでも全体的に何となく皮膚は萎縮していて、一見タバコをよく吸う人の肌みたいに部分的に老人の肌をしている。その治療自体難しくはない。1ヶ月前からお世話しているがずいぶんと改善した。ところが先週の金曜日に岡山市に出かけ、ちょっと贅沢にパスタの店に入ったらしい。そこでパンとパスタを腹一杯食べたのだそうだ。その辺りが如何にも牛窓の女性らしい。上品に味わうくらいにすればいいのに、満腹になるまで食べたのだろう。ところが翌日に、又以前のように顔全体が赤く痒くなり、特に瞼の辺りは悲惨だったらしい。でも僕の薬がまだ残っていたらしくて、それを塗ったらここまで収まったと、ことの顛末を教えてくれた。
 この女性こそがかの有名な石鹸の被害者なのだ。僕はユウカか何かと言う名前の石鹸とは知らず、女優の名前がそう言う名前かと思っていた。こんなに人口の少ない町で、よりによってあの有名な被害の当事者がいるなんて。宝くじより難しいのによくぞ当選したものだ。それにしてもあの女優は恥ずかしくないのだろうか。責任くらい感じればいいのに、いや感じた振りだけでもいいのに、すぐに他の宣伝に出ている。いい気なものだと思うが、そんな庶民の感覚はないのだろう。当分恥ずかしくて出歩かないくらいが庶民感覚だが、出るわ、出るわ。同じ石鹸を使えばあんなに綺麗になれると幻想を振りまいた美貌は認めるが、精神に美貌は感じられない。又あの美貌で新しく世の女性達を何かの商品に誘導するのだろうが、せめて心の中をユウカの石鹸で磨いて出直して欲しい。
 「一度アレルギーを起こすと、同じ種類のもので簡単にアレルギーを起こすようになるよ」と女性には説明したが、ユウカになり損ねた女性の方が余程有価だ。


2011年12月11日(Sun)▲ページの先頭へ
被害者
 自覚できない被害者が、自覚している被害者の集団の前を、何もなかったように通り過ぎる。年末の大売り出しの巨大電気店からは、幸せを買った人達がわき目もふらず吐き出されてくる。近い将来一番被害を体感しそうな脚も露わな少女達が、配られるチラシを受け取ることもなく急ぎ足で通り過ぎていく。何十年も前この様な光景を何度も見たが、当事者になるのは多くの人にとっては面倒なことなのだろう。
 ただこの行為が如何に生産性が低いとしても、やらなければならないのだ。如何に自己満足に近くてもやらなければならないのだ。100人くらいの参加者だから、岡山県の2万人に1人が参加したことになる。例えは悪いが交通事故で亡くなる確率くらいなのだろうか。いやいや今年の岡山県は県警の努力ですこぶる交通事故が減ったから、全国的な確率と比べてと言わなければならないか。まあいずれにしても如何に少ないかと言うことになる。ただ、交通事故はもっともっと限りなくゼロになって欲しいが、今日の集会やデモ行進はもっともっと逆に増えて欲しい。
いつの時代かと思われるような情報統制が行き届いて、罪人達が安泰だ。ただし時を刻む毎に、確実に幾千万の人達の遺伝子は複雑に破壊されている。体内に取り込んだ放射性物質が手加減などはしない。冷徹に時に比例して遺伝子は混乱を起こしていく。自分の身体に症状が出たときに誰を恨んでどの様な行動を起こすのか知らないが、それでも尚人ごとのように病に伏す姿が見える。我が身を守り、家族を守り、友人を守り、与えられた命を削らない確かな意志は、寒空の下、歩道で凍えていた。


2011年12月10日(Sat)▲ページの先頭へ
参考
 羨ましい、本当に羨ましい。医師と薬剤師の圧倒的な差なのだろう。もう少し勉強して、いややっていてもそもそもの頭の程度で無理な話だが。
パニック症状がほぼ完治した女性がいる。今は漢方薬を取りに来るが、雑談して用心のため飲んでいようかくらいのノリで漢方薬を持って帰る。車での外出は勿論、人前での発表までが自由に出来だした。肝っ玉をつける漢方薬を作っていたのだが、肝っ玉がつきすぎたかなと思ったのだが、どうやら元に戻っただけだと見た。何故なら話しているうちにこの女性はひょっとしたら人を束ねたり導いたりすることが得てているのではと感じだしたのだ。勿論出しゃばりではないけれど、頼まれたりしたら十分その責務に応えられる人だと思うし、断ったりしない人だと思った。パニックのせいで恐らく色々なことを制限されて忸怩たる思いがあったのだと思う。それが証拠に最初相談に来た日、漢方薬を持って帰るとき感激の余り僕の手を握って、一杯お礼を言ってくれたのだ。そんな経験は僕にはないから「治ったらお礼を言って、漢方薬を作ることは誰でも出来るのだから」と照れ隠しで答えたことを覚えている。
何ら不安のない顔と態度で最近は来てくれるから、過去の困っていた頃の話も平気でしてくれる。勿論最初は病院にかかったのだが、現代薬は効かなかった。それでも当然患者としてはすがる思いで通院し、苦痛を訴える。するとその心優しい先生は「安心して今の薬を飲んでいればいいよ。効かなくなれば沢山強い薬は控えているから」と慰めてくれたらしい。女性はその言葉を聞いて先生の優しさに感極まってうれし泣きした・・・・そんなことあるわきゃないだろう、女性は当然愕然としたのだ。社会不安障害の精神用薬や安定剤と一生付き合わなければならないのかと恐怖を感じたのだ。それはないだろうと心の中で捨てぜりふを言って、病院と手を切ったらしい。その後都会の漢方薬局を経てよりによってこんな田舎の薬局に流れ着いたのだが、何の縁かほぼ完治した。
 その後その病院の前を通ることがあるらしいが、ずいぶんと患者さんが増えて流行っていると言っていた。この話はずいぶんと参考になった。治れば来なくなる薬局と違って、縁が切れない病院は流行るのだ。縁を切るために漢方薬を飲み始めてもらう僕らとは真逆だ。僕らの世界では薬を止めるために飲み始めるのだ。そうか、だから流行らないのだ。
 羨ましい、本当に羨ましい。もう一度おまけに羨ましい。


2011年12月09日(Fri)▲ページの先頭へ
連戦連勝
 美人では無いけれど美人、利口ではないけれど利口、一所懸命ではないけれど一所懸命、お喋りだけど耳障りでない。そんな女性が僕の薬局に来る。当然この僕の評価を本人は知らない。今日もこの通りを演じて帰っていった。ごく普通の家で育ち、ごく普通の家に嫁ぎ、ごく普通の子供を育て、ごく普通の内職をして家計を助け、ごく普通にスポーツを楽しみ、ごく普通の価値観を持っている。ごく普通の真面目な部分を有し、ごく普通の崩れた部分を持ち合わせている。恐らくこの国は、この大多数のごく普通の人達のおかげで辛うじて崩壊するのを守られているのだろう。
もう結構長いこと僕の薬局に来てくれているが、最初に来たときの言葉を今だ忘れない。
「いつか来てみたかったんです」と期待されすぎのような言葉をかけてくれたのだが、5年以上頻繁に利用してくれているから、今だ期待を裏切ってはいないのだろう。家族のほとんどの持病や急性の疾患を確実にお世話できているから、辛うじて信頼を維持できているのだが、果たして連戦連勝がいつまで続くのだろう。ただ相性の良さってあるもので、よく効く人にはよく効くものだ。
 今日彼女から面白いことを聞いた。必ずしも僕が人生の先輩として教訓を話すばかりとは限らない。人にはそれぞれの無尽蔵の引き出しがあり、面白い話を聞くことが出来る機会も又職業上僕には多い。出不精だが、情報は皆さんが一杯持ってきてくれる。
 四国の高松出身の彼女のお父さんが、明治時代かと言いたいくらいの亭主関白なのだそうだ。いや仁先生の江戸時代と言った方がいいかな。家の中では絶対の権力を未だ保ち続けているらしい。香川県の患者さんで同じような内容を口に出した人がいたので、香川の男は封建時代か?と彼女に言うと、何でも香川は京都と関係が深くて松平家がなんとかなんとか言いだして、だから香川は関西弁だし、男がエライなんて未だ思っている人種が多いと言っていた。そう言えば最近訪ねてきてくれた愛媛出身の女性もほとんど関西弁だった。「私から見たら情けないやっちゃ」と父親のことを腐すが、その腐し方が使われた単語とは裏腹に又節度を微妙に保っている。上品でないけれど上品をもう一つ付け加えた方がいいかもしれない。
 飾らない人が僕は好きだし、飾らなくても生きやすい世であって欲しいと思っている。飾ることすら出来ない人達が一杯いるのだから。飾りすぎて身を滅ぼす人が一杯いるのだから。外見も内面もあるがままがいい。外見も内面もあるがままでいい。


2011年12月08日(Thu)▲ページの先頭へ
いい年
 毎日頑張っているのでしょうね。胸が痛くなるほどストレスを抱えて暮らしているのでしょうかね。若者には残酷な時代だと思います。その上の世代が楽しみ、贅沢をし過ぎたツケを払わされているように見えます。高度成長に乗って、自由を享受し消費を盛んにし、心だけを空虚にしていきました。空っぽな大人達が大量に生産され、まるで食べ残しを与えられる飼い犬のように若者達が扱われているのです。権利だけをやたら主張し、乱用するいい年をした人間達を見てあなたがもうんざりするのではないですか。おまけに放射能まで捲き散らかされて、なんて残酷な環境の中で生きていかなければならないのでしょうね。
 大罪を犯しても何ら非難されず、それどころか税金で助けて貰えるなんて理不尽を若者達は許すことが出来るのでしょうか。心を病んだ青少年が巷に溢れ、行き場のない憤りを弱者に向けている風景も目撃します。物やお金を追い求めてきたいい年をした人間達の置きみやげです。このまま幸せな退場が許されて良いのでしょうか。僕は若者に期待せざるを得ないと思っています。所詮僕らは享受した側なのですから。
ヤマト薬局


2011年12月07日(Wed)▲ページの先頭へ
コーヒーカップ
 外側は金色の模様、内側は真珠の表面のように見える。平生使うコーヒーカップの半分くらいの大きさしかないから、それが余計上品に見える。ある会社のセールスが2人でやって来たから、いつものように3人分妻がコーヒーを出してくれた。ところがその時の器が我が家にはすこぶる不釣り合いな前述のコーヒーカップなのだ。絵柄や色彩や大きさ全てが高級に見えるし、それよりも何よりも3つも同じコップが揃うことがそもそも珍しい。コーヒーカップなんて飲めればいいと言う合理主義を貫いているから、我が家のコップは、コップの数だけ種類もある。
ああ、ついに主義を曲げて買ってきたのかと残念に思ったが口には出さずにいた。ところが数日後何かの話の中で、あのコップは教会からもらってきたものだったと教えられた。教会の信者さん達があのコーヒーカップを捨てようとした理由は、揃っていないと言う理由だったらしい。我が家では絶対理由にならない理由だから妻はそれをもったいないと思ってもらってきたのだろう。数十人も集まることがある教会で果たして揃えることが出来るのか、はたまた揃えなくてはならないのかすこぶる疑問だ。ところが教会ではそんな疑問は起こらないらしい。
 お金持ちが多いのか、いいところの出が多いのか分からないが、僕ら庶民には分からないところが多い。欠けていなければ価値は十分にあると思うのだが、そしてまだ使えるものを捨てたら、それはゴミになり、新たなコーヒーカップを作るために、新たな資源が使われるなんて結構潔癖に思ってしまうのだが、そんな考えは宗教の場にはいらないらしい。そもそも集団を作るって何かを解決しようと言うよりは、何かを得たいという方が色濃いようにも見える。例えば医師会も薬剤師会も宗教も、あの忌まわしい福島の事故に関して何も言わない。聞こえてくるのは何ら組織に属していないごく普通の人達の声だけだ。今にもかき消されそうな声しか発せられていない。守るべき大きなものがある人達は声をあげて悪戯に敵を作らないが、守るべきものが小さい、しかし取り返しがつかない大切なものを守りたい小市民ばかりが声をあげる。それらの人達が、いとも簡単に捨てられたコーヒーカップに重なって見えてしまう。


2011年12月06日(Tue)▲ページの先頭へ
重金属
 知らなかった。漢方薬に関しては重金属の検査は義務づけられていないのだ。そんなもの当然すぎて考えることすらなかった。ところが検査機器に億の金をかけるのは企業も大変なので、機器を自前で揃えているところなんてそんなにあるものではないらしいのだ。外部の業者に委託する手もあるが、義務づけられていないなら手を抜くのが人の常だ。漢方薬は中国から入るものが多いので、食品並の検査をしなければ口に入れることは出来ない。普通漢方薬を標榜している薬局なら、生薬問屋も、製薬会社もかなりの大手としか取り引きしないから、重金属は勿論、放射性物質、添加物などもクリアしているだろうが、例えば葛根湯など、80の製品があるというのだから、小さな名も知らないような会社が果たして信頼に足りうる投資をしているのだろうか。
ある製薬会社の人が、放射性物質について僕がうるさいので、業界の内実を教えてくれた。今まで実績のある会社のものしか使わなくて良かった。棚に並べて値段を競うようなものを扱ったことがないので、知らず知らずのうちに人を傷つけたりはしていないと思う。折しも明治のミルクからセシウムが発見されたという報道を聞いた。噴霧した空気に混ざっていたというのだから、一体何処で作っているミルクなのだろう。空気中に漂うセシウムがミルクに吸着して濃度を増したってことだろうから、日常のどんな状況で同じようなことが起こっているか分からない。空気でこの程度なのだから、水の場合はもっと高濃度になるのではないか。いくらでも懸念は広がるが、罪深い報道は今日も又あの殺人的な「暫定基準を下回っている」と言うフレーズを多用している。本来限りなくゼロに近かったものが大量に混入していると表現すべきだ。
 悪意が無くても知らず知らずのうちに人を傷つけてしまう時代だ。一方、悪意に塗りつぶされたような企業が税金で養われている理不尽に、心が凍る。


2011年12月05日(Mon)▲ページの先頭へ
鎮魂歌
 過敏性腸症候群の若い女性が専門医を受診した。当然内視鏡などで精密に検査してもらったのだろうが、悪いところは見あたらない。ガス漏れ症状の苦痛を訴えると医師は「こんな患者は面倒なんだよな、だからやりたくないんだよな」と言うような趣旨の発言をしたらしい。そんなことを言われると患者としては居場所が無くなるだろう。過敏性腸症候群の人は大概がとても繊細で人を責めたりするのが苦手だから、こういった場面で医師を罵倒して出てくるような人はいない。恐らくかなり打ちのめされて退出したのではないか。 こんな体験をすると、治るものも治らなくなる。人間不信を増殖させるために受診したようなものだ。ただでさえの人間不信が輪をかけたようなものになる。完全に上から目線で一見恫喝しているようなものだが、僕にはそうは思えない。治すことが出来ないことを見抜かれたくないのだ。寧ろプライドが傷つけられて怯えているように聞こえる。私には治す自信がないと言えばいいものを、居直っているようにしか見えない。
 患者の日常生活は恐らく針のむしろに座っているようなものだ。何処にいても誰といても、緊張状態から解放されない。いつもアンテナを上げて、心は戦いのモードだ。こうした極端に低い生活の質が治療の対象にならないのだろうか。面倒だと言っても高給が約束される職業が羨ましいが、そうした言葉を身につけてしまった人間性は頂けない。決してなりたくない人間の一つでもある。
 僕はこんな面倒な状態に陥った人達が好きだ。だからやりたい。呪縛から解放されて本来の力や性格を取り戻してもらったときの喜びは何にも代えることが出来ない。それは嘗て同根の落とし穴に落ちたあの頃の僕への鎮魂歌でもあるのだ。そして人生でもっとも恐怖を感じる世代(18歳から25歳)へのエールでもある。


2011年12月04日(Sun)▲ページの先頭へ
嘘ついてごめんなさい
 ついに来た。見苦しいが今週中に、ヤマト薬局のスタッフの写真をホームページに載せる。正確に言うと載せてくれるらしい。ずっと拒んできていたが、パソコンの操作についていつも助言してもらっている漢方問屋の専務さんに押し切られてしまった。今は食材など生産者が分かることが大切なのだから、漢方薬では尚更だと言うのだ。ところが僕にはそれが出来ない理由があり、断固断っていたのだが、時代の趨勢に抗う訳にはいかないらしい。まして僕みたいな田舎の薬局が信頼してもらうのには大きなハンディーがあるのだから、素性を明らかにすべきと言うのだ。僕は素性を言葉で明らかにするように長い間努めてきたが、多くの言葉より視覚の方が雄弁な時代なのかもしれない。
僕が写真を公開できなかったわけは、言わずとしれた福山雅治似と偽り続けた過去があるからだ。今になって後悔している。朝青龍似で通すべきだった。どちらかというとそちらの方が圧倒的に近いから。でもまあ、同じような人間はいるもので、笑点の三遊亭小遊三や、漢方薬を送っている若い女性のお父さんも同じようなことを言っているらしいから許してもらおう。
 写真を載せることでウソがばれることよりも実は気がかりなのは、世の常識とは逆のことも起こりうるってことだ。生産者の顔が見えることで信頼が増すらしいが、僕の場合はその事で信頼を失うのではないかと言うことだ。ある日突然やって来て撮られた写真だから、洋服の青山にも行っていないし、1000円カットの店にも行っていない。ぶっつけ本番だ。取り繕う暇もなかった。
 実は専務さんに頼んで僕の所だけモザイクを入れてもらったのだが、これは僕も笑った。なんだか怪しげになって、下品この上なかった。結局無駄な抵抗はいっさい止めたが、写真を撮られるのが恐い時代に属する僕にとっては、今でもモザイクの中に逃げ込みたい気分だ。


2011年12月03日(Sat)▲ページの先頭へ
一本道
 文部科学省は30日、小中学校の給食に含まれる放射性物質を「1キログラムあたり40ベクレル以下」とする安全の目安を定め、東日本の17都県の教育委員会に通知した。食品の放射性セシウムによる内部被曝(ひばく)の許容線量については、厚生労働省が現行の年間5ミリシーベルトから1ミリシーベルトへ5倍厳しくする方向で検討している。
現行の暫定基準は、飲料水や牛乳・乳製品で1キロあたり200ベクレル、野菜や肉、魚、穀類は500ベクレルだが、文科省は「安全サイドに立ち、厳しい方(200ベクレル)の5分の1の数値を採用した」と説明している。
 
 朝日も大したことはない。言われるままに何ら検証せずに垂れ流しているだけだ。これだったら僕でも新聞記者になれる。お上の言うことを文章にかえるだけでいいのだから。暫定基準だなんて訳も分からない、根拠のないものを中心に考えて如何にも40ベクレル以下を安全のように言っているが、福島の事故がない前は、0.1〜0.2ぐらいが普通だった。それを基準に喋るべきで、400倍くらいに基準を引き上げると言うべきだ。一つ一つが欺瞞に満ちている。ドイツなどでは子供は3ベクレルくらいを目指すべきだと言われているのに。
内部被爆も5分の1に厳しくしたなんて言っているが、本来外部も内部も含めて1ミリシーベルト以下が基準だったはずだ。それを内部被爆だけで1ミリシーベルトにしてしまうと、基準は厳しくしたのではなく緩めたことになる。国民を守る発想はなく、企業や生産者を守りたいだけなのだ。この様なことを決める偉い人や役人にも子や孫、甥や姪などがいるはずだ。守りたい肉親は一杯いるはずだ。それでも尚こうしたことが出来るのだろうかと不思議でならない。もっとも企業戦士になると滅私が出世には必要条件なのだろうから、人間としてより肩書きとしてしか見てはいけないのかもしれない。人格よりも肩書きが優先される社会なのだ。人格で許されなくても肩書きでは許されるのだ。これでは多くの肩書きのない人達は行き場がない。やるせない気持ちを抱きながら萎縮した人生の道を彷徨うだけだ。遠く地平まで続く一本道を返せ。


2011年12月02日(Fri)▲ページの先頭へ
陶器
 自宅の近くにゴミの集積場が出来ることを嫌う人がいるかもしれないが、僕は一向にかまわない。僅か20軒くらいの人がゴミを出しても、朝の10時には収集車で集めに来てくれるのだから、何ら問題はない。週に2回の生ゴミの日に、カラスがつついて生ゴミが散乱するが、当番で皆さんが綺麗にしてくれる。田舎のいいところで、誰も不満を言わない。寧ろすぐ傍に集積場があるのは便利さの方が数段優っている。
昨日は、年に1回の陶器と蛍光灯を捨てる日だった。正確に書けば使えなくなった陶器片と使えなくなった蛍光管を捨てる日だ。ところが蛍光管はともかく陶器は、どう見ても使える物ばかりだった。欠けているような物はほとんどなかった。一つ一つは何処が駄目なのだろうと首を傾げたくなるような物ばかりだった。何となく色あせたのか、見えないひびでも入っているのか、茶渋が落ちなくなったのか、ペアの相方がいなくなったのか、どんな理由か知らないが、お暇が出されたのだろう。「もったいない」でノーベル賞をもらった女性がいたが、その方が生きていてこの光景を見れば、恐らくその言葉を連発したにちがいない。ノーベル賞とまではいかないが、ノーベル飴をほおばるくらい出来る僕でも、同じ言葉が思わず口から出そうだ。これが学生時代だったら僕は迷わずいくつかアパートに持って帰っていただろう。当時の僕の生活ぶりから言えばほとんど宝物に近い。今でこそそんな行動は出来ないが、心の中では行動している。
 嘗て通っていた教会で、テーブルに並べられたコーヒーカップの不揃いを嘆いた人がいて、嘆いた内容と、嘆いた人物とに違和感を感じた記憶がある。そう言った言葉がもっとも出ない場所と勝手に美化していた自分がいけなかったのだと今なら素直に思えるが、当時はその違和感を払拭するのに少しばかり時間を要した。素材や技術が発達して壊れない物が溢れているが、それらを捨てる勇気はまだ僕の中では壊れていない。何もない空間に憧れるが、物達が壊れる前にこちらが壊れそうだ。


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