栄町ヤマト薬局 - 2010/09

漢方薬局の日常の出来事




2010年09月30日(Thu)▲ページの先頭へ
真骨頂
 「今日は無理を言いに来たんだけれど」と言われると自然に構えてしまう。無理と分かっているなら来ないで欲しいのだが、薬局をよく利用してくれる人だから、そうは言っておれない。「聞けるものなら聞くけれど無理は無理よ」と当たり前の言葉を返す。
どんな無理かと思ったら、30年以上前にヤマト薬局で買ったシンナーを処分して欲しいというのだ。紙袋から取りだした瓶には3分の1くらいシンナーが残っていた。お子さんが中学生の時、学生服をペンキで汚して帰ったそうだ。それで当時父がやっていた薬局に行き、シンナーを買ったらしい。「買うときにお父さんに色々聞かれた」と言っていたが、父は真面目な人だったから書類や印鑑などもきっと厳密に求め販売していたに違いない。その血を僕も引いているので、その初老の女性に「よかった、僕も吸うのが無くて困っていたんよ、今日から又吸えるから助かるわ」と言って、快く引き受けた。嘗ても今と同じくらいシンナーの販売に関しては厳しかったと思うが、僕はもう随分前に販売を止めた。薬局が売る必要もなくなったし、いちいち目的や素性を確認するのが面倒だったから。置いてなければ、その傾向のある人と接触することもないから、煩わしくない。田舎だからそんなことをする人はいないが。
マニキュア落としにもなるよ、と教えてあげたがそれをするような年でもないし、もともと極めて地味な方だ。ペンキを塗るようなこともないのと確認しても、もうそんなことはないだろうと言うことだった。「もうこうなったら、二人でラリルか」と、父譲りの厳格さで提案した。この品のある会話こそが栄町ヤマト薬局の真骨頂なのだ。
 


2010年09月29日(Wed)▲ページの先頭へ
能動
 頭のすぐ上を飛んでいった鳥の羽音を初めて聞いた時、鳥は飛べるのではなく飛んでいることに気がついた。その気付きは僕には結構衝撃的だった。そうしてみると、魚は泳げるのではなく泳いでいるのだ。猿は木に登れるのではなく、登っているのだ。チータは速く走れるのではなく、速く走っているのだ。
人間も同じだ。歌手は上手に歌が唄えるのではなく、上手に歌っているのだ。落語家は面白いのではなく面白くしているのだ。イチローはよく打てるのではなく、よく打つのだ。石川遼君は良く飛ばせれるのではなく、良く飛ばすのだ。
懸命に羽ばたかないと落下し、懸命に尾びれを動かさないと進まないし、手足の筋力を使わないと速く走れないし木にも登れない。歌い込まないと人には聴かせれないし、素振りを毎日人の何倍もしないと、ボールに確実にあてることも出来ないし遠くにも飛ばせない。動物も人も目的を持って、意志を持って努力しているのだ。
 漢方薬でも同じだ。飲めば効くのでもないし、売れば効くのでもない。飲んで治すのであって、治すように作るのだ。明らかな意志、能動的な行為が介在しないと何も実らない。日常の些細な行為だって同じ事だ。それが意味を成すかどうかはすべて能動的な関わりが必要とされる。飲むだけで治るのなら薬局なんか必要ない。薬局に治してやろうと強い意志を持っている人間がいるからこそ意味があるのだ。薬局の中で懸命に羽ばたいたり、尾びれを振っている人間がいるから喜んでもらえる結果が出るのだ。飛べるのではない、泳げるのでもない、そして治るものでもない。当人と僕の治すという意志が共鳴したときに良い結果は生まれる。
飲んでもらえれば効くなどと言う神業は僕ら凡人には出来ない。ひたすら飛ぶ鳥になり、泳ぐ魚になるしかないのだ。それもなるべくなら野生がいい。


2010年09月28日(Tue)▲ページの先頭へ
赤トンボ
 雨がすべてを洗い落とした後の青空は、僅かな草むらを求めて乱舞する赤トンボの群に僕を近づけ、さわやかな風を頬に当てる。
幹線道路から路地裏に移った工事屋さん達は、今までの大きな重機から庭いじり程度の小さな機械に乗り換え、腹の出た脂ぎった体で器用にコンクリートを剥ぎ土を掘る。その様はまるでポニーに大人が乗っているように見える。今までの勇壮な姿に比べると滑稽に、いや可愛くさえ見えてしまう。「楽しそうだな」と声をかけたのはあながち冗談ではなく、おもちゃにでも乗っているように見えたから、当人達もひょっとしたらその様に感じているのではないかと思ったからだ。「何が楽しいことがあるもんか」と即座に、又笑顔で答えたから、表情からではどちらとも読みとれなかったが、それなりに毎日楽しそうに働いている。
 全くの男性ばかりの集団もいいものだ。僕は高校を卒業して6年間、ほとんどその様な集団で暮らしていたから、その自由さは良く知っていて、結構居心地が良かった。彼女が出来そうな男は何故か一人もいなかったから、誰も脱落することなく、いつまでも集団を形成できていた。あれで彼女が出来て、一人抜け、又一人抜けを繰り返すと、怠惰の中に妙に緊迫感が出たりして、あの生涯でもっとも非生産的な歳月が、こぢんまりまとまったりしてしまう。誰一人抜け落ちない僕たちは、何も出来ないことを、何もしないことと勘違いして、ただひたすら時間の中を放浪していただけだ。まるで永遠に漂着しない流木のようだった。
真夏には僕の家の車庫の下で思い思いにコンクリートの上に座り込み、アイスクリームをなめていた強者達は、今日はさすがに涼しいので、工事中のアスファルトの上に座り込んで休憩していた。フェンス一つで隔てられた草むらに乱舞する赤トンボをある男が見つけたらしい。そんな声が聞こえた。ほっとした瞬間、それらが見えたのだろう。でも、赤トンボに気づいただけでいい、それ以上は期待しない。気がついただけで立派な感性だ。間違ってもみんなで「赤とんぼ」を斉唱するようなことだけはしないで欲しい。男は黙って「きよしのズンドコ節」よ。


2010年09月27日(Mon)▲ページの先頭へ
後始末
 朝夕の散歩は、まず中学校の裏門から不法侵入して、体育館の前を通過してテニスコートに不法侵入する。こうした不法行為の連続で僕の健康は保たれているのだが、その僕でもそれはないだろうと思うことがある。
まず第一の不法行為場所の裏門についてだが、滑車がついているから困らないのだが結構重い重厚な扉が左右に開くようになっている。車が激突しても跳ね返しそうな素材だが、大人なら後ろ向きでも勢いよく締めることは出来る。ほぼ毎晩、大人のサークルが体育館をそれぞれの目的で使っている。中学校だから原則として門は常に閉まっているが、鍵はかかっていないから、スポーツのために集まる人達の中で最初にやってきた人が、車から降りて門を開くことになる。人が次から次に集まるから当然門は開きっぱなしだが、帰りは事情が違う。最後に出る運転手は、門から出たところで車から降りて手で締めなければならない。ところが、朝不法侵入しようとすると門が開いていることが増えてきた。これは明らかに前夜体育館を使った大人達が後始末をしていないから開いているのだ。最後の車の運転手が横着をしているのだ。
次の不法侵入場所でも同じ事がしばしば起こるようになった。ダンプカーでも通過できそうな入り口は、いつもは中側から簡単な鍵が締められているのだが、最近はその鍵がかかっていなくて、少し押すだけで簡単に出入りできる。ひどいときには、大きく開ききっているときもある。中学生が出入りする場所は、教室寄りの所で体を低くして入るような入り口なのだが、大人の利便性を考えて駐車場からさっきの大きな扉で入ることが出来るようにしている。しかし、当然のことだが利用後は中学生が使うことのないその扉は綻を締めて出入りが出来ないようにしておかなければならない。背を少し伸ばすだけで可能なことなのだが最近はほとんど扉は施錠されていない。
 最後はテニスコート内のこと。僕は犬を2匹飼っていたから、犬の糞は分かる。どう見たって犬の糞が最近堂々とテニスコート内に残されている。毎日場所が変わっているからまさに散歩コースになってしまったのだろう。恐らく中学生が片づけようとした跡なのだろう、ちりとりの中に固まったウンチが集められていたりする。ほんの少し想像力があれば、愛犬が残していったウンチを中学生が片づけている光景くらいは容易に想像できるだろうが、まだ飼い主は気がついていないみたいだ。
 これれはちょっとした区域で探し出した後始末の悪さの例え。恐らくエリアを拡大し時間を拡大すれば無限に見つけられるのではないか。始まりの準備はまだ楽しみが待っているから苦にならないのかもしれないが、宴の後はどうにも力を費やすことが苦手らしい。これは人の常ではあるが、ほんの少しの想像力とほんの少しの体力で乗り越えることが出来る。身勝手とか常識の欠如とか色々修飾する言葉はあるが、後始末が出来ないことほど始末が悪いことはない。


2010年09月26日(Sun)▲ページの先頭へ
単純
 こいつが出てきたら、1秒を争ってチャンネルを変えると言う奴はいっぱいいるのだが、この人が出ていたら見入ってしまうと言う人もいる。残念ながら「奴」は一杯いて「人」は極めてまれだ。ただこれは個人の単なる好き嫌いなのだが。
昨夜、見るに耐えれない番組ばかりだったのでチャンネルを頻繁に変えていた時、教育テレビで姜尚中が話しているのに運良く出くわした。僕は彼の静かな語り口が好きで、彼の知性にいつも穏やかに引き込まれる。ただ彼の話の内容が今日のテーマではなくて、すぐに影響される僕の単純さがテーマなのだ。
姜尚中は録画が終わるとすぐに牛窓に来た。そして偶然僕の薬局に入ってきた。胃が痛いというのだ。確かに顔をしかめて、見るからに痛そうだった。処方はすぐに思いついたのでまずは相談テーブルに腰掛けてもらった。時間があるかどうか尋ねたらあるというので、少し雑談をした。恐らく、仕事内容などから潰瘍があるのだろうと思って、胃酸をカットすることが出来る胃薬を選択し、その場で飲んでもらった。
太陽の下でのんびりしたいというので、牛窓の海水浴場に行きパラソルを拡げ、その下で又雑談をした。その間、僕は何回も彼にもう胃の痛みが収まったかどうか尋ねたがなかなか効いてこなかった。簡単に効果を出す事が出来ると思っていたので意外だった。 どのくらいそこで時間を潰したのか分からないが、帰りのフェリーが出る時間が差し迫っていた。彼にこれからどうするのと尋ねたら、おもむろにポスターを取りだして、これからはこれですよと言った。それは選挙用のポスターだった。僕は彼がこの国の将来を憂いてついに新たな政党を作る決意をしたのだと察して歓迎した。そうしているうちに本当に時間がなくなった。急いで支度しなければならないが、僕は何故か小学校の戸締まりや火の元が気になった。久しぶりの小学校は木の香りがまだ残る建て替えられたばかりのウッディーな校舎だった。それを僕は一教室ずつ点検して回った。それからやっと懸命に船着き場まで走った。そのしんどかったこと、しんどかったこと。おかげで目が覚めた。何で夢なのにしんどいのだろうと、実際の体調を確かめたが、夢から冷めればしんどさは消えていた。
ただ夢から覚めても、何故かいつものように夢のような気がしなかった。恐らくこの夢の中にちりばめられた一つ一つの出来事が恐ろしく現実に近かったからなのだ。まず姜尚中の出演番組に偶然チャンネルを合わせられたことを喜んでいる自分。自分が薬を作った人の効果を点検して次につなげるように努力してきたこと。つい先日前島フェリーの船上お月見会があったのだが、あれだけ晴天が何十日も続いていたのに、その企画された2日間、ねらい打ちのように雨が降り、少しばかり協力をしていたから残念だったこと。嘗て一度だけまともな仕事をして、唯一それにしがみつき相手を中傷しながら権力を手にした男が不快だったこと。今では立派に社会不安障害と病名までついている「点検魔」だと言うこと。数年前数時間睡眠で働き続けていた頃は、悪夢で目が覚めても立派に動悸は続いていて心を病むと言うことはこんなにしんどいのかと経験したこと。これらがすべて一連のストーリーを作り上げていたのだ。
 起きていても眠っているくらいしか働かない僕の頭が、どうして眠ったら起きているくらい働くのだろう。夢の中で受験をさせてくれればもう少しいい大学に行っていたかもしれない。今頃は姜尚中の後輩くらいにはなっていたかもしれない。名前は勘サンザン。


2010年09月25日(Sat)▲ページの先頭へ
 どこにいたのか数羽のカラスがけたたましく頭上を飛んでいった。本来ならカラス達のお気に入りの夜間照明器具の上で一休みするのだが、そこには目もくれず飛んでいった。すると程なくピューピュルルーと鳶の鳴き声が聞こえた。見上げても飛んでいる姿は見えない。しかし確かに鳴き声は聞こえる。微妙に鳴き声は変わるが懐かしい声だ。どこから聞こえてくるのか分からない。ずいぶん遠く、山の向こうのようにも思えるし、結構近く、頭上のようにも聞こえる。テニスコートから眺める空は遮られるものが少なくて広いのだが、マンションのてっぺんに緊急避難したカラス達と意外と動じない雀たちしか見えなかった。
普段天敵がいないせいか、カラスの縦横無尽ぶりにはいささか眉をひそめることもあるが、彼らとて苦手なものはあるのだと安心した。動物でも人間でも、自分が一番上と思っている輩は好きではない。何か手に負えないもの、天敵とは言わないまでも、自分を低く見なければならないような対象を持っていることは大いなる救いだ。逆にそれを持っていない人、そう言ったものに遭遇することなく来れた人は不幸だ。そうした人達がえてしてとる行動、例えば経済の物差しで人間を測るならそれはカラスと同じだ。ツバメを駆逐し雀を駆逐し、鳶に怯えればいい。安住の場は強者の立場でしか得られないだろうから。
大空を知らない雀たちは、ピューピュルルの鳴き声は恐ろしくないのか、いつものようにテニスコートのネットで遊び、草むらに降り立っていた。争う対象にもならない小さな鳥は、カラスのいないコートを独り占めにして餌をついばんでいた。高く飛べない鳥にだって、高く飛ばない鳥にだって、自由はあるし喜びもある。忘れられたテニスボール一つに蘊蓄の砂。


2010年09月24日(Fri)▲ページの先頭へ
センチメンタル
 「お疲れさまです」彼女のメールは毎回必ずこの言葉で始まった。僕は会社に勤めたことがないから集団で働いたことがない。だからこのような言葉でいたわられたことがない。メールをもらうたびに何となく連帯感みたいなものを感じていた。何の根拠もなく彼女の住所の県名をみて、勝手に山奥に暮らしている人と決めつけていた。数年前、印象的な地震の災害の様子を長時間見せつけられたので、そのイメージが残っていたのかもしれない。山深い集落から毎日街まで渓流に沿って車を運転して通う女性を勝手に想像していた。ところが実際彼女が住んでいる町は、牛窓と同じように沿岸の町だった。それで余計親しみを覚えたものだ。短い文章の中で確実に快復している様子が伝わってきていた。
 今日頂いたメールが今まででひょっとしたら一番長いかもしれない。例によって「治り方」の良い見本になると思ったので、現在過敏性腸症候群の僕の漢方薬を飲んで頂いている皆さんに読んでもらいたくて、彼女の承諾を得てから載せた。僕の依頼のメールに応えてくれたメールも又併せて読んでもらうことにした。
 瀬戸内海と日本海とでは同じ海でも全然雄大さが違うだろうが、同じ田舎で暮らす人間としていっぱい幸せを手にして欲しい。人に分け与えるほどの幸せを。大きくなくてもいいから、手のひらに乗る程度でいいから。

 「この一年で私は少し変わりました。自分が抱えているおなかの症状を友人に話すことができ、受け入れてくれた事で気が楽になり、人もそれぞれで優しい人もいて頑なに自分を守るのではなくゆだねてみようと柔らかい思考が生まれ、あきらめかけていた歯医者に通えるようにもなり、この変化は漢方薬を飲むようになり体が軽くなり大和さんの言葉に心が軽くなったおかげです。本当にありがとうございます。 これからは困ったら大和薬局がある事を支えに、少しずつとは思いますがのびのびと生きていきたいです。ありがとうございました。」

「ブログに引用の事ですが私の拙い文章でよければどうぞ使って下さい。私も長い間一人で苦しんでいました、いろんな事をあきらめかけていて、殆ど絶望していました。ですから、わずかながらでも誰かの心がやわらいだとしたら、うんと苦しんで来た時間も無駄ではなかったと思える気がします。大和さんもお身体に気を付けて、お元気でいて下さい。ありがとうございました。」

 この2つの文章を並べてみて、今更ありがたいなと思った。僕は職業的に皆さんを少しでも元気にしないといけないが、彼女が僕をいたわる理由はない。何でこんなに優しいのだろうと、僕には有り難すぎる言葉だ。実はこうした言葉を必ずかけてくださる人が数人いて、その人達の人格を想像してしまう。恐らくどなたも、大きな力も、大きな肩書きも、底知れぬ活力も持っている人ではない。どこにでもいるようなごく普通の人達なのだが、この僕を自然に気遣ってくれる。僕に出来る唯一のお返しはお腹を克服して自由に飛び立ってもらうこと、それに尽きる。
 遠く離れていても一時期一緒に同じ目標に向かって生きてきた。そんな気がした。今夜はちょっとだけセンチメンタル。


2010年09月23日(Thu)▲ページの先頭へ
枯葉
 昨夜ふと回したチャンネルで、アフリカのある国では天気を表す言葉の中に晴れを意味するものがないと言っていた。日本ならさしずめ「今日はよく晴れて気持ちいいですね」とでも言うべき挨拶言葉がないのだそうだ。理由は毎日青空が広がっていてそのもの自体は当たり前すぎる事象だからだそうだ。たまに降る雨とか特別な気候を表す言葉はあるのだが、肝心の晴れはないらしい。
この夏の瀬戸内もさしずめ、あって当たり前の青空が支配し続けていた。だから昨夜からの雷と雨は、何か特別の気象現象のような錯覚に襲われた。思えば雷鳴に至っては、最近は聞くことがなくて、1年ぶり、ひょっとしたら2年ぶりくらいではないかと思われるほどだ。ただ、あの音と光はやはり強烈で一気に記憶を呼び戻し、正しい処置なのかどうか分からないが、パソコンの電源を慌ててすべて落とした。
 恐らくこれをゲリラ豪雨と呼ぶのだろうと言う経験を2度したことがある。これもまたこの数年運良く経験していないが、2度とも車で出かけていて、運転を諦め路肩に非難し雨が通り過ぎるのを待った。ニュースでしばしば見たり聞いたりするこの言葉をあの時の体験に重ね合わせて聞いている。
 昨夜からの雨は結局半日降り続いたからお百姓さんも一息ついただろう。いい天気ですねなんて間違っても口に出来ない状態だった。いくら水をやってもあっという間に土中に吸収され、ほとんど焼け石に水状態だったらしい。牛窓は灌漑用水が引かれていて酷暑でも致命的な被害はないが、0脚で膝の痛み、腰の痛みに耐えながら畑を歩く姿は痛々しい。命を育む仕事なのに尊敬と感謝の気持ちが届かないなら、せめて天気だけは味方をして欲しい。
 色鮮やかな夕焼が久しぶりに冷気を運んできた。命がけの外出から一気にクールダウンした。もっとも史上最長の熱情の季節の中でも、僕の心はクールダウンして枯れ葉がすでに舞っていたが。


2010年09月22日(Wed)▲ページの先頭へ
愚痴
「効いているのか効いていないのかさっぱりわからない」とため息をついたのは、もう2年以上痴呆症の薬を父親に代わって取りに来ている息子さんだ。本人はもう病院には行けないから息子さんだけが処方せんをもらいにいっている。たまには診察室に入らないといけないらしく、形だけの問診を受ける。帰りがけに処方せんを持って寄るのだが、出るのはため息ばかりだ。今時めずらしいくらいにお世話している家庭なのだが、愚痴の一つや二つは言いたくなるのだろう。
 「目も耳も衰えているから歩くのも色々なものにぶつかりぶつかりやっとなんですわ」
「そのくせ勝手に出かけていって捜すのが大変なんですわ」
 「お腹だけは空くんでしょうね、いくらでも食べて催促ばっかりするんですわ。」
 「ウンチなんて立派なものですよ、あんなに痩せてきたのに羨ましいくらい」
 「昼間寝てばかりだから、夜うるさいんですわ」
 「名前を呼んでも見向きもしない」
 「同じ所をぐるぐる回るから、いいかげんにしろってつい怒ってしまうんですわ」
「昔はかたかったのに今はどこででも漏らしてかないませんわ」
 「もう早く逝ってくれればいいと家族で言ってるんです」
これだけ言えばぐちの一つや二つでは収まらない。全部言い切らないと家に笑顔では帰れないのだろう。確かに一つ口から出すたびに笑顔が戻ってきて、最後の方は笑いながら喋っていた。僕より少しだけ年が若かったと思うが、嘗てのスポーツマンも今は介護のプロみたいに父親を世話している。
 「まあもう人間で言うと100歳は越えているらしいから仕方ないいんだけれどね」
 「えっ、もうそんなになるのかなあ、80過ぎにしか見えないけれどね」
 「そりゃあ、ばあさんが昔から生きのいい魚しか食べさせていないから綺麗に見えるん ですわ」
「もう20年と5ヶ月ですよ」
 「何それ、どんな数え方をしているの?」
 「いや、僕が捨てられているのを拾って来たんですわ」
 「何の話をしているの?お父さんのことではないの?」
 「猫の話ですよ、家には古い猫がいるんです」
 「知らないがそんなこと、ややこしい話をするなよ」
 「いや、我が家は今猫とじいさんの面倒を見ていて大変なんですよ」
どこからどう話が変わったのか、最初から猫の話だったのか分からないが、超高齢猫の話だったらしい。親の面倒も猫の面倒もよく見て頭が下がるが、どうも自分の面倒は余り見ていないみたいで、会うたびに痩せていっているように見える。痩せる思いも単なる言葉だけなら悲哀がこもって心を打つが、実際に痩せてしまったら単なる悲劇で終わってしまう。
 まさか処方せんでもらったあの高いアルツハイマーの薬、猫に飲ませていないだろうな。


2010年09月21日(Tue)▲ページの先頭へ
名字
 この年齢の方のひいじいさんと言えば何時代を生きた人なのだろうか。明治の初期か江戸時代か。
隣町から漢方薬を取りに来る人の中で同じ名字の人達が結構いて、その方に「ご主人と同じ名字の人が結構来られるのだけれど、皆さん親類なの?」と尋ねてみた。結構おめでたい漢字の組み合わせで、牛窓には1軒もその名字はない。何か由緒ある出の人達か言い伝えでもあるかと思って尋ねてみたのだが、「誰かが縁起の良い言葉を組み合わせて勝手に作ったんだろう」と素っ気ない返事が返ってきただけだった。そこで出たのがひいじいさんのことだ。「ひいじいさんなんか、みんな○○やんって名前で呼びあっていたよ。名字なんかあったのかなかったのか知らないけれど、みんな○○やんって名前で呼んでいた。そう言えばやんってみんな付けていたなあ。この辺りの言葉かなあ」と感慨深げに教えてくれた。「どうせみんな本気で名字なんか考えたりしてないよ、山の麓に住んでいたから山本、山の陰に済んでいたから影山、どうせいい加減なもんじゃ」と郷土史家のような私見を披露した。それが正しいのかどうか僕は知らないが、僕が印象深かったのは、今こうして生きている人がまだ名字がなかったときのことを覚えていることだ。ひょっとしたら、坂本龍馬と同時代に生きていた人達を目撃していた人が今も生きているかもしれないと言うことが印象的だった。指を折ってみなければ分からない、いや指を折っても分からないくらい昔のことだと思っているが、考えてみればつい最近のことなのだ。親の親の親のとほんの少しだけさかのぼれば、まさに武士の時代に達してしまうのだ。そうしてみると、人が生きている時間なんてほんの少しだって事が分かる。何倍速で現代は発展しているが、悠久の時間の前ではそれがなんだか空しく見えてしまい、価値を感じられなくなる。つい少しだけ手を伸ばせば江戸時代なのだ。年金を不正に受給するくらい根性で生きている人がいたら、やっぱり江戸時代なのだ。切ったり切られたりしていた時代はついこの前なのだ。
 どうせ何の足跡も残さず消えていくのだから、そんなに力まなくてもいいような気がする。ちょっと先から今を見ればえらく頑張った時代だと見えるかもしれないが、歴史の針を1秒でも勧めることは出来ないのだ。人間の営みなどとは関係なく時は刻まれ。誰がどの様に生きたなど何に影響を与えることが出来るのだろう。何十年懸命に生きても砂粒一つの存在にもなれないのだから。


2010年09月20日(Mon)▲ページの先頭へ
補欠
 開演時間にずいぶんと遅れて会場に着いたのに彼は悠々と玄関でタバコを吹かしていた。「補欠なの?」これが僕の挨拶。嘗て何回も誘われているのに一度も足を運んでいないから、ついに義理立てしてやって来たのだが、当然送ってくるはずのチケットも送ってきていない。中学校のブラスバンド部創部50周年を記念しての演奏会だから、チケットなんかいらないんだと高をくくって気にもしていなかったが、案の定入り口でチケットの提示を求められた。玄関に引き返してチケットがいるのではないかと問いただすと、奥さんの手違いだろうからと手持ちの2枚をポケットから出してくれた。お金を手渡すと受け取らないから、それは良くないとどうしても受け取ってもらった。すると彼は「どうせ薬代が高くなって元をとられるから同じ事だ」と言った。「ばれたか」僕らはこうした関係なのだ。
今あらためて入り口でもらったパンフレットを見てみると、岡山市立岡輝中学校吹奏楽部としてある。ブラスバンドとは言わないんだと今気がついたのだが、確かに昨日の演奏会でも、僕らが中学校の時やらされた行進曲ではなく、クラシックの名曲らしきものばかりだったように思う。と言うのはその名曲とやらの知識が全くなく、題目を見たら高尚そうな名前が載っているからそう想像しているだけなのだが。
すでに演奏は始まっているのにホールの扉の前には何人もの人達がいた。何をしているのかと思ったら、扉に演奏中は入らないでくださいとの張り紙があった。こんな決まりがあることは知らなかったが別に不愉快にはならない。これがこの世界のルールなのかとこんな事でも新鮮だった。曲が終わると待っていた小さな集団の人達と一緒に入った。800人収容のホールだが8割方埋まっているように見えた。舞台の上では制服姿の中学生がそれぞれの楽器を持っていた。意外と少人数なんだと感じたのは間違いではなくて、後で説明を聞いてまんざら素人の勘も捨てたものではないと思った。と言うのは嘗て1300人もいた学生数が今では300人しかいないのだそうだ。名前からして市内の中心部にありそうな学校なのだが、それでもこの減りようだから牛窓中学校が同じくらいの人数なのは出来すぎだと、変なところで自信をもらった。しかし、演奏はと言うと堂に入ったもので結構迫力があり、県大会で金賞を取るのだから、いや中国大会でもとったようなことを言っていたが、いや関係ない僕が肩入れすることはない、懸命に心を一つにして演奏している姿は音楽以上に心を打った。みんなで力を合わせて一つのものを作り出す作業が神々しくさえ思えた。
2部はNHK交響楽団トロンボーン主席演奏者の栗田雅勝さんのソロだった。彼の演奏の途中での話の中に僕が断れずに行く羽目になった張本人の名前がでてきた。何と同級生で、中学校の時は僕の知り合いの方が部長をしていたような間柄だったらしい。どう見ても品が違うが、嘗ては同じ紅顔の美少年だったのかもしれない。トローンボーンが行進曲の後打ちというトラウマから抜け出せなかった僕は、プロの出す柔い音を、一種の後悔を持って聴いていた。僕は中学校の時破裂するような音ばかり要求されていたように思う。当時の顧問は何を考えていたのだろう。思い出すと又腹が立ってきた。
 いよいよ3部で、OB達の演奏が始まった。さすが50年を経た卒業群団だから在校生よりは人数が多く、それだけで迫力が増した。舞台の左寄りに彼はいて、トランペットを担当している。大きな顔で日焼けしているから一際目立つ。それでもそれなりに神妙な顔をしていた。自分のお子さんよりも若いOBを始め年下がほとんどのことを思えば、彼が如何に吹奏楽を愛しているかが良く分かる。卒業して40年も経っても尚楽器を続けていることを思えば当然と言えば当然だ。彼は実は他にもギターを先生について習ったりしているから、根っからの音楽好きなのかもしれない。ただ、彼の風貌や職業が如何にも音楽とは似つかわしくなく、音楽との結びつきを疑心暗鬼になるのも無理はない。空手もやっていて、いかつい顔やごつい身体を見ていたら「ややこしいから、体育会系でいてくれ、その方がわかりやすい」と言いたいくらいだ。
顔を真っ赤に充血させて一心不乱でマウスピースをくわえている姿を羨ましく眺めながら聴いていた。毎日曜日集まって練習してきたらしいが、忙しい日常の中で創造の場、あるいは日常からの開放の場を持っていることがなんとも羨ましい。建設業の社長をしているから色々な好ましからぬ人物との望まぬ接触も多いらしいが、それをとても嫌っていた。外見はその道で通りそうな人間だが、心は意外と感性に満ちているのだろう。
今ひとつ吹奏楽というものを理解できていなかったが、いいものだと思った。出来不出来はいっさい分からないが、懸命に楽器に向かい合っている人達の顔つきや姿勢が神々しかった。特に中学生や高校生が制服姿で演奏している姿は、心を洗われるくらい清く見えた。演奏が終わった後中学生が大声で「○○先生大好き」と唱和したときなど、全くの部外者の僕でさえ感動の涙が浮かんできた。人間って素晴らしい、若者って素晴らしいと心から思えた瞬間だった。
 会場で配られた就実高校の定期演奏会の予告パンフレットを見ながら妻が「又行ってみよう」と言った。十分そんな気にさせる楽しい数時間だった。願わくばあの顔がもう少し音楽向きならなぁ。


2010年09月19日(Sun)▲ページの先頭へ
焦燥感
 元々礼儀正しい奥さんなのだが、何回もお礼を言ってくれた。それはご主人のパニック症状がほぼ完治したからではない。さっき恐らく最後の薬になるとご主人から嬉しい電話があった時、「こんなに自分が打たれ弱いとは思わなかった」と今回の自分を振り返ってふと漏らした言葉に「みんな同じだよ」と僕が返した言葉に彼がとても喜んでいたというのだ。ほぼ完治したことより、その言葉の方が彼にはありがたかったようだ。
いくらスポーツマンで気力にも体力にも恵まれている人でも、極度の疲労や不幸が重なると気が弱くなるのは当たり前だ。僕の考えだと、人は命を守るために、体のどこかを犠牲にして生き延びようとする。代表的なのが心臓と胃と腸だと思う。胸苦しくなったり、息苦しくなったり、あるいは胃の痛みに襲われたり出血する。又下痢もする。彼の場合は呼吸が苦しくなる症状だった。これはかなり本人としては辛い。心臓に症状が出る場合、命と関連づけて考えてしまうから心までやられてしまう。病院にかかれば当然安定剤が出るが、少しはいいという程度で日常生活をやっとの事で、でも根っからの真面目な人だから必死の思いでこなしていた。
昨年夏の重労働を漢方薬で乗り切ってくれたから今年も相談してくれたのだが、僕がもっとも心配していた症状を彼が経験していたので僕も懸命だった。でも絶対回復することは確信していた。焦燥感、こんなに辛くて恐ろしいものは他には余りない。それも決して他人には分かってもらえないから本人は解決のしようがないのだ。僕はこの焦燥感があるとないとで一線を引いて分けて考えている。込み上げてくる不安感、いてもたってもおれなくて歩き回り叫びたくなる。発狂しそうな恐怖とでも言おうか。
色々な面で恵まれている人は、ふとした躓きで一気に心を病むことがある。成功体験ばかりだと、基準はあくまですべてが完全に近く遂行されるところにおかれるから、自分の躓きが許せない。又それを人に晒すことはかなりの屈辱に写る。元々自分の能力を過大に評価していない人は、基準が低いから自分を許すことが出来る。こんな職業を30年もやっていれば、みんな弱い人という認識こそが素直に受けいられれるのだが、表面的な観察だけでは、他人は皆健康で気力が充実しているように見えてしまう。だからその大いなる誤解を基準に又自分が許せなくなるのだ。
 一見強そうな人間っているものだが、そもそも強い人が魅力的だとは思えない。何に対して強いのかこれが又問題で、結構自分より他人に強いだけの人間が多い。自分の弱さを隠すために強がっているのが見え見えだから、哀れにさえ見えてくる。年齢と共に守るものが一つ増える毎に人は臆病になる。守るものが何もない青年の心のままでは過ごせない。人は皆弱くて強いもの、強くて弱いものではない。このことに気がつけば心を病むことは少なくなるだろうし、安定剤という化学物質を脳に届ける必要もなくなる。
僕らのほとんどはごく普通の人。喜びも悲しみも、健康も病気も、幸運も不運もみんな同じ。


2010年09月18日(Sat)▲ページの先頭へ
400円
 「カゼ薬下さい、安いやつ」「どうしたの?」「昨日から下痢ばっかりするんです、安いやつ」「ムカムカはしないの?」「いや、ムカムカもします。出来るだけ安いやつ」
 これだけ僕も安さに重点を置かれると不愉快になって「自分の安さと、僕の安さは違うかもしれないよ。自分の安いってのはどの程度なの?」と質問した。すると不意をつかれたのかその後の答えが出てこなかった。まずは症状を教えてと言って、彼の症状を把握した。典型的な夏負けによる胃腸障害だった。毎日目の前の下水道工事に従事している若い子だが、記録的な炎天下で体を張って仕事をしていたのだから無理もない。秋風が吹き出すと途端に夏ばては始まる。「自分の症状は風邪ではないよ。薬を作ってあげる。1日分作るから400円」と言うと「マジッスか?是非作って下さい」とえらい感動してくれた。彼の言うとおりにカゼ薬を出していたら、余計胃腸を壊して吐き気もひどくなるだろう。値段も彼の基準に近かったのかもしれない。
その日の午後から現場の人達が来るわくるわ。平均気温日本一を記録した街で毎日太陽の下で働いていた屈強な男達も実は不調をいっぱい持っていて、それでも懸命に働いているだけなのだ。ただ基本的には体力はずいぶんとあって、やはり並の人が同じ事をしていたらもたないだろう。
 もうほとんど「何でもやる課」状態で、色々な症状を言ってくる。今のところほとんど全員を満足する薬が作れていると思うが、すべて1日分だけ作って400円頂いている。症状に応じて薬を作ってあげることが受けているのか、400円という値段が受けているのか知らないけれど、急に親しくなった。半年以上目の前で工事をされていることに不快感は何故かなかったが、接点も全くなかった。漢方薬を求めてこられる人が多いから入りにくかったのだろうか、それとも日常的に目撃する僕が品が良すぎて近寄りがたかったのか。今日などは、医院の処方せんまで2人が持ってきた。当然医院の前には組んでいる薬局があるが、僕の薬局の方が待たなくてもいいし、わざとらしい質問もしないから彼らは持ってきやすいのだろう。あの日駐車場で円陣をくんでアイスキャンディーをみんなで食べている姿を見て「えらい似合わないものをなめているんじゃなぁ」と言った僕の言葉が壁を取り去ってくれたかもしれない。
 品はないけれど腕がある。口べただけれど嘘がない。いかつい面だが目が笑っている。遊ぶ金はあるが薬代はない。大言壮語の割には気が小さい。彼らが特別なのではなく、田舎で生きていく人達の愛すべきDNAなのかもしれない。


2010年09月17日(Fri)▲ページの先頭へ
北房
 「北房へコスモスを見に行ったけれだまだ全然咲いていなかった」と初老の男性が言ったから、「どうしたの、わざわざ茎を見に行ったの?」と答えた。もっとも僕は北房がどの辺りか実は詳しく知らなくて、岡山県の北の方くらいの認識しかないし、コスモスと言われてもどんな花か見当もつかない。コスモスと言われると、花よりもドラッグストアか山口百恵の方がぴんと来る。
「100万本のコスモスが咲いていると思って行ったのに」と残念そうに言うから「100万本の茎が見えたのだからいいじゃない」と意地でも茎に拘った。県内の道の駅や植物公園を訪れるのが趣味なのか、薬を取りに来るたびにどこどこへ行ったと教えてくれる。首と腰をスポーツで痛めて、手がしびれ握りにくく、歩くのは老婆にもおいて行かれるほど心許ない。しかし何故か薬を飲むのはすこぶる熱心で、茶碗を落とさなくなった、老婆にならついて歩けるようになったなどの効果はあったが、これから先も長い。それなのにリハビリは苦手らしく奥さんがいつも嘆いている。ただ車は運転できるから、県内の色々なところを訪ねているのだ。
 家が200坪の土地に建っていて、隣に荒れた自分の土地が300坪あるそうだ。500坪もあれば、毎日ウォーキングを自分の土地で出来る。「ご主人、人に会いたくなかったら、自分の土地をぐるぐる回ればいいではないの。僕の患者さんで、人に会いたくないから納屋の中を30分歩き続けている人がいるよ。車を入れているから狭いところを通り抜けるようにして歩いているらしいよ。何も景色が変わらないのにすごい忍耐でしょう」と教えてあげると、奥さんと一緒に吹き出していた。治りたい一心の懸命の努力は痛々しいが、病気というものはなかなか人と共有できにくいものだ。余程共通の病気を体験しないと分かり合えるものではない。僕らは多くの病人と接するから、毎日毎日病気の疑似体験は出来るが、痛みや苦しさは共有できない。
 年金暮らしの悠々自適も健康の裏付けがないと、苦行になる。500坪の土地があっても一歩も歩かない人と、車庫をちょっと大きくした程度の納屋を、ハツカネズミのように歩き回っている人と現役時代をそのまま引きずっているが、せめて病気だけは平等であって欲しい。


2010年09月16日(Thu)▲ページの先頭へ
大根
 いやいや、まいったまいった。僕は原則として体に不調を持っていてその不調が痩せれば治る人以外は、いわゆるダイエットの薬は作らない。基本的には筋肉が落ちて、より不健康になるのがおちだから。
今日来た奥さんもそうだ。長い間見ないうちにずいぶんとまるまるしてきた。顔が小さい人だから、お腹回りのふくらみはかなり立派に見える。もう70歳に近いのだろうが、老人会のスポーツで頑張っている。種目は忘れたが、確かグランドテニス?ゲートボール?セパタクロー?ペタンク?K−1?その中のどれかだったと思うが、結構上手らしくて県外に試合に行ったりしている。
 その奥さんが痩せたいというのだが、その理由は毎週スポーツを楽しんでいる時、仲間から「いつ生まれるんで?」と大きなお腹を見ながら言われることが耐えられなくなったからなのだそうだ。この瞬間もう僕は断りの体制に入った。その後色々問診しても元気この上ない。医学的に標準体型を保っているよりも若干小太りの方が長生きすることを説明しても、納得しない。寧ろ他の人に自慢できるくらいの健康的な体と意欲を持っているから「僕にどうしろって言うの、僕は商売はしたくない」と言うと、その女性は意を決したように「○○さんみたいになりたい」と言った。これには僕も参った。○○さんが、吉瀬美智子とか綾瀬はるかくらいならまだ分かるが、○○さんは牛窓に実在の人なのだ。「昔も今も全然変わっていないよ、すらっとして」と言うが、なるほどその通りで今も美人だが、若いときはかなりの美人だった。お店をやっているので、シャッターを開ける姿など僕もしばしば見ているが、余り人前に出ない人で、そんな人の体型を羨ましく何十年も見ていた女性がいたってことがおかしくて仕方ない。恐らく買い物姿とか、それこそシャッターを開ける姿とかを垣間見る程度だっただろうが、30年以上に渡って理想の体型として眺めていたことが面白い。
 日常の何気ない風景の中にも、役者が居て観客が居る。どこかで誰かが見ているのだが、この程度の内容なら心温まるエピソードだ。田舎には大根役者を優しく見守る大根観客が居る。


2010年09月15日(Wed)▲ページの先頭へ
草木
 いつもと違う光景には、例えそれが些細なものでも目がいく。敵を察する動物としての本能かどうか分からないが、とても敵にはなり得ないものの変化にも気づいてしまう。
こんな所にも花が咲くのかと、いくつもの気付きを今朝もした。やっと秋の気配を感じることが出来るようになったかと思うと、秋に咲くべき花たちが一気に、しかし結構遠慮気味に存在を示す。
 駐車場の丁度車輪に踏まれない辺り、テニスコートのフェンスの外側、主の居なくなった空き家の石垣近く、いつどの様に命を運ばれてそこに住みついたのか突如視界に気配として入ってきた。人為を感じさせない絶妙の命の場がなんとも奥ゆかしい。花の名前を全く知らない僕だから、それらに名前があるのかどうかも知らない。ただ雑草ではないことはさすがの僕でも分かる。回りの草とは比べものにならない背の高さ、花の大きさ、色彩の鮮やかさ、どれを取っても草ではなく花なのだ。
それにしても僕らはまだ辛うじて動物で留まっている。誰が名付けたのか知らないが草食系男子という言葉を良く耳にするが、男女とも草食に留まらず草木そのものに近づいているように思う。草木は例え群生していても直接交信するわけではない。風の力か虫の力を借りて交信する。行動して直接交わることはない。動物は移動の手段を持っていて、交信を目的化して移動する。意志を伝え確認するために移動する。動物とはよく言ったものだと思う。その動物が、直接出向き、直接交信し、意志を確かめ合わなくても済む手段を手にしてから、直立不動で咲く草木になった。草木でも発達した通信手段を用いれば、動物と同じように交通できるのだ。移動は最早交信の絶対的な条件ではなくなった。
少しずつ直立不動の人達が増える。スマートに社会の中に咲く人達が増える。無用の摩擦も不快な感情もすべて避けて通ることが出来る。風にそよげば傷つけることもなく傷つくこともない。摘まれることもなく踏みつぶされることもない理想郷だ。
 朝早く空き家に住みついている野良猫が、フェンスの外側で太陽の光を待ち、駐車場で石を投げられた。草木は凛としてただたたずんでいた。


2010年09月14日(Tue)▲ページの先頭へ
浄化
 目を疑った、目を見開いた、目を凝らした、そのどれもが当てはまり、そのどれもを交互に、あるいは同時にやっていたに違いない。こんな事が実際にあるのだと、とても珍しい光景に遭遇して得した気分だ。
パソコンに向かっているときに1人の女性が入ってきた。入り口に対して横向きで僕は腰掛けているから、少しだけ首を動かし軽く挨拶をした。時々お子さんのニキビの薬を取りに来る女性だ。打ち込んでしまいたい文章が少し残っていたので、ちょっと待ってねと言って作業を急いで済ませた。その後おもむろに立ち上がり彼女の方を向くといつものように微笑んでいる。でも何となく違うのだ。どこがどう違うと言われても困るくらい似ている、いや一緒なのだが、でも何となく違う。ふと思い当たることがあって「○○さんのお嬢さん?」と尋ねた。「お久しぶりです」と答えたから僕の勘は当たっていたのだ。本来なら「○○さん?」で止めておくべきだが、ひょっとしたら小学生の時バレーボールを教えていた子が知らない間に立派な大人になっている事もあり得ると直感的に思ったのだ。だからほとんど一か八かの問いかけだったのだ。それくらい、そっくりだった。違うところを捜す方が難しい。双子と言っても通用するだろう。
「それにしても似ているなあ」と僕は接近したり離れたりを繰り返した。「似ていると言われない?」と尋ねると「よく間違われます。知らない人に話しかけられたり、手を振られたりします」と答えた。それはそうだろう、数十センチの距離に接近しても分からないのだから。しいて言えば肌の張りくらいで何の違いも分からない。
 ここまでうり二つは見たことがない。似ているとか、面影があるとかの表現はありふれているが、双子みたい、うり二つの表現は滅多にない。「テレビに出たら?」と水を向けてみると「似ているだけでですか?」と笑顔で答えてくれたが、僕はくだらない番組100本より彼女たちを並べた方が面白いと思った。母娘でここまで似ることもありうると、衝撃映像を集めた番組に流せばいい。どうせ彼らにまともな番組を作る能力なんてないのだから、すぐに飛びつくだろう。
こんな些細なことで心が明るくなる。テレビでは一国の偉い人がみっともないネガティブキャンペーンをやって権力欲を満たしたみたいだ。テレビで見る偉い人達の人相の悪さはどうだ。どうしてあんなに醜い表情になるのだろうと思う。田舎にはこの国の空気と水を浄化している暮らし人達がいて、人の心まで浄化する暮らし人がいる。いい顔でないと何も清くすることは出来ない。


2010年09月13日(Mon)▲ページの先頭へ
加川良
 入り口から一歩入ったところで立ち止まり、じっと僕の顔を見て、にやっと笑った。この手の仕草は誰もが思惑は同じで、「さああててごらん誰だったかな」と言っているのと同じだ。その手の誘いに容易に乗ってしまう僕はさて誰だったかなとすぐ考え始めた。一番最初に浮かんできたのは僕の幼友達だが彼が薬を取りに来ることはない。全部奥さんの仕事になっているから。この間1,2秒だっただろうか。その次に浮かんだのが、僕らの時代のヒーローのフォーク歌手、加川良なのだが、かれこれ30年近く見ていないがここまでは貧相にならないだろうとすぐにうち消した。このヒントで思い出した。もう20年近く会っていない○○君だ。これは自分でも正解だと思ったし、その瞬間僕の心は当時にタイムスリップしたので、確かめるまでもなくすぐに話が弾み始めた。
当時、誰がきっかけになったのか忘れたが、津山あたりから一風変わった人達が沢山流れてきた。そして何がきっかけになったのか牛窓あたりの一風変わった僕と親しくなった。仕事が終わると毎晩のように彼らが牛窓でアジトにしていたボロ家に集まり、ギターを弾いたり、くだらない話をして楽しんでいた。
 彼が牛窓を去った後、送電線の工事に携わっていると聞いたことがあった。脚立の上でも震える僕からするとほとんどヒーローに近いから、まずそれを確かめてみた。やはりそうだった。「勇気があるなあ」と感心すると「馬鹿は下から扇がれると上へ上へと登るんよ」と照れ笑いしていた。彼が牛窓にいる頃、どうして暮らしていたのかも気になったので「あの頃自分はどうして食っていたんだたっけ?」と尋ねたら、くだらない仕事を色々やっていたと言った。具体的には何もあげなかったから本当にくだらないことをやっていたのだ。そう全員がくだらないことをしていたように思う。何故かミュージシャンが多くて、ギターを自由に操るのを見ていて羨ましく思っていた。彼もその中の1人でブルースを弾かせれば素人の僕など羨望の眼差しを送らなければならなかった。
 仕事の合間を縫って、勿論牛窓にも送電線に登るために来たらしいのだが、やって来てくれたので、急いで多くを喋った。元ミュージシャンの彼に是非尋ねてみたかったことがあったので、それを口に出すと意外な答えをしてくれた。音楽とは一番早く手が切れているだろう僕が、実は毎週フィリピン人のコーラスの伴奏をしていると聞いて彼は驚くと共に羨ましがった。僕のギターで歌ってもらうのは気が引けると彼にうち明けたのだが、伴奏で大切なのは、確実にリズムを刻むことでテクニックではないと言ってくれたのだ。ギターが上手い人は段々リズムが早くなって、伴奏には向かないらしい。単純な和音をメトロノームのように刻むのは、それも後打ちで刻むのは難しいから、寧ろフォーク歌手出身の方がリードギターより合っていると言ってくれたのだ。これには勇気をもらった。ああ、今までのように伴奏をしてあげれば、それも後ろめたさなくやってあげればいいのだと思い直した。
どちらが言い出すわけでもなく、あの頃の皆は今では結構まともな人間になっていると言うことになったのだが、彼が面白いことを言った。「それでも一番まともになったのは○ちゃんだろう」と。この○ちゃんは実は僕が親しくしている鍼の先生なのだが、どうやら彼の考えではこの鍼の先生が一番かわったって言うことなのだ。僕に言わせれば目の前にいる彼こそが一番まともになったと思っているのだが、自分のことは誰も分からないのだろう。僕は思ったことは口にするタイプだから「いや一番まともになったのは自分だ」と言うと、どうしても鍼の先生が一番だと言い張った。
 当時僕らは、30代に入ったばっかりで、まだ何かが出来るのではないかという気持ちはあったが、なにぶん誰の能力も所詮2流で、マイナーな人間が群れを作って動物園の中で遊んでいたような状態だった。ただ動物園の中は結構楽しくて、30代があっという間に過ぎ去ってしまった。
話ながらも胃を押さえるので生活ぶりは想像できる。家庭を持っているのと尋ねたら持っていないと言う。酒とタバコでおそらく胃に傷を付けているのだ。変わっていないのはこの無頓着ぶり。当時のままだ。この自分に対しても自由な立ち位置が彼の本領だ。不思議と地上数十メートルの足場の怪しげな所での仕事だけは続いているが、生活自体は地面に最初から落下している。いや半分地面にめり込んでいるくらいだ。僕も含めて動物園からその後みんなが離れていったが、それぞれの住処でそれぞれの生き方をしている。特別の才能を持っている人は1人もいなかったが、それでも何かを諦めないでいた。何も手にすることは出来なかったが、園を出てから自分の歩む方向だけはそれぞれが見つけたのかもしれない。
「やまちゃん、まだ漢方薬をやってるの?」偶然彼がいる間に二人の方が漢方薬を取りに来たのを見て彼が言った。まだやっているのではなく、あの頃の助走を今トップスピードにしているつもりなのだが、彼には当時しこしこと漢方薬の勉強会に出席していた僕の記憶しかなかったのだろう。彼が送電線の高所に居場所を見つけたように僕も又漢方薬に居場所を見つけ、○ちゃんも又鍼の治療に居場所を見つけている。カビと便所の臭いが混ざったような狭い畳の部屋に毎夜集まった人間達の「まとも競争」の勝敗が決められないまま時計の針が水を差した。


2010年09月12日(Sun)▲ページの先頭へ
子供手当
 「電話終わった後、なんだかすごく変わったんだなと言う実感が出てきました。とても自然な流れで、薬を変えても大丈夫と言ったけど、先生の薬にしがみついてるような前の自分では考えられないことでした。毎日考えることはお腹の心配ばっかりだったし、今思えば異常な毎日です。今はまだまったく考えないと言うわけでは無いけど、前に比べたらホントに少ないです。それも先生に出会えたからです。誰にもわかってもらえないお腹の痛みとか不快感を少しずつよくしていってくれたから、今の状態までこれたと思います。本当にありがとうございます。良くなったかもと人に言うと、また悪くなったりするかもしれないので、その時はよろしくお願いします(笑)生理のほうもこの調子でよくしていきたいです(^.^)」
 お腹の薬はもういらないと、本来なら考えられないような言葉がふと口から漏れていた。その事に気がついて彼女は電話の後すぐこのメールをくれたのだ。体調が口から出す言葉さえ躊躇わせていたのだ。きっと長い年月、若い女性が何気なく口にする多くの言葉を飲み込んでいたに違いない。言葉ですらそうなのだから、行動においては尚更だ。多くのためらいを悔しさと共に現場に残してきたに違いない。
彼女は僕の薬局に初めて飛行機でやって来た人だ。数年前、彼女のおかげで岡山空港を訪ねる機会を持てた。乗客が改札口を全員出たはずなのに彼女だけは見えなかった。ずいぶんと遅れて1人だけ出てきた。トイレに行っていたそうだ。そんなおちで始まった彼女の初めての一人旅だったが、2日間一緒に行動してとても楽しかった記憶がある。僕の大好きな備中温浦太鼓を僕の家族と一緒に聴いたり、雪の岡山城や後楽園を散歩したことを鮮明に覚えている。
 最近結婚して名前が変わったが、少し甘え気味のゆっくりとしたしゃべりは変わらない。幸せぶりが、と言うより安定した生活ぶりが言外に聞こえてくるから、自称第2父としては安心している。もっとも自称第2父の役割はもう何人になったか分からないくらいだが、僕が電話やメールでつい「幸せ?」と尋ねたときは、この自称が首を持ち上げているものと思って間違いない。
 僕はわが子達には大学を卒業した時点でお役目ごめんと思っている。それ以後干渉するようなことをしては子供達が気の毒だ。この世は、親より大切なものはいっぱいある。優先順位のどのくらいに親が登場するのか知らないが、いまさら安土桃山時代には帰れない。それよりは自称をとことん拡げて、自称から巣立つ子供達を増やす方が余程意味がある。 ところで自称でも子供手当はもらえるのかな?


2010年09月11日(Sat)▲ページの先頭へ
逃避行
 どうして浜っ子の女性のジーパンが破れていたら格好良くて、僕のが破れていたら「奥さんに買ってもらったら」と同情を引くのだろう。僕は本来都会向きなのだろうか。
真面目で几帳面、きれい好きでコツコツ型、恥ずかしがり屋で怖がり、心配性で人の気持ちを察する。こんな自己分析をしている女性が、破れたジーパンでやって来た。薬局に入ってきた瞬間、僕は応対していた人の頭越しにちらっと見たのだが、もうその時にはとても優しい微笑みを浮かべていた。そしてその微笑みは夕方帰るまで消えなかった。天性の微笑みか、上記の自己分析を希釈する為に無意識のうちに身につけたものか分からないが、クールな彼女も恐らく魅力的なはずだ。
 彼女と話をしていて、大都会の中で暮らす人の一こまをスクリーンでドキュメント映画を見ているように眺めている自分を感じた。一所懸命生きている人の日常が映されているはずなのに、妙にゆったりとした時間が流れていた。彼女が幸運にも掴んだ環境によるものかどうか知らないが、人を傷つけることが苦手な人特有のほのぼのとした映像が流れていた。
当然のことだが、僕は誰に対しても薬を飲んでもらう立場で、関心は如何に確率高く薬を効かせることが出来るかだけに集中していた。今日彼女から、薬を飲む側としての話をいっぱい聞かせてもらった。内容は僕にとって結構新鮮だった。結論から言うと、まあ今までのままでいいかと言う一応の合格点はもらえたような気がするが、それにも増してもう少し頑張ってみようと言うモチベーションを与えてもらったような気がした。知らない大都会で暮らす、1人の女性のドラマに少しだけでも参加できるのは、幸せなことだと思ったのだ。そしてそれがよりハッピーエンドに向かうように貢献できれば、こんな僕程度の能力でも生かされたことになる。
彼女と同じように心の落とし穴に落ちた人はいっぱいいる。縁あって、同じ穴に落ちた自分だからこそ役に立てているみたいだが、あの苦々しい思い出は誰もが脱出できるために役立てられなければならない。そうしないと逃避行のような青春が意味を失ってしまう。微笑みを絶やさなかった彼女だが、さすがに過去の症状を語る辺りでは時折顔が曇った。あの曇った表情を恐らく毎日多くの人がどこかで浮かべている。誰にも言えずに悶々と苦しんでいる人がいっぱいいる。今では心から思う、大きな成功を手にしなくて良かったと。嘗ての僕に一番似ている人達がただひたすら「普通」を手に入れるためにどれだけ苦しんでいるか理解できるから。
 今頃彼女は空港からバスで家路を急いでいるだろう。遠路はるばる笑顔を届けてくれたことに感謝すると共に、頑張る理由を与えてくれたことに感謝する。


2010年09月10日(Fri)▲ページの先頭へ
千鳥足
 掃除道具を取りに行くために裏の事務所の戸を開けると駐車場に5,6人の男性が座り込んでいた。僕は一瞬多くのツバメがいるような錯覚に陥った。と言うのも、その駐車場は建物の1階部分を柱だけにして外部としきりのない空間にしているのだ。その為に夏はツバメが太陽の光を避けるために一休みする格好の場所になっている。風が吹き抜けるから巣作りには適していないらしいが、3方が開放されているので一休みするには格好の場所なのかもしれない。そこにいる動物は僕にとってはツバメでしかないのだ。
大きなツバメたちは、ヘルメットをかぶっているのもいれば脱いでリラックスしているのもいる。2月から始まった下水道の工事関係者なのだが、今は県道から脇道に入ったところの工事をしていて、そのせいで僕の薬局の路地部分を工事しているのだ。そこでちょいと休み時間に涼しい場所を求めて失敬したのだろう。
ばつが悪かったのか、それぞれ何か挨拶みたいな事を言ってくれたのだが、それよりも僕が驚いたのは全員が一様にアイスキャンディーを、それも何故か青色が目立つのをなめていたのだ。その光景が奇妙と言うか滑稽というか、なんとも言えぬ不釣り合いさを感じた。炎天下で仕事をしている人達だから、一様に真っ黒に日焼けしていて、重機を乗り回すせいかお腹を中心に豊かな体つきだ。淡い水色の作業着が涼しげではあるが、なにぶん顔が暑苦しいので全く似合っていない。首に巻いたタオルも頭からかぶったタオルもやたら白さが目立ったが、ハミングの匂いだけはさせないでほしい。あまりにも似合わなさすぎるから。
「えらい可愛いものをなめているんですね」と言ったら自分たちも自覚していたのか照れていた。昼間からビールを水がわりに飲むか、せめて缶コーヒー、それもボスくらいを飲んでいるのならまだ格好いいが、アイスキャンディーを美味しそうになめているのでは格好がつかない。借りてきたネコ、もっと言えば去勢されたネコみたいだ。
 最早土建屋は建設会社になり、土方は社員になった。余りにも品が良すぎてこちらが恐縮する。若くして牛窓に帰ってきた頃は、土建屋で働く土方がいっぱいいて、それなりに活気があったような気がする。それこそ体だけで生きていた人達がいっぱいいた。いつも酒の匂いがして、生活は綱渡りのような人達だったが、滅多に綱から落ちた人を見なかった。今は多くの人が綱に上がることもせず、仮に上がったとしても容易に転落する人が多い。いっそのこと、やけ酒をあおっての綱の上を歩いてみればいい、所詮地上でも千鳥足なのだから。


2010年09月09日(Thu)▲ページの先頭へ
共通点
行きは
飛行機の到着時刻ですが、岡山空港に9:00に到着予定です。
岡山空港 9:20(9:10)出発 (リムジンバス) → 岡山駅 9:50(9:40)到着
岡山駅  10:25(9:55)出発 (JR)→  邑久駅10:50(10:20)到着  邑久駅からタクシーを利用する予定です。
帰りは、
紺浦 16:34出発(バス)→邑久駅 16:52到着
邑久駅17:09(17:34)出発 (JR)   →岡山駅  17:40(18:03)到着  
岡山駅   18:20出発 (リムジンバス最終)→岡山空港18:50到着 岡山空港 19:40出発予定です☆彡

 関東の大都会に暮らしていて、何でこの辺りの僕でさえ滅多に乗らないようなバスの時刻まで分かるのだろう。そうした僕の疑問にさらりと「私、プランを作るのが好きなんです」と答えたが、答えた時間帯が、まさに大都会の会社がフルに活動している時間帯なのだ。過敏性腸症候群で悩んでいる割には結構大胆に連絡してくるから、自分で言うようにその会社の主みたいになっているのかもしれない。もうずいぶんと良くなってもう一歩と言うところだろうか。毎回の報告が楽しみなくらい着実に改善してきた人だ。あと一歩を一気に完成させるためか、本人が言うように航空券が無料(単語を書いてくれていたのだけど忘れた。サービスポイントがたまったような印象を受けたのだが)だから僕に会いに来てくれるのか分からないが、実は僕には懸念がある。
彼女に僕のことをどう説明していたか忘れてしまっているのだ。僕はだいたい3つを使い分けているから、土曜日までにどう準備していいのか分からないのだ。もし福山雅治似と言っていたら、ビールを飲んで舞台に飛び出す練習か、タイヤのあとを喋りながら歩く練習をしておかなければならないし、もしキムタク似だと言っていたら、家中にセコムしておかなければならないし、もし西島秀俊似と言っていたら、裁判官の服を借りてきておかなければならなし。
 こんな事もあるからこれからは謙虚に、誰か身の丈ほどの1人に決めて自己紹介するようにしよう。どんな人間が電話の向こうやパソコンの向こうで相談に乗っているのかイメージしやすい方が親近感があると思って当初考えたのだが、考えついた人物に大いに無理があった。
 そう言えば、僕が口癖でよく言う言葉がある。「現場でしか治らない」そうかこれからは織田裕二で行こう。奥さんが一般人という共通点もあることだし。


2010年09月08日(Wed)▲ページの先頭へ
凶暴
 ついに出た、夏にこの言葉。さすがにこの暑さは誰にとっても尋常ではなく、虫にだってあたりたくなるのだろうか。
冬、薬局の中で良く耳にする言葉に「今年の風邪はきつい」と言うのがある。その後に、高い熱が続くとか、咳がなかなか収まらないとか、鼻汁が緑色になるとかの具体的な症状説明が続く。僕はその言葉を聞くと必ず反論する。「自分が風邪を引いたからそう感じるだけで、引いていなければたかが風邪くらいって言うだろう」と。風邪はいつひいても所詮風邪でしかない。体力さえあれば数日で治ってしまう。逆に養生を怠れば長引く。余談だが、風邪の患者さんにはヤマト薬局ではカゼ薬よりも体力の薬を重視する。その為に敢えてカゼ薬は製薬会社の高い薬を使わずに、独自のカゼ薬を作って極力安く抑えることにしている。体力を回復してもらえる薬にお金を使って欲しいからだ。話を戻すと、きついという人の中で養生をしている人などいない。遊びすぎか働き過ぎの人達だ。人は自分に災いが及んだ場合だけそれを深刻に受け止めるが、対岸の火事なら気にもとめない。それが人の常だし、それだからこそそこそこ健康的に暮らすことが出来るのだ。いちいち人の不幸を思いやっていては身が持たない。僕ら凡人は、善意も善行も身が持つ程度ってのが最低限必要な条件なのだ。身の丈以上は命取りになってしまう。
そこで出たのが「今年の虫は凶暴だ」発言だ。昨日胸をはだけて見せてくれた奥さんが使った言葉だが、確かに胸の辺りをかなりかきむしっていて、広範囲が真っ赤になっていた。説明によると、お風呂場に置いていたタオルに蟻がいっぱいさばっていたというのだ。頭に来たからお風呂に浸けて殺したと言うが、蟻が水死するようには思えない。蟻の体は水をはじくことが出来ると聞いたことがあるし、実際水に沈めてもすぐに浮いてきて見ている前ではなかなか溺れ死なない。蟻の逆襲を受けたのかいくつもの刺された跡があり、炎症を起こしている。偶然居合わせた他の女性も心当たりがあるのか、「今年の蚊も刺されたら激しいよ」とお互いの些細な体験で盛り上がっていた。夏の暑さで餌がないからだと答えを二人で導き出して納得していた。
自分1人の個的な体験だけで、一気に一般論にまでにしてしまうのは人の常で、責められるべきものではない。寧ろ人間的な営みで親しみさえ覚える。誰も傷つけない飛躍に相づちを打っていれば相手も気が済むのだろうが、そこはいつもの僕の素直な心が黙ってはいない。「水につけて皆殺しにしたあんたの方がよほど凶暴だ」


2010年09月07日(Tue)▲ページの先頭へ
フリル
 僕が着ているTシャツの襟のあたりがもうずいぶんとくたびれてよれよれになって波打っている。長く着たからなのか、元々安物でこうなるのか分からないが、恐らくどちらもあたっているのだろう。ある男性がそれに気がついて「もうそろそろ奥さんに買ってもらったら」と助言してくれたが、胸が破れて素肌が覗きはじめればさすがに僕にとっても買い時かもしれないが、この程度で捨てるのは忍びない。
どうも僕と他者とはものの寿命に関してかなりの認識の違いがあるらしい。僕にとってはまだまだ十分着れるものでも、人から見れば寿命に近いものに写るのだろう。車でもそうだが、僕は乗れる間は乗る。パソコンにしても他のものにしても、諦めがつくまで壊れきってから新しいものにする。使えるものを買い換えるって発想はない。
 恐らくその根底には、僕にとって「余所行き」がないことによると思う。皆無だとは言わないが、その概念がかなり少ないのではないかと思う。この年齢で余所行きもないかもしれないが、この年齢に達する遙か以前から余所行きを排除してきた。服装どころか、持ち物、履き物、いやいやそんな次元ではなく、言葉、行い、考え方などすべてにおいて「いつも通り」を心がけてきた。何か信念があってそうしたのではない。ただひたすら自由でいたかっただけだ。自分が作り出す虚像から自由でいたかっただけだ。
 その男性には「このTシャツの襟にはフリルが付いているんだ」と答えたが、ここまで話さなければ誰にも真意は伝わらないだろう。ただそれを誰にも伝える必要はない。こだわりなんて極めて個人的な問題だから、自分自身の中で密かに完成させればいい。こだわりの中でしか自由を表現できないなんて不自由そのものだが、檻の中からだって空は見える。


2010年09月06日(Mon)▲ページの先頭へ
機関車
 確かに僕の漢方薬の狙い通りの変化なのだが、あながち薬だけではなく、この猛暑による仕事への追い風の方がもっと効いたような気がする。
田舎で商売を継続させるのは、いや、都会でも同じ事かもしれないが、なかなか大変な時代だ。多くの店が止めていく中で、そのお店は立派に残っている。ご主人を半年前からお世話しているのだが、当初訴えの多かったこと。そしてその訴えの内容が来るたびに変化する。医療の提供側も、受ける側も、治りにくいものに関して便利に使う言葉があるが、その代表的なものが自律神経失調症だろう。天下の宝刀宜しくこの言葉の前では患者も妙に納得しておとなしくなる。
あげればきりがないくらいの症状があり、あげればきりがないくらいの病院にかかった。一番治したいところはどこ?と最後には締めが必要なくらい訴えが機関銃のように飛び出てきて、それを聞いている僕の頭は散弾銃になる。いや最後にはこちらの集中力も切れて散漫銃になる。それでも2週間分ずつ工夫をしながら煎じ薬を渡していたら、次第にどんと構えるようになり、今では「これ以上悪くならなければいいとしなければ」などと達観した答えが返ってくる。こんな模範的な答えがでてくるのだから、実際もう随分良くなっていて、今一番辛い症状はなにと尋ねても、答えを捜すのに苦労していた。以前なら一番と尋ねているのに、答えは10個くらいは返ってきたものだ。
お店の業態にこの暑さは神風を吹かしたらしくて、忙しそうにしている。そのおかげが大きくて、自分の体調を気にする余裕もなかったのではないか。仕事が暇になるとどうしても経済的な不安が頭をよぎり、マイナスのストレスがそれこそ自律神経をかく乱する。そのせいで自律神経の支配域がドミノ倒しのように不調に陥っていく。気持ちのありようが当然の事ながらすべての臓器を支配する。
 どの業種も同じだと思うのだが、寡占化が進んで大企業が占有率をどんどん高めている。そのうち、小さな個人営業の店は消えてみんなが勤め人になってしまうのだろう。消費者と接するのは地域に共に暮らす人ではなく、どこからか派遣されてきた人達だ。いずれ立ち去る所に真心を尽くすことが出来るのだろうか。知らない町でまるで旅人のように留まることを知らない人達に磯の香が、田園を渡る風の香が匂うだろうか。
 歴史は機関車のようにわき目もふらず突っ走っているが、振り落とされまいとしてしがみついている呼ばれざるものは、今鉄橋の上から深い谷底を見下ろしている。


2010年09月05日(Sun)▲ページの先頭へ
安全運転
 日曜日の朝、寝坊が目を覚ましてやっと行動する頃、10台以上のオートバイが国道を南下していた。左端を1列とはいかないが2車線道路をすべて占有するような走り方ではなかった。僕の車が追いついたのだからそれほどスピードを出しているわけでもない。ただ、見るからに若くて、着ているおそろいの服の背中に○○組と書いてあった。桃組なら幼稚園で可愛いし、C組なら僕の中3の時のクラスだし、星組なら宝塚で華やかだ。ところがその手の名前に使われることの多い「龍」だったか「虎」だったかが書かれていた。刺しゅうするほどお金がないのか、まだその域に達していないのか、何となく質素だった。そう言えばオートバイも特別大きいというわけではなかったが、ナンバープレートだけはしっかりと水平に折り曲げられていた。
僕は追い越し車線を並行して走ったのだが、1人の如何にも幼い少女がオートバイの後部座席にまたがりタバコを吸っていた。本人としては悪びれて格好いいと思っているのかも知れないが実はそのタバコの味を僕は知っている。僕もあの頃全く同じようなことをしていたのだ。違うところと言えば、格好いいオートバイではなく、超中古の原付バイクだたって事だ。さび付いて、なかなか始動できずに、平地を懸命に走ってはその勢いでエンジンをかけていた。キックでかかれば運がいい方だった。それでも走り出せば格好つけてタバコを吹かしながら、予備校に行く振りをしてパチンコ屋に通っていたものだ。その時のタバコの何とまずいこと。美味しくも何ともない。おまけに風で火の回りが早くてあっという間に済んでしまう。なけなしのお金で舞台装置を整え、誰も見ていないのに、まるで映画の中の悪役のように振る舞っていた。青春期特有の1人芝居なのだ。あの子も又、観客のいない舞台で孤独な演技をしているのだ。
 華奢なライダーを追い越すときに見ると少女だった。信号で止まったとき先頭をずっと走っていた少年がその子を振り返って笑顔を送っていた。とても優しい顔をしていた。これからどこに向かうのか知らないが、すこぶる健康的な時間に出発していることは間違いない。悪びれる事でしか注目を集められない少年達の連帯が左折して消えていった。よい子ぶったり、よい子を強要されて自滅していくより遙かに人生の安全運転をしているように思えた。


2010年09月04日(Sat)▲ページの先頭へ
捨て石
 自慢するものがなければ何でもネタにするのは、最近の最高気温合戦を見ていても分かる。多治見や熊谷の人達のインタビューを見ていると、一種の快感が伝わってくる。どちらも地方都市らしくて、登場する人達の表情がとてもいい。照れながらの自慢ぶり、居直ったような自慢ぶり、自虐的な自慢ぶり、どれも降って湧いた新ネタに便乗している。  さてここで岡山も降って湧いた事実に便乗。昨夜ニュースを見ていて頭を傾げたくなるような記録を知った。今年の夏の平均気温が何と岡山市が全国一位なのだそうだ。一瞬あれっと思ったが、恐らく平均気温と言うところがみそなのだろう。最高気温なら前述の2つの街がダントツだろう。ところが平均気温となると岡山市と大阪市が同じ温度で全国一位らしい。そう言われてみるとなるほどと頷けることもある。まずこの夏、僕は数滴の雨に当たっただけだ。瀬戸内沿岸の降水量は平年の1割にも満たないとニュースで報じていたが、まともに雨が降ったのを覚えていない。数日前どこかの町を襲ったであろう夕立の雨が風にのって数滴運ばれてきただけだ。雨が降れば気温を一気に下げてくれるが、それもないとなると気温は1日中高止まりだ。その為に平均気温が高いって事になるのだろう。夏の初め、駐車場代を倹約しようと市内を歩いて頭がふらふらしたのも頷ける。
 最高気温ほどインパクトがないためか、平均気温日本一を教えてあげても誰も喜びはしなかった。寧ろその記録を迷惑がる人ばかりだ。ただ誰もが経験のない暑さだったらしく、各々が一つ二つ蘊蓄を披露した。その中で興味深かったのは若い漁師が教えてくれた内容だ。
 牛窓港の沖、海面下2メートルのところに水温計を設置して毎日水産試験場が計測して情報を流しているらしいのだが、今でも水温が30度あるらしい。30度と言えば恐らく何の準備体操もなく、身体に徐々に水をあてて海に入るような作業なしで飛び込める温度だと思う。海の中だと暖かいと感じる温度だろう。そんな温度では魚が海面に上がってきたら死んでしまうだろうと言った。そうなのか、魚が死ぬ水温を、又その水温を保つだけの気温を僕たちは経験しているのだと、あらためて知らされた。このままだと冬には魚が獲れないと心配顔をする漁師に、例の便乗話など出来ない。一気に話が深刻になってしまった。
今年の笑い話が来年も又笑い話で済むとは限らない。着実に進行している自然からの反撃を免れる人と直撃を食らう人がいてはいけない。免れるならすべての人が、直撃ならすべての人がが望ましい。幸運を掴み損ねた人達は捨て石ではない。路傍の石ではあるが捨て石ではない。


2010年09月03日(Fri)▲ページの先頭へ
進学校
 あるお母さんに返信したメールの中で「何もしないことより、無理をして背伸びしてしまった方が悲劇的な青春を送ってしまう危険性をはらんでいる」と伝えた。頑張らなければ生きていけない時代、それを幼いときから当然のように目撃している時代には、叱咤激励はそれなりの効果を持っていたのだろう。ところが物質的に満たされている時代に生を受けた世代にとって、頑張る理由を見つけるのはとても難しい。目に見えるものは身の回りに氾濫し、目に見えないものはますます見えないところに押しやられている。見えないものを見つける目は心の目でしかないのだが、その目を研ぎ澄まされる機会は圧倒的に少なくなった。
過敏性腸症候群のお世話をしている人達の中に或る群がある。その群に横たわるキーワードは「進学校」だ。進学校なるものは全国に配置されているから、都市か地方かの差は感じられない。都市部では中学受験、地方では高校受験でその肩書きに挑戦するのだろうが、運良く合格して運悪く付いていけなかった人に過敏性腸症候群を発症するケースが目立つ。受験をするから本来的には優秀なのかもしれないが、進学後の成績までそれは保証してはくれない。だから進学してから思いの外成績が伸びなければ、嘗てとは裏腹にコンプレックスが頭をもたげてくる。合格後の高揚感から谷底に突き落とされるような屈辱だ。元々低い山にしか上らなかった人にとってはその落差はたいしたものではないかもしれないが、上った山が高ければ高いほど落ちたときのダメージは大きい。
もしという言葉が成立するかどうか分からないが、もし彼ら彼女らがもう一段下の学校に進学し、その学校でトップクラスに属することが出来たら、過敏性腸症候群を始めとした病気のような病気でないものにはならなかったのではないか。希望に向かっての緊張と屈辱の中の緊張では、同じ緊張でも天地の差がある。失った自尊心を埋め合わせるには、他者を攻撃するか自分を攻撃するしかない。もし他者を攻撃することに得てている人は不良のレッテルを貼られ、もしそれが出来ない人は自分の身体を傷つける。
代償は取り返しのつく範囲までだ。振り返れば夢は限りなく幻想に近かったことに気がつく。夢が破れても山河は残るのかもしれないが、幻想が破れれば自己破壊が進む。青春に青春という名の墓標が立つ。


2010年09月02日(Thu)▲ページの先頭へ
初盆
 酪農業を営んでいる男性が薬を取りに来たとき妻が応対した。9月に入っても猛暑日が続いているから当然挨拶は「毎日暑いですね」が定番だ。妻は相手の職業を知ってか知らないでか朝から晩まで繰り返している挨拶をしたまでのことだ。ところがその男性は「こう暑いから来年は初盆をしているかもしれん」と即座にひねりを加えた挨拶を返した。妻は最初どういう意味か分からなかったらしい。男性が帰ってから、この暑さで命を取られて、来年は初盆を迎える羽目になっているだろうということを言っていることに気がついたらしい。要は全国で続出している熱中症で自分も命を取られそうと言うことなのだろうが、全開で牛の体温を下げている大型扇風機を自分に向けたいくらいの重労働なのだろう。 でもこの初盆のひねりはなかなかのものだ。今日薬局に来てくれた人に早速教えてあげると一様に笑いを誘われていた。暑いですねと挨拶されて暑いですねと返すのでは芸がないと思っているのだろうが、なかなかの芸達者だ。たった一つの挨拶が、何人かの笑いを誘い交感神経の緊張をとってくれる。
この種の冗談は漁師が得意としているのだが、半農半漁の町では潮風は陸の上まで吹き上げている。えてして自然相手の人達は口が重く、はにかみ屋が多いのだが、直球を投げて相手を傷つけることを避ける術として変化球を多用する。そうした変化球に慣れないうちは会話に付いていくのがやっとなのだが、目をそらしながらぼそぼそと今日のヒットジョークのようなものを連発されるといとおしさすら感じる。他人とかかわることが得てていない人達の最大の防御服なのだ。
 この夏、猛暑を表現した言葉はいっぱいあるのだろうが「初盆を迎える暑さ」に優るものはない。多くの形容詞がこの暑さに使われただろうが、僕の耳に残ったものはこれしかない。冷房が完備した部屋で、学業優秀の人達が繰り出す言葉に何ら心を動かされることはない。この暑い夏、せめて言葉に汗くらいは乗せてほしい。血までとは言わないから。


2010年09月01日(Wed)▲ページの先頭へ
運動場
 テニスコートから中学校の運動場は、体育館や倉庫に邪魔されて断片的にしか見通すことはできない。だから例えば人がグランドをトラックに沿って走っていても断片的にしか見ることは出来ない。
この夏何度か同じ光景を早朝見た。誰かが何かを叫んでいるような声が運動場の方から聞こえてくる。早朝なので僕は犬を放している飼い主が呼び戻す声のように勝手に想像していた。ところが、グランドをかなりのスピードで走っている人の姿が見える。テニスコートからは結構離れているので、走っている人が若者かどうかなど分からないが、かなりのスピードだから恐らく若い人なのだろう。そしてトラックに沿って走るランナーを、時に追いかける太り気味の男性がいて、その男性がストップウォッチでも見るような仕草をしながら叫んでいたのだ。二人の関係は分からない。コーチと選手か、熱心な父親と息子さんか。熱帯夜をそのまま延長したような早朝、ジョギングではなく、走り込んでいる姿に驚く。僕など、ゆっくり歩いてテニスコートを巡回するのがやっとなのに、同じ生き物には思えない。
 そもそもどんな機能が一番に衰えるのか知らないが、僕は走ることが最初に来る衰え、最初に直面させられる衰えだと以前から思っている。運動会で転ぶ父親や母親を見るときに、誰にも忍び寄る悲哀を感じていた。一見滑稽な光景も、当事者に突きつけられる現実は厳しかったに違いない。走れることと、走れないことの間には大きな溝がある。筋肉と骨格系が保証されている人とそうでない人の生活の質は全く異なる。どんな動作だってできる人と、できる動作の中での選択肢しかない人との生活の質はかなり異なる。
マスコミの餌食になりながら二人の偉い人が一つの肩書きを巡って争っている。もう随分昔のたった一つの業績だけが未だ唯一の拠り所の人間と、たった一つのミスですべての評価を落とした人間の戦いみたいだ。どちらが勝つのか僕には分からないが、二人を走らせてみればいい。足腰がしっかりしてコーナーを駆け抜けることができる方に任せればいい。だって、この国は、足腰だけが取り柄の大多数の人達が、首から上だけで生きていける少数の人達を支えているのだから。


   


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