栄町ヤマト薬局 - 2010/08

漢方薬局の日常の出来事




2010年08月31日(Tue)▲ページの先頭へ
純情
 玄関を入ると丁度その人がいて僕の方をじっと見つめた。人なつっこい笑顔だ。朝の挨拶を形通りにすませると僕はギターの準備をした。1時間半くらいのミサの後聖堂から出ると又その人が僕の方を至近距離からじっと見つめる。そして人なつっこい笑顔で意を決したように「私もギターをやっていたんよ」と言った。「ええっ!」驚きの声しか上げれなかった。似合わないことこの上ない、想像もできないとはこのことだ。このギャップを何に例えたら理解して貰えるだろうか。イチローが道端で物乞いをしている、クイーンエリザベス号が宇野港に停泊する、福山雅治が僕の顔を見て「負けた」と言う。いやいや最後はありそうな話だから例えにはならない。前二つくらいのギャップと想像してもらえばよい。若いときにギターをやっていたのなら、僕の代わりにフィリピン人の歌の伴奏をして貰えれば有り難い。正気に戻った僕は「ご主人、来週から彼らのために伴奏をしてっ!」と本気で頼んだ。するとその男性は僕のギターのネックを握るようにして、「見てごらん指が短いから届かないんよ」と言う。しかし僕に言わせれば十分届いている。「ご主人、難しいテクニックを駆使しようとしているんではないの」と言ったが、例の笑顔で拒否された。
 驚いたことに話にはまだ続きがあった。何とその方は昔トランペットもやっていて、三井造船の管弦楽に勧誘されたらしいのだ。当時の思い出話を少し聞かされたが、人の魅力ってものはギャップに尽きるとつくづく思い知った。以前、幼いときにラテン語で聖書を読んでいたと聞かされていたときから、僕はほとんど尊敬に近い感情を持っていたのだが、あの顔で、あの体型でギターだのトランペットだのと言われると、ほとんど尊敬を越えて崇めたくなる。恐らく戦後のまだやっと困窮期を過ぎようとする頃を青年として過ごした世代だと思うが、僕ら戦争を知らない世代と同じような楽しみを持っていたことに安堵する。
 僕はこれ見よがしには生理的に反発する。如何にもの人の如何にもには嘔吐する。もう2年以上僕はギターを弾いているのだが、そんな僕にやっと心を開いてくれて青春の一風景を語らずにはおれなかったその人の純情が好きだ。


2010年08月30日(Mon)▲ページの先頭へ
懸案
 まだ若いときからその店のラーメンは有名だった。偶然何度かその前を通りかかったことがあるが、いつも店頭に行列ができていた。小さい店構えだから、その中を勝手に想像して、息苦しさの方が勝って、とても列に並んでたった1杯のラーメンを食べる気にはなれなかった。おかげで何十年も僕にとっては幻のラーメンなのだ。
昨日ギターの弦を買いに同じ商店街にある楽器店に行った。3時過ぎだったと思う。遅い昼食をとろうとしてふとこの時間帯ならさすがに行列はできていないだろうと思って、少しそちら方面に歩いてみた。いつもなら遠くから行列が目に入ってくるから、店がどこかはすぐ分かるのだが、昨日は行列もなく通りが閑散としていたので、ほとんど目の前に着くまで店の存在に気がつかなかった。僕はいつも店を見ていたのではなく行列を見ていたのだ。店の前のショーケースには古びた見本が数種類並べられていて、どこかひなびた町の食堂を連想させた。県内屈指の商店街の中にあるより牛窓の港の前にあるほうが似合っている。(実際牛窓にはつい最近までニコニコ食堂と言って店主の人柄通りの隠れた人気の店があった)
狭い入り口を躊躇せずに妻が開けると、幸運にもカウンター席に1人、テーブル席に一組の男性がいただけだった。これなら僕でもゆっくり食べることができる。空く席を待っていられたりしたら落ち着いて食べられない。途中止めしてでも後の人に席を譲ってしまいかねない場数を踏んだ経験の少なさが露呈する。
 念願のラーメンをゆっくりと味わって食べることができた。テレビのくだらない芸人達のありふれたコメントとここは差を付けなければならない。さて何十年来の幻のラーメンの味は・・・・・「ごく普通」だった。テレビ番組の中なら早速降板間違いなしのコメントだが、その言葉以外思いつかない。この程度のおいしさなら味に寛容な僕でも何度も口にしている。色々なところでその店の名前を聞いたことがあるから、あながち噂は間違ってはいないのだろうと思う。ただ、当時の随一は、その後の他店の努力でどこにでもあるに変わったのだろうか。ただ、あの行列ぶりは尋常ではないからやはり、今だ群を抜いて美味しいのだろうか。こうなれば僕の味覚を疑うべきなのだろうが、妻もほとんど無感動だったから、やはり「嘗て県内でもっとも美味しかった店」なのだろうか。
 もっともラーメン店がしのぎを削っている昨今では、ダントツの支持なんてなかなか得られるものではない。作る側の個性と、食べる側の強烈な個性の一致で繁盛店は成り立っているのかもしれないが、食べる側(僕)に個性は全くないのだから、どんなに美味しくつくられていても、評価は「ごく普通」を連発してしまいそうだ。
 まあ、結果はどうであれ僕の緩い懸案が一つ減った。どうでもいいことにどうでもいい程度に縛られるのもうっとうしい。所詮消しゴム1つもあれば全部消してしまえそうな僕の足跡など、世の中の懸案にもなれないのだから。


2010年08月29日(Sun)▲ページの先頭へ
往復書簡?
 先生、奥様、こんにちは!お久しぶりです。メールさせていただくのは1年ぶりだと思うので、忘れられているのではとドキドキしています(笑)もっとメールしたかったのですが、私の調子が良かったのが原因でだいぶパソコンの前に座る機会が減って、先生へのメールも下書きのままほったらかしになってしまいました!先生のお宅にいきなり押しかけた後から、だいぶん落ち着いてガスのこともまったくと言ったら嘘ですが、ほとんど気にならなくなりました。先生が「ガスが出てるなんて誰にもわからない」と言ってくださったのが大きかったです。今でもあーガスが出たなと思うことは多々ありますが、その度にその言葉を思い出しては「出たから何なの?」と強気にでています。心の中なので誰も聞いていませんが・・・ガス出てるなら治ってないやん!と思うかもしれませんが、私が気にならないのでよいのです。漢方薬より先に、先生の言葉が病気を治してしまったみたいですね!でもストレスがお腹にくるタイプなので、働き出したら絶対また先生の漢方薬のお世話になると思います。そのときはよろしくお願いします!
 そうそう、ガスが気にならなくなってからいろんなことが変わりました。今まででは考えられないほど友達と遊びに行きましたし、なんと海外にも行きました!いまだに人が笑ってるのを見ると自分が笑われてるみたいに感じる自己中な心(言葉が違っても感じるようです!すごい発見です!)は変わっていませんが、とても楽しい時間を過ごせました。
一番変わったと思ったのは服装です。今まではどうしたらガスが出たのをわかりにくくできるんだろうかとかそんなくだらないことを考えながら服を選んでいたので、デザインなんかとうでもよくて、着たいなと思ってもそれは丈が短いからやめたりしていました。でも最近は自分の着たいなと思った服が素直に買えるようになりました。ほんとに、先日買い物から帰ってきた後、あっ自分こんな服買ってきたんだってしみじみ思いました。それもこれも先生のおかげだなぁと思うと感謝してもしきれません。とってもとってもありがとうございます!また絶対お伺いさせていただきたいです。あっ、私も今年で成人致しましたので、きっと先生とお酒を飲むぞと目論んでおります(笑)先生が暇で暇で仕方がないとき、お返事いただけたら幸いです。

○○さんへ 
 暇で仕方ないわけではないのだけれど、2つの理由で貴女を優先して返事をします。
その一つは、僕もメチャクチャ嬉しいこと。あの自分のすべてを出し切れなかった若い女性が、こんなに力強いことを言い、行動していることは僕には最高の勲章なのです。貴女が目指している職業を含め、可能性をこんなトラブルで潰しているのを見るのは本当に忍びないのです。まさに青春期に用意された多くの人が落ちやすい穴なのです。嘗てその中でもがいた僕自身に貴女も重なってしまうのです。でも脱出して、貴女の言葉の中に「関西ののり」まで現れていることは驚きです。自分自身から解放されること、これが完治なのです。そう言った意味で貴女は完治しているのです。
 もう一つの理由。久しぶりに頂いた貴女の便りは、とても力強くて余裕があります。多くの過敏性腸症候群の方の便りと同じように、嘗てはあなたの文章にも悲壮感が漂っていました。まさに僕が目指す肝っ玉を強くする処方を地でいっていることを知って、とても安堵しています。貴女が下さったこのメールを、今僕の漢方薬を飲んで頑張っている人達に見せてあげれば、「治り方」が理解して貰えるのではないかと思ったのです。貴女の言うように僕は漢方薬だけで治そうなんてたいそれたことは考えていません。僕の言葉でも、牛窓の風土でも、何でもいいのです、落とし穴から抜け出るきっかけを掴んで貰えれば。
そこでお願いですが、名前のところを削ればプライバシーは完全に守られると思いますから、僕のブログにあなたの文章をのさせてもらえませんか。
ヤマト薬局

先生がお元気そうでとても安心しています。
治ったことをこんなにも喜んでもらえて本当に嬉しいです。みんな私の心のうちなんて知りませんから、喜んでくれるのは先生くらいです。仕方ないですけど!でも母があんたがそんなたくさんの友達と遊びに行くなんて・・・と感慨深げに言ったのを今でもよく思い出します。私も本当にそうだなと思います。先生に完治したと言っていただけて、私もようやく心置きなく社会復帰できそうです(笑)今だから言えますが、この病気になってよかったなと思っています。前に読んだ新渡戸稲造の「武士道」で、武士にとって大切なことは、人とともに笑い、人とともに泣けるかということだと書いてありました。喜びを分かち合うことは簡単ですが、他人の苦しみってなかなか理解しづらいものだと思います。他人事ですしね。でもこの病気になってつらいことや不自由を幾度と経験した今となっては、思い上がりかもしれませんが、昔よりほかの人の苦しみを理解できるようになったと思います。若いときの苦労は買ってでもしろと言いますが、ラッキーなことにタダでたくさんのことを学んでしまいました。少しは人間として成長できたかなと思います。ほんとに、人生に無駄はないものですね。
 先生のブログに、なんてお声がかかるとは思ってもみなかったのでとても驚いています。
私の誰も知らない苦い経験もやっと人様のお役に立つときがきたようですね!(笑)私の拙い文章でよければいくらでも使ってくださって結構です。正直そんなに人の役に立つかどうか自信ありませんが、あのときの先生のブログに希望を見出した私のようにたった一人でも元気になってくれればと思っています。
 牛窓は風の心地いよい涼しい場所のイメージが強いですが、今この日本列島に涼しい場所などなさそうなので、きっと牛窓も暑いのでしょう。
お体をお大事にこれからも頑張ってください!
 それでは、失礼します。


2010年08月28日(Sat)▲ページの先頭へ
棚に上げる
 これほど怪しげな表現はない。街の声、もっとひどいのは国民の声。低俗なワイドショーならいざ知らず、ニュースの中でも平気で使われる言葉だ。ほんの数人、それも東京の便利な場所でマイクをむけて得たコメントを、上記のような一般論に奉りあげてしまう。街の人は皆怒っているとか、国民はみんな不信感を持っているなどと、見てきたような嘘を平気で言う。それだけでもかなりの罪だと思うのだが、恐らく局の意図に沿ったコメント、あるいは商品になりそうなコメントを優先しているだろう。マスコミなどと言うものは表向きはどうでも中身は単純に金儲けが目的だから、金になるネタ、金になる表現が最優先だ。ばか面と正義感面が札束を数えている。
 どこの国も同じかもしれないが、どうもこの国の人達も自分のことを棚に上げることに抵抗がなくなったようだ。平気で他者にたいして否定的な言動をとれるから余程自分を過信しているか、自分にはすこぶる寛大なのだろう。余りにも自分の本来と乖離したときには、恥ずかしさを覚えるものだが、その恥の文化も最早地層の中でしか見つけることができなくなったのかもしれない。
 目に留まるのは大根役者の魂胆丸見えの演技ばかり。そんなくだらない演技を日常的に見せつけられ、追いかけ、評価しているから、見えないところでの誠意や献身には気がつきもしない。田舎は都会の空気清浄機でもないし、浄水場でもない。たまに訪れて生活の垢を落とすところでもない。殺伐とした都会の人間関係に潤いを持たせる人の集団でもない。肉体労働を担うところでもないし賃金労働者の供給源でもない。街の人が町の人に優る理由はないし、国民が町民を含むとは限らない。口から先の労働なんて信じない。腰を痛めて、首を痛めて、膝を痛めてそれでも尚急斜面の道を上っていく老いた農夫の痛みを信じる。


2010年08月27日(Fri)▲ページの先頭へ
鱗雲
 娘夫婦が何かパソコンの前で作業を繰り返していると思っていたら、新しいホームページが出来上がったらしい。出来上がるまでにそんなに長い日数を要しているようには見えなかったが、僕のものなんかより数段面白そうなのができている。今は素人にでも簡単にできる時代なのだ。僕の新しい方のホームページは、セールスの口車に乗って契約して作ったのだが、あまりの金額の高さにため息ばかりが5年間漏れていた。古い方のホームページを試行錯誤しながら独力で作ってくれた薬剤師に何で契約したのと悪く言われたものだ。今思えば全くあたっている。田舎にある薬局のハンディーを何とか克服しようと当時は思ったのだろうが、あれだけのお金があったら、ハンディーを受け入れてパチンコにでも行けば良かった。
 さて、ホームページの活字は読んでいないが写真は見た。そしてしまったと思った。店内の案内に出てくる様子がなんて貧弱なこと。特に一番いけないのが相談机。実はあれは息子が中学校時代に使っていた奴で、邪魔になるから店内で使っている。まことに殺風景で、あれではカリスマ薬局みたいに座って相談しただけで1万円は取れない。余程自信がないと見えてそれらの薬局は調度品で重装備するのだが、僕もせめてもう少しもらった備前焼でも並べていて、カリスマ性を出せば良かった。
 漢方の問屋さんが、スタッフの写真も載せるといいですよ、親しみが湧くらしくってと今日教えてくれた。僕の場合、親しみと言うより憎しみが湧くのではないかと思うからそれには乗れない。修正に修正を重ねてくれれば見るに耐えうるかもしれないが、余りにも品がないと漢方薬の効き目に影響してくる。
「持っているもので勝負」などと言うと格好はいいが、実際には「持っていないもので勝負あり」だ。地では僕、空では鱗雲が勇み足。


2010年08月26日(Thu)▲ページの先頭へ
 その地が良かったのか、仕事から離れたことが良かったのか、旅行とはたいしたものだ。余りしたことがないから、その解放感は体感的には理解できないが、その方の体調の改善ぶりからは大いに想像できる。行った先が東南アジアってところもその人にとっては良かったのかもしれない。偶然数年間、僕はその国の人達と関わりを持ったから、彼女たちの純朴さは大いに評価している。もしその様な人達を生み出した風土の中で数日間でも暮らせば、日本で日々戦いのポーズで暮らしていた人でさえ、心も身体も弛緩できるのだろう。
その職が合っているのかどうか分からないが、安定剤や僕の漢方薬の助けが必要だ。社会的に評価の高い仕事だがそれだからこそプレッシャーも重くのしかかる。彼のように薬の助けを借りながらも懸命に働いている人はいっぱいいる。特に最近では心療内科的な薬を常用してなお仕事に励む人が多い。日本人の潔癖さがそうさせるのか分からないが、見ていて痛々しい。一度ドロップアウトしたらなかなか復活が難しいこの国では、心を病んでもなかなか休むことはできないのだろう。強いられた生存競争の中でますます心を削っている。痩せた心で毎日職場に向かうのは辛かろうが、痩せた心までは人は見てくれない。痩せこけた体ならまだ見て理解してくれるのだが。
 帰国したら又僕の漢方薬が必要になった。電話で一杯笑ってくれたから、心の中にまだお土産は残っているのだと思うが、それも少しずつ小出しにしてやがて尽きる。心のトラブルはいわば作られた病気だ。作為的ではないにしろ、社会が生産性や経済性や効率ばかりを追求した過程が、人の心の時間とは合わないのだ。人は本来歩く動物で、車や電車、あげくは飛行機、いやいやもっと早い光のスピードで、移動するものではない。ただ移動するためだけに費やしていた膨大な時間のほとんどを、現代は生産のために費やす。頭を休める時間などないのだ。所詮、古代人とほとんど同じ容量の脳みそがもつはずがない。例えは悪いが、サッカー場にネットを張って卓球をしているようなものだ。足も手も筋肉が悲鳴を上げるに決まっている。
 病院よりも薬よりも健康を保証してくれるものなど恐らくいっぱいあるに違いない。ただそれらを享受することすら許されない、社会の掟が綿々と生き延びているのだ。


2010年08月25日(Wed)▲ページの先頭へ
教科書
ヤマト薬局様
…お薬がすごくよく効き、先日は、気付いたらお腹の調子のことを全く気にせずに、同級生たちとランチを存分に楽しんでくることができました♪こんな感覚は20年以上ぶりのことで、他人さまにはごく普通のことでしょうけど、自分にとっては、こんなに楽に過ごせるなんてことは、まず有り得ないことだったので、それはそれは嬉しかったです。余談ですが、寝起きに口の中が変な味になっていたのが、なくなったのにも驚いています。とても爽快です。本当にどうもありがとうございます。少しずつの積み重ねで、だんだん自信になってきています♪気分も明るくなってきました。主人にも、体調の変化が目に見えて分かってきている様で、最近では漢方の治療のことも、少しずつですが見方を変えてくれていて、だんだん協力的になってきつつあります。…

 いつものように何気なく下さったメールなのだが、この中に多くの過敏性腸症候群の方々が知りたいことが含まれていたので、ご本人の承諾を得て披露する。
気付いたらと言う言葉が使われているが、慢性的なトラブルで苦しんでいる人の治りようで一番理想的なものなのだ。どうしても想いがそこに集中してしまうから、今日はどうか今日はどうかと意識がそこに集中してしまう。いわゆる交換神経優位になってしまうのだ。ただでさえ交換神経が過敏状態になって発症しているのに、それに輪をかけるようなことをしたら尚更治りにくい。難しいかもしれないが、シェフにお任せも時としては有効なのだ。
 寝起きの口の不快感は年齢による唾液の分泌不足なども考えられるが、この方はまだその意味では十分若い。多くの場合、慢性的なストレスの影響が強いと考えていい。だから、過敏性腸症候群の治療に用いている漢方薬の効果が出るのも頷けるのだ。漢方薬は患部を狙って改善するのではなく、常に全体を整える事を重視する。
 ガス漏れが改善するから、気分が良くなり、気分が良くなればまたガス漏れも改善する。良いスパイラルに入っていくとその先には完治が見えてくる。何かが少しでも良くなること、僕が2週間しか薬を作らないのは、その何かを見極めたいといつも思っているからなのだ。
 ご主人の理解が進めば、あるいは改善をご主人が喜んでくれれば、治療に励みがでる。家族の協力があれば如何に治るスピードが上がるかはしばしば経験していることだ。特に未成年の方の治療で家族の援護や理解は必ず必要だ。中には親に内緒で連絡を取ってくる人もいるが、痛々しい。
得体も知れない敵と戦っている多くの人達に、参考になれば嬉しい。得体の知れないものと戦うには、得体も知れない田舎の薬局の、得体も知れない漢方薬ぐらいでないと太刀打ちできないのかもしれない。嘗て得体の知れないものと同居していた僕自身の負の遺産もまんざら意味がなかったわけではない。教科書通りに生きることができなかった人に、教科書通りの処方なんて歯が立つわけがない。


2010年08月24日(Tue)▲ページの先頭へ
よだれかけ
 何時間僕はそんな格好をしていたのだろう。これで僕のニヒリズムも地に落ちた。いや地に落ちるどころではなく、地下深く潜って二度と浮かび上がってきそうにない。もうこうなればお笑い路線で勝負するしかない。
 僕は煎じ薬を作るとき外科医が使うような4本の紐で縛るマスクを使っている。煎じ薬の粉が舞い、鼻炎になってしまうからだ。空気清浄機を使いながら作業をするのだが、それではさばききれない。マスクは必需品だ。薬を作る作業が終われば、4本の紐のうち上側をはずして、下側だけでマスクが垂れ下がるようにしておく。赤ちゃんのよだれかけさながらだ。そうしておくと煎じ薬を作らなければならない人が来たら、とっさに上の紐を結ぶだけで作業が再開できる。要はいつも下側の日本の紐で首にぶら下げているのだ。見かけはだらしないが僕自身は臨戦態勢のつもりでいる。
今日は朝から煎じ薬の出番が多かった。それこそマスクの上側の紐をほどいたりくくったりを繰り返していた。さすがに長い相談の時はマスクをはずしてポケットに入れておくのだが、今日どなたかの相談の後、ポケットにしまっておいたマスクがなくなっていた。僕が良くマスクをおく場所をいくら捜しても見つからなかった。次の煎じ薬の調剤が急がれたので仕方なく、新しいマスクを着用して作業をした。
遅い昼食をとりに2階に上がった。さすがに昼食の時はマスクは取るし、白衣も脱ぐ。ところが、マスクを取ったのにまだマスクが、よだれかけのようにぶら下がっている。何と僕は2つのマスクをぶら下げていたのだ。はずしてもいないメガネを捜す人が笑い話で登場するが、まさに同じ事をしていた。首にぶら下げているマスクに気がつかずに、必死でマスクを捜していたのだ。いくら捜しても見つからないはずだ、身につけているのだから。それにしても滑稽だったろうと思う。僕がマスクをぶら下げている姿はみんな見慣れているだろうが、さすがに二つをぶら下げているのは見たことはないだろう。どのくらいその滑稽な姿をさらしていたのか分からないが、その間に結構深刻な病気の相談にも乗った。どういう気持ちで僕の処方を服用してくれるのか分からないが、ただでさえ効かない薬が尚更効かなくなる。
 遠慮して口には出せなかったのかもしれないが、心の中でくすっとでも笑えてもらっていたらせめてもの慰めだ。緊張が取れればかなりの病気が改善するという持論を実践したんだと、今言い訳を思いついた。今日の目撃者が次回この話題を持ち出したら、椅子に浅く腰をかけ、上半身をのけぞるようにして「あなたが治るためだったら僕は何でもするよ」と微笑もう。


2010年08月23日(Mon)▲ページの先頭へ
バンジージャンプ
 昨日、或る自動車の販売店で20分くらい妻を待った。喫茶店宜しく椅子に誘導されると早速女性事務員が、メニューを持ってきて飲み物の注文を聞いてくれた。ちょっとした修理だからこんなに接待してもらわなくてもいいのにと思いながらも、冷たいコーヒーがとても有り難かった。
何の用事もなかったので目のやり場に困って国道2号線の車の往来をただぼんやりと眺めていた。ところが隣の席で繰り広げられる「攻防」にやがて耳が釘付けになっていた。絵に描いたような標準家庭の親子4人連れに対し中年セールスは敢えて岡山弁丸出しで親近感を醸し出していた。元々既知の間柄かもしれないが、こう壁のない言葉遣いをされると寄り切られるだろうなと、話の展開にお節介な不安がよぎる。案の定、最初は軽の車種について話していたのに、やがて普通車の話になっていた。広い車だと買い物が楽になるとか、具体的な地名をあげての遠出の話とか挿入される逸話が楽しげだ。カーナビだとかエコカーだとか減税だとか、テレビのコマーシャルで良く耳にする言葉も行き交っていた。背中を思いっきり押されそうな状況の時に妻が入ってきたので席を立ったが、恐らくあのセールスの人は商談を成立させるだろう。鍛え上げた物腰や言葉遣いがまるで芸のように見えた。
 実はその少し前、数人で語らっていた時、ある女性に夜中の足の痙攣に付いて質問を受けた。毎晩引きつるらしい。(これは岡山弁かな?標準語ではこむら返りと言うのだろうか)それをお医者さんに相談すると肝臓が悪いかもしれないからと言って血液検査をされたらしいのだ。つい最近スイスに行ってアルプスにかかる鉄橋からバンジージャンプをしたような女性(これは僕の憶測なのだが)が急に肝臓が悪くなるはずがない。肝硬変でも疑っているのかもしれないが、70歳代まで分からないと言うことも考えられないから、僕は検査の必要性が理解できなかった。毎日元気すぎるくらい元気に暮らしている人の肝臓を疑う理由が分からないのだ。引きつけにたいして知識がないのか、素人の慰めの為に安易に考えついたのか、経済的な作為か僕には分からないがしなくてもいい検査のような気がした。患者にたいして優位性を利用して経済行為をするのはよろしくない。
 同じ日に生活の糧を稼ぐ二つのエピソードに出会った。保証された肩書きを安易に利用する人、肩書きがないから懸命に接遇に励む人。無数に繰り広げられる日常の経済行為のたった二つでしかないが、優劣の前に横たわる懸命の方に心は奪われた。


2010年08月22日(Sun)▲ページの先頭へ
人質
ヤマト先生お久しぶりです!
今日はお腹の話とは、全く違うことなんですが、何かアドバイスが欲しくてメールさせてもらいました。早速ですが、最近自分が誰なのかわからなくなります。過敏性腸症候群になる前は、私はすごく自己中で相手の気持ちを思いやれない、わがままな人間でした。でも過敏性になってから、人に優しくすること、相手の立場に立って考えることなどを学び、完治する頃には良い子と呼ばれるようになりました。そんな自分が嫌いじゃなかったです。
でも良い子と呼ばれるたびに、良い子でいないといけない人を傷つけてはいけない、など考えすぎるようになって、自分自身に疲れきってこんな私は私じゃないと思うようになりました。自分自身が偽善者に感じました。だから私は、良い子ぶるのは止めて、以前のように何も深く考えず人に振る舞うようになりました。するとやっぱり、何気ない一言で人を傷つけてしまったりします。また自己中に逆戻りです。人間関係も前ほど円滑ではなくなりました。私は、これから人に対してどんなふうに接していったらいいですか?
また、私は一体どんな性格ですか?急にこんな重い内容ですいません。ぜひアドバイスあればお願いします…長々読んでくださってありがとうございます(;´∩`)

○○さんへ 
 貴女が遠路やって来てくれたのは、もう一歩で完治する頃でしたっけ。完治の前か後か忘れましたが、僕は貴女を見て後足らないのは自信だけだと思いました。貴女は礼儀正しく、知性も感じられ、とても好感が持てていわゆる「よい子」そのものでした。それで例えば僕みたいな他者が、貴女に物足りなさを感じるかと言えば決してそんなことはありません。若い女性が今まさに人格を少しずつ積み上げている途中だと誰もが思うでしょう。未完成の中で惑うのは当然です。惑うからこそ完成に近づけるのでしょう。
 僕にとって自信とは自分を否定しないことと同義語です。だからうぬぼれるような危険性を全く含まないのです。自分で自分を否定してしまう場合、自己の立脚点が間違っている場合が多いのです。もし貴女が外見の基準を吉瀬美智子に置いたら、落ち込むばかりでしょう。もし貴女が経済的な基準を、マスコミでもてはやされる愚劣な金持ちどもに置けばコンプレックスの固まりになるでしょう。もし貴女が知性の基準を学年でトップだった女生徒に置けば抜け出すことができないトラウマになるでしょう。もし貴女が精神の基準をアフリカに単身で渡り現地の人と共に暮らしている看護師さんに比べれば自己中を嘆くでしょう。
 貴女も僕も、どこにでもいるごく普通の人間です。それもとても大切なごく普通の人間なのです。9割9分のごく普通の人達が、何もかもを構成しているのです。この人達がいなければ何も起こせないし持続もしません。 そんなごく普通が「よい子」を競う必要はありません。ほとんどの人が少しの長所と多くの欠点を持って何とか暮らしているのですから。又誰にでも受け入れられるような無理もしてはいけません。僕は少年の頃出会った福沢諭吉の言葉を大切にしてきました。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」って言葉です。だから僕にとって人とは「人の上にある人」は含んでいないのです。その人達と元々接点もないのですが、その人達のことを過剰に評価することをしない癖が付いていますから、とても楽なのです。多くを得て、又持ち合わせている人など興味の対象外です。貴女がよい子ぶる必要はありませんが、よい子であろうとすることは必要です。ぶる事とそうであることとは全く違います。
 先に述べた立脚点をハッキリさせたらどうでしょうか。貴女が大切にする人達を定めたらどうでしょう。もしそれが定まれば、自分の力量をそれに近づけることのみに集中すればいいのですから、他者の評価は全く気になりません。自分の中から虚栄を消し去ることもできるでしょうし、何気ない凶器のような言葉や行いも出ないでしょう。どんな人達を大切にすべきか分かれば、自分の行いに自信がつきます。信念に従うことだけが貴女にとっての規範なのですから。
 僕はいわゆる世間で高く評価されている人にはほとんど感動を覚えません。職業的にどうしてもその評価と対等か、あるいはそれ以上のドロドロとした裏の生活があることを体験的に分かっているからです。寧ろ僕が勝てないなあと思うような人は、身の回りに一杯いるのです。裏通りで、車の音さえしない交差点で、赤信号でじっと立ち止まっている人。駅の階段を上ることが困難な老婆の荷物をそっと持ってあげる人。駐車場から出てくる車を優先してあげる人。痴呆の老人に笑顔で接する人。ハンディーを持っている人のお世話をする人。あげればきりがありません。貴女にとって「人」が何をさすのか分かりませんが、僕にとって「人」はハッキリしているのです。だからぶれることが少ないのだと思います。ごく普通の人の、少数でもいいからお役に立ちたい、ずっとそう思っていました。人の上に作られた人?の機嫌の一つもとらなかったから、価値観を人質に取られることもありませんでした。何かを得るために決して人質に出すようなことをしなければ、自分に不安を感じることはないのです。
 人生の坂道をまだまだ上っている貴女はしんどいかもしれません。貴女が大切にしたい人は誰ですか?それを問い続けてみてください。
ヤマト薬局



2010年08月21日(Sat)▲ページの先頭へ
体力
 ああ又みてしまった、例の悪夢を。でも今回のは特に夢の中と言え情けない。試験が迫っているのに全く勉強をしていない。授業にも全く出ていないからノートも何もない。友人のを写して丸覚えすればよいことに気がついたのだが、後1週間ですべての科目のノートを写し丸暗記するには体力がないことに気がついた。それで潔く諦めた。
 実際の話とただ1カ所だけ違うところがある。それは体力を理由に諦めたことだ。嘗てはさすがに若かったから体力を理由には挙げなかった。当時なかったのはやる気と根気と動機だった。学生として最低限必要なものすべてを失っていたから、それこそ潔く諦められた。「もうやんぴ」と即断即決で試験が始まる時間にアパートで熟睡した。1年を棒に振るなんて、1週間の勉強よりはるかに楽に思えた。話はそれたが、まさか夢の中で自分の体力不足を自覚するなんて、それこそ夢にも思わなかった。どうあがいてもこの体力では試験は無理だと思えた。
この夢を見たのには誘因がある。何をきっかけにして思い出したのか分からないが、昨日嘗てサッカー少年団の世話をしていた頃のことを思い出していた。そして一番印象深い出来事を思い出し苦笑いを禁じ得なかったのだ。
 どんな偶然が重なってそうなったのか定かではないが、ほとんど素人に近い僕が、サッカーの試合で主審をしなければならなくなった。スポーツ少年団とは言え、応援の父兄が一杯詰めかけていて、殺気立っていた。一度だけ審判の講習を受けてはいたが、ほとんどサッカー経験者のコーチに審判は任せていたから、実地の経験は全くなかった。運の悪いことに線審の経験者もいなくて、全くの素人の父兄に頼んだ。この心細さはいったい何に例えたらいいのだろう。紐がほつれているバンジージャンプか、車輪がはずれているジェットコースターか、破れたパラシュートか、甲板に穴があいている潜水艦か、いやこれこそ清水の舞台から飛び降りる心境だった。試合が始まると早速サッカーをかじっているだろう父兄から非難の声が聞こえた。審判がそれらの威勢の良い声に影響されては試合が成立しないから、僕はがんとして判断を翻さなかった。どうせどちらのチームにも等しくミスジャッジするのだからと居直った。まさに火事場の馬鹿力で何とか乗り切ったが、こんな事を今になってふと思い出すのだから、真剣に審判講習を受けていなかった後ろめたさがあるのだろう。
 長い人生で楽しかったこともあったはずなのだが、ほとんどその種のことを思い出すことがない。ここまで徹底していやなことばかりを思い出すのだから、ひょっとしたらいいことなんてなかったのではないかと思ってしまう。思い出したくないことは鍵をかけて心の中にしまっているのだが、夜の奴が夢という合い鍵を使って器用に盗み出す。枕に食い込んだ後悔が現をも蝕む。


2010年08月20日(Fri)▲ページの先頭へ
消去法
 よく使う煎じ薬は何人分か作り置きしておく。ガラスケースに入れて数種類並べている。昨日その中の一つを使おうとしてケースを持った瞬間思わず声が出るほどの痛みが走った。ガラスケースを持っただけで痛みが走ったのだから、一瞬何がなんだか分からなかったがすぐに血が溢れ出たので何が起こったかは理解できた。ケースをよく見ると劣化した部分でガラスが少し割れてはがれ落ちそうになっていた。中の生薬に押されて1,2mm或る部分だけ盛り上がっていた。それに気がつかずに僕がケースを持とうとして指を動かしたものだから、一瞬のうちに1cmくらいを切り裂いたのだ。
こんなにちょっとした傷なのに結構痛い。それなのに毎日新聞やテレビで伝えられる不幸の痛みは全く伝わってこない。何人亡くなったか、何人傷ついたか、数字が伝えることができるのは遠くで起こった不幸の大きさだけであって痛みではない。車に跳ねられたときの痛みはどのくらいなのか、土砂の中で息絶えるのはどのくらいの苦しみなのか想像することすらできない。全くの幸運だが、その種の不幸に遭遇したこともないし、遭遇させたこともない。誰だって加害者に、又被害者になりうるほど不幸な出来事は日常に氾濫しているが、願わくばこれからも今までのようであって欲しい。身をもって知る痛みにも、不本意に知らしめる痛みにも耐えるほどの精神と肉体の強靱さは持ち合わせていないから。
 大きなものを得なくたっていい、何も成し遂げられなくたっていい、ただ傷つける事が少なく生きていければそれでいい。消去法でたどり着ける幸せもある。


2010年08月19日(Thu)▲ページの先頭へ
失礼します
 あまり公の集まりに出ることがないのだが、それでも年齢と共に断れない肩書きが時にそう言った場に出ることを強いる。いつの頃からだったろう、耳に付く言葉を発見し、その事を自覚すればするほど余計耳について、今では「失礼します」恐怖症だ。会社関係の会議に出たことは一度もないから、民間の会議での実際は分からないが、公務員関係の集まりなら100発100中だ。
見方によっては謙虚とも取れるが、100%これを枕詞におかれると、あながちそうばかりとは受け取れない。まだ何も言っていないのに、まだ何も作業を開始していないのに、どうして失礼なのか分からない。失礼かどうかは結果でしか判断できないはずなのに、導入の挨拶として成立するのかどうか。その言葉自体に主語がないから、責任の所在をわかりにくくするために考えられた自衛の言葉のように感じる。一見、謙虚のように感じるが実は巧妙に考えられ生き延びている言葉のように思えてならない。かつて、どこかで、誰かが初めて使ったのだろうが、少なくとも僕の行動半径の中では公務員言葉としてだけ普及している。
 謙虚と慇懃無礼は似ていて非なるものだ。例え同じような言葉、同じような態度をとられても印象は全く逆だ。ただ、それらを判断するには皮膚があれば簡単だ。頭はいらない。鳥肌が立つ皮膚さえあれば簡単に判断できる。
教師を含めた公務員の方達、ひょっとしたらこの辺りだけで通用している言葉かもしれないが、えらそうなことを言って「失礼します」


2010年08月18日(Wed)▲ページの先頭へ
いい人
 あなたにとっていい人は、ダイヤの指輪をくれる人です。でもあなたにとってもっといい人は3000円くれる人です。それよりももっといい人は、あげれるものが何もないとはにかむ人です。
あなたにとっていい人は、一所懸命働いたと汗を拭く人です。でもあなたにとってもっといい人は、汗を拭ってさわやかな顔をしている人です。それよりももっといい人は、仕事が無く橋の欄干から川の流れをただ眺めている人です。
 あなたにとっていい人は、ぶつかりそうになった人に道を譲る人です。でもあなたにとってもっといい人はバスで席を譲る人です。それよりももっといい人は新幹線で席を譲る人です
あなたにとっていい人は慰めの言葉をかけてくれる人です。でもあなたにとってもっといい人は一緒に涙を流してくれる人です。それよりももっといい人はあなたのいないところであなたが立ち直るように祈ってくれる人です。
あなたにとっていい人は日常のすべてを満たしてくれる人です。でもあなたにとってもっといい人は何も盗まない人です。それよりももっといい人は、飢えて一斤の食パンを盗む人です。
あなたにとっていい人は乞食の人に1000円恵む人です。でもあなたにとってもっといい人はためらいながら100円恵む人です。それよりももっといいのは恵む金もなく心しか置いていけない人です。
 あなたにとっていい人は愛していると言ってくれる人です。でもあなたにとってもっといい人は愛さないと言ってくれる人です。それよりももっといい人は愛せないと言ってくれる人です。
 あなたにとっていい人はあなたを導いてくれる人です。でもあなたにとってもっといい人は、あなたと共に歩んでくれる人です。それよりももっといい人はあなたの10歩後ろを歩く人です。
あなたにとっていい人はあなた自身です。でもあなたにとってもっといい人はあなたらしくないところです。それよりももっといい人はあなたが一番嫌いなあなたです。


2010年08月17日(Tue)▲ページの先頭へ
筋肉
 にやっとして「何悪いことをしたん?」と挨拶の前に始めたから余程期待していたのだろう。「自分こそ、家族でつかまったんじゃないの?」こちらも期待大だ。
日曜日の夜、おかずに野菜が足りなかったので町外のショッピングセンターに買い物に行った。途中で僕を追い越したパトカーがそのショッピングセンターの駐車場に止まっていた。パトカーから降りた警察官がパトカーを挟んで両側に立っていた。僕は先に止まっていた大きな乗用車とパトカーを挟むように駐車した。その大きな車が見覚えのある車だったので、暗がりの中目を凝らしてみると、ほとんど毎日のように家族の誰かが漢方薬を取りに来るお家の車だった。牛窓に引っ越してきてほぼ20年、大家族なのだが体が弱いことと、化学薬品が合わないことの二つが幸い?して、僕の人体実験の犠牲になっている。何かやらかしたなと期待したのだが、その場にいることは躊躇われたので、おかずを買いに店の中に入った。店舗を一巡して出てくると、パトカーだけが残っていた。閉店間際は、茶色が目立つパックに詰められた物ばかりが売れ残っていて、見ているだけで胃がもたれそうになって結局は何も買わずに出てきたのだが、大家族の捕り物も見逃して残念だった。 どうやらこちら側の視点とは別に、あちら側も又僕と同じようなことを期待していたふしがある。僕が店内に一端消え、出てくるのを警察官が待ち伏せしているように見え、これ又居心地が悪くて走り去ったのか。
お互い何もなかったことが分かって落胆することしきり。他人の不幸は蜜の味、取り返しのつく小さなミスくらいなら笑いのネタになる。その程度が罪がなくていい。僕と違って、あちらの家族は毎日懸命に生きている人達で警察官のお世話になるような人達ではない。残念ながら、ちょっとした失敗もしていないらしい。失敗したのは親しい僕たちの間に駐車したパトカーの方かもしれない。
たわいない話題を見つけて、たわいなくない会話を楽しむ。漁師や百姓が多く暮らす町が長い歳月をかけて培った塩っ辛い文化かもしれない。余りにも低俗でこの文化は学者の研究のテーマにはなり得ないが、どのくらいの哀しみを紛らすことに貢献してきただろう。
 猛暑で僕の体は弛緩してしまっているが、口を動かす小さな筋肉だけは別物らしい。


2010年08月16日(Mon)▲ページの先頭へ
高級車
 僕の薬局を利用するようになってどのくらいの年月が経っているのか定かではないが、その間に少なくとも3台の外国製の高級車を乗り換えている。駐車場に縦に入れたら道路にはみ出てしまうので、いつも横付けだ。車が車だけに大丙に見える。その留め方だけではなく、厚い化粧、鼻を突く香水、和服を初め如何にも高級そうな衣装、そのどれもが僕には縁遠く苦手なものばかりだ。もっと苦手なのはその物言い、何となく見下ろしているような話し方だ。こんな田舎に何故住んでいるのと問うてみたいような人物だが、何故か僕は嫌いではない。
こういう人物には徹底して僕は並扱いする。決して丁寧には応対しない。やってくる毎に、一つや二つその人が拘っていることにたいして皮肉を言うことにしている。金持ちのオーラがもろ出っぱなしだから、どこでも相手が引いてしまいそうで、それだと人と距離ができて生活が空しくなってしまう。老婆心ではないが敢えてごく普通の接し方を「してあげている」
今日もいつものように言葉のプレゼントをした。帰ろうとして背中を向けた途端に「そこらかしこに幸せの靴跡を一杯残さないでよ」と。皮肉ったつもりだったが彼女が「そうなんよ、本当に私は運が良かったと思うわ。若いときは苦労ばっかりしていたのに」と珍しく真顔で言った。と言うのはいつも僕の口撃?にはどの世界で身につけたのか姉さん言葉で楽しそうに返してきていたから。溢れんばかりの幸せごっこの中に隠していた陰の部分がふっとよぎったのか、初めて秘められた部分を想像させる言葉を聞いた。ただそれ以上は向こうも話さないし僕も興味ないから会話は途切れた。今が幸せなら充分だ。できればその幸せを誰かに分けてあげて欲しい。そのハンドル一つ分で救える不幸も、タイヤ一つで救える不幸もあるのだから。
 見えるもので身の回りを飾った初老の女性と、見えるもので身を滅ぼした僕との妙な取り合わせだが、心のとげ抜き地蔵に灰皿一つ分のお供えもない。


2010年08月15日(Sun)▲ページの先頭へ
洒落
 こうなったら意地でも履いてやる。わずか3週間前に買ったサンダルが、両足ともバンドの紐が切れて、左側は10cm中5cm、右側に至っては5mmくらいしか底とくっついていない。折角店頭で、底にイボイボが付いていて健康に良さそうなのを見つけたのに。その為に衝動的に300円余計に出費した。こんなことなら最初手に取った680円のにしておけば良かった。
 これだけ紐が切れてバンドが飛行機の翼のように左右に羽を広げると、ジーパンの裾から十分はみ出て誰でも気がつくらしい。中国製ではないのと指摘されてよくよく見てみると、どこで作られたものか書いていない。買ったときに不用のものはすぐ捨てる癖がついているので、恐らく書かれていたものは捨てたのだろう。ただサンダルにはアルファベットで大きくMICHIKO LODONと書いてあり、その下にKOSINOとも書いてある。何となくどちらの名前も聞いたことがある。恐らく有名なデザイナーかブランドの名前だろう。こんな名前と永久に接点がない僕でも何となく記憶にある名前だ。もしその手のものなら、ホームセンターに花火と一緒にぶら下げられてはいないだろうし、1000円札でお釣りも来ないだろう。これがかの国の噂のコピーかと苦笑いしながら「安物買いの銭失い」としたり顔で助言してくれた常連客に神妙な顔を見せるしかなかった。
 作る方も作る方だが、それを売る方も売る方だ。名前を挙げれば県内の人ならほとんど知っているホームセンターの名前を信頼して買っているのに、安かろうまずかろうではちょっと残念。返しておいでよと助言してくれた人もいるが、3週間も履いたものを返すわけにはいかないし、そんな勇気もない。ホームセンターに持っていって「買う方も買う方だ」とでも言われたら洒落にもならない。


2010年08月14日(Sat)▲ページの先頭へ
制服
 やはり違和感がある。ずっと長い間製薬会社から届く荷物は、クロネコヤマトか佐川急便か福山通運、それにペリカン便だった。地元の岡山県貨物も忘れてはいけない。それが最近は、例の黒づくめのまるでホテルのボーイさんみたいな人が大きな荷物を持って薬局に入って来るようになった。その人達は、長い間郵便物を届けてくれていた人達だから、大きな荷物を抱えてってイメージがそもそもない。荷物を置くなり受け取りのハンコを要求されるのだが、何故か戸惑ってしまう。彼らにハンコを要求されるときは、ほとんど書留や生命保険の契約の時くらいだったから、滅多になかった。それが今では毎日のようにハンコを押している。会話を交わすこともなくそそくさと帰っていくが、昔の郵便配達の人は違っていた。配達の途中でも腰をかけ、タバコを1本吸って出て行っていた。服装も例の野暮ったい青、その後は緑だった。どうしてボーイのような制服にしたのか分からないが、まるで似合っていない。あれでは方言丸出しで、町民と親しく交わることは出来ないだろう。
 難しい経済のことは分からないが、僕は郵便局が民営化されて全く1人1人の個性が無くなったと思っている。以前は上記のように良くさぼりながらよく働いていた。町民との距離を上手くとっていた。堂々と手を抜くような素振りで結構人間関係を密にして、保険なども上手にとっていった。親方日の丸だったが、国鉄のように威張ったところが全くなくて、それぞれの職員が町民の中にファンを持っていた。決してエリートなどはいなかったと思うのだが、スマートな銀行員と良く渡り合っていたと今更思う。
炎天下、オートバイを器用に操り一刻を争う後ろ姿に、正規雇用の希望を見る。同じように働いているのに、差別を受けているのを見るのは忍びない。よそ様のことで関係ないのかもしれないが、みんなで負けている姿などやはり見たくはない。


2010年08月13日(Fri)▲ページの先頭へ
質問
 いわゆる有名私立中学に在籍している甥の息子、関係をどう呼ぶのが正しいのか分からないのだが、たらこ?インコ?明太子?大和撫子?はと子?からの質問だ。中学生でこんなテーマを選択し、夏休みとは言えわざわざ遠路やって来て取材し、論文にまとめるのだから、有名たる所以も理解できる。その種の一貫校に縁がなかったから、どちらかというと否定的な印象を持っている僕だが、彼の物言いや純粋さに最近は僕も考えを変えている。折角の質問だから物を斜めに見る癖そのままに僕の考えを伝えようと思って以下のような返事をした。返事を聞いて質問する相手が違ったと思ったかも知れないが、必ずしも偉い人達の考えが正しいとは言えない今の時勢に、下から見える風景を伝えてみたかった。熱心に彼はメモをとっていたが、どのくらいの作品になるのか楽しみだ。

 主な質問の内容は、
・薬事法改正に反対か賛成か
・薬事法改正によって生じたメリット
・薬事法改正によって生じたデメリット
・これからどうなってほしいか

 薬事法の改正には反対だ。そもそも何のための改正か分からない。ごく普通の薬局を利用していた人達はそれまでなんら支障はなかったはずだ。何か問題があったとすれば、ドラッグストアやインターネット業者を利用していた人達だったはずだ。セルフという名前の陰に隠れて、薬を物扱いにして多く消費させることだけを考える業者経由だ。本来はそれらに関しては法律を厳密に執行するだけで良かったはずだ。
国民の健康を担保するという大見栄の陰に隠れている事の方が寧ろ本質を突いているかもしれない。それはドラッグストアーに於ける、薬剤師を雇わなければならないための高額な経費を、販売者という根拠の希薄な肩書きを作り安上がりに薬を販売しようと言う思惑だ。彼らにとって、目の上のたんこぶがインターネット販売業者だったのだ。だからインターネットによるワンクリック販売を何とか阻止しようとしたのが、郵便販売禁止なのだ。ところがこれが思いもかけないことを誘発してしまった。本来薬局は、患者さんが訪ねてきてゆっくりと症状を聞き薬を選択する事を日常的に行ってきていた。薬局に来られない人からは電話がかかり、相談して薬を自転車で届けていた。それが交通手段の発達により、距離が地域から県内に、県年から県外に広がっただけのことだ。だから店頭に来ようが、電話で配達を頼まれようが、県外から郵送の依頼があろうが、やっていることは全く同じ作業だ。患者さんから出来るだけ多くの情報を集め、より適した薬を選択するのは何ら変わらない。それをあたかもワンクリックで薬を買い物籠に入れるのと同列の扱いをされたのは、ショックだった。昔からある薬局の期待のされ方、それに対する懸命の努力を目の当たりにしたことがない偉い人達が決めた机上の対処法だ。
 特に薬局製剤という薬を作る権利を有する薬局は全国的には数が限られている。ましてその権利を有効に活用している薬局なんか実はほんの一握りだから、全国津々浦々でその薬が手にはいることが出来るのは、郵送という手段以外にはあり得ない。病院ですべての病気を解決して貰えることはありえない。現代医学で救われなかった人が漢方薬で救われるのは僕にとっては毎日目にする光景だ。僕の薬局には毎日多くの悲鳴が届くが、あの悲鳴を受け止めることが出来るのは、忙しくて3分で診療を終える病院だろうか、自分で棚に向かって売れ筋商品の中から探し出す全く選択肢のない作業だろうか、それとも深夜パソコンに向かいクリックを重ねることだろうか。
 薬局はこの10年以上国の施策のおかげで医院の前でマンツーマンの業務をすれば楽に稼ぐことが出来る。医師の方を見ていれば生活は保障される。現代医療の狭間で取り残される人達に手を差し伸べることが出来るのはいったいどの業者だろう。
 薬事法改正?によってのメリットは思いつかない。デメリットは上記の通り救われない人達が漂流することだ。これから希望することは、薬局を開設し、毎日勉強を繰り返している薬剤師を信頼してほしいってことだ。人を助ける手段を奪わないでくれって事だ。




2010年08月12日(Thu)▲ページの先頭へ
働き蟻
 あなたの生活でいったい何が欠けているのと問うてみたいような著名な人達の自殺が相次いでいる。凡人が考えられないような不足感や、もめ事が著名というバリアで隠されているのだろうか。
 著名人の生活を案じるほどの余裕も興味もないが、得られないものが大きいのか、失うものが大きいのか、庶民と同列には扱えないだろう。ほんの少しの収入や、ほんの少しの友情で救うことが出来たかもしれない命に比べれば、高くつく人達の同じ手段に違和感を感じる。
 忙しそうに動き回る働き蟻の実は2割はさぼっていて、その2割を排除すると、残りの集団の中の2割が又さぼり出すのだそうだ。そんなことまでが遺伝子の中にインプットされているのかと思うと興味深いが、その遺伝子を受け継いでいない有能で生真面目な人は、2割に属する勇気を持てば死に急ぐこともなかったろうに。いったい何に追いつめられたのか知らないが、捨てるものを全部捨てて身軽にはなれなかったのだろうか。取り返しがつくものなんか捨てれるだけ捨てればいい。元々なくてもいいようなものだから。取り返しがつかない唯一のものを捨てる取り返しがつかないことをして、残されたものが取り返しがつくと思ったら大間違いだ。
地球に巣くう頭の黒い強欲な蟻どもが、行列を成して自滅への道を歩き続けている。どうせならとことん付き合って、最期まで見届ければ良かったのに。捨てるものを無くした
最強の語り部として。


2010年08月11日(Wed)▲ページの先頭へ
若者言葉
 受話器を取るやいなや「アイスがある?」と距離感のない老人の声がする。もう30年も薬局をやっていると声だけで分かる人は一杯いる。この声で名前を名乗らないのは○○さんだ。ひょっとしたら名前を名乗られる以上に分かるのかもしれない。
「アイスはさすがに売ってはいないけれど、いるんだったら買っていってあげようか?」老人の1人住まいが多い田舎町だから、薬を取りに来ることが困難な人は沢山いて、配達をしてあげるのが昔からの習慣だ。「暑いからアイスでもあれば寝れると思うんじゃけれど」「それはそうじゃな、この暑さでは寝苦しいものね」「どのくらいするの?」「僕は自分で余り買わないから知らないけれど、100円くらいかなあ」「そんなに安いの?姉は1000円くらいしたって言ってたよ」「そんなに高いアイスは牛窓には売っていないから、都会に行かないと手に入らないよ」「柔らかいの、堅いの?」「一応凍っているから最初は堅いけれど、ちょっと待っていれば柔らかくなるよ」「姉は冷蔵庫に入れる必要はないって言っていたよ、そのままでも冷たいって」「それはあり得ないだろう、溶けてしまうよ」「何回でも繰り返し使えると言っていたよ」「沢山まとめ買いをするって事ではないの?」「いや、一つしか見せてもらわんかった」「えっ、それってどんなアイスクリーム?」「アイスクリームじゃないよ、アイスのこと」「アイスって、アイスクリームのことではないの?」「何を言ってるの、アイスクリームを頭に敷いて寝れる分けないじゃないの」しばし考えた末「それってひょっとしたらアイスノンのことではないの?」「いやアイス」「アイスノンって、冷たくなる枕があるんだけど」「わからんから姉に電話して確かめてみる」「そうして」
 数分後電話があり、結局はアイスノンのことだったのだが、80歳の老女とその姉がまるで若者のように簡略に言葉を縮めて会話をしていたのだろうかとほほえましくなった。となると、二人はアイスクリームのことはどう言っていたのだろうか。普通ならアイスと略す場合が多いと思うのだが。アイスノンをアイスと略されたらアイスクリームの立場がない。このことで気がついたのだが意外と老人も結構簡略化した言葉を用いる。リポビタンはリポ、サロンパスはサロ、ピップエレキバンはピップ、アンメルツヨヨヨコはヨコヨコ、ベトネベートはベトネ、ササヘルスはササ。薬局に粋は似合わないが、結構通にそう言った言葉を使う人が多い。何十年もの愛用者達ばっかりだ。薬だけではなく、父の代からのヤマト薬局の愛用者でもある人達ばかりだ。ちなみにこの辺りでは栄町ヤマト薬局は「ヤマト」僕のことは「雅治」


2010年08月10日(Tue)▲ページの先頭へ
強気
 気が強くて口から出るのが不満ばかりだから僕は好きなタイプではないが、もう30年は通ってきてくれている。当時たまたま僕が薦めた薬が良く合って元気を取り戻したからその薬が離せないのだ。栄養剤だから体力がついて、どんどん同世代の人から歳をとることで置いてきぼりを食っている。もう80歳に手が届いているのだろうが、そうは見えない。偶然そのお孫さんを二人この数年お世話をすることがあったが、そのお孫さん達もおばあさんの強気や口やかましさには参っているらしかったから、僕が好感が持てないことくらいは許して貰えるだろう。
その方が昨日薬を取りに来てやたら「蹴ったり、踏んだり」と繰り返すから、又いつものように強気なことを言っているなと思った。ご主人はいつも車で送ってきては薬局の前でひたすら待っているが、とてもおとなしい人で、そのご主人を踏みつけたり、蹴り上げたりしているのかと空恐ろしくなった。何か意にそぐわぬ事でもしたのだろうかと、ご主人に同情した。聞きたくもなかったが向こうが聞いて欲しいような雰囲気だったので「どうかしたの?何かあったの?」と口先だけで尋ねた。すると又向こうは「もうほんとに蹴ったり、踏んだりだわ」と悪びれた様子もない。「ご主人がどうかしたの?」と聞き返すと「旦那の事じゃないんよ、私の事よ。先月ヘルペスが足に出て、長い間痛かったのなんのって。それが治ったと思ったら、先週転んで手首をひねったんよ。この夏は暑いし、もう蹴ったり、踏んだりよ」と、本当に苦虫をかみ殺すような表情で答えた。その時点で分かった。最近とみに老人を巡る話題で空恐ろしいようなことが多いから、この女性もその予備軍みたいに思っていたが、何のことはない、単に言葉を間違って覚えていただけなのだ。こんなに平穏な田舎町で、世間の目が届かないところで何をしているか分かったものではないと思っていたが、この人も又愛すべき田舎のおばあちゃんなのだと安心した。
 女性の怒りの元を解き明かそうとして、わざわざしたくもない質問までした僕は、それこそ蹴ったり踏んだり、いや踏んだり蹴ったりだった。


2010年08月09日(Mon)▲ページの先頭へ
靴下
 僕にとっては何十年もごく普通に続けて来ていることだから、日常の風景でしかないのだが、えらい受けた。こんな事で喜んで貰えるのなら、言葉はいらない。
 隣の席に腰掛けていた女性がじっと僕の足の方を見て言った。「変わった模様の靴下ですね」と。僕は外出するときは基本的に白色の靴下を履くから奇妙なことを言うなと思った。スリッパだからくるぶしから下はズボンから覗いているのだが、膝を曲げてかかとを片方の大腿部に乗せてみると確かにかかとの部分が肌色の如何にもつぎはぎのように見えた。僕にはつぎはぎのように見えたのだが、その女性には模様に見えたのだろう。要は大きくかかと部分が破れてかかとが全部出ていたのだ。履く前から破れていたのか、途中で破れたのか分からないが、どちらにしても結果は同じだ。この程度の破れなら迷わず分かっていっても履いて出ただろうから。僕は基本的にはあてがわれたものを身につけるだけだから、破れているかどうかなど気にもしない。同じ部屋にいた他の女性と男性が1人ずつ覗いてみたが、それこそえらい受けた。受ける理由が僕には分からなかったが、男性は「ジーパンの膝が破れているのはよく見てたけど」と言った。結構観察しているものだとこちらが感心したが、あちらはあちらでひょっとしたら僕の何かに感心してくれているのかもしれない。最初に発見した女性はとてもまじめな方で「靴下の下にストッキングを履いているんですか?」と尋ねたが、これには僕の方が笑わせてもらった。「さすがにそれは履いてはいないよ」と笑いながら答えるのが精一杯だった。
 何が自信があると言って、衣・食にお金をかけなかったことには自信がある。今まで自分で買ったものを上げろと言われたら、ほとんど上げれるのではないか。数年に1本のジーパン、それと・・・いやそれだけだ。後はほとんど若い人からのお下がり(お上がり)か何かのイベントでもらったものだ。まだあった、同情してTシャツなんかをよくもらっていた。
 僕の靴下であれだけ盛り上がれる人達が僕の学生時代を見たら恐らく寄りつかないだろう。今度は何で盛り上がってもらおうかと思うが、すぐに用意できるのは僕の破れた心くらいかもしれない。


2010年08月08日(Sun)▲ページの先頭へ
ヨーソロ
 閉店前にやって来たから「珍しい時間帯ですね」と顔を見るなりすぐに声をかけた。僕より少し年上のその夫婦は、岡山市から来るから、まず明るい時間帯にしか来ない。聞けば花火を見に来たというのだ。こんなに近くに住んでいても見に行かない僕は、その好奇心と行動力に感心した。
 「あそこのマンションの下からならよく見えるかな?」となかなか通みたいな事を言う。何階建てだったか忘れたが、牛窓では飛び抜けて高いマンションは町内のどこからでも見えるが、そこに行くのは地元の人でないとすぐには行けない。恐らく薬局に来たついでに牛窓を散策したことがあるのだろう。実はこうした人は結構いて僕も少しは牛窓の役に立っているのかなと思うのだが、足を引っ張っていることも多いからプラスマイナスゼロくらいなら上出来だ。さて、夫婦が指摘したリゾートマンションは、まさに花火を打ち上げる防波堤の真ん前にあり最高の位置だ。マンションの人のために打ち上げられると言っても信じる人がいるのではないかと思えるくらいの立地だ。寧ろ言われてみて僕の方が納得する始末だ。ただ、マンションの下と言う言葉が引っかかる。「ご主人、マンションの下なんてみみっちいことを言わずにマンションの上と言ったら。まだ沢山売れ残っているよ。売れずにどんどん安くなっているのだから」
 「買えるもんか」と夫婦は顔を見合わせて笑っている。そうだ、僕の薬局を利用する人でリゾートマンションを買える人なんて滅多にいない。買える人もいないが、そんなことを考えられる人もいない。「庶民じゃなあ」とたたみかけて言えるのは、相手が正真正銘の庶民だからなのだ。ごく普通の人達が出入りする薬局だから、こんな会話が笑いながら成立する。庶民より上は本来的に苦手、庶民より下は差し伸べる手がか細すぎて役に立てない。
 旦那は男の更年期だったのか、鬱病だったのか、慢性疲労性症候群だったのか今だ分からない。医師の診断名に拘らないでお世話したのが奏功したのだろうが、一番効いたのは口に錨を降ろしているのではないかと言うくらい遅いしゃべりを根気強く待ったことだと思っている。口が必要でなかった時代の職人のなごりが、ハシゴをはずされて屋根に取り残されるのを見ているのは忍びなかった。
二人は夜空に咲き、散る火の花に何を思い何を語るのだろう。ご主人、口の錨を上げてヨーソロ。


2010年08月07日(Sat)▲ページの先頭へ
無理
 あのオーナー夫婦だったらこんな女性をバイトに雇うだろうなと、至極自然に結びつく好感度だった。最初は客の薬を取りに来たのだけれど、2度目は自分の症状のための薬を取りに来た。具体的には言えないが若い女性には辛い症状だった。僕は直感的にこれは漢方薬で改善できると思った。勿論向こうはそんなつもりで来てはいないから、外用剤で患部の修復が出来るように工夫した。ただ、それは修復だけであって根本解決にはならない。いたちごっこの繰り返しに過ぎないのだ。このままでは何となく僕が後悔しそうなので、漢方薬でかなり改善できることを覚えていてねと彼女に伝えた。
すると彼女は、以前病院で漢方薬をもらって飲んだことがあると言った。一度目は漢方薬を飲み始めて3日目に身体中に発疹が出て止め、2回目は違う病院でもらって飲んだら数日で黄疸が出て肝数値が急激に上がったため止めたらしい。「おしいなあ、結構自信あるのだけれどね」と言うと「こちらの漢方薬なら飲めますか?」と尋ねるから「絶対無理」と答えた。
 漢方薬を曲がりなりにも自由に使えるようになってどのくらいの人数の方に飲んで頂いたか分からないが、上記のような経験が僕にも1人ある。明らかに肝臓に対する副作用だ。その方も極度の倦怠感、黄疸があり病院に行ってもらった。1週間くらいで治ったがこの副作用は予見できない。その方は特に肝臓が悪かったわけではないが、不運にも体に受け入れては貰えなかった。現代薬では別に珍しい副作用ではないが、漢方薬でも残念ながら起こりうる。
 笑顔の素敵な若い女性の悩みを少しでも軽減してあげることが出来れば、僕自身の喜びでもあるのに残念だ。この年齢になると僕が出来ることは、僕が出来ないことが出来る若者や、僕が出来ないことに挑戦する若者達の援助くらいだ。それも健康面に関してだけというとても狭い範囲だが。寂しいけれど徐々に僕の中から僕が消えていく。


2010年08月06日(Fri)▲ページの先頭へ
階段
 何を思ったのか、講演が終わってからの挨拶で支店長?が「皆さんご存じのように、今生薬の供給が非常に不安定になっています。大切にお使い下さい」と、販売がすべての企業らしからぬ事を言った。売れればいい、業績こそすべての企業が口に出すような内容ではない。至極当然のことを言っているのだが、何となく奇怪な感じがした。
講演の中でも学術が、漢方薬をドラッグストアに降ろすのは止めましたと言った。理由は、さすがにドラッグストアは沢山売ることが出来るが、季節が過ぎれば全部返品をくらいとても合う仕事ではないらしいのだ。漢方薬も彼らにとっては季節商品で、アイスクリームやインスタントラーメンと何ら商材としては変わりないのだ。ただ、売れればいいのだ。販売に会話が必要ないのだから、商品に思いがこもることはないだろう。だから余ればメーカーに返品してしまえばそれですむ。しかし、漢方薬の材料は地球の限りある資源を、主に後進国の人達が懸命に収穫したものなのだ。先進国で暮らす人々のつまらない欲求のために製品化し、「ちょっと試してみる」為に浪費されることは許されない。
 余ったものを返品されては経済的に合わないと言う理由は頂けないが、結果、僕が信頼しているメーカーの漢方薬が大切に扱われるようになることは歓迎だ。売り上げを上げるためになりふりかまわず販路を拡大したのだろうが、漢方薬をもの扱いしてはいけない。何のために漢方を愛する薬剤師が勉強し続けているのか考えて欲しい。
恐らく漢方薬以外の、ありとあらゆる資源が同じような状況の下に置かれているのではないか。ものを余り欲しがる方ではない僕の家だって、2つの部屋が永久に使われそうにない物で埋まっている。石油から作られたものか、森林を伐採して作られたものか、動物を殺生して作られたものか分からないが、使われない物のために限りある資源が姿を変える。経済の成長が本当の豊かさをもたらしてくれないことはもうハッキリした。ちまたに溢れる不幸が雄弁に語っている。地球が枯れる前に人の心が干上がって、自滅への階段を一段ずつゆっくりと下りているように見える。


2010年08月05日(Thu)▲ページの先頭へ
主語
 「みんなが言っている」ほど当人が言っているだけを伺わせる言葉はない。僕はその言葉を聞いたら、本人の思いと受け止めている。それもほとんどが否定的に用いられる生産性のない言葉だから、当然その人の評価は落とすことになる。
この言葉を最近こともあろうに政治家の口から聞いた。意識して聞いていたわけではなく、夜のニュースで偶然耳に入ってきた。僕にとっては使いたくない言葉の中の一つだから余計耳についたのかもしれないが、どの政治家が口走ったのか知りたくてわざわざ画面を確かめた。予算委員会?の中での追求の場面だったと思うが、自分の心の中をあたかも世論のように表現するのはずるい。潔くない。まるで根拠を示さなくても許されるようなその言い回しは余りにも幼稚だ。まるで子供が言い争っているようなものだ。
 根拠を示さなくても物事が進んでいくとなると気楽な世界だ。口から出任せを言っておけば優秀な官僚がつじつまを合わせてくれるのだろうか。「みんなが言っている」を乱発され、若者が人殺しの訓練を受けたり、税金を絞り取られてはかなわない。少なくとも国民の税金をあずかる者が、便利な言葉で自分の下心をオブラートに包んで飲み込ませてはかなわない。
 都合のよい言葉を往々にして使うときは、都合が悪いときだ。身に覚えのあることを隠しながら相手に迫るときに使う常套手段だ。どこか後ろめたさを感じながらつい口からでてしまう。主語から偽装されては後に続く言葉では挽回できない。主語一つで主張と思惑に分けられる。


2010年08月04日(Wed)▲ページの先頭へ
お土産
 こんな気の利いた上品なお土産を持ってきてくれるようになったのだと、その成長ぶりに我が子を見るような感慨に襲われた。突然やって来たけれど何の違和感もなく迎えられる。それこそ連絡なしに久々に帰ってきた娘のようなものだ。
もう薬はいらないから、立ち寄ってくれただけなのだ。その気持ちがとても嬉しい。僅か数年前、僕の前でお母さんと一緒に涙を流したのはもう別人だ。お腹のことで教師になる夢も失い、服屋さんのバイトをしていたけれど、それでも隠れるような日々だった。人と接することが出来ずに、実測出来ない心の果てしない距離を保ちながら、孤独に生きていた。静かな場所、人と接する場所は恐怖の空間だった。そんな場所にこそ人生が刻まれるのに。
そんな彼女が、九州の病院に実習に行ってきた報告をしてくれた。担当したある患者が、まさに過敏性腸症候群も併発し心を閉ざした方だったらしい。ところが彼女が自分の体験を話すと、急に心を開いてくれたらしい。それからは、彼女の作業療法士としての実際のお世話がスムーズに出来たらしい。彼女には「人生に無駄な事なんて何もないよ」と常々言ってきていたが、まさにその言葉を体験してくれた。ついでにもう一つ彼女がそれに関連して教えてくれたことは、服屋さんでバイトしていたことも大いに役立ったらしい。服の話をすると多くの患者さんが乗ってきてくれるのだそうだ。あの頃苦手な会話をお客さんと仕方なくしていたことが役立っているとも教えてくれた。
 来春には国家試験を受けて恐らく病院勤務が始まる。お腹が治るに従って、自分から作業療法士になりたいと言ってきた。そしてその夢があと半年で叶う。生涯通用する国家免許と共に新たな世界に飛び出す。僕のことを偶然知って本当によかったと言ってくれたが、僕も彼女に知り合えて本当によかった。一人の青年が悶々と孤独のうちに、見えない敵から逃げ続ける人生を余儀なくされるとしたらなんて不幸だろう。非力で失敗だらけの人生だったが、人の人生を全く闇から陽の当たる場所に転換できる機会を与えられて幸せだった。上手く行かなかったことばかりが役に立てる皮肉な巡り合わせだけれど、暗闇だからこそ星は見える。繊細な心、秘められた才能、かけがえのない個性、僕にはすべてがいとおしい。
 涙を流して自分を責めていた母親が、いつの頃だったか笑顔で言ったことがある。「お医者さんと結婚してくれないかなあ」いい加減にしろと思ったけれど彼女ならまんざらその可能性もないではない。悲しみの味を本当に知っている人だから。


2010年08月03日(Tue)▲ページの先頭へ
鉢巻き
 これにはまいった。こんな事が出来るのだと心底驚いた。どこに行き着くのかと心配にもなるが、もう懸念の範疇ではない。矢は放たれた状態だ。誰にも止めることは出来ないのだろう。
 事の発端は今日ある女性から頂いたメールの中のこの言葉「グーグルでヤマト薬局さん家まで遊びに行ってみました。本当にすぐ海なんですね。いいですね〜。」うちに遊びに来ましたという意味が最初分からなかった。以前から訪ねてみたいと言われていたので、牛窓に実際に来てみたんだ、それなら寄ってくれればいいのにと思った。ところがこの言葉の後に、メールアドレスが貼り付けてあり、そこを開いてからクリックすべき箇所を何カ所か教えてくれていた。その通りにすると、何と我が家が写っているではないか。それも結構詳しく建物の両隣や、道路を挟んだ向かいの状態なども写る。田舎のメイン道路に面している感じが臨場感を持って迫ってくる。これなら確かに「遊びに行った」くらいの情報は得られる。僕の薬局の様子、周囲の町の様子などがハッキリと分かる。
 彼女の愛車が写っていますよと言う言葉に誘われて彼女の住所を入れてみると確かに、建物の前に黄色の車が写っていた。遠く関東のある街の住宅街の一隅で確かに生活を営んでいる人がいる。遠くで暮らすその人の輪郭が少しずつ出来上がっていく。超アナログの僕にとって、不思議、不思議を連発しても、目の前の威力を見せつけられると、踏ん張って半歩くらい追いついてみようかというような気持ちすら起こさせる。
嘗て、僕を信用していいのですかと遠くの方達は言った。こんなに答えられない質問はなかった。下心があればあるほど信用できますと答えるだろう。自分でも信用できない僕は答える代わりに警察か町役場か、学校でもいいから公共機関で僕のことを尋ねてみてと答えることにしていた。客観的な判断を仰ぐのが一番だと思ったから。ところが今日、女性から教えられた画面を見ていると、そんな質問はもう来ないだろうと思った。あの映像を見ればおよその見当はつくから。
 それにしても幸運だったのは、いつものように鉢巻きをして割り箸を何本も突き刺している僕が写っていなかったことだ。






2010年08月02日(Mon)▲ページの先頭へ
脱輪
 オフレコの連発だ。数時間3人で話しまくったが、果たしてどのくらいの言葉が生き残れるのだろう。
そもそも組み合わせが不幸だ。漢方薬局紹介の連載もので、僕の薬局を取り上げたのがまず間違いで、それに輪をかけたようにインタビューする人間の人選が間違いだ。インタビューにやってきたのは、大学の後輩で、今は漢方メーカーで学術の偉い人になっているのだが、どうしても僕には彼が偉い人には思えない。同じアパートの人間だったから、彼が麻雀をするために大学に入ってきたことはよく知っている。僕みたいにパチンコをするために大学に入った人間にとってはすこぶる怠惰な人間に写る。
 1年僕が先輩なのだが、途中で何故か同級生になった。その後又僕がリードして先輩として卒業していたと思っていたのだが、最近同じ年に卒業したことを知った。もっとも僕は卒業式に出ていないから、誰が一緒に卒業したかなど知らない。卒業など永久に出来ないものと思っていたから、式など最初から頭になかった。偶然入学して偶然卒業したようなものだ。麻雀狂いだから当然僕よりはるかに出来は悪いと思っていたのに、4年で卒業したというから僕のプライドが許さない。ところが今日インタビューの中でほろりと彼が薬剤師の国家試験に3回落ちたと自白した。そうだろ、そうだろ、だから僕の方がどう見ても優秀なような気がしていたのだ。これで溜飲が下がった。これから僕は優越感を前面に出して彼と接することにする。ついでだが、彼より下が彼の同級生にいるらしくて大学を8年かけて卒業したらしい。その根性には敬服するが、果たしてそこまでしてしがみつく価値があったのだろうか。その後その人がどうなったか聞いておくべきだった。
どれだけの言葉が生き残るかは、一緒にやってきた「ライター」と言う肩書きの人の手腕にかかっている。僕はその種の肩書きの名刺を見たのは初めてだったから一瞬考え込んでいたら後輩が「火をつけるライターではないですよ」と臭いしゃれを言った。やっぱり彼は学術という肩書きを返上するべきだ。僕はライターの方にいっさいの修飾を施さないことをお願いした。僕の写真を撮る変わりに大学時代の写真を格好いいから載せてくれるように頼んだのだが、それは断られた。でもさすがにその写真を見た時からライターの方の反応が違って、それまでは無言でマイクで音をひらっていただけだったのだが、写真と僕のオリジナル曲のテープで完全に話題がそれてしまった。聞けば待ったく僕と同じ年齢で、同じ時代背景を背負いながら生きてきたのだなと一気に親近感を持った。初めての肩書きの人だから僕が逆インタビューをして、その種の人達の仕事のほんの一端を教えてもらった。薬剤師よりは絶対格好いい肩書きだ。
帰り際に後輩が、取材の報酬としていずれ2万円出ると教えてくれた。お金が貰えることは知らなかったから「それなら毎月取材して、やらせでもなにでもするから」と提案したのだが勿論断られた。僕の正面写真を写すときに後輩が「白衣のボタンを留めましょうか」とひつこく言ったがそれはがんとして断った。30数年一度も白衣の前を閉じたことがないのだから僕には不自然この上ない。
 僕が薬剤師をやっていたり、彼が学術で活躍していたり、お互いどうにかなった時代に救われたような人間だが、今の若者達にも人生の脱輪を居直って楽しむくらいの余裕を社会が与えて欲しい。5年間パチンコに狂ったり、4年間麻雀に狂えば、それから後は働くことが楽しくなる。周回遅れでも見方によっては先頭を走って見えることもあるのだから、くよくよする必要はない。と言うより、僕らの人生劇場を見ている人なんていないのだから、一人芝居で熱演する必要はない。落ちこぼれる自由を奪う不自由さには鉄槌をくだせばいいのだ。


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