栄町ヤマト薬局 - 2010/05

漢方薬局の日常の出来事




2010年05月31日(Mon)▲ページの先頭へ
先入観
 「わたしゃ、今は我慢しているけど死ぬ前には全部あいつに言って死ぬ」初めはちょっとした会話だったのだが、最後はヒートアップして通りの向こうまで聞こえそうな声と笑い声で締めくくった。
 お年寄りだと決めつけて、思考力が落ちているとか、感受性が鈍いなどの先入観は捨てた方がいい。確かに痛いところは増えて骨格もいびつになっている。皺は増え筋肉もたるみ、まさに原形を留めない変わり様かもしれないが、心までが耐用年数を越えているなんて誤解するととんだ墓穴を掘る。
 この女性も病院で10種類以上の薬をもらって飲んでいるから、そのことだけでもう病んだ老人と判断されても仕方ない。ところがこの女性は一杯の心配事を現役で抱えているのだ。病院で処方されている2種類の睡眠薬は、将来のことを考えたら眠れなくなるからもらっているらしい。夜も眠れないほど頭は回転しているのだ。もし将来に不安がなかったら必要のない薬なのだ。娘は彼女から見たらとても許せない男のところに嫁ぎ音信も滅多にない。息子は独り暮らしを楽しんでいる。家を継いで貰えるのか、墓を守って貰えるのか心配し、自分の老後をどの施設で過ごすかも心配している。先日その施設の見学に娘婿と一緒に行ってきたらしい。孫が欲しがっている電化製品を買ってやる約束で。道中、自分が老いたら迷惑をかけない為に施設に入らなければならないからと見学する由を言ったらしいが、娘婿は何一つその事に関してコメントしなかったそうだ。「何も期待してはいないけれど、嘘でも、心配しないで、俺たちが看るから・・・くらいは言えばいいのに」と怒り心頭だ。芸術家気取りのバツイチに娘を取られたと20数年憤慨やるかたなく悶々と暮らしているところに、この無関心。嘘でもいいから優しい言葉をかけてくれたら、少しは20数年の恨みつらみが和らぐかと期待していたが、がんとしてその話題には触れなかったらしい。老人は感受性を失って、考えない存在ではない。一つ先も二つ先も読んで敢えて耐えているのだ。言いたいことも、やりたいことも我慢しているから静的に見えるだけなのだ。肉体は衰えても、感受性までは衰えてはいない。哀れみをかける存在でもないし、まして軽蔑する存在でもない。年輪で獲得した多くの知恵の袋の持ち主なのだ。
政治や会社を牛耳る一部の元気すぎる老人は別として、多くのごく普通の老人はただ謙虚に暮らしているだけなのだ。努々、何かのハンディーを持っている人と一括りにしない方がいい。長年蓄積した知恵は知らんぷりなんかとうに見抜いている。


2010年05月30日(Sun)▲ページの先頭へ
文学少女
 何処の薬局でも同じかもしれないが、患者さんに待ってもらう負担を少しでも軽くする工夫は永遠のテーマだ。特に僕の薬局の場合、初めて相談に来られた方の煎じ薬を作る場合はかなり待ってもらうことになる。色々知恵を絞って工夫しているが、時に文庫本を持ち込みで読書にふけってくれる人がいる。そう言ったタイプは全員が女性で、調剤室から目をやると文学少女がそのまま大人になったような光景だ。なかなかその光景は感激もので「薬が出来たよ」なんて野暮な声はかけにくくなる。緑の木陰で、鳥の声を聞きながらとはいかないが、ジャズが流れ、コーヒーの香りが漂うようにはしている。
 嘗て学生だった頃、たった1杯のコーヒーで何時間もねばり、薄暗い照明の中で文庫本を漁るように読んでいた。僕の能力では難しすぎた本だったかもしれないが、難解な文をとにかく読み切ることが目的だったような気もする。それらの本から得た知識がどのくらいのものかも分からないし、何かの役に立ったのかも定かではないが、自分が喫茶店の中で文庫本を開いていた時間は、大学では授業が行われていた時間だ。入学して3日で萎えた僕の心は、以来大学からの逃避行のようなものだった。大学と完全に手を切る勇気はなく、安全地帯だけはちゃっかり確保していた。そう言った青春を否定することはしないが、意味のない5年間だったようにも思える。さりとて何が他に出来たかというと、今になってもなにも思いつかない。最終学歴で躓いて結局はそれ以前の全てを失ったような気もする。
 皮肉なもので今若者の多くと知り合いお世話させてもらっているが、嘗ての僕と同じ轍を踏まないようにと祈るばかりだ。ただ一つ救われたのは、僕が逃げ込んだ場所が理解できなかったまでも本の中だたって事だろうか。その逃げ場所が違っていたら、ひょっとしたらそれ以前どころか、それ以後も全て失っていたかもしれない。
 文学少女の横顔を見ながら、見るも哀れなうさんくさい当時の僕を思い出した。


2010年05月29日(Sat)▲ページの先頭へ
命がけ
 人は本心と違うことを口に出す時にどうやら大袈裟な表現を使うらしい。政治家なんかはその代表みたいな存在で、良くもあんな事を言って平気でおれるなって感心する。面の皮の厚さは尋常ではない。そのくらいでないとあの世界は渡っていけないのだろうが、やはり嘘は良くないし、はったりも良くない。
流行りなのかどうか分からないが最近やたら「命がけ」って言葉を耳にする。命をかけてするほどのものとは到底思えないものでもその言葉が踊る。自分だけが力んでいて、聞き手は北極くらい冷めている。「命がけ」の割には見るからに幸せそうな顔をしているし緊迫感がない。ひょっとしたら、「命がけ」は相手に強いているのかもしれない。自分が命がけで何かをやり遂げるのではなく、あなたが命がけで我慢してください、命がけで犠牲になって下さいと言っているように聞こえる。偉い人は色々な安全装置で守られているから、命の長らえは保証されているようなものだ。命がけと言って、命を本当に削った人を見たことがない。本当に命がけで頑張る人は自分でそんな言葉を使わないものだ。はったりや後ろめたさがあるときに限って大袈裟な言葉を使う。
 そもそも人生で「命がけ」で臨まなければならない状況なんかそんなにある筈がない。本当に命がけなのは何かをなそうとするときではなく、何かから逃げるときだ。物理的な危険、精神的な重荷から逃げるときだけが「命がけ」だ。命がけで逃げるのだ。ここ一番で何度も「命がけで」逃げ出した常習犯の僕が言うのだから間違いない。


2010年05月28日(Fri)▲ページの先頭へ
エール
 薬剤師の風上にも置けないと言われても仕方がない。思った通りを言ったまでだ。
牛窓に帰ってきた頃からやたら彼女に保険を勧められ、その熱心さに一度は加入した。30歳頃から漢方薬を本格的に勉強をし始めた僕の実験台になってくれた初期の頃の人だ。その当時すでに離婚して一人で頑張っていたから、結構成績も良かったのではないか。今も70歳を越えて現役でセールスをやっているのだから大したものだ。厚化粧で若作り、大きな車に乗って今でも毎月漢方薬を取りに来る。そうしてみると漢方薬も30年近く飲んでいることになるから、余程安全だという事が分かる。それはさておき、その彼女が禁煙をしたと言うから驚いた。70歳を越えて何で禁煙したのか尋ねたらお嬢さんが体に悪いから止めろと言ったらしい。何を今更と思ったので「これだけ吸ってきて元気なんだから、身体に合っていると言うことだろう。そもそもその年で煙草が吸えるのだから余程元気なんだよ、僕なんか30過ぎで吸えなくなったんだから。自信を持ってもう一度吸ったら!」 ここで冒頭の言葉が彼女の口から出たのだ。勿論彼女も笑っている。「なにを言っているの、必死で辞めたのに」と、僕の口車にはどうやら乗りそうにもない。ただ、僕が言った「煙草が吸えるくらい元気」はまんざら嘘ではないのだ。僕は煙草をプカプカ吸っている人を羨望の眼差しで見ている。何であんな毒を吸って元気なんだと、不思議でならない。余程の体力がないとおいしくは吸えない。現に彼女も煙草のおいしさで体調を判断していたと言うから、まんざら僕の考えも見当違いではないだろう。
 大きな車に乗り、厚化粧で煙草を吹かしている姿は格好いい。煙草も吸わず堅気の世界に戻っては単なる老人になってしまう。さすがにそこまでは言えなかったが、一人で何十年も頑張った彼女に対する僕なりのエールだったのだ。いきものがかりのように強く優しく歌い上げることは出来ないけれど、できものがかりか、はれものがかりくらいのエールなら僕にも送れる。


2010年05月27日(Thu)▲ページの先頭へ
凶器
拝啓 ○○様
 僕は田舎で薬局を開設している薬剤師です。30年以上この職業に携わって思うことがあるのです。その思うことが今の時勢と重なってしまうのです。無学な一薬剤師が薬局内で感じ続けてきたことが、そのまま社会で通用するかどうかは分かりませんが、最近のあなたのテレビでのコメントのしように同じ欲求不満を抱えているような親近感を覚えてメールします。
僕は漢方薬で慢性病のお世話をする機会が多いのですが、僕の実力を棚に置かせてもらって言うならば、人の揚げ足をとる方は病気がとても治りにくいことに気がつきました。恐らくそれがまさに癖にまでなっている人は、まず他者を評価しません。人には必ず長所と短所が同居していますが、長所に目をやって褒めるようなことは決してその種の人はしません。だから周りの人は不快感を覚えて次第に去っていきます。口汚い言葉は物理的な凶器にはなり得ませんが、心を傷つける凶器です。凶器を振り回している人には誰も近づかないので、自ずと孤立を深め、ますます攻撃的になるのです。そう言った人に手を差し伸べることが出来る人格者は滅多にいるものではありません。気力と体力の両方に恵まれた人でない限り、その種の人に優しくはなれないのです。
僕は最近テレビを見ていてこれと同じ不快感を感じてしまうのです。だからリモコンを手元に置いて揚げ足取りのコメントが始まればすぐにチャンネルを変えるか、いや、変えたチャンネルが同じように揚げ足取りに終始していることが多いのでいっそのことスイッチを切ってしまうことが多いのです。あたかも局によって意思統一が出来ているかのような司会者への安易な賛同、司会者の思わせぶりな声色や、意図的な間の取り方、それらも含めてテレビは今や不快製造器になっていないでしょうか。今日こそはと気持ちを入れ替えて望んだ朝の透明な空気を不快な言葉で沈殿させることは、一種の罪です。法律では罰せられませんが、人の心を不愉快にすることは、それも全国の人達を不愉快にさせることは大きな罪です。
今や国民は知識も豊富ですから、下手な解説は必要ありません。まして机上で作り上げたコメントなど何の臨場感もなく空しく響くだけで、コメンテーターと言われる人が逆に哀れに見えてきます。安易な同調や揚げ足取りしかコメンテーターの職を確保する道がないのなら致し方ありませんが、まず相手の長所や実績を褒めてそれから批評、批判をするのが庶民の知恵です。よくもまあ、あんなに独善的なのだと恐らくかなりの人が不愉快に思っているでしょう。謙遜とか謙虚などと言う言葉はマスコミには存在しないのでしょうか。マスコミ自体がすでに権力になってしまっているのでしょうか。
 僕はあなたが、男性陣の自信過剰気味な発言に、又揚げ足取りに終始する発言に当惑している姿を何度か見ました。そして反論される姿も見ました。安易な司会者の誘導に乗らなかったのも見ました。以前○○○子さんが同じような態度をとったのも見ました。口先だけで生きていく輩との違いを僕は見たのです。毎朝繰り広げられる揚げ足取りの醜態を誰が喜んで見ているでしょう。不快を避けてチャンネル操作せざるを得ない人達を、以前僕はチャンネル難民と呼びました。
食卓に並ぶもののほとんどは、腰の曲がったおじいさんやおばあさんが、人が眠っている時間から海に出かけ、畑に出かけ、もくもくと獲り育てたものです。綺麗な空気もおいしい水も自然に逆らわなかった人達のおかげで守られています。命を育むのは感謝です。自然界も人間の世界も同じだとは思われませんか。


2010年05月26日(Wed)▲ページの先頭へ
素人
 良かったのか悪かったのか知らないが、結局今でも料理人をしている。僕が牛窓に帰ってきた頃からの知り合いで、年齢が近いからか、彼が医療、特に東洋医学に興味を持っていたからか、ずっと親しい間柄でいる。
彼には大阪で評判の柔道整復師の叔父がいた。その人にあこがれていたのだろうか、見よう見まねでその方の技術を会得していた。僕が20代の頃からしばしば実験台になって、習ってきた術を磨いた。当時牛窓署の若い警察官たちも何人かが治療もどきをやってもらっていた。身長が180cm以上の大柄な人なので力が強くよく効いた。あまりの痛さに悲鳴を上げながら指圧してもらっていたような記憶がある。こちらはただでやって貰えるのだから有り難いの一点張りなのだが、やる方は大変だろうと気が引けながらも、それでも気持ちがよいので僕らは良く甘えたものだ。
 腕は素人とは思えないくらいいいのだが、なにぶん免許がない。その種の学校に行くほどの熱意はなかったのか、生活に追われていたのか分からないがずっと料理人のままだ。僕は法的な根拠がないとだめだと助言していたので、彼は純粋に親切だけで多くの知人を世話し続けてきた。時代が移って、何の法的根拠で開業しているのか分からないような指圧もどきが横行している。ただ、堂々と宣伝したり看板をあげているから違法ではないのかもしれない。国が定める資格がないと治療は出来ないよと助言し続けてきたから、今僕自身も混乱している。数年前に流行った規制緩和で何でも出来るようになったのだろうか。それまでは、料金などをもらうことは出来ずに、単なる善意に対するお礼ならいいなどと隠れるようにしてやっていた行為なのだが。
 整体などと標榜する所で施術してもらった人がやってくることがある。僕は興味があるから結構細かく尋ねるのだが、どうも恐る恐るの治療のような気がする。恐らく医療ミスなどに対応できる保険に入っていないのではないか。もしそれに入れるようなら世間に認知されていることになるのだが。それはさておき、悲鳴を上げてのたうち回りながら指圧をしてもらった人間にはどう見たって効きそうに感じられない。今日久しぶりに尋ねてきた彼は、免許なしで開業しているだろう多くのその類の話をした後、少しだけ開業しなかった未練を口に出した。僕としてはいつまでも史上最強の正統派素人でいて欲しいのだが。


2010年05月25日(Tue)▲ページの先頭へ
忍耐
 その種の番組に、10秒も僕はチャンネルを止めておくことが出来ないのだが、やたら馬鹿芸能人が集まってものを食べているシーンが多い。ものを食わせて素人並のくだらない話をさせ番組もどきに仕上げればスポンサーが付いて商売になるのだから、努力や工夫が必要のない気楽な商売だ。
 僕は、いや僕らの世代はまだ質より量の時代だったから、美味しいものを食べることより満腹になることの方を優先した。ご馳走を1回食べることより、1ヶ月分の飯の方が有り難かった。その癖は幸運にも未だ抜けていなくて、何を食べてもおいしい。もっと幸運なのは年齢と共に満腹がいとも簡単に手にはいるようになったことだ。ちょっと食べるだけでお腹が一杯になるのだ。だからどんな豪華な料理をテレビで見せられても欲しいとも思わないし、羨ましいとは思わない。むしろ、その食事を馬鹿芸能人に食わすより公園にでも持っていって、その日の食事にもありつけない人達に配れって言いたくなる。
 良くもあんな番組にまで金を出す企業があるものだと感心する。企業名が流れれば流れるほど、その企業の評価は下がる。いったいどんな人間が、どんな層がその種の番組を見ていると想定しているのか知らないが、人を馬鹿にするにも程がある。食うに精一杯の人間なんかテレビを見る資格もないとでも言っているようなものだ。いずれ反撃を食らい 早晩テレビ局もスポンサーも自壊していくだろう。
 今は底辺と言われる人達もおとなしくて従順だが、忍耐が無限に用意されているとは限らない。一人一人が孤立して耐えているから何のインパクトも与えられないが、いずれ意志の疎通が整ってくると力を持つことになる。そうあるべきだしそうなるだろう。さもないと、ますます下りの電車だけが満席になる。途中下車が保証され、上りの電車に乗り換えることが出来なければ旅は楽しみではなく失意の逃避行になる。
今もコンビニで廃棄される弁当より軽い命が横断歩道を渡る。


2010年05月24日(Mon)▲ページの先頭へ
フットサル
 熱心なようで熱心ではない、無関心なようで無関心ではない。ほどほどの感じがよい。このお母さんは数年前に薬局に入って来るなり「早く来てみたかったんです」と嬉しくなるような言葉をかけてくれた。漢方薬に興味があって、本当の漢方薬を飲んでみたかったと言ってくれたのだが、その言い方からすると世の中には本当でない漢方薬が存在するようで、ちゃんとそれは見抜いている。
以来本人はもとよりご主人と2人のお子さんの漢方薬を作らせてもらっている。各々が症状が悪化して耐えれなくなったら1週間分くらい取りに来る。ほとんどのトラブルがそれで解決している。同じ学区のお母さんを紹介してくれたりしているからある程度の評価は獲得できているのではないかと思う。
 塾や習い事を否定していたお母さんが、今年お子さんをサッカーのスポーツ少年団に入れたらしい。入れたと言うよりお子さんがやりたいと言ったから入団させたらしいのだが。ところがお母さんは、優しすぎるお子さんが、相手のボールを取りに行かない事を悩んでいる。コーチにはその事をとがめられるのだがなかなか出来ないのだ。「お母さんは、どんなお子さんの姿を望んでいるの?」と尋ねてみた。すると「プロの選手みたいに相手のボールを積極的に取りに行く子であって欲しい」と言った。「それが出来ないことは欠点なの?」と重ねて尋ねると「そう言う訳ではないけれど」とトーンが少し落ちてくる。お母さんは分かっているのだ。お子さんのグラウンドにおける欠点こそが彼の長所だって事を。サッカーなんて日常のほんの一部だ。それが少し上手かろうが下手だろうがほとんど生活に影響ない。寧ろ優しすぎる個性こそが彼の日常のほとんどを支配する。だから決して欠点ではなく最強の武器なのだ。勇敢に相手に立ち向かっていくばかりが全てではない。相手を傷つず思いやることが出来るのは、それこそずっと変わらないでほしい個性だ。
 僕はサッカーやバレーボールで多くの少年少女と接してきて、その後のことも多く知っているが、当時華々しかったスター少年少女が必ずしもその後順調に育っているとは思わない。寧ろ授からなかった運動神経にむち打ってやっとの事でついていっていた少年たちの方が、たくましく暮らしていることを知っている。その他大勢でグランドやコートに立つこともなく、ベンチで、下手をしたら観客席で応援を余儀なくされていた子供たちがたくましく暮らしていることを知っている。持って生まれた才能に守られることもなく、逃げ出したい気持ちを抑えて鍛えられた心で、寡黙なたくましさを手に入れたのを知っている。幼い心でヒーローをもり立てる役回りを演じた子供たちが、その後たくましく一家の主になっていることを知っている。
 常々お母さんには「褒めて褒めて褒めまくって育てて」と口を酸っぱくして言ってきたが「今日、抱きしめて褒めたら、一杯手伝ってくれた」と嬉しそうに教えてくれた。多くを望んで大切なもの失うのも、少しを望んで多くを得るのもどちらも簡単だ。「実は私がフットサルをやりたいんです」と目を輝かせた母親は決して前者にはならないだろう。


2010年05月23日(Sun)▲ページの先頭へ
色黒
 幼い時から色白で、蛍光灯などと兄からあだ名を付けられていたから、未だコンプレックスの筆頭にこのことがある。
「一気に黒くなったね」とカウンター越しの男性に僕が言う。本当にこの数日で別人のように日に焼けている。元々色黒の人だから、僕のように赤くはならない。それこそ格好良く焼けている。「それはそうじゃろう、暑くなったから」と例年と同じ変化に特別の感慨はない。寧ろ彼の方は色黒を恥じているのだ。この時期の紫外線は真夏より強いとも言われていて、毎日海に出ている漁師たちには見かけ以上のダメージがある。見かけは黒く日焼けして力強く見えるが、倦怠感にさいなまれる時期でもある。若い漁師ならいざ知らず、一歳とれば避けられない。余程体力がある人は別だが、自然の恵みと自然の負荷とを天秤にかける。
色白は七難を隠すと言うが、僕の場合一難さえ隠してくれない。今まで得をしたことがない。必要以上にひ弱に見えて、僕が作る薬が如何にも効きそうにない。ああ、この薬を飲めばこんなに元気そうになるのかと期待させるものは何もない。下手をしたら自分が飲んで元気になったらと言われそうだ。ただ世の中良くしたもので、ひ弱にはひ弱の仕事があり、元気には元気の仕事がある。もっと言うと、ひ弱にはひ弱の人生があり、元気には元気の人生がある。両者が存在するから陰陽のバランスが取れていて、行け進めの号令ばかりが響くこともない。足を引っ張る存在がないと、何事も太く短くになってしまう。細く長く長らえることも大切だ。消えていい事ばかりではない。存在し続けることも貴重な力なのだ。瞬発力では語れない人の営みは多い。
色白で、筋肉なしの冷え性。若さでごまかすことも出来なくなったから、相手にはますます優越感を持って貰える。だから今まで以上に相手を幸せに出来る。コンプレックスでもなにでも利用できるものは皆利用する。後ろを向いていても前に進むことは出来るのだから。


2010年05月22日(Sat)▲ページの先頭へ
爪切り
 ありがたい、ありがたい。何の努力もせずにこんなに笑わせてもらって。おまけに1300円もお金を頂いて。この全身の筋肉の緩みようだとこちらがお金を払いたいくらいだ。 薬局の中に僕も含めて5人がいた。ずいぶんと回復はしたがもう少しだけ心が明るくなれば完治の女性とその家族、そして僕の娘。その家族を応対中に車を横付けにして後部座席から一人女性が降りてきた。一目で旅行客だと分かるし、上品そうな方だった。すぐ用事が済みそうだったので僕が促して先に用事を聞いた。すると爪切りが欲しいらしいのだ。扱っていないと即座に断ったのだが、ふと今、急に必要になっただけだろうと思い、我が家のを貸してあげると提案した。帰ろうとしていた女性は喜んで爪切りを持って車の所に戻って行った。僕はすぐ態勢を立て直して相談者の方に集中した。ところが例の爪を切るカチン、カチンという金属がぶつかる小気味よい音が薬局の前でするのが耳に入る。何となく耳に聞こえる数が多すぎないかと思ったのだが、勿論それ以上には気は巡らない。
 しばらくすると女性が爪切りを返しに入ってきたのだが、その時に二日酔い予防の薬が欲しいといった。たった1度爪切りを貸してあげただけで、薬を買ってもらうのは不本意だ。高い爪切りについたのではないのと言って断ったのだが、本当に必要らしいから僕が考えられる最高の予防薬を出した。会計をしている間に「すみません、足の爪まで切らせてもらって」と女性が言った。「どおりで長いと思っていました」と僕は答えた。
女性が出て行ってから相談者のご主人が口火を切った。もうその時点で笑いをこらえることが出来なかったみたいで「足の爪まで切って・・・・」と最後は言葉にならなかった。すると余り笑わない奥さんも下を向いたまま必死で笑いをこらえている風だった。「どおりで爪を切る音が大きくて、回数がやたら多いと思っていた。両手を切っても10回くらいですむはずなのに」僕の説明に又爆笑が起こった。「今度、先生の所で売ってないものを言って入ってこよう」とご主人が言うから「僕は何でも希望に答えないと気がすまないたち」と答えたが、それは本心だ。だから何気ない思いつきでとった行動なのだが、5人の人間が笑わせてもらったことに感謝する。どんな男性が20本の爪を切ったのか知らないが、品のいい女性だったから、それに相応しい男性で「気兼ねをしない」性格の人なのだろう。それはそれで又気持ちがいい。僕はてっきり車に乗っている人達が順番に爪を切っているものとばっかり思っていたので。


2010年05月21日(Fri)▲ページの先頭へ
姉御
 仲間から「姉御」と慕われているある女性と、よその町のショッピングセンターで偶然会った。駐車場から出ようとしている僕のちょうど前に彼女が運転している車が入ってきたのだ。助手席にはご主人が深々と腰をかけていて、いつものパターンだ。何故かしらいつも奥さんが大きな車を運転している。その町で僕が買い物をしていることに恐らく彼らは驚いて声をかけてくれたのだろうが、僕の方も彼らがこんな遠くの町、それもさして大きくない町で買い物をしていることに驚いた。
その事は1ヶ月くらい忘れていたのだが、今日その奥さんがカゼ薬を取りに来たので先日のことを尋ねてみた。するとその町の前に浮かぶ島でお嬢さんがこの春から働いているらしい。介護の勉強を終え、わざわざその島を希望して就職したらしい。介護職は今引く手あまただろうが、都市部を敢えて敬遠してフェリーでしか渡れない島の職場に毎日通っているらしいのだ。
 僕は偶然その島の人を幾人か知っていて、彼らの素朴さにいつも心温まる思いがしていた。その事を言うと「そうなんじゃ、人がとてもいいんで娘も気にいっているし、大切にしてもらっとんよ」と顔をほころばせていた。いつの頃の実績で姉御と呼ばれているのか知らないが、嘗て肩で風を切っていた面影は母親の喜びの言葉の間は影を潜める。まだ十分嘗ての面影は残しているのだが、1時間かけてカゼ薬を届けようとする母親の気持ちは厳つさを隠してしまう。
 人の魅力は意外性で増幅される。この親にして介護で老人を助ける志の娘あり、この親にして離島を敢えて志望する娘あり、この親にしてたかが風邪くらいで施設に迷惑をかけるからと薬を届ける誠意あり。全て姉御からは想像できない。
 大きな体に豪快な笑いをするからやはり現役の姉御かもしれないが、風貌や言動では分からない繊細さが垣間見えてとても楽しい一時だった。海辺の町で生まれ、海辺の町で育ち、海辺の町で嫁ぎ、海辺の町で子供を育てた。そして海辺の町で老い海辺の町で眠りに就くのだろう。決して華やかさはないが、波では洗われないしっかりとした足跡を砂浜に残している。


2010年05月20日(Thu)▲ページの先頭へ
試行錯誤
 「お疲れ様です○○○○です。私なりにどんな時にパニックが出るのか向き合いながら過ごしていたのですが、多少ある運転への不安を強い自意識がより増幅させている事に気付き、それからは自分を受け止め自分に寄り添うように運転中を過ごしています。まだまだドキドキする時もあるのですが、どうしてそうなったのかを分析しては取り越し苦労なだけとわかったり、次の時に試したりいろいろと試行錯誤しています。以前のようなパニックが出なくなったので冷静に自分と向き合う事が出来たんだと思いますありがとうございます。パニックの薬はもう少し続けた方がよいのでしょうか?なんとなく、発作が出たとしても向き合い寄り添いながら過ごしていける気がするので、どのようなタイミングでやめたらよいのでしょうか?いつも大和さんの言葉に心がすーっと楽になります。心への処方薬みたいで、狭い世界で頑なになった思考が和らぎます。偶然か必然か、大和薬局に出会えることができて良かったです。」
 最後の方は気恥ずかしいが、典型的な治り方をしているから紹介させてもらった。薄皮をはぐが如く改善し、気がついたら以前の自分を取り戻していたって事だろう。社会不安障害の効能も取れたという抗ウツ薬や安定剤を使わなくても心のトラブルは治ることが多い。体を強くする生薬で心まで解放されるのだから古人の知恵はすごい。ハーブ効果の最たるものだろうか。
 それはさておき、こんな僕でも話し相手として評価してくれることはとても嬉しい。毎日多くの人に語りかけるから、沢山の言葉でもって返すことは出来ないけれど、板のように堅くなった首や肩をごまかしながら返事しているからと許して欲しい。思えば僕自身、年上の人に話をするとか、聞いてもらうかなどの経験は若い時には皆無だった。そもそも学校の先生が苦手だったから、又地域の行事にも参加しなかったから、年上の人などは接点がない。一人悩んで、一人いきがって、今思えば結構危うい青春だった。その後も会社や組織に属することもなかったから先輩と言える存在もなかった。ただ薬局に訪れてくれる人を相手に、世間話に花を咲かせていただけだ。心の奥までさらけ出して話をする相手は大学卒業後は結局一人も出来なかったが、逆にその必要もなかったのかもしれない。
 今頃になって心の底の悲鳴を聞かせてくれる若者と多く知り合った。僕のあの頃のあげ損なった悲鳴に酷似している。だから僕はその悲鳴がかなり理解できる。ほとんどと形容していいかもしれない。手に取るように分かるのだ。僕はいつも言うように、カウンセラーのように癒す職業ではない。所詮薬剤師だから漢方薬で改善を図るのだが、同じ根っこのトラブルを味わったものとして、親近感を持って貰えるのだろうか。僕は同じ青春の落とし穴に落ちた人達全員に穴から這い出してもらいたい。そうでないと多くの能力が無駄になってしまう。誰もが必ず持っている能力が生かされないで封印されてはもったいない。 上記の便りのように、理性でもって客観的に自分を眺められるようになって欲しい。そのお手伝いならいくらでもする。ただひとつ、決して揚げ足はとらないと言う前提の元で。


2010年05月19日(Wed)▲ページの先頭へ
死語
 アメリカのハーバード大学などの研究チームの発表だからかなりの信頼性がある。だとしたら、それは悲しいことでもあり、残念でもあり、憤りでもある。
最近存在が珍しくない注意欠陥・多動性障害は、有機リン系の農薬を低濃度でも摂取した子供がなりやすいと言う内容だ。検出ぎりぎりの濃度でも農薬成分の代謝物が尿から見つかった子は、検出されなかった子より1、93倍の確率で注意欠陥・多動性障害と診断される可能性が高いことが分かった。色々憶測はされていたが、一つの原因として確定するのではないか。もしそうなら、なんてやりきれない被害なのだろう。もし、農薬が残留していない果物や野菜を食べていたならばならなかった障害かもしれない。母親が、おじいちゃんおばあちゃんが丁寧に洗ってからくれたものなら、そんな障害を持たなかったかもしれない。防げたものだとすると返す返す悔しいだろう。発達過程にある子供の脳は神経系に障害を与える可能性のある化学物質に特に弱いと考えられているらしいが、もしあの時もっと丁寧に洗っておけばとか、無農薬野菜を買っておけばとか、親は自分を責めるだろう。
 科学の発達により作られた障害、生産性を追求したあげくの障害、見栄えばかりを追った潔癖すぎる社会が生んだ障害、色々な状況は考えられるだろうが、その諸々のものが交錯した時代に生まれ育ったことが不運だ。誰一人意図してもたらされた不運ではない。それだからこそ社会全体が詫びて彼らに尽くさなければならない。家庭の問題にするのではなく、豊を追求した時代と社会の歪みを、身体で表現させられた人達に社会全体の問題として報いなければならない。
皮肉にも世間の関心は、恵まれて満たされてる人達に向きがちだ。何の落ち度もなく暮らしていた人が無慈悲にも障害を背負わされる姿は目に留まりにくい。社会全体がより謙遜になって懺悔し、子供達を守ることを優先しなければ、社会などと言う言葉は死語となってしまう。


2010年05月18日(Tue)▲ページの先頭へ
作業
 天気予報が伝える気温はまるで初夏のものだったが、僕は顔や背中に当たる太陽の光がまだまだ春のもののように感じた。こうして太陽の下で作業をすることなどもうずいぶんと長い間したことがなかったので、まるで冬眠から冷めた動物のように、ためらいがちな動きになってしまった。心も身体もまるでもやしだから、しおれないようにゆっくりとした動作を心がけた。しかし、そのうちに自分の体がついていっていることに気がつき、その作業がまるで遊びのように思えだした。フィリピンの若者はコンクリートを破って生えた生命力溢れる草をむしり、日本人の老人達は鎌で器用に伸びた草を刈る。ある人は草刈り機を持ちだして広範囲の草を刈ろうとしているのだが、結局は壊れた機械を最後まで治すことだけに時間を費やし、1本の草も刈ることは出来なかった。
 僕は田舎で生まれ育ったが、こんな状況ではまるで役に立たない。力はないし、腰も膝も悪いし、顔も悪いし、口も悪いし、ついでに根性まで悪いから。だから草刈りの奉仕には役に立たない。そこで僕はみんなの役になんとか立とうとして考えた。そこで思いついたのがまだ自分に残っている筋肉を使うと言うことだった。僕の筋肉は足にも腕にも背中にももう無くなっている。脚力、腕力、背筋力が無くなっているのだから力仕事は出来ない。残すは口の回りの小さな筋肉だけだ。
 半年前に来日した男性のフィリピン人が、つい最近来日した女性に草をむしりながら「仕事が何ですか?」と繰り返し発音を練習させていた。傍でゴミ袋を持って立っていた僕は、その「が」が耳について仕方なかった。そこで、「僕は日本語が得意、教えてあげる」と言うとえらい受けた。「ヤマトサン、日本語得意、日本語得意」と繰り返して傍にいた若者達も巻き込んで盛り上がっていた。僅か半年の滞在で日本語のジョークを理解できる若者達の語学に関する順応性に驚く。
 結局僕はみんなが足腰を犠牲にして清掃奉仕をしている間に、口の回りの小さな筋肉ばかりをやたらに動かしていた。体温の上昇と共に長い間滞っていた血流が少しばかり改善していることを感じた。大した力も能力もないのに、つい頑張ってしまう悲しい性を、日曜日の昼下がり寒暖計の中にしばし閉じこめていた。


2010年05月17日(Mon)▲ページの先頭へ
真剣勝負
 もう完治して連絡は全くないが、お嬢さんの過敏性腸症候群の漢方薬を注文してくるのがお父さんのお家があった。勿論お嬢さんは高校生だったから、自分で症状の説明などもしてくれたのだが、お父さんの登場はとても珍しいケースだった。僕は最初にお父さんから電話を頂いたときに、ああ、ここのお家はお嬢さんを治すことが出来ると直感的に思った。
 今日、隣の県から訪ねてきてくださった方も、それこそ治るに決まっていると感じた。ご主人が連れてきてくださったのだが、夫がこんなに真剣に奥さんの心配をされるお家を余り知らないのだ。ほとんどのお家は妻の不調に冷淡か無視だ。成す手がないのをごまかすために病院行きを強制したり、果ては不調を責めたりするのが関の山だ。奥さんの病状を理解していることも珍しい。見て見ぬ振りをする方が楽なのだ。不調を一緒に背負うほど、又立ち向かっていくほど男は病気に対して強くない。
 一杯話を聞くことが出来たが、想像していたとおりなのだ。ご主人が事細かく教えていてくれたとおりだったのだ。夫婦の会話が豊富なのか、ご主人が心配して奥さんに尋ねているのか分からないが、僕が常々口にする相克の関係では全くない。こんな夫婦もおられるのだと頑なに相克論を展開することがはばかれる。
 帰りが近くなった頃、奥さんがとてもにこやかになった。遠路来て下さって疲れていただろうに、あの笑顔の連続は僕には最高のプレゼントだった。健康相談で都会から田舎にやってくるのは抵抗があるかもしれないが、田舎の薬局は真剣勝負だって事を少しでも垣間見て貰えたら幸せだ。数撃てば当たるほど人の数がない町で腕を磨かなければならないのだから。


2010年05月16日(Sun)▲ページの先頭へ
前駆症状
 あるお医者さんの調査結果なのだが、とても興味深かった。と言うのは、最近急増している、いや人為的に増やされている懸念もないではないが、まあそれはおいといて、鬱病には先行して様々な不快症状が現れていたって言う内容だ。1年間で鬱病の診療が開始された2500人を対象に調べているのだから、これはかなり信頼できるのではないか。確率が高い方から低い方に列挙するが、高い方では30%を越え、低い方でも10%近い。
 睡眠の導入、維持(要は寝付けない、途中で目が覚めるばかりすると言うこと) 慢性胃炎 神経障害 感染症と推計される下痢、胃腸炎(要はすぐに病気をもらいやすいって事だろう) 胃潰瘍 下背部痛 高血圧 高脂血症 皮膚炎 不安障害 身体表現性障害(いくら病院で検査しても何処も悪いところが見つからないのに、本人は不快で仕方ない、たとえば喉がつまった感じがするなど) 頭痛 便秘 自律神経失調 詳細不明の糖尿病逆流性食道炎
こういった症状が鬱病の前駆症状の可能性があるって事だ。本来ならどれも単独の症状や病気なのだが、そうではなく鬱病に先行して現れたものと理解することができる、あるいは逆に、これらのものが鬱病を引っ張ってくるとも考えられるだろうか。この症状を眺めてみると、結構僕ももっている。ひょっとしたら片手で収まらないかもしれない。ただ、この数年安定して持っているから、鬱病の前駆症状ではないのだろう。前駆症状だったらとうに発症している。また、僕自身皆さんを応対して思うのだが、笑える人は大丈夫って勝手な見解を持っている。話していて決して笑顔がこぼれない人は、病気と呼ぶべきで、笑顔がこぼれる人は「鬱々」の領域だと思っている。前者はお医者さんに任せ、後者はひょっとしたら漢方薬の方が役に立てる確率が高いと思っている。副作用もないし、薬も簡単に止めることができる。依存性がないのがかなりの長所だ。そもそも鬱々まで治療されたかかなわない。鬱々も人生の大切な肥やしだから。
 今まで何人もの笑顔のない、少ない人を応対してきた。そう言った人達と対峙した時、僕の能力が試される。なけなしの知性や医学知識を動員しても仕方ない。元々そんなものはないのだから。僕に唯一あるとしたら、30年以上延べにして何十万人の人と薬局で接してきた体験だけなのだ。治る力は全員が持っている、悪人なんて滅多にいるものではない、治る方向に舵が切られるとスッと治っていく、強がっている人ほど苦しみを抱えている、若さに優る薬はない、短所がそのまま長所にもなる、元気すぎるのが一番危険、揚げ足を取る人は自分で自分の首を絞める、病気をしても太れれば治る、笑えば交換神経の緊張が緩む・・・あげればきりがないが、こんなつまらない体験の集積こそが僕の拠り所になっている。
 薬局に入ってきて出ていくまでに、意地でも1回は笑わせたい。笑顔を忘れていた人がふと漏らす笑顔に優る感動は滅多に味わうことは出来ない。そんな喜びを時にいただけるから片手で収まらない不調を抱えながらも頑張れるのかもしれない。


2010年05月15日(Sat)▲ページの先頭へ
霊感
 60歳を過ぎた女性のひいばあさんと言えば、明治の人だろうか、まさか江戸時代の人ではないだろう。いやひょっとしたら江戸時代の可能性もないではない。
僕が牛窓に帰った頃から知っている品がありおとなしい女性が薬を手渡した後、恐ろしいような話を始めた。「私は霊感が普通の人より強いのかもしれない、私のひいばあさんが霊能者だったから」と言うのだ。何でそんなことが分かるのと尋ねた僕に、腰が痛くて立っているのも辛いはずなのに、1年前にあった話を始めた。
 とても元気そうには見えないが、こんな人こそ病気はしにくい。その方も60歳まで何の病気もしなかった。ところが60を回った頃から腰が痛くなり、ついに去年腰の手術をしてもらった。その時の話をしてくれたのだ。入院して数日後から、夕方のある時間になると突然、ベッドの上に寝ているその人の胸を人の手が押さえるのだ。胸が圧迫されるから息苦しくなり呼吸もしにくいような感じになる。1時間くらい声も出さずに耐えているとすうっと手が離されて胸の圧迫感が取れるそうだ。3日間同じ事が起こったので、病院に訴えて部屋を変えてもらった。その病室で亡くなった人の霊だと訴えたら変えてくれたそうだ。部屋を変えてもらうとその夜は何も起こらなかったが、翌日から又再開した。今度はもっと症状が激しくて、足先から冷たくなって、そのうち両手まで冷たくなる。それと同時進行で手足がしびれてきて歩いたり物を持ったりできなくなるのだそうだ。胸は圧迫されて呼吸しにくくなるし声を出そうにも出ないし、ムカムカして吐きそうになるがものを食べていないから吐くこともできない。それこそ生きた心地がしなかったと言う。
 その症状はいつまでつ続いたのと尋ねると、医師に安定剤をもらってから収まったという。医師は気のせいだからと言っていたらしい。彼女は以来、自分が霊的に感受性が強いことを心配して安定剤を飲んでいるという。僕が処方せんを調剤しながら何で安定剤が出ているのか尋ねたことから全てのこの会話が始まったのだ。
 医師が気のせいだといって簡単にすませてしまったものだから、彼女は1年近く無駄な安定剤を飲んでいる。その症状こそが、手術に対する不安による極度の緊張の連続で起こったパニック症状なのだ。そう言った場合良くあることだと説明してあげれば、霊などを想像することは以後なかっただろう。気のせいではなく不安のせいなのだ。もっと心の深いところからわき上がったものだ。その事を医師がもっと丁寧に話してあげていれば良かった。腰の手術で入院したのだから医師もそこまで思いは至らなかったのかもしれないが、やはり丁寧に対応すべきだったのではないかと思う。
 病院の白い壁に囲まれて精神を強く持っておれる人ばかりとは限らない。ベッドから見上げる景色に希望が映るのだろうか。揺れるカーテンに、黒ずんだシミに何かが宿っていると思っても仕方ないほど気弱にもなる。弱いもの、弱い人に心を寄せるのは健康すぎる人、力を持ちすぎている人には難しいのかもしれない。明日立場が逆転するかもしれないなどと言う不安感すらその種の人達には起こらないのかもしれない。それこそが社会全体の心の病そのものなのだが。


2010年05月14日(Fri)▲ページの先頭へ
民間薬
 訪ねてきたのが全員田舎の素朴そうなおばちゃん達ばっかりだったので、まんざら嘘には思えない。
その朝数人から同じ内容の電話があった。ある民間薬がないかという問い合わせだった。全員が隣の町の人達でまるで示し合わせたようだった。スーパーなんかでも売っていると思うのだが、漢方薬局のでないといけないらしい。こちらの方が恐縮してしまうが、漢方薬ではないので、何処でも同じではないのとこちらの方が逆に適当だ。
 朝早くから、電話を頂いた方々がそれぞれ取りに来た。どうして皆さんが欲しがるのか何人目かの人に尋ねてみたら、近所の方で癌を患って闘病していた方が、癌細胞が消えて完治したらしいのだ。おばちゃんの表現を引用すると「どうなっているんだこれは」と医者が驚いたそうだ。病院の名前もこのあたりでは通っているところだから作文ではないように感じた。彼女たちの近所の人だから闘病していたのも事実だろうし、完治したのも事実なのだろう。その方が服用していた民間薬を近所の人達に勧めるだけではその方に経済的なメリットはない。話の中にいわゆる意図的なものがないのだ。
 この種の話で不謹慎な商売が横行しているのは最早ありふれた日常の光景だ。不謹慎な方がむしろ「正しくて地道」より正当にさえ見える。僕がその気になればこの田舎の心温まる幸運を商売のネタにし、暴利をむさぼることはできる。過大に宣伝すれば疑うことが苦手になったこの国の人は簡単に騙すことができるから。勿論僕はそこまで勇気がないから、この民間薬の名前も明かさない。癌も時に自然治癒が起こることもあるらしい。何十万分の一か何百万分の一か知らないが、宝くじみたいな確率をまさか一般論にはできない。
おばちゃん達の希望を砕く必要もないし、昔から服用されている安い滋養剤だから拒む必要もないので快く販売したが、民間薬なんて漢方薬とは違って所詮、何年、何十年と飲み続けて効果を実感するものだ。どなたも元気そうな人達ばかりだったが、その効果を待たずしてその果実を手にしている人達ばかりのように見えた。元気な人ほど元気になる、どの世界でも同じだ。



2010年05月13日(Thu)▲ページの先頭へ
吐露
 これは漢方薬の限界を超えているから、医者に行って血圧の薬をもらった方がいいよと言うと、渋々行ってくれることになったのだが、処方せんを持ってきてもいいかと言う。僕の薬局も一応調剤薬局だから構わないのだが、わざわざその為だけに又岡山市から来るのはもったいないから、門前薬局でもらったらと言うと「ああいうのは嫌いじゃ」と言う。
鬱々とした心が3日分の煎じ薬で効くから時々落ち込んだら漢方薬を取りにやって来る男性だが、血圧の薬は何処でもらっても同じだ。飲めば下がる。何でいやなのと尋ねる前に彼の方から説明してくれた。体重が90Kgを越えて頭も薄いから一見恐そうに見えるが、実はかなりの気配り人間なのだ。薬を待つ間でも、自分はウツ傾向なのに他の方がいるとつい話しかけて機嫌をとってしまう。かなりナイーブなのは良く分かる。そんな彼に若い薬剤師が色々質問攻めにするらしい。「一杯喋られても分からないし、そのくせこっちが尋ねれば紙に書いているから読んでみてくださいとか、医者に聞いてくれなんて言うだけだから、めんどうくさいだけじゃ」と言う。なるほど僕の薬局では、99%は雑談だ。薬の話はほとんどしない。彼は恐らく何の漢方薬を飲んでいるかも知らないし、知りたくもないだろう。リストラにあった先輩の分を含めて一気に仕事量が倍になったのが発症のきっかけらしいが、その話題にも勿論触れない。僕がその仕事の一部を肩代わりできるわけではないのだから、分かったような顔はしない。
ある医師が、そろそろ薬局も門前から自立したらと述べていた。そもそも僕の場合、門前になったこともないから自立もへったくれもないが、いつもスタンスは薬局に来てくれる人達の方に置いているつもりだ。門前だとどうしても処方せんを出してくれる医師の方に向いてしまうが、その点僕は自由だ。だからこむつかしい薬の説明よりも、楽しい、いや、ばかばかしい話に終始する。患っている人が治療に専念するのはマイナスだ。それよりも一瞬でも病気を忘れた方が治りやすい。薬の話をしない薬局は失格かもしれないが、血圧が上がるマル秘の理由まで吐露できる薬局なら許して貰えるだろうか。


2010年05月12日(Wed)▲ページの先頭へ
危惧
 今日、面白い便りをもらった。もうこんな危惧を抱かれる年齢になったのかと、あるいはやっていかれなくなるほど暇な薬局に見えるのかと、どちらにしても心許ないのだろう。
「お久しぶりです。○○県の○○です。最近彼氏とうまくいってます!以前の自分だったら、絶対に味わえなかった幸せなので、すごく嬉しいです。たまーに下痢をしてしまうことがあるんですけど、ヤマト先生の漢方を飲みながらマイペースに治してます(^-^)最近、久しぶりに下痢が続いて漢方を飲んでた時にふと、この漢方が飲めなくなったらどおしょーって、不安になりました。バカみたいな質問ですけど、ヤマト薬局がなくなることってありますか?」
彼女は恋多き女性だったが、過敏性腸症候群でことごとく失恋していた。どんな女性だろうと興味を持っていたらいつか訪ねてきてくれて、その魅力的な風貌や態度に驚いたものだ。これだったら恋多き女性ではなく、恋多くされる女性だと思ったのだ。僕の拙い男性側からの恋愛心理を披露すると彼女は何故か勇気を持ってくれて、その結果がこの便りだ。
それはさておいて、彼女にとって今はほとんど必要が無くてもひょっと又必要になることがあるかもしれない処方は大切だろう。彼女だけではなく、僕の薬局を利用してくれている人全ての懸念でもある。僕の場合は、製薬会社が作った商品を飲んでもらっている人の方が寧ろ少ないので、その点は自分自身でもかなり以前から考えて準備をしてきた。薬剤師なら誰が見ても対処できる処方集、今までお世話させて頂いている人達の記録、この2つと、それにもまして漢方薬に興味を持った薬剤師の存在も大切だ。この3点をクリアしているから、安心してねと返事を書いた。
 僕の属している漢方研究会でも数人の先輩達が亡くなられ薬局が絶たれた。何人かの方々が紹介されその後訪ねてこられたが、データーがないから全く同じくすりを作ってあげることはできなかった。後継者がいたらそんなことは起こらなかっただろうが、漢方薬が分かるには年数がかかるのでなかなか跡は継いで貰えない。門前薬局を開けば簡単に収入を得られるから、優秀な若い薬剤師はそちらに流れる。中国の人件費が高騰し、生薬の値段が庶民が手のとどかいないものになって廃れるか、跡継ぎがいなくなって廃れるか、僕はこの世界の将来を楽観していない。誰もが適正な価格で正しい漢方薬を飲める。こんな簡単だが大切なテーマのために、僕は恋多くされる女性の処方を念のため確かめた。想い出と共に大切にとってある。


2010年05月11日(Tue)▲ページの先頭へ
過敏の星
 嘗て織田裕二主演の「県庁の星」と言う映画があったがさしずめ彼女は「過敏の星」なのだ。
 どの様な規模の会社の、どの様な部署で働いていたのか分からないが、この春突然に秘書に抜擢された。今は会社の中枢にいて良いことも悪いことも色々なことが見えてしまうなどと近況を教えてくれたりしているが、当初は勿論不安ばかりだった。僕は彼女の実像を知らないが、恐らく例の「過敏性腸症候群になったからこそ」の人間性を買われたものと信じている。だから彼女の不安そうな姿こそが又上司の信頼を得ているに違いないと思っていた。だから僕は彼女の抜擢に関して極めて楽観的だったのだ。だから喜びの内容の返信ばかりを送ったような記憶がある。大した助言もいらないと思っていたし、助言めいたことも言っていない。そんな彼女が今日、以下のようなメールをくれた。僕が全く介入していないところで自分で気がついたのだ。自分で自分に言い聞かせているような文章だが、こういった気付きの積み重ねで又1歩落とし穴から這い上がっていく。この文章の掲載は了解を得ている。

やまと薬局 様
こんばんは。楽しいGWも終わり、昨日の休みはまるでうつ病になりそうな自分でした。どうしてあの人は、あんなこというんだろう。なんであの人は、あんな怒り方するんだろう。なんで自分は、うまく人と係われないんだろうって、ずっと頭の中でぐるぐる同じこと考えてた。このままでは、精神的にヤバい!と思ってある方の本を読んだら、ころっと心がかわることができたんです。「自分にいやがらせをしない人たちに対して感謝が足りないんだ。感謝を教えてくれたのは自分にいやがらせをしている、あの人なんだ。あの人が自分をめざめさてくれた」じっくり考えてみたら、みんなちゃんと仕事を教えてくれるし、意地悪なことないし、いい人たちだと思えました。やっぱり「自分は嫌われてる。ガスが出てくさいから」と思いこんで自分で自分に壁をつくってた。自分に自信がなくおどおどしてて声も小さく、笑顔もひきつってたかも。客観的に見たら、あやしかった。(笑)「自分に感謝が足りない」と分かった時、職場のみんなに心から感謝するのと同時に、心が開いた気がした。そしたら、素直に人と接することができました。そしたら、ガスのことなんて二の次で楽しくおしゃべりすることがでたんです。やはり人間って、素直に楽しく話かけてもらえば同じように返す。ガスが出て、言われたことにこだわりすぎてた自分に気がつきました。いつまでも相手の言ったことや叱られたことにこだわりすぎてたら相手は自分の壁を感じて、ますますお互い壁が高くなっていくんだと。まさに相手は自分を映す鏡。悪口や叱られたこといつまでも思ってるより、楽しいこと考えたほうがよっぽど人生、楽しい!



2010年05月10日(Mon)▲ページの先頭へ
ラクロス
 柔道にプロレスに野球にそれからまだあるのかな。スポーツの番組かと思っていたらなにやら国を動かす偉い人になりたいらしい。まだまだ同じような人は梅雨までには出てくるかもしれないが、できればセパタクローとか、テコンドーみたいなマイナーなものがどうせならいい。せめて日の目の当たらないスポーツをやっていた人くらいにして欲しいものだ。まるで桁が違う金を稼いで、まるで桁が違う交友関係がある人に、空っぽの財布で一人公園で寝起きする人の苦しみは分からない。いやそれどころかごく普通の庶民の生活すら理解できないのではないか。
この国では、偉い人になるのはテレビで露出するのが一番簡単ならしい。受け狙いの低俗な芸人並みの売名か、あるいはスポーツか、どちらでもいい。垂れ流した時間に比例して好感度はアップするらしい。仕事より番組出演に忙しい輩を見ていたら良く分かる。生活者が一所懸命、体と精神の消耗と引き替えに稼ぐ1月の生きていくための賃金を、あっという間に稼いでしまう輩に自分たちの生活や命までを託さなければならないのは哀れだ。まあ、どの様な選択をするのか知らないが、結果は全て身から出た錆だ。いくら湿気があっても金属がなければ錆は付かないのだから。僕らは銅か鉄か知らないが、金やプラチナにはまずなれない。持った事がないから分からないが金やプラチナが錆びたってのを聞いたことがないから。
 ああ、大切な種目を忘れていた。ルールも何も知らないが偉い人になりたいならこのスポーツを経由してなって欲しい。その名はラクロス。元々はインディアンが争いごとを武力ではなく平和的に解決しようとして始まった競技らしいから。でも僕が日本語に直訳すると「楽捨」と書きそうだからイメージが悪いか。でも棒網球よりは韻を踏んだいい訳だと思うのだが。


2010年05月09日(Sun)▲ページの先頭へ
理解
 今日も玉野教会のキム神父様のパクリ。こんなにいい話は独り占めにするにはもったいない。英語に堪能な方は知っているだろうが僕はさっぱりだから良い話を教えて頂いたと一人感激している。
英語のunderstandは理解するという意味だが、その言葉の成り立ちはunderにstandすること、すなわち、相手の下に立つと言う意味なのだそうだ。相手よりへりくだって初めて理解できると言う意味だ。
 となると、上から目線では理解するなんて言葉は使えないって事だ。普段偉い人達がしばしば使っているその言葉に真実味がないことは何となく伝わって、空虚に響くことがしばしばだが、その理由が分かった。せめて対等にまで降りてこなければその言葉をそもそも使う資格はないのだ。資格がないのに使っているから違和感が甚だしい。
僕は過敏性腸症候群の方に薬を初めて飲んで頂くときに、過敏性腸症候群になったからこそ得たこともきっとあるとしばしば書く。ああ、あの文章はきっと今日教えて頂いたunderに立つと言うことを自然に、あるいは、否応なく体験させられていることに通じるのだと思った。青春の落とし穴に落ちて穴から空を覗くような位置にたたされて、それで気付きがないはずがない。恐らくそのまま幸せ一杯で暮らしていたら決して知ることができない価値観に出会う。それもかなり上質の。
 今、苦しんでいる人に耐えてなんては言えない。その苦しみを幾分でも軽減するのが僕の仕事だし、その苦しみのいくつかを一緒に背負うほど僕は善人でも超人でもないから。嘗て同じ青春の落とし穴に落ちて、その経験が、いやその経験だけが人の役に立っていることを思えば、せめてunderにstandすることだけで許して貰えないだろうか。


2010年05月08日(Sat)▲ページの先頭へ
棒グラフ
 長い間、運良く経済が成長してきたものだから、人の心や行いまでも同じような指標で測ることに慣れてしまったのだろうか。右肩上がりが当然のような時代があったものだから、人の精神までも同じようなことを期待される。競争、成果、成長、効果、過程、目標、効率、生産性・・・最早経済用語が日常に進出し、日常のたわいない行為さえも棒グラフにしようとしている。
質が悪いのは、そんな時代の恩恵を全く受けていない世代までも同じ尺度で測ろうとしていること。水の重さを巻き尺で量るようなことをしているから、量る方も量られる方もとんちんかんだ。しょうがないから自分とは異なるラベルを貼り、買い物籠にも入れようとはしない。商店の棚に並んだ新製品に一度は手を伸ばしてみるが買う勇気がないのと似ている。
それにしても威勢のいい老人に成功体験ばっかりを押しつけられたらたまったものではない。そもそも今とではウナギが、いや、土壌が違う。違う土壌で米農家と麦農家がお互い競っているようなものだ。競うのではなく米は米、麦は麦なのだ。米は麦に米になるようには言えないし、麦も米になろうとは思わない。米粉で強引にパンやうどんを作っても麦を食べたい人は麦を食べる。
 お節介なほど力が有り余っているのはすごい。その力の源を少しは残しておけば良かったのだが、いいものは全部自分たちが漁っている。それでいて精神論をぶたれたりしたら立つ瀬がない。朝焼けより夕焼けに親しみを覚えたって構わない。昇る生命力より沈むはかなさに我が身を重ねることにためらいはいらない。多くの営みを経済で語ってきた時代はどこかの国が引き受けたみたいだ。あの時代を知らない人達に棒グラフは似合わない。


2010年05月07日(Fri)▲ページの先頭へ
夜陰
 聞いたぞ、聞いたぞ、聞いてしまったぞ。
夜陰に紛れていつもの散歩に出た。薬局の前の水道工事は佳境に入っていて、大型機械が夜の間も撤去されずに放置されたままだ。それをガードマン二人が交通整理しながら守っている。東西に二人別れて、トランシーバーか携帯電話か知らないが絶えず連絡を取り合いながら、赤く光る警棒みたいなものを振り回している。その片方のガードマンの立っているところまで偶然僕は草むらを歩く事になる。だから僕が近づく足音も聞こえなかったのだろうし、気配も感じなかったのだろう。僕が彼に一番接近した時、1台の車が西からやって来た。するとガードマンは「はい、不審車両発車(はっしゃー)」とやった。
当然不審車両でもなんでもない。夜の9時だから家路を急ぐ車と理解するのが一番当たっているだろう。恐らく夜の単調な仕事の気付けに、彼らが考え出したジョークか隠語だろう。岡山弁ならアクセントは「しゃー」の方にあるのが普通だが、ガードマンは「はっ」の方に置いた。幹線道路とは言え、その時間帯になると通る車も少なく、民家の窓から漏れる明かりくらいしか人気はない。そんな中に立ち続けていくらの稼ぎになるのか知らないが、楽しいようには見えないし、やりがいがあるようにも見えない。同じ頃、食卓を囲む家族もあり、飲み屋で酒をあおっている人もあり、一振り何十万円のスポーツをしている人もあり、くだらない芸を垂れ流しにしている人もあり、揚げ足を取って金を稼いでいる人もあり、パソコンの前で上がり下がりする資産を数えている人もある。
職業に貴賤があるのかどうか僕には分からない。きれい事では語りたくない。ただ収入の貴賤は甚だしい。多くの賤に属する人達にいつまで忍耐を強いるのだろうと思う。赤色灯を振りながら何を考えているのだろう。近づく幸せ色のヘッドライトをうらやむのか、通り過ぎる孤独なテールランプを哀れむのか。それとも何も考えないことが時間を食らう最良の手段なのか。


2010年05月06日(Thu)▲ページの先頭へ
トラックバック
 まさか倉庫の前でもあるまいし、パソコン画面の中で何故トラックがバックするのか分からない。ダンプやバスや救急車ではいけないのか。
ブログにそっと挨拶を送って下さる方がいる。元々以前世話になっていた薬剤師に段取りをしてもらって訳も分からず文章を書いていただけだから、今だシステムについては何も知らない。知ろうとも思っていないと言う方が正確かもしれないが。だから、短いコメントをどの様に送ってくださるのか分からないし、それにどう答えていいのかも分からない。画面を訳も分からず触っていて壊したらだめだから、できること以外は挑戦しない。
 僕の拙い文章を楽しみにしてくださっているらしいが、数人の方のペンネームがどこか引っかかる。幸せを謳歌している人ならいいが、どこか陰を感じる。勿論ペンネームだけで何かを判断するってのは飛躍かもしれないが、幸せすぎる人が選択する名前ではない。ただ、それが僕には、僕の文章にはとても似合うのだ。元々僕の薬を飲んでくれている人のために自己紹介がてらに書き始めたものだが、恐らく僕の薬とは無縁の人達も今は読んでくれているのだろう。飛び抜けて明るい話題もないし、何かの役に立つわけでもないが、それでも「楽しみ」にしてくれている人がいる。
 僕の想像が当たっていたら悲しくて、はずれていたら失礼だけれど、何かの重荷を背負って砂浜に深く残る足跡を付けながら歩んでいるかもしれないまだ見ぬ人に、幸多くあれと願わずにはおれない。


2010年05月05日(Wed)▲ページの先頭へ
悠々
 おおらかなものだ。悠々としているとはこのことか。言葉も態度もしっかりしているから若くは見えるけれど、ひょっとしたら90歳に手が届いているのかもしれない。祝日の今日、薬局が開いているかどうか電話で確かめてからやって来た。
水虫の薬がいると言うことで来たのだが、何となく話がかみ合わない。患部を見せてとお願いすると上着を脱ぎ始めた。そしてシャツをまくり上げて見せてくれたのだが、ひたすら皮膚が乾燥しているだけで白癬特有の症状はない。この薬でいいのと尋ねたら、この薬でないと効かないと言う。尚尋ねる僕に経緯を教えてくれたのだが、要は水虫薬の中に入っているかゆみ止めの成分を利用しているだけなのだ。病院でもらっている薬が効かないから自分で見つけたと言っていた。
 偶然町の健診に出かけてみたら、肺ガンが見つかった。その治療中だと言うのだが至って元気だ。何処かつらい症状があるのと尋ねたら、検査が辛かったのと、背中が痒いことだけだと言う。元の病気に対しては何の不快症状もないらしい。今度の薬に代えてから痛みがスッと消えるから、副作用で痒いことだけが辛いと言うのだ。飲めばスッと効く抗ガン剤という表現が面白かったが、偶然居合わせた警察官もにこやかな表情で老人の話を聞いていた。薬の副作用の痒みに関して、当然水虫薬をつけるのは正しくない。ただ、正しくないけれど正しい。要は教科書通りではなく老人が夜痒みから解放されてぐっすり眠れればいいのだから。僕はここで正論は言わない。「良かったですね、効く薬があって」これだけだ。3年前までヘビースモーカーだったのだから、肺ガンは本望だろう。60年も70年も煙草を吸い続けられるのは余程元気な証拠だ。僕など足元にも及ばない。15年で脱落したのだから。笑顔を常にたやさずかくしゃくと応対する年輪に鋸を入れる権利は誰にもない。ひょっとしたらこの方は肺ガンでは亡くならないのではないかと思った。
 悠々は僕などとても手にすることのできない一つの能力なんだと知らされた。


2010年05月04日(Tue)▲ページの先頭へ
手招き
 「小児喘息だった頃を思い出してます。 孤独で苦しかった頃を」たったこれだけの文章の中に、どれだけの思いがこもっているのだろう。呼吸が苦しくて息も絶え絶えに遅い朝を待ったのだろう。誰に訴えても、誰を恨んでも仕方ないことも幼い心で分かっていたのだろう。その頃巡り会っていれば少しは手伝いが出来たのにと悔やまれるが、所詮田舎の薬剤師に何が出来るとうぬぼれをいさめる僕の中の別の声も聞こえる。
連休期間を幸せに過ごすことが出来る人が多いと思うが、中にはこのように悲しみを秘めた言葉が届く。僕の職業柄このような方がほとんどなのだが、映像に映し出される幸せな光景とは余りにもかけ離れている。いつかあちらの側に行ってくれればいいが、こちら側が得意な方も多い。多くの叡智が日夜研究に勤しんでくれてはいるが、その恩恵がいつ彼ら彼女らに届くのだろう。
 「死にそうな思いで学校にはいっています」別の子からの言葉の便り。学校はいつから死にそうな思いで行くところになったのだろう。彼女だけではない、何万、何十万の子供が「死にそうな思いで」毎日家を出ているのだ。無いものがないくらいの現代で、何が学校にはないのだろう。あるいは何がありすぎるのだろう。この息苦しさは何なのだろう。この生きにくさは何なのだろう。
 大いなる希望ははばかれる。ささやかな望は口ごもる。何も生まない忍耐も時にはあるのだと誰かが言ってはあげないのか。僕は決してこちら側で手招きをしているのではない。


2010年05月03日(Mon)▲ページの先頭へ
城山
 城山と書いて「じょうやま」と読む。沢山のおむすび山に周囲を囲まれ、手を伸ばせば数匹のウサギ雲に手が届きそうだった。見下ろせば川沿いに急ごしらえで連結された色違いの電車が行き先不明で警笛を鳴らす。川から山肌を伝って吹き上げる風は、慌てて5月の暦に滑り込んで気持ちが良かった。
 誰が何の勢いで発案したのかは知らないけれど、県北の盆地の街で野外コンサートがあった。その「誰か」の確実な一人である鍼の先生に誘われて、牛窓からは丁度県内の対角線上にある新見って言う街に初めて行った。同じ県内なのに新幹線で行けば十分東京に着けるくらいの時間を要した。まして行きがけは、中国自動車道という高速道路を利用したのが裏目に出て、ゲゲゲの女房のロケ地行きの渋滞に巻き込まれて、初めて高速道路の渋滞を体験した。
 公園に着いたときには当然帰りが心配になるくらい首や肩が凝っていて、演奏を愉しむ余裕もなかったのだが、それを察した鍼の先生が、後ろに回って鍼をしてくれた。こんな贅沢はない。恐らく鍼をしてもらいながら唄を聴いたのは日本中で僕が最初ではないか。鍼治療と唄のコラボ。僕が起業家なら何かヒントにするかもしれない。
Song巣 城山うたの種コンサート
「いつの頃からだろう。春の風を感じなくなったのは・・・肩を寄せ合って生きていた昔は、貧しくても心は豊かだった。別に今の時代が嫌いなわけではなく、まして何かを変えようなどとは思ってもいない。ただあの頃吹いていた春の風をもう一度感じながら、誰かの心の中に届けばいいと思う。遠い昔に見た夢と、頬をくすぐる春の風が、どこか似ているような気がして、一歩踏み出してみたくなった。風は緑の中で夢を誘い、木立は鳥とたわむれる。優しさはいつか春の風と共に、しっかり大地に根ざそうとしている」
 ポスターより抜粋したこれらの言葉が表すように、あの頃を共有できる世代の出演者、あるいはスタッフ、あるいは聴衆が沢山いて、5時間もの間ほとんど帰る人がいなかったところを見ると、誰かの心ではなく、誰もの心に春の風は届いたのではないか。
  僕はずいぶんとこの種のものから遠ざかっていたので、再発見したことがある。いや初めて気づいたのかな。演奏者もPAも僕はプロとの垣根がとても低くなっていると思いいながら聴いていた。もし今日出演した10組の人達に、それなりのプロのスタッフが付いたら、それはそれで通用するのではないかと思うくらいのレベルだった。逆を言うと、現在プロとして活躍しているグループも所詮この程度だって事だ。だからプロの演奏を聴いてもほとんど感動することもないし、逆に素人の人達の演奏を聴いて感動したりする。恐らく唄の世界も本当の良い作品を作ることが出来る人などほんの一握りなのだろう。後はほとんど素人程度のものを粉飾して商品にしているに過ぎないのだろう。
「OhちゃんバンドWithわかこ」が僕の知り合いの鍼の先生のバンドだ。彼が6人位を従えてやっているのは見たことがなかったので、まずその迫力に驚いた。バンドって楽しそうってのが素直な印象。そして聴衆を愉しませる要素が確実に増える。嘗て何十年前僕が唄っていた頃は、言いたいことを不揃いなメロディーに乗せ勝手に唄って舞台から降りていた。今から思えばひょっとしたらメロディーなんていらなかったのではないかと思うくらいだ。わかこの三線のソロの終わりと共に力強いドラムが入ってきた。僕はその展開の時ぞくっと鳥肌が立った。今日のコンサートで鳥肌が立ったのはその一瞬だけだ。その音は空気を共振させぼくの心臓の壁を打った。これは打楽器の特徴だ。内臓まで届くものは打楽器の他にはない。見ていてとても印象に残ったのは、若いリードギター。直立不動でギターを操る。リードギターの印象を完全に破っている。人と同じである必要はない。体をくねらせるのが恐らく定番なのだろうが、彼は違った。その凛とした弾き方に感動。
 ぼくは今日、何かを求めて往復7時間を費やした。いい言葉に出会えるのか、いいメロディーに出会えるのか、いい人に出会えるのか。でも、芝生の上で席を立つこともなくずっと聴いている人達を見ていて、又その中の一人になっている自分を発見して、何も求めなくたっていいのだと途中から思い始めていた。何かをするときに必ず意義を考える、そんな窮屈な気持ちでは手が届くところで遊ぶウサギ雲には申し訳ないと思った。そして今日確実に、僕は又人が好きになった。北の街の人達に乾杯?完敗?


2010年05月02日(Sun)▲ページの先頭へ
運動靴
 今日、玉野教会のミサでキム神父様に教えて頂いたエピソードなのだが、連休中の浮ついた心を一瞬のうちに見破られた感じがした。
インドの偉大な指導者ガンジーがある時列車に乗り込むときに、片一方の靴を線路に落としたそうだ。拾いに降りる時間もなかったその時にガンジーが取った行動は、なんともう一方の靴も線路に落としたのだそうだ。それはその靴を拾った貧しい人が利用できるようにと言う配慮からだ。一瞬の行動だからとってつけた行動ではなく身に付いている行動なのだ。口では大きな事、きれい事はいくらでも言えるが、人は一瞬のうちに、それも自分にとって不都合なときに小さい人間性が露呈してしまう事はしばしばある。
この連休は、珍しく僕はやるべき事を控えている。いつも何項目も列挙して一つずつ消していくことを喜びにしていたのだが、今回はその項目を圧倒的に減した。誰にもおおむねあることだが、僕は自分をかなり追い込まないと何も出来ないタイプなので、無理を承知で計画を作る。無計画よりは少しは着地点が遠くになるくらいの効果しかないのだが、半歩でも砂場に付ける靴の跡が遠くなれば喜びにしていた。
 ところがその僕の小さなやる気さえも、実は自分の欲望から発した行為なのだ。本当に相手のことを考えて、相手の方が求めていることを実現するように考えることが大切だと説教の中で諭された。30年間の薬剤師の仕事の中で、特に漢方を勉強してからは、薬を飲んでくれる人の苦痛からの解放をひたすら求めてきたが、ひょっとしたらそれは僕のプライドのためだったのかもしれない。結果的にはかなり神経質に効果に拘ってきたが、純粋な発想だったと断言できるかどうか。特に自分が健康だった若いときには苦痛を共有する心はなかった。今でこそかなりの不都合を抱えてきたから共有できるものは多いが、それでも尚体験しなかったトラブルには心を寄せることが難しい。全ての方と痛みを共有するほど凡人には余力はないが、せめて拾ってもらう運動靴くらいは洗っておこう。もう10年以上洗ってはいないはずだから。


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