栄町ヤマト薬局 - 2010/03

漢方薬局の日常の出来事




2010年03月31日(Wed)▲ページの先頭へ
魅力
 意外性に優る人の魅力はない。この男性もその最たるものかも知れない。詳しく説明すると個人情報の漏洩になるし、詳しく話さないとぴんと来ないし、ここは思案のしどころだ。まあ、その男性の善意に少しだけ甘えるしかないか。
僕は何故か彼を、おじゅっつあん(僧侶)のように思った。容姿からではなく話しぶりからだ。一種独特の間合いを持っていて、まるで俗世間を超越しているように感じたのだ。僕より随分若いのだが、落ち着きはらった話しぶりは今しがた山門をくぐり石段を下りてきた人のように思えた。
 話している途中に彼は仕事を音楽関係だと言った。僕は色々と詮索するのが嫌いだから、体調に関する質問しかしない。だから恐らく何かの弾みで彼が口に出したものだと思う。その音楽関係というのがなんだかぴんと来なかったが、逆にそれだからこそ、その言葉だけが頭の中にずっと残っていた。いわば、未解決の問題の如く。
 後日、彼を紹介してくれた鍼の先生と電話で話しているときに、彼がサックスの名手だと言うことを知った。正直これにはかなり驚いた。彼の言う音楽関係という言葉で、せいぜい結びつけれたのは、何か企画をする人くらいなところまでだったのだ。それ以上は想像力も及ばない世界だった。ところがなんと彼はミュージシャンで、それもサクソフォーンだと言う。北極から南極を眺めているようなものだ。あり得ない組み合わせ。あの独特の雰囲気は、仏教の世界だと勝手に決めていたのに、それが西洋の楽器吹きだとは。
 これだからこそ人間は面白いし、素晴らしい。見たとおり、想像したとおりだと奥行きが全くない。彼は自分の魅力をベールで覆って、神秘性さえ与えた。もし彼が自分の口からあからさまに正体をばらしていたら、こんな余韻は生まれなかっただろう。いくらサックスの名手でも音色で1ヶ月も余韻を残すことは出来ない。彼は音色以上のサプライズをやってのけた。
 彼を真似て僕も奥ゆかしくサプライズを狙う。スポーツならセパタクロウ、音楽ならどどいつ、俳優なら西島秀俊。


2010年03月30日(Tue)▲ページの先頭へ
 下手な小説よりも面白かったし、下手なテレビ番組よりも面白かった。日本薬剤師会から送られてきた国民の声を読んでの感想だ。声というよりクレームばかりだったが、なかなか参考になるケースが多かった。詳細は同業者としてとても恥ずかしくて言えないようなことばかりなので省くが、結構薬局も患者さんもお互い強い。各々の事例が何処であったことか分からないからなんとも言えないが、どちらかと言えば都会的なトラブルが多いように思った。ぎすぎすしてお互い大変で、どちらも精神的な加害者であり被害者でもある。お互いが見ず知らずの関係ならこのような態度もとれるのだろうなと想像できる。家族まで知っていたり、あるいは色々な地域のつながりを持っていたらここまでお互いに口には出さないだろうと言うことばかりだった。
 現在、薬剤師会では僕みたいな昔ながらの薬局はほとんど蚊帳の外だから、ほぼ調剤薬局に話題は集中していたが、調剤薬局は経済的に勢いがあるから患者さんにも結構強く出れるのだと思う。なかなか経済的な裏付けがないとあそこまで高圧的にはなれないだろう。僕らは自分でコツコツとそれこそ何十年もかけて掴んだ人間関係だから、どちらが上でどちらが下の関係はない。それこそ対等なのだ。威張りもせず、媚びもせず同じ緑色をした空気を吸っている。
朝、テレビのスイッチを入れれば誰かが誰かの悪口を言っている。新聞を開けば誰かの批判が盛りだくさん。いつからこんなに他者を責めることばかりが闊歩しだしたのだろう。他者を批判するのは余程自分を律しないと恥ずかしくて出来ないと思うのだけれど、その辺は都合良く我関せずだ。その程度の人間でないと口を開けば悪口ばかりなどの商売は出来ないのかもしれないが。自分を棚に上げるというのは、かなりの厚かましさがないと出来ない芸当だが、そんな輩が異常なスピードで増殖している。
 かみつけば金になり許せば一文の得にもならない。だが得はいくつ積んでも徳には届かない。形あるものが形のないものに勝てるはずがない。


2010年03月29日(Mon)▲ページの先頭へ
動機
 正直僕は言葉を失った。頭を後ろに回って見せてもらったのだが、かき傷で至るところから出血していて、巨大なフケのようなはがれた皮膚が一杯あり、そして当然髪が薄くなっていた。母親は「これでも今日は液体のステロイドを塗っているから綺麗な方なんです」と言った。これで綺麗な方だったら最悪はどの程度まで症状が悪化していたのだろうと気の毒さが込み上げてくる。電話で「少しでも改善されればいいのですけれど」とすごく消極的な依頼をされたのが分かる。母親の気持ちとしては当然だろう。その少しという言葉がずっと引っかかっていたが、その真意が良く理解できた。でも僕としては少しではだめなのだ。随分良くなりましたという辺りまで改善しないと、高校生でも髪が薄くなってしまう。恐らく自分で見えないから気がついていないのだろうが、いや、お互いそれは口には出せれないのかもしれないが、それでは余りにも気の毒だ。特にそのお嬢さんは、いわゆるとてもおとなしい子で口数も少ない。でもそれは他者には不快ではない。いてくれるだけでとげとげしい雰囲気が優しい空気に変わる、そんな存在感を醸し出せる素敵なお嬢さんが、こんな希望のない治療をされているのは可哀相だ。抗アレルギー剤を2種類飲んでいる(皮膚科と耳鼻科)が全く改善をしていない。いつまでこの状態を強いるつもりだったのだろう。
勿論体幹部にもアトピー皮膚炎はあるのだが、僕は頭髪部をそう呼ぶことには躊躇った。だから身体全体を元気にする薬と、頭髪部を分けて考えた。そしてその通りの漢方薬を使わせてもらった。お母さんにも承諾を得た。長年アトピー皮膚炎と言われ治らなくても我慢するようなことを強いられているから、おこがましいが医師の診断より僕の考え方を2週間だけ優先してもらった。
 2週間でお嬢さんの頭は見違えるほど綺麗になった。かき傷もほとんど無かったし、ふけ状のものもほとんど出ていなかった。少しでもと言うお母さんの願いは、一気に「すごく」になっていただけた。もう誰が見ても頭に皮膚病を抱えているとは気がつかないだろう。こうした現代医学から漏れ落ちる人達の手助けが出来るのが僕の薬局の唯一の存在意義なのだが、なんとしてでも改善して欲しいと僕を駆り立てたのはやはりお嬢さんが持っている人を傷つけない雰囲気だったのだ。こんなに主観を活かせるのはやはり自由な立場で仕事をしているおかげかもしれない。
 良い人にはよい結果をと、単純だが薬剤師として頑張れる最強の動機なのだ。





2010年03月28日(Sun)▲ページの先頭へ
恥ずかしながら
 やはりというか、当然というか、いや、これだと同じ語感になってしまうが他に当てはまる言葉がないのだ。看護師の試験で僕の知っている二人のフィリピンの女性が試験に落ちた。試験の後、「難しかった」を連発し合格しないと言っていたから彼女ら自身も覚悟はしていたのだろうが、言葉の壁だけで不合格になるのはもったいない。実際に彼女たちは国では立派な看護師の資格を持ち十分活躍していたのだから、こちらでも即戦力として本来なら活躍して貰えるはずだ。英語が堪能なのだから、英語で試験をしてあげればいいのにと思うが、それは素人の単なる同情でしかないのか。確かに、実務で交わされる言葉が不完全では医療ミスを犯してしまうだろう。その為に問題をいたずらに容易にすることは出来ないと言う正論も分かる。
 おまけに二人は病院から特別の援助をしてもらっているわけではないのだ。新聞によると合格率1%の難関を突破した3人は各々の病院が特別なレッスンをしてくれたりしていた。その事を話すと「いいな」と一瞬顔をしかめ、その後「自分、自分」と独学を強調する二人に同情を禁じ得なかった。ついでに言うと看護師ではなく看護助手という肩書きだからかアパート代の補助も出ていないと言う。看護師の世界もおまえもかと他の産業と同じような光景が目に浮かぶ。
 俄然僕は彼女らに日本語で話しかけることにした。もっとも僕は日本語か岡山弁しか喋れないので大差はないが。若いから話題を見つけることが難しいが、大家族で育っている彼女たちには僕ら世代に壁はないらしい。国に残した両親を思い出すかもしれないと情緒に浸っていたら一人の女性の両親はもういないらしい。まだ十分若いはずだから理由を尋ねたらどちらも、つい最近病気でなくなったらしい。もっと悲しいことに、2月にお兄さんまで亡くなったと言う。そんな悲しいことを思い出させて申し訳なく思ったが、「勉強する、勉強する」と気丈に繰り返す彼女を見て、目的とか夢とか希望とか、もうそのどれも失っていた僕は、恥ずかしながら目的とか夢とか希望とかを持ってみたいと思った。


2010年03月27日(Sat)▲ページの先頭へ
 この人にこの1行を削る権利も人生の裏付けもあるのだろうかと思いながら、それでも僕は快諾した。勿論僕がその1行に込めた思いは強いのだけれど、その1行に拘るその人自身も又、その1行を本当は投げかけて上げたい人のように思えたから。
年齢を重ねるに従っていいことも沢山ある。例えばその場面で嘗ての僕ならかなりの反撃に出るだろう。ところが嘗てでは考えられないほどの寛容が備わりつつあり、一呼吸も二呼吸もおいておおらかな解決策を探ることが出来るようになった。禅問答ではないが、相手に不利であればあるほど、ハッキリ答えを出さないことも覚えた。ただ唯一絶対僕が今だ譲れないのは、強者の論理だ。この習性はいくら年齢を重ねてもなくならない。これさえなくなれば頭を打つこともなく敵を作ることもなく無難に日常を送れると思うのだが、残念ながらその兆しは今だ見えない。とにかくどんな組織や集団の中にもいる強い人には刃向かいたくなる。例えその集団に属さなくても不快感は容赦なく襲ってくる。別にそう言った教育を受けたわけでもないから本能的なものかもしれないが、本能に近ければ近いほどその習性からは逃れられない。そのせいで多くの成功のきっかけを失ったかもしれないが、逆にそのおかげでいつも自由だし、多くのごく普通の善人と楽しく接することが出来る。
男はそれこそ本能に戦うように刷り込まれているからか、どうもどこにいても戦いたがる。もう生命力もかなり使い果たした世代でもつい頑張ってしまいがちだ。現役時代の習性か夢よ再びかは分からないが、階級や肩書きに固執する傾向がある。外見だけならまだしも、効率や能率、果ては生産性まで何処にいても求めてしまう。そうして人生のほとんどを過ごしてきたからだろうが、そうしたものをいっさい排除した空間こそが本来あるべき姿ってことが理解できない。人間愛や友情、多少の犠牲、同情、奉仕、どれも単位を持っていない人間の営みだ。重さも速さも長さも、どんな数字も寄せ付けない世界こそ人々が回帰する場所だ。
桜が咲き始めたよと多くの人が教えてくれた。それで誰かの生活の質が向上するわけではない。会話の中に数字が飛び交うこともない。ただ、その一言で記憶にある風景が脳裏に呼び起こされる。それぞれが好きな場所の桜を思い浮かべる。温かい日差しを思い、温かい風を思い、そこに集う温かい人達のことを思う。一見不見識に思えるかもしれない1行に込めた意味は、桜色にも負けない僕の患者さん達への不器用な愛情表現だったのだが。


2010年03月26日(Fri)▲ページの先頭へ
自慢
 会計が終わったのに、何故か帰ろうとしない。不思議な沈黙が支配した。するとその男性は突然、いや本人としては自然な流れのように演じていたのだろうか、おもむろにポケットから携帯電話を取りだした。そして少し僕に背を向ける格好で携帯電話のパネル上で指を滑らせた。すると画面が指の動きに従って移動していく。テレビのコマーシャルで見ていたから僕にも分かった。画面と彼の動作の両方がよく見えるから、最高の立ち位置に彼はいることになる。ここで僕が驚いて賞賛の声を上げないと、彼の努力が無駄になる。
 「すごいではないの、パソコンと同じじゃないの。これ携帯電話?」
 「携帯と言うより、パソコンが電話になったようなものだな」
 「だったら何でも出来るの?」
 「パソコンで出来ることならほとんど出来るよ」
 「だけど、何処で相手の声を聞いて何処に向かって喋ればいいの」
 「この上の細い溝が耳で、下のが口。こうして画面を・・・」
 と言って電話のかけ方を説明してくれるのだが、なかなかそのかけ方が分からないみたいだった。相手を捜し出す画面が次から次に出てきて、彼の交友関係が続々と登場する。これは見てはいけないと思って覗くことを止めて、彼の奮闘ぶりだけを眺めていた。
 僕と余り年齢は違わないと思う。数歳彼の方が下だろうか。だけどこの好奇心は、数歳の差では収まらない。彼が昭和なら僕は明治だ。彼が江戸なら僕は安土桃山だ。思えば昔から好奇心は強くはなかった。だからやりたいことも少なかった。その結果、やりたいことより、やれることのほうがはるかに越えていた。やってみれば出来ることは結構あったが、極めるほど好奇心の後ろ盾がなかった。何でもすぐに飽きて中途半端になるし、そもそも挑戦は苦手だった。飽かなかったのは今のところ学生時代のパチンコと牛窓に帰ってからのバレーボールと仕事だけだ。これから新たに何かそう言ったものに遭遇できるかと言えばはなはだ心許ない。嘗てのように、いや、嘗て以上に心をひかれるものはなさそうだから。
 自制しながらそれでもちょっとだけ自慢してみたい50男の方がはるかに僕より生き生きとしている。かまぼこ板の小さいようなものを出されて、ダイヤルもないのにどうして電話をかけたり受けたり出来るのか不思議だが、学生時代の僕を知っている人達は、未だ白衣を着て仕事をしている僕の方をむしろ不思議がるだろう。


2010年03月25日(Thu)▲ページの先頭へ
遺影
 僕にとってその人は、何十年も全く気配のない人だった。目が覚めると丁度布団の中から額縁に納められた端正な顔をした白黒の写真が見えた。何故かしら見ようが見まいが丁度視線の先に毎朝必ず現れた。
僕は物心付かないうちから母の里に預けられることが多かった。子沢山で薬局の仕事が忙しかったのも理由だろうが、母の里では叔父(母の兄)が若くして戦死したから、祖父母が寂しかったのかもしれない。その家ではそれこそ一人娘を身ごもってから叔母が若き未亡人として農家を切り盛りしていたが、僕ら甥や姪を我が子の如く世話をしてくれた。当時の農家は、牛や鶏を飼っていて、それこそ重労働だったのだが、若き叔母がどれだけの苦労を重ねたかは想像がつく。物心ついてからは、朝は朝星、夜は夜星で働いているのを鮮明に覚えている。田圃で牛を引く姿は頼もしかった。今の時代ならあり得ないのだろうが、叔母は生涯婚家に留まった。
 痛みを消すモルフィンで意識はもうろうとしている。身体中の筋肉はもう無いが、顔だけは腫れている。目を見開いて時々瞬きをする。もう充分だろう、よく頑張ってきたのだから。せめて最期は痛みから解放してあげたい。モルフィンが切れたときだけ正気に戻り、少しだけ会話が出来る。希望のない闘病をどんな気持ちで耐えているのだろう。それを尋ねる勇気は僕にはない。
 病院の帰り道、お墓に参った。墓前で僕は初めて写真でしか見たことがない叔父のことを思った。そしてもう迎えに来てやってと頼んだ。僕は遺影の顔をハッキリと思い出した。もう何十年も見ていないのに。そしてその顔をした青年に、80数歳の叔母を迎えに来てと、もうこれ以上苦しませないでとお願いした。65年前無念のうちに散った青年に、65年一人で家を守った叔母を頼んだ。あの世であったらお互いびっくりするだろうなと思いながら、もし出来るなら幸せな新婚生活を再現して欲しいと思った。こんな悲しい別離をどのくらい多くの人達が当時強いられたのだろう。墓に至る坂道にもう充分伸びたツクシが群生していた。それを摘んで佃煮にして頂くのが春休みの行事だった。幼い時も、学生の時も、子育ての頃も、そして現在も通い詰めた小道だ。今までは僕の祖父母のためにこの小道を登った。だがその日は明らかに、遺影の叔父に話しかける為に登った。無念が込み上げてきた。いつの時代も戦は年寄りが始め若者が死に、金持ちが始め貧乏人が死ぬ。ツクシを摘むことすらはばかれる無念の夕暮れ。


2010年03月24日(Wed)▲ページの先頭へ
高飛び込み
 高所恐怖症の僕とはとても結びつかない話題だが、とても面白い話を聞いたので皆さんに披露する。実生活では何の役にも立たない取るに足らない話題かもしれないが、恐らく多くの人が知らないことだから敢えて書かせて頂く。
鍼の先生の縁で今日訪ねてきてくれた女性が、高飛び込みの選手なのだ。マイナーな競技だから、この手の選手と遭遇するのは非常に珍しい。チーム青森に出会うより難しいかもしれない。仕事上の話がすんだ後、少しだけ高飛び込みに関する話をした。と言うのは、この女性との縁で鍼の先生が無謀にも10メートルの高さから飛び込んだらしいのだ。彼がその時の経緯を小学校のPTA会報に寄せていたが、恐怖感の下りは別として、背中から落ちて数日間赤く腫れていたらしい。その記事の話題から入っていたのだが、実際には相当危険なスポーツなのだ。目にするのはプロが水を切るように飛び込む美しい姿だけだから、恐怖に関しての関心はあったが、危険に関して想像力が働くことはなかった。
 女性などでは、頭以外から落ちると、水着の下の皮膚が切れることもあるらしい。又時には内臓から出血して口から血を吐く人もいるというのだ。10メートルの高さから飛び込めば、ダメージはコンクリートと変わらないと言っていた。コンクリートだったら死ぬ可能性が高いから、これはちょっとオーバーかもしれないが、それだけ衝撃は激しいと言うことだろう。頭から上手く飛び込めば衝撃は少ないらしいが、それには一つだけ必須のテクニックがあるらしい。それは映像では分からないが、手のひらを水面に平行にして落ちることらしい。そうすることによって衝撃を和らげ頭を守るのだそうだ。まさか着水時に、恐らく美しくない光景だから一瞬の出来事なのだろうが、そんな防御をしているとは思わなかった。綺麗に水を切るように着水すれば衝撃はないのかと思っていた。恐らくこのことは、ほとんどの方が知らないのではないか。独り占めにするにはもったいないくらいの情報だったので、知ったかぶりをちょっとだけさせてもらった。
 それにしてもごくありふれた日常に、誰もがただの人として登場する光景の中に、個性豊かな人が一杯いるものだ。誰もが誰にもない個性や才能を持っていて、きっと自分が思う以上に豊かな人生を送っているのだろう。一番気がついていないのは本人かもしれない。歳をとるに従って、少しだけ誰をもいとおしく感じることが出来るようになるし、誰をも許すことが出来るようになる。わずか椅子に上がって震える足も、ごく普通の人達の謙遜な日常を見て震える心も、高きところが苦手な僕そのものだ。今更、高所恐怖症を克服することは出来ないが、せめて立派すぎる人や話が苦手な高尚恐怖症だけでも克服したいものだ。


2010年03月23日(Tue)▲ページの先頭へ
釣り糸
 「私達は情報の最終ランナーですから」
なんて格好の良いコメントだろうと思わず画面を見入ったが、中年の東北弁を喋るおじさんが映し出されているだけだった。どういった状況でこの名文句が出たのかと言えば、販売部数の落ち込みで苦しむ地方の新聞屋さんの取材での場面だった。戸数が減り、営業的に立ち行かなくなりつつあるというのだ。ただでさえ人が眠っている時刻の仕事で、マイナーな感じがあるのだけれど、現在は上記の名文句のような気概で仕事を続けていると言っていた。新聞を配りながら、知識や情報も配り、特に最近では独居老人の安否も確かめていると言っていた。
 東北地方では立ち行かなくなっているのかどうか分からないが、このあたりだと新聞屋さんはどちらかというと羽振りがいい。まだ新聞折り込みの宣伝効果が高いのか、チラシ収入が多いみたいだ。その分高慢な経営者も時々見受けられる。あのおじさんの言うことがすんなりとは受け入れられなかったのは、このあたりの事情と比較してのことだ。
 いみじくも昨晩NHKでマスメディアについて討論がされていた。偶然最後の方だけ見たのだが、大手の新聞、テレビが数ある出来事を選択し、分かりやすく咀嚼して国民に知らせていると大見得を切っていた。それに反論する評論家や若きIT起業家と対峙していたが、その討論の一部を聞いて、僕は大きなお世話だと思った。どう見ても咀嚼だけではない。かなりの色づけをして情報を流しているはずだ。国民が判断するのではなく、自分たちが意図している方向に世論を持っていこうとしているように思える。混沌こそが彼らの収入源だから、正義面して声の抑揚まで変えて、間の取り方まで変えてなりふりかまわず儲け主義に走っている。テレビも見ない、新聞も読まない人達が一杯いると聞いて、僕もそれでいいのだと思った。不愉快な報道から身を遠ざけるのもそれはそれで賢明な方法だ。
 押しつけがましい情報よりも、自分で取りに行った情報を信じる新たな世代が、いずれ時代を切り開いていくのだろう。とても正義など振り回す資格がない輩の単なる職場に日々付き合わされてはたまらない。川上にばかり立ちたがる人間が目立つ時代に、川下で釣り糸を垂れる平和は捨てがたい。


2010年03月22日(Mon)▲ページの先頭へ
白衣
 何時に出かけても良い程度の用事だったので家でのんびりとしていたら、数人から漢方薬が今日切れたと電話がかかってきた。各々取りに来て頂いたが、一人の男性だけは無理に長い時間を割いてお茶を飲みながら雑談した。酒を昼間から飲んでいるかと思うくらい赤い顔をしていたからだ。電話の内容が胸の辺りがしんどいというものだったが、心身症だと言うことは分かっていた。ただ、その真っ赤な顔を見ると如何に一人家の中で悶々と不安に駆られていたかは容易に想像がつく。このまま薬を持って帰っても恐らくすぐには効果が出ないと思ったから、休日を利用して沢山の話をしようと思ったのだ。
奥さんに先立たれた男の末路は寂しいものがある。それを地でいく男性だがそれに輪をかけたように息子夫婦との同居が心の中での葛藤を生んでいる。若者の考え方とか行動に馴染めず、言いたいことも言えずに全てを飲み込んで、心がその負の集積に耐えられなくなった時にウツの領域に精神が逃げ込んでいく。病院で8種類も薬をもらっているが治る気配がない。日替わりで訴える不調に、その都度処方される薬があり、段々と薬の種類が増えていっている。いったん増えた薬は滅多に減ることはない。医師も患者も懸命だが、懸命が空回りすることが現実には多いのだ。
 息子や嫁、果ては孫のことまで罵りだした。それまでは親子3世代で暮らすことが出来て如何に恵まれている家庭かを力説していたが、そんなの脚色だと言うことは簡単に想像がつく。環境に作られたウツだと僕は想像していたから、誘い水を出してみると、今度は出るわ、出るわ家族の批判が。一杯話を聞いた後、得意の「息子を絞め殺したら」と言うと、「そうなんじゃ、息子が寝ている姿を見たら杖で殴ってやろうと思うんじゃ」と実際に持っていた杖でその仕草を交えながら答えた。本当は大切で大切で仕方ない家族ってことは勿論僕には分かっている。大切だからこそ、失いたくはないからこそ老人特有の老婆心が災いしていることを僕は知っている。
 妻がお茶を入れて男性に飲むように促した。「こんなこと家ではして貰えないのではないの?」と尋ねると一瞬涙を浮かべて「水ばかり飲んでいる」と言った。身体の不快症状を一杯並べ、胃腸か脳か神経か心臓か腎臓か肝臓かと病原を探し続ける。挙げ句の果ては精神科の薬まで飲んで、生気を失っている。「もう病気探しは止めたら。所詮ご主人は奥さんが先に亡くなった病だから」と言って別れた。
 妻が家まで車で送ったのだが、帰ってすぐ電話がかかってきた。「話を聞いてもらって調子がいっぺんに良くなった」1時間前電話をかけてきた時の、聞こえるか聞こえないかのような震え声とは様変わりしていた。まだ持って帰った煎じ薬を飲める時間ではないから、薬局で一杯鬱積した心の中を吐露したことが効いたのだ。僕の前で幸せを演じる必要なんてさらさら無い。だって、僕自身も不愉快な骨格系の弱点を抱えながら、なんとかしのいでいるだけなのだから。白衣で健康が保証されるなら、蒸れるくらい白衣の重ね着をするが、残念ながら僕はその白衣で余計首を絞めているような気がする。


2010年03月21日(Sun)▲ページの先頭へ
東大医学部
 僕には確信のようなものがあった。だから東大の合格発表の日を偶然テレビで知った時から、ちゃんとのし袋に入れて合格祝いを用意していた。別に差別をするわけではないが、受験したのが医学部だから中身は一軒の家が建つくらい入れておいた。勿論明治時代ならではの話だが。
 昨日その当事者がお母さんと訪ねてきてくれた。薬局に入ってきてすぐに僕はどうだったと尋ねたのだが、そんな質問が必要ないことは分かっていた。当然彼は合格していた。なぜだか分からないけれど、僕は理性を失うくらい嬉しかった。いや、日常もほとんど理性を失っているから、今更という感じはしないではないが、とにかくひたすら嬉しかった。握手した後に、ハグをしようとしたのだが、さすがにそこまでは他人だからはばかられて、単数形のハクくらいで止めた。
 僕は縁あって、彼を中学生から知っているから情が移ったのかもしれないが、他人をしてここまで喜ばせる何かを、彼や彼の家族の人達が持っているのは確かだ。その何かを説明するのは難しいが、ひょっとしたら、僕のブログの読者の中にも東大の医学部を受けようとしている人がいるかもしれないから、思いつくままに書いてみる。印象だから当たっているのかどうか分からないが、参考までに。(そんな人がいるものかと思うかも知れないが、事実他にもいるのだ。何故こんな田舎の小さな薬局にそんな人が来るのか分からないが、それはひとえに僕の人格による。いや違った、人角だ。僕には人間として備わるべき角がないのだ。精神はフニャフニャの軟体動物だから)
 僕は彼やあの家族にとげとげしさを感じたことがない。高きを目指している人特有の張りつめた緊張感、時にそれは他者に対する攻撃性や空虚な優越感として現れやすいのだが、そんな磁場を感じなかった。寧ろどちらかというとその逆で、その道まっしぐらではなく、適度な振幅を持って、飾り気のない生活を楽しんでいるように見えた。
 彼らが訪ねてくれた時あいにく施設の患者さんの急変による薬を6人分すぐに届けないといけなかったので、根ほり葉ほり彼に尋ねることが出来なかったのだが、若い読者に希望を少し。まず嬉しいことに彼も勉強が嫌いだと言った。勉強は日に3時間だったらしい。10時間もする人はそれ自体が才能だとも言っていた。あれだけの難関に合格する人間でも勉強が嫌いだなんて、メチャクチャ親近感を持つ。その上、数学が苦手だなんて言うと思わず握手をしたくなる。人間そんなに本質では違わないんだ。僕は裏山で、彼はヒマラヤ。僕は入り江で、彼は太平洋。山は山だし、海は海だ。どうだ、みんな自信を持ってくれたかな。
 自信を持ってもらうためにもう一つ。実は彼は大の鉄道ファンなのだ。何鉄とか言う呼び方が色々あるらしいが、そのどれに当たるのか僕は知らない。東京の予備校に通っている間に地下鉄を制覇したと言うから何鉄なのだろう。地下鉄はトンネルばかりで景色を見ることが出来ないから、入り口あたりに貼っている路線説明のシールで地下鉄の駅を全部覚えたらしい。凡人なら英単語の一つでも覚えようとするのだが、駅の名前を覚えていたというのだからさすがだが、ひょっとしたら俺でも、私でもと希望が湧いてこないだろうか。
合格後の彼に是非尋ねたいことが実は僕にはあった。どうして東大の医学部に固執したかだ。それ以下に志望を落とせば昨年合格していたはずだ。でも敢えてそこだけを目指したことにはきっと訳があると思ったのだ。その質問に彼はピンポイントで答えた。「認知」について研究したいというのだ。認知症のことではない。人が何かを認識する行為を研究したいと言うことだろうか。これは当たっていないかもしれないから、下手な解説はせずに「認知」とだけ言った方がいいかもしれない。その為に、ロボットの研究から迫ることも考えたそうだが、結局は医学からそれに迫ろうと判断したみたいだ。合点がいくとはこのことだ。僕は単なる病気を治すだけなら東大を目指すはずはないと思っていた。きっと研究職を目指しているのではないかと勝手に想像していたのだ。それでこそ、彼の努力が報われるだろうし、彼の努力によりいずれ沢山の人達が報われるだろう。恐らくそんな大学であればいいのだ、あの大学は。
 これだけハッキリとした、具体的なテーマを持っていれば、入学してからの勉強のモチベーションは維持されるだろう。いやいやそれどころかますます高まるだろう。入学後3日にして早くも居場所をなくし、以来5年間パチンコに通い続けた僕とは雲泥の差だ。いや、やはり入り江と太平洋の差か。
 いずれ彼は多くの人に先生と呼ばれる立場になる。そこで彼には言っておいた。間違ったら困るからこれから僕のことは「大先生と呼ぶように」と。それはそうだろう、東大の医学部に合格した理由の1割が彼の努力。残りの半分ずつが、親から受け継いだ才能と僕の漢方薬だから。明日から僕は忙しくなる。理V煎と言う訳も分からないお茶を作り、飲むだけで東大の医学部に合格すると宣伝し、全国の受験生に売りまくらなければならないから。そうだ、おまけに時刻表でも付けておこう。


2010年03月20日(Sat)▲ページの先頭へ
ひたすら
 42歳を1ヶ月前にして、妊娠をしてくれた女性がいる。病院帰りにご主人が報告に来てくれた。そんなに難しい漢方薬を作ったつもりはないけれど、良い手助けになったのだろう。奥さんのコメントは聞けなかったが、ご主人がめっぽう喜んでくれ、何度も礼を言われた。古人の知恵に感謝する。こんな時代にも充分すぎるほどの働きをしてくれる処方を作ってくれたのだから。現代医学では抜け落ちている理論を漢方薬が埋めてくれるのだ。科学が未熟な時代に良く人間の生理を観察したものだと今更ながら感心する。
 それにしても礼を言いたいのは僕の方だ。常識論の前で、僕自身が折れないことの大切さを知った。努力とか、根性とか、そんな大げさなことではなく、ただひたすら継続することの力を知らされた。結果を焦るのはむしろ僕の方で、当人達の方が淡々としていた。職業故の見栄か責任感か分からないが、少なくともそのどちらも、恐らく今回のことに対しては無用だったのだ。ただひたすら僕が信じる漢方薬を飲んで頂く、それだけでよかったのだ。僕の苦手な、ただひたすらを実践してくれた夫婦に感謝。


2010年03月19日(Fri)▲ページの先頭へ
失投
 送られてきた医学雑誌に過敏性腸症候群の特集が載っていた。ある大学の教授が監修したものだが、読んでいてなるほどなるほどと頷くことが多かった。そのなるほどは「だから僕みたいな田舎の薬局に最終的に頼ってこられるんだ」と言う逆説的な納得なのだが。 1995年にはすでに診断基準が提唱され治療のガイドラインもまとめられたらしい。これによって、全国一律に正しい治療が受けれることと建前上はなっている。どの様な薬を使うべきか詳細に決められている。良く聞く名前がずらっと並んでいる。消化管運動調整薬(セレキノン、ロペミン、イリボー)ポリフル、コロネル、トランコロン、抗ウツ薬など。僕の所に来るIBSの患者さんはほぼ全員上記の薬を飲んだ経歴がある。不運にもそれらが奏効しなかった人ばかりだ。言い換えると、教科書どおりには解決しなかった人達ばかりだ。特効薬がない反面、命にはかかわらない病気だから、症状の完全消失を目的にするのではなく、症状を持ちながらも生活していることを評価してあげて寄り添う治療をするべきだと提言がなされていた。
 偉い先生の言うことだが、ちょっと首を傾げたくなる。患者の立場から言うと病院にかかって、病気と共存して生活の質を高めなさいと言われても、特に若い人がこれから何十年も下痢や便秘や腹痛やおならの多発やガス漏れ症候群を抱えて頑張って生きなさいと言われても、路頭に迷ってしまうだろう。やはり彼らが望んでいるのは完治だし、出来れば治療者側もそれを目指すべきだ。又患者さんに寄り添うべきだと言っても、実際にそんなことが忙しいお医者さんに出来るのだろうか。パソコンばかり見て私の方を見てくれないと嘆く患者は多い。そんな情況の中で寄り添ってもらうのはかなり期待薄だ。僕みたいな暇な薬局なら出来るが。
過敏性腸症候群で悩んでいる人がもう何十人我が家に泊まっていっただろうか。僕に力がないから神業のように治してあげることは出来ないが、それこそ寄り添ってあげることは出来ると思っていた。何も難しい理屈でそうしたのではない。青春期、誰にも相談できずに悶々と暮らしたあの頃を、同じように追体験している青年がきっと一杯いると思ったのだ。当時、それだからこそ見えたこともいっぱいあったが、決して生産的な日々ではなかった。幼い頃海中から水面を見上げているように、不確かな精神の隔離の中で息も絶え絶えだった。ごく普通に憧れ、ごく普通を演じ、ごく普通に敗れていた。見えない敵といつも戦い、ごくありふれた普通すら手にすることが出来なかった。
 「一人で悩まないで」は僕の青春時代の痛恨の失投なのだ。あの時誰かがこの一言をかけてくれていたら、今頃僕は西島秀俊になっていた。


2010年03月18日(Thu)▲ページの先頭へ
一念発起
 帰るまでに何回も同じ言葉を繰り返した。僕は彼の生活環境を知らなかったから意外でもあったが、心からのエールも送りたいと思った。
「家に帰っても、どうせ一人だから」繰り返された言葉だ。何となく奥さんはいないのかなと思っていたが、ご両親もいないらしい。「どうせ一人だから」という言葉は、投げやりに出た言葉ではなく、切実な言葉だったのだ。彼が早く家に帰っても仕方ないと言ったのは、仕事帰りにスポーツジムに通っている理由を教えてくれたときだ。もう何年も喘息の漢方薬を発作が出たときだけ作っていた。主に春と秋に集中していた。90Kgに近い体重があったと思うが、僕が節制を促しても、発作が出るときだけ苦しいので聞く耳を持たなかった。それが半年ぶりに昨日やって来たのだが、驚くくらいやせていた。一瞬病気を患ったのかと思ったが、実は一念発起して、酒と肉を控え、スポーツジムに通い詰めているというのだ。
 「寝たきりになったら困るから」一念発起の理由がこれだった。40歳を越えているのかどうかと言うような年齢でこんなことを考えるのかと思った。まるで初老の独り者が言うようなことを言った。その神妙な顔つきが痛々しかった。独り身で、毎晩スポーツジムで汗を流して帰宅する姿など、一見独身貴族そのもののように見えるが、裏にこんな真剣な思いがあるとは誰が気がつくだろう。
 調剤室で僕が薬を作っている間に、ある老人と今し方僕と話したと同じような内容の会話をしていた。その老人のお子さんが、肥満で多くの病気を抱えている。いみじくも息子さんと同じくらいの年齢だ。体型も似ているし、息子さんと同じように障害を抱えている。痩せる方法をかなり具体的に尋ねていた。障害が異なるから同じ方法をとれないことが分かり少し残念がっていたが、先に帰った老人は、薬局を出るときにその男性の手を取って優しく「頑張ってな」と言っていた。
 予期せぬ二人の交流に、薬局が一瞬にして心温まる舞台になった。瀬戸内の冬にも雪が舞うが、やはりこのように桜咲く景色の方が気持ちいい。


2010年03月17日(Wed)▲ページの先頭へ
糸電話
「僕はしたことがないので良く分かりませんが、ゲームってよほど楽しいのでしょうね。世界中で恐らく何億人かの人が楽しんでいるのだから、お嬢さんがそれから抜けられなくても不思議ではありません。敵も然る者で知恵を絞って虜にしようと思っているのでしょうから。でもいくら彼らが頑張っても、人生のゲームより面白いものは作れないでしょうが。○○ちゃんがそれに気づいてくれればいいのですが。人生、負けゲームばっかりだった僕からのメッセージです。指先のゲームで勝つより人生のゲームで負ける方が面白いですよ。ヤマト薬局」
これはゲームに浸っている我が子を嘆いたお母さんに宛てた返事の一部だ。僕の子供二人はほとんどゲームをしなかったから、余りにも縁遠い話題で関心はなかったのだが、書きながら色々なことに気がついた。その前に余談だが、恐らく二人がゲームをしなかったのは、スポーツに打ち込んでいたことや、勉強を親から強いられなかったから逃げ込むところが必要なかったことや、視力のために良くないと本人達が気がついていたことなどによると思う。
 さて話題を戻して。返事を書きながら「無理だわ」と言う敵前逃亡みたいな感慨に襲われた。莫大な人の力と資本を費やして如何に面白いものを作ろうかと必死になっている企業に、幼い自制心が勝てるはずがない。最初から勝負は決まっている。ゲーム機メーカー、あるいは作者の勝ちだ。勝負にならない。力づくで取り上げれば、よけい地下に潜るからいよいよ手に負えなくなる。余程プロ集団に優る面白いものを提供しない限り引き離すことは出来ない。さて、そんなものがあるのだろうか。見渡しても、欺瞞と虚栄と弱肉強食がはびこっている世間で、若者の興味をひき、正義感を導き出し、血湧き肉躍る日常を提供できるようなものがあるだろうか。ひょっとしたら、若者の方がそんなものあるはずがないと冷静に見ているのかも知れない。その結果、器用な指先さえあれば裏切られない世界の中を彷徨った方が余程いいと悟っているのかもしれない。
 ああ、やはりこれでは敵前逃亡だ。妙案は思いつかない。僕の負けゲームの人生を晒しても何の説得力もないし、勝って他者を傷つけたこともなかったなどと諭しても、携帯電話の時代に糸電話をしているようなものだ。あのちょっとだけよく聞こえる微妙さが良かったのになぁ。


2010年03月16日(Tue)▲ページの先頭へ
叡智
 その正直さをもっと公にして、もうこれ以上無用な競争は止めようとでも言ってくれれば意味はあるのだが。
 こんな夢見たいな事を言っているうちにも刻々と世界中で無用な製品が作られ続けている。正確ではないかもしれないが、その人の肩書きは世界で一番大きな製薬会社の社長?か開発部長だった。彼曰く、もうすでにごく普通に遭遇する病気の薬は開発され尽くしているというのだ。残っているのは難病と言われる病気だけらしい。その話を聞いていてなるほどなあと、納得できた。
僕らみたいな小さな薬局にも、毎日のように新しい薬の宣伝がパンフレットやセールスを通して行われる。よくもまあ、こんなに薬を作ってどうするのだろうと思うほどで、以前あった薬との差を見つけることの方が難しいくらいだ。十分今までの薬で満足できる結果が出ていたのに、溶けやすいとかなんとか理由をつけて国から新たに承認を受ける。そして新しい分だけ国が設定する薬代も高くなる。そうして経済の新陳代謝を図るのだろうが、膨大な無駄だ。おまけに同じ内容の薬を沢山のメーカーが作って販売しているのだから、病気の数より薬の数の方が多くて、大量の薬をさばくために病気や病人が作られるのではないかと、推理小説ばりの危惧を抱く。
 その最大の製薬会社だけでも研究員が1万人いると言っていた。他の会社を含めると膨大な知的集団だ。誰かが、どこかがリーダーシップを発揮して、全ての知能を難病に向かわすことは出来ないのだろうか。誰だって治すことが出来るようなありふれた病気が利益を生むからか、対象者が少ない難病には知能も経済も注がれにくい。国が、と言うより世界が叡智や資源をそれらに注いでくれないだろうか。薬を飲まなければならない人より、薬を作る人の方が報われるようでは、本末転倒だ。患者様などとどう見ても日本語的にはおかしいような言葉が、消費者というイメージと重なってしまう。聞こえの良い言葉こそ、聞かないがいい。




2010年03月15日(Mon)▲ページの先頭へ
無頓着
 もし何が僕の生き方を助けてきたかと問われれば、文句なしで優越感に対して何の価値も持たなかったことと答えるだろう。何かを多く持っているとか、何かを備えているとか、何かに恵まれているとか、他人の評価に全く無頓着なところだろう。こんなことを言うと何か優れているところを持ち合わせているのかと逆に問われるかもしれないが、一般論としての話だ。
誰にだって長所はあるし、持って生まれた強運もある。ただ突出した幸運に恵まれなくても、相対的には誰だって優越感に浸る状況は日常的に起こりうる。それは全く内面的な心模様であるはずだが、えてして表情や行動に表れてしまう。その表情や行動、もしくは言動から起こりうる他者との軋轢で失うものは、それが見えない価値観だから余計なのだが、大きすぎる。失ったもの、失うものに元々価値をおかないような人間がその様な価値観に浸るのだろうから、失うことに警告しても仕方ないが、余りにも人間としてもったいなさ過ぎる。何故なら、生活していく上での心地よさなんてものは、ほとんど日常的に繰り返されるたわいもない仕草や言葉によるのだから。何気ない挨拶や、何気ない心配り、何気ない笑いがあれば日常は楽園だ。逆に、それらがなかったとしたら、例えば、多くの人がへつらい、多くの物を持ち見せびらかしても、何の良い心の交流も起こらない。心と心が通わないものに何の価値があるだろう。
作為はなくても、出来れば人を傷つけずに暮らしたいものだ。いたずらに人に優らず、人に劣らず、ほどほどでいい。いくら頑張ったって、富士山も琵琶湖も自分のものには出来ないのだから。せめて目の前にいるごく普通の人の、一瞬のいい顔を盗めたらそれでいい。


2010年03月14日(Sun)▲ページの先頭へ
公衆電話
 薬剤師会の代議委員会に出席する時に印鑑がいることを思い出し、家に連絡しようとしたが公衆電話が道路沿いにない。家を出てすぐに思い出したので妻に持ってきてもらおうとしたのだが、30分くらい走ってやっと1台見つけた。岡山市の東隣の僕の町から、岡山市の南まで、距離にして25kmくらいあろうか。やっと見つけた公衆電話から家に電話をしたら、妻が不在で結局は印鑑は手に入らなかったのだが、その公衆電話から次の公衆電話まで、岡山市を越えて玉野市に入らなければ見つからなかったのは、なんとも僕らアナログ世代にとっては、まるで公衆電話難民だ。
その町で悲しい知らせを聞いた。ある若いお父さんのお子さんが、生後僅か2ヶ月で心臓の手術をしなければならないらしい。南の国から来たお父さんには手術費はかなりの負担で、日本の企業から前借りするらしい。ただその額が、僕は○が2つくらい違うのではないかと思った。経済格差がある国だから、僕らの国の人間からしたら安いと思ったが、かの国では高額なのだろう。悲しい話だが、彼が偶然日本に仕事に来ていてよかったと思った。彼を知る日本人が少しの援助を持ち寄れば、彼が金策する必要はなくなるから。悲しみは共有しなければ、当事者は辛すぎる。「僕が強い人間だから、子供もきっと強いです」と父親が言ったそうだが、あっぱれなお父さんだと思った。本当に強い人なんだと感心した。
 恐らく本国の妻から携帯電話で伝えられた情報だろうが、朗報が一瞬のうちに悲しいニュースになった。公衆電話で何もかもすませていた僕らの世代より、喜怒哀楽も数倍の振幅を持って伝えられるだろう。かみしめることも、飲み込むことも許されない時間差ゼロの時代だから。


2010年03月13日(Sat)▲ページの先頭へ
手ぶら
 彼が現代の若者の全てを代表しているようなことはあり得ないのだが、僕の薬を飲んでくれている若者にかなり共通した傾向を代弁した。
彼の話しの中で繰り返されたのは、嫌われたくないと言うフレーズだった。繰り返される言葉の頻度が、現代の若者の生きていく上でのキーワードを如実に示している。例えば、気を許した親友は別として、その友人の友人、例えば何かの席で偶然同席する人にでさえ嫌われたくないのだそうだ。そして苦手な筈の過剰な演技をして席をしらけさせないように勤めるのだそうだ。その結果、当然不必要な疲労に襲われるらしい。
いつの頃からそんなになったのだろう。服装などで個性を追求している若者の姿が時に放映されたりしていたから、寧ろ逆だと思っていた。ところが実際は同質を求めて突出しないことに心を配っているのだ。僕はそんなことに費やすエネルギーがとてももったいないと思った。いくら若くても気力体力が無尽蔵にあるわけではない。有限のものを、まして青春期という一種区切られた期間に、そんなことで浪費するのはもったいない。
 敢えて言うなら、僕の青春時代はむやみやたらに他人から好かれないことを担保に自由を獲得したように思う。人の視線は煩わしかったから、寧ろ反感を持たれるくらいを良しとしていた。偶然、いや必然かな、知り合った愛すべき超劣等生の先輩と後輩がいたから、それ以外はほとんど眼中になかったと言ってもいい。お世辞にもなにも賞賛されるものをもたず、ほとんど煙たがられるだけの集団は、自由でとても居心地がよかった。青春時代にそれ以上のどんな人間関係を求めよう。いやな奴はいや。単純明快だった。何をもって合わせる必要があるだろう。
恐らくその愛すべき人間関係で得たものはほとんど何もないと思う。もっとも、打算は皆無だったから、何かを得ようなんて思惑は元々ない。ただ、何も持たない人達との交流は一生を保障してくれるくらい自由だった。あの頃の夢のない非生産的な怠惰な時間の洪水が、その後の不自由で打算的な生活を帳消しにしてくれていると思う。
 僕は今の若者達に「整えないこと」を提案したいと思う。身の回りを、よい人間関係や便利な物質で整えないことだ。高い山に登らなければならない世代にとっては、そんなもの荷物でしかない。麓に捨ててくるべきだ。何もないことほど自由はない。青春なんて、所詮手ぶらでいいのだ。


2010年03月12日(Fri)▲ページの先頭へ
 「歳をとって体力が落ちてきたからやった」なんとも身につまされるコメントだ。舞台の上で演奏し唄うことを2時間続けようとしたら恐らく大変な体力を要するのだろう。よくできるよなと、多くの壮年歌手を見ながら思っていたが、やはりかなりの重労働だったのだ。若い頃にはあり得ないことだが、今はまず出来るかどうかを予測する作業がどんなことを始めるにも伴う。そして必然的に多くのことに臆病になってしまう。素人ならいざ知らず、プロはそれでは生きていけないし、契約の世界だから、懸命に我が身にむち打ってステージに上がっていたのだろう。
薬は、疲労などで落ちた体力を元通りには出来るけれど、老化を防ぐとか、持っている能力以上に元気には出来ない。その辺りが出来るのはやはり同じ薬という字を使うけれど「ヤク」なのだ。舞台の上で息絶え絶えに唄っても様にならないから、彼らは必死なのだ。決して快楽を求めたとは思えない。 擁護するつもりはないが、同情は十分する。多くの歌手やスポーツ選手が今は未知の世界をそれぞれが歩んでいる。昔なら当然引退している年齢になっても、現役を続けている人が多いから。過去に例がないから、それぞれの毎日が前人未踏なのだ。朝目が覚めれば想像もつかない日が待ちかまえているかもしれないのだ。不安を取り除くには、そして墜ちてはいけないスーパーマンであるためには、読み方の異なる薬に頼らざるを得なかったのだろう。
 芸能界やスポーツの世界と同じように、庶民の世界でも前人未踏が日夜続けられている。昔には考えられないような年齢の方があらゆる分野で活躍している。せめてまっとうな読み方の「薬」で補修する程度なら世間を騒がすこともないだろうが、素人の世界でも「薬」を読み違えて利用している人がいる。頑張れない若者と歯止めが効かない壮年が役回りを交換して「薬」に頼っている。


2010年03月11日(Thu)▲ページの先頭へ
カーリング
 僕にとって一番力を出せれるのは、一番力が抜けたときだと思うのだが、プロの選手はその辺りがさすがに違う。集中力を高めて寸分の誤差も克服するのだからさすがにプロだ。鍛錬の賜なのかもしれないが、素人は集中すればするほど手元は狂うものなのだ。そんなことを思ったのは、オリンピックのカーリングの試合を見ていたときだった。緊張すればするほど手元は狂う筈なのに、彼女たちは違った。恐らくcm、いやそれ以上の精度を競っているのだろうが、あんな場面では手が震えて、とんでもない方向に石が滑っていくのではないかと懸念するのは、やはり素人か。
数年前まで僕もバレーボールをかなりハードにやっていたが、その時の不思議な体験を印象深く覚えている。僕はほとんどの日曜日を色々な研究会の参加のために費やしていた。日帰りできるところを選んで県外に出かけていた。ただ一つだけ条件は夜のバレーボールに間に合うために7時半には牛窓に帰れることだった。それだけバレーボールは楽しかったのだろう。30年毎日曜日絶えることなく続けた習慣だ。その為に勉強会が終わるやいなや会場から駅まで、駅の構内、あらゆるところを走った。さすがに新幹線の中は走らなかったが、心はいつも先頭車両に乗っていた。時間を逆算してのぎりぎりの行動が30年続いた。そんな分刻みのスケジュールだから、着替えるのも束の間、牛窓に帰るやいなや試合が行われるコートの上に立つこともしばしばあった。そんな時は勿論夕食は食べていない。不思議なことに、何時間も講演会場や乗り物の中で腰をかけて疲労困憊で、おまけに空腹感にさいなまれてやっとコートの上に立っているような状態の時が、一番アタックが強く打てたのだ。やっと間にあったという安堵感だけで、緊張も出来ない体力不足の中で打つアタックが一番強かった。力が抜けるとはこのことかと、その場で思うことがしばしばだった。準備万端で試合に臨んだときよりはるかにプレーが力強かった。
 この状態をプロの選手は意識的に作り出すことが出来るのだと思う。集中すればするほど無の境地に近づくのではないか。カーリング女子の真剣な眼差しの中に、僕らとは違う境地を見た。所詮僕らの頭の中は「軽ーりんぐ」なのだ。ついでに人間性までもが「軽ーりんぐ」なのだ。


2010年03月10日(Wed)▲ページの先頭へ
資源
 看板はドラッグストアとしてあったが余りにも大きな建物なので、ひょっとしたらFAX用紙も売っているのではないかと思い入ってみた。職業柄ドラッグストアには用事がないから滅多に入ったことがないので内部の光景は珍しかった。初心者の僕の結論は「FAX用紙以外なんでも揃っていた」と言うものだ。ある壁面一杯に医薬品が、まさに延々と並べられていたが、そこ以外はスーパーと呼ぶべきか、ホームセンターと呼ぶべきか、いやいや恐らくこれこそをドラッグストアと呼ぶのだろう。
一見膨大な薬の量に見えたけれど、同じ薬で量感を出しているだけだった。ただ目薬だけは、何を基準に選べばいいのかと思うくらい種類が多かった。棚に並べているだけでいいのかなと正論が頭に浮かんだが、これはこれで利用者がいるのだから僕らとは異次元の世界なのだと納得した。
 驚いたのは、漢方薬もいっぱいあったことだ。○○する人の○○のように日本語が読めれば薬が選べられるようになっていた。僕が30年前、独学で漢方薬を勉強しようとしたときと同じだ。簡単な解説書に書いている漢方のイロハだ。ただ、その知識で数年頑張ったが、たった一人しか効果を出すことが出来なかった。その効果も偶然だったとしか思えないが。○○ですむなら勉強をする必要はない。当時の僕レベルを巨大な組織が会社を挙げてやっているのだから、如何に効かないものを販売し、如何に生薬資源を捨てているかだ。天然の生薬の枯渇が懸念されているときに、この膨大な無駄は地球にとっての損失だ。ただ、知り合いのその種のストアで働いている薬剤師が、ドラッグストアって薬は思うほど売れないんですよと教えてくれたから安心しているのだが。本当に漢方薬でしか治らない人のために、肥満などどうでもいいようなトラブルには使わないで欲しい。そうしないと近い将来、漢方薬はお金持ちしか飲めないようになってしまう。
 そもそも、僕がそのドラッグストアで、その漢方薬を使って誰かを治して見ろと言われても、恐らく誰も治すことは出来ないだろう。僕が使って治せないようなものを素人の人が自分で選んで治るはずがない。膨大な薬の陳列は一見豊かさを感じさせるが、その内実は実に貧困だ。まるでこの世界まで自己責任を強要されているようにも思えた。薬の棚の前で途方に暮れ、渋々財布に手を伸ばす人達が見える。


2010年03月09日(Tue)▲ページの先頭へ
山水
 雪が話題にならないところの人にとっては、今日の慌てぶりは異様だろう。
 こたつをして寝ていたのに、しんしんと冷える背中の違和感で目が覚めた。仕事が始まる頃カーテンを開けて理由が分かった。みぞれから雪に変わろうとしている空が町を凍らせていた。さすがに歩く人も自転車の人も通らない。勇気ある2輪車も通らない。スピードを落とし這うように進む通勤の車だけが渋々会社に向かっている。山も里も家々の屋根も色彩を放棄し、掛け軸に収まる山水の景色に変貌しつつあった。
 かの町で、南の国から来た人達は喜んでいるだろう。いつか、目を凝らし、追いかけなければ手にすることが出来ないような雪を、みんなで声を掛け合って眺めていた。雪降りが話題になる僕らの町でも、会う人ごとに感想を述べあうのだから、かの国の人達にとっては僕らの比ではないだろう。日曜日に3人の若者と話をした。日本に技術の研修に来ているのだが、日曜日にどうしているのと尋ねたら、アパートでパソコンをしたり本を読んだりしていると言っていた。もう長い間その町に留まっているのに、ほとんど他の土地に行っていない。何かの制限があるのか、仕事で忙しいのか分からないが、もう少しこの国を見て欲しいと思った。いつか又来るチャンスがあるのかどうか分からないが、幼子のようにはしゃぎながら雪を見ている姿が僕には寂しそうに映った。
 もっと南の国の若い女性達は完全に行動を制限されていた。原則としてこの小さな町から勝手に出ることは許されなかった。何処にも行けずに、安い賃金でそれでも一生懸命働いていた。けなげな集団生活ぶりに心を動かされよき隣人として振る舞ったが、もっともっとしてあげれることは多かったのではないかと、今でも悔やまれる。国に帰ってからの暮らしぶりを時々教えてくれたが、やがて連絡も絶えた。幸せに暮らしているならいいが、無駄な数年をこの国で過ごしてしまったのではないかと申し訳ないような気持ちに襲われる。
 懸命にしがみついている屋根の雪が、氷になって落ちてくる。物知り顔の北風が明日の朝は凍るよと教えてくれる。もうとっくに凍り付いている僕の心はエアコンの目盛りをひたすら上げ続けている。


2010年03月08日(Mon)▲ページの先頭へ
「昨日は休みだったんだろう、煎じ薬が2日切れた。切れたら一気にムカムカして何も食べれない」ソファーの縁に少しだけ腰を残し、のけぞるように腰掛ける。足を組み身体をひねっている。斜に構える癖は体も心も同じだ。
 僕が右と言えば左、左と言えば右というくせに、結構気配りをするものだ。病気が病気だから嘗てのように図々しいくらいの行動でもいいのだが、遠慮して電話もしなかったらしい。一人住まいで心細いだろうにと思うのだが、そんなこと微塵も出さずに粋がっている。
入院による放射線治療に引き続き、退院してからは抗ガン剤の服用。入院中から味覚がくるって、食べ物に味はしない。それだけならまだ辛抱できるが粉類が飲み込めないから肝心のご飯も食べれない。処方箋を何故か僕の薬局に持ってきたのがよかった。漢方薬をしばしば作っていたからその延長なのだろうが。「もう入院の時のように薬でやられるのは我慢できない」と弱音を吐いたから、それでは副作用防止の漢方薬を飲みながら、病院の抗ガン剤を飲もうと言うことになった。煎じ薬でしか作れないと言うと、いつものように一応文句は言ってみるものの、しぶしぶを役者のように演じて承諾した。初めから何でも頑張って飲むなんて言えば可愛いが、口が裂けてもハイとは言わない。
抗ガン剤が進歩して、癌の方がずいぶんと長生きになった。副作用さえ克服できればよい治療が受けれる。その役に立てるよう努力しているが、結構何百年も前に考えられた処方が効くものだ。昔の人の偉大さに驚くばかりだ。
 病院の治療費、個室代、漢方薬代、お金ばっかりがいると言うから、いつものように「田圃でも売ったら」と言っていたら、本当に畑を一つ売りに出していた。偶然畑に立てられている不動産屋の看板を見つけたのだが、土地がある人はこんな時に強い。「パチンコで稼いできたら」ともよく言うのだが、さすがに今はその体力はなくしているのだろう。彼がパチンコ台の前で、得意の斜に構えるポーズをとる日が再び来るのを待っている。


2010年03月07日(Sun)▲ページの先頭へ
漁師
 「治ったら、町中にヤマト薬局で治ったと言いふらしてよ」と言っておいてもそんなことをしてくれた人はいない。「治ったらみんなに教えます」と言う人に限って教えた人もいない。前者は僕の冗談だし、後者は皆さんの単なる意気込みだ。どちらも期待していないし、仮に噂で相談に来たりしたら奇跡でも起こるのかと思ってしまうから、治療に真剣味がない。そんな人の多くは、2,3日飲んで効かなければ、もうそれで諦めてしまう。
 でもこの人は違った。本当に自分の治った理由を公言したのだ。もっとも、その人がウツにかかっていたのは公然の秘密だったから、今更隠すこともなかったのかもしれないが、ハッキリ僕の名前を出したみたいだ。それも永久に二度とそんなところに行くことが出来るはずがないと本人も家族も町の人も思っていたスナックで、カラオケを歌いながら、酒を飲みながら僕の名前を出したらしい。常連のその人がスナックから消えて数年、待ちに待っていた復帰を喜んだカラオケ仲間が教えてくれた。
もう治ったと思うと本人が最後に言ってからの様子が分からなかったから、教えてくれたカラオケ仲間に感謝した。以前と変わらないよと教えてくれたが、こんなに人って回復力を持っているのだと僕自身もよい勉強になった。僕は決して専門家ではなく、人に親切な訳でもない。僕の祖父が漁協の前で鉄工所をやっていたせいで、幼いときから漁師たちの中で育ってきた。回りにいたのは漁師ばかりだった。小学校時代も学校が終わると漁協の桟橋で日が暮れるまで釣りをした。桟橋には漁から帰った漁船が絶え間なく横付けにされる。漁師の言葉を聞き、漁師の臭いをかぎ、漁師たちの価値観を学んだ。その事は一見僕のその後になにも貢献していないように見えるが、実は結構大きな影響を与えたのではないかと思っている。一見荒々しく見える彼らが、実はとてもシャイで人間が苦手で、荒い言葉を用いるが決して人を直接傷つけないことを学んだ。主題を直接的に語ることが苦手で、のらりくらりとそれでも何となく結論にたどり着く手法こそが、危険と隣り合わせで働いている人達の緊張の代償だと言うことも学んだ。
 生活が、命も経済も保証されている人達が、合理性とか生産性とかを重視し、それが至上命題だとして他者に強要する陸(おが)の理屈とは明らかに異なっている。僕は、板1枚下が地獄の漁師たちの逆説に育てられてきた。陸(おが)の人達には通用しないかもしれないが、少なくとも僕の漢方薬を飲もうとしてくれている人のほとんどが、陸の漁師なのだ。幼いときに染みついた心の臭いは消えないし消したくもない。今の僕の治療法や会話の仕方を醸造してくれた、肩書きなど終生持つことのない気弱な荒くれたちに感謝。
「治ったら、言いふらしてよ」は、誰だって起こることだから回りを巻き込んで治ってねと言う僕の漁師的メッセージなのだ。


2010年03月06日(Sat)▲ページの先頭へ
一丁上がり
 テレビのニュースを見ていて、ああ、僕ならあの漢方薬を使って、あんな会話をして治すことが出来るのになあと思った。ところが、余りにも高貴な方だから接点もないし、僕らみたいな下々を取り巻きが信用するはずもないから、所詮映像の向こうとこちら側でしかない。
それにしても雲の上の人達にも下々と同じような悩みがあるものだと、下々の人は驚いたのではないか。あるいは逆に安心したかもしれない。自分たちが世俗的な悩みで青春を一時期棒に振っても、大したことはない。マスコミは勿論、近所の人、近所の犬や猫でさえ気にもしてくれないから。心配もしてくれない、同情もしてくれない、軽蔑もない、空にのかっている雲みたいなもので、あろうが無かろうが、いようがいまいがほとんど気にもならないのだ。そんな存在感のなさってありがたいものだ。患うのも回復するのも、自分のペースでいい。ほどほどの手助けをしてもらって、ほどほどの回復さえすれば、ほどほどに世間には復帰できる。どうせその世間が大したことがないのだから、追いつくのも容易だ。
 さっき船の上から電話があり「おならがよく出て困る」と言う相談を受けた。家族がいやがるというのだ。「おならが出たら気持ちがいいのではないの、すかっとして」と尋ねると「それは気持ちいいよ」と言う。はい、これで一丁上がり。病気でも、たたりでもない。気持ちのよいおならなら大歓迎だ。「出なくて苦しいのなら相談して」と言うと喜んでいた。
 雲の上の人が苦しんでいるときに、おならだ、臭いだと不謹慎だ。僕ら下々は「銭こがねえ」とか、「白いまんまを食ってみてえ」とか、「村にはいられねえだ」とかがあっている。


2010年03月05日(Fri)▲ページの先頭へ
徳島
 なんと、僕が毎日見て育った海を、最初は川かと思ったというのだ。なんて失礼なと気色ばむこともないのだが、なんだか身内をけなされたような気持ちに近いものがあった。こんなに僕が郷土愛を持っているなんて自分でも気がつかなかった。もっとも、その郷土愛もほんの数分も持たなかったのだから取ってつけたようなものではあるのだが。それにしてもさすが四国の人は豪快だ。太平洋の荒波を見て育っているから、鏡のように太陽を反射している瀬戸内海は、所詮川程度にしか見えなかったのだろう。まして牛窓の沖には多くの島があり、それが対岸に見えたのだろう。水平線しか見えない四国の人はさすがにスケールが違う。NHKの朝の連続ドラマ・ウエルカメの舞台の徳島県出身らしいが、徳島県でも瀬戸内に面しているところと、高知県に近いところでは全く違うと、何が違うのか分からない岡山の人間にはさっぱり分からない説明をしていた。言葉が違うのか、気候が違うのか、風土が違うのか、人情が違うのか、それこそ波の高さが違うのか。一人納得していたその人の方がどうやら僕より数段郷土愛を持っている。
 もう20年にもなるだろうか、嘗て坂本龍馬も歩いただろう砂浜を家族で歩いたことがある。以来、子育てより仕事を優先してきたから、家族揃っての何かってのを全くしてこなかった。まれに見る子離れ親離れの速さで、未だ結局は仕事しかしていない。これから先も同じような日常を繰り返すしか脳はないみたいだが、豪快な一言をたまには決めて、徳島の人の鼻をあかしてやろうと思う。満濃池をうちの泉水とか、石鎚山を裏山とか、大歩危小歩危をアルツハイマーとか。でもこれでは勝てそうにない。悔しいけれど、その人の飾り気のない実感の方がはるかに創作より優っているから。


2010年03月04日(Thu)▲ページの先頭へ
コーヒー
 もう、儲けたとしか言いようがない。昔から健康にいいことは何もしてこなかった。寧ろ逆で、健康にとって悪いことばかりしてきた。巷言われるよいことは何もせず、巷言われる悪いことはみなしてきた。それでも若い頃は何とかなっていたが、もう何ともならない年齢になってきた。そんな中、最近やたらコーヒーが身体にいいという情報が立て続けに入ってきた。ポリフェノールに至っては緑茶の倍含まれていると言うし、脳卒中なんかも30%近く危険率を下げれるという。
 「中高年の男女におけるコーヒーの摂取は、既知の脳卒中危険因子や生活習慣とは独立して、脳卒中のリスクを約30%も低下させることが示された。その機序については不明であるが、コーヒーに含まれる成分は糖代謝に好ましい影響を与え、神経保護的に働く可能性が動物実験において示唆されている。また、臨床的にも、コーヒーの摂取は強力な脳卒中危険因子である2型糖尿病を抑制することが報告されている。今回の報告は、コーヒー摂取と脳卒中の関係を直接示した貴重なデータと言える」なんとも嬉しい報告だ。ケンブリッジ大学が国際脳卒中学会で発表した内容だから信頼性は高い。
コーヒーを飲んでいるだけでいいのなら僕にでも出来る。食事代はなくてもコーヒー代はあった。ついでに言うと、アパート代はなくてもパチンコ代はあった。めちゃくちゃな青春期だったが、今思えば健康にいいことを一つだけしていたのだ。もっとも、コーヒーと必ずセットで煙草があったから、プラスとマイナスを比べれば圧倒的にマイナスの方が勝っていたのだろうが。おかげで煙草は20数年前に止めれたから、以後は純粋に身体にいいことをしていたことになる。いやいや、甘党だから砂糖を入れていた。胃によいからとミルクも入れていた。出来ればブラックがいいと書き添えられていたから、これからは努力してブラックにしようと思っている。
 このように誰もがおいやしをしながら健康になれる方法はないものだろうか。我慢とか節制とかは性にあわない。思えば好きなもので健康を害してきたから、コーヒーなんてのは奇跡の飲み物だ。勉強をせずに東大にはいるとか、この顔で俳優になるとか、望んだのはその程度で決して多くを望んでいたのではないが、コーヒーという奇跡だけはあちらからやって来てくれた。


2010年03月03日(Wed)▲ページの先頭へ
壮年期
 麓に止めてある車の屋根にも数十センチの雪が積もっている。道路は勿論辺りは完全に雪景色。その中を山深く登っていった人達が遭難したかもしれないとニュースが伝えた。よくあることではあるけれど、テレビ画面に表示された人達の年齢に驚く。60歳代後半から70歳代の方ばかりだった。決してよいニュースではないが、その年齢で、深い雪の中を登っていける気力と体力に圧倒される。どのくらい元気な人達だろうと思う。身体に痛いところもなく、循環器系も折り紙付きでないとそんな行動はそれこそ命取りになってしまうだろう。心身共に元気だから可能なのか、そう言った行動こそが心身共に元気にするのか分からないが、僅か数センチの雪でも外出を控える僕などとは雲泥の差だ。
壮年期が長くなったのだろうか、老年期と呼ぶにはやっていることが不釣り合いだ。経済的にも恵まれているのだろう、第2の人生を謳歌している。切れる熟年も多いと言うから遠慮もなくなった世代なのだろうか。それに比べて若者たちの方が、行動的でもないし我慢が得意のように見える。経済的に余裕がないから、生きていくためだけで精一杯なのだろう。余暇も余力も余裕もありはしない。その日その日を無事に過ごすだけで懸命なのだ。冒険も挑戦も、僅かなものでさえ失ってしまえばおしまいの世代に出来るわけがない。敗者復活は余力を保証された人にしか機会を与えない。
本来、大人たちの天敵は若者だったはずだ。天敵を去勢し自由に操り、我が身を低くしない延びすぎた壮年期の人達に違和感を感じる。彼らがどこかに置き忘れてきたもので、若者たちが過去を壊さないで、未来も作れないとしたら、春に降る新雪に残る足跡も見つけることは出来ないだろう。


2010年03月02日(Tue)▲ページの先頭へ
勲章
 柔らかくて温かい可愛い手だった。
 お母さんと二人で入ってきたから、久しぶりに又漢方薬でもいるのかと思ったら、卒業式の帰りにお礼を言うためだけに寄ってくれたらしい。思い当たることはなかったので何の礼かと尋ねたら、無事卒業できたことに対する礼だった。僕はとても可愛いお子さんが、それもちょっとだけ早く大人になりすぎたか、逆にいつまでも少女の純粋な心を持ち続けてしまったかの、どちらかの大いなる長所を、精神的な病気とみなされて、抗ウツ薬と安定剤を飲まされ続けていたのを止めさせただけなのだが。
 最初相談に来たときは高校2年生だった。学校には時々しか行けずに、進級が難しいと言っていた。お母さんと一緒にやってきたが、ふたりがとても仲良く見えた。田舎の子なのにとてもおしゃれで、ファッション雑誌から飛び出してきたような感じで、それでいて下品ではなく、好感度抜群だった。こんなお子さんが心療内科にお世話になっているのが不思議だった。どうして学校がいやなのと尋ねたら、同級生のくだらない話についていけないと言った。仲間に入れないんですとも言った。「でも、それって病気ではないよね」と言うと、本人は勿論、お母さんも「そう思います」と答えた。それから色々な話をしたが、ますますそのお子さんの長所にひかれた。ああ、このまま大人になれば、どれだけ多くの人を心地よくさせることが出来るだろうと、寧ろ期待すらさせた。
僕は病気ではなく素晴らしい個性で、治療の対象ではないと断言し、その日から抗ウツ薬と安定剤を止めてもらった。勿論その代償として漢方薬を飲んでもらった。半年も抗ウツ薬などを飲んでいたら急に止めると反動があり怖いから。でも、元々その素質がなく、飲んでいてもさっぱり効きもせず、寧ろ飲めば飲むほど身体がだるくて朝起きれないだけだったらしいから、何の反動もなかった。結局、あっという間に彼女は元気になった。漢方薬もすぐ必要なくなった。あれ以来1年半、1度も学校を休まなかったとお母さんが教えてくれた。すでに県内の有名女子大にすべり止めで合格していて、後は関西の国立大学の発表を待つだけらしい。
 僕は薬剤師として手助けしたのではない。もっと素朴に「この子、病気なの?」と思っただけなのだ。そして、こんな純粋な子が、恐らくずっと抗ウツ薬を飲む人生をなんとかくい止めたかっただけなのだ。僕の薬局が幸運にも調剤薬局ではなくフリーな薬局だから、言いたいことが言える立場にあったのが幸いした。もし僕の薬局が調剤薬局だったら、医者の出している薬を止めたらなんて口が裂けても言えないだろう。
 僕は全く勉強をせずに薬剤師になった。医者も同じ様なものだと息子に言っていたら、後日「お父さんは嘘ばっかり言う」とクレームを受けた。なるほど、医者はかなり勉強しないとなれないみたいだった。命をあずかる唯一の職業として当たり前と言えば当たり前なのだが、その高い専門性の故に、命にかかわらない病気には意外と冷淡で、この子のような間違いを起こしてしまう。僕があの時越権行為のような判断をしていなかったら、きっとあの子は高校を中退して、身に覚えのない倦怠感と戦いながら引きこもっていただろう。
たまにこのようなヒットが打てるから、僕も珍しく一つのことに打ち込んで来れたのだと思う。「おめでとう」と言って握手した手が僕の裏目人生の数少ない勲章なのだ。


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