栄町ヤマト薬局 - 2010/02

漢方薬局の日常の出来事




2010年02月28日(Sun)▲ページの先頭へ
津波
 日本で看護師として働くために来日している外国の方が沢山いる。すでに実際に業務に就いているのだが、正式な日本の免許を取るために、仕事の傍ら勉強をしている。ところがこれがめっぽう難しいらしくて、と言うのは試験問題が日本語で実施されるからなのだが、これが巷言われた日本語の習得が難しいということのほかに、自国で受けた看護師の仕事以外の介護という分野が日本では試験に含まれているかららしい。最大の障壁が日本語と言われていたから、ある模擬試験を英語で受けてもらったそうだが、合格率はおよそ25%だったらしい。これでは日本語の試験での結果が容易に想像できる。恐らく惨憺たるものだろう。果たして、本当に看護師さんを増やしたいのか、はたまた得意の研修生で上手く使いたいのか疑問だ。
僕は実際に行われた試験を受けた外国の女性二人を知っている。簡単な会話なら日本語で出来る二人だが「難しかった」を連発していた。自嘲気味に「日本語ガタガタ」と言っていたが、彼女らの天性の明るさとバイタリティーは貴重だ。どうかハンディーなく資格が取れるようにして欲しい。3月の下旬に結果が発表されるらしいが、喜び合えたら嬉しい。言葉と内容の二重苦で頑張っている彼女らに、何らかの制度で報いることが出来ないのかと、素人ながらに思う。
今し方、けたたましく防災サイレンが数回鳴った。高台に避難してくださいと勧告があった。恐らく誰も避難しないだろう。50cmから1mでは逃げないだろう。まして干潮時刻だし。この国のあり方や、この国の人の心のあり方に対してもサイレンは鳴らされているが、ほとんどの人は無視している。潮は静かに引いて一気に押し寄せる体制は出来ているかもしれないのに。


2010年02月27日(Sat)▲ページの先頭へ
窮屈
 「ああ、スッキリしました。今日は来てよかったです」こちらが思う以上に喜んでもらったが、この程度のことで喜んで貰えるのかとこちらが寧ろ面くらうくらいだ。
何不自由なく暮らしていたそうだから、そちらの方が問題だと思うのだが、何不自由なくの中に、何不自由なくを与えてくれていた旦那が入ってきたら、むちゃくちゃ不自由らしい。真面目一本のご主人は働き者で地位もあり、何がよかったと言って、ほとんど単身赴任でいなかったことだろう。お金だけはしっかり送ってきてくれたから、カルチャーセンター、食事に旅行、やりたい放題だったらしい。長い間自由を満喫していたところに、定年になったご主人が帰ってきた。働き虫の男の定年後は何とも心許ない。肩書き以外で人間関係を作ってこなかったものだから、引きこもり状態だ。なんだかんだと理由をつけて1日中まとわりついてくるらしい。急に監視がついたようなものだ。
 いいとこの奥さんにとって、家庭内の不都合を口に出すのは御法度らしい。いいとこの奥さんを知らないから、御法度だと言うことは僕は知らなかった。何十年間、旦那や奥さんの悪口を言い続けている人ばかりと親しくなったので、夫婦はののしり合うものばかりと理解していて、外で家庭の恥部を晒すことを躊躇う人種がいたなんてことには気がつかなかった。
何をきっかけにこの奥さんが僕に悩みを洗いざらい喋ったのか定かではないが、その結果が冒頭の別れ際の言葉なのだ。少しだけ奥さんが喋った辺りで僕が「旦那をしめ殺して自由になればいいじゃないの」と助言したのが功を奏したのだろうか。一瞬顔が引きつったが「そんな気にもなるよ」といった辺りから堰を切って恨み辛みが出るは出るは。あれだけ出せばさすがにスッキリしたのだろう。感謝の言葉まで貰えた。
 僕は教科書みたいな価値観や、教科書みたいな生き方が苦手だから、正直に何でも話すことにしている。教科書から脱落するのは人の常だが、その脱落に罪の意識を少しでも感じていたら日常が果てしなく窮屈になる。その窮屈を笑い飛ばし、誰にも起こりうると言うことを自覚できれば肩の荷が一気に降りる。人生は重荷を背負って生きていくものと教えられたこともあるが、僕は職業的にその重荷を少しでもとってあげたい。
 「さて、これから玉野競輪に行って儲けて来よう」別れの挨拶で又品を下げてしまったが、いい笑顔で帰っていったから品の無さもたまには役に立つ。


2010年02月26日(Fri)▲ページの先頭へ
ベンツ
 ケンとメリーの愛のスカイラインがやたらテレビで宣伝されている頃、僕は繁華街にあるパチンコ屋に行くために毎日バスに乗っていた。バス停までは歩いて数分のアパートに住んでいたから便利だったし、学生で車を持っているのは珍しかったから、高嶺の花とも思えないくらい縁遠いものだった。ただ、そのコマーシャルで流れる歌い手の高音がよく響き、メロディーはハッキリ今でも覚えている。
牛窓に帰ると、公共交通が不便だったから車を買った。父は車の免許を持っていなかったから我が家にとっては初めての車だった。ゴーカートと間違えそうな小さな車だったが、やたら便利に思えた。バイクで配達するには大きすぎる荷物に困っていたが、そんなことからも解放された。その頃テレビでは「いつかはクラウン」とキャッチコピーが流れていた。いつか収入が増えると、あんな車に乗るんだと、日本中で洗脳されていたのだろう。
 さて現在はどの様なキャッチコピーで財布のヒモが堅い国民に車を買わそうとしているのだろう。耳に残っている印象的な言葉はない。
 昨日、妻が紫色のベンツに乗って帰ってきた。僕は助手席に乗ってみたが、その広さに過去の記憶が蘇った。学生時代、一度だけベンツに乗ったことがある。もっとも、後にも先にもその時一度だけなのだが。当時もっぱら僕の仲間は、自転車が唯一のタイヤ付きの乗り物だったから、いきなりベンツは一生ものの体験だった。僕の後輩に恵まれた家庭の男がいて、彼が親のベンツを持ってきたのだ。助手席に乗せてもらって柳が瀬の街を走ったのだが、運転している後輩がやたら遠くに見えた。その距離感が違和感を持って僕に迫ってきたので当時の映像が記憶にハッキリと残っている。なんだか車内とは思えない不思議な空間だった。
 さて、紫色のベンツの助手席に腰掛けても何となく居心地が悪い。いつかはベンツとパクリのキャッチコピーを唱えても何となく実感がない。やっと手に入れたという喜びが湧いてこない。それよりも僕の不安が的中した。妻が乗ってきたベンツを母親の家の前、そこはバスが数台停留できる広場なのだが、に置いていたら、近所の人が数人出てきて邪魔だからと言って広場の端まで押しって行っているのだ。ああ、やはりベンツなどに乗ると近所の人に不評を買うのだと心苦しくなった・・・・・そこで目が覚めた。
到底手の届きそうにないものを欲しがる人間は、夢の中でもこの様だ。不釣り合いなものを欲しがると、手にする前から不安になる。この人にしてこの車と言われるものを持っていないから、まずは人格と経済力を近づけなければならない。ところが僕はその面で最初から躓いて周回遅れもいいところだから、到底追いつけない。30年遅れのケンとメリーのスカイラインでも唄っていればまだ可愛いが、口から出るのが「きよしのズンドコ節」だからもう救いようがない。


2010年02月25日(Thu)▲ページの先頭へ
言葉
 昨日は朝起きたときから調子が悪く、時々布団に入って休みながら仕事をした。昼寝などと言うことは出来ないたちだから、世間が動いているときに布団の中で眠るってのはなかなか耐え難い。でも横になっていないと持たないような気がしたから、下から呼ばれるまで数回2階に上がて横になっていた。
うつらうつらしながら僕は気がついた。気がつくくらいだから眠っていないのだが、頭の中に一杯色んなことが浮かんでくることに。それもとりとめのないことばかりが、無秩序に浮かんでくるのだ。ありそうなことも、あり得ないことも、ごった煮で浮かんでくる。眠ろうとして思考のスイッチは切っているのだが、言葉が洪水のように現れてくる。実際には色彩も映像もないのに言葉がそれらを引きつれてやってくる。夢かと思うが夢ではない。明らかに起きているのだから。高熱でうなされる子供たちと同じ頭の構造になっているのだろうかと、横になったまま考えた。
人間の特徴を表すのに何が一番適しているのか分からないが、言葉もその中の一つだろう。恐らく思考を整理するのに大変重要な要素なのだろう。喜怒哀楽を感情のおもむくままでは秩序は崩れてしまう。それらを統制するのに言葉は必需品だ。思考の交通整理みたいなものだ。又思考を発展させていく手段も又言葉だろう。口から音声として出さなくても頭の中で泉のように湧いてくる。それを上手く紡ぐのが詩人だし、小説家なのだろう。
僕はけだるさの中で言葉の洪水に身を任せていたが、ついぞ何ら輝く言葉とは遭遇できなかった。ただ、こんな時にでさえ休むことが苦手な我が低脳に同情した。


2010年02月24日(Wed)▲ページの先頭へ
約束
 年齢と共に、どうやら約束と言うものはなかなか出来にくくなる。己の力が分かってくることもあるし、持って生まれた純情がさび付いて枯れてしまったこともある。明日の登校さえ約束する幼い頃の純情は、雑多に詰められたおもちゃ箱と共にもうとっくに捨てた。
そんな郷愁が約束をすることから僕を遠ざけているのではない。そんなきれい事ではない。もっと俗っぽい理由からなのだ。その約束した期日に自分が元気でいる保証がないのだ。あるいはその期日までに約束を果たす気力体力が持続するかどうかはなはだ心許ないのだ。自分の意志とは裏腹に、裏切ってしまうことも十分想定できる。だからせめてもの善意として約束しないのだ。その方が一見冷たく見えるかもしれないが、ことが大きくなればなるほど、又代替えがなければないほど約束は出来難くなる。
 そうしてみると政治家などと言う人種は大したものだ。僕みたいな小者とは違う。国家国民を語りながら約束事を連発する。実行するかどうか、出来るかどうか不安で迷っている痕跡なんかはない。果敢に約束事を連発している。小心者には真似が出来ないことだ。
ほんの小さな約束すら躊躇わなければならない小者の僕が、これからもみだりに約束しないことを約束する。


2010年02月23日(Tue)▲ページの先頭へ
子育て
 僕の好きな光景が又一組やってきた。よい家庭を簡単に見分ける方法でもある。滅多にないから余計目立つのかもしれないが、こちらまでほのぼのとした柔らかい空気に包まれる。
 思春期の子供は難しいなんて気取った大人のようなことは言いたくはない。大人に成長する過程で辿る道は、誰にも舗装はされていない。感情の起伏が放置されたままの落石のように平坦な道行きを阻害するものだ。だからといって迂回は許されない。乗り越えなければならないものとして思春期は意外と残酷だ。
 未熟で混乱した精神をもてあます世代の娘とその父親が、一緒に薬局にやってくることがそれこそ時々ある。自立の一歩手前で足踏みをしているが、父親はその事を否定しない。口数は少ないが可愛くて仕方ないことは、距離感を懸命に保とうとすることで逆に分かってしまう。不器用な父親の距離感に、娘が無防備に浸っている。醸し出す愛情は、ぎこちない言葉の交換を昇華させ、僕の心を真綿で包む。
いつも追い立てられるように結果を求められて育った子供達は、結果や効率から解放されるべきだ。親を満足させる道具ではない。子供を所有してもいけない。一時あずかっているものと表現する人もいるが、最大の援助者になるべきだ。いつもおおらかに、遠くから眺めていることが出来る父親にはその資格がある。照れることなく父親と薬局に入ってくる女子高校生が、何とも言えぬ安心感に包まれているのでよく分かる。
 孤立無援の子供から直接健康相談を受けることがある。制約が多すぎてよい結果は難しい。できるなら、この父娘のような関係がそこかしこでも眺められる景色になって欲しい。正しい愛ほど、簡単な子育てはないのだから。


2010年02月22日(Mon)▲ページの先頭へ
拒否
 別に声を落として言う必要もないが、実は以前一人だけ、薬を作るのを断った人がいる。よその町からわざわざ相談に来たのだが、応対しているうちに段々耐えられくなった。何の病気の相談だったのか忘れたが、僕の所に来る前にかかった病院や鍼の先生などのことを言いたい放題批判するのだ。何処に行っても治らないくらい自分の体が悪いのだろうと思うのだが、その視点は勿論全く欠如している。病気は治るもの、治療者は治すものと決めつけてしまっている。まあ、そのあたりまでなら誰もが陥っている誤解だから目くじらを立てる必要もないし、ほとんど僕は何も感じない。寧ろそれでは僕が治してみせると奮い立つことの方が多いかもしれない。その断ったおじさんの決定的に僕が許せなかったのは、診てもらったお医者さんのうち何人かが大学病院の教授や、大きな病院の偉い先生というのだ。そしてその人達に診てもらうために、数十万円?いやもう一つ単位が大きかったようにも思うのだが詳しくは忘れてしまった、のお金を贈ったというのだ。そんなお金を受け取るはずがないと思うのだが、得々と悦に入って話し続ける。僕の絶対許せない分野に入ってきているとは知らず、ますます調子を上げてきたから「おじさん、そんなにあんたが立派で金持ちなら、うちみたいな庶民の薬局に来るな」といって追い出した。誰にどの様に紹介されて僕のところに来たのか知らないが、肩書きとお金でものを言う人間は絶対に受け入れられない。まさにその典型を僕の前で演じたから出ていってもらった。
今日それとはちょっと違うかもしれないが、やはり断った人がいる。脊椎間狭窄症の手術を県内では有名な整形外科の病院で、1年半前にやっていただいたそうだが、最近又少し以前の症状が出てきたらしい。新聞に載っていた脊椎間狭窄症が治るとうたっている雑誌を取り寄せたらしいが、治ったという人が飲んだという薬が僕の薬局にないかというのだ。そんなものあるわけがない。買うようにと勧められているものの成分を言っていたが、そこら辺で売っている健康食品らしきものを集めているに過ぎない。勿論薬でもなにでもない。販売会社も分からない。何かこちらが話そうとするとすぐに、本に出ている、本は正しいと繰り返すだけでこちらの話には耳を貸さない。どうして僕のところに電話をしてきたのと正直恨めしくなる。いよいよらちがあかないので、正直に病院や薬局を信頼せずに、訳の分からない本を信用しているのなら僕に電話をしてこないでとハッキリ断った。
 脊椎間狭窄症みたいな難しいトラブルが根拠のないもので治るなら病院はいらない。本当に治るのなら病院が採用する。こんなに簡単な正しいものの判別の仕方があるのにそれでも判断を間違える。ニュースでしばしば伝えられる経済詐欺と何ら変わりない。何処の世界でも同じなのだと空しくなるが、出来ればそう言った被害者の側に立つ素質のある人とも、関わりたくない。「もう今度は騙されない」繰り返される言葉に同情心も起こらない。その言葉はこちらが言いたいくらいだ。


2010年02月21日(Sun)▲ページの先頭へ
ホームレス
 もしあの様子を大学の研究室で見かけたら、思索にふけっている教授に見えるだろう。もしあの様子を昼下がりの公園で見かけたら、束の間の休息を取っているエリートサラリーマンに見えるだろう。もしあの様子をファーストフードの店で見かけたら、授業をさぼっている学生に見えるだろう。もしあの様子をプラットホームで見かけたら、出張する前の技術者に見えるだろう。もしあの様子を厨房の中で見かけたら、フランス帰りのシェフが新しいレシピを考えている姿に見えるだろう。もしあの姿を舞台裏で見かけたら前衛芸術の台本を書いている脚本家に見えるだろう。
もう僕は何ヶ月もの間だ、彼の姿を日曜日ごとに見かけている。僕がその建物に入る時間は決まっていないから、少なくとも日曜日の午後はずっとそこにいるのだろう。彼がいる空間には50もの席が、薬をもらい会計をすませるために設置されているが、日曜日は急患を受け付ける救急の入り口だけが開いているから、そこは明かりも落として薄暗い。彼はいつも長いソファーに深く腰をかけ、前屈み気味の姿勢で本を読んでいる。ソファーの横には大きな紙袋が置いてあり、いつも色彩の乏しい服に身をまとっている。白髪交じりの長い髭は、生やしたものではなく生えたものだと容易に想像がつく。
 風を遮り、読み物も多く、尻が痛くならないクッションもある。広い空間を独り占めして他人の視線に串刺しにされることもない。夜は何処で過ごすのかと思うが、少なくとも昼は無縁の公共に皮肉にも少しだけ助けられている。缶コーヒー1杯分の自責を飲み干し傍を通るが、のどごしに落ちていく無力さをくい止める気概は僕にはない。いくらカタカナで彼らを呼んでも、たった一つの笑顔も作ってあげることが出来ないのなら、こちら側も又見えないホームレスなのだ。


2010年02月20日(Sat)▲ページの先頭へ
呪縛
 僕が若者と真剣に向き合って話が出来るのは皮肉にも薬剤師と患者としての立場だけかもしれない。いやいや、世代を問わず、その関係以外にはないのかもしれない。
今日もある若者と数時間一緒に過ごした。今日は彼のために時間を充分とることに決めていたが、嘔吐下痢の風邪がはやっていて急変した施設の患者さんのために薬を数回に分けて運んだり、漢方薬などを取りに来る人が重なって、常に話続けることは出来なかった。それでも実質2時間くらいは話すことが出来たと思う。2時間の会話と僕の漢方薬でどのくらい彼を苦痛から解放できるか分からないが、勿論狙いは完治だ。
 一人で悩むのが青春の特徴だ。悩んでいる姿を他人に悟られることそれすら屈辱なのだ。だから彼も恐らく自分の症状を隠さずに話したのは初めてだろう。取り繕った訴えで症状が伝わるはずがないから、彼が過去受けた治療なんか効く条件が最初から整っていない。僕にはそんなこと全部見えてしまうから、そんなことはさせない。わざわざ遠くから訪ねてきてくれたのにもったいない。今まで何年も誰にも話したことがない症状を、吐き出してしまえばそれだけで楽にもなれるし、相手から本当の知識が得られる。全てを話してもらえないとこちらも正しい知識を伝授できない。間違った過程を通って目的とするところには到達できない。
恐らく彼が今まで仕入れた知識とは真っ向から反することを伝えたと思う。しかしそれを否定する理論を彼はうち立てられないし、逆に僕はいとも簡単に彼の理屈をうち破ることが出来る。ただ彼に起こっている不調は、正しいとか正しくないとかの問題を超越して、信じ切っている思い込みを如何に克服できるかだけの問題なのだ。思い込みをうち破ることが出来る漢方薬を作り、僕らの間に信頼感が少しでも生まれれば当然治る。彼は2時間の間に質問はしたが、僕の揚げ足を取るようなことはしなかった。このことは僕にとってかなり重要なことで、経験的に判断して治る必要条件と言ってもいい。治療は薬がするのかもしれないが、相性って結構重要なポイントなのだ。非科学的なことを言うが、元々人間の体や心なんて非科学的なのだから。
 今以上に幸せに自由に暮らすことが出来る権利を彼も又十分持っている。自分が作ってきた殻を破りさえすれば、本当は多くの人に好感を持って迎えられることも、多くの人に愛され大切にされ、又頼りにされる自分であることにも気づくことが出来る。大切にされ、信頼された分だけ、困っている人達や弱き人達を大切に出来るのだから。僕との縁で思い込みなどと言う呪縛から解放され、弱い立場の人に多くを与えることが出来る人生を送って欲しいと思う。まるで悪意のない、それでいて絶望的な呪縛はあの頃の僕だけで充分だ。


2010年02月19日(Fri)▲ページの先頭へ
招き猫
 今薬を持って出ていったばかりの男性が、薬局の外から手招きをする。薬局の中から手を振れば招きおじさんくらいにはなるが、外から手を振られたら追い出しおじさんだ。70歳、色黒、ダンプに乗っていた頃の面影どおり人相は今だ悪い。そんなおじさんの仕草が全くアンバランスで可愛いのでつられて出ていくと、ワンボックスカーのハッチバック式の扉を開けようとする。さっき、足を引きずりながら痛み止めの薬を買ったのに、重そうな扉を懸命に上げようとするから手伝った。見ていられなかったのが本当のところだ。お腹は嘗てのなごりで出っ張っているが、足などの筋肉は落ちてしまって、行け進めの面影はない。
 荷台には大きなキャベツが6個入った出荷用の袋が一つ積んであった。「これを食べんせい」と言ってくれたがさすがに6個は多すぎる。「こんなには貰えないわ」と断ると袋を破って一つだけとりだし、「この一つは残しといて」と言った。 あれ、僕の早ガッテンだったのかなと気がついたが、急に展開を変えるわけには行かない。「我が家の分と娘の家の分で2個もらおうかな」と折衷案をさりげなく出したが、あちらは年長者、プライドがあるから「5個全部降ろされ」と言ってくれる。「それなら母親の家のももらおうかな」と、復活折衝ばりの提案をする。結局は残り5個をもらったのだが、悪いことをした。恐らく数軒の知人に配るために積んでいたのだろうが、僕の図々しさが予定を狂わせてしまった。
 あの不自由な足で広い畑を守(もり)し、育てた重量野菜をいとも簡単にくれる。舗装された道路の上でも足を引きずるのに、足場の悪い土の上ではさぞ痛かろう。エアコンのきいた薬局で、口回りの筋肉だけを動かして仕事をしている僕など彼らに比べれば国賊ものだ。恐ろしいような顔の造りをくしゃくしゃにして、遠慮しないでと言うそばから照れている純情が、まだこの町の畔には残っている。春の気配が耕された土中で新たな命を育むが、いつまでも枯れないでと手を合わせたくなる老木もしっかりと根をはっている。
 大きなキャベツ5個を遠慮無く車から降ろした。その時、僕の白衣の裾で勇み足の春一番がひと休みした。


2010年02月18日(Thu)▲ページの先頭へ
無駄
 ついに言ってしまった。黙っていればよかったのだが限界だった。
市の職員が詳細に渡って説明してくれるのだが、数字の羅列だからさっぱり分からない。ロシア語くらい分からない、いやいやタガログ語くらい分からない。要は何一つ分からないのだ。何ページにも渡る説明は、役所言葉と数字だけ。これでは眠気も誘わない。まるででくの坊のようにその場を構成するだけだ。いなくてもいいが、いなければいけない、そんな空気みたいな存在にはもう耐えられなかった。
 いくら数字を上げられても、日本中で国保財政は破綻寸前なのだ。それはそうだろう、国民が収めた、いや最近は確信犯的に納めない人もいるし、職や収入が無くて納めたくても納めれない人もいるが、保険料を製薬会社や医師会、歯科医師会、薬剤師会、柔道整復師会などが如何に多く頂戴するかを必死で争っているのだから足りるはずがない。おまけに、ちょっとの不調くらいで病院に駆け込む人が一杯いるのだから、財政が持つはずがない。職員が並べる数字はその具体的なものなのだろうが、そんなもの聞かされてもなにも打つ手がないのだから仕方がない。市町村レベルで何かを論じてもそれが上に届く保証は全くないし、そんな気配すらない。市町村はこんなに上の言うがままかと呆れる程だ。
 「数字はさっぱり分からないから、日本語で、こんなことに困っているからとか、こんなことを企画したいとかを言って」とお願いしたのか居直ったのか、語調はちょっと激しかったかもしれないが、それでも自制したつもりなのだ。分からない説明をされ、有識者に賛同を得ましたというお墨付きを与えては申し訳ない。数年同じことに耐えてきたがもう限界だ。年に2回、このような会合に出席すれば1万円か2万円もらえたと思うが、僕は1円分の仕事もしていない。丁度僕の正面に、合併前の助役さんだった人が座っていたが、そんな人こそ適任で、僕などを選ぶ必然性がない。きっと何かの規約で決まっているのだろうが、隣の歯医者さんも毎回苦痛だろうなと同情する。医師の代表などもう数回欠席しているから、もうとっくに悟っているのではないか。
 僕自身の存在はその場で全くの無駄。是非無駄を省いて欲しい。会場までの往復の時間を合わせて3時間、これは僕にとっても全くの無駄。蜃気楼が見える北陸の街からある女性がその時間に電話をくれていた。その電話に出られなかったことが悔やまれた。無駄が無駄を呼んで、ダムになった。


2010年02月17日(Wed)▲ページの先頭へ
ビオフェルミン
 見たことのない若い女性が、シャッターを開けるとすぐにやって来た。「ビオフェルミンを下さい」と頼まれたから、大きいのと小さいのとどちらが必要かを尋ねたらすぐに答えが返ってこなかった。薬を指名したのに大きさに迷うから「どうしたの?」と尋ねてみた。すると彼女は今朝から下痢をしていると答えた。吐き気や腹痛はと尋ねると両方あると言う。「回りに貴女みたいな症状の人はいなかった?」と尋ねると、子供がそうでしたと言う。こんな会話は、薬を販売する時に当然必要だから、彼女と偶然交わした特別なものではない。僕はさりげなく会話することによって間違った選択がなされていないかどうかを確かめる。長年薬局をやっていると当然身に付くものだが。
ここまで症状が分かれば「ビオフェルミンでは絶対効かないよ」と言わざるを得ない。「もしよければ3日分薬を作るよ」と言うと「どのくらい時間がかかります」と言うから3分と答えた。通勤途中に寄ったらしく、嘔吐下痢で仕事に行くのだから見上げたものだが、気の毒過ぎる。僕だったら起きあがることも出来ないかもしれない。いくら若くても仕事なんか出来る状態ではないだろう。僕が無造作にビオフェルミンを売っていたら彼女はいくら待っても効きめがないまま辛い1日を送る羽目になっていた。病院に行く時間がない人が、ドラッグストアで自分で薬を選択せざるを得ないとしたら余りにも気の毒だ。便利を買っているのかもしれないが、便利の裏で多くの損もしている。
 僕が調剤室に入っていこうとすると「漢方薬ですか?すごい」と言ったが、僕には何がすごいのか分からなかった。今初めて漢方薬を飲む体験をすることがすごかったのか、症状を聞いて薬を作ることがすごかったのか。別にすごいと言うほどの仕事はしていない。人間が本来持っている自然に治る力、自然治癒力に完全に依存しているだけだ。死に病は一生に一回だけ。そのほかのものは治るか共存できるのだ。
 もしすごいという言葉を使うなら、線路に転落した女性を助けるために、自分も線路に降り近づく列車にとっさの判断で女性を線路上に寝かせた若者こそ「本当にすごい」。


2010年02月16日(Tue)▲ページの先頭へ
喜び
 ああ、この喜びを出来たら今日と明日に分けて欲しかった。1日のうちに2つも喜びがあるのはもったいない。
まだ薬は一杯残っているはずなのに、このタイミングで電話がかかってきたから朗報だとすぐに分かった。お母さんの表現では、毎日ののたうち回るほどの腹痛で昨年受験機会を失っていた青年が、昨日見事大学に合格した。奇跡でも起こればいいのにとか、数撃てば当たるとか、お母さんと話していたのだが、本当に当たってしまった。何処でもいいからとお母さんも居直っていたのだが、聞けば結構有名大学だった。入試がまだ始まっていない頃、お母さんに体調のことでお礼を言われた。合格して初めてお役に立てれると思っていたので、あの時点でしみじみ礼を言われたのには驚いた。プライバシーがあるので詳細は言えないが、今同じように体調が原因で壁にぶつかっている人は、あるいはその家族の人も決して諦めないで。何処にどんな解決方法が落ちているか分からない。まさかこんな田舎の薬局が役に立つともあの家族も思わなかったのではないか。まさに落ちている程度の薬局なのだから。
 大学に入る権利を手にした人がいる一方で、社会に出る権利を手にした人もいる。昨日急に訪ねて行ってもいいかと尋ねられたのだが、勿論大歓迎だ。琵琶湖の街から来た女性は、初めて僕に連絡を取ってきた頃には、バスにも電車にも乗れなかったのだが、なんと今日は若者らしく高速バスでやって来た。それどころか、卒業旅行で2回海外に行ったらしい。それもイタリアと韓国だから、もう彼女に出来ないことはない。今日教えてもらったのだが、治らないと諦めていた2年前、何か奇跡を起こす薬はないかなとインターネットで捜していて僕の薬局を見つけたらしい。皮肉にも奇跡は起こらないと言い続けている僕の薬局を見つけたのだ。奇跡は起こせないけれど、努力は報われる。何回も交換したメールで恋多き女性という印象がとても強かったのだが、会ってみてとても落ち着きのある素敵な女性だと分かった。何とも言えぬ柔和さが醸し出すオーラは恐らく男性を虜にするだろう。男性に限らず、女性にも安心感を与えるのではないかと思う。それが証拠に邑久駅まで送っていった妻が帰るなり「気持ちのよい女性だった」と言ったから。今まで訪ねてきてくれた多くの過敏性腸症候群の人全員に共通するのだが、自分の長所に気がついていない。過敏性腸症候群になる共通の素質というものがあるとしたら、青春期特有の強すぎる自意識だ。でもそれは決して悪いことではない。それがあるからこそ人はより高きを目指し、それだからこそ挫折も味わう。そしてその挫折は教えられても身に付かない本当の謙虚さを教えてくれる。これに優る長所があるだろうか。
 僕は今日二人の青年に、これでよかったのだと肩を叩かれたような気がした。裏目裏目の人生だからこそ共振する心達と出会えるのだから。


2010年02月15日(Mon)▲ページの先頭へ
横断歩道
 ・・・夜勤中、職場の患者さんから、「○○さんがいると安心して眠れるよ。」と言われ、涙が出てしまいました。経済的、精神的、肉体的に決して楽ではない仕事ですが、もう少し頑張ろうと思います。今年はケアマネージャーの資格を取ろうと思っています。・・・
 田舎の薬剤師に出来ることは少ないが、縁あって元気を取り戻してくれた人達が全国で活躍してくれている。彼も僕にとっては「一人」なのだが、彼がお世話している人達はかなりの数になるだろう。もう今の仕事が5年目と言うから、延べにしたらどれくらいの人のお世話が出来ているのだろう。
 時に才能に恵まれてとんでもない肩書きの人を世話することがあるが、僕の薬局では宝くじに当たるほどの確率でしかそんな人はいない。おかげで僕は背伸びすることなく、外見も心の中も普段着のままで仕事が出来る。ただこの普段着がどうも怪しくて、普段着過ぎるという印象を持っている人も多いのかと思うが、仮に僕がピシッと決めて薬局に立てば今頂いている料金では不釣り合いだろう。出来れば誰にも公平に健康を手にして欲しいと思うが、所得が延びない時代、職にありつけない時代にはそれは難しい。草履が革靴に、ジーパンやTシャツがスーツに、岡山弁が東京弁になればなるほど上がるのは付加価値と料金だけ。多くの僕の大切な人が去り、僕の苦手な人達が来る。実力の偽装はしたくないから、せめて容姿も心も無駄を省いて、徹底的に身軽になってほとんどの人が服用できる料金体系を維持したい。
 どの様な幾何学的な模様を描いて人は連なっているのか知らないが、必ずどこかで誰かと繋がっている。ごくごく普通の人達が、お互いを責めることなく、小さな善意を往復させて毎日を過ごせたらいいなと思う。決して大きな幸運を願っているのではない。横断歩道の向こう側を走る幸せに、たまにはちょいと声をかけてみたくなるだけなのだ。



2010年02月14日(Sun)▲ページの先頭へ
水路
 自分より大きい猫を追っかけたのはテリトリーを荒らされたせいではない。一緒に遊んでもらおうとしただけなのだ。自分が犬と思っているのかどうか疑わしいから、友情が空回りした。
 白い大きなネコが逃げたのはその友情が煩わしかったのか、それとも紐を握っている僕を恐れたのか。ただそのネコの逃げっぷりが素晴らしかった。気になったので目算で測ってみると、幅は1.5mくらいはゆうにあると思えた。コンクリートで固められた深い水路を助走もせずに飛び越えたのだ。人間で言うと立ち幅跳びだ。ネコのジャンプ力ってすばらしい。人間の比に治すと果たしてどのくらいを飛んだことになるのだろう。水路の向こうで悠々と腰を下ろしこちらを見る目は勝ち誇っていた。
犬はネコになれないし、猫も犬になれない。僕もAにはなれないし、Aも僕にはなれない。僕はそれでいいと思っている。一人として同じ人間はいない。その無数の個性が相補いながら生きていくのが世の中だ。違うことを恐れる余り、自分の個性を抹殺する若者がいるが、それは余りにも短絡的だ。「人と同じよう」が何も保証してはくれない。作らないことが作ることより生産性があるとは思えない。多くを隠すことより、多くを表現し作り出す方が同じ時間を生きるなら価値があるし楽しい。
 「毎日みんなから悪口を言われてそのたびに傷付いて、もう何のために生きてるかわかりません。もう早く楽になりたいです」僕はこのメールをくれた若い女性がいとおしい。この苦しみが決して無駄にはならないことを信じていた。人生は苦しいが、苦しいことばかりではないことを彼女にも知って欲しかった。僕の未熟な漢方薬、岡山弁、そして勿論主治医の先生。以前のメールから今は「最近何だか生きてるのがすごく楽しいです!先生方のおかげです」に変わった。
 昨日彼女も深い水路を飛び越えた。白ネコの跳躍力を手に入れた。飛び越えた先には新しい世界がある。孤独を映す水面をのぞき込む彼女はもういない。


2010年02月13日(Sat)▲ページの先頭へ
通販生活
 何を頼んでも断らない人がいる。実際には断れない人と言った方が正しいのかもしれないが。
 嘗て僕もその種の人間で、頼まれれば快く引き受けることをモットーにしていたが、最近は期待に応えられる体力が底をついているので基本的には全部断るようにしている。一見、豹変と言えるかもしれないが、根底は同じだと思っている。嘗ては期待に応えるように努力し成果を出し喜んで頂くことを僕の喜びにもした。しかし今では、体調により途中で諦めなければならない可能性があるから、安易に引き受けて投げ出さざるを得ないことを寧ろ懸念している。途中放棄は最初から何もしないより引継が困難な場合が多いから。 そうしてみるとこの方は大したものだ。僕より一回りは上だと思うのだが、未だ現役で「断らない生活」を続けている。この気力、体力たるや羨ましい限りだ。茶の間で「通販生活」をしていてもよいくらいの年齢なのだが、時に額に汗をして熱弁もふるう。体力の裏付けは卓球だと最近知ったのだが、気力の裏付けはいったい何なんだろう。
根っからの真面目と堅物は似て非なるものだ。やっていることが時折重なるから区別しにくいこともあるが、打ち込んでいるときの余裕が違う。打ち込み方がおおらかなのだ。車のハンドルのように遊びが多い。直球しか投げないピッチャーではなく、カーブもスライダーもシュートも持っている。変幻自在なのだ。だから自分自身も折れないのだと思う。硬直した精神は意外とポキッと折れる。しなやかに伸び、強い風にも逆らわず身を委ねる植物が、台風の後に倒れている大木を横目で見ていることが多いように。
 僕はその人を決して褒めはしない。心の中では「まいった」と言っているが口には出さない。口に出すことによって評価の対象になってしまうからだ。ごくごく自然な善意までが、評価されてしまうことになる。寧ろ僕は若干茶化し気味にする。下手に褒めたりしたら、気持ちがあっても健康不安や力不足でやりたくてもできない人達の居場所を奪ってしまう。親切も慈善も結構気力体力を要し、誰にでも出来るものではないのだ。
折角の二部合唱がその人が引き受けてくれたおかげで三部合唱になっても構わない。お嬢さんが営んでいるハーブの店から、折角持ち出してくれた香りが臭くても構わない。家ではやったこともない拭き掃除で、床が余計に汚れても仕方ない。よかれと思うことに打ち込む姿勢はただただ頭が下がる。やはりこの「打ち込み」は卓球の賜か。


2010年02月12日(Fri)▲ページの先頭へ
揚げ足
 国会中継やテレビのくだらない討論を見たり聞いたりしていて気分が優れないのは、次元の低い揚げ足の取り合いだからだ。肩書きがそれなりに出来ると、素直に相手の言い分を認めたりしたら敗者にでもなってしまうとでも言うのか。それともタレントに成り下がっているから、食いっぷちがなくなってしまうとでも言うのだろうか。これだけ日常的にくだらないものを見せられていると、運悪くそれが伝染して、僕ら庶民の間にも同じ人種が増えてきて、素直に相手の言うことを受け取れない人が散在するようになった。言葉尻を捉えてこれ見たことかとたたみかけたり、否定したりと俄然高揚する。最終的には自分を認めさせて納得して終わりたいのだろうが、そう運良く事は運ばない。
僕はその種の人達の不運を知っている。僕の職業的な小さな範囲のことでしかないかもしれないが、恐らく他の分野でも通用する普遍性も秘めていると思う。大げさな言い方をするが、僕はその種の人が嫌いでも苦手でもなく、純粋に薬剤師的に心配しているのだ。 一言で言うと、この種の人は病気が圧倒的に治りにくい。勿論若かったり、ちょっとした怪我なら差はないが、こと慢性病や慢性の痛みのトラブルになったら、圧倒的に治らない。同じ症状で、同じような薬を使っても治りは圧倒的に遅いか、やっては来ない。僕ら薬を出す側の揚げ足を取って何になるのだろうかと思うが、100の知識で1を喋る僕らに、1の知識で1を対等に喋ってくる。いつの頃から閉じた心か知らないが、聞く耳を持たないから良い声は届かない。よい耳を持ち不必要な敵対心を解除してやると、心も内臓も緊張が解けて血流が復活し病気が治る準備が出来る。こんな簡単な、それでいてもっとも大切なことが出来ない身体に治癒力はない。僕の実力をさておいて言わせてもらったが、大きな病院、近所のかかりつけのお医者さんでも恐らく同じ結果だと思う。


2010年02月11日(Thu)▲ページの先頭へ
刺身
 僕は感動して返事をする度に「刺身」「刺身」と言っていたことになる。僕の口癖の感嘆詞がかの国では刺身と同じ発音らしい。変わった日本人だと思ったかも知れないが、言葉の壁が逆に僕の本質を隠してくれたことになるのかもしれない。
韓国から6人の神父様が来られ、こちらにおられる神父様2人と併せて8人の神父様が小さな教会に会してくださったことになる。歓迎の昼食会にも誘われて出席したが、その前から今日のミサには必ずあずかることに決めていた。
 今こうしている間にも、僕が幼い頃筆舌に尽くせないくらいお世話になった人が、痛みと戦っている。息子が「悲惨」と表現した痛みがどのくらいか分からないが、嘗て僕が身動き一つ出来なかった痛みに優るのだろうか。ただ撲の場合は回復が保証されていた。数日すれば少しずつ痛みから解放された。その人の場合、痛みは進行し命をも奪ってしまう。解放を約束されない痛みに人がどれだけ耐えうるのだろう。うー、うーとまるで鼓動に一致させるように声を出すのは、少しでも痛みから逃れるためらしい。「痛い」と「えらい(しんどい)」が時折混ざるがほとんど言葉にはならない。
 この数ヶ月、奇跡を神様に願った。でも今日は安らかに早く眠らせてあげてと祈った。8人の神父様を通して神様にお願いした。善良を生涯貫き通した人を苦しめないでとお願いした。ミサが終わった後、病院に行き、今頂いてきた恵を少しでも手渡したいと思いベッドの傍に腰掛け、血の通わない手と足をマッサージした。不安定な姿勢でしなければならなかったが不思議と首も腰も痛くならなかった。いつもならその姿勢に耐えれないのだが今日は不思議と身体の何処にも負担が来なかった。僕を通して恵が与えられたのだろうか。時々、正気になる一瞬があり、一度だけ笑ってくれた。こんなに痛みに襲われ、希望を取り除かれていても人は笑うことが出来るのだとただただ感謝した。
 春を呼ぶ雨は韓国の若き神父様達を僕たちの前に連れてきてくれた。友情も希望も、勇気までもが芽吹いたが、変われない季節の行き止まりでうずくまる僕の大切な人に救いあれ。


2010年02月10日(Wed)▲ページの先頭へ
西島秀俊
 優しい声だったし、丁寧な物言いだったので緊張することはなかった。おしかりでも受けるのかと思ったら、ある患者さんがとても調子が良くなって有難うございますとお礼を言われた。お礼を言われるようなことはしていないが、患者さんが、先生が見ても調子を上げていることが分かるんだと、それが嬉しかった。僕の主観では頼りないが、専門家の先生が認めているのなら確かだ。
調子が良くなれば薬を止めたくなるのは誰でも当たり前だが、減量に当たっては専門家の厳密な指導の元に行われなければならない。その大切さを共有してくださいという示唆だったのだが、僕も今の好調さを維持してもらうために少しでもお役に立てれるのではないかとすぐにメールを送った。関東に住む先生が自分の住所とクリニックの名前を言われ、僕にどちらですと尋ねられたので「岡山」ですと答えたら驚いていた。
 彼女の調子が良くなったことに僕が少しだけ関与できたとしたら、それは漢方薬だけのおかげではない。彼女は薬が無くなると毎回電話をくれたのだが、そこで数分間話す事が出来た、そのおかげだと思う。僕は彼女が決して人を傷つけない、それでいて容易に傷つけられ、それでも人を恨むことなく生きていることを知った。そんな彼女の苦しみを少しでも取り除けたらと切に願った。彼女が僕との話で笑ってくれたりしたらメチャクチャ嬉しかった。回を重ねるごとにしっかりしてきたなと感じていたが、今日先生からお話を聞いて、もっともっと快調になって、青春を謳歌してくれたらなと願わずにはおれなかった。
その為に僕はつかの間の友人でいればいいのだ。親子以上に年が離れた友人でいいのだ。岡山弁丸出しで、権威まるでなしの遠く離れたおじさんでいいのだ。身の回りにいる人に相談できずに一人で勝ち目のない相手と戦っている人達が、せめて何でも言える友人でいればいいのだ。たまたまちょっとだけ漢方薬について知っているおじさんでいいのだ。それがたまたま西島秀俊に似ていれば尚更いいのだ。


2010年02月09日(Tue)▲ページの先頭へ
突風
 出来れば名前を名乗って欲しかった。結局は処方箋を見て経緯が分かった。
こんな処方箋をもらっても作ることが出来るところは滅多にないのではないか。沢山の人の声が電話の向こうから聞こえていたので、病院の職員が電話をかけてきたのだろうが、要件は、保険調剤をしているかどうかを確かめるだけだった。処方箋には漢方生薬の名前が16書いてあった。かろうじて全種類あったが、繁用生薬でない滅多に使われる物でないのも数種類含まれているので、普通の調剤薬局に持っていっても調剤拒否に合うだろう。もっともこんな処方箋をもらったものなら、何処の薬局でも経済的にもお手上げだ。各々仕入れは500cだが、使われるのは50cくらいで下手をすればその残りを全部捨ててしまうことになるから。その上薬剤師一人を貼り付けて1時間以上はかかるだろうから経営者にとっては大赤字なのだ。薬の手配から始めたらそんな労力ではすまない。この種の事が最近僕の薬局では多い。漢方薬なら一歩譲って仕方ないとも思えるが、ごく普通の処方箋でも見られることがある。門前に薬局を出しているのに、手間のかかる長期の一包化だけは調剤拒否しているのだ。数種類の薬を服用時点ごとに、分包紙にまとめるのだがなかなか時間を要する作業だ。数日分なら簡単だが、最近は3ヶ月分くらい薬が出ることもあるので、その処方箋だけを拒否するのだ。要は損をしてまで調剤しないって事だ。どうやら分業が始まって、薬剤師も経営者も楽に食えるようになったから人に尽くすなんて前時代的な心は育たないらしい。患者に薬について説明するとその都度お金がもらえるから、丁寧すぎるくらい説明はするらしいが、果たしてどのくらい心が添えられているのだろう。
 数カ所で調剤を拒否された人が仕方なく田舎に処方箋を持って帰る。顔見知りの人だから、力のない僕たちが最後の砦になる。大きな薬局が最後の砦になるのなら分かるが、順番が逆だ。懸命に薬を集めてなんとか届けるが、田舎の人も最近ドライだから、その時の懸命の努力なんか意に介せずに次回簡単な調剤は又門前薬局でもらって帰る。残されたものは2度と使われない薬達と空虚な心。処方箋調剤以外にはあり得ない人間関係が、僕の薬局でもしばしば目撃されるようになった。一番の自慢の笑い声が溢れる薬局に時折こうした突風が吹く。


2010年02月08日(Mon)▲ページの先頭へ
吉本
 大学病院の医師が「東洋の神秘ですか?」と言ったらしい。
 僕にとってはすこぶる簡単な理屈だったのだが、そんな簡単な理屈が大学病院では通るはずがない。僕なんか足がぱんぱんに腫れていたら、筋肉部分に水が溢れているのだろうと簡単に推論してそれをさばくような漢方薬で治すのだが、さすがに大学病院では、あれでもない、これでもないと可能性のある病気を次々と除外していく作業をする(除外診断)。その検査が又大変で、勉強熱心なお子さんが学校を休むのは苦痛なのだ。松葉杖で歩かなければならない痛みよりひょっとしたらそちらの方が痛いかもしれない。でもさすがにそこまで痛めばそのお子さんも学校を休んで治療に出かけて行っていた。最終的には膠原病を疑われてその検査もしたらしい。でもお母さんはその結果が分かるまでの期間が心配だったので漢方薬を取りに来てせっせと飲ませてあげた。お子さんも今回はさすがに真面目に飲んでくれた。今まではお母さんの愛情が結構空回りしていたが、さすがに今回は何も言わずに飲んだらしい。
 検査の結果が出るまでの待機中に漢方薬で治ってしまった。でも結果を聞く日を予約していたので仕方なく病院に行った。その場での先生の言葉が冒頭の言葉になったのだ。まず治ってよかった。難しい病気でなくてよかった。この2つで僕なんかメチャクチャ嬉しいのだが、やはり偉い先生は素人のようには喜んではいられない。僕なんか足許にも寄れないような人なのだから今更どうでもいいのだが、本当は東洋の神秘ではない。言うならば東洋の、それも昔の人の知恵なのだ。神秘でもなんでもなくて、膨大な人体実験を重ねて、それを克明に書き写してきた昔の人の業績なのだ。僕は難しそうな漢方薬の診断は出来ない。4千年前の診断方法が現代に役立つとは思えない。だからそんなもの僕は重要視しない。病院で検査してもらった診断結果を拠り所に、漢方薬を、その字の通り薬として使うだけだ。現代医学の診断を重視しないで漢方的な判断に固執したら治療成績が落ちると思っている。まさに神秘的なものは排除しなければならないのだ。漢方的な診断方法を会得しない劣等生の居直りに思われるかも知れないが、漢方が現代医学に優るなんてあり得ないから、謙虚に、又ちょっとだけずるがしこく高度に発達した現代医学の恩恵を頂戴しているのだ。治らなければ、治ってもらわなければ僕らの存在意義もないのだから。
 当のお嬢さんが漢方薬をこれからも飲むか飲まないか尋ねに来たので、治ったらいらないと答えた。当たり前のことだが、数年ぶりに会えたお嬢さんを見て僕は嬉しかったことがある。その真面目一本に見えたお嬢さんが格好いいブーツを履いていたのだ。服装もおしゃれに見えた。東洋の神秘で治ってくれたのも嬉しかったが、それ以上に彼女がごく普通のお嬢さんの部分を持っているのが分かった方が嬉しかった。僕は多くのまじめ過ぎ病の人と関わってきているので、その予感がする子とは特に徹底してくだらないお喋りをすることにしている。時に怒られるが、治らないよりはいいのでますます僕は吉本になる。


2010年02月07日(Sun)▲ページの先頭へ
 目的地に急いでいたのだが、原因を確かめてみたくなった。ハンドルを握りながら危ないけれど空を見上げながら追跡した。
それは未だ見たことがない光景だった。児島湾大橋を渡り終え、淡水湖に沿って県道を走っている時だ。目の前に広がる淡水湖の西側を、まるで板状になった雲が覆っていた。遠景だから実際の厚さは分からないが、フロントガラスをキャンパスに見立てれば僅か数センチの厚さに見える。その板状の雲は低い山々が連なっている尾根から始まっていて、遠く、恐らく数百メートル先の淡水湖の上にまで達していた。初めは雲海かと思ったのだが、山とも呼べないような高さの丘?ではあり得ない。次に思ったのが霧が晴れていっているのだろうと言うことだった。ところがここに来るまでその様な状況にはなく、雲一つない晴天だった。ここまでしか僕の乏しい知識では気象については考えられない。ただ一つどちらも正しくないことはハッキリしていた。
我ながら危ない運転だと思いながらも、板雲を追って走った。雲が発生しているだろう尾根の方に向かって走っていると、あるアングルで、山肌で火を炊いているのが見えた。遠くからかなりの大きさの火に見えたので、お百姓さんがたき火している規模には見えなかった。恐らく集団で池の土手などの草焼きをしていたのだろう。僕の住む牛窓町ではもう何年も前から野焼きは禁じられているから、この数年、あのような煙は見たことがないが、玉野市ではよく見かける。まだ禁止されていないのだろうか、それとも条例を無視して昔ながらの作業を続けているのだろうか。それはさておき、雲の正体が分かった。思い出せない名前をやっと思い出したようにのどのつかえが降りたが、僕なりに原因を考えてみた。正しいかどうか分からないが、今は妙に納得している。
 風一つなく放射冷却で冷え込んだ朝、上空にはまだ冷たい空気が残っている。そこにはカーテンのように地表で暖められた空気と層が出来ていた。野焼きで発生した煙は暖かい空気で空に登るが、冷たい空気の層でそれ以上は上れない。そこでカーテンに沿って横にたなびいていったのだ。その延びた距離が半端ではなかったから、僕は煙とは想像できなかったのだ。淡水湖を渡る雄大さはそれこそ雲を思わせた。 
 カメラかビデオか携帯を持っていれば瞬時にそれは記録できるのだが、僕は感動的な光景を言葉の中に閉じこめた。再び言葉の中から光景に転写できたかどうか分からないが、僕の瞼にはネガとしてハッキリ残っている。ボタン一つで取り出すことは出来ないけれど、言葉を紡ぐことで伝えたいこともある。
 僕は今日、空と遊んだ。


2010年02月06日(Sat)▲ページの先頭へ
羅針盤
 お世話になっている若い税理士さんが自嘲気味に、パソコンなどが進歩するに従ってどんどん忙しくなっていると言った。作らなければならない書類などが逆に増えたような気がするからだそうだ。
 それを聞いていて、僕もなるほどなと頷ける部分が多かった。薬局の中でもコンピューターを組み込んだ器機が沢山あって、調剤や書類作成、処方箋請求事務、相談業務など多くに貢献してくれている。もしそれらの機械がなくなれば、何人のスタッフで穴埋めしなければならないだろう。恐らく数人の人間が新たに必要になると思う。いわば数人分の労働をパソコンを駆使してこなしていることになる。そうしてみれば忙しくなるのも当たり前なのだが、時間も健康も経済も、ひたすら出ていく物になった。手に入れる物ではなく出ていく物、運がよくて収支トントンだ。色々な便利を駆使して自分の首を絞めているわけだが、これから先、行き着くところが想像できない。いや、行き着くところさえないのではないか。
 漂着は目指すところに愚弄され、羅針盤はこびた笑いを浮かべる。


2010年02月05日(Fri)▲ページの先頭へ
駐輪場
 風もなく晴れ上がった冬は気温を容赦なく下げる。校舎の3階から眺める海の景色を真正面の高層マンションが丁度二分している。校舎のベランダに立つと手先と足先がかじかむ。太陽の光だけは春を先取りしているが、教室で真剣に黒板に向かっている生徒達には届かない。戦後この町を引っ張ってきた大きな工場の跡地はさらされたまま無気力に横たわっている。無造作に囲われたエリアは草一つ生えていない。多くの労働者の命を産み、命を看取ったコンクリートの床が墓標のように残されている。
 「同じ瀬戸内市の学校でもここの生徒は違いますね」養護教諭の言った言葉は実感に裏付けされている。駅に近い学校と離れている学校という表現を彼女は使った。その視点は僕には思いつかなかった。駅に近い学校、いわゆる荒れている学校を経験している彼女には、駅から遠く離れた、不便という言葉が似合う海辺の町の生徒の純朴さには驚いたようだ。きっといい驚きなのだ。僕は学校保健委員会で30年ずっと言い続けてきた。この町で子供を育てることのなんて簡単なことかを。放っておいても子供はとても純朴に育つ。卒業して都会に出ると、牛窓の子は免疫を持っていないから危ないと言った医師もいたが、僕はそうは思わない。汚れなき時代が多いことが何のハンディーになろう。よい人に囲まれて育つことが何のハンディーになるだろう。田舎だからと言って決して過度に他人の視線に晒されることもない。濃密すぎる人間関係でもないのだ。僕に言わせれば程良い田舎が彼らを程良く純朴に育てていると思う。何も派手さはないけれど、他者を傷つけることを本能的に忌避できる最低限の礼儀を身につけている。世の称賛を浴びるような人物は出ないかもしれないが、どこかで誰かを優しく見守れるような人物が、漁船の上で網を引き、田圃の畔でしりもちをつく。駐輪場のヘルメットに春よ来い。


2010年02月04日(Thu)▲ページの先頭へ
気まぐれ
 不謹慎かもしれないが、僕が一番聞きたかったのは「その時自分はどうしたの?」につきる。滅多に経験することでないから、興味本位と言うような軽い気持ちではなく、本心で体験者の具体的な声を聞きたかったのだ。何かにその経験を生かせると思ったのだ。
胃のあたりを押さえて入ってきた女性は潰瘍持ちだ。でも今日は特別痛そうで顔をゆがめている。いつもの胃薬を出していたら彼女の方から特別の理由を教えてくれた。何でも近所で、と言っても隣の隣らしいが、火事があり、人一人やっと通れる路地のおかげで類焼を免れたというのだ。隣の家は運悪く全焼したのだが、彼女の家は煙が入ってきただけで助かったというのだ。そう言えば数日前沢山の消防車が走っていった。まさにその当事者だったのだ。
火事の様子を話し始めたのだが、僕が興味があったのはまさに現場にいた彼女がどんな態度がとれたかって事だった。だから冒頭のような質問を単刀直入に切り出したのだ。僕より年上だと思うが、いつも彼女は男勝りの言動で、それこそ若い男達を現場で取り仕切っている。一見恐ろしいようにも見えるおばちゃんだが、実はその時泣いていたそうだ。身動き取れずにひたすら泣き叫んで、消防士に早く消してとお願いしていただけらしい。両脇を近所の人が抱えてくれていたというのだから、狼狽ぶりは想像に難くない。ああ、やはり長年の人生の集積が目の前で炎に焼き尽くされるという恐怖は半端ではないのだ。ただでさえ不景気のご時世だから、復活は並大抵ではない。だから瞬時に色々なことが頭をよぎったのだろう。まさに腰が抜ける状態に彼女はなったらしい。
 持病の胃は、事業のこともあるが煙草の吸いすぎだ。ビールも止めれない。一見豪快に見える人でも冷静さはたもてられないらしい。「よかったじゃないの、もし燃えていたら僕の胃薬くらいではすまないよ」と笑いながら言えるのは、風一つなかった冬の気まぐれのおかげ。


2010年02月03日(Wed)▲ページの先頭へ
製造中止
 又かと言いたくなるが、目の前に腰掛けているセールスに言っても仕方がないので黙っていた。ひたすら低姿勢で彼は謝っていたが、僕に謝ってもらう理由はない。何回「どうってことないよ、自分のせいではないのだから」と繰り返してもただただ謝ってくれる。僕は彼より優位な立場にいる人間でもないし、勿論彼より下でもない。皆な同じというのが僕の基本的な考えだから、上になったり下になったりするのは好まない。誰が悪いのでもないから時代のせいにしておこう。見えないもののせいにしておけば人は誰も傷つかない。それがいい。傷ついても傷つけても心は空しいから。
この所相次いで薬の製造中止の連絡が入る。もう何十年も薬局で推奨していたようなものから、この数年華々しくデビューしたものまで様々だ。理由は至って簡単だ。利益が出なくなったから。以前なら、その様な商品を数点抱えていても、他で利益が出せるからメーカーも製造は続けていた。患者さんのためを思って我慢して作り続けていた。ところがこの数年、その経済的な余裕のなくなり方が、せめてもの商道徳の防波堤をいとも簡単に乗り越える高波となった。その勢いは止まらないし、止められない。収入が目減りしている国民がより多くの薬を購入するなんて考えられない。寧ろ多少の疲労や病気は我慢するようになった。売れなければ作らない。損をしてまで作らない。ドライな選択だがそれに口を挟むことは誰にも出来ない。仲介役の僕らは作り続けてとお願いするしかないのだが、末端のセールスに言っても会社の上層部に声は届かない。薬局の段階で今までどおりの効果を他の薬で得てもらえるように工夫をするしかないだろう。
 掃いて捨てるほどの物を作り、掃いて捨てるほどのお金で買い、掃いて捨てるほどの贅沢心を満たしていた虚構の時代は終わった。欲しがりません勝つまではの親に育てられ、欲しがりました何もかもで育ち、欲しがれません何もかもで完結するのだろうか。


2010年02月02日(Tue)▲ページの先頭へ
モデル
 別に自慢げに見せてくれたのではない。数日前、急に襲われた腰痛を急いで治さないといけない理由を教えてくれるために、財布からおもむろに取りだしただけなのだ。それはそうだろう、もう数年体調が悪くなるとその都度漢方薬を取りに来てくれる女性だから、見せびらかしたいのならもう随分前に見せてくれているだろう。働き者と気がいいひと以外のラベルは彼女には似合わないから、写真を取りだしたのも如何にも自然だった。その時の笑顔は一瞬腰痛を忘れていた顔だ。それだけ孫は可愛いのだろう。
孫ではなくても写真に写っている女の子は本当に可愛かった。モデルのようにポーズをとっているからモデルかと思ったら本当にモデルだった。持って産まれた顔かたちは勿論、まるで大人のモデルのように洗練された被写体だ。いくつかの企業名と個人名を上げられたが、残念ながら僕はそのうちの一つも知らなかった。コマーシャルに出演している企業名や、共演している人の名前だったのだが。
この種の事には全く疎いのだが、それなりの勉強?訓練?をしているらしい。お孫さんは僕が口にした「子供店長」ほど活躍しているわけではないらしいのだが、それでも結構忙しいらしく、モデルはいやと言っているらしい。ああしろこうしろと言われてポーズをとることがお孫さんにとっては苦痛ならしい。実はこのことを聞いて僕はほっとしたのだ。子供が大勢のスタッフに囲まれて笑顔を作ったりする作業を僕は想像しただけでも苦痛なのだ。だから今人気の子供店長がテレビに出たら必ずチャンネルを変えている。凝視できないのだ。出来すぎの立派なお子さんだとは思うのだが、集中砲火の様なフラッシュの中で演じる出来すぎが痛々しいのだ。自慢のお子さんかもしれないが、子供には子供の言葉があり、感性があり、不完全さがあり、そして何よりも自然な笑いがある。
 一人田舎で懸命に働いているおばあさんが、久々に娘や孫に会いに行く日が迫っているらしい。モデルを辞めたい都会のお孫さんに、日焼けして皺だらけの働き者のおばあちゃんはどう写るのだろう。フラッシュをたいてくれる人はいないかもしれないが、自然に漏れる多くの笑顔と飾らない賛辞が花束となって、朝まだき、自転車の籠にそっと置いて行かれるのではないか。


2010年02月01日(Mon)▲ページの先頭へ
完結
 30年も現場にいれば、薬がどのくらい効いてくれるかはだいたいが想像つく。薬局は何でも科だから雑病を基本的にはお相手するのだが、こちらの頭も雑だから丁度バランスがとれているのだろう。
ところが時に実力を越える相談が舞い込む。この場合は、必然的に薬の効く確率がどっと下がる。救いを求めてきている方に確率が低いと言うだけで断るわけには行かないが、限りなくゼロに近い場合は仕方なく断る。確率がまだ少しでもあるものは挑戦することになるが、決してそれは希望に溢れる仕事ではない。それでも苦しみから解放してあげることが出来たら、互いが幸せだから思案を重ねる。そんな時はそれこそ祈る気持ちで薬を作ったり選択したりする。丸投げの神頼みではなく自分が培った全知識を費やして懸命に考え、その結果だけを神頼みする。
今まさに祈る気持ちで結果を待っている人が日本中で溢れている。本人は勿論、両親、おじちゃんおばあちゃんまでが、子や孫の朗報を待っている。僕も薬が縁で数人の朗報を待っていて、もうすでに1人朗報を手にした子がいるが、全員後に続いて欲しい。勉強が出来る環境を与えられ、進学することを許される経済的な裏付けがあり、後は努力した結果が証書で与えられれば彼らの青春前期が完結する。思えば人間は、20年もかけて学ぶ悠長な動物だが、そのことがもっとも人間らしい行為なのかもしれない。学んだものを生かす期間が、それの何倍も保証されていないにもかかわらず、根気強く学び続けることが出来るものだ。もうすぐ首から上を鍛えた青年達の勝利の声が完結を告げる。制度からの解放を勝ち取るその瞬間に青春前期が完結する。縁の出来た青年達が誰一人未完のままで本を閉じて欲しくない。みんな素晴らしい個性的な作品を20年近くかけて書きつづって来たのだから。


   


漢方薬を初め天然素材の薬を用いて、さまざまな慢性疾患の回復をお手伝いします。
お店のホームページ
お問い合わせフォーム

☆★ FAXで漢方相談 ★☆
※漢方のご相談は「漢方相談FAX用紙」を印刷し、ファックスもしくは郵送でヤマト薬局までお送りください。

新着エントリ
本丸 (6/23)
必然 (6/22)
生花 (6/20)
武器 (6/19)
偏差値 (6/18)
感性 (6/16)
修正 (6/14)

新着トラックバック/コメント
沈黙 (6/23)
(6/23)
友情 (6/23)
成長 (6/23)
奇跡 (6/23)
普通 (6/23)
平穏 (6/23)
緊張 (6/23)
接点 (6/22)
禅問答 (6/22)

■店舗名■
有限会社 栄町ヤマト薬局

■住所■
〒701-4302
岡山県瀬戸内市 牛窓町牛窓4808-3

■連絡先■
[TEL] 0869-34-5466
[FAX] 0869-34-6017
[E-mail] ご相談はこちら
[URL]

カレンダ
2010年2月
 
           

アーカイブ
2006年 (266)
4月 (25)
5月 (29)
6月 (31)
7月 (30)
8月 (31)
9月 (29)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (30)
2007年 (354)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (30)
4月 (31)
5月 (30)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (22)
11月 (29)
12月 (31)
2008年 (366)
1月 (31)
2月 (29)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2009年 (364)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (29)
12月 (31)
2010年 (364)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (30)
11月 (30)
12月 (31)
2011年 (364)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (29)
12月 (31)
2012年 (365)
1月 (31)
2月 (29)
3月 (30)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2013年 (366)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (32)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2014年 (365)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2015年 (364)
1月 (31)
2月 (27)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2016年 (365)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2017年 (174)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (23)

アクセスカウンタ
今日:621
昨日:5,202
累計:6,567,987