栄町ヤマト薬局 - 2010/01

漢方薬局の日常の出来事




2010年01月31日(Sun)▲ページの先頭へ
 全てがその方の講演を聴くために誰かが仕組んだ罠だったのか。
まず学校薬剤師会の講演がつまらなかった。新人会員のために企画したのかもしれないが、それならそれで趣旨を細かく説明しておいて欲しかった。でもそのおかげで僕は中途で席を立った。次に、ちゃっかり無料で置ける場所に車を置いていて、その場所に戻ったのだが、僕の車の真ん前に数台の車が横付けにされていて出るのを阻んでいた。これが2番目の偶然。仕方がないから時間つぶしに商店街のアーケード下まで戻り、早朝見つけていた物産展のプリンを買った。入院している叔母にお土産で持っていくために。早朝似合いもしないのに美味しそうなプリンを見つけていたのが3番目の偶然。再び駐車しているところに戻る途中に、ある夫婦に遭遇した。本来なら玉野市で会うべき夫婦なのだが、岡山市で会った。その夫婦がたまたま岡山市に来ていた偶然。そしてその夫婦がとてもよいお話が聞けるからと講演のことを教えてくれた。この4つの偶然のおかげで本当に心から感動する、又勇気づけられる話を聞くことが出来た。3時間に渡る講演内容を僕の筆力で伝えることが出来ないが、ただ一つ僕の心の中で住み続けていた罪悪感と共通する経験を話されたので披露する。僕の何百倍の人格を有しておられるのか分からないが、その方だってあり得たのだと言うことを教えて頂いて、少しだけ楽になれたし、これをきっかけに一から自分の精神を鍛え直せばいいのだとも思った。
 全てその方の話。そしてその方という箇所を僕と言い換えれば全て僕自身の話。
 ある飲み会に行こうとしていた時、後ろから障害を持っている青年に一緒に行こうと声をかけられた。その方は直感的にまずいと思ったそうだ。歩くのも遅いし言語もハッキリしない。飲めば尚更だ。それでも仕方なく一緒に行ったそうだが、会場に着くと離れて腰掛けた。自分は話題が豊富で愉快な方達と一緒の席に腰掛け、時折遠くで孤立している彼の方を向きジョッキを上げて乾杯などと声をかける。申し訳程度の接点を作り体裁を整えていただけなのだ。さすがに帰りは気が引けたので一緒に帰ったらしいのだが、彼が「温かいお酒を飲んでいるのにどうして心は寒いのでしょうね」と呟いたらしいのだ。
精神を鍛え直すと言ってもそう簡単に出来ることではない。まして僕ら凡人は安易な方向にしか流されない。上流を目指す気概はない。でもその方はさすがに克服の方法を教えて下さった。時間をその人のために使うという解決方法なのだ。1時間、彼のために自分の全てを費やすのだ。これなら僕にも出来るかもしれない。嘗て同じような場面で、たった1分も割かなかった自分が恥ずかしい。「向き合えば命流れる」とも教えて下さった。誰とも等しく向き合える勇気と忍耐が欲しい。


2010年01月30日(Sat)▲ページの先頭へ
二重基準
 頭をひねって、これなら法律をクリアするだろうと自信を持って作ったキャッチコピーだったのだが、ことごとく討ち死にした。僕も数点大きな製薬会社が作った健康食品なるものを扱っているが、当然健康食品は効能を訴求できない。でも無造作に陳列しているだけでは売れないので、せめて何に使うかぐらいは訴えたくなる。身体にいいから程度のキャッチコピーでは説得力もないし、そもそも身体の何処にどの様にいいのかさっぱり分からない。手八丁口八丁の人なら何もないところから販売に結びつける醍醐味を味わえるのだろうが、僕ら薬剤師はその種のことがおおむね苦手だ。特に僕は若い時、薬をああだこうだと説明して販売することに疲れた人間だから、現在は基本的には何も喋らない。相手が欲しがるまでひたすら待つだけだ。それ以外の努力?はしない。あわよく販売できても、何の効果もなければ失うものの方が大きいことをよく知っているから。
薬務課から来たのは高校浪人時代の同級生だからやんわりと僕の法律違反を指摘したが、それでも「よく考えているなあ」と感心していた。感心するなら見逃してくれればいいと思うのだが、そうはいかないらしい。ブルーベリーエキスの「目に愛を」これはセーフ。イチョウ葉エキスの「親が早死に」これはアウト。コラーゲンの「お肌のみずみずしさに」はセーフ。カモミールの「不眠症」これはメチャクチャアウト。CQ10の「どうせならちゃんとした製薬会社が作ったものを」これはセーフ。ざっとこんなキャッチコピーが並んでいたのだ。彼がこんなに学生時代気がつく男だったかどうか知らないが、職業柄かじろじろと薬局内を物色する。因果な仕事だとは思うが、そこはそれぞれ個性なのだろう、今までよく頑張っている。組織の中で時代の流れについていくのは難しかろうによく頑張っているものだ。僕なんか1日で辞めたのだから。
 話は逸れたが、彼にテレビ宣伝のことを言ってみた。石段を上がりながら、お膳を運びながら、踊りをしながら、コンドロイチンやグルコサミンのおかげですと言うコマーシャルが毎日テレビで垂れ流しされている。あれを見たら確実に健康食品と膝の痛みを関係づけて購買に結びつけられる。あれこそ連想ゲームそのものだ。これを違法と言わずに何を違法というのだろう。資本力があるから、専門家や法律家を雇い、法律をかろうじてクリアするように考え抜かれているのだろうが、僕らとは法律すれすれにしても規模が違う。ほんの数千人の小さな町と日本中。人が滅多に入ってこないような薬局と、お茶の間に侵入できる宣伝力。どんなに知恵を絞っても売れもしない僕らとは、規模が違う。「巨悪を何とかしろよ」と彼に言ったら彼は笑いながら「まあまあそれは」と言葉を濁した。僕は余りにも規模が違いすぎるから目くじらを立てるような事はしないが、世の常ここにありと言う感じだ。えてしてこんなものだ。蟻一つ殺せないような僕らの不手際には厳しいが、原爆を落とす力がある人には寛容だ。二重基準を上手く操る事が出来る人は上手く世の中を歩くことが出来る。偉い人にはほとんど必須条件だ。
 僕は生涯、小悪で通す。1万円拾えば交番に届け、千円拾えばちょろまかす。いやいや、これも又かの有名なダブルスタンダードか。


2010年01月29日(Fri)▲ページの先頭へ
思案
 僕の回りにはそんなに頑張っている子がいないので実感がないのだが、頑張り屋さんはおおむね体調を過信してしまうから、頑張らないでとつい言ってしまう。普段僕がよく使う「頑張らないで」とはちょっと彼女の場合異質ではあるが、表現としては同じになってしまう。
 根っから勉強が好きな子もいるんだ。いや好きとは聞いていないが、将来のために頑張らないと仕方ないと明確な目標を持って勉強できているみたいだ。決して体力に恵まれているわけではないが、その気力たるやどこから湧いてくるのだろうと思ってしまう。驚いたのは、みんなで頑張ろうとクラスで目標を書きあうように提案したと言うから脱帽だ。僕らの時代には受験生ブルースで唄われたように、表面的には遊んでいるように見せかけて陰で勉強する、試験の後は全然あかんと答えておいて後でショックを与えるのが常套手段だったから、このみんなで頑張ろうは青春映画さながらに見える。もっとも僕は唄のようには行かなくて、表面で遊んで裏でも遊び、全然あかんと公言したとおり全然あかんままで受験期は過ぎ去っていったが。
この母親は懸命にそのお子さんに勉強をさせまいとしている。立派なものだ。本気で頑張らなくなる漢方薬を所望された。勿論そんな薬はないから断ったが残念がっていた。あのおおらかさがお嬢さんにも遺伝していたら、少しは親が心配しなくてもいいくらいに手を抜いてくれるのだがと、妙な心配をする。受験で、ひいては競争で彼女のように鍛えられる子もいれば落ちこぼれの烙印を押されリングから去っていく子もいる。敗者復活のチャンスに恵まれなければ、再びリングには上がれない。勉強の動機付けを見つけることなくリングに上がり、奮い立つことなくゴングが鳴れば逃げ回るか死んだ振りをするしかない。歓声は勝者には心地よいが敗者には矢のように突き刺さる。
 深夜放送で受験生ブルースを聴いて、世の中を斜めに見ていれば時計の針が笑っていた時代の行き着いた先が、今の過酷な「お受験」なら、サーカスから逃げ出したクマのように鮭を獲る思案にくれていた方がよかったのかもしれない。


2010年01月28日(Thu)▲ページの先頭へ
掌蹠膿疱
もしこの女性が最初から掌蹠膿疱症で相談に来ていたらここまで完全に治すことが出来なかったかもしれない。掌蹠膿疱症など超慢性疾患をじっくり治していくのは現代人は苦手だから。治ることすら奇跡のような病気でもわずか2週間しか我慢できない人も一杯いる。辛抱が足りないのか、情報に振り回されているのか分からないが、首から上だけで暮らしている現代人の弱点でもある。
 彼女を僕がお世話しているのは心のトラブルだ。小説のモデルにでもなれるくらいの悲惨な人生が彼女を苦しめているが、それが彼女の魅力でもある。でも幾多の精神的肉体的な苦痛は取り除かれなければならない。そのお手伝いをさせてもらっているのだが、「そう言えば気がついたんですけれど」とぼそっと教えてくれたのが「掌蹠膿疱症」が治ったって事だ。心が元気になったらそちらもやろうと言っていたのだが、そちらの方が早く完治してしまった。勿論心の方も随分元気になって、僕も会うのが楽しみなくらいなのだが。
 何故、心のトラブルの治療をしていて掌蹠膿疱症が治ったのだろう。不思議なようだが僕にとっては不思議ではない。心のトラブルで使用する薬と掌蹠膿疱症で使用する薬が一つだけ全く重なるのだ。だいたい薬局に来る人は現代医学で無効だった人が多いから、根本的な手当をしないと治らない人が多い。そう言った視点から使う薬が偶然一致していたのだ。辛い心を治すのだから一生懸命飲んでくれた。その結果が皮膚病にも出たのだ。完全に掌蹠膿疱症だけを狙った処方ではないが、根気強く飲んで体内のあるところの環境を整えればやはり治るんだととてもよい実験をしてくれた。
 縁あって来てくれた彼女に多くを与えることが出来ないのに、逆にこんなに素晴らしい知見を与えてもらった。2週間で治る奇跡を求めずに腰を据えるおおらかさも必要だと思い知らされる出来事だった。


2010年01月27日(Wed)▲ページの先頭へ
包丁
 どんな意図が隠されているのだろうかと勘ぐりたくなったから、勘ぐって、行動した。これがいわゆる門前薬局という立場にいたら到底出来ないが、僕はフリーな状態にあるから遠慮無く行動できた。そしてつい今し方本人にとって最高の結果が出て喜び合えた。
昨日ある夫婦から相談を受けた。先週、主人の親がある箇所から出血して診療所を受診した。診療所では分からなかったので、その系列の小さな病院に翌日回された。それでも分からないと言うことで、と言うより腫瘍の可能性があると言うことで、岡山市のある病院を紹介された。その病院には土曜日に偉い先生が来るから見てもらえと言うのだ。土曜日までまだ4日ある。出血して受診してから1週間待てと言うのだろうか。病院から帰った親にその予定を聞かされた若夫婦が相談にきた。腫瘍の可能性があると言われお父さんは落ち込んでいる。何か不自然なものを感じた夫婦がどうしたらいいかというので、僕の息子が勤めている病院に行くように勧めた。息子に○○さんが行くから○○先生に頼んでいてといったら、そんなことが言える間柄ではなく教授級だと教えてくれた。先生とか教授とかが苦手なのはどうやら僕譲りらしいが、そんなに偉い先生ならよけい勧めてよかったと思った。
どうなったのだろうなと気にしながらの一日だった。4時頃に息子さんがやってきて、ガンではなくただの砂だと診断され全く別人のような表情で帰ってきたと報告してくれた。よく知っている家庭なので僕もとても嬉しかった。こんな朗報を何日待たせるつもりだったのか。腫瘍の疑いがあるのに何故、偉い先生がいる病院を直接紹介せずに、その先生が週に1度だけ来る小さい病院を紹介したのだろう。老患者が医師の言われるままに行動するのは当然で、もし若夫婦が疑問を持たなければ後何日も死の予感と戦っていたはずだ。何の意図が隠されているのだろう。僕にはあずかり知らぬ分野だが、違和感は限りなくある。まな板の上の鯉にだって自由もあれば権利もある。錆びた包丁はごめんだ。


2010年01月26日(Tue)▲ページの先頭へ
補助教員
 テレビで見ていただけで、実際に目にしたのは初めてだ。でもいいシステムだと素直に思った。
学校薬剤師という肩書きを持っているので年に数回町内の学校を訪ねる。最近よく目にした光景が授業中なのに生徒が勝手に、それこそ自由に教室を出入りする姿だった。昔人間の僕にとっては信じられない光景だが、いわゆる学級崩壊という奴だろうと思っていた。
 ところが今年すでに3校回ったが、その様な光景は見られなかった。寧ろ学校が静まりかえっているような印象すら受けた。廊下の窓ガラス越しに全ての教室を覗いたが、子供達は一様に静かに黒板の方を向いていた。この変化は何だろうと漠然と思っていたのだがその答えが今日分かった。
 ある教室に入っていったとき、既知の女性に会った。僕もびっくりしたが向こうも驚いた様子で「今ここで働いているんですよ」と言った。授業中なのに死語は大丈夫かと思ったが、そこは牛窓、張りつめた空気とは無縁だからニコニコしながら話しかけてくる。さすがに僕は部外者だからそれ以上は会話を繋がせないようにしたが、後で同行してくれていた養護の先生が「補助教員なんです」と教えてくれた。これがあの新しい(?)システムなんだと感心ひとしきりだ。その効果はてきめんで授業の能率が上がっているのは教室に入った瞬間から分かった。いや、廊下を歩いていただけでも分かったのだから大したものだ。
似合わないことを言うが、教育的立場からしても嬉しかったが、違う意味でも実はとても嬉しかったのだ。実はその女性には20年前に漢方薬を1年半くらい飲んでもらったのだ。そのおかげで赤ちゃんができたのだが、彼女のご主人とスポーツで親しかった縁でどんなことがあっても無事出産までこぎ着けて欲しかった。だから妊娠が分かってから念のため教員を辞めてもらったのだ。彼女も余り迷いはなかったのか、すぐにその様に行動してくれた。おかげで今はもう大学生と高校生の母親になっているが、以来何となく仕事を辞めてもらったのが正解だったのかどうか思い出しては自問することがあった。時々薬局に来るからその根っからの人の良さに懸念は忘れさせてもらっていたが、今日形は違っても教室に復帰している姿を見て嬉しかった。両方(お子さんと教職)を手にしてもらえたんだと勝手に納得した。
 ニュースを見れば沈滞した世相の垂れ流しだが、地味でもなかなか心温まるシステムも導入されているのだとほっとした。


2010年01月25日(Mon)▲ページの先頭へ
野球
 こんなに幼い子が野球をやっているのかと目を見張った。学校が休みの朝、目の前の道路をある時は数人の集団で、ある時は一人で、小学生が道路の端をランニングしながら通り過ぎた。最後尾の辺りはどう見ても低学年のようにしか見えない。ユニホーム姿がりりしいと言うよりも痛々しく見える。最初に走り去った少年との体力は雲泥の差がありユニホームすら重たそうに見える。
休日だから恐らくスポーツ少年団の活動なのだろうが、指導者はかなりの繊細さを求められるだろう。低学年用に軟式ボールが作られているのなら心配はないが、あの体で上級生と同じボールを投げるのだろうか、肩は壊しはしないかと老婆心が覗く。
もっとも僕が息子と娘のためにそれぞれサッカーとバレーボールのスポーツ少年団を作った時など、何も分かってはいなかった。ただ自分がそれが出来ると言うだけで、又親馬鹿だけで作ったのだから危ういものだ。運良く僕のチームの中で熱心な人達がいて、実質は彼らが熱心に指導をしてくれた。おかげで、預かっている子供達に怪我をさせることもなく、少しは役に立てたのかという満足感で卒業することが出来た。世の中には、とんでもない正義感や愛情で考えられないくらいのボランティアが出来る人が一杯いるが、同じボランティアという名前を使ってもらうのは気が引ける。比べるのも失礼なほど、所詮自分の遊びの延長でしかなかったのだから。寧ろ子供達に遊んでもらっていたという表現の方が正しいかもしれない。
恐らく一番幼い子供達が肩をゆらしながら走り去った後を見ながら、生命力のすばらしさを感じた。走るって事は実は大変な作業だと思う。走れる間ってのは結構その人の生命力の指標になると思う。「走れている間は大丈夫」そんなくくりかたもできるくらいのもののような気がする。「運動会でダイナミックに転ぶようになったら終わり」こんなくくり方が出来るように。僕も数年前バレーで腰を痛めてから走ることがなくなった。実際今走れるのかどうかも分からない。走ってみたいがあの時のようにその場に倒れ込むかもしれない。それが恐ろしくて未だ走っていない。あれ以来僕の走りは「血走る」ことと「先走る」ことだけになってしまった。


2010年01月24日(Sun)▲ページの先頭へ
含蓄
 食事時間が重なったり、風呂に入っている時間に見たりするから、週末以外はそのチャンネルに合わせてしまうことが多い。朝は朝で、昼は昼で、夜は夜で後味の悪さに不快になる。果たして僕だけの感情なのかあるいは若干の普遍性はあるのか分からないが、堅いことを言わせてもらいたい。
朝は、例の無実の人を人相から犯人らしく報じた輩。普通の神経ならマスコミに露出できないと思うのだけれど、そこはさすがにお金の魔力。なんのことはない、稼ぎまくっている。凝りもせず分かった顔をして、いやいやより質の悪いことに正義感を振りまいて、言いたい放題だ。どのくらい良心的に暮らしているのか知らないが、よくも言えたものだと思う。まさか弱者や貧乏人の味方ではあるまいに。
 昼はその彼が以前やっていた番組の後。僕はニュースが見たくてその時間にチャンネルを合わせるのだが、ニュースの途中に司会者がくだらない話題で介入する。伝えられるニュースの多くは世の避けられなかった不幸な事件のことが多い。犯罪や事故に遭遇した人達の、いやいやそれに留まらず多くの周辺の人達も一瞬にして不幸のどん底に陥れられている、そんなニュースを伝えた後に、まるでタレント気取りのアナウンサーに冗談を言う傲慢さが許せない。他人の不幸も単なる商品なのだ。
 夜は神経質そうなメガネをかけた男が伝えるニュース番組。言葉の抑揚や、間で、ニュアンスを伝え、自分の考えを暗に押しつけている。ふがいないのは、そこに出てくる解説者みたいな男。安易に同意するだけだ。そもそも出来レースを見させられているのではないかと最近は分かってきたので、チャンネルを合わせることが少なくなった。あのしたり顔の表情や話し方が不快で仕方ない。
見なければいい。もうそれしかないと思い始めている。くだらないタレントばかりの番組か、出演料欲しさの評論家?の単なる営業に目くじらを立てる必要もないのかもしれないが、いやしくも電波を優先的に使うことが出来る者達はもう少し謙遜であって欲しい。素人に毛が生えたくらいで何をえらそうにしているのかと疎ましくなる。買い物に来るおじさんやおばさんの方が余程見識がある。含蓄は日に焼けて皺だらけの顔の谷間にこそ宿る。


2010年01月23日(Sat)▲ページの先頭へ
濁流
 僕がもし今気に入った曲を見つけて、その音楽を楽しみたいと思えばやはりCDを買うしかないのだが、今やそのCDの売り上げが60%も落ちているという。原因はやはり携帯電話で、携帯だと直接音楽が聴けるのかな?取り込めるのかな?携帯を持ってもいないし使ったこともないので、この辺りの詳細はニュースだけでは理解しきれなかった。細かいことは分からないが要は携帯のおかげでCDまでもが売れなくなったって事だ。携帯は今や何でも出来る道具になっているらしいから、今まであった生活関連の道具を駆逐している。関係ないみたいだが、それに要するお金で若者から車まで遠ざけている。携帯一つでいくつもの道具の機能を代行できるようになったのだろう。何処まで進化し、何処まで周辺を駆逐するのか空恐ろしいものがある。あんなに小さい機械で空まで飛べそうな勢いだ。機械の原始人の僕からすればとんでもない世界だ。いったいその業界はどのくらいの就業者を増やし、その他の関連会社の就業者をどのくらい減らしたのだろうかと思う。栄枯盛衰を日々目の当たりにしてとんでもないスピードで時間だけが流れていることを知る。取り残される恐怖は僕ら世代はもう諦めに似て感じないが、若い人達にとっては死活問題かもしれない。失うものに手を差し伸べる余裕もなく、ただただ上流から流れてくるものをすくい上げることで必死なのではないか。あらゆるものも巻き込んで押し迫ってくる濁流に僕には見える。木々の中を流れる清流でもなく、メダカを追う水温む淀みでもなく、怒り狂った濁流に見える。
 立ち止まって耳を澄ますことも、立ち止まって見上げることも、ましては、寝転がって両手両足を伸ばすこともはばかれる刃物のような時間に、つま先だって歩くことを強要されている現代人が見える。時代遅れと言われようが、鼓動を追い抜いて生きることは誰も出来ないしさせてはいけない。かけがえのないものは、かけがえのないものだけのためにあるのだから。


2010年01月22日(Fri)▲ページの先頭へ
牛窓西小学校
 一酸化炭素の検知管を教室に設置してから出て、三階の廊下から外の景色を眺めていた。牛窓だからと言って全て海が見えるわけではなく、西小学校からは申し訳ない程度にしか見えない。ふと下に目をやると白い大きなウサギが廊下に沿って作られた細長い庭をはねていた。教室3個分の長さの庭だから幅2メートルくらいと言っても結構な空間だ。最初は小屋から逃げ出したと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。走っていった逆の方に又帰っていって、小屋の中に自分で入っていったから。すると今度は白にネズミ色の斑模様のウサギ2匹が出てきた。同じように少し跳ねては止まりを繰り返し遊んでいた。 ウサギは勿論僕の存在を知らない。はるか3階から見られているとは思わないだろう。ウサギと人間の交流がどの程度親密なものか知らないから、彼らの僕に対する警戒心などが想像できないが、無邪気に跳ねるウサギたちがとても可愛く見えた。静かに進行している授業との対比がとても興味深かった。授業が終わると子供達がウサギを抱くのだろうか。それとももう慣れてしまってお互いがお互いであり続けるのだろうか。
 教室を見て回った後、1階に下りるとさっきのウサギの空間に柵がないことが分かった。養護の先生に尋ねると、そんなものが無くてもそのエリアから逃走などしないのだそうだ。満ち足りた生活なのだろうか。決まって与えられる餌の魅力なのだろうか。近くで見たら結構可愛い顔をしている。そしておとなしい。なくのかなかないのか知らないが、これなら邪魔にはならずに、好感を持たれるだろうなと思った。
ところで僕はウサギ族に謝らなければならないことがある。長い間誤解していたのだが何となく最近分かってきたのだ。分かるのに何十年要したのだろう。唱歌の「ふるさと」を歌うたびに僕はウサギを食べていたのだ。「ウサギ美味し」と歌い続けていたのだ。まさかウサギを追っていたとは。僕ら海辺の人間には分からない。




2010年01月21日(Thu)▲ページの先頭へ
 いくらよい報告でも、まだ夜が明けていない時間帯にされるとどきっとする。この辺りがまだ道半ばの証拠だろうし、そもそもの病気の所以でもあるが、内容が良かったのでまだ許される。
毎日病院に、それも1日2回通っても保険上問題にならないのかと思うが、1年くらいその様にしているから支払基金から問題を指摘されていないのだろう。そうしてみると恵まれた制度に日本人は守られていると思う。逆に整いすぎた制度のせいでとても打たれ弱い自立心のない生物にされている事もいがめないが。
 昨夜、何年かぶりにカラオケに行ってブランディーも2杯飲んだという報告なのだが、もうそれは奇跡に近いことだ。年が明けて相談に来たときは浦島太郎かと思った。かつてある分野で秀でていた人で、僕もかなり教えを請うた人だった。嘗てを知っている人にとってはその変容に驚きを隠せないだろう。それが証拠に不調ぶりは噂で聞いていた。親しい人達は気の毒がり、そうでない人達はそれ見たことかと溜飲を下げる。元々関係性において評価は全く二分されるような人だった。
 老人は老化と間違われてしまうが、意外とウツを患っている人が多いと思う。鬱々とした症状を病院で訴えても病気ではなく老化と診断されてしまう。だから薬も大したものをもらっていない。勿論沢山の患者が待っているときに身の上話も出来ないから、肩が凝るとか眠れないとかのどうでもいい症状を訴えて、医師の判断を鈍らせる。医師も老人を本気で相手にしていないから、適当にあしらってしまう。「年だから」と便利な言葉に逃げ込んで、次の患者を呼ぶ。
僕はその家庭の状況が分かっていたから、医師の診断も本人の訴えも無視した。医師は便利な言葉で患者を慰め、患者はそこまで患っていてなおプライドを捨てきれない。1日2回診察を受けても距離が縮まるはずがない。お互いが意識して避けていた言葉を僕は敢えて使った。その上で僕は治すことが出来ると思うとも伝えた。ある抗ウツ薬が発明されて一気にウツの患者の数が増えたように、まだまだこの種の治療は発展途上中なのだろう。放っておいても治るものまで抗ウツ薬で治療していると懸念が広まっているが、その程度なのだから漢方薬で治らないはずがないと最近では思っている。もっとも軽症が対象であることには違いないが、それらが草根木皮で治ったら、後々悔いが残らない。昔安定剤やウツの薬をよく飲んでいたとトラウマのように表現する人がいるが、漢方薬ならそれはないだろう。自然の恵みで治るのだから好ましいくらいだ。
杖をつき、ろれつが回らない口で弱音ばかり吐く。そんなことが一番似合いそうにない人がこのまま終わるのは忍びない。強がりばかりの人生にとんだ落とし穴が待っていたが這い上がることは可能だ。大きな声で叫べばいい。そうすれば誰かが縄ハシゴを降ろしてくれる。元々はめっぽう腕っ節が強かったのだから、それにつかまって登ればいい。人生なんてどこかでプラスとマイナスを平坦にされるのだから、粋がるのも弱音を吐くのも人生だ。先行逃げ切りでは馬場の砂でもほぞをかむ。


2010年01月20日(Wed)▲ページの先頭へ
 およそ繰り返してみる夢はこの夢だけだ。昨夜も見て又うなされた。何回見ても、細部に渡ってほとんど同じ夢なのだから余程その情景がインプットされているのだろう。
夜が明けたのはもう随分前だ。大学で試験が始まっている。試験を受けに行かなければ又留年する。勉強は全くしていない。そもそもクラブの先輩や同級生から回ってくる山しか勉強しないのだが、今回は山も勉強していない。全く白紙の頭で教室にいる。問題が配られてもなにも分からない。でも毎回何となくその場面で気がつく。僕は大学を卒業している筈なんだけれど、国家試験にも合格している筈なんだけれどと。何で今試験を受けなければならないのだろう。いやいや、もう受けなくてもいいはずだから堂々と教室から出てやろう・・・・そして目覚めて罪悪感にさいなまれる。
 何故今又こんな夢を見たのだろうと朝からずっと今まで引っかかっていたのだがさっき気がついた。昨日ある看護師さんの息子さんが、今春理学療法士の国家試験を受けるらしくて、その事をとても心配して母親の心情を長い時間吐露されたのだ。その話の中で僕が自分の国家試験の体験を話したので、その話が夢を引っ張ってきたのだろう。犯罪者が夢でうなされて出頭したなんて話もあるけれど、まんざら嘘ではないような気がする。夢でうなされるのは結構しんどいものだ。国家試験でこのくらいだから犯罪だったら尚更だろう。もっとも心の隅で多少とも後悔していないと夢も見ないだろうが。
 僕の国家試験対策など、いやいや僕と同類の先輩や後輩全て同じだと思うが、当たるも八卦、当たらぬも八卦の世界なのだ。元々大学の試験からしてそうだったが、山が当たれば進級して、はずれれば留年と、およそ修学した知識などとは無縁の要素で結果が違っただけなのだ。そもそも修学どころか教室にも入らないのだから知識など皆無だ。1年に2回、数日間過酷な丸覚えの行をし、博打をしていたようなものだ。いっそのこと、試験などせずに畳の上で半か丁かをやってもらっても結果は同じだったかもしれない。
このような薬剤師が作る漢方薬をもう5,6年飲んでいる看護師さんにとってはひょっとしたらぞっとするような話だったかもしれないが、帰るときには結構明るく笑っていた。僕には成功体験が余りないので、希望に溢れるような話は出来ないが、足を引っ張る話ならいくらでも出来る。立ち直れる挫折ならいくらでもすればいいが、立ち直れずに長い間うずくまって暮らしている人が一杯いる。紙一重で救われ、紙一重で取り残される。僕は力つきるほど頑張らないで紙一重で救われる余地を残しておくべきだと思っている。人生そんなにいいこともないが、悪いこともそんなにあるものではないと言えた時代はもう遠ざかっている。戦うから敗者になるので最初から戦わずに生きていく選択をするのもこれからは必要だと思う。勝って幸せを保証されることもないのだから。ほんの少しの善意と、逃げ足の速さと、追いかける雲があればいい。


2010年01月19日(Tue)▲ページの先頭へ
一発ギャグ
 たまには失敗やドジもいいものだ。思わぬ効果がある。気がつかない失敗は多くはしてはいけないもの、許されないものが多いが、目の前の失敗は笑いを誘うこともある。
 一人目は、10年近く前、鬱病を患っていた女性だ。病院で思うように回復しなかったのでおばあさんが紹介してくれた。漢方薬で膝を治してあげたのだが、鬱病も治るだろうと連れてきてくれたのだ。実際に半年もかからないうちに完全に治ってしまった。仕事にも復活し結婚し、お子さんも二人出来て、幸せ一杯に暮らしている。今は何があっても来てくれるような関係になり、お子さん達、ご主人、おばあちゃん、ひいばあちゃんのカルテを僕は作っている。その彼女が2点買い物をして、僕が紙袋に入れたのだが、小さな袋だったので入れた途端に破れてしまって、薬が破れたTシャツを着ているような感じになった。珍しく僕が丁寧な応対をして紙袋まで用意したのに、裏目に出てしまった。その瞬間二人で結構大きな声を出して笑った。若いお母さんがしばしば薬局を利用するようなことは余りないが、彼女は家族のほとんどのトラブルを漢方薬で治していて、親類の子がやってくるような気楽さでやって来てくれる。多くの場合のように、あの人はあれから幸せにしているだろうかと、時々思い出すようなこともなく、幸せ一杯をしばしば目撃できることは嬉しいものだ。
 二人目の失敗は、それから30分もたたないうちにやってしまった。同じ鬱病でもこの男性は違う。10年来毎月処方箋をもってくるが、ほとんど会話をしたことがない。僕の所には薬を取りに来ているだけだから、無駄な会話はしない。淡々と薬を渡しているだけだ。ところが今日は、保険者番号が変わっていて、確かめなければならなかった。薬を作ってからその作業が結構手間取ったので、急いで会計をしてお大事にと言って見送ろうとしていた。するとその人に帰る様子はなく、奥の僕の机の方を見るのだ。すると彼が持って帰るべき薬が置いてある。お金だけ頂いて薬を渡していないのだ。やってしまったと彼の顔を見ると視線があってそこで二人が吹き出した。なんと僕は彼の笑った顔を初めて見たのだ。ああ、笑えるんだと、とても嬉しかった。なぜだか僕の薬局には心が折れかけた人が多く来てくれるが、僕はこの笑いをとても大切にしている。笑える人は治ると思っている。笑わない人は、一度でも笑ってもらえるように処方を工夫する。彼は病院の患者さんだから手が出せずに傍観しているだけだが、一発ギャグくらい許されるのかなと思った。真面目そうな人だから受けなかった時のしっぺ返しが怖いが、まあその時には二発ギャグで形勢を逆転しよう。


2010年01月18日(Mon)▲ページの先頭へ
武勇伝
 話を聞きながら、そんな時代だったかなあと怪訝な気持ちになったが、相手は自信を持って喋るし当事者だったのだから確かなのだろう。まだ幼かったからおぼろげな記憶しかないが、聞きながらとんでもない時代だったのだと呆れた。
 入院して抗ガン剤の点滴や放射線治療で余程懲りたらしくて、退院後から始める抗ガン剤の処方箋をもってやって来た時、副作用を少しでも少なくできる漢方薬を作ってと頼まれた。色々雑談しているうちに今回の入院が2度目だという。1回目は高校生の時、オートバイで児島の方に行った帰りに横から出てきた車にぶつかって空中を飛び頭を打って2ヶ月ばかり入院したというのだ。僕が怪訝な気持ちになったのは、当時オートバイに乗る時にヘルメットは誰もしていなかったという話にだ。皆学生服で走っていたというのだ。これには驚いた。ほんとかなあと疑ってみたものの、当事者には勝てない。柔道をしていたおかげで受け身を自然にしたらしく、車を飛び越えて頭は打ったのだけれど死ななかったと言う。今から50年近く前は、僕の記憶から多くを消しているから、頭に浮かべられるものはほとんど無いのだが、学生達がオートバイを乗り回してひんしゅくを買っていたことは何となく覚えている。今日来た患者さんもその中の一人なのだが、当時の道路事情や走りっぷりを色々教えてくれた。まだ舗装されていない道路も多く、彼らの仲間も何人か死んだらしい。当時沢山の若者がオートバイ事故で亡くなったから、ヘルメットが義務化されたと教えてくれた。ヘルメットをかぶらずに100km近いスピードで走る度胸は何処から来ていたのだろう。退院後、町立病院である患者さんのために至急血清が必要だと言われ、岡山の病院を警察の保証付きでぶっ飛ばして往復した武勇伝も教えてくれた。待っていた人達が、あっという間に帰ってきたと驚いたらしい。命を失う時が考えられないくらい遠くにあるときは、このような無鉄砲も出来るが、それが近づいてきたら勇気までも無くしてしまう。抗ガン剤による極度の倦怠、吐き気、口内炎、下痢その他諸々の方が余程恐怖なのだ。もうあんな目には遭いたくないと言うのは、宙高く舞い上がった事故ではなく、ベッドの上でもだえる副作用なのだ。
「早く良くなって失業保険をもらわないと」と言いながら席を立つので「50年前の頭の怪我はまだ治っていないのではないの」と言いながら見送った。


2010年01月17日(Sun)▲ページの先頭へ
混乱
 朝が垂直に明けていた。池をも凍らせる冷気にあがなって工場から吐き出される4本の煙がマイナス5℃を表示していた。四面を氷に覆われた車に何回も水をかけ、そのたびに又結氷する。北国に住む女性からの便りにマイナス20℃と言う想像もつかない数字を見つけ、ちょっぴり真似事をして創造力を鍛える。
だが、最貧と混沌の国のがれきの下は想像できない。救いのない絶望的な恐怖を想像できない。体験に優る創造力を持たない。ひたすら豊かさを求めた時代に育ち、おおむねそれを達成した国で、嘗てはすでに活字の中に隠れ、嘗てが嘗てでは表現できなくなっている。苦難は克服するためにあるのだが、克服した瞬間から原罪と化す。
仮初めの中に転倒した真実は、沈殿した日常の排気口。終点のない路線バスは迷い子の叫びに似て峠を下る。枯れた古井戸に昇る太陽、行き先を告げずに立つ鳥数羽、圧倒的な氷点下は、圧倒的な欠如。仮初めの中で混乱した今日の1日。


2010年01月16日(Sat)▲ページの先頭へ
音痴
勉強会に出席してくださいと勧誘を受けるのが普通なのだが、今回は違った。家族の誰かが出席できるだろうと思い、出席の返事だけはしておいた。ところが結局は僕しかその日はあいていなくて、僕が出席することをセールスに伝えると、彼は数時間後電話をしてきて「先生には合わないと思います」と正直に教えてくれた。と言うより、やんわりと断られたという方が正しいのかもしれない。
 活躍している薬局経営者が講演するらしくて、そのテーマが引きつけたのだ。ダイエットとか色々標榜していたみたいだが、子宝相談でも評判と紹介文にあったから、色々質問してみようと思っていたのだ。僕は20人くらい子宝に恵めれる手伝いをしたが、100%僕のおかげなのかどうかは確信が持てない。だから、その種の相談を敢えて得意かのように標榜することに抵抗を持っている。ガンなども同じだ。どのくらい貢献できているのか分からないものに対してはとにかく謙虚でなければならない。薬局の最大の弱点は証明できないことだ。多くの雑病をお世話するのは得意な職業だが、データが取れるわけではないので全てが経験値なのだ。だからことさら大げさに「おかげ」を振り回すのは良くないと思っている。少しは役に立てたくらいが一番精神的にはいい。力もないのに、藁をもつかむ人達に高額な商品を売りつけてはいけない。
 彼がやんわりと僕に辞退を促したのは、どうやら講演内容が、ダイエットや子宝の販売促進の話になるかららしい。ダイレクトメールの打ち方とかなにやらとか主題らしいと教えてくれたが、全く興味がないことだから、良く教えてくれたとお礼を言っておいた。そんなことを聞くための時間はない。何十年も前、右も左も分からないままで帰ってきた頃なら役に立つ内容だったかもしれないが、今さら「商売」は辛い。
不景気になり、無駄なお金が使えなくなった人が多い。薬も飲みたくても飲めない人も多い。そんな時に売り上げを増やしましょうと言う扇動は空しい。企業はそれなくして存続の意味はないのだろうが、僕ら個人は違う。少し倹約して必要なものだけを手に入れればいいのだ。限りなく無駄で成り立っていたのが今までの経済なのだから。節約を説くのは最早美徳ではなく、経済音痴の戯言のように思われてしまうが、それでも意味のない買い物はしないがいい。ひんしゅくを買うのとどちらが高くつくかな。


2010年01月15日(Fri)▲ページの先頭へ
 「手先の細かい作業で物を作っているからいつまでも出来ない仕事です。もうちょっとしたらこの辺りを物乞いして歩き回っているかもしれません」と言う彼に、思わず「もうその準備は着実に出来ているではないの」と返した。それはそうだろう、髭ぼうぼうでよれよれの衣服。毛糸の帽子をかぶっていたから分からなかったが、きっと頭もぼさぼさだろう。靴下は履いていたような気がしたが草履だったような気もする。
 こういった類の人をどのジャンルに分ければいいのだろう。芸術家のようでもあり、職人のようでもある。見方によっては自由人と言ってもいいし、浮浪者を彷彿させる数々の行動パターンもある。まず自由であることを最優先に暮らしているように見えるから、物差しを変えなければなかなか彼らは測れない。そもそも、いわゆる杓子定規からはみ出している人達だから測る対象ではないのかもしれないが。
 彼の様子はかつての僕ではあるが、僕の汚さは彼とは違っていた。明らかに今の彼よりは汚かっただろうが、圧倒的な若さが当時僕にはあった。自称、綺麗な汚さの中で青春をもてあましていたが、働き始めると同時に全てを封印した。いや、封印できずにぼろが時々出るが、それは心優しい人達に大目に見てもらっている。僕がこの空間で心地よい状態を作りだし、訪ねてきてくれる人の役に立てることを保証してもらっている。
 類は友を呼ぶのか、高山にいる僕の先輩のことを口にし、僕を驚かせた。高山にいる、彼に輪をかけたような人とどの様な接点があったのか知らないが、およそ僕などより彼の方がその人の現在について知っていた。6月に又高山に行くと言うから伝言を頼んだ。どうせ何も用事はないが、ただ元気で幸せそうにしているのを知って嬉しいって事を伝えて欲しかった。岐阜にいる先輩と彼とだけには無条件で幸せでいて欲しい。と言いながら二人とも僕なんかよりそれぞれ数段幸せなんだろうが。
芸術とも職人技ともついぞ縁が出来なかったから、平々凡々とした人生を送ってきた。その類の人達のしがらみの薄さに嫉妬することもあったけれど、所詮持ち合わせているものが最初から違う。自由を欲しがるほど不自由ではなかったから、自由には拘らなかったのかもしれない。自由を求めることで被る不自由に耐える自信もなかったのかもしれない。そこそこに生きたから、そこそこの人生しかなかったが、分相応だと便利な言葉の中に逃げ込む技だけは身につけてしまった。


2010年01月14日(Thu)▲ページの先頭へ
浜辺の唄
 昔と変わらない高音の綺麗な人だなあと感心して聴いていた。ところが歌の間の伴奏の所で急にステップを踏んで踊り始めたから、一気に興ざめした。もう70歳になっているのだろうか、顔の皺は仕方ないとして、とってつけたようなぎこちない動きは、こちらの勝手な想い出を踏みにじるばかりか、返って同情をひきそうだった。見ていて美しくないのだ。嘗て宝塚出身だと言っても寄る年波には勝てない。老いを目の当たりに見せられただけだ。もしあの踊りがなければ、洗練されたプロの芸を高く評価するが、あの踊りで一気に僕ら視聴者側と同じ地平に立ってしまった。僕が幼いときにしばしば聴いた彼女の「浜辺の唄」はとても綺麗だった。僕が好きな歌だったから余計耳に入ってきたのかもしれないが、女優が歌う唄のようにはとても聞こえなかった。
寅さんの妹はどこにでもいるようなおばさんだったが、歌声はどこにでもいるようなレベルではなかった。澄んだ歌声だった。人格までがその声のようなのではと誤解するほど美しかった。ベールに包まれたままの永遠を、勝手に期待されたら彼女たちもたまらないだろうが、銀幕の向こうの人はいつまでもそうであって欲しいような気がする。銀幕のこちらにやたら出てきてまるで日銭を稼ぐような露出は、せっかくの作品をも台無しにする。秘めているからこそ芸術にもなるのだ。
 掃いて捨てるほどのその類の人の中では彼女の実力や実績は素晴らしいものがあるのだろうが、それでもなかなか吉永小百合にはなれないのだ。化け物かと言うくらいに、いや、これが本当のプロフェッショナルと言うくらいの美しさを保つのは、何に匹敵するくらい難しいのか分からないが、それが出来ないなら、ベールに包まれたままか、あるいは品が増した美しく老いた姿を見せて欲しい。静が動より数段輝いたり生命力に富んだりすることもあるのだから。


2010年01月13日(Wed)▲ページの先頭へ
背中
 「俺を、なんと思っとんや」と聞かれたから「悪人だと思っている」と答えた。
 真っ昼間から酒の臭いをさせて真っ赤な顔をして処方箋を持ってくる。歩いてくる距離ではないが、車で来てよい道理はない。車大好き人間だったが、年齢と共に、いや収入と共に段々車が小さくなり、汚れて錆まで見えるようになった。一人で暮らしているときは結構優しいところもあったのだが、結婚を機に人格が変わってしまった。よい方に変わったのなら良かったのだがどう見てもその逆で、元々孤立しやすい人が、輪をかけたくらい孤立した。人はそうなると閉じこもるか、粋がるしかない。彼の場合、昼間から酒の臭いをさせて粋がっているのかもしれないが、飲んでいる薬が正直に現状を伝える。3種類の安定剤を飲んで粋がっても迫力はない。その中の一つでも欠ければ眠れないし、食欲も出ない。情けないくらい精神は細やかなのだ。落ちぶれを何かでうち消さなければ精神の安定が保たれないのだろう。助けてくれと言えない分孤立無援が深まる。
 結婚はこのように不幸への特急列車になることもしばしばだ。だから多くの人が二の足を踏むのも当たり前だ。必ずしもバラ色の世界を約束できないなら、いや寧ろ地獄を見せられるくらいなら、乗車券を買う必要もない。目的地に向かうなら歩いてでも行けるし、バイクに電車、果てはジェット機まである。途中下車もパラシュートも安全装置としては機能するが、完全ではない。旅は道連れなのか、一人旅なのか、誰かに指図される筋合いのものでもない。ただ道中が楽しくて想い出深いものであればいいのだ。道標に導かれようと、自分で切り開こうと、時は背中からはやっては来ない。


2010年01月12日(Tue)▲ページの先頭へ
介護
 日曜日の昼下がり、広いロビーは全て電気を落としていて、無人の精算所や投薬カウンターは静まりかえっていた。僕は母を待っていたのだが、車いすに乗った男性の老人とそれを世話する老婆が静かに立ち止まっていた。薄暗い中で何を見ているのだろう。ただ時間が過ぎ去ってくれるのを待っているだけなのだろうか。寂しくもあり、又心温まる風景にも見えた。
しばらく動かなかったが、ゆっくり動き始めると僕の勝手な想像が激しく裏切られた。後ろから押している老婆が、自分で椅子を漕がない老人に向かって罵声を浴びせ始めたのだ。見ず知らずの僕が近くにいるからさすがに遠慮して声を潜めているのだが、悲しいかな全部僕には聞こえた。車いすの老人は、明らかに脳のトラブルの後遺症のように見えた。最初、鬼になってリハビリを促しているのかと思ったが、続く幾多の汚い言葉でそうでないのは簡単に理解できた。積年の恨みを晴らすかのような言動に空恐ろしさを感じた。何が二人の間に嘗てあったのか分からないが、今がチャンスとばかりに不自由な男性を罵倒している。聞くに堪えられなかったが、ひょっとしたら多くの夫婦の行く末を見ているのではないかとも思った。多くの介護は密室で行われるから、このようなことは結構ありふれているのではないか。表に出ないだけで、多くの葛藤が隠されているように思える。お互いが便利で結び付いている時には隠れてしまうが、お互いが足かせとなったら憎しみが噴出する。勝手な美談はあっという間に現実のいと恐ろしき光景になった。
個々の営みに介入することは出来ないが、老老介護の悲惨さは新聞紙上でも後を絶たない。国が介護を担うと決めた頃、それを激しく罵倒していた婦人がいた。ご主人の肩書きから幸せを保証されているような人だったが、つい数年前、忌み嫌っていた制度に守られて逝った。元気な頃が後の生活を保証してくれるわけではない。川に路肩をさらわれる道もあれば、落石が襲う崖の下もある。痩せこけた老犬に越えられない峠もある。
 エレベーターに消えていった老夫婦に幸あれとは思えない。幸そのものの定義が全く思いつかない。音のないコンクリートの中でいくつもの最期が行き倒れていた。


2010年01月11日(Mon)▲ページの先頭へ
才能
 「できたらこういう絵描くイラストレーターになりたいのです(笑)」という言葉に添えて、年賀状がメールで送られてきた。ページを開いてすぐに思ったことは「すごい」と「もったいない」。僕に技術があれば送られてきた絵(イラスト)をブログで紹介したいくらいだ。若い女の子が何かを叫んでいて、朝陽をモチーフにした背景が新しい年の初めに飛翔を期している。新しいページを開く瞬間が表現されている。なんて批評をしたら本人から怒られるかもしれないが、超素人の僕が作品を見ない人に紹介しようとしたらこんな表現になってしまう。デザインにパソコン、二重苦の僕が伝える手段を何も持っていないことが悔やまれる。ただもしそれを実現できても、著作権とかなんとか難しいのかな。
「すごい」と「もったいない」で表されるように、今僕の漢方薬を飲んで頂いている人達のそれぞれの個性や才能が生かされていないとすれば本当にもったいないことなのだ。僕が縁あってお世話している人達はほんの一部の人達で、全国ではものすごい数の人達の才能が生かされないで放置されていると思う。どんな理由で門が閉ざされたのか、あるいは自分で扉を閉めたのか分からないが、もったいなさ過ぎるのだ。才能を開花とまでは言わないが、生かせれないまま生産とは無縁の所で生活しなければならないとしたら、本人達も又もったいない。社会全体でも個人の歴史にとっても明らかにもったいない。一人の生き方が水面に投げられた石の波紋のように社会に広がり、波紋と波紋が無数にぶつかり新しいエネルギーを作る。特に将来長い時間を持っている若者には、特に期待する。苦手なことが多すぎる僕は、多くの分野の人達に助けられてきた。それらの人なしには実を言うと1日でも無難には過ごせないのではないか。高度に分業が発達してしまったから、人は人に助けられながらしか生きていくことは出来ない。どんなに権力を持っていても米粒一つ作る事は出来ないのだ。
 自分を信じてとか、自信を持ってとか、言葉ではいくらでも言えるのだが、心優しき人達はそれが一番苦手なのだ。その事こそが彼らの一番の愛すべき個性だと思うのだが、それが行く手を阻む。僕には励ます言葉を言う資格もないし、生活を保障する財力もないし、ぐいぐい引っ張る指導力もない。ただ撲に出来る唯一のことは、漢方薬で気持ちと体を少しでも強くすること。ほんの小さな手助けだけれど、それで解放を勝ち取る人がいる限り、無い知恵を絞り続けなければならない。


2010年01月10日(Sun)▲ページの先頭へ
児島湾
 岡山県南を西に向かって走っていると、南側は瀬戸内海だから山は本来少ない。当然北側、それも平野の向こうに低い山が見えるのが普通の光景だ。ところが僕が毎日曜日通る県南のある地帯は、右(北側)に広がる平野、左(南側)に小高い山という景色になっている。本来とは逆なのだ。そこはまっすぐな道路が直角に交差するように区画整理された広い土地で、道路が土手よりかなり低いところを走っているから、場所によっては遠く北側に見える山は全く消えて、岡山県には余りないようなだだっ広い土地を実感させる。
 ほとんどの道路と並行して水路が走っている。場所によって幅は違うが、結構広い水路だ。通い始めた当初は別に気にもしなかったのだが、そのうちああ、これが干拓地なのだと分かるようになってきた。とってつけたような区画整理や、何処まで行っても水路と並行して走る道路。ああ、ここは元は干潟だったのだと悟ったのだ。僕が幼いときに、ここを渡し船で渡っていた記憶があるのだ。母の里に行くのに、バスから降りて対岸のバス停まで小さな渡し船に乗らなければならなかった。僕が小学校に上がる頃、湾を堤防が横断して渡し船は役目を終えた。その時の便利さは子供心にも忘れられない。それ以後、堤防をバスで横切るだけの景色だったから、わざわざ降りてその辺りを走るような経験はなかった。記憶が薄れるに従って、僕は元々ある土地とばかりに思っていた。今日何となく意識して走ると、そのだだっ広い場所から出るときに、山際の道へ数メートル登り、その後数分山に沿って走ることに気がついた。走りながら今来た北側を見てみるとかなり低いところに広い土地が広がっている。所々に農家があり、後は畑のように見える。これがまさに教科書にも載っていた「児島湾の干拓地」なのだ。不覚にも、その中を走っていながら気がつかなかった。
僕が生まれる前から干拓を始めたみたいだったが、当時仕方ないことだったのだろうか。必ず必要だったのだろうか。所々に建っている家、耕作を止めたような土地。何十年後を予測することは出来なかったのだろうが、偉い人の利権か思いつきで広大な自然の姿を破壊して得たものは何なのだろう。一度形を変えてしまうと大がかりなものになるほど復元は不可能だ。偉い人は辞めてしまえば責任をとらなくてすむから、目先だけの利益を追求する。もしこの広大な土地が、昔のままの干潟だとしたら、星の数ほどの生物を育んだだろう。そしてその恩恵は人間にとっても計り知れないだろう。人口は減りつつあり、米も余るほどある現代では無くても良かったものだろう。デフレだから欲しがらないことを良しとしないような論評も目立ち始めた。贅沢を奨励するような専門家の声も聞かれ始めた。僕は経済は良く分からないが、本当に怖いのは贅沢を奨励するような心のデフレではないのか。品位のデフレには日本銀行も打つ手はないだろう。

(参考)
児島湾の湾奥を締切堤防によって締め切って造られた人工湖である。締切堤防の総延長は1,558mである。児島湾周辺の干拓によって増加した農地の用水確保と塩害防止、低湿地の排水と干拓堤防の強化を目的として造成された。ダム湖を除いた人造湖としてはオランダのアイセル湖に次ぐ世界で2番目の広さを持つ。日本でもっとも水質汚染の激しい湖沼のひとつとされ、春先から夏場にかけては湖一帯で悪臭の発生することがある。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。


2010年01月09日(Sat)▲ページの先頭へ
接着剤
 今頃来るから、年賀状が余ったのだろう。薬のことが似合わない薬剤師のダントツだと思っているのだが、その年賀状みたいなものに「蔵付きの古民家で本屋、カフェ、ギャラリー、ライブと欲張った展開を計画中です」と書き足していた。今薬剤師をしているのかどうか知らない。生活費の補いに時々薬剤師をしていた頃もあったのだが。なにぶんもう何年も会っていないので何も分からない。
高山のライブハウスをインターネットで調べたとき、彼が写っていた。最後に会った頃と余り変わっていないように思った。高山に根付いて、高山をかき回して、恐らく楽しんでいるのだろう。いい笑い顔をしていた。学生の頃と変わりない。ちょっと肩をすくめながら、きっと人の輪の中でいつも笑顔を絶やさないのだと思う。ぐいぐい人を引っ張っていくようなタイプではなかったが、接着剤としての能力に長けていたのだと思う。嘗ては僕ら劣等生、今は色々な分野のアーティスト、自由人などが集まっているに違いない。元々マイナーの匂いのする人だから、その類のうさんくさい人が集まっているのではないか。日々目にする日当たりのよい光景には似合わないし、彼自身も興味をそそられないだろう。ある種の文化、彼が担い続けているものを表現するとそう呼ぶべきものかも知れない。都会ではなく、内陸の底冷えの街で育てることにこそ価値を見出し、事実その様に行動し、今自分のやりたいことの集大成みたいな空間を実現しようとしている。
 10年ぶりか、20年ぶりか分からないが、突然現れて驚かせてやろうかと思う。岐阜の先輩にそれこそ20年ぶり?くらいに会っても1秒を要しない速さであの頃に帰れた。あの頃の何も相手に求めない関係は、僕は高山と岐阜の先輩しか考えられない。あの頃を評価するとしたら無欲かもしれない。それは果てしない諦めの向こうに偶然あっただけかもしれないが、「何かいいことはない?」と呪文のように繰り返していた言葉は、何もいいことなど起こらないと言う確かな予感が作り出していた言葉なのだ。切れることなく続く行列に割り込む青春は僕らにはなかった。


2010年01月08日(Fri)▲ページの先頭へ
限界
 ニコニコして入ってきた。仕事帰りなのだろう夜の7時半をすでに回っていた。2週間前に来たときは真っ赤な顔をして必要以上に喋り続けた。会話に間が空くのをひどく気にしていたように思う。もてなす方の僕が気にするのなら分かるが、心を患っている人が余計気を使ってしまうと治るものも治らない。だからこそ4ヶ月で20Kgも痩せたのだろう。童顔の彼は常に笑顔を絶やさないように振る舞っていたが、そもそもそれが無理なのだ。痛い、苦しいと言えなかった分、自分を傷つけてしまったのだ。えてして多くの善良な人は自分を傷つけて他者との関係を保つ。良いことではあるがそこには往々にして病気の陰が忍び込む。
本来なら当然病院にかかるという選択肢をとるのだろうが、彼は4ヶ月耐えた後僕を選択した。聞くとお父さんが10年くらい前に僕の漢方薬ですっかり元気になったのを見ていて思い立ったらしい。それと彼の回りにいる何人かの人が、薬から離脱できない状態を見ていて心療内科の薬に対する不安も持っているらしい。彼の発病の原因は日々伝えられるリストラだ。それも彼がリストラされたのではなく、リストラされた先輩の仕事を丸まる引き受けなければならなくなり、2人分の仕事を突如こなさなければならなくなったかららしい。さすが元気すぎた彼でもそれは出来なかったのだろう。限界を超えたのだ。次第に彼の体に変化が起こった。まず始まったのが不眠。その後は、目が覚めると途端に不安感に襲われる、胸を何かでいつも圧迫されているような感じ、呼吸がしにくい、みぞおちが痛む、下痢や頻尿、最終的にはやる気も根気も元気も全てなくなった。
僕が作ったのは、ストレスを体から捨てる漢方薬。そして食欲を回復し体力を付ける漢方薬。たったそれだけなのだ。それで2週間目に「こんなに効くとは思わなかった」と評価してくれたのだ。単純明快な感想でこちらも救われた。元々は90kgの体重で元気すぎるくらい元気だった人が、思い煩い痩せた姿を見るのは忍びない。どうしても治って欲しかったがわずか2週間でここまで治るとは思わなかった。胃がちくっとすること以外は全部治ってしまった。煎じ薬も自分で作ったみたいで慣れない作業のエピソードも色々話してくれた。とても落ち着いた会話が出来た。血が登って真っ赤な顔をしていたがそれも人並みになっていた。
 僕が使ったのは単なる草、薬草なのだ。自然界に生えている草で彼は治った。僕は心の病は、抑えてはいけないと思っている。身に回りにある自然を利用して癒されれば治ると思っている。そもそも病気ではなく鬱々としているだけなのではないかとも思っているのだ。重症の方は薬局には来ないから、この鬱々を治すには自然薬が一番いいと思っている。
時同じくして、日本で鬱病患者が激増していると報じられていた。鬱病患者が増えたのではなく、鬱病患者にさせられている人が増えているのではないかと僕は感じていたのだが、同じようなことを考え始めた専門家がいるらしい。詳細はインターネットに出ていたから省くが、膨張を強いられる企業というものの負の宿命みたいなものを感じる。
 不自然を強いられて陥ったトラブルを、不自然な化学薬品で治すなんて事が如何に不自然か考えれば結論は自ずと出る。田舎の暇な薬局だからこそ出来る仕事かもしれない。





2010年01月07日(Thu)▲ページの先頭へ
千差万別
 僕にはどうしても理解できない。どうして過敏性腸症候群で内科にかかって、その後、耳鼻科や脳外にかからなければならないのか。内科で何も発見できなければ、耳鼻科に行って、それでも原因が分からなければ脳外を紹介され。脳外でだめだったら次は何処に紹介されていたのだろうか。恐らく働き者の優しいお母さんは、お子さんたちのために懸命に解決策を捜したに違いない。でも、さすがに脳外はお母さん自身も怪訝に思ったのだろう。「我が子が脳がおかしいように思う?」 と尋ねたら、他になにも悪いところはないしスポーツマンらしい。ずっと以前からヤマト薬局のチラシを見ていていつか訪ねてみようと思っていたらしいが、最終的には脳外を紹介されたことが僕の所に来る決心をさせたみたいだ。
エビのように体を折り曲げて痛みに耐える。毎日吐く。兄弟で代表的な症状は違うがどちらも明らかに心のトラブルだ。聞けば、生一本なところがあって真面目を絵に描いたような少年達らしい。すごい長所だ。そんな彼らが能力を発揮できるところを与えられたらどれだけ活躍するだろう。ところが学校の先生に、怠けているなんて言われたものなら教室に居場所はない。もしそうなったら誰が責任をとるのだろう。教師も無知なら許されるのか。
 何がきっかけで発症するか、それこそ千差万別だ。大きくは分けれるのだろうが、個性の数だけ原因もある。それに応じて、治し方も千差万別だ。公式みたいなものが作りにくくてまるで手作業の町工場だ。公式らしきものを見つけて大きな企業は薬を作ったが、どうやら又空振りではないか。実際に処方されて飲んでいる人は未だ一人も来ない。それとも患者さんの方がもう諦めてしまっているのか。お腹などで生活の質を下げないで欲しいと思うが、当人にとってはお腹などと言うレベルではなく、お腹が全てなのだ。これさえなければと言うものに僕も長い年月苦しめられた。これさえなければと言うもので謙遜も覚えたし、ほんの少しだけ他人の痛みも理解できるようになった。やがて、これさえなければと言うものが無くなった時、すでにそれだけではとてもすまない年齢に達していた。 結局はいつもどこかが不健康に生きてきた。大なり小なり多くの人がそうだろう。心か身体の違いはあっても、いつもどこかを壊して、どこかを修復していた。人の自然治癒力って素晴らしいなと感心の連続だった。ただし、そろそろ釣瓶が底に届きだしたような気配は感じられるが。手を伸ばせば水面に届きそうな若者は自信を持って。あなた達に治らないトラブルなんかあるものか。


2010年01月06日(Wed)▲ページの先頭へ
律儀
 もう正月も6日目にもなっているのに、そして世間は閉塞感の中でもとっくに動き出しているのに、今日荷物を運んできてくれたトラックの運転手さんが「明けましておめでとうございます」と言いながら入ってきた。律儀なものだ。大柄でいかつい顔に真実が覗く。
 僕がこの仕事をしてきて一番良かったことは、30年間、人の本音と接することが出来たと言うことかもしれない。本音を30年間聞き続けて来れたおかげで多くのものを学ぶことが出来たと思う。土地柄、肩書きに驚いたり、経済力に圧倒されるような人が皆無に近かった。その代わり地方ならではの本音ばかりの人と接することが出来た。幸せも不幸も、喜びも悲しみも大きすぎなかったし、小さすぎもしなかった。当たり前に生きている人が、当たり前に遭遇することで、当たり前の喜びや悲しみを表現しながら暮らしてきた。共感は反発よりも好まれたし、蔑視は敬愛には勝てなかった。大志は子供時代の卒業と共に捨てて、自ずと身の丈を学んでいく。夢が遠ざかれば遠ざかるほど道行く人々がいとおしくなり、老婆に恋をする。
 凡人のつかの間の人生をいくつ並べても、大きな破壊の前で戸惑う創造しかできない。人の心を破壊せずに、人の生活を破壊せずに、波に打たれる堤防を1cmも破壊せずに生きて来れたなら許してもらおう。律儀で全て許してもらえる冬が凍てつく朝のように。


2010年01月05日(Tue)▲ページの先頭へ
蘇生
 驚く無かれ、全く記憶がないのだ。テレビで偶然映し出された景色、それも数秒の間の映像だったのだが、思わず見入ってしまった。余り景色を見て感動したりするタイプではないので自分でも珍しい反応だった。それだけ印象が深かったのだ。
そのテレビを見た翌日、今日なのだが、偶然その眺望を日々眺められる方から電話をもらった。勿論彼女にとってはそんな景色、空気と同じで特段の興味もないだろうが、やはりあのテレビで映し出された風景が実際に存在するのか確かめてみたかった。なにやら連峰と自信がなかったので名前を伏せて尋ねると、すぐに立山連峰と答えてくれた。
僕が驚いて見入ったのは、県庁所在地として広がる街並みと隣接して、あの険しい雪を頂いた高い山々が連なっている光景だ。沢山の人がごくありふれた日常を送っている広い土地と、アルプスを思わす山々が(本当にアルプスなのかもしれないが)まさに隣接しているのだ。山陽で育った人間の常識では、高くそびえる山々は、まず平野を出発して、川沿いをひたすら上流を目指し、丘を経て到達できる景色なのだ。突然に現れる景色ではあり得ない。それがなんと富山市街地と直角に連峰がそびえているように見えた。まるで紙を折って、立てているように見えたのだ。「えっ、なんで?」そんな印象だった。
まさに驚く無かれなのだ。30年前、僕は確実にその景色の中を長い時間をかけて移動しているのだ。卒業して国家試験を終え、まさに岐阜の街と、いや岐阜にいる仲間たちと別れるためにふと思い立った車での小さな貧乏旅の途中でその景色の中を確実に通過している。飛騨高山から延々と道路が下っていた。富山の街では若者が好みそうな小さな喫茶店にも入った。でもそれ以外に覚えていないのだ。同行してもらった後輩たちの具体的な顔をも覚えていない。もっとも成績の下から4人上げれば入っている連中だから察しは付くが。
 それにしても今なら見入るような景色をさしおいて何を話しながらひたすら何処を目指して移動したのだろう。どうせお金なんか持っていないから、煙草ばかりふかしてつまらない話を延々としていたのだろう。数日したら僕は、似合いもしない白衣を着て岡大で薬を作っている、そんな絶望的な現実の扉から逃げたかったのだろうか。5年間人の何人分も堕落した生活を送ったから、来るべき生活の幕開けを阻止したかったのか。脱出する必要のない落ちこぼれのまま過ごしたかったのか。
延々と飛び込んでくる道を助手席に座ってただ眺めていただけなのだろうか。見上げることもなく、振り返ることもなく、行く当てもなく、こぼれ落ちそうな時間を懸命に蘇生していたのだろうか。果てしない空白に雪崩れる悔恨。


2010年01月04日(Mon)▲ページの先頭へ
野良犬
 暮れにある女性から「薬局をやっておられるから健康なのでしょう?」と不思議そうな顔で質問された。丁度その方がいる近くである人と話をしていて僕の話し声が聞こえたのだろう。僕はひそひそ話は出来ないたちだから、近くの人には全て話す内容は公開している。褒めるのも批判するのも同じトーンでやるから、共感も反感も入り交じって返ってくる。それらは全て覚悟の上で、言葉に関しては裏表がないようにしている。
薬局に来て僕と話す人はほとんどの方が知っている、僕がいたって健康的でないことを。その方にも「もう体はガタガタ、心もガタガタ」と答えた。きょとんとした顔で、それでもまじまじと見つめられたのは、余程僕みたいな職業の人間と縁がなく、健康産業に従事する人はすべて健康なのだろうと決めつけているせいか、はたまた心から同情してくれたのか。何事にも真面目に返すのは好まないから煙に巻くような返事をしたのだが、全くの事実だ。それよりも僕はその方の方がいたって健康的に見えた。顔はつやつやしているが、その方が社会に貢献している内容からして僕より年上に見えるのだが、近くで見、話をした後には僕の方がひょっとしたら年上なのかなとも思わせた。
 こんな事をする人は日々どの様なことを考え、どの様な生活を送っているのだろうかと考えてしまう。どの様な信念が彼女を支えているのだろうかとも思う。何もかもが遠く及ばない無力感に襲われるが、さりとて近づいて何かできることはありますかととってつけたような言葉はかけれない。僕は自分が出来ることは良く分かっている。出来ることと出来ないことの差が激しいとよく言われるが、自分でもそれは気がついていて、ブレーキもハンドルも常に磨きをかけている。妙にアクセルだけがさび付いているが、これは人を裏切らないための制御装置になっているからなのだ。思いつきの発想で本心とは異なった行動はしたくない。それでまかり間違って好評を得てしまったりしたものなら取り返しがつかない。愚にして鈍、それに優る評価はない。地上を這っている間、落下の危険はない。羽もないのに飛べる空はない。
 僕に出来ることは、彼女の車から降りてくるホームレスの人達を笑わせること。それ以上は僕の顔が引きつる。ただでさえバランスを失っている僕の顔がこれ以上歪んだら、野良犬さえも振り向いてはくれない。


2010年01月03日(Sun)▲ページの先頭へ
ひんしゅく
 どちらが高すぎるのか安すぎるのか、滅多に買い物をしない僕には分からない。ある店では高すぎて驚いたし、ある店では安すぎて驚いた。
 今日文房具店とホームセンターに寄った。文房具店では領収書を買うだけの用事だったのだが、時間をもてあましていたのでぶらぶらと店内を回遊した。いつからこの種の店に来たことがないのか思い出せない。それでもまだ真面目に勉強していた高校生時代が最後だろうか。そもそも嘗ては文房具店はこんなに大きくはなかった。そして今日見たように華やかでもなかった。ほとんど実用品の範疇に入るものばかりが売られていたような記憶しかなく、遊びの要素は、ましておしゃれの要素などは皆無だった。そんな先入観でしか店に入っていっていないので、色々な小物の多さにまず目を見張った。そして僕が日常毎日のように薬の問屋さんから頂いている文房具が結構高いことを知った。こんなに高いものを毎日彼らは持ってきてくれていたのかと正直驚いた。
 勿論問屋さんが意味もなく文房具の小物をくれるわけではない。必ず薬の説明書や宣伝と対になっているのだ。新製品が出たときや、季節商品の季節が到来したときに宣伝を兼ねてパンフレットと一緒にくれるのだ。余りその小間物の名は分からないが、ボールペン、セロテープ、ノリ、定規、ハサミ、メモ用紙、ホッチキス、ポイントイット?バインダー等々。これらを毎日数社のセールスが持ってきてくれる。僕はメーカーが日本中の医師や薬剤師に配るのだから恐らく10円か20円くらいのものだと思っていた。さもないととんでもない金額になるだろうから。ところが今日文房具店で見た値段は、どれも200円から300円の間のものばかりだった。こんなに高いものを毎日頂いているのかと、これは認識を新たにしないといけないと思った。と言うのは僕はそれを毎月集めて、月末に5個ずつセットにして薬局に来てくれている人達に末等景品として渡していたのだ。僕としては毎月何十人分も作れるから便利な存在だったのだが、くじでそれらを当てたひとには、ごめんねハズレでといちいち謝るようにして渡していた。ところが何故か、ほとんどの人が結構喜ぶのだ。もう10年くらい毎月やっているから、文房具セットをそれこそ何十回も持って帰った人は多い。それなのに何故か喜んでくれる。でもその不可思議だった「受け」の意味が今日解決できたような気がする。僕がしめて100円くらいに思っていたそれらの末等景品は普通に買い集めると1000円を超えていたのだ。ならそれより高額だと思って上位の景品にしていたものの方がはるかに安かったという逆転も延々と続けていた事になるのだが。
もう一つは、ホームセンターで買った背もたれのある事務椅子。事務椅子と名を付けていたからそう書いたのだが、実際使うのは相談机で僕と向かい合う席。今までは背もたれがない丸椅子で、壁に近い所に腰掛けてもらっているから「壁にもたれて」と僕は声をかけていた。でも壁は垂直だから結構しんどいだろうし、又品もないように見えるので皆さんもたれなかった。そこで年の変わりに椅子をはりこもうと意を決して乗り込んだのだが、なんとこれが998円だった。そのあまりの安さに不安になり拡げて腰掛けてみたら結構座り心地はいい。僕は木の丸椅子の感触を覚えているからとても998円の座り心地には思えなかった。もっと価値あるものと思ったし、そもそも僕が予想していた値段はその10倍くらいだったのだ。
差し上げているものが実は結構価値があったことに気がつき、買ったものが予想の10分の1。今日は偶然自分にとって都合の良い数字だったが、滅多に買い物をしない僕にとっては目から鱗だった。毎日のように沢山買っているひんしゅくだけでは、世の中測れないと知らされた1日だった。


2010年01月02日(Sat)▲ページの先頭へ
堪忍袋
 いったいこの落差は何だ。食事の度にテレビのスイッチを入れるが、およそ見るに耐えられない番組ばかりで、ニュース以外はスポーツ、それも駅伝だけを見ている。息も絶え絶えで倒れ込みながらたすきを渡す若者と、素人でも言えるようなしゃべりしかできない口先だけの人間たちとの果てしない不愉快な落差。テレビに登場して欲しくない無能タレントの上位に占めるだろう人間ばかりが正月もとみに露出が激しいので、家にいても結局は薬局に下りてきて、仕事か勉強か分からないことにほとんどの時間を使っている。読み残している書類が30cm以上積み重なっているが、どうやらこの3日間で一桁には出来そうにない。
箱根に向かってひた走る選手の高校時代の出身校を見ると、さすがに有名高校の出が多い。駅伝中継が昔とても好きだった頃があって、その頃覚えていた高校の名前が頻繁に出てくる。高校時代のエリートが、首都圏の大学に進学して活躍していることが良く分かる。多くは地方の高校の出身者で、山あり谷ありを毎日通学したおかげで強くなったのかと古典的な素人の発想をする。ケニア選手の話を聞くと、今でもその古典は日本でも生きているのかなと思ったりもする。
都市が田舎の育てたものを吸収して冨み、ますます肥大化していく構造は昔も今も変わらない。スポーツ、芸術、産業、教育、上げればきりがない。ほとんどの分野を覆い尽くしている。田舎の寂れようと反比例している。ただ、いくら政治や金を駆使しても、奪い取れないものがある。いや、寧ろあがけばあがくほどあり地獄に落ちていくものがある。空気と人の情だ。空気や水を初めとする環境は、金で全てを引っ張ってくるわけにはいかない。いずれ多くの大都市で、海面の上昇で莫大な財産を失うだろう。田舎なら対象家屋を山の方に移すだけでいいが、大都市はそうはいかない。技術力で海面より低いところで住めるようにでもするのだろうか。
 もう一つの人情による破壊も、もう確実に進行している。ニュースを見れば確信を持って言えるし、又日常運悪く遭遇することもある。科学力や経済力で解決できるものではないから、日本人にとっては寧ろこちらの方が致命的になるかもしれない。電波という特殊な職権を与えられている人間たちが、あの程度の善意や創造力しかないとしたら、有害を否定する詭弁さえも思いつかないだろう。
 まだ数センチも低くなっていない宿題の山を見上げながら、正月早々僕が買いたいのは福袋ではなく堪忍袋の方だった。


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