栄町ヤマト薬局 - 2010

漢方薬局の日常の出来事




2010年12月31日(Fri)▲ページの先頭へ
出会い
 当時、この年齢で得た知識や経験や理性があればどれだけ楽で実り豊かな日々だろうと思うが、そのどれもがなくて怠惰に当てもなく彷徨うのが青春そのものなのだろうとも思う。持っているのは若者特有の生命力だけでそれ以外は何も持ってはいなかった。今日を生きる気概も、将来の目標も夢も何も持ってはいなかった。どうして塗りつぶしてやろうかと、白紙の時間を埋めるので精一杯だった。意味も意義も求めない単純な作業を繰り返していた。
 そんな僕でも、その頃を過ぎて一応社会の中での働き手としての立ち位置を与えられると、それなりに努力した。同じように目標も夢も持たなかったが、その日を今度は懸命に働いて、埋めるべき余白など全くなくなった。寧ろキャンパスの方が小さすぎたようでもあった。あれだけ嫌いだった薬の勉強も、目の前に現れる人のために寸時を惜しんで勉強した。僕を再起動してくれたのは土着の人の寛容さだった。試験の問題を解くだけのための丸覚えから、目の前の人の苦痛を取り除く作業に変化したことで、勉強のモチベーションは格段に上がった。あれだけ頭に入らなかったものが、いくらでも入ってきた。願わくば大学に入った時にあのモチベーションがあればどんなに充実した学生時代を過ごすことが出来たのだろうと、あり得もしないことを考えたりもする。ただ、目の前の人のために懸命に努力する姿勢は、あの果てのない空虚な時間を過ごしたおかげであることは否定できない。あの頃築いた価値観がなければ今僕のところに来てくれている多くの人との、特殊ではあるがかけがえのない接点は出来てはいない。
今年も多くの人と知り合った。その誰もに僕は感動の出会いを感じる。この歳だからこそ出会えた人ばかりのような気がする。自分が体験した忌まわしい記憶だけがその人達の役に立つという皮肉な巡り合わせだが、善良の窮地に役に立てるなら否定するものは何もない。年末になって不慮の事故を伝える悲惨なニュースが後を絶たない。ただそこかしこに積み重なった不慮の人生は何故か伝えられてはいない。


2010年12月30日(Thu)▲ページの先頭へ
短絡
 クラシックファンの方には失礼だが、僕が第九の中で聴きたいのは例の合唱の部分だけで、あるいはあれと同じ旋律の箇所だけで、それ以外はどうでもいいのだ。素人の考えそうなことだが、CDを聴くときも、会場で生で聴くときも、早くあの旋律が流れないかなとか、合唱が始まらないかなとか、とんでもないことを考えている。テープレコーダーの時は早送りが出来ていたから、聴きたい箇所だけ探し出して聴くことが出来たが、CDはそれが出来るのかどうか知らない。まして実際に会場に足を運んだときなどそんなことは出来るわけがない。勿論美味しいものは待たされるほど美味しくなるのだろうから、その前の部分の盛り上がりは大切なのだろうが、合理的なことに慣れてしまったからか、短絡的に考えてしまう。
 ただこの短絡は世のあらゆるところにはびこっていて、最早短絡から逃れることは難しい。地理的なもの、時間的なものならまだ分かるが、思考、あるいは感情の世界まで短絡が支配している。考えないこと、考えなくても良いことは、頭の回転と勘違いされ、愛憎も創造されない火花に化している。瞬間の使い捨てで世の中が回っていくのだから、その実りの貧弱さは想像が付く。豊を具現化してきた道具達もすでに反乱に転じ、道具によって滅ぶこともあり得る。道具に夢中になって個に埋没している少年少女を見れば分かる。電磁波で覆われた檻の中での捕らわれも居心地良さそうだ。
 寒波で瀬戸内までが冷えている。エアコンをつけている薬局の中にいても冷え込んでくる。戸外で働く人もいるだろう。戸外で寝る人もいるだろう。短絡で切ってはいけない情景が窓ガラスの向こうに隠れる。


2010年12月29日(Wed)▲ページの先頭へ
寒波
 恐らく野球部の部費を稼ぐために全員でアルバイトに行ったのだと思う。夜を徹してベルトコンベアで流れてくるアイスクリームをただひたすら箱詰めする作業だった。最初は一つずつつまんで箱に詰めていたが、そのうちすべての指間にアイスクリームを挟めるようになったから能率はすこぶる上がった。8個のアイスクリームを瞬く間に集めることが出来た。
眠らせまいとして深夜放送のボリュームを一杯上げて流された。アイスクリームは好きだけれど、一つごまかして食べてやろうとさえ思わなかった。ただひたすら流れてくる物でしかなかった。夜の3時頃30分くらいの休憩時間がもらえた。その時間にはタバコを吸って眠気をごまかしていた。
 ある夜、その休憩時間にみんなで仮眠をした。勿論僕たちは仮眠のつもりなのだが、全員が熟睡してしまった。当然30分後に誰一人工場には戻れなかった。どのくらい寝たのか記憶にないが、夜があけて帰ろうとしていると偉い人が日本酒を1本持ってきて、明日からは全員来なくていいと言われた。
学生だし若いから、徹夜なんてどうってことないと思っていたが、さすがに連日だともたなかった。その頃僕は初めて立ったまま寝ることが出来ることを知った。勿論電車だから少なくとも何かにもたれていたのだと思うのだが、それでも立ったまま寝ていた。そして目が覚めたときに、立ったまま寝れるって事実に衝撃を受けたことを覚えている。その日名鉄電車から眺めた景色や目が覚めたときの電車の中の光景まで鮮明に覚えている。余程印象深い体験だったのだろう。
僕たちはいずれ薬剤師になり様々な職場に迎えられることは当然すぎることだった。だから就職に関しては誰もが深刻には悩まなかった。徹夜でアルバイトをするのも、所詮その時だけだ。学生時代だけという条件付きなら何でも出来た。でもそれから数十年経った今、当時学生がやっていたようなことを、立派な成人が、社会人がやっている。どうせ今だけと言い聞かせるものをもたずに、あてのない明日のために夢のない今日を消化している。
 岡山県の大学卒の就職率が50%だとニュースが伝えていた。誰のせいかは分からないが、少なくとも本人達のせいではない。社会との接点、人との交わりは働くことで簡単に手に入る。もしその様な社会参加の手段を閉ざされれば、人との接点を失い孤立して生きなければならない。個が生きるための環境は整ってはいるが、心の中までは満たされまい。果てのない格差に憤りさえ覚えないのか、安穏とした歳が暮れる。予想される寒波に凍えるのは身体だけではないだろう。心の中まで凍り付いて歳が明けるわけがない。歳は暮れるものでも明けるものでもなく、ただただ流れているだけのものだ。


2010年12月28日(Tue)▲ページの先頭へ
湯たんぽ
 ささやかでいいではないか。これ見よがしの連続にはもううんざりして食傷気味だ。善意も視線を集めるためなら汚れてしまう。善意など隠してしまって不器用でいいではないか。謙遜もこれ見よがしなら慇懃だ。頭より先に生理が拒絶してしまう。凡人に出来ることは所詮ささやかなこと。良い行いも、悪い行いも桁外れのことなど出来やしない。背伸びしたって何も変わりない。下手をすれば哀れみの視線を、いや軽蔑の視線を送られるだけだ。
ささやかを形容詞に頂くような生活に慰められていたのに、それが消えてしまって派手になってしまった。元々ささやかの中で暮らしていた人が場違いな状況を与えられると疲れ果てるか、舞い上がって自滅してしまうかだ。ささやかは所詮ささやかの中でしか暮らせないのだ。真水の中の魚が海で暮らそうとしているようなものだ。
 無理はしないのがいい。無理に生産性があるとしたら病院のカルテに書き込まれる疾病の多さくらいだろう。努力は無理とは別物だ。無理は所詮逸脱でしかないのだ。たどり着かない旅人のようなものだ。努力には必ず余力が付き物だが、無理には後がない。後を残すのは恥ではなく生き上手なのだ。
ささやかでいいではないか。両手で溢れるほどの幸せも、冨も、実績もこの町を覆う空気のバケツ一杯分も作れやしない。いつかはすべてを返さなければならないのだから、求めないのがいい。空っぽな心に湯たんぽ一つ。


2010年12月27日(Mon)▲ページの先頭へ
 朝早くゴミを出していたら、近所の奥さんが「今日も寒いですね」と言うから「そうですね、でも今日は風がないからまだ楽ですね」と僕は答えた。氷点下の冷え込みだったらしいが、風に頬を切られなければまだしのぎやすい。そう言えばつい数ヶ月前には「今日は風があるからまだ過ごしやすい」と同じゴミ出しの挨拶でしたことがある。そうしてみると風もありがたがられたり、いやがられたりでままならないだろう。好きで吹いているわけではないし、好きで止んでいるわけではない。100%人間の側の理由だけで評価が振り回されている。純粋に気象条件だけに支配されているのに、人間の感情で振り回されては叶わない。
雨にしても気温にしても、この都合がまかり通る。風や雨や冷え込みの恩恵で命を育まれているのにどうも感謝の念が薄い。自然に対してこの有様だから、事人間に対してなんかこの比ではない。ある人も対象によっては悪人にも善人にもなる。善ばかりでつながっている鎖でも時に息苦しくなるから、適当に錆びたのが混じっているのも良い。
 風で運ばれる命も、風で壊される命もある。玉石混淆と分かっていても、身の回りはほとんど石ばかりだから、吹く風にあたってみたくもなる。自然の摂理に完全に従順な風に都合を振りかざす人間の都合には、風も呆れるだろう。いやいや雄大な自然にとってご都合主義の悪口には何処吹く風くらいの響きしかないのかもしれない。


2010年12月26日(Sun)▲ページの先頭へ
歌声
 新しい歌を覚えたかったので、ある若いフィリピン女性にテープレコーダーに吹き込んでもらった。コードだけは分かっていたので、拙いギターでボロロン、ボロロンと伴奏をしたのだが、後で聴いてみて彼女の歌声の美しさに圧倒された。いつもはフィリピンの人達が集団で歌うので、一人だけの歌声を聞いたことがなかった。みんなの声に隠れて取り立てて感動するようなものではなかった。ところが古いテープレコーダーに残っている彼女の歌声は、ソプラノで透き通るような声だった。どう表現すれば少しでも伝わるのだろうと思案しても、声を言葉で伝えることは至難の業だ。彼女が国に帰るので是非最後に独唱で歌声を聴かせて欲しいと彼女に頼んだのだが、その時僕は合っているのか合ってないのか分からないが英語で「貴女の歌声はとてもピュアーだから是非一人で歌って欲しい」とお願いした。勿論この中で実際に単語を発したのは「your voice is very pure」だけなのだが、意図は前の日本語の通りなのだ。
 彼女はただ微笑んだだけだったから、通じたのか通じなかったのか分からなかったが、傍にいた日本語が少し分かるフィリピン女性も僕の提案に賛成してくれたから意外と通じたのかもしれない。その答えは未だ不明だが、誰が何処でどうフォローしてくれたのか、最後の日曜日彼女は厳粛な式の中で清らかな声で神を賛美する曲を歌い上げた。伴奏は同じ国の若い男性がしてくれたから、僕は彼女の前方の椅子に腰をかけ、背中から聞こえる澄んだ声に包まれていた。いや恐らく僕だけではなく、多くの方が同じ体験をしていたのではないか。実際その時の歌声に驚きの感想が後日数人から寄せられたから。
 大げさな言い方かもしれないが、僕は今まで彼女に優る歌声を聞いたことがない。勿論クラシックなどのコンサートに行けばプロの素晴らしい声に圧倒されるのだろうが、少なくとも彼女の肉声に優る声の記憶がない。調剤室で薬を作っていても彼女の声がかなり現実に近い形で耳の中で再生できる。何度も何度もあの歌声が耳の中で、いや頭の中で再生されるのだ。
 初めてテープを聴いたときから、美しいとか上手いとかの形容詞は適さないと思っていた。清らかと言う言葉が一番近いのではないかと思ったのだ。歌が好きそうなのは分かるが、あの声は天性のものだろう。歌声だけで人を魅了できるなんて事があるのだと実感した。又聴きたい声があると言うことも知った。
 研修という名の労働を終えて彼女は南の国へ帰っていったが、歌声という形のない強烈な記憶を残してくれた。化粧箱にも入れられていないし、包装用紙にも包まれてはいないが、いつでも取り出せれて、いつまでも消えない心のテープレコーダーだ。


2010年12月25日(Sat)▲ページの先頭へ
クリスマスプレゼント
 今日、僕は最高に嬉しいクリスマスプレゼントをもらった。毎年形だけでも何かはもらっているのだろうが、今までで一番素晴らしいものだった。過去何をもらったか覚えているものは何一つないくらいだから、そもそも比較するのも意味がないかという気もする。 このところ2週間毎に遠くからやって来てくれるお母さんとお嬢さんがいる。どうして僕のことを知ったのか分からないが、30秒、いや1分に1回くらい咳くお嬢さんだった。病院で喘息の薬も頂いているし、近くの薬局でこれだけ飲んでいますと言う漢方薬もどきも沢山見せてもらった。以前は数十万円も、ある薬だけに費やしたとか、同業者として恥ずかしくなるようなサギまがいの餌食にもなっていた。要は何をやっても止まらない咳なのだ。1ヶ月半前初めてやってきてくれた日に僕も妻もそのお嬢さんがお母さんに向けるなんとも言えない優しい眼差しに魅せられた。あれだけ咳で苦しんでいるのに、お母さんの不調の問診をしているとき、お嬢さんがとても優しい眼差しや言葉をお母さんに向けたのだ。その光景を見て、何とかしなければと言う気持ちがとても強く僕に湧いた。以来処方を工夫しながらお世話させてもらっているが、今日来たときは家族3人分を作るから1時間以上薬局に留まっていたと思うが、1回しか咳かなかった。本人も4割くらいに咳が減ったと言っていたが、それ以上に減っているように思えた。
 治療に主観を入れてはいけないのかもしれないが、そんなの建前で僕はビンビンに入れる。保険調剤ではないから自由だ。善良な人には全勢力をつぎ込む。どうかなと思う人にはそれなりの対応しかしない。この家族は当然前者、それも飛びきっりの前者だから、外出している時でさえ、今度来たら結果次第でどの処方にしようなんて考えていた。今日の素晴らしい結果も車を運転しているときに思いついた処方だ。
 僕は彼女に心からお礼を言った。クリスマスプレゼント有難うと。完治するかもしれないよと言うと彼女が万歳をしたが、次はそのプレゼントを僕が渡す番だ。都会の人がこんな田舎の薬局に来てくれるのが不思議だが、優しい眼差しに心を打たれたように、のんびりとした業務だからこそ遭遇できる小さな喜びに気がつくことが出来る。そんなことに気がつかないままに淡々と業務をこなすのはもったいない。喜びなんて無防備な一瞬に現れるものだ。あの世界や、あの業界や、あの集団や、あの人達の計算尽くの洪水にはうんざりだ。


帰路にて
知らないうちに あなたは消えていた 
誰もが気がついているのに 誰もが口には出せなかった 
柔らかくて 温かい手で 深く頭を垂れる姿は 本当の祈りを教えてくれた 
あなたは何を祈っていたのですか 神様が見えたのですか 
あなたに見えなければ 僕らに見えるはずがない 

背負った十字架は 背負いきれるのですか 
僕らの十字架は 小さすぎて 十字架とは呼べない
あなたに手を差し伸べるには どうしたらいいのでしょう
神様の奇跡があなたに行われるように いつも祈っていました 
人のために祈る事を 心の底から祈る事を あなたが教えてくれた 

愛する子や孫と 同じ深さの祈りを教えてくれた 
思い切り大きな声で祈ってください 思い切り大きな声で歌ってください 
あなたとなら寒空で凍える人も 孤独な人も 病める人も手をつなぐ
僕らの臆病な愛でも届きますか 不器用な心でも届きますか 
僕らの臆病な愛でも許されますか 不器用な心でも許されますか


2010年12月23日(Thu)▲ページの先頭へ
歯車
 運送業者の青年が偶然僕の薬局に荷物を運んできた。本来はデスクワークの人らしいが、休日でピンチヒッターだったのだろうか。荷物を置くなり話は変わりますがと、おもむろに自分の不調を訴えた。10年来、お腹の張りと、胸のつかえ、息苦しさで苦しんでいるという。具体的に症状を聞いて僕には手に取るように彼の苦痛が分かったし、処方もすぐに浮かんだ。しかし彼はこの症状でもう10年苦しんでいる。当然病院にもかかっている。見るからに好青年なのだが、病院からもらったのは下剤と、安定剤だ。どの病院にかかってもウツと言われ、その種の薬しかくれないらしい。「僕は自分でウツではないと思っているんです」と答える彼は如何にも聡明そうで真面目そうだ。彼が自覚しているようにウツなどには全く見えない。食欲も睡眠も充分だ。笑顔も自然に出る。体力もあるのだろう、毎晩11時まで会社で働いているといっていた。ただこの症状だけが乗り越えられない壁になっていて、彼の歯がゆさだけは確かに言葉や表情に出る。ただ、どうしてこの症状を抗ウツ薬や安定剤で対処しようとするのだろう。もう5年も毎日安定剤を飲んでいてこれではだめだと思うんですと言う彼の不安はもっともだし、彼の方が寧ろ治療者より状態を把握しているのではないか。あなたが困っている症状は過敏性腸症候群というのだよと教えると、初耳らしくて驚いていた。10年の間真摯に向き合ってくれる医師がいたらこんなに困ってはいなかっただろうと思ってしまう。あれだけ勉強して医師になった人達がどうしてこのような青年を思いやらないのだろうかと不思議だ。死ぬ病気ではないからどうしても淡泊になってしまうのだろうか。製薬会社の出張所みたいな病院では、患者は消費者でしかない。
彼が仕事中だから立ち話で今日は終わったが、縁があれば僕に治すチャンスをくれるだろう。「僕はすぐ何でも気になってしまうんです」過敏性と言う言葉を聞いて納得していたが、このような青年の頑張りでこの国は労働力不足をごまかしている。とことん追いつめて、壊れればまるで部品を交換するように取り替える。頑張りすぎ病だと彼に言うと「頑張らなければ生活できないんです」と答えたがもっともだ。僕も彼も1億の歯車の中の一つでしかない。ほとんど何にも影響を与えられないし、一つや二つ欠けても社会は動く。現代の若者は油も差されない歯車だ。撲はもう錆びているが彼はまだ輝いている。赤絨毯の紳士淑女達には彼らの苦痛に充ちた輝きは分かるまい。


2010年12月22日(Wed)▲ページの先頭へ
礼拝堂
なにも守るものをもっていなかった頃、なにも恐くなかった
ただ守りたいものをもったとき そして守りきることが出来ないことを知ったとき
僕は一度に臆病になった
震える心を何かにすがりたいと思ったとき僕はひざまづいていた
夕暮れ時の礼拝堂には 誰もいなかった
ただ守ってくださいと祈った

誰かを傷つけるのは簡単だ 誰かをも守るのは難しい
悪意はなくても傷つけてしまう
生きる勇気が欲しかったのではない
臆病に生きていける謙遜が欲しかっただけだ
誰かを助ける力が欲しかったのではない
誰かが助かるのを見たかっただけだ

喜び溢れる人に会いたかったのではない
哀しみに打ちひしがれた人の笑顔が見たかっただけだ
偽らない人に会いたかったのではない 偽らなければ生きていけない人に会いたかったけだ
優しい歌声が聞きたかったのではない 歌えない人に歌って欲しかっただけだ
夕暮れ時の礼拝堂には 誰もいなかった
ただいと高きところにおられる方に会いたかった


2010年12月21日(Tue)▲ページの先頭へ
絵本
 「これで蝶々が出たら花札じゃなぁ」と妻が言ったから一瞬びっくりしたが、そう言えば若い頃花札で遊んだことがあるような気がする。別に裏街道を歩いていたわけではないが、当時は普通の青年がしていたのかなあと、おぼろげな記憶を辿ってみる。それにしても娯楽が少なかったのだろう、ろくな事をしていない。今も昔も同じだが。
 どうして花札などと言う言葉が口から出たかというと、会計をすませた人が、牛窓で鹿を見たと言い、このくらいあったと自分の頭の上の方を示したのだ。「車に乗っていたから大きく見えた」らしいのだが、予想以上に大きかったというのを彼は強調したかったみたいだ。奈良でも宮島でも、鹿を見上げるようなことはなかったから、余程彼の車はスポーツ車並に車高が低いのだろう。牛窓に鹿がいたなんて、なんてロマンなのだろうとその人の経験を羨ましそうに聞いていたら、もう1人の人が、昨日、猪が出たから気をつけてくださいと放送していたと教えてくれた。これで役者がそろったから後は蝶だけだと妻が言ったのだ。
 鹿と遭遇した人は運が良くて、見たこともない人間にとっては羨望の眼差しを送りそうになるのだが、ある農家の奥さんが、如何にも困るって反応を示した。僕らは鹿や猪がいる風景に郷愁を感じかねないのだが、その奥さんがすぐに想像したのは作物の被害に関してだと思う。明らかに僕たちとは違う反応を示した。「主人が道端の作物を何かにやられたと言っていたけれど、猪じゃろうか」と言う奥さんの言葉の前で皆言葉を失った。しばしば報道されるように農作物への被害は深刻で、その事がすぐに頭をよぎったのだろう。
職業的に共存できない人と、愛くるしい様を想像する人間との相容れない空気が支配した。ちょっとした会話から始まった気まずさだが、実際に被害が報告されるようになったら自分としてはどの様な態度をとるのだろうと自問してみた。どう猛で危害が及びそうな猪は別として、愛くるしい鹿に対して駆除の立場がとれるだろうか。結構難しい選択のような気がする。
 今までの人生で決して起こりえないと思っていたことが起こる。それも向こうからこちらに近づく形で。環境の何が変わったのかは分からないが、ひょっとしたら共生の時代がくるかもしれない。家の回りで鹿やきつねやウサギが遊び、人は争わず、助け合い、笑いながら暮らす・・・・絵本か!


2010年12月20日(Mon)▲ページの先頭へ
質問
「こんばんは、いつもありがとうございます。症状は自分でも驚くほど良くなったと思います。主人ともこんなに早く効き目が出るんだねと話しています。ですが、生理前から、また元のような状態になってしまい、ちょっと落ち込みました。完治といっても、皆さんどのくらいの期間で治るものなのでしょうか?それから、忘年会のシーズンなので気になるのですが、漢方薬を飲んでいるときに、お酒を飲んでも大丈夫ですか?」

 過敏性腸症候群で僕の漢方薬を飲んでくれている人に共通な疑問かもしれないので、その方への返事を公開する。

 良かったではないですか。こんな理不尽なトラブルから早く脱出してください。あの15、6年はなにだったのだろうと思いませんか。それこそが青春の落とし穴で、多くの人が悩みを引きずっているのだと思いますよ。心の青春を卒業してください。いや卒業しない方がいいのかな。あなたの感受性こそがあなたの魅力の中心であるはずですから。身体の青春だけを卒業しましょうか。いやこれも卒業しない方がいいか。青春時代の肉体を持ち続けることが出来たら幸せですから。生理中の不快は過敏性腸症候群の特有のものではありませんから、別次元のものとして捉えてください。日本人女性の7割は生理に影響されて不快になるのですから。そんなことまでご自分のハンディーとして捉えたら、何もかも引き受けなければなりませんよ。アフガニスタンのことも中国漁船のトラブルもすべてお腹と関連して考えてしまいます。僕の漢方薬で過敏性腸症候群が治るって事は、正しい判断力もつくって事ですから。僕はその様に薬を組み立てています。
 今まで完治した200数十人の中で最短は2週間、最長は5年です。どのくらいで治るかは僕には分かりません。どのくらいの歳月、どのくらい一人で苦しんだのか、食生活、家庭環境、持って生まれた性格、日常の過ごし方など要素が一杯ありすぎて判断できないのです。
 漢方薬とお酒の併用は一向にかまいません。ただ、お酒を飲むと誰もが下痢気味になりますから、その結果起こることはすべてお酒のせいだと割り切れるって条件付きです。その時点で又思い悩むのだったらお酒は勧められません。お酒で漢方薬を飲んでもかまいませんから、その日も漢方薬を忘れないようにしてください。基本的にはおおらかにいきましょう。すべてOKです。
ヤマト薬局


2010年12月19日(Sun)▲ページの先頭へ
肉体労働
 明らかに人選ミスなのだが、言われてみればその集団で若い男性と言うことになると、僕が当てはまってしまうのだ。社会の構図から言うとすこぶるいびつだが、恐らく色々な集団で同じようなことは確実に進行しているのだろう。世代が上の人達にとっては年齢を意識することが少ないから居心地はいいのかもしれないが、伝えなければならないことは明かに断絶してしまう。
大工と鉄工所の職人の2人の祖父を持っている割に僕は不器用だ。世渡りも勿論不器用だが、手先はそれに劣らず不器用だ。そんな僕に白羽の矢が立ったけど、さっきの条件だから引き受けないわけにはいかない。何処で買ってきたのか知らないが、ショーケースの土台部分を組み立てるように依頼された。2人で担当するように言われたのだが、幸運にも相手がいつも陰になって支えてくれている男性だったので、一安心だ。設計図を頼りに始めたのだが、相手の方もどうやらそんなに得ててはいないみたいだった。だから頭をひねりながら、ドライバーをひねりながら、ついでに腰の鈍痛に襲われながら、日曜の昼下がり、床の上に腰を下ろし2人で日曜大工の真似事をした。たった一つの棚だが、ひょっとしたら2時間くらいかかったのかもしれない。ほとんどの方が帰っていなくなっていたから。ただ出来上がったときには、それなりに達成感があって、こんな過ごし方の日曜日もあるのだと、若干の解放感に襲われた。その作業を依頼されていなかったら、家に帰って、月曜日に取りに来る2人分の煎じ薬を作っておこうかと考えていたところだったから。
 いつからこんなに休み下手になってしまったのだろうと思うが、学生時代一生分遊んだことの罪の意識が潜在的にあるのかもしれない。もう充分返したような気もするがトラウマはなかなか消えないものだ。
 帰りにいとこの家により、新米をもらった。持とうとしたがとても持てそうになかったので、ネコ車を借りて車までの坂道を運んだ。ネコ車を使ったのなんていつからだろう。大学生の頃祖父を手伝うために長期休みに泊まり込んでいたとき以来だろうか。余りにも米が重たいので重量を尋ねると30Kgだと言っていた。仕事に差し支えなければ持って持てないことはないが、ちょっと挑戦したツケが今でも残っているから、やはりネコ車を借りていて良かったと思う。
 今日は少しだけ肉体労働者。肉体労働にあこがれていたが、僕にはきっと続かなかっただろう。すぐに体をこわして首になるのがおちだ。ただ、恐らく僕くらいの身体的な能力で肉体労働についている人も多いと思う。どの様にしのいでいるのか分からないが、恐らくかなりの苦痛と同居しているだろう。強い信念か、食うための執念か、はたまた諦めか知らないけれど、いつかは悲鳴を上げるのではないか。
 僕らは工程の半分あたりで初めて、棚が横向きだと知った。それまでは立てらせる棚だと思って作っていたのだ。これが本当の「横の物を縦にもしない」だ。いや「縦の物を横にもしない」か。


2010年12月18日(Sat)▲ページの先頭へ
ハーフ
 勘が当たってしまったものだから、話が長くなってしまった。僕はその手の情報は全く持っていないから、新しい服を着ているのを見て「それ、ユニクロの?」って聞いただけなのだ。唯一知っている服のメーカーだからそれ以外には口から出ようもない。その店で買い物もしたこともないから、根拠も何もあったものではない。
最近の服は軽いってのはよく聞く言葉だ。何処のメーカーの何が軽いのか分からないけれど、軽そうだねって声をかけると、ほとんどの人が嬉しそうな顔をして饒舌になる。軽いって事は時代の先端を走っていることにでもなるのだろう。僕など錘かと思われるようなものを未だ身につけているから、冬は辛い。人間が軽いって事はよく言われるが、まさか僕の服装を見て軽そうという人は一人もいないだろう。まだ鎧と間違われないだけいいか。
 さてユニクロを当てられたその女性はまんざらではなさそうで、ユニクロの製品としては高いと言うことと、さっきの軽いって事を強調した。おまけに、テレビのコマーシャルで黒木メイサが着ているのと同じだと教えてくれた。何でもそのコートの下に温かくなる薄い服を着ただけで、沖縄出身の人間でも耐えられると宣伝しているらしい。その宣伝の内容を詳しく教えてくれた。僕は年賀状の宣伝をしているのかと思ったら、服の宣伝だったのだ。その女性はユニクロの服がいいと教えてくれているのか、黒木メイサと同じ服って事を教えてくれているのか分からないが、服って結構実用的な価値とそれ以外の付加価値があるのだと想像した。実用一点張りの僕からしたら不思議な感覚だが、たった服1枚で会話がつながっていくことを思えば、付加価値の部分のボリュームも結構大きいのだろう。
 世にユニクロがあろうが無かろうが、全く関知しない生き方も結構自由でいい。他の分野でも同じだ。徹底した合理主義者だから、有用と必要をクリアしない限り手を出さない。たった二つの簡単な基準さえ守れば物に振り回される生き方をしなくてすむ。これは結構楽で居心地がいいのだ。追求しなければ楽なんてこんなに楽なことはない。求めなければ楽なのだから、ほんのちょっと意地っ張りになればいいだけなのだ。確信犯かずぼらかはそのほんの少し張られた意地だけの差だ。この僕はと言うとその二つのハーフだ。


2010年12月17日(Fri)▲ページの先頭へ
秀作
 県境から3人づれで来てくれる女性達は、そのうちの2人が漢方薬を1ヶ月分づつ持って帰るから、最低1時間は薬局で待ってくれる。その間楽しそうに話している。薬局の次はランチをするらしくて、それがお決まりのコースなのだ。3人の話の中には、かなりの田舎でないと出てこない単語がしばしば出てきて、牛窓なみ、いやそれ以上ののどかな光景を想像してしまう。昨日なんか、氏子総代なんて言葉も出てきて、都会の人には絶対分からないだろうなと、調剤しながら聞こえてくる話の断片を僕も楽しんでいた。
隣がもう兵庫県だからか、田舎のくせにとてもセンスのよい女性達で、猪や鹿が出てくる町から来た人のようには見えないくらいおしゃれだ。そのうちの上品な女性のお子さんが今年大学受験らしくて、もうすでに1校受けたらしい。まだまだこれから沢山受けるらしいから、大変ですねと声をかけると「身の丈を知らないもので」と、謙遜か冗談か分からないような返事をした。「受験ほど親にとってストレスはないよね」と僕が言うと、ちょっとお茶目な奥さんが「支払いの方がストレスよ」と横から口を挟んだ。「ほんとよね」と残りの2人が口をそろえて言ったから、具体的な支払い、それもちょっと額がはったのか、どうも内容を知っているような口振りだった。お茶目な女性はちょっと顔をしかめるような素振りをして「付いて行きたかったわ」と言った。一瞬僕は何の意味か分からなかったが、要は支払ったお金に付いていきたかったって事だと理解した。その時も面白い冗談だと思ったけれど、その後も思い出すたびに心も身体も弛緩した。庶民のちょっと悲哀を含んだ冗談が、僕には今年一番面白かった冗談のように思えた。もっとも冗談だから頭から消えるのは早くて、沢山の笑いを運んでくれた言葉達に遭遇しているはずなのだが、ついさっきの出来事を悲哀を込めて笑いに変えたところが秀作だ。
 どちらが癒してもらっているのか分からないような光景だが、僕の薬局の有り難いところだ。気の合う人達だけが来てくれるから、こちらもすべての力を出し切れる。どんな人が入ってくるか分からないような、常時戦場みたいな環境では経済行為と割り切るしか仕方ないが、神経をすり減らしてまでそんなことに徹する気にはなれない。体調不良が結びつけてくれる唯一の縁だから因果な職業だが、折角の縁を笑顔の交換で大切に出来たら、その年を代表する冗談にも巡り会える。
 ところで彼女は何の為に、どのくらい支払ったのだろう。


2010年12月16日(Thu)▲ページの先頭へ
 「なんじゃそりゃあ」と思わず声をあげたくなるような言葉を今朝のニュースで聞いた。マイコプラズマ肺炎がはやっているという特集で、保育園を取材していたのだが、保育士が「園児様の体調を考えて・・・・」と発言した。園児様っていったい何なのだろう。大の大人が子供に向かって様とは、開いた口がふさがらない。おかげで朝から顎関節症だ。どんな意図があってそんなとってつけたような言葉を使うのだろう。少子時代に子供を取り合っているとしか思えない。子供を大切に預かりますよと言う見え透いたキャッチコピーにしか思えない。恐らく保育士の口からとっさに出た言葉ではなく、経営者から強要されている言葉だろう。
患者様が出現して驚いていたのに、これでは患者様も影が薄くなってしまう。影が薄くなってその様な言葉が消えるのならまだ分かるが、より刺激的な「様」が出てくるかもしれない。お犬様はすでに歴史上登場しているから、次はさしずめお猫様くらいか。言葉が乱れているのならまだいいが、僕はその影に計算が見え隠れして不愉快だ。決して様なんて思ってもいないのに「生活の糧を運んでくれるもの」としての評価だけが伝わってくる。本当に尊敬できる人なら様を付けてもいいが、果たしてそんな敬称が似合う人がいるのだろうか。安易に様と呼んでも、呼ばせてもいけないと思う。言葉だけの帳尻あわせは返って不愉快で、見え見えの計算尽くが痛々しい。誰よりも偉くなく、誰よりも劣っていない、それでいいではないか。そんな日常の如何にすがすがしくて楽なこと。
患者様と呼ばれてモンスターになり、手が付けれなくなっている教訓を忘れてはいけない。本当に力がある人は決してそれを行使しない。経済と引き替えに勘違いをさせる方も罪だ。幼い子供達にモンスターの種をまいてはいけない。すくすくと育ってはいけない芽もあるのだから。


2010年12月15日(Wed)▲ページの先頭へ
息子
 「誰もお客さんがいないのだったら、息子を連れてくれば良かった」残念そうな顔で言うから、一瞬僕は対応に困った。確か彼女は独身だし、まして半年くらい前にもおなかがおおきいようには見えなかった。「私も同じのにしたんですよ」と言う言葉で息子の意味が分かった。
 最初来たときに相談机の上に並べられた薬の多さに驚いた。まだ若いのにそれらの薬を10年以上飲んでいると言う。不安神経症的な要素は感じられたが、それ以外は全くごく普通の女性で、寧ろ気配りの行き届く出来た人だなあと思った。その出来過の人格こそ、多くの壁を作り自分の心を痛めたのだろうが、どう見ても病人には見えない。それだけの薬を飲んでいてどの程度良くなったのかと尋ねても、皮膚が痙攣すること以外は効果が分からないと言っていた。寧ろ眠たくて倦怠感に襲われるから余計しんどいとも言っていた。どう見ても多すぎるから先生にもう一度点検してもらったらと助言しても、結局薬は一つも減らなかった。僕は低血糖気味な極度の倦怠感をお世話することになったのだが、常にその薬の多さは気になっていた。
 ところが昨日彼女との話の中で心療内科の薬をほとんど止めていることが分かった。その立て役者はまさしく「息子」なのだ。僕の助言ではない。いつか薬を取りに来たときに、我が家のミニチュアダックスのモコを紹介したのだ。とても彼女は喜んで1時間くらい戯れていた。その後同じ犬種の犬を買い求めたらしく、その雄犬が彼女の心をとても癒してくれているらしい。だから効いているのか効いていないのか分からないような安定剤や抗ウツ薬は不要になったらしい。元々必要性を感じなかったが、昨日の彼女は病的な要素をますます見つけることが難しくなっていた。素敵な女性が薬局の中で僕と談笑しているとしか誰にも見えなかっただろう。
 7万円の息子の効力はすごい。小さい犬は人間に頼り切ってしか生きていけないからとても甘え上手だ。その甘え上手に彼女の心が解けて、長い間の病気に逃げ込む姿勢から撤退できたのだと思う。病気に逃げ込むことによってでしか身を守ることが出来ない人は結構いて、そう言った人に容易に薬が処方される。薬でしか治せないのかといつも疑問に思いながら僕も処方せん調剤しているが、実は薬以外でしか治すことが出来ないものも多い。誰かの利益を保証するために心を病んだりしたらもったいない。犬でも治すことが出来るもので苦しんだらもったいない。愛情をかけてやる存在、頼られる存在の偉大なこと。モコ〜


2010年12月14日(Tue)▲ページの先頭へ
収納
 朝早くから引っ越しの手伝いに行ったはずなのに、引っ越しのトラックが日が暮れてから我が家にやってきた。あっという間にプロの手で狭い駐車場が一杯になる。息子が捨てたものを、妻がもらってきたらしい。
 これで何十年妻が待ちに待ったソファーのある生活が出来る。風呂場で使う棚、台所で使う食器棚、事務所で使う棚、名前は分からないが新しくそろえれば結構かかりそうな雑貨も色々そろっている。台所も風呂場もこれで一見整理がつきそうだが、今まで別に物が溢れていたわけではないから、その整理棚こそが余分な物になってしまいそうだ。
物がない空間を理想にしているから、物は基本的には買わないようにしているのだが、一気に物だらけになってしまった。もらってきた収納のための道具を収納したくなる。もらったら最後、今度は使えなくなるまで使いきるタイプだから、当分、収納する物がない収納器具の収納に困っている家になってしまいそうだ。
先日、あるところで沢山のスリッパを前に悩んでいるおばちゃんがいた。その女性はその中の古くなったものを捨てるように幹部の人から指示されたのだが、捨てるのを躊躇っていた。僕が通る度に「これを捨てろと言われるのだけれど十分使えるよね」と訴えるように話しかけてきた。僕が見せてもらったスリッパはとても綺麗で捨てる対象になるとは決して見えなかった。だから「もったいない」を何度も繰り返した。僕が通る回数と幹部が通る回数が同じなのか、何度も同じ質問をされ、最後は結局捨てないことにおばちゃんは決心をし、棚の一番上に隠すように置いた。我が家だったら新品に匹敵するような物を捨てろという神経が僕には分からなかったが、どう見ても人格はそのおばちゃんの方が優っているように思えた。
さて、夢のソファーはさっそくリビングに置かれたのだが、何となく見覚えがある。と言うよりモコが素早く反応して匂いをかぎまくった。そうだ、それは7年くらい前に息子のアパートでモコがくつろいでいたソファーだ。ソファーを買うような金がなかった息子が、卒業する先輩からもらった物なのだ。となるともう10年以上の年季は入っていることになる。お古のお古と言うことになるから、何となく夢の贅沢にも後ろめたさが薄らぐ。 僕は豊を目指して暮らしてこなかったから、豊を手に入れれたと思う。物に執着しなかったから、いい人に出会えた。足許にも寄りつけないほど謙遜な人にも多く会えたし、微笑み豊かな人も沢山知っている。良い行いをしていることにも気がつかない人を何人も垣間見たし、不器用なお節介にも助けられた。名もなき人達の精一杯に囲まれて暮らして来れたことほど豊かな日々はない。豊かさがたわいないお喋りの中であくびする。


2010年12月13日(Mon)▲ページの先頭へ
クリスマスプレゼント
 田舎にいるからジングルベルも聞こえてこない。不景気だから日本中そうなのかと思うが、テレビではやたらと煽っている。どうせネタを捜す力もないから恒例行事は有り難かろう。
 ジングルベルもパーティーもプレゼントも、本来キリストが誕生したこととは何の関係もない。どうして豪華な宮殿で生まれずに馬小屋で生まれたのかを深く考えるべきで、物が行き来し、ご馳走をほおばり、酒に気分を高揚させるなんて、本来の信仰とはかけ離れている。まさに巷で行われている商業主義クリスマスにどっぷりと浸りそうな信者を戒めるために、昨日、尾道教会の神父様が「ただ(無料)のクリスマスプレゼント」について話して下さった。お金をかけなくても、いや、お金をかけないからこそ、素晴らしいプレゼントが出来るというものだが、聞いていて耳が痛くなることばかりだった。ジングルベルもパーティーもプレゼントも、ご馳走も、酒までも準備万端で迎えようとしている玉野教会のことを知っていたのか知らなかったのか分からないが、耳だけでなく心筋までが痛くなりそうだった。
僕は今日その聞いたばかりの話を披露するのだが、僕が届けたいのは、クリスマスを一人で過ごす人達だ。信者とかそうでないとかは全く関係ない。クリスチャンがキリスト教徒的だとは限らないし、クリスチャン以上にキリスト教徒的な人など数え切れないほどいる。どんな宗教だって、いや宗教など全く興味もない人達の中に素晴らしい人は無限にいる。
 ジングルベルもプレゼントもパーティーも無縁の人達に、僕が一番大切な人達に届けたい。そしてその「ただのプレゼント」こそを、クリスマスなどと日にちを区切るのでなく、ずっと切れることなく贈りたいと思っている。その為に精進しなければと想いながら教会を後にしたから、僕はその時点で価値ある「ただのプレゼント」を頂いていたのかもしれない。
神父様は物を贈るのではなく、次の5つのことをプレゼントすべきだと紹介してくれた。まず「聴く」こと。聞くことではない。心を込めて相手が言わんとすることを理解すること。話し終わるまで待つこと。「微笑むこと」「許すこと」「感謝すること」「褒めること」。こうして列挙してみると、どれもお金では買えない、どこからも調達することの出来ない、代用のきかないものばかりで、実践するには人間としての地力がいる。生まれてからずっと培った人間力を総動員しないとこのプレゼントを渡すことは難しい。難しいからこそ価値も計り知れなくて、このプレゼントをもらった人の笑顔は、それこそ何にも代えることが出来ないものになるだろう。
 クリスマスは百貨店のショーウインドウやレストランの香りの中からやってくるのではない。凍えた夜にダンボールで体温を逃がさないようにして眠る人達に降る月明かりのように、できるだけ些細なことを出来るだけ全力で尽くせとやってくる。


2010年12月12日(Sun)▲ページの先頭へ
つなぎ服
 いつもはきちっとしたスーツ姿でやってくるのだが、昨日は車検工場の人みたいにつなぎ服でやってきた。困難さを予想していたかのようだ。恐らく機械に疎い薬局の急な要望だから一筋縄ではいかないことを想定していたのかもしれない。あるいは無秩序な配線を、机の下に潜って埃まみれになりながら点検しないといけないことも予想していたのかもしれない。どちらにしても彼の予想は当たっていた。狭い空間に身体をよじらせて入っていって確認した配線も、ディスプレーも突然パソコンが使えなくなった理由ではなかった。調剤を受けている薬局にとってパソコンの故障は致命的だから、出来るだけ早い現状復帰が必要なのだが、現場での簡単な作業で治る故障ではなく、パソコン本体の故障だという事が分かった。
こう言ったときのためにちゃんと本体の替えを持ってきてくれていて、データを移し替えてくれることになった。ところが素人の悲しいことに、毎日のバックアップというものをしていなかったらしくて、思わず「致命的ですね」と彼が漏らした。故障したときのために必要な操作なのだが、故障しないだろうなんて甘い考えを素人は持ってしまうので、彼のため息は結構危機感を持って迫ってきた。ついにやってしまったかと後悔ばかりが駆けめぐる。しかし、致命的ならどうしようもないのに、何故か今までもそうであったように、何とかして回復してくれるのではと甘い期待もよぎった。パソコン、インターネットなどは全く僕の介入できない分野で、多くの人の神業に助けられてきたから、今回もあわよくばと、根拠のない期待も抱いていた。
案の定30分もしないうちに、彼はデータを復元してくれた。単語が分からないからどの部分だとは言えないが、故障した機械からデーターが保存されているところをとりだして、その部分を替えの機械に組み込んでくれたらしいのだ。確かに彼が見せてくれた画面には、昨日までの内容がすべて復元できていた。
 犯罪捜査の報道で、とことんデーターって復元できるものなのだなあと言う印象を持っていたが、彼の作業を見ていてふとそんなことを思った。パソコンを廃棄するときには気をつけないとと思ったし、こんな田舎の小さな薬局に興味を持っている人などいないだろうとも思った。それにしても、いったいどのくらい人の手を煩わせてやっとの事で時代について行っているのだろう。とうに置いてけぼりをくっていても不思議ではないのに、何故か多くの救いの手が差し伸べられる。全く少し前までには存在しなかったものが社会の中枢をにない、それに従事する人も沢山いて、まるで昔からあったように違和感なく存在している。多くの職業を潰しながら飲み込みながら肥大化したシステムは、一気に時代を加速させたが、つなぎ服に着替えてやってくる人の気持ちまでは創造できないだろう。


2010年12月11日(Sat)▲ページの先頭へ
神話
 正直、かなりショッキングな話だった。僕の田舎神話がもろくも崩れ去った。いくら背後に山が迫り、前に海が広がっても、最早子供の心を蝕むものを遮断することは出来ないのだろうか。精神の要塞なんて最早あり得ないのだ。
 牛窓には小学校が3つある。牛窓町の合併以前の学校がそれぞれ残った形だ。3校にはそれぞれ昔の地区を象徴するような固有の特徴があり、田舎の町の中で、都会的な雰囲気がある学校、田舎の中の田舎を自称するような学校もある。
 ところが、田舎の中の田舎の学校以外の2校で、小学生が刃物を持って登校している話や、授業中に自由に歩き回る生徒がいることをつい最近聞いた。学級崩壊気味というのは少しは耳に入ってはいたが、刃物を小学生が持ち歩き、顔の前に出して威嚇するなんて話は聞いたことがない。
成長過程で何があったのか、何がなかったのか分からないが、多くを失ったまま成長するだろうその子達が哀れだ。又その様な子と一緒の時間を強要される子供達も気の毒だ。何時の頃から見られる光景になったのか分からないが、少なくとも娘が通っていた頃にはなかった光景だ。と言ってもそれから20年近く経っているのだから様変わりしても仕方ないが、なにも原因がなくしてその様な変化はないだろう。社会環境のせいにするのか、家庭環境のせいにするのか、はたまた食べ物のせいにするのか、何かのせいにしなければ落ち着かないが、社会崩壊の導火線に火はもうついている。格差などという同じ土俵の中の出来事では収拾がつかなく、やがてベルリンの壁が此処彼処に出来るだろう。どちらがどちらを隔離するのか知らないが、壁の向こうは別の世界になってしまう。いやもう見えない壁はいくつも作られている。後はそれに石垣を積むだけだ。
 圧倒的な自然の中で暮らす子供の心で殺伐とした敵意が制御を失っている。「田舎」で保証される絆はカッターナイフ一つに勝つことは出来ないのか。O脚の老婆があぜ道を這う。


2010年12月10日(Fri)▲ページの先頭へ
写真
 現在薬局をやっている土地を、前の持ち主の店舗と共に買ったのが何時の頃だろうか。当時牛窓に色々な面白い人が流れてきていて、彼らとのたまり場にしようと、数年間、古い店舗の中を改装して遊んだ。
実はこんな事、頭の中から完全に吹っ飛んでいた。ある写真を鍼の先生がメールで送ってきて思い出した。何十年の間、一度もよぎったことのないあの頃が、徐々に記憶の中で組み立てられ始めた。覚えていないくらいだから、僕の人生に決定的な影響を与えたのではないが、通過する宿場町としては必要だったのだと思う。
写真の中で僕はギターを持って歌っている。傍で鍼の先生が腰掛けてリードギターをやってくれている。つい最近玉野でやったそのままの27年前番だ。古い店舗を改造してライブハウスふうにして、時々コンサートをやっていたのだろう。正面には潮風公会堂などと、とってつけたような名前が書かれている。青年期を過ぎたばかりの若者が集って夜な夜な遊んでいたのだ。写真の中の僕も鍼の先生もとても若くて、一つの絵になっている。それが僕でなかったら思わず格好いいと声をあげそうな雰囲気だが、被写体が僕ではイマイチ、いやイマニ、いやイマサン。
その写真を見て、ほんの少しだけ、いつからどうして僕は唄を歌うのを止めたのだろうと思った。自然に、飛行機が離陸するかのようにゆっくりと離れていったから、いつからというようなことは考えてみたこともなかった。ただ、写真の中の僕は唄の中に完全に入り込んでいるから、少なくとも27年前のあの時点では懸命に歌っていたのだろう。
 僕は音楽が好きというタイプではない。音楽を聴いて楽しくなると言うのも余り無い。勿論身体でリズムを刻むこともあるが、僕にとって音楽は想いを伝えるための手段でしかなかった。何かを表現したい時の一つの手段だったのだ。だから音楽と離れるって事は、訴えるものが無くなってきたことと連動しているように思う。何かを作品に託して聴いてもらいたいと思ったときに、素人ながらそれらしく仕上げようと努力していた。漢方薬が少しずつ分かりだして、直接喜んでいただけるようになって、目の前にある喜びの方が、不特定の人に時々メロディーに載せて訴えるより遙かにやりがいがあると思ったのだ。だから自然に歌うことから足が遠のいたのではないかと思う。事実、先日玉野で歌うまで、人前で歌うなんて事は考えてもいなかった。
音楽が好きではなく、何かを伝える事が好きだっただろう僕のブログを鍼の先生が見つけたときに「ライブ」だと言ったのは、的を射ていた。指摘された僕が驚くくらい言い当てていた。下手なギターを下手なパソコンに持ち替えたのは、普通の人が普通に暮らすことが出来ることこそ価値があると伝えたい一心なのだ。


2010年12月09日(Thu)▲ページの先頭へ
孤独
 相談相手もなく、一人で何とかなる時代ではない。パソコンを開けば情報には容易に接することは出来るが、それを読みとる知識や経験は、生身の人間の助けなくしては頼りない。
 病気は孤独なものだ。例え沢山の人に囲まれていても、痛みも痒みも息苦しさも不自由も、なにも他者と共有できるものはない。誰かに預けられるものでもない。自分一人で背負わなければならない。勿論家族や友人、あるいは医療関係者の愛や援助は幾分か苦しみを和らげてはくれるが、取り去る力はない。悲しくて辛い作業だが一人でそれを引き受けなければならない。だから健康と健康でない人の線引きが辛い。みんな健康の側に漏れなく入るべきだ。そんな奇跡が起こらないかと時々思ってしまう。
その中で比較的他者に苦しみを取り去ってもらえるとしたら、心のトラブルだろうか。多くの人が毎日苦しみを訴えるが、本当に良き相談相手、良きぐちり相手を持っている人は少ない。逆にそんな相手がいないから発症してしまうのだろうが、本来なら口から一杯吐き出していれば発病なんかしなかった人達ばかりだ。何の因果か、身の回りに自分の弱さを露呈してもいいような雰囲気がなかったのだ。落ち込んでも尚頑張って体面を保たなければならなかったのだ。もう充分だよと言ってくれる人がいなかったのだ。
精一杯も体力に保証されなければ鋭利な刃物に豹変する。精一杯も他者に向かうときは快感だが、体力の裏付けを失うと刃先は自分に向かってくる。高い倫理も持って生まれた潔癖も砂上には建たない。強固な礎の上にしか普遍は建たないのだ。
 ああ今日も又、折れた心に氷点下の冬が降る。


2010年12月08日(Wed)▲ページの先頭へ
自戒
 ここ数日でいったい、何人の方を喜ばせたのだろう。
 僕が一言でも発すると「あれ、風邪ひいてるの?」と、まるで条件反射のように返ってくる。その数は優に数十人に達すると思う。又かというのが最後の頃の感想だったから。そしてその言葉に必ず嬉しそうな顔が添えられている。他人の不幸がそんなに嬉しいのと思うが、それこそ滅多にひいたところを見たことがないからだろう、まるで鬼の首を取ったような喜びようだ。
実は牛窓では風邪がはやっていて、娘夫婦が作っている薬局製剤の風邪薬でほとんどの人が十分効いて喜んでくれている。1包が100円、3日丸まる飲んでも900円という値段も手伝ってか、もう一冬分すんだのかと思うくらい沢山の人がその風邪薬を取りに来てくれた。それだけ応対しているのだから、当然僕もいつの間にか感染して、いつの間にか治っているのだろうと、だから免疫は僕の身体では完成しているだろうとたかをくっていた。ところが立派にひいてしまった。当初のどがかなり痛かったが、皆さんの症状を見ていて大したことがないことが分かっていたので、なにもせずに成り行きに任せていた。以前ならこのタイミングでバレーボールでもすれば一気に治っていたのだが、今はそう言った荒療治をする体力も気力もない。そのうち、鼻が詰まり痰が絡み始め、そこでやっと、意外と手強いことに気がついた。気がついてから薬を飲み始めたのだが、後の祭りで、結局は1週間近く例の鼻声が続いた。
 風邪を疑わせるのは鼻声だけなのだが、それが一番相手にはわかりやすい。だから僕の一声で気がついてしまう。移さないでと警戒心をあらわにしているのか、あの100円の風邪薬が効かないの?と色々な思惑を秘めた「あれ、風邪ひいてるの?」が飛び交った。もう最後にはこちらも居直って「風邪くらいひかせて、福山雅治でもひくわ」と答えることにしていた。
風邪なんて薬を飲んで寝ていればまず治るが、薬も飲まない、寝もしないでは、結構日数を要することを体験した。今までは交替がいなかったから神経質に対処していたが、今は僕以外に2人も薬剤師がいるから、いつでも休めるという緊張感の無さのなせる技だったのかもしれない。ただ、風邪は結構不快だ。初心に返ってこれからは慎重に対処しようと反省した。それにしてもあの「あら、風邪ひいているの?」攻勢には参った。その誰もが善意のいい顔をしているから、風邪以上は避けないといけないと自戒した。


2010年12月07日(Tue)▲ページの先頭へ
感想
 先日、玉野カトリック教会で歌った「米原」について、以下のような感想をもらった。

「米原」が歌語になりうることを初めて知りました。地理的にも日本列島の真ん中あたり、
冬には伊吹山から吹いてくる風と、しばしば雪で新幹線は遅れたり止まったりする駅と町です。あの雪の降る米原、風の吹きぬける米原、北に西に東に南に、通過、途中下車、そして旅立つ米原、、、、、、特に雪と風の日、米原を通るとき感じていた不思議な感覚を先日の歌でやっと具体的なイメージをつかめた気がいたします。あの歌は「米原」でなければならないのです。都会でもなく最果てでもなく他の地名にはおきかえられない「米原」。若い日に感じる寂しさ、不安、むなしさ、かなしみ等の象徴性が似合う地名です。この年になってようやく気づきました。 

 何か僕の拙い作品より、この感想の方が数段格調高い作品のような気がする。
 貧乏学生だった。経済だけでなく、心も貧乏だった。西に向かって故郷に帰っても何の成果も持って帰れないし、東に行ってもまた狭いアパートで孤独な永遠に続きそうな時間との格闘しか待っていなかった。身動きのとれない沈殿した精神を歌ったものだが、落ちるところまで落ちなかったのは、落ちるところまで落ちなかった先輩や後輩がいたからだと思う。来年、再来年の自分を今まさに演じている先輩がいたし、来年、再来年に今の僕を演じる後輩達がいた。誰もが希望など持ってはおらず、銀バエの羽音にさえ飛ばされそうな抜け殻をバトンリレーするだけだった。今日を生きる動機付けに苦しみ、明日を生きる動機付けに見放され、その日その日に終止符を丹念につけていただけだ。その日が曲がりくねってでも終わってくれることだけが哀れな達成感だった。


2010年12月06日(Mon)▲ページの先頭へ
戦慄
 一瞬見ただけだからすべてを把握できなかったが、時々報じられていることだから、特別珍しいことではない。ただ、240錠という数字だけが頭から消えなかった。本人の口から出ているのだから嘘ではないだろうが、良くもそんなに飲めるものだと、物理的な労力に驚く。
安定剤などのヘビーユーザーが問題になっているらしいのだが、240錠には驚いた。逆にそれだけ飲んでも死なないのだから、そんなに安全なものかとも思った。何を期待して飲むのか、何から解放されたかったのか分からないが、果たして大量に飲めば飲むほど効果があるのだろうか。不安感がなくなり一時でもルンルンになれるのだろうか。心地よい睡眠が得られるのだろうか。
 普通ならまずは手に入らない錠数だ。どうやって手に入れるのだろう。安易に処方されると言っても、一気にそれだけ飲む人にどうやって供給できていたのだろう。非合法のルートが出来上がっているみたいだが、需要側は命がけだから割に合わないだろう。命がけという判断も出来ないくらい辛い症状があったのだろうか。恐らく初発の時に的確な治療が受けられなかったのだろうが、それでは不幸が形を変えただけだ。小さな化学薬品の固まりに人生を奪われてはたまらない。
「死にたい死にたいと思っているときはいいのよ、死ななければと思ったときはだめだと思った」ある心を病んだ人の言葉だ。経験者でしか分からないこの言葉を聞いたとき、僕は戦慄が走った。真実は傍観者には等身大では理解できない。何分の一も理解できるものではない。僅かな言葉の違いは、当事者にしか分からない。この言葉の違いの重みを職業上の戒めとして記憶しておこうと僕はその時に思った。しがない薬剤師に抱えきれないことばかりが多くて、期待に応えることが出来ないが、哀しみの一つくらい落としていっても良い場所にはなっておきたいと思う。


2010年12月05日(Sun)▲ページの先頭へ
ハンディー
 ハンディーはいくつもある。まず英語。フィリピンの方達の指名だから歌詞も綺麗なのだろうが、何が詠われているのか分からない。次に曲。初めて聴く曲だし、自分で感銘を受けたメロディーでないから全然頭に入らない。だからどうあがいても宙で歌えない。そして決定的だったのは、歌詞につけてくれていたギターコード。どうもこれが怪しくて、合っているような、合っていないような。
クリスマスのミサの後の会食でフィリピンの方達がコーラスを披露してくれるのだが、1ヶ月の猶予でとても伴奏なんかしてあげられそうにないと思っていたら、なんとユーチューブにギターの弾き語りをコードの解説付きでやってくれている投稿があった。白人青年が何を思って投稿したのか分からないが、東洋の国のしがない中年男性が、まさか赤ペン片手に食い入るように何回も何回も聴いているとは思わないだろう。おかげで今日やっとコードと歌詞が一致した。これでなんとか間に合うのではないかと胸をなで下ろしている。
先週伴奏を頼まれてから、優に100回はそのタイトルの曲を聴いている。色々な人が、それこそプロのものから素人のものまで投稿してくれていて、これがなければ、クリスマスの手伝いのみならず、毎週の教会でお手伝いなど出来ていないだろう。全く知らない曲を、この年齢になって覚えるのはかなりの労力と時間を要する。いや、おそらく年齢のせいではなく、元々自分の志向に合わないものは昔から極端に覚えるのが苦手だった。僕はブロッキングが得意で、興味の対象外のものを遠ざける能力には恵まれていたのかもしれない。おかげでない頭をいらないことに分散して使う苦労はなかったが、数学、物理、英語、歴史、古典、生物、ほとんどの教科をブロッキングしてきたおかげで、入試では点数までブロッキングしてしまった。
恐らく、パソコンが得意な人だったら、その投稿者にお礼のメッセージくらい届けることが出来るのだろうが、僕には出来ない。何を思って、こんな事をしたのと問うてみたい。この唄を歌いたい、弾きたい人がいるだろう、でも上手く歌えない、上手く弾けない人がいるだろう、そう考えたのだろうか。あるいは、心酔するその唄を世界の人に歌って欲しいと思ったのだろうか。まだあどけない顔をした青年の真剣なレッスンは、地球を駆けめぐり、地球に線引きをして、結局は我欲の実現のために人々を利用している奴らより、遙かに崇高で、あるべき未来を語っている。
power of your love


2010年12月04日(Sat)▲ページの先頭へ
無料
 何が不愉快かと言って最近のテレビコマーシャルのこの2点は突出している。
 一つは、無料とうたった携帯電話によるゲーム。どうして会社は利益を出すのだろうと不思議だったが、通話料で稼げたりゲームがエキサイトしてくると得点をお金で買う仕組みらしい。架空の世界で何を買うのかと思うが、詳しいことは分からない。それでもお金はがっぽり入るシステムで、その社長がインタビューに答えて、仲間内で遊びでやっていたことを延長しただけみたいなことを言っていた。今をときめく新進気鋭のとマスコミははやし立てるが、要はオタクの延長だ。オタクが一念発起して企業化したからもてはやされているだけで、無料をうたいながらのめり込んだ人からお金をせしめるのは頂けない。 もう一つは、中年の芸人を使って、ゲームに誘うコマーシャル。若者世代だけではやっていけなくなったのか、それとも経済的に余裕のある層を狙い始めたのか。馬鹿なせりふを馬鹿なタレントに言わせているが、世も末と思ってしまう。あちこちで携帯電話に夢中な光景に出くわすが、その中の多くがそんなことをしているのかと思うとぞっとする。目を上げれば社会を構成している多様な人達がいるのに、遊ぶ段取りをしてもらって、その人の手のひらの上だけが世界ではもったいない。
 その人達が何次産業に属するのか知らないが、一次で働く人達の汗や筋肉痛は分かるまい。足を机の上に上げ、卓球をしながらアイデアを浮かべるのが仕事らしいから、空調の中で季節もとんぼ返りをするだろう。遊びを創造する人が悪いのではない。ただあまりにも汗して働く人達にスポットライトがあたらないのだ。カードをかざすだけで、稲が穂を出し、野菜が育つのではない。湾曲した足で、折り曲がった腰で育てたものだ。命を養うのに命を燃やしたあげくだ。
命を育み、治水し、人の心までたおやかにする、どうしてもっとお礼を言わないのだろう。どうして値切るのだろう。何かが欠け落ちている、そう感じて仕方ない。


2010年12月03日(Fri)▲ページの先頭へ
笑えない話
 食べるものは質はどうでも量さえ満たされていれば良かったのだが、最近はその量さえどうでも良くなったから、それこそ時間が来たから食べる、出されたから食べるくらいなものでほとんど感動はない。考えてみれば食い気なんかいつの間にかなくなっていた。沢山出されれば片づけるように食べるし、少なければそれはそれで何の不足も感じない。ほとんど作業に等しい。もともと美味しいものを求めて努力したこともないし、より沢山食べようと努力したこともない。いたってその事には淡泊だった。
 先日もある会席料理屋さんに招待されたが、途中からもういらないと思っていた。少しずつ小刻みに運んでこられるものを几帳面に片づけていたが、途中からはほとんど義務になっていた。美味しいと言うより、お腹に入るのかなの方が関心事になっていた。だからこれが最後ですよと言われたときには正直ほっとした。そこで初めてリラックスしたような笑えない話だ。
 恐らく着るものは年1万円以内、外食代も年1万円以内。何十年の収支だ。意図的ではないが世間の常識から言うとすこぶる倹約したことになる。もっとも他の分野では浪費があるから人並みで収まるのだろうが、人並み以下が2分野もあって助かった。質素でも倹約家でもなかったが、とにかく興味がないのだ。だからその分野でいくら倹約しても、劣っていても何ら気にならないのだ。生きていくのにその無頓着はとても楽だった。
 こんな文章を考えていたら、車の維持費が生涯3000万円に上るという試算が公表されていた。田舎に住んでいるから、この分野は倹約できなかった。家を建てずに車を所有しなければ結構みんな楽な生活が出来るのだ。コマーシャルにあおられて生涯賃金の多くを持って行かれるのは考え直した方がいい。もっとも若者達はすでに車離れを起こしているから必然的にその懸念はなくなるのかもしれないが。「車も買えない」から「車を買わない」そんな格好いい若者が増えることを願っている。
 いったい何を楽しみに生きてきたのと尋ねられて答えるものを僕はもっていない。その日その日を精一杯、こんな僕でも頼ってきてくれる人に応えるために薬局を開いていただけなのだ。役に立てたか立てなかったかは確率に任せるとして、何時行っても開いている薬局にしておきたかっただけなのだ。そんな日常だったから、財布の中には車の免許証が入れられていただけだ。
 今朝季節はずれの雷が数回鳴った。一所懸命生きてきても天に轟く雷一つ起こせない。なにも力むことはない。僕らは風景の中の一片の風にもなれないのだから。


2010年12月02日(Thu)▲ページの先頭へ
ロト7
 お子さんの体調が改善しているのを時々父親が気づいてくれることがある。お子さんと言っても成人しているから、本来は疎遠でもおかしくないのだが、その本来を簡単に否定してしまうお家がある。僕にとっては、いや当人にとってもモチベーションが上がるだろうから歓迎すべき事なのだが、滅多にあることではない。最近立て続けに2件あったから嬉しく思っている。
久し振りに会うからと言うのもその理由にはなるが、意図的に同じ時間を過ごそうとしている、あるいはすごく気があって自然に一緒におれるからこそ、変化に気がついてくれるみたいだ。父と子の仲がよい姿って見ていてほのぼのとする。
大切にされるほど心が安定するものはないのだろう。えも言われぬ雰囲気が家庭内に醸し出されている。幼い子がいる家庭ではほとんどの家がそうなのだろうが、成長し自立するに従って疎遠になるのが常だから、どこにでもある光景から、滅多にない光景に変わってしまう。
 経済が成長を止めたから、子に残してやるものが段々と目減りしている。仮に残せても価値は格段と嘗てよりは低い。こうなれば経済では表せないものを残すしか手がない。経済の指標を借りなければ表現できないようなものは、所詮庶民にはほど遠いし、又経済でしか表せれないものは、そのうちほとんどのものは価値を下げる。一部の芸術作品以外は時と共に朽ちてしまう。
 そこで登場が、家族の愛。お母さんはこの分野ではかなり分がいいが、冒頭のお父さんだったら、ほとんどサプライズで賞賛される。目一杯の愛情を注いで、子が心豊かに成長してくれたりしたものなら、ロト6で1等をあてた以上に喜びだ。心豊など死語に近い今の時代、子を大切にしまくってロト7にしたらいい。そうすれば元手をかけずに朽ちない財産を手にすることが出来る。これがいいことは誰にだって出来ると言うことだ。大都市だって田舎だって、金持ちだろうが逆だろうが、父親だろうが母親だろうが、どんな職業だって可能だ。ちょっとだけ尊敬して、ちょっとだけ信頼すればいい。所詮こっちもちょっとしかその手のものは持ってはいないのだから。


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■店舗名■
有限会社 栄町ヤマト薬局

■住所■
〒701-4302
岡山県瀬戸内市 牛窓町牛窓4808-3

■連絡先■
[TEL] 0869-34-5466
[FAX] 0869-34-6017
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