栄町ヤマト薬局 - 2009/11

漢方薬局の日常の出来事




2009年11月30日(Mon)▲ページの先頭へ
回転
 まあ、器用に4本の足をもつれさせずに走るものだ。
 早朝、まず人が来ないからテニスコートの中でミニチュアダックスの首輪をはずして自由にしてやった。さしずめ、もぐりのドッグランだ。犬でも解放されると嬉しそうで、一瞬いいのかなと言う顔をしたがすぐに走り回り始めた。足が極端に短く、長い胴体がすぐ地面の上にあるから何とも美しくない走りっぷりだが、それでも足の回転はやたら速い。どの様にして生まれた犬種かよく分からないが、小さな体でもとても追いつけないくらい足は速い。室内犬にしておくにはもったいないくらいの速さだ。遠くから見ていて、あの速い回転の4つの足がよくもつれないものだと感心する。僕なんか二本の足でも時にはもつれて転びそうになるのに。どの様に覚えたのか知らないが上手いものだ。
 まるで姉のような存在だった雑種のクリが死んで2ヶ月になる。さすがにもう寂しそうな感じはなくなったが、今でも大きな声で「クリ」と呼ぶと、ずっとクリがいた辺りを見る。記憶にしっかりと刻まれているのだろうか。犬語が分かれば尋ねてみたい。
 そのモコ(ミニチュアダックス)は毎晩僕と一緒に寝るようになった。クリが死んでから寂しそうだったので夜鎖を解いてやると僕の布団に入ってきた。それ以後習慣になったのか毎晩僕の布団の中で寝ている。僕が寝るのが遅いのでどちらかというと僕がモコの布団の中に潜り込んで寝ているようなものだ。冷たい布団を温めていてくれるから最近は有り難い。夜中も体温を感じて、何となく昔子供達と寝ていた頃の感触を思い出す。寝返りを打って押しつぶしてはいけないと用心しながら硬直したように寝るのも同じだ。子供よりもっと小さいから結構用心している。全く安心しきって密着して寝るのだから実際は危険だし怖いのだが、まあ、モコの精神状態のためならいいかと自分に言い聞かせている。なんて強がりを言っているが実際は僕の精神状態にとっていいのかもしれない。バレーボールを止めてから、涙が出るくらい笑うこともなくなったし、1分に1回、お互いの失敗をネタに2時間笑い続けることもなくなった。全身の筋肉が一瞬にして緩むあの至福の瞬間がめっぽう減ってしまった。それに反比例して緊張の連続だ。肩を怒らし何をそんなに頑張っているのかと思うが、染みついたものは落とせない。
 足をもつれさせずに走る小型犬の姿に感動するくらい、僕の人生がもつれてきたのだろうか。単純に生きてきたはずなのに、不釣り合いに何か人の役に立ちたいなどと不遜なことが時々脳裏に浮かんだりする。報酬を期待せずにひたすら役に立てたらどれだけ心が安らぐだろうとか、似つかわしくない想いが浮かんだりする。せめてこれからはと人並みに思ったりする。過ごしてきた生き方ともつれきってほぐせないような将来が浮かんできたりする。混乱。モコに足の運びを学びたい。


2009年11月29日(Sun)▲ページの先頭へ
財産
 今日、意外なところで父の話を聞いた。
まだ漢方薬を覚えたての頃、B型肝炎で不調な青年を何年もお世話したことがある。今日ある方を見舞いに行ったとき、ちょうどその人の母親が来ていて、その節はお世話になりましたとお礼を言われた。もう完全に頭から抜けていたので全然その女性も息子さんのことも分からなかったのだが、しばらくすると徐々に片鱗程度は思い出された。あれから抗体も出来て症状は落ち着いて元気に暮らしているらしい。もう20年近く前のことだ。
 その女性も80歳を越えたと言ったから、恐らく当時の面影は余りないのだろう。こちらも分からなかったが、向こうも分からなかったからお互い歳月だけはしっかりと顔に刻んでいる。その方が意外なことを言った。私はお父さんを昔から知っていたと言うのだ。最初、お父さんが僕の父のことか、祖父のことか分からなかったが、会ったのが林薬品の工場と言うから、父のことだと分かった。父は戦争で工場が焼けるまで製薬会社の役付きで働いてらしく、僕もその事は何度も聞かされていた。課長の上とその女性は言っていたから、何に当たるのだろう。まあその辺りはいいとして、その女性が戦争中学徒動員でかり出され、工場で薬を作る作業をやらされていたらしい。父とは朝礼で訓辞を聞くくらいで話すことなんか出来なかったと言うが、その女性のお父さんが、胃を悪くして途方に暮れていてその事を係長に話したらしい。戦争中だから薬など手に入らなかったのだ。薬は優先的に軍隊に納められたらしいから。係長が気の毒になって上司である父に相談したら、父は何とかしてあげましょうと言って数日後薬を譲ってくれたらしい。その後も継続してもらい、結局終戦まで薬を飲むことが出来、戦後はずっと元気でいたと言っていた。女性のお父さんはその親切に感動して、農家だったから米をお礼に時々届けたと言っていた。当時の米は何にも優って貴重だったらしい。そのお礼の米を運ぶのが女学生だったその女性の役目になったのだ。
 父は基本的には善人だったから、その話を聞いてありうるだろうなと思った。父にとっては特別なことではなく、頼まれれば断る方を寧ろ苦痛と考えるタイプだから、自然にとった行動だと思う。どうしても思い出に残るのは晩年の姿だから、軍隊に納めるべきものを女学生の父親に融通するなんて規則破りの行動が頭の中で絵になりにくいが、強いものを必ずしも良しとしなかったところは僕に遺伝しているのだろうか。父が築いた薬局を喜んで継いだわけではないが、青二才を頼りなく思いながら通い続けてくれた地元の人達は、父の残してくれた一番の財産なのだろう。


2009年11月28日(Sat)▲ページの先頭へ
携帯電話
 携帯電話を持ったことがないから、その便利さも分からないし、持ってないことの不便さも分からない。回りで持っていない人を捜す方が難しい中にあって、未だ欲しいとも思わない。便利を競って目の当たりにさせてもらっても僕の生活のどの部分で必要なのだろうと一歩引いて考えれば、万能を目指す小さな器具も単に煩わしさだけが際だってくる。ただ、以下のような話を聞くと、その機械が開発され普及されたことを素直に喜ぶことが出来る。
 毎日、医療用の薬の注文を取りに来てくれるセールスが数人いる。その中のある一人のお姉さんは、若くして脳梗塞を患い数年間寝たきり状態に近いらしい。そのお姉さんとの意志疎通が携帯電話で出来るらしいから、彼は大変携帯のことをありがたがっていた。そんな使い道があるのかと驚いたし、姉弟がいつも繋がっておれる状態を他人ながら喜ぶ事が出来た。どれだけ闘病?が苦しくて、じれったくて、孤独なものかは想像がつくから、いつでも誰かと繋がることが出来る状態というのは、以前なら考えられないくらい有り難いのではないか。えてして僕と同じような使わない派から否定的な発言も出てくるが、この一組の姉弟を結びつけていると言う事実だけで、誰にも文句一つ言わせない価値がある。
たわいもないおしゃべりの中で一つ一つの発言に責任を持つ必要はないが、時としてかなり配慮しなければならない状況に遭遇する。口を重くして沈黙していれば舌禍は防ぐことが出来るが、それでは社会的動物としては息苦しい。頭の中をフル回転させて言葉を発すればいいのだろうが、言葉を追い抜いて意思表示する癖のある僕にはやはりそれも負担だ。良い行いを見るようにし、良い声を聞くようにすれば、程度の低い誹謗中傷を我が口から発することは避けられる。自分が正しいなどと青年期のような潔癖さがなくなったおかげで、言葉の刃先を他人に向けることは少なくなったが、無知から来る安易な評論がまだまだ出番を探っている。
 携帯で繋がる先に、あの頃の僕はいない。


2009年11月27日(Fri)▲ページの先頭へ
 ある人にメールの返事を書いていて思いついたのだが、人の役に立つ方法って大きく分けると2つに別れるのではないかと思った。
 本来活動的な人は、行動やその結果で役に立つ。大きな事を為し遂げて、沢山の人の役に立つ人もいるだろう。上は国家レベルから下は会社の中、地域の共同体の中まで様々だが行為も見えるし結果も見える。さらに言うと、比較も出来る。
 それに反して、生来静的な人は、行為そのものより存在自体が回りの空気、回りの人々を癒していて、そこにいるだけで心が慰められる。大それた事は得てないかもしれないが人の心を安らかにする。芸術に於いても激情型の作品は作らないかもしれないが、心の奥深く届く作品を作り上げることが出来るだろう。
 どちらが優勢でどちらが好ましいかを決める必要はないし、決められるものでもない。人が何に飢えているかでその時に欲するタイプが異なるだろう。おおむね逆を求めるものだから、エネルギーの固まりみたいな人は静かな人を求め、静かな人は華々しい人を求めるかもしれない。おおむね似たもの同士より、相反した性格の方が上手く行く。激情も静寂も似たもの同士だと火に油を注いで、燃え尽きてしまうか、凍り付いてしまうかだ。
職業柄か、漢方薬を主にやっているからかわからないが、多く訪ねてきてくれるのは後者の方で、少し体力がなくて、少し気力が落ちている。漢方薬は消化機能を上げて体力を増し、その結果気力を充実させることが出来るから、まさに打って付けで、静的な人達の最大の特徴を体力面から援助できるはずだ。最大の個性を十分発揮できるようにお手伝いできなければ僕の存在意義はない。このような人達が世の中心になれば住みやすいだろうなと一人空想にふけるが、えてしてはち切れんばかりの熱量でぐいぐい押してくる人達が世の中を動かしてしまう。身体も性格も機関車のような人達が自分たちの都合に合わせて世の仕組みを作ってしまう。
 どっち付かずの僕は、成し遂げられるものもなかったし、いるだけで他者を癒すような持って生まれたものもなかった。寧ろ多くを成す人のおかげを受け、いるだけで十分の人の癒しを受け、それなりの人生を送らせてもらった。それなりの人生すら難しくなったこの国で、物とかお金とかで交換できない価値を体現するのはやはり後者の人に拠るしかないのだ。山は登るだけのものではなく、下るためにもあるのだ。


2009年11月26日(Thu)▲ページの先頭へ
紫雲膏
 毎年この時期になると、紫雲膏と言う漢方薬の外用剤を作る。しもやけとか、あかぎれとか、冬に多用するものだからこの時期になるのだと思うが、なんだかんだと数時間かかってしまうので億劫でせっぱ詰まって昨日やっと重い腰を上げた。油を使う作業なのでコンロの側から離れることが出来ない。僕の様子がどう見えたのか知らないが、母親が「大学でもそんなもの作ったことがあるの?」と尋ねた。何気なく尋ねたのだろうが痛いところをついている。
確かに学生時代、生薬の時間に作ったような気がする。記憶はある。ただ、恐らく作ったのは同じ班の同級生だろう。実際に何かした記憶はなく、何か作っているのを一瞬は見た記憶があるだけだ。どうせ優秀で真面目な学生か、後輩(留年しているから同級生でもこちらが先輩)にさせて、学食で劣等生同志集まって煙草でも吸っていたのだろう。出来上がった頃教室に帰っていき大きな顔をして皮肉の一つでも言っていたのだろう。ありがとうでも言えば可愛いがまずそれは自分でも考えられない。
 この程度でも薬剤師になれるのだから、まして漢方薬をかなり使う薬局をやれるのだから 、今何もかもに行き詰まっている人もそう向きになって頑張る必要はない。僕は浪人留年の2年しか遅れなかったが、もっとゆっくり青春を歩んだ人も多い。余程の才能に恵まれ寸暇を惜しまなければならないような人は別として、99%の人は、そこそこに生活するのが関の山だ。振り返っても、人生を劇的に飛躍させるような転機はなかったし、棒に振るような誘惑もなかった。所詮小さな振り子の振幅しか持っていないのだから、何かを惜しんだりしない方がいい。背丈以上のものを手に入れても所詮押しつぶされるだけだ。得るものも少ないが失うものも少ないと、どこかでつじつまは合わせてもらえるものだ。息切れしながら登っても、頭の上を飛行機で飛ばれればどうあがいても勝てないのだ。低くても懸命に咲く花や、谷を渡る鳴き声に救われる生き方もある。


2009年11月25日(Wed)▲ページの先頭へ
人情
 岡山市の病院にかかり、処方箋はFAXで送ってくる。本人が帰宅する時間を見計らって調剤した薬を持っていってあげるのだが、居たためしがない。妻も色々考えて、時間帯をずらすのだがそれでも空振りが多い。先日はとうとう諦めて薬を置いてきた。するとさすがに悪いと思ったのか、翌日料金と処方箋を持ってやって来た。
「何時行ってもいないなぁ」と僕が冗談めいて言うと、家にいるとぼけてしまいそうだから、なるべく家から出ることにしていると答えた。「なるべくを通り越して出っぱなしではないの」とたたみかけると「そう言われたらそうじゃ」と笑っていた。最初に配達した時もいなくて、近所を捜したら近所の若い奥さんに「あの人はむちゃくちゃな薬の飲み方をするから、朝は朝の分、昼は昼の分と一つの袋に薬をまとめて入れておいてください」と、まるで嫁のようなことを頼まれた。鍵もかけずにいつも家を空けているが、1日中家を空けて話し込める、いや上がり込める家が近所に一杯なのだ。だから家族のように他人が心配してくれ、もてなしてもくれる。
「今日は畑仕事をしようと思って朝の10時に家を出たんだけど、着いたのは12時じゃったから何もせずに帰ってきて、昼から薬を取りに来た」と言うから、そんなに遠いところに畑があるのと尋ねたら「いや、すぐ見える所にあるんじゃけれど、知っとる人にいっぱい会って、その都度話し込んでいたら昼になってしもうた」まるで漫才みたいなやりとりだが、田舎の牛窓の中でももっとも人情が残っている部落の日常の風景だ。ぼくの薬局を利用してくれる人が多い地区でもある。こうした人達に長い間支えられて仕事を覚えやってこられたんだと感慨が深い。この女性だって、20年くらい前は元気だったから全部薬局の薬で病気は治していた。その後来なくなって再会したときは、多くの病気持ちの老人になっていたが、昔からの話好きだけは変わっていなかった。一人娘を、年齢差の大きい再婚男性にとられたと、当時かなり落ち込んでいたが、その話題になり、今でもその男性を恨んでいると言っていた。絶交状態らしいが、娘に替わって地域の人達が支えてくれているのだろう。近所の若い奥さんの言う、むちゃくちゃな薬の飲みようが想像できないくらい饒舌で口だけは衰えていなかったが、処方されている薬が強がっている姿を暴いている。人情が鍬を担いであぜ道ですってんころりん。


2009年11月24日(Tue)▲ページの先頭へ
勇気
「もう彰ちゃん、終わった」痛みを紛らわせるために、冗談のように言ったと思っていたが、本人には何となく分かっていたのだろう。主治医とペインクリニックの医師が、裂孔ヘルニアと肋間神経痛で意見が分かれていた頃だから、分かっていたのは当事者だけって言うことになる。結局は骨転移を起こしていたことが分かったのだが、高齢で手のうちようはない。ただ、痛みを麻薬で抑えて最期を迎えることになる。1ヶ月早く痛みの原因が分かっていても、為す術がないのは同じだから残念だとは思わないが、医師の診断がすべてだと思えないところは残念だ。
 昨夜、偶然回したチャンネルで「立花 隆 がん 生と死の謎に挑む」と言う特集を見た。残念ながら途中から見たことになるのだが、色々な意味で考えさせられる内容だった。進化の過程で獲得した多くの機能が、そのままガンを転移させる機能そのものだというのだ。ガンにならないか、ヤモリのように切断された手が再生する能力を手に入れるか天秤にかけられ、人間はガンにならない方を進化の過程で獲得したというのだ。20歳前までどうしても生き延びなければ子孫を残すことが出来ない人間にとっては当然の選択だと、IPS細胞で有名な京都大学の山中先生も言っていた。だからどうしようもないと言うのが僕ら素人の結論になってしまうのだが、学者はそんな諦めなんかで終わるはずがない。解けない問題だから挑むのだろう。
 番組を見終わって僕は胸をなで下ろした。と言うのは、こんなに世界の叡智を集めても分からないことだらけなのに、薬局ごときが出しゃばる分野ではないと言うことがますます視聴者に明らかになったからだ。僕は素人はもってのほかだが、薬局もこの手の病気では、分かったようなことを言わないのが賢明だと思っていた。中にはカリスマを気取った有名薬局もあるが、効果を検証できないようなものを手八丁口八丁で販売してはいけないと思っている。「マクロファージを活性化する」何百回会社の講演で聞かされた言葉だろう。免疫学を蕩々と喋る講師に洗脳され、薬局の店頭でさも分かったようなことを言って商品を売ってきた人達は「マクロファージの働きこそ転移、浸潤に欠かせない」と言う発見と過去の商売をどうつじつま合わせるのだろう。
 難しい理論が苦手なこと、効果がハッキリしないことには手を出さないと言う僕の積極性の無さが自分を救ってくれた。皮肉なものだ。番組の後半は医学の話ではなく、死ぬ直前まで笑っておれる人間のすばらしさを、ある看取り専門の医師が語っていたが、死ぬまで生きる人間の力を教えてもらった。その医師が、死ぬときは本人は分かるんです。何かが違ってくるのでしょう。と言っていた。叔母はもうその時点で分かっていたのだ。まるで我が子のように幼いときから世話をしてもらった事のお礼を生きているうちに言っておかねばならないと思った。毎週会っているがそれを言う勇気はなかった。昨夜の番組がその勇気をくれた。


2009年11月23日(Mon)▲ページの先頭へ
ドッグラン
 初めてその言葉を聞いたのは、数年前のある北海道の女性からのメールの中でだ。前後の意味から推察して勝手に想像をしていたのだが、今日初めて本物のそれを見て驚くことが多かった。ある程度は推察通りだったが、実際には多くの犬が、それも色々な犬種が楽しそうに走り回っている様は想像以上だったとも言える。(素人の目からしても雑種は1匹もいなかった。雑種なんて恥ずかしくて連れて行ける雰囲気ではなかった)犬が走ると言う直訳そのままだが、楽しそうに、仲良くと言う2つのキーワードが素人には想像できなかった。
玉野市にある深山公園にはしばしば行っていたのだが、今日は駐車場が混雑していて、空きスペースを見つけるために公園の中を1周するように動いた。いつもなら入り口近くのメインの駐車場においていたのだが、今日は第2第3を求めて移動しなければならなかった。第何に当たるのか分からないが、ある駐車場付近でやたら犬を連れている人が目の前を横断した。公園内は犬の散歩は自由だから、良くすれ違うのだが、その場所だけはやたら多かった。で、例の数年来のドッグランなる看板を見つけたのだ。妻は無類の犬好きだからそんなものを見逃すはずがない。早速車を止めてから道しるべに従った。
 犬好きではない方には聞き慣れない言葉だろうから、まず施設の様子から説明する。まず僕の胸辺りの高さの柵で覆われた直径30メートルくらいの大きなスペースが2カ所隣接して作られていた。片一方には小型犬の看板がつけられ、もう一方には大型犬としてあった。公園の切符売りみたいな小さな小屋があり、そこで500円を払って中に入れてもらう。飼い主はお金を払うと大きな名札みたいなものをもらい首からかけて、犬と一緒に入る。時間制限はないらしい。
 ざっとこんなものだが、驚いたことが二つある。まず、犬どうしがケンカしない。犬には敵意むき出しで幼いときから吠えられていたので、犬って言うのはお互いが会えばすぐケンカするくらいな感覚でいた。ところが全くその様な仕草はない。飼い主も柵の中に入って一緒に遊んだりベンチに腰掛けて見ているが、鎖を解かれて自由になった犬どうしが全くケンカしない。それどころか一緒に遊んでいる。犬種や大きさは関係ないが如く。
 もう一つ、帰ろうとしていたときに、まるで象かというような大きな犬を母親らしき人と若い女性が連れてきた。牛のようだという表現はしばしば使われると思うが、僕の脳裏に浮かんだ言葉は象だった。振り返ればそこにいたって状況だったから、余計大きさが強調されたのかも知れない。通りすがりの人がほとんど足を止め、何人かの人が犬種を尋ねた。その名前は覚えられそうになかったから、カナダ産と言うことだけをしっかりと記憶した。入場料を買いに行った母親を待つ間、お嬢さんは犬に乗るようにして押さえていた。僕を含めて恐らく多くの素人は、その犬が柵の中に入ってどうなるのかを見たかったのだと思う。多くの人が柵の所に集まってきた。ゆっくりと門が開けられ入っていこうとするが、すでに門の所には精悍なシェパードが近づいてきて、金網越しに対面していた。さっきまで一番大きく見えていたシェパードでさえ小型犬のように見える。さて、柵の中に入るとゆっくりとした足取りで飼い主の後を歩く。すると沢山の犬たちが集まってきて代わる代わる顔やお尻を臭う。何の仕草か僕は分からないが、超接近しても敵意は全くどちらにも生じないみたいだ。と言うより、より小さな犬たちにも不思議と恐怖心も起こらないように見えた。見方によれば、無邪気に大人にまつわりつく人間の子供のように見えた。
象犬は他の犬の存在は余り気にならないみたいで、悠々とスペースの中を回遊していた。まるで陸に上がったジンベイザメのような堂々とした振る舞いだった。
 そのカナダ産の犬の値段をストレートに尋ねるのも品がないと思ったので、この犬普通車より高いのではないのと尋ねたら、それまでは質問に答えてくれていたのに答えがなかった。さっきまで柵の中や、柵を挟んで数万円から数十万円の値段が飛び交う会話を聞いていたので、かなり高く見積もったのだが、ベンツと言わずに普通車と例えたのがまずかったのか、それとも僕の雑種のような姿形がまずかったのか。何せ血統書付きで生まれてこなかったので、今更ごまかせない。
 犬ほども大切にされない人々にとって辛い冬が来る。


2009年11月22日(Sun)▲ページの先頭へ
 僕には関係ない呼びかけだから最初は全く気がつかなかった。息子が教えてくれて、下の孫が僕を呼んでくれたことが分かった。息子は忙しい職業だから、なるべく生活の邪魔をしないように気をつけて会いに行くようなことは控えていた。又僕自身もしなければならないことが山のようにあるから、ゆっくりと時間をとると言うことが苦手なまま今に至っている。おかげで孫とはほとんど会ったことがないという不思議な関係だったのだが、今日は十分一緒にいる時間を与えられた。最初は遠くから呼んでくれるだけ、少したつと近くに行っても、手を握ったりしてもいやがらなくなった。そのうち片言で話しかけてくるようになり、最後にはじゃれてきたり大きな声で笑ったりしてくれた。上の女の子は、もう幼稚園の上のクラスだから、急には仲良くなれないかもしれないけれど、下の子は十分間に合うと思った。
娘の結婚式の間中、僕は孫と一緒に過ごした。僕の心は99%孫に行っていた。世間並みの、美談めいた結婚観はいやだから、娘にも彼にもまるで冗談のようにと言っていた。彼らも少し世間並みの考えとは異なっていて、作られた商魂たくましい式ではなく、人間関係を新たに作る機会にしたかったみたいだ。おかげで僕は予期せぬ孫との幸せな時間をもらうことが出来た。披露宴ではなく自己紹介パーティーとでも言うべきもので、僕は新たに親類になる人のすべてを理解することが出来た。それ以外に披露宴などと言うものの意義を未だ見いだせない。
 これで僕は結局二人の子供に結婚おめでとうとは言わなかった。その上何の援助もしなかった。招かれて美味しいご馳走を食べて帰るだけだ。ただ結婚式は、教会のおばちゃん達が2ヶ月くらい準備して、全くの素人ながら、とても素晴らしい式をしてくれた。特に神父様が、結婚式のためのコンパクトなミサではなく、常に行なわれている正式なミサをわざわざ用意してくださって、式の為の式ではなく、結婚を心からお祝いしてくださる素晴らしいミサを授けてくださった。式場には即席の合唱団、フィリピンの若者達やおばちゃん達と沢山の「他人」がいて、大いに祝福してくれた。こんなに他人の結婚を喜んでくれる人達がいるものだろうかと、考えさせられる光景だった。それはどんな華やかな式よりも確実に意味があった。サプライズを仕掛けてくれたのか偶然か分からないが、特にプロの歌手を呼んでくれていて、急に歌声が礼拝堂に響いたときは一同が驚き、より厳粛な気持ちになれた。
 式もパーティーも終始笑顔が溢れ、人の優しさを感じ続けることが出来た1日だった。涙を誘っていくらなどという商魂の介入できない1日だった。


2009年11月21日(Sat)▲ページの先頭へ
電動車
 長身の青年が入ってきて、慌てているのを必死で隠しながら「電動車で今日紙オムツを買いに来たおじいさんがいませんか?」と尋ねた。1時間以上前に、まさに言われるままの老人が来られたのでその事を言うと、いつ頃帰ったかを尋ねた。もうこの辺りで青年の心配事が推察できた。恐らくその老人が帰ってこないことを心配して捜しに来たのだろう。もう5時を回れば十分暗くて、電動車で走るには危険だ。交通事故にでも遭ったか、どこかへ落ちているかなど悪いことはいくらでも頭に浮かぶ。
その老人を妻が応対していたのを調剤室から見ていたので、妻にバトンタッチした。妻は、老人が寒そうだったので買い物が済んでからしょうが湯を作ってあげていた。老人は一服して出ていったのだが、その時に残していた言葉を妻が聞いていて、家とは逆の方向にある医院に行ったらしい事を青年に告げた。それを聞いた青年は安堵した様子でお礼を言うとすぐに出ていった。
 その後数分もしないうちに、今度は老人が二人トラックでやって来た。さっきと同じように慌てていて、同じような質問をした。その場には僕と妻と娘がいたが、3人で今し方の出来事を説明した。青年とは違って男女の老人二人は、取り乱して次の行動をとれなかった。そこで娘が直接医院に電話しておじいさんのことを尋ねてあげた。案の定、おじいさんは10分くらい前に医院を出たことが分かった。その医院は市内でも有数の患者さんが多い医院で、きっとおじいさんはかなり待ったのだろう。今から峠を越えて電動車で帰れば何時に家に帰れるやら、そしてそれはかなり危険なことだ。でも所在も分かったし、今こちらに向けて帰ってきているだろうことも分かったし、僕らも含めて全員に安堵感と、うれしさが込み上げてきた。僕ら家族は不思議な喜びに浸った。それぞれが何故かとても嬉しくなった。不思議な感覚だった。もっとクールに対処して、もっとクールな感情でおれると思ったのに、単純に嬉しくて仕方なかった。わき出るような喜びと言ったら上手く表現できただろうか。
 老人二人が軽トラックで途中まで迎えに行くと言って出ていってから、ふと3人で登場人物の人間関係を考えた。と言うのも、電動車の老人と青年は明らかにおじいさんと孫の関係だろう。ところが後の老人二人が分からない。慌てぶりから当然家族のようだが、どうも年が3人同じように見えるのだ。本来なら、息子夫婦というのが一番しっくり来るのだが、息子やその嫁にしては老人と同じくらい老けている。あれこれ詮索したが結局は分からずじまいだった。色々なパターンが考えられるが、それはもうどうでも良かった。とんだ騒動だったが、老人を心配する家族の気持ちを垣間見ることができてとても心が温まった。心優しい人が住む田舎の町で仕事が出来ることをとても嬉しく感じた。経済だけを目的に立地を求めるならハンディーがある町だが、心指数は高いと思う。そこで生活できるなら、それは十分幸運なのだろう。豊かすぎる人はいないが、貧しすぎる人も少ない。心が痛む機会が少ないのはそれはそれで楽なのだ。
 しばらくすると青年が、ほっとした様子でやって来て、お礼を言った。老人は「ワシが行かんと、ぴったしの紙おむつは分からん」と啖呵を切って出てきたらしいが、ほんの少し前までダンプを運転していた面影はなく、電動車に杖をさしてゆっくりと移動する姿は、悲しくもあり心温まりもする。時はあらゆるものを変えるが、心意気の強さだけは変え忘れたのかもしれない。


2009年11月20日(Fri)▲ページの先頭へ
迷い
 5月末から過敏性腸症候群のガス漏れタイプの漢方薬を飲んでもらっている女性から悩みを聞いた。この3ヶ月くらい症状が無くなったから仕事につくらしいのだが、好きな販売系にするか、無難に事務系にするか迷っているというのだ。僕はその事を聞いてすぐに答えた。迷う必要なんて全くない。好きな方を選択すべきだ。好きなことをして暮らすことが出来ればそれにこしたことはない。好きなことだから頑張れるし、工夫も出来るし、より高きに上れる。仮に失敗しても、その努力はすべて報われる。努力したことがすでに結果なのだから。逆に、無難を選択して、なんとか平凡な日々が過ぎ去ればいいのでは、守りの姿勢そのもので、得るもの、掴むものはない。そもそも無難な場所で一応の生活が出来ても、それだけでは完治とは言えないのではないか。一番やりたいことが体調に足を引っ張られることなく出来て初めて完治と呼べるのではないか。
 いつか彼女は、携帯が幾度ともなく途切れながら電話をくれた。いつもは家からだったがその時はお母さんが運転する車の中からくれたものだった。30年前、僕が岐阜を離れるときに後輩と一度だけほとんど素通りしただけの街に住んでいるのだが、勝手に記憶の風景の中で暮らす彼女を想像している。雪よけの長いひさし、片側2車線の狭い道、不釣り合いなジャズ喫茶、蜃気楼は見えなかったが、無彩色の海。どの様なお店で、どのようなものを売るのか分からないが、長身の北陸美人が僕の空想の世界を闊歩する。
 自分の判断を許すことが出来る人生なら後悔はない。
 


2009年11月19日(Thu)▲ページの先頭へ
奇跡
 起こりえないから奇跡なのだろうが、奇跡を懸命に願い、ひたすら待っている人は多い。起こりえないことにしか希望を託せない過酷な現実に向き合って、それでもなお奇跡を信じなければならない残酷な状況。背負いきれないものを背中に負って生きる人達。それでも懸命に生きているから背負いきれているなどとはとても言えない。少しでも背中の荷物を分担してくれる人がいれば救われるが、不運はそれすらも奪う。
何処で折り合いをつけるのだろう。何処まで人は強くなれるのだろう。幸せはほんの少しでいい。その代わり不運もほんの少しで許してもらえないものだろうか。不運に理由なんか無い。理由がないから避けられず、避けられないから怯える。
 謙遜なら許してもらえるのか、他者のために尽くしきれば許されるのか、何を差し出せば許してもらえるのか。誰かに、何かに裁かれているのか。誰かが、何かが許してくれないのか。ひれ伏して許しを請うても応えは聞こえないのか。
奇跡を待ち望みながら待ちきれずに命が果てる。苦痛からの解放が死なら何のために授かった命なのだろう。公平とか平等とか、そんな単純なことが僕は好きだ。


2009年11月18日(Wed)▲ページの先頭へ
美談
 こんな事が本当にあるのだろうかと思うが、実際に薬局の道路を渡ったところに3匹の猫が数メートル間隔でじっとしているのだから、信じないわけにはいかない。道路からは小さな溝を越えたところだから車にはねられる心配はないが、それにしても飼い主の老人がまず道路を渡り、そこから手押し車を押してゆっくりとスーパーマーケットまで100メートルを往復、又道路を横切って家に帰る間、家で待つのではなく、道路を渡って数十メートル一緒について行った後、丁度薬局の前あたりでじっと待つ。まるで親が子供を見送り、また迎えることと同じ事をしている。まるで人間と同じ感覚があるように見える。 動物好きの人にしたら、例えば調剤室からその光景を見ることを楽しみにしている娘に言わせれば、足下のおぼつかない、手も不自由な老人を心配して見送るネコに見えるらしい。根性が曲がっている僕に言わせれば、スーパーで買い物をする老人のかごの中をいち早く狙っているようにしか見えないのだが。以前は1匹だけの行動だったのだが、今日初めて3匹が一緒に危険を顧みずに道路を渡り見送っている姿を見た。そのうちの2匹は少し小さかったから、親子なのだろうかと妻と娘は話していた。あたかも親が子供達になすべき事を教えたかのように想像し、瞬く間に美談になっていた。僕は早い者勝ちを勉強したのだろうと心の中で思っていたが、余りにも夢を壊してしまいそうな現実的な判断だから口には出さなかった。
 本当かどうか確かめてやろうと僕は外を眺めながら、おじいさんがスーパーから帰ってくるのを待っていた。30分近く経ったように思えたが、やっとおじいさんが薬局の前を通りかかった。すると植え込みから3匹の猫が出てきた。何処に行ったのだろうと思っていたらちゃんと待っていたのだ。この辺りは美談はまだ成立している。おじいさんのゆっくりとした足取りに合わせて、前に1匹、後ろに2匹がついた。前を行くネコは真っ白の大きなネコだ。おじさんが家の前にさしかかった頃、その先導していたネコがゆっくりと道路を渡り始めた。調剤室から100メートルくらい先をバスがやってきているのが見えた。この状況なら普通ならネコは一目散に走って道路を渡るだろう。ネコは余りきょろきょろしないでまっしぐらに走るからしばしば車にひかれているのだが。ところが僕の予想に反して、白いネコは近づいてきたバスにも、又逆から来たワゴン車にも動じることなく道路の真ん中で立ち止まった。慌てたのは恐らく両方から接近した車の運転手さん達だろう。ネコのすぐ前でゆっくりと車を止めた。ネコはしばらく考えていたが、意を決して家の方にゆっくりと歩いて道路を渡りきった。おじいさんはそれには続かなかった。2台の車が立ち去ってからゆっくりと渡り始めた。2匹の小さめのネコが傍をついてこれ又走ることなく渡った。夕暮れ前で交通量が多い時間帯に、一目散に走って渡らないネコなど見たことがない。僕のうがった見方だと、当然合流した猫たちは、おじいさんの買い物袋を狙うだろうと予想していたのだが、そんな様子は全くなかった。先導しようとしたネコと、ガードしたネコ。それ以外の意図は感じられなかった。やはり終始美談なのだ。作者のいない美談なのだ。
僕に文才があれば、これを一つのお涙頂戴の作品にして大儲けするのだが、残念ながらその様な素養はない。ただタイトルだけは考えた。「ネコの美談を食い物にする醜い人間の話」


2009年11月17日(Tue)▲ページの先頭へ
滑空
 歩きながら何の気もなしに上を向いたのだ。星もない暗い夜だったから、空を見上げる理由もない。何も見えないのだから。ところが何故か僕は見上げた。するとジャンプすると手が届きそうな辺りを大きな鳥が滑空していった。まさに滑空だった。音もなく、ただ大きく羽を広げた鳥の腹が僕の頭上を通り過ぎた。まるで空気の上を滑っているようだった。鳥の腹も羽もネズミ色に見えた。昼間だったら何色に見えたのか分からないが、色彩を失った闇の中でも存在までは消すことが出来なかったようだ。
 気配などと言うものはなかった。羽ばたきでもすれば分かるのだろうが、それもなかった。僕は急を襲われたように身構えたが、鳥は悠々とそのまま滑って闇の中に消えた。浅はかだが、僕は鳥が夜に飛ぶなんて知らなかった。鳥は夜は目が見えないとばかり思っていたから飛ぶはずがないと何故か決めつけていた。あの大きな鳥は何だったのだろうと、調べるうちに、実は鳥も夜に見えるって事を知った。見えない鳥も実際にいるがごく僅からしい。
 あの鳥は、どこから何処に飛んでいたのだろう。何のために飛んでいたのだろう。外敵がいないから自由なのか。あるいは忍ぶように飛んでいたのか。夜陰にまぎれて徘徊する男と、夜陰にまぎれて飛ぶ鳥が、一瞬だけ交錯しそうになったとるに足らない出来事だが、そんなとるに足らない連続に心が動かされるのも又、凡人の人生なのかもしれない。果たして人生のどの部分を抽出すればとるに足る生き様が浮かび上がってくるのか分からないが、圧倒的に非生産的な時間に占有されていた事だけは確かで、その辺りが凡人の凡人たる所以かもしれない。
世間を滑空する鳥のようにはなれなかったが、這いつくばる手足だけは持っていた。何かを成すべきの人生が、何も残せない人生で終わろうとも、惜しむほどの価値はない。


2009年11月16日(Mon)▲ページの先頭へ
せせらぎ
 何ら統計的な根拠もない全くの主観なのだが、僕は漁師やお百姓が犯罪を起こしたのを余り見たり聞いたりしない。新聞は毎朝30分かけてゆっくり読むし、テレビはニュースのハシゴだから、日々の出来事はかなり知っているが、この2つの職業がいわゆる3面記事を賑わすことは少ないように感じる。
この2つの職業の構成割合が低いことを割り引いても、悪いニュースに登場する機会が少なく感じる。どちらも基本的には田舎で生活し、自然相手で、わがままで欲深い人間様を相手にすることが少ない。魚も野菜も何も文句は言わない。それどころか命を自然から頂くと言う恵みを毎日実感できる。自分の力を過信するには自然は強大過ぎる。比べることも挑むことも出来ないから、自ずと謙虚にならざるを得ない。謙虚でなければ根こそぎ命をもって行かれる。単純な切り傷や擦り傷ではすまないのだ。
人間様相手でないから、えてして口べたではにかみ屋が多い。仲間内ではほらも吹くが、総じて対人関係が苦手で不器用だ。その分だけ裏表がないからこちらは信用でき、悪意のない言葉の変化球のやりとりもまた楽しい。鋭利な直球を避けてお互いを傷つけない生活の知恵を伝承しているのだろう。自営でもあり共同体でもあるところが又傷つけあうことを自ずと避けている理由かもしれない。
 半農半漁の町で育ち、どちらの人達とも多く接触して育った事に感謝しなければならないかもしれない。一所懸命文句も言わずもくもくと働いている人達を見ながら育った。成長過程で偉い人はついぞ見なかったが、立派な人には多くあった。子供心に立派な人を一杯作った。世間の立派とは合致しなかったかもしれないが、僕には立派に見えた。
傷めた身体が唯一の勲章かもしれないが、それでもそれは光っている。新聞にも載らず噂にも乗らず、目には見えないが、その見えない勲章を見ている人は必ずいる。これ見よがしの洪水に飽き飽きしている昨今、照れ隠しの変化球のせせらぎが懐かしい。


2009年11月14日(Sat)▲ページの先頭へ
重婚
 食卓の上にコンビニ弁当とカップヌードルみたいな容器に入ったアサリのみそ汁が置いてあった。妻が勉強会に出席するから僕のために買っておいてくれたものだが、僕にとっては月に1回の楽しみの一つだ。恐らく食品メーカーの社員が多くの知恵を絞って作り出した献立だから、並の家庭の主婦の料理よりは格段に上手だと思う。僕は毎日でも食べたいくらいだがそうはいかないのだろう。味の濃さと防腐剤、香辛料、着色剤など考慮しなければならない障害が残念ながら毎日食卓というのを拒んでいる。でも確かに内容はどんどん良くなり、とにかく美味しい。
さて、僕の興味をよりひいたのはみそ汁の方だ。アサリと書いているから当然アサリが入っているのだろうとは思うが、まさか貝殻付きとは思わなかった。どうせフリーズドドライくらいなものを想像していたのだが、もろそのものが入っているのには驚いた。真空のように見えたがそれだけで鮮度と安全性をクリアするものかどうか。でもそんな懸念は一瞬にして払拭された。熱湯を注いで出来上がったみそ汁のまさに本物らしさに完敗した。最初にも書いたが、多くの優秀な人達によって発案され研究されて出来上がったものなのだろうが、いやはや大したものだ。これ又主婦が脱帽しそうだ。砂を吐き出させるところから手間暇かけて食卓に上らせても、頂きますとも言わずに一瞬にして胃袋の中に消えてしまうのでは料理人は報われない。コンビニと結婚しろとでも言いたくなるだろう。いやいや、もうすでに多くの人が、男性女性問わずにコンビニを初めとする「便利」と結婚している。それもかなり質の悪い重婚だ。コンビニはもとより、コインランドリー、多くの外食産業などなど。現代は煩わしい人間関係を避けて、物とか機関に繋がっていればおよそのことはクリアできる。反発も説教もない真空の中でこそゆっくりとした呼吸が行われる。読めない空気こそに息が詰まるのだ。およそ逆転した価値観の中で人は、大きく口を開けたアサリになった。


2009年11月13日(Fri)▲ページの先頭へ
胃痛
 痛そうに胃の辺りを押さえている。何も言わなくてもそれで薬を出せる。もっともそんな神業みたいなことはするべきではないので、いつものように質問する。見たことがない人で僕の質問に面食らっていたが、そのうち真剣に答え始めた。潰瘍の経験があるのではないかと尋ねると、昔やったことがあると言っていた。この症状を治すのはそんなに難しくはない。水をコップにくんできてその場で薬を飲んでもらった。一息ついたのか、釣りをしていて一杯飲んでいたら急に胃が痛くなったと教えてくれた。一杯飲んでいた割には青白い顔をしているから強いのだろう。それに酒の匂いもしなかった。これだけ飲酒運転に対して厳しくなっているのにいい度胸をしている。事故をすれば保険は下りないだろうからすべてを失ってしまうのに。そんなにお酒って魅力的なのだろうかと、好きでもない人間からしたらまか不思議だ。
 一言多い僕は「釣れないから胃が痛いんじゃないの?」と会計の時に言った。するとその男性は「見せて上げようかどんなのが釣れるか」と僕を駐車場の自分の車の所まで誘導した。ハッチを開けると大きなクーラーボックスが積まれていた。男性が蓋を開けるとなんと立派なタイが3匹収まっていた。まだ赤味が新鮮で今し方釣れたもののように見えた。3匹とも30cm前後あった。海辺で育ち、子供の頃毎日釣りをしていた僕でさえその立派さには驚いた。最近はなかなか魚が釣れないのが常識だから、こんな立派なのを釣り上げているのは余り見かけない。まるで都会人のように僕が驚くものだから、気をよくした男性は「釣る人間によってはこんなのがまだまだ釣れる」と自慢げだった。牛窓の海もまだまだまんざらでもないと内心僕は嬉しくて、そちらの方をどちらかというと喜んでいたのだが、当の本人は「並の釣り方をしていたらこんなのは釣れん」と自慢話がヒートアップしそうだった。「ご主人が一人でいい目をしているから、他の釣り人の怨念で胃が痛いのではないの?」と冗談めいて言うと嬉しそうな顔をして運転席に乗り込んだ。さっきまでの胃痛に耐えていたしかめっ面は何処に行ったのだ。まさか薬がそんなに早く効くはずがないから、心地よい会話が痛みを忘れさせたのだろう。
定年後を悠々自適に自然の中で暮らす人が多い。海辺には小型の漁船が所狭しと繋がれている。釣りを楽しむ素人のものだ。多くは複数の人が連れ合って船で出ていくみたいだ。そんな場面にしばしば出くわす。もっとも海の上だから危険とは常に隣り合わせで、何かあったときのために一人では心細いだろう。船の上で何を話すのか知らないが長い時間を一緒に過ごし、まるで少年時代のように友情を温めるのだろうか。不快な人間関係に晒される陸(おが)よりはるかに雑菌が少ない海の上で、残された日々が柔らかい波に包まれる。


2009年11月12日(Thu)▲ページの先頭へ
サンダル
 やっと分かった。何故みんなが健康相談中に僕の足下に視線を落とすのか。
 僕が相談者より高い椅子に座るからほとんどの人は見上げる視線なのだが、何故かこの数ヶ月視線を僕の足下にチラチラと落とす人がいる。そして慌てて元に戻し気まずそうな顔をする。見なくてもいいものを見てしまったというような顔だ。
 ある家族がやってきて、小1時間話をした。その後帰路の車中で僕の足下の話題で盛り上がったらしい。そのことを娘から聞いて、他の人も気がついていたのだと分かった。勿論僕は気がついていたが、僕にとっては何ら問題ではなかった。この2年くらい僕が履いているのは冬用のサンダルだから足先にカバーがついている。もっとも僕は1年中同じものを履いているから夏用と言う認識はない。そのカバーが、それも右だけが前面が破れて口を開けているのだ。口を開けたところから裏地が出てきていて、それも破れているから、いわばマッコウクジラが口を開けてオキアミを一気に飲み込む瞬間のように見える。
 破れて口が開いているのを知らずに僕が履いていると勘違いした人は、その事を僕に教えてくれるには勇気がいるだろう。どうせ僕だから当然のことだと思う人は、一つの目に入った単なる違和感で終わるだろう。だから僕のことを良く知らない人が一番の被害者かもしれない。知らない振りをすればするほど目に入ってしまうことは良くあることだから、いらぬ気を使わなければならない。
 僕にとっては、使える物は最後まで使うというごく当たり前のことだから、全く気にはならないのだけれど、深刻な相談に来た人が破れたサンダルに迎えられたら治るものも治らないだろう。愚痴を一杯こぼして、出来れば涙も流してスッキリして帰りたいのに、あの人で大丈夫かなと不安にかられるだろう。それは余りにも気の毒だ。こうなれば僕も薬剤師の端くれだから、相談に来てくれる人の気が散らないようにしなければならない。その為には、これから仮に視線がそちらの方に行っても違和感がないように、両足のサンダルが同じように口を開けるように左足に体重をかけて歩くことにする。そうすると如何にも夏用の蒸れないサンダルになるだろう。これで来年の夏は越せれる。


2009年11月11日(Wed)▲ページの先頭へ
メール
 巡り巡って昨日頂いたメールだ。何のことはない、毎週日曜日にお会いしている金神父様から発信されたもので、その神父様は韓国にいるシスターから頂いたものだそうだ。それ以前は分からない。そのシスターが始まりかもしれない。頑張って、頑張って心も身体も傷ついた人達を幾人も通過して届けられたものと思う。許すことが苦手な上に、許されることも苦手になってしまった頑張りすぎ病がはびこるこの国で、多くを体験することも許されずに、ひたすら与えられた課題だけと格闘する若者達に特に読んで欲しい。

『わたしたちの美しさとは?』
1.期待した分が満たされなかったとしてじれったく思わないでください。
信頼と希望をもって最善をつくしたそこまでがわたしたちの限界で、それがわたしたちの美しさです。
2.だれかを愛しながらもっと愛することができなかっとして気を揉まないでください。
こころをつくして愛したそこまでがわたしたちの限界で、それがわたしたちの美しさです。
3.今、悩んでいるならばもっとたくさんの涙がながせないとして自分を責めないでください。わたしたちが流した涙、そこまでがわたしたちの限界で、それがわたしたちの美しさです。   
4.誰かを完全に赦せないとして恥じと思わないでください。
胸を痛めながらゆるしを思ったそこまでがわたしたちの限界で、それがわたしたちの美しさです。
5.すべての欲望をすてることができないとして苦しまないでください。毎日、こころを空にしながら苦しんでいたならばそこまでがわたしたちの限界で、それがわたしたちの美しさです。
6.もっとはやく走ることができないとして自分の歩きを責めないでください。自分の姿、そのままで最善をつくして歩くそこまでがわたしたちの限界で、それがわたしたちの美しさです。
7.世のすべての花と花びらはもっと美しく咲くことができなかったとして苛立ったりしません。 自分の名をもって咲いたそこまでがわたしたちの限界で、それがわたしたちの美しさです。

「自分の限界が見えてきたらそこまで果たすことができたことに感謝しましょう。自分の限界に気づいたことからわたしたちの信仰が始まり、そこからお委ねすることもできるからです。日々、光のところを先に見ましょう。金神父」


2009年11月10日(Tue)▲ページの先頭へ
痛風
 痛風はある遺伝子のせいだということがつい最近分かったみたいだ。今までどのくらいの人に嘘をついたことになるのか。運良くというか実力がないというか、僕の薬局には痛風の人が少なかったからかろうじてダメージは小さくてすんだ。皇帝病だなんて知ったかぶりをして、贅沢三昧を嫌みたっらしく指摘して、健康指導なんてのをやっていたのだが、遺伝子のせいだと分かれば、彼らに罪はない。「エビ、いか、シャコ、たこ」と滑らかに出る好ましくない食事も、こうなったらいいか悪いかなんて分からない。野菜では、貝割れ大根あたりが尿酸値を増やすとも言われていたが、そこまで言う必要など全くなくなるのではないか。痛風に使う漢方薬も持っているのだが、なにぶん病院で薬を飲めば尿酸値は簡単に下がるから、薬局に来る人は少なかった。もっとも自然派志向の方なら来るだろうが、総じて痛風患者は行け行けどんどんが多いから、一瞬にして効いた感じが持てる薬以外は飲まない。身体を綺麗になんてのは思いもよらないみたいだ。
 今まで正しいように見えていたことが、何かの発見によってあっという間に間違い、そこまで行かなくても存在理由を無くしてしまうことがある。科学の発達でそんなことがますます増えつつある。昨日までの知識が役に立たないのならまだいいが、昨日まで間違ったことを推奨していたなら、又自分で実行していたならそれはショックだ。知識を広く求めながらも、謙虚にそれを整理しなければならない。専門家は多くを知っているから口は堅く、素人は知っていることが僅かだから口が軽い。
 経験よりも遺伝子が優先されるのは寂しげでもあるが、人の心はすでに自然界の破壊より先んじて壊れ始めているから、今更DNAまで掘り下げても覆水は盆には返らない。創造と破壊が無秩序に連鎖する様は、DNAの螺旋階段をあえぎながら登る近未来の人達の姿と重なる。


2009年11月09日(Mon)▲ページの先頭へ
森進一
 なかなか面白いことを娘が言った。
 往復4時間近くかかるところに新幹線でわざわざ講演を聴きに行ったのだが、鳴り物入りの講師のつまらない講演内容を評価しての感想だ。ある薬を日本一販売するというふれ込みなのだが、何のことはないそのカリスマ性で売っているだけで、内容にはとても満足できなかったみたいだ。「カリスマと本物は全然違う」と言った言葉が、なかなか的を射ていて面白いなと思ったのだ。
僕も若い時には休みを利用して出来るだけ講演を聞きに行った。日帰り可能なところなら、息抜きも兼ねて貪欲に出かけた。色々な講師がいるので、講演内容は薬局に帰って一応実験してみた。それで牛窓の人に使うべきかどうかを考えた。例え売ることが出来ても効かなければ、同じ狭い地域の人達だから見放されてしまう。圧倒的な消費者を抱えている大都会なら売り逃げもあり得るだろうが、1万人にも満たない小さな町では、実力不足は致命傷だ。そんな危機感が若い時からあったから、勉強会には貪欲に出かけた。立地のハンディーを克服するには実力を磨くしかないのだ。そんな背水の陣は僕の若い頃から続き、知らず知らずに娘にまで受け継がれているのだろう。負け惜しみではなく、困難だが裏表が通じないとてもやりがいのある環境を与えられていると言ってもいい。それは勉強を続けるいとも簡単な動機付けにもなる。
僕には尊敬する師がいる。娘は毎週土曜日その師のお宅にお邪魔して仕事ぶりを学ばせてもらっている。親子2代に渡って知識を教授して頂いた恩のある方だが、知識以外にも多くの人生訓も教えて頂いた。その最たるものがカリスマにならないことだから、皮肉なものだ。本物はいつも謙遜で、誰もその存在に指摘されるまで気がつかないくらいだ。本物は人が作り出すもので自分が作るものではない。逆にカリスマは、自分が作っている。自分で懸命に演出している。そんな虚像を真似ても何ら達成感はない。とてつもない実績より、生活の中から安心して出費できる金額で、病院で落ちこぼれた命に関わらない程度のトラブルを的確にお世話することの方が余程身の丈に合っている。
 背伸びしてみる海峡は、森進一だけでいい。・・・・・古う〜


2009年11月08日(Sun)▲ページの先頭へ
サロンパス
 普通の鎮痛薬では効かない人に、ある特殊な鎮静薬が使われることがある。ペインクリニックの専門医がわざわざ病院に来てくれて診察した結果、肋間神経痛だと診断してそう言った薬を処方してくれたそうだ。数日前までは、主治医に裂孔ヘルニアだと診断され、鎮痛薬が功を奏せずモルフィネの貼り薬を処方されていたのだが。
僕が訪ねた時も辛そうな顔をしていた。今日は初めてみぞおち辺りが痛むと言っていた。色々話しているうちに胃の痛みではないかと思った。診察に来た医師にも伝えたと言うから、何か策を講じてくれるのかと思ったが、何らその後連絡がないらしい。ガンで数回入院しているがその時はこんなに落ち込んではいなかった。痛みがどれほど人の心を落ち込ませるか良く分かる。本来は良く笑いよく喋る人だから。
 本人ももう何処が悪いのか分からないと言っていた。僕も話を聞いているうちに、確かに肋間神経の症状はあるけれど、それだけではないような気もした。医師の側も結局は、薬から判断すると症状を絞り込めていないみたいで、結局は2人の診断の薬がそのまま出ている。ペインクリニックの医師は裂孔ヘルニアではないと診断したのだが。地方都市の病院だから専門医はいないみたいで、近いから便利と言うだけで入院したことが悔やまれる。
 なるべく話をして心が病気に集中するのを少しでも防いであげようとしたが、どうしても薬や症状の話になってしまう。そこへ娘が入ってきた。僕より数歳年上だが、天性の明るさを持っている人で、陽気の固まりみたいな人だ。心の底から笑う声に誰もがつられて一緒に笑ってしまうような人だ。近所で起こっていることなど、それこそたわいもない日常の風景なのだが、着替えを持ってきた袋から溢れんばかりに機関銃のように話題が飛び出す。病人には禁句のような話題も次から次へと出てきて、実の母娘だから許されるのだろうなと感心しながら、その雰囲気に誘い込まれていた。僕は疲労気味で早く帰りたかったが、おいとまを言うような隙はなく、喋り疲れるまで待っていた。
 やっと見つけたタイミングを逃すまいと帰りを告げると、「痛みを忘れている」と言った。ある姿勢以外激痛がして、苦痛を訴え続けていた2週間、かなりの鎮痛薬を試され、結局はモルフィネしか痛みを減じることが出来なかったのに、今楽しい娘の話を聞いていただけで(勿論最初は相づちを打つだけだったが、途中からは確かに話をしていた)痛みを忘れることが出来たのだ。その効果がどのくらい持続するのか分からないが、人の心は不思議なものだと思う。楽しい心の状態でいたら、痛みの成分さへ消すことが出来るものが分泌されてくるのだろうか。逆に、落ちた心なら痛みを増強してしまうのだろうか。  体感的には良く分かる。数年前バレーボールを止めて、もう楽しいことなんかほとんどなくなったから痛みに関する訴えが明らかに自分でも増えた。筋肉はそれこそがちがちで、骨格を補うことすら出来ない。身体の悲鳴と心の悲鳴のどちらが先なのかは分からないが、陽気には縁遠いから、これからもますます痛みに悩まされそうだ。ああ、心に貼るサロンパスが欲しい。


2009年11月07日(Sat)▲ページの先頭へ
防波堤
 つい最近書いた「デパス」の時もそうだが、睡眠導入剤(睡眠薬)なんかでも、結構簡単に手にはいるのだろうなと思った。日本の東と西で偶然、それを利用したらしき犯罪を競い合っている。僕らの所には、しばしばメーカーが作った啓蒙書が届き、睡眠薬は安全だから医師の指示に従って飲み、勝手に止めないようにと書かれている。薬剤師の仕事は、薬を患者さんが勝手に止めるのを防ぐことと毎回強調されている。権威ある医師のコメントが載っていて、そこの所を薬剤師さんに期待していると必ず結んでいる。
 ここのところだけで、ぼくの薬局がいわゆる門前薬局になる資格がないことが分かる。僕にも娘にもそんな気がないから良かったのだが。勿論仕方ないから、処方箋を持ってきた人には睡眠薬であろうが何であろうが、一生懸命飲むように言っている。それ以上は決して踏み込まないが、僕の薬を求めてくる人には決して安易に睡眠薬や安定剤に依存しないようにと言う。もっともそんなもの飲みたくないから尋ねてきてくれるのだが。勿論一時の避難所としてそれらの薬は必要なのだが、えてして一時の避難所が永久の住処になっている。それはそうだろう。その様な薬が必要になったにはかなりの複合要因があったはずだ。過労か心労か何かの不運か、それらを解決せずして一時の避難だけで永久に解放されるとは思えない。医師の前に座り、どのくらいの時間を割いてもらえているのか分からないが、恐らく薬を飲むことにだけに集中しているのではないか。どうしても投薬が治療の中心になり、幸せな医師と不幸な患者が対峙しているだけのような気がする。
 ちょっとストレスが貯まって眠れないのでとでも言えば簡単に処方してもらえるのだろう。しかめっ面をしてみせるか、途方に暮れてみせれば医師などすぐに騙すことは出来る。おまけに今は薬も門前の薬局で手に入るから、薬剤師と顔見知りではない。顔見知りなら飲み過ぎではないのとか、大丈夫とかのいわゆる用意されたのとは違う会話もあり得るだろう。ところが今は、薬局は何かを指導すれば報酬がもらえる仕組みになっているから、全国同じような言葉しか行き交わない。マニュアル化した会話でなかなか嘘は見抜けない。病院をハシゴすればいくらだって殺人を犯せる薬が手に入る。昔は睡眠薬による自殺を心配していれば良かったが、最近はその種の薬は使われなくなったから勝手に止めることを心配するようになった。これからは、騙して沢山手に入れ殺人の道具に使うかどうかを警戒しなければならなくなった。
 誰がこのような犯罪を防ぐ防波堤になれるのだろうかと思う。結構いい加減なことが日常に溢れているのが良く分かる。些細なこともいい加減に出来ずに病気になる人がそれこそ溢れているのに。幸せと不幸の溢れ競争、どちらが勝つ?


2009年11月06日(Fri)▲ページの先頭へ
意外
 予想も出来ない意外な言葉を聞いた。人の心の中はなかなか見えないものだ。何十年もその逆のことばかり考えてお世話していたのだが。そしてその甲斐あって、結局は一度も病気と言えるようなものを今のところしてもらってはいないのだが。
 家が近所と言うこともあって、僕が牛窓に帰って後、父の薬局から独立してからのお付き合いになる。独立と言っても支店で独自のやりかたを学んでいったと言った方が正確だ。帰ってすぐは何の知識もなかった。薬剤師を証明する紙切れが一枚あっただけだ。大学に滅多行かずにもらえた紙切れだから、もらったときから黄ばんでいて気恥ずかしかった。それはさておき、薬局に立つようになってからは、さすがにかなり勉強したと思う。理論は苦手だから、延々と人体実験をした。色々な勉強会に出席し、帰ってから来局者に覚え立ての薬を服用してもらい、どれが正しくてどれがはったりかを自分で判断していった。そして自ずと人間の身体的特徴についても少しずつ分かるようになった。
 予想外の言葉をだした女性は、僕の作り上げた経験則では、びやびやと不調は一杯抱えるが、大病をせずにひたすら長く生きると言う区分の代表格だった。色白でスリムで冷え性の典型なのだ。若いときは女優になったらと思うほど美人だった。この種の人は、大きな病気をするほどの体力もない。だから永遠に生きる。僕はそんな人を見つけると200才まで生きるよと言うことにしている。おおむね嬉しいような困ったような複雑な顔をするが、基本的には長生きはみんなの希望だろうから、その事で叱られたことはない。
 何かの拍子に肩こりの話になった。女性に「肩は凝らないの?」と尋ねると、まさに今日のテーマの意外な言葉が出てきたのだ。「余程強く生まれているんでしょうね」これには驚いた。全くの真顔なのだ。恐らく本人は、私は強いと本気で思っているのだろう。冗談なんかを言う人ではないから。漢方的に判断すれば「虚症」といって、エネルギーの生産効率のすこぶる悪いタイプを指す、教科書に載せてもいいほどの人なのだが、自覚は全く違う。正反対を自認しているのだ。正しいとか間違っているとかではなく、これにつきると思った。自分で元気と自覚されればそれでいいのだ。医者が何を言おうが、漢方でどれに分類されようが、壮年期に達して自分で元気と思えるほど幸せなことはない。客観的な判断にいたずらに支配されるより、我が道を心おきなく歩めればそれにこしたことはない。
 墓穴を掘るような主観は困るが、罪のない自信は時としてほほえましい。何十年、遊んでいるところをついぞ見かけなかったが、何倍にも増えた家族を与えられて、それに優る
自信はないだろう。






2009年11月05日(Thu)▲ページの先頭へ
実行力
 思わず地図で確認してみた。大きな声で驚きの声を上げてしまったが、何となくきつねにつままれたような感覚は今でもある。
毎月1回、国立病院にかかり、診察を受けたらFAXで処方箋を飛ばしてくる女性がいる。岡山から帰ってくる間に薬を調剤して用意しておけるから彼女は待つ必要がない。忙しいお百姓さんで、車を横付けにして待っているご主人と共に瞬時を惜しむように薬を持って帰る。そんな方が今日は昼の3時過ぎまで薬を取りに来なかった。ようやく取りに来たからどうしたのと尋ねたら、しまなみ海道を渡って、帰りは瀬戸大橋経由で帰ってきたと教えてくれた。なんのことはない、診察が終わってから、広島県、愛媛県、香川県経由で帰ってきたってことだ。大変な寄り道だと思うのだが、それを僅か6時間で走破してきたのが、「動かずの大和」と言われる僕にとっては驚きだ。4つの県を、それもれっきとした観光コースを6時間で観てこれるものなのだろうか。僕より数歳年上の夫婦なのだが、さすがに農家の方だけあって体力はありそうだが、行ってみようと言う好奇心にまず驚かされる。そしてその実行力。普通の人ってこんなものなのかと自信を無くするが、救急車で帰ってきそうな僕が競り合う必要はないと、簡単に負けは認める。ちなみに、道路がすごくすいていたこと、ET車で安くつくこと、高速道路だから燃費がいいことなども教えてくれたが、僕には全く関係ない情報で、目の前で僕の薬を受け取る人物こそが興味の対象だった。
 行動力のある患者さんに対して今日の僕はひどくマイナーだった。今日は娘がいなかったので一人薬剤師で、不吉な予感がしていたとおり処方箋を持ってくる患者さんが多くて、ひたすら作業に追われた。自分の力で病気を治すときの感動は全くない。調剤薬局なら貴重な売り上げなのだろうが、正直疲労感だけが残る。何をして、何の役に立ったのかさっぱり実感できない。地勢的に便利だから持ってきてくれるのだろうが、日本中何処の薬局に持っていっても全く同じくすりをもらうだけ。医師の患者さんで薬局の患者さんではないから、主観では決して話しかけることは出来ない。主観だけで生きてきたような人間にとっては、拷問に近い。決して医師の気に障らないようにと、患者より寧ろ医師に気を使う。
 夕方娘が帰ってきたので、途中止めの調剤を全部片づけてもらった。やはり時代には付いていっていないのか、潮時かなと思ったりもするが、いやいや、まだまだ現代医療で救われ損なった人達のお役に立つべきとうぬぼれたりもする。このまま医療の隙間を泳ぐか、遅ればせながらに芸能界に入って「役」の世界を泳ぐか、それが問題だ。


2009年11月04日(Wed)▲ページの先頭へ
変化
 今日はとても嬉しい電話をもらった。有名な野球チームがある都市に住む若い女性からだ。僕はその街に行ったことがないから、そのドームをテレビでしか見たことがないのだが、彼女の電話を受けるたびに、知らない街を想像する。大きな球場から広がる商店街。アイスクリームをなめながら歩く若者達。空に飛んでいく風船。黄色く色づいた街路樹。そして声だけしか知らない女性の風貌。
同じような悩みで苦しむ人達のために彼女がくれた文章のほんの一部を紹介する。メールより電話で話す機会が多い彼女だが時々メールもくれ、こうして言葉が残っている。最初の状態と今日の電話の状態の変化を感じて欲しい。そして僕と縁が出来た人全員が誰一人落ちこぼれることなく落とし穴からはい上がって欲しい。
 「ガスが無意識のうちに漏れてしまい、しかも部屋中ににおいが充満してしまいます。現在ニートです。人がこわくなり、働けない状態です。くさいとか邪魔とかうっとうしいとか嫌いとか悪口を言われ、家でも死んじゃえばいいのにって言われて、生きている資格がないと思い自殺したいと毎日本気で考えます」
半年前は、彼女は人に怯えていた。人どころか、すれ違う犬の仕草にも怯えていた。僕は電話で話すたびに、世の中、あなたに悪意を感じ、あからさまに不快感を示すような悪人はいないと言い続けてきた。世の中、ほとんどの人が善人だとも言い続けてきた。ところが彼女はそんな僕の言葉は信じることが出来なくて、その都度遠慮がちに僕の言葉を否定していた。でも僕は、彼女と何回も話して分かっていた。こんなに遠慮がちに生きている女性が決して人に嫌われたりするはずがないことを。また、決して自己を主張するわけではなく、人に迷惑もかけずひっそりと暮らしている人が幸せになる権利を放棄していいはずがないことを。僕は慰めではなく、確信を持って世の中いい人がほとんどだと言い続けてきた。
 なんと、漢方薬を飲み始めて数ヶ月がたった頃、彼女が働くことになった。ところが、職場のおばちゃん達にいじめられるようなことを訴えていた。でも僕はやはり言い続けた。恐らくみんないい人なのだと。なんと楽天的なことを言うなと思ったかも知れないが、社会が今こうして維持できているのは圧倒的に善人で占められているからなのだ。こんなに単純な真実はない。
 今日彼女は電話で「先生が言っていたことが信じられるようになりました。おばちゃん達が親切になって、飲み物をくれたりするんです。やはりみんないい人です」と言った。朝早い時間にもらった電話だから、今日1日がとても気持ちの良い日になった。お腹が治るよりもっと崇高な価値を彼女は手にしてくれた。もっともこのような心の変化が起こればお腹なんかいずれ治ってしまう。
 このような人間として失って欲しくない価値観を、逆に社会が失わせてはいけない価値観を一人の若い女性が手にしてくれたことに安堵した。あのまま不信感と共に生きていくにはこれからの人生が長すぎる。多くの人と知り合い、助けたり、助けられたりして人生を楽しんで欲しい。僕の漢方薬のおかげだとは言えない。僕の冗談交じりの助言のおかげとも言えない。こんな田舎の薬剤師が何となく気になった彼女のひらめきと、薬を真面目に飲み続けた真摯さがもたらしたものかもしれない。


2009年11月03日(Tue)▲ページの先頭へ
結婚
 僕は自分の子供と面と向かって本気で話し合ったことはない。毎日多くの人と話をするから、仕事が終われば無口だったのか、何かを意図的に植え付けるようなことを嫌っていたのか、必要を感じなかったのか、思い出そうにも元々なかった映像は脳裏に浮かばない。
 昨日、珍しく一瞬娘と結婚について話すことがあった。僕は余り結婚について意味を感じる方ではない。結婚したカップルの半分近くがいずれ別れるし、結婚する必要を感じていない人も多い。昔みたいに、回りが祝うほど結婚自体がそもそも難しいものではなく、その気があれば誰だって出来る。家なんて観念もないから敢えて子孫を残す必要もない。そんな持論を言うと娘も結構相づちをうっていた。今まで勿論こんな話題を二人の間で持ったことはない。
僕が大切にしていることは、結婚して後、二人で如何に社会に貢献して生きて来れたかを遠い将来達成感を持って振り返ることが出来るか否かだ。勿論授かった能力に差があるから、大きな貢献かどうかは問題ではない。自分たちの能力の及ぶ範囲で、人助けが如何に出来たかが恐らく人生の大きな価値を決めるものだと思うのだ。豊かな生活を望むのではなく、豊かに生きることが出来れば人生は素晴らしい。勿論一人で生きている人達も同じだと思う。
 その辺りも何ら反論することなく娘は聞いていた。儀式をもっとも苦手としているこの親は、娘の幸せを祈っているのではなく、娘の、又その夫となる人の意味ある人生を祈っているのだ。僕は息子にも結婚おめでとうとは言わなかった。その代わり、これから恐らく延べにして何万人、いやもっと多くの人を助けることが出来る人生を僕は心の中で一人祝福した。
 僕は子供達が学生時代を終えた瞬間から親業を辞めた。今は寧ろ同質の職業人としての関係の方が濃いだろう。もう与えるものはない。追い越していく背中を見送るだけだ。生きていく人ではなく、生かされる人であってくれれば充分だ。


2009年11月02日(Mon)▲ページの先頭へ
不満
 よその薬局のことは知らないから実際がどのようなものか分からないが、ぼくの薬局は友人同士でくる人が結構いる。遠くの方が多いからか、観光がてらについてくる人が多いのだろうか。病気のことだからプライバシーを守らないといけないが、どのグループも結構本人の悩みを知っていて「今お友達の前で病気の話をしてもいいの?」と尋ねても、ほとんどの方があっけらかんだ。こんなオープンな関係を作っている人は、だいたいが治りやすい。薬局は死に病ではないからそこまで深刻ではないのかも知れないが、結構恥ずかしそうなものまで友人が知っている。僕はそんな関係を持っている人が訪ねてきてくれると嬉しくなる。数段治しやすいからだ。一人で抱え込んでいる人は本当に難しい。友人と一緒にやってくるのはほとんど女性で、えてして男は一人で頑張るから、心が閉じてしまって気が巡っていない。気が巡らないから血が巡らずに、身体のそこかしこに水が滞り不快症状を作ってしまう。滞りの最たるものは心のトラブルだ。口から出しただけ軽くなると全員に言うのだが、なかなか口から掃きだして捨ててはくれない。逆にしばしば訪ねてきて不満たらたらの人の治りやすいこと。
 別にサービスがいいのではないが、ぼくの薬局では結構美味しい飲み物やスイーツが出る。頂き物が多いから皆さんと分かち合うためだ。なんて言うと格好いいが、食べ過ぎて病気になるのを防ぐために、皆さんを道連れにしているとも言えなくもない。例えば美味しいコーヒーを飲みながら、運良くスイーツにもありつけながら、我が身の不運を嘆き、それは病気だけのことではなく、家族の悩み、職場の悩み、地域の悩みを含めて喋りまくって吐き捨てていくと、体調が一気に良くなる。僕のつまらない冗談に運良く乗れた人なんか、僕なんかよりはるかに元気そうな顔で帰っていく。漢方薬を飲む前から治っている人もいる。
 そうしてみると、もう何十年も友人とやらが出来ず、嘗て一緒にたむろしていた先輩後輩とも会えない僕が、ただひたすら仕事をしているとしたら、病気から逃れられるはずがない。健康を職業にして健康を捨てているようなものだ。何に不満があるのかも分からないくらい不満だらけで、会えば不満ばかり言い合っていたあの頃、米と塩と煙草とコーヒーで何で健康でおれたのだろう。ろくな生活はしていなかったが、太平洋一杯分の不満を吐き出していたからだろうか。バケツ一杯の不満も我が身に溜めなかったからだろうか。 責任などと言う言葉を覚えてしまったばっかりに、僕もえてして頑張る男の一人になってしまった。


2009年11月01日(Sun)▲ページの先頭へ
門前払い
 光栄だが、僕みたいな現場だけで通用する漢方薬は、他の方、特に東大病院の先生なんかには全く役に立たない。何ら統計的な裏付けがなく、僕の勘と経験だけで飲んでもらっているのだから、応用しようがない。特に病院治療にはかなり高度なデータが求められるので、そもそも入り口から失格で門前払いを食ってしかるべきものだ。7年くらい通って治療をしている方が、偶然僕の漢方で改善したから、お医者さんが何を飲んだのか教えて欲しいと言ったらしいが、どうみてもお愛想の域を出ないだろう。偶然の産物など意に介するはずがないから。難治性の病気が、病名を無視して体質だけ強くしようと思って出した漢方薬が奏功した良くある話だ。普遍性を持っていないから、一時だけ僕も喜ぶことにしているが、その処方がよく効いたからと言って、同病の他者に出して効く保証なんてまるでないのだ。
それよりも立派なのはお母さんだ。東京に住むお子さんが50歳前だから、もう70歳は越えているだろう。遠くからわざわざ車を運転して漢方薬を取りに来る。お子さんの症状の変化をなるべく漏らさないようにと、詳しく教えてくれる。薬を真面目に飲んでいるかも郵送日でちゃんと確認している。依頼された処方名を書いて渡したが、病名とは全く関係ない効能が羅列してあるのを見て驚いていた。漢方薬が病名治療になってしまい、体質とは離れたところで飲まれ出して、正しい使い方が出来る人が極端に少なくなっている。漢方薬は最早陳列され売られるものになっている。僕が間違ってこの処方を使っているのではないのですよとお母さんに説明すると良く理解してくれて、もう息子には効能書きを送らないと言っていた。息子さんが送られてきた効能書きを読んで飲まなくなったら困るというのだ。最初にもらった成分表だけでいいという。とても懸命な判断をしてくれたと思う。甘草が入っているという理由だけで漢方薬を飲まなかった人もいるくらいだから。かなり確率の低い副作用でしかないと思うのだが、飲めば必ず副作用が起こるとネットで調べて思いこんだのだろう。哀れだったが僕に手はない。情報、あるいは実力の末席辺りに僕などはいるのだから。
田舎の薬局で良かったとつくづく思う。何ら高尚な話をしなくても漢方薬を飲んでくれるのだから。都会に比べて、経済で負けて、人脈で負けて、知識で負けて・・・顔で勝った。


   


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