栄町ヤマト薬局 - 2009/10

漢方薬局の日常の出来事




2009年10月31日(Sat)▲ページの先頭へ
佐川急便
 ひょとしたらこの女性は10年近く我が家へ荷物を運んでくれているのではないかと今更ながら気がついた。日常の景色に全く溶け込んでいるから気がつかなかったが、恐らくそれに近い年数通ってきてくれていると思う。
佐川急便の大きなトラックと同じデザインの軽四トラックになったのは最近のことだが、それ以前はそこかしこで走っているごく普通の無地の軽四トラックだった。何故かしら彼女が運んでくるのは大きい荷物や、瓶ものの重い荷物が多くて、見ていて気の毒になり数年前までは僕も手伝ったりしていた。腰を痛めてから手伝えないこともあり、又若い女性が重い荷物を運ぶのをただ見ているだけに後ろめたさも感じるから、感謝の言葉だけでも添えるようにしている。
 この種の職業に就く女性はたまにいるが、長く続いている人を見たことがない。1年も続いた人がいるだろうか。気楽なアルバイト感覚で始める人もいるのだろうが、恐らく体力が持たないのではないか。僕は彼女に特別興味を持つことはなかったが、つい最近偶然お子さんのカゼ薬を相談された。その時初めて挨拶以外の会話をした。若く見えるので、お子さんがいる、それも小学生と言うことに驚いたが彼女が仕事に熱心な理由が少し分かったような気がした。家族のために働いているからあんなに熱心なのだと僕の勝手な結論だが。 労働が作ったのか、それとも遺伝子が働いているのか、とてもがっちりした体格をしている。勿論女性だから脂肪を表面に溜めてふくよかにも見えるが、がっちりという表現の方が的を射てる。決して男勝りではないが、急ぎ足で入って来、急ぎ足で出ていく姿に仕事への真剣さが感じられる。偶然居合わせた他社の男性ドライバーが時々声をかけているのも仕事ぶりを評価されていることの現れだと思う。 
幸せを測る物差しは持ってはいないが、幸せを垣間見ることは出来る。日常の景色の中に無数に隠れている奴を。


2009年10月30日(Fri)▲ページの先頭へ
漁師
 岸壁から出航する船に向かって深く頭を下げ続ける家族達。仲間の捜索に母港を出ていく船だろう。悲惨な海難事故の時に見かける光景だ。本当は自分たちが駆けつけたいだろうに、乗るべき船は転覆、あるいは沈没している。僚船に頼まざるを得ない。
瀬戸内海は外洋みたいに海が荒くはないが、時々は漁師の事故もある。漁師同志今は無線や携帯電話が普及しているから、お互い良く連絡を取り合っているみたいだ。孤独な海の上だから人恋しいのか、あるいは危険と隣り合わせだから身の安全を連絡し合っているのか。部外者だから分からないが、良く連絡し合っていることは薬局に来る漁師達や家族の会話から分かる。
以前こんな話を聞いたことがある。海で遭難したら捜索は無料だ。仲間が仕事を休んで全員捜索に出る。山岳とは異なるというのだ。教えてくれた人が最近酒に溺れ浮浪者並みの生活をしているから、今となってはちょっと信頼性に欠けるような気がするが、教えてくれた当時はこの町のイベントをリードするような人だったからあながち嘘とも思えない。海の仲間の絆を強調する話の中で語られた言葉だが、妙に納得できる内容だった。それだけ絆は強いのだろうが、話し下手が多い中、お互いどんな会話をしているのだろうと興味が湧く。家族に言わせればつまらない話だと言うが、そのつまらない話が幼い頃僕らを育ててくれた。我が家に泊まりに来た関東の女性が、僕と電話で話したとき怖かったと言ったのは、僕が漁師言葉を使ったりするからだろう。主語がない、述語だけで展開する難解な言葉だ。
僅か4畳半、高さ1m60cm。揺れる暗闇の中で何を喋ったのだろう。口べたな大風呂敷が緊張を解いたのだろうか。一生分おしゃべりをしたのだろうか。奇跡の生還を果たした英雄は絆だけでは救えなかった仲間のことを思い口をつぐむのだろうか。人が苦手な人好きの漁師達は、それでも又海に出る。


2009年10月29日(Thu)▲ページの先頭へ
贈呈式
 ああ、やっぱり苦手中の苦手だ。行くべきではなかった。
 瀬戸内市薬剤師会の支部長から電話があり、今日の昼過ぎに公民館に来てくれと言う。何事かと思いきや、薬剤師会が市内小中学校8校にAEDを寄付するという。その贈呈式をするから来てくれと言うのだ。会場がほんの我が家から200メートルくらいしか離れていないので白羽の矢が立ったのだろう。
教育委員長の部屋に入るとすでに支部長がAEDを拡げて説明していた。教育委員会側は牛窓の良く知っている人二人と、いつか国保委員会で責任者的な立場に立って会議を進行していた人が出席していた。傍らで新聞社の若い記者がカメラを構えていた。実は薬剤師会の邑久支部が各学校にAEDを寄付することを僕は知らなかった。支部会に過去30年間で1度しか出席したことがないから知らないのも当たり前なのだが、率直に良い判断をしたなと感心した。たまに役立つことが出来ると嬉しいものだ。どうせ何十年もあてもなく積み立てていたお金だから、有効に使えればそれにこしたことはない。視点を変えれば、お金を使うほど活発でない支部会というあまり誉められたことではない結果のお金なのだから。貯まった理由は寧ろ恥ずかしいようなものなのだ。現に活発な活動をしている支部会はお金が足らなくて困っているのだから。
 新聞記者が同席するのは支部長から聞いて分かっていたから、と言うより、一人では格好にならないから同席してと言う話だったのだが、支部長が白衣にするかスーツにするかと尋ねたので、白衣だけは止めてとお願いしていた。近いからどうせ歩いていくことになるのは分かっていたから、仮装行列に間違われそうだ。僕のスーツ姿でも仮装行列並みの違和感なのだから。結局、間をとってブレザーで行った。道中、新聞に写真が載るのはいやだからどうやって断ろうかそればかり考えていた。カメラを構えるたびに、Vサインを出し続ければ呆れて写さないだろうかとか、鼻を指で上に向け豚の真似をすれば写さないだろうとか。なかなか良いアイデアだと内心ほくそ笑んでいた。
 話が一段落した後、新聞記者に職員が促して写真を撮ることになった。すると教育委員会側の一番偉い人と支部長がやにわに立ち上がると、AEDを今まさに贈呈するというポーズをとった。そしてシャーッターが数回押された。
 なんじゃこりゃー。「先生も一緒に」くらい言えばいいのにと思ったが、僕のもくろみは見事にはずれたが新聞に載ることだけは免れた。悔やまれるのはジーパンで来なかったこと。朝の服装を途中で着替えるのがすごくいやな僕が、必死の思いで着替えたのに。まさに案ずるより産むが易しとはこのことだ。


2009年10月28日(Wed)▲ページの先頭へ
加算
 このお金はもらえない。もらわないと法律違反か省令違反かになると言うから、誰が何を守っているのか理解できない。患者さんにとっては全くのぼったくりでしかないと思うのだが。こんな悪しき決まりは薬局で行われているように、恐らく医療現場以外でも息をひそめながら行われているのだろう。どのくらいのお金が直接患者さんから、又税金から補填されているのか分からないが、出来ればそのお金は医療全体を守るために、激務の病院勤務の若き医者達に回して欲しい。
皆さんは知っているだろうか。平日なら午後7時。土曜日なら午後1時を過ぎて処方箋を薬局に持っていき調剤してもらうと、なんと手数料が400円余分にかかるってことを。6時58分に薬局に入って行った時より、7時3分に入って行った患者さんは、400円余計に加算される。もっとも患者さんは3割負担だと120円余分に払うってことだが。薬局の立場から言えば、なんとも美味しい「おこぼれ」だが、そもそもこの規則はいわゆる門前薬局が医院の営業に合わせて閉店してしまうことを防ぐ苦肉の措置らしい。せめて常識的な時間は営業させようと言うのだが、そもそも門前薬局そのものが、医療の独立性を担保する観点からはクエッションマークだと思うのだが、その灰色部分を認めてきたから、尻ぬぐいに又不可解な餌をくれたようなものだ。薬局にはおこぼれでも患者さんには不本意な出費だ。
 父の代には朝の7時から夜の9時まで薬局を開けていた。僕はそこまでは無理だったので、朝の8時から夜の8時までにした。これでも両親には少し後ろめたかった。娘の代になってどのくらい働くのか分からないが、地域と共に暮らしている人間にとっては、何時に来てもみんな同じなのだ。夜中に起こされて薬を渡すことだってある。その時に代金が加算されるような考えはなじまない。ドライに考えればいいことなのかもしれないが、一人一人の顔が浮かぶ地域では、今土曜の午後3時だから余分を頂くねとは言えない。
 大きな声が出る人に恩恵が集中してはいけない。声なき声を聞き取れる良い耳を、良い耳を。



2009年10月27日(Tue)▲ページの先頭へ
電話
 「突然の電話でびっくりしました。何かあったんですか?」と妻に言ったそうだが、もっともだ。6年前に過敏性腸症候群の相談のために東京からわざわざやってきて、数日泊まっていったのかな。その後1年近く漢方薬を飲んで治した女性だ。それがこちらから電話したのだからさぞかし驚いたろう。こちらから連絡をするようなことは誰に対してもまずないことだ。ただ、彼女はうちにいる間に教会に一緒に行き、それが縁で東京に帰ってから教会に通うようになって、年賀状のやりとりくらいはしていたのだと思う。僕とはもう完全に縁は切れているが、その様な理由で寧ろ妻と縁が保たれていた。
 そんな間柄で、それも朝の8時をちょっと回った時間帯に携帯電話で呼び出せば驚くだろう。そんな電話の鳴り方はたいてい良い内容ではない。彼女が何を想像したのか分からないが、ああ、言いたくない、それに決まっている。話を本題に戻そう。
 電話に出た彼女は妻からある用事を聞いて、今出勤中だから、会社に行って調べてから返事をしますと答えたらしい。妻は早速その事を僕に伝えた。「○○さんは今出社中だって、働いているんだ」と。完治してから僕とは連絡を取っていないから、彼女が今何をしているかなど全く知らなかった。働いていると言うことだけで嬉しかったのだが、正午を回って返事をくれた時、フルタイムで働いていることが分かった。ああ、これがみんなが僕の所に来てくれたときに口に出す「普通の生活」ではないのかと思った。朝起きて、学校や仕事に行き、夕方には家路につく。夜はテレビを見ながら眠りにつき、週末を唯一の息抜きとして心待ちにする。そんな単純な繰り返しこそが、過敏性腸症候群の人達の普通なのではないか。お腹のことなど1日のうちに考えることがない、そんな当たり前のことが「普通の生活」なのではないか。ほとんどの人が何の努力もなしで最低限手にしているものが、相当の努力なくしては手に入らないか、努力しても入らないとしたら、それはさすがに普通ではない。確かに異常な状態かもしれない。
 僕は多くの人を世話して、心身の健康がガラスのように壊れやすいことも知ったが、逆に、治る力も又多く与えられていることも知った。両者が常に駆け引きしながら、それでも人生の多くの時間を快調に暮らす力を与えられていると思う。脈々と受け継がれたのは滅びの遺伝子ではく、生き延びるための遺伝子だと信じている。絶望の遺伝子ではなく希望の遺伝子なのだ。悲観的な僕でさえこれだけは断言できる。
 


2009年10月26日(Mon)▲ページの先頭へ
近畿大学ヨット部
 黒いジャージに負けないくらい日焼けした若い女性が、何も言わずに薬局に入ってきて物色し始めた。こういう人はほとんどがドラッグストアみたいな所しか経験していないので、そもそも挨拶という概念はない。こちらももう慣れているので、目があった時「こんにちは」と言っただけで後は放っておいた。
そのうち手に50個入りのマスクの箱を2つもって、カウンターの方に歩み寄ってきた。そこで初めて彼女は口を利いた。うがい薬が欲しいらしい。マスクを持っているからインフルエンザ予防のためかと思ったら、もうすでに仲間数人が喉の痛みを訴えているらしい。となるとかの有名な殺菌のうがいではだめなので、消炎効果優先のうがい薬にしようと二人で相談した。その頃から彼女はとても表情を崩して、最早垣根はなくなったように思えた。領収書を書かなければならなかったので、それも彼女の大学の方針に沿った書き方をしなければならないおかげで、少しの時間話すことが出来た。
 彼女は近畿大学のヨット部の学生らしい。「一杯薬があるんですね」とか「変わった薬があるんですね」とかやたら興味を示すので「薬学部なの?」と尋ねたら経営学部と答えた。何でも全日本の試合があるから10日間くらい牛窓に留まって試合をするらしい。全日本の後が良く分からないから、学生の大会か、社会人も含めているのか分からなかったが、恐らく彼女たちにとっては大きな大会なのだろう。「優勝しそう?」と水を向けると「私達の大学は人数が少ないんです。今は全員1回生ばかりです」とマンモス校ならぬ答えをした。意外な答えなのでその真相を尋ねると、近大は大阪の西にあるのに、ヨット部の港は兵庫県の西宮らしい。だから練習に行くにも不便なのだ。そんな悩みも彼女は話してくれた。
 体育会系の学生らしく、ちょっとしたこちらの行為に毎回「ありがとうございます」と返し、何回彼女は薬局にいる間その言葉を口に出したのだろうかと思う。元々都会の子か、あるいは地方から出ていった子か分からないが、こうした若者がそれこそ万の単位で暮らす街のことを思った。恐らく将来を見通して堅実な努力を重ねているような子は今の世も少ないだろう。今日が昨日と同じことを約束され、明日も今日と同じことが約束され、どっかりと腰を下ろした時間の奴が慌てて逃げてくれればそれでいいのだ。青春とは居座った時間の多さに嘔吐する時期だ。
 好感の持てる彼女に、何十年前の僕を重ねる要素は何もない。ただ、今日電話の向こうで涙した、遠く東の方にすむ学生には、僕のあの頃はやはり重なってしまう。臆病だから渡れぬ橋もあるが、臆病だから渡れる橋もある。こうあるべき姿ってないのだ。僕はそれを伝えたい。向かい風でも進むヨットのようになって欲しいから。





2009年10月25日(Sun)▲ページの先頭へ
ブラスバンド
 買い物をして再びアーケードの下に出てくると大きな音で「千の風にのって」が演奏されていた。見るとすぐ傍で20人編成くらいの黒い服の団員によるブラスバンドが演奏をしていた。指揮者だけがこちらを向いていた。白人男性だった。バンドの横に行き見てみると全員が白人だった。年齢は高そうだった。僕くらいの年齢を前後しているように見えた。女性が二人混じっていたが、男女とも大きいというのが最初の印象だった。これくらいの体格がないとブラスバンドってやれないのかと、素人に思わせるほど揃って恰幅がよい。僕も日本人の中では決して背が低い方ではないが、団員の全員に体格では負けそうな気がした。その延長線でつまらないことだが、武器を手にしても、格闘技でも勝てないだろうなと思った。大きく張られたポスターに日蘭交流音楽祭と書いてあったから、オランダ人なのだろう。オランダ人って、大きいんだと、まるで音楽とは関係ないことで感心していた。昔その国の人達と戦った歴史があり、今はk−1で戦っているが、どう見ても体格的には不利だ。逆を言えばリングの上といえども互角に戦っている日本人選手がすごいと思った。
ウサギ追いしかの山・・・・金管楽器の迫力ある音色とマイナーな感じの原曲が、アーケードの下で足を止めて聴き入っている200人くらいの人達の日常を巻き込んで一つになっていた。指揮者や団員の表情には笑顔が溢れ、曲ごとに大きな拍手を送る聴衆にもそれに負けない笑顔が溢れていた。争い戦う必要のない日は必ず来る。これも又音楽には関係ないことが頭に浮かんだ。貧困が克服されれば、人は争う必要など無くなる。満たされていれば人を傷つけたりはしない。指導者と呼ばれる年寄り達の欲望に若者が利用されることもない。ほんのついさっき会ったばかりの人達がもうこんなに笑顔を交換している。言葉も分からないのに、完全に無防備で心を通わせている。楽譜という世界の共通言語で結ばれている。
 鳴りやまぬ拍手がアンコールに変わったとき、平和っていいものだなと、まるでそれが縁遠いものであるかのような錯覚の中で思った。


2009年10月24日(Sat)▲ページの先頭へ
シュレッダー
 ある人から、シュレッダーで出来た紙くずをくれないかと頼まれた。薬局には毎日のように製薬会社から情報が入ってくるので紙には困らない。寧ろその処分に困るくらいだ。だから昨年、偶然ある製薬会社からシュレッダーをもらって使わない日はない。僕のお気に入りの機械だ。裁断された紙くずは、荷物のクッションになり又生き返る。今回の申し出は、その紙くずを使い古したストッキングに詰めて、大きな洞窟を作る時の基礎にすると言う、ある先生のものだ。休日、ボランティアでお世話している子供達と作るらしい。その活動には参加できないが、紙くずならいくらでもある。
 ところがその紙くずの量が圧倒的に足りない。1ヶ月も前に頼まれていたら何とかなるのだが、1週間ではさすがに洞窟分は無理だ。そこで僕が思いついたのは、家の隅にうずたかく積まれた1万円札の束。世のため人のためと思い、それをシュレッダーにかけ、恐らくこれで完成するだろうと思う紙くずの山を作った。
 妻は老人家庭に薬を配達するときは必ず使い古しの封筒に釣り銭を入れて持って出る。配達先ではほとんど老人は、お札で会計をすませる。だから帰りには、お札が一枚入っている封筒を持って帰ることになる。使い古しの封筒にお札が一枚だから余程気をつけないとゴミにしか見えない。それは青い封筒だった。妻が配達した後、なにげなくシュレッダー近くに置いていたらしい。僕はまさか配達した後の封筒だとは思わなかったので、何も考えずにシュレーダーに入れた。ところが夕方、妻が「配達したお金を知らない?」と僕に尋ねたことですべてが理解できた。何を思ってか、いや何も思わずにか、その封筒に限って中身を確認せずにシュレッダーにかけてしまったのだ。それから慌ててシュレッダーの中を出して見てみたが、勿論福沢諭吉の骨は拾えなかった。ああ、なんてことをしてしまったのだろうと血の気がひくは、冷や汗は出るはで、夫婦責任のなすりあいで辺り一面が血の海となる。
シュレッダーにまつわる嘘のような嘘の2題。どちらがありそうかと言えば圧倒的に後者の方。1日18時間働いて貧困率15%の方に入る人、アルバイトで母を助ける子供達、こんなに貧しい人達を作った豊かな人達こそシュレッダーにかけて洞窟の壁になるべきではないか。



2009年10月23日(Fri)▲ページの先頭へ
 鋭い視線をしているなと思う。その視線の先にはピンポン玉がまるで止まっているかのように見えるのだろうか。テレビで試合の模様を何回か見たことがあるが、クールなイメージで、幼いときから勝負の世界に入っていった子のさがみたいなものを感じる。
いつからだろう、体育館の正面玄関のガラス扉に、石川佳純選手の大きなポスターが貼られている。左利きの彼女がラケットを大きく振り切った瞬間が写されている。恐らくポーズをとって写したものでなく本当に試合をしているときに写されたものだろう。冒頭の鋭い視線が見るものを引きつける。何のためのポスターだろうと思って、今朝近寄ってキャッチコピーを見てみた。文部科学省制作のように思えたけれど「強い心と身体をスポーツで作ろう」みたいなことをうたっていた。
 牛窓に嘗て石川選手と試合をした子がいる。小学生時代、しばしば山陰に行って試合をしていた。そのお母さんに石川選手のことも聞いていた。余り興味がなかったので相づち程度に聞いていたが、そのうち石川選手が全国区になってきてから、無関心でいたのが惜しい気がした。記憶を辿ればやはり素質はずば抜けていたみたいで、小学校から帰ったら高等学校に練習に行き、夜は自分の家で練習をしていたらしい。まさに強い心と身体を彼女は手にしたのだろう。翻って彼女と試合をした子は、その後強い心と身体を手にしたかと言えば疑問符が残る。家族と親しいので正直なところを言えば、強い心も強靱な身体も手には入らなかった。いまでは何処にでもいそうなごく普通の可愛い高校生だ。ある瞬間偶然交差した二人だが、二度と交わらぬ方向へ歩んだ。いい悪いではなく、無数の要素が絡まって人生など展開する。切り開く子もいれば、切り裂かれる子もいる。
 スポーツだけが強い心と身体を作れるものではないが、幼い時にほとんど昔のお百姓や漁師の子みたいに身体を動かして親を手伝うこともないから、さすがに肉体を鍛えるチャンスは少ない。ひょっとしたら皮肉にも貧困率が20%近いから強い心を身につける子はいるかもしれない。質素な食卓から強い体は作れないが、懸命に生きている親を見て強い心なら育つかもしれない。
 あの真剣な眼差しを見ていると、僕が30年間、下手な芸人よりはるかに面白いギャグを言い合い、涙が出るほど笑いながら、殺気もなく機嫌良くやって来たバレーボールなどもってのほかだ。だけどおおむねこの世の中はもってのほかの種の方がはびこっている。それを「種の機嫌」と言う。


2009年10月22日(Thu)▲ページの先頭へ
ロボット
 漢方の世界では、ある特徴を持った人達を一つのグループにして処方を決定するのに役立てている。数千年前に出来た処方が未だ通用するのだから、古人の知能と壮大な人体実験に驚く。逆を言えば千年単位などでは人間の知能自体はほとんど進化していないのではないかとも思う。脱線を許されるなら、ミケランジェロもベートーベンも大好きなチャップリンもなかなか超えられないのだから。
「物事をきちんと片づけないと気が済まない人というのは結構いて、自分の思い通りに行かないときは、イライラしていて急に怒り出したりする。体調を壊すと気が弱くなって何事にも消極的になって悪化すればノイローゼになる」こんなタイプの人を漢方ではひとくくりにしている。これを読んで、いるいるそんな人と思う方もあるだろうし、まさに自分ではないかと思う人もいるだろう。何を隠そう僕時自身がこの素質を持っていて、その性格だからこそ多くを得て来たのだが、ある躓きを契機にこの文章の後半を体験してしまった。何事も順調にいっているときは問題がないのだが、自分の能力を超えた時間を長く続けるとさすがに疲労が蓄積されて、一気に谷底に転落する。僕は職業柄、又家族に専門家がいるから早く脱出できたが、あの時に安易に化学薬品に頼っていたら今はないかもしれない。多くのその様な患者さんに処方箋と交換で薬を出していたから、その人達の回復の有り様を目撃していた。と言うより、回復しない有り様を見ることがほとんどだった。人生のもっとも充実している時期、青春から壮年期にかけて薬に支配されるのはつらい。依存性はないと製薬会社は宣伝し医師は患者を安心させるが、それは昔の薬と比べての範囲でしかない。
 何千年も前に現代に通じるストレスがあったのかどうか分からないが、少なくとも当時の人も緊張感や悲観の連続で心を病むことを知っていたみたいだ。現代のように人が相手のストレスではなく、寒さや飢え、病気などだったのかもしれないが、それでも現代に通じる治療法を編み出していたのはすごすぎる。括弧でくくった人物像は本来なら潔癖で仕事も出来るし人当たりもいいはずだ。それが不幸にして度を超えたストレスで崩れたとき、人格さえ否定されるべきではない。頑張りすぎ病の勲章なのだから。
 昔の人がいったいどのくらい1日のうちに活動していたのか分からないが、少なくとも
寝る時間以外のほとんどを勉強や仕事に使ったりはしていないだろう。現代人の多くは限界以上を強いられて何を与えられているのだろう。緊張の糸が切れた時、持って生まれた単なる性格は、凶器となって我が身に降りかかる。自然の草木に救われる間僕たちは、かろうじて自然の中に生きる動物でおれるが、石油でしか救われないとなると涙を流すロボットになってしまう。


2009年10月21日(Wed)▲ページの先頭へ
 危ないところだった。今頃はどこかを腫らせて痛いような痒いような独特の不快さに悩まされながら働いていただろう。
田舎の人ならすぐこの体験は理解してもらえる。実感を持って分かってもらえるだろう。都会の人には逆に想像もつかないのだろうなと思う。田舎の夏の風物詩でもあるから、この季節に体験するってことは夏が何時までも居座っていることになる。
僕は妻よりかなり遅く寝るので、昨夜も妻を起こさないようにそっと押入から敷き布団を出してひいた。昨夜は偶然それに妻が気がついて、何を思ってかめずらしく蛍光灯をつけた。いつもは暗闇の中での作業なのだが。次に掛け布団をひこうとして僕は押入に顔をつっこんでいたのだが、「大変」と妻が大声で叫んだ。見ると敷き布団の丁度中央あたりに10cm位はあるだろうムカデがいた。なんでこんな所にと驚きながらもすぐに殺した。ムカデは対で行動していることが多いからもう一匹いる可能性が高く、それからはおちおち眠りにつけるような状況ではなかった。体は疲れているが頭は冴えてしまった。さすがにいつの間にか眠ってはいたが、恐らく神経はびんびんに張り巡らされていたと思う。
 それにしても滅多にとらない行動を何故妻はとったのだろう。電気をつければ明るくなり眠りから覚めてしまうから、僕ですら気を使って暗闇で布団をひいているのに、自分で一番いやなことをした。電気をつけなければ、僕はムカデの上に寝ていただろう。恐らくあっという間に刺されてそれこそ眠れぬ夜を過ごしていただろう。こうした偶然に救われることは実は意外と多くて、難を避けれることがしばしばだ。何かに守られているのか、所詮世の中はこんなものか分からないが、虫の知らせで虫から守られたと思うのは虫が良すぎるか。寝不足気味のせいで今朝から僕は虫の居所が悪くて、苦虫をかみ殺したような顔で仕事をしていて、そんな僕を家族は虫(ムシ)している。



2009年10月20日(Tue)▲ページの先頭へ
訛り
 優しい声で話す女性だ。自分では気がついていないのかもしれないが、若干の訛りが心地よい。限られた時間だから一杯話したとは言えないが、満を持したように最後に「私って本当に漏れているのでしょうか」と尋ねた。そう、そんな素朴な疑問を持ってもらえるようになるのが僕の漢方薬や天然薬、そして僕自身の存在理由なのだ。そこに至れば、もう出口は見えているのだ。
漏れていないと否定されるなら縁は初めから無いと思います・・・と最初から僕に言った人が何人かいる。僕は好んで縁を求めてはいない。出来れば処方箋と引き替えに薬を渡して手数料を頂き、それで生活が成り立つ収入を得られるならそれでいいのだ。そんなこと薬剤師だから簡単なことだ。どの薬剤師でもそれなりの収入は保証されている。縁は僕の青春時代の蹉跌と重なり合いすぎる人とだけに生まれる。いや、生まれた。決して作るものではない。
 不幸にもこの僕と縁が出来た人を僕はとてもいとおしく思う。毎夜眠ろうと思っても一杯の顔や声や文章が浮かんでくる。どうしてこんなに素敵な人達が理不尽な苦しみの中に陥ったのだろうと哀しくなる。もっとも僕の青春時代の体験や、その後多くの人を観察して、この人達だからこそ落ちる穴があることを知った。職業柄、特に漢方薬を学んで現代医学では脱出できない方の力になれることを体験してから、縁が出来た人をより大切に思うようになった。
 完治したら何をしてみたいのと尋ねたときのなんて謙虚なこと。ああ、それくらいのことが出来ないのか、たったそれだけが望なのかと、その慎ましさがいじらしい。夜陰に隠れて秋が忍び込んでくる。一人聞く星のため息が縁ある人達の孤独と重なる。


2009年10月19日(Mon)▲ページの先頭へ
援軍
 読みながら、そうだろ、そうだろといちいち納得し、出来ればその記事の全文を無断で紹介したい気持ちだ。薬局で、言葉足らずだが半年間に渡って言い続けていることとさほど違いがなかったから、安心した。だけど僕がいくら声を張り上げても、カウンター越しに立っている人しか聞こえないので、ほとんど影響力は行使できないが、さすがに首都大学東京教授の言葉ともなれば、まして新聞に載っているとなれば、影響は大きいだろう。医師でもあり公衆衛生学の専門家の説だから、記事を読んだ人達にはよく考えてもらいたいと思う。
インフルエンザに感染してもほとんどの人は免疫を獲得するから発病するのはごく僅か。インフルエンザの流行は毎年冬季に繰り返され数年以内に国民の大半が感染し、そのほとんどは発病せずに免疫を獲得する不顕性感染。虚弱高齢者は二次感染を起こして毎年1万人が死亡している。この辺りは巷によく言われていることだが、ここから後が面白い。過去、感染症が撲滅されていった経緯を世界各地の事例で振り返ると、ポリオや天然痘におけるワクチンの劇的な効果は寧ろ例外で、多くの致死的な感染症が激減された背景に、栄養の向上と上下水道などの環境衛生の整備が関係していて、ワクチンや抗生物質の役割は極めて少なかったと言うのだ。特に経済発展による食生活の豊かさの寄与が大きいことを歴史が証明しているとも言う。
 星教授によるとなんのことはない、ワクチン接種の前にするべきことは、たとえ感染しても発病させないための適切かつ充分な栄養をとることらしい。最近は、コレステロールが高くて小太りな人が一番長生きと言うことが分かってきたが、長寿には栄養が一番ってことを裏付けていると断言している。
 僕はうがった見方を何に対してもする方だから、世の動きも単純には受け入れない。誰かが、どこかが、大儲け、それも社会貢献するかのようなポーズの裏でしているような気がする。不安を煽り、必要のないものをどんどん注射したり飲ませたりして巨万の冨を又誰かがどこかが築くのではないかと思っている。もしその様なもの(ワクチンやタミフル)が本当に必要なら、多くの後進国は新型インフルエンザで滅んでしまう。いやいやきっと彼らは寧ろたくましく立ち向かうに違いない。どんな外敵にも護衛付きでは強くはなれない。自分の身体に持っている武器で戦わずに、すぐ援軍頼りでは強くはなれない。敵は逃げるかもしれないが、戦わなかった己が強くなるとは思えない。あらゆる病気にワクチンが作れるならそれはそれでいいかもしれないが、相手は無数にいるのだからそれは不可能だ。どんなに恐怖を煽られるような情報が散乱しても自分が強くなるしかないと僕は思っている。




2009年10月18日(Sun)▲ページの先頭へ
無意味
 3車線道路の一番外側を走っていた。元々混雑する道路でもないし、日曜日の昼下がりだから本来ならすいすいと走れるところなのだが、何となくゆっくりとしか進まなかった。そのうち真ん中の車線を走っている車がやけに僕の車の前に入ってきた。僕は車間をかなりとるほうだから入って来るには便利なのだろう。そのうち前方に救急車が止まっているのが見えて何となく理由が分かった。交通事故で渋滞していたのだ。パトカーも2台見えた。
事故現場にかかるとまず追突された跡がある車が見え、次にそれに追突した、前方がかなり破損している車が見えた。そしてその車の歩道寄りに倒れているバイクが見えた。それと不思議なことに、そこから10メートルくらい離れた所で後部と側面がかなりへこんだ車が真ん中の車線を塞いでいた。3台の車がどの様にオートバイまで巻き込んで起こした事故なのか分からないが、特にオートバイに乗っていた人の無事を祈らずにはおれなかった。
一度はバイクに乗っていて後ろからまともに軽トラックにぶつけられ宙を飛んだ。むち打ちにずいぶんと苦しんだ。もう一度は、軽トラックの側面にぶつかり指の骨を折った。どちらも30年以上前なのによく覚えている。その教訓は、被害に遭わないこと以上に加害者にならないことに生かしたいと思った。取り返しがつかないことはしてはいけないと言うごく当たり前の発想だが、人の身体は本当に取り返しがつかない。有機物は再生不能だ。恐らく誰もがそうだろうが、もっとも不運で無意味な出来事として交通事故を上げるだろう。何一つ得るものがない最たるものだろう。どんな言葉を持ってしても何一つ意味あるものを見つけることは出来ない。悪意には支配されない最悪の加害なのだ。
 たった1秒で人生が変わる。たった1秒のせいですべてを破壊しすべてを失う。倒れたままのバイクが変形していなかったのがせめてもの救いだった。


2009年10月17日(Sat)▲ページの先頭へ
おばんです
 山形の女性から夜メールが入って「おばんです」と書いてあったから、慌てて当方は「おじんです」と書いて返事をした。
数回メールをやりとりしているが、彼女の文章の中にお嬢さんを表現した言葉が沢山出てくる。「責任感が強く、情深く頑張りや。自慢の娘」「 素敵な大人になりつつあります」等々、何の照れもなくとても自然に言葉が流れている。親子の良好な関係が想像できるようだが、このように素直な感情を口から出せる人が時々いる。溢れんばかりの愛情を注いでいるのだろうが、こういう人に限って恐らく絶妙の距離感を演出しているのではないかと思う。その事も又行間から察することが出来る。溺愛なら誰にだって出来るが、本当に大切にすることは難しい。信頼しているからこそ離れなければならないし、気になるからこそ無関心でいなければならない。
僕の前でそれこそ何百回とお子さんのことを非難したり嘆いたりした女性がいる。昨夜そのお子さんがある病気の相談にやってきた。もうお子さんとは言えないくらい一人前の社会人になりつつあるが、母親にとってはいつまでも出来の悪い子なのだろう。母親の多くの嘆きを聞いているうちに、僕は息子さんの人物像を勝手に作り上げていたが、30分くらい話しているうちに、その僕の作り上げた人物像が母親の単なる懸念の集積だと気がついた。彼は社会で十分通用する礼儀と知識を持ち合わせていた。下手な大人より数段礼儀正しかった。勉強が苦手で高校を中退したが、それが何のハンディーになるだろう。授業内容が何も分からないのに教室に留まっておく方がもったいない。今彼が獲った魚で多くの人が幸せな気分を味わっている。それで充分ではないか。朝の3時に起きて海に出る。それで充分ではないか。将来、漁だけでやっていけるのだろうかと心配なんですと悩みを漏らす青年に、母親が憂うことは何もない。いい青年になったねと僕は心から母親に伝えたかった。そして伝えた。母親は喜んではいたが半信半疑で、「家の中ではむちゃくちゃよ」と答えた。そう、むちゃくちゃが許される家こそ最高なのだ。家の中でも直立不動では床の間の柱が折れてしまう。
 「おばんです」尻上がりに上昇調の抑揚なら可愛いが、前から2番目にもっとも強いアクセントが来るとまだ若いお母さんの心の柱が折れる。


2009年10月16日(Fri)▲ページの先頭へ
好奇心
 狭い薬局に5人の集団が、それも蛍光の黄色いユニフォームで統一してでんと腰掛けていたら、他の人は入ってくる勇気はないだろう。日生の沖にある鶴島を巡礼で歩いてきて、その後寄ったらしいのだが、地理から判断すれば道なりとは言い難い。わざわざという方が自然なのだが、ほんのついでと表現した。
もうずいぶん前から我が家に行ってみたいと言うから、僕は頑なに断っていた。牛窓の地に足を踏み入れたら打ち首獄門だと言っていたのだが、ついに来てしまった。禁断の果実ならぬ、禁断の薬局のままでいたかったのだが、ついにのぞき見られてしまった。
全員が僕より年上で、一回り以上大きい人も中には混じっている。一言で言えば、元気だ。羨ましい限りと言ってもいい。気性が良く合うのかおしゃべりが絶えず笑い声も絶えない。好奇心だけでやって来たのだろうが、白衣姿の僕を見てどう思ったのだろう。知り合ってからまず真面目な顔をしている僕を見たことはないだろう。難しいことはすべて避ける、のらりくらりとつかみ所のない男に思っていただろう。取っつきにくい、不真面目、だらしないは、何度も耳に入った。その都度僕は言うに言われぬ解放感に浸っていた。そこでは日常のあらゆる束縛、呪縛から逃れ、全くの自由人を気取っていた。知らない町で、知らない人とたわいもないおしゃべりで時間が潰れるのは、制服のボタンを一つずつはずしていくような心地よい脱力感があった。
 ああ、それなのにそれなのに、来てくれなければよかった。目の前にいる僕だけを評価してくれれば良かった。あの震えが来るほど嬉しい見たままの評価が僕には勲章だったのだ。あれ以上はいらない。あれだからこそ自由人でおれたのだ。肩書きも、住居も、仕事ぶりも、僕を代理するほど大したものではない。僕の評価を上げもしないし下げもしない。
さて、心身共にすこぶる健康的なおばさん達の好奇心を満たすことが出来たのかどうか。女性ホルモンの枯渇と共に女性はステロイドホルモンの分泌が増えてとても元気になる。それを地でいっている人達は薬局を出て港まで2kmをまた、おしゃべりをしながら往復した。その体力とおう盛なる好奇心に脱帽。
 ああ、日曜日が怖い。


2009年10月15日(Thu)▲ページの先頭へ
転身
 ある中年女性が、煎じ薬を30日分持って帰ると言うから焦って作っていたら、次に入ってきた同年輩の女性と顔見知りらしくおしゃべりに花を咲かせてくれた。次に入ってきた女性も五十肩の漢方薬だから、待ってもらうしかなかったのだが、二人が楽しそうに話すものだから、おかげで気兼ねなくゆっくりと作れた。なにぶん家内工業だから多くの人をさばける体制ではない。ぽつぽつと来てくれる人をゆっくりと冗談を言い合ってお世話する、それが精一杯だ。
いやいや、そんなことはどうでもいいのだ。僕が感心したのは二人がどちらも福祉施設のオーナーだってことだ。恐らくデイサービスの施設を運営しているのだと思う。二人が笑い声も交えて楽しそうに大きな声で話すので内容は丸聞こえだった。二人とも僕より少し年下で、同じ中学校に行っていたから幼いときから知っている。結婚もしてそれぞれに仕事をしていたが、何時福祉事業に転身したのだろう。どれだけの資本が、又どれだけの従業員が必要なのか分からないが、よくその様な準備をして開業できたものだと感心する。
 田舎だから、またこのご時世だからなかなか仕事はない。ご多分に漏れずこの町からも多くの大会社が撤退していった。古くからの地場産業も多くは消えた。そんな中で起業したおばちゃん達に何とも言えぬ逞しさを感じる。田舎のおばちゃんだから、出しゃばった感じもなく、どこから見ても商才があるようには見えない。自分から言わない限り誰もオーナーだとは気がつかないだろう。いや言っても信じないかもしれない。肩書きはどうでも所詮田舎の奥ゆかしいおばちゃんでしかないのだ。
 二人に作っている漢方薬の内容からしても、仕事に一生懸命なのがよく分かる。経営者を気取って回っていくような状況でもないのだろう。どちらかというと目立たないおとなしい二人の華麗なる?転身が、社会の一隅をささやかに照らしているのがとても嬉しい。


2009年10月14日(Wed)▲ページの先頭へ
強者
 強者もいるものだ。何年もかの有名なデパスと言う安定剤を1日15錠飲んでいたそうだ。よくそんなに手に入ったねと聞くと、しまいには医者もくれなくなったから、友人に患者になってもらって、騙して手に入れていたそうだ。思えば滑稽なものだ。全く健康な友人がどこかの医師の前に行き、憂鬱そうな顔をするか、肩が凝るとかの演技をして、薬をもらうのだろう。恐らくデパスが効くとかなんとか上手く言って、目的を達成していたのだろう。その処方箋を持って門前の薬局に行き、色々と飲み方の指導を受ける。騙すつもりだから誰も見破れないだろう。
その患者を誰も責めることは出来ない。とてもデリケートな神経の持ち主の彼は、ただ薬の力を借りてでも真面目に働きたかっただけなのだ。職業運転手の彼はある事故がきっかけで、ガードの下を通ることが出来なくなった。ガードが近づくと、脈が速くなり、冷や汗が出て、呼吸がしにくくなる。失神しそうになるのを必死でこらえるのだ。これではとても運転なんか出来ないからと受診したら出されたのがデパスだったのだ。当然最初は規定量で効いていたらしいが、段々と量を増やさないと効かなくなったらしい。そのあげくが1日15錠になったのだが、そこまで来るとさすがに本人も不安になり、家族の薦めもあって入院治療して薬を切ったらしい。
入院中はくぐるべきガードはないから、デパスも1ヶ月くらいで切れたらしい。ところが退院して1週間もしないうちに、もうかつての不安感に襲われるようになって、デパスが欲しくて欲しくてたまらなくなった。今にも手を出そうとしている時に僕のことを近所の人に教えてもらったらしい。
 僕は彼の言うことがすべて理解できた。いや喋る前から手に取るように分かった。1ヶ月ぶりに復帰した職場で、環境が何ら変わっていないのに、心が落ち着くはずがない。職業運転手も不況の影響を受けてこき使われているに違いない。その辺りのことを尋ねるとその通りですと言った。僕の漢方薬は、体力をつけ、肝っ玉を強くするからねと、まさにデパスとは反対の治療をするからねと念を押して1週間分だけ煎じ薬と粉薬を渡した。「いつまでかかってもいいですから治るまで頑張って真面目に飲みます。もう絶対あの薬に手を出したくないんで」と言うから、「その辺が、自分の悪いところだ。何でもかんでも頑張ってはいけない。仕事が終わったらパチンコ屋にでも直行したら」と答えた。
 3日目に、薬はまだあるのにやってきた。「ちょっとイライラするのが減ったみたい」と上々の滑り出しを伺わせる反応を語った。そして今日薬が切れたからやって来て「薬を飲まずに何年ぶりかに高速を走れました。それと一番気になっていた身体中が堅くなって、体も手も震えて字も書けないのもかなり治った気がします」と教えてくれた。どんな治療でも、良い方に舵が切れればしめたものだ。後はそちらの方に自ずと船は進んでいく。「なんか元気になったから、粉薬の方はいいです」と続けた彼にちょっと驚いたが、まあ気の弱い彼が言っているのだから余程調子がよいことが自覚されたのだろうと思い彼の要望に従った。
 漢方薬が化学薬品に優るとは決して思わない。優る部分などほんの限られた領域だろう。ほとんどの命は現代医学によって救われている。世界中の頭脳が集積され日々新しい発見も積み重なっている。ただ、頭脳の集積もこんな僕の言葉を患者さんには言えないだろう。「自分は、手が震えて字が書けなければ困るようなエリートか」
「ちがいますよ、車を転がすことくらいしかできません」
真っ赤な顔をして照れながら笑ったのを見て僕は治ると思った。田舎の純朴な運転手と家族を救うことが出来た。救ったのは僕の漢方薬か品のない言葉か分からないけれど、治ればいい。


2009年10月13日(Tue)▲ページの先頭へ
シンガーソングライター
笑い声の素敵な君へ
 さっき、電話で事実と異なったことを言ったので訂正しておきます。僕は浪人して成績がむちゃくちゃ下がったので、子供達には浪人してまで大学に行かなくていいと言っていました。現役で通ったところでいいと言うことです。その通りに子供達はしましたが、大学は勉強するところではないと言う僕の言葉も信じ切って息子は僕と同じように留年しました。(娘は留年すれすれ)親が浪人、留年の両方を経験しているので子供達はプレッシャーは少なかったと思います。大学では二人ともよく運動しよく遊んだみたいです。僕と同じように勉強だけしなかったのでしょう。僕は電話で言ったように、浪人して4月から大晦日までパチンコの修行に励みました。朝から晩まで下宿代や食費を使って遊んでいました。勉強したのは年が明けて2ヶ月だけです。それでも現役の時に落ちた大学に通ったのは勉強する科目を絞ったからです。大学では、髪を腰まで伸ばし、ほとんど浮浪者のように暮らしていました。パチンコとフォークソングに明け暮れていました。良く薬剤師になれたと思います。今でも夢でうなされますが、なれた理由が分かりません。牛窓を離れて10年後、失意のうちに帰って薬局を継いだのですが、薬剤師より商売人の気質の方が重宝される時代でしたから、何となく居心地の悪さを覚えながらも結構がむしゃらに働いたような気がします。その後幸運にも漢方薬に出会ってやっと初めて、薬剤師になって良かったと思えました。だから本当にやりたいことに出会えて、やっと心から勉強したいと思えたのは30歳を越してからなのです。今多くの人に漢方薬を作っていますが、僕の財産は、僕が多くの失敗を重ねたことだけなのです。僕が優秀で、挫折も経験することなく上手く生きて来れていたら、貴方にも会っていないし、多くの人達の役にも立てていません。貴方は体調を崩し、心も鬱々と暮らしているかもしれませんが、断言します、それこそが近い将来貴方の最高の財産(武器)になります。・・・人生はダラダラと続いている冗談なのさ、それもとびっきりたちの悪いやつさ・・・ああ、僕もシンガーソングライターを続けていたら今頃は・・・・チョット顔が整っていなくて、チョット音程がはずれて、唄うにつれて観客が帰ってしまうだけだったのに。諦めるのが早かったかな。
ヤマト薬局


2009年10月12日(Mon)▲ページの先頭へ
 みのなんとか言う男の朝の番組に彼が出ていた。神奈川県知事と数人のコメンテーターも出ていた。テレビで見ていても、彼は相手の言うことをよく聞いていた。夏以前、多くのタレント気取りの議員達は、自分の無能を隠すために強圧的で饒舌だった。知識に裏付けられた言葉でなく、防護服みたいな言葉だった。身を守るために言葉の鎧をまとっていた。自信のない人間ほどよく喋る。気の弱い犬ほどよく吠えるのと同じだ。
世の仕組みの変化がピンとこない人にとっては、今までのようにおこぼれを頂戴するって構図からなかなか脱出できない。おこぼれの代わりに魂を売っていたのだろうが、売り物の魂もすでに抜け殻になっている。
 どうやら僕みたいに子供がいない世帯は税金が増えるらしい。僕は少しくらいかまわないと思っている。毎日薬局に立っていると、若い世代に経済的な余裕がないのはいやと言うほど分かる。現代医学で治らないトラブルになったときに、漢方薬がとてもよく対応できることが多いが、若い世代にはなかなか勧めづらい。どうしても財布の中身を考えてしまうのだ。昔みたいに昇級が保証されているわけではない。年功序列もあてにならない。貯金など出来るわけもない。健康だけが生活を保障できるが、こき使われては健康もおぼつかない。
今まで陽の当たらなかったところに陽が差せばいいのだ。集光装置で光を独占していた人々を退場させ、隅々まで明かりが届くようにすればいいのだ。大きな声の人には耳を貸す必要はない。声を振り絞って訴える人に耳は傾けるべきだ。少なくとも彼は僕みたいなくだらない男の声を忙しい時にでも聞こうとしてくれていた。良い耳を持っているとその時思った。


2009年10月11日(Sun)▲ページの先頭へ
質問
 どうもまだ合点がいかない。日本人と結婚している女性に通訳してもらったから、確かかどうか分からないが、3人のフィリピンの若者も同じような仕草をしていたから、やはりその通りなのだろうか。
以前ベトナムの女性が薬局に日本語の勉強に来ていた頃、彼女に尋ねたことがある。と言うのは、彼女がベトナム語の字を書くときに必ずアルファベットだったのだ。とても不思議な光景だった。東洋人の顔をした女性が、破裂音の多いベトナム語を全部アルファベットで表していた。それこそ「欧米か?」と尋ねたくなるような光景だった。ベトナムの場合、中国の影響があって漢字みたいなのがあったと確か言っていたような気がする。若い世代は、フランスの植民地の影響で、アルファベットだけと言っていた。母国語の字を奪われたのかとすごく哀れに感じたものだ。
 同じ質問を以前からフィリピンの人にしてみたかったのだ。今日、何かの偶然で、フィリピン人4人と僕が、みんなと離れてコーヒーを飲むような状況になって、一か八かの日本語で(英語でないところが僕も結構度胸があるのかもしれない)懸案を質問してみた。100%内容を理解してくれたのかどうか分からないが、アルファベット以外にタガログ語を表現する字はないというのだ。そんなはずはないと思って、1000年前にもなかったのと尋ねたが、やはりないと言う。だとすると、文字を持たない民族と言うことになる。中国の影響がなかったからと教えてくれたのだが、果たして本当なのだろうか。
 どうでもいいようなことだが、例えば日本語をアルファベットで表現するように強いられるような状況が嘗てあったとしたら、かなりの屈辱ではないかと思ったのだ。幸運にもその様な状況がなく、この繊細な言語が単に歴史となってしまうことはなかった。親しく親切に接してくれる彼らに、失った文字がないのならそれにこしたことはない。通訳不足でないことを願う。


2009年10月10日(Sat)▲ページの先頭へ
伴走
 完治して去っていった人だからそれはそれでもうすんでいるのだが、何故かずっと心の中でひっかかっていた。どこか気が弱そうで、話していても目を合わすことは余りなかったが、どうしても治りたかったのだろう真面目に岡山市から通ってきた。一日中不安感と、いてもたってもおれないような焦燥感、息苦しくなって呼吸が出来ないような感じで苦しみ、食欲、やる気、根気、元気のすべてが失せていた。今ではこのような症状の人は沢山相談に来るから珍しくはないのだが、10年前は薬局ごときで手を出してはいけないものと思っていたから、どちらかというと避けていた。
当時僕は彼を治すことに必死だった。顔立ち、姿が息子に似ていると言う単純な理由からだったが、彼がやってくる度に息子のことを思いだしていた。1週間に1回来てもらいつまらないおしゃべりをして帰っていった。次第に自信をつけ仕事も何ら不安なくこなせるようになって去っていった。その後おりに触れ思い出した。敢えて尋ねるようなことはしなかったが、連絡がないことはきっといいことなのだろうと自分に言い聞かせていた。
 昨日お兄さんが偶然やって来た。そして彼のことを尋ねると、弟はあれ以来メチャクチャ元気になって地元の野球少年団の指導をしていると言うことだった。勿論仕事も何ら支障なくできているらしい。元々真面目そうな青年だったから、会社の人からも好かれるに違いない。何となく心の隅に引っかかっていたものがやっと解決した。それも理想的な形で。
彼を含めて、笑顔を忘れた善人達を見るのはとても辛い。でもその逆に、少しずつ笑顔を取り戻してくれる過程に伴走できるのは幸せこの上ない。彼らには謙遜を教わり、多くの感動をもらう。このような深い人との関わりをもっと若い時に出来ていたら、もう少しは努力して自分を磨いていたのにと悔やまれるが、皮肉にも今役に立っているのは当時の落ちこぼれ仲間の中でもがいていた窒息寸前の息苦しさだけなのだ。



2009年10月09日(Fri)▲ページの先頭へ
女子アナ
 えっ?えっ?と馬鹿みたいに聞き返さないと正確な内容がつかめない。一桁も二桁も単位が違うのではないかと思うのだが、聡明なお母さんが言うのだから間違いはないし、数日前の話だから確かなのだ。只、今までそう言う接点がある人に接したことがなく、初耳の内容ばかりだから、ただただ驚いていただけなのだ。
そうしてみると何気なく日常テレビで見ている女性アナウンサーは、余程の才能と美貌を備えている人なのだ。美貌はさすがに分かるが、才能まではテレビのこちらには伝わってこない。持ち合わせてはいるが、生かされていないって言うことか。しょうもない男性タレントの補佐役かお飾り程度のことが多いから、才能をひょっとしたら殺しているのかもしれない。いやいや、もっとうがって考えれば、元々その程度の毒にも薬にもならない、収まりの良い人を選んでいるのかもしれない。
 それにしても選考を6次くらい勝ち上がって、7000人のうちの2人が採用されると言うから、ほとんど宝くじ並みだ。なりたいと思って実際に応募した人の数が7000人だから、その前で断念した人の数を入れればあながち宝くじの例えも大げさではない。お嬢さんが通っている大学の先輩が今テレビで活躍しているから、全くの夢ではないように素人から見れば思えていたが、数日前の何次かの試験で落ちたらしい。せっかく○○小町で頑張っていたのに残念だ。
 実は僕が残念がるのにはある魂胆があったのだ。お嬢さんが女性アナウンサーになったら、お嬢さんが飲んだ薬草をブレンドして「女子アナ煎」と名前を打って、全国女子アナ志望の合格グッズにして売り出そうと思っていたのだ。残念だがこれは今日お蔵入りになった。でもまだ希望がある。その弟さんがひょっとしたら来年東大の理V(医学部)に合格するかもしれない。そうなれば「理V煎」を作って受験生に売る。勉強しなくても合格するお茶として。そうすれば僕も働かなくて大儲けできる。かくなる上は、意地でも彼に合格してもらわなければ。そうかもう一つアイデアが浮かんだ。「便乗茶」これもいけそう。


2009年10月08日(Thu)▲ページの先頭へ
修理
 都会でも、田舎でも親切な人は多いのだろう。ただ、田舎の生活はのんびりしている分、自分の時間を他者のために使うことも容易だ。本来的な性格の上に少しはそれを許すそのような条件も加わらないと親切も難しい。
 と言いながら僕はもっぱら親切を受ける側にばっかりいる。昨日もとても嬉しい好意に甘えた。余り詳しく書くと、同じ町内の人だからその人の立場が悪くなったら困るので漠然とした書き方をする。
 家の中のある設備が1月前に壊れた。そこは1日中利用するところだから不便この上ないが、我が家には幸い他の場所にもあるので代用していた。すぐにでも直さなければならないほどではなかったのだ。ある人が漢方薬を取りに来た。その人の職業を知っていたから相談すると、すぐに2階に上がって行きなにやら点検し始めた。当然その人にとっては簡単なことで原因はすぐに見つけられた。道具を数点そろえるように言われたが、言われたもののほとんどは我が家にはなかった。彼はその辺にあるものでなんとか代用して挑戦していたが、結局は直すことは出来なかった。その努力にお礼を言っただけでその日は帰ったのだが、翌日会社の昼休みにやってきた。手には商売道具を持っていた。こうなればプロだから簡単だ。10分もしないうちに直ってしまった。ついでに見つけた不具合も直しておいたよといとも簡単に言った。彼が昼休みに来たのは理由がある。勿論彼の口から出たのだが、会社を通せばお金がいるだろうと言うことなのだ。わざわざ会社を通さなくても簡単な修理だからと気を回してくれたのだが、この辺りの気配りが何とも言えない。
それにしても手に職がある人は格好いい。僕も何回か修理に挑戦してみたのだが、なんともならなかった。彼らは道具箱一つで場所を選ばず、工夫を重ね器用に結果を出す。僕らのように、狭い調剤室の中でしか役に立たないような人種ではない。だから海外にも出かけていって役に立てるのだろう。
 このところ、何気ない日常の親切に遭遇して感激の連続だ。観客に終始しなければならない不器用さは仕方ないから、いっそのこといい観客でおれるようその道を極めようか。・・・・・又楽な方へ流れる悪い癖が出る。


2009年10月07日(Wed)▲ページの先頭へ
ヘチマ水
 例年なら今頃は、調剤室に一升瓶を何本も並べ朝から飲んだくれて・・・・はいない。調剤室に一升瓶が所狭しと並ぶのは事実なのだが、中身は残念ながらヘチマ水だ。皆さんがヘチマの水をとってきて、それを僕が化粧品に変身させる。田舎の薬局の風物詩だ。父の代から受け継いで僕ももう30年作り続けている。ファンも多く皆さんとても楽しみにしている季節だ。自然志向も手伝って、年と共に作る量が増えていた。もっとも材料は大したものでないから、自然志向と言ってもとても経済的で、1升が2000円くらいだ。大手化粧品会社の1升の化粧水を買ったらどのくらいするのか分からないが、数万円はするのではないか。そんな庶民のささやかな楽しみが奪われそうになった。
昨年、県の薬務課で働いている僕の同級生がやってきて、化粧品の法律か何かに違反しているから作らないようにと言われた。同級生だからやんわりと教えてくれたのだが、化粧品会社並の設備投資をすれば許可が下りるらしい。勿論それは莫大なお金がいるし、ヘチマ水をつくってあげても、試験管数本買えば終わりくらいの利益しかないので、要は止めろと言うことだ。父の代からすると半世紀以上、日本中の薬局がちょっとした楽しみを提供していたのに、いつの間にか法律違反になったらしい。国民を保護したのか、どこか別のところを保護したのか分からないが、いとも簡単な作業でさえそれこそいとも簡単に許されなくなった。
 ヘチマ水に薬品を混ぜて濾過すれば出来上がる。薬品を調合するのは薬局だから違法ではないらしいのだが、最後に濾過してあげるとだめならしい。家で濾過するのは合法らしいから、皆さんには僕が使っている目の細かい濾紙を差し上げている。重いのに一杯1升瓶を持ってきた人に又持って帰って頂くのは気が引けるが、法律違反なら仕方がない。理由を言って家で挑戦してもらっている。医院の前で調剤するのも、ヘチマ化粧水を作るのも同じ薬剤師の仕事で良いのではないかと思うのだが、昔ながらの薬局は分が悪い。国民保険という税金で食っているのではなく、自分で稼いで結構地域の役に立っていると思うのだが。規制という名の誰かさんを守る都合がまかり通らないことを願う。田舎のお年寄りの美くしさを奪わないで。


2009年10月06日(Tue)▲ページの先頭へ
ありがとうクリ
 夕方、2階に上がっていった娘にモコが激しく吠え立てた。リビングの方に行くとクリが激しく痙攣していた。明らかにモコは異変を感じて教えてくれたのだ。娘も妻も慌てて獣医に電話をし、指示に従って心臓マッサージをしてやった。少しだけ痙攣が収まってから獣医のところに連れて行ったのだが、今、目を開いたまま毛布に包まれ抱かれて帰ってきた。妻も娘も泣きながら帰ってきた。さっきまで苦しそうだったけれど今は笑っていると娘が言っていた。死ぬことはこんなに辛いのかと動物ながらに教えてくれもするが、でもさすがに動物で、本当に患ったのはこの数日だ。確かに痩せて筋力は落ちていたが、自分で立つし急な階段も自分で上ったり降りたりしていた。昨夜も結構長い散歩にも行った。 犬嫌いの僕を犬好きにしてくれたのもクリだし、犬の習性を教えてくれたのもクリだ。余り面倒は見てやれなかったけれど、家長と認めてくれとても従順だった。気の毒なくらい従順だった。いつか別れの日が来ることは分かっていたし、それが近いことも分かっていたが、悲しさはかなり強烈だ。優しい顔を見て、まだ温かい体に触れると涙が後から後から出てくる。15年一緒に暮らしていたのだから当たり前かもしれないが、命とは残酷なものだ。生まれた日から死に向かって歩み、会った日から別れに向かって歩む。今にも首を持ち上げて僕の方を見るのではないかと思われる穏やかな眼差しは最早、拍動に裏打ちされず、意志を持たず、顔の造りでしかない。昨日までぼんやりと見える僕の姿を追っていたのに。僕は優しい主だったのか、頼りになる主だったのか、我が家に来て幸せだったのか。
 これだけは決して元に戻すことが出来ない。だからこそもっとも大切なものなのだ。病気は勿論、不慮の事故にも事件にも遭遇することなく、誰もが満足のうちに生は終わりたいものだ。


2009年10月05日(Mon)▲ページの先頭へ
結婚式
 漢方の世界に入るきっかけを下さった方のお嬢さんの結婚式が昨日あった。奇しくも結婚式が行われているだろう時間帯に、その方が長い間お世話をしてくださった勉強会に僕は出席していた。一方的に僕がお世話になっているので、僕がお嬢さんの式に出席することはあり得ないのだが、奥さんから今日FAXを頂いた。
その中の一文にぐっと来るものがあった。お嬢さんが披露宴で「薬局という環境の中で大きくなったことが私の宝物です」と述べたらしい。3人のお嬢さんが全員薬剤師になったところからして、両親の働きぶりを高く評価しているのだろう。僕と違い、いわゆる漢方キチガイというレベルにまで達していた人だから、恐らく難しい患者さんもお世話していたに違いない。そう言う仕事ぶりを見ていての感想なのだろう。時々道を外れたような患者さんが来ても強かったらしいから、たくましいお父さんも垣間見ていたに違いない。3人のお嬢さん全員が薬剤師免許を取るまで、また今回の初めての結婚式を待たずに亡くなったが、それは彼にとって残念だとは思っていないだろう。世間で、あるいは劇の中でせめて結婚式まで生きてなどと涙を誘うシーンがあるが、彼にとっては目の前の患者さんの方が大切だったはずだ。亡くなる直前も僕らの勉強会に来て自分のことではなく患者さんの処方を考えていた。その姿勢こそが、お嬢さんをしてあの言葉を言わせたのだと思う。 お嬢さん達は薬局を継ぐことはなかったが、薬剤師としての自尊心は充分受け継がれているのではないか。お嬢さんのそう言う言葉が似合いそうな人だった。


2009年10月04日(Sun)▲ページの先頭へ
ホームレス
 1時間半の間、彼らはじっと手を合わせていた。何を祈っているのか分からないが、そのひたむきさは僕の比ではない。多くを失った人達だから祈らずにはおれないのかもしれない。その傍で、何も失っていない僕が、同じような仕草をし、心の中でもっともっとと多くを欲しがっているのが余りにも醜く思えて、その場所にいる権利があるのだろうかと自問した。
まるで老人のように見えるが、ひょっとしたら僕と年齢が近いのではないかと思える男性が、外に出た。僕はある用事で少し遅れて同じく席を立ったのだが、玄関で彼が座り込んでいるのを見つけた。今まで会話をしたことはなかったのだが、その後悔もあって声をかけた。すると男性は、体が痛くてじっと腰をかけておれないと教えてくれた。毎回彼は席を立っていたが、初めてその理由が分かった。肩も腰も膝も痛いのだそうだ。関節に水が溜まっていると言っていた。訳を知らない人達からしたら、我慢の足りない人に思われるかも知れないが、実はそうした苦痛に耐えて寧ろ頑張っている人だったのだ。もし彼が薬局に相談に来たのなら、僕は知恵を絞って、症状を軽くするために懸命の努力するだろう。それなのに、僕はただ彼の苦痛を単に医学的に理解し、よく働いてきたんでしょうねと慰めの言葉をかけることしかしなかった。そして自分の席に戻り欲深い祈りを再開した。
 いつになったら僕は自分の時間を人のために使うことが出来るようになるのだろう。30代、40代とサッカーやバレーボールのコーチをしてきたが、あれはあくまで自分の趣味の延長だった。人のためではない。自分や家族の経済のためだけに働いて、子供が巣立ってからもまだ経済だけを追っているのだろうか。腰をかけることが30分が限界の人を前にして、何も出来ない、何もしない人間のままで終わってしまうのだろうか。
どんな苦痛が人をそこまで老いさせるのだろう。失っていないものを数えるのに片手ですみそうな人達が、ある善意の人達の手で、失ったものを少しずつ取り返そうとしている。失われた時間が善意の時間で満たされる様を、僕は絶望的な自己嫌悪の中で眺めている。


2009年10月03日(Sat)▲ページの先頭へ
 数日前の雨上がり、運動場の隅を軟らかい土を踏んで何回も歩いたから、沢山の足跡を残したのだが、今朝はもうそのほとんどが消えていた。昨日の雨が洗い流したのだろうが、あらためて水の洗い流す力に驚く。
  薬局だから、大小の調剤器機が沢山あり、それらを洗浄するのに水は必需品だ。水さえあればほとんどの器機が洗浄できる。勿論、調剤台の上も、原始的だがぞうきんがけするのが一番綺麗になる。恐らく、特別な業種は別として、ほとんどの洗浄に水は確固たる地位を得ているのではないかと思う。このように身の回りにある何気ない存在に驚かされることが多い。
 近い将来、この水を巡って国同士の争いが起こるのではないかと危惧されている。もうすでにそれに近い状態も伝えられている。水はいずれは石油以上に価値があるものになるらしい。天から雨となって降り、地や海から蒸気となって登る素晴らしい循環をしている水がどうして足らなくなるのか分からないが、どうせどこかの時点で人間様のお得意の横やりが入っているのだろう。壊すだけ壊した報いがもう目の前に近づいている。長年の悪行を水に流してとはとても言えないだろう。強欲で脂でテカった人間達は所詮油で、水にはなじまないのだから。


2009年10月02日(Fri)▲ページの先頭へ
ラミダス猿人
 ああ、なんて僕は不運なのだろうと思った。新聞に載っていた再現図を見て、これなら勝てると思った。さすがに直立して膝まで伸びる長い手も持ってもいないし、木に登れる足の指も持ってはいないが、頭脳は明らかに僕の方が重たそうだし、顔の造りだって負けてはいない。その当時なら、恐らく僕はその共同体の福山雅治だろう。キャーキャーと声援を受け、調子に乗って木登りを競ったり、恐竜と勇ましく戦っていたのかもしれない。
恐らく1日中、何かないか、何かないかと、することを捜して動き続けることもなかったろう。外敵から身を守る為に気を休めることは出来なかったかもしれないが、森の中の果実や葉っぱや昆虫はふんだんにあっただろうから、空腹を覚えれば動けばいいし、満腹になれば寝ていれば良かったのではないか。服も着替える必要もないし、風呂にも入る必要がない、気の合う連中と草の上に座ってつまらないおしゃべりをする・・・あれっ、440万年前のラミダス猿人の話をしていたつもりだったのだけれど、僕の学生時代の話になっていた。何が似ているのだろう。
 嬉しいことに僕らの祖先はチンパンジーみたいに犬歯が大きくないから本来的には争いごとが嫌いな種らしい。その辺りは進化しなくても良かったのだが、どうも立派な犬歯を持った現代人が、森の中からコンクリートジャングルに住処を移しているらしい。命を養う森から生まれた生き物が、命を削る場所ではまともには生きられまい。そのうち唇では隠しきれない犬歯で威嚇するダメダシ猿人がはびこるかもしれない。


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坂道 (8/7)

■店舗名■
有限会社 栄町ヤマト薬局

■住所■
〒701-4302
岡山県瀬戸内市 牛窓町牛窓4808-3

■連絡先■
[TEL] 0869-34-5466
[FAX] 0869-34-6017
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カレンダ
2009年10月
       

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