栄町ヤマト薬局 - 2009/09

漢方薬局の日常の出来事




2009年09月30日(Wed)▲ページの先頭へ
吐息
 なるほど、あの時間にわざわざ小一時間かけて、あんなに立派なトロを僕のために買ってくるはずがないと思っていた。僕の食卓に上ったのはいつもの精進料理で、立派なトロの固まりはわざわざクリの鼻先で匂わせてから、火を通し始めた。悔しいから値段を見てみたら5割引の198円だったから気を収めた。
獣医がもうそんなに長くないから何でも好きなものを食べさせてと助言してくれてから身体によいもの悪いもの何でも与えることになった。犬も人間の濃い味のものは好きみたいで、腎臓に悪いからと控えていたものも与え始めた。五感で残っているものは嗅覚だけだから一応は匂いを確かめるが、嘗てほどがつつくこともせず、それがかえって哀れだ。 僕は冷たいからもう諦めているが、娘や妻は、クリの母親や祖母役だったから諦めることはしない。懸命に漢方薬を飲ませたり、栄養剤をやったり、ご馳走を作っている。気がついてからあっという間に老いてしまったが、世間では超高齢犬らしい。筋肉が一気に落ち4本脚でも体を支えるのに苦労している。失禁があるためにおしめをしているのだが、おとなしくおしめをさせる姿がこれも又不憫だ。まるで自分の体調を理解し受け入れているようにも思える。よく意志の疎通が出来る利口な犬だったから、何もかも分かって悟っているように見えて哀れだ。いつか近いうちに体温を失い「物」になってしまうのだろうが、温かい体温があり、意志があるってことは、ほとんど奇跡に近いものに思える。こうしたことに直面すると人は、その神秘さに思わず神を創造主としていただくのだろう。想像をはるかに越えた神秘を解くのに科学は無力で、神秘をもってしなければ説明が付かないほど命があるってことは素晴らしい。
何時の時代から、何万年かかって人間に従順であるようにと遺伝子にインプットされたのか知らないが、その定めに哀しみも覚える。又その定めにどのくらい応えれたのかと心苦しさも覚えてしまう。安らかな吐息にほっとする今日この頃だ。



2009年09月29日(Tue)▲ページの先頭へ
疲労
 これは希望なのか。一回りも年上の男性が、疲れなんか全く感じないと言う。疲労の中で毎日溺れそうになっている僕からしたら、あの断言は信じられないレベルではあるが、彼の説明を聞いて納得した。1日中することが無く、ボーッとしているらしい。すると疲れないのだそうだ。そんな経験は卒業してから皆無なので想像がつかないのだ。仕事熱心でもなく遊び人でもないが、何もしない時間は苦痛だった。両親が働き者だったから、両親が働いた時間くらいはせめて働かなければと思い、毎日12時間働いているが、よく考えたら、今の僕とは同じ薬局でも内容が全く異なる。時代ものんびりした時代からせわしない時代に変わっている。
歳をとることがこんなに疲労感を呼んでくるのかと思っていたが、ひょっとしたら、単に年相応の労働量を超えているのではと思い始めた。男性の話を聞いて、僕も仕事さえ辞めれば、爽快な日々を送れるのではと期待したのだ。目が覚めた時間を朝にすればいい。眠りに落ちた時間を夜にすればいい。お腹が空けば、スーパーの中をかごをぶら下げて歩けばいい。出来るなら40%OFFになる時間帯に行けばいい。刺身など握りなど、売れ残った奴を選べばいい。時にはちょっとはりこんでショコラなどチョコラなど買ってみればいい。
頑張らなくていいんだと、しっぽを振りながら野良犬が白線の中を歩いていく。そのくせ何処で覚えたのか知らないが、人間様のルールを守っている。いつかあのように心の鎖を外し精神を放浪させて、疲労の奴から逃れてみたいものだ。


2009年09月28日(Mon)▲ページの先頭へ
 人は人によって傷つけられ、又皮肉にも人によって癒されもします。現代のストレスはそのほとんどが家庭と職場なのです。ごく普通に暮らしている人の、ごく普通の言動に僕は感動することが多いのです。如何にもという人のそれにはほとんど心を動かすことはありません。貴方の回りにも、いつも成功を求めて生きている人もいるでしょうが、質素に懸命に生きている人はいませんか。そんな人の何気ない仕草や、何気ない言葉に心を打たれることはありませんか。そんな小さな感動を積み重ねていったらいいです。僕は人相手の仕事を30年やっていますが、いつもその様なところを見てきました。当然、僕にとって好ましくない人も多く来ます。でもそれは僕にとって好ましくないだけで、世間の多くの人にとっては好ましい方なのかもしれません。僕のために皆さんがいるのではなく、僕のために世間があるのではなく、僕のために会社があるのでもありません。もっと言えば僕のために晴れたり、僕のために雨が降ったりするのでもありません。そう考えられるようになって、無駄な戦闘状態を心の中に構築することが少なくなりました。好ましからざる人や環境を恨むのではなく、すべてが現在を、この一瞬を構成しているパーツだと受け入れてみてはどうでしょう。僕らは誰もその一つ一つの存在を否定することは出来ないのです。
 まだまだ若い貴方にさび付いた僕の処世術を伝授しても仕方ないかもしれませんが、僕の何倍も可能性を約束されているあなた方青年が、心の窒息状態から脱出して欲しいのです。今の時代になかなか差し伸べられる手は見つけることが出来ません。だけどポケットから手を出しさえすれば貴方自身が、希望だとか愛だとかを掴むことが出来ます。屋根の上でまどろむ猫でさえ貴方の手を待っているのですから。


2009年09月27日(Sun)▲ページの先頭へ
作為
 「もう大和さんのギターが聴けなくなるな」嘘でもいいからそう言ってもらえれば有り難い。でもとても嘘を言うような人ではないから、本心なのだろうか。ギターなどというものを持てる世代ではなかっただろうその人に評価されたのは嬉しかった。お別れの日まで数年、狭い空間に週に一度一緒にいたのだが会話をした記憶はない。でも下手なギターの伴奏でも喜んでもらえる空間だから、僕の方が耳を汚してとお詫びを言った方が良かったのかもしれない。
43年玉野市に住んでいた夫婦が、今日を最後に奥さんの生家のある長崎県のある島に帰って?行くことになった。二人ともミサの途中からしきりに目を拭っていた。その回りに腰掛けている親しかった人達も、鼻をずるずる言わしていたから泣いていたのだろう。ギターの話の続きで、長崎に帰ることは結婚したときからの約束だったことを教えてもらった。ご主人の出身は玉野市だから、ご主人が今度は故郷を離れることになるらしい。ご主人のお母様を看取ったので、それを機会に約束を果たすことにしたと言っていた。奥さんの方にどの様な理由があるのか分からないが、結婚したときの約束を今果たそうとするご主人の誠実さに驚いた。漢方をやっている人間からすると夫婦は相克の関係にあり、どちらかというと敵対するものと考えた方が世の実情に合っている。夫婦の約束なんて、約束のうちに入らないのではと思うが、この夫婦は違う。寡黙で目立たず、それでも必ず風景の中に収まっていた奥さんは、いつもトイレの掃除をしていた。僕はずっとそれを見ていて、僕の「勝てない人」の中にちゃんとファイルしておいた。まるで小学生の作文程度だが、お別れの寄せ書きに「いつもトイレを掃除してくれていましたね、ありがとう」と書いた。気が利いた言葉も考えられたのではないかと思うが、それ以上の言葉は敢えて紡ごうとは思わなかった。すべての作為を排除する二人の生き様が風景の中に溶け込んでいたから。


2009年09月26日(Sat)▲ページの先頭へ
綿菓子
 同じような言葉を、それこそ何十年も前に聞いた。今でこそ衰退して1社も残っていないが、僕が帰ってきた頃はまだ数社の造船所が牛窓にはあった。ある造船所の設計士と知り合ったのだが、彼の仕事ぶりに感嘆した僕に返ってきたのは「船を造るより漢方薬を作る方が難しいよ」と言う謙虚な答えだった。
今日全く同じ言葉を聞いた。僕の訳の分からない要求を、淡々とこなしてくれたその女性の成果にいちいち驚く僕に同じ言葉を返した。僕からしたら、過去の男性も、今日の女性も感嘆に値する実力なのだが、二人とも謙虚なのか、あるいは職業とはその様なものなのか、本人にとっては至極当たり前の感覚でしかないのだろう。
 その女性が今日面白いことを言った。パソコンをはじめその種のすべてのものに苦手意識を持っている、いや正確には意識だけでなく実際に苦手だし興味も湧かないのだが、「貴女はコンピューターの知識をどこかで教えてもらったの?僕なんか教えてもらってもさっぱり分からない」と言う僕の質問に彼女は「教えてもらわないと分からないような人はそもそも向いていないんです」と答えたのだ。パソコンを操作しながらぼそっと答えた言葉なのだが、あれっと思うような真実を突いた感があって僕はひどく納得した。ことパソコンだけではなく、何となく他の事象にも通用しそうな定義に思えた。やんわりと慰めてくれた言葉かどうか知らないが、苦手なことを今更克服しなくたってかまわないと僕には聞こえた。何となく、パソコンの話題が出るたびに居心地の悪さを感じていたが、なんだかすっきりした。
 この論理を勝手に展開して、英会話が出来ない居心地の悪さもこの際克服してやろうかとも思った。そもそも向いていないんだと。ああ、なんて便利で優しい言葉なのだろう。もうこうなったらこの言葉を連発して、もっともっと力を抜いて綿菓子のように生きていって見ようか。そうすれば箸にも棒にもかからない・・・いや箸にはかかる。


2009年09月25日(Fri)▲ページの先頭へ
印鑑
 ニーチェの「生きるべき”何故”を知っている者は、ほとんどすべての”いかに”に耐える」と言う言葉を引用して、渡辺和子先生は「生きなければならない理由がある人は、どんなに苦しい情況の中でも、生きていく方法を見出せれるのです」と言われている。どちらもこうして文字で並べてみると力強くて勇気づけられるが、極限状態を経験したことがない僕など、戸外の景色を窓ガラス越しに眺めているようなものだ。
多くのメールの中に体調不良を抱えて生きていくのが辛いと言うメッセージが見受けられる。色々な体調不良があるが、本人にとって見れば自分が患っている症状がすべてで他人とは比べられない。僕の年齢になるともう健康でいるのはかなり至難の業だからある程度あきらめはつくが、若い人達にとっては何故私が選ばれなければならなかったのだろうと、恨めしく思うだろう。ただ、誰を恨めばいいのか、何を責めればいいのか分からないから、解決方法の選択肢をどんどん狭めてしまう。嘆いて口から出すことによって少しは気持ちが収まるのだろうが、背中の方向に歩み続けることは出来ない。
一人部屋にいてガラス越しに戸外を眺めても、雲は流れ鳥は横切る。朝夕に空は燃え夜には星も輝く。だが、生きなければならない理由が羽根を着けて空中を浮遊するわけではなく、色鮮やかに存在を誇示してくれるわけではない。人は人により傷つけられ、人により癒される。窓を開け、空を仰ぎ、耳を澄ますが風は何も唄わない。誰もが決して選ばれた人でもなく、試される人でもない。不運の配達先を間違われた不運の人なのだ。誰も印鑑を持って玄関には出たくはなかっただろう。


2009年09月24日(Thu)▲ページの先頭へ
鉄槌
 「一番先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」1月くらい前に、声をからして走り回った人達に教えてあげたいようなある方の言葉があるが、僕はこれなら守れそうだ。いいことを教えてもらっても、なかなか実行できなくて、出来ないこと自体がストレスになるのだが、この程度なら出来そうだ。と言うより、僕など楽だからいつもこうしている。本能的に自分を守っているのかもしれない。「一番先になりたくないから、すべての人の後になり、すべての人に仕えている」が、運のいいことに、こちらが仕えようとしても断られるくらい肌が合わない人がいるから助かっている。こちらが仕えないなら教えに背くが、断られるのまでは非難されないだろう。
何事も、この程度の逃げ道は作っておいた方がいい。逃げ道だらけも困るが、退路を断ってまでの生真面目さでは、ことを為し遂げる前に断崖から落ちてしまう。良くしたもので、一番先になりたい者は、この種の逃げ道や逃げ口上はけだし得意としていて、反対にすべての人に仕えることをいとわない人達に限って、退路を断つ。不愉快なのは他人の謙遜さえ踏み台にして一番先になりたがる者が目立つことだ。もっと悪質なのは、ものばかりでなく他人の幸せや命までも奪って一番先になりたがる。
 夏の終わりの出来事は、謙遜を忘れた人達に謙遜でしか生きていけない人達の下した静かなる鉄槌だと思う。


2009年09月23日(Wed)▲ページの先頭へ
表紙
 ああ、びっくりした。何気なく自分のブログを開いてみたら、全く変わっていた。最初は消えたと思ってしまって、一瞬動揺したが、自分のものであることはすぐに分かった。恐る恐る、昨夜まで当たり前のようにやっていた作業を確認してみたが、全部同じように出来てほっとした。数年前薬剤師が全ての段取りをしてくれて始めたものなので、もし消えたりしたら自力では絶対復活できない。いつもこのような不安感にとりつかれている。今日、ブログに目を通してくださる人が恐らく全員びっくりするのではないだろうか。
実は最近薬局に来るようになった女性が、その種の仕事をしている人で、パソコンについて相談しているうちに、僕のブログが余りにも簡素過ぎることを指摘され、せめてもう少し楽しげにと言うことで手を貸してくれた。プロのデザイナーだから本気でお願いすると単に好意でと言うわけには行かず、難しいところなのだが、ほんのちょっとした気まぐれ程度の助言でも、何も分からない僕には有り難い。そんな中、何の予告もなしに表紙が変わっていたので驚いた。文字しかなかったブログだから、少しだけ柔らかい?優しい?雰囲気が出ている。ちょっと気恥ずかしい気もするが、これからは表紙に合うように、穏やかで、ほんのりとした、誰も傷つかない明るい文章を書かなければならない。僕のもっとも苦手としているところだが。
 それにしても彼女が無事、連休の東京旅行から帰ってくれてよかった。心配していたのだ。原宿あたりを歩いていたらモデルのスカウトにでもあって、そのまま東京に残ってしまうのではないかと危惧していたから。


2009年09月22日(Tue)▲ページの先頭へ
働き者
 自分では働き者と思っていたが、意外とそうではないことがこの連休で分かった。
 少しだけ人並みに働かないでおこうと連休前にチラシで、連休中は午前10時から午後5時まで開局していると告知した。朝2時間、夜3時間余裕があり、何をして時間を潰そうかと楽しみにしていた。僕にとっては贅沢な5時間になるはずだった。ところが2日間の経験でしかないが、何のことはない、本来贅沢な5時間に来るべき人達が、10時から5時の間に移動しただけで、労働の密度が濃くなっただけだ。僕の薬局では余りお目にかからない「待つ人」も続出して、牛窓の人は余所から来た人達に気を使ってくれて何人もが出直してきてくれた。やはり親切な人が多いなと嬉しかったが、僕には待ってもらうほどの実力はないから心苦しかった。やはりその人数の人が、12時間に渡って等しく分散し、のんびりとした薬局の光景が似合っている。僕も焦らないから間違いや、細かい問診などを落とすことも防げると思う。長い時間をかけて、自分にあったスタイルに薬局がなってきているのだと思った。
 僕にはきっとダラダラと働くスタイルが似合っているのだ。そう言えば受験勉強もダラダラと時間だけかけてやって実り少なかった。集中力欠如は昔からだ。昨夜はずいぶんと早く寝た。することがなかったのではなく、より疲れていたのだ。集中して働くのは僕には負担だった。精神的に疲れたのか肉体的に疲れたのか良く分からないが、2時間も早く床に入って、おまけにそのままスッと眠りに入れた。睡眠を要求していたのだと思う。効率重視の会社なら僕は勤められないだろうなと思う。そうしてみれば皆さんよく働く。これからは自分を働き者と評価するのではなく、怠け者、あるいはのろま、あるいはオダギリジョーと思いこむことにする。


2009年09月21日(Mon)▲ページの先頭へ
無防備
 レジで会計をする父親の嬉しそうな様子に思わず涙ぐんでしまった。漢方薬を作り説明をしてすんだから調剤室に下がって様子を見ていたのだが、数年来初めて見る光景だった。何かと誰かと結びつけて感動したのではない。ただ単に嬉しかったのだ。父親の思いがやっと届いたのか、娘が成長したのか分からないが、明らかに二人はいつくしみあっていた。嘗ては二人の会話などほとんど聞いたことが無く、僕の質問にも父親が全て代弁し、それをにらみつける娘の視線しかなかったのに。 
妻を亡くしてからまるで母親のように細やかな世話をしていた。しかしそれは娘が成長するにしたがって娘にとっては負担になり、どんどん父親から離れていった。遠く離れても体調を思いやる父親は時々帰省した娘を薬局に連れてきたが、冷たく凍り付く空気に父も娘も僕には不憫に思えた。どちらも優しい心の持ち主であることは知っていたから余計辛かった。親心で持たした漢方薬も必要なときに最低限の飲み方で対処していた。僕の意図するところとは違った飲み方でなんとかしのいでいたみたいだ。
それでも社会に出たら、今までの体力ではさすがに通用しないことが分かったのか、今日は自分の言葉でちゃんと症状を説明し、僕の意図したところより沢山の日数分の薬を所望し、又新しい体調不安の相談も受けそれもまた沢山薬を持って帰った。僕が調剤室で薬を作っている間、コーヒーを飲みながら二人で小さな声だが喋り続けていた。圧巻は、今週お土産を配っているのだが、文房具セットを持って帰るのに、薬局でしゃがみ込んでずいぶんと長いこと選んでいた。僕は横顔しか見えなかったが、初めて見る少女の面影を残した姿だった。全く無防備に振る舞っている姿は初めて見た。中学生の頃から用心深く、うち解けることが苦手な子だったが今日は鎧を全部脱ぎ捨てていた。恐らく父親と喋り続けているから心の鎧も脱げたのだろう。この当たり前の光景を手にするのに二人は10年近くを要した。
 どの様なのが理想の家族像か知らないが、微笑みあえる関係さえあれば大丈夫だと思う。決して合うことのない視線が部屋の空気を凍らせて結晶と化しても輝くことはない。何も太陽の輝き無くして光ることは出来ないように、いつくしみあう光りが無くして微笑みあうことは出来ない。


2009年09月20日(Sun)▲ページの先頭へ
心臓マッサージ
 ああ、なんて可愛いのだろうと思う。でもそれは僕の子供達ではない。巷で遭遇する家族のようにいつも一緒におれたら、それはそれで幸せなのだろうとも思う。ただそれはきっと息子夫婦には息苦しいだろう。だから僕は全くその様な選択肢を一度も考えたことがない。どこかで幸せに暮らしてくれていたらそれだけでいい。今日はちょっとだけほっぺに触らせてもらって、手も握った。そっと脚にも触ってみたが、肉付きの良い太い足をしていた。それだけで幸せだ。
 いつか心臓マッサージを教えてもらいたかったから、食卓の上に僕の手を載せ、どのくらいの力で押せばいいのか教えてと言ったら、痛いよと言うのでそれは止めた。僕の手ではなく直接食卓に対して実演して見せてくれたが、我が家の古い食卓がベシッと音を立てた。そんなに強く押すのと言ったら、あばら骨の中の心臓を復活するのだから折れるくらいの力で押さなければならないらしい。実際に折れるらしい。毎週僕が通っているところは老人が多くて、いつか手技が必要になるのではとずっと思っていたので、やっと懸案が解決した。
 僕は息子ほど命に直結した職業ではないが、多くの疑似兄弟や子供達がいる。それなりにってくらいしか言えないが、前途を悲観している人達が、ちょとだけ前向きになり新しい歩みを始めてくれるきっかけになってくれれば嬉しいのだ。田舎の薬剤師には身に余る光栄なのだ。失意の中で受け継いだ薬局だったが、今となってはもっとも意味のあるスタートだったと思う。


2009年09月19日(Sat)▲ページの先頭へ
浣腸
 シャッターを開けるとすぐにタクシーが横付けにされ、老婆が浣腸を取りに来た。慌てていたから本人が使いたいのか、家で旦那が待っているのか分からなかったが、たった260円のものを買いに来るために、恐らくその10倍近いタクシー代を払うのだろう。タクシーを頻繁に利用できるほど恵まれているようには見えなかったが、それ以外に急いで来る方法はなかったのだろう。同じ状況でも、それも薬局がまだ開いていない時間でも電話をかけてきて配達を頼む人もいる。両親の時代から配達は完全実施していて、来れない人や来たくない人には必ず配達している。それは我が家にとっては当然すぎることで何ら抵抗はない。同じ状況でも、個性によってこのように行動は異なる。 
 彼は過疎地の牛窓を出陣式に選んでくれた。後で分かったことだが、水害の時にボランティアで牛窓に来てくれた時に得た価値観が、彼の政治家としての姿勢に影響を与えたと言っていた。そんな彼が、昨夜のニュースや今朝の新聞で国家戦略局の政務官になったことを知った。地元を大切にしてくれるのはいいが、戦後それを見返りに金と票をもらうという弊害が余りにも長く続きすぎたから、僕は彼には日本中の人の幸せを最優先に考える人であって欲しいと思っていた。彼が得た役職はまさにそれを実現するには最適のものだと思う。
 たった260円のものを取りに来るのに、薬局が開くのを待ってタクシーで来る。片やまだ眠っているのに電話をかけて配達を頼む。家には息子さん夫婦もいて車も2台ある。どちらがいい悪いではなく、どちらもが同じ空の下で暮らしているってことだ。どちらかというと後者の方に社会的な成功者が多い。他人に迷惑をかけず、利用せず懸命に生きてきた前者が、果たして何かを要求しただろうか。勝ち取った権利、勝ち取った報酬があるのだろうか。与えられた収入の中で善良にひたすらに生活してきただけなのではないか。 彼には前者の人達の声を聞く耳を何時までも持って欲しい。無口で口べたの人の中に真実は多く横たわっている。饒舌で勇敢で、そんな人が他人を幸せにした記憶はない。時の力を我がものにした人達が今回退場した。その人達を利用して僅か数分で派遣労働者の時間給以上を稼げるシステムも手に入った。そんな僕らの業界も含めて、誰かが報酬はもうこの程度でいいから、懸命に働き訴えることが苦手だった人達に回してと言い出さなければならないのではないか。


2009年09月18日(Fri)▲ページの先頭へ
中途半端
 精も根も尽き果てて、あるおばちゃんが娑婆に帰ってきた。お久しぶりですと言う挨拶の通りまさに久しぶりだった。親分肌の女性で、何人も薬局に紹介してくれて、なかなか難しい症状を勉強させてくれる人だ。その親分肌を買われたのかどうか知らないが市長選挙の応援にかり出されていた。2ヶ月くらい没頭したのではないか。風の噂に大変な熱の入れようだと聞こえてきたから。
残念ながら応援していた候補者は落選したみたいだ。敗因を語っていたが、新聞紙上でも目を通さない他の街の市長選挙だから、なにやら怪しげな情報にも思える。事実かどうかは分からないが、何かを恨まなければ、何かのせいにしなければ結果を受け入れがたいのだろう。家族も巻き込んでの連日の事務所詰めも、暑い季節と共に終わった。結果が悪かったから疲れただろうと思いきや、今は毎日畑に出かけているらしい。70歳を過ぎて人の接待ばかりをしてきたから少し逃げ出したかったのかもしれない。畑がいいわとなにやら感慨深げだった。何に比べているのだろうと僕は思ったのだが。
 僕も若気の至りで、と言うより田舎のしがらみで若いときに選挙を手伝ったことがある。候補者と何かの接点があるわけではないが、住居や商工会という環境でそのしがらみにどっぷりと浸からされた。別にいやな思い出はない。良かったことは、煙草がただで何本でも吸えたこと。食事が食べ放題だったこと。その二つの報酬のために、俄然笑顔を作り手を振った。田舎に帰ったばっかりで、同じ世代の青年と仲良くなるきっかけにもなった。僕は当時毎日を「選挙祭り」と呼んでいた。そうでも思わなければ、又何かの実利に接しなければ、理由の見つけれない自分の行動に折り合いが付けられなかった。昔の選挙がどんなものかよく分かったから、後悔はしていない。そのおかげで、やはり強いものは苦手だと言うことが分かり、以後選挙とは深く関わることを避けるようになった。
 おばちゃんは、腰や膝の漢方薬を持って帰った。2ヶ月の間飲まなくても平気だったのだが、我に返った瞬間痛みも戻ってしまった。血湧き肉躍ることの大切さを勉強させてもらった。健康は求めてもなかなか手に入らないが、我を忘れるほどのめり込むものがあれば簡単に手にはいるのかもしれない。痛いところだらけ、しんどいとこだらけの僕はきっと何事も中途半端なのだろうな。


2009年09月17日(Thu)▲ページの先頭へ
睡眠
 珍しい光景だった。薬を買って出ていくときにありがとうと言ったのだ。もう30年来の常連と言ってもいい人なのだが、礼を言うようなタイプの人間ではなかった。どちらかというと横柄な態度で、礼は言わないが、しばしばやってきて色々な漢方薬を持って帰る。その横柄な態度が気の弱さの裏返しだというのは充分分かっているから、哀れだと思う反面、もういい加減に弱音を吐いたらとも思う。本人はもとより家族の者も含めるとありとあらゆる種類の世話をしているが、不思議なことに彼は自分の家族に対しては痒いところに手が届くような世話を焼いている。家ではいいお父さんなのだ。今まで何十回お礼を言ってもらってもいいようなのに今回に限って礼を言われたのが不思議だが、睡眠に関してかなりナーバスになっていたのだろう。役職上色々なトラブルも抱えていたのかもしれないが、この数ヶ月不眠に悩んでいたみたいだ。
かの有名な郵送してはいけなくなった薬局製剤の中に、睡眠を誘う薬がある。免許を持っていれば全国何処の薬局でも作れるが、免許を持っている薬局がまず少ない。そして免許を持っていても実際に作っている薬局と言ったらほんのわずかだ。病院の睡眠薬ほど強くないから、翌朝に持ち越し効果が無くてスッキリと仕事が出来ると彼が喜んだ処方だ。悩ましい症状に苦しまなくなったことへの感謝がこの珍しい光景だったのだ。こんな穏やかな睡眠薬だからファンは多いのだが、省令によって遠くの人には利用してもらえなくなった。ワンクリックなどではなく産みの苦しみで処方を選択していく薬局製剤を誰もが利用できるように以前の形態に戻して欲しい。訴えることが苦手な、又訴える手段もない人達の声を、新しい政権はくみ取って欲しい。病院でも治らない人は実は一杯いるのだ。次善はワンクリックやテレビ番組を買い取ってしまう得体の知れないものより薬局だと思うのだが。


2009年09月16日(Wed)▲ページの先頭へ
余程訓練された犬なら、目の前におかれた餌を我慢することが出来る。ところがさすがに人間は訓練しなくても目の前の餌に惑わされることはない。ところが中にはかなり動物的な人がいて、食欲のまま振るまいいつもしっぽを振っていた。ところが与えられる餌が段々少なくなると、さすがにしっぽを振ることに屈辱を覚え始める。行方不明だった自尊心が見つかった。
 遠吠えにはうんざりし、勇敢さもネタがわれている。何かを導いてもらうほど劣ってはいないと誰もが知っている。得体の知れない秩序の支配は、もろくも謙遜の前に沈んだ。柔よく剛を制するのは柔らの世界だけではない。岸壁から釣り竿を垂れ、孫を背負い、バイクにまたがり二人乗りで畑に向かう、校門でわが子を迎え、スーパーで品定めする、そんなありふれた光景に溶け込んだ人達が、誰にも文句を言ったこともなく、誰も頼める人がいないそんな純朴な人達がやっと腰を上げた。もうそろそろ交替させてくれと。
 声を上げれば聞こえる、手を伸ばせば届く、そんなことさえ縁遠かった人達にやっと名札が配られる。本当は名も無き人々ではなく、理不尽無き人々だったのだ。


2009年09月15日(Tue)▲ページの先頭へ
わだかまり
 やっとこれで30年来のわだかまりが取れた。所詮その年齢で訪ねてはいけない街だったのだ。訪ねた僕たちの方が悪かったのだ。
 大学を卒業した春、後輩の運転で岐阜から富山経由で金沢の街に入った。唯一兼六園を見学し、その後はいつものことだがほとんど中毒のようにパチンコをした。どこの街に行っても、することは同じだった。そしていつものようにお金をすった。財布はその都度空になる、と言っても常にワンコインくらいしか財布の中にはなかった。もっとも心の方は数年来干上がっていて、それ以上枯れることはないから意外と当時は度胸が座っていたのかもしれない。暗くなってから、通りすがりの寺の境内に車を止め、窮屈な格好で座席で眠った。空が白みかけた頃、車の窓を叩く音で目が覚めた。お坊さんが駐車場代を要求しているのだ。駐車場と知って止めたのではないが、当然要求通りに払った。誰が払ったのか今では記憶にないが、よく払えたものだと思う。どこから見ても金がなさそうな車にどこから見ても金がなさそうな若者が乗っていたのによく金を請求できたなとも思うのだが、お坊さんには冗談ですます遊び心はなかったのだろう。
それ以来僕は金沢の街に対して勝手に融通が利かない街と決めている。生真面目な街と言う印象を持っている。たった一人のお坊さんに県庁所在地全部を背負わせるのは気の毒だが、人の気持ちなんてものはそんなものだ。自分の都合が全てに優先するのだから。
 今日ある国会議員の秘書の方が訪ねてきてくれたが、話しているうちに彼が金沢出身だと分かった。若いのに、いや若いから?とても謙遜な人で、議員本人の謙遜ぶりにも負けない。彼に当時のことを話すと、金沢と言う街は「人生を生き急ぐ必要が無くなったら住むにはとてもいい街」と教えてくれた。そうかそう言われれば分かるような気がする。お坊さんにとっては見るからに好ましからざる若者達だっただろう。生き急ぐほどのテーマは誰も持っていなかったが、金をパチンコで使い果たし返り急ぐ顔には見えたのかもしれない。
 仕事を引退してから、それこそゆっくりとした時間の流れに身を委ねることが出来るような境遇になればいつか又訪ねることがあるかもしれないが、その時は必ずパチンコで勝つ。でもやはり返り討ちにあって返り急ぐ顔になるかもしれない。


2009年09月14日(Mon)▲ページの先頭へ
全開
 神経質なところがあるのに、ずぼらなところも多い。このような性格の人は意外と多いのではないか。僕のそのままを述べただけだが、勝手に拡大解釈している。ところが中には徹底して、厳格な人もいて、どこからも侵入を許さないような人もいる。その性格だから、やり遂げることも多いし、内容は確実だ。任せておけば完璧になおかつスピーディーにやり遂げてくれる。都合は全くいいのだが、他者の介入を許さないから、時として空気を張りつめたものにする。
他者に対して僕は比較的寛容だと思う。自分に対してはもっと寛容だから質は悪いが。例えば、ちょっとだけ世間の評価が低い人などの作品や善意に接すると、メチャクチャ感動してしまう。そして最大限にそれを生かそうとする。ところが何故かその種の人達にも厳格を徹底する人がいてつい僕は対立してしまう。ありがとうと言って全て受けいれれば、お互いが良い様に単純に思うのだが、そうも行かないらしい。全て条件を満たさなければ受け入れられないのだろう。その条件こそが人を差別していると思うのだが。その種の人達から見れば僕は無責任で場当たり的と見えるのだろうが、人を尊敬しないよりは無責任や場当たり的というレッテルを貼られる方が数段居心地がいい。
 体を張って防波堤になるほど肉体は強靱でもないし、気も強くはないからチクリと風刺して退散してしまうのだが、かろうじて若干の正義感は満足させられる。もっともっとずぼらを極めて副交感神経全開でこれからは暮らしてみたいものだ。



2009年09月13日(Sun)▲ページの先頭へ
後悔
 そこの場所で、僕には二人の気になる若者がいた。今となってはほとんど後悔に近い。ただ、その空間と僕の日常では全く立ち位置が違うから折り合えるのはかなり難しいような気がする。
二人とも明らかに心を病んでいた。僕はそこの場では職業を明らかにすることはずっと避けていた。ところが全くの偶然で僕の漢方薬を飲んでいる人が訪ねてきた。薄汚い男の正体はばれた。ただ、それでも職業に関連する話題は徹底して避けている。誰かの健康の手助けになるにしたって、僕の場合は経済行為が介在してしまうからだ。経済とはほとんど無縁の空間で、経済的なやりとりをすることは避けたかった。だから、しがない中年男が良かったのだ。
 二人は別々の時期にその空間に来た。女性は積極的にとけ込もうとしていたが、その意図的な行為一つ一つが僕には痛々しかった。男性は結局居場所すら見つけられずにすぐに去ってしまった。二人が何を求めてきたのか尋ねたことがないから想像の域を出ないが、恐らく心の病からの解放だろう。
 心が傷つき身体が壊れた人達の多くは驚くほど善良だ。愚直で潔癖で他者を傷つけることが苦手な人達だ。持って生まれた善良も、体力があるときには輝くが、いったん体力を失ったときや余りにも心に負荷がかかったときには矛先を自分に向ける。悲鳴を上げたり他者に怒りをぶつけることが苦手な人は、自分の心や肉体を傷つけることで折り合いをつけてしまう。
 現代人が心を傷つけられるのはほとんどが家庭と職場(学校)だ。家庭は愛が溢れる空間ではなく、職場(学校)は生存競争の修羅場だ。心が安まる空間ではない。能力以上を期待され爆発か萎縮の選択を迫られる。家族から逃れ、職場(学校)から逃れ4畳半の中に閉じこもれば誰も傷つけはしないが空しさの中で時は臆病にたたずむ。
 凡人が善良であり続けることを担保するのは意外にも健康な体だ。息も絶え絶えでは、良い言葉も良い行いも負担そのものだ。退路をふさがれた善意には窒息する。力強い言葉が、優しい言葉が、真実に満ちた言葉が二人を救ってくれると思った。僕は関心を持ちながら傍観者を演じた。そして二人は消えた。彼らが今健康で暮らしているならいいが、それを予想されるような兆候は見られなかった。僕に何が出来るかは分からないが少なくともいつものように「絞め殺したら」と笑って答えることは出来ていただろう。その町に入る時、その町を後にする時、束ねた後悔を工場の煙突よりはるかに高い大橋の上からそっと手放す。


2009年09月12日(Sat)▲ページの先頭へ
脳貧血
 日本人の6割が、朝目が覚めた時から身体がだるいそうだから安心した。僕の人生で果たして何時目覚めが良かったのだろうと考えてみるが定かではない。忘れているだけかもしれないが、さすがに子供の時や青年の時はそんなことはなかったと思うが、30代にはもう充分その感覚にさいなまれていたような気がする。青年期の終わりと共に、その感覚は身に付いてしまって、ほとんど習慣の域に達している。人生の半分以上はだるさの中で目が覚めている勘定になる。朝の目覚めがだるい人が6割なら、それ以降の時間帯はどうだろう。そこまで調べた統計はないみたいだが、僕なんか1日中倦怠感の中にいるから、増えるのか減るのか知りたいものだ。
哀しい習性か救いか分からないが、相談者が来たら俄然スイッチが入る。それまでは立ったまま寝ているのかというような無気力な僕でも、身体はしゃんとし頭は充血してフル回転し始める。こんな状態が続けばカリスマ薬剤師にでもなれるだろうが、なんのことはない、相談者が帰ったら又脳貧血状態に戻って、得意の直立不動型の惰眠をむさぼる。
 理由って大切なものだ。大きな理由なら歓迎、いやいや小さな理由の連続でもいい。自分の志気が上がる理由、人様の役に立てる喜び、そんなものがあれば凡人でもなんとかけだるさを打破できる。体も心も希望や目的があれば上手く回転しけだるくはない。日本人の6割が、希望と共に目覚めたり、使命と共に目覚めたりしていないのではないかと思う。体のだるさは心のけだるさとは離して考えられないのではと、素人の勝手な思いで納得している。 けだるさの中で週末がつまずいている。


2009年09月11日(Fri)▲ページの先頭へ
恩恵
 やっぱりかと思った。もう何年も痛み止めでごまかしながら、いや現在はそれも効かなくなって薬はいっさい飲んでいない。2度ヘルニアの手術をしてそれでも日々の重労働で腰を痛め続けている。腰を患うとかなりの確率で首を患ってくる。首にこなければいいがと心配していたら、案の定最近は首も痛いと訴え始めた。整形外科で診察してもらったら首のヘルニアと言われたらしい。首のヘルニアも激痛だ。いくら彼ががっちりとした筋肉質でも痛みに耐える力はそんなに人と変わるわけでもあるまい。ただ何年も解決しない痛みに毎夜うなされているから忍耐強いことは誰にも負けないのかもしれないが。毎日小学高学年の子の体重くらいの荷物を機械を使わずに運んでいる。いくら肩幅が広く大腿部の筋肉が人一倍発達していても、機械にはなれない。
それでも彼は仕事を辞めない。田舎だから他にそんなに働き口はないことと、本来彼が持っている勤勉さの故だと思う。体をこわしてまで毎日出勤するけなげさは、その家庭が育てたのか風土が育てたのか。そう言えば父親も痛みを訴えながら、高齢になっても漁に出ていた。恥ずかしがり屋で、口べただったが、人のよい漁師だった。その血を彼も又受け継いで、痛いはずなのに笑顔をこぼしながら自分のではなく家族の薬を取りに来る。
 いったい彼を誰が弁護し援助してくれるのだろう。会社の上司は彼の苦痛を知っているのか、近所の人達は彼に何か援助をしてくれるのか。彼が不満を言っているのを聞いたことがない。あれだけの苦痛を抱えれば誰だって何かに当たりたくなるだろう。でも彼は決して誰のせいにもしない。何処に訴えるでもなく、誰に援助を求めるでなく、まるで骨を潰すように働く。
 新しい政治が始まる。半世紀もの間いい目をした人達が退場し、光が当たらなかった人達にひょっとしたらかすかな灯りが届くかもしれない。「謙遜」も「不器用」に置き換えられ、この国の人が守り続けた善意を体現している人達に、こんどこそ恩恵を。


2009年09月10日(Thu)▲ページの先頭へ
取り柄
 僕にとっての最後のセールスと言ってもいいかもしれない。昔ながらの薬局形態をとっているところが少なくなってきたせいか、セールスにも幾度の淘汰の波が押し寄せている。過去3回の肩たたきにも耐え、しぶとく生き残った彼も、僕の薬局みたいな小さな取引先を回ることは許されなくなったらしい。来れば一緒にコーヒーを飲み、菓子をつまんで薬業界のことを教えてくれた。田舎で情報が少ないぶん、彼の話は興味深かった。薬局をやっていて、いわゆる同業者についての情報には全く疎かったから、彼の話は参考になった。 今度会うときは支店長になっているねと言い古された冗談を言うと、彼が真剣に答えた。「今出世するのは30代、私らは関係ないです。でも可哀相、ほとんど病気になって辞めていく」大会社の内部にいる人にしか分からないことで、最初何を言っているのか分からなかったが、すぐ理解できた。僕の心の漢方薬をのんでいるその世代の人が最近多いから。むちゃくちゃ働かされ、精神か肉体を壊して辞めていくって言うのだ。特にパソコンが普及してから一気に労働量が増えたと言っていた。確かに、田舎の小さな薬局でも、それも超アナログの僕でさえ仕事が終わってからも2時間くらいパソコンの前にいる。以前なら考えられないことだ。便利な機械を手にしたのに嘗てより働いている。時間もストレスも節約したのではなく、時間に縛られストレスはますます増えた。
 4度目の肩たたきにもめげず、根性でぶら下がっていますと自嘲気味に笑っていたが、本当に明日さえ分からないと言っていた。前日にいとも簡単にすぱっと首でも切られますよと江戸時代の会話かと思うような単語が自然と口から出る。牛窓警察署の野球のチームに一緒に入れてもらって楽しんでいたあの頃が懐かしい。お互い無責任でいい加減な仕事をしていた。でもそれで何となく時代に許されていた。町の薬局を回る最後のセールス世代の彼と、町の薬局を守る最後の薬剤師世代の僕との妙に馬が合う出来損ないコンビだった。そんな僕らが不思議と生き残っているのは、他に取り柄がないから懸命に一つの道にぶら下がっていただけなのだ。


2009年09月09日(Wed)▲ページの先頭へ
事故
 1時間の間、彼は僕と向かい合って喋ったり、パソコンに向かって操作したりしていたが何をいったい思っていたのだろう。クロネコヤマトのシステム関係の仕事をしているらしいが、色々良心的に説明してくれた。自分の仕事とは直接利害がないことでも快く教えてくれた。パソコン音痴の僕にはことさらこの種の助言は有り難い。
1時間以上経った頃、どうしても作らなければならない煎じ薬の注文があって調剤室に引きこもったから、その後は妻に任せた。二人が何を喋っているのか分からなかったが、彼が帰ろうとした時妻が教えてくれたことがある。実は彼のお父さんは、彼が中学校の頃珍しい事故で亡くなったそうなのだが、そのお父さんに僕がよく似ているというのだ。そう言えば彼は、当然と言えば当然なのだが、人の目をしっかりとよく見て話した。最低限の礼儀だが、ひょっとしたら、父親によく似ている人間だなとある種の感慨をもって対していたのかもしれない。そのせいかどうかは分からないが、とても親切に教えてくれた。
「そう言えば君は僕の息子にそっくりだ」と言うと、彼は驚いた様子で「そうですか?」と答えた。初対面で僕流の冗談だと彼は気がつかなかったみたいで、心配した妻が「彼の方がハンサムだ」娘が「似てるかなあ」などとフォローしてくれた。実は僕の言葉は「お父さんはそんなにハンサムだったの?」と続くはずだったのだが、ブレーキがかかった。亡くなり方が無念だったろうと想像できたからだ。
 ずっと以前に、ある女性から父親に似ていると言われたことがある。僕は日本のお父さんなのか。どこにでもいるお父さんタイプなのだろうか。平均的な造りをしていてどうにでも見えるのだろうか。まあこの顔でも役に立てれば幸いだ。いや、役に立ったかどうかは疑わしい。青年も女性も辛い想い出みたいだから。いわゆる回りが苦労する顔なのだろうか。それなら分かる。


2009年09月08日(Tue)▲ページの先頭へ
習慣
 偶然同じ話題が重なった。
 午前中漢方薬を取りに来た若いお母さんが「知り合いに中国人のお母さんがいるのですが、彼女は日本人が飲み物を冷蔵庫に何でもかんでも入れて冷やすことが理解できないと言っていた」と教えてくれた。実は彼女は鼻炎家族なのだが、僕は漢方薬を作るときには口を酸っぱくして冷たい飲み物を飲むなと言っている。それをお母さんだけが実行してこの秋口に一人調子がいいらしい。「やっぱりいいんですね」と感慨無量気味だった。目を大きく開いて喋る人で、心の奥深くまで透き通って見えてしまいそうなくらい、純真な人だ。讃岐出身の人でうどんに関してはちょっとうるさいが、飾らない人だなあといつも感心してみている。
 午後から、韓国の男性と結婚している女性が、休暇を利用してご主人とやって来てくれた。ご主人と会うのは初めてだが、第一印象で「ああ、釣り合っている」と感じた。数時間同じ空間の中にいたが時間と共にその印象は増幅された。そのご主人が「台湾の人は冷たい水を飲まない」と教えてくれた。仕事で台湾に行くことがあるそうだが、彼自身が疑問に思って台湾の人に何故冷たい水を飲まないのか尋ねたことがあるらしい。はっきりとした返事はもらえなかったらしいが、冷たい水を飲む習慣が無いことは確からしい。冷たい水を飲む習慣がない人に何故飲まないのか尋ねても返す言葉が無かったのかもしれないが、漢方が発達している国の人にとっては至極当たり前の養生方だから、実践していない国の人がその良き習慣を害さないようにした方がいい。しかし、想像の域を出ないが、コカコーラやペプシコーラの進出に合わせて冷たい飲み物をゴクゴクと飲む悪しき習慣も又、すでに進出しているに違いない。
 氷点近くの温度の飲み物を胃袋に入れる習慣が当たり前になってしまった僕らは、もうすでに「欧米か?」そう言えば礼儀正しい彼らに比べれば、立ち居振る舞いも「欧米か?」・・・このギャグ古い。


2009年09月07日(Mon)▲ページの先頭へ
新発売
 医師の6%が自殺について考えていたという医師会の調査を読んでいたら、丁度セールスが新発売になった鬱病薬の説明書を持ってきた。新発売だから1個仕入れてくださいとのことだが、薬の内容の重さとは裏腹に、単なる商品としての価値しか感じられない。所詮薬と言っても売買の対象なのだ。よく売れればそれで良いのだ。
勤務医の過酷な労働や、患者の不当なクレームは今更言うまでもなく周知の事実だが、自殺を考えているような状態の医師に身体を診てもらっているとしたら、何ともお互いが気の毒だ。いや、患者にとっては健康すぎて行け行けドンドンの医師よりは痛みが分かってもらえて良いかもしれない。そもそも、鬱々としたときに、元気すぎる人など会いたくもない。大きな声も笑い声もほとんど拷問に近い。
専門家でないから裏付けはないが、鬱は不自然から生まれ不自然なものでは治らなくて、不自然に戻っていっては治らないと最近思っている。何々のし過ぎの途方もない積み重ねで発症し、これでもかこれでもかと薬を飲まされ、元の現場へ戻っていけば何も変わっていない状況が待ちかまえている。嘗て耐えられなかった状況が治療の後には耐えられるって保証もない。おそらくもっと感受性は強くなって心は動揺するだろう。
 僕は圧倒的な力でもって解放してあげるしかないと思う。責任からの解放。経済からの解放。しがらみからの解放。多くの経済的な援助、環境を変えるための援助、しがらみを断ち切るための人的な援助。それらの総動員を図らなければ何時までも患者のままに留まってしまうだろう。良い医者でも、良い薬でも限界があるのではないだろうか。
 縁あって知り合ったそれらの人に接するとき僕が気をつけていることは、不自然に打ちのめされた至極自然な人達であるって認識だ。それを現代では病気というらしい。僕に言わせれば不自然を強いて不自然に思わない現代社会こそが病気なのだが、社会に飲ませる薬はない。


2009年09月06日(Sun)▲ページの先頭へ
音響
 以前利用していた楽器店が、軒並み潰れたような気がする。今僕の行動範囲で楽器などを買うことが出来るのは、岡山市の繁華街にある、それも有名なシンフォニーホールの中にある楽器店だけだ。そこはヤマハの教室などもやっていて、バックボーンがしっかりしているのか、あるいは音楽人口でも減って余所が自滅したのか分からないが、しっかりと繁盛しているように見える。余所の店が無くなったのだから客が集中するのは当たり前だが、選別された理由も僕ら素人には見えないがきっとあるのだろう。
フィリピンの青年がギターを練習したいと言うから、僕の古いギターに新しい弦を張ってあげようと早速直行した。店に入るとギター売り場でライブをやっていた。白髪で恰幅のいい男性が張りのある良い声で歌っていた。椅子が10席ほど用意されていたが、2人が腰掛けて聴いていた。歌詞や歌の間のトークで青春時代の恋の想い出について歌っているらしかったのだが、正直他人の僕にはどうでも良かった。どうやら観客の一人は同じバンドのドラマーらしいのだが、今日は予想に反してと・・・聴衆の少なさを残念がっていたが、僕はその度胸は大したものだと尊敬せざるを得なかった。まず僕だったらやめている。1対1では歌えない。団塊世代の強かさを思った。
 ギター売り場でのライブだから、弦やバンドを捜していた僕には全てかぶり付きのように彼の歌が聞こえる。勿論数メートル離れたところをうろうろしていたわけだから当たり前だが。予定通りミディアムの弦を選んでレジの所に持っていったが、何故か男性の堅い響きのギターの音色が気になった。とっても良い音がするのだ。何年ぶりかに聴く硬質のアコースティックギターの音が懐かしいし心地よかった。もう一度ギター売り場の所に帰って、若い男性スタッフに「僕は今これを選んだのだけれど、あの男性のギターの音がすごく良くて同じようなのを買いたいんだけれど」と恥も外聞もなく尋ねた。恐らく若い時ならこんなことは屈辱的で口にも出さなかっただろうが、歳をとると無防備になって不思議な自由を手に入れる。若い店員は笑顔で「今日の音響は立派なのを使っていますから、幅のある音を拾えるんですよ。だからこの弦で良いですよ」と教えてくれた。ギターが高価なものだとか、テクニックが上手いからなどと返答されたら返す言葉もなかっただろうが、これなら僕でもと勇気が出る。ついでにあの張りのある良い声も音響のおかげかなどと、内心ほっとして意気揚々とミディアムをレジに持っていった。
 毎週30人くらいの前で歌っているが、勿論聴かせるためではなく、一緒に歌うためだ。今日はタガログ語の歌に初挑戦したが、フィリピン人達の笑顔一杯の合唱が下手なギターを補ってくれた。女性達の極端に上手な歌はもちろんだが、音程のずれを意に介さない男性達のおおらかさもなかなかなものだ。音響の手助けはないが心に響く力は負けてはいないかもしれない。


2009年09月05日(Sat)▲ページの先頭へ
砥石
 お母さんの話を聞きながら涙が自然ににじんできた。仕事中だし、薬局の中だから、取り乱したところは見せれないが、文句なしで嬉しかったのだ。
所詮薬局だから、出しゃばったことはしてはいけないが、あまりにも気の毒で周辺テーマではなく、もろ主たる訴えに関しての処方変更を僕の方から申し出た。専門のお医者さんにかかっているから安心していたが、どう見てもこの薬をこの量で僕だったら家族に飲ますには勇気がいるなと感じていたから、出しゃばることを了解してもらった。勿論漢方薬だから病院の薬と併用可能という大きな担保はあるが、効果が出なければ出しゃばりも許されないだろう。幸運にも劇的な効果が出ているみたいで、ご両親の気持ちが少しでも安らいでくれたのが嬉しかった。
薬局が奇跡などを願ってはいけないが、僕はなりふりかまわずそれを願う。僕の実力以上のことが起こってくれることを願う。心を病むと言うことは誰にでも起こりうることだけれど、その当事者の苦しみは想像できないくらい深いもの。奇跡が起こって誰もがその苦痛から抜け出て欲しい。僕の薬のおかげでなくても良い、単なる偶然でも良い。苦しみの奈落から抜け出て欲しい。満を持した出しゃばりが奇跡を呼んで奇跡が持続して欲しい。
 何でこんなに幼い子供たちがこの年齢ですでに人生に躓かなくてはならないのだろう。無邪気に校庭を走り回り、おしゃべりに花を咲かせながら友人と帰路に就くことすら出来ないのだろう。本屋で立ち読みをし、店屋でアイスクリームを買い、自転車に二人乗りして帰ることが出来ないのだろう。何気ないどこにでもある光景が、はるか異国の出来事になってしまうのだろう。こんな不公平に家族は耐えなければならないのか。能力があり、優しさがある人の介入によりいくらでも解決できそうに思うのだが、能力がある人は時間と優しさに欠け、優しさが備わっている人は能力と権限に欠ける。誰かが余程の決断をしないと置き去りにされる不幸は増殖し、哀しみの涙は氾濫する。名誉や効率は頑張る理由にもなるが、人格を否定する刃物にもなる。砥石に水を垂らすたびに刃物は研ぎ澄まされ幼い心に向かってくる。錆びていても欠けていても曲がっていても人は人なのに。よかれと思い頑張った大人達が作った世の中が、子供達を窒息させている。これからは大人達が懺悔をし、子供達を救う番だ。


2009年09月04日(Fri)▲ページの先頭へ
一人旅
 田舎ののんびりした薬局なのに、それなりに忙しく、山陰から2泊3日で訪ねて来てくれた青年を充分もてなすことが出来なかった。後日お母さんから「ヤマト先生が 毎日どれだけ忙しく仕事をしておられるのかわかったらしく自分もがんばろうと少したくましくなって帰って来たように思います」と言う内容の文面を頂いた。
 もてなすことが出来なかったことを悔いていたからこの言葉は嬉しかった。いくつもの言葉を並べるより意味があったのかと安堵した。親なら背中を見せるのはしっかりしていることの象徴かもしれないが、他人が背中を見せても仕方がない。しかしそれで感じてくれることがあったのは僕にとっての救いだ。後悔もその言葉でやっと消すことが出来た。
 それにしても嘗て僕に助言してくれた人がいるが、結婚するなら山陰の人と言うのも分かる気がする。青年のお姉さんも嘗て訪ねてきたことがあり、とてもよい子だったという印象が強く残っている。「空がまぶしい」という名言も残した。弟の方も礼儀正しくて謙虚だった。僕が相手が出来ない状況を見て娘が気を使ったのか、青年と話し始め、意気投合したのか長い間楽しそうに話していた。青年が帰ってから「末っ子だから下に弟がいたらこんなのかと疑似体験した」と言っていた。「お兄ちゃんが私を見ているような感じなんだろうなと、それならやはり可愛かっただろうな」と幼い頃と重ねて感想を言っていた。 例によって、牛窓の夕焼けをおばあちゃんと妻との3人でフェリーに乗って眺めてもらったが、ジンクス通り彼の悩みが解決することを祈る。そして山陰が育てたのか、その家が育てたのか分からないが、山間の故郷をこよなく愛する青年の初めての一人旅が実りあるものであったと言えることを祈る。


2009年09月03日(Thu)▲ページの先頭へ
噴火
 母が3時頃薬局にやってきたとき、珍しくテンションが低かった。いつもならこちらが用事を頼む前に向こうから必ず何をするか催促があるのだが、今日は何かしらうつろだった。僕はその理由を確かめるほど孝行息子ではないが、さすがに妻と娘は気になったみたいで、少しずつおしゃべりで誘って理由を探り出した。
今日は年に一度の独居老人を施設に招いてもてなしてくれる日で、昨日母が行っても良いかと僕に尋ねていた。勿論僕は気分転換になるから行っておいでと答えたが、母は手伝いが出来ないことを何回も謝っていた。まるでサラリーマンが休暇を取るような感じなのだろうか。
 そんな申し訳ない気分で出かけた母を待っていたのは、どうやら面白くない講演と面白くない公演だったらしい。講演の方は難しくてさっぱり分からなかったと言うし、公演の方は、演技者が難しくてさっぱり分からなかったというのだ。なんでも、演劇の途中から
せりふが出てこずに台本を見ながらやり始めたらしいが、それでも分からなくなって役者が舞台で言い争いを始めたらしいのだ。その光景に嫌気がさしたのもあるし、その程度の出し物ごときで貴重な時間を奪われたことが残念なのだ。どうせボランティアの演劇なのだろうが、それは言い訳にはならない。お年寄りがみなぼけているとは限らない。全員が寛容だとも限らない。手を抜くことは失礼だ。その程度のことでボランティアというのはおこがましい。いくらボランティアでも不快感を与えてはいけない。老人は長い間に培った感性を持っている。若者よりはるかに経験に裏付けされた知識も多い。見くびってはいけない。何でも見せていれば喜ぶなんて思い上がってはいけない。慰問している人が慰問される人より優っているなんて保証は全くない。例えば、90歳にして現役で毎日6時間僕の貴重な戦力として手伝いをしてくれている老人の貴重な時間を潰してはいけない。
 まるで幼子をあやすように対するのが優しさではない。何かをするスピードが落ちているだけの人達の尊厳を傷つけてはいけない。馬鹿にする理由は全くない。穏やかな眼差しの下に尊厳は噴火するくらい蓄えられている。誰もそれは犯すことは出来ない。だから尊厳なのだ。



2009年09月02日(Wed)▲ページの先頭へ
弱肉強食
 鳥そのものを観察して楽しむ趣味はまだ無いが、さえずりがどこからともなく聞こえる朝、幾種類かの鳥たちが自由に飛び回る光景を目にすると、僕の戦いの神経にまだ起きないでとお願いしたくなる。長い間同じ環境で暮らしてきたのに鳥の声にも姿にも気がつかないでいた。朝の8時から夜の8時まで判で押したように薬局の中で働いてきた。太陽に当たることすらなかったような生活だから、自然に囲まれたような町で如何にも不自然に暮らしてきた。
 カラスからツバメの卵や雛を守ることで我が家は必死だから、鳥の世界も又弱肉強食かと思っていた。ところが毎朝僕の目の前で展開される様子はそれとは全く逆なのだ。寧ろ共存というような表現の方が適しているように見える。必ず顔を合わせるのが、大勢で集団を作っている雀とツバメ。数匹のカラス。時折身体に白い線を持った鋭利な羽をした小鳥。カラスより大きいサギ。時に天高く旋回する鳶。それらが争っているのを見たことがない。僕の勝手な想いでは、大きな鳥が小さな鳥を捕獲して食料にするとばかり思っていた。実際はどうか分からないが、そんな場面は見たこともない。それどころか驚くことに、雀たちが野球のネット上で休んでいるカラスの傍まで飛んでいってかなりの至近距離で一緒に休んだりする。この光景は最初驚きだったが、毎日見ているとほのぼのとした心温まる光景に見えてきて、朝の交感神経への転換をゆっくりとしたものにしてくれる。
僕らは羽を持ってはいないから大空を飛ぶことは出来ないが、頭の中に大きな羽を持っている。何処にも行けて誰にも会えて、良いことを一杯出来る羽を。ところが最近はその羽が傷んでしまって良いことをするために飛び立つことすら出来ない。地上を這い我欲をついばみ弱きの命をいただく。鳥に教えることは何もなし。






2009年09月01日(Tue)▲ページの先頭へ
亀裂
 その気付きというか、発想というか、興味というか、人によって、いや職業によって、いや性格によって違うものだ。
薬を作って調剤室から出てくると、薬を待っていた男性が「このイスは足が折れているね」と言う。折れていると言われても、まだ錆びもせず結構綺麗な光沢のパイプの脚は健在だ。この半年くらい、人が座るとなんだかぐらぐらするから又ねじが緩んでいるのだろうと軽く考えていた。もともとホームセンターで買った安いパイプ椅子だから、クッション部分とパイプを折り曲げて交錯させた4本の脚が交わる辺りのねじがよく緩んで落ちた。でも巨漢が腰掛けることもないから折れるという発想はない。40歳代のその男性はいぶかる僕に、折れている箇所を見せてくれた。僕ら素人が折れるという言葉を聞いたら当然脚の部分が折れると思うのだが、彼はわざわざ薬を待っている間に椅子を逆さまにして調べたのだそうだ。指摘されたところを凝視するとなるほどパイプに亀裂が走っていた。それももう切断されて離れんばかりに。丁度人が腰をかけるクッションを支えている箇所で4本の脚が交錯する辺りだ。だから長い間ぐらぐらしていたのだ。ねじが落ちているくらいなら心配はないが、こと足が折れているとなると何時体重の重みで人が転ぶような事故にもなりかねない。
彼は車の整備士だ。恐らく道具の異常など感覚として分かるのではないか。どうしてここが折れたのかとなにやら説明してくれたが、そもそも興味すら湧かなかった。僕は寧ろ二十年も五感を駆使して仕事をしている人の「職業柄」の異常への探求心に驚いた。その職業柄か性格か実際には分からないが、わざわざ椅子をひっくり返してまでの原因究明の姿に、彼への評価を数段一気に上げた。
そんな彼が夕方又やってきた。今度は手にDVDを持っている。何かと思いきや、チャップリンの「街の灯り」 をコピーしてきてくれたのだそうだ。僕の薬局はしばしばチャップリンの映画を流しているが、それが三つをローテーションしていることに気がついたらしい。だから自分の家にあるのをコピーして持ってきてくれたのだ。忙しく働く奥さんの用事でだけしばしばやってくる人だが、そして口べたで何となく頼りない人に思っていたが、繊細な気配りにこれ又感心した。又評価を数段上げた。言葉が出てくるまで少し時間がかかる人だが、心の中では一杯のことを感じて一杯の想いを持っているのだろうと見直した。
 ひょっとしたら僕の心の亀裂も感じて倒れない前に修理してくれたのかもしれない。


   


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