栄町ヤマト薬局 - 2009/07

漢方薬局の日常の出来事




2009年07月31日(Fri)▲ページの先頭へ
公言
 数年前に鬱病で数ヶ月僕の煎じ薬を飲んで治った女性が久しぶりにやってきた。この表現は正確ではないか。お医者さんの薬も当初飲んでいたから両方で治ったのだろう。笑顔一杯で入ってきたから再発ではないとすぐ分かった。チョットした不調の薬を取りに来ただけなのだが、雑談をして帰った。当時雑談をする余裕はなく、勿論作り笑いすら出来なかった彼女だから、別人のようだ。
彼女が不思議なことを言った。私の知っている人で数人、私と同じ漢方薬をヤマト薬局で作ってもらって飲んだと言っていたと。町内の人だから別に珍しいことではないのだが、こと鬱に関してはやはり珍しいのではないか。ごくありふれた不調なら日常の会話に出ても不思議ではないが、鬱となるとまず全員が隠す。公言する勇気はなかなか無いだろう。ところが彼女の知り合い数人が公言している。治ったから嬉しくてと言う次元でもない。常識から考えれば治っても出来れば秘密にしておきたいトラブルだろう。
 ところが数人が自分のトラブルを口に出している。想像だが、僕が喋りまくって回りを巻き込んで治したらとしばしば言っていたからかもしれない。自分で解決しようとして出来るものではないから、口からストレスを抜いて、相手に少し分担してもらって治ったらいいと言っていたのを実行したのだろう。だから意外と多くの人が治ってくれるのだ。漢方薬が効いたのか、喋る勇気を出して回りを巻き込んだのが効いたのか知らないが、薬局の名前が出るくらいだから、少しは評価してもらっているのだろう。
 この奥さんは旦那が原因だったから「絞め殺したら」と助言したのだが、それは実行せずに治っているから助かった。これが僕が絶対カウンセリングなどと言う高級なことが出来ない理由。


2009年07月30日(Thu)▲ページの先頭へ
若い力
 もうずいぶん前に、鮮やかな緑色のウインドパーカーを着て選挙用のポスターを貼っている男がいた。若い現職の国会議員だが、本人と名乗らないと気がつく人は少ないのではないか。娘は気がつかなかったらしいがさすがに僕は気がついた。その時はありきたりの外交辞令だったが、今日は短い時間だが思いの丈を話させてもらった。
彼が薬剤師向けの挨拶文を持ってきたからなのだが、その様なものが無くても今度会ったら話したいと思っていた。親しくはないのだが自然な笑顔で入ってきたので、持論を展開した。
以前、薬剤師会の代議委員会でどうして薬剤師会はある政党を支持し続けているのか尋ねたことがある。会長は「与党だから」と答えた。これには質問した僕は思わず笑ってしまったのだが、質問の内容が会にとって好ましくなかったのかどうか知らないが、会場には失笑すらこぼれなかった。薬剤師ならもっとしっかりした倫理に基づいて支持しているのかと思ったら、単に都合がよいからだけだったのだ。調剤報酬を上げてもらえばそれでいいのだ。下品な言い方をすればお金をくれるところを支持するってことだ。こんな理屈に若い薬剤師が従う筈がない。それが証拠に、国会議員が集会に顔を出すと会場から帰るは帰るはで人が減ってしまう。残っているのは薬局の経営者くらいで、それも義理で残っているだけだ。多くの薬剤師は現在ではほとんどが勤務だから、経営者達とは本来対立関係にある。一言で薬剤師とくくっても、利害は対立している。そんな薬剤師に集票能力はない。
 若くてさわやかな国会議員に、票としての薬剤師としてみて欲しくなかった。彼に期待するのは、そんな前時代的な関係性ではない。薬剤師にとって都合の良い仕事をしてもらわなくたっていい。薬剤師は充分恵まれた生活をしている。それよりもあらゆる階層に目を配り脱落していく人達を救うことだ。そうした発想が出来る人なら、薬剤師としてではなく、まず社会人として支持するだろう。肩書きを持った人間より、肩書きをはずしたときの方が数段純粋な発想が出来る。政治家も見返りほしさの行動は控え、信念を訴えて欲しい。不必要に有権者にこびず、逆に威張らず、「若い力」を持ち続けて欲しい。


2009年07月29日(Wed)▲ページの先頭へ
カートン
 大きなトレーラーの運転席から降りてきて、外股で身体を揺らしながら大柄で赤ら顔の男が、それも迷彩服で薬局に入ってきたらびびってしまう。1年くらい前からしばしば来るようになった。愛想はすこぶる悪い。あるくすりを必要な数だけ注文して買っていく。毎回まるで判を押したような買い物風景だ。
ところがこの種の人間はどちらかというと僕の薬局は得意なのだ。正直な話、その逆の方が圧倒的に苦手としている。勿論仕事だから、その様な好みは出さないようにしているが、顔にはどうしても出てしまうのだろう、どちらかというと圧倒的に前者の方が多い。 昨日いつものように薬を取りに来たから、ちょっと話しかけてみた。何でそんなに強い痛み止めが必要なのか気になったから。大柄でがっちりした身体にどうも似合わないのだ。すると何故痛み止めが必要になったかの経緯を詳しく話してくれた。職業病なのだが、その職の人にしか分からない原因を教えてくれ、興味深く聞いた。その後、トレーラーの運転手ならではの色々なエピソードを話してくれ、彼の人柄を垣間見ることが出来た。色々面白い話はあったが、まず彼が吸う煙草の数は、毎日1カートン。僕はその単位がハッキリとは分からなかったのだが、要は10箱なのだ。思わず「200本?」と大きな声で聞き返した。どうしたら200本吸えるのかと思うだろうが、さすがプロは違う。煙草を吸い終わると、吸っている煙草から新しい煙草に火をつけるのだそうだ。渋滞時には必需品らしい。精神安定剤なのだそうだ。その2。真っ赤な顔をしているのに基本的には酒を飲まない。やはり大型の運転手だから気をつけているらしい。体調の悪い父親が離れて住んでいて、何かあったら駆けつけてあげないといけないからと真顔で言う。照れも見栄もない、当然という話しぶり。トレーラーは牽引する車と荷物部分の車が連結されているだけなので、発進したり止まったり、速度を変える度に後ろから突かれるようになり腰を痛めるらしい。又座席のクッションも嘗ての車は悪く、骨格には過酷だったらしい。「頭が良ければこんな仕事をせずに机の前に座っておれるんだけど」と言うが、この彼以外からでもよく聞くおきまりの言葉を言う人の顔は、おおむね誇りに満ちている。全く本心ではなく、寧ろ胸を張るときの枕詞なのだ。はち切れんばかりの胸を不器用に隠しているのだ。首から上で上手く生きていけれる人達を本心から尊敬したり、あこがれてはいない。
結局30分以上立ち話をした。お互い腰痛持ちとは言えない長い立ち話だった。外股が心を開いてくれた日になった。嘗て往復3時間かけてその薬を手に入れていたらしいが、こんな田舎にもあってとても喜んでいたらしい。昔からの薬局がどんどん消えていっている。薬は手に入らない、心の重荷は下ろせない。偉い人達にはこんな庶民のささやかな営みは分からないのだろうな。何処に住んでいても等しくお気に入りの薬局から薬を手に入れる権利はあると思うのだが。「薬」はやはりドラッグと読まずに「くすり」と読みたい。


2009年07月28日(Tue)▲ページの先頭へ
大和先生へ
長い間ご無沙汰しています。何度もお世話になっている○○県の○○○○です。今日は、先生にお礼をお伝えしたかったのでメールを書きました。
 最近、自分の中で病気のことがだんだんとささいな悩みになってきています。もう「病気」という大げさな、危機感のある問題ではなく、「自分は人に比べて少しお腹が弱い」くらいの認識になっています。相変わらず臆病で、好きな人とはまだコンサートや映画に行けない状態だし、特に症状が無くなった、困らなくなった訳ではないのですが、「別に病気って程でもないかなぁ・・・」と思うようになりました。悩んでいなければ会わなかったはずの大和先生やたくさんの素敵な人たちと出会う事ができたこと、人を常識や表面的な事柄で判断しなくなったこと、生きる目標や自分なりの信念を持つことができたこと。人への感謝や優しさを返すことが少しだけどできるようになったこと。本当に良い人を見分けられる目を養えたこと。人との縁を大切にしていれば、お腹のことなんて関係ないと最近思うようになりました。今、私の周りは、本当に優しくて素敵な人ばかりです。いままでは、上手くいかないことを全部病気のせいにしてきて、「治す」ことしか考えていませんでした。治ればすべて上手くいくと思っていました。でも実際、病気は関係なかったです。前に進んでいる○○さんや○○さんに会って、「同じ病気の人間でも、人から逃げて時間の止まっている人ばかりじゃないんだ。人を思いやる気持ちがあって前向きに頑張れる人は、病気であっても人と交わって普通に生きている。私の、自分を卑下して暗くなっていた心、ひねくれた人を拒絶していた心、自分の事ばかり考えて、思いやりすら浮かばない余裕の無さが人を遠ざけていたんだ」と気付きました。今は、高所恐怖症と同じレベルで「将来的に治ればいいかなぁ」ぐらいののんびりした気持ちです。実際、お腹の事で悲しくなることも度々ありますが、これからも、そんな事くらいじゃ人が離れていかないような、素敵な人になりたいです。まとまりのない、長文を読んでくださってありがとうございました。 ○○○○

 これも又一つの完治。自分の回りに強固な壁を築いてそれで人に大切にされたい。いわばそんな状態を作り出していた人。周りの人が変わったのではない。その人が変わった、いや元々とても繊細でガラスの心を持つ人だったが、そのままを晒し受け止めてもらうことでいいんだと気がついてもらえたとき、やっと壁を自分の力で取り壊すことが出来た。回りから差し伸べられた手に自分で手を伸ばすことが出来れば、壁は崩れる。人は信じるに値するものと体験できれば壁は崩れる。多くの人の手を借りて彼女をあるべき世界に戻すことが出来た。これも又嬉しい報告。


2009年07月27日(Mon)▲ページの先頭へ
商品
 シャッターを開け仕事の準備をしていると、一瞬のうちに太陽が照りだした。同時に勇み足以来、なりを潜めていた蝉たちが一斉に甲高く鳴き始めた。繰り返される豪雨のニュースに同情を禁じ得なかったから、太陽の出現は嬉しかった。水曜日にはもう天気が崩れると言う予報だから、この2日間で少しでも土が乾いてほしい。
悲惨さは想像力がないと伝わらない。いくら平面画像を音付きで見ても、何分の一も伝わらない。現場では恐怖は皮膚を通して感じ、心臓は破裂するくらい痙攣する。死の予感無くして同じ土俵には所詮立てない。
 海が持ち上がって陸を池にし、僕は母と高台に逃げた。夜が明けて帰ってくると家の中はまるで爆弾が破裂したかのように家具が散乱していた。しかし海の水はそんなに汚くはない。沢山の方に手伝ってもらったが、復旧はさほど困難ではなかった。ところが山口や九州の被害はそんな生やさしいものではない。あの重い土が覆い被さって逃げることも出来ずに苦しかっただろうなと、それこそ言葉もない。又家々は、爆弾が破裂したどころではなく、爆撃されたも同然の破壊のされようだ。あれを田舎に残された老人がどうして復旧できようか。ただただ途方に暮れるしかないのではないか。行政の、又地域の仲間達の援助無くして復活できるはずがない。スコップ1杯の泥を運び出すだけで、何回背伸びしなければならないだろう。偉い人達は、人が通らない道など造ってくれなくてもいい。こんな時に一杯お金を使ってもらえれば、庶民も納得する。
 日本地図に52万カ所の印を付ければ、印だけで埋まってしまう。「もう集団移転するしかないよねと」といつもの馬鹿が言う。安全な所にいて高給を取っておもしろおかしく視聴率を上げればいい奴らにとって、不幸はこの上ない商品なのだ。ブラウン管から泥の臭いは伝わらない。


2009年07月26日(Sun)▲ページの先頭へ
大嘘
 ふらっとやってきてくれた。久しぶりだ。決して忘れているわけではないが、もう患者さんではないから普段は気にはならない。
 別に嘘をついたわけではない。事実を正直に話しただけだ。結果的には大嘘だったが人生を救った嘘だ。まあ、本人も笑って許してくれたのだからいいだろう。
母親と二人が涙する姿が印象的だった。一目で優しいよい子だってことは分かった。インターネットで僕を捜したらしいが、県内ってことが幸いした。2週間分ずつ薬を取りに来るたびに一杯話をした。高校はなんとか卒業したらしいが、先生になる夢は諦めた。フリーターみたいなことを数年していたのだろう。過敏性腸症候群(緊張するとお腹が鳴る、お腹が張って苦しい、残便感がありトイレばっかり行く、げっぷ、ガスがお腹を移動して苦しい、レントゲンで胃の空気が人の倍ある)で出来ないことばかりだった。青年期にするべきことをほとんどしていなかった。
漢方薬を作るときに、僕は現場で治る、現場でしか治らないと言っていた。漢方薬を飲み始めてまず、空気がお腹の中を移動するのを感じなくなった。その次にはげっぷが異常に出ていたのが治った。そして何回もトイレに行かなければならないのが減ってきた頃、友達3人と車で四国まで買い物に行った。又美容院にも行けた。次なる現場は映画と静かな図書館だったが、それも次第に克服できた。すると彼女が自分で医療系の専門学校に行ってみたいと言ってきた。僕が誘導したのではないからこれには驚いたし、とても嬉しかった。青春期を失意のうちに過ごしている若い女性が失った時間を取り戻そうと決意した瞬間だ。最も不安な場所に戻っていこうとするのだから並大抵の勇気ではいけない。僕は、勇気を振り絞っている彼女を安心させたかった。大学の実像を知らずに、勝手に想像して不安がっているから僕の体験を教えてあげたのだ。そうすれば如何に高校までとは違って自由なのかが分かり、ハードルが低くなると思ったから。僕のありのままを教えれば誰だって大学になんて簡単にいける。
 僕の学生時代は単調な生活だったから、説明も簡単だ。昼前に起きて学校に行き、110円の定食を食べ 、劣等生同志、食堂で煙草を吹かしながらくだらない話をする。その後バスで柳ヶ瀬に行き、パチンコ屋に入る。もうかれば喫茶店でコーヒー1杯で2時間ねばり、負ければうなだれてアパートに帰り、麻雀をしながらくだらない話で夜明け近くまで過ごす。授業はたまに出て、出席の返事だけして教室を抜け出す。試験前になると過去問だけ丸覚えする。あたれば幸運、はずれれば潔く諦める。滅多あたなかったから5年かかったが、今思えば5年は出来すぎだ。幸運としか言いようがない。
 ざっとこんな説明をした。要は、大学なんて遊びに行くようなものだから、気楽にいけってことだ。幻想を抱いて高校の延長みたいに考えるなってことを言いたかったのだ。彼女はかなり気が楽になってよく勉強し合格してしまった。ところがこれが実は大嘘だったのだ。僕は医療系の専門学校がそんなに勉強しなければならないとは知らなかった。席は指定されギュウギュウ詰め。時間は90分授業。それが1日何コマかある。宿題は多いし、試験もしばしば。それでも彼女は大丈夫だった。スリムで冷え性で体力には恵まれていないが、よく勉強した。失ったものを少しずつ取り返し、友人が出来、帰りが遅くなったら泊めてもらったりし始めた。あげくは彼氏まで出来た。そうして僕の漢方薬と縁が完全に切れた。
ふらっと寄って、学生生活のことを教えてくれた。専門学校というものの実体はそうなのかと認識を新たにした。もう1年半で、彼女は医療の現場に出る。なんて素晴らしいことだろう。彼女は僕の大嘘には驚いたらしいが、「先生が現場でしか治らないと何度も言っていたのが良く分かります」と言った。今では120分授業もあり、一番前の席になっても、お腹のことなんか全く考えないらしい。それよりも授業のことで必死ならしいのだ。お腹のことなんかに構っておれないとも言っていた。「人生で一番大切なのはお腹ではないものね」と僕も答えたが、まさにその通りだ。お腹を治すために一生を捧げるのではない。やりたいことに邁進すること。それにつきるのだ。お腹を治すことは唯一その為なのだ。
 僕の時代の事実は、現代では嘘になっているのかもしれないが、一人の素敵な女性の人生をその嘘が救えた。ちなみに当時の劣等生仲間は現在では、医者もいるし歯医者もいるし製薬会社の学術部長もいるし、薬局の経営者もいるし、あの頃を未だ引きずってロマンチックに生きている人もいる。恐らくみんなそれなりに社会に居場所を見つけて何とかやっているのだろう。劣るってなんて素敵なのだろうと最近しばしば思う。優った経験をしていないから分からないが、劣りっぱなしってなんて気が楽なのだろう。最終的には全てを失うのだから守りたいほど持たないことだ。特に心はやたら飾ろうとしないのが楽。


2009年07月25日(Sat)▲ページの先頭へ
恩人
 これも時効。
 僕が卒業した薬科大学特有のものか、何処の大学でもあるものか分からないが、それはいつか確かめておきたい気もする。悩み多きあの頃だったが、それはどうあがいても越えられる壁とは思わなかったから。
 廊下に沢山の生薬がケースに入れられ整然と並べられている。その一つ一つには当然、名前が付いていて成分は同定され、薬効も確かめられている。名前と言っても、日本語は勿論、英語、ラテン語の呼び方があり、化学式はいわゆる亀の甲で現される。
 3年生の時だったのだろうか、生薬の鑑定試験というのがあった。助手が数ある生薬の中からアットランダムに選び出し、学生に質問するのだ。まずそれが何という生薬か覚えなければならない。種の起源も言えなければならなかったような気もする。呼び名も3カ国語で言えなければならないし、主成分を構造式で書けなければならない。又どの様な働きがあるのかも言えなければならない。僕はその課題を発表されたとき、早々とブロッキングが起きてしまった。一瞬にして「到底無理」と判断した。何日も前から休み時間になると、学生はその廊下に集まって、懸命に覚えていた。ブロッキングが起きてもやはり試験は受けなければならないし、必ず乗り越えなければならないので、仕方なしに何度か足を運んだけれど結局はほとんど覚えられなかった。
案の定、試験の日、1問も答えられなかった。何日かおいて再試験があるのだが、せっぱ詰まってもほとんど覚えることは出来なかった。これも当然合格しないと留年だ。再試験の日も、助手のピックアップする生薬は全く分からなかった。僕は助手に向かって「絶対無理、永久に覚えられない。留年しても構わない」と言った。すると助手は困った顔をして「大和さん、どれなら分かるの?」と尋ねてくれた。これには驚いた。僕が覚えることが出来たのはほんの数種類だけで、かろうじて覚えているものを言うと「それならそれでいいです」と言ってそれを問題にしてくれた。かくして僕は助手の温情で留年、いや永久に卒業できない状態を免れた。結局他の多くの科目の欠点で留年したのだが。
 その助手は年齢は僕と余り変わらなかったのではないかと思う。記憶によると岐阜女子短大を卒業して薬科大学に就職していた人ではなかったか。とても愛くるしい顔をして男子学生に人気があった。髪を胸まで垂らし、どう見ても勉強をするようには見えない僕に同情してくれたのかどうか分からないが、今では隠れた恩人だ。
 僕の得意技。あきらめの早さ。


2009年07月24日(Fri)▲ページの先頭へ
脱水症状
 「ちょっと座らせてもらってもいい?」と言って、母はその場にしゃがみ込んだ。昼過ぎにやってきてから休憩をとらずに4時間くらい雑用をこなしてくれていた。その日に限って全員が忙しく、3時の休憩もなかった。僕も今日はコーヒーもなしなんだと思いながら仕事をしていた。
階段の上がり口に寄り添うように身体を預けそのまま動かなかった。なんとか口は利けるのでいつから調子悪くなったと尋ねると「今」と答えた。僕はその答えで恐らく脱水症状だと思って、商品の経口保水液を飲めるだけ飲むように言った。力を振り絞って母は少しずつ口に含み飲み込んだ。次第に飲める量が増えていった。結局は、300ccくらいは飲んだろうか。次第に体調を回復し15分くらいたてば元気になって自分で歩き始めた。念のため大事をとって早く帰っていったが、その後夕食も食べ皆既日食のテレビをずっと見ていた。
 僕も数年前同じ経験をしたことがある。真夏のバレーボールは極端な言い方をすると、ワンプレー毎に水分を補給しないといけないくらい汗をかく。水分補給とタオルでの汗拭きを交互にする。僕はアタッカーだったのでネットにタオルを掛け支柱の傍にペットボトルをおいていた。どちらも田舎の体育館では必需品なのだ。
 その日僕はある会合でビールを飲んだ。その後体育館に行きバレーを始めたのだが、ある瞬間を境に身体が異変を起こしたことに気がついた。医学用語で脱水症状を説明している言葉では表現できない異常さだった。強いて言うなら、動悸、息苦しさ、倒れそう、頭が悪いなどの異常感が一瞬にして押し寄せたって感じだ。恐らく1秒の差で、さっきまでの元気がなくなって、身体が狂った状態になった。やっとの事で水道があるところまで行って、水をがぶ飲みした。その日に限ってペットボトルを忘れていたのだ。普段ならそれでも1セットくらい水無しでも我慢すれば持つのだが、ビールを飲んでいた分利尿作用が働いて、水分の蓄えが少なかったのだと思う。それで一気に脱水症状まで行ってしまったのだ。
この1秒の差をその時に体感していたので、今回母の不調の原因をすぐに思いついた。
その日がかなり蒸し暑かったことも常に感じていたし、今日はお茶の時間がないのも頭にあったから、総合的に思いついたのだと思うが幸運だった。その10数分の不快だけですんで良かった。働き者の母は昨日今日とペットボトル持参で働きに来ている。いくら説明しても「そんなに喉は渇かない」と言って水分補給の大切さを理解しづらいみたいだが、有無も言わさず飲んでもらうしか仕方がない。
 押さえれば水が噴き出してきそうな若者と違って、中年以降は保水能力は格段に低い。みずみずしさを失うのは心ばかりではなく、肉体も同じだ。かさかさの肌、かさかさの心、かさかさの人間関係。水に流そうにも水がないのだから救いようがない。


2009年07月23日(Thu)▲ページの先頭へ
市場経済
 漢方の大先輩の訃報が届いた。岡山県の女性薬剤師の先駆けとしても活躍されていた。僕が漢方薬と出会った頃にはもうすっかり有名で、岡山県一の繁華街に立地していたこともあって、経済的に豊かな人達が多く頼ってこられていたという噂だった。
 数年前高齢を理由に薬局を閉じられたが、それでもなお勉強会には来ていた。なんて言う熱心さだろうと感心するばかりだった。薬局を閉じてから何人かが僕を頼ってこられたが、勿論処方はしっかりしているし、値段もすこぶる良心的で誰でも飲める金額だった。立地に左右されず真心を尽くして薬剤師としての誇りを持って仕事をしていただけなのだ。誇り高い人だったから、困っている方を心からお手伝いしたかったに違いない。良くはやっていたからやっかみが働いて先ほどのような風評が立ったのだろう。同業者だからどの様なスタンスに立って仕事をしているかくらいすぐ分かる。同業者から良い評判を得られるようになれば大したものだが、それは往々にして至難の業だ。
どんどん漢方を勉強していた先陣達が亡くなる。僕より下の世代はほとんどいない。長い間日本の漢方を支えていた薬局漢方は、後継者を作ることが出来ずにいずれ近いうちに幕を降ろすだろう。ほとんどの薬剤師が処方箋を介して医療に携わるようになったから、漢方薬みたいなアナログには縁がない。寧ろ現在では、医学部で少しだけ漢方薬を教えるから、医者の方がこれからは漢方薬と縁が出来る人が増えるだろう。若い医者は少なくとも誰でもある程度は漢方の知識を持っていることになる。ただよほど好きでないと忙しい診察の間を縫って勉強することは出来ない。どうしても2軍的な治療になってしまう。その為に、のんびりと、その人の生活の中にまで招かれるような治療が施されるかどうかは疑問だ。
どんな薬局が世の中で必要とされているのか僕には分からない。企業ならマーケティングをしっかりしてそれに邁進するのだろうが、僕レベルだとそんな気はさらさら無いし、出来るわけもない。せいぜい、何が出来るかを問いつめる方が実現性を持っている。何が必要ではなく、何が出来るかなどと言うと敵前逃亡みたいだが、もうとっくに逃げ出している。市場経済から大きくはじき飛ばされて、私情経済で何とか居場所を与えられている。いやいや、このやる気の無さは最早、至情軽罪の域に達しているのかもしれない。


2009年07月22日(Wed)▲ページの先頭へ
あがた森魚
 多くの力を与えられている人達の集団に向かって、又ここに帰って頂くのが願いなどと言うお涙頂戴の下手な芝居を見た。ここに帰って、又思いっきり居心地の良さを楽しみたいのだろう。その居心地の良さは、生き心地の悪さを味わわされている人達のため息の代償だ。
 精一杯なのに池に水は満たない。雨も避けて降る。モグラが巣くい堤防も穴だらけ。干上がった湖底から町役場の亡霊が顔を出す。毎度おなじみの光景は、最早人の心を打つこともなく、一人芝居の幕引きもなく、肉体をそして精神までも枯渇させる。
 湖底に湧く水もなく、山からおこぼれも届かない。水を蓄えることも出来なければ魚は泳がないし獣は近寄らない。鳥でさえ素通りだ。孤立は池から池を奪い池と呼ばれることもなく、人格のない孤独を強いる。人様の役に立とうとそこにいるが、そこには人も近づかず笑顔を忘れた枯れ草が草笛になることもなく直立する。枯れてまで生一本とはなんて過酷なことだ。大根役者は溢れんばかりのおひねりをもらい今夜も緞帳の中で飲めや歌えの大騒ぎ。泣けば1食食えるのか、泣けば布団で寝れるのか。お涙頂戴ありがとう。あがた森魚。


2009年07月21日(Tue)▲ページの先頭へ
勇み足
 数日前の朝、何人かの人が「蝉が今日から鳴き出した」と話した。その日は一気に気温が上がって、太陽が満開で夏本番の幕開けのような日だった。蝉もそれを感じたのだろう、暑さを呼んでくるようにけたたましく鳴き続けた。
ところが流氷初日ではないが、その日を境に・・・ではなく、その日だけで泣き声が消えた。蝉が何故鳴くのか知らないように、何故鳴かないのかも分からない。太陽の光りが容赦なく降り注ぎ、空気を燃やし、気温を上昇させれば鳴くのか。この数日そのどの要素も満たされていない。
 蝉にも勇み足というものがあるのだろうか。それとも自然にちょっといたずらをされたのか、それとも懐に入るべき自然がちょっとリズムを狂わせているのか。息をひそめている蝉では格好にならない。出来ればうるさいほど鳴かせてあげたい。田舎は夏の勢いを蝉の鳴き声で計るのだからちょっとくらい大目に見る。
 だが、蝉の勇み足くらい可愛いものだ。夏が少しばかりお預けになるだけだから、体温を過度に蓄えないようによだれを垂らして待っていればいい。ところが人間の場合は違う。過去にはえらい人の勇み足で庶民が鬼にもなった。現代では勇み足の連続で落ちていく人に歯止めがかからなくなった。抜き足、差し足もだめ、勇み足もだめ。やはり足はどっしりと踏みとどまるべきものでなければ。




2009年07月20日(Mon)▲ページの先頭へ
錯覚
○○ちゃんへ
 僕の青春時代のつまずきは、大いなる錯覚が始まりでした。僕は自分で福山雅治みたいな格好良い青年でみんなが注目していると思っていました。ところがそれは単なる思い込みで、何年か前、高校2年生の同級生に僕のことを聞いたら、ほとんど印象がなかったと教えてくれました。僕にとっては、魔の高2だったのですが。その思い込みを何十年も抱えてしまい、かなり自分の人生を制約してしまいました。
 最近になってあなたのような、いや嘗ての僕みたいな人の世話を多くするようになって、如何に人が他人に対して無関心かよく分かりました。残念ながら、自分に関心を持っているのは自分だけなのです。僕みたいな醜い青年でもまるでスターのように人の眼を気にするのが青春です。
 生産的なことにその心が向かえば何か頑張る理由になるのですが、僕は残念ながら鏡とにらめっこして悦にいっていましたから、何も得ることはありませんでした。ナルシシズムは自由に好きなことをすることを邪魔してくれただけです。不自由を手に入れただけです。
 青春のつまずきと僕は呼んでいますが、大なり小なり青春期には誰にも起こりうることではないでしょうか。あなたも落とし穴に落ちたことを悔やまないでください、必ず脱出できますから。○○のこと、と言うより、会場でのことが心配みたいですね。でも大丈夫ですよ。あなたの周りの人もあなたと同じ心配を持って会場に来ています。勇気がある人なんていないと思ってください。あなたが心配していることはほとんどの人も心配し、あなたが気にならないことは、ほとんどの方が気にならないのです。僕が長い間、多くの人と接して得た結論です。この結論を持って僕はあの頃の僕に会いに行きたいです。そして教えてあげたい、「みんな一緒なんだよ」と。そうすればあの頃のうぬぼれた僕でさえ、「ああ、僕の気の弱さは普通なんだ、みんな怯えながら臆病に生きているんだ」と思えたでしょう。強がったりする必要はなかったのです。寂しがり屋でうだつの上がらない青年で良かったのです。確かに今だから言えることです。でもこのことを早く誰かに言ってもらっていれば、あんなに無駄な苦しみを抱えて生きていく必要はなかった筈です。しかし今となっては、僕が40年近く前落とし穴に落ちたことが○○ちゃんの役に立てればそれでよいのです。そうすれば僕の青春を恨むこともありませんから。
 でも最近鏡を見ながらつくづく思うのです。「どちらかというとオダギリジョーかな?」と。
ヤマト薬局


2009年07月19日(Sun)▲ページの先頭へ
軽業師
 母方の祖父は、僕が学生の頃亡くなった。亡くなったことの連絡は受けたが、帰ってこなくても良いとのことで葬式にも出なかった。20年以上付き合ったことになるが僕の頭に浮かぶ顔かたちはただ一つだ。20年の間、長い休みには必ず母の里に長期に預かってもらっていたから、70歳から90歳までの祖父を見ているのだが、当然記憶にあるのは90歳に近い最後の頃の顔だ。
 今日病院に叔母を見舞いに行ったときに面白い話を聞いた。おじいさんから聞いた話だと言って教えてくれた。実は祖父は妊娠7ヶ月で生まれたらしい。明治時代にそれだけ早く生まれると生き残れるかどうか分からなくて、役所に届けをしなかったらしい。どうなるか分からないから、生きれるかどうか様子を見てみようと言うことになったらしい。1年たって、元気に育ちそうなことが分かって初めて届け出をしたらしい。何とも、おおらかなことだ。命はやはり授かるものだったのだろう。祖父はそれでもそのことが気になったらしく、近所の同級生の名前を挙げて、「ワシの方が1歳おおきんじゃ」と拘っていたらしい。腕の良い大工の棟梁だったらしくて多くの家々を建てたが、そんなことで意地を張っていたのかと思うと余計親近感が増す。僕ら孫達は宝物のように大切にされたような気がする。
叔母が「今の時代だったら損をする」と言った。真意が分からなかったが「年金をもらうのが1年遅れるから」と続けてやっと分かった。ほんわかとした明治の空気から一気に平成に戻された。明治も大正も戦前も知らないが、時代の進歩と共に世知辛くなっていることは確かだ。貧しくとも楽しくなんて軽業師のようには生きていけない。


2009年07月18日(Sat)▲ページの先頭へ
 幼いときから川は北から南に流れるものとばかり思っていたから、その逆はなかなかイメージできない。山陽で育ち、学生時代も、その後も主に移動するのは表日本だったから、何処に行っても一級河川は線路と直角に流れ南に下っていた。滅多に訪ねたことはないが
北陸や山陰に向かうときに、頭の中で確認しなければ川が北に向かって流れていることを理解することは出来なかった。
幼いときから金は上から下に流れるものとばかり思っていたから、その逆はなかなかイメージできない。子沢山の家で育ち学生時代は倹約を通り越して、しけモクで空腹を紛らわせていた。おかげで体は壊したが心は壊さなくてすんだ。当時得た価値観を後生大事に抱えているが、それがあるから判断がぶれなくてすむ。川上にいくら財を築いても、流れ下るまでの護岸の風景を丸ごと買うなんてできやしない。喜びや悲しみが織りなす風景を円やドルでは語れない。
幼いときから評価は正当にされると思っていたから、コツコツと努力したり、人の眼に触れぬところで懸命を尽くせばいいと思っていたが、まるで俳優のように虚構で身を固め私欲に突っ走る輩の方が幸せを掴むとはイメージできなかった。夢とか希望とか生き甲斐とか、口に出すこともはばかれる人々が、下流でヘドロのように沈殿する。
 いつか川が東西に流れ、富める人が多くを与え、苦しむ人が多くを得る町を歩いてみたい。


2009年07月17日(Fri)▲ページの先頭へ
現場
 何で惹かれるのか自分でも良く分からないのだが、湾岸警察という映画を再びテレビで見た。何年か前同じようにテレビで見ているのだが、自分では珍しく同じものを再び見るという行為に抵抗がないのだ。ウォーターボーイズの監督の一連の作品も同じように何度も見れる。どこにでもいる、いやどちらかと言えば劣っている部類に入る人達の成功物語が好きなのだろう。そこに嘗ての自分を投影しているのか、あるいは田舎で育つこの町の子供達を重ねているのか分からないが、力を合わせてやり遂げる物語が好きだ。映画ファンが好きな映画を何回でも見て味わいをその都度深めていくのと、おこがましいが似ているのかもしれない。
初めて見たときに印象に残った言葉がある。パトカーのマイクを握りながら織田裕二が「事件は現場で起きているんだ」と上司に向かって叫ぶ場面でのせりふだ。この言葉をそれ以来僕は多用した。過敏性腸症候群やパニック障害の方に漢方薬を作るたびに、少しずつ現場を増やしていくようにお願いしたのだ。いくら体調を整え、気力を増しても、自分の部屋で治っているのでは意味がない。社会生活に支障が無くなるのが完治だと思っているから、自分が一番苦手な場所を克服しなければならない。だから僕の漢方薬を飲みながら少しずつ現場に出ていくことを勧めた。人それぞれにスピードは違うが、挑戦しながら完治を勝ち取った人も多い。治ったら何でもするのではなく、治しながら何でもしよう。これが僕たちの合い言葉だった。
 前回見た時は恐らく聞き逃していたのだろう、いかりや長介が織田裕二に小さな声で「被害者の身になって捜査しろ」と背中から声を掛けた。そのせりふを聞いたとき、被害者という言葉をすぐある言葉に置き換えた。年齢と共に自分でも多くの不調を抱えてきて、辛さを実感できるものは増えてきたのだが、さすがに全ての不調を経験できるものではない。若いときにはそれなりに元気だったから、想像は出来ても実感はなかった。今は実感を持って同情できるがさすがに全てのトラブルに対してではない。自分の不調を、頼ってきてくださる人の不調に重ね合わせて、自分の苦しみを解放するが如く精一杯の努力をしなければならない。その努力に少しの差があってはいけないのだ。そんなことを想いながら作者の意図を確かめていた。
 主役だけが名言を吐くのではない。実社会も同じだ。踏みつぶされたアルミ缶からでも真実を突いた言葉は漏れてくる。









2009年07月16日(Thu)▲ページの先頭へ
厚顔
 毎日毎日面の皮の厚い人間ばかりを見さされるので、この国の人達の顔に魅力を感じなくなる。色々な分野を代表する人しかクローズアップされないので、色々な分野を陰で支えている人達の顔が見えない。厚顔はブラウン管からはみ出して醜い。
ほんの小さな褒め言葉にも顔を赤くして照れる。上手く生きることは苦手でも正直に生きる。上手く話すことは苦手でも言葉で傷つけることはしない。着飾ることは苦手でもものは大切にする。想いの何分の一も表現できない。そんな人の手で食べ物は口に入り、命は養われる。
 昨夜、薬局を閉める直前に入ってきたお母さんと、結局1時間半くらい立ち話をした。腰も首も苦痛だったが、堰を切ったように喋り続けるお母さんの心が全て放流されるまで僕は話を聞き続けた。およそ期待とはかけ離れたところにお子さんは漂着したのだろうが、葛藤は親自身も成長させ、外に漏れ伝えられるよりははるかに熟成された人間関係を築いていた。
 生きづらい世に生まれてしまったのだと思う。その繊細さの巡り合わせこそが、最も生産的で最も平和的で、最も尊敬される時代でなかったってことだ。ただそれだけのことなのだ。多くの芸術家が繊細故に作品を作り出せれたように、誰もが自分の手に届くところに、自分の頭の中に作品を創っているのだ。誰が優れて誰が劣っていよう。体の良い物差しなんか折ってしまえ。体の良い計りなど壊してしまえ。計り知れないものとは、そもそも計ってはいけないものなのだ





2009年07月15日(Wed)▲ページの先頭へ
くわばらくわばら
 知らなくてもいいが、知っておくと少しだけ心が満たされた感覚に浸れる。別にそれが役に立たなくても、何かの得をもたらさなくてもいい。知識とはその様なものかもしれない。実利性がないからかもしれないが、僕の周辺知識はまるで貧弱で、ある分野だけに極端に偏ってしまっている。いや偏っているのではなく他の部分がほとんど抜け落ちていると言った方が正確だろう。
「くわばらくわばら」。何時を最後に口に出したのか定かではないが、必ず口にしている。記憶になくてもその事は断言できる。この語感は子供時代を思い起こす親しみがある懐かしい響きだ。
 学問の神様として知られる菅原道真は政治的な謀略によって太宰府に左遷され悲嘆のうちに亡くなった。その後平安の都では疫病が流行し落雷や火災が相次いだことから、道真公の怨霊の祟りだと恐れられた。道真公の領地だった桑原だけが雷が落ちないという言い伝えが生まれ、それ以来人々は雷が鳴り出すと「桑原、桑原」と呪文を唱えるようになったらしい。時の天皇が、北野に霊廟を建て、天満大自在天としてその霊を慰めたのが現在の北野天満宮らしい。
漢方薬の情報誌を読んでいたらこんな文章を見つけた。息抜きに挿入してくれたのだろうが、この息抜きの方を寧ろ読みたくなるのが僕の常で、およそ学校で習ったことで記憶にあるのは、ちょっとした先生の人生論だったような気がする。でも恐らく先生方も萎縮していたのだろう、本当に人生を変えるような言葉をついぞ聞かなかった。大人の彼らは一杯語るべき言葉を持っていたに違いないのだが。
 一つの言葉に隠された逸話にロマンも感じるが、結構簡単な発想で出来た言葉も多いのだと逆も詮索してしまう。今の女子高校生の言葉遊びも1000年の時を経てロマンを秘めた言葉に昇格しているかもしれない。
 ところで僕は「くわばらくわばら」は吉本新喜劇の桑原和男のことかと思っていた。


2009年07月14日(Tue)▲ページの先頭へ
牛窓北小学校
 今年度最後の学校保健委員会の集まりは、牛窓北小学校だった。養護の先生が場の雰囲気を和らげようとして、自己紹介の時に自分の好きな動物を紹介するように提案した。なかなか面白いアイデアで、自己紹介といえども自分の名前しか言わないのが一般的だが、さすがにそれにまつわるちょっとしたエピソードを各々が付け加えていた。犬とか猫の常連組に加えて、熱帯魚なども上がっていたが、嫌いな人や、アレルギーで触れない人もいて、なかなか最初から盛り上がった。珍しいことだ。北小学校は農村の面影を色濃く残していて、共同体意識が牛窓の中でも強いところだ。そう言った父兄の連帯感もあって、先生の狙いは的中した。自ずとその後の議事進行なども発言が多くあって、有意義だったと思う。
僕は今年も小中4校を回ったが、意識的に何処の学校でも訴えたことがある。それは僕の長年の疑問を解いてくれる新聞記事に遭遇して、どうしてもその解決した内容を学校や父兄に伝えたかったからだ。
 ある学者の考察だが、準引きこもり(準ひきこ森という本になっているらしい)と言う概念を提案していてくれたことだ。完全な引きこもりではなく、学校などには行けるのだが、そこでコミュニケーションが旨くとれないと言うのだ。一杯思いを持っているのに旨く表現できないと言う理由だけで、変わっているなどととんでもないレッテルを貼られ、自分の世界に閉じこもって身を守っている人達のことだ。そう言った人は、進学とか就職とかで新しい環境に入ったときに、旨くとけ込むことが苦手で、仲間との摩擦を自分が辞めることで解決する傾向があるというのだ。いやな人間関係で苦労するより、自分の世界にこもった方が楽だからだ。
 実はこの範疇に入る人達と一杯僕は漢方薬を媒体として知り合っている。そしてその全員が多くの想いを持っていて、多くの言葉を持っていて、それを旨くあらわせれないことで、自分の行動を必要以上に制御していることを知っている。感受性が豊でも表現しないと孤立してしまうことを知っている。能力があるのに、それを発揮する場を与えられなかったことも知っている。とても真面目に、生きているのに、評価が低いことも知っている。僕はその学者が提案している解決方法を、先生方にお願いした。何処の学校も真剣に聞いてくれた。ある学校では先生が追いかけてきて、実は自分の息子もその通りなのだとうち明けてくれた。
 僕は悔しくて残念なのだ。毎日多くの青年や親と言葉を交わし、メールを交換するが、世の価値観が華やかなものを良しとする風潮が強くなりすぎて、質素とか、謙遜とか、物静かとか、奥ゆかしさなどと言う身につけるには難しいものほど評価されていないことが。僕に何が出来るか分からない。体力もないし、寛容の力もない。ただ職業的に訓練された聞く耳が少しだけある。有意義な提案や援助は出来ないが、漢方薬に添える言葉もある。親と同じくらいな年齢の友人になれる。彼ら彼女らの精神年齢の高さと、僕の精神年齢の低さが丁度旨く交錯する。
 自己紹介で僕が答えたのは「え〜、僕が好きな動物は、綾瀬はるかです。去年までは伊藤美咲でした」


2009年07月13日(Mon)▲ページの先頭へ
おこぼれ
 長い間いい目をし続けた人達も、置き去りにされるようになった。いい目が一部の人達に限られるようになり、おこぼれが回ってこなくなった。もともといい目をしてこなかった人達もそれなりに何とかおこぼれの片鱗みたいなものが回ってきていたから、無関心でニヒルを気取っていれば良かったが、そのニヒルが自分の首を絞めた。その首の絞め方が段々強くなり、息苦しくなり始めた。そこでやっと気がついた。もうこれ以上絞めないでと。自分の回りに実例が続々と現れるようになった。他人事ではなくなったのだ。自分より下がいると思って何とか慰めていたものが、自分より下がそんなにいないことに気がついて慌てたのだ。いつの間にか自分がその下に吸収されていることに気がついたのだ。財布の中を攻められてやっと気がついた。財布以外に多くの価値あるものや尊厳を奪われているのにそれには気がつかない。痛みを伴わないものには鈍感だ。
 おこぼれに預かれなくなった人達がほんの少し抵抗した。価値観が変わったわけではない。財布の中が寂しくなっただけなのだ。信仰を口にして銃で撃たれ、正義を口にして幽閉され、1日100円以下で暮らしている人達の苦しみはやはり分からないままなのだ。必要のないものまでを遠くまで買いに行ける、まだそのような余力はあるのだ。余力が残っている分、開きかけた目は又閉じる可能性を持っている。何が得か、何が損か、そのレベルでの判断なのだ。ちょっとおこぼれが増えれば又容易に魂を売るのだ。
 流れる川に身を委ねて筏の上で眠れる日はもう来ない。


2009年07月12日(Sun)▲ページの先頭へ
池釣り
 県道沿いに数個の池がある。大きなものから小さなものまで、石を投げれば水面に落ちる大きさのところもあるし、簡単に正面の土手をこしてしまう小さなものもある。山の木々が水面を深い緑に染めている。梅雨明けを待ち構えている空は、強烈な紫外線を3割引きらいで地上に届けている。池の側のちょっとした空き地に器用に車を止め、あるいは数台の自転車を止め、若者が竿を垂らしている。毎週玉野に行くときに見る光景だが、さすがに今日のように太陽が発憤しているときは、その下で何時間も頑張る若者の忍耐と体力を賞賛したくなる。
 もっとも、友人との釣りは忍耐も体力もいらないのかもしれない。紫外線は僕らの年齢になるとハッキリ体に悪いものと認識できるようになるが、さすがに生命力溢れる世代にとっては、若干の遺伝子の傷つきくらいあっという間に治してしまうのだろう。それよりもくだらないおしゃべりは友情を増すし、今か今かと引きを待つスリルも何にも代えられない楽しみなのだろう。あの場所では、ヤブ蚊はぶんぶんと飛び回り、時に蜂も偵察に現れ、運が悪ければ蛇にも遭遇しそうに思うのだが、もうすでに今から焼けた肌には関係ないのだろう。
 何故か池には若者の釣り人が似合う。海岸沿いの牛窓では、岸壁から釣り竿を何本も垂らす中高年の人や、係留している釣り船に早朝から仲間と乗り込む中高年達を目撃する機会が多い。まさか池で修行してその後海に出るのではないだろうが、異なる光景に何故か興味をそそられる。


2009年07月11日(Sat)▲ページの先頭へ
マイケルジャクソン
 娘が赤ちゃんを脱しようとしていた頃だからもう20年以上前のことだが、牛窓に流入してきた若い人達と「ウイアーザワールド」を歌ったことがある。何かの祭りの余興だったような気がする。マイケルジャクソンとの接点はそれだけだ。後は醜聞に近いような内容ばかりをマスコミで眼にしていただけだ。
彼が死んでから、やたらテレビで報道されたから少しだけ知識を得た。僕が思ったのは、彼の回りにオノヨーコみたいな東洋の女性がいれば良かったのにと言うことだ。西洋人にはなかなかなじみのない「おくゆかしさ」を身につけている人が傍にいたら、少しは癒されていたのではないか。お金だけが拠り所で、お金だけが解決するもので、お金だけが媒体では、全てが空しいだろう。膨張や拡大をよしとし主張ばかりで生き抜いている人間には、言葉にならない微笑みが必要だ。理論に成長しない言葉が必要だ。自分を律し、先を譲る寛容が必要だ。
リハーサルの映像を見てその軽やかなステップには驚いた。およそあのようなリズミカルな軽やかな身のこなしを見たことがない。特にステップを踏みながら回転するシーンは圧巻だった。多くの人が復活公演を楽しみにしていたのが良く分かる。実際に会場で目の当たりにすれば幸せになれるのだろう。エンターテイメントとはそう言ったものなのだろう。あまりにも縁がなくて知らなさすぎたが、惜しい人を亡くしたと言うコメントには納得できる。
 あの回転のシーンを真似てやってみたが、ダンスと言うより、壊れかけた機動戦士ガンダムに近かったかもしれない。やはりプロはすごい。でもそれを真似ようとした僕もまだまだ。


2009年07月10日(Fri)▲ページの先頭へ
高空王子
 新しい車を買うとお金を補助してくれるらしい。この暑さで車のクーラーが利かないからディーラーに修理を頼んだらそう言われた。僕のはもう何年めになるのか分からないような古い車だから特に援助幅が大きいらしい。僕が車を選ぶ基準は唯一安全性。だから無駄な装備はいっさいいらないから、分厚い鉄板を使用しているものを選ぶ。まだ充分動くから廃棄する気にはなれない。使えるものを捨てるような教育は幼いときから受けていない。    
 意図が見え見えの景気誘導策にエコという冠をつけるから、エコが急に卑しいものに成り下がった。コに点々を付けた方が余程納得がいく。大企業は税金で救われ、庶民は税金で泣かされる。何時代か分からないように生かさず殺さずの微妙なバランスを強要されている。地上400メートルのロープの上を命綱なしで1時間以上かかって渡ったウイグルの高空王子と呼ばれる人がいるが、この国では毎日が綱渡りの人が何百万人もいる。国が大盤振る舞いをして買わそうとしている車1台分の年収も、貯金もないひとが一杯いる。本当はその人達の精神的、経済的な拠り所としてお金は使われるべきではなかったか。巨万の富を手にしている人達のちょっとした赤字を救い、あんまんか肉まんしか食べれない人が救われないのは割り切れない。


2009年07月09日(Thu)▲ページの先頭へ
怖い話
 どちらの先生も小学生の頃、お父さんから勉強をするように注意されていたことに驚いた。僕だけ全く干渉された記憶がないから、この辺りの差が今の職業の差になっているのだろうかと・・・・考えなかった。
内科医と歯科医と僕とで学校保健委員会というものに出席した。養護教諭が学校保健について報告してくれるのだが、田舎の小学校はほぼ問題はない。集計されたアンケートによると家で勉強する時間が結構短いから、塾に行って勉強している時間はこれに含まれていないのと質問したら、ほとんどの児童がそもそも塾に行っていないと言う。想わず僕の口から出てきたのは「健全」だった。
 僕らの幼い頃と現代の子供達がどちらが元気なのかを比べることは出来ない。ただ、子供には子供の能力しか備わってはいない。学校で長い時間学ぶことと、下校後広場で遊ぶこと、そして寝ることくらいしかすることがなかった。それでもバタンキュウで横になると朝は一気にやってきた。余力があったようには思えない。学校という身動きとれない束縛の中で過ごした心も身体も、緊張から早く解き放たれたがっていた。学校とは違う秩序の中でクールダウンは毎日行われた。
夜の街を帰宅する子供達の光景をテレビで見るが、およそ田舎では考えられない光景だ。首から上を訓練され、首から上で勝ち取ったものが将来どのくらいその子達を幸せにしてくれるのか分からないが、人は首から上だけでは生きていけない。多くを首から上で稼ぐのだろうが、恐らく多くを首から上で失ってもいるだろう。求めたものは手にすることは出来るが、本来与えられるべきものは手にしていないのかもしれない。
「健全」は大きなランドセルを背負って「怖い話をしながら帰ろう」と道路の端を数人で歩いていた。都会の子はこれから塾に行って勉強するのだよと話したら「こわい〜」と言って恐れてくれるだろうか。それとも口をぽかんと開けて理解にただただ苦しむだろうか。









2009年07月08日(Wed)▲ページの先頭へ
誰でも
 誰でもいいのではない。小さな命ほど守らなければならない。何処にでも暮らしているようなごく普通の人は守られなければならない。大きな力で守らなければならない。大きな力が守ってくれなくなれば、小さな力同志で守り合わなければならない。最後の鎖を自分で切ってはいけない。そこより先に進んではいけない。決して踏み込んではいけない場所がある。逆に踏み込まなければならない場所もあったはずだ。
起こらなくてもいいことはいっぱいある。起こったことには理由がある。理由は個人の力をはるか越えていることがある。個人のせいにしたら何も問題は見えず、解決も防ぐこともできなくなる。救いの手を差し伸べるべき人がはしゃぎ回っている。幸運は欲も得も手にしようとする人達に容易に集まり、生きているだけの人達には巡ってこない。決まりに守られる人達が決まりに縛られる人の決まりを作る。自由は自由に生きることが出来る人達に門戸を開き、不自由な暮らしに耐えている人には扉を閉ざす。勝手は都合の良い人にはおおらかで、招かれていない人には過酷だ。
 濁流に沈む人に浮き輪は届かない。落ちる前に柵は立てられなければ。時として歓声は悲鳴を消すために上げられるのか。打ち上げられた魚、羽を傷つけた鳥、ハシゴのない暗くて深い穴で息する人。








2009年07月07日(Tue)▲ページの先頭へ
歴史
 7世紀がどんな時代だったのかさっぱり分からないが、日本から何か荷物を送ったときの荷札が、韓国で見つかったという新聞記事を読んだ。難波って意味を成す漢字だから、大阪あたりの人間が送ったものらしいというのだ。こんな発見を聞く度に、いつも驚かされるのは、何でそんな昔に外洋を船で渡る人達がいたのだろうと言うことだ。どのくらいの大きさの船で、何で動く船でいったい水平線の向こうまで行ってみようと思ったのだろう。そして着いた場所で、どの様に言葉の壁を乗り越えたのだろう。何も知らないから全てが驚きで、何も勉強して解決しないから常に疑問として残っている。今日のニュースを読んだときも同じ感慨に浸り、同じ疑問が残った。
ペリーが、いずれアメリカのライバルになると予言できたほどの江戸時代の職人技は、江戸時代に戦争がなかったからだとある学者が言っていた。なるほど、職人達が知恵を絞って技を競い合っている光景が想像される。幸せだっただろう、自分が作ったものがちょっぴり庶民の生活の質を向上させるとしたら。今は自分が作ったものと言うより、会社が作ったものくらいな愛着しかないのではないか。
 僕らは15年から20年も学校に通い、毎日勉強という行為を繰り返した。さて、その現代人が、古代の人より優っていると証明できるものはない。僕らは今自力でこの海を渡れと言われても、目の前に見える内海の島にも渡る手段を考え作ることが出来ない。辞書を持っていても外国の人とコミュニケーションがとれない。ピラミッドも造れないし正倉院も造れない。どれだけ古代の人が優秀だったか分かる。
 よく言われるように、何を歴史に学ぶのか知らないが、僕に言わせれば一番学ばなければならないのは謙遜ではないか。こんなに道具や情報が氾濫している中で暮らしても、現代人が最も得意としているのは殺戮と破壊なのだから。




2009年07月06日(Mon)▲ページの先頭へ
葬式
 亡くなった方には申し訳ないが、葬儀が日曜日にあたったので、久しぶりにお手伝いが出来た。田舎だからまだ近隣の人が葬儀を取り仕切るのだが、それでも葬儀屋さんにほとんどを依存するようになってずいぶんとすることが無くなった。以前なら、食事の世話、お寺さんへの手配、葬列の手配などと、それこそ日常から一気に未知の世界に突き落とされ、取り仕切り役にあたったものならそれこそストレスは想像を超えるものがあった。僕も若い頃偶然にその役に当たったことがあったが、かなり予習していて助かった経験がある。何処にも冠婚葬祭にめっぽう強い人がいて、そのときにはいっきに存在感が増す。そんな人に前もって教えを請うていたのだ。
 葬儀社に通夜から全てを依存するようになって、近所の人はすることがほとんど無い。
実際昨日やったことは、受付で香典を預かり、整理し、たちは(立ち飯?・・・方言かな、お返しのこと)をお返しすることだけだった。神妙な顔で来て下さる人になんて言葉を返せばいいのか分からなかったのでみんなで考えた。昨日は意外と年齢が近い人が多くて、その種のことには皆疎い人ばかりだった。それぞれ思いつく言葉を口にしたが確信は持てなかった。その中で結局年長の方が、何も言わないことにしようと言うことになって、もくもくと神妙な顔でお辞儀を繰り返した。なにかばつが悪くなって、最後の方はそれぞれが思いついたまま口にしていたが、ハッキリは口には出さずムニャムニャと言葉を濁す術を会得した。この微妙な聞こえるような聞こえないような言い回しが出来るようになると老人の仲間入りが出来るのかもしれない。
 久しぶりに近隣の人が一堂に会したので、結構受付は楽しかった。人が途切れたときには冗談を言い合って大笑いし、とても葬儀場の中とは思えなかった。葬儀社の若い女性が美味しいコーヒーを作ってくれたりして、今はこんな待遇を受けれるのかと感心した。何かスイーツは付いてこないのかと尋ねたらそれはさすがになかった。
 教訓。葬儀は家族葬に限る。出される弁当やコーヒーが楽しみな人など出席する必要がない。家族が心ゆくまでお別れが出来ること。それだけでいい。親族が出席者に気兼ねして気丈夫に振る舞わなければならないのは本末転倒だ。
 このことを母に話すととても喜んでいた。気配り世代の代表みたいな女性だから、自分の葬式まで家族の迷惑にならないように気を使っている。母もドライな息子を持って安心だろう。 


2009年07月05日(Sun)▲ページの先頭へ
手探り
 レーシック手術という言葉は最近聞いたのだが、もう年間数十万件の手術の実績があるらしい。僕は眼鏡やコンタクトレンズをかれこれ40年近く利用しているが別に不便だと感じたことはない。ラーメンを食べるときガラスが曇っても、人を見る目さえ曇らなければいいと思うし、目を覚ましたときにまずすることが手探りで布団の回りを探り眼鏡を見つけることであっても、手探りで生きてきたから今更ハッキリとした指針を示されても戸惑うばかりだ。
 テレビの報道で、レーシック手術の安全基準を作ろうとしている眼科の専門医がコの字型にテーブルを囲んで討論していた。何と僕の見た限りでは比較的若い医者が一人メガネを掛けていなかっただけで後の人は全員メガネを掛けていた。自分たちは手術をしてもらわないのだろうか。僕と同じように何ら不便を感じていないからだろうが、まさかするべきではないと思っているのではないだろう。
 牛窓に働きに来ていたベトナムのある女性は、ベトナムでレーシック手術をしてもらって、その後炎症がとれず、とても困っていた。日本で眼科にかかっていたが完治したとはついに聞かず帰っていった。どのくらい両国の医学に差があるのか分からないが、どう見ても日本の方が数段進んでいるだろう。ところがかの国ではレーシック手術はもっと早くから普及していて、メガネを買ったり、コンタクトレンズを作るのは不経済、不便という簡単な理由で行われているみたいだ。身体にメスを入れるなどと日本人が良く口にする心の垣根になるような発想はないみたいだった。
 レーシックがいずれベーシックになる日が日本でも来るのだろうか。繁栄を謳歌している眼鏡屋さんもうかうかとはしておれないだろう。さて、世の中の遠い先まで見えるのは果たしてメガネかレーシックか。


2009年07月04日(Sat)▲ページの先頭へ
ドーピング
 ここだけの話を、ここだけですると、ここだけの話では終わらなくなるが、やはりここだけの話をここだけですることにした。
マウスの実験だが、アルツハイマー病がカフェインで改善することが解明した。埼玉医科大学の森隆準教授らの実験らしい。なんでも、カフェインを飲ませたマウスでは認知症状が改善し、脳に沈着する異常なタンパク質が作られにくくなるそうだ。これはここだけの話ではない。オープンにされている業績だ。
 実は僕は、会った人は分かるが、色白でスリムで冷え性だ。典型的な副交感神経優位型だ。この何とも横着な身体をせめて人並みの活動が出来るようにとむち打つために、中学生の頃からリポビタンを愛用していた。当時はまだドリンクを飲む中学生なんか珍しかったのではないか。毎日1本飲んで学校へ行っていた。その習慣は、牛窓に帰ってから又復活し、依頼ずっと飲んでいる。大学時代は飯代はなくてもコーヒー代はあったというような生活をしていたからさすがにリポビタンは飲まなかったが、牛窓に帰ってからはコーヒーとリポビタンの二足のわらじで、カフェインを摂りまくっている。漢方薬を飲むのも水や湯でなくリポビタンで飲むことも多い。僕の漢方薬を飲んでいる人に、食前食後を問わないとか、水や湯を問わないとかは、どちらがより効果的かと言う科学的な裏付けが無いことの他に、こうした僕自身の習性にもよる。
 何となく後ろめたさを感じながら長年カフェインによるドーピングを続けてきたが、森教授の発表のおかげで、後ろめたさが希望に変わった。人より馬力がないと言う弱点が、どうやら転じてぼけずに暮らせると言う長所に変わったかもしれない。コーヒーやリポビタンなら美味しいから簡単に、それも喜んで続けることが出来る。おまけに堂々と。


2009年07月03日(Fri)▲ページの先頭へ
介護
 この数字を見たらあきらめもつく。取り立てて元気ではなかったから、残りの数字に入ろうというのがおこがましいのかもしれない。こうなれば後は如何に衰えていく線をなだらかにするかだ。
東京大学の調査で分かったことなのだが、足腰の骨や筋肉が衰えて、将来介護が必要になる運動器の障害を抱えている人は、50歳代で67%だそうだ。主に変形性膝関節炎、変形性腰椎症、骨粗鬆症らしいが僕は2番目をもっているし、首も同じようなものだ。バレーボールのし過ぎと自分では理解していたが、恐らく単純に老化なのだろう。バレーをしていたから早めたのか遅くなったのか分からないが、7割の人がその範疇にはいるのだから、僕が入らないことの方が不自然だ。何せ太陽が出ている時間は全て薬局の中で過ごし、太陽にほとんど当たってこなかったのだから骨はスカスカだろう。重い物をもったり走ったりしなかったので足の筋肉も衰えるばかりだ。懸垂が出来なかったという衝撃の事実以来、多くの人に声を掛けてみるが、同年輩の人達の中で出来ると答える人はいない。知らない間に衰えていたことに偶然自分が気がついていなかっただけなのだ。若い人と同じようにコートの中で楽しんでいたから、不覚にも気がつかなかっただけなのだ。
 そうして世の中を見回すととても面白い。懸垂の一つも出来ないような人間達が、国にしたって会社にしたってリードしているのだ。腕力だけの世代よりはましなのかもしれないが、なかなか老体にむち打っている姿は、欲の権化にしたって醜いものだ。マスコミを狡猾に利用する威勢の良い輩も「懸垂1回」の試験を課すと面白い。


2009年07月02日(Thu)▲ページの先頭へ
攻撃的
 かなりの人に処方されている抗ウツ薬に関しての注意喚起がやたら最近薬局に届く。勿論薬局だけでなく、医療機関にはそれよりも頻繁に届いているだろう。患者さんを診て処方を決めるのはお医者さんなのだから。僕らは受け身だから副作用の説明などをすればいいのだが、これがとても難しい。特に今回の注意は「攻撃性が増し」その結果、薬の影響が否定できない傷害事件が20件くらい実際に起こっているというのだから。お達しでは、家族等にこのリスクを充分説明し緊密に連絡を取り合うようにと指導されている。
 さて、薬を渡すときに「この薬は気分を落ち着かせよく効きますよ。でも時に攻撃的になり人を傷つけてしまうこともあります」なんて言えない。言えば誰も飲む人がいなくなる。家族も飲ませたくなくなるだろう。恐らく何百万人が飲んで20人くらいだから確率からすれば他の副作用と比べても決して高いわけではない。ただ、結果の重要性から考えると1人でもその様な悪影響を受けるのは気の毒だ。薬を飲んで頂くためにいい薬ですよと良い面ばかり強調すると、副作用を未然に防ぐことは出来ない。正直すごいジレンマだ。恐らく全国の薬局が同じ悩みを抱えているのではないか。
 これを難なくやり遂げることが出来るとしたら、平生如何に砕けたつき合いをしているかどうかだと思う。僕の薬局の場合、処方箋だけ取りに来る関係の人も少なからずいる。基本的にはかなりの人と親しいのだが、中にはその様な人もいる。時間を掛けて親しくなれる人もいるのだが、何時までも他人行儀の人もいる。普通の薬局業務の関係は「気が合うから来る」人が多いのだが、処方箋の場合は「便利だから持ってくる」人の割合が多い。贅沢な話かもしれないが、長い時間を掛けて気の合わない人には来て頂き難い関係を意図的に築いてきた。そうしないとこちらがもたないからだ。おかげで何十年かやってこれたが、処方箋の場合はそうはいかない。法的に拒否できないからだ。
 心地よい環境、例えば川が流れ、丘に木々が茂り鳥の泣き声も聞こえ、子供達の歓声も届くようなところで働き暮らせれれば、あのような薬も必要ないのだろうが、寧ろ状況は逆だ。薬の力を借りながら懸命に日常を送っている人が増えた。薬中心の治療だと必然として好ましからざる結果も避けれない。ジレンマを解決できないジレンマを解決してくれるのはやはり「時に攻撃的になる」あの薬なのだろうか。


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