栄町ヤマト薬局 - 2009/05

漢方薬局の日常の出来事




2009年05月31日(Sun)▲ページの先頭へ
坂道
 ○○ちゃんへ
 何故か分かりませんが、僕みたいな田舎の薬局に多くの若者がメールや電話、あるいは直接訪ねてきてくれます。僕の年齢になると、もう身体中が悲鳴を上げてがたがたなのですが、ただ、色々なことを当然年齢の分だけ経験していますから、現役で若者である人の苦労や苦しみが、手に取るように分かってしまうのです。苦しんで当然のもの、苦しまなくても良いものなどを選別できる能力くらいは得たのかもしれません。もう僕など人生を加速度的に転がり落ちていますから、毎日が楽で楽で仕方ありません。何の目標も喜びもありませんから。でもこんな僕でも、あなたの年齢の頃はそれなりのやらねばならないことがあったので、結構辛くて、面白くない日々を送っていました。坂道は上っているときには辛いですね。まだ何か希望らしきものが広がっている青年期には、毎日が上り坂なのです。しんどくない下り坂になれば、人生はもう終わっているのです。
 青春って結構辛いことばかりでした。余り楽しい想い出はありません。あなたが今空虚な日々を暮らしているのは、人生という名の坂道を登っているからなのです。苦しい日々があることを否定しないでください。青春とは苦しいものなのです。だから多くの作家や、詩人、絵描きなどが青春時代によい作品を作れているのです。あなたも不本意に経験させられたことが、何かの創作のエネルギーの材料にいつかなります。苦しんでいる人にほんの小さな言葉をかけるにしたって、今回のような原体験が必要なのです。
 僕も数十年前貴女と同じ苦しみを体験しました。娘も十数年前貴女と同じ体験をしました。僕はあの頃毎日そっと校門を抜け出たからこそ、今幸せでない人達の声を聞くことが出来ます。もしあの頃のことがなければ、田舎の優等生で、鼻持ちならない人間になっていたでしょう。僕は青春期の大きなブレーキに感謝しています。娘も同じなのではないでしょうか。高校には2年の秋から行けませんでしたが、どうしても薬剤師になりたかったみたいで、熱心に塾だけ行っていました。毎日僕や妻が往復2時間送り迎えしていました。僕は、娘が入試会場に入れることを最終目標に世話をしました。それさえ出来ればしめたものです。授業なんて受験に関係ないものが一杯だったのですから。こう作戦を練って毎日小さな塾で気楽に過ごしていたら、3年生のいつからか授業に出るようになりましたが、僕は無理して出なくてもいいよと言っていました。今は薬局2つを掛け持ちで漢方の勉強をしています。病院の前で小さな薬局を作れば経済的には簡単に生きていけれるのに、その道には全く興味を示しません。あの頃の苦しみをそれこそ人助けのために使おうと思っているのでしょう。あの頃があるからこそ彼女にはその選択があるのだと思います。
 ○○ちゃん、あなたはとても聡明な方のようですが、それでもまだ10数年しか生きてきていません。原体験はどうしても少ないですね。だから一人で解決できるものは少ないです。他人に、言葉に出して発信し、その言葉を眺めて貴女自身の心を客観的に見つめたらいかがでしょうか。力んでも解決しないことはいっぱいあります。逆に投げ出せば解決することだってあります。僕の大好きなフォーク歌手の歌の中に「人生はダラダラと続いている冗談なのさ、それもとびっきり質(たち)の悪い奴さ」という歌詞があります。僕は苦しいとき学生の時からこの言葉を良く思い出します。なんだ、冗談だったらそんなに頑張らなくたっていいではないかと。
 僕も、娘も、あなたも、きっと誰もが失敗体験だけが本当に困った人には役立てるのだと思います。あなたの今の苦しみは絶対無駄ではありませんからね。娘が治りかけた頃良く言っていました「人生に無駄なことなど何も無い」と。あなたにもその言葉を贈ります。大好きな歌詞と共に。
ヤマト薬局





2009年05月30日(Sat)▲ページの先頭へ
勇士
 支柱を伸ばして立ち上げるのを待つだけのテントが数組。南北に作られた入場門と退場門。足跡さえ消されたトラックに何本も引かれた白線。あとは、観客席を埋める父兄達と整列する生徒達がこの空間を埋めれば、運動会が始まる。その前にちょいと贅沢な朝を横取りした。
 校舎から垂らしたスローガンが目に入った。「輝け未来の勇士達」運動会用のスローガンなのだろう、昨日までは気がつかなかった。なんとなくしっくり来ない。ツバメも戸惑って十数羽が秩序を失って飛び回っている。未来の勇士とはどんな意味なのだろう。僕にはさっぱりイメージできない。何かと戦っているのだろうか。よその国と戦っているのだろうか。貧困と闘っているのだろうか。自分と戦っているのだろうか。大きな不正と戦っているのだろうか。そもそも戦わなければならないのか。戦うのは若者の使命か。戦わなければ意味を成さないのか。戦って勝たなければならないのか。
 そもそも輝けと言われても、光を当ててくれる太陽がこの社会にも必要だ。光源がなければ輝きようがない。光り輝く人格をここ彼処に見つけることは難しい。勇士を欲しがる社会は重たい雲が覆い、光源はますます萎縮する。必ずしも過剰が不足を凌駕するとは限らない。色あせた未来に必要なのは勇士ではなく、落ちこぼれた純情なのかもしれない。


2009年05月29日(Fri)▲ページの先頭へ
 僕の薬局は中学校の丁度裏門に接している。通りを挟んで南側に中学校が広がっている。天気が良ければ毎朝、裏門の重いレール式の大きな門を勝手に開けて侵入する。散歩コースの近道になるのだ。裏門を通り抜けるとまず広い駐車場があり、体育館が建っている。 数年前から毎朝早く、バレー部の女生徒がその体育館で練習をしている。二人の熱心な先生が赴任してきてから欠かすことなく行われていた。その甲斐あって、こんな僻地の小さな学校だが大きな実績を残すことが出来た。今では遠くの学校から練習試合に選手が集まるような光景も珍しくはなくなった。たった二人の先生の熱意がこんなに変化をもたらすのかと感心ばかりしていた。その二人が今春、偶然同時に転出していった。その後のバレー部をどうフォローするのか懸念していたが、同じように熱心な二人の先生が転入してきて、以前にも負けぬ指導をしている。
 最近あることに気がついた。先生方は車でやってきて、スライド式の重い門の前で止まり、車を降りて門を開け、又乗り込み駐車場に向かうのだが、ここ何日かは門が開いているのだ。生徒達が登校する前に僕が門を開け侵入しているが、必ずその後は閉めている。ところが散歩の帰りに再び門の所までたどり着くと閉めていたはずの門が開いている。その理由が今日分かった。ある女子生徒がわざわざ門を開けていたのだ。恐らく7時前にやってくる先生のためだろう。それ以外にそこを利用する人はいないから。
 以前からいちいち降りて門の開閉は大変だろうなと思っていた。女生徒が自発的にそれをやり始めたのか、先生の依頼か分からないが、どちらにしても良いことだなあと朝の空気のようにすがすがしさを感じていた。生徒が自発的に始めたのなら家庭か、先生や部員の勝利。先生の指示で始めたのなら先生と部員達の勝利。少しだけニュアンスは違うが、自発的でも教えられたにしても他者のための無償の行為は素晴らしい。なかなか教えられなければ出来ることではない。
 およそこの僕などその様な経験はほとんど無い。何時の頃から出来るようになったのだろう。今でも出来るようになっているのかどうか分からないが、我欲は代償ばかりを求め、思い出すのが恥ずかしいような人生だ。裏門を毎朝先生のために開く女生徒は、光り溢れる人生の門も同時に開いている。


2009年05月28日(Thu)▲ページの先頭へ
モコに負けた
 話すうちに込み上げてくるものがあったのだろう、涙を流し始めた。何かきっかけがあれば堰を切ったように慟哭するのではないかという雰囲気だったが、なにぶんそんな場面でも僕は、いつものペースだから、かろうじて彼女にはブレーキがかかっていた。深刻な話なのに何故か犬の話題になった。小さな犬を飼って、風呂に一緒に入り夜は一緒に寝たいと言った。子供でもいれば生への執着が生まれるだろうが自分には必要とされる人がいないから執着が湧かないとも言っていた。子犬が子供の代わりになると考えているのだろう。
小型犬を見せてあげようかというと、驚いた。まさか用意されていたかのように小型犬が現れるとは思っていなかったのだろう。ところが我が家には、息子が飼えなくなったミニチュアダックス(モコ)がいるのだ。2階から連れて降りるとモコは早速彼女に飛びつき懸命に舌で顔をなめようとした。誰彼と無くなめまくる人間好きな犬なのだ。彼女も犬が好きなのだろう、されるがままに顔をなめさせていた。逆に彼女がモコのほっぺに口を付け、迫っていた。モコも圧倒されるくらい。20分くらいは遊んでいただろうか。さっきまでの厭世的な雰囲気とはうって変わり、笑顔が戻り、大きな笑い声も絶えなかった。
僕はカウンセラーではないから、旨く話をすることは出来ない。ただ誰とでも同じように話してしまう不器用さがあるだけだ。それが功を奏することもあるだろうし、悪意に取られることもあるかもしれない。ただ僕はひたすら目の前にいる人達が改善して欲しいだけなのだ。処方に反映されるヒントを捜しているだけなのだ。ありのままの姿で、ありのままの言葉で出てきたものを懸命に捕捉しようとしているだけなのだ。お医者さんのように薬局には検査する権利がないから、五感を働かせて情報を掴むのだ。それには僕も相手も自然体がいい。飾らないありのままがいい。
 僕の前でモコと戯れる彼女は完璧だ。何処にも愁いはない。大切にされ、大切にするものがいればこんなに精気がみなぎるのかと驚くほどだ。薬なんかよりよほどよく効く。一度に押し寄せた非難に心を引きちぎられ理性を粉砕されたことは憂うことではない。当たり前だ。良い耳を持って良い言葉だけ拾えればそれに越したことはないが、聞きたくない言葉ほど入ってくるものだ。目としっぽで答えてくれるモコに癒されて夜の岬を帰っていくその人に幸あれ。


2009年05月27日(Wed)▲ページの先頭へ
老労働者
 50メートル歩くのに3回くらい立ち止まらなければならない人が、杖をついて薬局に入ってきた。軽4自動車をバックで駐車場に丁寧につけて入ってきたのだが、挨拶代わりの症状説明で、本人が運転して来たとは思わなかった。歩くとすぐに起こる腰の痛みを治して欲しくて30分以上かかるところからやってきたのだが、運転手さんに待ってもらっても構いませんかと尋ねると自分が運転してきたという。歩くことは出来なくても、運転は出来るらしい。かなりの年齢に見えたが、脳梗塞をして、右手と右足が不自由なので、年齢より10才くらい老けて見えたのだろう。奥さんが痴呆で入院しているらしくて、一人で今は暮らしているらしい。煎じ薬でしか治りそうになかったので、煎じ薬を作ることが出来るかどうか尋ねたら、出来るという。料理も自分でしているから、それくらいは出来るという。一応の問診をして、薬を作ろうとしたら「漢方薬って高いんでしょうね」と言った。とっさに僕は1日分が400円ですと答えたのだが、それは僕が使いたい薬2種類のうちの片方の値段だ。それくらいだったら大丈夫というので「じゃあ、頑張ってみましょう」と言って用意したのだが、勿論薬は2種類出した。
 同じ空が家を覆い、同じ風が家を吹き抜けても、そこで暮らしている人の様はそれぞれだ。幸せもあれば不幸もある。喜びもあれば苦痛もある。地域柄、職業柄、どちらかと言えば後者に属する人達と接することが多い。一生トンネルを掘り続け、そのあげくが数十歩しか歩けない身体と、孤独な食卓では割が合わない。日本中のトンネルを今日も素知らぬ顔で厚顔な10トントラックや黒塗りの高級車が走っている。繁栄を支えた老労働者は痛みに顔をしかめながら、深々と頭を下げて帰っていった。痛々しくて、見るのがつらい、いつもながらの光景だった。


2009年05月26日(Tue)▲ページの先頭へ
鳥肌
 30年薬局をやっているが、患者さんに治ったと言われて鳥肌が立ったのは初めてだ。彼女に許可を取らないで書き始めたから、単なる表層しか書けないが、治るって結果だけは多くの人と共有したい。もっとも彼女は恐らく毎日僕のブログを読んでいてくれているし、まして最近僕のブログとホームページを全部フロッピーに編集してくれた人だから、さわりくらいなら書くことを許してもらえると思う。(いいよね)
お母さんと他の目的で通ってきているうちに、陥っているトラブルを知りどうしても僕は手伝いたいと思った。人生で一番輝く頃を、失意のうちに過ごすのを目の当たりにするのは辛かった。ところが菓子パンが食事だった彼女に飲める薬は限られていた。飲めないものを渡しても仕方がないので僕は見本の煎じ薬を作って渡した。すると何と飲めたのだ。美味しいとはとても言い難いものを飲んでくれた。このようにスタートは全く僕のお節介で始まった。
 この1週間のうちに、何と東と西の県に一人で遊びにでかけたらしい。外食もしたらしい。あの頃から言うと奇跡のようなことを次々と行い、それにもまして、表情がとても穏やかになり、太って体型がとても女性らしくなった。ジーパンで入ってきたが、体型などはもう別人だ。輪をかけたように穏やかな顔の表情、客観的な思考力はもっともっと別人になっていた。
 彼女をこんなに解放したのは恐らく一番はお母さん、二番はあるお医者さん、三番は玉野教会の神父様や信者さんたち、特にフィリピンの青年やおばちゃん達、そして網走番外地の僕(妻と娘も)?彼女を近くから遠くから大切に見まもる人達の輪だったように思う。煎じ薬の能力を信じるが、過信はしていない。その為に一週間分しか渡さずに、一杯話した。日曜日は薬剤師の肩書きを持たず会ったりしたから、一人のおじさんとしても一杯話をした。僕は彼女が笑うたびにとても嬉しかった。その回数が増えれば絶対元の彼女に戻ると思っていた。いやいや、苦労した分もっともっと素敵な女性になると思っていた。いみじくも彼女は、回復して今まで出来なかったことをするのが本望ではなく、それは単なる通過点に過ぎないと言っていた。この言葉を聞いて、僕の、又回りの人達の思いが達せられたと思った。
 青春はなかなか残酷なもの、未熟な理性に自身が脅かされる。その結果はい上がれない落とし穴に落ちて、なかなかそこから脱出できない。そんな人は一杯いる。きっと驚くほどいるに違いない。誰がどの様に手を差し伸べるのか知らないが、薬だけではまず治らないだろう。人の想いが9割、薬が1割、そんなものだろう。
 どこにでもいるかもしれないが、それでもかけがえのない一人一人、誰もが落とし穴から脱出しなければならない。そうでないとあまりにももったいなく、不公平すぎる。誰もが人生を等しく謳歌すべきだ。今、そうした権利を手にした彼女に鳥肌が立ったのだ。
 僕の失敗体験が役に立った瞬間だ。


2009年05月25日(Mon)▲ページの先頭へ
恋愛
 ずいぶんと大人になったなと言うのが印象だった。半年か1年会っていないだけだと思うのだが、病気を克服すればここまで落ち着くのかと思った。僕の用事に付き合ってもらったが、多くの人と長時間一緒にいて、得たのは好意的な評価だけだった。やっと、大人の落ち着いた女性になったのだ。
 岡山に来たついでに連絡してくれたのだが、以前のように話題は身体のことではなかった。僕がもっとも似つかわしくない話題だと思うのだが、恋愛談義で多くの、いやほとんどの時間を費やした。恋愛も結婚も無いと諦めていたのに、手に入れた健康で予定が大きく変わってしまった。好きな人が出来たらしい。相手も好意を持っている。嘗ての癖で、こんな状況でもマイナス思考が溢れるように湧いてくるそうだ。恋愛に理性で臨んだりするものではないと、いつものように低級、且つ単純明快な答えを連発したら大いに参考になったらしくて、帰ってから堂々と思いのままに行動すると言っていた。それでいいのだ。何の遠慮があるだろう。遠慮するくらいなら好きにならない方がいい。押しまくって落ちない男なんかいない。余程持てる男なら踏みとどまるだろうが、福山雅治は滅多にいない。男にとって女性はみんな綾瀬はるかに見えるのだから自信を持って押しまくったらいい。
 若くて生命力溢れている人達が、青春の落とし穴に落ちてはい上がる。一回り大きくならなければ割が合わない。彼女は十分割があった。見方を変えればのろけ話だったのかもしれないが、それでは僕は割に合わない。まあいいか、恋愛なんて所詮割り切れないものなのだから。


2009年05月24日(Sun)▲ページの先頭へ
ベース
 カーラジオからながれる歌は聴いたことがあった。タイトルは分からないが、黒人の男性コーラスグループの唄で、何かの映画の挿入歌として聞いたことがある。けだるい朝の身体に心地よく聞こえたのは、ベースの響きによる。お腹に、舗装道路を通して聞く地球の鼓動のように響いた。どっしりとした音は、命の音だ。軽々しくないから、意識を越えたところで空気を揺らす。耳をすませば形を表し、心を澄ませば形が消える。
 最近、居心地が悪いのは社会からベースが消えているからだろうか。軽率な高音は洪水のように溢れて、右脳の細胞を一つずつ破壊していく。社会を支えている人達が、社会を左右する人達に潰されていく。決して華々しくはないけれど、決して饒舌ではないけれど、けっしてスピーディーではないけれど、決して生産的ではないけれど、それでも水も空気も守っている。失ってはいけない人の情も守っている。そんな細胞が潰されている。忘れられ、無視され、捨てられて身の回りから自然の鼓動が消えていく。ベースでしか表現されないものが消えていく。
何時までもその曲を聴いていたいと思った。拍動に共鳴する音の中に今日を沈めていたいと思った。ヘ音記号のアクセルを踏む。


2009年05月23日(Sat)▲ページの先頭へ
平均値
 何とも切ない統計だ。07年度の1世帯あたりの平均所得が新聞に載っていたのだが、平均値が556万円でそれがいいのか悪いのかは別として、所得の分布状況の方が気になった。200万円以下が20%近く、200〜400万円が25%近く、これにほぼ半数の世帯が入ってしまう。恐らく年金や税金などを引かれたら相当目減りして、可処分所得となるとかなり少ないのではないか。現在の暮らし向きをどう感じているかとの問いに6割近くの人が苦しいと答えているのでそれが想像つく。
 僕の薬局を利用してくれている人は、この範疇に入っている人が多いのではないかと思う。田舎だから元々収入はそんなには多くないが、その収入の中から薬代に回してくれている人が多いのだ。身が引き締まる思いとはこんな時に使ってもいい言葉なのだろうか。身が引き締まった経験がないから分からないが、緊張感はある。捻出してくれた金額に見合う仕事が出来てお返しが足りているのかどうか常に検証しなくてはならない。効かないでは申し訳ない。実力不足で、又過大な評価を頂いて結果を残せないことはしばしばだ。 幸運にも、何でも出来るような錯覚に一度も陥ったことがないから、謙虚ではあり得たが、年齢と共に目の前に見える壁が成長する。それを越そうとする気力体力は無いから、壁は何時までも壁であり続ける。得意の迂回も、先回りした失念に待ち伏せられ足踏みをただ繰り返すだけ。平均値をぐっと引き上げる経済的実力者とは縁遠いから、せめてこの世界の実力者から学びたいが、謙遜なその人達の口は重く、僕を平均値まではなかなか引き上げてはくれない。お金で買えない平均値が雄々しく立ちはだかる。


2009年05月22日(Fri)▲ページの先頭へ
一発ギャグ
 ・・・こんにちは。あれからお腹のことはまだ、相手の人に話していないのですが、まずは軽く仲のいい子から・・・ということで、同性の友達何人かに練習のつもりでカミングアウトしました。結果、学生相談所の先生にも、友達にも「全然気にならないし、そんなことで相手の男の子も(私)のことを絶対嫌いになったりしないよ!」と勇気付けてもらえました。実際に言ってみると、なんだ、こんなに簡単に受け入れてもらえるのか、とすごく楽になりました。言った後は、その子達とは気軽に出かけられるようになりました。こんな感じで今度、好きな人にも勇気を出して話してみようと思います。・・・
最近ガス漏れと腹鳴は人に話せとひつこいくらい言っているから実行してくれる人が増えた。実行した人の多くは、上のような反応を得ている。ある若い女性の反応を一例としてあげたが、おおかたこれに似た反応をほとんどの人が得ている。こんな時代、他人の体調のことなど気にとめる余裕もないし、ましてそれがあるかないか分からないようなものなら、尚更だ。
過敏性腸症候群という名は、お腹が過敏という風に付けられた名前だと思うが、僕に言わせれば心が過敏と理解した方が治しやすい。過敏な心はいつも言うが決してハンディーではなく、すごい生産力を持った性格なのだが、邪魔をするのはプライドなのだ。弱みを見せて、いや弱みを逆に売りにしてしまえば、窮状は打破出来る。吉本新喜劇の面々なんかまさにそれだ。全部笑いのネタにしてしまえばいい。自分のギャグにしてしまえばいい。待っていても他人にネタにされるほど実はみんな存在感はない。存在をもてあましているのは自分自身なのだ。だから自分でネタにするしかない。一発ギャグをひつこく繰り返せば精神の露出過剰も、そのうち自分で飽きてくる。ひょっとしたら僕の漢方薬は、一発ギャグが出来るようになる漢方薬かもしれない。治るってことは、他人に自虐ネタを披露出来ることかも。私、頭が弱いとは誰でも簡単に言えるのに、お腹が弱いと言えないわけがない。毎日頭から大切なことが漏れているのだからお尻から漏れてもしれている。お尻に栓をしなくて良いから口にしろ・・・いくらでも笑いはとれる。
 どうせなら悩み抜く力で他者を少しだけ幸せにしたらどうだろう。


2009年05月21日(Thu)▲ページの先頭へ
絶対音感
 まるで機械のように、いや、これが人間なのだろうか。今度の日曜日にどうしても歌わなければならない唄があるのだが、歌詞はタガログ語、曲は初めて聴くものだしで、さっぱり分からない。コードは載っていたから和音だけは出せるが聴けたものではない。伴奏も唄も出来なくて焦っていたら娘がパソコンで見つけたライブ画面を見ながら、音を取ってくれた。楽譜に書かれても分からないから、ドミソなどとカタカナで書いてくれた。これならだいたいのイメージくらいは音に出来るかも知れない。それにしても幼いときからの訓練は大したものだ。何となく習わせていたが、水泳と同じで身に付いている。いわゆる絶対音感という奴も健在なのか、後からピアノで確かめていたが間違ってはいなかったみたいだ。訂正した後がなかったから。あたかも機械的に行ったかのような作業だが、本当は磨かれた感性のなせる技なのだろう。
時代が違うと言えばそれまでだが、僕が習った唯一のものはそろばん。当時、何処の子もと言った感じでそろばんを習っていた。今で言うとさしずめサッカーみたいなものか。年に1回の検定試験を岡山市まで1時間バスに揺られ受けに行き、帰りに百貨店でミカンジュースを買う。この唯一の楽しみのために、汚い畳が敷かれた塾に通っていた。1級を取って何になったのだろうと思うが、当時はそれが一つの肩書きだったのだ。遊び道具をほとんどもたず、それでもよく遊んで幸せだったのか、そうではなかったのか分からないが、幸せすぎた経験がないぶん、無理をしてまでそんなものを手に入れようとは思わなかったから幸せだったのかも知れない。
 無理をしすぎた人々が毎日紙面を賑わすが、人を機械のように想い使い傷つけたあげくのなれの果てが多い。人間として産み落とされても、何時までも人間でおれるとは限らない。いくつもの笑顔といくつもの涙を織りなしてやっと人間のままでおれる。それも又一つの幸運なのかも知れない。


2009年05月20日(Wed)▲ページの先頭へ
早寝
 果たしてのむかどうか分からないが、息子の所に勝手にインフルエンザ予防の漢方薬と、疲れに抜群に効く栄養剤を送ってやった。都市部で暮らす人達にとっては恐らくそのウイルスはすでに身近に来ていて暴露されているに違いない。激烈な症状ではないらしいから自分で治している人も多いだろう。だから次第に感染者を増やしているのだ。自分の体力の方が遙かに懸念材料なのに、いつまで経っても親は親なのだ。どんな職業に就いていようが、関係ない。
 寧ろ僕の所に足繁く通ってくる人達の方が信頼してくれて、早速何人かが漢方薬を取りに来た。こうなれば意地でもその人達には感染してもらわないようにしなければならない。気がついたのだが良く来る人達はマスクを欲しがらなかった。ほとんど欲しがったのはあまり縁のない人達だった。別に僕の影響ではないが、何となく薬局を利用する人は自力更正型が多い。勇気があるのか変わっているのか知らないが、臆病で全うな僕とは対照的だ。自然治癒力を下手に薬で阻害しないところが良いのかも知れない。体調不良を自分の持っている力で克服できればそれに越したことはない。身体も頭もそれを学習するだろうから。せめて学生時代に学習しなかったのだから、病気を克服することぐらいは肉体が学習して欲しい。
 もううんざりだから、インフルエンザと政治の報道は見ない。バラエティー番組は相変わらずくだらない人間の行列だから、見るに値しないし、夜にすることがない。苦手な早寝を最近残された選択肢としてしているが、結構寝付けるものだ。その代わり朝の5時半には起きている。朝を競う鶏は近所にはいないが、鶏にも負けない人々がいて、決まって朝の挨拶をするようになった。一回りも二回りも上のその人達にとって僕は新顔なのだ。頭を深々と下げて道を譲っている。


2009年05月19日(Tue)▲ページの先頭へ
失敗体験
・・・・最近大便がバナナみたいになってきましたよ!気持ちいいおならってのはまだでないんですけどね。薬は飲む回数を減らしたら怒られちゃいますか?ちょっとの体調不良ならなんでもないと思えるようになりました。漢方ってすごいんですね!・・・
 漢方薬がすごいのではない。その若さがすごいのだ。1ヶ月で恐らくお腹の緊張がとれたのだろう。痙攣しなければ大きなウンチは出る。そのうち幸せって叫びたくなるほどの気持ちの良いおならも出てくるだろう。中学、高校時代の苦しみは何だったのだろうとこの子は言った。僕と早くあっていれば、苦痛に満ちて自虐的な数年間はなかったと思う。その数年を経てもなお素敵な笑い声を保っていたのは、余程家族が支えてくれたのだろうと思う。
・・・・もうだめ、涙が出てきそう。やばいっす、でも勇気が出た、頑張る・・・・学校に行き、学園祭を楽しみ、みんなの前でバンドをする、そんな夢が叶わなかったから、悔しいそうで、考えれば考えるほど落ち込むらしい。学校は楽しいものか?学園祭でみんな唄うのか?いやいや仕方ないから高校へ行き、学園祭にも春の旅行にも修学旅行にも行かなかった。大学に行って真面目に通ったのはパチンコ屋だけだ。したのはパチンコ、しなかったのは勉強。こんな青春が羨ましいのか。こんな青春なら誰にだって出来る。子供より募集人数の方が多くなるのだから誰だって大学には行ける。大検を受け、大学に行って遊びまくれと言ったら、急に元気を回復してくれた。
・・・・10年前、仕事中に急に失神しそうになり病院に行き、死にたいことがあると言ったら、精神病薬をくれた。それ以来ずっと飲んでいる。割れたガラスに腕を振り下ろしたら血が吹き出した・・・・いくつもの切り傷刺し傷で手が握れない。数日前いきそこなった女性と笑いながら話した。なかなか勇気があると感心した。いきそこなったくせに失血でふらふらするのを治す薬を取りに来るのだから、かなり正常だ。煎じ薬でもう治ったと思っていたが、よく考えてみれば元々すこぶる正常な人のような気がする。まじめ過ぎ病、気を使いすぎ病なだけだ。いやいや、今は単なる低血糖のような気もする。これを治さなければならないのか疑問だ。
 マスクはありませんと、何十回断っただろうか。つまらない日だったが、相も変わらず僕の失敗体験だけが生きる。悩んでいるうちはまだ希望がある。それが若さなのだ。もう悩む力も気力もなくした僕に言わせば、創造的な苦痛なのだ。創るための苦しみなんて若さの特権だ。まだまだキャンパスには一杯余白が残っているではないか。海だって、空だって、人間だってその中に自由に描ける。筆もインクも自分が握っている。ゆめゆめ人に描かせるな。


2009年05月18日(Mon)▲ページの先頭へ
マスク
 正直、今日は電話を取ったり、初めての人、久しぶりの人を応対するのが億劫だった。まず間違いなくそんな人はマスクを買いに来た人だ。昨日から僕の煎じ薬を作るときに使うマスクを含めてありったけのマスクを融通した。600くらいあったマスクが朝の30分くらいでなくなり、その後、運良く手に入れたマスクも昼過ぎに問屋が持ってきてすぐ無くなった。
 融通できた人でしばしばヤマト薬局を利用してくれる人は丁寧なお礼の言葉を言ってくれるが、初めて、あるいは久しぶりの人達にはそれがない。応対して不快なことが多かった。隠しておいて、親しい人だけに渡せば良かったと後悔していると、いみじくも娘が「沢山人が来るのも良いけれど、やっぱりいい人だけに来て欲しいね」と言った。こんな時代に余裕の言葉に聞こえるが、経済だけを追求すると心に余裕が無くなる。そうなれば元も子もない。モチベーションあっての仕事なのだ。価値観が似ているから、大きく繁盛はしないだろうが、良い人達に支えられて何とかやっていけるのではないかと思った。もう僕が中心でやっていけるほど体力もないし、薬局を、薬剤師を取り巻く環境も大きく変わってきた。最早僕は、漢方薬とOTC以外ではほとんど役に立てないような気がする。
 世の中大騒ぎしているが、新型インフルエンザなら数日で治るだろうから、そんなに心配することはない。それよりも辛い症状を毎日抱えている人にとっては、インフルエンザですむならそちらの方がいいと思うだろう。ニュースを見ていたら余程この国の人は健康なんだと思う。インフルエンザが全てのような騒ぎだから。マスクも予防接種もしたことがない僕にとっては、新型も旧型も同じだ。僕の身体の方が型型(がたがた)していてそちらの方が余程心配なのだから。


2009年05月17日(Sun)▲ページの先頭へ
アメイジンググレイス
 テーブルを囲んで唄の練習をフィリピンの人達としていたら、その中の一人がアメイジンググレイスを唄おうと言った。綺麗なメロディーで、何となく敬虔な感じの単語を所々で聴き取れる。僕は自分流のアレンジで段々ギターを激しく弾き盛り上げるのが好きだ。あたかもボレロのように。そうして数人で歌い始めたら、回りでコーヒーを飲んで談笑していた人達が次第に輪に加わってきた。老いも若きもと言いたいが、若きもは数人のフィリピン人だけで、日本人は残念ながら老いもに属する。さすがにこの曲は有名だからその人達も加わりやすかったのだろう。
英語圏ではない白人男性の神父様もとても好きらしく輪に加わったが、その後で十字架をキリストだけに背負わせるのは公平ではない、私達も一人一人が十字架を背負い生きていくべきだと言った訳もあると教えてくれた。何となく分かるが、十字架は一杯背負っているような気もする。一つ一つは軽いのかも知れないが背負わなかった年代は余り無かったような気がする。
 ミサの途中で2曲、フィリピン人達が唄うのだが、最近は日本人の人達が手拍子で乗ってくれる。アメイジンググレイスの時ならぬ大合唱の後、80才が近い女性が、私もミサの時に唄いたいのと言った。それを聞いたフィリピン女性が早速一緒に唄おうと勧めていたが、何とも言えぬほのぼのとした光景だった。職業を忘れることが出来る数少ない解放の時間だ。


2009年05月16日(Sat)▲ページの先頭へ
もったいない
 もったいない、もったいない。その若さと、美貌と、繊細な心は、自分で捨てるのはもったいない。逝くのなら、その全てを失ってからで良い。その頃になると自分で逝かなくても向こうから勝手に迎えにやってくる。いくら逃げても追いつかれる。それまでひつこく生きるべきだ。取り返しがつかないことを最初にしてはいけない。ほとんどのことは取り返しがつくのだ。何回も挑戦する権利を残しておくべきだ。何千万分の一の確率にでさえ人間は強欲に賭けるのだから、もっと高率でやってくる幸せはある。幸せを量る価値観を世間に合わせないことだ。くだらない常識に合わせることはない。常識もそこまで堕落すると単なる偏見だ。そんなものこそ、心の中から葬り去ればいい。
 自分を卑下してはいけない。遠くからかなわぬ愛を貴女に寄せている人もいるだろう。貴女を必要としている人もいるだろう。見失ってはいけない、貴女を大切に思っている人達のことを。貴女が大切に思っている人達に、貴女を失う悲しみを与えてはいけない。残された人達に取り返しのつかない悲しみを与えてはいけない。
もったいない、もったいない、貴女は僕の前でいつも輝いている。貴女が持っているものをほとんど失いかけたこの僕でさえ、差し出がましく月明かりと競ってまだ誰かの足下を照らそうとしているのだから。


2009年05月15日(Fri)▲ページの先頭へ
泥色
 予期不安や過敏性腸症候群やパニック。僕に言わせれば根っこは皆同じの兄弟トラブルだ。僕は愛すべき性格の人が陥る青春の落とし穴と呼んでいるが、現代医学ではそれをあたかも否定するかのように押さえ込んでしまう。僕は愛すべき性格はそのままで体調不良だけ治って欲しいと思っている。だから僕の漢方薬は、肉体を強くして心を穏やかにする二刀流だ。「気持ちが泥色」と、とても印象深い表現を使ったメールをくれた方がいる。お嬢さんとおかあさんをお世話させて頂いているが、治る途中がとても具体的に表現されていて、同じようなトラブルでまだ僕の薬を飲み始めたばかりの人達に参考になるのではないかと、電話でブログに載せる承諾を取った。お役に立てるならと快く承諾して頂いた。7ヶ月ぶりに聞く声は、見ず知らずの人の声ではなく、見ず知ってる人の声だった。

 どのようにお礼を申し上げたらいいんでしょう?ありがとうございます。しか言えないけれど…。WE CAN CHANGEなんて叫んでいませんが…(笑)あれ以来、なんとも軽い気持ちです。 たった2〜3日の間に たくさんの変化を経験しました。もちろん家具屋さんにはスンナリ行けました。それに朝!!!!!何も用事のない日でも、朝早い時間は 予期不安のような感覚があって漠然とした不安があって、気持ちが晴れなかったのです。毎日です。新聞を読みながら鬱々とした気持ち。これが無いのです。朝 鬱々なんて鬱病みたいですよね!? 昨日は生理初日で当たり前のような強烈な下痢。こんな日は100%気持ちが泥色。 昨日のような下痢をしても昨日は泥色にならずに「生理だから、しかたないな。まっ、4〜5回トイレに通えば終わる話さ!仕事に出る頃には落ち着いとるわ!」と、楽〜な気分。これまでは、美容院も歯科医院もなるべく行きたくなくて、予約する時には必ず午後からで。でも、それも大丈夫な気がしてます。コンサートも大丈夫か試したい気分。実は3年前に行ったSMAPのライブ。あんなに大きな大阪ドームでパニックです。席に着いた途端に倒れそうになり ライブが始まるまで廊下で過ごしたんです。 今なら大丈夫!○○にSMAP来ないかな!?後から気がついたのですが、先日ゆめタウンに行った際に娘は耳にウォークマンをしてなかったのです。そう言えば…って感じです。いつも、自分の悪口を聞かないためにウォークマンをしていましたが、今回は楽しくお喋りしながらバスに乗っていました。ウォークマンを持って出るのを忘れたわけでなく、必要なかったのです。好転していく「状況」を感じながら1日1日を過ごしています。もっと、もっと、ルンルンになりたいです。これからもよろしくお願いします。そして、本当にありがとうございます。いっぱいありがとうございます。

まだ完治ではないのにこんなにお礼を言ってもらって恐縮だ。どちらかというと完治した人達の方がクールなような気がする。完治の暁に手にするものは「自由」なのかも知れないと、このメールを読みながら思った。


2009年05月14日(Thu)▲ページの先頭へ
黒光り
 別に見たくはなかったが、見せてあげましょうかと純朴そうな男性が言うので、いらないとは言えなかった。ベルトコンベアに足を挟まれて、足の甲の部分がバラバラになり、ベルトで運ばれていったらしい。肉片と骨を集めたらしいがそれは使い物にはならなかったらしい。結局自分の大腿部の骨などを使って復元したらしいが、それを見せてくれるというのだ。僕は足首から先がかなり無くなっているのかと思ったが、ほぼ正常な形で残っていた。ただ皮膚も移植したから、いくつかのパーツを縫い合わせたようになっていた。これなら見るに耐える。
 この男性は岡山県と広島県の県境あたりの方で、何と原付バイクで来てくれた。2時間以上かかったらしい。事故にでも遭ったらと心配になるが、色々な成人病を重ね持っていて、それも又恐ろしい。とても口べたで、はにかみ屋で、失礼だが見かけもパッとしない。恐らく病院の先生も十分な時間を取って対処してくれていないのだろう。病院にかかっていながら検査値の数値も驚くほど悪い。養生をしているのかと尋ねたら、むちゃくちゃだった。分かっていて度胸だけで過ごしているのか、理解しづらいのか僕も最初は見当がつかなかったが、そのうち適切な指導を受けていないことに気がついた。わざわざ漢方薬を交通事故のリスクを負って取りに来なくても、生活習慣を改善すればかなり解決できる。
 仕事中の事故で、果たして労災の認定を受けたのか心配になった。だって、痛くて気を失いそうだった?って尋ねたら、痛かったけど仕方ないからなんて誰を責めるではなく、不運を嘆くではなくとつとつと答えるのだ。こんな人が時にいる。滅多いないが楕円状に広がる存在感は、不器用に生きる人達を優しく覆う。流ちょうな言葉も洗練された身のこなしも、どんな立派な肩書きや経済力もかなわないくらい意図されない無垢な包容力。
 同じ空間にいて、繕うために言葉を紡がなければならないような気配りは全く必要ない。責めることも責められることも苦手な男性のヘルメットが際だって黒光りしていた。


2009年05月13日(Wed)▲ページの先頭へ
抗夫の祈り
 ブログにこんな内容を載せたくないが、他に手段を持たないので再び医薬品の郵送問題について。どうやら今が正念場らしいので。以下のように救済処置が講じられたが、そもそも救済措置という名前が上から目線で気にはなる。
 5月11日に開催された「第6回検討会」で発表された新省令案で救済措置が出た。ただ、内容は中途半端なものだ。6月1日以前から継続服用中の方への救済策(薬局製剤・第2類医薬品について)は、今まで継続服用していた患者さんで、本人が情報提供の必要がないという場合には、5月31日までに継続服用している薬を同一薬局から送ることは認める。つまり、新規の患者さんは認められないし、継続服用中の患者さんでも6月1日以降に処方が変わった場合は送れないことを意味する。ただし、郵送可能な経過措置は、2年間とする。※2年後からは認めない。尚、5月18日のパブリックコメント締切後、厚労省がそれを集約し、5月下旬に最後の検討会が開かれ、6月1日の省令施行となる運び
だ。5月18日まで国民の意見を聞く機会とするらしいから、真面目で切実な意見を寄せて欲しい。役人だって一人の行き場のない患者になる可能性はある。大都会で暮らしていたら医療の選択に不自由はないかも知れないが、それでもどこか遠くの縁を頼らなければならないことだってある。分かってくれるはずだ。方言丸出しで弱音を吐きあえる環境が癒してくれることだってあるのだから。もうこんなことは書きたくない。不器用でも懸命に症状を訴え、不器用でも懸命に期待に応えようとしているだけなのだ。経済的に功を成そうとしている人は僕に相談なんかしないし、経済的に功を成そうとすればこんな地道な作業を要する仕事なんかせずに医院の門前で薬を作って儲けまくっている。
・・・・・お願いだ聞いておくれ 街にすむオエライ方 この子らが泣かないように 抗夫の祈りを聞いておくれ・・・・何時の時代に作られた唄か知らないが、こんな唄を思い出した。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1010&BID=495090047&OBJCD=100495&GROUP
ごめんなさい。クリックしたら画面が切り替えられる方法を知らないもので自分で入力してください。


2009年05月12日(Tue)▲ページの先頭へ
アイスクリン
 あるテレビ局のディレクターが会いたいというので、僕は早速昔の楽譜を取りだしてギターに新しい弦を張り、埃がかぶったハーモニカをサニクリーンで光らせた。破れたジーパンを取りだし、カビ臭いTシャツに着替えいつでもカメラの前に立てる用意をした。これが僕の昔懐かしい土佐のアイスクリン、いやいやスタイルなのだ。
 待つこと数時間、現れたのは若いディレクター一人。唄う薬剤師の取材かと思ったら、今混乱している医薬品の郵便販売について教えてくれとのことだった。折角「唄う白衣」と言うタイトルまで考えてあげていたのに無駄だった。
 それでも数時間、時間を忘れるくらい話し込んだ。彼にとって恐らく収穫はなかっただろうが、僕はテレビ番組って、最初は一人の個人的な興味によって作られるのかと不思議な感覚を持った。作品にしか接することが出来ないので、意外と人間くさい発想で出来るのだと認識を新たにした。文系志望が薬剤師になり、医療系志望が文系の仕事についているのをお互い慰め合った。
 話は変わるが、東海地方のある男性に漢方薬を飲んで頂いているが、彼のいとこがある有名な政治家で、今回の医薬品の郵便販売禁止の件について尽力して頂いた。多くの国民が反対の意思表示をしてくれたらしいが、そうした実力者の口添えは恐らく大きな力になっただろう。おかげで2年間今までのように僕の薬を飲んでいただけるらしいが、2年先は又禁止になると言う。誰の利益を求めて決められたことか分からないが、いつも置き去りにされるのは、病院、あるいは現代医療から落ちこぼれた人達だ。お金持ちや偉い人達の間でしか法律は決められないから、陽が当たらない人には永遠に陽は当たらない。そんな理不尽に昔ながらのアイスクリンが、いや薬局が孤軍奮闘しているのだが、なにぶんもう辞めていく世代が多いのだ。医療の狭間で苦しむ人に少しでも笑顔を取り戻してもらおうと頑張っているが、最近はこちらの顔が引きつるばかりだ。2年の間に本当に困っている人達のための決まりが出来ることを願っている。


2009年05月11日(Mon)▲ページの先頭へ
縄跳び
 まあ、驚いた。僕より一回り年配の方が鉄アレイを両手に持ってランニングをしていた。その後に懸垂を悠々と何回も行っていた。懸垂が1回も出来ないことに最近気がついたので、圧倒された。その人が縄跳びのギネスブックに載っていると言うから納得。なるほどその後の映像では3重飛びを延々と続ける姿も放映されたからまたまた納得した。ハッキリした数字を忘れたが、縄飛びを連続9時間以上、2重飛びは連続万の単位、他に2つの数字も出ていたがそれは忘れてしまった。
よくスポーツ選手などの勇気をもらうという表現をする人がいるが、僕はそれは理解できなかった。彼らは特別の素養を持った人達だから、出発点から違うだろうと比較の対象にはなり得なかったのだ。ところがその方は恐らくごく普通に生活している人。プロではないだろう。その人が好きなこととは言え、あの年齢になってもあれだけの筋肉を維持していることは驚きだし、僕も真似れば少しは又復活するのではないかと希望を抱かせてもらった。これが勇気をもらうってことなのだろうか。
 そうしてみれば僕なんかついぞ勇気など与えたことがない。与えてあげるだけのものも持っていないし、努力をもっとも苦手としているから成し遂げたものもない。もし与えられるとしたら優越感か。病気の相談にきた人が僕を見て、ああこの人よりは自分の方がましだと思えるかも知れない。ひ弱もそうしてみれば悪くない。人助けになる。
 どうやらついでに、居直って生きる勇気も与えられたかも知れない


2009年05月10日(Sun)▲ページの先頭へ
不謹慎
 こんなことを言うと不謹慎かも知れないが、ある程度体力がある人は新型インフルエンザにかかって自然治癒しておいた方がいいのではないかと思い始めた。報道される内容を聞いているとそんなに激烈な症状が出るようにもない。胃腸風邪に高熱と関節痛が併発するようなものだ。熱も40度に迫るようなものではないらしい。だから、この程度の症状ですむ間に罹患してある程度免疫を獲得しておいた方がいいのではないかと思う。もっとも、免疫が落ちている人達にその様な冒険は出来ないから、元気な人に限っての話だ。ヨーロッパの人達が意外と無防備なのは、風邪など自分で治すという風習があるからだと思う。例えばタミフルなどの薬の力を借りて治して果たして免疫が獲得されるのだろうか。素人考えだが、やはり自分の免疫を総動員してやっつけたものでないと、免疫は獲得できないのではないかと思う。これから次々と発生してくるウイルス疾患に、個別のワクチンが用意されるとは限らない。人が強くなることが一番なのだ。
 運よくか、逆に不運か、心のウイルスに罹患したことがない人、あるいはタミフルみたいに真の解決を避けれた人がいざ新型の心のウイルスに罹患したとき、不幸の免疫を獲得していないことが大きな障壁となってはい上がれなくなる。同じ穴に落ちても、はい上がるはしごはなかなか地上にまで届かない。いくつかの小さな不幸を経験している人は地上に出るのが早い。健康で美しくのキャッチフレーズは、健康も美しさも奪う。不健康で不揃いこそ人間そのもののような気がするこの頃だ。


2009年05月09日(Sat)▲ページの先頭へ
笑い声
 電気マッサ−ジ機に気持ちよく寝転がって、僕は籐で出来た衝立越しに彼女と話していた。急に訪ねてくると言われ何の準備もしなかったが、それはいつものことだ。多くの過敏性腸症候群の人に会ったが、その中でも彼女は特別明るかった。何でこんなに明るくて良く笑う子がと不思議だった。特に衝立越しに聞こえてくる彼女の笑い声は天下一品だった。こんな言葉はないが、僕の造語で許されるなら「笑い声美人」だ。大きな声で笑うが人一倍大きいわけではない。はじけるように笑うが待ってましたという計算されたものでもない。何時までも笑い続けるほど集中力が散漫なわけでもない。いわば束縛を嫌った笑いとでも言おうか、解放された心が一瞬にして四方に拡散するような笑い方をする。思わず僕は「君はとても気持ちの良い笑い方をするね」と言った。笑い方を誉められても嬉しくはないかも知れないが、衝立のこちらにまで及ぶ心地よさに何となく賛辞を送りたかったのだ。
 もう1泊して帰っていくのかと思ったら、夕方急に帰っていった。前島フェリーに乗って夕陽も見たからまあ良いかと思ったが、隣の県だからいつでも来れる。又来ても良いですかと嬉しそうに言ってくれたが、何となく次回来るときには治っていそうな予感がする。期待しすぎだろうか。話すうちに今まで数年の疑問が色々と解決してくれたようだったから。高校時代の苦しみは何だったんだろうとふと漏らした言葉が希望だ。一人で悩んで、インターネットで断片的な知識を拾い、思い込みを激しくし、浮かび上がることのない絶望を抱いて暮らして行くにはあまりにもその笑い声はすがすがしすぎる。一つ一つのトラウマを客観的に分析し潰していけば、何ら恐れることはない。その役を担うのが僕かも知れないし、それを助けるのが僕の漢方薬かもしれない。
 笑顔の綺麗な人は沢山いる。でも笑い声に魅了されるような人はちょっと珍しい。彼女にとってはただの笑いだろうが、周りの人を心地よくさせるまか不思議な能力の持ち主だと僕は思う。


2009年05月08日(Fri)▲ページの先頭へ
雨期
 国へ帰ってもしばしば日常を報告してくれる。同じ町に住んでいた時と何ら変わりない意志の疎通が出来る。僕のもっとも苦手とする分野だから良く分からないが、ベトナムに帰っても日本語でメールをくれる。日本語が使えるパソコンを持っているのだろうかと、素朴な疑問を持つ。もっとも英語でもベトナム語でも僕には通じないから選択肢はないのだが。
あちらでは超有名な大学の出身だったが、こちらでは通訳という職種よりも寧ろ単純労働者として扱われた。それでも我慢して働いていた。向こうの生活レベルがどのくらいなのか分からないが、もっと残業したいというようなことも時々言っていた。驚くほど安い賃金だったが、彼女らはよく働いた。健康を害さなかったのが何よりだ。
 帰国してしばらくの間、仕事が見つからなかったらしいが、やっと見つかった。新設される美容学校の教材を翻訳しているらしい。日本語の検定試験1級を受かった人だからまさに適任だ。やっと、自分の力を評価されたのかも知れない。通訳という肩書きで雇われ、単純労働を強いるようでは本当の評価とは言えない。日本に対して嫌悪感を抱いていないかずっと気になっていたが、その種のことは口には出さなかった。ただ時々、薬局に来ては泣いていた。口に出さない分よけい哀れだった。
 ベトナムは今雨期で雨ばっかりらしい。日本、それも瀬戸内の雨の少ないところで過ごしていたからさすがにこたえるみたいで冗談に似た愚痴がこぼれていた。晴れの国岡山は気持ちよかったのか、あるいは深い帽子、大きなマスクで顔をかくした独特の格好はこの地の人には珍しかったが、強烈な紫外線は彼女たちには実は辛かったのか。2年ぶりの家族との再会をとても楽しみにしていたが、それを語る文章は少ない。嘗てと同じように横たわる日常に立ち向かっているのだろうか。笑顔だけが安全を保証するような異国の地で過ごした2年間は、まだ見ぬメコンの流れのほんの一つのさざ波にもなり得なかったのか。


2009年05月07日(Thu)▲ページの先頭へ
老化
 医療ジャーナリストの田辺功氏によると「日本では高齢者に出される薬に不要なものが多く、医師も薬のことを知らずに処方していて乱用とも言える」と言い、その一例としてタミフルは世界の7割、睡眠薬のハルシオンは4割、高血圧の薬も4割という例を挙げている。
 なるほどと頷けることは日常業務の中でしばしば遭遇する。これだけ沢山の薬を自分の家族だったら飲ますことが出来るのだろうかというような量を平気でどの患者にも書いてくる年配の医師がいる。それをありがたがる患者が、特に老人の患者がいるので、結構流行っているから皮肉なものだ。元は税金だという意識は全くない。潤う人ばかりだからなかなかそのシステムは崩壊しない。
 そもそも病気は治るが老化は薬では治らない。病気と老化の区別を何処でつけるのだろう。欲張りな人は老化を自助努力しないで治そうとするがそんなもの薬で治るわけがない。骨がすかすかになり筋力が落ちれば、熱量は作れないからあらゆる日常の行動が制限される。そんなもの運動して筋力を復活させるしか方法はない。孤独な報われることの少ない作業だがそれ以外に方法はない。
 タミフルを飲む変わりに寝ていればいいし、睡眠薬を飲む変わりに、昼寝を止めて働けばいいし、高血圧の薬を飲む前に塩分を減らし良く歩けばいい。こうすれば誰も儲からないが無駄な税金の使い道は減る。体にもいいし、国の財布にも良い。誰かが旨く交通整理しないと、私欲のために医療が施され、私欲のために医療を受けることになる。若い世代にはたまったものではない。将来国の借金だけがたまったものなど、これ又たまったものではない。


2009年05月06日(Wed)▲ページの先頭へ
大切なお知らせ
 厚労省より、6月1日から第3類医薬品以外の一般用医薬品がインターネットや通信販売で販売(購入)できなくなるため、それらの方法により薬を購入し使用している人が困らないように、期限を決めて経過措置を設け、その措置の対象としては、6月1日以前から漢方薬など特定の薬を継続して飲んでいる場合や、薬局・店舗のない離島等に住んでいるために薬局等での薬の購入が難しい場合に限定するとの考えが示された。

 上記のように、多くの方が心配してくれていた懸念が一応避けられそうだ。6月1日から漢方薬を郵送販売してはいけないと言う規制が始まる予定だったが、さすがに厚生労働省も薬局とネット販売業者を区別してくれることになった。僕の場合、直接薬局に来てくれる人に負けないくらい情報のやりとりを郵送の人とやっている。ほとんど地元の人より親しくなって友人のような人も何人かいる。皆さんが発した言葉や声をかなり真剣に吟味している。ちょっとした一言の中にヒントが隠れていることが多いから。皮膚病はさすがに見なければ分からないことが多いが、その他の疾患は膨大な言葉のやりとりでかなり本質まで迫れる。この所、成り行きを見まもるために少し引き受ける患者さんをセーブしていた。しかし、上記のように今まで飲んでいた人に限って薬を送っても良いという特例で終わるとしたら、逆に今月中に一度でも僕が薬を送っていなければならない。そうしないと来月以降に初めて頼まれても送れないかも知れないのだ。もっともそれも理不尽で、きっと厚生労働省も認めてくれると思う。僕らは食っていくだけなら、地元の人達だけで十分なのだ。縁があって知り合える遠くの人達には、生き甲斐を頂いているのだ。それを販売だけが唯一の目的の業者と一緒にするのがそもそもおかしくて、その点を見落として、漢方薬の郵送に反対していた薬剤師会自身にも失望した。
僕の漢方薬を飲んでみようかどうか迷っている人がいたら、念のため今月中に一度連絡して欲しい。そうすれば安心して来月以降を迎えられる。


2009年05月05日(Tue)▲ページの先頭へ
ぎおん太鼓
 お母さんはすぐ分かったが、お嬢さんを認識するのには一瞬の間があいた。わずか4ヶ月前に会っているのに。それもそのはずだ、初めて訪ねて来てくれた時の印象は、目に力があり聡明そうなお子さんだなあと言う印象だった。過敏性腸症候群で悩んでいると言うには目に力がありすぎた。高速道路を何時間かけて訪ねてきてくれたのか分からないが、その甲斐あって順調に回復し、再び学校で活躍するようになってくれた。今ではリーダー的な存在にもなっているらしい。不安があれば本人が電話をしてきて、僕はその都度医学的な説明をした。相手が中学生でも大人と同じように対した。それを彼女は客観的に理解してくれて脅威のスピードで回復していったのだと思う。
 わずか数ヶ月間の体調や心のありようが全く彼女を変えていた。数ヶ月前にはなかった顔の表情の中で、穏やかさが俄然存在感を増していたのだ。なんて穏やかな顔をしているのだろうと思った。相手の話を一言も聞き漏らさないぞと目を開き構えていた緊張感は全く影をひそめていた。あの時、年齢以上にしっかり者に見えた彼女は、今は年相応の可愛い女の子になっていた。あの時のしっかりしすぎた顔つきも、その子の個性かも知れないが、穏やかな表情の方が似合っていた。都市部で暮らすお子さん達の緊張感は、僕などには想像できないのだが、落ちこぼれることが許されない大人社会を投影しているのだろうか。競争が激しくなく、町全体が落ちこぼれているようなところで育つ子供達は、落ちこぼれている感覚が薄い。みんなで落ちこぼれれば怖くない?それは結構貴重な救いなのかも知れない。就職初日に辞表を書き、行くところもなく帰ってきた僕を受け入れてくれた気取りようもない海の匂いを、都会であえぐガンバリ屋さんたちに届けてあげたい。
連休で家族揃って訪ねてきてくれたが、その事にもまして嬉しいことがあった。あの地のお土産は結構定番が多くて、明太子、ラーメン、ひよこまんじゅうなどだが、あの素敵な家族には胡月堂と言うところのぎおん太鼓というパイ?を頂いた。どうして僕が洋菓子派と分かったのだろう。あの見開いた目で見抜いていたのかな。


2009年05月04日(Mon)▲ページの先頭へ
当て逃げ
 横浜の鶴見区に住んでいる姉が、いみじくも人口7000人の町に住んでいる僕と同じことを言った。両極端の環境に住んでいる人間が同じ感想を持つのだから、この国の恐らく何処に行っても同じようなものなのだろう。いい悪いではなく、仕方ないのかも知れない。成熟とは、新たな挑戦や危険を冒さないことにも通ずるのだろうから。
 交差点で信号待ちをしているとき、目に入ってくる人の7割くらいは私くらいか、あるいは年上の人だって言うのだ。牛窓の場合、9割と言っても良いかも知れないが、大人、あるいは老人ばかりという印象は共通だろう。大都会でも若者が少ないのだ。
 ここまで書いて夕食を食べながらニュースを見ていたら、何と15才未満の人口構成比は15%を切っているらしい。なるほど、ほとんど大人ばっかりなのだ。子供が目に入らなくて当然だ。完全なる逆ピラミッドだ。道理でギラギラしたものがないはずだ。これだけ少数でパイを分けあえば、誰だって東大にも行けるし、俳優や女優になることも出来る。歌手なんて片手間でもやれるし、医者もやりたい人がやるようになる。ほどほどの努力で争う必要もない。
 人口減は地球環境には朗報だ。今まで贅沢を極めたのだから少しは貢献しなければならない。老化とは排出が出来なくなることだから、国の老化も人間と同じように地球には優しい。どんどん消費して熱量を生産し滓を捨てるのは若者の特権だが、老いた人間や国には捨てる滓も出ない。ただ、次なる世代に残してしまったのは、莫大な借金と莫大な紙おむつと、汚れた空気と、溢れる海面と、希望のない朝。歴史の当て逃げは許されない。


2009年05月03日(Sun)▲ページの先頭へ
精一杯
 母が90才になるのを祝って、今日、兄弟姉妹5人が集まってホテルグランビア岡山で食事をした。冠婚葬祭以外で全員が集ったのは恐らく初めてだと思う。大正生まれの両親はとにかくよく働いて、正月も休まず、それこそ365日薬局を営んでいた。そう言った環境で育ったから、僕ら子供達は家族一緒に行動した経験もなく、親の後ろ姿を見て育った。育てられたのではなく、育ったという表現が適している。5人がそれぞれ違う高校に進学し、その後も全員が家を出た。記憶に乏しい幼い頃だけ一緒に遊んでいただけなのだ。
決して仲が悪いわけではないが、テレビに出てくる愛情溢れる家庭ではなかったように思う。家庭より職業を優先しなければならなかった時代だったのだろう。おかげでどの兄弟姉妹も自立は早かったように思う。中学を出たらそれぞれの道だったのだから。この職業優先はどうやら僕も受け継いでしまったらしく、僕の子供達に楽しくてほのぼのとした家庭を与えることは出来なかったみたいだ。どうやら我が家を反面教師にしているように思える。それはそれでいいことだと思っている。僕の世代で、仕事だけのような家庭は終わらせた方がいい。笑いが溢れ、楽しい会話が行き交う方が値打ちがある。寝るまで仕事の人生がこれからの人達に価値があるとは思えない。両親の時代のように食うに困った時代の価値観は最早通用しない。
 ロビーを見下ろしながら兄が「この中にいたら世の中不況って感じがしないな」と言った。なるほど、一見して旅行客や結婚式の客と分かるような人で溢れていた。2時間かけて一つづつ運ばれる豪華そうな料理を味わうより、これだけかければラーメンを何倍食べれるだろうと計算するような風貌の人は見かけなかった。祝うことも、祝われることも苦手な家庭の、初めてで精一杯の祝いの会だった。


2009年05月02日(Sat)▲ページの先頭へ
常識
 ある雑誌に過敏性腸症候群について、某大学の教授と助手の方が最近の知見を載せてくれていた。病態や治療方法を詳しく書いてくれているが、結論は「・・・従って治癒がないことも患者に説明し漫然とした薬物投与は避けるべきだと考える」と結んであった。ここで言う薬物治療とは恐らくほとんどの患者さんが投与された経験を持つ代表的な薬を指しているが(抗コリン薬・・チアトン、消化管運動改善薬・・セレキノン、高分子重合体・・コロネル、抗うつ薬、抗不安薬、セロトニンアンタゴニスト)どれもカバーできる範囲があまりにも狭すぎて、継続するとデメリットが多いという理由からだ。
病院でおこなわれている最新治療が良く分かりとても参考になった。しかし、果たして治癒がないと患者さんが最初から聞いて治療するモチベーションが保たれるのだろうか。僕の未熟な漢方薬で治って頂いた200人あまりの人達はいったい何だったのかと素朴な疑問が湧くが、所詮田舎の薬剤師だから口を挟む資格はない。多くの言葉をやりとりして、本質に迫る泥臭い作業を繰り返して完治にいたるしかない。この泥臭い作業と、僕の泥臭い処方で救われる人が出るのだから、あながち治療成績も教科書通りに理解する必要はないのではないかと思う。僕の経験から何故って思われるような処方でお世話しているが、立派な先生方でも手こずるトラブルなのだから、中には変わった視点で変わった処方があっても良い。いや、むしろ常識にとらわれない方がいいのかも知れない。治癒はないという常識があるのなら、治癒できるという僕の常識を一人ずつ積み重ねるしかない。そのうち、治るんだという常識がぽつぽつと芽生えてくれたら嬉しい。


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