栄町ヤマト薬局 - 2009/03

漢方薬局の日常の出来事




2009年03月31日(Tue)▲ページの先頭へ
全開
 薬局が牛窓中学校の近くにあるので、生徒達が登下校するのが見える。たまに横着をして薬局の前あたりまで車で送ってもらい、そこから数十メートル歩いて登校する子もいる。理由があってのことだから良い悪いの判断ではない。時にほほえましい光景を目にすることもある。
 今朝、軽トラックが横付けされたと思ったら、運転席からは畑仕事の格好のおばあさんが、助手席からは女生徒が降りてきた。おばあさんが荷台に積んである自転車を抱えて降ろすと、女生徒は自転車を漕いで中学校に入っていった。恐らく20回でも漕げば自転車置き場に着くのではないか。恐るべき省エネ登校。遅刻しそうになったのか、体調が悪かったのか分からないが、老農婦の逞しさが嬉しい。可愛い孫のためなら何でもしてあげそうな勢いだ。田舎には田舎の優しさの表現がある。顔は分からなかったがきっとあの農婦も薬局に来ると、素朴な会話をして、とても穏やかなのだろうが、ばあちゃんパワー全開だ。3世代同居のいい家庭なのだろうなと羨ましくなる。
 他方で田舎には田舎の悲しさもある。優秀なお子さんを持った親は、老いては孤独だ。優秀なお子さんは都会に活躍の場を持つから、まず帰っては来ない。老夫婦、いや、独居老人が家を守っていることが多い。皮肉なものだ。そこそこの能力で、地元に職を求めたお家はにぎやかで外からでも家族愛が見える。人気のない家は、嘗ての近所で評判のお子さんがいたお家が多い。活躍の風評がいくら入ったって、孤独を慰めることは出来ないだろう。恐らく同様に優秀な配偶者を得て、都会の活気の中で、古里に残した親の心の声は聞こえないのではないか。
 何かを得れば何かを失うのが世の常なら、元々失っている方が落差に戸惑うこともない。夕陽に急かされて玄関を施錠しても、遠慮を知らないカビ臭い冷気は万年床の敷布を容赦なく濡らす。


2009年03月30日(Mon)▲ページの先頭へ
ハサミ
 調剤室で使っているハサミの中の一つは、極端に細くて黒光りしている。指を入れる穴が小さく僕の指は完全には入りきらない。僕は使えないが、娘は指が合うので使っているみたいだ。薬のシートを切る作業が多いので、ハサミは薬局にとって必需品だ。そのハサミは僕が幼い頃、母が散髪をしてくれた時に使っていたものだ。兄弟も全員母にしてもらっていたような記憶がある。散髪屋さんに行った記憶もあるから、大切な行事の時以外は母がやってくれていたのだろう。
 散髪に関して一つだけ鮮明に覚えている出来事がある。散髪は必ず薬局の仕事が暇になる夜にやってもらっていた。ある夜薬局の半分を閉めて母にやってもらっていた。その時買い物に来た人がいたのだが、なんと数軒先の散髪屋さんの奥さんだったのだ。母が何か口ごもっていたのを覚えている。子供心にもばつが悪いだろうなと察した。当時いくら散髪代がかかっていたのか分からないが、母の倹約の一つだったのだろう。
 20年前、母の胃ガンが発見され手術することになった。入院する前に古い通帳を渡された。いくらも入っていなかったような気がするが、通帳を入れた茶色の封筒に、このお金はあなた達の散髪代を倹約してこつこつ貯めたお金です、何かの役に立ててくださいと書いてあった。母は今我が家で一番元気だが、当時は死を覚悟していた。渡された封筒に書かれた文字を読むたびに涙が出てくる。子を思う母親の深い愛情を思い知らされる。5人の子供を大学に行かせるために働き続けた両親だった。経済的な贅沢をしているのを一度も見たことがない。
 50年経っても錆びないハサミに、老いてもなお息子を助けようとする母親の愛が映る。


2009年03月29日(Sun)▲ページの先頭へ
伴奏
 僕の傍で、「ミー、ミー」と繰り返すから、猫かと思ったら、「私にオルガンを弾かせてくれ」って言っているのが身振りで分かった。ミサの途中でフィリピンの人達のコーラスが入るが、その伴奏をさせてくれって言っているのだ。ミサの間は中年の日本人女性が伴奏を務めてくれているから遠慮しているのだろうが、彼が弾きたいのは聖歌ではなくゴスペルだから、その女性には弾けない。ギターで伴奏をしていたフィリピン人が帰国してから僕が毎週臨時で伴奏をしているが、本来は彼らの持ち時間だから彼らで完結するのが一番いい。
 その女性に頼んだら快くオルガンを貸してくれることになり、来週からは彼が伴奏をすることになった。一度それでも聴いておきたいと思ったので、練習をしようと誘って実際に弾いてもらった。楽譜がないので僕が唄を歌ったら、彼は音をとって、もう2巡目には完璧に弾いた。回りにいたフィリピン人も日本人もすぐ唄の輪に入ってミサの時より盛り上がっていた。伴奏一つでこんなに違うのかと、来週の日曜日が楽しみだ。
 ちなみにその後にギターも弾き出したが、これがまた素晴らしく上手だ。恐らく僕がやっているからこれまた遠慮していたのだろうが、その奥ゆかしさだけで十分だ。若い人が中心になることに抵抗はないし、望むところなのだ。希望に溢れる世代に、希望を失った世代が出来ることは道を譲ることくらいしかないのだ。何か良いことを成すときに若い人が力を発揮するのを見るのは、その上の世代の人にとっては喜びなのだ。どんなことがあっても立ちはだかってはいけない。それが親子でも同じことだ。立ちはだからないこと、ずっと心に決めていたこと。子育てが終わってから、久しぶりに思い出した価値観。


2009年03月28日(Sat)▲ページの先頭へ
東大
 数年前その家族がよその町から漢方薬を取りに来てくれた頃、僕は「○○市で一番幸せ家族だろう」と言ったことがある。半分冗談だが、半分は結構あたっているのではないかと思っていた。どうやらそれはあたっていたようだ。
今日久しぶりにお母さんと息子さんが一緒にやってきたので、受験がすんでどこかに合格したから僕にお礼を言いに来たのだと思った。手ぶらだから後からクロネコヤマトで持ちきれないほどのお礼が届くものと思っていたら、なんと浪人するという。だから手ぶらなのかとその時点で納得したのだけれど、後期試験で東大には合格したのだけれど、志望の医学部には落ちたので来年再挑戦するらしい。
 来年の2月まで岡山には戻ってこないらしいから、その間に必要な漢方薬を取りに来たのだが、ほとんど漢方薬の話はしなかったような気がする。僕らレベルからすると、どの学部でも東大ならいいだろうと思うのだが、医学部以外なら東大という意味も彼にはないのだろう。「東大入学の権利を500万で譲って。1000万円で売ってもうけるから」と、たわいのない冗談を言い合って楽しい時間を過ごした。
 僕の薬局は底辺薬局を自認しているのだが、最近時々かなり優秀な人が紛れ込んでくる。ただ、幸運なことに鼻持ちならない人間はやってこないからまだ救われる。今日の彼にしたって、優秀さの片鱗は受け答えに良く出て察することは出来るのだが、どちらかというと完全お宅なのだ。鉄道に関してはすごい知識らしくて、駅は勿論時刻表まで分かるそうだ。高校生の経済のクイズでも優勝したのか新聞に出ていたりしたから、まんざら受験まっしぐらではなかったみたいだ。ごく普通の田舎の不良薬剤師とも楽しく話が出来るから、人格を置き去りにしてもいない。旨く育ったのか、旨く育てたのか分からないが、ほのぼのとした家庭の雰囲気もまた、彼の財産だ。
 それにしても○○市で一番の冷え性のお母さんから、あんなに優秀で部分的に熱いお子さんがよく生まれたものだ。


2009年03月27日(Fri)▲ページの先頭へ
振幅
 薬局を開ける頃、遠くから鶏の鳴く声が聞こえた。一番鶏ではないが、なんだか懐かしい声だ。今の時代に、鶏を飼っている人がいるのかと思うとなんだかほっとした。10円も出せば卵は買える。何を求めて飼う気になったのか知らないが、シャーッターを開けながら、鶏舎の臭いと逃げまどう鶏の姿と泣き声が思い出された。
幼いときに預けられていた母の実家では、毎日小屋に入り鶏を追い払っては卵を集めるのが小さな手伝いだった。今でも鮮明に鶏たちの動きや泣き声や臭いを思い出すことが出来る。飼っていた犬と猫と牛、一歩外に出ればカエルやメダカ、決して動物好きの僕ではないが結構生き物たちに囲まれて育っていたのだと思う。その結果がどうだと言うことは出来ないが、無機質な空間で、体温を持たない物達との共存では決して得られない大きなものを与えられていると思う。その体験はおよそ生産には反映できないが、少なくとも壊してはいけないものを壊さない大きなブレーキは得たのだと思う。学ばなくても何が大切かも身をもって知ったのではないか。
 全てが合理的な判断や結果を求められ、振幅のない生活を子供の時から強いられていればいつかは破綻する。永久に順風満帆ならいざ知らず、嵐に遭えば忍耐に乏しいのは当然だ。揺れてこそつかめる価値観も多い。船酔いまではしなくていいが、ほろ酔いくらいは大いに経験しておくべきだ。


2009年03月26日(Thu)▲ページの先頭へ
店員
 だめで元々と思い電話した。肩こりで風呂は欠かせないから、今夜入れないとなるとかなりダメージだと思っていた。灯油がないことに気がついて電話したのは、ガソリンスタンドが閉まる5分前だった。案の定、断られて、それはそうだと素直に受け入れていた。翌日配達してくれるらしいから諦めもついていた。
 ところが、30分くらい経ってから灯油を入れましたからと店員さんが薬局に入ってきた。勝手を知っているから先に灯油を入れてから集金してくれるのだ。これには驚いた。まさに狐につままれるとはこのことだろう。僕はあまりのうれしさに薬を作っている途中だったが調剤室から出ていってお礼を言った。いつものようにさりげなく入ってきて、さりげなく帰っていったが、この店員さんがかなりのストレスを抱えていることを知っている。色々な困難を抱えながらも一生懸命働いていることを知っている。元々の性格か、その抱えているものの故か、笑顔が少ないことが気になるが、わざわざ自分の時間を削って灯油を入れに来てくれた優しさに何か応えられるとしたら、幸あれと祈るくらいなものだ。
 何億円ももらっている人達の集団があるスポーツで世界一になったと言って喜んでいる。僕には何の感動もない。寧ろ、黙々と抱えているものの重圧と戦いながら働いている一市民に、スポットライトがあたることを期待する。そんなヒーローは全国いたるところに一杯いる。今もどこかでヒーロー達は黙々と懸命に働いている。


2009年03月25日(Wed)▲ページの先頭へ
米原
 僕が20歳過ぎに作った唄をいまだ歌ってくれている人がいて、その人が正式な歌詞を送ってと言ったので、古い音楽ノートをとりだしてみた。表紙は破れて、紙は茶色に完全に変質していて、何をこぼしたのか、大きなシミがノートの半分にも広がっていた。当時、何も持っていなかったが、青春の証としてこのノートだけは岐阜から持って帰った。未だ捨てることが出来ない。これを捨てればあの頃の全部を否定してしまうような気がするから。臆病だけれど、未熟な正義感をまとって懸命に落ちこぼれていた。居心地の悪い倦怠をまとって落ちこぼれていた。そんな頃、大雪で立ち往生した米原駅あたりの電車の中で頭に浮かんだ詩とメロディーをアパートに着いてすぐ書いたものだ。

冬の風に ロングスカートを もてあそばれて
女が一人プラットホームに立っている
やつれた顔で曇り空を見上げている
頬を伝う涙さえも 凍り付いているみたい
一人旅は 恋に破れた女の子守歌
堅いちぎりは心の傷跡 もう恋などしないだろう

今にも雪が琵琶湖を越えて降ってきそう
女は凍えた手に白い息を空しく吐きかける
遠く聞こえる汽笛はきっと貨物列車
北国行きの汽車はまだまだ来そうにないよ
冷たく延びたレールの向こうに君を慰める
優しい町の優しい人が君に見えるかい
おお、ここは米原 誰もが一度降り立ち
昨日までの想い出を風の中に捨てる町

二年前に東に向いて 僕はここに立っていた
何かが出来る予感を胸に コートの下で震えていた
頭の中を空っぽにして 身体すり減らし
足跡さへ残らない 日々を暮らしてきた
別れの涙を流してくれる人もいない
僕は今西に向いて ホームに立っている

早い黄昏が山の駅にやってきたとき
北国行きの汽車の中に 女は消えていった
いつかきっとあの人も 再びここに降り立ち
変わらぬ町に慰められる そんな自分を見るだろう
僕は下りの電車に飛び乗り 窓に映る
女と僕の影を重ねて 煙草に火をつける

おお、ここは米原 誰もが一度降り立ち
昨日までの想い出を風の中に捨てる町


2009年03月24日(Tue)▲ページの先頭へ
原風景
 勝手なもので、大きな感謝には気がつくが小さな感謝は気づかずに素通りしてしまうことが多い。さすがに大きな利益をもたらされれば、有り難うの言葉も素直に出るし、下げる頭も自ずと深くなる。体中で感謝の意を表すことにはばからない。
 ところが小さな感謝にはなかなか気がつきにくい。何の利益ももたらされなければ尚更だ。後ろに山がそびえ、小川が流れ、田畑が広がる。小動物が臆病に顔を出し、虫が土中から這い出す。小鳥は低く飛び、泣き声で季節を奏でる。老いた農夫が一輪車を押して農道をゆっくりと下ってくる。収穫の重みに膝が湾曲する。この原風景にこそこの国の人は生かされている。高層ビルの中で、あるいは堅牢な部屋で机に向かっている人に生かされているとは思えない。その原風景にどのくらいの人が感謝しているだろう。五感を研ぎ澄まさなければ気がつかない恩恵にどのくらいの感謝の気持ちを捧げることが出来るのだろう。そこにあるだけで、そこにいるだけで感謝しなければならないものたちに心を向けることが出来ない。山を拝み大木を拝む感謝の気持ちこそがかけがえのない宝だと思うのだが、残念ながらその宝はとても口べたではにかみ屋だから、多くの人が気がつかずにただ素通りするだけだ。
 小さな感謝を口に出来る感性を持ちたいと思うが、口から出るのは果てのない欲求ばかりだ。これ以上何を求めるのだろう。欲しいものが分からないくらい欲しがり、結局残しておきたいものは何もないのに。


2009年03月23日(Mon)▲ページの先頭へ
跋扈
 経済が混沌としていて薬局も例外ではないらしく、漢方のメーカーが若手薬剤師を集めて時事講演会を行った。娘がそれを聴きに行って少しだけ内容を教えてくれた。詳しいことは聴いていないけれど、又僕に伝える必要もないので、余程印象に残ったことだけを話したのだろう。
 講師の薬局経営者は、大都会のホテルの中に薬局を構えていて、1日5人だけを応対するそうだ。まず相談料として1時間1万円もらい、煎じ薬を出して、1日分が1400円だそうだ。薬局が作れる処方は決まっていて、どの処方を作ってもそんな値段が付くはずがない。田舎なら400円あればどの煎じ薬でも作れる。同じものを作って1400円とは、その講師が言う付加価値を大きく逸脱している。付加価値は、薬が効く確率を高めることでしかつけれないと思うのだが、値段を高くすることが付加価値とは呆れる。また、相談するのにお金をもらうなんて開いた口がふさがらない。何の裏付けがあってお金がもらえるのか知らないが、太木何とか言うおばさんか、江原焼き肉のたれかしらないが、あちらの世界の話になってしまう。
 その後、幾人かに別れてお互い意見を交換したらしいが、その中で参加者の嘆きは、漢方薬だけでは食っていけないし、処方箋調剤は儲からないと言うことだったらしい。娘は、如何に安くてよく効く漢方薬を作るか勉強していると言ったらしいが、皆さんきょとんとしていたらしい。漢方薬だけで、処方箋調剤だけで、OTC薬品だけで食って行くことが薬局の理想ではない。その理想は、オーナーの理想であって、患者さんの理想ではない。何を使ってもらってもいいから元気になればいいのだ。漢方だろうがサロンパスだろうが、病院の薬だろうが何でもいいはずだ。だから薬局は全てのことに対処できなければならないのだ。何万円も払えるブルジョアだけ相手にするのが薬局でもない。300円しかないけれど風邪を治してと頼まれたり、病院で治らないから治してとか、処方箋の薬を作ってとか、何でも屋でしかあり得ないのだ。厚労省だってその様に考えていたはずだ。ところが経済至上主義がこの世界も覆ってしまって、門前薬局やカリスマ薬局が跋扈するようになってしまった。何でも屋でそこそこが丁度いいのに。


2009年03月22日(Sun)▲ページの先頭へ
堤防
 決して目の錯覚ではないと思う。何となく違和感があるなと思いながらかなりの距離を運転していたのだから。確かめたくてスピードを落としながらゆっくり見てみたが、何度繰り返しても同じだった。降りて実際に確かめればいいのかも知れないが、そこまでする理由もない。
 玉野市にある教会に急ぐために、岡山市から一級河川の旭川の堤防を下った。やっと車がすれ違えるほどの狭い堤防だが、信号はないし対抗する車も少ないから急いでいるときには時々利用する。南へ下るときには、右手に河の水面、左手には住宅が密集、あるいは所によっては点在している。見渡す限り岡山平野が続いている。
 今日は明らかに、河面の方が堤防の下に広がる住宅地より高かった。走りながらの感覚だが、2メートルくらいは高いのではないかと思った。恐らく堤防がない頃は河の水がこの辺り一帯に養分を運んでいたに違いない。人が堤防を築き、多くの土地を得たのだと思うが、考えてみれば頼りないものだ。河より低いところに多くの人が住んでいることになる。時折ニュースで見る光景(堤防が決壊して河の水が町を目指して流れていく様)は、このような状態だから起こるのだろう。水は決して低いところを流れているのではなく、人が高いところを流れるようにしているのだ。いつの時代に作られた堤防で、構造がどうなっているのか全く分からないが、決して壊れないものという大前提でみんな暮らしているのだ。堤防沿いの人なら分かるだろうが、ちょっと離れればそれは理解できないだろう。 数年前牛窓が台風の高潮でやられたとき、結果論でここが低かった、あそこは高かったなどが分かった。平坦な道路だとずっと思っていたのに、被害を免れたり、被害に遭うなどの差があることが分かった。淡水湖が見える辺りでその差は感じなくなったが、結構日常も危ういバランスの上に成り立っているものだと思った。


2009年03月21日(Sat)▲ページの先頭へ
官舎
 今でこそ余り無いが、以前は警察官や警察官の家族ととても仲良くなっていた。牛窓署に赴任してくる警察官は多くは家族を伴っていた。警察官舎に家族も一緒に住んで、子供達は牛窓の学校に通った。僕が若い頃は独身の警察官と仲良くなり、一緒に小さな旅をしたり、警察の野球チームに僕が入らせてもらったりしてよく遊んだ。
 僕の年齢が上がるに従って、家族の人達と親しくなっていった。勿論こんな職業だから、また、薬局が町の中心にあることから、接触する機会が多かったのだと思う。牛窓を離れてからもつき合いがある家族もあり、薬を届けることも多い。
 先日電話をもらった奥さんは、エリート警察官の奥さんだが、良く僕を頼ってくれて色々な薬を当時作っていた。今回も薬の話をしていてふとお子さん達の話になった。高校受験という言葉がお母さんの口から出たので、少し面食らった。どのお子さんのことを言っているのか分からないのだ。恐らく長女だろうと思ったのだが、何となく内容がそれではつじつまが合わないのだ。当時は、可愛い女の子を3人連れて良く来ていた。恐らく長女でも小学低学年だったのではないか。末っ子はまだ幼稚園にも行ってなかったと思う。それが高校受験に該当するのが真ん中のお子さんだと知ってびっくりした。恐らく山陽の出ではないだろうのんびりした口調の奥さんと、おおらかに育てられているのが良く分かるお子さん達の遠慮のない、それでいて全く図々しさのない様子にずいぶんと心を慰められたものだ。ああいった光景が薬局の中になくなったのは、本来のヤマト薬局の利用者だけの空間が、処方箋を持ってくる人達の空間と重なり合ったためだろうか。嘗てののんびりとした、それでいて深い交わりは余り無くなったような気がする。あるいは僕のせいかもしれない。ちょっとした体調不良の人達が気楽に寄れるところだったのに、深刻なトラブルを抱えた人達が次第に増えてきた。所詮薬局だから、ちょっとしたトラブルのお世話が分相応なのだが、こちらが参ってしまうほどの苦痛を抱えた人達のなんて多いこと。医療では救われない人達も残念ながら巷には多いのだ。
 底抜けに大きな笑い声が受話器の向こうから聞こえる。ゆっくりとしたしゃべりに心が洗われる。貴重な個性に官舎。いや、感謝。


2009年03月20日(Fri)▲ページの先頭へ
恵み
 僕は今、ある女性の漢方薬を作っている。カルテに貼ってある写真は、僕の母と前島に夕陽を見に行ったときのフェリーの船室での写真だ。二人とも微笑んでいて、知らなければほんとのおばあちゃんと孫のスナップ写真と見られるだろう。
この女性は、ある超有名大学の医学部をここで卒業し、ある県の大きな病院で研修医になる人だが、この女性が素晴らしかったのは、僕の薬局に来たときに、来る人、来る人に「いらっしゃませ」と声をかけていたことだ。僕の相談机の前に腰掛けているのだから、来局者と視線を合わすことはないのだが、小さな声で必ず挨拶し、帰り際にも声をかけていた。
 勿論僕が健康のお手伝いをする上で全力を傾けるのは相手が誰でも同じことだ。これは自尊心の問題で、薬が効かないと言うことは屈辱に等しいからなのだ。僕が彼女に一生懸命になったのは、薬局で見た彼女の姿と、何十回も電話で話したときの彼女の態度による。この人を元気にして、立派な医者にすれば、何十万人の人がこれから彼女の医師人生の中で助けられると思ったのだ。恐らく一つの県から、彼女の大学の医学部に毎年一人合格するかどうかくらいの難関だろうから、彼女はいわゆる勝ち組の典型だ。そのまま彼女が順調に医師になっていたら、僕は腕は信じても人格は信用しない。彼女を襲った不調があって初めて、彼女は教科書や試験問題では解決しないことに遭遇し、その面では下からものを見る状態を余儀なくされたと思う。その視点こそが、彼女が得た最大の恵みだ。これから彼女が対峙するのは、名もない普通の患者さん達。毎日がしんどくて辛い人達。努力の割に報われることが少ない人達ばかりだろう。その人達に初めて本当に寄り添える原体験を彼女は得た。こらから先、彼女の口から出る患者への優しい言葉は、本心以外何ものでもないだろう。
 田舎の薬剤師がお世話できる人の数など知れている。ただ、彼女が立派に医師の道を歩むことにより、その知れた数が、何十倍、何百倍にも広がると思う。ひょっとしたら、知らない街で、僕の漢方薬を飲んだお医者さんが、僕の漢方薬を飲んだ人を診てくれるかも知れない。いつか彼女が、勿論匿名で過敏性腸症候群は治るんだと勇気を与えてくれたらと思う。彼女以上にその資格がある人を知らない。


2009年03月19日(Thu)▲ページの先頭へ
マウンティングバイク
 何というファッションか知らないが、まさに決めた若い男性がマウンテンバイクに乗って薬局の前を通り過ぎた。先のとんがったヘルメット、サングラス、上下おそろいのジーンズ姿。懸命に漕いでいるがスピードが出ていない。なんだか平地を走るには不合理なように感じた。調剤室から偶然見ていたのだが、視界から消えた途端すぐに何故か引き返してきた。
 実は3日くらい前から駐車場と道路の丁度境くらいに紅葉マークが落ちていた。気にはなっていたがそのままにしていた。それをさっき視界から消え引き返してきた青年がさっと拾って自分の自転車の後ろ側に貼って何もないようにスッと去っていった。その間10秒くらいの出来事だった。格好良く決めた青年のマウンテンバイクに紅葉マークの取り合わせがすごく面白かった。それをこともなくやってしまった青年のユーモアに感心した。恐らく誰かが見ているだろうなどと想像もしないでとっさの判断なのだろうが、陰の観客としてはとても面白い寸劇を見せてもらったような気がした。
 こんな光景に毎日出くわすことが出来れば、少しは肩に力を入れずに暮らすことが出来るのにと、つい肩に力を入れて考え込んだ。


2009年03月18日(Wed)▲ページの先頭へ
個性
 「この数年間、何だったのかと思いました」とお母さんはせきを切ったように泣き始めた。お子さんは小学校から恐らくほとんど外に出ていないのではないか。処方箋でルボックスを取りに来るから、社会不安障害とかなんとかの病名でもついているのだろうか。医師にも一度か二度しか顔を見せていないと言う。母親が思いだしたように処方箋を持ってくるから、当初は勝手に飲みたいときに飲んでいたみたいだ。一ヶ月分の薬が数ヶ月持っていたからこれでは治療効果が出ないと、薬剤師的な発想でもっと真面目に飲んでみるように勧めた。その事は理解してくれてその後はかなり真面目に飲んでいた。それでも薬の効果は見えなかった。
 昨日その医師の最後の診察らしくて(栄転)お子さんが今まで口に出来なかったことを紙に書いて質問したそうだ。勿論自分の病状についてだと思う。その手紙を委ねられたお母さんに医師は「何を尋ねたいのか分からない」と答えたきりだったらしい。その場で思い浮かんだ感想が冒頭の言葉なのだ。まだ成人していない人が自分の状態を客観的に旨く表現できるかどうか疑わしい。だけどその切実な訴えに答えようともしない医師に失望、いや、怒りを抱くのも当たり前の話だ。恐らくそんな医師に数年も希望を抱き続けた自分自身に腹が立ったのではないか。
 処方箋を持ってくる患者さんに対して薬局は無力だ。薬局に期待されるのは、真面目に飲んでもらうこと、副作用を見つけることくらいだ。たった、それだけのことなのに報酬は結構つく。そこが又やりきれない。医療は絶対効果的なものという暗黙の了解の上に立っている。どれくらいの確率で医療に救われているのか知らないが、効を奏さずに医療機関をはしごする人も沢山いる。そんな人の受け皿が今は少ないのではないか。薬局が全てそれになれるとは言わないが、少なくとも漢方薬を本気で勉強している人間なら、いくらかは期待に応えられる。処方箋を僕の所に持ってきたばっかりに、僕から漢方薬を勧めることが出来ない。どこかで心のトラブルにも漢方薬がよく効くってことを耳にでもしてくれたらお母さんの方から依頼されることも可能なのだがと、ずっと思っていた。残念ながらその種の気付きには巡り会わないみたいだが、落としていった涙で治るはずもない。
 僕は専門家ではないから何処までが個性でどこからが病気か分からないが、どうも現代医学は個性までも抗ウツ薬や安定剤で治そうとしているみたいな気がする。だからいつまで経っても治らないし、薬と縁が切れないのだと思う。画期的な薬が発明されて多くの心のトラブルの方が治る日が来て欲しいが、それまでに一人でも二人でも、良い個性だから陥っていた穴から脱出する手伝いが出来たらと思う。


2009年03月17日(Tue)▲ページの先頭へ
道具
 さすが政治家だ。地元に暮らす僕が知らないのに初耳なることを教えてくれた。政治にも地元の発展にも余り興味がないから、僕が特別知らないのかも知れないが、知って得しようとも思わない。彼も利権に絡むような人間ではないから、安心して話も聞ける。恩返しが出来るなら何でも言ってくださいと言うが、別に僕がしてあげれたことなど何もない。強いて言えば、ごく普通に付き合うことくらいだ。何ら特別視しないのがいい関係を保てれている理由かも知れない。
 牛窓の沖にはいくつかの大きな島がある。その中の一つに都会の青年達が利用している施設があるらしい。それをもっと充実させる算段を考えているらしい。本土から見ると建物らしきものは見えないから、南側にあるのかも知れない。その施設のことでこれから何回も牛窓に来ることになると言っていた。今日は急いでいたが、後で彼が牛窓に来たのに寄らなかったことがバレるとまずいので時間を見つけて寄ったと言っていた。なるほど役人達も一杯来ていたみたいで、薬局の中で腰掛けようとはしなかった。今では僕などとは全く異なる世界で活躍している彼だが、そんな子供じみた理由で寄ってくれたことが嬉しい。
 こんなたわいもない言葉で、心が通わせれるのは有り難い。言葉は鋭利な刃物ではなく寧ろ紡ぐ道具だと知ったのは、何となく流れ着いたこの似合わない職業のおかげだ。


2009年03月16日(Mon)▲ページの先頭へ
メダカ
 裏口に小さな瓶が2つ置いてある。すぐその傍を毎日何回か通るのだが、普段はまず目に入らない。ほんの数十センチ離れたところを通っているのに。ところが昨日の昼は違った。その中で何か動くものを感じたから目がいった。水が温んで数匹のメダカが水面を泳いでいたのだ。結構大きかったから親だと思う。昔、母の里の小川で追いかけていたのと同じだ。数年前に、近所のおばあさんから頂いたメダカで、何世代命をうけついでいるのか知らないが、よくもまあ、こんな狭い空間に閉じこめられているものだと、何故か昨日はすまないように思った。思えば残酷なものだ。水も藻も、教えて頂いたとおり全く替えていない。小川で暮らせば、何処までも流れに逆らって登っていけるし、流れにのって下ることも出来る。色々な生物にも会うだろうし、色々なものも見れる。唯一天敵に襲われないのが瓶の中の利点かと思うが、でもそれは彼らの希望かどうかは分からない。単なるこちらの都合ではないのか。滅多目をやることもしないのに、何故未だ瓶の中に閉じこめているのだろうと自問する。
 実は現代社会のいたるところでこの瓶を目にするが、僕にそれを壊す権利も勇気も知恵もない。ただ、そこから飛び跳ねて、本来住むべき所にたどり着いて欲しいと思うだけだ。傷つくこともあるだろうが得るものは大きいだろう。広い世界を知らないのはもったいない。広い世界にしかないものはいっぱいある。ひょっとしたら本当に自分を救い守ってくれるものはそちらの側にあることだってあるのではないか。特に若いメダカには勇気を持って飛び跳ねてもらいたい。


2009年03月15日(Sun)▲ページの先頭へ
振幅
 血湧き肉躍る日々が人生のどこかであるとそれはそれで良い人生だったと言えるのだろうが、なかなか凡人にはそんな日々はない。血は湧かずに肉は垂れるのがせいぜいだろう。将来の目標を見据えてなどと、つい青年に自分の過去を忘れて教訓じみたことを言ってしまいがちだが、幸運にも僕にはそんな目標はなかった。ほとんど行き当たりばったりだったが、なんとなく大きく道をそれることはなかった。でもそれは決して幸いでもないのかも知れない。大きくそれた人達が結構世の中で評価される芸術家や小説家などのクリエーターになっている。常識に近いところでいくら振幅を増やしても、所詮それは良くあることの範疇から出ることはない。良くあることが大きな感動を呼ぶことは難しく、よくあることは滅多にないことには勝てないのだ。
青春前期から躓いている人は、その躓きを逆手にとればいい。その躓きこそ滅多にないことかも知れないから、よく観察し作品に仕上げればいい。それが出来なければ大切な価値観をそこで得ればいい。成功者には決して気づけない、書けない価値があるはずだ。混沌とした時代にのめり込むように心を奪われるようなことは少ない。貴重な挫折体験こそ、凡人が巡り会える数少ない滅多にないことかも知れない。


2009年03月14日(Sat)▲ページの先頭へ
一番星
 雨が続くから、やってくるのは農家の方が多い。雨の日は農作業が出来ないから休みなのだ。天気に休みまで支配されるとても自然な仕事だ。人間が作ったルールより、自然に従うことを良しとする貴重な職業だ。
 都会の労働者が人間疎外を何で克服しているのか知らないが、この土地の人はそれらの必要が少ない。仕事帰りのしゃれた食事もいらないし、くぐるのれんもいらない。まして風俗店の卑猥な呼び込みに自尊心を傷つけられることもない。夜はいつも昼の傍にいて、大きく手を広げて待っている。
 夜の9時を回って港まで2kmの距離を歩いても、人とすれ違うことはまずない。時々都市部に働きにいっている人の帰宅を急ぐ車に追い越されるが、数百メートル後方から接近していることに気がつく。さすがに家々の明かりは点っているが、テレビの声が漏れることもない。恐らくもう数時間後には起きあがる漁師達は眠っているだろうし、一人住まいの老人達も眠りにつく頃だろう。
この町の働きたがり屋は遊びべたではない。働くこと自体が遊びを含んでいるし、遊びながら働いているとも言える。生活の糧は笑いながらでも涙ぐんででも得られる。大地や海と駆け引きはしない。勝ちもしない負けもしない。ただ懐に包まれて従順に過ごすこと、そうすれば生かされる。強者は爪を磨かないし弱者は逃げ足を鍛えることもない。今年初めて出くわした一番虫がそう言った。


2009年03月13日(Fri)▲ページの先頭へ
気丈
 電話では気丈に振る舞っているが、恐らく受話器を置いた後は不安の深淵に落ちてしまうのだろう。一難去って又一難。どうして選ばれたように難題が降りかかってくるのだろう。そして何故それらが避けれなかったのか。そして誰かの救いの手が差し伸べられなかったのか。
次々と訪れる幸運に浸れる人も中にはいるのだろうが、職業柄僕が接するのはおおむね前者の方だ。その人の悪行や年齢で避けれないこともあるのだろうが、おおむね何ら非難されるものを持たない人がその苦難に遭遇している。
 「誰か自分の苦しみを訴えれる人がいる?」と尋ねたら、僕の患者さんの名前を挙げた。僕はその時家族の名が出るかどうか気になっていたのだ。残念ながら出なかった。初めて友人に連れられて相談にきたとき、何故か孤軍奮闘している人のように思えた。援軍の少ない人のように思えた。「頑張らないでね、正面突破したらだめだよ。人を巻き込んでね」と言うのが精一杯だった。
 青年、壮年、老年、どの世代も孤独な人が多い。家族がいても家庭がない。同僚はいても友人はいない。孤独は時に大いなる知的生産の源泉になるが、孤立は何も産まない。孤独から孤立への転落をせき止めるものがこの国から欠落している。発展という名によって隠されてきた大きな落とし物を今更かき集めることは出来ない。清流を下る落ち葉もいつかは沈み沈殿し汚泥になる。誰がそれを手ですくおうか。沈む前なら間に合うものを。


2009年03月12日(Thu)▲ページの先頭へ
月影
 相手の誇りを傷つけないようにと、静かな声で訴える一人の女性に、多くの勇敢を気取った人達が打ちのめされればいい。過去、幾多の勇敢な人達が、勇ましい声を上げようがそれは演技だと誰もが気がついている。弱い犬ほど良く吠えるように、弱い人間こそ強がるものだ。いざという時の気の弱さに呆れさせられるのは日常だ。テレビの向こうでも、近隣の日常でも見飽きている。
 逆に、黙々と生きている人達の芯の強さに驚くこともしばしばだ。寡黙で目立たない人達のいざというときの忍耐強さや果敢な行動に圧倒される。華やかさとか勇敢とかそんなものどうでもいい。ありのままを見せて、ありのままの力量で暮らし、ありのまま怯え、ありのまま真心を示せばいい。
 僕を、僕の薬局を利用してくれているのはそんな人達ばかりだ。あっと驚くような肩書きの人はいないし、あっと驚くような経済力の人もいない。恐らくみんなみんなごく普通の人達だ。大きな良いことは出来ない代わりに小さな悪いことも出来ない。多くの人を救うことは出来ないが、たった一人を傷つけることも出来ない。夢をキャンパスに描くことは出来なくてもノートの隅になら書ける。
 愚直な月影にも春は舞う。


2009年03月11日(Wed)▲ページの先頭へ
もんで
 恰幅のいい男性が薬局に入って来るなり「覚えていますか?」と言う。全然覚えていないから、「さあ」と愛想もなく答えてしまったが、よく見ると、つい最近ある政党を離党した渡辺なんとかという国会議員にそっくりだった。冗談にそう言おうかと思ったが、先に向こうが説明してくれた。
 去年2回花粉症の薬を僕からもらったそうだ。2回顔を合わせていることになるが思い出せない。調剤室から出された薬が眠くならずに良く効いたから又それが欲しくてやってきたと言う。花粉症になって45年と言ったから、時代の先端を行っていたんですねなどととりとめのないことを話していると、語尾にやたら「〜したもんで」とつく。「もんで」「もんで」の行列だ。その韻は嘗て青春時代よく耳にしていたものに似ていたから、あてずっぽで「お宅は中部地方の方ですか?」と尋ねたら、びっくりしたような顔をして「長野です」と答えた。僕は岐阜をイメージしていたのだが、隣の長野県も同じような韻を踏むのかと心の中でちょっとした発見を喜んだ。
 その男性を見て、又その韻を聞いて、岐阜にいる先輩のことを思いだした。と言うより、離党した渡辺なんとかをテレビで見るたびにあまりによく似ているので先輩を思い出すのだが、今日は音声付きだったから、リアルだった。外で人を待たせていた彼とにこやかに長話が出来たのは、実はそうした理由からかも知れない。似た顔をした人は性格まで似ているのかなと思えるような気の合いそうな人だった。わざわざ長野から鼻炎の薬を取りに来るのではなく、鼻炎の季節に牛窓に用事があるのだろう。メタボなお腹にスーツのボタンが用をなしていなかったが、まさか応対した薬剤師がこんなことを感じていただなんて考えもしなかったろう。一瞬の出会いが時間も空間も飛び越える。 


2009年03月10日(Tue)▲ページの先頭へ
不老長寿
 医師から処方してもらった薬を勝手に止めた経験のある割合は6割を超えるらしい。抗生物質などは耐性菌が発生するから勝手に止めないでと啓蒙しているらしい。風邪などで必要のない抗生物質を出し続けたから、そちらの方も問題だと思うのだが。
 漢方薬の場合その点は気が楽だ。命に関わることで漢方薬を飲んだりしないから、勝手に止めればいい。特に僕の漢方なんかいつもそう言っている。良くなれば止め、悪くなれば始める。その繰り返しだろう。
 若いときはともかく、年齢と共に病気か老化か分からなくなる。病気なら治さなければならないが、老化なら諦めなければならない。この判断というか決意というかが難しい。長生きは不調との戦いでもある。健康になれていた分、不調は耐え難い。庶民はマイケルジャクソンほどの資財も執着もないから、ダラダラと坂を下っていかなければならない。それこそ終着駅に向かって。
 政治の世界も経済の世界も、不老長寿をもたらしてくれるのかと思ったら、不良長寿ばかりで、若者もえらい迷惑だ。せめて健康面だけでも圧倒的な優位に立って人生を謳歌して欲しい。


2009年03月09日(Mon)▲ページの先頭へ
9880円
 胃カメラをもう抜いてもらえるのかなと思っていたら、突然「染色液を用意して」と言う声が聞こえた。ああ、やっぱりと思ったが、それでも一瞬のうちにあきらめってつくものだ。まあ仕方ないと思った。いつか息子が「初期の癌ならみな治る」と楽観的なことを言っていたから、何となくその事が最近の恐怖感を弱めてくれている。寧ろ今日がいやだったのは、又胃カメラを飲んでゲエゲエ言い、涙をこぼして、げっぷと格闘するのかというトラウマだった。ところが今まで経験したことのないくらい楽で、2回オエッと言っただけで、後はこんなに楽なのかと不思議なくらいだった。途中からは肩に力も入らずに自分の胃の中をモニターでずっと眺めていた。
 僕が今まで検診を受けていた開業医は、ある大きな病院の消化器部長をしていた人だが、それはもう辛かった。ただ日曜日にカメラをやってくれるので有り難かったが、毎年その時期が来ると憂鬱になっていた。エコーもやってくれるのだが、お腹を1分位で診てくれる。ところが今日はお腹のエコーだけでも10分は診てくれた。若い女性で医師か検査技師か分からなかったが、それこそ至る場所を至る方法で診てくれた。えっこれが本当のエコーなのと驚いて、去年まで僕はいったい何を根拠に喜んでいたのだろうかと不安になった。大病院の検査と開業医では雲泥の差があると、再認識された。エコーで診てくれた若い女性に終わってからどうですかと尋ねたら、異常ありませんと答えた。ホッとしてついでに頸動脈の動脈硬化も調べてくださいと言ったら、それは又予約してからですと言われた。その辺りはさすがに融通が利かない。その女性が僕のカルテを診て、同じ名字の先生にかかっておられるのですねと面白そうに言ったので「偶然です」と答えた。
 胃カメラがすんだら、呼ばれてパソコンの画面を見ながら説明を受けた。もうそこにはすでに1時間前に採られた血液検査の値も出ていて、コレステロールだけが高かった。腫瘍マーカーも正常だった。これは特に希望して検査してもらいたかった項目だ。さてさっきの染色した胃の内部だがピロリ菌がいる人や、嘗ていた人特有の状態で用心しなければならないとのことらしい。異常ないとのことだったので安心したが、用心のしようがない。萎縮性胃炎もあるらしいから、顔と同じように胃の中も歳をとっているってことだろう。一応の説明がすんで初めて息子が言葉使いを変えた。それまでは全く職業上の言葉使いだったが、初めて親子の言葉を使った。
 実は、親の病気を見つけさせるのが忍びなくて、息子に診てもらったことはなかった。ところが彼がさりげなくいつでも診てあげるよと言ったので、そんなにプレッシャーを与えないのならいいかと思えた。そうなるとさすがに便利で、短時間に3つの検査をしてもらえた。親ばかかも知れないが、驚くほど胃カメラが楽だった。もともと器用な子だったから旨いのかも知れないが、看護師さん達も大変誉めてくれていた。僕の前の患者さんがどこかの看護師さんで、わざわざ息子を指名してきたらしいから、まんざらお世辞ではないのだろう。車の運転が旨ければいい医者になれるなんて、程度の低い例えを言っていたが、意外と当たっているのかも知れない。
 勉強は嫌い、スポーツ大好きの家系だから、人とのつき合いも裏表がない。看護師さんやスタッフと対等につき合える子でその雰囲気は検査室の中にも伺われた。寧ろ医師との関係のほうが下手な子かも知れない。
 しめて9880円で当面の保証をもらってきた。しかしそれでは買えないくらいの息子の日常をかいま見れた。子供は親のためにあるのではない。社会のためにあるのだと、僕は彼が就職した時から思っている。


2009年03月08日(Sun)▲ページの先頭へ
一粒の種
 つい最近、韓国で一番えらいキリスト教の聖職者が亡くなったそうだ。その方は、軍事政権の頃、国民の精神的な拠り所だったらしい。87才で亡くなったが、生前から、自分の臓器を移植するように登録していたらしい。 高齢でなくなったので、実際には目しか使えなかったそうだが、目は確かに誰かに光りを与えた。葬儀には信者のみならず多くの人が参列したそうだが、素晴らしいのはその後のことだ。
 目が移植されたことが報道されると瞬く間に、100万人の韓国人が同じようにバンクに登録したというのだ。神父様は一粒の種からの例えをひいて話されたが、たった一人の人の影響力のすごさに驚いた。いやいや、たった一人の聖職者もすごいが、感銘した人達の後に続く行動力もすごい。あまり日本などでは経験しないことではないか。冷めていると言えばそれだけだが、一つにまとまりすぎることの怖さを経験しているから、一概に羨ましいとは思わないが、こと善意の行動であればやはり驚きを隠せない。
 翻って考えてみれば、僕ら凡人は、道路の向こう側の猫さえ振り向かせられないし、1メートル先の花さえ揺らすことは出来ない。感銘してはせ参じるほどの体力気力もないし、そもそも鼓舞されるほどの美談もない。飽食にて消化不良。空腹を知らないから満たされ方も知らない。知らない方が知ることより優っていると居直ることでしか平静を保てない。


2009年03月07日(Sat)▲ページの先頭へ
安眠

 ある小雑誌に、県知事と国立病院の院長が握手をしている写真が表紙を飾っていたので目を通してみたら、院長の年頭の挨拶が載っていた。その中で印象深い内容があった。
 医療崩壊、医療危機と言う言葉がマスコミで大きく取り上げられるが、実際には10年前に比べて良くなった部分は多いという意見だ。具体例を挙げていたが、医師の都合で行われていた治療が患者中心に変わってきたこと、患者一人に対する看護師の増員などでずいぶんと改善されたというのだ。とってつけた患者様という呼び名は嫌いだが、確かに医療もサービス業の範疇に入ってきたなと外部の人間にも実感させられる。「一時的な風潮や偏ったマスコミの報道に揺さぶられることなく事の良否を見極める力を持つことが重要であることを認識し、その土台作りである教育、研修に重点を置き、人に優しい病院を目指して頑張っていきたい・・・」受け狙いに終始し、大衆に迎合しているマスコミ批判は痛快だった。政治家も目先のつじつま合わせに終始し、確固たる信念を通そうとはしない。その辺りもチクリと批判していた。
 実はこの院長先生、何故か学生時代の息子を気に入ってくれていて、息子も唯一と言っていいほど尊敬できる先生だと言っていた。劣等生の息子と何処でどう接点があったのか知らないが二人で釣りに行ったりしたような話も聞いている。高校時代バレーボールだけに打ち込んだ子が珍しかったのか、海辺で育った子が重宝したのか知らないが、権威が嫌いな息子もあの先生だけは無条件で誉めていた。結婚式に来て頂くのかと思っていたら、招待しなかった。権威嫌いは親譲りか。そう言った物が幅を利かす世界で、異なった物差しで生きていくのは大変だろうと思うが、異なった物差しを使いこなすことが出来ない人間には、近づかないのが無難なのかも知れない。自分がお世話するごく普通の人の物差しの方が彼には余程あっている。居心地の悪さの中で耐えて手に入れたいものなどないだろう。
 社会はぎこちなく寝返りを打ち続けて、安眠を約束される夜はない。計算されないものの中にしか住めない虫もいる。


2009年03月06日(Fri)▲ページの先頭へ
卒業
 お久しぶりです。以前過敏性腸症候群でお世話になっていた○○です。先月、無事学校の卒業終了制作展を終えることができました。今は卒論を書きながら、就職活動をしたりしています。卒業はまだ一年かかるのですが、残りあと6科目になりようやく先が見えてきました。○○の○○さんは無事卒業だそうです(*^^*)学校の先生方も後輩たちもとても良くしてくれていて、辛くなることもあるけど幸せです。最初は卒業なんて諦めていたので、くじけそうになったときにいろいろと相談に乗って下さった大和先生には本当に感謝しています。もうひとがんばりします(^^)

 よかったね、よく頑張りましたね。頑張れば結果はついてくるし、頑張らなければ手に入らないし、そんな当たり前の世の習わしが貴女にも良く分かったと思います。貴女の数年間はマイナス体験だったかも知れませんが、僕に言わせれば貴女が経験したことの中で一番プラスになる要素を含んだ体験だったと思います。成功体験なんてあてになりませんから。周りの人も貴女自身が見方を変えれば、今までと違った人格が見えてきましたね。全て勉強でしたね。学生最後の年になりそうですね。楽しんでください。
ヤマト薬局

 こんなたわいもないメールのやりとりが出来るまでには、100回に上るメールのやりとり、緊急の泣きながらの電話、数回の訪問を経ている。クリック一つで、過敏性腸症候群が治るはずがない。郵送による医薬品の販売規制は、こんな地味な治療さえ規制するというのだろうか。小さな薬局がシステムに頼った「商売」なんかできない。縁あって知り合った人だけに最良の薬を飲んで欲しいだけだ。近隣の人をお世話するのと同じ心で、お世話しているだけなのだ。医薬品を選定するまでに出来るだけ多くの情報を得ようと必死で嗅覚を磨く。対面販売の適当な人達よりも遙かに努力している。一人の人に薬を選定するときに苦しみながら考えるってことが信じてもらえるだろうか。また病院で救われなかった人をすくい上げる役目を誰が担うのだろう。病院で見捨てられたり、相手にされなければ何処に駆け込めばいいのだろう。善良な受け皿まで、何故ワンクリックと同じように考えて排除するのだろう。
 今薬局を経営するには、医院の前にヤドカリのように開局するのが簡単だし実入りも多い。薬剤師会にも昔ながらの薬局経営者はいるにはいるが、圧倒的に数が少なくなって、存在感がない。だから郵送による医薬品の販売に薬剤師会は反対しているのだ。しかしそれは薬剤師の総意ではない。恐らく、不調な人達を自分で助けようとする機会がない人達の総意だろう。もし、途方に暮れている人が来たらどんなことをしてでも治してあげたいと思うだろう。その手段が必要にない人達の総意だ。
 大きな資本をもって薬を販売する人達の横行によって、小さな薬局の善意と患者さんの希望が踏みにじられる。どんな世界も弱い者がより虐げられる。小さな弱々しい声が、偉い人達に届くことを望む。


2009年03月05日(Thu)▲ページの先頭へ
専門
 ある男性が「○○先生が漢方のことはヤマト薬局さんが専門だからヤマト薬局に相談してみてと言われた」と状況を説明してくれた。処方箋を良く持ってくるからそれなりに親しい間柄なのだが、薬局で何かを買って治すタイプではないし、まして漢方薬なんて一度も出したこともない。処方箋で薬をもらっている傍で、漢方薬を買っていく人を何人も見ているだろうが、会話の話題には出すが決して薬を作ってとは言わない。我が家のように何処の医院にも属していない薬局では、病院派と薬局派が混在することになる。病院派はただ薬を取りに来るだけでクールだし、薬局派は昔からの知り合いだから、いっぱいしゃべって帰る。病気で来ていても明るい。自分で何とかしようとする派でもあるから、力が入っている。
 その男性は大病院で漢方薬を出してもらったのだが、飲むと必ず不快症状が起こる。いたるところが痛くなると言っていた。その理由をかかりつけの医師に尋ねたそうだが、分からなくて僕に振ってきたのだろう。僕はその不快症状が漢方薬のせいでないことを知っている。何かのせいにしなければならないその男性の心の弱さを知っているから。率直にそう言ったら納得していた。又安心もしていた。
 20年前、まだ漢方の勉強を始めた頃、その医師を訪ねたことがある。その時に漢方薬について馬鹿にされたことを覚えている。20年経ってようやく認められたのかとその患者さんの言葉から思った。僕は決して漢方の専門でもなにでもないが、あれだけ沢山の人に使ったら、その様に誤解してくれる人もいるのかと思った。田舎の薬局に専門なんていらない。心優しい人達が健康になってくれればいい。舞台装置も演技も肩書きも何もいらない。ただ一つ、治ればいい。


2009年03月04日(Wed)▲ページの先頭へ
 我が家の西隣には大きな空き地がある。バブルの頃手に入れた不動産屋さんが売れなくてその後駐車場にしているのだが、隅に巨木が残っていた。丁度隣家との境で、巨木の持ち主は隣家の人だ。あまりにも大きすぎて、落ち葉が結構遠くまで飛ぶみたいで、ある家から樋が詰まると苦情が出た。その結果、切り倒すことになったみたいだ。
 昨日なにやら大声がすると思って外に出てみたら、巨木の下で神主さんがお払いをしていた。あれだけ大きくなった木には神様が宿っているらしくて勝手に切り倒したりしてはいけないらしい。日本人はあらゆる物に神様をくっつけて考えるから、そう説明を受けたとき、何となく説得力を感じた。しかし、僕はその種の人間ではないからその木に神格を感じたりしないが、持ち主の夫婦は違った。神主さんの後ろで神妙に手を合わせていた。
 さて今朝から始まった切り倒しは、切り倒しなんて言葉が全く適さない方法で行なわれた。まずビルでも建てるのかと言うくらいの大きなクレーン車がやってきて、人が数人乗れる大きなかごを木の上に垂らす。そこから身を乗り出して枝を少しずつ切っていく。切った枝は下で待ち受けている人夫さん達にロープで下ろす。それを繰り返すのだ。僕は根元から切り倒して、倒れたのを電動のこぎりで切っていくのかと思ったが、まるで丁寧な解体作業を見ているような感じだった。隣地へ葉や枝が飛び散らないようにかなり配慮しているのが伺われた。どんな作業も今はずさんさは認められないのだ。
 入れ替わり立ち替わりの見物人の見まもる中、今まで巨木に隠されていた風景が突然現れた。今まで途切れていた尾根が繋がった。この春は、ツバメを守る愚かな人間を高い木の上から見下ろす指定席を烏達も奪われた。楠は残っ・・・・らなかった。


2009年03月03日(Tue)▲ページの先頭へ
禁煙
 何が良かったって、煙草を止めれたこと程良かったことはない。何度か挑戦してやっと止めれたのだが、僕の体力でずっと吸うってのは所詮無理だ。人生が早い段階で終わっていただろう。当時高校を卒業するとほとんどの青年が煙草を始めていたから、深く考えることもなく通過儀礼のように吸ってしまった。10数年間吸ってしまったが、最後の方はえづきながら吸っていた。
 その間に、どれだけ肉体にダメージを与えたか分からないが、一段と体力、免疫を落としたことだけは間違いない。毎日のように送られてくる情報に、煙草の害が載らない日は珍しい。色々な物質が研究され、時に健康に反する物が急遽体にプラスに働くなどと学説が翻ることも経験するが、煙草の害に関しては一定している。寧ろ害が及ぶ範囲は広がり続けている。今では諸悪の根元みたいな言い方をされ、喫煙者は居場所を狭められている。あれだけ居場所を狭められても果敢に戦いを挑んでいる人もいるが、勇敢だなあと感心する。自分の免疫と日夜戦い続けているのだから、余程の猛者でないと出来ない。最後の方はさすがに僕も恐ろしくなり、煙草の害から逃げ出した。その恐怖は煙草を止めるときの禁断症状などより余程深刻で、最後に禁煙を決断したときは3日くらいで勝負がついた。 煙草をくゆらせコーヒーをすすりジャズを聴く。至福の時間は実はでっち上げの時間だった。煙草もコーヒーもなくてもジャズは聴けるし、煙草もジャズもなくてもコーヒーは飲める。セッティングされた価値観に縛られる必要はない。肺胞をいくらタールで覆っても野の花が踊り小鳥がスイングするわけではない。


2009年03月02日(Mon)▲ページの先頭へ
東福山
 パートの後もほとんどの誘いを断って、ひたすら家路を急ぎ、夫や子供の世話に没頭してきたのに、夫は外に安らぎを求め、子供は自分の世界に閉じこもる。そこまでやっているのに、ちょっと手を抜けば怠け者だと罵られる。どんな教育を受けてきたのか知らないが、そこでぐっとこらえるそうだ。薬局に入ってきた時から、鬱々とした空気を引きずっていた。町中の鬱々を従えて入ってきたようなものだ。おとなしくて上品そうなのはすぐ分かる。でもその長所こそが大いなる欠点であり、弱点なのだ。鬱々も一線を越えると鬱になる。そうなれば病気だから今のうちに防がなければ。鬱々なら日常のごくありふれた心のありようだ。
 今までは込み入ったことは話さなかったが、今回は向こうから話したがっていた。一線を越えることが予感されたのだろう。そんな言葉も本人から出た。
 僕の助言はいつも決まっている。「別れろ」心が切れて、寧ろ憎しみさえ覚える人と一緒にいる必要はない。堪え忍ぶことが美徳でもない。江戸時代ではないのだ。お子さんのために別れられないらしいから、金を運ぶ宅急便くらいに思っていればいいと助言した。年も50で背も低く頭も薄くなったらしいから、そんな人に魅力が今だ残っているはずがない。再放送でも見入ってしまうと言う福山雅治に恋をすればいいのだ。あれ以上のは滅多にいないだろう。99.9%の男がつまらなく見える。旦那に未練など残るはずもない。これからは今まで自分が選択した反対を選択するようにも言った。全く逆の生き方をすればいいのだ。もったいないもったいない。心ここにあらずの夫に耐えて尽くしてなにになる。
ある人が翻訳していて誘惑にするべきか試練とすべきか迷ったらしい。落ちていくのが誘惑なら、乗り越えるのが試練だろうが、僕ら凡人はかたぐるしく考えて全て試練などと解釈する必要はない。これからはまるで冗談のように生きてほしい。そうすれば福山雅治から声はかからないかも知れないが、東福山雅治くらいなら声がかかるかも。(広島県以外の人は分からないかも知れないが、福山の隣は東福山なのだ・・・ちょっとローカルすぎたかな)


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■店舗名■
有限会社 栄町ヤマト薬局

■住所■
〒701-4302
岡山県瀬戸内市 牛窓町牛窓4808-3

■連絡先■
[TEL] 0869-34-5466
[FAX] 0869-34-6017
[E-mail] ご相談はこちら
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