栄町ヤマト薬局 - 2009/02

漢方薬局の日常の出来事




2009年02月28日(Sat)▲ページの先頭へ
不幸
 またまた便利な薬が出来るようで、セールスが宣伝にやってきた。病院の処方箋で投与する抗生物質なのだが、ドライシロップ(水に溶かして飲む)が、器の中に最初から秤量されていて、患者さんが持って帰ったらその器に水を入れてできあがりって言う優れものだ。僕が子供の頃、粉のジュースが流行り、しばしば水で薄めて飲んでいたのと同じ理屈だ。それが最初から使い捨ての立派な容器に入れてあるってのが違いだ。薬剤師が粉を量る必要もないし、簡易の容器に移す必要もない。安全が担保され、簡便になる。便利で安全で大歓迎だ。
 それが小児用か大人用か確認しなかったが、日本人の単なる風邪や傷を治すのにこの便利な薬がいずれ使われ普及するだろう。恐らくその一人分の薬でアフリカで風土病や飢餓で死に行く子供達を何人も救える。人の命に差はないと教科書的には表現されるかも知れないが数十倍の差がある。先進国のちょっとした贅沢を止めれば、ほとんどの飢餓や病気を救える。それをしないで、指導者面しているのは不愉快だし、そんな人間しか選出しない人達も不愉快だ。また、映像でさも涙を誘っても、馬鹿タレントが涙を流しても、番組は商品でしかないのだ。その商品代全てを寄付すれば何万人助けることが出来るだろう。
 どうして善意溢れる人達は力や経済力を持っていないのだろう。旨くできているものだ。生まれながらにして不幸なんてのが許されるのだろうか。善意だけでは救えない不幸があること自体不幸、それを救えないことも不幸、それを救わないことはもっと不幸。


2009年02月27日(Fri)▲ページの先頭へ
完敗
 もし100才の方が、トラクターに乗り、県道をとりたての重量野菜を積み農協に出荷のために急いでいたら、どう思う。その方が空になったトラクターで帰り道、薬局に寄り自分の薬を買うとしたらどう思う。もうほとんど完敗で乾杯。
 何かを成し遂げる人達は一杯いる。マスコミを賑わす賑わさないは別にして、多くの方が色々な分野で成功を収める。それなりに心に留まることもあるが、完敗とは思わない。そして乾杯する気にもならない。持って生まれた才能か、努力の結果か、運の良さか分からないが、それらが特別圧倒されるほどの力を持っては迫ってこない。
 でも100才にして働き稼ぎ、自分のちょっとした病気は自分で治しているとしたらこれはどうだ。ふと尋ねてみたくなって知った年齢に、畏敬の念を禁じ得なかった。これは出来ない、出来る人は滅多にいない。有名人に会った以上に、いや、そんなもの比べものにならないくらい感動した。
 別に健康を目標にして生きてきたわけではない。懸命に畑を耕しただけなのだ。温暖な地で百姓に勤しんだだけなのだ。その生き様に与えられた褒美なのだ。健康を掴むために多くの人がお金を使い、裏切られ、又鵜の目鷹の目で次を捜す。健康のためなら不健康な思考も許されて、安易な手段に身を投じる。無欲を教えてくれる人もいないから、欲に駆られて健康をわしづかみにしようとする。ひょっとしたら健康は貪欲に追い求めるものではなく、心安らかな人に、愚直な人に与えられるものなのかも知れない。70歳代と勘違いしたその人を見ていてそう思った。完敗で乾杯。いや、完敗で完敗。


2009年02月26日(Thu)▲ページの先頭へ
ネット販売
 ネット販売規制について思うことがある。ワンクリックで薬を買える業者と、僕たち昔ながらの薬局を厚労省の役人も混同しているのだと思う。寧ろもう僕たちの形態は目に入っていないのかも知れない。都会では同業者を捜すのに苦労するから。あるいは規模が小さ過ぎて、とるに足らないと思っているのかも知れない。
 薬剤師会にしても同じことが言える。今多くの会員は、医院の前で調剤専門の店舗を構えている人達だ。昔ながらの薬局の経営者は比率からすればかなり低い。そんな薬局を利用する人達に目が届かないのも当たり前かも知れない。そもそも医院の門前に薬局を作ることは違法すれすれなのだ。医薬分業とは、精神的にも医院と独立していなければならないのだが、こじつけで同じ敷地以外ならいいなどととんでもないことを口実で見つけてしまって、それがまかり通っている。本来なら医師の処方を監査する役割を担うべきだったのだが、今どのくらいの薬剤師が医師に意見が言えようか。単なるミスを指摘するのは簡単だが、不必要に見える処方まで指摘することがいったい経済的に隷属している薬局に出来ようか。処方箋を回してもらえばかなりの収入が得られるのだから、その権益を捨てるほどの勇気や正義感は持てと言う方が難しい。一般の方は驚くかも知れないが、処方箋で目薬、例えば炎症をとる原価101円のものを患者さんに使用方法や副作用の文書を添付して渡せば、わずか数分の作業でコンビニなどで働く人の時間給を、いやそれ以上を稼ぐことが出来るのだ。なるほど時には1時間くらいかかってしまうような難しい調剤もあるが、それを帳消しにしても余りある。下品な言い方をすれば今こんなに美味しい仕事はないのだ。
 貧困とか派遣切りとかの報道に接するたびに居心地の悪さを感じてしまうのはこういった理由かも知れない。多くの人が困窮しているときに、パイの取り合いに終始する業界に属している一人として、何処にも属せず何にも主張できない人達の哀れさが心に突き刺さる。


2009年02月25日(Wed)▲ページの先頭へ
眼差し
 最後の挨拶に来たベトナムの女性達にこれからどうするのと尋ねたら、それぞれが一様に帰って勉強しますと答えた。1年から2年の間、日本で単純労働を強いられ、域外に出ることを禁じられて働き続けた彼女らが、積極的な答えをしたのが嬉しい。
 ある人は、薬局の販売員になるための勉強、ある人は、コンピューターの専門学校、ある人は、日本語学校に行くと言っていた。決して豊かな家の出ではないだろうが、向学心は強くて20才前後の彼女らの帰国してからの実り豊かな生活を祈るばかりだ。帰国の前に嬉しい知らせがあると言って教えてくれたのは、その中の2人が、日本語検定の3級と4級にそれぞれ合格したことだった。道理でつい通訳の女性に話しかけても、間髪を入れずに彼女たちが反応していたはずだ。通訳の女性も、直接話してくださいと僕に促した。 別れに涙が出ないのは、彼女達が心から帰国を喜んでいること、帰国して新しい仕事を探すこと、又日本語も含めてもっと勉強したいことを知ったからだ。帰ったら皆それぞれの故郷に散らばるらしいが、オートバイで走れば3時間で会えますよと軽く答えた。テレビでよく見る光景、オートバイが町中を埋めている光景にとけ込むのだろう。
 今度は、旅行者として堂々と訪ねてきて、そして我が家に何ヶ月でもいいからホームステイしたらと皆を誘ったら、3級をとった女性が「10人でもいいですか?」と冗談を言った。「勿論いいよ」と答えたが、わずかの間に冗談が言えるほど、良く日本語を勉強したなと感心した。こんなに向学心がある人達なら本当に10人でもいいのだ。自由をかなり制限されていた彼女たちに、何故か申し訳なさを感じてしまうのだ。後進国という理由だけで上から目線で接するこの国の 一員として居心地の悪さを感じてしまう。何かで、何かの形で償いたいといつも思っていた。
 偶然だが、この数年、東南アジアの人達と沢山接して暮らしてきた。わざわざ日本にやってきて懸命に働き暮らしている人達だ。単なる青年と単なるおじさんの交流だが、言葉の壁を乗り越える笑顔で接することが出来た。生粋の岡山弁で通す僕を、懸命に理解してくれようとする眼差しが目に焼き付いている。だれも美しい目をしていた。この国の人が忘れかけている眼差しのように見える。  


2009年02月24日(Tue)▲ページの先頭へ
小雨
 朝の8時でも、小雨が降れば薄暗い。シャッターを開けながら西の方を見ると、いくつかの銀色に輝く光が列をなして近づいてきた。女子中学生が、登校している自転車がどれも同じ色の光りを放っていた。銀色の光り? 最近の自転車は、銀色の灯りがともるのかと、朝一番の発見が新鮮だった。小雨の中を誰一人合羽を着ることもなく、元気良く薬局の前を通り過ぎていった。僕の好きな光景だ。最近は子供の数が減ったから長い列は見られなくなったが、大人になる手前で生命力に溢れている世代の行列はまぶしい。
 地元に高校がないから、全員が近隣の高校に散らばる。北に行く子もいれば、東や西に行く子もいる。それぞれの能力、希望に添って選択するのだろうが、夢破れ脱落する子も少なくない。田舎ののどかな雰囲気の中で育ち、都会の切磋琢磨を強いられる環境になじめない子もいるし、悪友に足を引っ張られる子もいる。
 ボタン一つはずしている男子中学生も見ないし、スカートの丈を意図的に短くしている女子中学生も見ない。一目散に登校し一目散に下校する。町に子供を育む力があるのだろう。子供であるべき年齢を奪ったりしない。十分子供である時間を持つべきだ。急かされても仕方ない。感性を十分養ってから大人になればいい。子供時代の喪失は、国道を突っ走っている10トントラックだ。人の生活は、国道からそれた脇道や、そこからまだ入り組んだ路地裏で営まれている。運転席から見える風景なんて、小説の表紙でしかない。何も分からないまま、何も感じないまま大人になってはいけないし、大人にしてはいけない。
 銀色に輝く灯りは未来を切り開く強い意志。希望が力強くペダルを踏む。濃紺の清楚な制服が錯乱気味の枯れた雨を弾く。  


2009年02月23日(Mon)▲ページの先頭へ
放送塔
 来訪者の中には突然に始まる放送にびっくりする人がいる。高台にもうけられたいくつかの放送塔から流れる声はかなり大きくて、不意をつかれるとびっくりするのだろう。勿論災害時などにも使われるから、聞こえにくい音量では役に立たない。毎日子供会が午後の5時半に帰宅を促す放送をするが、可愛い子供の声でも驚く人が多い。と言うことは、子供はその時間以降は原則として一人では外にいないと言うことだ。都会では考えられないかも知れないが、そうして子供の安全も50年近く守られている。
 こんなシステムはなぜかしら不覚にも牛窓だけのことかと思っていた。実際に今まで一度も余所で聞いたことがないから。色々なところを訪ねても別に目を凝らして高台を眺めるわけではないので、放送塔らしきものも見たことがない。ところが何度かテレビ番組の中で、あの一種独特の音を聞いた。そこで初めて色々なところで、勿論田舎ばっかりだが、活用されていることを知った。
 リアルタイムで重要な内容を伝えるにはとても有効なものだと思う。長雨である家が半分土砂の下に埋まったときも、放送塔からの叫び声で、深夜人が集まった。放送塔の声さえも消されそうな大雨の夜だったが、叫び声でただならぬことがあったことを住民は悟った。海水が溢れ、避難を余儀された台風の時もやはり有効に働いた。
 僻地の代名詞みたいな放送塔が華々しい活躍をしてくれるのはよいことではない。そっと、住民の安全を守ってくれればいい。絶えることなく続いている習慣だから、地元の人には生活の一部になっている。そっと守ったのは安全だけではなく、ともすれば薄れがちな絆も守っているに違いない。
 「もう5時半がきますから、外で遊んでいる子供は家に帰りましょう」これは50年近く前、放送塔が初めて設置されたとき、最初の放送をした僕が言った言葉なのだ。一言も違えることなく未だ続いている。あの頃の少年は何処へ行った。僕の中で行方不明になっている。放送塔で叫んで捜さなければ。「少年の純粋な心が土砂で埋まっています」と。  


2009年02月22日(Sun)▲ページの先頭へ
耳鳴り
 耳鳴りは難しい。ある漁師の息子さんが、父親の耳鳴りについて尋ねに来た。代理だから情報は少なく、僕に治療を頼んできたわけでもないので、ただ僕は話を聞いていただけだ。市立病院の分院に行ったが、内科しかなくて、岡山市の耳鼻科がある病院を紹介してくれたらしい。内科的には問題がないと言うことだった。紹介された耳鼻科で詳細に検査をしてくれたらしいが、その結果の答えがこうだ。「日本人の男性の平均寿命までもう5年くらいだから、耳鳴りぐらいする。老化だから仕方ない」仕事で疲れたら耳鳴りがひどくなるらしいから、仕事も辞めたらとも言われたらしい。耳鳴りを除けば健康には人一倍自信がある海の男が、こんな答えに満足するだろうか。海の上でたった一人で過ごす気力体力がある人間が、陸に上がって何をするのだろう。恐らく見る見るうちに、気力も体力もなくするだろう。
 大学病院から派遣されている医師だったらしいが、病気が潜んでいないことを調べればそれで終わりなのだろうか。漁師にとって大切なことは今まで通り働くことではないのか。老化という言葉を出せば老人はみんな納得すると思っているのだろうか。僕は、なるべく老化とか、自律神経失調とか、アレルギーと言う言葉でごまかさないことにしている。それらの言葉は、使う方も使われる方も何となく納得してしまう魔力を持っている。何となく便利な言葉なのだ。僕らが使えば役に立てないことの免罪符に使える。
 数日後、父親から電話がかかり、何とかしてくれと頼まれた。夜はゴーゴー耳が鳴って眠れないそうだ。非力ながら僕は処方を考えて息子さんにことづけた。どの程度役に立てれるか分からないが、漁師にはやはり海に出て欲しい。こんな当たり前の感情は、ごく普通の人と、ごく普通のつき合いが持てて初めて身に付くものだ。漁から帰ったすぐ後の漁師の服に染み付いた魚の臭いをかいだことがあれば、あの医師ももっと違った言葉を掛けてあげれてたのではないかと残念に思う。


2009年02月21日(Sat)▲ページの先頭へ
母子同服
 初めてこのお母さんがやってきたのは、お嬢さんの相談に来たときだ。親子で僕の前で泣いていた。高校を中退した後、アルバイトくらいは出来ていたらしいが、静かなところはじっとして留まることが出来ないし、他人とは車に乗れない。行動は著しく制限され、青春の中にいて青春を知らなかった。そんな出口のない子供をじっと耐えて見まもってきたのか、まだ老け込む年齢ではないお母さんだが、精気はなかった。
 あれから2年、今でも時々娘に頼まれて漢方薬を取りに来るが、「先生、先生」と、まるで距離感のない大きな声でニコニコしながら喋る。僕の方が圧倒されそうだ。「先生のおかげです」と言うが、本当にそう思っているのかどうか疑わしい。簡単に状況を話したら急いで出ていく。特別いいおうちの奥さんのようには見えないが、外車で職場に行く前に娘のために往復1時間を費やす。最初僕より年上に見えていたお母さんだが、今はかなり年下に見える。
 娘に今できないことは何もない。薬は必要ないから完治宣言をしろと言うが、お守りにいるらしい。お守りならいいかと僕も渡している。娘の復調に従って母親も段々元気になった。二人は並行して良くなった。親にとって子供は宝だ。何歳になっても同じだ。自分の命より大切なものは子供しかない。青春を、下手をすると人生までも失いかけていた娘が、みんなに追いついたのだからそれは嬉しいだろう。気持ちは痛いほど良く分かる。お母さんも恐らく何年ぶりかに本来の自分を取り戻したのではないか。堪え忍んだ数年だったのではないか。お嬢さんの幸せそうな顔を見るのも嬉しいし、お母さんの明るい表情に接するのも嬉しい。
 漢方薬には母子同服と言う言葉があるが、まさにそれに近いことが出来た。本来母子同服とは、母親にも子供にもそれぞれ薬を出すのだが、今回のケースは子の復調が母親にとって最高の薬になった。現代では親の必死の願いを必ず見れるとは限らないが、まだまだ失われていない本能に気づかされる復活母ちゃんだった。


2009年02月20日(Fri)▲ページの先頭へ
餅は餅屋
 苦手なことはいっぱいあるが、これも筆頭に来そうなくらい苦手だ。それなのに何故かそんな場を選んでくれる。昨日の瀬戸内市の国保委員会というのもその中の一つだ。牛窓町からは薬剤師が代表で出ることになっているらしいから、もう数年出席しているが、未だ場違いな感から抜け出れない。いや、永久にその感覚はなくならないだろう。
 何が苦手と言って、数字の羅列ほど悩ましいものはない。延々と入ってきたお金や出ていったお金が詳細に書いてある。億の単位の話の中に、1円単位の話が詰め込まれていて、最後には、何が問題なのと一言で尋ねたくなる。結論だけ言ってと冒頭からお願いしたいくらい、数字の意味が理解できない。いや、数字どころか、職員の方が話している単語さえ分からない。ただただ、専門の方はすごいと感嘆するだけだ。こんなに細かいことをこなしていてくれる人がいて市も回っているんだと、数人の職員をみていて思った。もっとも感慨にふけっている場合ではないのだが、出る幕がないと言えばそれまでだ。
 昨日の会議に住民代表みたいな肩書きの人も出席していた。今年が委員の交代期らしくて、新顔の中の一人が結構親しい人で、ある町の助役をしていた人だ。その人は会議が始まるやいなや、職員の説明と同時進行で問題点をピックアップしていた。これには正直驚いた。確かに30年以上その種の仕事をやってきた人だから、数字は得意なのだろうが、羅列にしか見えない数字の配置から何でそんなことまで読めるのだろうと、ただ舌を巻くだけだった。
 餅は餅屋とは旨いことを言ったものだ。餅屋さんとは言わないが、彼も又職人の域に達しているように見える。必ず光り輝やき絶賛を浴びるとは限らないが、誰にもそれぞれの個性と特技が備わっている。そうしたもので人の役に立ち喜ばれ、自分の存在を愛おしみ生きていけれるのだと思う。
 今夜薬局を閉める頃若い女性が入ってきた。それから1時間半くらい話をしたのだが、鬱を再発したと言いながら入ってきた彼女は、帰るときには、鬱じゃないと言って帰っていった。死ぬことばかり考えていた彼女が半年くらいでどんどん元気になってきたのは、ある人から必要とされたからだと言っていた。僕は僕の漢方薬が効いていると思ったのだが、そんなことどちらでもいい。人に頼られ助言を求められた時、彼女の辛い過去が生きた。無駄なことなんて何もない。みんなみんなとても素晴らしい存在で、固有の能力を持っている。教室で学び数値で評価されたものなど取るに足りない。体温のある知恵は誰もが持っている。人の心は氷点下の中でもちゃんと36度5分の暖かさを保っている。「鬱は移る?」って本気で聞いてきたが、沸騰しそうないい顔で田舎の夜に出ていった。


2009年02月19日(Thu)▲ページの先頭へ
帰国
 東南アジアから働きに来ていた若い女性達が、集団で急遽帰国することにしたとメールで連絡をくれた。不況で仕事がなく、他の工場に回されることになって、仕事内容を見学に行ったそうだが、とても女性向きの仕事ではないから、みんなで相談して帰国することにしたらしい。
 通訳として来たその中のある女性は、日本に来てわずか1年半で日本語検定の1級をとった。日本人とほぼ同じレベルの会話が出来るのだが、彼女のメールの中で一際目立った言葉がある。「きっぱりと断りました」と言うくだりだ。恐らく彼女らが日本に来て「拒否」と言うことが許されたことがあるのだろうか。長い人は来日して3年、短い人はまだ1年だが、彼女らはとても従順だった。ほとんど集団で行動していたが、工場の制服姿で見かけることがほとんどだった。町内から勝手に出ることは許されなかったから、彼女らは日本をほとんど知らない。牛窓を知っているだけなのだ。ほとんどの人が、会社の人も含めて話しかけることが少なかったから、心の底から親しくつきあえた日本人はいない。いつも防御の微笑みを欠かさず、懸命に耐えているように見えた。国に帰りたい?と尋ねると、誰もが帰りたいとはにかんだ。生活水準が違うから日本で稼いだお金で家族を養うなんてのは、こちら側から見た視点で、彼女らにその実感はなかった。それはそうだろう、研修とやらで最低賃金以下で働かされて、日本で生活した残りを国の家族に送るとしていくら残るだろう。その給料の額を聞いて下手をしたら赤字になるのではないかと心配した。
 僕は彼女らと接するとき、いつも後ろめたさにさいなまれた。僕も又、彼女らの若いエネルギーを低賃金で吸い取っている国の一員だから。彼女らが僕に向けてくれる優しい眼差し、微笑み以上のものを返そうといつも思っていた。恐らくかなりの倹約生活を送っていた彼女たちに、美味しいパンやケーキや果物をことづけた。日曜日にはこそっと岡山の繁華街に連れて行って、気分転換をしてもらった。今思えばもっと頻繁にルールを破っていれば良かったと思う。どうせ不要になれば捨てられるのだから、いい想い出だけもっと作ってあげていればよかったと思う。後悔だけが残るが、「きっぱり」と最後は尊厳を見せてくれたことがせめてもの救いだ。どんな人も誰にも何にも犯されない崇高な人権がある。懸命に隠していた誇りをやっと見せてくれて僕は救われた。若くてチャーミングな彼女たちが国に帰り、家族と共に再び楽しい日々を暮らしてくれることを願う。


2009年02月18日(Wed)▲ページの先頭へ
絵描き
 こんな職業?、芸術家?もあるのかとついつい見入っていた。ごく普通の絵描きを目指していた青年が、その夢を断って家業を継いでいた。それでも夢を諦めきれずに絵を描いていた。何処か人の目に付くところに絵を描きたいと思って捜していたところ、ある自動車修理工場の社長が、シャッターに描かせてくれた。その絵を夜や休日に通行人がカメラにおさめていたらしい。その評判を聞いて、次第に絵の注文が来て、職業として成り立つようになったそうだ。今では多くの人が街の至る所で知らないうちに目にしている。
その絵描きが久しぶりに社長を訪ねて当時のことを感謝していたのだが、感極まって涙を見せていた。絵を描かせて欲しくて街を放浪していたときに拾ってくれた、彼の原点を思い出したのだろう。そして社長の存在に感謝してし切れるものではないことが彼の涙に現れていた。
 このような劇的な出会いって、ないようであるものだ。恐らくかなりの人が一つや二つ持っているのではないだろうか。僕も幸いにも3つ持っている。いつか書いたことがあるので重複は避けるが、その中の一人が最近大病をして入院した。でも、師にあたるその方は、さすがにご自分で素晴らしい処方を服用されたのだろう、全くその出来事を感じさせないくらい元気になられた。拠り所として常に尊敬して慕っているが、知識だけでなく謙虚な姿勢までも教えて頂いている。
 若い頃の僕は、世間一般と同じように薬は売るものだと思っていたが、お渡しするものだと教えて頂いた。以来30年近く、ひたすら田舎の人達に役立てるようにだけ思い知識を分けて頂いた。僕には絵描きのような華やかな作品はないが、恩に涙する気持ちはあの絵描きにも負けない。でも、あの絵描きさん、善良そうなとても素敵な顔をしていた。その点は完全に負けている。


2009年02月17日(Tue)▲ページの先頭へ
かんぽう

 何とも恐ろしい数字だ。アメリカで家庭医を学んで帰ったあるお医者さんが、日本で開業医について調査した結果だ。開業医が、風邪などのありふれた病気を除いた診断の精度が3割くらいなのだそうだ。アメリカの場合は、学生の時のカリキュラムも卒後の資格の更新試験も充実していて、向こうの研修医にもかなわなかったと書いてあった。
 日本では大病院志向なのもうなずける。患者が長年の間に見抜いているのだ。あれだけ勉強している医師がその程度なのだから、薬剤師なんてまだその下だ。ひょっとしたら1割にも満たないのではないか。医師が日常ありふれた風邪を除いてと言っているのだから、薬剤師だったら何を除けばいいのだろう。日常ありふれた間違えようのないものって何だろう。そんなものないのではないか。診断術を習っていない、診断する権利もない薬剤師が的確な判断を下すのは難しい。
 半年くらい前に、ある漢方薬局で腎臓が悪いと言われて、おまけに法外な値段の薬を買わされたと言って嘆いていた老人がいた。老人がふと漏らした言葉で、腎臓が悪いとなって脅し商法に乗せられたみたいだ。私は腎臓病かと僕に尋ねられたので、そんなことが断定できるのは医師しかいないから、無視していたらと言った。知識がない人ほど、限られた情報で判断を下すから結論が早い。知識を引き出しの中に一杯ためている人は、その情報を精査してから結論を出すので、答えがなかなか出てこない。じれったくなるほどだが精度は高い。
 6月から薬剤師でもない人が薬を買うときに助言するそうだ。誰が何のために考え出した制度か知らないが、きっとかんぽの宿と同じような濡れ手に粟の人間達がいるのだろう。誰かが裏で大もうけするに違いない。そう言えば名前がよく似ている、「かんぽ」と「かんぽう」


2009年02月16日(Mon)▲ページの先頭へ
 朝はいくつも重なってやってくる。
日曜日の朝なのに、襟巻きをしほっぺたを真っ赤にして制服姿で自転車を漕ぐ高校生達。今し方ビジネスホテルから飛び出してきた急ぎ足のサラリーマン。喪服を着て駐車場と書かれた紙を持ち立ち続ける人。のんびりと犬の後を歩く老人、河原で解放される犬たち。重装備でプレジャーボートに乗り込む釣り人達。どこから来て何処に向かうのか県外ナンバーの車。信号の前で追い抜かれ、信号を過ぎて追い抜く鍛えられた太股をしたサイクリング人達の列。おそろいの防寒コートをまとい陸上競技場に消えていく選手達。
 それぞれの一日が、無限大に広がる構造式のように独立しながら関連し、太陽を待ち受けたかのように始動する。一人一人が小さくて大きい。針の先で突いたような存在でも、心は風のように広がっていく。握り拳くらいの命でも、何にも換えれない。何気ない日常は、何気ない風景に包まれて、何気ない喜びを何気なく育む。
 朝はいくつも重なってやってくる。海猫が風に乗り、巨岩が岩肌を転び、大橋が工場の煙突を越えるように。


2009年02月15日(Sun)▲ページの先頭へ
一時預かり

 普段はとても明るい神父様なのだが、今日の説教は違った。ある瞬間急に言葉が詰まり、感情を必死で抑えようとしていた。涙を見せまいとする懸命な努力が見ていて分かるが、数分後、意を決したようにたどたどしく話を再開した。
 神学生の頃、色々なところに勉強のために派遣されるそうだが、ある時、ライ病の方達の集落に派遣された。韓国のライ病の方はとても積極的な暮らし方をしているらしくて、日本みたいに隔離政策はとられていなかった。集落には教会があり、朝の4時頃、教会に灯りがともるのを合図に、信者さん達が集まってくる。その時、忘れられない光景に出会えたそうだ。それは、ライ病のために両手と両足を切断した方が、同じく視力を失った方を背負って教会のミサにやってくる光景だったそうだ。そして集まった大勢の人達が祈るのは、もっと不幸な人達のためであって、自分たちのためではなかったというのだ。
 若い神父様だから恐らく数年前の記憶だと思うが、ハッキリと昨日の記憶のように蘇ったのだろう。僕の通う玉野教会は小さな教会だが、恐らくミサに預かっていた30人近くの信者さんは誰もがもらい泣きしたのではないか。あちこちで鼻をすする音がしていたし、うずくまるように体を折って涙していた人もいた。人それぞれ受け止め方は違うだろうが、恐らく多くの方が、自分の利己的な欲望に満ちた生き方を恥じて涙したのだと思う。毎日頭に浮かび口から漏れる不平不満、諸々の欲望、それらを昇華できない俗物性にうんざりしたのではないか。
 僕は毎日曜日、教会のある玉野市に入るために、児島湾にかかる大きな橋を渡る。眼下には小豆島に渡るフェリーボートさえ小さく見える。この橋を渡るとき1週間分の汚れた心を湖面に落とし、ほんの少しだけ清くなった心の置き場を作っておく。ほんの一時預かりでしかない自分の情けなさに裏切られながらも、何かを求めて渡り続ける。


2009年02月14日(Sat)▲ページの先頭へ
SOS
 夜の9時頃、電話をとると苦しそうな女性の声がとぎれとぎれに聞こえた。最初は何を訴えているのか分からなかったが、そのうち誰でどの様な情況なのかが分かった。何年もメールで会話している人だが、初めて聞く声が苦しさの中でのSOSだった。実はその日の昼頃、それこそメールでSOSと連絡してきていた。
 その日、恐らく関東もかなりの寒さだったろう。南の牛窓でもかなり冷え込んでいたから。大都会の駅のベンチに運ばれ横たわったまま僕に電話していたに違いない。その苦痛を取り除いてあげる手段が僕にはなく、遙か遠いことを残念に思い、僕が医者でないことを残念に思った。飛んでいける距離ならすぐにでも出かけたいと思った。傍についていてあげたいと思った。遙か遠くの地のプラットホームで僕を頼らなければならない彼女を不憫に思った。考えれば考えるほど僕も辛くて、電話を置く残酷さがいつまでも僕の心から消えなかった。救急車しか選択肢はなかったのだ。
 数日後、彼女の元気な声を聞いた。ああ、これが彼女の本当の声なのだと、とても嬉しかった。数年のメールだけのつき合いだが、彼女が遠距離を通い、働いていることを知った。もっとも、外国旅行に行ったことを報告してくれていたから、元気になったのは分かっていたが、僕なんかうんざりするような距離を毎日通勤しているのかと、その回復ぶりが分かってとても嬉しかった。今でもはっきりあの夜の電話の声も内容も覚えているが、一人の立派な女性が、僕の心の中に、あの出来事をきっかけにハッキリと姿を現した。すれ違う人々は一見無機質な存在にしか見えないが、それぞれ計り知れない固有のドラマを生き抜いている。幸せあれ。


2009年02月13日(Fri)▲ページの先頭へ
徹底
 全く運が悪い。どこかでニュースでもやっていないかとチャンネルを回していて、あの捕まったホリなんとかと言う奴が、数人の出演者の中にいるのを見てしまった。ただ、声を聞く前にチャンネルを変えることが出来たので一瞬の不快感だけですんだ。
 もともと、テレビ局なんかに何も期待していないからせめて不愉快なことだけでもしないでくれと言いたい。公共と言えるのかどうか知らないが、電波を使って、各家庭に犯罪者をまともに送り込まないで欲しい。金に困ったとか同情すべきことがある人達なら別だが、自家用機を持つような身分で、時のタレント気取りの政治家や、タレント気取りの学者達、ある球団の所有者と国民を愚弄した輩だ。持ち上げて、捨てて、又利用しようとしているのか。せめて見応えのある、いやいやそれは望みすぎだ、せめて不快感だけは与えないレベルの番組を作れる人間は多くないのか。
 何でも、いまある我が家のテレビではいつからか番組が見えなくなるらしい。僕はその時が早くくればいいと思っている。どうせもう10年以上使っているテレビだから、いやいや、いらなくなったからともらってきてからもう10年以上経つから、かなり古いものだと思うが、使えるものを捨てるのには抵抗あるが、使えないとなると俄然捨て急ぎするタイプだから、それを機にテレビと縁を切りたいと思っている。もともと、ニュースのはしごと水戸黄門だけみているのだから、代わりはなんとでもなるだろう。インターネットで見てもいいし、契約すれば好きなものだけ見えるものもあるらしい。まるでサルみたいに手を叩いて喜ぶ人間も見なくてすむし、その時々でもてはやされる哀れな人種も見なくてすむ。地味だが輝いている人は身の回りに一杯いる。よほどその人達との時間を共有する方が心地よい。若者がテレビから離れるのはもっと早かったみたいだから、彼らの感性の方が僕なんかよりよほど進んでいたのだろう。わずかな期待を持っていたが、もうどうでもいい。こうなれば意地でもコマーシャルだけを本気で見て、つまらない番組の提供企業のものは買わないことを徹底してやろう。


2009年02月12日(Thu)▲ページの先頭へ
困難
 考えていたこととはまるで違う体験者の声なので正直驚いた。想像の域を出ないと言うことが、如何にあやふやで無責任なことか良く分かる。悪意はなくても、いつでも何処でも無知が人を傷つけているのだろうと、僕を又臆病にさせる。
 ある人が弟さんの話を何かのきっかけで始めた。アトピーがかなり激しいらしい。兄としてもかなり心を痛めているだろう。その弟さんは喘息も持っているらしい。喘息も結構重症で夜間呼吸困難に陥ると言う。その弟さん曰く、アトピーが悪化してかゆさに耐えれない方が、喘息の発作を起こして布団の上で呼吸困難になるより辛いそうだ。一瞬耳を疑った。当然のことのようにその逆を考えていたから、予期せぬ内容に戸惑った。あの苦しそうな呼吸より遙かに辛いかゆさとはどんなものなのだろう。それこそ想像を絶するものなのだろうか。
 弟さんは、鍼の免許を取って、漢方薬を飲みながら、そこそこの不快さで納得しているらしい。この程度なら構わないとお兄さんに言うらしい。完璧を求めると、それに気疲れするというのだ。人によって許容範囲は大きな違いがあるだろう。その人がどの程度をその許容範囲の上限にしているのか分からないが、少なくとも僕などよりは遙かに上の方を上限にしているに違いない。あたかも僕が腰や首の痛みの上限をかなり上の方に設定しているかのように。いや、心の方もそうか。この仕事をし始めて、特に漢方薬にまつわる仕事が増えてから、交感神経が亢進し続けているように感じる。僕の上限は、仕事が出来ればいいの辺りにおいているから、痛みで仕事を休むこと、心が痩せて人の話が聞けなくなることが避けられればいいと思っている。年齢的に何処の辺りまで持つのか分からないが、若干毎日が綱渡りのような気もしてきた。嵐を避けて港に逃げ込むのも必要だろうが、今の僕には風を避ける港はない。数年前までは明らかにバレーボールで救われていたが、今はあれに優るものを見つけることが出来ない。涙が出るほど笑っていたあの頃は、ただ懐かしさの記憶でしかなくなってきた。
 無知を恥じるほどの知恵もない人間が闊歩するご時世に、他者の痛みに敏感であれと諭しても、それを身につける幼少の頃の空白は取りかえせない。困難を排除した道は素足でも歩ける。大人も子供も困難を排除した道を選んで、困難のるつぼの中に落ちて行っている。飛び込んだ困難なら抜け出ることも出来ようが、舞い込んだ困難からはなかなか脱出できない。それこそ困難なことなのだ。


2009年02月11日(Wed)▲ページの先頭へ
 濡れ手に粟の麓に蟻が這う。朝は暗い内から起きだして、右から左へ1日中。働けど働けど、蟻は蟻で蟻以上ではない。何を夢見て眠れと言う。冷たい空気と届かぬ嗚咽。季節はずれに目覚めた虫が、羽音一つで落とされる。教えられることも学ぶこともなく、迷い込んだ脇道。朽ちた道標に引き返す道も閉ざされる。正義はいつも屋根の上で寝そべって、隣のミケや隣のタマが猫じゃらし。500円分の正義は1億円分の正義には所詮勝てなくて、勝てなかった時点で正義ではなくなる。強いものが正義で、弱いものには正義はない。守られるものを喪失した蟻は頂からは見えない。風で舞い上がるビニール袋に隠れてしまいそうな1日では、空腹も満たせない。欠乏は気づかなければからっけつではない。比較は対象によって成り立つ。蟻は蟻の中にいていつまでも蟻なのだ。それでもいつか蟻が列をなして頂に立たんことを。


2009年02月10日(Tue)▲ページの先頭へ
普遍
 お母さんに似ていたら文句なしに可愛い子になる。お父さんに似ていたら・・・
この夫婦は、律儀によく訪ねてきてくれる。職業柄、病気が治ればそれっきりでいいのだが、ご主人の実家に帰る途中寄ってくれる。県外からの帰りだからこの余分な距離も負担だろうと思うのだが、若いからか律儀からかよく訪ねてきてくれる。
 今日は10ヶ月になる赤ちゃんを連れてきてくれた。送ってくれた生後数ヶ月の頃の写真と年賀状で見ているからだいたいの顔は分かっていたが、母親似でさすがに可愛い顔をしていた。性格も良さそうで僕を見て何度も笑ってくれた。穏やかな表情はしばし僕たちの心を慰めてくれた。親子3人を見ていて、幸せってのはこんなことを言うのだろうなと、今は昔を思い出していた。
 お母さんは過敏性腸症候群を克服した人だ。何も出来ないから、これも出来た、あれも出来たで今の幸せを手にした。治りたい一心で、いやいや藁をも掴む想いで連絡をくれたのだが、今はそれも懐かしい。彼女は、誰もが治って大きな幸せを掴むことが出来る良い見本なのだ。苦しんだ分人の痛みが理解でき、優しい眼差しをえた。その眼差しは、ご主人の家族、ご両親やおじいちゃん、おばあちゃんをも、彼女の大ファンにしている。とても大切にされているのだ。息子とその嫁の間に出来た孫が可愛くて可愛くて仕方ないらしい。幸せは寒気さえ追いやるのか、ガラス越しに差し込む太陽の光は、愛の結晶の衣の前でしばし居眠りをしていた。
 過敏性腸症候群は決してハンディーではない。不都合ではあるが欠点ではない。寧ろその事によって得た視点は、学んで理解できるものではない。自然に備わるものでもない。情況が作り出した作品なのだ。その視点を大切にして暮らせば、大いなる実りを得られる。俗物的な物を超越した大切なものが見えてくる。心の中でしか存在しえない大切なものが見えてくる。形も重量もないけれど確かに存在するものが見えてくる。見えるものが見えないものに優ったことはない。見えないものにこそ普遍は宿るのだから。


2009年02月09日(Mon)▲ページの先頭へ
一理
 経済にかなり疎い僕が言うのはほとんど意味がないかも知れないが、ひょっとしたら「それも一理」くらいの的の射ようはあるかも。
 体や心に障害を持っている人達に対する公の補助が次第に減額されている。今まで受けられていたサービスを断念したり、回数を減らしたりしてやりくりしているらしい。僕らは偶然障害を持っていないだけで、いつ誰が何処で障害を持つようになるかもしれない。その時に、公の経済的な援助は必要不可欠だ。勿論介護の援助も必要だが、生活を楽しむだけの余裕を含めた経済的な援助も不可欠だ。それが、生きていくだけでぎりぎりの援助しかないとしたら、失った健康と一緒に人生の全てを失うことになる。こんなに豊かな国に、それが出来ない経済的な余裕がないはずがない。その人達に回す気持ちがないだけだ。オエライ方々の家族や親類にはそんな人がいないのか少ないのか知らないが、どうも援助を削ることしか考えていない。不必要なものは一杯作り、大きなところが倒れそうになると目一杯税金で援助するのに、ハンディーを持っている人には冷酷だ。国もマスコミも学者達もこぞって不景気を嘆くが、大もうけしていた奴らが、中儲けになるだけだ。不景気ってそんない悪いものなのだろうか。同じ物を複数持ち、気に入らなければすぐ捨て、買い換え、食べきれないほどの食事を旅先でし、子供を塾にまで行かせ受験戦士にする。考えてみれば不必要な物ばかりだ。この国は、いや先進国と言われている国は、無駄な物を作り続けることで作られた偽りの豊かさだ。狭い部屋に一杯詰め込んだ物達で窒息しなかったのが不思議なくらいだ。
 今は、正常な感覚を呼び戻すいい機会だ。こうして警告されないと人はどんどん物欲を刺激され、心を失ってしまう。消費を喚起するとかなんとかこじつけて、選挙目当てで金をばらまいてくれるらしいが、それをハンディーがある人達に回してと言える普通の感覚は未だこの国の人達の多くが持っている。テレビも低級な番組を乱造せずに、少しはまともなことを言えと思うが、決してハンディーのある人達の味方ではないから、自滅するのを待つしかないか。大多数の人達の善意が大切にされる社会を希望してやまない。


2009年02月08日(Sun)▲ページの先頭へ
幼子
 その場にいた誰もが一様に驚いたのは、3才手前の男の子が、1時間半の間、だだをこねず、大きな声も上げずにじっと我慢していたことだ。時にはお母さんに抱かれ、時には床の上に立ち、何も遊ぶ物もなくよく我慢したものだと思う。かなり希有なことだと思う。何が違うのだろうと父親に聞いてみたが特に思い当たることはないみたいだし、母親は日本語が分かるのかどうか判断できなかったので、敢えて尋ねはしなかった。ただ僕が「とても我慢強いお子さんですね」と二人に声を掛けたら、お母さんはすぐに微笑んでいたから日本語が分かるのかもしれない。
 西洋人の赤ちゃんはまるでキューピーのように見える。もっともそれを模して作ったのだろうから当たり前の話だ。お母さんは僕にとっては今まで全く縁がなかったロシア人だそうだ。とても静かな人って印象を持った。ご主人も穏やかそうな人でお子さんへの優しさが溢れていた。国を越えて作られた家族にほほえましさが倍増する。こんな幸せを誰もが作る権利を持っている。僕が薬を作っている多くの若者達も同じだ。不調なところがあるからと言って、幸せを追求しない手はない。不調を克服することと、幸せを追求することは同時進行だ。きっとお互いが好影響をもたらすだろう。元気になって、自分自身を解放し、他者に少しでも役に立って欲しい。多くの若者は、僕なんかは手が届かないくらいの生命力と好奇心と行動力を持っている。知識も多い。多くの長所と少しの欠点を持っている。自信を持って、果敢に立ち向かって欲しい。常識なんかに屈服せずに、自分を主張して欲しい。あの凛として立っていた青い目の幼子のように。


2009年02月07日(Sat)▲ページの先頭へ
劣化
 子供の時に覚えた泳ぎがいつまでも出来るのと同じように、あの頃鍛えた数学の力がそのまま衰えもせず残ってくれていたらいいのだが、なかなかその辺りは怪しい。幸いに、僕の数学の力を未だ試してくれるような存在がいるので、時に問題に向き合うのだが、ゆっくりと下降線をたどっていることだけは分かる。
 つい最近、中学3年生の問題で間違ってしまった。これは結構ショックだった。集中力も持続しなくなって、問題に向かったときにブロッキングが起こってしまうことすらあった。受験生だったら致命的だ。集中しようとすればするほど、意識が問題から逃げていった。大人の都合の良いところで、それで失うものがないから、ブロッキングを打破する集中力を呼び起こすこともしなかった。何となく回答したのが自分でも分かったのだ。間違ったことがショックだったのだが、集中できなかったこともショックだった。恐らく数学だけでなく、仕事も含めてありとあらゆる分野で進行している劣化なのだろう。
 自分が日々繰り返していることだけがなんとか能力を維持している。そんなもの職業以外には余り無いので、完全に外堀は埋められている。政治でも経済でも、所詮その程度の人間が、あたかも能力が持続しているかのように錯覚して、老害を垂れ流している。内堀も埋められているのに、未だ天守閣から下々を眺めている。
 今夜、数学が痩せて算数になった。このまま行くと残るのは早晩、そろばん勘定だけになりそうだ。


2009年02月06日(Fri)▲ページの先頭へ
元の木阿弥
 忍耐にもきりがある。思わず切れそうだった。何回同じことを繰り返せば気が済むのだろうと思うが、もうどうにもその習性は変わらないのだろう。いちいち腹を立てない人間にこちらが変わる方が未だ可能性があるかも知れない。
 腕と腰と膝が痛む初老の女性がいる。痛みとしびれで日常生活は少し制限される。僕の煎じ薬と天然薬でかなりの所まで良くなって、今は余程の無理以外は出来るようになった。この奥さんは、僕の所に来るまでは、お医者さんにかかりながら健康食品を愛用していた。幾種類か飲んでいるのだろう。僕が薬を作りだして少しずつ良くなっていったので、健康食品は止めた。痛みが良くなると当然だが漢方薬を取りには来なくなる。それはそれでいいのだが、その間健康食品を又始める。すると次第に痛みが復活して元の木阿弥になる。良くなったら漢方薬は止めてもいいから、天然薬だけでも続けておいたらと遠慮気味に言うのだが、どうしても健康食品とやらを飲む。これを何回も繰り返し、今回も又やってきた。折しもニュースでチャンピオンかなんとか言うサプリメントに消臭効果がないということが報じられていた。当たり前の話だと思うのだが、20億円も売っていたのだからなんて世界だと思う。 
 いつから、この国の人達はこんなに無防備になったのかと思うが、一薬剤師が嘆いても仕方ない。縁のある人を少しだけ健康に出来れば分相応だと思っているが、出来れば田舎の純朴な人にまで浸蝕してもらいたくない。海もあり山もあり、澄んだ空の下で暮らしているのだから、工場で作ったものよりも遙かに自然なものや、遙かに健康的なものを日々摂っている。健康という名の不健康食品や、サプリメントという名の化学薬品は必要にない。さっきまで泳いでいた魚、さっきまで根を張っていた野菜。これらに優る物を知らない。手を加えた回数が多くなるに従って、自然からは遠ざかる。この不自然さは自然の通り。


2009年02月05日(Thu)▲ページの先頭へ
春一番
 僕が今一番好きなコマーシャルは、ある競艇場のコマーシャルだ。児島競艇の宣伝だから恐らく岡山、香川限定だろう。若い女性が湯船におもちゃの船を数隻浮かべて電話をしている。相手が買ったという物を聞き返しているのだが「土佐犬?柴犬?えっ、何、舟券?」ってやつだ。たわいもないのだが、如何にもモデルではなくその辺りに普通に暮らしているような女性が、どこにでもあるような会話をしているのが、何とも言えずほほえましい。僕はそのコマーシャルは何回見ても見入ってしまう。不思議な魅力にとりつかれているのだ。
 同じようなしゃれが今日、偶然口から飛び出して、電話相手の鍼の先生と大笑いした。
 春一番と言う言葉を聞いて心がときめく世代が僕の前後にある。それ以外の人にとっては毎年この時期に耳にする季節を表す言葉でしかないだろう。僕らにとっては振り返る言葉も、大多数の人にとっては活動期に入る合図みたいなものだ。光を受け活力をもらい生産に励む、冬眠から冷める法螺貝の音だ。
 電話相手の鍼(はり)の先生仲間が、2年後に新見という県北の町で「春一番コンサート」を企画すると俄然言いだしたってニュースなのだが、僕には「春一番」が「鍼一番」に聞こえた。と言うのも去年沢山の鍼の先生が牛窓に来て鍼治療のデモンストレーションをやったからそれがすぐ頭に浮かんだのだ。「えっ、鍼一番?鍼?鍼一番?」まるで舟券のコマーシャルを地でいっているようなものだった。相手がその道のプロだから我ながらとても面白い聞き間違いだと思った。僕も彼も大きな声で笑った。とても気持ちのいい昼下がりの笑いだった。一時、僕の交感神経がしゃがみ込んでくれたかも知れない。
 ただ、心配が一つある。このネタを鍼の先生が僕より先に使ってしまいそうなのだ。折角偶然生まれたギャグだから、僕が何かの時に使いたいが、考えてみれば、春一番を知っていて、なおかつ鍼に興味がある人の前以外ではさっぱり受けそうにないから、僕には使うチャンスがなさそうなのだ。こうなれば応用編を考えて薬剤師らしく「貼る一番」ではどうだろう。これでは覚え立ての日本語を使う外国人みたいか・・・


2009年02月04日(Wed)▲ページの先頭へ
大根
 母の所から妻が大根を一杯抱えて帰ったときから不吉な予感がしていた。大根はもう最後だというので抱えられるだけもらって帰ってきた。僕は幼いときから、大根の煮たのは苦手だ。子供の時はえづきながら食べていた。我が家には米粒一つ残してはいけないしつけがあったから、勿論えづきながらでも必ず食べたが、よい想い出は全くない。その想い出がこの数日再現されている。何を思ったのか、何も思っていないのか、出るは出るは、もう何食、いや何日続けて同じものが出ているだろう。さすがに僕の表情に出ているのか、忙しいから仕方ないなどと先制攻撃も受けて、モクモクと食べ続けている。我が家の食費はいったいどのくらいですむのだろうかと、嬉しいような寂しいような。元々食べ物に関しては淡泊な方だから、なんのこれしきと思うのだが、それでも続きすぎる。もっと悲しいのは、大根をただ煮ただけのがほとんど主菜なのだ。
 これは吉と出るか凶と出るか判断が難しいところだ。米と野菜だけですごい長生きするか、タンパク質が不足して弱々しい人生の後半を送るか。もっとも、僕の子供の頃の食事は、まさにこの数日と同じレベルが10年以上は続いた。それで、小学校、中学校と1日も休まず通い続けたのだから、粗食に軍配は上がるのだろうか。
 思えば僕の人生を通じて、衣と食は全くお金がかからなかった。食費は1日ワンコイン、服代は1年でワンコイン、ひょっとしたらそんなものかもしれない。ある奥さんに、「いいなあ」って言われた。かなり実感がこもっていたから、余程ご主人に気を遣っているのだろう。僕なら気を遣ってもらって息苦しいより、気を遣われなくて自由の方が余程良い。勿論人それぞれで、人それぞれだからいいのだが。今日も人それぞれが人それぞれに悲しんだり喜んだりして人それぞれに眠りにつく。人それぞれの明日のために。大根こわい。


2009年02月03日(Tue)▲ページの先頭へ
仮面
 もしセクハラにならないなら、抱き合って喜びを分かち合いたいくらいだった。勿論電話だからそんな西洋人みたいなことも出来ないし、似合いもしないから想像だけだが、それくらい嬉しかった。毎日気になる人は一杯いるが、特にその女性はいつも頭の隅にこの1か月の間あった。
 かなりの劇薬でも痛みを抑えることが出来ない、その薬で胃はやられ口内炎も出て食事が摂りにくい。おまけにひどい倦怠感。それでも年金生活の母親を養うために働かなければならない。運の悪いことに、派遣切りが横行する今、病気がバレでもしたら首になる。切れ間なく襲う痛みを隠して働くことが出来るのだろうか。でも彼女はそれをやっている。なんとしてでも、その痛みを消してあげたい。僕の体調が優れないときは、彼女を想った。苦しみの一端をほんの少しでも分かち合いたかった。僕は今度の漢方薬が効くことをずっと願っていた。
 薬が切れる頃電話をもらった。明るい声だった。久々に聞く明るい声だった。僕が前回変更した処方がよく効いて、痛みが軽くなったそうだ。そのおかげで今まで飲んでも効かなかった病院の痛み止めが効くようになったらしい。それだけでも嬉しいのに、胃痛、倦怠感、口内炎も治った。勿論その女性本来の病気はまだまだ治らないが、苦痛はかなり取り除けた。本人が素直に喜んでくれていることがとても嬉しかった。
 もう1人。死にたい死にたいという女性がいる。その女性が、今日、死にたいなんて考えなくなったと言った。漢方薬もよく効いていると思うけれど、最近頼られることが出来たことが大きいと自分で分析していた。確かにこれは大きな変化だ。頼ることばかりだった彼女が人に頼られるなんて。ある、不幸に遭遇した人の相談に偶然乗り始めて、次第に外出できるようになり、生活のリズムも自然に近くなったらしい。自分の不幸の経験が他者を救うことが出来ることに彼女は気がついたらしい。勝者に敗者の気持ちは分からないだろう。敗者でしか敗者は救えないのかも知れない。僕は彼女のすっぴんを初めて見た。いつも薬局に来るのにどうしてと言うくらい着飾って化粧をしてくるのに、もう仮面は必要になくなったのだろうか。
 こんな嬉しいことと同じくらい、力になれないケースもある。力不足なのか限界なのかと自問を繰り返す。喜びと落胆とを繰り返しながら日々は過ぎていくのだけれど、僕の気力は季節に置いてけぼりをくらい、そろそろ1週遅れになりそうだ。


2009年02月02日(Mon)▲ページの先頭へ
不可解
 番組の途中から偶然見たのでその小説家(?)が誰か分からない。鋭い目をしてさすがにその種の顔をしているななどと、身のはいらない見方をしていた。何の番組かも分からなかったが、その小説家の語りが延々と続いていた。途中分かったことは、その小説家が5年前脳梗塞を患ったことぐらいだった。今では携帯電話とパソコンで多くの執筆をしているとナレーションが入った。
 彼が真剣に語り続けて、最後に導いた結論が僕にはかなり不可解だった。何を今更という感じだ。彼自身のものも含めて今までの小説は成功者を主人公に書いているものがほとんどだ。これからは、虐げられている人達の目線で書かなければならないというようなことを言っていた。2009年はその様な時代になるなどとも言っていた。自分の作品のことならまだしも、一般論で語っていたのが気になる。僕はそんなおめでたい登場人物の小説なんか好んで読んだこともないから、今思い出すことも出来ない。元々全く読んでいないか、感銘も受けずに忘れてしまっているかだ。派遣切りで路上で暮らす人達が増えたことを憂えているのか、自分の病気が引き金でやっと底辺を見る気になったのか知らないが、どちらにしてもプロの物書きが今更言うことではない。どの水準の読者を想定しているのか知らないが、少なくとも今までは、地を這う人達に読んでもらいたいとは思っていなかったはずだ。
 小説などより遙かに現実は悲惨だ。政治の恩恵を一番必要としている人達が一番政治から離れ、自力でも繁栄を謳歌出来る人達がより政治を道具に使う。若者は生かさず殺さず体温のある工具になり、年寄りが莫大な富を蓄える。売って金に換えるものを何も持たない若者が、金で全てを手に入れれる年寄りに飼われ捨てられる。
 貧困は取材の対象ではない。貧困は心より先に肉体が朽ちること。


2009年02月01日(Sun)▲ページの先頭へ
旋律
 星がなければ夜に空はない。月が照らす雲がなければ空はない。底がない黒に塗り潰されたカーテンがあるだけだ。カーラジオから流れる低音の弦の響きは、ビオラなのか、重厚に旋律を奏でる。他者を寄せ付けない響きに、前を走る車のテールランプを見失いそうになる。何処に帰っているのか、時間さえつかめずに、ただハンドルをかろうじて握っている。
さっきまで10数人と勉強し、その後食事をした。僕より遙かに先輩もいるし、後輩もいる。華々しく活躍している人はいないが、地域でそれぞれに役に立てるように努力している人達だ。漢方薬だけで繋がっている人達だが、地味ではあるが努力家達だ。しかし彼ら自身、僕を筆頭に健康にかなりの不安を持っている。入院して医師の世話になった人も数人いるし、医師の治療を見限って、鍼灸の先生の治療を受けている人もいる。自分で数種類の漢方薬を飲んでいる人もいる。どの職業の人も現代は、健康を差し出して生活の糧を得ているようなところがある。薬局だけがよく働いて、ストレスを一身に引き受けてなんてことはない。だけど、それぞれにスピーチをしてもらったが、不健康の集まりみたいな笑えない現実が露呈された。このような仕事をしていることが何ら健康であり得る保証にはならないのだ。ひょっとしたら有病率から言えば他の職業に決して劣りはしないのではないか。完全な健康体でカリスマを気取るような人はいないから、それぞれの告白が痛々しい。ふと入ってきた人が健康を取り戻す、そんな喜びの積み重ねもまた健康を保証するものでもない。
 黒いカーテンに、幾人かの顔が浮かぶ。それぞれの町で、それぞれの顔を照らす星も月も登るのか。


   


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