栄町ヤマト薬局 - 2009/01

漢方薬局の日常の出来事




2009年01月31日(Sat)▲ページの先頭へ
垂れ流し
 いつの頃からだろう、毎晩夢を見るようになった。この10年とは言わないのではないか。何をネタにそんなに夢ばかり見れるのだろうと思うが、見てしまうのだから仕方がない。ただ、今のところ悪夢と仕事の夢だけは見ないから救われているのかも知れない。別に夢を深く研究?追求する気もないから、毎晩ドラマの垂れ流しなのだが、昨夜の夢は、今こうして考えても現実、あるいは記憶との区別が判断しづらい。
数人が集まって話をしているうちに、ある女性が昔その町に行ったことがあると言い始めた。その町の名前を聞いて僕も行ったことがあると答えた。実はその町は、今の薬局を建て直すときに、都市部に出ていこうかどうか迷い何度も足を運んで環境などを調べた町なのだ。都市部で僕の力を試したかったのもあるが、子供達が受験を迎えることも頭にあった。都市部の高校に入学するためだけに、嘗ての僕のように郡部に与えられた特別枠を競うような過酷な受験勉強を子供達には強いらせたくなかったのだ。
 その女性が1枚の写真を取りだした。見せてくれたのは、雪が沢山積もった町並みを背景に、まるで卒業写真のように沢山の人達が台の上に収まっている写真だ。なんとその中に僕の姿を見つけた。ああ、やはりその町に僕は住んでいたのだと思った。そのうち数枚の写真も見せてくれた。それにはその町での僕の薬局が写っていた。ああ、色々あったなあと回顧しているうちにドラマが終わった。
 実現しなかった過去が、何かのきっかけで実現していたかもしれない過去が、夢の中で忽然と現れた。何十年前の記憶になったかも知れない光景が、夢の中で現実になった。現存しないところで現実になった。この混乱は今の時間まで残っている。
 夢の中での現実が、当時実現しなかったことで失ったものは恐らく何もないと思う。寧ろ実現しなくて良かったと思われることばかりだ。子供達は、1年だけ真面目に受験勉強してそこそこの高校に行けたし、薬局には都市部から困っている人が逆に来てくれるようになった。のどかな町は、ゆっくりとした時間と、悪意のない人達を与えてくれ、戦いのモードで生きがちな僕に優しいブレーキを掛けてくれる。もし、昨夜の夢の中のように都市部で生活していたら、まるで曲芸師のように交感神経の綱の上を揺れながら渡っていただろう。


2009年01月30日(Fri)▲ページの先頭へ
月末
 月末になるとセールスの人達はノルマに対し数字が足らなくなるのか、電話で注文を催促してくる。気心が知れている人や、普段新しい情報を持ってきてくれる人にはやはり情が動かされて少しの協力はするが、全く役にも立っていない人には、考慮すらしない。その辺りの判断基準は僕ははっきりしている。自分が困ったときにだけいい顔をするのは気に入らない。寧ろ困ったときにこそ潔いのが好きだ。何事にも徹した方がいい。さぼるのだったらさぼりまくって、僕の前に現れないのがいい。やる気がない人の応対は1分でも疲れてしまう。せっかくのこちらの気さえ奪われてしまう。そんなに気に余裕があるのではないのだから、奪わないで欲しい。
 必要もないものを作り、あたかもそれが必要かのように洗脳し、消費させてきたのだから、気がついて我に返ったら買わなくなる。当たり前の判断力が、不況という名の下に蘇るならそれはそれでいいのではないか。浪費を煽られ、資源を無駄にし、大切なものが何かを考えさせる余裕も与えないくらい、せき立てられていた人達も、立ち止まる良い機会だ。贅沢三昧の世の中より、慎ましく暮らしている世の中の方が余程気持ちがいい。
 日が暮れれば歩く人はいなくなる。時折家路を急ぐ車が通るだけだ。その時間には狸だって安心して道路を横断している。そんな夜に、地球も人間も静かに横たわる。


2009年01月29日(Thu)▲ページの先頭へ
 笑った、笑った、大いに笑った。僕と30代後半の男性二人が、机を挟んで大声で笑っている姿は、居合わせた人達にどう映ったのだろう。それでもお構いなく大声で3人で笑い続けた。
 岡山県を担当していたある製薬会社のセールスが、ここで交替することになった。その引継でやってきたのだが、最近気になることがあったので尋ねてみた。
 僕が漢方の勉強を始めた頃、県内でも有名な漢方の先生がいた。その方があるお気に入りの健康食品を僕に売り込むために、つい最近やってきたのだが、その時に丁度風邪の患者さんが入ってきた。僕が問診して薬を出そうとすると、目配せで処方を僕に教えた。丁度売り込みに来ている健康食品と漢方薬の組み合わせだった。勿論僕はそれを無視した。ヤマト薬局は漢方薬局ではない。田舎の単なる薬局。それ以上でもそれ以下でもない。だから風邪を治すのに漢方薬を必ず使うなんてあり得ない。まして健康食品なんか絶対に使わない。その方の症状はかなり軽かったから、ヤマト薬局の自家製剤(化学薬品)1000円ですませた。僕の薬局では当たり前の光景だ。高額商品を売ることに血眼になっている人達から言わせば、能力がないように思われるかも知れないが、泥棒みたいなことはしたくない。しなくてもいいから仕事が楽しい。仕事にノルマも目標も何もない。話がそれたが、大先生(?)は、どうも25年前の僕との関係をそのまま引きずっているのではないかと思った。あれから25年僕はかなり勉強した。運のいいことに多くの方が来てくれる薬局だから、実際に勉強したことを試す機会はよそよりかなり多かったと思う。その結果が今の仕事の内容になっているのだが、それはどうも理解できないらしい。今でも青二才のままなのだろう。目の前にいる男は、もう充分老け込んでいるのに。でも逆にその大先生は結構若かった。僕が年齢では追いついているようにも見える。それにしても以前にもまして自信に溢れていた。
 このエピソードを二人のセールスに話すと、かなり納得していた。さもありなんと言ったところなのだろう。出ていく方のセールスは、その大先生の薬局の前を通ると、石を投げるか車をつっこんでやろうかと思うと言っていた。(ここで笑いが止まらなかったのだ、よほど以下の理由で腹に据えかねていたものがあったみたいだ)僕は知らなかったが、マスコミも旨く利用し、相談に来た人には何万円も売ったりと、なかなか庶民のセールスには不可解に見えるらしい。でも、高級車より高い腕時計を見せびらかすくらいだから、1000円で風邪を治したのでは、追いつかないだろう。
 25年間、僕は漢方薬の勉強と同時に「謙遜」を学ぶことが出来た。なるほど今でも大先生に力は及ばないのかも知れないが、もっと大切なことを学んだ。僕には本当に心から尊敬できる先生がいて、漢方薬の知識と共にその謙虚さも教えて頂いた。永久に越えられない、越える必要がない師にいくら感謝してもしきれないが、今回のエピソードの中で僕の幸運を再確認した。
 僕に漢方を教えてくれた二人の年齢の近い先輩は既に亡くなった。ちょっと先を歩いている目標にしていた二人だった。元気だったら、もっともっと沢山の人のお世話が出来ていたのにと悔やまれる。一人は死後何日も経って発見された。亡骸の傍には、インスタントラーメンの空になった容器が一杯散乱していたらしい。彼も、もう1人の方も、口をそろえて漢方を教えるけれど高く売るなと25年前僕に言った。一人は具体的に1日分が400円と数字まで出した。幾種類かの薬が必要な人は仕方ないが、僕はその数字を越えないことをずっと考えてきた。きっと、おごるなと言う戒めだったのだ。二人が僕にくれた言葉、越えられない存在、謙虚を学ぶには十分すぎる存在だった。
 人を判断するのは、その人が優位に立っているときに、相手にどんな態度をとるかで簡単に分かる。岡山を去るにあたって、彼が観察していたことが、彼の心のガス抜きになったかどうか分からないが、二人で笑いながら出ていったから、見送る方も気が楽だった。みんな懸命に自尊心を押し殺して耐えているのだ。


2009年01月28日(Wed)▲ページの先頭へ
路地
 やっと、同じような考えを持っている人の言葉を耳にした。なぜ、どうして、と思いながら医者でもない、学者でもないから自説を恐る恐る、少数の人だけに向かって薬局内で話していた。
 学校はもとより、職場でもインフルエンザが流行っているとよく聞く。確かにマスクを取りに来る人も多い。移されたくない側が懸命に防御している姿が目に付く。今年に始まったことではないが、タミフルに耐性を持ったインフルエンザウイルスが蔓延し始めた。医療を単なる商売と考えている製薬会社や医師のせいだ。インフルエンザくらい江戸時代でも治しているのに、やたら恐怖心を煽り高価な薬を服用させる。肝心の新型インフルエンザが流行ったときには効き目がかなり落ちているのではないか。インフルエンザくらい、解熱剤で熱を機械的に取るか、漢方薬で発汗させ熱を取るかして寝ていれば治ると思うのだが、果たして手厚すぎる治療が何をもたらして、何を奪っているのだろう。自助努力が出来ない依存症的な患者を増やすか、将来パンデミックの時に治るべき人達を地獄に引きずり落とすかくらいなものだろう。ここに来てやっと、タミフルの使いすぎが報道されるようになった。
 今日、耳にしたのはもっと進んだ見解だった。漢方薬を持って帰る間際に、ある女性が教えてくれた。その女性は、山陰に旅行に行くために元気が出るお気に入りの薬を取りに来たのだが「先生に、インフルエンザの予防接種はしてあげない」と言われたそうだ。主治医は女性らしいが、「80才を越えていたらしてもいいかな」と言ったらしい。僕は、この逆のことばかり聞いていたので耳を疑った。そして詳しく尋ねてみた。女性はもっともその辺りは訳が分からなくて、ただ、注射をしなくていいのを喜んでいた。
 インフルエンザの予防接種が必要なのは、重症化するかも知れない人々だ。幼児や介護施設などで寝たきりの人だ。それ以外の人は、むしろ自分の体力で治した方がいいと思う。自然に備わっている免疫力で病気は治した方がいい。治しながら強くなれるから。何でも助っ人を頼んでいたら自分が強くなるチャンスがない。温室で快適に暮らし、元気ですと言っても誰も評価しないだろう。凍り付く路地で育った野菜なら、人はその生命力さえ頂こうとする。人間も動物も植物も同じだと思う。今を生きている人が数日の不快を逃れるためにせっかくの武器を無能力化するのはもったいない。来るべき有事に温存しておくものは温存するべきだ。人の叡智も商業主義には勝てないのか。今も昔も、ここもあそこも所詮同じか。お金以外の動機がどんどん痩せこけている。厳冬の路地でけなげに咲く花もあるのに。


2009年01月27日(Tue)▲ページの先頭へ
方程式
 体調の相談に関しては、基本的には本人とやりとりする。ただ時にお母さんが窓口になることもある。そんな中で数人心をひかれる人達がいる。いや、今指を折って数えようとしたらいとも簡単に両の手では足らなくなったから、素敵なお母さんは多いのだ。もっとも素敵でないお母さんを捜す方が困難だろう。子にとって見れば母親は、愛情の固まりなのだから。
 それぞれタイプも環境も異なるから一概には言えないのだが、子供に対する愛情の深さ、関わり方、自分の生き方などを、解けない方程式に懸命に当てはめて、結果的には立派な作品を作っている。どうしたらこんなに素敵なお子さんを得て、育てられるのだろうと数式に挑んでみても、お母さん方にはかなわない。父親の力も幾分はあるのだろうが、おおむね母親に負うところが多い。僕と縁が出来る作品達は優しすぎて貧弱なのか、愛情深くて孤独なのか。そんなことはない。優しすぎて他者を傷つけず、愛情深くて思いやれる。立派な個性だ。何ら劣っているのでもなく、何ら不都合でもない。最大の長所を最大の不都合にしているのは、貪欲でせっかちな世の中だ。それらに迎合する必要はない。きっと、これから必要とされる人達になりうるのだ。多くを作り、多くを壊し、多くを奪い合う時代はもう終わらなければ。静かに地球は冷めているのに。雲の割れ目から落ちてくる太陽の光でさえ、震えているではないか。


2009年01月26日(Mon)▲ページの先頭へ
怪我の功名
 僕が今もっとも沢山作っている処方は、一昨年僕自身が救われた処方だ。それまでにもある程度の人数は使っていたが、今は数段の差がある。まさか自分が飲むとは思ってもいなかった。ゆっくりとくつろぐことが苦手で、忙しいことを楽しむ性格の僕でも、さすがに限界を超えての仕事はダメージが大きかった。当時、気持ちがハイになっていたから疲労などは全く感じなかったけれど、一段落してからが本番だった。想像を越す倦怠感と何処にも逃げることが出来ない焦燥感に参ってしまった。それを解決してくれたのがまさにあの処方なのだ。以来、多くの方に飲んでもらっている。病名をあげると医師法違反になるから具体的には言えないが、現代に蔓延している心の病気によく効いている。僕は、今はもう飲まなくなったが、当時はとても美味しかった。
 過敏性腸症候群の薬ではないが、過敏性腸症候群が治る薬でもある。生きにくさを背おって懸命に頑張っている人達にとても好評だ。まさに怪我の功名だったのだ。過敏性腸症候群は、治らないと諦めている人がとても多い変わったトラブルだが、僕はその様に感じたことはない。お腹の中の環境を整え、肝っ玉を強くすれば治る。どちらが欠けても治らないと言うことでもある。
 僕は単なる薬剤師だから、あくまで薬で治すのだが、薬だけでも治らないのも事実。ただ、優しい言葉、見え透いた慰め言葉は使わない。カウンセラーでもないからだ。お互いに事実に近づける言葉をやりとりし、原因を探っていく。キーボードを叩けば便利に答えが出るようなものではない。泥臭く不器用に共同作業を続けるのだ。その結果が時として人を救うのだから、ない頭をひねり、胃袋を痙攣させる価値がある。治せないジレンマと治らないジレンマが旨く協奏曲を奏でたとき、舞台に幕が下りる。そして幕が再び開いた時、もうそこには嘗ての苦悩はない。


2009年01月25日(Sun)▲ページの先頭へ
散財
 漢方薬を持って帰った方から電話があって、何が入っているのと尋ねられた。漢方特有の名前でしか成分が書いていないから、分からないのだろう。正式名と言えば正式名だが、もっと簡単に理解してもらえる俗称もある。普段、余り難しいことは言わないことにしているから、いや僕自身も分からなくなるから、簡単な呼び名に変えるようにしている。
癌患者さんには、抗ガン剤に負けない身体になって頂く漢方薬や、免疫をあげる漢方薬を作ることが多い。癌をやっつけるなんて薬局が言ったら、何も買わずにすぐ出ていった方がいい。所詮薬局は端役にしかなれないが、病院の先端技術を十分受ける身体になってもらうのは薬局の得意な所だから、その点だけで謙虚に協力させてもらうことにしている。難しい名前で分からなかったらしいから、ナツメの実とか、ニッケとか、カキの殻とか、ミカンの皮などと答えていたら、自分でもこれでは効きそうにないなと思った。やはり格調高く、大棗、桂皮、牡蛎、陳皮などと煙にまいていれば良かったかなと思った。
 インターネットが普及して誰もが何でも分かるようになった。下手をすると25年漢方をやっている僕より、マニアックな人もいる。漢方薬の最大の欠点として、例えば「肥満気味の人の高血圧」などと、何も分かっていない人でもあたかもその言葉の通り選べば効くのではないかと思わせる表現方法がまかり通っていることがある。テレビ宣伝やマスコミで漢方薬を売りさばこうとしている製薬会社などはまさにそれを利用しているが、それでは素人判断と同じレベルだ。もっとも、問診せずに薬を売れるのだから効く薬では危ないだろう。効かなくても害がない、これが彼らの第一条件なのだろう。
 僕はやせぎすの人にも「肥満気味」の漢方薬を使うし、色黒でがっちりした人にも「色白でむくみがちな」漢方薬を使う。ラベルに書かれているとおりに使えば、100人に薬を出してまぐれで1割くらいは効くだろうか。いや、1割も難しいのではないか。偶然の域を出ないのではないかと思う。
 この近辺の人はもう諦め気味で、男でも生理不順の漢方薬を持って帰ってくれるし、痔が悪くても喘息の漢方薬を黙って持って帰ってくれる。薬局を継いで30年、守り続けたことがいくつかあるが、決して売りつけないこともその一つだ。ヤマト薬局の特徴は決して親切ぶって薬を勧めないこと。頼まれたことだけすると言うこと。これだから楽しく仕事が出来る。後味の悪いことは、こちらの体をむしばむ。片や財布の中身、片や良心、お互い大切にとっておこう。むやみやたらに散財するものではない。


2009年01月24日(Sat)▲ページの先頭へ
雑誌
 紙袋から、鮮やかな表紙の分厚い雑誌を数冊出して見せてくれた。どれもオートバイの雑誌で、彼女がどの雑誌にも載っているというのだ。なるほど、彼女が教えてくれる箇所を見ると、オートバイにまたがっているところや、オートバイの傍に立っているところが結構大きな写真で載っていた。ある雑誌は半ページ全てが彼女の写真と紹介記事だった。 若い女性が乗るのだからといって、可愛いオートバイではない。写真を見て驚いたのだが、半端ではない。間違ったら申し訳ないが、中級免許で乗れる最大のものと言っていた。400ccのエンジンと言っていたと思う。写真で見たオートバイは、小柄な彼女がまたがっているから余計巨大に見えた。重量が250Kgだと言うから倒れたらまず起こせないとも言っていた。寒いから車で来たというのが残念だったが、次は大型免許を取ってハーレーに乗ると言っていた。
 土曜の午後で、いつもにまして暇だったので1時間以上テーブルを挟んで話した。半年以上前にもう漢方薬と手が切れているから、久しぶりに訪ねてきてくれたことになる。2週間毎通って来ていた最後の頃、オートバイの免許を取りたいと言って教習所に通い始めていた。念願の免許も、オートバイも手に入れていたのだ。それにもまして手に入れていたものがある。それに僕は気がついてとても嬉しかった。
 ある体調不良で通ってきていたのだが、人なつっこいところもあるし、人が苦手なんだろうなと思わせるところもあった。僕が相手だから、警戒心がなかったのか、体調のこと以外に恋人との別れなども相談を持ちかけられた。僕に相談を持ちかけたら最後、ほとんどの人が別れる。彼女も例外ではない。世の中いくらでも良い男や女性はいるから、別れたらラッキーくらいの助言しかしない。苦労して修復する必要なんかない。見せかけの繕いに先はない。単純明快だ。彼女には、恋愛でくよくよする姿より、オートバイで大山目指して突っ走っている姿の方が似合っているように見えた。その方が遙かに健康的だ。病気だって治ってしまうだろう。
 案の定、彼女は人と接することが怖くなくなったと言っていた。むしろ、今までとはまるっきり積極的な女性に見られるらしい。なるほど写真に写っている彼女を見たら誰もがそう思うだろう。だけど彼女自身がその変化を認めているからすごい。400ccの爆音は、人間まで替えてしまうのだ。マフラーを爆音がするのにわざわざ替えたらしい。自分の存在を車に知らしめる意味も大きいらしいが、音自体も楽しみたいと言っていた。近所に迷惑を掛けると家族が言うらしいが、嘗てならそれでも乗る彼女ではなかった。自己を主張とまでは言わないが、自分を大切にすることを優先している彼女が嬉しかった。
 この程度の僕だから、人生でやり残していることはない。やったことも少ないが、残しているものもない。ただ、オートバイにだけは、乗ってみたかった。原付には浪人時代乗っていたが、スケールが違う。学生時代はお金がなくて、結婚してからは子供のために交通事故などでは死ねないと思い、最近は体力気力が衰えて、結局やり残してしまったが、若い彼女がそんな僕の宿題を軽々と片づけてしまったことに羨望を感じる。僕の漢方薬を飲んでくれている人達が、彼女のように、夢をかなえる、いや、衝動的と言った方がよいか、行動する動機に恵まれることを期待する。若いって計算尽くではなく、感情のままに行動しても許されるのだ。勿論他者を傷つけないという最低条件は満たさないといけないが。想い、体力、使い切らなければもったいない。いずれいやでも枯渇してしまうのだから。
若いときは本当に女性と接する機会が少なかったが、今は多くの若者が訪ねてきてくれる。テレビのスイッチを入れるたびの失望を、彼女達が希望に替えてくれる。素敵な女性は一杯埋もれている。一杯埋もれている素敵な男性達との実りある出会いがあることを望む。


2009年01月23日(Fri)▲ページの先頭へ
生活
 今でも後味が悪い。どうして真意が伝わらなかったのか不思議だが、思い込みは、人によってこんなに違うのかと驚いた。
 今日は小学校の二酸化炭素の濃度を計りにいった。先生にはいつも通りにしてくださいと言ったつもりだが、先生は、部屋を閉め切って計ると理解したらしい。最初は確かに寒かったから部屋を締め切っていることに違和感はなかったが、30分も経過すると教室の温度は上がるし、二酸化炭素濃度も不快な数字にまで達した。生徒達は顔を赤くして勉強していた。先生も生徒も割と無頓着なのだと僕は勝手に想像して作業を続けた。授業が終わるやいなや生徒達はいちもくさんに窓を開放し、「暑かった」とお互いに言い合っていた。窓を開放した後床に数人が気持ちよさそうに寝転がった。床の冷たさが恋しかったのだろう。気になって生徒達にいつもこんなに締め切って勉強するのと尋ねたら、今日は開けてはいけないと言われていたそうだ。完全に僕の言葉足らずだ。僕にとってあまりにも常識的なことでも、他者にとっては必ずしも常識ではない。このギャップに驚いたし、長い時間不愉快な目に遭せた生徒達に申し訳なかった。
 学校から帰ると、癌の夫婦が相談にきていた。僕のスタンスははっきりしていて、病院の治療に負けない体力づくりのお世話をすることに徹している。十分検証されているものだけ使う。癌の治療に医師以外が中心の役割を果たせるはずがない。医師の治療を十分受けれる体力を付けることに協力できれば、良い結果に少しだけ貢献できる。薬局の出番なんてそこだけだ。夫婦の背負っているものを少しでも軽くしてあげたいが、必ず治せれるものに向かう場合と、少しでも貢献するのとでは、沸き出づる「気」が違う。静かなる闘志を押し隠して、知的で温厚な夫婦の幸せを祈る。
 夕方、ある老婆がタクシーで乗り付けて薬を買っていった。僕が牛窓に帰ってきた頃、役に立てれないから配達要員をしていた頃がある。その頃しばしば配達した家の奥さんだった。甲高い声もそうだが、面影も十分残っていた。品の良い経済的に恵まれた家の方だったが、今は二重の老人になっていた。別にその変化に驚きもしないが、ページを一枚捲っただけで何十年の歳月が駆け抜ける現実を、恐怖を持って受け入れた。
 生活とはこのようなものなのだ。喜び溢れる瞬間などまず無い。眉間にしわを寄せまとまらない思案に、戸外を眺めれれば、珍しく続く冬の長雨に、色を忘れた画家たちが家路を急ぐ。
 


2009年01月22日(Thu)▲ページの先頭へ
二酸化炭素
 又やってしまった。折角頼まれたのだから、楽しくやれればいいなと思っていた。唯そこは学校だから自ずと制限はあるだろうが、行く前の服装からもう僕にとっては、単なる日常の延長でしかなかったから。
 何年も着古したジーパンに、さっきまで2階で毛布代わりに室内犬に掛けていたブレザーもどきを羽織って出かけた。本当ならセーターのままで良かったのだが、あまりにも寒かったので犬が使っているのを拝借した。そのブレザーもどきにしたって、息子がお古で10年くらい前にくれたものだから、年季が入っているし犬の臭いも染みついている。およそ教壇に立つ姿ではないだろう。授業を担当する先生が写真にとってもいいですかと言われたので、即座に断った。昔から写真は苦手だ。写されるのも写すのも、何故か知らないが苦手なのだ。
 教室内の環境、例えば二酸化炭素の濃度や照度、気流などについて実際に器機を用いて調べるって授業だったが、牛窓中学の生徒は真面目ではにかみ屋が多いから、僕の普段通りのしゃべりにも乗ってこない。ギャグを連発したが、笑いを必死でこらえている姿ばかりが目に留まった。誰か一人が声を出して笑えばせきを切ったのかもしれないが、さすがに授業を受ける姿勢の生徒達なのだ。でも、これは自慢話なのだ。ぐれる機会も少ない田舎町の大いなるメリットだ。不愉快な光景を目撃することが少ないって、何にも代えられない心地よさなのだ。
 生徒達に器具の操作方法を教えて、僕は退室していた。30分後に覗いてみると、生徒達が生き生きとした表情で、それも楽しそうに器具を使って作業をしていた。始まりの時の空気は単なる僕に対する遠慮だったことが良く分かる。所詮僕は彼らにとっては来訪者なのだ。先生との楽しそうなやりとりが、懐かしかった。都会の高校に行くためだけにがむしゃらに問題集を解いていたあの頃、何の将来も描くことは出来なかったが、まさかこの子達に、がむしゃらの結果がこの程度だから、余り頑張らないでとも言えない。
 二酸化炭素の濃度があまりにも高かったので「数学が溶けないのは二酸化炭素のせいだと言っておけ」「機械を使うのは授業より面白いだろう」と連発したが、生徒達の反応はなかった。言わなければ良かったとすぐに後悔した。僕は子供は苦手だ。得意でない。ストレートなものはほとんど捨て去って、カーブばかりで生きているから、直球のような少年少女の心を汚してしまいそうだ。所詮僕は、あの峠の向こうに何があると、見えない曲がりくねった山道を言葉のわらじを履いて歩くすね人なのだ。合うはずがない。


2009年01月21日(Wed)▲ページの先頭へ
マスク
 このところは、薬局と言うよりマスク屋さんだ。僕の薬局にマスクを取りに来る人なんか滅多にいなかったが、今年は多い。風邪を進行形でひいている人はもとより、どこか人混みに出かけなければならないからとわざわざ買いに来る人もいる。どうしても出なければならない所ならまだしも、中にはパチンコに行く途中で買いに寄った人もいる。パチンコにいけるくらい元気なら風邪やインフルエンザは移らないだろうと思うのだが、この人にとって何が大切なのかと尋ねてみたくなる。
 報道のせいか宣伝のせいか、インフルエンザという言葉を多くの人が口に出すようになった。今はやっているインフルエンザと将来爆発的に流行するかもしれないインフルエンザとを混同して、みんなが過敏になっているのだろうか。その過敏に乗ってタミフルは大量消費され、ウイルスはかなり抵抗力をつけてきた。1日か2日熱が早くひくからと言って、無分別に使い続けたせいだ。せっかくの薬が必要になるときには能力をそがれている可脳性がある。医療も所詮商業行為であって何ら聖域をもって語られる領域ではないが、学者の一途な心も、最終的には経済で評価され表現されるのだ。空しいけれどそれが人間の大いなる原動力なのだから仕方ないか。
 1日か2日熱が早く下がったあげくはどうするのだろう。早く出社し、早く登校し、菌をばらまくのだろうか。病気の時でさえゆっくりと休むことが出来ないようにした効率優先の世の中に、無理やり歩調を合わせなければならない。病気をしている暇もない。身体も心も差し出してみんな懸命なのだ。田舎の、ごく普通の昔ながらの薬局でも50種類の心のトラブルの薬を備えている。のんびりとした町なのに、心の薬がこんなに必要だなんて。都会で暮らす人達はもっと大変だろう。
 冷たい夜の雨に流れ去る愁いはない。不安だけが音を立てて凍り付く。頑張らないで・・・頑張らないで。まるで冗談のように生きて。 


2009年01月20日(Tue)▲ページの先頭へ
恋愛
 僕はいわゆる過敏性腸症候群が恋愛や結婚に何ら影響しないと思っている。むしろ大きな長所になるとも思っている。付き合う前に、過敏性腸症候群ですかと尋ねて、そうですと答えたらもうけものと思って付き合えばいい。彼ら彼女らは、本来的にとても繊細だ。繊細すぎて傷ついているだけで、何のハンディーもない。自分で自分を傷つけているが、他人を傷つけてはいない。人を出し抜いてならまだしも、人を傷つけてまで自分を正当化したり所有欲を満たす時代に、大通りを肩を怒らせて歩いている人より、アーケードの下を遠慮がちに歩いている人の方が余程親しみが沸く。自分の付き合っている人が、自信に溢れて他人に大きな態度をし、人を見下すようなことばかり言ったり行ったりしていると想像してみて欲しい。恥ずかしくて傍におれないだろう。謙遜を知らない人間ほど不愉快な存在はない。
 彼ら彼女らには、謙遜は染みついていて身体の一部になっている。取り柄ではなく身体の一部になっているのだから、過敏性腸症候群が完治してもそれは変わらない。治ればすこぶる明るくはなるが、それで他人に高圧的になったりはしない。身体にしみこんでいるものは信用できる。
 お腹が治ればなんて悠長な考えは持たない方がいい。売りはお腹なのだから、治らない現役の時がいい。昔はなんて言っても臨場感がない。もっとも自分らしい時をさらけ出して、ありのままの自分を評価してもらえばいい。お腹をもし問題にされれば幸運だと思えばいい。簡単に相手のレベルが測れたのだから。お腹の話題は検知管だと思えばいい。それも、ふるいにかけるかなり精巧なものと思えばいい。
 数人を殺されたら千人以上も殺すあの国に、過敏性腸症候群なんて言葉はないだろう。日本で一人の子供がもし爆弾で肉片と化したら、どれだけの周りに人が悲嘆に暮れ生きる意味を失うだろう。同じ事が何百倍のケースで起こっているとしたら、あの国を許すことは出来ない。その国をかばい続ける国で指導者が替わる。罪なき多くの民衆を殺している国の指導者に何を期待するのだろうかと思う。弱き人に頭を下げることを知らない謙遜とはほど遠い、弱肉強食の国に。
 


2009年01月19日(Mon)▲ページの先頭へ
満足
 娘がある若い女性と2時間くらい薬局の中で話していた。職業柄、応対するのは若者よりも圧倒的に母親世代以上の人が多いから娘も話しに飢えていたのかもしれない。笑い声が絶えない珍しい空気が薬局の中に流れていた。その女性を僕は名前でつい呼んだりするのだが、今日は僕の私的なお願いをしてしまった。知的でいい顔をしていた。恐らく本来の状態に近づいているのだろう。とても嬉しかった。
 中学生なのに僕はその子のファンなのだ。田舎のとても純真な子供ばかりの中学校に行っていて、どこも曇り無く育っている。勿論僕のところに遠くから来てくれるのだから若干の不調は持っているが、そんなのを帳消しにしても余るくらい、素直な心を持っている。その事が簡単に伝わってくるのだ。それ以外に伝わってくるものがないのだからすごい。今日はその子がファッション誌から飛び出てきたような格好でやってきた。今までの印象とは全く異なる。でも、外見は飛び出しても、中身は僕の知っているままのお子さん。どうすればこんなに旨く育つのだろうかと、話すだけで相手に心地よさを与えられる態度をいつどこで身につけたのだろうかと、想像をかき立てる。ついでだが、お母さんがくれたカレーパンがとても美味しかった。僕はカレーパンには絶対手を伸ばさない。でもパンは大好き。この偏屈が誉めるのだから、半端ではない。パンを売っているというようなことを言っていたから、作っているのだろうが、パン屋さんではないと思う。パン屋さんにはあのカレーパンは出来ないのではないか。娘が頂いた袋を見たら「瀬戸の風」と書いていると言っていた。岡山県玉野市だから、捜してみたらいい。と言っても、このブログを読んでくれている人に、岡山県の人は少ないか。
 是非会ってみたいと思っていた男性が東海地方から訪ねてきてくれた。何となく変わっていると思ったのだ。変人ではない。職業をフーテンの寅さんみたいと自分で例えたので、その辺りに興味を持ったのかもしれない。それと、体調のことで大学のランクを落とさなければならなかったこと、でもその大学にいって良かったと後悔していないこと、その辺りも僕の興味をひいていた。成功物語には縁もないし、興味もないので、どこにでもありそうで、どこにでもなさそうな話を聞いてみたかったのだ。案の定、色々と楽しい話を聞かせてくれた。薬を作る方の立場としても得るところが多かった。
 仕事を終える時間、娘が今日はいい人が沢山来られたと感想を言っていた。田舎で薬局をやる最大のメリットかもしれない。家賃もいらない、人件費もいらない、特定の医者にこびる必要もない。誰も特別扱いせずに公平に応対する。これだけは譲れないと言うものを全部満足させてもらって、薬局を続けられる。この恩を、縁ある人達に返したい。僕を育ててくださった人達に。覚えたての漢方薬を文句も言わず飲んでくれた人達に。


2009年01月18日(Sun)▲ページの先頭へ
応援団
 岡山駅で車から降りた彼女に妻はいつまでも手を振っていた。姿が見えなくなってから車に乗り込んで開口一番「いい子だったね」といった。「又娘が一人増えた」とも言った。まるで同感なのだ。子供達が巣立ってから、次々と縁のある若者と出会うことが出来て、僕らは幸せ者だと思っている。訪ねてきてくれる人や、訪ねて来れる距離ではない人それぞれだが、心も身体も十分まだ力を出し切っていない人達のお手伝いが出来るのは、僕らに存在理由を与えてくれる。世間には、僕らの到底手の届かないレベルの善意が溢れているが、その何百分の一でも真似をさせてもらえれば嬉しい。全く畑違いではなく、職業の延長でしかないから、善意とも呼べないものなのだろうが、今僕らに出来ることはこれしかない。
 その光景は圧巻だった。フィリピンの人達と、まるで日本人同士の会話のようなスピード、感情移入で楽しそうに話していた。感激したフィリピン人のおばちゃんがいつになく興奮してまくし立てていた。そのおばちゃんの嬉しそうな顔も印象的だったが、何も臆することなく顔を見つめて話す彼女も素晴らしかった。体調不良、自信の喪失が僕と彼女を結びつけたのだが、秘めたる能力に僕の方が圧倒された。まるでネイティブのように話す言葉は僕の耳には心地よかったが、何をお互い話し合ったのかまるで分からなかった。後で教えてもらったのだが、おばちゃんは彼女に一生懸命勉強したら世界で活躍できるよと話していたらしい。その瞬間まるで母親だったのだ。
 3階の部屋は当分彼女の部屋にする。2時間、2000円で来れるのだから大都会の夜景が孤独を強いるのなら逃げてくればいい。薬局の奥の事務室で勉強していた光景は、嘗て長期の休みに戻ってきていた娘と全く重なる。田舎のおじさん、おばさん、フィリピン人のおばさん、フィリピン人の青年。みんな彼女の応援団だ。


2009年01月17日(Sat)▲ページの先頭へ
無難
 足が萎えて旨く歩けないし、家事も出来づらくなってきているというおばあさんを11月から世話をしている。10年以上前、漢方薬であるトラブルを解決したことを思い出して又やってきてくれた。2週間分渡したのに数日経って電話があった。何でも血圧が上がったから、漢方薬のせいだろうかと心配になり、かかりつけのお医者さんに行ったら、漢方を止めるように言われたらしい。足の調子はどうですかと尋ねたら、軽くなって台所に少し長く立てれるようになったと言う。お医者さんに止めろと言われたが、足に未練があったので折衷案で半分に量を減らして飲むことにしてもらった。すると血圧について何も言わなくなった。足は結構それからも改善して喜んでいた。
 数日前、3回目の薬を渡した。半量にして自分で飲んでいるから手間がかかり気の毒だと思い、最初から半量で薬を作ってあげた。すると、肛門から出血した。赤い血が便器を染めたという。1日は様子を見たが翌日も出血し、便に黒い血のかたまりがついていたという。漢方薬のせいだろうかと言うから、出血を止める漢方薬はあるけれど、出血させるようなものはないと答えた。「様子を見てみましょうかな」と穏やかにおばあさんは言うが、僕は便にまとわりついている黒い血のかたまりという表現が気になり、お医者さんに行ってもらった。するとその方が一人暮らしだと言うことを主治医は良く知っていて、念のため検査入院してもらいましたと連絡をくれた。今日主治医から連絡があり、おばあさんは胃潰瘍だった。脳血栓予防で飲んでもらっているアスピリンが原因でしょうと言っていた。本来解熱鎮痛薬のアスピリンは、血液を固まりにくくする性質があり、血栓予防に汎用されている。ただ、鎮痛薬は胃の粘膜を犯すから、潰瘍になりやすい。丁度出血する頃漢方薬を飲んだことになる。お医者さんに行ってもらっていて良かったと思った。又主治医が大きな病院に送ってくれて良かったと思った。
 幸運にも、漢方薬を使っていて大きな副作用には滅多に遭遇しないから、今回のことも違うだろうなと思っていた。他の原因で助かった。何かあるとこちらが薬に対して臆病になり、効かなくてもあたらない薬と言う選択をしてしまうのだ。それなら薬局である必要はない。ドラッグや通販で十分だ。夕方、薬局に入って来るなり「すごくうれしい」と言ってくれた方がいる。顔や手が自然に震える人で、大学病院で検査までした人だが、2週間でかなり良くなっていた。無難な効かない薬より、効くことが想像できる薬がやはりいい。


2009年01月16日(Fri)▲ページの先頭へ
写真
 2枚の写真を比べながら、同一人物には見えない。勿論同じ青年の写真だから、同じような顔かたちをしているのだが、印象は全く異なる。1枚は去年の夏、山陰から牛窓経由で上京したときの写真。もう1枚は、今日、東京から古里に帰る途中で寄ってくれた時に写した写真。わずか半年でこんなに印象が変わるものなのかと不思議だった。
 変わったのは、風貌だけではない。なるほど坊主頭から、髪がごく普通の青年の形に変わったから、それだけで柔和な印象になったのだが、出てくる言葉も、建設的な言葉が多く悲壮感はすっかり影をひそめていた。東京で接客業も経験し、職場の仲間と親しくもなり、職業と言うものに関して寛容になっていた。働くことの意味も楽しさも彼が口に出すことだけで新鮮に響く。価値観さえわずか半年で変化したのではないだろうか。元々しっかりした目標に向かって努力していた人だが、考え方に若干の遊びが出来たような気がした。生一本では、柔軟性に欠けすぐに折れてしまう。
 自分がもっとも苦手な現場で治す。選択しなければならないときは、しんどい方を選択する。今日彼に伝えた僕の言葉。しんどければ避難しろと言う次元は彼はもう十分に超越している。これから彼にとって必要なのはその二つのこと。十分理解して、強くうなずいていてくれたからきっとやり遂げるだろう。僕のお腹の薬よりよく効くに違いない。彼が目指しているのはかなり難しい試験で、2次は面接らしい。坊主頭だけには戻さないでと彼に言ったが、この注文こそ最高のプレゼントになるかもしれない。だって、僕が面接官なら7月の人物は落として、1月の人物は通すだろうから。


2009年01月15日(Thu)▲ページの先頭へ
夫婦
 理想論を説くのは簡単だが、現実の方が説得力がある場合が多い。夫婦の関係だってそうかもしれない。理想論から遙か離れた現実に嘆くことはない。縮まらない理想との距離にあえぎながらでもなんとか頑張っているのが多くの夫婦なのだから。毎年脱落するカップルも20万組以上いるのだから破綻しないだけでも立派だ。
 漢方の世界では、夫婦は相克の関係にある。と言うことは、お互い相手をやっつける関係なのだ。相手を負かして自分を生かす関係なのだ。だから夫婦が仲が良いなんて本来的にあり得ない。僕の薬局では、皆さんざっくばらんに話すから、如何に夫婦がお互いを苦痛の存在として捉えているか良く分かる。それは異常なことではなく、本質的な関係なのだ。嘆くことではない。だから何十年も仲良くあり続けるなんて至難の業なのだ。傷つけ合いながらそれでも何とかやっているのは、便利だからだ。この世の中の全ての制度が夫婦を基準に成り立っているから、その制度からはずれるとなかなか恩恵を受けれないのだ。
仕方なく夫婦関係を維持しているのが本音だ。余り窮屈な道徳的な価値観を理想視して現実の境遇を嘆くと自分を捨てることになる。誰かが言っていた。秘めたるは愛。秘密がある間だけ魅力は持続する。お互いの能力を全部見せ合ってしまえば魅力は色あせる。つかず離れずなんとか持った夫婦は、幸せだ。一生愛し合えた夫婦は奇跡だ。たまにそんな奇跡が存在するから、そしてそれが美談で流されるから、なんとかレベルの夫婦にとっては切なくなるのだ。唯漢方理論ではそう教えてくれているから、やはり生薬は気持ちにも身体にも優しい。


2009年01月14日(Wed)▲ページの先頭へ
大見得
 やっと重い腰を上げてくれた。そのやっとも数年越しのやっとだからかなり重い。お嬢さんがアトピー皮膚炎でその事は勿論彼も分かっていたが、僕に治療を頼むことはなかった。ところが最近急激に悪化したらしく、さすがに見ておれなくなったのか、相談があるのだけれどと言って入ってきた。僕は、父親として真剣に取り組む覚悟があるのかどうか知りたかったので「毎月2万円持っておいで、治してあげるから」と言った。断っておくが僕は普段こんな物言いはしないし、自信家でもないから治療に関して断言なんかする勇気はない。ただ、この父親がお嬢さんのために一生懸命になって欲しかったので、敢えて決断を促すような言い方を選択した。経済的に無理がないことは知っているので、即答しない彼に次に投げかけた言葉は、「お嬢さんは、毎晩100カ所蚊に刺されているくらい痒くて辛いんだよ」と言うものだった。さすがにこの言葉で彼はお嬢さんの苦痛を具体的に想像できたのか、「漢方薬を作って」と言った。
 恐らく今彼が初めてお子さんの健康に関心を持ったのではないかと思う。あまりに神経質すぎてもいけないが、あまりに無頓着もいけない。病気は忍耐を強いる場ではない。薬を持って帰った日の夜、偶然、全く偶然奥さんが彼に「○○○ちゃんは沢山蚊に刺されているくらい痒いんよ」と言ったらしい。その話を聞いて驚いた。なんて偶然なのだろうと。他にも痒みを表現する例などいっぱいありそうだけれど、同じ日に同じ例をひいたなんて。僕が素人的なのか、奥さんがプロ的なのか。
 もしこの病気、トラブルさえなければ・・・多くの方が病気と対峙したときに必ず思うことだ。病気の前では人はみな謙虚になれる。それだけ健康は価値があるものなのだ。しかし、運良く克服できると、その謙虚さはどこかへ飛んでいく。それも仕方ないことだし、それもいいのかもしれない。解放されて一杯羽を伸ばしたいのが人情だ。長い間、羽を伸ばすことを忘れているそのお嬢さんが、心の底から大声で、涙が出るくらい笑っている姿を見てみたい。大見得を切った分、これからは僕が試される。


2009年01月13日(Tue)▲ページの先頭へ
馬鹿
 メールの最後に、「私、馬鹿なんです」と結んであった。もうずいぶん前にもらったメールなのだが、その最後の一言がいつまでも印象に残っていて、何か高等な小説の一部分を彷彿させるようなインパクトが未だ保たれている。恐らく本人は素直に、いつも自覚していることを書いただけなのだろう。馬鹿が何を意味するのか知らないが、高校生だと言うこと、あるいは脈略から、単純に学校の成績を指しているような気がする。バイトにも行っているみたいだから、いわゆる進学校ではない。でもお腹を治したい理由に、何か夢があると言っていた。その夢のために治したいと言っていた。怖かった学校も楽しくなったと言っていた。
 自分を素直に卑下できる女生徒がどんな人なのか会ってみたいと思った。会ってみたい人は一杯いるが、たった一言でそこまで思わせた人は珍しい。恐らく学校の成績なんかでは量れない魅力的な「馬鹿」の人は一杯いるのだろう。こんな人達で世の中は成り立っていて、人と人との緩衝地帯を作り上げてくれている。馬鹿でない人が導いて、馬鹿でない人が作った兵器で、馬鹿な市民や子供達が焼かれながら殺されている。馬鹿でないことがどれだけ罪深いのだろう。馬鹿であることがどれだけ人道的なのだろう。ちょっとした火傷でも辛いのに、体中、それも消せない火で生き地獄さながら焼かれて、何を思いながら息絶えていくのだろう。馬鹿でないことの愚かさがどれだけ人類を苦しめたことか。
 不思議に思うかもしれないが、今日初めて年賀状をみた。素敵な人達から頂いていた。主義を貫きたいから、こちらから年賀状はもう何十年も書いていない。じっくり今日読んで、未だ会ったこともない人達、訪ねてきてくれた人達、尊敬する方、会わなくても一瞬にして青春に帰れる人、みんな僕にとってはとても大切な人達からのものだった。一人一人心を込めて賀状を返さなければならないのだろうが、賀状の手段をとらずに心をいずれ伝えたいと思う。
「私、馬鹿なんです」と言ったその子は今年中に完治するかな。後何十年、素晴らしい人生が待っていてくれたらと願わずにはおれない。苦しんだんだから、幸せにならなければ。誰も傷つけずに生きてきた素晴らしい青春前期なのだから。たった7文字の青春に参った。


2009年01月12日(Mon)▲ページの先頭へ
 ちょっとちらついただけなのに、雪が降っているのを見つけた女性が大きな声で叫ぶと数人が玄関のところに集まってきて、楽しそうに外を眺め始めた。大人の女性ばかりだったのだが、まるで子供のようだった。あまりの感激ぶりに初めて見たのかと思い尋ねてみるとそうではないらしい。それはそうだろう、もう充分日本語を話せるから、相当の年月日本にいるはずだ。岡山県でも年に数回は雪が降り、時には積もりもする。何年か前積もって綺麗だったと、嬉しそうに話していた。
運良く、僕が接する人達は恐らく何の問題もないのだろう。毎週屈託のない笑い声や、甲高い特有のしゃべり方に接することが出来る。結構お節介焼きで、小さなところにも気がついて親切ぶりに恐縮することもしばしばだ。
 明後日、強制的にフィリピンに送り返されるかもしれない中学生の子供をテレビが放映していた。両親が不法滞在していたらしいが、日本で生まれ日本で育った子が、フィリピンに行けばそれこそ外国だ。言葉と食べ物と習慣、それだけ違えばもう充分異国だ。そこに突然追いやって、その子がどうなるというのだろう。素人でも分かる。
 雪を見て喜んでいる女性達の子供に時々会うが、完全に日本人だ。ちょっと浅黒い顔色以外に、外見から彼らのDNAを読みとることは出来ない。果てしなく日本人なのだ。アンジェラアキの、手紙 ~拝啓 十五の君へを合唱している姿が痛々しかった。一五の君は大きな得体の知れない漠然とした機関からどんな手紙を受け取るのだろう。懸命に良心的に暮らしている家族が、どれだけこの国に貢献しただろう。有り難うの手紙は届いたのか。郵便受けに氷点下の錠前。


2009年01月11日(Sun)▲ページの先頭へ
休日
 日暮れ時の商店街ですれ違った高校生は、見るからに聡明な顔をしていた。商店の看板を見ながら歩いていたのか、視線は少し上を見ていた。日曜日のその時間に学生服で歩く理由は何だろう。ほどなく自転車の2人連れの女子高生が、僕を追い抜いていった。これも又制服姿だった。
 解放されるべき休日に、制服姿で行動しているのにはそれなりの理由がある。何か大切な日常、非日常を問わず出来事があるのだろう。僕はその姿がとても好きだ。前に向かって進んでいることがひしひしと感じ取れるから。努力という僕が一番苦手だったことを現役で引き受けている世代だから、神々しくさえ思えてくるのだ。
 商店街を抜けたところにある施設は、カレーのいい匂いが立ちこめていた。窓越しに室内の様子がよく見えた。ホームレスの人達とまかないをする人達が一緒に食事の用意をしていた。部屋の隅には布団類が積み重ねられていた。善意の食事と善意の寝具で、彼らはもうホームレスではない。窓に水滴がつくくらい中は温かそうだった。若い女性のエプロン姿が墨絵に落ちた絵の具のように、鮮やかだった。
 日常の景色の中にとけ込んだ、ありふれた光景さえ、このように感動を与えてくれる。決して華々しくはない、どこにでもいる青年達なのだろうが、すれ違う人間にこのような心地よさを植え付ける事が出来るのは、持って生まれたものか、沢山愛され大切にされたおかげか、多くを学んだせいか。
 ひたすら歩けば身体がぬくもって温かくなるのかと思ったが、いつまで歩いても手先、足先が凍えるようだった。でも、すれ違う景色の中に温かい風も吹いていた。


2009年01月10日(Sat)▲ページの先頭へ
嘔吐下痢
 朝食をとろうとすると、貧血気味になり、吐き気がした。そのうち頭痛と軽い悪寒にも気がついた。正月2日の日から、嘔吐下痢や高熱の風邪の方が多く、接する機会が多かった。医療機関が開けても嘔吐下痢の胃腸風邪は漢方薬の方がよく効くから、結構来られる。恐らくそれが移ったのだろう。仕方ないと言えば仕方ない。そう言った職業なのだから。 朝食は抜いて、漢方薬と栄養剤だけですました。調剤室で薬を作っている間に運良く症状が収まってきた。30分くらいで吐き気が止まり、1時間の内に完全に治ってしまった。運が良かった。おかげで今日も問題なく働けた。僕らは、薬が手元にあるので早く飲める。恐らくウイルスが爆発的に増える以前に薬を飲めたから間に合ったのだろう。
 正月の間はともかく、仕事が始まってからでも、ムカムカするのをこらえたり、激しい筋肉痛を伴う倦怠感を抱えたまま薬を取りに来る人がいる。家族がいないのだろうかと考えたり、仕事を休めないのだろうかと考えたりする。薬を持って帰って、家で寝ていたらと勧めるが、そうすると答えた人は一人もいない。高熱だからインフルエンザかもしれない。途中でゲエゲエ吐きながら来たのかもしれない。それにしても、その人達の強さには感心する。そんなことを言っておれないと言うが、そうしないといけない情況でもそうしないですむのだから、余程の気力体力がないと出来ないだろう。逆に一人暮らしの、特に老人達の心細さと言えばどれほどなのだろうと想像する。また、路上で眠る人達の心細さはどれほどなのだろう。凍死も十分起こりうることなど覚悟の上か。覚悟を上回るどうしようもない諦念か。メチャクチャの幸せなんていらないから、メチャクチャの不幸だけは公平に避けて欲しいと願う。夜を懐に隠しても、摩天楼から降る光で暖はとれないのだから。


2009年01月09日(Fri)▲ページの先頭へ
嫉妬
 クリスマスに、サンタクロースに扮してくれと頼まれたとき、台本も一緒にもらった。クリスマスの本当の意味を説くものだった。その台本を読んですぐ僕は決心した。台本は無視しようと。台本を作ってくれた人はとてもまじめな方で、台本は非の打ち所のないものだったが、何せ楽しくない。そのあたりも気を遣ってくれていて、一見楽しそうなのだが、僕の基準では真面目すぎた。おそらく2,3分ですむ内容を、アドリブで10分くらいは演じたと思う。130人くらい来ていたらしいが、会場に笑い声が絶えなかったから、僕の目的は達せられたと思う。その夜の僕の唯一の目的は、その場所に来てくれた人達が、一杯笑って帰ること。聖夜に尊き方のことを想うのは僕の出番ではない。僕はその後、一杯笑って身体の力を抜いてくれる人が一人でも多くいてくれることを望んだのだ。
 正月にその場にいた人から年賀状をもらった。僕の楽天主義を誉めてくれていた。普段とは違う僕を見て驚いたようだ。ところが、そこの会場にいる人はほとんど僕の普段を知らない。僕の職業も知らないし、性格も本当は分かっていないと思う。僕は楽天主義ではない。その反対に位置する人間だと思う。ただ、僕が笑いを重視するのは、職業的なものなのだ。長い間、体調のすぐれない多くの人と接してきて、交感神経が亢進している状態ばかり見てきた。いわば戦闘状態の人ばかりなのだ。笑っている瞬間、身体中が弛緩する副交感神経優位の状態を、僕はいつも漢方薬で作りだしたいと思っている。笑っている状態を作り出せれたら、多くの人の不調が改善するのではないかと思っている。だから、薬局の中では、出来るだけ笑いながら治したいと思っているのだ。なけなしの知識を披露して、権威を演じても何の効果もない。何かを売りつけるのにはいいかもしれないが、逃げ道のない田舎の薬局では禁じ手だ。
 僕はその方に返事を出した。僕は笑いに嫉妬しているのですと。薬剤師として、笑いにも勝てない薬を未だ作っているのですと。


2009年01月08日(Thu)▲ページの先頭へ
電気ストーブ
 何となくコンセントを触ってみたら熱くなっていた。危ないところだったのかもしれない。調剤室は足下が冷えるので、長年使っている電気ストーブを出してきて寒い日には使っていた。コードは所々で被いが破れていて、本来綺麗な赤いコードのはずなのに、茶色の中身が見えている。危ないなと思いながらも、金属部分が露出はしていなかったので、何となく使っていた。あまりに火事の報道が多いので心配になってコンセントに触ってみたのだ。
 古そうだけど、いつ買ったものなのと聞かれたから、考えてみれば、僕が中学生の時にはもうすでに使っていた。当時、今のように暖房器具が発達していなかったから、小さな電気ストーブ、それもコイルがむき出しで火傷しそうなのを有り難く使っていたのだ。恐らく、当時一気に普及した暖房器具だったのではないか。と言うことは、40年は使っていることになる。さすがに今回のことで捨てることにしたが、よく使ったものだ。勿論他に素晴らしい暖房器具がどんどん現れてきたから、使い続けたのではなく、ピンチヒッター的な使い方をしたから長く持ったのだろうけれど。それにしても、ものを大切にする家、いや捨てれない家、いや、拘らない家なのだろう。使える内は使うという、当たり前のことが当たり前に身に付いている家なのだろう。当然親譲りだ。苦労した親の世代ならどの家も同じだと思うが、それがそれ以下の世代、豊かな世代に伝わったかどうかだけの話だ。少なくとも僕の家では伝わっている。
 今日ある建設会社の社長が漢方薬を取りに来て、コーヒーを飲みながら雑談をしばらくした。彼がおもしろがって、僕の家にはテレビを録画する機械もないと言っていた。そう、無い。恐らくもっとないものはいっぱいあるよと言うと、あきれてそれ以上はつっこんでこなかった。ものがある生活より、無い生活の方が楽だと思うのだが、価値観の違いだからどうしようもない。ものはないけど心はあるよと言うと、そそくさと帰っていった。僕が珍しくつき合いのある業種の人だし、肩書きの人なのだ。置きみやげに、ギターを調弦する機械が最近あることを教えてくれて、わざわざネットで調べて、定価の何割引だから買ったらと教えてくれた。このアンバランスが僕は好きなのだ。


2009年01月07日(Wed)▲ページの先頭へ
分相応
 電話の向こうで、どの様な表情をしているのかと思う。務めて冷静に話してくれてはいるが、恐らく顔はゆがんでいるのではないか。服を着替えるだけでもからだが疼くといい、じっとしていても息がしにくいような倦怠感だとも言う。とても頑張りやさんだから、恐らくその訴えはどちらかというと控えめなのだ。打たれ弱い人だったら大声で苦痛の声を上げていても不思議ではない。
 不調を知られたら仕事に差し障るからといって職場では隠している。あれだけの痛みを隠すことが本当に出来るのだろうかと思うが、彼女はやりきっているのだろう。今はやりの派遣切りにもあって、毎日が恐らく崖っぷち。僕に出来ることは何なのだろう。勿論その体調を少しでも良くすること、それも許される経済の範囲で。
 電話を置いた後、お金が一杯欲しいと思った。本当に必要な薬を必要な人達に飲んでもらえるお金が欲しいと思った。お金をもらわなくても薬を飲んでもらえるくらいの大金持ちになりたいと思った。多くを持てば多くを助けることが出来る。多く持たないから、分相応のことしかできない。如何にも貧弱な分相応しかできない。その道に興味も才もなかったから、大きな成功も大きな失敗もなかったが、不幸を丸まる引き受けれるほどの財がないのは、資格なしと言うところだろう。


2009年01月06日(Tue)▲ページの先頭へ
 余りお金を使う機会がない僕が何をしてもほとんど意味がないと思うのだが、でも自分で決めてルール化していることがある。いわば小さな抵抗なのだが、それで気が済むから止めれない。
 例えば今だったら、ニュースで伝えられる派遣切りの企業の名を覚えておく。精密機械や車なら僕だって消費者になりうる。カメラかコピー機か知らないが、その企業は避ける。車は根性で乗り潰す。動く内は替えない。いや、ひょっとしたらもう車は買わないかもしれない。産地偽装や農薬入りの食品事件で消費者は金額以外の価値を見出すことに少し慣れた。その経験を我が身を守ることだけではなく、同胞を守ることに使えばいいのだ。簡単なことだ。極端な大金持ち以外はみな庶民だ。束にかかってでしか太刀打ち出来ないのだから、束になればいい。小さな抵抗でも、束になればダメージも与えられて仲間を救えるかもしれない。帰る田舎が実際にないひともいるし、生活できる地域としての田舎がないひともいる。運良く帰る家がある人達が少しばかりの抵抗のエールを送ればいい。
 見過ごし出来ない束なら、極端な大金持ちだって気にはしてくれるだろう。その気にさせない限り何も好転しない。だって、偉い人達は、極端に大金持ちの代弁者でしかないのだから。


2009年01月05日(Mon)▲ページの先頭へ
無難
 同じようなことをしているものだと可笑しくなった。
 病院で、声をかけられたが誰だか思い出せなかったから、とりあえず「その後、調子ははどうですか」と、無難な答えを返したらしい。しかし、その後いくら考えても思い出せなかったそうだ。それはそうだ、患者さんではなかったのだから。
 ほんの数ヶ月前に、出席した結婚式の主人公だったのに、思い出せなかったらしい。親類になった男性だから、大切にしなければならないのに、良く覚えていなかったのか。それとも僕に似て、そもそも儀式が余り好きではないのか。冠婚葬祭が商売のネタに露骨にされるようになってからますます儀式が苦手になった。見え見えの演出には嫌悪感しか残らない。感激の涙なんて意地でも流さない。いやいや、意地もいらない。感動のかけらもないのだから、涙腺は固く閉じられたままだ。
 僕は極端に名前を覚えるのが苦手だ。さすがに見た顔ってくらいは分かるが、名前はまず無理だ。何回もお会いすればどうにか覚えれるが、まず片手では無理だ。最近は、お名前何でしたっけと正直に尋ねるようにしている。来て下さる人にとっては、僕一人だが、僕にとってはかなりの人数の中の一人なのだ。その点は無礼ではないように考慮していただけるものと居直った。こんな時は年齢を理由に出来るから若いときより楽だ。
 息子はまだ若いから、それなりの演技をしているのだろう。誰もが通る道を通って成長していくのだろう。時々入ってくる噂ぐらいしか情報はないが、人様の役に立てていればいい。親は子の為に生きるが、子は親のために生きるのではないから。


2009年01月04日(Sun)▲ページの先頭へ
奇跡
 朝、2匹の犬を連れて岸壁に立っていた。いつものように島の方に目をやると何かが違っていた。前島のある部分がかすんでいて、まるで透けたカーテン越しに眺めているようだったのだ。鮮明な部分が島の両端で、透けて見えるのが中央部だった。何故って思った瞬間、雲の中から、いくつものひかりの帯が海面めがけて、ぞれも定規で直線を引いたように落ちているのを見つけた。初めての経験のようにも思えなかったが、初めてそれを神秘的に感じたことだけは確かだ。過去にいつか自分の目で見たのか、あるいは写真やテレビの映像で観たものを記憶と勘違いしているのか分からないが、感動を持ってみたのは初めてだ。雲の切れ間から、放射状に光が海に落ちる光景は、それも大きな島のほとんどを飲み込むように落ちる光景は、一人だけで感激するにはもったいなさ過ぎると思った。僕が携帯電話でももつような人間ならそれを画像に収めることも出来たのだろうが、なにぶん携帯嫌いだからそんなことを残念がっても仕方ない。よし、それではこれを言葉で表現しようと思ってみたものの、夜までそのモチベーションは持ちそうになかった。結局、感動を独り占めすることに落ち着くのだが、昨日見た景色だが今でもはっきり頭の中で再現できる。
 恐らく古来、人はそんな自然現象の神秘に神を感じたに違いない。現代に生きる僕がそこまで単純ではないが、僕は毎晩ただ一つの奇跡を願って祈っている。今年こそ、その奇跡が実現されますようにと、雲の切れ間から落ちる光の帯びにでも手を合わせたい。もう何もいらない。返すものがあれば何でも返す。ただ一つの願いを聞いてもらえれば。


2009年01月03日(Sat)▲ページの先頭へ
アライグマ
 「えっ!」と思わず聞き返した。それもそうだろう、「アライグマの被害で困っている」と弟が言ったもので。兵庫県の吉川と言うところにすんでいる弟が、何かの話の中でそう言った。僕は、大きなクマを最初想像したのだが、テレビで食べ物を洗って食べる動物を最近観たのを思い出して、どのような動物かはやがて分かった。その映像がまさに食べもを洗って食べているアライグマで、名前の通りだと感心してみた記憶がある。
 「アライグマが日本にいるの」と尋ねたのは、昔からいたのかと自分の無知を恥じてのことだ。ところがそうではないらしい。愛玩用に外国から輸入されたものが、飼い主の身勝手で捨てられ、それが繁殖したらしい。いわば、池の中のブラックバスみたいなものだ。農作物を荒らして困るらしい。こんな動物と言って、携帯電話で写した映像を見せてくれたが、なるほど愛玩用になるだけあってなかなか愛くるしい姿をしている。実際にはツメが鋭くて危ないと言っていたが。
 この正月の唯一の収穫だ。声がかすれる風邪をひいて、今日は僕だけ孫にも会いに行けなかったが、そのおかげで、こんな知識も得られたし、急な発熱で薬を頂戴と言ってきた数人の方の役にも立てた。どれだけ目を通せるかと危惧していた資料の山も、10cmくらいに低くなった。なにせ、学生時代一生分遊びきったので、4日も休めと言われたら困ってしまう。やらなければならないことと箇条書きにしたことはほぼ満足して完成する。平生出来ないこと、全て仕事に関係していることばかりだったが、こんなに暇な薬局で何故時間がとれなかったのか不思議でかなわない。事務作業は苦手中の苦手だからどうしても後回しにしてしまうのだ。
 捕獲したアライグマをもらってきて、鋭いツメで情報誌のページでも捲らせてやろうか。猫の手ならぬクマのツメだ。


2009年01月02日(Fri)▲ページの先頭へ
接点
 意図的なのか、偶然なのか分からないが、昼のニュースでまるで正反対の光景が連続で映し出された。
僕は今まで一度も買ったことがないから分からないのだが、福袋というものが正月には人気らしい。間違っているかもしれないが、中身は見えないが、恐らくかなりお得な内容物のものをアットランダムに買う(売る)と言うものなのだろう。その為に長い行列を作ってデパートの開店を待っている光景が映し出されていた。開店と同時に、お目当てのコーナーに駆け出す人達の姿、満足そうに大きな袋を抱えている人達の姿も報道された。
 その次に紹介されたのは、公園のテントの中で歳を越した人達の姿だった。ボランティアの人達が炊き出しをしていた。公の建物を彼らに開放して欲しいと国に申し込むらしいのだ。
 恐らく知らない間に街ですれ違う人達の中に、両方に位置する人がいる。同じところを歩いても、消費を楽しむ余裕のある人達と、少しでもエネルギーの消費を抑えようとしている人達がいる。幸せそうな人と、幸せがどんどん遠ざかる人達がいる。古里を捨てたのか、古里がないのか、待っている人のいない人達の生きるためのモチベーションは何で保たれるのだろう。退場ばかりを強いる社会になにを返せというのだろう。
 接点は裏返しでやってくる。接点のない接点は果てしない接近だ。二つのまるで重ならない映像を見ながら、僕はそんな印象を持った。


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