栄町ヤマト薬局 - 2009

漢方薬局の日常の出来事




2009年12月31日(Thu)▲ページの先頭へ
獣道
 来年からと言っても夜が明ければすぐなのだが、朝の開店を30分だけ遅くしてもらうことにした。30年以上、朝の8時から夜の8時まで薬局を開けていたが、正直体力がついていかなくなった。僕の薬局は田舎にあるため、朝早く僕の薬局の前を通って出勤し、夜遅く僕の前を通って帰宅する人が多い。その方達の利便性を考慮して、又両親が朝7時から夜9時まで薬局を開いていたのを見て育ったので、12時間労働なんて何でもなかったのだが、昔と今の薬局の業務が変わってしまって、1日中下を向いているような姿勢で、これがかなり体にダメージを与える。決して上を向いて、又正面を向いて堂々と生きるようなたちではないが、下を向きっぱなしの姿勢は結構こたえるようになった。その時間帯に来られる常連の人達に今声をかけて理解を求めている。快く皆さん納得してくれるが、それも又心苦しい。
不思議に思うかも知れないが、又頼りなく思うかも知れないが、僕は心も身体も健康で過ごすことが出来る日などこの数年1日もない。果てしない倦怠感と体の痛み、それと心の動揺に四六時中襲われている。まだ若い頃は不調と言っても今とは全然趣を異にしていた。必ず回復するものという大前提が全てを支配していたのだ。だから不調の向こうに不安はなかった。少しだけおとなしくしていれば全て回復した。ところが最近は、不調は回復するものではなく、気まぐれによい日も作ってくれるが、基本的には不調こそが日常と教えられる。ああ、これが老いというものかと日々未知なる体験を強要されている。そうしてみると、僕より一回りも二回りも上の人達がかくしゃくとしているのは、ほとんど尊敬に値する。余程ストレスが無く、余程肉体を温存してきたのだろうかとうがった見方をしてしまう。
さて、この日々の不快感もただ一つ良いことをもたらす。それは、僕の後を追っている人達の苦しみが手に取るように分かるって言うことだ。知識ではなく、体感で分かってしまうのだ。そのおかげでより本質に迫れる薬が作れる。そのおかげで、なんとか相談者の7割の方に満足してもらうという自分に科した目標が越えられる。青春の心の挫折も分かるし、活躍を期待されている世代の躓きも分かる。腰や首を痛めて日常の生活の質が悪化するストレスも分かる。そして何よりもそこから脱出する手段や処方が分かる。なかなか現代医学でも難しいところが、生薬と拙い僕の体験談でお世話できる。
 行く年を惜しむ理由もないし、来る年に期待することもない。ただ縁あって僕の薬を飲まざるを得なかった人達の不調が消えてくれることをひたすら願うだけだ。僕の一番の幸せを上げろと言われれば、迷わず多くの善良な方たちに薬を飲んでいただけるって事だ。失意のうちに牛窓に帰ってきた事が結果的には僕の職業人としての価値を生んでくれた。自分の望むことが全て裏目に出てたどり着いたところが生き甲斐を与えてくれた。今失意のうちにある人も、何が幸いするか分からない。何も持っていなくても、目の前にいる人をくすっと笑わせることが出来ればそれでまずは十分なのだ。そんな積み重ねで各々が歩むべき道が見つかる。誰も通らない獣道でもいいではないか。


2009年12月30日(Wed)▲ページの先頭へ
歪曲
 もう何がなにやら分からない。LDLコレステロール、いわゆる悪玉コレステロールは脳梗塞には善玉だという論文を東海大学の大櫛教授が発表した。今までの常識では脳梗塞、心筋梗塞の両方に悪くて、それこそ血管系の病気の、それも重症のものの元凶のように言われ、病院で必死で下げられていたのに。仮にもしそうなら、治療することで寿命を縮めていたことになる。解明が進んでいなかっただけだから、単なる善意のお節介でしかないが、もしそうなら結果的に死期を早められた人は多いに違いない。科学の発達でありとあらゆるものが「解明されるべきもの」の対象になっているが、もうこうなったらほどほどでもいいのではないかと思ったりする。
地域の病院が皆やすんでいるせいで、今日は雑多な仕事が多かった。鎮痛薬やカゼ薬、下痢や目薬と、昔多くの薬局がお世話していたようなトラブルが多かった。ただ、今その様な軽医療をお世話できるところが少なくなった。僕が一般人なら、何処に入っていったらいいのか迷ってしまう。今はそんなに出かけないが、少し前まではしょっちゅう勉強会を兼ねて都会に出かけ、薬局を見て回った。年々見るべき薬局は少なくなり、いや、見るも見ないも薬局が見つけられなくなっていた。
 娘は今日から九州のある薬局を見学させてもらいに出かけていった。あることで著名な方で、見ず知らずの若い薬剤師の希望を叶えてくれた。これから長い薬剤師人生、薬局人生を歩もうとしていて、僕以上のものを身につけようとしているのだろう。僕はいわゆるOTCと漢方薬を中心にやってきたが、今ひとつ挑戦したいものがあるみたいだ。安易ではない道だが、人の役に立てるという生きていく上でのモチベーションとしては十分だろう。誰もが必ずどこかで誰かの役に立ち、誰かを救い、誰かを慰め、誰かを喜ばせている。そんな循環が保証されるほど人間は本来的には善良なのだ。
少し甘いものを控え、野菜を増やし、少しだけウォーキングしていたが、今日の論文の件で若干の養生心が萎えてしまった。今長生きしている人は、ほとんど情報などなくただ一生懸命働いていただけの人達だ。いたずらに健康を追った人達ではないように見える。 自分に都合の良いように人の功績を歪曲するのは今も昔も得意中の得意だ。だからこうなった。


2009年12月29日(Tue)▲ページの先頭へ
感謝
 向こうは建物の中からガラス越し。僕は車の窓ガラス越し。日中だったが太陽が丁度真上にある時間帯だったので鏡のようにはならずに僕は家の中まで見えた。向こうも僕の車の中まで見えていたのだろうか。駐車場から車で出る僕を数人の若者が微笑みながら手を振ってくれた。僕はハンドルを握っているから手は振れないが、何度もおじきを繰り返し出ていった。毎日曜日、偶然玄関先で遭遇すれば繰り返される光景なのだ。わざわざ彼らが見送ってくれるのではなく、偶然の産物が時々このような心地よい体験をもたらせてくれる。
 いったい、日本人の青年とこのような自然な交流が出来るのだろうか。僕は職業柄多くの若者と接するし、30年間バレーボールをやっていたから若者と接する機会はかなり多かったと思うが、なかなか日常の平坦な情況の中で交流はしづらかった。ある情況の中での交流は勿論必要から行われていたが、必要を越えてはぎこちなかった。彼らとは言葉はほとんど通じないのだが、目をつむればいつもニコニコしている彼らの顔ばかりが思い出されるのだ。南の国の人達だから本質的に明るいのだろうか。父親くらいの年齢の僕に気楽に声をかけてくれたり、握手をしてきたり、どこかに置いてきたような体験を再現させてくれる。思えば仕事ばかりして、このように気の休まる交流はほとんど機会がなかった。接点はほとんどが薬だった。知識欲だけで交差する人生に体温はなかった。孤独な作業を繰り返してきたような気がする。ノートに書き留めた我流の処方集だけが、かろうじて足跡を残しているが、それを捲る人が果たしているやらいないやら。
早い人で3ヶ月、長くとも1年くらいしかいないが、多くの青年と同じ空気を吸った。まだ見たことのないところで育ち、まだ見たことのない生活ぶりをしていた彼らが、遠く日本の地方都市で町の景色を鮮やかにしてくれる。それ以上に、町の人達の心を和やかにしてくれていると思う。この国を去るときに決まって彼らが言うのは、滞在中親切に接してくれた事への感謝と共に「この町での日々を決して忘れはしません。皆さんの幸せを祈っています」と言う言葉だ。祈るという習慣がある彼らにはとってつけた言葉ではなく自然と出てくる言葉だと思う。
 元々身につけていなかったのか、あるいはどこかに置き忘れたのか、自然な彼らの振る舞いに対して僕のそれは如何にもぎこちない。僕にも嘗て群れて暮らしていた頃もあるが、あのさわやかさはどうひいき目に見ても備えていなかった。それはそうだろう、進むべき目標もなくただうつむいて歩いていただけなのだから。
 バックミラーの中でも手を振る青年達に、こちらこそ感謝。


2009年12月28日(Mon)▲ページの先頭へ
意地っ張り
 牛窓に赴任してきた先生が、それ以後ずっと僕の薬局を頼ってくれることはままあるが、この養護の先生は特別関係が深い。余程実力があるのか、牛窓を出てから国立の学校の養護教諭をしている。運営の基盤が異なるところを移動すると言うことがあるのかどうか知らないが、実際に今その様な学校で働いている。
正月休みは僅か3日間の僕の薬局でも、休むとなれば不安を持つ方もおられて、今日は朝から忙しかった。先生が来られたときも2人が煎じ薬が出来るのを待っていた。順番通りに応対したから大分待ってもらったが、その待って頂いた先生は数分で用が済ませられる簡単なトラブルだった。直前のおばあさんが、薬が出来てから、バスが来るまで待たせてと言って腰掛けているのを知っていたのだろう、「どちらの方面か知りませんが、一緒に車に乗って帰りませんか?」と尋ねてくれた。おばあさんは遠慮して何度も断っていたが引きずる足で一緒に出ていった。あの歩き方では、バスに乗り込むことも大変だろう。その症状を分かっておばあさんを誘ってくれたのかどうかしらないが、恐らくおばあさんも助かったに違いない。僕にバスの乗り降りの仕方の説明を詳しくしていたから、それを不憫に思ってのことだろう。やはり聞こえていたかな。
 実は今薬局をどの様にしたらいいのか迷っている。勿論もうすぐ世代が変わるから、僕の問題ではないのかもしれないが。何か理想があって、意図してなった今の形態ではない。がむしゃらに働いて結果的に今の形態になっただけなのだ。僕にとっては心地よいがこれが理想とは思えない。現実に日本中に展開されている多くの他の薬局が理想とも思えない。いびつな形で日本の薬局は今展開されている。薬局の経営者には都合がいいかもしれないがとても住民にとって理想とは言い難い。何でも相談でき、何でも対処でき、誰にもこびず、住民の役に立てる。こんな当たり前のことが結局は一番難しい。どうあるべきか、どう変わるべきかなどと漠然とだが毎日のように考えている。そんな中で今日目撃した先生の何気ない物言いが新鮮だった。元々ぼそぼそと話される先生なのだが、何の気負いもなくごく自然に老婆を誘ったように見えた。親切を押しつけるのでもなく、相手に断る余裕も十分与えていた。結局老婆は、家ではなくもっと先のショッピングセンターまで甘えることにしたのだが、そんなやりとりを見ていて、そんなやりとりが出来る薬局こそ大切にして、多くの今日と同じような心の交流が生まれる薬局を目指すべきではないかと思った。営業のための都合が全てに優先しているのが今の薬局だと思うのだが、そうではない意地っ張りな薬局があっても良いのではないかと思った。


2009年12月27日(Sun)▲ページの先頭へ
福袋
 電球とブルーレットを買いにホームセンターに入ったのだが、買う順番を逆にすれば良かった。電球売り場の方が簡単に見つかったから、電球の方から買った。その際に、今までのように数ヶ月で切れて使い物にならなくなる安いものにしようか、あるいは最近省エネをうたった電球にしようかしばらく迷った。以前買った発光ダイオードのものは極端に高いから、中間をとって、5倍長持ちとかなんとか書いている蛍光灯式の電球を買った。 そこからブルーレットの売り場はすぐに見つかった。ちょっと移動すれば買える場所だった。そちらに足を延ばしてまさに陳列しているのを見ようとした瞬間、「さあ、本日、小林製薬の商品、ブルーレットや○○をお買いあげの方にもれなく福袋を差し上げます」と、派手なはっぴを着たおじさんが突然大声を張り上げた。そこの場所をさっき通ってきたばかりだったのだが、その人はいなかった。つい今し方やってきて売り込みを始めたのだろうか。近くには僕一人しかいなかったので、余計大きな声で人を集めようとしたのだろう。一瞬その人と目があったが、僕は単なる通りすがりで通した。ブルーレットが切れていることに数日前から気がついていて、日曜日を待っていたからどうしても買いたかったが、残念ながら店内をゆっくり一周して帰ってきてもまだおじさんは頑張って呼び込みをしていた。ブルーレットって恐らく200円くらいだったと思うから、福袋と言っても子供だましのお年玉入れ位を想像しておじさんを盗み見すると、手に結構大きな福袋を持っていた。赤い袋に独特の自体で興味をそそる。意外と大きいんだ、でも中身はきっともらったら恥ずかしくなるようなものに違いないと思って再び知らぬ顔をして通り過ぎた。おじさんの大声に誰も反応しない。ついぞおじさんに近寄った人はいない。福袋欲しさと思われるような気がして買うに買えないので、もう一度だけ店内を一周したがやはりおじさんは、一人忠実に職務を遂行していた。きっと立派な社員なのだろう。不景気で、会社の売り上げがいまいちなのか、ブルーレットや○○を休みの日に店頭販売するのは不本意だろう。 
 おじさんの熱心さで、今日確実にブルーレット1個を売り損ねた。結局僕は買うことが出来ずに1週間待つことにした。意外と大きな福袋に一瞬心は動いたが、僕には師走に叫ぶそのおじさんの様子の方がブルーだった。


2009年12月26日(Sat)▲ページの先頭へ
新聞
 時々新聞受けに契約している新聞社とは別の新聞を入れてくれることがある。僕はもう30年以上同じ全国紙をとっているから、地方新聞を一緒にとってもらいたいという意図は明白なのだが、いくら新聞を読むことが習慣付いていても、2紙はきつい。1時間以上新聞に釘付けになることになる。あまり余裕のない朝の時間をそればかりに費やすことは出来ない。ただ無料で入れてくれたものとなると話は別で、ちゃっかり今朝はゆっくり2紙を読んだ。地方紙は本当にそこまで報じるのと言うくらいきめ細かいことが載っていて、まるでうわさ話を聞いているような感じにもなる。僕にとってはどうでもいいことばかりなのだが、それが売りなのだろう。
そのちゃっかりの新聞に載っていたのだが、ある医療ジャーナリストの方が「養生で身が細る」と言う格言を紹介していた。読んで字のごとく、懸命に体によいだろうと言うことを実践するのだが、それが裏目に出て健康を害するという意味だ。現代で言うとさしずめ健康食品(サプリメント)がそれに当たると言っていた。毎月5万円もの健康食品を買いあさり、その支払いに追われ食費を切りつめて貧しい内容の食事をとっている人が珍しくないと言うのだ。思い当たる節は随分とある。今はもう無駄だと分かったからそんな人に遭遇してもなにも言わないことにしているが、空しい会話を嘗ては良くした。
 そのジャーナリストの友人の医者が、健康食品に詳しいらしいのだが、患者さんにある提言をしているらしい。健康食品とのつき合い方らしい。3つの点をクリアした時にだけ飲んでもいいと言っている。一つ。金額は鍼治療を超えない。この医師も僕と同じ鍼の治療をしてもらうのが好きなのか、はたまたその治療効果を認めているのか、何故か鍼治療の金額を基準にしている。経験のある方も多いだろうが、鍼は治療してもらえば必ずと言っていいほど気持ちのよい状態になる。疾患によって勿論治る治らないはあるが、心地よさはかなりの確率でもたらされる。言外に鍼治療でもした方が余程いいと言っているように聞こえるがやはりそれは医師の品性で留めているのだろう。二つ目。飲むのは3種類以内。当然防腐剤や着色料などのことを考えるとそうだろう。三つ目。効果が感じられなければ二週間で止める。健康食品で効果というのは正しくない表現だが、ダラダラと消費しないと言うことだ。
 僕はスポーツで身が細った部類だが、何でも過ぎたるは及ばざるが如しだ。元々、過ぎもせず、及びもしないのに、何故かバレーボールだけは続いてしまった。二分に一回、大笑いできた至福の時間のお釣りが、痛みに顔をゆがめるとしたら、笑うに笑えぬ落ちだ。泣くに泣けぬ痛みに、笑うに笑えないとは・・・いったいどうすればいいのだ。


2009年12月25日(Fri)▲ページの先頭へ
お母さんへ
彼が特別ではありません。誰もが青春期は同じように迷路の中で出口を捜しているのではないでしょうか。僕も確たる明日を描くこともなく、いや描くことが出来ずに悶々と時間をひたすら消化していただけです。多くを授かってもいないのに、何かが出来るような錯覚を幾多も経験し、さりとて努力と言うものはとみに苦手でしたから、何かに向かって歩みを進めることもありませんでした。まるで流れない川のように希望と言う名の生き物が住める環境ではありませんでした。僕は身なりを含めてありとあらゆる形あるものにはルーズでしたが、やはり青春期特有の潔癖な心は持っていました。その為に多くの不自由を強いられましたが、はからずもその体験が今沢山の若者に生きています。
息子さんの日常の葛藤も、彼を成長させるものですから関心を持ちつつ無関心で、彼の言葉を待ってください。恐らく回りの大人にとっては好青年にしか見えないでしょうね。僕もその言葉以外が見つかりません。特に一人で泊まりに来た時は以前に会った時より随分と大人びて、嘗ての僕自身の残像と重なることもしばしばでした。未熟だからこそ未来があります。僕はその未熟さが羨ましいです。とるに足らない鎧を着て戦場を駆け回っている大人達の方が滑稽です。僕は彼が落ち込んでいる間、希望を感じるのです。殻を割って出てくる雛の姿に重なるのです。もう破るべき殻もない僕らから言わせれば、未来を引き寄せる脱皮です。追えば逃げ、手が届くのはせいぜい今日の終わりまで。そんな僕らには危惧する資格もないのです。田舎をこよなく愛している青年の明日が、重たくたれ込めた雲に覆われ続けるはずがありません。連峰の彼方に用意された空は、すでにもう晴れ渡っていますよ。
ヤマト薬局




2009年12月24日(Thu)▲ページの先頭へ
名前
 相談に来られた女性が名前の欄に「トキ」と書かれたので、絶滅した朱鷺(トキ)にあやかってつけたのでしょうかねと尋ねたら、残念ながらそうではなかった。それはそうだろう、その方が生まれた戦前だったら別にトキは珍しいものではなく、日常的に目にした光景のはずだ。こんな発想は単なる現代人のロマンでしかない。
ちょっとしたロマンをうち砕くような名前の由来をご主人が教えてくれた。「あの頃は今と違って名前なんかそんなに凝っていないから適当につけたんだわ。ウメじゃ、ヨシじゃ、カタカナで簡単にすませたんだわ。逆に今となっては、子を最後につけていないからハイカラに聞こえるけれど」奥さんは傍で顔を赤らめて聞いていた。相談内容の自律神経失調そのもののせいもあるのだろうが、次に来る説明を恐らく予想していたのだろう。「嫁は3姉妹で、お姉さんがカツ、妹がマツなんですわ。続けるとカツトキマツで、勝つとき待つ、すなわち戦争で勝つ時を待っているという意味なんじゃ」ご主人の説明に奥さんも頷いて聞いているから勿論作り話ではない。明治生まれの父親が戦争中にどんな気持ちでこの3部作を作ったのか分からないが、庶民の当時の切ない気持ちが伝わってくる。この3部作の願いがうち砕かれたからか、お父さんは終戦後3年で亡くなったらしい。
 次のお子さんが出来ていたらどういう名前で続けていただろうかとか、敗戦を知ったときどの様な気持ちだったのか尋ねてみたい気はしたが、余りにも単純に気持ちを表しているが故に、茶化してはいけないような気がして止めた。少なくともお父さんにとっては我が子が生まれることより国の行く末の方が大問題だったのだ。
 幸いにも今は何よりも優先して我が子のことを大切に出来る時代になった。我が子と国と両極端なような気がするが、せめて半径数キロメートルくらいは大切に出来る日々でありたい。


2009年12月23日(Wed)▲ページの先頭へ
選択
 明日、小さな玉野教会にもクリスマスを祝う人達が大勢来られるので、何か楽しんでもらえるものはないかと思案していた。思案はすでに去年のクリスマスが終わったときから始めていたのだが、結局はなにも用意が出来なかった。玉野教会の歌って言うのを作って披露しようとこの1ヶ月くらいは思っていたのだが、結局は1小節の歌詞もメロディーも浮かばなかった。ただ、スピーチのネタだけはいくつか頭に浮かんだ。
いよいよクリスマスイブは明日になったのだが、今朝布団の中でまどろみながら、何故か先日自ら命を絶った加藤和彦の事を思った。僕と彼になにも接点はないのだが、僕ら世代の誰もが同じだが、高校生の頃数々の彼らのヒットソングを聴いていた。その後の彼の音楽について興味もないから分からないのだが、報道によって彼があの年齢になっても、音楽で食っていたことを知った。それもその道で惜しまれるほどの活躍をしていたことも知った。
 多くのと言うべきか、ほとんどと言っていいのか、いやひょっとしたら全てと言っても過言ではないと思うのだが、若いときにいくら沢山のヒット曲を作った人でも、ある年齢が来たらさっぱり作れなくなっている。仮に作っても聴くに堪えないものばかりだ。多くの有名なシンガーソングライターも、ほとんど若いときの作品で食っているだけだ。才能に恵まれた人でも、創作する力は極端に落ちるのではないか。特にメロディーに関しては余計その傾向が強いのではないかと思う。多くを見たり聞いたりしているうちに感動する閾値が高くなってしまったのか、経済的な安定で訴えるべきものがなくなったのか、はたまた他の理由でか分からないが、作品として通用するものは誰も作れていない。
 加藤和彦がどの様な内容の遺書を残したのか分からないが、僕は自分のあまりにもなにも浮かばなさに我ながら呆れてしまった現実と重ねてしまったのだ。素人と大御所とを比べるのは失礼だが、素人なら自嘲ですませられるが、プロは、なおかつ実績のある人は創造力の無さに耐えられないのではないか。
 まどろみの中だから、こんな空想も許してもらえるだろうが、期待され続け、それに応えなければならない専門家はそれなりに辛いんだと、自分の無能ぶりに救われたりする。他人の視線に酔い、他人の視線に追いつめられ、他人から唯一死線で逃れた。才能故の選択のように思えた。


2009年12月22日(Tue)▲ページの先頭へ
不都合
 ヨーロッパでは、新型インフルエンザのワクチンが大量に余って、廃棄処分しなければならないくらいになっているらしい。それはそうだろう、マスクをする習慣すらなく、風邪などは自分の力で治すのが当たり前の国の人達にとって、弱毒のインフルエンザで予防接種をするなんて考えられないだろう。人間には病原菌に対して戦う力が備わっていて、戦ってこそ得られる免疫でより強くなれる。だから長寿の人は意外と若いときに体が弱くてと言う人が多い。病気の度に自衛隊が増えていってより強い体になったのだろう。彼らにとっては免疫を獲得するためにインフルエンザにかかるリスクより、ワクチン接種による副作用の確率の方がより興味があるのだ。お国柄とは言えかなり価値観に差がある。
食事の時になんとなくつけているテレビを見ていて最近とみに不愉快になることが多い。この新型インフルエンザしかり、やたら恐怖を煽り、やたら行政や政治を非難し、まるで自分たちだけは正しいというスタンスが余りにも目につく。視聴率を稼ぎ広告収入を増やすことだけが唯一の目的の人達に正義や善行や謙虚を求めるのは所詮無理なのだろうから、もうこうなったら見ないのが一番精神にも良く、自己防衛しなければならないことが分かってきた。偏見ぶりも最近は露骨になっているから、正しい知識や正しい判断力はより活字に求めなくてはならない。くだらないタレントの無芸ぶりや責任を伴わない輩の言いたい放題にはうんざりだ。上手く立ち回っている人間達の生活の糧と僕の自尊心とを物々交換する気はない。
 このような番組を見さされている国民って、いったいどんな方向に進んでいくのだろう。責任感は養われずにやたら攻撃的で、自分さえよければって方向に進んでいかないのだろうか。考えてみたらいい。そんな人が溢れている社会で安心して暮らすことが出来るだろうか。その様な環境よりは恐らく物に不足した環境の方がはるかに暮らしやすいのではないか。ただのテレビ番組と言ってしまえばそれだけだが、その「ただの」が人の神経伝達物質を駆逐して自分で増殖しようとしている。良心的な企業しか残れないと言うメッセージをチャンネルを変えることやスイッチを切ることで知らしめなければならない。元は企業に勤める善良な個の集団であるはずなのに、一度集団となったらハンドルもブレーキもなくなる。善意ってお金を稼ぐには不都合なのだろうか。


2009年12月21日(Mon)▲ページの先頭へ
つじつま
 変われば変わるものだ。久しぶりにやってきて、以前は毎日欠かさず飲んでいた肝臓の薬を買った。その時にレシートを頂戴というのだ。僕はその人にレシートを出したことはない。何万円の買い物をしたときにも出さない。勿論向こうもそんなもの単なるゴミだから受け取りもしない。それどころか、最初は10円単位のおつりも受け取らなかった。それにはちょっと僕も屈辱感があったから、さすがに必ず渡した。撲が25歳で帰ってきてからの常連だから、お互い気心は知り尽くしているのだが、右肩上がりの時代の恩恵を十分受けた彼の職業柄、これ以上は入っていけない、入ってこさせない境界は歴然とあった。
レシートの意味を深くは追求しなかった。何となく想像できるのだ。毎日のように岡山に飲みに出かけ、話はゴルフのことばかり。2年に1回高級車を乗り換えて名前ではなく肩書きで呼ばれていた。勿論一杯努力はしていて恵まれた人生だったと思う。そのまま終われるにはちょっと人生が長すぎただけだったのかもしれない。本人のせいではなく、時代のせいかもしれない。彼のような職業は恐らく今、味わったことのない不景気感にさいなまれているのだろう。ちょっと前なら一杯輩出している地方議員の強引な利益誘導で潤っていたのだろうが、さすがに現代では住人もそれを許さなくなった。
僕は、入り口に向かって背を向けている彼の顔をかすめて、居座った寒気の中で交通整理の赤い旗を懸命に振るガードマンの着ぶくれした姿を見ていた。派手な動きは少しでも筋肉に熱量を作らせるためだ。彼らは知っている。じっとしていたら寒さに侵入されるだけだって事を。だから理由を見つけては懸命に身体を動かし旗を振るのだ。
 ガラス1枚で分けられた空間で、嘗ての栄光を引きずりながらまだまだ何となく上手くやれそうな人と、頑張っても頑張っても所詮ここまでと限界を突きつけられる人達との、到底混ざり合わない川の流れを見た。個人の歴史としては少しはつじつまを合わされているようにも見えるが、旗を振る人達とのつじつまはほとんど無視されている。あがいてもあがいても上手くいかなかった人達にどんなつじつまが待っているのだろう。何を期待していてと言えるのだろう。あごで使える立場にいた彼にとって、今なら分かる事って無いのだろうか。僅か何ミリグラムの紙切れにすら奪われる心があるのだから。


2009年12月20日(Sun)▲ページの先頭へ
駅伝
 枕元で話したら病人に聞こえるのではないかと気がきではなかったが、家族の一人は苦しまずに逝ってくれればそれだけでいいのですがと、麻薬で虚ろになったおばあさんを気遣っていた。家族としたらその通りだと思う。誰にだって最期はあり避けることが出来ないとしたら、苦しみ少なくと願うのは古今東西みな同じだ。優しい声で独り言のように聞こえたが、そうだねと思わず同調した。
僕はその時点ですでに最後の薬を考えていた。肺炎にでもなって数日でスッと消えるように亡くなることが出来たらいいなと思ったのだ。幾ばくか長らえてガンの痛みに耐えるよりはるかに楽だと思ったのだ。それと勿論本人には希望を与えたかった。調子が落ち着いたら家に帰りたいという言葉を聞いてから、希望を持ち続けて欲しいと思ったのだ。治るなんて期待できないから、今の苦痛から解放される日が必ず来るのだと希望を持って暮らすことが出来るようにしてあげたかったのだ。それが例え全く効かない薬でもいいと思った。長年世話をしている僕が薬を出すことに意味があると思った。
 その薬を渡して2日後にまったく食べることが出来なかった人がうどん3本を食べた。そして今日見舞いに行くと、僕がもっていた大きなクッキーを食べるから頂戴と言って、あっという間に食べてしまった。あれからなにでも食べているのよと言う言葉に驚いたし嬉しかった。会話もほとんど出来なかったのがあっという間に返事が返ってきて、見舞っていた2時間余りほとんど喋り続けた。内容も完璧だった。医師ももうすぐ点滴がとれるかもしれないから頑張って食べてくださいと助言してくれたらしい。
 体の中で何が起こっているのか分からない。勿論痛みを消してくれた医師の力が大きいが、奇跡でも起こるのではないかと思わせるほどの回復ぶりにあの処方が少しは貢献したのではないかと思っている。寧ろ効果よりも希望を託して選択したものだが、ひょっとしたら期待以上、いやそんな言葉では表現できないくらいの働きをしてくれているのではないかと思った。ただ悲しいことに薬局ではその効果を再現できない。だから今回偶然良い働きを示しているだけかもしれないのだ。再現性がない限り、誰にでも勧めるわけにはいかない。僕らの職業の悲しいところだし、力が及ばないところだ。日常しばしば遭遇する症状に対してはおよその確率は自分なりにデーターを持っているが、出会い頭のように薬を出すことは出来ないから、今度の経験は単なる出来事の域を出ない。ただ、その出来事が好ましい出来事だったから胸をなで下ろしている。
 生命力の固まりのような高校生が駅伝で走っているのを横たわってテレビで見ていた。どんな気持ちで見ているのだろう。


2009年12月19日(Sat)▲ページの先頭へ
偽札
 「えらいことがあるもんじゃよ」と、長年県境付近から漢方薬を取りに来てくれる老人が、もったいぶったように話し出した。なんでも、偽札を掴まされたというのだ。体調の報告は上の空で、今日の来局の主たる目的はこの偽札の話であることはすぐにその必要以上に落とした声で分かった。犯人ではないのだから大きな声で話せばいいのだが、どうやらこの種の話はひそひそ話でないと臨場感が出ないらしい。
偽札は、奥さんに渡そうとした今月の生活費の中に紛れ込んでいたらしい。勿論僕はそのようなものに遭遇したことがないからどのようなものか分からなかったが、僕が尋ねる前から老人はその説明に入り出した。なにでも、漢数字で書かれた一万円と言う字の下にあるべき光るシールみたいなものがないそうだ。その上福沢諭吉が両サイドに二人いるそうだ。失礼ながら、僕は笑いをこらえるので懸命だった。どのくらい精巧に作られたものを見破ったのだろうと期待していたのだが、シールはともかく、諭吉が二人いたらさすがに誰でも気がつくだろう。どの様な流通経路を辿って老人の元に来たのか知らないが、僕の迷探偵ぶりでも直近の人間だというのが分かる。諭吉が向かい合っているようなお札が気づかれずに人の手から手に渡るはずがない。ババ抜きでもあるまいし。
 「ご主人、洋服の青山に行ってすぐスーツを買って来たら?それを警察に持っていったらマスコミが一杯集まって、ご主人は有名人になるよ。インタビューの練習もしておいたら?岡山弁では品がないから、言葉の最後にですとか、ますをつけた方がいいよ」煽る僕に「そんなことになったら近所の人にめいわくじゃ」と返したがまんざらでもないらしい。 長い間山の急斜面でブドウを作ってきた体は日焼けしてしわだらけだが、そのしわをもっと深くして照れ笑いを連発する姿は、何ともほほえましい。降って湧いたハプニングにちょっとは悪のりして日頃の憂さも晴らしたいだろう。今日は1万円損をした事を忘れるくらい至るところで話題にするのだろう。でも諭吉が二人では緊迫感がないなあ。
 「ここの薬はよくきくんじゃ」と言いながら帰っていったが、果たして何に効いているのだろう。この文章を書きながら未だ僕は笑いをこらえることが出来ない。


2009年12月18日(Fri)▲ページの先頭へ
消防車
 滅多に聞かない音質のサイレンが2回、けたたましく鳴った。その後すぐに火事の現場が放送で案内された。消防車が何台も薬局の前を通ったのはその後だ。同じ部落の名前を放送されたから3階に上がってみると峠の辺りに白い煙が上がっていた。あの煙だったらおそらくぼや程度だろうと、そのまま僕は薬局を開け仕事を始めた。何事もないかのように普段通りの朝が始まった。
当事者とそうでない人とのこの大きな壁。今まさに炎が長い間築き上げたものを焼き尽くそうとしている場面で、ある人は右往左往し、ある人は果敢に火に立ち向かっているだろうに、僕は調剤機にスイッチを入れて回っている。胃の調子が良くなくて偶然コーヒーを控えているが、普段ならかぐわしいコーヒーの香りに徐々にテンションを高めていっているだろう。引きつった顔をして心臓が激しくうちながら家具を運び出す人々で騒然としているまさにその時間に。もし胃が悪くなければ、僕は悠然としてコーヒーをすすっている。そしていつの日かその被害に遭われた方と会ったときには少しだけ顔をしかめてねぎらいの一言でも上手く口上する。
幸いぼやで大事にはいたらなかった。何台も駆けつけた消防車も知らないうちに帰ったみたいだ。帰る様子には全く気がつかなかった。牛窓に帰ってきて、なにがなにやら分からないままに消防団に誘われた。機械が得意ではないので消火訓練も傍らで見ていただけで、何一つ得たものはない。意味のない肩書きだったから、何一つその道では役に立てない。
 建物の火災なら119番を回して消防車を呼ぶことが出来るが、心の火災ではなかなか呼べない。何番を回していいのかも分からないし、誰に救助を要請したらいいのかも分からない。悲鳴が届くところに避難場所があればいいが、多くは孤立した壁の中で暮らしているから外部には届かない。ハシゴ車も消防へりも届かないところで燃えている心がある。誰も近寄れない近づけない火事がある。不器用で何一つ操作を覚えることは出来なかったが、操作を必要としない消火ならできる。不器用だから届く距離がある。機械でないから消せる炎がある。せめて人の心の火事だけには消防車に乗って駆けつけたいと思った。


2009年12月17日(Thu)▲ページの先頭へ
連想
 以下のメールを頂いたとき、僕の脳裏にはたおやかと言う言葉が浮かんだ。なんてたおやかな雰囲気のある文章なのだろうと思ったのだ。それを今読み返してみると、文章の表現方法ではなく、その方の暮らしぶりこそがその様な言葉を連想させたのかもしれないと思うようになった。どうしても過敏性腸症候群を患うと人の気配をとげとげしいものに感じてしまう。今までと全く何も変わらずに存在している人にだって鋭利な視線を投げかけてしまう。何も変わらず同じようにただ生活している人にでさえ、猜疑心を抱いてしまう。そうした負の心の有り様から脱出した人の心の有り様をとても正直に表している文章は僕に対するエールでもある。まだ僕の漢方薬を飲んでいる途中の方に読んで頂きたくてお願いしたら、ブログで紹介してもいいという返事を頂いたので紹介する。

やまと薬局 様
 こんばんは。めっきり寒くなりました。やっぱりもう12月ですもんね。いよいよ冬本番!寒いのいやだなー。最近は、薬も一日一回飲んでます。朝昼晩、飲み続けたほうがいいのかわかりませんが、自分のいいように飲んでます。今の自分の心持ちは落ち着いていますが、以前薬を全く止めてみた時やっぱりちょっと精神的に苦しくなったので、また少し飲んでます。職場でも、みんなどこか悪いところがありながらも、がんばってる。みんな同じ完璧な健康な人間なんていなくて、どこか弱い部分があって、それが自分は腸で、それが私の個性なんだと思っています。そうやって思えること自体、成長したなーって。(←っていうか、やっと分かった)人間ってもちろん家族のために働くけれど、それより社会のために働き、そこで自分も成長していくもんなんだと理解しました。今の職場の環境はとてもよくて、みんないい方ばかりでありがたいです。こんな私でも、課長や所長やその他の方もかわいがっていただいて心配していただいてとっても幸せに思っています。2年前?やまとさんの薬を飲む以前の自分と比べたら今の私は、人生を楽しむことができている気がするし、人との会話も楽しんでる。やっぱり、人にとって大切なこと、それが「心」だということを再認識したから。うそをつかない心、人を想う心、やさしい心・・自分にはまだまだ足りないところばかりですが。やまとさんの薬をずっと飲んで生きていけばいいじゃないか、っておもうと心が軽いです。娘が、わたしがガスがではじめたのと同じ年齢になりました。私と比べると娘たち子ども2人は、私よりのびのび生きているようでうらやましいです。私はあの時からずっと3〜4分に一度ガスが発生して苦しくてつらかった。勉強や仕事どころではなかったし、蓄膿症も手術するくらい悪化しており最悪な状態でした。けれど、登校拒否や出社拒否しなかったのが自分でもよくがんばったなと思うのですが、それは多分、あんな卑屈なひがんだ自分でも声かけてくれる方、やさしくしてくれる方がいたからだと思います。自分もそんな方にならないといけないですね。まだまだ、勉強ばかりの自分です。まだまだお世話になりますがよろしくお願いします。






2009年12月16日(Wed)▲ページの先頭へ
南方仁
便利も時間と共にありがたさは失われる。多くの便利を享受してきたが、とるに足らないような品物のとるに足る便利さを何気ない会話から再認識した。当たり前のようにいつしか使い始めたが、そう言えば当たり前でない時代は苦労していた。
使い捨てカイロは薬局で販売する場合は暖をとると言うよりも痛みの緩和に利用する場合の方が多い。慢性的な痛みの場合温めて治すのは常識だが、思えば使い捨てカイロが普及する前は、その温めると言うこと自体が難しかった。使い捨てカイロが発明される前は金属で出来た手帳を少し大きくしたようなカイロにベンジンを注ぎ、そのベンジンがゆっくり揮発して燃焼する熱を利用していた。金属だから勿論堅いし1cmを越える厚さもあったから、使うのはもっぱら腰だった。今のように柔らかくどの様にも変化するカイロだったら何処にでも使えるのだが。そんな話を懐かしくしていたら、相手の方が「その前は灰じゃったが」と言った。
 そうだまさに灰だったのだ。これは手帳くらいとはいかずもっと大きかった。弁当箱に寧ろ近いくらいだ。その中でハムソーゼージのような形をした桐灰をゆっくり燃やして暖をとるものだった。こうなればもうほとんど体に密着することは出来ないから、手を当てたりしていたのだろう。「灰じゃったが」と教えてくれた人は僕より二回りほど年上だと思うのだが、すんなりと返事ができたところが残念だ。出来れば見たこともないものであって欲しかったが。実際に僕が牛窓に帰ってきた頃は薬局の店頭で販売されていた。
 もう一昔どころか、四つも五つも昔の話が出来るようになった。余り過去の話はしない方だが、話に十分乗っていける過去を持ってしまった。いずれほとんどそればかりになるのだろうが、南方仁になって咲殿には会えないから、せいぜい毎日を「気張って過ごすぜよ」


2009年12月15日(Tue)▲ページの先頭へ
だいたい
 この辺りでは引きつけと言うが、共通語ではこむら返りと言った方がいいのかもしれない。そのありふれたこむら返りで入院して、以後病院を変わってリハビリに励んでいると言うから、分かったような分からないような内容の相談だった。
当事者の話ならまだわかりやすいのだが、代理のご主人だし、弱みを見せるのが苦手なのか斜に構えて、いちいち話すたびに鼻で笑うような仕草をする。わざわざ遠くから何しに来たのかと思って、もう薬を出すのは止めましょうとかと提案したがそれは困るみたいだった。
 何回か来るにつれて身構える必要もなくなったのだろう、今は牛窓の人と同じような感覚で応対できる。で、そのご主人が主題ではなく、単なる夜中のこむら返りだったものが2ヶ月の入院になるって不思議な話。県を代表するような病院と、その夫婦が住む市を代表するような病院で検査などをして原因を究明してもらったらしいが何も問題はなく、リハビリだけをしているらしい。要は歩けなくなったのだ。力が入らずに足に棒が一本はいったような感じらしい。病院内でも車いすの生活をしている。
 まさか入院患者に煎じ薬というわけにも行かないので、粉薬で作って1週間分ずつご主人が運んだ。次第に硬直していた足が柔らかくなって杖で歩けるようになり、2週間後に自発的に退院した。リハビリ以外薬も点滴もないのだから家にいても同じだと判断したのだ。家に帰れば煎じ薬が作れるので、すぐ変えてもらった。すると家のなかでは結構動けるようになったので横着をして煎じ薬を勝手に止めてしまい、今ちょっとだけぶり返している。まあ、いずれ治るだろう。
 漢方薬に病名はいらないと言われるがまさに今回などはその典型だろう。検査をしてもなにも出てこなければ病院には手が出せない。これは法律の壁が大きい。逆に僕らみたいな「だいたい」の人間は融通だらけだ。お医者さんほどの知識もないし、検査も出来ないから症状で判断する。患っていれば病気だし、本人が気にしなければ病気ではない。いい加減なものだ。足が硬直しているなら血液を流せばいいなんてもので治ってくれるのだから人間の自然治癒力は有り難い。僕の非力を十分補ってくれる。保険で漢方薬が飲めなくなると言う仕分け報告があったが、こんな考えはもう20年前から出ている。今回も又すぐに覆されるだろう、毎回繰り返される光景だ。僕が心配なのは訓練された医師が使わない限り資源の無駄になるって事。薬草は合成できないのだから、栽培しかない。専門医でない医師が漢方薬を使ったり、薬局製剤製造業の資格を持っていないドラッグでたたき売りされたら将来の人達が漢方薬を使えなくなる。 
 ある症状で珍しく息子に相談を受けた時、六君子湯を使ったらと提案した。でもその後息子が漢方薬を使っているという風評は伝わってこない。それでいいのだと思う。漢方を勉強して初めて使えばいいのだ。その方が患者にも地球にも優しい。「だいたい」ではすまされない職業の人達は大変だと思うが、できれば患者も地球も治して欲しい。


2009年12月14日(Mon)▲ページの先頭へ
祈り
誰に跪いているのか分からなかった
誰に祈っているのか分からなかった
どうしようもない時に うなだれて東の空が白むのを待っていた
暗闇はいつも不安を伴ってやって来て 長い夜が横たわっていた

逃げ出したいときや 投げ出したいときに
壁に向かって跪いて 誰かに祈っていた
涙を流すことで避けられる哀しみや苦しみはなかった
泣いてみたいと思ったが それで流せるものではないと分かっていた

祈りは捨てさるためではなく 
手にするためだと悟った
もう一度 もう一度 やり直したり 信じてみたり
小さな勇気や 小さな希望が 閉じた瞼に現れた

一礼して立ち上がり朝陽を待つ
授かったものは目で見えないもの 手で触れられないもの
心だけで見えるもの 心だけが触れられるもの
この弱き心が いつまでも弱いままでありますようにと



2009年12月13日(Sun)▲ページの先頭へ
買い物
 珍しい。大きなお店で買い物をして心地よい経験は余りないのに。
 何もいやな感じを受けなくて店を出れれば幸運な方で、ほとんどの場合不快な感覚と共に出る。よそを見ながら、有難うとか、いらっしゃいませとか、マニュアル通りの受け答えにもつい反応してしまう僕だから、返した言葉があちらを向いている店員に命中しない屈辱感は、何回味わっても慣れるものではない。何も言わない方が寧ろ落とし穴に落ちたような感じにならないからいいのだが、向こうは言わないと給料がもらえないのだろう、必ず連呼しているから僕には逆に命中してしまう。
あるものを買いに行ったのだが今日の店員2人は違っていた。男性と女性だったがどちらも40歳を挟む年代だったろうか。男性の方にはある質問をした。そこの売り場ではなかったのだが、僕の欲しいものが陳列している場所まで案内してくれた。その移動の時間、色々と説明してくれた。全く時代遅れの僕だから未知の世界の商品には猜疑心の方が強い。便利をやたらテレビで宣伝されているから使ってみようと思ったのだが、買って帰って使えないと言うのが恐らく関の山だ。それを防ぐどころか、もっと多くの便利を教えてくれた。さしあたって今必ずというものではないが、かなり近い将来僕にも必要になると思った。必要にして十分とは言えないが、有用な情報だった。
数点を買ってレジに行くと女性の店員が応対してくれた。何を思ったか、僕が買っているものを、これはこういったものと短い言葉で説明し、よろしいですかと尋ねた。その説明で、よりベターなものがあることが分かり、レジ係の女性が陳列場所まで取りに行って換えてくれた。それならずいぶんと、今までのものと比べたら考えられないくらい長く持つらしい。今まで安いものですませていたからしばしば買い換えなければならなかったのだが、驚くほど経済的だし効果も優れていることが分かった。「お手数をかけてごめんね。僕は時代遅れでさっぱり分からないの。今まで安いものばかり買っていたけれど、やはりお宅で買わないとだめですね」と言うと、彼女は決して作ってはいない溢れんばかりの笑顔で「そうですよ」って答えた。彼女は最初から僕の目を見ていた。だからほんの数分の間に嘘のない心の交通が出来た。至極当たり前のことなのだが、これが現代ではとても難しいのだ。お世話になったことにお礼を言って店を出たのだが、買い物をしてこんなに気持ちよかったのは珍しい。3点1800円でこの気持ちを味わえたのだから、とても安くて価値ある買い物だった。


2009年12月12日(Sat)▲ページの先頭へ
本場
 さすが本場の人だ。漢方薬なら何とかなると思って来てくださったみたいだ。ただ、何処に行ったらそんな漢方薬が手にはいるかどうかが分からなかっただけみたいだ。
田舎の近隣は都会の近隣とはかなり感覚的に違うだろう。僕にとっての近隣は車で1時間くらいまでと想定しているから、距離で言うと20Km、いや30Kmくらいはあるのだろうか。お家が恐らくその「近隣」の範囲に収まっていたのだろう、僕がまいているチラシを見てくれた。僕の言う言葉をじっくり確かめるように聞き、ゆっくりと美しい言葉で返してくる。途中からこの奥さんは日本人ではないことが分かった。ご主人は日本人だったから、それは想像していなかったが、余りにも教科書的な綺麗な言葉だし、ゆっくりなので気がついた。全く日本人的な顔立ちだったので分からなかった。これが中国や韓国の方ではないアジアの人だったらすぐ分かるだろうに。
日本人にもこういった子供の体質は多いのだが、向こうでも多いのだろうか。緊張すると特にそうらしいが、普段でも手に汗をかいている。小学校の上級生になり友達と手を繋ぐときにいじめられたら可哀相だと言う母心で治して欲しいとのことだった。こうした子の特徴で穴患い(中耳炎や扁桃腺炎を)持っているものだが、案の定その両方を持っていたし喘息も持っていた。寝汗もかいて、それも又お母さんの心配事だった。
 本場の人に試されるような感じ。フランス料理人がフランスの人に料理を出すようなものだろうか、中華料理を中国人に出すようなものだろうか、ベトナム料理をベトナム人に出すようなものだろうか、あとどのくらいの国の数を出せば公平に網羅できるのか知らないが、その様な感覚で薬を作った。以来3ヶ月真面目に取りに来てくれて、お母さんの希望のほとんどが叶えられたみたいで、合格したかなと思っている。綺麗な日本語だったが、初めて尋ねてきてくれたときの試験は結構厳しかった。言葉の壁を乗り越えるためか、目の奥まで覗くような視線が鋭かった。我が子を日本の薬局に託さなければならないジレンマでもあったのだろうか。
 それにしても外国が近くなったものだと思う。出不精の僕でも外国が向こうから近づいてきてくれる。こんな田舎にいても、結構沢山の外国の人と接することが出来る。日常ごく普通に同じ共同体で生活していたら、かつてあったような国と国の争いなんてなくなるのではないかと期待する。誰もまさに今一緒に暮らしている人を傷つけたりしたくはないだろうから。偉い人達がいくら煽っても、普通の人達が仲良く共存していたら、いやだと言えるから。
 漢方薬で世界平和に貢献できたと言ったら・・・・馬鹿にされる。



2009年12月11日(Fri)▲ページの先頭へ
大変
 「みんな大変なんよ」と言われて素直に頷ける。大変そうにない人に会わないから、みんなと言うところが妙に説得力を持つ。普段の会話で「みんな言っているよ」なんて言われると、僕はみんなではなく、あなたが言っているのだろうと思うことにしている。特に何か本人に不都合なことに異を唱えるときに「みんな」は便利なのだ。みんなと言われてみんなであったことが今だない。
しみじみ言った奥さんは、近所の家庭内の不幸を見聞しての言葉らしいが、他人事には思えないらしい。さすが名門を気取るお家も、連れ合いの痴呆を罵声することはあっても慈しむことはない。恵まれすぎていたから、何かが欠ける事への恐怖や憤怒は人一倍なのかもしれない。生まれ育つときから欠けっぱなしの人の強さは身には付かないだろう。まあ、人生の大半を恵まれ過ぎた環境で過ごしたのだから、晩年くらい少しは屈辱を味わっても、つじつまは合うのだろう。世の中はどこかで公平に力が働くことがある。
 他人事でない奥さんも又、老老介護の予備軍だ。広い百姓家に夫婦二人ですんでいる。ご多分に漏れず子供達は都会で独立し、田舎の親は野菜を定期的に送る宅急便になっている。子は不景気で首が危ないし、孫は悲惨な受験戦士。広い空の下、心地よい潮風が吹き抜け、稲を刈った後の田圃を走り回った世代からは、全てが大変なのだ。我が家も、隣の家も、又その向こうの家も大変なのだ。何が大変かは家によってそれぞれだが、とにかく大変なのだ。大変でなければ又大変なのだ。大変であることによって、社会とかろうじて繋がり、大変でなければ、孤立して固有の時を刻まなければならない。大変こそが現代を生き抜くモチベーションなのだ。
 金持ちもそうでない人も、健康な人もそうでない人も、善人もそうでない人も、もてる人もそうでない人も、みんなみんな大変なんだ。


2009年12月10日(Thu)▲ページの先頭へ
訓練
 マクロファージがガンの転移、浸潤に大きな役割を果たすという最近の知見をテレビで見て、僕は慌てて数社に問い合わせた。すると1社だけから回答が来た。回答は胸をなで下ろすものだったが、逆に僕がその製品を飲んでもらっている人全員が元気で暮らしている(た)ことも若干は裏付けられたかもしれないと安堵している。(もっとも、今ある僕にとっては大切な方が苦しみ始めたのだが)
この数年、いやもっと前から、薬局でも色々な得体の知れないものが売られている。決まり文句は「マクロファージを活性化する」が共通だ。強大な敵に世界の叡智が立ち向かっているが、強力な薬を開発すればするほど、生体も痛んでしまう危険性も増してくる。そんな時に都合がいいのが、免疫を強くするってものだった。勿論理論は正しいと思うのだが、それをどの程度の裏付けで商品化しているのかが不安だった。商品開発している会社が、名前も分からない程度のもので、博士の肩書きの人が煙に巻くように難解な理論を振り回す。圧倒された側は、すごい武器を手にしたかのように薬局に帰って販売に精を出す。そんな繰り返しが多くの優秀な薬局で行われている。優秀であればあるほど、のめり込みやすい。カリスマはそうやって作り上げられる。
 僕は運良く難しい理論には付いていけなかったから、日本でもトップクラスの製薬会社が、勿論ガンの薬でもリードしている会社だが、作った健康食品を会社の大きさを唯一の拠り所として扱うことにした。信頼できる会社の商品でないと、無理をして売りつける商売を強いられてしまうのだ。僕は今属している漢方の勉強会に加えてもらった20年前にもう商売は止めた。不安を煽り、また過度な期待をちらつかせお金を頂くのは僕の性格上精神的に負担が大きすぎた。そうした姿勢が今回も僕を救ってくれたのかもしれない。
 驚いたのはやはり、立花隆がテレビで言う前に大きな会社はちゃんとそんなデーターを持っていたことだ。内容は省くが、マクロファージもM2マクロファージのことらしくて、僕が扱っている商品はM1でやはり効果があると言うことだった。もっと言えば、M2の割合をM1が減らすから積極的にとって下さいと言うことだった。それともう一つ、交感神経の異常興奮を鎮めるので、M2を減らすと言う相乗効果もあるっておまけ付きだった。
 怪しげなものは扱わないと言う単純なことを守っていただけだったが、本当に胸をなで下ろした。
 話は違うが、僕がコンドロイチンを沢山の人に飲んでいただいていた頃、牛窓ではコンドロイチンはとてもよく効く薬だった。20年くらい前だと思う。最近になって、健康食品という名の下に、それこそ名前も分からないような所で作られたものが宣伝力で飲まれるようになった。その結果、圧倒的多数の人が通販で飲むようになって、コンドロイチンは効かないものになってしまった。不純物が全くなく、必要量が含まれていれば効くに決まっているのだが、圧倒的多数の人が飲んでいるものは残念ながらそれとはほど遠い。今薬局でコンドロイチンを勧めるのが恥ずかしい様な雰囲気だ。お金儲けが、人の内臓まで利用して行われるのを止める機運はないみたいだが、良いものが駆逐されるのは残念だ。タミフルは効果があると判定した外国の検査機関が今日、軽症の人には効果が期待できないと発表を覆した。それはそうだろう、タミフルで1日発熱期間が短くなると言われていたが、結構何日か高熱を出している人にも遭遇する。今更と思うが、情報が会社や製品に有利に操作されているのは、あらゆる分野で明白だ。
 何の力もない一人の人間が、怒ったり落胆したりしても何も変わらないが、いつでも怪しげなものを見極める目は訓練しておかないといけない。華々しいもの、口が上手いもの、そんな簡単な見極め方が結構当たっている。咲き誇っている草木の茎や根にも目をやる訓練が必要なのだ。


2009年12月09日(Wed)▲ページの先頭へ
長生き病
 家族や他の見舞客を見ていて、どうしてもその最後の言葉を僕は口に出すことが出来ない。ほとんどの人が「頑張って」と結んで帰っていくのだ。モルフィネでしか痛みを軽減できずに歩くことも出来ずに、点滴で唯一栄養をとっているような人が、何を頑張れるのだろう。薬が切れたら痛みが襲ってきて、慌ててナースコールを押して薬を追加されるような状態で、何を頑張ればいいのだろう。オシッコは管でとってもらい、便は食べないから出ない。何をこれ以上頑張ればいいのだろう。痛みに耐えろって事なのだろうか。頑張れば寿命が延びて楽しい日々が待ち受けているのだろうか。
誰も見舞客がいない間、長生きも大変だなあと話しかけると、ほんとよって答えた。誰も聞かないし、避けているようだから、家に帰りたい?と尋ねたら、帰りたいと言った。そうだろうと思う。聞こえるのはたまに廊下を歩く人の足音だけ。コンクリートの冷たい音がする。ただ天井を見上げ、何を待てばいいのだろう。早く迎えが来て楽になることを待ち望めとでも言うのだろうか。遠慮がちにのぞき込まれどんな言葉を返せばいいのだろう。人は希望がなくても生きられるのだろうか。生きているだけで生きられるのだろうか。症状が落ち着いたら、帰るかどうか考えてみると言った。麻薬でしか消すことが出来ない痛みが落ち着くのだろうか。例え愛情溢れる家族がいても、病気とは孤独なものだと思った。
 長生き病なんだよと言うと、そうじゃなって答えた。長生きこそが最大の病因なのだ。長生きだからこそ、こんなに患ってしまうのだ。現実をニヒルに受け入れる勇気が欲しい。「又すぐ来るからね、さようなら」僕の「すぐ」を許してくれるのだろうか。僕のすぐは何百倍も長い時間なのではないだろうか。誰にも必ずやってくるものだから、人は最終的には謙遜になれるのだろうか。これ以上謙遜にならなくても、十分正しく生きてきた人なのに。
 師走の港に涙雨が降る。 


2009年12月08日(Tue)▲ページの先頭へ
亀裂
 2週間くらい前訪ねてきた人達の意味が分かった。下水道工事の開始前に、なんて肩書きかよく分からなかったが、数人の男性が訪ねてきて、家のゆがみなどを希望によっては検査しますと言った。下水道工事が始まるから、工事による苦情を精査しようとする手段なのだろう。一瞬必要がないかなと思ったけれど、ひょっと何か不都合でもあればお互いが納得行くだろうと思って依頼した。無料と聞いたから背中を押されたのだが、何かドライすぎるかなと思いながらも、時代も変わったのだと自分に言い聞かせた。無茶な要求はしないが、泣き寝入りの必要もないと思ったのだ。
 数日後2人の男性が書類とカメラと何か棒のような物を持ってやって来た。建物の外観から始まり、屋内は全ての部屋を見て回ったらしい。数時間かかったように思う。付いて回ったわけではないから、どの程度精査したのか分からないが、時間から考えてかなり詳しく点検したのだろう。ひょっとしたら、部屋から階段からトイレから壁一面に貼っている綾瀬はるかのポスターも見られたかも知れない。
 さて工事が始まるとかなり振動を感じた。アスファルトをはいで大きな穴を掘り、浄化装置を設置した後に又埋めて道路を固めるのだから。それもすぐ近くを何カ所もするのだから、家屋に影響が出ることもあるだろうなと思った。ひび割れなどが誘発される危険性は十分ありうると思った。その道に長けた人、あるいは悪い知識がある人達にとっては、格好の餌食だろう。恐らくそう言った過去の膨大なクレーム処理の損失から考え出された防衛手段なのだろうが、その経費は少なくないはずだ。誰がどの様に負担するのか分からないが、工事費に含まれて税金があてがわれているのだろうか。
 権利を主張するのは悪いことではないし、泣き寝入りが褒められた対処の仕方でもない。寛容を競う共同体はもう昔の話だ。理詰めの駆け引きで身を守るしかない時代が心地よいとは思えないが、そうした防護服を身にまとうしかないのだと納得する。お互いが身を守るために重装備し、それでも一緒に生きていかなければならないとしたら不便なものだ。壁や床に入った亀裂は保証されるみたいだが、長い時間を経て人と人の間に浸透している亀裂は修復されないで放置されている。亀裂はまだ関係性を保っているが、溝にまで成長すると関係性は切断される。分断された個を拾い集める作業は誰ももう出来ないが、新たなる亀裂を少なくとも生まないようには出来ると思うのだが。


2009年12月07日(Mon)▲ページの先頭へ
需要
 それはそうだろうと、素人でも頷ける。ウツ病の患者が初めて100万人を越え、この10年足らずのうちに2.4倍に急増していることが分かったって記事を読んでの感想だ。ウツ病の患者が急に増えだしたのは、新しいタイプの抗ウツ薬(ルボックスなど)が発売されてからなのだ。薬が発売されたことをきっかけに何故患者が増えるのだろう。確かに現代は長引く不況だし、内科でも抗ウツ薬を気軽に出せれるようになったから、対象者が増えるか、発掘されやすくなったと言えなくもない。ただ、記事の中で精神科医の冨高先生が述べているように、軽症のウツは自然に治るものが多いのに、日本ではウツを早く発見し薬を飲めば治るという流れが続いていて、本来必要のない人までが薬物治療を受けている面があるのではないかと言うのだ。
 処方箋を持ってきた人に抗ウツ薬が出ていても、薬局が何ら介入できる余地はない。間違いのないように飲んでもらうことに精力を費やす。効果が出るかどうかはほとんど責任の範囲外だ。効果が出て処方箋を持ってこなくなればそれは喜ばしいが、往々にして長い間飲むことになる。どう見ても単なる落ち込みのように見えても、ウツの薬が出ているから病気なんだと理解して、あたらずさわらずの会話を心がける。下手に喋ってお医者さんの治療を妨害してはいけないし、患者さんの気分を害してもいけない。手数料だけ頂いて後は知らんぷりのような割り切れ無さが残るが、制度上やむを得ない。
 同じような人が漢方薬を求めてやったときは全く対応の仕方が異なる。まず薬剤師は診断できないから、鬱病なんてのは頭に浮かばない。鬱々として心が落ち込んでいるだけ。そんなこと人生でしばしばだなんてところから出発するから、話が深刻でない。相談に来る人は真面目一点張りの方が多いから、まず真面目になんか話さない。普通使っている品のない言葉で、普通使っている心の引き出しを覗く。自分が如何に異常でないかが分かれば、余り難しい薬は必要なくなる。異常でない自分を求めることこそが異常で、ほとんどの人は至るところに異常をはらんでいて、不完全な毎日を過ごしている。若さとか、精神力とか、愛溢れる人間関係とかで帳消しに出来るほど幸運は授かってはいない。ほんのちょっとの幸運を使い果たすことはしばしばだ。そんな時、心が鬱々とするのは当たり前だ。そんな鬱々にひょっとしたら薬が出されているのではないかと、先生も危惧されているのではないだろうか。
 素人の考えも時に本質を突くことがある。2、4倍のからくりはひょっとしたら常日頃全ての薬で感じている僕の懸念「需要が薬を作るのではなく、薬が需要を作り出す」と言うものに当たってはいないだろうか。


2009年12月06日(Sun)▲ページの先頭へ
日曜日
 最初は狸、その次は子猫、3回目は何か分からなかった。早朝、車である所に向かう途中、カラスが沢山道路の真ん中でたむろしていた。カラスは利口だから、車が直前に来るまで逃げない。追い払うように通り過ぎるが、その時にカラス達の朝食が車にひかれて横たわっているのが見えた。
車のエアコンから冷たい空気が吹き出してくる。28℃に設定しているのにひんやりとした空気。まだ車が暖まっていないのだと待っていたが、結局、目的地に着くまで冷たいままだった。車に乗り込む前に覚えた冷気と、車に乗って小1時間走っての温度に差がない。休日だから何もかも許せるような気がして、太陽の力を覚悟して待っていた。
 堤防から3,4メートル離れた川面に立って竿をたらしているように見える。数メートルおきに、まるで鵜が休んでいるようだ。満潮だから恐らくかなり深いはずだが、水の上に人が立っている。よく見ると係留する船に渡るために作られた私設の細い小さな桟橋の先端に立って釣りをしているのだ。船は係留されておらず、主のいない間に、特等席を拝借しているのだろう。本来なら水面よりかなり高いところにあるはずの桟橋なのだが、満潮の為水面下になってしまったのだろう。寒い季節に転倒して川に落ちてしまえば命が危ないと思うのだが、その辺りは太公望は割と無頓着だ。
日曜日なのに、多くのバス停で人が待っていた。さすがに通勤の人は少ないのか、一人バスを待っている光景が多かった。その中の一つで、長い髪の女性が背筋を伸ばしまっすぐに前方を眺めていた。寒い朝に背中を丸めることなく、遠くの景色に焦点を合わせているように見えた。結婚を必要と考えない人8割近く。子供を必要としない人5割近く。最早孤独は青春の装飾品ではなく、生き方の一つなのだ。自分のことで精一杯なのではなく、遠く視界が届かぬ所まで旅人のままなのだ。
カーラジオから流れるフランス料理の食べ歩き。コンビニで買ったおにぎり一つ、特別価格で98円。あの先に見える信号までが僕の日曜日。


2009年12月05日(Sat)▲ページの先頭へ
合掌
 特別養護老人ホームに於ける医師の回診について行っている娘が、ある部屋に入っていった時、一人の老婆が壁に向かってなにやらブツブツ言っていたらしい。最初、意味不明の言葉に聞こえたらしいが、耳を近づけると言葉の意味が分かった。「○○の神様、どうか私の痒いのを治して下さい」と繰り返しお願いしているのだ。このようなホームに入る人は、健康では入れない。精神か肉体を患っていないと入れない。その老婆も痴呆が進んでいるらしいが、体調の不良は本人もハッキリと認識しているみたいだ。内科専門の主治医では手に負えないから、職員に付き添われて皮膚科を数日前受診した。その薬は娘が作っているから僕も老婆の辛さが理解できる。皮膚病の中では難しいだろうなと想像できるが、患者としては1分でも早い苦痛からの解放を求めるだろう。当たり前の話だ。神様の力にすがりたいのも当然だ。僕は娘の話を聞いていて悲しくなった。
僕は老婆の壁に向かって祈る姿を目撃していないから全てを理解できないが、逆にそれだからこそ、老婆の不安な心の中が伝わってくる。死とかなり近い位置にいても、頭が少し働きにくくなっても、痒みも、痛みも若い人と同じように感じ、不安も若い人と同じように湧いてくると思う。死が近いことは、それらを軽減させる理由には決してならないだろう。死は怖いもので、痒み、痛みは辛いもの。さらに言うと、施設は寂しいもの、家族は恋しいもの、冬は寒く、夏は暑いものではないだろうか。老いて孤独を享受しなければならない理由はなく、老いてぞんざいに扱われる謂われもない。若い患者と同じくらいの真剣さで治して欲しいと訴えるのをはばかる老いは哀れだ。
 立場上介入できることは何もないが、1日1回でも笑っているだろうかとか、希望は聞いてもらえているのだろうかとか、我慢して耐えていることはないだろうとか考えてしまう。善意の雨が乾いた大地を潤わし、合掌する老婆の心を砂塵のように舞い上がらせませぬように。


2009年12月04日(Fri)▲ページの先頭へ
面影
 お化粧をしていないからか、以前の面影は全くなかった。嘗ては薬局に入ってきても時間を惜しむかのように早口で喋り、買い物をして帰って行った。人手が足らず、アルバイトを募集してもなかなか集まらず、どのペンションも家族総出で働いていた。
牛窓にペンションが沢山出来たのは僕が帰ってまもなくだと思う。西脇の岬に集中して出来、それでも需要をまかなえなくてオリーブ園や果ては前島にまで出来た。何事でも同じだろうが、最適な場所から始まり、後になるほど立地は悪くなり最後は地元の人間なら首を傾げるような場所にまで建てられた。
 僕は牛窓に帰った頃、商工会から誘われて青年部という組織に加わっていた。名前だけ入っていたくらいの記憶しかないが、一度青年部とペンションのオーナーが集まって会食したことがある。ペンションのオーナーはほとんどが都会から脱サラしてきた人で、牛窓の景色に魅せられて何度も訪れたと言う人達だった。それぞれが都会で活躍していた人達だったので、田舎の商店主達にとっては歯が立たないようなあか抜けたところがあった。協力しあいながら共に発展しましょうと言う集まりだったような気がするが、色々田舎の商法が批判されていたのを覚えている。都会から来た人達にとって、取引をする相手ではなかったようだ。ただ、田舎で生まれ田舎で育ち田舎で生きていこうとしているだけなのに、なにやら劣っているような気にさせられたものだ。
 その後ペンションの隆盛は何時頃まで続いたのだろう。薬局に来て欲しいものを何のためらいもなく買っていく、衝動買いの典型みたいな人もいた。ところが次第に僕の所にも来なくなった。ほとんどのオーナーがやってきていたが、一人、又一人と姿を見せなくなった。ペンションの所有者が代わったという話もチラホラ聞こえ始めた。最近では、働きに出ているオーナーが増えた。恐らくお客さんが入るときは、家族がもてなしているのだろう。安定した収入を得るために、オーナーが外貨を獲得しているのだ。勿論地元の商店もそれに輪をかけたくらいのスピードで廃業や主人が外貨稼ぎをしているところが増えた。生業だけでは食っていけない、恐らく日本中何処にでも起こっていることがご多分に漏れずこの町でも起こっているのだ。時代の趨勢に飲みこまれ個人の商売が成り立つ土壌はどんどん失われている。時代を先行するが如く過疎化したこの町の何時か来た道を今全国の市町村が追いかけている。
 忙しいながらも身綺麗にしていたあの頃の華やかさに比べて現在は、重ねた年齢による劣化だけではなく必要とされなくなった斜陽のもたらす悲哀を写しているのかもしれない。どの職業に陽が当たり、どの職業が陰になるのか分からないが、激しい時代の流れに翻弄されて、それでも誰もが生き延びなければならない。都会には都会の、田舎には田舎の困難さがあるだろうが、流れに上手く乗れた人達は謙遜を唯一の道しるべとして自制した生き方をしなければならない。流れなんて言うものは岩一つ、雨一つで変わってしまうのだから。面影だけでは開かない明日の扉もある。






2009年12月03日(Thu)▲ページの先頭へ
合格
 電話での第一声が「すごく調子がいいんです」だったが、僕はそれより前に聞きたいことがあった。彼女の次の声を遮って「入試はどうだったの?」と尋ねた。「合格したんです」と嬉しそうに答えたから、その後は「よかったなあ」の連発だったと思う。こんな場面で僕は往々にして語彙を失う。感嘆詞の連発になってしまうのだ。結構幼い?幼稚?なままなのかもしれない。
2週間前、赤穂線とバスを乗り継いで夕方薬局にやって来た。見たことがない若い人だったから、それも立ち止まって何か言いたそうだったから、僕は買い物ではなく何か相談に来たのだなと感じた。そこで彼女に、軽い相談なら今立っている薬局の中央のテーブルで、深刻な相談なら薬局の奥まった所でと尋ねてみた。すると彼女は過敏性腸症候群と言う名前を口にした。この時点で僕は薬局の隅の机に誘導した。
彼女がぼくの薬局を知ってわざわざ訪ねてくれたきっかけは、すこぶる変わっていた。と言うより初めてのケースではないか。過敏性腸症候群の漢方薬を岡山市のあるドラッグストアに買いに行ったら、そこでぼくの薬局を紹介されたそうなのだ。ドラッグストアーの薬で過敏性腸症候群が治るものなんて一つもないが、それを知っているスタッフがいたことがすごいと思う。何かを売りつけていれば自分の責任は果たせたと思うのだが、相談に来た女子高校生のことを親身に心配して上げた人がそこにいたってことがすごい。病名だけか、あるいは彼女の症状までを聞いて僕を紹介してくれたのかどうか分からないが、そのスタッフの人が彼女の青春を救ったと言っても過言ではない。
 中学校の頃から3〜4分に一度おならが発生してお腹が張って痛くて仕方がないそうだ。よくも5年間耐えていたなと思うが、耐えるのも限界で出席日数がもう空前の灯火で高校3年生まで来て、それも受験1週間前になって卒業できないかもしれないと言うのだ。個人輸入で、緊張を解くという不整脈に使う薬を飲んでいるそうだが、実際にそんなことをしている人を見てびっくりした。不整脈の薬は本物の不整脈を作る可能性があり医師は今では滅多に使わない。ここまで追いやられていたのかと哀れになった。例によって僕はどうでもいいようなことを一杯話した。帰りのバスがなくなるまで話した。ティッシュペーパーで何度も涙を拭きながら話した。善良で素敵なお子さんで、こんなお嬢さんを持った両親の幸せを思った。又逆にこの言われなき苦しみを不憫に思い辛いだろうなとも思った。高校生が親に内緒で来たと言うから、漢方薬の値段を言うのがはばかれたが、僕が使いたい薬を全部使うとこのくらいになると正直に言った。すると彼女は、アルバイトをしたお金で薬を飲むのは自由だからと2週間分持って帰った。
 バスがなくなったので、娘が岡山駅まで送って行った。同じ苦しみを経験している娘の体験も聞かせてあげたかったから、丁度良い機会だと内心思っていた。漢方薬を飲み始めてお腹の調子がすこぶるよくて入試の時も全くお腹が痛くならずに、学校にも行け、昼飲むのを忘れた時だけ少しよくない程度になったと言う報告は、勿論合格したという大きなお土産付きは僕ら家族に歓声をもたらした。娘は特に喜んでいた。車の中で彼女が話していたことに心を痛めていたから、余計嬉しかったのだろう。中学校の時、クラスの男子に臭い臭いといじめられていたそうなのだが、彼女は彼らを責めるのではなく、心の中で「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っていたそうなのだ。なんて痛々しい数年だったのだろう。僕も彼女から直接この話をうち明けられていたら、一緒にティッシュペーパーに手を伸ばしていたかもしれない。人を責めずに自分を責めてしまう善良さが痛々しい。
 薬局で話した時、忘れられない彼女の言葉と表情がある。僕がどうせ大学にはいったら勉強なんかしないのだからといつもの持論を言うと「そんなのだめですよ、私は真面目ですから勉強しますよ」と凛として答えたのだ。その時の厳しい表情が本心で言っていることを伺わせた。まぶしいくらいその時の彼女は輝いていた。今期末試験中らしくて「合格したのだからどうでもいいが」って言う僕に「卒業できなければ困りますから」と言う彼女の声はとても穏やかだった。
 今日、僕はとても「幸せ」


2009年12月02日(Wed)▲ページの先頭へ
細道
 12月に入っても蚊の羽音に悩まされる。なんて元気な奴だと蚊にまで嫉妬する。布団をすっぽりかぶって攻撃から身を守るが、やがて息苦しくなって、刺された方がましだと鼻より上を掛け布団から出して覚悟を決める。こんな夜が毎日続いている。キンチョールを枕元に置いて寝ればいいのに、朝にはすっかり昨夜の攻防は忘れている。
シャッターを開ければ朝日が温かく迎えてくれるので、そのまま入り口を開けて営業を始める。薬局内の寒暖計は16℃を示しているから、意外と冷えているのだと数字で理解する。朝のやる気は数字を上回り、戸外で働いている人達との連帯を感じる。
 ところがだ、1時間もするとなんだか寒気が足下から感じ始められ、どんどん上昇気流に乗る。あっという間に上半身の筋肉まで硬直させボクサーのように身体を丸めている自分に気がつく。見る見る間に鬱血し肩や首が痛くなる。何と戦っているのだろうと思うが、哀れにもそれは寒さだけとの不毛な戦いなのだ。難しい患者さんが来て知恵を振り絞っている戦いの姿なら格好いいが、何ともはや身体中を冷えに占領されているだけなのだ。やがて硬直は再び下半身にも降りてきて腰がずっしり重くなる。はい、これで終戦。
 入り口の自動扉のスイッチを入れ、エアコンの設定を26℃にしてスイッチを入れる。僅か1時間の戦い。あえなく敗戦。ふがいなさに落ち込むが、仕事に支障を来すわけには行かない。何度もこれで失敗している。かつての体力は何時失ったか分からない間になくして、過去のデーターが全く役に立たない。何処まで出来るのかは今現実に進行している事実しか保証はないのだ。情けないけれど昨日の情報はほとんど意味がない。僕の身体もIT産業も同じなのだ。僅か16℃で退散なら、寒さの中で、僕らが想像も出来ない過酷な条件の中で働いている人達との本当の心の連帯なんか出来るわけがない。出来ることは、彼らが成してくれた事への感謝くらいなもの。彼らに仕事に見合う報酬が届くように世の中のシステムを注視するくらいなもの。世はまさに仕分けられた人達の反撃。今までいい目をしてきた人達が、これからいい目をやっとさせてもらえるかもしれない人達をとおせんぼ。「とうりゃんせ、とうりゃんせ、ここはどこの細道じゃ、天神様の細道じゃ、ご用のないものとうしゃせぬ」


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