栄町ヤマト薬局 - 2008/10

漢方薬局の日常の出来事




2008年10月31日(Fri)▲ページの先頭へ
 どこに行くにも手ぶらだったから鞄などと言うものを持ったことがない。高校を卒業してから縁がない。今でも荷物があれば、コンビニのビニール袋に入れていく。途中で破れれば、何か一品買い物をすれば手に入る。
 円高で韓国に行けば免税店で高級ブランドが安く買えるらしい。日本からも沢山の人が買い物に行っているが、どうも買っているものが必需品かどうか疑わしい。何万円もの鞄を買い、それで運ぶものがあるのか、何万円もの財布を買い、その財布に入れる札束があるのか、その中身の方が気になるが、そちらの方は二の次らしい。元々外見を競う人達だから、中身にはあまり興味がないのかもしれない。人間自体も、中身を磨いている節がない。これを買えば、動物が1頭、は虫類が1匹殺されるなどと連想すればなかなかお金と交換でつかの間の物欲を満たそうとは思わないものなのだが。自分の部屋に帰ればいったいいくつの動物の死骸が転がっているのだろう。その種のものを買えないもののひがみかもしれないが、興味が全くないことに感謝する。生涯でどれだけ倹約を、それも痛みなしで出来たのだろうかとほくそ笑んでしまう。
 そのほくそ笑んだ結果は残念ながら手元には残らなかった。でもいい、それが丸まる残りでもしたらどれだけ道を逸れていただろうかと恐ろしくなる。持ったことがないようなものを持つと、いつも持っている人みたいに理性が働かないから、ほくそ笑んで手にしたもの以上を失うに決まっている。
 中小企業の決算ではないが、収支トントンでいい。ほどほどの喜びとほどほどの悲しさを織り交ぜて、ほどほどの旅が出来ればいい。勿論買い物ツアーではなく人生の。





2008年10月30日(Thu)▲ページの先頭へ
 どうしても手術をしたくないという方を世話して半年、久しぶりに訪ねてきてくれた。もう脊椎管狭窄症は治って仕事をし、新たなトラブルもないので雑談を楽しんだが、田舎に住んでいる僕だって「怖い、怖い」を繰り返した。
 その方が住んでいるのは隣の市だが、車で20分もあれば来れるのだと思う。とてもそんなに近くに住んでいる人の話とは思えなかった。ただ、牛窓みたいな海辺の町ではなく、小高い丘が続いているような所に住んでいる。
 定年後親が残した田や畑を受け継いで百姓をしているらしいが、蛇がやたら多いというのだ。農家の後継者が少なくなって、田や畑が放置され、自然の力か植物が鬱そうと茂りだし、山に帰っているのだ。以前ならはっきりと山と耕作地は別れていたが、今は区別が付かないらしい。回りの田圃に迷惑をかけてはいけないから、草を刈るのだが、茂みに入ったらすぐに5匹くらいの蛇と遭遇するそうだ。一度に複数の蛇を見ることもあるらしい。こんな太いのもいるよと指で輪を作って教えてくれたが、人差し指と親指は遠く離れている。まさか熱帯でもなかろうと思うのだが、天敵から離れてノンビリと成長しているのだろうか。蛇の名前も3種類教えてくれたが、まむし以外は分からなかった。蛇が多いことで有名になったのかどうか知らないが、草を刈っていると蛇を取りに来るプロが現れたらしい。獲って売るそうだ。どうするのかと思えば、それを食べるような料理店があるらしいから驚きだ。見ていたら簡単に捕まえるらしい。元田圃の茂みに沢山蛇がいるからどうぞというと、さすがにプロもまむしは怖いらしくて、あぜ道がないところには入っていかないらしい。 後学の為に一つ受け売りの蘊蓄を。いくつもの田圃に水を引く水路が個別の田に別れるところが一番まむしがいるところなのだそうだ。その水路には絶対手を入れるなと言い伝えられているらしい。水路が草で詰まっていたら、鍬で草を退けるらしい。その為に今でもお百姓さんは鍬を担いでいるそうだ。水路のゴミは鍬で綺麗にし、もしまむしが出てきたら、鍬の頭で殺すそうだ。鍬は今でも必需品なのだ。
 庭の木や倉庫の円柱形のものには抜け殻が巻きついているらしい。どんな蛇が脱皮したのか分からないが、かなり長いらしい。財布に入れればお金が貯まるらしいから、さぞかしご主人はたまっているだろう。どの家も竹藪を持っている立派な農家ばかりだから、庭中抜け殻だらけらしい。
 蛇と共に増えたのが、蜂とムカデとイノシシだそうだ。そう言えば夏のある日の早朝、蜂に指先を刺されたと電話をしてきた。もう30分は経過していたと思うから、死なないから大丈夫と安心させたのを思い出した。蜂とムカデは刺すからいやだし、イノシシは作物を荒らすからいやだし。なかなか山里は大変だ。人が沢山いて、里が手入れされていたときには問題なかったのだろうが、人がいなくなって、山が近くまで迫ってきたら闖入者が絶えない。
 海辺に育ったから、山のことは分からない。一つ一つの話にただただ驚いているばかりだった。僕らが日々口にしている作物がこんな危険と隣り合わせで作られ、それも老いたお百姓の手で栽培されていることに驚きと感謝が交錯する。陽の当たるところで働く陽の当たらない人々に頭を下げずに誰に下げるのだろう。


2008年10月29日(Wed)▲ページの先頭へ
セコム
 我が家の優秀なセコムも、寄る年には勝てなくて最近は全く仕事が出来ない。若かった頃はおよそ人間の耳では聞けないような音を察知して、ずいぶんと精度の良い警告を発していてくれた。非科学的なことを言うが、我が家の前で2度大きな交通事故があったが、その都度ずいぶん前から大きな声で吠えていた。予知能力があるのだろうかと未だ妻は話題にする。 
 散歩の途中でしばしば溝に落ちる。目は白く見えるからかなり白内障が進んでいる。耳は傍を通っても気がつかないくらいだからほとんど聞こえていない。耳元で叫んでも知らぬ振りをしている。ただ、さすがに嗅覚だけはまだ健在らしくて、遠くでお菓子の袋でも開けようなら、途端に動きが激しくなる。
 こんな老犬にうって変わってセコムを始めたのがミニチュアダックスだ。それまでは大柄なクリに守られてこれで犬かと思えるくらい無防備だったが、クリが頼りなくなってから俄然セコムを始めた。超小型犬なので姿を見られたらおしまいだが、家の中から吠える分にはそれなりに迫力はある。見え難い、聞こえない老犬にとって屋外は不安なのか、家の中に入れてくれとしばしば泣くようになった。雑種にしては破格の待遇で2階のリビングに連れて上がった。それでも泣き続ける。しょうがないので、試みにミニチュアダックスを側に置いてみた。すると安心したのか泣きやんで、惰眠をむさぼっている。大型犬が小型犬の側で安心している姿は、ほのぼのとした情景でもあるが、何故かもの悲しくもある。小型犬を引き取ったときからずっと優しくいたわってきたクリが今逆に見守られているように見える。どうしても人間の視点で見てしまうから、介護されているかのように見えてしまう。老いて先に逝く宿命を背負いきれずに1日中不安で泣いているように見える。
 命あるものの宿命を変えることは出来ないが、10数年の感謝を毎日伝えてやりたい。こちらが与えられるものばかりだった。首輪に紐に、あんなに不自由を強いたのに、いつもしっぽを振って・・・だめだ、涙が出てきた。


2008年10月28日(Tue)▲ページの先頭へ
体罰
 熊本大学とハーバード大学の共同研究で、子供の頃長期に渡って強い体罰を受けた人は、受けていない人より脳の前頭葉の一部が最大で19%縮んでいると言うことが分かった。アメリカで4〜15才頃に平手打ちにされたり、鞭で尻を打たれるなどの体罰を年12回以上、3年以上に渡って受けた男女32人を調べたらしい。すると体罰を受けずに育った人に比べて感情や意欲に関わる部位が19%、集中力や注意力に関わる部位が17%、認知機能に関わる部位が14%小さかったらしい。小児期に過度の体罰を受けると行為障害や抑うつなどの精神症状を引き起こすことは知られているが、脳への影響は解明されていなかった。今回、MRIでの脳の断面図の解析で分かった。友田準教授によると体罰でストレス下に置かれた脳が、前頭葉の発達を止めたと考えられるらしい。
 要約すると以上のような内容になるが、この発表を読んで辛かった。素人考えだが、日頃僕は、人間は身体の一部を犠牲にして生命そのものを守っていると考えている。ストレスがかかると、胃が痛み、脈が飛び、胸が苦しく、下痢をし・・・・・全部、局部を犠牲にして全体をかろうじて守っているように思える。もし、ストレスがかかってその様な反応が出なかったら、命そのものがポキッと折れてしまうのではないかと思う。
 幼い子が、親の虐待の恐怖から逃れるために思考力を働かせれないように大脳の働きを自ら止めたとすればどんなに辛いことだろう。こんな不幸があるだろうか。そして、こんなに罪深いことがあるだろうか。反抗できない幼子に何が出来るだろう。思考回路を切って人間を止めるしかないではないか。医学が暴いた虐待は、体の表面だけではなかった。もっと、もっと残酷で取り返しがつかない恐ろしいものだった。


2008年10月27日(Mon)▲ページの先頭へ
野球少年
 薬局を開けたらすぐ飛び込んできた青年とは久しぶりに会う。10年以上会っていないのではないか。高校を卒業する頃、僕のバレーボールチームに入ってきた。メンバーの一人と近所だったよしみで誘われたらしい。甲子園を目指していた野球少年だったから、がっちりとした体格で、運動神経はさすがに抜群だった。ところが、野球とバレーでは使う筋肉が全く違うし、動きも違う。野球で鍛えた分バレーにはハンディーだった・・・こんなバレー談義のつもりで書き始めたのではないが、全く話がそれてしまった。
 朝からげっぷが止まらないと言う。胃カメラを飲んだけれどたいしたことはなかったとも言う。家族のことを良く知っているからおよその見当はつく。早く症状がとれる薬を出したから恐らくそれは一件落着になるだろうが、気になったのはむしろ彼が野球をする服装をしていたことだ。尋ねると、これから少年野球を教えに行くと言う。どこか幼さは残っているが、立派な大人になったのだ。田舎に帰り、地域の役に立っているんだと嬉しくなった。田舎だから人材は乏しい。少しの才能でも役に立てなければ、どれもこれもが劣ってしまう。甲子園を目指していたような彼だから、十分すぎるくらいの素材だ。体格には似合わない繊細な心の持ち主だったから、朝から胃酸をあげるような生活をしながらでも、子供達を教えているのだ。多くの先輩達が、嘗て通った道を彼も歩もうとしている。あの少年がこんなに成長するのだから、僕みたいにその道から退場する人間が出るのも当たり前だと、一人納得していた。それは心地よい自然な循環のようにも感じた。
 未熟で、未完成で、それでも何かをやろうとしている青年は美しい。結果はさておいてその一途さが何とも言えぬ美しさを醸し出す。小さなことでも、少しの時間でも他者のために役立とうとする姿はより美しい。若き生物の特権だ。老練で貪欲な生き物だらけの中で余計に美しく見える。


2008年10月26日(Sun)▲ページの先頭へ
オークション
 あるオークションでの出来事。
 10才くらいの少年が、自転車のオークションに参加していた。最初の1台が出てきた時少年は「200円」と大きな声をかけた。すると会場から「1000円」「1500円」「2500円」と声がかかり、結局2500円で落札された。2台目が出てきた時少年は又大きな声で「200円」と叫んだ。しかし、会場から声がかかり2000円で落札された。3台目も4台目も少年は「200円」と大きな声を上げた。しかし回りの大人の値段には勝てない。少年の傍にいたある男性が少年に諭した。「分かるだろう。2000円くらいは持っていないと手に入らないんだよ」と。すると少年は「お父さんが失業して仕事がない上に、お母さんは病気なんです。今日は妹の誕生日だから、妹に自転車を買ってやろうと貯金箱の中のお金を全部持ってきたんです」その次に子供用の自転車が現れると少年は「200円」と又大きな声で叫んだ。その後誰も声を上げなかった。
 大きなことをする能力はなくても、このくらいなら出来る。ごく普通の人の普通の善意が好きだ。


2008年10月25日(Sat)▲ページの先頭へ
身の丈
 まあ、何とも程度の低い国だ。収入の何倍もカードで金を借り、身の丈以上の生活をするのが当たり前なのだそうだ。それなりの教育を受けている人間でさえ、その危険を疑ったこともないらしい。物欲が生き甲斐と公言する。借金で贅沢な暮らしをする。勤勉な国の人間からしたら耐え難い、不道徳な国だ。たちが悪いのは、そんな人間の集団が、価値観まで世界中に輸出し、国々の文化や歴史を破壊し、食料を貧困層から奪った。どこの国にも似たり寄ったりの人間がいるみたいで、わずかばかりの数の人間の富のために、多くの貧困層を作り出す。余程コンプレックスが激しいのか、同胞を見捨てて太鼓持ちに成り下がる。
 考えれば空しくなるからなるべく考えないようにしているが、やたらニュースでその種のことが伝えられるので、いやでも耳に入ってくる。気を持ち直して、今日大笑いした内容を一つ公開。
 僕はある小さな漢方研究会の事務方をしているが、その中のメンバーのご主人が一昨日亡くなった。あるメンバーから漢方の処方について質問の電話があったとき、その事を伝えようとして、「○○先生のご主人が亡くなった」と連絡のつもりで伝えた。相手は「えっ」と答えたまま後が出ない。「○○先生のご主人」と重ねて伝えた。すると「○○は私ですがな」と声を落として答えた。なんて不吉な間違いをしてしまったのだろうと一瞬固まったが、相手も僕も同時に笑い出した。そして小さな笑いの壺に落ちて、お腹を抱えて笑ってしまった。悪意が全くないから、僕も責任は感じないし、相手も良くその事は分かってくれている。しかし、その事がきっかけで、ご主人を8年間世話しているという話を教えてくれた。会えばいつも気さくに付き合ってくれる人だから、微塵もそんな苦労を抱えているようには見えなかったが、色々と苦労話を吐露された。少しでもガス抜きになったかなと、失態を肯定する材料にこじつけた。
 金がないのに買いあさる人間が繁殖している国と、じっと耐えて主人の介護をする人間がいる国と、どちらがより豊なのだろう。



2008年10月24日(Fri)▲ページの先頭へ
精一杯
 明治生まれの4人の祖父母達は、それぞれ家庭の中で役割を持ち、最期まで不自由を経験せずに亡くなった。知的にも何ら衰えを感じなかった。どちらの家庭も3世代同居だったから、色々な確執はあっただろうが、老いても尊敬され大切にされていた。偶然だが、片や大工、片や鉄工所で、どちらも地域では名が通った職人だった。蛇足だが、その孫がめっぽう不器用なのだから、遺伝をそんなに心配することはない。世代をいくつか経験すれば、ガラガラポンで平均値になる。
 父は最期は転倒し歩けなくなって、半年寝たきりになったが、それでも頭は冴えていた。時代遅れのことを言うことはあったが、思考力が落ちていることはほとんど感じなかった。母は、まだ身体は元気だし、頭の回転も嘗てとそんなには変わらない。
 偶然幸運を頂いたのではなく、この地の人達はよく働くからか、老いて痴呆になる人は少ないように感じる。実際にそんな人には会わないし、相談も滅多受けない。老人施設に入っている人は勿論いるが、その人達にはそうなった理由を感じさせるものがある。どこかで緊張の糸が切れた人が多いような気がするのだ。田舎なのでほとんどの人を知っているが、ある程度の緊張感を持って暮らしている人にはその種のトラブルは少ないように思う。配偶者に先立たれた、定年を迎え仕事から離れた、自営業者が商店を閉めた、危ないからと外出を止められたなど、望んでもいないのに昨日との関係を断絶させられた人に多い。 
 都会に暮らす子供達に引き取られた老人が再び帰ってくることも珍しくない。断ち切られたものが多すぎて耐えられないのだ。海に帰った魚のように生き生きと自立して暮らしている。身体の衰えは時間でカバーできる。ゆっくりと時間をかければ出来ることも多い。しかし、拠り所を失っては生きていく理由を無くする。必要なのは快適なことではなく理由なのだ。存在する理由、存在すべき場所。それに優る活力源はない。大切なことは、終わりを準備することではなく、明日をどう生きるか、どう充実させるか、誰のために役立つかだ。それには年齢なんか関係ない。精一杯はどの世代にも当てはまるかけ声だ。






2008年10月23日(Thu)▲ページの先頭へ
優勝
 先月とその前の月、偶然だが、二人の超便秘の人を応対した。二人とも見たことがないので、どこの人かわからない。ただ、二人ともコーラックを指名して買いに来たので遠くの人ではないだろう。いつもの癖で、何となく飲み方を尋ねてみた。驚くなかれ、二人とも毎晩10錠飲んでいるらしい。常用量が2錠だから5倍飲んでいることになる。20代と30代だと思うが、二人とももう10年以上飲んでいるらしい。本来なら便秘すれば飲む薬だから毎晩飲む必要はない。ところが便秘に対する恐怖心が強すぎるのか、飲まずにはおれないらしい。あんな痙攣薬を飲むと絞り出すだろうと思うから、それで気持ちいいのかどうか尋ねたら、案の定、水みたいなお通じらしい。それはそうだろう。本来ゆっくり大腸で水分を再吸収され立派なウンチに育つのだが、早送りしているから、まだウンチにはなれない状態のまま出すことになる。おまけに絞り出すものだから、お腹は痙攣して痛い。
 これだけ話を聞いてコーラックを出すのは薬剤師としては気が引けるから、今のような話をし、腸を痙攣ばかりさせると近い将来一番いやな病気になるよと脅かした。無料にしてあげてもいいから少し漢方薬を持って帰って、1錠ずつコーラックを減らす努力をしたらと言うと、二人とも漢方薬も持って帰った。ところが結局二人とも数日たっても来なかった。くらいついてきてくれれば、せめて常用量まで落とすように出来ると思うがわずか5日で脱落したのだろう。今頃は、言うがまま薬が手にはいるところで手に入れ、毎朝水みたいな便を出しているのだろう。手っ取り早いの魅力には勝てないのか。
 僕は様子を見るために敢えて5日分しか渡さなかったのだが、彼女らにとってみれば効かない薬だったのかもしれない。10年以上前に誰かがちょっと話しておけば違う選択肢もあり得たのだろうが、中毒のようになってからでは、やる気も失せるのだろう。時々折に触れて今頃どうしているのだろうと思い出す。
 それに比べて今日ほぼ完治して薬のやめ方を相談した大阪のおばちゃんは、過敏性腸症候群を治すにも、関西人独特のノリがあった。60才過ぎて発症したのだと思うが、流動食しか食べられなかった。落ち込んで寂しそうだった。しかし、元気な頃への未練が治す希望にも繋がっていた。あの年齢でどうして僕を見つけることが出来たのだろうといつも不思議に思いながら電話で話をした。他の人と同じように過敏性腸症候群は治りにくくて難しいものと勝手に思いこんでいたが、僕はおばちゃんのどうしても治したいと言う気持ちが十分伝わってきていずれ克服できる人だと思っていた。それを確信したのは、1ヶ月、いやもう少し前の電話の時、落ち込んだ低い声で話していたのに、突然「やった、入ったわ、入った、入った」と大きな声で、それこそ僕との会話を勝手に中断して叫んだのだ。さっきまでの落ち込んだ声はどこに行ったのと言うような声だった。何のことはない、野球中継を見ながら僕と話していたらしく、阪神の誰かがホームランを打って大喜びしたのだ。このノリさえあれば、この元気さえ戻れば、お腹なんて治ったも同然だ。以来どんどん食べたいものを食べ、下痢をしたり、ボコボコお腹が鳴ることもなくなった。好きなことが以前のように何でも出来るようになっている。
 心配な出来事がある度に落ち込んだ低い声で電話をしてきたが、今となっては本当に良かったなあと思う。元気が溢れそうな人があんなに気弱に暮らすのを見るのは忍びない。優勝を阪神は逃がしたが、大阪のおばちゃんはお腹に勝った。甲子園に負けないホームランをおばちゃんは打った。


2008年10月22日(Wed)▲ページの先頭へ
最強

 なんだ、僕はオタクの始まりだったのかと、朝のニュースを見ていて思った。単なる落ちこぼれと思っていたけれど、今で言うゲームオタクだったのだ。
 浪人時代を含めて6年間、試験中を除いてパチンコに行かなかった日はない。多い日では8時間くらいはしていただろう。少ない日でも数時間。これは、朝のニュースで携帯電話でするゲームの時間を尋ねていたが、その答えとほとんど同じなのだ。ずらりと並んだ台に向かっていても一人の世界に入り込んでいた。携帯電話に向かったり、部屋でパソコンに向かったり、ゲーム機に向かったりしているのと何ら心理状態は変わらないと思う。ただひたすらパチンコの玉を目で追っている姿は、ゲーム中の人と同じだ。のめりこみようは半端ではなかった。ただ時代が違っただけで、素質は同じなのだと思う。
 幸運にも牛窓にはパチンコ屋がなかったので、帰ってからは一度もしたことがない。近くにあったらひょとしたら、家も土地も手放していたかもしれない。もっとも、大学時代一生分遊んだから、もう手持ちぶたさには閉口しきっていた。何もすることがないくらいつらいことはないと悟っていた。その後パチンコほどのめり込むものに巡り会わなかった。 つい最近のノーベル賞受賞者達を見ていて、最高、最強のオタクだなと感心した。僕ら凡オタクと違うのは、のめり込むテーマが崇高なことだけだ。のめり込みようはそれほど差はない。猛者なら、24時間でもゲームをすることが出来るのではないか。彼らは数式や化学式の中にのめり込んだ。僕らは誰かが作ってくれたものにのめり込んだ。
 僕がゲームをする人に寛容なのは、自分がそうだったからだ。お金が絡んでない分今の人の方が余程健全だ。肉体的には一番良い状態だった青春期、あの体力と時間をなにか生産的なことに費やしていたら、もう少し違った人生があったかもしれない。こんな殊勝なことが言えるのは、のめり込める体力も気力もなくなった今だからこそなのだが。


2008年10月21日(Tue)▲ページの先頭へ
写真
 元々はクールな美人だと思うのだが、長い間笑顔を忘れていた。今日、4年遅れの成人式の写真を見せてくれた。何枚も見せてくれたが、素人がまるでモデルのような表情や仕草で写っていることにまず驚いた。綺麗に装丁すれば着物の雑誌に載っても違和感はない。もっとも、プロが全部コーディネートしてくれたらしいからそのレベルのことまで出来るのだろう。全く縁がない世界だから、ただただ感心して見せてもらった。
 僕はこの1年親しく接しているので、彼女のトラブルを深刻には受け取っていないが、彼女自身や家族にとっては長くてつらい時間が数年間続いているのだろう。その写真に込める思いを「笑顔が出来るくらいに改善したことの記念碑」みたいな表現を使って表した。写真を撮られるときには、その思いや支えてくれた家族への感謝の気持ちをこめてカメラに収まったと言っていた。
 写真の中の一つづつの表情、特に笑顔にはそんな感情が隠されているのだ。だから見ている僕は完治したのかと錯覚してしまうほどなのだ。話していて何ら違和感は無いのに、本人の病識はなかなか覆されない。誰もが陥っている大いなる錯覚、治す方も治される方も薬が治すってことからなかなか離れられない。(僕は離れている。今日も、昨日もその前も、新しい人と会ったり、情報をやりとりしたが、みんなすこぶる健康的な悩みで苦しんでいる。正常だから陥るトラブルでしかない。そこを経ずして大人になる方が余程心細い。正当な挫折は経験すべきだ。そしてまるで冗談のように真面目に克服すればいい

 被写体になるのが今でも照れくさくて苦手な僕からしたら、堂々とモデルになりきっている彼女の方が余程「元気」だ。ただ色白でスリムで冷え性。もっともエネルギーに欠け長生きだけが取り柄の特徴を持っているってことだけなのだ。誰でも、長所は臆病で短所は図々しいものだ。だから誰もその図々しいヤツに負ける。


2008年10月20日(Mon)▲ページの先頭へ
ジーパン
 いつからジーパンが日本に入ってきて、普及したのか分からないが、僕がはき出したのは大学に入ってからだ。今から思えば高校を卒業して浪人時代は何をはいていたのだろうと思うが、いわゆる綿のズボンをはいていたのだろうか。学生ズボンからジーパンの1年間が記憶にない。
 ジーパンになって一番嬉しかったことは、汚れが見えないから洗濯する必要がない。(ジーパンも洗わなければならないことを知ったのは結婚してからだ)二番目は、折り目が必要ないから脱いだままにしておけばいい、と言うより、五年間は毎晩ジーパンで寝た。当初、アパートにパジャマは持っていったと思うが、はいた記憶はない。三番目は破れてもすり減ってもそれが一つのファッションになったから、とことん最後まで使えた。恐らく五年間でそんなに買ってはいないだろう。お金がなかったから、限界まではいていたと思う。
 こうしてみると、以来30年間何も変わっていない。ジーパンは僕にとっては仕事着だし、外出着なのだ。余程の改まった会議と、冠婚葬祭以外はこのスタイルで通している。さすがに寝るときには脱いでいるがそれ以外は当時と全く変わっていない。良くもこんなに倹約できるものを普及してくれたものと感謝する。お金だけではなく、煩わしさからの解放は、僕には有り難い。
 同じような人はいるもので、もう秋風も吹いているというのに、素足にサンダル、よれよれのTシャツにすり減ったジーパン。化粧もしないすっぴんで、白髪も目立つ。薬局のコーヒーをこよなく愛してくれ、少しだけおしゃべりをして漢方薬を持って帰る。恐らく同じ時代を過ごし、よく似た価値観で、社会をすねた目で見ていた同類だろう。昔のことはお互い話さないが、何となくにおいで分かる。ジーパンの裾を引きずりだらしなく糸が垂れるように、嘗てを引きずって悠々と生きている。接点が薬では寂しいが、隠しておいた方がいつまでも新鮮だ。どっちみち披露するような過去はお互い持ち合わせてはいないだろうけど。
 今はいているジーパンは、いつ誰にもらったものか分からない。ぴったしだから不思議だ。息子や甥達は身長が180cmから190cmばかりだし、いとこの子はちょっと太り気味なのだが。その中の誰かが高校生の時はいていたお古をくれたのだろうか。まだどこも傷んでいないように見える。このままではジーパンよりも僕の心の方が先にすり減ってしまいそうだ。


2008年10月19日(Sun)▲ページの先頭へ
タイ
 男3人、女性一人のフィリピン人の唄にギターで拙い伴奏をしていた。するとある女性が突然唄の中に入ってきて、ハモってくれた。それまで2月くらい同じ唄を彼らと唄っていたが、まず誰からも誉められたことはない。ところが後で数人に、今日の唄は良かったとか、綺麗な歌声だったとかの誉め言葉を頂いた。その女性は彫りが深くて、フィリピンの人に多い美形だった。いくつもの血が混じっているのだろう。
 あるお家でその女性を知っている人に会った。その日の感動が忘れられなくて、その女性の名前を聞き出した。教えて下さった人が「彼女はタイの人」と言った。僕はてっきりフィリピン人で日本人と結婚している女性だと思っていたので「タイの人?」と聞き返した。「そうタイの人」と自信を持って答える。そのハーモニーの綺麗さ、英語の唄にとっさの参加、彫りの深さから、てっきりフィリピン人だと思っていた。「タイの人でもあんなに英語が旨いのかぁ、情けないなあ、僕なんかさっぱりなのに」「タイの人の顔では無いなあ」と未練たらしく僕は呟いた。するとその方が怪訝な顔をして「タイの人よ、○○公園の傍の」「○○公園って、タイにもあるんですか?すごい偶然の一致、日本人が作ったのかなあ」相手はますます怪訝な顔をした。その表情の変化で僕が、又その僕の変化で相手が同時にこの会話の行き違いを理解した。一瞬にして笑いが込み上げてきた。もうほとんど噴火状態で、座ってなんかおれなかった。畳の上に倒れ込んで腹筋を痛めつけながら笑い転げた。笑いの壺から脱出できないままのたうち回っていると、その場にいた数人もやっと真相を理解して笑いの輪に加わった。なんだ、その女性は玉野市の○○公園の傍の田井と言うところに住んでいるのだ。だから最初から「田井、田井」と教えてくれていたのだ。よそ者の僕にとってはそんな字名は頭に浮かばない。聞いたことはあるが所詮「たいはタイ」だ。 たわいもない出来事。たわいもない会話。何もかも吹き飛んで、ただ笑い尽くすのを待つだけ。そんな至福の瞬間が時にある。副交感神経の中にどっぷり浸かり、緊張を全て取り去った緩みっぱなしの瞬間が、僕の薬を飲んでくれている人にも来ますように。


2008年10月18日(Sat)▲ページの先頭へ
仕事
 恐らくお母さんがお嬢さんのことを心配して連れてきたのだろう。違う人を応対している間二人並んで椅子に腰をかけて待っていてくれた。ちらっと見たときには二人とも見覚えがあったが、偶然同時に入ってきたのかと思っていた。二人の前に僕が腰をかけても動こうとしない。「知り合いなの?」と尋ねると実の親子だと言う。そうしてみれば何となく似ている。70才は越えているだろうお母さんは、この数年膝の痛みでお世話をしているからすぐ分かったが、お嬢さんの方は以前仕事の関係で時々尋ねてきていた人で、面影は十分ある。当時は若い独身女性だったが、今はお子さんもいる中年女性になっていた。 二人を応対して2つ感銘を受けた。お嬢さんの体調について話を聞いている途中で、手先が冷たいという話題になった。お嬢さんはお母さんの手を取って「これ、こんなに冷たいんよ」と言った。お母さんは娘の手先の冷たさに驚いていた。しばらく話を聞いていて僕が用事で席を立ったとき、机越しでは見えなかった二人の下半身が見えた。するとまだ二人は手を握ったままなのだ。恐らく10分はそのままだったのではないか。なぜだか僕は見てはいけないものを見たような気がした。何故なら僕にとってはあり得ない世界なのだ。きっと二人の情愛は深く自然なものなのだろうが、およそその種の光景に縁無く育った僕にとっては、まるで小説か映画の中の世界でしかないのだ。目の前で展開された光景に圧倒された。愛情深い家庭を築いたお母さんに脱帽。時々遭遇する親子愛は、ほとんどが母親とお嬢さんだが、幸せのおこぼれをくれる。
 もう一つ感心したのは、お嬢さんがずいぶんと立派な大人になっていたことだ。僕のところに仕事で来ていた頃はまだ若くて、棘がずいぶんとあった。身につけるべきものがまだまだという感じだった。ところが今日の姿は、外見は勿論嘗ての彼女にほど近かったが、物腰、言葉使い、気配りなどは格段の違いがあった。むしろ付け入る隙がないほどで、それも全く自然なのだ。何がこんなに成長させたのか分からないが、恐らく、家庭を持ち、お子さんが出来るなど、守るべきものを沢山手に入れたからなのだろう。守るべきものを守るのは自分の力では限界がある。周りの人、地域の人、社会全体に守ってもらわなければ守りきれない。恐らく彼女の中に感謝の心が多く芽生えたのではないか。若いときは一人で生きていけるが如く傲慢になり勝ちだが、それでは大切なものを失ってしまう。いや、大切なものを手に入れることすら出来ない。
 この仕事をしていて良かったと思えることが時々ある。今日はまさにその日だった。


2008年10月17日(Fri)▲ページの先頭へ
 ゴーヤとプチトマトを差し入れてくれた奥さんに、お茶を出した。その奥さんが器をしげしげと眺め、「これは備前焼?高そうね」と言った。器は、濃い茶色で焼き加減か少し色が明るい箇所もある。こんな焼き方にも名前があるが僕は覚えていない。備前焼の重厚さとは違ってかなり薄く焼かれている。落としたら割れそうだ。
 残念ながらその器は高額なものではない。ほとんどただみたいなものなのだ。岡山市から漢方薬を取りに来るある男性がお土産に買ってきてくれたプリンの容器なのだ。それこそ、その焼き物を器にしたプリンは高級そうで美味しかった。わずか数分で食べ終われるプリンのために使い捨てられるのはあまりにも忍びなかったので、以来湯飲みじゃわんとして使っている。僕には高級プリンと言っても、プリンが高いのか器が高いのか分からないが、あまりにも贅沢そうな器が捨てれなかった。
 その奥さんは良く薬局を利用してくれる気さくな方だから、その眼力の無さに照れることもなく「こちらにあるから高級そうに思えるではないの」と言った。ところが本当に我が家のことを知っていてくれている人は、高級そうなものはあっても、高級なものはないことを知ってくれている。幸運にもそんなものに全く興味がない質なので、手に入れようとも思わない。だから物に関して無理をしなくてすむ。どこにでもあるもので十分満足できるのだから。むしろ何もない生活、物に囲まれない生活こそ理想としているのだから少しの贅沢にも後悔する。
 恐らく、あのプリンはプラスチック容器に入れられていたら、お土産には使われなかっただろう。容器で付加価値をつけて値段を高くしているのは見え見えだ。それは悪いことではなく、買い手は何となく気がついているが、目の前にするとつい手が伸びてしまうのだろう。お店の人に軍配が上がる。
 外見で判断してはいけないが、ついつい見かけの判断は容易だから多用してしまう。物も動物も人も同じだ。外見で判断したくないなら、外見で判断されないようにしている。演歌の世界ではないが「ボロは着てても心は錦」がいい。飾らないのが一番いい。開放感に浸れる。赤裸々な自分でいいのだから。演じる必要のない気楽さは何にも代えられない。僕はそうしていつも自由を手に入れている。誰も振り向かないとしたら何でも出来る。何も躊躇わない。自由は必ずしも与えられる物ではなく、自分で作らなければならないことも多い。それにはまず自分自身の欲望から自由で解き放たれていなければならない。希望を何重にも邪悪で包めば欲望になる。心の中も必要最低限の想いに留めておくべきかもしれない。主のいなくなった器のように。


2008年10月16日(Thu)▲ページの先頭へ
月の心
 2週間くらい前ある女性が、岡山の大手のスーパーで野菜を買おうとして手に取り、産地を見たら中国産としてあったので止めたと話していた。数日前からまさに問題になったそのスーパーのその野菜だった。今日良かったと胸をなで下ろしていた。ニュースで報道されていたのを見たらしい。
 この国もあの国も同じかもしれないが、時代の転換点にあるあの国では特にお金の崇拝が強すぎて、報道でインタビューに答える人達の言葉は聞くに堪えない。隠すことなくおおらかでいいのかもしれないが、奥ゆかしさが感じられない。誰もが皆太陽になりたがっている。ギラギラと欲望を煮えたぎらせ、経済の炎天下で貪欲に消費する。
 今夜は満月に近いのかな。冷気に誘われて外に出、見上げれば月が見返す。入り江の土手沿いに歩けば、月明かりに僕の陰が横たわる。あんなに貧血気味の月でさえ陰を作ることが出来る。くっきりとした太陽の陰とは違って、水墨の陰が横たわる。これでいいのだ僕たちは。華やかな表舞台でなくてもいい、喝采を浴びなくてもいい、輝かなくてもいい、孤独とか、病気とか、貧乏とかを照らすかすかな光であればいい。どんな人でも備えている月の心があればいい。


2008年10月15日(Wed)▲ページの先頭へ
松葉杖
 いつも車のトランクに釣り竿を積んでいて、その日焼けぶりから、かなり通っているに違いない。僕より一回りくらい年下だと思う。その彼が今日は、松葉杖で薬局に入ってきた。松葉杖を旨く使いこなせていないから、恐らくつい最近使い始めたのだと思う。包帯を止めるテープがいるらしいから、様子を尋ねてみた。するとかかとの骨が折れているらしい。なんでも、2メートル上から飛び降りたらしいのだ。何でもないことと思って、安易に飛び降りたらしいが、結果は彼の予想通りには行かなかったらしい。スリムで如何にも身軽そうだから、華麗なる飛び降りでも出来そうな人だが、無惨にも病院行きとなった。同じような人はいるものだ。若いつもりが結構トラブルをさそう。
想像の範囲は出ないが、僕はバレーのし過ぎで骨格系(首と腰)を痛めた。堅いコンクリーの上を30年ジャンプし続けた。そのせいで、不調は動いて治すものと癖が付いていて、最後の方は、セットの間、腰痛体操をしながらバレーをしていた。何とも無謀なことをしていたなと今は思うが、「嘗て」から脱出知ることが出来なかったのだ。身体の衰えを確かめることを避け、「嘗て」と同じレベルを誇っていたのだ。外見はいざ知らず、内部の衰えに気が付かなかった。何回か最悪の状態を経験してやっと悟った。ああ僕は老いているのだと。それからは、何とか現状維持を目指すことに方向転換した。悪化しなければいいくらいの謙虚な気持ちにやっとなれた。現在は少しの時間だが歩くことを心がけている。ハードなスポーツをやっていた僕からしたら何とも頼りないが、一番自然な動きだとやりながら感じることも多い。もう一度だけ、走ってみたいと、ジャンプしてみたいと思うこともあるが、もうかなわぬものと自制している。人間は走るものでも飛ぶものでもないのだと、こじつけた理屈でブレーキをかけている。
 それにつけても夜の体育館から漏れる歓声はうらやましい。嘗ての僕がそこに一杯いる。そして、その中の何人かが今の僕になる。楽しんだ分おつりが来る。程々を知らしてくれるサインはなかなか届かない。たかが2メートルでも清水の舞台になることだってある。昨日と今日に何の差があろうかと思うが、いくつもの昨日といくつもの今日を重ねれば、雲泥の差がある。残念。


2008年10月14日(Tue)▲ページの先頭へ
迷い道
 まめな方ではないが、記憶力には自信がないから、拾い集めた知識をコツコツとノートに書き込んでいる。何々流というような純血の勉強をしていないので、雑種もいいところだ。だから、血統書付きの偉い先生と話しても、用語すら分からないことが多い。所詮田舎の薬局だから、困って訪ねてきてくれる人の数も程度もしれている。30年間でどれだけの人と接したのか分からないが、奇病難病なんかお目にはかからない。ごくありふれた日常の不調をお世話しているだけだ。
 今日も新しい知見を得たので、書き加えようとした。丁度その内容が入るべきところが一杯だったので、バインダー式の用紙を1枚用意した。新しい用紙で蛍光色に光っている。茶色に焼けた用紙の間に挟んだ。その色の差たるや、30年の歳月を感じさせるものだった。まるで父が使ってたノートを覗いているような錯覚に陥る。よくもまあ30年も破れることなく、インクが消えることなくもってくれているものだと感心する。感謝すると言ったほうがより的確な表現かもしれない。今主流のコンピューターでも、これくらい保存が利くのだろうか。いやいや、もっともっと比べものにならないくらいもつのか。懐古趣味ではないが、手書きのノートの方をむしろ信頼する。ボールペンの方を信頼する。一言も聞き逃さないと懸命にくらいついた青年の僕を信頼する。
 知らないことは知らないと言い続けた。おかげで、多くの方が知恵を授けてくださった。その都度書き加えたものが行間からはみ出る。正解がない作業、数学のように答えが一つではない作業を毎日続けてきた。そのノートの中の迷い道を先導してくれた師が今体調を崩している。思えば、自分の身体は二の次の方ばかりに智恵を頂いてきたような気がする。


2008年10月13日(Mon)▲ページの先頭へ
不完全
 後何年待てば、健康になれるのだろう。後何年頑張れば、心が戦うことを止め苦悩から逃れられるのだろう。どれだけ努力すれば徳を積めるのだろう。何百回懺悔すれば過ちを繰り返さなくなるのだろう。どれだけの本を読めば知識が深まるのだろう。
 完全でないことを、行動をしないことの口実にすることがしばしばだ。余程才能や健康に恵まれた人ならいざ知らず、ほとんどの標準的な人間にとっては、100年経っても今とほとんど同じ水準に留まっているだろう。それなら今すぐ行動すべきだ。不完全を愛し、完全など見向きもせず、貧弱な自分自身を愛することだ。取るに足らない自分だと思えば、一つ一つの挑戦が新鮮だ。
 僕らが生きるのは、多くのお金を集めることではなく、肩書きを見せびらかすことでもない。今、住んでいる街で一つの風景を埋めるためだ。一人の不完全で大切な人間を、しっかりと風景の中に埋め込むためだ。かけがえのない、代用がきかない風景としてしっかりと埋め込むためだ。誰もが欠かせない一つの部分。どれが欠けても絵には描けない。
 もう躊躇う口実など無い。不完全でみすぼらしいから行動するのだ。完全より不完全の方が完全なんてあり得ない。僕はいつでも不完全な方に圧倒的に惹かれる。待ってはいけない、待ってはいけない、待ってはいけない、完全になる日を。


2008年10月12日(Sun)▲ページの先頭へ
後悔
 19世紀の話。テームズ川の畔で乞食がバイオリンを弾いてお金を恵んでもらおうとしていた。そこを通りかかった男が、「今恵んで上げるお金をもっていないが、私もバイオリンを弾くことが出来るからバイオリンを貸してくれないか?」と乞食に話しかけた。乞食がバイオリンを渡すと、男はバイオリンを弾き始めた。それがとても上手ですぐに人だかりが出来た。その男を見た人が、「彼はパガニーニだ」と叫んだ。19世紀最高のバイオリニストと呼ばれている人物で、丁度イギリスに演奏旅行に来ていていたらしい。乞食の前に置いてあった帽子はすぐにお金で一杯になったらしい。
 さしずめ僕らは逆で、少しのお金を恵むくらいのことしかできないが、才能ある人は多くの施しが出来る。施しの量を競うことは何の意味もないが、示唆に富んだ話だと思いながら聞いていた。ほんの少しの発想の転換で、ひょっとしたら僕ら凡人でももう少しは人のお役に立てるのではないか、最初から無能を決めつけているから、自ら善行の可能性を狭めているのではないか、誰もが特有の個性や能力を持っていて、ありのままの善意を示すだけで、勇気を持って行動に移すだけでいいのではないかと思った。
 体験的に、自分が喜ぶより、人に喜んでもらう方が遙かに気持ちいい。それが又自分の喜びとして返ってくる。社会的動物として生きる限り、僕らは知らないうちに多くの人を意図しなくても傷つけている。もし免罪符があるとしたら、通り過ぎないことだと思う。そこで立ち止まれば、ほんの少しのことでも出来るから。立ち去っては後悔だけが残る。
山と積まれた後悔を見て後悔することだけはもう止めようと、逸話を聞きながら思った。


2008年10月11日(Sat)▲ページの先頭へ
沈黙
 上がっただ、下がっただ、つぶれただ、買収されただとニュースや新聞でうるさいが、こちとらとは全く関係ない。お金は働いて稼ぐものとしか理解していないから、売っただの買っただの関係ない。生活は稼いだ額の範囲で営むことにしているから、不景気でも構わない。より倹約すればすむことだ。大工だった僕の祖父が「稼ぐことより倹約する方がお金は貯まる」と、母にしばしば言っていたそうだが、職人特有の潔癖さがあったのかもしれない。手段を選ばず稼ぐより、倹約を心がけて礼を失するなと言うことなのだろう。 今困っているのは、ボーナスが何十億円だった人達、資産が何百億円もある人達で、ボーナスもない、貯金もない人のことではない。そんな人は今に始まったことではなく、ずーっと困っているのだ。今困っている人達には何故か国を挙げて支援が行われ、ずーと困っている人には、より困るように制度が変わる。不公平だと思うが、ずーと困っている人は訴える術も知らないから、あきらめてなけなしのお金で煙草をふかす。憂さの一つでも吹き消せればいいけれど、喜ぶのはガン細胞と偉い人達だけだ。
 これを契機に、無駄なものを作らない、買わないと殊勝なことを人類が考えればいいのだが、それはまずない。もっと地球を痛めつけ、次の世代の人達を過酷な情況に追いやるだろう。地球という名のウッドベースは軽快に規則正しく響いているが、旋律を奏でるトランペットやサクソフォーンがあまりにもかまびすしい。今はベースソロに鼓動を委ねるときだ。沈黙を語るのに言葉がいらないように。


2008年10月10日(Fri)▲ページの先頭へ
便乗
 僕がいくら力説しても世の中に何の影響ももたらせないが、昔から言い続けていることがある。たいした内容でもなく、他の多くの人も当然同様の考えをもっていると思うが、ある高名な方の文章の中に最近同じ趣旨のことを見つけたので、便乗してここに披露する。
 恋人を選ぶときは、自分ではなく、例えば階段で困っている老人や、バスで席が見つからない老人に素直に手をさしのべれる人を選ぶといい。下心があるときは、誰だって親切や優しさなど演じることが出来る。ところが旨くしたもので、利害がない対象に向かっては素で立ち振る舞ってしまう。そこまで演じる素養はないから、すぐにネタはわれる。見かけにだまされて一生棒に振ってはたまらない。誰にでも優しく親切な人と一生過ごすことが出来れば、宝くじの一等に数回あたった以上の価値がある。心が平安なのは何にもまして有り難いから。
 「いい人」と簡単に評価しない方がいい。その人に失礼になるから。ほとんどの場合「いい人」と言う評価は「自分に都合がいい」と同義語だ。自分に何かの利益をもたらしてくれる人を「いい人」と呼んでいる。「いい人」が誰にでも同じようなことをしてあげているとしたら、「いい人」という評価は言われた本人は面はゆい。「いい人」を乱用しない方がいい。まるで、低俗番組の、神の手、賢人、匠、カリスマなどの乱用と同じレベルになってしまうから。心ある人ならそんな呼ばれ方を拒否するに決まっている。
 職業柄、沢山の人と接してきた。僕が拠って立つ理論なんか無いが、多くの人が身をもって教えてくれたことを日々反芻すれば、どうあるべきががおぼろげながら分かってくる。もっと早く分かっていれば、もう少しは人の役に立てれたかもしれないが、得てして人生とはこんなものだ。害にもならない年齢になって初めて、人を害しない生き方が分かってきた。
 


2008年10月09日(Thu)▲ページの先頭へ
基準
 心の病気っていったい何なのだろう。勿論専門的な尺度があって、それに従って専門医は治療をしているのだろうが、僕にはその基準が全く分からない。
 話していると良く笑い、話題も豊富で楽しい。ところが、その気配りのせいで後からどっと疲れが出るという。それは普通だと僕は言うが、本人は異常だと言い張る。朝起きれないから異常だというが、低血圧だから朝弱いに決まっている。毎日カレーのような下痢しかでないから異常だと言うが、超スリムで煙草を吸っていたら下利便に決まっている。人が怖いから異常だと言うが、人見知りは誰にだってある。大切にされた経験が少ないと人って怖いものだ。ましていじめなどと言う社会の臆病が蔓延すると、人を真から信じるほうが異常だ。コーヒーなんて飲まないのにムカムカして仕方ないから異常だって言うが、10種類も薬を飲んでいたら肝臓がやられてムカムカするのは当たり前だ。死んでしまいたいといつも思うから異常だと言うが、死んでしまいたいと思うほどの孤独って誰にもあるものだ。職場で、どうしても受け入れられない人が出て職をすぐ転々とするから異常だと言うが、天敵ってどこにでもいるものだ。これらの不安や不満に対して薬で対処しようと思うから、どんどん安定剤や抗ウツ薬が増える。これらの訴えは病気なのか。医師に言うと病気で、知人に言うと愚痴ではないか。薬で対処するものではなく、はけ口で対処するものではないだろうか。
 今日、精神病でなかったと言う嬉しい連絡があった。家では楽しそうに笑っているから僕は精神病ではないと言った。信じられないような診断と、信じられないような薬をもらっていた。その薬で夢遊病のようになったらしい。家族の的確な判断で薬漬けの人生を早いところで回避できた。医療機関を批判するのではない。ただ、無批判に従属する薬剤師でもいけないだろう。僕は門前薬局でないから、自由をまだ確保している。田舎の薬剤師が、将来ある青春前期の人間を救ったと言うのはおこがましいが、たった一言が言える立場を確保していて良かったとつくづく思った。。
 個性と病気をどこで区切っているのか僕には分からない。僕に接触してくる人のほとんどが単なる個性で苦しんでいるように思えて仕方ない。脳に作用する薬で対処すべきかどうかはなはだ疑問だ。漁港の傍で釣り糸をたれたり、あぜ道に寝っ転がっておにぎりを食べたり、年寄りの角が取れた人格に触れ合っていたら、治ってしまいそうな不調に思えてしかたない。いやいや、治るって感覚より、変わるって感覚の方が正しいのではないか。単に、変わればすむことが多いような気がする。そう言っている僕がそもそも変人なのだから。


2008年10月08日(Wed)▲ページの先頭へ
物理屋
 自分を学者と呼ばずに「物理屋」と言ったり、受賞を嬉しくないと言ったり、天真爛漫というか、謙虚というか。本当に勉強が好きで、その道を邁進した人達は、僕ら凡人とはかなりかけ離れた価値観を持っているらしい。最近は、マスコミを利用して虚像を垂れ流し、権力を手に入れようとする奴らが目について不愉快なことが多いが、そうしたどろどろとした汚泥を一気に流し去ってくれそうなすがすがしくて不器用な会見だった。世俗的な欲望が透けて見えないのは、そのこと自体が珍しいことだし、現にそれを見せつけられると、文句なしで圧倒されてしまう。頭の構造が違うのはあきらめるが、その生き様まで圧倒されたら、物理のない国に逃げなければならない。
 それにしてもどの放送局のアナウンサーやキャスター(こんな言葉はもったいない)も、くだらない質問をする。軽率な合いの手も不愉快きわまりなかった。相手が話を完結するまで待てず、低次元の芸能ネタと何ら変わりない。こんなチャンスは滅多にないのだからあの人達が、あの人達の間合いで喋る姿を見たかった。物理学の神秘と、たぐいまれなる才能を開花した神秘を、次世代の子供達に伝えて欲しかった。神秘が天空から降りてきたとき初めて、子供達の魂に確実に宿る輝きがある。一生を導いてくれる星が輝く。昨日、今日は、多くの子供や青年の上に星が輝く日だったのに残念だ。
 寡黙が希望を与え、饒舌が不正を隠すなら、言葉に信頼はない。とつとつと喋る理性に、真実が宿る。もてはやされる雄弁に錆びた墓標を。


2008年10月07日(Tue)▲ページの先頭へ
商店街
 雨を避けて、アーケードがある商店街を行ったり来たりしていた。そんなに長くはない商店街だから、数回も往復すれば、同じ商店の店主とおぼしき人とも目があって、気まずい思いをしたりした。僕が幼い時の県下随一の商店街も、今は高齢の店主が店の奥から人待ち顔で通りを眺めている黄昏が似合う通りになった。
 その中で何回通ってもちょっとした人だかりがしている店があった。つられて人だかりの中に入ってみると、ガラス越しに2畳ほどの柵の中で遊ぶ子犬が3匹見えた。1匹はぬいぐるみのように動かなくて、もう1匹はボールをくわえ、取られる心配もないのに、如何にも独り占めを楽しんでいるかのごとく駆け回っていた。もう一匹は何をくわえているのか分からなかったが、歯ごたえを楽しんでいるように見えた。どの子犬も愛らしいが、それが余計に不憫だった。
 恐らく、血統書の付いた高額な犬なのだろうが、狭い空間に閉じこめられ、売られるのを待っている姿が、数日前見たイギリスの奴隷売買の番組を想い出させた。愛くるしい犬たちが売られるのを待っている姿が実は不憫なのではない。犬を黒人に置き換えた光景が不憫だったのだ。鎖で繋がれ、自由を束縛され、死ぬことが唯一の解放だった当時、犬よりも愛されることなく、無念のうちに命を奪われた人達のことが不憫だったのだ。
 雨で居場所が無くなったのか、そろそろ活動すべき時間なのか分からないが、珍しく数人のホームレスと会った。どんな気持ちで通りを歩いているのか分からないが、華やかな衣服、宝飾品が並ぶ店の前を横切り、美味しそうな香りがする食堂の前を通るとき、ふと悪魔のささやきが聞こえたりしないのか。良心の柵の外へ飛び出さない所以は何なのだ。 百貨店の前で雨に濡れマイクを握っている人がいた。わざとらしい姿に雨が泣いている。犬より愛されず、それでも罪を犯さない人達が見えるのか。見えない鎖で縛られている人達が見えるのか。


2008年10月06日(Mon)▲ページの先頭へ
精一杯
「授業中に、居眠りをしてハッとして目を覚ますことが多くなって・・・」こんな言葉が聞ける人ではない。嘗て学校は彼女にとっては戦場で、教室の中はさながら拷問室だったはずだ。一瞬たりとも気が抜けず、いつもお尻に力を入れて、おならを漏らさないようにするだけで必死だったはずだ。だから夢をあきらめてフリーターになった。ちゃんとした夢があったのに。好きな科目もあり、職業に生かせれたのに。
 彼女が何気なく語ったフレーズを僕は巻き戻した。すっと通り過ぎていきそうな言葉だったが何か違和感を感じたのだ。今まで聞いたことがない言葉だというのがどこかに引っかかったのだろう。「授業中に居眠りをしているの?」僕は確認せずにはおれなかった。「本当はいけないんですけど、課題が多くて睡眠が足りないんです」恐らく徹夜していても彼女なら授業中に眠ったりしないだろう。羞恥心を司る脳だけはフル活動するはずだ。そんな彼女がまるで無防備な状態になれるなんて。質問したのは授業に集中しない彼女をとがめるためではない。嬉しいのだ。単純に嬉しいのだ。他人の目が恐ろしくて青春を捨てていた人が、自分自身のペースを取り戻しつつあることが。「最近は、友達の家にも泊まることが出来るようになっているんですよ」とも教えてくれた。なんだそんなに良くなっているのかと再度喜ばせてもらった。
 いつからそんなに子供達が他人の目を気にして生きるようになったのか分からないが、気にしている他人の評価が、嘗てとは違うような気がする。迷惑さえかけなければいいなどと単純なものではないらしい。僕らの時代は、いやな奴とは関わりを持たねばそれですんだ。そんな遠くの存在の人間の評価などどうでもよかった。逆に友人の距離にある人間は、全てを許してくれた、いやいや弱点こそを好いてくれた。飾らなくて良い距離の人間にも気を使い、疲れ果てているのが現代っ子の距離感のような気がする。
 昨日僕は、かなりの、それこそ滅多にいない高名な人格者に、「ちゃらんぽらんでいいの」と言われた。その人は、人々を笑いの中に引き込んで、それでもなお深く心に響く言葉を一杯残してくれた。偶然話をする機会を得たので日常のことを話したらその様な助言を下さった。何かすっと肩の荷が下りたような気がした。いい加減に精一杯。僕のスタンスはこれしかないと思った。似合わないことはしなくていいし、出来もしない。緻密も大胆も、どちらも備えてはいない僕は、笑いながら精一杯。


2008年10月05日(Sun)▲ページの先頭へ
人様
 10年以上僕の薬局を利用していなかった人が突然やってきた。最近の不調を説明して何とかしてと言うことだった。僕は漢方薬を作って渡したのだが、実は気乗りはしていなかった。1週間分作ったら、それが又良く効いたらしくて、再び薬を頼まれた。
 僕が牛窓に帰ってからしばしば利用してくれた人なのだが、ハイが全くない人だった。必ず、否定形から入ってきた。育った過程に問題があったのか、プライドが高すぎたのか素直さを全く持ち合わせていなかった。でも何故か僕の薬局を利用してくれていた。家族にある問題が起こって以来ぱたりと姿を見せなくなった。町で見かけることもなくなったから、恐らく全ての買い物はよその町まで出かけていたのだろう。小さな町だから、風評は一瞬にして広がる。あのプライドの高さからしたら耐え難かっただろう。恐らく、自分の中で時効が成立したから再びやってきたのだろう。僕も含めて、多くの人は何ら拘ってもいないのに。
 人生の全てで、上手く行くなんてあり得ない。禍福はあざなえる縄の如し、いい時もあれば悪い時もある。それが常だし、そうでないと皆浮かばれない。問題は、いい時をいかに謙虚に過ごすことが出来るかだ。これにはかなりの精神力がいる。自制の力は時として生み出す力より大きいことがある。教育の中で、あるいは実体験でもし謙遜を学ぶ機会がなかったなら身に付いているはずもないし、恐ろしいけれどその心のありようが理解すら出来ないのではないか。
 今日1日食べるもの、着るもの、何一つ「人様」の手を借りなくて出来るものなどない。大企業の社長だって、オエライ政治家だって、下々の「人様」の手を借りなければ朝食一つ摂ることが出来ない。彼らは人種が違うからそもそも謙遜なんか期待してはいないが、せめて下々はお互いを尊敬し謙虚に暮らしていかなければならない。少々多く持っても、少々秀でても、所詮庶民の間ではしれている。与えられた物はいつ失うか分からない。でも、心の中にしまっているものは失いようがない。心に徳を積むとはこういったことを教えているのかもしれない。


2008年10月04日(Sat)▲ページの先頭へ
ドミノ倒し
 首から上と下では年が20才は違う。以前からその道の商売をしているのだろうと思っていたがやはりそうだった。僕を昔から、「先生、先生」と呼ぶのだが、どうもその呼び方が板に付きすぎていて、客商売特有の響きがしてならなかったのだ。「社長」ではないからまあいいけれど。
 時々買い物に来ては、欲しいものを買っていく程度の女性だったが、今日は何故かレジがすんでも帰らない。僕が一人しかいなかったので、都合が良かったのかもしれないが、沢山病気についての質問を受けた。本人、あるいは家族の相談かと思っていたが、そうではなく、飲み屋をやっていて、客の相談だった。かなり具体的な対象を頭に入れての質問のようだったから、僕も具体的に答えた。その後でお店の光景を少し話してくれたのだが、それが結構面白かった。
 65才だから、客にとってはお母さん世代か、下手をしたらお婆さん世代にあたるのか。客が戸を開けて入ってきたらすぐその日の調子は分かると言っていた。体調はどうか、会社で問題があったかどうか、家庭が旨くいっているかどうかなど。酒を飲み、歌を歌い始めると、その予想が裏付けられると言っていた。会社で、家庭で言えないことを、酒の勢いを借りてママさん相手に吐露するのだろう。聞いてくれ、秘密を守ってくれるから、心の中のわだかまりを全部捨てて帰るのだろう。
 なかなか立派な仕事をしているではないかと思った。結構人助けしているんだと思った。医者でもない、宗教者でもない、カウンセラーでもないのに、きっと多くの人のしょっている荷物を一時預かりしてあげているんだと思った。少しの時間でも荷物を降ろせれたらずいぶんと楽になるものだから。
 帰りがけに「私は健康そうに見える?朝の3時頃帰るからしんどいんだけど?」と真顔になって質問した。身体を締め付けるような服とスカートが功を奏して、首から下はかなり若く見えるが、首から上はごまかせない。「仕事はしんどいのが当たり前。その年で世間の役に立てれているのだから、しんどくても死ぬまで続けたら。客の相談をした時、涙ぐんでいたじゃない。それだけ親身になれることはその年で他にはないよ。健康より遙かに価値があるよ」と答えた。見るからに人が好きでおしゃべりが好きなような初老の婦人に、家でおとなしくなんて口が裂けても言えない。好きなことをしているときは、健康が後から付いてくる。
 珍しくと言うか、初めてというか、とても丁寧にお礼を言い頭を深く下げて帰った。たまには聞くだけでなく喋ってみたかったのだろう。それこそ、許容量が一杯になって溢れんばかりだったのかもしれない。社会は、所詮ドミノ倒しなのだ。終わりはない。


2008年10月03日(Fri)▲ページの先頭へ
写真
 送られてきた一枚の写真を見て、感想をどう表現しようかと悩む。僕自身、あるいは、あまりのかわいさに大きな声で呼んで見てもらった家族も皆「可愛い」と同じ表現を口にした。この言葉だけでは実際に写真を見ている人にしか分からず、こうして第三者に伝える言葉としては不十分だ。こうしたジレンマは、音や香り味などを伝える時も同様だ。だからと言って、これ以外の言葉は見あたらない。
 半年になるこの女の子のお母さんは、僕を結婚式に招いてくれた。まるで宝塚歌劇団の男役のように綺麗な人だった。彼女が選んだ男性は、ハンサムとは言えないが、その心は際だって善良で、彼女と何回か牛窓を訪ねてくれたが、その善良さがストレートに伝わってくる好青年だった。青春のど真ん中を何年も引きこもっていた彼女が、僕との縁で車の免許を取り、就職し、結婚し、子供をもうけた。最初会ったとき、周囲の視線に怯えるようにしていたが、こんな女性が埋もれているのはもったいなさ過ぎると思うほど、当時も輝いていた。控えめに歩き話す姿に、将来この女性と結ばれる男性はきっと幸せになるに違いないと思った。数年の内に彼女はこんなにすばらしい家族を手にした。
 僕は多くの過敏性腸症候群の人に会った。会えない人とは電話で声を聞いたり、メールで交流している。今、治そうとしている人達に是非伝えたいことは、決して治らないトラブルを治しているのではないと言うこと。例えば頭痛や肩こりと同じように、治るべきものを治していると言うことを是非認識して欲しいのだ。何も特別なトラブルでないことを知って欲しいのだ。特別だと思っているのは現役で頑張っている人達だけで、治った人達を含めて、形は違っても誰にも訪れる可能性がある単なる青春の落とし穴だと言いきれる程度のものなのだ。
 車の免許が取りたいなら取ればいい。仕事に就きたいなら就けばいい。恋愛したいならすればいい。家庭を持ちたいなら持てばいい。ブレーキを踏んでいるのは、周囲の人達ではなく、自分自身なのだ。アクセルのない車になんか誰も乗りたくはないだろう。


2008年10月02日(Thu)▲ページの先頭へ
副作用
 薬局には毎日数カ所から必ず薬に関する情報が入ってくる。郵送もあれば、FAX、インターネットもあり、そのあまりの多さに食傷気味だ。懸命に目を通そうとするが、物理的に無理だ。興味あるものにだけ目を通すと、知識が偏ってしまうし、興味がないものは頭に入ってこないで、なかなかこの仕事も難しい。
 今日、その興味がない方に属する情報に目を通していたら、興味ある文章を見つけた。パーキンソン病に使う薬の副作用情報なのだが、「病的賭博(個人的生活の崩壊等の社会的に不利な結果を招くにもかかわらず、持続的にギャンブルを繰り返す状態)の衝動制御障害が報告されているので適切な処置を行うこと」と言うものだった。難しい表現だから分かりにくいが、要は、負けるに決まっているのに、一縷の望みに賭けて通い続け、土地も家も手放し、嫁さんには逃げられ、子供には罵られ、さっぱりと言うことだ。役人言葉でなく、このように分かりやすい言葉で書いてくれれば一瞬にして理解できるのだが、理解するために何回読み返したことか。もっとわかりやすく言えば、学生時代の僕みたいなものだ。バス代の最後の100円まで使い果たし、雪が降る中10kmの道程を歩かなければならなくなった。その時分別などまるでない。起死回生の一発に賭けてしまうのだ。何回かに1回の成功体験が頭の中を占めて、冷静さなど入る余地はない。まさに制御不能だった。
 さりとて、いっぱしの博打打ちになる勇気もなかったから、何とか卒業までこぎ着けた。興味がないことを強いられたとき、それに立ち向かっていく気概は元々持っていなかったから、逃げの一手でパチンコに通ったのだろう。当時、金がない奴にはパチンコが分相応だった。今ほどギャンブル性がなかったから、100円玉数枚あれば十分遊べた。さしずめ、現代で言うとテレビゲームなのだろう。今の若者がゲームにのめり込むのと何ら差はないと思う。さすがに、ゲームというものをやる年齢ではないので、体験がないが、一人部屋に、あるいはゲームセンターに入り浸る若者の姿と、当時の僕は重なってしまう。だから僕はゲームに浸る若者を、何ら批判できないし、するつもりもない。青春とは孤独なものだから、何か無機質でもいいから、単純な作業を繰り返し、ひたすら時間を消費しなければ持たないのだ。心の奥底では、いつも自分を否定する声がして、パチンコ屋の喧騒がそれを一時聞こえにくくしてくれるが、決して消し去ることは出来なかった。
 5年間の不自由な自由のおかげで、逃げ場所が必要のない生活に戻れた。頑張ることに飢えていたのかもしれない。田舎にこもり、田舎の人の役に立とうと懸命に努力した。久々の、終わりのない努力の始まりだった。孤独を感じるほど世間は冷たくなく、奥ゆかしい素朴な人達に多く出会い、小さな感動をいくつももらった。否定は何も産まなかったが、否定の季節があったからこそ、肯定の季節が訪れたに違いない。いつか必ず誰にも訪れる季節の矛先が大きく変わる時が。その時心の扉を大きく開いて、疾風のしっぽをつかんで放さないで。風の背中に乗って旅立つ朝だから。


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