栄町ヤマト薬局 - 2008/09

漢方薬局の日常の出来事




2008年09月30日(Tue)▲ページの先頭へ
頭痛
 後頭部がガンガンして、血管でも切れるのではないかと思いながら運転していた。8時に仕事を終え、往復2時間のところにある教会に行ってきた。今度の日曜日に行われるある儀式のために、心を清らかにしておかなければならないらしく、告解と言うものをしてきた。狭い部屋に神父様と入り、懺悔を聞いて頂くのだが、たくさんあり過ぎて、我ながら情けなくなる。こんなに信者になるのは難しいのかと思うが、それだからこそ価値があるのだとも思ったりする。求められる姿勢、求められる行いなどを列挙されるが、自分にないもの、自分とかけ離れているもの、自分の真逆のものを見事に選んで並べられたようなものだった。罪人こそ救われるのだから、大いに救いの手を差し伸べられているのだろう。その手が見えるかどうかは、僕の日常の暮らしぶりだと思う。
 消費を煽る巨大看板に誘われて、開店して間もない24時間営業のスーパーに寄った。半額のシールが貼られた如何にも脂ぎった惣菜を、まだ帰宅途中と思われるような男性が次から次へと買っていた。気のせいか、それらを買う人達の体格がよく、メタボ最前線のように見えた。寝る前に、こんなに高カロリーなものを食べれば、脂ぎった肥満体にならないわけがない。便利の陰で払っている代償は大きい。気がつかない間にボデーブロウのように効いてくるだろう。この種の買い物が苦手で、気恥ずかしいので、欲しいものがあってもなかなか買えない。しかし、さすがに夜遅いこともあり、また、家から遠く離れたところなので、何か美味しいものでも買ってやろうと思った。ところが先ほどの告解で、贅沢も戒められたので、28円のうどんの玉を買って帰った。
 自分の道を肯定して欲しかったのに、否定されるばかりだ。なかなかより良く生きるのは難しい。最低限のことだけで許してもらえればいいのだが、僕の最低限は、本当の最低限でどうも問題外のようだ。目指す山が高すぎたのか、落ちた谷が深すぎたのか分からないが、28円のうどんを家に帰って食べたら頭痛が治った。単にお腹が空いていて頭痛がしていたのか。本当は心が空腹で悲鳴を上げているのに。


2008年09月29日(Mon)▲ページの先頭へ
 しばしばやってくる人が2ヶ月も来ないとなると本当に「お久しぶり」だ。薬局には結構常連がいて、僕が帰ってから30年、何かと利用してくれる人がいる。ほとんどお気に入りの薬があるからきてくれるのだが、その人もお気に入りの風邪薬がある。男所帯だから、風邪を引いて寝ても誰にも看病はしてもらえない。だから風邪などにも結構神経質で、おかしいと思ったらすぐ対処する。仕事が終わったらすぐにパチンコ屋に行き、勝っただ負けただを何十年繰り返している。唯一の趣味かもしれない。病気に神経質なのと釣り合いがとれていないように見えるが、ストレスを発散しているのだろう。
 久しぶりだから余程元気だったのだろうと思い「元気そうだね」と声をかけた。すると入院していたという。癌が出来て、放射線療法と抗ガン剤を併用していると言っていた。なるほど、衣服で隠れているが確かに痩せて見える。放射線を当てているという箇所は皮膚が黒く薄汚れているように見えた。対峙していると否応でも目につく。一見、怖そうな風貌をしているのだが、さすがに今回は肩が落ちて威勢がない。幸運にも抗ガン剤の副作用が意外と少なかったらしく、頭髪も十分ある。注意してみなければ分からないくらいだ。 もうすでに職場に復帰している。前からしんどいが口癖だったので、今更しんどいと言われてもすぐさま同情は出来ない。それよりも医学の進歩にとても驚かされる。彼は癌が見つかって1ヶ月なのに、もう働いている。それもフルタイムの肉体労働を。息子がいつか「癌は早期だったら皆助かる」と言っていたが、なるほどなあと思う。癌と診断され、投薬を受けたりしながら働いている人も結構いる。考えてみれば、高血圧や糖尿、その他諸々の病気と何ら変わりない。嘗ての常識で特別視してしまうのだろうが、これだけ増えてくれば、その病気に慣れてくる。まして、自分で病名を言うくらいだから、秘め事ではなくなった。あからさまに言える病気、対処できる病気になったのだ。癌の恐らく最大のリスクは加齢だろう。みんなが長生きをするようになって、特別なハンディーというものがなくなったのかもしれない。誰もが長生きをする時代になったから、誰もがこの病気になる確率が高くなったのだ。
 「もう、パチンコから足を洗うの?」と尋ねたら「止めるもんか」とすぐさま返事が返ってきた。それはそうだろう、今更仙人のようにきたら寿命が縮む。そう、これからこそ、らしく、○○らしく生きねば。人生気取って生きるほど長くはない。


2008年09月28日(Sun)▲ページの先頭へ
子猫
 動物好きではない僕だが、今日は一日気になっていた。
 朝、2匹の犬を連れて散歩をした。新築のリゾートマンションあたりにさしかかった時、ニャオ、ニャオと懇願するような猫の鳴き声が聞こえた。鳴き声の方を見ると、プレハブで出来た現地販売所の床下から、真っ白な子猫が現れた。僕が連れている犬の1匹は結構大きくて、子猫が見たら恐ろしいと思うのだが、その猫は、泣きながらゆっくりとこちらに近づいてくる。あまりに小さくて、2匹の犬は気にもとめないみたいだった。猫は3メートルくらいまで近づいて、哀れな鳴き声をあげ続ける。猫の習性を全く知らない僕は、捨てられた猫が食べ物を求めて助けてくれと訴えているように思えた。僕には懇願されているように感じたのだ。明らかにかなりの意志が働いての子猫の行動のように見えた。飼い猫でも苦手なのだから、道端で遭遇した猫を抱く勇気など僕にはない。何ともすることが出来ずに、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
 相も変わらず、数カ所を忙しく転々とする日曜日だったが、折に触れその猫のことを思いだした。置き去りにしたようで、不憫な目に遭わせたことを後悔したが、僕が一番気になったことは、あれが人間だったらどうなのかと言うことだった。最後の予定を終えて8時過ぎに帰ったが、その時間まで子猫のことを気にかける心以上で、果たして都会で目撃したホームレスの人達のことを思ったことがあるかと言うことだった。時々勉強会で都会に行くが、見かけたホームレスの人達のことがどれだけ僕の心の中に留まっただろうか。愛くるしい動物に愛情をかけるのは簡単かもしれない。しかし、路上で生活している人達に愛情をかけるのは難しい。図らずも、床下から出てきてくれた子猫のおかげで、自分の偽善が暴露された。
 夕方、妻はそのプレハブに子猫を探しに行ったらしい。動物好きの人なら当然の行動なのかもしれない。妻が朝、子猫と会っていたらきっと連れて帰っただろう。以前にも同じようなことをしているから想像がつく。残念ながら?猫の姿はなかったらしい。綺麗な猫だったから、誰かに拾われただろうかと都合良く想像して自分を慰めた。
 愛情を一身に受けているペットたち。捨てられるペットたち。お金で幸せを買える人。失うものもなくなった人達。僕の目は何が見える目なのだろう。僕の心は何を見ているのだろう。


2008年09月27日(Sat)▲ページの先頭へ
電話
 優しい声で、優しいしゃべり方をする男の子だなと思っていたら、女性だった。2回目に話した時に、僕が錯覚していたことに気がついて彼女が指摘してくれた。
 こんな失敗談も含めて、職業柄、多くの人と電話で話をする。若い人も多い。僕が話す機会がある人達は、おしなべておとなしい。ほとんどの人が実際に会ったことがないので、想像力を働かせるが、老いも若きもみんな女性は伊藤美咲、男性は福山雅治みたいな錯覚に陥る。どちらも僕が好きだから勝手に都合よく想像しているのだが、伊藤美咲が利発で計算高く、人を押しのけて生きるようには見えない。福山雅治が、饒舌で人をぐいぐい引っ張っていくようにも見えない。整った顔立ちが見せる定まらない視線が時折哀愁を帯びる。その瞬間が僕は好きだ。いくらすばらしい顔立ちをしていても、陽の中に陰を持っていないと魅力は感じられない。底抜けに明るいだけでは、美学がない。月があっての太陽だし、夜があっての朝だ。ギラギラと1日中太陽が照り、そこかしこを白日の下にさらされでもしたらたまったものでない。陰があるから、見えない部分があるから、秘密があるからこそ心を引かれる。
 心地よい想像力を働かせながら僕はおしゃべりをする。息子や娘の世代が多いが、たまに妹のような世代の人とも話をする。健康に関する情報を引き出せばいいのだが、それでは皆さん患者になってしまう。薬局ですむくらいだから、患者ではない。ちょっと不調、あるいは命に関係ない程度の不調なのだ。だから僕は、おしゃべりをするように心がけている。病気ではないのだから、おしゃべりの中に現れるちょっとしたため息のほうが余程参考になる。堅苦しい問診で、伝わってくるものなどしれている。言葉にならない言葉の方が遙かに訴えてくるものがある。
 僕の伊藤美咲や福山雅治が増えて、第一声で誰か判断することが難しくなったが、僕は多くの人格に触れることが出来て幸せだと思っている。皆さんは気がついていないかもしれないが、僕は多くの活力をもらっている。僕が何かをしてあげているのではなく、僕が多くをもらっている。控えめなおしゃべりの中に、心を打たれる内容が多く、大きな悲しみも、小さな喜びもまるで風景の中にとけ込んだ古典音楽のようで、街路樹の下を自転車で疾走するあなたが、肩をすくめて歩くあなたが、電話の向こうに見える。やがて来る落ち葉の季節も、新しい命を息吹かせるため。抱えている苦しみの中にこそ芽生える希望もあるだろう。あなた方だからこそ見えるもの、感じられるもの。研ぎ澄まされた感受性に乗って沖にこぎ出そう。


2008年09月26日(Fri)▲ページの先頭へ
横浜
 横浜に住む姉が昼過ぎに「お母ちゃんが今無事に着いたから」と電話をくれた。「お母ちゃん」がと言う単語を聴いた瞬間、一瞬何かあったのかと初めて心配した。
 実は、数日前、横浜と千葉に行くと聞いていたが、何の心配もしていないし、何の協力もしていない。自分で今朝バスで出ていっているはずで頭の中から母のことは完全に消えていた。駅まで送ろうかと提案したが、必要ないとすぐに断られた。むしろ数日間薬局を留守にすることをとても気にしていて「悪いなあ、悪いなあ」と繰り返していた。母がいなくても、薬局は十分回っていくと思うのだが、やたら恐縮がっていた。
 何でも横浜に2泊、長女がいる千葉に2泊するらしい。いつも来店者にお茶の接待をしているから「お母さんは?」と何組かに聞かれた。「横浜に行った」と言うと皆一様に驚く。口には出さないが、一人で行ったことより、一人で行かしたことに驚いているのかもしれない。自営業の特徴か、我が家の特徴か分からないが、皆、生涯現役なのだ。さすがに出来ることは限られてくるが、出来無いこと以外は皆する。父もほとんど最期まで、薬剤師を通した。最後の方はそれが鼻についたが、さすがに母は父よりは控えめで、僕らが手の回らない仕事を見つけては、1日中働いている。熱心な労働者だと思う。
 敬う気がないのか、残酷なのか分からないが、母をいっさい老人扱いしていない。2km離れたところに独りで住み、ありとあらゆる家事をこなしている。その上で午後手伝いにやってくる。若い人と何ら遜色のない日常を送っている。「私はなんにも出来なくなった」が口癖だが、傍で聞いていて、何が出来なくなったのだろうと思う。さっさと動くこと以外、何ら衰えていないように見える。衰えたと強いて言えるのはスピードだけなのではないだろうか。
 定年を迎え、後の人生を優雅に生きるのも一つの選択肢。だけど、半農半漁の田舎町で定年後を悠々自適に暮らしている人は少ない。みんなよく働いている。定年などどこ吹く風、80歳代の現役なんて一杯いる。その人達が育てた野菜を若者が食べ、その人達の獲った魚を若者が食べている。どちらがどちらを養っているのか分からない。生産性が必ずしも若者に分があるとも思えないし、総合力が若者が優っているとも思えない。欲が人格からはぎ取られて、木彫りの仏様のようになった老人達の働く姿はとても神々しい。なるほど、社会が用意してくれた幼子を相手にするような福祉と言う名のお情けもいいのかもしれないが、自立に優る自由はない。
 軽トラックの助手席に奥さんを乗せ、おじいさんが薬局の前に車をつける。ゆっくりとした足取りで入ってくるその光景が好きだ。茶でもてなす母との短い会話がとげとげしい現代の人間関係をほぐしてくれる。「無事着いた」の後は「美容院に行っている」だった。大都会の美容院に連れて行ってもらい「こんなにしわくちゃになって」と連発しているのだろう。一生謙遜して、一生働く大正の女性だ。






2008年09月25日(Thu)▲ページの先頭へ
新興宗教
 「新興宗教でも何でもいいから入って欲しい」本当はそんなことは思っていないのだ。でも自分のやれる限度を超えているから、母は何かにすがって、任せてしまいたいのだ。一身に引き受けた年月が長くなれば、まして自分も年を重ね、気力体力の衰えを感じてくれば、近い将来を想像しただけで不安になるのは当然だ。
 本来的に傷つきやすい性格を持っている人は多いと思う。赤ちゃんの時からその素質はかいま見れる。社交的な子がいればその逆もいる。それは決して欠点ではないが、旨く生きて行くには少し損をする場面もある。だが損は不幸でも何でもない。そんな判断が介入できる分野でもない。時間がゆっくりと流れ、人々が共同で作業をし、喜びも苦しみも分かち合える時代なら、どんな性格も、共同体を構成するには欠かせないものだったに違いない。みんなで支え合い、物事を完成するには個性が種々バラバラの方が都合がいいから。ところが現代は、生産性だけ、効率だけが偏重されるから、没個性的な上辺だけどんどん誰とでも合わせられる、部品みたいな人間が求められている。所詮みんなパーツなのだ。その場所に旨く収まるだけを求められる部品なのだ。強迫観念さながらに迎合することで、自分を捨てながら自分をやっとの事で守っているのだ。
 そうなれなかったと言って悲観することはない。むしろ健全な精神の持ち主と子供を誇ってほしい。生まれ育った時代が間違っていたと、時代のせいにしておけばいい。新興宗教なんて思ってもいないことでも口に出来る、ちょっとした相談相手を見つけ、ちょっとしたケーキをつまみながら、ちょっとしたコーヒーを飲み、ちょっとした冗談を飛ばせば苦痛の閾値を下げることが出来る。お母さんが楽になれば子供も楽になる。一人で引き受けないで、一人で頑張らないで。時間をもてあましている田舎の薬剤師が、あなたの回りにもいるかもしれない。


2008年09月24日(Wed)▲ページの先頭へ
 夜、外に出てみて驚いた。空気がひんやりとして気持ちが良かった。さっきまでクーラーをかけて、それでもなお汗ばんで仕事をしていたのは何だったのかと思う。人工的な冷気を起こし、体感温度を下げても、不自然さはぬぐえない。星の少ない、暗い夜が、昼間隠れた秋を探し出す。ほてった体を真から冷ましてくれる入り江の塩の香のする空気は釣り船達のとも綱を放つ。
 体育館から、灯りと歓声が漏れる。大人達がソフトバレーに興じている。1日の仕事の後に童心に帰っている。頭の中を空っぽにして、筋肉を燃やし、汗をかき、捨てれるものを全部捨ててこそ、あの歓声は上がる。その時、愁いは消えて心はボールのように軽くなっているのだろう。
 ハードなスポーツが出来なくなってから、出来るだけ歩くようにしているが、気がついたことがある。僕だけのことかもしれないが、歩いている間は思考がほとんど停止してしまうのだ。まず考え事など出来ない。意識しても出来ないし、意識していないから余計に何も考えない。ただ、この何も考えないと言うことは、僕にとってはすこぶる価値があることなのだ。たいしたことは考えないが、それでも一日中色々な課題に頭を使っている。おおむねそれは楽しいことではなく、どちらかというと神経を使うテーマがほとんどだ。だから、僕は2年前までやっていたバレーボールの底抜けに楽しかった時間(難しいことは何も考えなかった時間)を、ただ一人で歩くことによって疑似体験しているように思う。何とかストレスに押しつぶされないで来れた30年のバレーボールの恩恵を、今歩くことによって得ようとしているように思える。ハードなスポーツと静かに歩くことがもし同じような精神の空白を作ってくれるならこんなに有り難いことはない。僕の体験から来る勝手な理論で、薬局に来る人達にも歩くことを勧めている。
 人工に囲まれて生活していると季節まで数値化してしまう。26度がいいのか27度がいいのか、そんなこと、夜を丸ごと冷やしている自然の営みにとっては何の意味もない。うつむいていては夜も見えない。夜は天空から降ってくる。


2008年09月23日(Tue)▲ページの先頭へ
視線
 裏口を急に開けられ、若い男の声で挨拶されたのでびっくりした。見ると息子が孫を抱いて入ってきた。息子の後ろからもう1人の孫も入ってきた。忙しい仕事に就いているので出来るだけ休日は邪魔しないように妻と心がけているから、なかなか会えないが、今日は珍しく向こうから帰ってきた。滅多に会えないから、孫は僕を見て泣いたし、だっこなんか気の毒で出来そうにもない。そこには、20数年前、僕が演じていた役割を演じている息子がいたし、その息子の役を演じている孫達もいた。僕は職場と家庭が同じ場所だったから、子供達とは十分すぎる時間を共有できた。サラリーマンの息子にとっては、嘗てを再現するのは難しいだろう。どちらがいいのか分からないが、何一つ心残りがない僕は子育てにおいては非常に幸運だったと思っている。だから、息子の子育てには絶対介入しないと決めている。両親の最高の喜びなのだから。何か乞われたときだけ頑張る。それでいいのではないかと思っている。これは他人との関係においても同じことだと思う。クールなお節介を心がけている。頼まれてと、頼まれもしないのにとは同じことをしても雲泥の差がある。まずは本人の自立が大切。それを助けるお手伝いでないといけない。例えば、薬を飲み始めるのがいずれ止めるためであって、一生飲み続けてもらうのが目標ではないことと似ている。
 幼子の清らかな視線で見つめられると心が奥底まで洗われたような気がした。邪気がないとはこのことなのだろう。最も美しい魂が宿っているに違いない。その中に数々の邪念を加えていくことが成長し大人になることなのだろうか。大人になるってことは、美しくなることではないことだけは確信を持って言える。この子達が大人になる頃、空は青く、海は山を写し深い緑で、カモメたちが風に乗り滑空するのか。それとも、海水が岸壁を越えまるで生き物のように町中を這い沈めてしまうのか。
 短い時間だったが、突然の来訪に、曇天の空に突然日が差したような時間をもらった。日本中で、大人達は何百万のあの視線に応えるべきだ。


2008年09月22日(Mon)▲ページの先頭へ
選択肢
 それ以外に選択肢はなかったのだろうかと、外野は何でも言える。正義感を振りかざしてもいいし、評論家を気取ってもいい。もし仮に自分がその立場に立たされたとして、どのくらい高尚な行為がとれるかどうか考えてみたらいい。いやいや、健康で健全なとき、その様な仮定の話は、ほとんど意味を持たないだろう。理解できるはずはないのだから。 孤独は時として、思慮を深めてくれるかもしれないが、人間が社会的な動物としたら、やはり不都合が多い。特に時代が、高速で変化しているときに、個人の力で乗り越えられることは多くない。色々な人の知恵を借りて、あるいは買って対処しなければ到底追いつけない。経済的に置いてけぼりを食うどころか、人間的にも置き去りにされてしまう。
 社会は法律で又裁くのか。やむにやまれぬを裁くのか。そうさせた社会は裁かないのか。助けようとしなかった社会は裁かれないのか。ご近所を、町内を破壊した社会は裁かれないのか。孤独な人間と言葉を交わさなかった社会は裁かれないのか。安全網をいつまでも整備しない社会は裁かれないのか。何もかもひ弱い個人のせいにする社会は裁かれないのか。
 悲しい人の悲しい行為が後を絶たない。思いあまっての出来事が後を絶たない。喜色満面で闊歩する奴らの陰で、多くの不幸が呼び捨てにされる。まるで社会のガス抜きのように。罪を犯しても道徳を踏みにじらなかった気弱な人間を、道徳を踏みにじっても犯罪を犯さなかった人間が、さげすみ哀れむ。
 選択肢を一つずつもぎ取られている人々が、今日も又一人、それ以外を捨てる。孤独で悲しい選択、絶望という名の選択肢。


2008年09月21日(Sun)▲ページの先頭へ
解放
マザーテレサの祈りの中に、「解放」と言うのがある。今日、使いさしの古いノートの間に挟んでいるのを偶然見つけた。もう黄色く変色し始めているから、かなり古いのか、あるいは日に焼けたのだろう。恐らく、子供達のノートを妻が使っていたのだろう。初めて見るお祈りだが、内容が僕自身にも、あるいは僕の薬を飲んでくれている人達にもとても示唆に富んでいるので紹介したい。
 
イエスよ、わたしを解放してください。愛されたいという思いから、評価されたいという思いから、重んじられたいという思いから、ほめられたいという思いから、好まれたいという思いから、相談されたいという思いから、認められたいと言う思いから、有名になりたいという思いから、侮辱されることへの恐れから、見下されることへの恐れから、非難される苦しみへの恐れから、中傷されることへの恐れから、忘れられることへの恐れから、誤解されることへの恐れから、からかわれることへの恐れから、疑われることへの恐れから。

 今日、日程の都合で時間が沢山余ったので、夕方2時間以上商店街で過ごした。そのほとんどをCDやDVDを売っているお店で過ごした。昔ならレコード店というのだが今はなんて呼ぶのか知らない。ただでジャズを一杯試聴させてもらったお礼でもないのだが、偶然ワゴンセールの中に、BB.Kingを見つけたのでそれを買った。980円の値段表が貼ってあった。昔のレコードよりも安いなんて考えられない。喜び勇んでレジに持っていくと、僕ら年配のスーツを着た人が、「変わったのを聴くんですね、1円引いておきます」と言った。一瞬何のことか分からなかった。いや、実は今でも分からない。まけてくれたのだから反射的にお礼を言ったのだが、冷静に今考えても1円と言う額の所以が分からない。金がない中年男性が、なけなしのお金で買ったと思われたのか、2時間近く居座ったのが目障りだったのか。 
 僕は意外とこんな経験が多い。むさ苦しくていやなのか、同情を引きやすいのか、どちらも相手は同じ行動をするので真意の程は分からない。今日見つけたマザーテレサの祈りは衝撃的だった。もしこの通りが実践できたら、なんてすばらしい人生になるだろうと容易に想像がつく。あんなに偉大な人でも、常に自分にうち勝てるようにお祈りしていたのかと思うと、何となく救われる。僕は青春の落とし穴に落ちて、それを克服するために自然と祈りの後半部分は身に付いた。前半の部分は年齢が少しずつ解決してくれていることに気がついている。1円で反射的にお礼を言った。10円だったら満面の笑みをたたえ、100円だったら深く頭を下げるだろう。色々な思いを捨てれば本当に心が軽くなる。自分が自分を許すことが出来るなら、他人の目なんかほとんど価値がない。脱ぎ捨ててこそ光る人格がある。僕の年齢を待たずに、早くこのことに気がついて。さもなければ、僕の、あなた方の青春の躓きが意味をもたない。みんなで解放を勝ち取ろう、自分からの解放。


2008年09月20日(Sat)▲ページの先頭へ
アンジェラ・アキ
 アンジェラ・アキが作った曲(手紙 〜拝啓 十五の君へ〜)が中学生の合唱コンクールのテーマ曲らしい。彼女が唄っているのを聴いたとき、合唱曲になるのかと思っていたが、さすがにプロ。立派な合唱曲になって中学生達が上手に唄っていた。
 合唱コンクールまでの道程をドキュメントで追っている番組が数日前NHKで放映されていた。見た人もいると思うがアンジェラの地元(西宮、尼崎?)、長崎県の離島、東北の小さな学校を取り上げていた。学校の立地によって、恐らく生徒の暮らしぶり、価値観、個性などには相当の差があるのだろうが、全体としてあの年代を理解することが少し出来た様な気がした。
 東北の子は、2人だけの合唱団だったが、まず、共同で一つのことを達成しようと頑張る子供達の輝きがまぶしかった。勿論合唱も美しかったが、大きな口を開け、身体を揺らしてリズムを取っている姿は、唄以上に美しかった。どんどん成長していっている世代しか持っていない生命力に溢れていた。何をおいてもあの時代の生命力は美しいのだ。僕は中学校時代は、都会の高校に進学するためだけに、問題集をがむしゃらに解いていた。誰かと何かをやり遂げるなんて体験は全くない。むしろ人より1点でも多くとることしか頭にはなかった。その後の人生なんて何ら具体的に描けなかったので、直近の入試だけが全てだった。
 未来の、いや3学期の自分に手紙を書いてみてと、アンジェラが提案して、西宮の合唱部の生徒が書いて読みあげた。何人かが読んだが、現代の中学生の心の中に想像以上に重たい雲がたれ込めていることを知った。人間関係の悩みがつづられていて、込み上げる涙で読むことが出来ない生徒もいた。一見快活そうに見えても、みんな必死で演技しているのだ。嫌われることを恐れて。その子を抱きしめるアンジェラもまた、同じような体験を持っている。だから彼女の唄が世代を越えて受け入れられるのだろう。当時の僕などには全く考えられもしなかった心模様なのだが、あの時代にも心を痛めていた仲間はいたのだろう。それに気付くほど僕は繊細ではなかった。と言うより、それに気づくほどの原体験を持っていなかった。その後、それなりに挫折を経験して、少しは人の痛みが分かるようになったが、あのまま旨くいっていたら、どれだけ無意識のうちに人を傷つけて生きてきただろう。
 舞台で唄った後、多くの生徒が泣いていた。やり遂げた後の達成感が一気に爆発するのだろう。泣けるほどの達成感って、どんなものなのだろう。そこまで努力したことがないし、そこまで協力しあったことがないから、想像もつかない。若者達の純粋な涙に誘われて、ブラウン管のこちら側で、もらい泣きをしている姿は滑稽かもしれないが、あの世代の日常こそが、一つ一つの作品のように思えた。何も特別な人でもなく、何も特別なものを持っていなくても、輝いているのだ。一人一人が、異なった表情で、異なった声で輝いている。そこにだけは、太陽の光はいつもさしていて、希望の花が咲く。
 誰の言葉を信じて歩けばいいの・・・・勿論自分自身。誰の言葉を信じてはいけないの・・・お金儲けのために、あなた達の将来を破壊した年寄り達。


2008年09月19日(Fri)▲ページの先頭へ
 台風が南にそれてくれ、風も吹かなかったし、雨も降らなかった。ただ、湿った空気の中に1日中閉じこめられたような気分だった。台風の直撃は免れたけれど、この湿度は、痛みに苦しんでいる人には残酷だ。電話で第一声を聞いただけで、痛みの程度が分かる。かなり強い鎮痛薬もほとんど効かないのだ。一過性のものなら耐えれるだろうが、慢性的に付き合わなければならない病気で、その痛みは辛すぎる。どうして、そんな不運が降りかかったのか。誰にも迷惑をかけずに懸命に生きているのに。
 まれに見る幸運が誰の元に訪れても構わない。多くの人に訪れて、目の前を素通りしていっても構わない。だけど、まれに見る不幸が訪れているのを見るのは忍びない。自分の無力さが手伝って余計つらくなる。恐らく今夜も、何十万、何百万の人達が悲鳴を上げることも出来ず、泣くことも出来ずに遅い朝を待っているはずだ。
 街に住むお偉い方、お願いです。お金をあの人達のために使って。理由無く不運を背負った人達のために。もう何も欲しくないから。欲しがることは失うことだと悟ったから。苦しみを共有できない分、叡智と愛情と経済であの人達を救って。偶然不運を免れている人達の義務だと思うのです。もう、鉄もコンクリートもいらない。安らかに眠れる夜を作って。


2008年09月18日(Thu)▲ページの先頭へ
印象
 そんないい笑顔がでればもう大丈夫だよね。
 夕暮れになって、幼いお子さんとご主人を待っていると、息苦しくなって、じっとしておれず、つい救急車を呼んでしまうんだよね。死んでしまうんではないかと不安で仕方ないんだよね。ばりばりのキャリヤウーマンが一気に家庭の主婦に収まり、朝から晩まで子育てに懸命だったのだから、貴女自身の本来的な能力が生かせなかったんだよね。もうお子さんも学校に通うようになったのだから、再び貴女は自分の現場に帰っていけたんだよね。
 複数のお医者さんが、それぞれ治療してくださったけれど、みんな治療方針が異なってその事自身も不安を増長させましたね。治療方針が異なるのはいいことかもしれませんが、薬物に頼りたくなかった貴女が、次第に薬物が増えるのは、それ自体恐怖でしたね。
 貴女はまずお母さんの病気の相談に来させて、僕の腕を試しましたね。お母さんも貴女のために一生懸命だったのでしょう。僕は貴女を見て、病気だとか病人だとか思いたくなかったのです。今でも思っていません。とても素敵な、誠実に人生を歩んでいる女性が、ちょっと疲れただけ、ちょっと自由が欲しかっただけ、ちょっと生真面目すぎただけだとすぐ感じたのです。
 何でもかんでも診断名がつき、薬がでて、病人になる。そんなものなのでしょうかね。悲しいとき、寂しいとき、不安なとき、昔の人はどうして治していたのでしょうね。悲しみに打ちひしがれ、不安になるのは病気なのでしょうか。薬で治すもの、薬で治るものなのでしょうか。
 貴女は僕はお医者さんとは違うと言いましたね。そう、幸運にも僕はお医者さんほど立派ではないので、貴女と非常に近いのです。貴女が笑えば嬉しいし、不安げになると僕自身も不安なのです。治療している感覚なんてありません。気、血、水を漢方薬で整えることはしますが、同じ悩み多き人生を歩いている単なる同族と思っているのです。僕はパソコンに向いたまま貴女の話を聞く事なんて出来ません。貴女が美味しいコーヒーを飲んでくれ、美味しいパンを食べてくれながら話をしてくれるのを聞きたいのです。
 現代社会は、突出した人達の個性には寛容ですが、地を這う人々の個性には厳しいです。認められなければ、心も身体も悲鳴を上げます。それが病気でしょうか。触れれば涙がこぼれそうになるほどの繊細で不器用な個性が病気でしょうか。傷つけることが苦手で傷ついてばかりいる個性が病気でしょうか。
 貴女のような方と多く接して、最近こんな印象を持っているのです。


2008年09月17日(Wed)▲ページの先頭へ
バトン
 次に電話をかけるのが億劫になった。これが大人の電話の取り方かと情けなくなる。声でしか想像はつかないが、僕よりずっと年上の人もいるし、少し若い人もいた。こう不快な受け答えが続けば業種の特徴かと思ってしまうが、毎回お願いしている中にとても素敵な若い奥さんが2人おられるらしい(チラシ担当の妻の印象)から、あながち職業柄とは言えないのだろう。
 僕の薬局に来てくれるには遠すぎる地域からも、時々尋ねてきてくれる人達がいて、近くに漢方薬が分かる薬局がないから不便だと言われる。毎月僕が作るチラシを薬局で見ていて、家の近くでもまいてと頼まれることが時々あった。そこで今回、近隣にまくのを休んで、その方達の近くにまいてみようと思い、新聞の販売店を探した。ピックアップした10店に順番に電話をして依頼したのだが、10店中、「はい、○○新聞店です」と名乗ったのは2店だけだった。8店は「はい」と答えたままこちらの言葉を待った。いや、何も答えずに受話器を持ったままの店もあった。見ず知らずのところにかけるのだから要点を言う前に「○○さんですか?」とこちらが確認しなければならなかった。話の途中で不安になり、再確認した店もあった。不景気になれば、チラシが増えて、新聞屋さんは潤うなんて事を聞いたことがあるが、この殿様ぶりを垣間見ればなるほどと頷いてしまう。実るほど頭を垂れればいいと思うのだが、僕の年齢の前後の人で、その教訓を知らないはずがない。どこに最低限の礼儀さえ捨ててしまったのか分からないが、何とも不愉快な作業だった。
 別に悪意があるのではないだろうが、どれだけ沢山の人を不愉快にしてきたのだろうと思ってしまう。注意する家族もいなかったのか、あるいは家風なのか知らないが、小さな心地よさのバトンタッチが、そんな人のところで途絶えるのはばからしい。小さな善意が循環してこそ、共に生きる意味がある。小さな感動、小さな親切、小さな善意、人から人に伝わってこそ意味がある。その年にもなって大切なバトンを落とさないで。


2008年09月16日(Tue)▲ページの先頭へ
職人
 今じっと2時間耐えている。分包器が突然動かなくなったので、メーカーの方に来てもらって修理中だ。電話で指示を仰ぎながら挑戦してみたがやはりどうにもならず、プロの手を患わすことになった。もっとも、現場でみてもらったら、ある部品が完全に壊れていて交換しなければならないそうで、素人が頑張ってもどうにもならないレベルだった。見積もりをしますと言われたので、そんなものいらないから、すぐ直してと急かした。調剤が出来なければ、何の意味もないので修繕費がいくらだなんて言っておれない。まして7時までに2人分どうしても作らなければならないので、内心ハラハラしてみている。
 プロはプロ。職業の分化が必然だとよく分かる。色々な器機の故障が相次いだり、色々な手続きが変わったり、およそその道のプロでないと対処できないことばかりで、機械の前でしゃがみ込み、工具を駆使している姿は神々しい。機械音痴の僕としては、特にこの分野の人達の助けは有り難く、思わず下げる頭が深くなる。偉い人には意識してちょこっとしか下げないことにしているが、技術者達には自ずと頭が深く下がる。
 彼らの修練して得たものに比べれば、僕なんかが得た技はしれている。知識と呼ぶほどでないから敢えて技と呼んだが、30年経ってもなかなか確率よい仕事は出来ない。もともと納得がいく仕事というのが感じにくい職業なのかもしれない。達成感を得られにくい仕事かもしれない。「だいぶ良くなりました」とか「まずまずです」とか、およその反応でしか評価されないから。知識人でもない、技術者でもない。漢方の職人になりたかったが、自由気ままに出来る職業でもない。法律に縛られた職業だから、個性もなかなか発揮しにくい。薬の成り立ちを深く理解して、応用問題を解くことを得意とするしかないのかとも思う。
 全ての人に笑顔で接し、沢山の人にファンになってもらう。そんなことが出来ない不器用なところだけが職人になった。


2008年09月15日(Mon)▲ページの先頭へ
ランク
 有名な航空写真家が最も東京らしい光景として上空から写したのが渋谷のスクランブル交差点。テレビで信号が変わる瞬間を上空から写していたが、それこそ、四方から蟻が一斉にこぼれた砂糖めがけて集まるように、人間が一杯複雑に交錯していた。世界でこんなに人間が一斉に渡る交差点はないと言っていた。地上に降り立って、その交差点を訪れた写真家が言っていた。「見えるものは全て消費を促す看板で、それ以外のものは何もない。人はここで群れていれば安心するから集まっているのだろう。得ることは何もない場所だ」と。
 僕はそこに行ったことはないが、同じような感覚にはしばしば陥る。時々勉強会で大都会にも行くが、目に付くのは広告に煽られた人々の大群だ。大仕掛けな消費を喚起する仕掛けに、易々と乗っている人達のように思える。何かを買うこと自体が目的になって、必要最低限のものなどと言う言葉は、改札口に切符と一緒に投げ捨てられる。
 1月に1回だけ肉を食べない日を世界中でつくれば、想像を絶する地球環境に対する貢献になるらしい。たった1日、食べなくても何でもないし、肉どころか、衣服、娯楽、何でも協力できる。いや、もうしている。欲しいものがないのだから、十分貢献している。物は使い切るのが原則だ。物が溢れる部屋より、何もない広い部屋の方が贅沢だ。あらゆる知恵を絞って押し寄せる欲望の波に押し流されないようにしなければ、人生を集めた商品、消費した商品で評価されてしまう。贅沢を演出され、なけなしのお金をそれに費やし、そのお金が集まる人達を贅沢にしてやる必要はない。質素な食事、質素な衣服、質素なたたずまい、それらに満足できる心が一番贅沢なのだ。心の豊かさを測る物差しがあったら、この国はどの辺りのランクになるだろう。さしずめ今の僕は人生のブランクなのだが。


2008年09月14日(Sun)▲ページの先頭へ
即断即決
 目が覚めたらもう昼を過ぎていて、追試、再試の教科の試験は終わっていた。その瞬間1年留年が確定。朝方まで、一夜漬けの勉強をしていて、不覚にも眠ってしまった。でも後悔など全くなかった。その科目の試験をクリアしても、まだまだ一杯危ない科目は残っていて、どうせ避けては通れない部類だから、なんだか留年の正当な理由が出来たみたいで逆にさっぱりした。巷の感覚では、1年棒に振ると言う事になるのだろうが、そんな感覚は全くなかった。向こう1年が、一瞬の感性で決められる。
 その後色々な岐路にたたされたが、判断はそれこそ一瞬の作業だった。即断即決タイプで後悔しても、その後悔を穴埋めできる自信があったから、判断を下す早さだけは衰えなかった。ところがその早さにかげりが出始めている。特に、何か人の役に立てるような場面で、判断が遅くなっている。明らかに正しいこと、人の役に立てれることで逡巡している。何を照れているのだろうと我ながら情けないけれど、小さな善意にすら照れている。なんとかそれを克服して、行為を避けることだけはしないようにしているが、それでも短い時なら、数分、長い時には1ヶ月単位のためらいを経験する。
 それとも、考えるのも恐ろしいが、小さな善意でも、その瞬間に、代償を頭の中で計算しているのだろうか。失うものを計算しているのだろうか。煩わしさ、時間、金銭、労力、何も費やさず、小さな善意もあり得ない。自分の持っている些細な何かを差し出して善意も成り立つ。なのに犠牲にする何かを頭の中ではじき出しているのか。そんな計算尽くのものなら善意ではなく欺瞞だ。
 「はい」と答えてから後悔していた頃の方が余程純真なような気がする。思慮深さと言う便利な言葉の陰に雑念が見え隠れする。


2008年09月13日(Sat)▲ページの先頭へ
26時間
 初めて見る女性だった。車を丁寧に駐車場にバックで入れたから、ナンバープレートで県外の人だと分かった。乗り物酔いの薬を買いに入ってきただけなのだが、栄町ヤマト薬局の水虫薬が目について、水虫の相談を受けた。矢継ぎ早に一杯質問された。普段旅行中の人とそんなに会話をしないのだが、その女性の本来的にもっていそうな屈託の無さに好感が持てたので丁寧に答えた。すると女性は「詳しいですね」と驚きの声を上げてくれた。その驚きの声に驚きそうだったが、「はい、そうです」とも言えず、照れ笑いでごまかした。この程度の知識で喜んでくれるなら、そのナンバープレートの街に引っ越そうかと思う。この辺りの人とは、30年そんな会話を繰り返しているから、もうほとんど評価の対象にはならない。むしろ、白衣が珍しく綺麗だとか、1年ぶりに髪を短くしたとか、字が綺麗になったとかの方が圧倒的に評価を得る。意地でも汚い白衣、意地でもぼさぼさの髪、意地でも実力通りの字で勝負しようと思うが、たまにはよそ行きを強いられることもある。その時の評判がすこぶるいいので、裏切り続けようと思っている。
 飾るといらぬ緊張をして、実力がでないので、あるがままを通させてもらっている。それで不愉快に感じる人は2度と来ないだろう。経済的には良くないのかもしれないが、経済以前の問題もとても大切だ。自分がこの空間で居心地よく仕事が出来ること。ただ居心地がいいだけでは何にもならないが、居心地よく仕事が出来れば、ほんの少しくらいは、痛みを引き受けられる。自分がやられない程度の引き受けが出来る。
 帰って行く後ろ姿を見て、なんとなくその女性が都会に帰るのではないような気がした。なぜだか分からないが、殺気が感じられなかったのだ。1日が26時間位で動く町に住み始めたような気がしたのは素足にサンダルが似合っていたからだけではないだろう。


2008年09月12日(Fri)▲ページの先頭へ
富士山
 選ばれた人達にとって、夢は努力の延長上にあるのだが、凡人にとっては、夢はかなわぬものなのだ。夢は叶えるものではなく、かなわぬものなのだ。その事に気がついてから、夢を語ることは出来なくなった。年齢という便利な隠れ蓑が出来たから、うまく逸らすことも簡単だ。夢も希望も、主語を失い、夢は諦め、希望は傍観者的だ。
 今日、九州の女性と話をしていて、夢はと尋ねたら、照れながら「ささやかだけれど、富士山を見ること」と言った。僕はその言葉を聞いて何か不思議な感覚に陥った。叶う夢があるんだという不思議な感覚。叶う夢を見ればいいんだと不思議な安堵感に襲われた。その女性がとても静かに話す人なので、水彩画のような夢もあるんだと思った。夢は活力に富み躍動感を備えているものと勝手に思いこんでいたから。 
 富士山の麓に住んでいる若い女性に薬を送っていたことがある。彼女は何度か、裏庭からのぞむ富士山の写真をメールで送ってきてくれた。嘗て何度となく新幹線で富士山が見える辺りを通っても なかなか富士山は姿を現してくれなかった。見たくて見たくて仕方ないのに、如何にも無関心を装って、それでも根性で捜しても、ほとんど裏切られた。僕も実は富士山見たがり人間なのだ。静岡県の子はそんな僕の想いを知って、せっせと写真を送ってきてくれた。今はとても幸せに暮らしていて、あれだけ苦しんだ「臭い」も、初めて出来た彼が「いい匂い」と言ってくれるらしい。若いから当たり前の話だが、その当たり前を取り戻すのに、2年間くらい僕と頑張った。
 何気なく教えてくれた「富士山を見ること」を是非かなえてもらいたい。きっと近い内にかなえるだろうが、静かに話す女性が、穏やかに、平和の内に生きていくことを望んでやまない。彼女のように華やかな修飾語が似合わない若い男女が、まだこの国に多くいることこそ希望だ。希望は華やかな合唱によっては運ばれてこない。電話の向こうで始発の電車がホームで眠る。








2008年09月11日(Thu)▲ページの先頭へ
岐阜
 岐阜に住んでいるある女性が、「岐阜駅は確かにきれいになりましたが、そのおかげで?
電車で名古屋に人が流れていってしまってます。昔、あんなににぎわっていた岐阜の街も、今は閑散としてびっくりです。山があり、川がある素敵な岐阜の町も少しさびれかけて、もう少しなんとかならないかと思います。外から見て、岐阜の町はどうなんでしょうか」
と言うメールをくれた。
 内容が意外でもあったけれど、思い当たる節もあった。1年前に何十年ぶりに訪ねた記憶をひもとくと、確かに駅もその周辺も綺麗になっていた。広々とした感じを受けた。名鉄を降りて現代的な歩道橋を渡りJRの駅まで行ったのだが、すれ違う人も少なく、閑散としていた。県庁所在地の中心駅とは思えない印象だった。僕が利用していたのはもう30年前のことだから、当然様変わりしているだろうが、何か無機質になったようにも感じた。嘗ての岐阜駅は、暗くて古くて、それこそローカル駅の様相だったが、人は多かった。
駅裏などはおよそ学生などが近づいてはいけない雰囲気だったが、今は高層のマンションなども建ち、健全な太陽の光がさしていた。
 金華山の下を流れる長良川を毎日バスで往復した。学生は朝、駅から北にある学校へ向かい、夕方南に帰るが、僕は逆の動きをしていた。授業が始まると繁華街(柳が瀬)の方角に行くバスに乗り、夜には大学の方に行くバスに乗った。5年間岐阜に住んだが、見たのはパチンコの台を跳ねて落ちるパチンコの玉だったし、聞いたのは、ボリューム一杯で館内に流れる流行歌だった。今となってはさすがに観光名所の一つや二つ行っておけば良かったと思うが、行ったのは、測量の助手で田圃の中を走り回った郡上八幡くらいだ。そこが盆踊りで有名だとは、岡山に帰ってから知った。
 僕は岐阜にいる5年間で、一生分休んだと思っている。あれだけ怠惰に暮らすことはなかなか出来るものではない。所詮「名ばかり大学生」だから、無限とも思えた時間を徹底的に無駄にした。又、あの頃をくり返せと言われても同じようにしか過ごせないだろう。全く勉強への興味が持てなかった。何のためにが全くなかったのだ。目的のない人生ほど空虚なものはない。何となくこれかと思えるまで10年以上かかった。その何となくが、大学で留年した最大の原因の漢方薬だったから、人生なんて分からないものだ。いやでいやでたまらなかったものが、人の役に立てると思えた瞬間から、いくらでも頭に入ってくるのだ。怠惰に暮らした数年間で頭の中が空っぽになっていたのか、まっとうな暮らしに飢えていたのか、それからは休むことが罪悪のように働いた。大きな波動があるとしたら次は完全なる休憩の波が来るのだが、まだ心だけは働こうとしている。体がついてこなくなっているから、妥協点を見つけなければと思っているのだが。
 大いなる無駄を5年間も、いや浪人してから勉強は止めたので実質6年も経験させてもらったので、期待されない、評価されないことには慣れていた。軽蔑され嫌悪されるのは快感だった。人の目を逆手にとって自由を満喫した。でもそれは鎖で足を繋がれた自由だった。その鎖は、僕の中から伸びていた。人から、世間から自由であり得ても、自分からはなかなか解放されない。
 岐阜を離れてから30年も訪ねなかったのは、想い出したくなかった不自由な自由を封印しておきたかったからなのだ。


2008年09月10日(Wed)▲ページの先頭へ
幻想
 下は幼稚園児くらい、上は小学校の高学年くらいだろうか、女の子ばかりが10人くらいで遊んでいた。大きな子がリーダーらしく、幼い子達がくっついて遊んでいた。僕らが幼いときに毎日のように目撃していた光景だ。下校後、広場では、男の子や女の子がそれぞれ集団を造り、日が暮れるまで遊んでいた。勿論個の遊びはなく、全てが集団でする遊びだった。そんな光景を久しぶりに見たような気がし、懐かしくてしばし駐車場からフェンス越しに眺めていた。
 そこは僕がよく利用する駐車場の傍にある孤児院だ。垣間見るだけだが、子供達はいつもとてもいい顔をして遊んでいる。勿論小さな心の中に秘めたるものはあるのだろうが、少なくとも、子供達の顔に陰はない。お姉さんと間違えそうな若い先生?もまた同じようにいい顔をして世話(遊び?)をしている。どんな理由でやってきた子達か知らないが、少なくとも家庭は平和ではなかったのだろう。
 そもそも家庭が平和なんてのが幻想なのかもしれない。ニュースに頻繁に登場する親子殺人、いやいや孫殺人、いやいや親族殺人、なんだこれは。書くのが恐ろしくなるような現実は、幻想をいとも簡単に粉砕している。恐らく家庭から笑顔は消え、希薄になった空気をあえぎながら吸って耐えているのではないか。沈黙の殺気が窓ガラスをふるわせているのではないか。何が足らなくて、何が多すぎてそうなるのか分からない。何が小さ過ぎて何が大き過ぎてそうなるのか分からない。何がバランスを崩すのか分からない。ただ言えることは家庭に平和は必要だし、平和に家庭も必要なのだ。家族に注ぐ愛情の100分の一でも隣人に注げたら、平和は一歩近づいてきて、注げないなら百歩遠のく。
 孤児院で戯れる子供達に平和は訪れている。一度失ったものを社会から得ている。砕け散った幻想を社会やお姉さん先生が拾い集めてくれている。家庭より家庭らしいところが繁華街を少しはずれたところで、黄色い歓声を上げていた。遠く記憶の彼方から聞こえる幻想と共鳴して。


2008年09月09日(Tue)▲ページの先頭へ
夏休み
 貴女は自分を卑下しています。最悪なヤツではありませんよ。とても素敵な女性だと思っていますよ。貴女が特別他の人と変わった個性の持ち主とも思われません。悩み多き青春期を、鬱々と暮らしているごく普通の青年です。中には晴れ晴れと暮らしている人もいるのでしょうが、その中に加わる必要もありません。どちらかというとそちらの方がまれでしょうから、かえって居心地が悪いかもしれませんよ。楽しそうに振る舞う必要もありません。根暗なら根暗に徹すればいいのです。自然が一番。一緒にいて楽しくない人と一緒にいる必要はありません。その人にとって貴女が必要にないなら尚更です。貴女が必要な人なんて、一生の内で果たして何人出てくるでしょう。職業的な関係は別として、そんな人、果たしているでしょうか。僕は2人しかいませんよ。10年に1度も会わない関係ですが、心の中では30年以上一緒に生きています。一緒に喜んだり、一緒に悲しんだり苦しんだりする関係ではありません。利害も全くありません。恐らくよく似た価値観を、同じ道を歩いて共有したという喜びだけです。いい悪いは別として、一生これで行くぞと言う価値観さえつかめたら青春に優劣はないと思います。青春などと言う言葉に惑わされずに、淡々と生きていったらいいです。恐らく今の貴女より数段怠惰に、無気力に、無目的に過ごした僕でも、その後は何とか生きる場所を見つけてやってこれたのですから、焦ることなく、まるで傍観者のように、巷で繰り広げられる茶番劇を観察し、したたかな価値観を作り上げてください。悪しき先輩としての助言です。僕らはテレビドラマの主役でも端役でもありません。ブラウン管のこちら側で、みそ汁をすする人間です。決して格好良くは生きていけません。、ささいな喜びや悲しみを織りなして生きていくだけです。貴女が閉じこもっている部屋にも、人生を紡ぐ機織りの音は聞こえますよ。
ヤマト薬局


2008年09月08日(Mon)▲ページの先頭へ
ゲリラ豪雨
昨日の午後、恐ろしいくらい雷が鳴って雨が降ったと母が言っていた。僕はその時間岡山にいたが、そんな気配は全くなかった。30Kmの距離は、ゲリラ豪雨という最近の名前をもらった夕立には、遠すぎる距離なのか。
 素人の単なる感想だが、今年の豪雨のニュースは都会が多かったように思う。大都会で自然災害は珍しいが、最近ではしばしば報道されているのを見る。自然災害は田舎の専売特許みたいに思っていた人も多いと思うが、これでやっと、国民全体が痛みを分かち合うことが出来るかもしれない。台風が上陸してもビルや地下街で遊んでおれる人達にも、危機が平等に迫っている事を認識してもらえるかもしれない。都会に住む偉い人達にも田舎の苦労が少しは分かってもらえるかもしれない。でも偉い人達は自然の猛威などではびくともしない安全なところに住んでいるから、所詮関知せぬ事か。
 ゲリラ豪雨なんて特別な名前で呼ばなくても、スコールと言ってしまえばいいのではないかと思う。いずれ亜熱帯になるのだから、突然の雨が日常になっても不思議ではない。先行して雨が降っていると思えば理解が簡単だ。数年前台風で海水が胸の辺りまで家の中に入ってきたときから感じていた。普通ではないと。その普通ではないが日本中で、都会でも田舎でも起こっている。これでもなお、多くを生産し、多くを消費する人間は普通ではない。
 老犬のクリは視力も聴力もかなり衰えているので、雷を恐れなくなった。クリには光もしないし、雷鳴も轟かないのだろう。苦手な犬が道路を歩いていても気がつかなくて吠えないし、猫がえさを狙っていても動じない。傍で見ていたら、ずいぶんと犬(人間)が出来たなと感心するが、要は情報が全く入っていないのだ。あの悟りきった雰囲気をちょっとでも真似できれば、僕も達観した薬剤師に見えるのだろうが、過敏気味の僕の五感は、くだらない情報を掃除機のように吸い込んでしまう。見なくていいものを見、聞かなくていいものを聞いている。良いものは、本当に価値あるものは謙遜だから、目をこらし耳をすまさなければ見ることも聞くことも出来ない。


2008年09月07日(Sun)▲ページの先頭へ
交通費
 薬剤師会の代議委員会に出席したら、交通費として5000円もらった。働かなくてお金がもらえることはこれ以外にないので、何か買ってやろうと最初から考えていた。ひょうたんから駒のお金は、あったらいいけれど無くても何とかなるもの、そんなものに使うに限る。帰り道の商店街に、大きな楽器屋がある。そこでギターのカポを買った。最新式のカポで数日前鍼の先生が使っているのを見て、狙いを定めていた。
 カポが意外と高くて、夕食にラーメンを食べることにした。時々行く中華料理店で食べていると、僕より一回りも二回りも大きい人達が沢山いて、一杯注文している。運ばれてくるのを眺めているだけで、その脂ぎりように胃袋が重くなってくる。美味しそうに口に運ぶ人達を見てなんて生命力の持ち主なのだろうと思う。余程好きなのだろう。若いときだって、あれだけ食べれただろうかと自信をなくする。
 愛の反対は憎しみだと思っていた。ところが愛の反対は無関心なのだそうだ。僕は今日中華料理店の中で大いに愛を実践した。お客さん達が口々に注文する料理の名前と実際が関連づけられなくて、運ばれてくるものをのぞき見しては、内容を覚えていた。無関心どころか、興味津々でこれ以上の愛の実践はない。
 無関心だったのはむしろ代議委員会の方だったかもしれない。来春から、余程の薬でない限りどこででも売れるようになる。何十年も、細心の注意と、エンドレスの勉強をして従事していた業務が、いとも簡単に他業種に移る。今までの努力が何だったのかと思うが、規制緩和という誰かの利益のために、国民の薬への正確なアクセスが混乱する。最近、しばしばヤマト薬局を利用してくれる男性がいる。テニスで焼けた健康そうな肌も、皮膚病の宝庫みたいになっている。ベンツでやってくるから、恐らく定年後に風光明媚な牛窓に越してきた人だと思う。その人が言うには、今まで結構この皮膚病にお金を使ってきた。一杯薬を買ったけれど全然効かなかった。だけど、ここに来てから、症状を確認して、薬を出してもらったからほとんど治った。やっぱりこんな薬局でないといかんな。ところが都会にはもう無いんだよなと。
 薬剤師会を構成する薬剤師もほとんどが、調剤薬局の人達になった。医師の処方箋で薬をつくる薬局だ。だから、今度の規制緩和もあまり影響がないらしく、動揺はない。僕は、医師にも、カウンセラーにも、宗教でも救えない人を沢山知っている。それらの人達はいったいどこに行くのだろう。その事に薬剤師会が無関心すぎるのではないかと思った。町の薬局だからこそ、細かい目が配れて、医療の世界から落ちこぼれる人を救えるのに。経済さえ保証されればそんなことはどうでもいいのだろうか。権利を失うのではなく、小さな愛を実践できる機会を失うことに思いをはせていない。所詮業界団体だからそんなことを期待するのは無理なのか。
 どこまで時代遅れで頑張れるか分からない。でも、僕のところにやってきたり接触してきてくれる人に無関心ではおれない。だって、気の毒なほど繊細で、不器用で、愛すべき人達ばかりなのだから。大切にして欲しい個性そのものが、重荷になっている人達ばかりだから。腰痛持ちの僕だから半分荷物を引き受けることは出来ないが、傍を遅れて歩くことぐらいは出来るだろう。


2008年09月06日(Sat)▲ページの先頭へ
冗談
 以前薬を送っていた人からメールがあり、ある資格試験に合格したらしい。試験会場ではお腹のことが心配だったらしいが、始まれば問題を解くことに集中してお腹のことは考える余裕もなかったそうだ。次の挑戦もちゃんと決まっていて、恐らくその準備にもう入っているのではないかと思う。
 テレビの映像で偶然見る機会があるくらいの遠い地で、懸命に生きている人がいる。無数の人の中から拾った大切な小さな石をいくつも僕はポケットにしまっている。商店街を歩くとき、電車に乗るとき、車に乗って橋を渡るとき、ふとまだ知らない人のことを思う。澄み切った秋の空は幸せ人を連想させ、曇天の空は失意の内に部屋に閉じこもる人を連想させる。
 笑顔が少なく、いつも何かと戦い続けている人に笑いを届けたい。身体から力が抜ける瞬間を味わってもらいたい。緊張を強いられている人に、一瞬の隙を作ってもらいたい。強固な守りを固めても、攻めるのと同じ緊張を強いられる。戦いを一瞬でも忘れてもらいたい。
 空腹で倒れる人に届けるものを持ってはいない。渇きで倒れる人に届けるものを持ってはいない。寒さで凍える人に届けるものを持ってはいない。爆弾で飛び散る人に届けるものを持ってはいない。大きなものは何も持ってはいない。志は振ればカラカラと空虚な音がする。ただ僕にあるものは、破れたジーパンやTシャツに似合うほつれた冗談。三角に笑って四角に泣く。


2008年09月05日(Fri)▲ページの先頭へ
 何を恐れているのか、何を気にしているのか知らないが、いやな夢を見た。想像力たくましいが、僕が見た直近の映像などにその種の要素はない。思い当たることがないのだ。漠然とした恐怖や不安感が静かに心の奥深くを流れていたのだろうか。
 あれは明らかに、アメリカ軍だ。牛窓に上陸するから皆逃げろと言うことになった。いつの時代の兵隊か分からないが、確かに言えることは場所は牛窓って事だ。上陸場所が、牛窓港の沖だったし、僕が逃げ回ったのが、造船所跡地や、中学校の傍の入り江だったから。隠れたのも中学校の校庭の中にある浄化槽だったり、漁船の中だったりしたから。大仕掛けな夢にしては逃げ回った場所が如何にもローカル的で、僕の散歩道だ。しかし、見つかれば撃たれると言う夢の中の設定は、結構迫力があって必死で逃げ回っていた。何十年前の沖縄の人や、現代の戦場にいる人達はこんな恐怖を味わったのだろう。夢のなかでも恐ろしかったのだから、実際の恐怖は想像を絶する。
 この10年くらい夢を見ない夜はない。別に悪夢を見るわけではないから、うなされることも滅多にないし、汗びっしょりで目覚めることもない。ただ言えることは、眠っていてもいつも頭のなかが働いているみたいで、それも甚だしく非生産的に空回りしているみたいで、熟睡感がまるでない。朝には疲労感はとれているから問題はないし、すぐ活動できるから便利と言えば便利だが、睡眠までが貧乏性かと我ながら情けなくなる。
 問診で「夢は?」って質問することがよくある。「あまり見ません」とか、「よく見ます」とかの返事が返ってくるが、中には「○○になること」とか「○○へ行くこと」などと将来のことを答える人がいる。又「そんなものありません」と寂しげに答える人もある。たった一つの質問で、その人の現在がよく分かる。消すに消されぬ過去を背負い、無いと答える人には、夢は将来を開くものではなく、眠ってまでも解放されない場末の緞帳の臭いでしかないのだ。
 「夢は?」「はい、夢を見なくてすむこと」


2008年09月04日(Thu)▲ページの先頭へ
この場を借りて
 色々試みてみたが、結局出来なかった。だからこの場を借りて返事をする。
 昨夜、ブログのトラックバックと言うところに、質問があった。その欄は、意味不明の内容ばかりが入ってくるので、反射的に消去しているのだが、偶然真面目な文章だと言うことに気が付いて、消去せずにすんだ。もし消していたら、返事も書かない人間に思われてしまうところだった。実は僕は「返事魔」なのだ。出来るだけ返事は完璧を期し、出来るだけ最後は僕の返事で終わりたいと常日頃思っている。ところが中には僕と性格がよく似ている人がいて、どちらかが諦めなければ終わらない関係の人もいる。最近は少しその辺りに融通が利くようになったので、僕が読んで終わりにする関係も幾分か増えてきた。 前置きが長くなってしまったが、トラックバックの質問には同じような形式で返せるのではないかと試行錯誤したが結局出来なかった。だから、僕のブログを読んでくれている人という前提でこのブログのなかで返事をしようと思っている。是非目を通してもらえればと祈る気持ちでいる。薬が効かなくて裏切るのは実力の問題だけれど、返事を出さないなんて礼儀知らずもこの上ないから、それだけはしたくない。
 さて、質問の「漢方薬はずっと飲まなくてはならないか」について。答えは簡単。そんなことはない。だいたい、この程度ならもう大丈夫と言うところで僕の薬局では全員止める。逆説的な言い方になるが、「薬は止めるために飲み始める」と僕はいつも答えることにしている。何かの不調を抱え、薬に頼らざるを得ないが、最終的にはその薬が不用になって、元気いっぱいになることが目標だ。ずっと飲むと言うことは完治していないと言うことだから、世話をしている方としては敗北なのだ。薬も止めて、好き勝手に人生を謳歌してくれれば初めて、良い手伝いが出来たということになる。ずっと飲むというのは、医療者側の財布を考えての勧め言葉だと思う。医療者側を豊にするために、胃袋を薬の最終廃棄物処理場にしてとは言えないだろう。まして漢方薬に限って言えば、どんどん生産が減って品薄が心配されているご時世に、治った人まで飲まないで欲しい。本当に困っている人に譲るべきだ。だからコマーシャルで痩せる何とか、痛みに何とかなどと煽って、効きもしない漢方薬を症状を詳しく聞きもしないで売りつけるなんて言語道断だ。漢方薬を一部の富裕層しか飲めなくなる時代を、今の資本家がつくっている。今儲かれば、将来の庶民が、治療の選択肢を狭められても何とも感じない人達が跋扈(ばっこ)している。石油、食料、森林、皆同じ事が言える。
 運動療法、食事療法について教えてと言うことだったが、何のトラブルか分からないのでこれには答えられない。出来ればメールアドレスの方に質問を送ってもらえれば答えられると思う。もし過敏性腸症候群の質問なら、どちらも頑張らずに好き放題する方がいい。どちらも悪化要因にはなるかもしれないが、それで改善するほど簡単なトラブルではないから。
 強いて言うなら、僕は笑いながら治すと言うことを提案している。笑えって言っても笑えないから、「不真面目に真面目に治す」と言った方がいいかもしれない。僕は不真面目な真面目人間だし、真面目な不真面目人間だ。直接訪ねてきてくれた人達は判断に苦しんだのではないか。子供達が心配してくれるが、こんな僕が何とか精神的にもっているのは、相反する性格を持ち合わせているから、あるいは実行しているからなのだ。生真面目に病気と闘っては負ける。
 まだ見ぬ人、答えになったかな。きっとあなたはとても苦しんでいるのですね。だけど、本来治るトラブルで苦しまないでね。治らないトラブルで苦しんでいる人の為に是非克服して、あなたの優しさや能力を使ってね。


2008年09月03日(Wed)▲ページの先頭へ
気配
 短い廊下の突き当たりのふすまを開けると、すでに8人の鍼の先生が狭い部屋にくっつくように座っていた。男ばかりで会話も弾まなかったのか、開けるまで人の気配はしなかった。牛窓での無料体験会を終えて、隣町での打ち上げに誘われた。如何にも民家の2階と言う造りの部屋に入ったのはいつからだろう。北側に面して日当たりが悪く、家の臭いがする。嘗てこの光景を延々と繰り返していた。出口のない洞窟に閉じこめられているような日々だった。だらしなく寝転がり、煙草を吹かし、その日その日を怠惰に塗りつぶしていた。
 8人とうち解けるのに時間はいらなかった。そもそも鍼の先生になるくらいだから、王道を歩いてきた人などいない。どことなく生真面目で、どことなく不器用で、どことなく斜に構え、どことなく生きているような人なのだ。僕の小さな手伝いをとても喜んでくれ、僕も会の小さな成功をとても喜んだ。
 弟子を一杯抱え、多くの有名人を治療する。時にマスコミの取材を受け、神の手などと評される。そんな特別はどうでもいい。ごく普通の人間は、財布の中身と相談しながら、やっとの事で治療にいけるのだ。そんなこと分かっているから何とか治したいと懸命に努力する。どこどこのおばちゃんが、どこどこのおじいさんがやってくるのだ。一生懸命働いたおつりが腰痛や関節炎なのだ。必死で育てた子供らは都会に出て立派にやっているが、盆も正月も帰ってこない。老夫婦がやっとの事で田畑を守っている。そんな不器用な子育てをした人を治すのだ。治って欲しいと思う心が治すのだ。想いがあれば勉強する。勉強すれば腕が上がる。ごくごく普通の道理が狭い部屋で料理に箸を伸ばす。
 全員がいい顔をしていた。山を裸にせず、田に水をひき、空気も水も守る。おまけに人情まで守って、風景は織られていく。スポットライトはあたらない。喝采も起こらない。ためらいがちな夕焼けにせかされるように、僕は彼らと別れた。又きっと会うなと強い予感のなかで。


2008年09月02日(Tue)▲ページの先頭へ
失敗
 これだけ役に立つならもっと一杯失敗しておけば良かった。裏目裏目で成功体験はあまり無いから、その種の体験が役に立つかどうかは知らない。そもそも色々な勉強会に行っても、自分とは遙かにかけ離れた立派な人や成功者の話ばかりで、最初から拒否してしまう。余程運が良かったのだろうとか、境遇が良かったのだろうとか、うがった見方ばかりして、勉強や努力をしました辺りの肝心なところは器用に聞き逃す術を身につけてしまった。優秀な生徒には優秀な先生が必要なのだろうが、僕らほとんどの人間はごく普通の生徒だから、そんなに高級な先生も話題もいらない。ごく普通の言葉で、ごくありふれた話を語ってもらえば理解できるし、気持ちも傾く。ラーメンがご馳走と思っている人間にフルコースは惨めな後口しか残らない。
 話す言葉もよそ行きはいらない。普段ブレーキなしに出てくる言葉でいい。一言一句吟味しながら話されたりすると、その計算ずくの向こうのことまで思いをはせてしまう。取り返しのつかないライブ感がいい。修正の利かないところに真実が覗く。それしか信じられないし、又それだけを信じる。
 我慢しても頬を伝って落ちてくる涙に優る言葉はない。涙の池に奇跡の笑顔が咲いたとき幸せが突然降ってくる。微笑みよりも顔を一杯崩した笑いがいい。気取ったって、人に好かれるわけでも尊敬されるわけでもない。満腹になるまで失敗し、ちょっとだけこそっと成功すればいい。ねたまれない程度にちょっとだけこそっと幸せになればいい。失うのが怖いほど幸せになる必要はない。



2008年09月01日(Mon)▲ページの先頭へ
舞台
 貴女が突然僕の前に現れたのは、去年の9月5日です。それを知ってか知らないでか貴女が再び来たのが今日ですから、まさに丁度1年ぶりの再会になります。あの時貴女はセーラー服でやってきた。学校に行けなくてうちに来たのでしたね。貴女は幼くてとても小さな女性のような印象を持っていました。ところが今日貴女が薬局に入ってきたとき、大人のように見えたことと、身長まで伸びて、大きな女性のように感じたのは何故でしょう。それがまず一つ驚いたこと。もう一つは、貴女がまだ大学に行っていたことです。後者の方は不安なメールが多かったのでもうてっきり辞めているものと思っていました。ところが貴女がつらいながらも大学に通っているのを知ってとても嬉しくなりました。今日は薬剤師が一人多かったので一杯話が出来ましたね。これも何かの縁ですよ。貴女の話を一杯聞くように何かの力が働きかけてくれたのかもしれません。おかげで僕も新しい貴女の情報が入ったし、よりいっそうの治し方も気が付きました。過敏性腸症候群は治るもの。僕の薬局の中にいたらそれが信じられるでしょう。これからは貴女が一番苦手な避けている空間で克服していきましょう。出来ないはずがありません。完治への通らなければならない道ですから。
 自分の薬を自分でつくってどうでした。楽しかったでしょう。一杯の生薬が貴女を解放してくれますよ。これだけの薬草とこれだけの手間で薬は出来ます。治りそうでしょう。自然に備わっている貴女みたいな若者の治癒力を信じましょう。そしてこれからは遠慮しないで、しばしば遊びに来たらいいです。夢もしっかり聞いたからそれに向かっていきましょう。夢を持てない世代からしたら、うらやましい限りですよ。だから応援したくなるのです。
 薬をつくっているときに気が付いたのですが、さすがに背筋が伸びて綺麗な姿勢でしたね。なかなか難しいのですよ。努力が生きていますよ。いつか貴女が舞台に立つのが見れたらどれだけ嬉しいでしょう。貴女のように若い女性が、振り返った過去の重みで涙するのを僕は受け入れられません。笑顔が似合う貴女です。貴女を大切に思う人間が電車に乗れば1時間ちょっとの所に住んでいることを忘れないでね。


   


漢方薬を初め天然素材の薬を用いて、さまざまな慢性疾患の回復をお手伝いします。
お店のホームページ
お問い合わせフォーム

☆★ FAXで漢方相談 ★☆
※漢方のご相談は「漢方相談FAX用紙」を印刷し、ファックスもしくは郵送でヤマト薬局までお送りください。

新着エントリ
行動的 (3/25)
上郡 (3/24)
不快 (3/23)
狡猾 (3/22)
激情 (3/21)
手遅れ (3/20)
電話 (3/18)
卑怯 (3/17)
(3/16)

新着トラックバック/コメント

■店舗名■
有限会社 栄町ヤマト薬局

■住所■
〒701-4302
岡山県瀬戸内市 牛窓町牛窓4808-3

■連絡先■
[TEL] 0869-34-5466
[FAX] 0869-34-6017
[E-mail] ご相談はこちら
[URL]

カレンダ
2008年9月
 
       

アーカイブ
2006年 (266)
4月 (25)
5月 (29)
6月 (31)
7月 (30)
8月 (31)
9月 (29)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (30)
2007年 (354)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (30)
4月 (31)
5月 (30)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (22)
11月 (29)
12月 (31)
2008年 (366)
1月 (31)
2月 (29)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2009年 (364)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (29)
12月 (31)
2010年 (364)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (30)
11月 (30)
12月 (31)
2011年 (364)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (29)
12月 (31)
2012年 (365)
1月 (31)
2月 (29)
3月 (30)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2013年 (366)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (32)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2014年 (365)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2015年 (364)
1月 (31)
2月 (27)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2016年 (365)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2017年 (84)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (25)

アクセスカウンタ
今日:1,452
昨日:4,954
累計:6,133,331