栄町ヤマト薬局 - 2008/08

漢方薬局の日常の出来事




2008年08月31日(Sun)▲ページの先頭へ
後ろ姿
 4人の後ろ姿。左から段々右側に低くなっている。左端が恐らく僕より一回りくらい若いお父さん。その次がお父さんの背に迫っている中学生の男の子。その次が男の子に抜かれたお母さん。そして右端が、今日聖体式と言って、キリストの身体を象徴するパンをいただける資格を得た小学生の女の子。白い服に青の帯を結び頭にレースのベールをかぶっている。2ヶ月間神父様に付いて勉強をし、やっと許された資格。今日からは大人と同じように「キリストの身体」をいただける。
 その光景を後ろから見ていて込み上げてくるものがあった。それはきっといつか見た光景、いや、いつか演じた光景に違いないからだ。ある時期、15年間位を、今日見た光景のように過ごしたはずなのだ。背中からささやかな幸せがにじみ出ていた時代があったはずなのだ。僕はすでに、2万ページの読み人のいない小説を書いているのに、わずかの登場人物さえ、幸せに出来ていない。ほんの少し成績が上がり、ほんの少し良い仕事を得、ほんの少し健康であるように願ったが、全て得ることばかりで、分かち合う喜びを願うことはなかった。年齢と共に、心さえも枯れてくるようになって初めて無欲の心地よさが分かり始めたが、多くを望み多くを手放さなかった日々は、あの後ろ姿にも投影しているに違いない。
 午前10時と午後4時に、同じ土手を車で走った。河原に一杯自転車を並べ、高校生らしきブラスバンドが行進の練習をしていた。金管、木管楽器を吹きながら、黒色で統一されたジャージが不揃いな行進をしていた。あの高校生達は、少なくともあの河原で6時間行進の練習をしていたはずだ。その間僕は、読むに耐えれぬ1ページを、岡山の街が一望できるビルの最上階で塗りつぶしていた。居心地の悪さはその高さの故ではない。
 負け惜しみのようなジョッキを嬉しそうに傾ける昔懐かしい人達の所に帰っていった。


2008年08月30日(Sat)▲ページの先頭へ
どこかで誰かが
 色々な行事の時に、お腹が鳴ったらどうしようなどと考えるようになったのは、貴女が着実に大人の階段を上ってきたと言うことです。貴女がずっと幼いままでいたらこんな事に突き当たって悩んだりしません。誰もが通る最初の関所にたどり着いたと言うことです。それは自我の目覚めとでも言いましょうか、あるいはナルシシズムの目覚めと言った方がよいかもしれません。自分のことがとても大切になり、今まで考えもしなかったことまで想像し、喜んだり残念がったりするのです。この心の変化はとても大切で、これがあるからこそ頑張りも利くのです。少しでも良いところを見せようとする、これが青春前期の活力の源泉だったりするのです。早かれ遅かれ誰もが一度は通らなければならないものです。自分だけが陥る特別なものとは考えないでください。ひょっとしたらもう経験している人もいるかもしれないし、来年の人もいるかもしれません。僕は高校2年生でした。とてもつらかったけれど、薬剤師にならなければならなかったので、なんとかごまかしながら卒業しました。当時は本当につらかったけれど、この経験が後の薬剤師人生にとても役に立っています。
 人は、何か特別なことに遭遇すると戦闘状態になります。脱糞して身体を空っぽにしたり、血圧を上げハイな状態にしたりします。戦うときは体を小さくしますね。のけぞったりはしません。その時お腹もファイティングポーズになり、ガスが入っている腸(器)が小さくなるため、相対的にガスが大きくなったように錯覚し、痛みになります。実際にガスが突然沢山発生するのではありません。お腹の筋肉を緩め器を再び大きくすれば貴女の苦痛は軽くてすみます。これは今まで沢山の人をお世話して僕が勝手に考えた理論ですが、治った人が多いですから結構あたっていると思います。貴女にもその様な薬を考えました。また、肝っ玉がすわるような処方も考えました。知らないうちに今の悩みが薄らいできます。貴女にもきっと夢があるでしょう。漢方薬の力を一時借りながら夢を実現させてね。お腹なんかで夢を諦めるのはもったいないですから。


2008年08月29日(Fri)▲ページの先頭へ
作曲
 決めた。今日貴女と会って話をしているときに決めた。僕は薬剤師を辞めて歌手になる。貴女が作曲してくれる唄を歌う。貴女のデビュー作品にしてください。出来るだけ軽薄で、根っから明るくて、誰もが親しみを覚える歌詞を考えますから、売れるような曲をつけてください。大学で作曲を学んでいる貴女の助けがあれば、この僕でも何とかなるのではないでしょうか。そうなればバラ色の人生が待ち受けています。お金も名声も手に入ります。念のために今からサインの練習もしておきましょうか。
 どうですか、この不愉快な文章。僕には耐えれません。貴女が自分にないものをあげたとき、そのないものこそが貴女の素敵な個性だと言いましたね。貴女にないものを備えている人なら、この文章のようなことを平気で口に出すことが出来るでしょう。僕は、貴女があげた自分の欠点こそが、貴女の魅力だと思います。明るく振る舞うこともありません。正直に振る舞えばいいのです。悪い噂を恐れてはいけません。人は内容よりも噂を流している人を評価しますから。人に無分別に合わす必要はありません。合わないところがあるから個性なのです。僕や僕の家族が、貴女と楽しい時間を持てたことが全てを表していると思いませんか。クリもモコも貴女を歓迎していましたね。モコはともかく、クリが何ら警戒することなく貴女の手をなめたのには驚きました。
 貴女が憂いている症状が実際にはないことは明白です。後は僕の漢方薬で貴女の肝っ玉がすわること。今日話した内容を精査し科学的に判断する癖をつけること。それで治ります。貴女がいる間、僕は何度「もったいない」を繰り返したでしょう。外部から入ってきた間違った知識で何年も苦しんだのです。僕や貴女と同じ苦しみから脱出した娘の体験談がこれからの貴女のこのトラブルへの認識の役に立てれば幸いです。敵は自分の心の中にいますから、正しい知識で立ち向かわないと勝てません。貴女はもうすぐ治ると感じた僕はちょっと楽天的ですか。帰りの電車のなかでもう治りませんでしたか。
 貴女が有名になったらサインをくれる、これは覚えておいてね。


2008年08月28日(Thu)▲ページの先頭へ
 それは1本の電話から始まった。なんて書き始めるとまるで小説のような出来事が起きたのかと思うが、そんなに衝撃的でもないし、高級でもない。
 母は、毎日午後から僕の薬局にやってくるが、今日やってくるやいなや「怖かった、だまされるところだった」と言った。顔が引きつっているから何があったのだろうと一気に心配になった。1ヶ月前に初めて、一昨日2回目、昨日3回目。それぞれ違う人から電話が入ってきたらしい。毎回違う人だったらしいが、要件はどれも同じで、市の社会福祉協議会の人間だが、一人暮らしの老人の家を回り、話を伺っているというのだ。その為に訪問しても良いかという内容だったらしい。午後伺うが場合によっては夜になるかもしれないと言うのだ。勿論気にかけてくれているのだから母は快諾している。
 今日の昼、偶然母の家を訪ねた兄に、母がその経緯を喋ったらしい。兄は何か腑に落ちないものを感じたらしく、実際に社会福祉協議会に電話して事の真意を確かめた。するとそんな予定は無いという返事だった。一連の電話が何か良からぬことを目的にしていることは想像が付く。色々考えたあげく、警察に電話して指示を仰ぎ、近所の人には協力をお願いし、夜は僕がその訪ねてくる人物を待つことにした。
 午後3時頃、あるところから薬局に電話があった。昨日訪問する約束をしていたのだが、お母さんが留守で困っているという。ここまでやるかと思いながら、僕は探りを入れてみた。どうやら昨日も一昨日も電話を入れている。母の言うように異なる人物かららしい。通帳と印鑑を用意しておいてと、あからさまに要求するから何とかうまく接触して捕まえてやろうと思って、用意しておくから薬局の方に来てと言った。すると来るというのだ。無警戒な奴だと思いながら待っているとすぐに来た。
 工事服を着ていたが外交員のように愛そうはいい。名詞をくれて自己紹介したがそんな会社は知らない。何でも一人暮らしをしている老人の家に、緊急の電話装置を設置している会社で、市に依頼されてやっているらしい。母も最近加入したので、その支払いを引き落としでするための手続きに来たという。顔をじろじろ見、ネームプレートを悟られないように見、車を確かめ、名詞の電話番号を確認し、インターネットでその会社を検索し、そこで初めて今日の出来事が、母の勘違いと僕ら家族の早とちりと分かった。何でも今まで無料だったものが市の財政難で有料になりその手続きの代行に来たというのだ。福祉関係は全て社会福祉協議会と母は理解しているみたいだ。根ほり葉ほり尋ね、時間を稼ぎ、仕事の能率をすこぶる落としたうえでやっと署名捺印した書類を持って、彼は礼を言って帰った。こちらがどれだけ猜疑心に満ちた顔で対処していたか分からないが、その無神経ぶりにきっと驚いただろう。
 こんな田舎でも、老人が結構被害を受けている。こんな田舎でもと言うより、こんな田舎だからこそと言った方が正しいのかもしれない。未だ鍵をかけずに外出したり寝たりする家があり、ご近所とものを分け合って暮らしている。人を疑うことが苦手で、頼まれればいやとは言えない。断り下手で引き受けてから後悔する。もうこれが最後と言いながら、又引き受ける。こんな祖父母や両親を多くの人が田舎に残している。いや自分の意志で残っている。足腰が弱り、病気がちでも懸命に生活しているその人達から奪えるはずがない。 早とちりは恥ずかしかったが、今日は偶然予行演習が出来た。いつ起こっても不思議ではないが、やはりいつまでも鍵がいらない町であって欲しいと思う。こんなことを心配していたら心にまで鍵をかけなくてはならなくなるから。


2008年08月27日(Wed)▲ページの先頭へ
バス通学の貴女に
・・・・最近すごく実感してきました。こんなに早くに結果がでてくるとは、、、何ヶ月か前までは憂鬱でしかたなかった就職活動に希望が持ててきました!恋愛もやっと頑張れそうな気がします笑。また何かあれば報告します!本当にありがとうございます。。。。。!

「おめでとう、よかったね」まるで、受験生が合格したときにかける言葉を今かけています。内容は異なるけれど、この言葉がやはり自然なような気がします。受験勉強から解放される喜びはひとしおです。その解放感と似ていませんか。目が覚めてから眠りに就くまで1日中不安で、心が安まるときがありませんでしたね。でもこれからはもうお腹のことを考える必要はありません。ごく普通の日常が、何年ぶりかに貴女のものになります。このごく普通が欲しかったのですね。でももう貴女のものです。バスにも安心して乗れますね。景色も見ていなかったのではないですか。もう居眠りも出来るらしいから安心ですね。そんな無防備な貴女を半年前は想像も出来ませんでしたね。就職活動も是非貴女の望む選択をしてください。お腹を中心にした消去法はもう必要ありませんね。恋愛も、これで何のハンディーもありません。ただ、強くなってはだめですよ。男はちょっと弱々しい女性が好きですから。元気になっても、少し弱そうに振る舞ってください。俄然大切にされますから。多くの完治した人が言うように、そのうちどんな症状で苦しんでいたかさえ忘れてきます。でも、多感な時期、この苦しみを通して得た心の有り様は忘れないでください。このつらいトラブルのおかげで、貴女は恐らく謙虚を学んだし、人を傷つけてはいけないことも学んだはずです。こんな当然のことも、幸せ一杯の青春を送ってしまえば気づくこともありません。何よりも優先されるべき価値観なのですが、貴女は大きなものを失いそうになったから身に付いているはずです。このトラブルを克服した貴女は謙遜と勇気を兼ね備えることが出来ます。はい上がった人にしか与えられないものです。恐れを知らない人の勇気ほど破壊的なものはありません。恐れを知った謙遜な人の勇気は、人を救うことが出来ます。回りにいる、陽の当たらない人を貴女なら見つけることが出来ます。貴女がまず幸せになり、幸せの小さな波紋を拡げてください。そしてこれからは与えられることよりも与えることを心がけてください。貴女の青春の一時期に関われたことを幸せに思います。職業柄、縁が出来るのは好ましくありませんが、又僕が必要なことがあれば遠慮せずにいつでも連絡してください。幸せにね。
ヤマト薬局


2008年08月26日(Tue)▲ページの先頭へ
唄う鍼灸師
 僕が初めて鍼治療をしてもらったのは、牛窓に帰って間もない頃だと思う。兄の友人が岡山市で開業していた。2才違いなので、こちらも若かったがあちらも若かった。腕が良かったのだろうか、背中に鉛を打ち込まれているような鈍痛が1回の治療で奇跡のように消えた。その後痛みのトラブルになるとまずその先生を頼り、その都度治った。その頃から僕も漢方薬を勉強し始めて、頼ることは次第に少なくなったが、鍼治療の魅力は今も変わらない。ほとほと困ったときの緊急避難場所だ。ところが困ったことに、年齢と共に先生も腕を上げているはずなのに、あの若かった頃のようには効かない。奇跡的に効いていたのがじっくりとしか効かなくなった。その理由は至って簡単だ。僕の肉体が数段衰えているのだ。自然治癒力に溢れていたあの頃のように肉体が一瞬にして復活するのは期待出来ない。まあ、ゆっくりでも何とか元に戻れば幸運と思わなければならないだろう。
 今度の日曜日、鍼の先生が5人ほど牛窓に来る。真面目な患者の僕としてはこの上ない喜びなのだが、不運にも法事と重なって、鍼治療のはしごが出来ないらしい。出来れば全員の先生に鍼をうってもらって、それぞれの技術を体験したかったのだが。無料体験会の後、牛窓で打ち上げをするらしいからそれには根性で間に合わせる。この体験会を牛窓でやるように企画した鍼の先生とは、僕が30代の頃、牛窓に流れてきて一緒によく遊んだ。歌が好きでよく唄っていたが、牛窓を出て何年後かに再会した時には、それこそ「唄う鍼灸師」になっていた。僕の回りには、唄で食っていける人間は一人もいないが、それこそいつまでも唄から逃れられない青春の後遺症みたいな人が多い。どうもこの後遺症には自分の鍼は効かないようで、つい最近も僕にギターの弦をくれたりする。後遺症仲間に引きずり込みたいみたいだが、そんなことされなくても僕には立派な現役の頸椎ヘルニアがある。
 30年間、職業柄多くの人と会話した。勿論薬局に来てくれる人だから、どこか不調を抱えている。田舎の薬局だから、特別な人などいない。経済も肩書きもほとんどの人が普通で、それぞれの小さな人生を歩んでいる。しかし、小さくても深さにおいては誰にも負けていないと言うことに僕は気が付いた。決して大きな事は出来ないが、喜びも悲しみも小説や唄で表現されるものに負けない深さがあることに気が付いた。壮大な背景など持たず、登場人物も貧弱だ。それでもなお、心を打たれる人生をそれぞれが歩んでいる。まるで、素人役者が観客のいない舞台で黙々と演技を続けているように見える。
 僕が後遺症から抜け出れたのはこういった事情からかも知れない。それにしても新しい弦はさすがにいい音がした。ギブソンだったか、マーチンだったか。


2008年08月25日(Mon)▲ページの先頭へ
唄う歯医者さん
 薬を出して会計もすんでから「ブログを楽しみに読ませてもらっています」と、僕と同年輩の女性が言った。僕の秘密のブログが薬局内で話題に登ることは、1人の女性を除いてはない。その人は20年くらい不思議な関係を保っている単なるお客さんなのだが、単なるも20年も続けば単なるでなくなって、良き僕の理解者でもある。それが僕の勘違いかもしれないが、恐らく初対面の女性に唐突に言われたので、ブログという単語さえ一瞬理解できなかった。その女性は、不思議な間を感じたかもしれないが、その間の理由はこうなのだ。「読まないでください」ととっさに言ったのは、単なる照れではなく本心なのだ。
 今朝、僕の患者さん以外で、2人の男性からメールが入っていた。1人はフィリピンで大学に通っている僕の甥。もう1人は岐阜の「唄う歯医者さん」。実は僕の秘密のブログが段々秘密でなくなってきた事を心配している。唄う歯医者さんから「唄わせたお医者さん」にも連絡が入り、唄わせたお医者さんも診察の合間に読んでいるという。これで後1人だけ高山にいる「今でも唄っている薬剤師崩れ」に連絡が行ったら最悪だ。その人と唄わせたお医者さんが圧倒的に僕の青春に影響を与えた人で、当時の僕の全てを知っているし、今でも手に取るように僕を容易に読める二人だからだ。
 ブログの唯一の目的は、嘗ても現在も、青春の落とし穴に落ちてもがいている人達に、同じ穴に落ちた人間として、漢方薬を通してはい上がるお手伝いをすることなのだ。その為にはどんな人間がどんな考えで薬を作っているか知ってもらう必要があった。僕が大都会のカリスマ薬局ならそんな必要はないのかもしれないが、人口7000人の過疎の町にある薬局だから、薬を注文するのはかなり勇気がいるだろう。不安を少しでも払拭し治るチャンスを失って欲しくなかったから、延々と自己紹介をしているのだ。
 僕の言葉は、学校に行きたくてもいけない子、就職したくても出来ない人、人が傍に来るだけで身構えてしまう人、人に背中を見せれない人、人前でしゃべれない人、恋人も結婚も出来ないと諦めている人、誰一人本心をうち明ける相手がいない人、美容院の椅子に腰掛ける勇気もない人、バスにも電車にも乗れない人、友人とさえ食事を共にできない人に届いて欲しいのだ。自意識という一度自分に刃が向き出すと何ともコントロールできない青春の落とし穴に落ちた人達に届いて欲しいのだ。本来、知的にも肉体的にも生産活動に向かうはずの力を、自分を傷つけ束縛するものに変換させている人達に届けたいのだ。今日も孤独な自己との戦いを終えた人達に届けたいのだ。
 読者の中に、実際に尋ねてきてくれた人達、又僕を知っている人達が増えるに従って僕は言葉を失う。福山雅治に似ているとはもう言えないだろう。背後に迫る丘を富士山とも言えないし、目の前に広がる鏡のような海を太平洋とも言えない。でも、僕が届けたい人に送る言葉は、臆病な風のささやき。路地裏をやっとの事で通り抜ける許し許される不器用な風。


2008年08月24日(Sun)▲ページの先頭へ
 コーヒーと煙草があれば何とか精神は安定していた。それに音楽でも加われば、ちょっとリッチな感覚にもなった。バイトで稼いだわずかの金は、コーヒーと煙草とパチンコ代に回り、食費には回らなかった。唯一倹約できるのが食費で、健康は損ねるものだった。文庫本を乱読し、都合の良い言葉を拾い出し、都合の良い生活の言い訳に使っていた。他人に迷惑はかけなかったが、自虐的だった。独りで生きるのは気が楽だった。失うものが少ないのは気が楽だった。
家族を持てばそれが逆転する。失ってはならないものばかりが増えてくる。健康が欲しくなった。煙草も20年前に止めた。今思えばよく止めれたと思うが、中毒から脱出するときの精神的な不安定さも寿命を少しでも回復できるなら耐えられるものだった。もっとも、決意してから数年の歳月と、言うのがはばかれるくらいの、情けない行動の積み重ねを経てのことだが。
 せっかく挽回した健康も、加齢と共に少しずつはがれ落ちていく。毎日が未知なる領域で驚きの体験が待っている。肉体を精神でカバーできたらと思うが、日々の仕事に追われすり切れることはあっても、養えることはない。天に宝を積むどころか、今だ地に宝を求めている。このままどこに行くのか分からない。目的を持ってもいない。なるようになるようになるようになる。そうか、結局どうにもならないのだ。ちょっとだけ他人様の役に立ち、流れる雲のように消えていくのだ。


2008年08月23日(Sat)▲ページの先頭へ
惰性
 好きなものと、得意なものがなかったので、進むべき道は分からなかった。惰性で高校に通い、惰性で大学を受験し、惰性でパチンコ屋に通った。何も一生懸命やった記憶がない。恋人も友人も、努力をしなくて手に入ったから、その価値に気が付かなかった。パチンコ屋に入り浸っている僕を誰も責めはしなかった。現代の青年がゲームに浸っているのと何ら変わりない。部屋に閉じこもってゲームをやろうが、繁華街のアーケードをくぐり、騒音の中でバネを弾こうが、所詮孤独なのだ。両者に際だった差はない。何とかその日を食いつぶしているのだ。永遠に続いてしまいそうな時間から逃げているのだ。時間は目覚めると毎日洪水のように襲ってきた。
 僕の青春時代を表す最も適している言葉は「空虚」だ。金がなかったから財布も胃袋も空虚だったが、肝心の脳みその中も立派に空っぽだった。青春に失望している青春まっただ中の人、青春とは裏切られるものなのだ。期待してはいけない。華やかなのはほんの一部の人達だけで、そのほかのごく普通の人間にとっては、苦悩の時期だ。得るものはその日の飯代とアパート代、失うものは希望と夢とプライド。
 5年間、パチンコに通いつめたおかげで善人にもなれなかったし、名うての悪人にもなれなかった。かろうじて凡人を維持できた。うまい話に利く鼻も持てなかったし、うまい汁を吸う口も持てなかった。人に尊敬されもせず、蔑まれることもない、丁度いい普通にみんな行き着く。青春を気張って生きることはない。みんなが普通に向かっていずれ収束するのだから。
 普通でない人の運動会が明日で終わる。100メートルを駆け抜けるために、練習で地球を一周するほど走ったのかもしれない。僕らは、100メートルを駆け抜けるために100メートルしか走らない。僕らの青春が輝かないのは当たり前だ。悔いも残らないくらいの圧倒的なこの差こそ、居心地の良い普通なのだ。


2008年08月22日(Fri)▲ページの先頭へ
とんぼ
 秋が赤とんぼを連れてきたのか、赤とんぼが秋を引っ張ってきたのか分からないが、網戸の目から、秋が見える。かろうじて土が残った狭い駐車場の上を、赤とんぼが群れて飛んでいる。ここより他に、行くところはないのか、如何にも似つかわしくない場所だ。メダカが隠れる小川もないし、カエルが覗く畦もない。半ズボンから細い足を出して、道草をくう小学生の列も通らない。田圃の上を漂う煙突の煙もないし、ネコ車を押して帰るモンペ姿の農婦の姿もない。
 季節を追うこともせず、季節に追われることもない。網戸の向こう側には平凡な日常が横たわり、網戸のこちらには退屈な日常がへこたれる。閉じこめられた小さな空間で、とんぼのフォバリングよろしく懸命に羽ばたいてはいるが、取り残された上昇気流にも乗れもせず、如何にも似つかわしくない醜態をさらし、墜落した精神のように朽ち果てる。
 秋は網戸の向こうから独りでやってくる。


2008年08月21日(Thu)▲ページの先頭へ
心の敵
 朝早く1人、お昼頃又1人。過敏性腸症候群がほぼ治ったとお礼のメールをくれた。ほぼというのは、どちらも実際には完治なのだろうが、治った経験がないので、治っている状態を確信できないから、とりあえず治ったと言ってきてくれているのだと思う。しかし、共通している文章の内容は、もうずっと薬を飲まないでいる(手元には少し残っているが)と、お腹のことは忘れて考えることもないの2点だ。このことこそが完治を証明している。それで十分だ。朝目覚めればお腹のことを考え、人が傍に来ればお腹のことを考えていた人達が、お腹に想いが行かないなんて、完全なる脱出だ。目指すところはこれ以上でもないし、これ以下でもない。
 朝の連絡をくれた女性は、2週間分を1回だけ。お昼に連絡をくれた女性は丸6年飲んでいる。よく初めて僕の薬を飲む人が、どのくらいで治りますかと尋ねるが、それには答えないようにしている。正直そんなことは分からないのだ。でも、今日の偶然の出来事がその答えになると思う。どちらもが答えなのだ。発症の理由、経過、環境、体力、あげればきりがないほど疾患の構成要素はいっぱいある。それを簡略化して、およその目安にするには根拠が乏しすぎる。分からないことは分からないのが一番正しい。
 完治への道程は恐ろしく異なるが、2人に共通していることがある。2人とも僕によく質問をした。恐らく今までは、日々の不快な出来事を1人で悩み解釈してきたのだろうが、その答えが思い込みの範囲を出るのは難しい。自分のことになるとまずよい方向では考えられない。冷静な答えは得がたい。2人とも、よく質問をしてきた記憶がある。疑問をその場その場で解決して、思い込みから脱出したのだろう。僕は初めてお世話する方に、正しい薬と正しい知識が必要というけれど、2人ともそれを実践してくれたのだと思う。この2つがなければ治らないし、この2つがあれば治る。
 2人の喜び溢れる報告を大切に僕は保存しておく。これからは人が変わったと言われるほどの人生を歩んで欲しい。堂々と、何ら気後れすることなく。もう自分の心の中に敵はいなくなったのだから逃げる必要はない。


2008年08月20日(Wed)▲ページの先頭へ
空き瓶
 ふらふらして、言葉に力もない。ヘルメットがやたら大きく見える。僕が尋ねもしないのに「ご飯は食ってるんよ」と言う。自分が倒れたら、家で面倒を見ている奥さんとお子さんを病院に入れないといけない。家に誰もいなくなれば、今の借家はでなければならない。昔から良く知っているおうちだが、色々な事情があり、ぎりぎりの生活を送っている。それでもご主人が今までは元気だったから何とかなっていたが、その頼みの綱が健康を一気に損ねてきている。加齢もさることながら長年のストレスに身体が耐えきれなくなったのだろう。病気一つで、一気に生活が破壊される。その瀬戸際に立つ人を一個人では何ともすることが出来ない。お大事にと言う言葉が、空々しくて、それ以外の言葉を出せない自分が情けなくなる。
 崖っぷちに押しやられている人がこの国にどのくらいいるのか知らない。恐らく何百万人の人が、今まさに落ちようとしているのではないか。すでに落ちた人、崖に向かって後ずさりしている人、含めればとんでもない数字になると思う。欲望に負けて転落した人は別として、自分のせいではなく環境がそうさせた人がほとんどだと思う。生まれた家、育った土地、触れ合った人、進んだ学校、諦めた学校、選んだ職業、就けなかった職業、連れ添った相手、結ばれなかった相手。希望の中で現実が溺れている。夢の中で覚醒している。
 ぎりぎりのところで人情も理性も礼節も保っている。悲しいくらい不器用な生き方をして壊れていく。砂浜に打ち上げられたコカコーラの空き瓶だって、一矢報いようと鋭利な怒りを空に向けているのに。


2008年08月19日(Tue)▲ページの先頭へ
発音
 偶然その場に居合わせたと言うだけで、知らない歌の伴奏をギターですることになった。 僕は歌を覚えるのがかなり苦手な方で、勝手なメロディーを覚えてしまったようだ。1週間で伴奏が出来るようにならなければならないので、インターネットでその曲を探し出して、朝から晩まで薬局で流している。ところが自分で歌ってみると、全く異なる箇所がある。元の歌をよく聴いて何回挑戦してももうすでに僕の頭の中に出来上がっている歌になってしまう。おまけに、弦を押さえる指が痛くて、続けては押さえられない。元々思い込み病だし、我は強いし、信念は曲げないしで、歌い手に備わってはいけないものを全て備えている。手強い聞き手になればいいのだが、10数年ぶりに1曲くらい、基本コードの伴奏なら出来るかと、位置取りを間違えそうな1週間を過ごすことになる。
 事の発端はこうだ。教会の畳の部屋で4人のフィリピン人が歌の練習をしていた。いいメロディーだったので一緒に唄わせてもらおうとした。ところが英語なので、発音が分からないところが多い。特に分からなかったのが、panteth。パンまでは分かるのだが、その後をどう彼らが発音しているのか分からなかった。1人1人に耳を近づけて確かめても分からなかった。各々、何となく違うように聞こえる。結局、総合的に結論づけて唄ったのが「パンティー」だった。そう歌ったら、最初はくすっと、そのうち大きな笑い声になり、笑いが止まらなくなり全員が畳の上に転がり笑った。息が止まるかと思うくらいおかしかった。言葉が通じない人間同士が、息も出来ないほど笑いあえるのが嬉しかった。その後、僕が伴奏すると申し出た。あの笑い転げた瞬間が僕には宝のように思えたから。いつもは遠慮気味な彼らとその時は一体になれたような気がした。今まで一度も会話したことがなかったその中のある若い女性が、たどたどしい日本語で話しかけてくれた。「なんだ日本語が出来るの?」と尋ねると「少し」と答えたが、僕の英語より数倍通じる。向こうの少しは、僕のメチャクチャと同じレベル。敬虔な神を賛美する歌の歌詞を「パンティー」と歌った僕の失態が、お互いを近づけてくれた。選ばれもせず、見捨てられずもせず、普通が夜に蝉を鳴かす。


2008年08月18日(Mon)▲ページの先頭へ
山下 達郎
 日曜日に車の中で偶然聞く機会が多いのが、毎年クリスマスになると俄然脚光を浴びる歌手がDJを務める番組。別に選んでその番組を聞いているわけではないが、流れている曲が何となく波長が合うのかその周波数に合わせてしまう。
 昨日も偶然その番組を聞いていた。リクエストと共に、相談に乗ってくださいという男性からのはがきが読まれた。好きになった女性と食事に行ったのだけれど、上手く雰囲気を盛り上げられなくて彼女に嫌われたのではないかと心配している内容だった。山下達郎が答えて言った。「僕らの時代は、2,3回ふられるのは当たり前、ふられた奴を回りが慰めていた。今の若い人は失敗を恐れすぎている」あの年齢の歌い手になると人生相談もするらしい。回答も極めて的を射ている。ただ、さすがに歌番組で、それ以上はない。何故若者がそのようになったのか。あるいはその傾向は若者だけなのか。
 僕は最近気が付いたことがある。いつの頃からか定かではないが、西洋人の女性は全員美人だと思っていた。幼い頃から見ていたのは、雑誌に載っているモデルか、映画に出演している女性だけだったので、全員があんな顔をしているのかと思っていた。ところが、多くの外国人をごく普通に見かけるようになって、ああ、あれは選りすぐられた特別な人達だったのだと、気が付いた。ほとんどの女性は、やはりそれなりにバランスが崩れていて、日本女性の方がよほど美しいと思い始めた。こんなたわいもない思い過ごしなのだが、ひょっとしたら現代の若者もこれと同じ次元の思い過ごしで苦しんでいるのではないかと思ったのだ。毎日洪水のように放映されるテレビ番組や映画、あるいはゲームの世界でも、脚色され尽くした登場人物や情況をインプットされ続けて、外見を始め、失敗や負けをよしとしない風潮がはびこっているのではないかと思うのだ。学校でも、職場でも、もっと言えば遊びにおいてさえ負けることをよしとしない風潮に支配されているのではないかと思うのだ。親の見栄による無言の圧力かどうか知らないが、鎖で手足を縛られてはかなわない。壊していくら、壊れていくらの若者が、壊しもしない、壊れもしないでは、何もしないことと同じだ。青春の価値がない。残念ながら、ほとんどの人は外見も内容もごくごく普通の人間。その恵まれた「自由」を生かして、あたって砕けろだ。普通の人間が傷つこうが、失敗しようが、世間に何の影響もない。内なる自尊心が傷つくだけで、葉っぱ一枚落とすことも出来ない。このうちなる心を克服できたら、自由に飛び回れる羽を得られる。将来役に立つのは失敗体験だけだ。上手く行った事なんて何の役にも立たない。失敗の残骸を山と積んでその上で寝転がっていればいいのだ。
 身なりは出来るだけみすぼらしく。持ち物は持たずに、財布にはいつも水に浮くお金が2枚か3枚あればいい。それも野口英世くらいで十分だ。失うものがなければ臆病になんてならなくてすむ。



2008年08月17日(Sun)▲ページの先頭へ
釣り人
 今朝は余程空気が澄んでいたのか、犬の散歩で海岸線に行くと、小豆島はもちろん、香川県の屋島もくっきりと見えていた。屋島は溶岩台地らしく、その名の通り屋根の形をしている。幼いときから、その一風変わった山は、いつも海の遠くにあった。その姿の見え具合で、澄んだ日かそうでないか判断していたような記憶がある。
 今朝は眠っているときから、そんなに暑くは感じなかったので、少しはすがすがしい朝になってくれるのではと思っていたら、やはり犬と歩いても汗はにじんではこなかった。たった、1度だけでも気温が下がり、冷気が網戸を抜けて入ってくれないかと、毎晩クーラーを使わない僕は、寝苦しさの中で念じている。少しでも睡眠の質が良くなり、疲労がとれることを期待しているのだ。1度の差を僕は眠ったまま感じることが出来る。ほとんど外気と同じ気温で毎晩眠っているから。
 堤防の上で男性が釣り竿を投げていた。いつから釣っているのか分からないが、何とものどかな光景だった。時間がゆっくりと動き始めた朝の風景に全く染まっていた。この何でもない情景こそ価値があるのだ。この何でもない情景がいつまでも続きますように。これさえ出来無くなったときこの国は再び不幸になる。


2008年08月16日(Sat)▲ページの先頭へ
会話
 バブルの頃には及ばないが、牛窓もさすがにリゾート地だけあって、この時期は観光客が沢山来る。旅の途中は楽しさの反面、強行軍のつけもあって体調を壊すことが間々ある。その中の運の悪い人がヤマト薬局を見つけて入ってくる。ほとんどの人がまずすることは、入ってすぐ右側にある木の棚を物色することだ。牛窓の人はそこには医療雑貨しかないことを知っているから、必要なときだけ自分で取る。しかし観光客はそこで自分が欲しい物がないことを確認すると初めて奥まで入ってくる。そこで又一時、正面の棚を物色する。またまたそこで自分が欲しい物がないときに初めて口を開く。たいていの場合、商品名を言うが、扱いが無いこともある。そこで僕はおもむろに症状を聞くようにしている。薬を選択する時にしなければならない問診を必ずする。その事が彼らには不思議なようで、戸惑う人も少なからずいる。現代は、ほとんどの人がドラッグストアで薬を買うから、会話が必要ない。だから僕と会話することに抵抗がある人がいる。でも僕は一向に構わない。矢継ぎ早に質問する。そして、出来ている薬ですめばそれを販売するし、漢方薬が適しているなら、漢方薬にする。その時にはもう僕の自由にさせてもらう。経済面以外は素人の介入する範囲ではない。調剤した薬で治ってもらわないといけないし、売った薬は効かなければならないからだ。この段階になると、つんとして無表情の旅行者もやっと人間らしい表情を取り戻す。どこかに置き忘れてきたのか、元々持っていないのか分からないが、人が人と接するときのせめてもの常識に気が付く。会話が無くても成り立つ社会がはびこってきて、便利さという錦の御旗のもとに多くの人間性を置き去りにしている。誰にとって都合がよいのか分からないが、その便利さで失うものが大きいのは、元々持てるものが少ない階級の人達のようだ。救いの知恵や好意を無意識のうちに拒否しているのだ。金や肩書きで多くのものを集めることが出来ない人達が、人の善意や誠意までガードしてしまう。
 僕は絶対媚びはうらない。そんなことをしてまで経済活動をしたくない。不快な経済活動なんか山になっても、感動的な出会い一つにも勝てないから。


2008年08月15日(Fri)▲ページの先頭へ
集落
 何もない一日が指の間から抜け落ちていく。机の端に積まれた専門誌が、今日も低くなることはなかった。正午にサイレンが鳴った。なかなか近づきもしない、遠ざかりもしない消防車が不思議だった。家の奥で誰かが頭を下げていた。
 鏡に映る逆転に、ついうとうとしていた。天井から冷気が降りてきて、秋風よりも疲労を先取りしている。山の中腹から祖父母が帰り父が帰る。夜光虫が跳ねる海面は手を伸ばせば触れるほど膨満し、生ぬるい風が月を揺らす。
 線香が匂う集落を人も去り仏も去る。飼い犬があてのない遠吠えをする。ずっと空はそこにあったし、海はそこにあった。変わらない中で、小さすぎる営みだけが息を切らせて駆け上る。禁じられた煙突の下で昭和は横たわる。


2008年08月14日(Thu)▲ページの先頭へ
道化役
「お久しぶりです」と言われても僕には分からなかった。なんでも8年ぶりなのだそうだが、まだ幼さが残る高校生からの8年では、印象はかなり代わっているに違いない。まして、美しく化粧をされていたら想像もつかないことさえありうるだろう。そこで彼女は思い出せない僕にヒントをくれた。そのヒントで大まかなことは思い出せたが、詳細はなかなか僕の頭の中のスクリーンには映し出されなかった。
 彼女は、あるスポーツで県内有数の高等学校のキャプテンをしていた。国体、インターハイの常連校で、練習のハードさは、彼女を紹介してくれたある女性から聞いていた。その女性は元全日本の選手で帰岡後、母校で指導していたのだ。彼女の体調を漢方薬で世話した縁で、後輩達が体調不良になると顧問の先生が生徒を連れてきた。その中の1人が彼女だったのだ。小柄だったけれど、チームにはなくてはならない存在で、顧問の先生の真剣さが伝わってきていた。
 当時僕の作った薬でとても元気になったことを思い出してくれて、相談に来てくれたのだ。大学時代も同じスポーツをしたらしいが社会人になってからは止めている。あの頃は鍛えられた筋肉質だったが、今はごく普通の色白でスリムで冷え性の女性になっていた。だから、僕が拘るこの3つを備えた現代女性特有の体調不良に陥っているのだ。職場では何とか踏ん張っているから「私が体調不良なんて誰も気が付かないだろう」と言っていた。嘗てもなかなか芯の強そうな生徒だったが、面影は残っていて、いい眼をしている。しかし、体育会系の性か、元気で快活を装ってしまうのだ。そもそも紹介してくれた元全日本の女性がそうだった。女優のように綺麗な人なのにいつも道化役を演じて雰囲気を盛り上げていたが、その後の反動でいつも苦しんでいた。まさか似たのではないだろうが、一線を退いてもなお頑張ってしまう性格は憎めないが痛々しい。
 鍛えられた筋肉があっという間に脂肪に変わり、どこにでもいる女性と同じような身体になり、同じような不調を抱えることを興味深く聞かせてもらい観察させてもらった。制服か、ジャージ姿しか見なかった嘗ての戦う女学生は、おしゃれな服をまとい美しい女性に変身していた。こうして、嘗てのエリートも、ほとんどの人が「普通」に戻っていくのだ。元々、普通しか歩くことが出来ない人間は引け目を感じることはない。みんな帰ってくるのだから。
(男性も女性も生物的には、若さ故の美しさを誰もが持っている。この年になれば性別に関係なく若者達が全員美しく見える。その事を現役の若者に分かって欲しい)


2008年08月13日(Wed)▲ページの先頭へ
民宿ヤマト
 食卓に4人分が整然と並べられると、質素な内容でもそれなりに立派に見える。もらい物の南京の煮付けに漬け物、近所の魚屋さんで買った酢漬けの魚くらいしかなかったのだが、久々に発泡酒でも飲もうかという気にもなる。僕と1人の女性は発泡酒。妻ともう1人の女性はサイダー。この不可解な組み合わせで和食が美味しいのかどうか分からないが、会話をしながらの食事は滅多にないので、それなりの雰囲気がある。
 1泊2日だが、2人とは十分うち解けているので、彼女たちの生活ぶり、心の葛藤などは隠さず教えてもらえる。僕は2人の完治への道をずっと考えている。何があれば、ゴールするのか、逆に何が障壁になって完治しないのか。
 モコとクリを連れての朝の散歩はかなり暑さが応えたらしくて、汗びっしょりになって帰ってきた。でも、朝の太陽を30分近く浴びるようなことは恐らく彼女たちにはないだろう。それどころか、お昼前には、山の上にあるお墓の掃除まで行ってくれた。持ち帰った大きなゴミ袋5つくらいに草が一杯詰まっていた。こうなれば、田舎の体験ツアーだ。いやいや、こき使われツアーかもしれない。僕の娘がさすがに申し訳ないと思ったのか、お昼は岬の上にあるおしゃれな喫茶店に連れて行ってランチをご馳走した。
 2人が、薬局だろうが、2階、3階、どこにいてどの様にしようが全く気にならない。善良な2人だから全く信頼しているのだが、その善良さが完治への障壁であるような気もする。昨夜はチョイ悪をさんざん勧めた。自分の欠点を逆手にとって売りにすることも勧めた。僕なんか特に職業的にそうなのかもしれないが、役に立つのは数々の失敗体験だけなのだ。もし幸運にもそれらがなかったり少なかったりした人生なら、恐らく僕は何の役にも立てない、経済追求型のつまらない薬剤師で終わっただろう。毎日薬局に来てくれる人達の中に、成功して幸せの標本みたいな人は1人もいない。肉体的にも精神的にも苦痛を抱えている人ばかりだ。本線から脱線した人生なら、それを勇気を持って邁進することだ。ちゃんとゆがみもなく敷かれたレールを走る機関車より、いつ脱線するか分からない、軋み音をあげながら走っている機関車の方が余程存在感がある。臆病なら勇気を持って臆病をさらけ出すべきだ。完治の最終章は、勇気をふるうことではないかと思った。2人には具体的に勇気をふるう場面を話したが、それを実行すれば、過敏性腸症候群は克服できる。安全地帯を作り、その中に逃げ込んでは絶対治らない。自分が一番苦手な場面に飛び込んで唯一の敵と戦うべきだ。我が心の中にすむトラウマという敵と。
 2人が帰り支度をしているとき丁度 深刻な相談の方が来られたので、お別れを言うことが出来ないなと思っていた。ところが僕が調剤室に入って薬を作っていると、表の方でなにかが動いているのが視界に入った。2人が調剤室のガラス越しに手を振ってくれていた。2人は僕にとって何なのだろう。患者でもないし、友人でもない。勿論娘でもない。そうだ、「民宿ヤマト」の客だ。だから大きな荷物を持って入ってきた時「よう来たな」と言い、別れるときには「又おいで」と言うのだ。


2008年08月12日(Tue)▲ページの先頭へ
よう来たな
 僕が祖父母の家を訪ねると、2人が何回も繰り返す言葉があった。「よう来たな」それは恐らく僕の記憶がない幼いときから、大学生の頃まで延々と浴びせられた言葉なのだ。祖父母の孫に会える喜びを端的に表した言葉で、僕はその言葉に込められた愛情をひしひしと感じていた。そして会いに来てあげることがどれだけ意味があることかを幼い心で感じ取っていた。まるで孫の義務のようにも思っていた。
 今日、2人の若い女性が誘い合って来ている。2人とも初めてではないので、それこそ「よう来たな」と言う言葉が出そうだ。僕にしてみれば、完治に近いところまで来ているのだが、なかなか卒業できない。お互い自信満々のガス漏れタイプなのだが、相手が何の臭いもしないのだから、自身のガス漏れを客観的に証明できないで困惑している。実際に何もないことが相手に察知できるはずがない。そんな簡単な事実も、トラウマの前では無力だ。
 今回はとびきりサービスでヨットに乗せてあげた。フェリーから眺める夕焼けはすばらしいが、2人ともそれは経験済みなので、ホテルリマーニにお願いして乗せてもらった。帆を張る作業や、舵も握らせてもらえたらしい。2人ともこの2年くらいでずいぶんと強くなった。ほとんど捨てかけた人生も、立派に修正できている。何度来ても話すことはいっぱいある。娘が帰ってきて、生活ぶりを話してくれるようなものだ。今こうして文章を書いていると、2階から降りてきてクーラーの利いた薬局でマッサージ器を使っている。ほとんど遠慮無く僕とこうして時間を過ごすことが出来る子達が、治らないはずがない。いや、治せないはずがない。
 同じ症状の人同志が接点を持つことが生産的だとは思わない。この2人だけ何故かそれが予想に反して好影響を与えあっている。どちらかが完治すれば片方を引き上げてくれるだろう。近くに成功体験があるって事が大切なのだ。さもないと足の引っ張り合いになってしまう。我が家にはその成功体験の典型みたいなのがいて、毎日薬を作っている。一歩間違えば、毎日薬を飲む側に回っていたかもしれないのに。過敏性腸症候群も又コツコツと努力して治すものなのだ。奇跡はあり得ない。


2008年08月11日(Mon)▲ページの先頭へ
安全弁
 最後に残った1錠を大切そうに財布からとりだし、これと同じ薬を頂戴とその奥さんは言った。調べてみると、ステロイドと抗ヒスタミン剤が一緒になったものだった。どうしてこれがいるのと尋ねると、主人が半年くらい水ばなを垂らすからお医者さんに相談するとこの薬をくれたと言うのだ。お医者さんは、この薬はきついから沢山は上げれないと付け加えたそうだ。1錠飲んだらなるほどぴたりと止まったそうだが、2日目以降はあまり効かないらしい。1週間分が、残り1錠になったから、何とか手に入れようと来たらしい。お医者さんに言ってももらえないと思ったのだろう。
 ステロイドが入っているから薬局で売ることは出来ない。そもそもこの薬の前に何か他の薬を試したのと言うと、最初からこれが出たという。他の処方を試す前にこの薬を選択したことにちょっと疑問を感じるが、とりあえず早く治してあげようと思ったのだろう。ただ、劇的に効いたら、患者さんは強い薬で出せれないと言われても、より欲しがるだろう。何かすっきりしないものを感じた。真夏に鼻水も不思議だ。年齢から言うと60才は越えているだろうから、半年前から鼻炎というのも引っかかる。60才過ぎて発症、季節に関係なく毎日症状が出る。ステロイドの薬で効かない。僕は鼻炎ではないのではと思った。
 薬を取りに来た奥さんを良く知っているので、ご主人のことを尋ねてみた。するとご主人は、脳梗塞で倒れて、以後水をとるように言われて、暇があれば水を飲んでいるそうだ。世を挙げて水を飲め水を飲めの大合唱だから、律儀にそれを実践しているらしい。僕はピンと来た。要は、水の飲み過ぎなのだ。脳梗塞で運動もせずに水ばかり飲んでいるから、体の中に水が溢れかえり、安全弁として鼻から水を捨てているのだ。溢れたダムの水を放流しているようなものだ。その事を奥さんに解説して、鼻水は安全弁だから放っておいた方がいいと言った。又一つ飲まなければならない薬を増やしてまで止める必要はない。いたずらに世間のブームに乗らず、不必要な水の取り方をする必要はないと言った。そうすれば鼻水もきっと流れなくなるだろう。
 症状には必ず原因がある。必ずしも全てに対して薬で押さえつける必要はない。人間も自然の中の一つ。不自然を修復すれば、自然に戻るのが当たり前。ちょっとした漢方的な発想をすれば、病気も病気でなくなる。鼻水ごときでステロイドを飲むのは、不自然への誘導だ。他の病気だって同じ事が言える。病気は叩いて治す物ばかりではない。何かと同じだ。勿論薬は出さなかった。


2008年08月10日(Sun)▲ページの先頭へ
優秀賞
 僕が彼女たちに出来る限りのことをしてあげたいのは、彼女達が現代の「女工哀史」そのものだからなのだ。詳しく書くと彼女たちに不都合が生じるから書けないが、使用者側と同じ側にいるのを本当に恥ずかしく思う。富める国が富まぬ国に一方的に都合の良いルールを押しつけている。一見合法的なのだが、法そのものが不道徳なのだからどうしようもない。誰が誰のために作った法律か見抜く力が必要だ。
 彼女に、この国に来て良かった事を尋ねたことがある。悲しいことに無いというのだ。冗談で「先生に会えたこと」と、悲しげな笑顔を作ったが、あながちそれは冗談ではないのかもしれない。こんな僕に会えたことなんか、若い優秀な女性にとって、本来とるに足らないことであるべきだ。同世代の若い友人をこの国に作り、共に働き、共に語り、共に遊ぶべきだ。残念ながら、その全てが彼女らにはもたらされなかった。孤立し、隔離され、言葉の壁よりはるかに高い屈辱の壁に遮られていた。
 日本語の勉強は、薬局の中でした。薬を取りに来る人達の前でした。出来る限りの美味しい飲み物とケーキなどをいつも用意した。この町の人達に、僕の最も親しい若い友人達であることを分かってもらいたかった。おかげで、薬局の中で小さな交流も生まれた。彼女たちの、純朴さ、礼儀正しさは、交流してみればすぐ分かる。ほとんどの人が好感を持って受け入れるようになる。
 その中の1人が、外国人を対象にした作文コンクールで優秀賞に輝いた。今日メールが届いて、一緒に喜びを分かち合いたいと言ってきた。5000人の応募で、8人の中に選ばれたそうだ。「先生のおかげです」と書いてくれているが、想いを文章にしたのは彼女だ。僕は想いの中にまで入ってはいけない。不本意な日本で終わりそうだが、その不本意を評価してくれた日本人がいた。彼女の想いを受け止めてくれた日本人がいた。僕は、選者の方達に感謝したい。
 インターフォンが鳴るから出てみると、彼女たちが6人いた。招き入れて、あり合わせの接待をした。3人がコーヒー好きだから、自慢の機械で作ったコーヒーを飲んでもらった。美味しいを連発してくれた。毎日飲みにおいでと言うと、毎日飲みに来るだけでいいのですかと真剣な顔で答えた。僕にはさっぱり分からないその国の言葉で楽しそうに話している姿を見るだけで、こちらまで楽しい気分になる。幼さが残る彼女たちの双肩に国に暮らす家族の生活がかかっている。「何か僕に出来ることがある?」会うたびに、口をついて出る言葉なのだ。


2008年08月09日(Sat)▲ページの先頭へ
笑い
 良かった良かった、安心した。懸念が一つ解決したいい日だった。遠くで雷が鳴っているみたいだが、僕の心の中では雷雲が収まった。
 本来働き者だった人が病気で働けなくなった。20年前ある処方がぴたりと的中して元気になってもらった。以来、定期的に薬を取りに来ていたが、この数ヶ月何故か止まった。20年にして初めてのことだったから心配した。人一倍元気になり再び働き者で通っている。最近見かけたから元気でいることには違いないのだが、完治するトラブルではないので、気になっていた。
 検査の数値が悪化したからと慌ててきてくれた。心配するほどでもないのだが、ずっと良かったから気になったのだろう。薬を中断したことを後悔していたみたいだ。おかげでずいぶんと話が出来た。災い転じて福となりそうだ。
 田舎の薬局を知らない方には想像できないかもしれないが、「いつも気にしている」状態で日々仕事をしているのだ。薬局にある薬を売ろうが、自分で調剤しようが、結果や経過はいつも気になっているのだ。皆さんに良く言う「戦いのモード」は実は僕自身なのだ。それを楽しむ体力はとうに無くしているから、今はそれが全部体調に跳ね返ってくる。体中が緊張しているから、筋肉は凝って、内臓は痙攣している。2年前までは、週に1回バレーボールをすれば解消していたけれど、首と腰を痛めて今はもう出来ない。僕をしばしば笑わせてくれた友人は自分で転んで世間の笑いものになってしまった。今は遠い世界にいる。
 「戦いのモード」から解放される手段を今は持っていない。毎週お会いする方は、崇高な生き方をされているから目標にはなるが、縮まらない差はプレッシャ−でもある。今更、パチプロにもなれないし、競艇にも通えない。より良く生きるより、より上手く生きるには、それなりの知恵が必要だろうが、そのセンスは元から持っていない。全てを失うのが落ちだ。涙が出るほど、起きあがれないほど、止まらないほど笑ってみたい。それこそ健康的な笑いのシャワーを浴びてみたい。体中の筋肉が弛緩するあの状態を作りたい。体も心も緩んでみたい。
 来世は、吉本新喜劇の作家に決めているが、締め切りに追われ、ネタづくりに苦悩している自分が見える。人を笑わせようとして、笑いを忘れている自分が見える。性格は変わらないし、変えれない。個性だと居直るしかない。窮屈な個性だがそれに拠って生きてきた。受け入れるしかないのだ。天高くわき上がる雷雲に、恵みの雨を降らせてと祈る訳にはいかないだろう。


2008年08月08日(Fri)▲ページの先頭へ
運動会
 貧しさを置き去りにした巨大な運動会の意味はよく分からない。空を覆い太陽の光を遮るほどの浮遊物を吸ったら、血栓を起こすらしい。運動会を見た帰りには気をつけてと、アメリカの学者が言っていたが、日常的に偏西風に乗って飛んでくるのを吸っているこの国の人達はどうなるのだろう。黄砂みたいな重たいものでも飛んでくるのだからスモッグくらい簡単に海を越えるだろう。
 海を越えて欲しくないものはいっぱいある。与えられた自由はいらないし、極端に偉い人はいらないし、嘘はいらないし、拝金主義もいらない。長い年月を経てそれらが修正されるのだろうが、今追われる人はかなわない。
 国を挙げて熱中症にかかってはいけない。大地が揺れ裂けた所では、運動会なんか見る気にもならないだろう。水分を多くとり木陰で身体を横たえなければならない。頭を充血させては良い考えは浮かばない。地球の逆襲は始まっている。しがみついている物や拘っている物が、地球の怒りの前ではとるに足らない物だと悟らされる。
 この3日、夜が涼しい。夏が息切れしたのだろうか。それともどこかに身を隠し一気に反撃に出るのだろうか。翻弄される人間がより小さく見える。一時は自然をも征服してしまうかのような勢いだったのに、今は何とも頼りない哀れな存在に見える。単なる、服を着た動物に見える。
周回遅れのランナーも、見方によっては先頭だ。何が良くて何が悪いかなど分からない。ただ一つ、人間を家畜のようには扱えない。棒を振り回しては扱えない。



2008年08月07日(Thu)▲ページの先頭へ
絶縁宣言
 なるほどなあと思った。そういうことなら期待する方が無理だから、遠ざかればいいのだと思った。つい最近も、有名な脚本家が嘆いていた。立場は違うが、中から見ても外から見てももはや期待することは出来ないのだ。中には・・・などと未練たらしい方が精神状態には良くないかもしれない。
 何か華々しい世界のように見えるから、才能が集まっているのかと思ったが、その子がそんな仕事をしていたのかと思うと、何を今まで特別視していたのだろうかと我ながら情けなくなる。その子は幼い頃から知っているが、とてもとても人が感動できるようなものを作れる力はない。そんな子がスタッフとして関わっているものに期待できるわけがない。(人間性は全く別の話)
 内部を知り尽くしている脚本家が絶縁宣言をしていたが、視聴者もそろそろ絶縁宣言した方がいいのかもしれない。もっとも若い人はとうに離れているみたいで、何の趣味もない中年以上の支持でやっともっているのが現実だろう。何も期待しないから、せめて社会に悪影響だけは与えないで欲しい。
 


2008年08月06日(Wed)▲ページの先頭へ
島唄
 先日、はるか南の島から、紫雲膏という漢方の塗り薬を作るから、材料を送ってくださいと電話があった。海と唄の島って、勝手に僕がイメージしているだけなのだが、薬の注文を受けただけで心がときめいた。今頃その人は完成させて、手製の薬を楽しんでいるだろうか。作った薬を試したくて、ヤケドをしたか、すり傷を作ってみたか、痔になってみたか。 僕も今日作り置きの在庫が無くなったので、子供に作ってもらった。今までは僕が作っていたが、作り方を経験しておいて欲しかったから、レシピを渡して作ってもらった。ごま油が香り、薬局に買い物に来る人達に今日は好感を持ってもらった。「あ、ゴマの香り」と、すぐさま言い当てる人も何人かいた。特に最高のごま油を使っているから、いい香りがしたのだろう。いつもは、「漢方臭い」の方が圧倒的に多いのだが。
 今までは、必要なときに調剤室で小さな缶に入れて分けてあげていたが、今回から店頭に陳列することにした。なんてプライスカードに書いていいかインターネットで調べてみて、驚いた。どんなにすばらしい軟膏か、あらゆる言葉を引用して宣伝されていた。何にでも効きく。アトピーみたいに難治性のものには、最優先の外用剤。ステロイドに優る。ステロイドの副作用が心配・・・・売るためには、法律すれすれの言葉が並ぶ。江戸時代に出来た薬に、ロマンを感じるのはいいが、現代科学を否定する為に利用してはいけない。数え切れない恩恵を受けている現代薬を、商売のために否定してはいけない。紫雲膏には紫雲膏の守備範囲がある。薬局には薬局の守備範囲があるように。
 カリスマ薬局は日本中にいっぱいあるのに、何故南の島の人が僕に言ってくれたのかは分からない。僕の空想するその島で、僕の想像する女性が、ゴマ油に生薬を落としている姿は絵になる。自然な薬だから、唄が風に乗るという島に住む、純朴な人に使って欲しい。


2008年08月05日(Tue)▲ページの先頭へ
宗教
 酒と博打で全てを失った男が、ある宗教施設に出入りしているので何故だろうとずっと気になっていた。今日、その施設の奥さんが買い物に来たので思い切って聞いてみた。
 どう呼べば正しいのか分からないが、その施設の建物(教会?)を新しく立て替えたときに、行き場のない人を助けるためにちゃんと2部屋用意したらしい。ある人に頼まれて男をそこに住まわせているらしいから、出入りしているのを目撃するのは当たり前だ。改心して自ら門をたたいたのかと、かすかに期待していたが、やはり誰かの世話で身を寄せているというのが真実らしい。2年前、男が最悪の状態になったときに、救いの手を差し伸べて、本部までわざわざ勉強をさせに行かせたらしい。その後はずっと、建物の中で暮らし、朝はお勤め、その後は雑用をしてもらっていると言っていた。食事は教団の指導者家族と一緒に食べているという。家族も友人もご近所さへ失った男にとっては、疑似家族だ。男が更正できるのかどうか分からない。ただ、その指導者家族は、おおらかに包み込んでいるだけのように見える。余程懐が深いのだろう。大の大人だから強制は出来ないと言っていた。多くの自由を与えていた。それに男が何を持って応えるのか分からないが、裏切らないでほしい。
 僕はその宗教の教義を知らない。指導者が教義に則って行動したのか、あるいは個人の人徳か知らないが、おおらかに歯を丸出しで笑いながら経過を教えてくれる奥さんの印象で、そんなものどちらでもいいような気がした。根っからの善人って、世の中には結構いて、その人達特有の無警戒な笑顔にいつも圧倒される。計算のない表情に「参った」の連続だ。
 何を隠そう、その男は僕の友人だ。


2008年08月04日(Mon)▲ページの先頭へ
さんざんな一日
 昨日は、さんざんな一日だった。
 最初のトラブルは、朝、お茶を買おうとコンビニに寄った時。用を済ませてコンビニの駐車場から出ようとしたとき、エンジンがかからない。数回試したが全くその気配がない。数ヶ月前バッテリーを交換しているのを思い出し、エアコン、カーラジオなどのスイッチ類を切って再度挑戦したらエンジンがかかった。おかげでその後、家にたどり着くまで、ラジオは聞かなかったし、エアコンも使わなかった。
2個目。教会に着いて車から降りようとしたら、ズボンのボタンが取れて道路に落ちた。音がしたのでどこに落ちたかが分かって、拾ってそのままミサを受けた。1時間の間、左手でボタンの代わりをしていた。ミサは立ったり座ったりが結構あるので、常に気にしていた。結局、ミサの後、おばちゃん達が針と糸を持っていて、ボタンを付けてくれた。
 3個目。同じく教会の中でのこと。パンをいただく間、フィリピンの人達が唄を歌ってくれる。最近はフィリピンの人が少なくて、唄を手伝ってくれと言われていた。その日は、3人の男性と僕の4人で唄ったのだが、何となく音程がずれているのではないかと僕でも分かるくらいひどかった。思わず笑い出しそうになったが、フィリピンの唄だから僕にははっきりとそれがずれているかどうかは分からない。まして歌詞が、タガログ語だから、もうさっぱりだ。1年前に、歌がとても上手いフィリピン女性が唄っていたのを聞いた事があるが、およそその印象とは程遠かった。恐らくかなりずれていたのではないかと思う。音程ははずれて、歌詞はローマ字読み、むちゃくちゃだ。人前で唄った最も僕の不作の唄だろう。
 4個目。昼から、漢方の勉強会があったので岡山市に急いだ。途中で脇道から主要道へ出たがっている車が分かった。ただ対向車線から3台連続で来ていたし、僕もあっという間にその前を通り過ぎるところに位置していたから、脇道から車が出てこれるタイミングではない。ところが勇気ある女性ドライバーがいるもので、僕とその3台のおかげで命を拾った。でもこちらは間に合わないのではないかと恐ろしかった。
 5個目が最悪。やっと無事に帰れたと思って、ブログを更新した後、発泡酒を飲んだ。桃も切ってくれたから食べた。その後テレビを見ていたらムカムカし始めた。数ヶ月前、ある法事に出席し、メチャクチャ沢山食べた夜に遭遇した、食中毒らしき体験と全く同じ感覚だった。(勉強会の後、メーカー主催の食事会があったのだ)案の定トイレで貧血を起こしながら吐いた。吐いても又ムカムカしてくるので、トイレの前の廊下に寝ていた。いやそこから動けなかったのが本当だろう。吐けば楽になってウトウトし、又ムカムカして目が覚めるの繰り返しだった。最終的には、夜の1時半頃、激しい下痢に見舞われて治った。水のような物が大量に出た。魚が腐った臭いがした。又中ったのかと、この確率の良さに驚いたが、朝、一緒に出席していた子供が全く異常がなかったので、食中毒ではなく、僕の体力が弱っていることを知った。人並みに、豪華な料理はもう食べれないのだろう。残さず食べるというモットーがあるから、全部平らげてしまうが、とても消化できる量ではないのだろう。質素な家庭料理を食べていればいいのだ。2回も連続でこんな苦しい目に遭うと、さすがの僕でも勉強する。もう豪華料理は、食べ尽くさないことにする。 日々、どんな能力を失っているのだろうかと心配になる。得るものはなく手放すものばかりだ。見えるものを手放すのは一向に構わないが、見えない大切なものまで手放していくのはつらい。


2008年08月03日(Sun)▲ページの先頭へ
頑張りすぎ病
 早朝から気温はぐんぐん上昇していた。旭川の河口付近、京橋は、昨夜の花火大会の後かたづけのボランティアの人達が、軍手にビニール袋の定番の格好で、ゴミを集めていた。所々に集められたゴミ袋は山になり、もうすでに腐敗臭を発していた。祭りは、多くの人の善意でやっと幕が下りる。4000発の花火が上がったとニュースで伝えていたが、上がった花火より、捨てたゴミの方を伝えるべきだ。
 僕の目の前で、ホームレスが残飯を器用にゴミ袋から取り出した。腐っていないだろうものを素早く選び出し、足早に去っていった。その傍で、烏が2羽順番を待っていた。人様より下。烏より上。誰がこんな新種を作ったのだろう。
 心を病んでいた女性と1年ぶりにあった。少し太って元気になっていた。以前の鋭い表情が消えて、優しい顔になっていた。単純に嬉しかった。音楽の話を少しだけした。向こうがその道のプロだから、僕が教えてもらっただけなのだが。「自分は、頑張りすぎ病だから、少しは抜かないとだめよ」と言うと、「よく分かりますね、昨日も研修医の先生に言われた」と驚いていた。僕は自分の職業を明かしていないので、それ以上は言わなかったが、「頑張りすぎ病」で自分を追い込んでいく人達を多く見てきている。その逆の人もきっと多いのだろうが、そんな人は患わないので縁がない。何かで、どこかで馬鹿になることが無いと現代人はもたない。不器用に頑張りすぎてはいけない。器用に抜かなければならない。真面目一点張りの生き方は不真面目だ。程良く頑張り、程良く抜いて、そこそこの評価に甘んじ、そこそこの醜聞に耐える。祭りの後の腐敗臭をかげば、頑張りすぎることの空しさに気が付く。


2008年08月02日(Sat)▲ページの先頭へ
あきらめ節
 今日ある業界紙を読んでいたら、薬剤師たるもの、服装は勿論、髪もぼさぼさなんて言語道断と書いてあった。恐ろしくてその後は読めなかった。どうも筆者は僕の薬局をねらい打ちで書いているのではないかと思うくらいお見通しだった。
 戦後まだ、どこの家にも貧しさが残る中で育ったので、もったいない精神は結構根付いていて、服は汚れてしまうまで洗濯しないし、髪は自分でも気持ち悪くならない限り切らない。出された食事は、満腹でゲエゲエ言いながらでも残さず食べる。古くなった食材でも、臭わなければ食べて、結局よく中る。外見に拘っていないように見えるが、実は拘った末の結果なのだ。結果としてその状態が一番居心地がいいから、これから先も変わらない生活習慣だと思う。
 今夜は牛窓の花火大会だ。子供が成長してからさすがに会場まで見に行くことはないが、窓越しによく見え、音も十分臨場感を持って聞こえてくる。この所お百姓さんから南京(カボチャ)をしばしばもらうから、毎日南京ばかり食べている。以前は嫌いだったが何故か最近はそんなに苦手ではなくなった。さすがに毎食のように出てくると閉口もするが、なくなるまで食べるのが僕のたちだから、あきらめ節を唄いながら食べている。・・・米は南京おかずはひじき、牛や馬でもあるまいし、朝から晩までこき使われて、死ぬよりましだとあきらめる・・・電気を消して花火を見やすくしているが、手元の南京は見えない。ぬるい発砲酒を飲みながら、どうしてこんなに感動のない日々を暮らしているのだろうかと、暗闇に八つ当たりする。
 あの大輪の火の花の下に立つ自分は想像できない。何を失ったのだろう。何を無くしたから僕はあの下に立てないのか。坊主頭の少年が見上げる。火薬の臭いが頭上からふってくる。未来は空から降ってくるものだったのだ。


1 2    全31件


漢方薬を初め天然素材の薬を用いて、さまざまな慢性疾患の回復をお手伝いします。
お店のホームページ
お問い合わせフォーム

☆★汗・臭いの気になる方はコチラ★☆

☆★ FAXで漢方相談 ★☆
※漢方のご相談は「漢方相談FAX用紙」を印刷し、ファックスもしくは郵送でヤマト薬局までお送りください。

新着エントリ
授業 (22:48)
性善説 (10/19)
勉強会 (10/18)
喪失感 (10/17)
(10/16)
動機付け (10/15)
揶揄 (10/14)
保身 (10/13)
視点 (10/12)
出発点 (10/11)

新着トラックバック/コメント
治療効果 (12:13)
9880円 (03:17)
写真 (10/11)
高松 (10/11)
後姿 (10/11)
ベース (10/10)
平穏 (10/10)
笑い声 (10/9)
年下 (10/9)
生花 (10/7)

■店舗名■
有限会社 栄町ヤマト薬局

■住所■
〒701-4302
岡山県瀬戸内市 牛窓町牛窓4808-3

■連絡先■
[TEL] 0869-34-5466
[FAX] 0869-34-6017
[E-mail] ご相談はこちら
[URL]

カレンダ
2008年8月
         
           

アーカイブ
2006年 (266)
4月 (25)
5月 (29)
6月 (31)
7月 (30)
8月 (31)
9月 (29)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (30)
2007年 (354)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (30)
4月 (31)
5月 (30)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (22)
11月 (29)
12月 (31)
2008年 (366)
1月 (31)
2月 (29)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2009年 (364)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (29)
12月 (31)
2010年 (364)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (30)
11月 (30)
12月 (31)
2011年 (364)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (29)
12月 (31)
2012年 (365)
1月 (31)
2月 (29)
3月 (30)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2013年 (366)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (32)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2014年 (365)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2015年 (364)
1月 (31)
2月 (27)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2016年 (365)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (31)
11月 (30)
12月 (31)
2017年 (293)
1月 (31)
2月 (28)
3月 (31)
4月 (30)
5月 (31)
6月 (30)
7月 (31)
8月 (31)
9月 (30)
10月 (20)

アクセスカウンタ
今日:5,784
昨日:9,253
累計:7,194,420