栄町ヤマト薬局 - 2008/05
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漢方薬を初め、天然素材の薬を用いて、さまざまな慢性疾患の回復のお手伝い
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僕の大切な貴女へ
毎日昼過ぎに目覚め、学食で100円の定食を食べ、おもむろにバスで柳が瀬に出かけます。柳が瀬には20分くらいでつきますが、着くとすぐパチンコ屋に入ります。数百円で粘れるだけ粘ります。多くの日は負け、時に勝たせてもらいます。回りには僕みたいな落ちこぼれ学生、夜の商売の女達、仕事にあぶれた日雇い達、さぼりのサラリーマン。そんな人間ばかりです。ほとんどの人間が煙草を吹かし、ひたすら機械に向かい、目だけ動かしています。頭の中を空っぽにしたくて、パチンコの玉を追います。しかし、いくらのめり込んでもいつもこんなはずではなかったと後ろめたさが追いかけてきます。逃げれば逃げるほど後ろめたさは追いついてきます。学校に行きたかったけれど、足はいつも柳が瀬に向いてしまいます。学校に行く動機付けがなかったのです。僕は漠然と、貴女がいる大学の文系学部を目指して受験勉強をしていましたが、兄弟の上3人が誰も薬学部に行かずに薬局を継がないことになり、僕におはちが回ってきたのです。どうしても貴女のいる大学に行きたいという強い意志もなかったので、安易に進路を変えました。5年間、ほとんど大学には行っていません。どうして卒業できたのか今だ分かりません。今でも良く夢でうなされます。試験の夢ばかりです。僕はまだ卒業していないんだという設定ばかりです。卒業しているはずなのに試験を受けている場面ばかりです。夢の途中で気が付いてほっとします。5年間、明るく振る舞いましたが、根は暗いです。見抜いている人も多く、万人に好かれるタイプではありませんでした。落ちこぼればかりが集まり、自分たちをまるで犠牲者のように、まるで英雄のように、自己弁護しながら傷口をなめ合っていました。軽薄な日常でした。今以上を目指すこともなく、努力を放棄することの代償の大きさに気が付きませんでした。無意味の意味を考え抜いた5年間でした。自分自身の、またこの国や世界の。答えを得ることもなくあの地を去り青春とも決別しました。自暴自棄の一歩手前の危うい時期でした。何が引き留めてくれたのかは分かりませんが、取り返しのつかないことだけはしなくてすみました。あの時期の何があって今があるのか分かりません。あの時期の何が無くて今があるのかも分かりません。ただ、あの時期を通過した自分が今ここにいるってことです。青春を美化する経験が何一つ無いので、あの頃を特別視することはありません。僕が住んでいた街の空のように、いつも雲がたれ込めていました。貴女はあの頃の僕。僕と違うのは、とても優秀で、心優しいと言うことです。自分を大切にしてください。貴女は貴女が授かった能力、貴女が勝ち得た知識で僕なんかより何十倍も活躍できる人。貴女が今抱えた困難は、いずれは必ず貴女の武器になります。それも人を助けてあげるための。今を否定しないでください。貴女の住む街にも朝を告げる鳥は鳴くし、夜を横切る川もあります。貴女の街に行くたびに、駅ビルから四方を見下ろしていました。そこで貴女は少女の時代を過ごし、今青春の扉を閉めようとしています。僕には大人になった貴女が苦しみの中にある人達を助けている光景が見えます。謙遜を兼ね備えた貴女が。
裏門
落ちてからずいぶん日数が経っているだろうと思われる枯れ葉が雨に濡れ、車止めや門柱に吹き寄せられている。あまり人が利用しない中学校の裏門でもいつも人の手が加えられ、清潔でこざっぱりしていた。裏門という性格上ありがちな、落ち葉が積もるような光景はあまり見たことがない。最近は経費削減の影響かどうか知らないが、学校回りの整理を、教頭先生などの管理職がになっていることが多い。時々草をむしっている姿を見かける。
実は中学校に関して言えば、あるお年寄りの奉仕で清潔を保っていた。朝から酒を飲んでろれつが回らないのに喋り好きで、近所では疎まれている老人の奉仕が目の届かないところまで、綺麗を保っていた。片側1車線の道路を横切るのにも困るくらい足腰が弱っているのに、毎日裏門から中学校に入り、はいつくばるようにして雑草をむしっていた。炎天下で麦わら帽子に隠れそうな痩せこけた身体で、独り言を言いながら鎌になっていた。 その老人がついに自宅では暮らせなくなり施設に入った。途端に花壇から雑草が覗き始め、そのうち雑草だけになった。落ち葉が散乱し、風に吹かれて隅に積もるようになった。ナメクジが這うような奉仕も、日々積み重なれば、広大な敷地をも非の打ち所がないくらい綺麗にした。僕は老人が朝から酒を飲まなければならない苦しみを知っている。鎌になり、ナメクジになってまで考えたくないことを知っている。それでもなお、完全に頭から消せないことも知っている。やるせない心が大声を上げさせたり、独り言を繰り返させていることも知っている。
ある日降ってわく困難は誰を襲うか分からない。解決出来ないことだって降ってわく。打ちひしがれた心を救うのが酒と奉仕としたら、自暴自棄になりきれるほど自暴自棄ではないのだ。酒も奉仕も悲鳴なのだ。誰の所にも届かない悲鳴なのだ。悲鳴は車止めや門柱に吹き寄せられ涙雨を待っている。
好感度
「いい意味でも、悪い意味でも田舎でのんびり育っていますから」とお母さんは謙遜するが、悪い意味なんか全くない。中学生のお子さんからは、育てられ方の良さがにじみ出ている。隠そうにも隠せないくらいだ。「牛窓とよく似ています」と言うからかなり田舎から来たのだろうが、中学校の名前を聞いて納得した。僕が幼いときに預けられていた母の里の隣町なのだ。峠を越えていけば今なら簡単にいけるところだが、幼い子供にとっては異国の地みたいな印象を持って、大人達の話の中に出てくるその地名を聞いていた。
それこそ牛窓と同じように海岸沿いに町が伸びて、後ろには山が迫っている。同じ瀬戸内だから景色も穏やかで、人も穏やかだ。友達のみんなが同じようにすれていなくて、少人数の中学校を形成していると言う。しっかりとした受け答えの中に、純真さが伝わってくる。思わずお母さんに「上手く育っていますね」と言ってしまった。当人達は気が付かないかもしれないがとてつもなく大きな財産を得ている。どれだけのお金を積んでも手に入れれない価値だ。何が無くてもこれさえあれば・・・と言うものを持っている。なかなかそんなものを持つことは出来ない。世俗的な価値などその子を見ていると何の意味も持たない。
薬局をやっていて一番得したなと思える瞬間かもしれない。残念ながら病気が縁になってしまうが、驚くほど綺麗な心の持ち主に時々会えることがある。悪意というものを持ち合わせているのだろうかと本気で考えてしまう人がいる。何の虚飾もなしに、無防備に自分をさらけ出し、それでも圧倒されるのだから並の好感度ではない。持って生まれたものか、親が授けたのか分からないが、回りを一瞬にして幸せな空気にしてしまえるその子と家庭と風土に感謝。願わくば訪ねてきてくれた体調不良が改善しますように。
睡眠薬
親切でまた、勘の良い女性もいるものだ。おかげで我が家はてんやわんやだったのだが。 若い女性が車で中年の西洋人夫婦を連れてきた。奥さんがしきりに何か訴えるのに、その若い女性は2人を置いて帰ろうとする。てっきりこちらは通訳か仲間と思っていたのだが、全く関係ないそうだ。如何にも困っているように見えたので、車を止めてひらって来てあげたらしいのだ。何故うちに連れてきたのかというと、体調が悪そうにみえたからだそうだ。
僕は、外国の人とは日本語で話す事にしている。それ以外ではコミュニケーションがとれないから。話しかけると、ご主人の方が「私は日本語が話せません」と綺麗な日本語で答えた。これだけ見事に先手をとられると、もう手がない。恐らくこれだけ覚えてきたのだろうが、これは良い手だ。行くこともないだろうが、もし外国に行くようなことがあったらこの手を使おうと決めた。結局、娘と妻の3人で対応することにした。フランス人で当然フランス語と、英語、ドイツ語なら大丈夫という。僕は、岡山弁と東北弁と関西弁なら大丈夫と日本語で答えたが、そんなギャグが許せないくらい奥さんが懸命に何か訴えている。結局フランスで飲んでいた睡眠薬が無くなって、これからの旅行が楽しくないと言っているみたいだった。その睡眠薬の空き箱を持っていたので娘が確認すると日本でも汎用されている薬だった。ただ、それは処方箋薬だから、勝手に売るわけにはいかない。お世話になっている先生に連絡したら、その薬は持っていないと言って市民病院を紹介された。しょうがないから娘と妻が2人を車で連れて行った。
何とかこれで乗り切れたと思っていたら、何と4人で帰って来るではないか。帰ってきて、お茶を飲みながら、偶然焼いていたケーキまで出してテーブルを囲んで話し始めている。今まで回ってきた日本の名所を説明し、写真を一杯見せてくれた。又これから色々な国を回る予定も詳しく話してくれた。何故日本に来たのか尋ねてしまったものだから、何か知らないが難しいことを喋り始めた。若くして無くなった作家?に惹かれて来たと言っていた。その作家のファンみたいだ。ただその作家が分からなかった。何故か名前がなまるのだ。似ている人はいたが追求するほど言葉を知らない。ややこしい笑顔でごまかした。 恐らく僕らと同世代なのだろう。写真を見せてくれた。そこには30才の息子さんと24才のお嬢さんが写っていた。主人がしきりと娘に職業や年齢などを尋ねていた。そして名刺を渡して、是非パリに来るようにと促していた。ビッグハウスがパリにあるそうだ。どこの親も考えることはよく似ているなと思った。僕も尋ねてきた多くの青年に接するとき、息子や娘の相手にどうだろうかなどと思いながら話をしたものだから。
なんだかんだで2時間くらいいたのではないか。日本大好き。日本人も大好きと言ってくれたから、頑張ったおかげはあったのだろうが、日本語が全く分からない人の相手はさすがに疲れた。途中母が出てきて、日本語でかなり長い挨拶をしていた。あの度胸がないといけない。卑屈にも英語の単語を羅列するようでは僕もまだまだだ。主人より動物の方が好きという奥さんのために、裏からミニチュアダックス(モコ)をつれてきたら、モコは奥さんをなめまくっていた。奥さんはモコのなすがままにしていたが、積極的なのもいいのかもしれない。モコもヨーロッパの血が騒いだのだろうか。
娘が今日は新鮮な体験をしたと言っていた。田舎にいると変化の乏しい生活だ。変化がないイコール価値がないとは全く連動しないが、ちょっとした出会いにも感動を覚えるのが田舎の良いところかもしれない。親切が簡単に出来るメリットもある。親切にリスクが伴わないから。
相手がパリにビッグハウスを持っていようがひるむ必要はない。僕は今までビッグマウスで生きてきたのだから。負けない負けない。
ヘドロ
こんな品のない人間をどうして飼っているのだろうと思うが、協会の理事長を見ても知性は感じられないから仕方がないのだろう。ただ、公共の電波に乗っているのだから、最低限の不快さは避けて欲しい。避けれないなら、放送すべきではない。この国のモラル破壊を他国の人間に促進されているようなものだ。恥を尊ぶことでブレーキがかかっていたものが、それこそダムの崩壊宜しく、堰を切ったように崩れ落ちている。
もっとも、品と知性の無さは、民放番組で垂れ流されている。能なしのタレント気取りが、どのチャンネルにも出てきて、くだらない言葉を吐く。本当にこれを見ている人間がいるのかと思いながら、チャンネルを避難させるが、避難先でも同じ屈辱に合う。よくこれでスポンサーが付くなと思うが、所詮同じ穴の狢なのだろう。良質なるものと商売は共存できないのだろうか。我が子や孫に見せれるものを作ったらどうかと思うが、その能力もないのだろう。気概が全く伝わってこないから、能力以前の問題なのかもしれない。粗悪な番組乱造よりは、電波を中止して資源の浪費を防いだ方が余程ましだ。
清濁併せのむ度量も必要だろうが、それも限度がある。いつか清流で安心して心地よく泳いでみたいがそれは不可能だ。濁流を流されて流されて、いつか港湾の底に沈み、ヘドロの1粒子に収まるのがおちだろう。
もったいない
ある女性が、6月に留学の為に出発することになった。最近は漢方薬を送っていないが、時々よこすメールが、どんどん明るいものに変わってきていることに気が付いていた。過去のトラウマから脱出するのに少し時間を要したが、今が過去を引きずるのではなく未来を引き寄せる瞬間だと気が付いてくれたのかもしれない。今を克服するにつれ、やりたいことが段々形になっていったみたいだ。散弾銃みたいな文章が、段々ライフルみたいに照準を合わせた文章になっていった。その変化の過程に関われたことが嬉しい。
実は僕が関わった過敏性腸症候群の方で留学する人は意外と多いのだ。学校や会社におれなくなった人達が、このトラブルを克服して、以前より大きな羽をはやして大きく飛び立つことが珍しくないのだ。以前からの夢を叶えたのか、新たな展開にかけようとしているのか分からないが、勇気ある1歩を踏み出す。青春の一時期に失ったものを、取りかえして余るほどの旅に出るのだ。あんなに臆病だった彼らや彼女らが、こんなに勇気を持っていたのかと驚かされる。
最近の僕の処方の特徴か、気が強くなってくれる人が多い。強いというと語弊があるが、ものに動じなくなるみたいだ。その結果、活動範囲が広がり、お腹のことを考えなくなるみたいだ。お腹のことなんかで青春や人生を棒に振るのはもったいない。もったいない、もったいないとエールを送っているが、その真意を理解してくれる人が増えた気がする。僕自身や、多くの人が克服した経験を生かさないのもこれまたもったいない。日本人特有の文化「もったいない」が救えるものが身近にいっぱいあることに気が付く。がむしゃらに自己を主張するのではなく、自分自身を本当に大切に出来れば必ず克服できる。
湿気
母が楽しみにしている菜園に居たとき、丁度指南役のお百姓の夫婦が訪ねてきてくれた。軽四トラックから、道具を降ろすと早速菜園を点検した後、稲藁を小さく裁断し始めた。その道具の名前を思い出そうとしているが今だ思い出せれない。幼いときに母の里の農家に預けられていたので、良く目にしている、いや、当時は手伝いで使っていた記憶もあるものなのに、名前が出てこない。何十年ぶりに目にしたその道具が、とても懐かしかった。また、中腰で作業を続けているご主人の腰を思いやった。と言うのは、最近やっと、脊椎管狭窄症の漢方薬が効き始めて、喜んでいた矢先だからだ。僕の母のためにそれが復活でもしたら申し訳ない。
よく働き、良く喋る奥さんとの、解説付きの指導だったが、気が付いてみると人だかりがしていた。近所の人か、或いは普段着には見えなかった人も混じっていたから旅行客も居たのかもしれないが、2人のうんちくに耳を傾けていた。それもそのはず、海水でも沸いてきそうな所、それも100年以上建物の下だったところに、藁や肥料を入れ、耕して畑にした所にトマトやエンドウやナスビが立派になっているのだから、以前の様子を知っている人達には驚きだろう。素人の母の菜園にしても、支柱を作ったり、肥料をまいたり、土を耕したりと、とても手間暇をかけていることを目の当たりにした。これが、プロのお百姓さんだったら、たいへんだろうなと想像に難くない。九の字の腰をしたご主人の作業を見ていて痛々しかった。先祖から受け継いだ田畑を守り続けてきた高齢のお百姓さん達に、どれほどの人が感謝しているだろう。「田畑を守る」延々と受け継いできた姿勢にこの国の偉い人達はどれほど報いたのだろう。
科学がどこまで発達するのか分からないが、もう不自由しているものなどないような気がする。周辺が整備されるに従って、一刻の休憩も許されないようにアクセルは踏まれ続け、すり減った心は修復できない。抗ウツ薬や安定剤でバランスをとれるはずがない。初夏の太陽がまぶしくて、じわっと汗ばみ、地面から上がってくる湿気に虫と同じように命を養われる。無くしてはいけない感覚にしばし浸った。
シャワー
軽々に論じることは出来ないが、家族内の殺人事件が多いように感じる。他人と違って、家族には、多くを期待してしまう。健康であらねばならぬ、成績優秀であらねばならぬ、精神的に強くあらねばならぬなどなど。他人なら、そのくらいなら十分ではないのと軽く受け止められることでも、家族なら許せない。より完璧を期待してしまうのだ。ただ、それを要求された方はたまったものではない。不可能を要求されて立つ瀬はない。まして1日中無言の圧力を感じていては逃げ場がない。自分を消すか、相手を消すかにまで追いつめられてしまう。凶行を行えば、檻の中で何十年過ごさなければならないなどの分別も働かないくらい追いつめられてしまう。今を逃げるので必死なのだ。
並の親の成功体験は子供には意味がない。特別優れた人なら説得力もあるだろうが、99%の凡人の成功体験など子にとって意味はない。子供にとって成功とも思わないだろう。役に立つのは失敗体験だ。子や孫が失敗し躓いたときに、共有出来る負の体験をいかに沢山持っているかが重要だ。幸運にも体験が少なければ本で得た知識でもいい。ハウツーもので成功体験ばかり追っていたのでははじまらない。
親は子にとっては避難場所でなければならない。その親が門を閉ざして入れてくれないなら、子はその門を破壊するしかない。暴力でこじ開けるしかないのだ。親に問われているのは忍耐だ。声が届くところにそっといてくれればそれで十分だ。
がれきの下で死にゆくときに「お母さんごめんなさい」と謝る子の純真さに優る大人などいない。悲惨な報道のシャワーで、洗い流すべきものは、豊かな国の殺伐とした日常の風景だ。
カタログ
最近はお祝い返しに商品カタログを頂くことが多い。大きな頂き物を持って帰る必要もないし、不用のものを頂いて迷惑がる必要もないので重宝しているのだろう。最終的には物に変わるものなので、どこかで決断して注文しなければならない。ところが我が家には数冊の未注文のカタログが無造作に置かれている。パラパラと捲ってみるが、見栄え良く配置された商品群を見ても、触手は動かされない。まさに平面的な薄っぺらな印象しか持てない。食べ物にしても、調度品にしても、食器にしても、装飾品にしても、綺麗すぎて訴えてこない。ましてそのほとんどが今問題の国の産だから、後に引いてしまう。
不用のものはないのが贅沢だ。物より空間が欲しい。2メートル四方、何もないのより3メートル四方、何もないのがいい。物に接触しない空気が鎮座しているのがいい。虫が1匹飛んでいるのがいい。切れる前の電球が、懸命に部屋を照らしているのがいい。日本が見えたり世界が見えたり、喜んだり、悲しんだりするのがいい。過去が床の上に横たわり、天井を未来が這うのもいい。
上げたいのは350グラムの希望。もらいたいのは200グラムの笑い。
錨
圧倒的な表現の前に打ちのめされることがある。人生でそんなに出会えるわけではないが、チャップリンの独裁者の中の演説は、数少ない中の一つだ。何気なく見始めた映画に徐々に引き込まれ、最後はあの演説で打ちのめされた。チャップリンの意図に誘導された優等生的な観客かもしれない。あの映画を見たのは何歳の時だったのだろう。牛窓に帰っていた。子供達もいた。手に入れたものが増え始め、失うことが怖くなり始めたときだ。臆病になりかけていた頃だから、あの勇気には後ろめたさを禁じ得なかった。ただその後ろめたさも、時が経つにつれ、持てば持つほど色あせて保護色にもなりえなかった。
「申し訳ない・・・私は皇帝になりたくない、支配はしたくない、できれば援助したい、・・・人類はお互いに助け合うべきである、他人の幸福を念願としてお互いに憎しみあったりしてはならない、世界には全人類を養う富がある。人生は自由で楽しいはずであるのに、貪欲が人類を毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血を招いた。スピードも意志を通じさせず機械は貧富の差を作り、知識を得て人類は懐疑的になった。思想だけがあって感情がなく、人間性が失われた。知識より思いやりが必要である。思いやりがないと暴力だけが残る。航空機とラジオは我々を接近させ、人類の良心に呼びかけて世界をひとつにする力がある。・・・・ハンナ・・・聞こえるかい、元気をお出し・・・ご覧、暗い雲が消え去った、太陽が輝いてる、明るい光がさし始めた。新しい世界が開けてきた、人類は貪欲と憎悪と暴力を克服したのだ。人間の魂は翼を与えられていた、やっと飛び始めた、虹の中に飛び始めた、希望に輝く未来に向かって。輝かしい未来が君にも私にもやって来る、我々すべてに!ハンナ、元気をお出し!・・・」
何十年に渡って色あせない言葉。現代にも重くのしかかっている命題をチャップリンは言い当てている。洞察力が悲しい笑いで覆われて鋭く訴えてくる。心に錨を結びつけ海底の泥の中に沈めても、色あせた後ろめたさまで隠せはしない。
酒焼け
工業高校を経て土建会社に就職し、その後独立して会社を興した人がいる。どの世界でも良くあることだが。偶然彼が牛窓に仕事の関係で来た時、ヤマト薬局に寄ったことで縁が出来た。見るからに厳つい人で、あごが張って、お腹が出て如何にも活動的。じっとしていることが苦手なタイプだ。煙草は1日80本。コーヒーは1日10杯は飲む。会社も不況にめげず何とか回っているみたいだ。
彼が仕事の関係で立ち寄ったから、コーヒーを作ってあげた。スイッチを押すだけで出来るやつだ。電気屋さんで彼も見ていたらしくて興味を持っていた。デモンストレーション宜しく作ってあげたのを飲みながら美味しいと言っていた。厳つい割にはギターやトランペットをあやつる不釣り合いなセンスを持っているのだが、味にもうるさい。彼にコーヒーを作った後、僕の分も作ろうとしてはたと気が付いた。なんと、彼のコーヒーの元が機械に未使用のまま残っているではないか。と言うことは彼の前の人に出してあげたコーヒーの出がらしみたいなのを彼は飲んでいたことになる。それに気が付いた途端笑いが止まらなくなった。腰が痛くて前傾姿勢がとりにくかったから、膝をついて笑った。涙が出そうなほどおかしかった。偶然居合わせたお客さんにも経緯を話すとその方も笑い転げた。薄いコーヒー色をした「コーヒーみたいなもの」を大事そうに抱えて彼も照れ笑いしていた。久々に涙が出るほど笑わせてもらった。免疫機能が急上昇するのを感じた。「通」もグルメもたいしたことはない。色が同じようで、泡立っていたら分からないのだ。俺はミルクだけでいいと言って、ミルクを入れて飲んでいたから、ミルクの味だけはしていたかもしれない。でも本人はコーヒーを飲んでいたつもりなのだ。
肩肘張らないのがいい。格好付けないのがいい。普通でいい。ごく普通でいい。小さな成功で喜び、小さな失敗で落ち込むのがいい。インスタントコーヒーで1時間話が出来て、インスタントラーメンで1日300円倹約できたらいい。1年に1回涙が出るほど笑えたらいい、1年に1回、涙が出るほど笑わせてあげたらもっといい。薄っぺらな人生でも笑い飛ばして、しなやかに破れないように生きていけたらいい。
ちなみに僕は彼が大好きだ。どこからみても現場の人間にしか見えない風貌でクラシックの先生についてギターを習っている姿など滑稽で想像できない。そんなアンバランスが大好きだ。酒焼けした顔をしているくせにソフトクリームを一杯お土産に持ってくるアンバランスが大好きだ。アンバランスのバランスこそ本当のバランスなのだ。
僕の大切な人達、つらい病気も出来るなら笑いながら治そう。笑いながら絶対治ろう。
特権
最近は、僕の所に直接薬を取りに来れる人もブログを読んでいる場合があるみたいで、僕の体調を今日もある女性に気遣ってもらった。便器を抱えて貧血を起こし冷や汗を流している状態を「わかる、わかる」と共感してくれた。まるで立場が逆転している。僕の方が分かってあげないといけないのに。毎週会える子だからもうお互い理解し合えていると思うが、僕もここまでメッキがはげると遠慮もない。今日はやっと立てるような腰の状態で応対した。これでは笑顔も引きつる。彼女の方が余程いい笑顔をしていた。まあ、若い彼女だからいずれ全ての点に於いて僕より秀でなければならない。登り坂と下り坂だからすぐに逆転するだろう。
遠くから訪ねて来てくれ実際に会った人も沢山いるので、もう福山雅治似とは言えなくなった。そんなことを言ったら、ファンに怒られそうだ。棒のようにキッポの姿勢でおそるおそる歩く福山雅治はいないだろう。2日と続けて元気なことなど無い。必ずどこかが痛くて、どこかが重い。体が重くない日は心が重く、身体が痛くない日は心が痛い。今日もいつ2階に上がって横になろうかと思いながら何とか仕事をしていた。ところがある瞬間、急に最悪の状態から抜け出たと感じた。それは夫婦で2回目に来てくれた人の応対を始めた時だ。脊椎管狭窄症とパーキンソンを併発していて、歩きにくいし、おならとウンチが区別できないと言う相談を2週間前に受けて煎じ薬を作った人だ。そのご主人が、ウンチが出ないようにおならが出来るようになったととても喜んでくれたのだ。その喜びを夫婦で報告してくれたとき、何かスーッと痛みが和らぐのを感じた。2人の喜びが僕に伝わってきて、とても良い気が僕の体の中を巡ったのだと思う。気が巡った瞬間、血流が改善し、虚血状態から解放されたのだと思う。ここでも僕は患者さんから良い気をもらっている。僕が与える立場なのに。
いつも健康でいたいけれど、それは僕にとっては至難の業。何とかごまかして日常生活が大きく阻害されないところで妥協しようと思っている。幸せすぎないから、健康すぎないから役に立てることもある。類が類を呼べばいいではないか。ただし、僕と縁が切れたらやはり幸せすぎるほど、健康すぎるほどの所を目指して欲しい。若者の特権をみすみす放棄しないで欲しい。
満腹
戦後まだ食糧事情も良くなかった頃(?)の世代だから、食に関しては貪欲だ。質は全く問わずに満腹中枢だけ満たせば良かった。何を食べても美味しいから、腹12分目を目指して、犬のように飲み込んでいた。その習性は未だ変わらない。
どう見ても僕の日常の食事の5倍はあった。仕出し屋のものとしてはかなり高級だった。刺身に天ぷら、しゃぶしゃぶに、にぎり寿司等々。どれをとっても我が家の一食分だ。話せる人がその場にいなかったので僕は覚悟を決めて食べることだけに専念した。途中からお腹は一杯で、箸をすすめるのは昔からの習性だけのような気がしていた。食べ物が目の前にあるからそれを抹消するためだけに、口を動かしていたような気がする。僕は車だったので、酒は飲まずにペットボトルのお茶を飲んでいた。僕より2回りは上の人達が多かったが、よく飲み、よく食べていた。
食事を済ましてすぐ2時間車を運転して帰ってきた。そしていつもの時間に夕食代わりに菓子パンを2つ食べた。もっともごちそうを食べ終わったのが4時半で、菓子パンを食べたのが8時だから、お腹は全くすいてはいなかった。ただいつものように時間が来たから食べただけだ。
その後すぐに気分が悪くなってきた。ムカムカして吐きそうになった。トイレに行って空えづきをするが、胃酸が少し出るだけだ。そのうちムカムカがだんだんひどくなり、胃酸に混じって、菓子パンの溶けたものが出だした。吐く度に貧血を起こし、便器のそばの冷たい床の上で冷や汗を流しながら横たわっていた。むかつきに何度も襲われ最終的に胃の中のものを全て吐き出しやっと眠りにつけた。二日酔いも含めて過去何度も経験したことなので、出せば治ると思って襲ってくる吐き気を歓迎していたが、そのたびに貧血を起こすのはなかなかつらい。慣れるものではない。ただ、今回みたいに食べ過ぎて嘔吐を繰り返すようなことは今までにはなかった。二日酔いか食あたりだけだ。仕出し屋の料理をフルコース残らず食べただけで、食べ過ぎになった自分が歯がゆい。大食いを自認していたぶん、ショックはある。老いると言うことは、出来なくなることが増えることだ。今まで出来ていたことが出来なくなるとき、老いを感じる。胃袋の悲鳴はずいぶんとショックだった。倒れている僕の手をずっとなめ続けてくれていたミニチュアダックスのけなげな姿が僕のその気持ちを余計増幅した。こんな小さな生き物にまでいたわられるのかと。
コウモリ
中国自動車道を利用するときに必ず立ち寄るサービスエリアに昨日も立ち寄った。黒い大きなワゴンのすぐ傍に車を着けたので、助手席から降りようとする母に、ドアで隣の車を傷つけないように注意した。僕の車との狭い空間で、男が2人でサイドミラーをやたらいじっていた。角度をあわせるだけなら運転席に人がいて、調節するのが通常だと思うからそれではないらしい。あまりの熱心さに覗いてみると、何とヒットメーカーのMだった。得意の帽子を後ろかぶりしていた。良くテレビで見る姿と同じだ。コンサートがどこかであるのか、何かの出演か僕には分からないが、2人がサイドミラーをいじっている姿が何故か滑稽だった。車の中で母がトイレから帰ってくるのを待っていると、同じ方向から、如何にもミュージシャンという格好の男がやってきた。背中までのばした茶髪、何かのロゴを印刷したTシャツ、破れたように見せかけたジーパン、鎖を初めとした飾り物。案の定僕の隣の車に乗り込んだ。
背中まで伸ばしたぼさぼさの髪、カビが生えたTシャツ、破れたジーパン、飾るものなど何もない粗末ないでたち。嘗ての僕と似てはいるけれど、全く異質な青年に興味もわかない。残念だけれど、その青年の表情よりも、光り物の飾りばかりが目に入ってくる。人間が輝かないで、いでたちばかりが輝いている。初夏を思わせる強い日差しの中でコウモリが飛んでいる。光り物で固めたコウモリが飛んでいる。
せせらぎ
法事がそろそろお開きになる頃、母がみんなの前で膝をつき、先に失礼する挨拶をした。それまで宴もたけなわのにぎやかさがぴたりと止んだ。弟が養子に入り20数年、義父が亡くなり、今年の桜が咲く頃義母も亡くなった。「こちらのお父さん、お母さんが亡くなり、息子が家を支えなくてはならなくなりましたが、なにぶん頼りないもので、みなさまの力を貸して頂かなければなりません。これからも宜しくお願いします」畳に頭を深くこすりつけていた。老いても母は母。50を過ぎた息子のことを親類一同にお願いする姿に、母親というものが持つ愛情の深さを感じた。その姿に感動したのか、一同が拍手をしてくれた。そしてみんなが玄関まで見送ってくれた。
母には少しは分かるのかもしれないが、僕には誰が誰なのかさっぱり分からない。葬式と法事に会うだけの関係だから、会話もしたことがない。ただ、今日は、親族って感覚が少し分かったような気がした。僕の両親はどちらも兄弟がいないので、親類がとても少ない。子供の時は、我が家と同じように育った母の里くらいしか親類を知らなかった。親族が多いことの煩わしさを店頭で聞く機会が多かったので、今日の経験は意外だった。
お墓までを、田圃が広がる景色の中を歩いた。県道からかなり入ったところだったので車の音もしない。時折聞こえる鳥の鳴き声に混じって、チョロチョロと流れる小川のせせらぎの音を聞いた。何十年ぶりに聞く音なのだろう。母の里と同じように田圃が広がるその町で、記憶が何十年もタイムスリップした。そこには人生を歩み始めた夢多き少年の姿はなく、無精ひげを烏に笑われる喪服姿の僕がいた。
強者
ある病院の医師は、沢山薬をくれることで有名だった。患者さんが多いから勿論腕もいいのだろう。その医師が開業したので、ある患者は付いていき、ある患者は残った。病院には若い医師がきて、開業した医師の跡を継いだ。若い医師の処方箋を持って患者さんが来る。同じ病気のはずなのにずいぶんと薬が減っている。半減した人もいる。あまりに減ったので中には大丈夫ですかと尋ねた患者もいるそうだが、大丈夫と請け負ってくれたという。
体重が40Kgない老人に、10種類以上の薬を飲ませて、肝臓や腎臓が持つはずがない。自覚症状を訴えれば訴えるほど薬をくれるらしいから、医療費がただだった経験のあるあの世代の人達は、貪欲に薬を所望する。それによって内臓が痛むことも知らずに。多くの人が老化と病気を勘違いして薬漬けになっている。
周辺の薬局が処方箋を受けて、懸念を抱いていた。集まりがあるときに、薬が多いことが話題には出るが、薬剤師に口を挟む権限はない。余程の飲み合わせの不都合でもあれば別だが、書物に出ていなければどうしようもない。薬剤師に患者さんの病気は分からないから、間違いの無いように調剤するだけだ。時には歯がゆい想いもするが、これが現実なのだ。大量に薬を飲む人が来なくなるから、正直ほっとしている。消極的に荷担しているような気がしていたから。
体調不良を自力で治すような強者が少なくなった様な気がする。何でも医療機関や薬に頼り、自然治癒力を導き出していない。もっとも、心の自然治癒力はもうとっくに放棄しているから、今更身体だけ自然に治せと言っても無理かもしれない。自然を破壊し追いやり、自然な人間同士の結びつきを忌避し、それで自然治癒力だなんてありえない。健全な風景の中に溶け込める人にはなかなか出会えない。
箇条書き
牛窓にも訪ねてきてくれたし、一緒に備中温羅太鼓の公演を聴いたりしたので、色々なことが手に取るように分かる子だ。2週間毎に電話もくれるから、声質や話し方で、彼女の様子も分かる。
彼女がメールで、薬を飲み始めてからの体調の変化を箇条書きにして教えてくれた。と言うのは、電話では自分の想いを伝えたくてどうしても、困っていることが優先的になる。いやいや、ひょっとしたらそればかりかもしれない。ある日ふと、彼女が気が付いて、最初に僕に依頼してきた時の文章と現在の体調を比べてみたらしい。すると11項目に改善が見られていたというのだ。マイナスのことばかり僕に伝えていたというのだ。
ずいぶんと体調が良くなっていることに気が付いたのはよいことだ。体は部分の集合ではない。血液や神経やリンパで繋がっている有機体だ。だから完全に独立して病気にもならないし、完全に独立して回復もしない。連携しながら全体が病み、全体が回復する。箇条書きに客観的に整理したことで、彼女は一歩退いて自分の体調を眺めることが出来るようになるだろう。治療に力みが消えることはとっても良いことだ。頑張って頑張って、力んで毎日を戦っている子だから。
今日あるお母さんから、お嬢さんが1人住まいをしたいと言い出したと相談があった。大学入学後、登校できないかと心配したけれど、もうほとんど完治が見えてきた。お母さんは心配だが、1人住まいしたいと言うくらい自信が出来たのだ。僕は嬉しかった。お腹が治って、1人の立派な大人にこれから脱皮していくのだ。本人は勿論、お母さんと幼い妹の3人で牛窓を訪ねてくれた。丁度僕の体調が悪いときで最高のおもてなしが出来なかったのだが、この結果にいたって、僕自身もほっとしている。妹さんが、大きなリュックを背負って、海外旅行にでも行くのかといういでたちがとても可愛く印象的だった。
過敏性腸症候群の僕の処方もずいぶんと変化してきた。色々な出会いが、僕に力を与えてくれる。僕が与えるよりはるかに大きなものを、彼女たちから頂いている。彼とうまくいっているかな、バイトを始めたかな、授業をさぼったかな、色々な風景を想像しながら薬を作る。1日があっという間に逃げていく。
コブラ
偶然見た番組の一部だが、インドのある地域での日常の映像。僕は最初、何かのトリックか合成だと思っていた。ところが、ナレーションが、その生き物を地域の人達は神様と崇めているというのを聞いて、映像が真実だと分かった。見た人もいると思うけれど、どう感じただろう。
台所で婦人が食事の用意をしていた。そのすぐ傍をコブラがゆっくりと這っている。子供が水道で足を洗っている。その傍をコブラが一緒に水浴びするかのようにゆっくりと這う。細い路地を人々が行き交う。コブラも同じようにその路地を移動する。人間とコブラの距離はどれも10cmくらい。コブラは神様だから人間に危害を加えないし、人間も神に危害を加えない。まさに共存しているのだ。咬まれても免疫があると信じている。まるで犬や猫のように気持ちが通っているかのような、高度に頭脳が発達した人間と、は虫類がさも心を通わせているような光景だった。数日たってもあの場面が折りに触れ思い浮かんでくる。あまりにも衝撃的な映像だったから。
心など持っているはずもないは虫類とでも、何千年(?)傷つけあわない関係を作れば信頼の元に共存できるのだ。人間に比べてかなり短い寿命のはずの生き物が、世代を越えて、敵でないことを何故伝えられるのか分からない。何が介在してこんな不思議な関係が作れるのだろう。日本で言うとさしずめ、鳩やツバメとの関係だろうか。益虫や通信手段として大切にすれば、人間を恐れない。鳥類がは虫類に取って代わっているだけなのか。 コブラとだって信頼関係を築けるのに、何故か人間同士は難しいらしい。高度に発達した知能が邪魔するのか、発達しなかった何かが邪魔をするのか分からないが、悲しい報道が続く。許し合うこと、傷つけないこと、分かち合うこと、もはやどこでも、誰にも教えてもらえなくなったこれらのことが欠如した社会は、は虫類以下だ。自転車がすぐ傍を通ったときさすがに鎌首を上げて警戒したが、それでも危害が及ばないと分かると又ゆっくりと這い出したコブラにも負ける。喜怒哀楽を偏在して備えている現代人は、コブラの足下にも及ばない。ああ、コブラには足はないか。
海ブドウ
牛窓中学校の修学旅行は沖縄だそうだ。一昨日帰ってきたらしいが、その中のある生徒がお土産を買ってきてくれた。今朝、そのお母さんがことづけてくれた。いくら小遣いを持っていけるのか分からないが、僕のために割いてくれた気持ちが有り難い。
僕が甘党なのに、和菓子系があまり得意でないことを知ってか知らないでか、黒糖パイというのを買ってきてくれた。それともう一つ「海ブドウ」なるもの。こちらが問題だ。名前も聞いたことがないし見るのも初めてだ。正直グロテスクに見えた。緑色をしたたこの足に見えた。まるで小さな吸盤が延々と続いているようだった。お母さんに「気持ち悪い」と言ったら、それがいかに有名で美味しいか説明してくれた。食べ方も詳しく教えてくれた。昼ご飯に食べるように言われたが、そんなに食べたくは思わなかったので、夕食に頂いた。教えてもらったように、水洗いして、添付のタレで食べた。おそるおそるの一口で海の香りがし、海藻特有のぬめりも少なく、意外と食べやすかった。僕も海辺で育っているので、第一印象さえ克服すれば、海のものなら何でも大好き。最初は1本をつまむようにして食べていたが、そのうち数本を口の中に入れるようになっていた。傍で食べていた娘がやはり、沖縄に旅行に行ったとき食べて美味しかったと言っていた。
夕方、遠くの方から電話を頂いた。僕の声を聞きたかったと言っていた。聞かない方が良かっただろう。恐らく想像していたのとはかなり違っただろう。僕によそ行きはないのだ。せっかくのお土産を「気持ち悪い」と言ってしまう程度なのだ。そのお母さんと平生交わしている会話と何ら変わりない言葉で初めての方と話した。ただ、そのお母さん、子供達の幸せを願うと同じように、初めての方の不運からの脱出のお手伝いが出来たらと思う。近くても遠くても、その気持ちに差はない。
落ちぶれるように田舎に帰ってきたが、そのことを後悔したことは一度もない。生活の糧を得るために、ただ勉強していれば良かったのだから。あれほど苦手だった漢方薬の勉強を。中学生から土産を頂くなんておまけも付きだしたのだから、もう少しの間、泥臭い仕事を続けようと思った。
無用
沢山部屋があっても使っているのは2つか3つ。沢山家具があっても、使っているのは2つか3つ。沢山食器があっても使っているのは2つか3つ。沢山食材を冷蔵庫にしまっていても使うのは2つか3つ。無用のものに囲まれ、作っているのは無駄ばかり。残すものは何もないが、これでは残してしまうものがありすぎる。残される側としてはほとんどが、がらくただろう。残されて迷惑なものばかりだ。
あまりにも身軽な青年期を過ごしたものだから、その感覚が至上のものと思ってしまう。何もない気楽さに優る開放感はない。何もないことが豊だと当時は決して思わなかったが、人並みに所有するに従って、その価値がだんだんに分かってきた。無いところから始まって、結局そこに帰るなら、ずっと持たないのがいい。ものを持たなければ、気持ちも軽くなる。失う心配がないなんて究極の開放感だ。そんな開放感を長く感じたことがない。いずれ迎える臨終の時、高価な車に乗ったことを思い出すのか、立派な家を建てたことを思い出すのか、出世して肩書きが立派になったことを思い出すのか。そしてそれらがすばらしい人生の証だと満足するのか。
より良く生きようとしたが、より豊かに生きようとしたのではない。多くを失わなかったのに多くを得ようとしたのでもない。ここに来てやっと与えられる以上に与えたいと思えるようになった。大切にされるよりは大切にする方が心地よいことも分かった。学生時代、4畳半の狭い部屋に寝具とホームごたつしかなかったが、出入りする友情は、今の何倍も豊だった。豊かさは、目にも見えない、耳でも聞こえない。勿論手でも触れない。心でしか感じることは出来ない。
その後、無用と無駄に囲まれ、豊かさがどんどん離れていった。
昼食
急に倉敷市の水島教会に行くように言われて、意気揚々と出ていった。以前行ったことがあるので、十分余裕を見て出ていった。昼ご飯は教会の近所を探して食べればいいと思っていた。バイパスを走っていると案内標識が水島を告げる。しかし、以前降りた道とはなんだか違う。2カ所目の標識で意を決して降りた。水島を通り過ぎる可能性があったから。
記憶を頼りに探せば何とかなると思っていたが、目的の町にすでに入っていると思われるのに、全く記憶にある町並みと遭遇しない。1時間の余裕はあったけれど、何となく不安になって、道行く人達に尋ねてみた。ある人は知らないと答え、ある人は漠然とした答えをしてくれた。結局偶然見つけた交番に入り、交通指導員という人の世話になった。恐らくボランティアで道案内をしているのだろうが、これが残念ながら頼りなかった。それでもある程度まではその方の説明で近づけた。結果的には開会の時刻2時ぴったしに門をくぐれたのだが、1時間後に出発したはずの神父様と同時に着いた。10人以上の人に尋ねてたどり着いたのだが、決定打は、クロネコヤマトの運転手さんだった。ある建物の前で荷物を配達しているのを見つけて、尋ねた。地図帳を取り出し、路地の1本も間違えることなく教えてくれた。車がすれ違えない細い道沿いにあったので、的確な教えがなければ、たどり着けなかったのではないかと思う。
夕方会合を終え、今度は岡山の標識を頼りに帰り始めた。するとすぐに、倉敷美観地区の標識が現れた。以前は倉敷の中心部からかなり遠くの教会に行ったはずなのに、こんなに短時間でこの辺りまで帰ってくるのはおかしいとその時初めて気が付いた。以前行ったことがある教会は、玉島教会なのだ。だから道中も、教会の中の雰囲気も異なっていたのだ。それなのに、全くの思い込みで、異なる町でありもしない風景を必死で探していた。倉敷に複数の教会があるとは知らなかった。何を過信していたのか自分でも情けないが、せめて1時間の余裕を見て出発していたのが幸いした。
教会で失敗談としてこの話をすると、ナビが付いていないんですか?と真顔で尋ねられた。決まったところにしか行かないし、日曜日しか出かけることもないので、そんなものいらない。ナビも携帯も必要ない。紙と鉛筆、それに10円玉があれば足りる。僕のために石油や希少金属を浪費してくれなくてもいい。僕のために廃棄物を作ってくれなくてもいい。門で鉢合わせした神父様が「大和さん、お昼ご飯食べましたか?」と尋ねてくださったことのほうが余程心が豊だ。それにしても何故浩昼食をとっていないことが分かったのだろう。
コーヒー
便利なものがあるものだ。簡単に美味しいコーヒーが作れる。それもあっという間に。いわば自動販売機の家庭版みたいなものだ。漢方薬を作る時間待ってもらうのが気の毒だから、今日ある方に僕が作って出してあげた。するとその中年女性の方が「美味しい」と大きな声を出して喜んでくれた。その喜びようにこちらも嬉しくなった。その方の職場の近くに美味しいパン屋さんがあり、コーヒーを飲みながらパンをいただくらしいが、そのお店より美味しいと言ってくれた。お世辞かどうか分からないが、恐らく僕がコーヒーカップを持って現れたから、そちらの方がインパクトが大きかったのかもしれない。コーヒーの香りよりも味よりも、運んできたホンダのロボットみたいな人間の方が滑稽で味わいがあったのかもしれない。
学生時代、食費はなかったが、毎日一杯のコーヒー代とたばこ代とパチンコ代はあった。生活費ぎりぎりだけバイトで稼いで、何とかしのいでいた。今思えば不思議なのだが、どのくらい稼いでどのくらい使っていたのか分からない。何を想い毎日暮らしていたのかも定かではない。どこに向かっていたのかも分からない。みんなが授業を受けている時間、繁華街のジャズ喫茶に行き、コーヒー1杯で2,3時間ねばり、およそ薬学とは関係ない文庫本を読んでいた。人の顔がやっと見えるような暗さの中で、むなしくページを捲っていた。その後は、決まってパチンコ台の前で数時間過ごしていた。自己嫌悪との戦いはいつも敗れて、不健康な身体を不健康な精神が串刺しにしていた。
賛美する青春時代は僕にはない。混沌の中で沈殿していた。青春に特別な意味を持たせるな。持てば空しさにつぶされる。前線が運んでくる湿った空気、所詮そんなカビ臭い時代でしかなかった。
経過
中部地方に住んでいる方から、何回目かの薬の注文が入った。頂いたメールを読んでいて何か強く印象に残った。平易な言葉で表現されているのだが、あることに関してとても的を射ているような気がしたのだ。
過敏性腸症候群の治り方、言い換えれば治っていく経過をとても端的に表してくれているのだ。過敏性腸症候群の相談をしてくれる人は、まず治らないと言う前提の人が多い。それでも相談してくれるのだから、一縷の希望は繋いでくれているのだろうが、期待感は非常に少ないように感じている。また、治り方が分からない、元気だった頃がどうだったのか想像できないなどとも良く言われる。そうした疑問に僕が答えるより、彼女の文章ははるかに説得力があることに気が付いた。僕が理論や理屈を言うより数段雄弁だ。僕はすぐにその方に、貴女のメールを僕のブログに引用させて欲しいとお願いした。すると彼女は、快く承諾してくれた。中学校以来20年間苦しんでいるので、同じ悩みの人の苦しみが少しでも軽減するならと言葉を添えて。以下にそのまま全文を載せる。
「こんばんは!最近の調子は、、、すこぶる調子いいです(^−^)気持ちが随分ラクで、心が軽いです。こんな気持ちの状態は、本当に久し振りです。便が朝、毎日でるので日中ガスも少なくなりました。ガスが出ても、あまり気になりません。自分が人生を楽しむこと、自分は自分であること、自分本位であること、事実と現実が違うこと がよくわかったように思います。と、言っていて明日になると最悪になったりして・・・まだ薬をやめるのは不安ですので、漢方の粉の薬のみを注文します。(煎じ薬は、まだあります)。よろしくお願いします
体調の変化と共に、心の持ちようがずいぶんと力が抜けてきている。最近僕が多くの方に飲んでもらっている処方が、なぜか心がリラックスして力みがとれるみたいだ。漢方の世界に安定剤みたいなものはないけれど、薬草で気を強くすると逆にリラックスできるみたいだ。だから恐らくまじめ一本で、愚直に、控えめに生きてきた彼女も、少し自分をわがままに大切にしようと思ってくれるようになったのだと思う。もう青春は帰ってはこないが、大人は考え方によれば青春以上に楽しい。今からでも何倍にもして人生を取り返すことは出来る。嘗て僕も住んだことがある街で、1人の女性が青春の落とし穴から這い出ようとしている。そこには胸まで髪を伸ばし、汗くさいTシャツ、破れたジーパン、すり減ったズック靴の痩せて青白い青年がいた。30年前彼が歩いた商店街を、彼女が今歩いているだろうか。
獣道
ただカメラで群衆の姿を映していた人を、後ろから虫けらのように撃ち殺す。そんなことが、まるで煙草に火を付けるがごとく、何気ない日常の出来事と同列に許される国で、数万人が台風で死んだり行方不明になっている。あの時はやたら目立っていたあの職業の人間の姿は、被災し、途方に暮れる住民達の中には見出されない。どこにいて、何を守っているのだろう。銃の引き金は引けても、住民を守ることは出来ないのだろう。いやいや、最初からそんな意味では存在していない人間達だ。
志を、命を銃弾で抹消された国に、援助する。救いの手を待っている人達に、本当に届くかどうか検証できる保証がないのに物資を送る。憤りと空しさが混在する。こんなに歴史を重ねてもまだ、家畜のように扱われる国がある。人は衣服をまとい、言葉を喋る家畜ではない。家屋につぶされ、高潮にのまれ窒息するために生まれてきたのでもない。
人の道を踏みにじる人間が支配するところで、人の道を通さ無ければならない不条理を、人の道だから受け止めて、人の道のように振る舞わなければならない。いくら獣道が誘っても。
窒息
夜が突然に落ちてくるものだから、心の扉を閉めておく間もない。混乱をどこかに捨ててしまえるなら、うつむいたまま冷気の侵入を許すこともないのに。難問は平気な顔をしていつも隣に席を用意する。冷静を装わなければならないほどの動揺も、地殻を揺り動かされては隠せない。
自殺は他殺だ。自分で自分を追いつめるような人間はいない。追いつめられたのだ。いくら手を差し伸べても家族や、職場や、近隣ではどうにもならないことがある。夢も希望もない人達に、栄耀栄華をこれでもかこれでもかと繰り返し見せつけるマスコミに殺される。あたかも階級制度を復活させたような政治に殺される。行く道がないのにどう生きる。たどり着くところがないのにどう生きる。共に歩む人がいないのにどう生きる。約束された幸せが無いのにどう生きる。
現代は、酸素を含まない空気を吸っているようなものだ。息苦しいだろうな。手を差し伸べてくれる人もなく、振り向いてくれる人もいないとしたら。公はもう公でなくなっている。助けてくれと叫んでも届かないところにってしまったのか。それとも、聞こえて聞こえない振りをしているのか。
今もどこかで窒息しそうな人がいる。救えないのは社会の非力。
レジ
何をそんなに威張っているのだろう。あなたが買った商品をいちいちかごから取り出し、レジを打ちながら値段を唱え、違うかごに入れ替えているのは、ある時はあなたの妹のような世代かもしれないし、ある時はあなたの母親の世代かもしれない。あなたはお金を投げ出し、カードを投げ出し、能面のような顔でレジの前に突っ立っている。不幸にも小学生くらいの子供が2人いて、あなたの態度をずっと見ている。幼いときから日常的に繰り返されている光景ならもう完全に遺伝子の中に組み込まれただろう。感謝を知らず、謙遜を知らず、挨拶も出来ない、あなたと同じように果てしないコンプレックスを、威嚇することでしかぬぐえない臆病な人間に育つだろう。臆病だからよく吠え、その結果共同体から疎外され、恨みと嫉妬に翻弄されるに違いない。
今は若いあなたでも、いずれは老いて体は不自由になり、人の助けなしには過ごせなくなる。誰が助けてくれるのだろう。目も合わせず、礼も言えなかった人を誰が心から助けるのだろう。増殖中のあなたの仲間を一部の善意ある人達が面倒を見てくれるのか。かつて、お金を投げられ、カードを投げられ、屈辱に耐えた人達に助けてもらうとでも言うのか。
この国は、スーパーのレジから、ホームセンターのレジから、ドラッグストアのレジから滅ぶ。
引退
何となく、何となく日はたっていくものだ。昨日までは押し寄せていた人達も、今日は冷たい雨に流されたようにいなくなった。いつもの落ち着いたひなびた町に帰った。一瞬夜空で破裂した花火のように、輝きもしたが、それは夜が暗いことを教えてくれる輝きでもあった。
いっぱいすることを用意し、時間割を決めないで、順番を決めないで、行き当たりばったりの時間を過ごすことを決めていた。出来ればよし、出来なくてもよし。結果が必要ない、評価されないことの気楽なこと。いかに日常が、結果ばかりを要求されているのかよく分かる。もう何年も、心も身体も緊張し、戦いのモードに固定されている。心も身体も休んで、筋肉の緊張がとれたら、もう少しは健康になれるのかと、この数日で疑似体験した。しかし現役の間はそれは無理か。引退したら、今まで経験したことがないような穏やかな心身が保証されるのか。
ある日突然降ってわいた緊張に涙するお母さんがいた。ニュースで流れる映像は、戦いのモードを休息のモードにスイッチして想い出をいっぱい背負っている人達を写す。しかし、こんな日にも、母として戦いのモード以外にはあり得ない生活している人もいる。痛いほど分かるのだ。一つ一つの言葉が痛いほど分かるのだ。母としての引退はないのだ。引退して心の平安を得ることは出来ないのだ。僕の職業的な引退とは次元が違う。母の大きくて深い愛は、大きくて深い悲しみにも代わる。母こそ幸せであるべきなのだ。
ドミノ倒し
自分の町を久しぶりに海から眺めた。それも過去のように前島に渡る漁船やフェリーではなくヨットだったのでゆっくりと眺めることが出来た。珍しく息子が孫と嫁さんの家族を伴って帰ってきたので、妻がヨットを手配したらしい。
今日の牛窓は、観光客で一杯だった。目立ったのは家族連れだった。高年齢の家族、幼い子供を連れた家族、現役2世代家族、まちまちだったが健全な家族の風景が観光地を活気づけていた。陸にいたら暑いくらいだったが、沖に出ると帆を一杯にふくらます潮風はひんやりとして気持ちよかった。10年に一度眺めるかどうかのアングルは、山肌に広がる新しい建物を印象づけた。都心部から移り住む人がモダンな家を建て、風景の香辛料になっている。リマーニというホテルに泊まっている観光客と同じヨットに乗せてもらったが、皆とても心地よさそうに風の音を聞いていた。まさにこの海で育った人間にとっても癒しのミニ航海だった。
この数年、僕の薬局でのジンクスがある。過敏性腸症候群の相談に来た人達と僕の家族が、日が沈む頃フェリーで前島を往復する。片道5分くらいの距離なのだが、フェリーの甲板から眺める夕陽がとても綺麗なのだそうだ。その夕陽を見た人がほとんど治っているのだ。僕は実際見たことがないのだが、とても綺麗らしくて、全員が感動してくれている。実際、日本夕陽百景にも選ばれているらしい。新しい家族と楽しくのんびりと過ごしながら、僕は今度訪ねてくる人がいたら是非ヨットに乗せてあげようなんて考えていた。都会の人や、山間部の人には確かに珍しい体験になるだろう。
ジンクス通りだと、僕の漢方薬が効かなくても、フェリーや夕陽が助けてくれる。ヨットによるクルージングならもっと助けてくれるだろう。何の力でもいい、治ってお腹のことなんか気にせずに人生を謳歌してくれればいい。1人が幸せになれば、きっと回りに幸せのドミノ倒しが展開されるだろう。小さくてもいいから、ゆっくりでもいいから、終わりのないドミノ倒しが。
荷造り
隣の市に住むおばあさんから、相談の電話がかかってきた。昨年の12月にヤケドをしてお医者さんに治して頂いているらしいが、いっこうに良くならずに今でも衣服がすれると痛いのだそうだ。色々経過を教えてくれたが、結局は食が細くて治る力がないってことだ。若い人ならいざ知らず、老人が普段一杯薬を飲んでいて、胃腸がいいはずがない。そこにヤケドをしたのだから、ストレスでますます食欲もなくなるだろう。案の定、胃薬も病院でもらっているという。
僕ならまずおばあさんの消化器系を元気にして、肉芽が内部から作られるような漢方薬を使う。表面に薄皮を張らしてもちょっとの伸展ですぐはがれてしまう。それよりも内部から肉を盛らしてくるのがいい。漢方薬にはそんな処方がある。そう説明すると是非治したいから薬を送ってくれと言うことだった。翌日薬を作りクロネコヤマトで送るように荷造りをしているときに、おばあさんから電話がかかってきた。僕がおばあさんに説明したことをお医者さんに言ったそうだ。するとそのお医者さんは、「ずっと私もそのことを考えていた。病院でそんな薬を出してあげる」と言ったそうだ。5ヶ月近く、消毒だけして自然治癒を待っていたのだろうが、老人にそんな力はない。体力を補ってあげないと若者のようには何も治らない。僕の薬局も病院の処方箋を調剤しているから分かるが、病院の薬にその種のものはない。そのお医者さんが何を頭に浮かべてその様に言ったのか分からないが、まさかビタミン剤なんかではないだろう。まだ作っていませんかと尋ねられたから、まだ用意しているところですと答えた。本当はほとんど荷造りを終えかけたところだったが。何故おばあさんが敢えてお医者さんに言ったのか分からないし、お医者さんが本当におばあさんのことが気になってずっと体力を付けようと思っていたのかどうか分からない。電話を置いた後、何となく哀れだなと思った。僕の処方が絶対役に立てるかどうかは分からないが、おばあさんは早く治るチャンスを失ったような気がした。
おばあさんにとっても、お医者さんにとってもとるに足らないことかもしれないが、僕はおばあさんに相談を受けたとき必死で考えた。見えないところを見る力は僕にもないが、大切なことは、表にはなかなか出ないものかもしれない。教訓に富んだ出来事だった。
本当は26.5cm
今日、山の上のパン屋さんが2人で訪ねてきてくれて、靴?スリッパ?をくれた。数日前僕の足のサイズを尋ねられたので適当に答えていたが、履き物をくれるなら正式に測っていれば良かった。(足占いをしてあげるとごまかされていた)でも、少し大きめかと思うけれど、くれた理由がとても有り難かったので感謝あるのみ。誰経由で知ってくれたのか分からないが、僕が腰と首に弱点をもっていることを心配してくれて、わざわざ買ってくれたらしい。最近テレビで子供のスリッパがエレベーターに挟まる事故が報道されたけれど、あの種のスリッパのように見えた。立ち仕事が多い病院でも使われているらしく、二人が今まで履いた物の中では特段お勧めらしい。
早速履いて仕事をしてみたが、特別何か優れているようには感じなかった。ただ、仕事が終わってから以前のスリッパに履き替えたら、その硬さに気が付いた。今までそれこそ何十年も靴もスリッパも堅いものと思っていたから、堅くないもののほうが違和感があったが、僅か数時間で、感覚が全く逆転した。人間の主観なんてたいしたこともないし、拘る必要もない。所詮この程度なんだから。
閉店間際に、ある女性と話をしていた。別に見せびらかすつもりはなかったのだが、その女性に向かって、足を投げ出すような格好で話していたのでいやでも目に付いたのだろう。彼女が、どうしたのと尋ねてるから経緯を話すと、だいぶ前から流行っていると教えてくれた。そうか、流行の先端を足下だけでも行っていると思ったのに、またしても流行から後れた。
家族でも気を付けてくれないようなことを、 山の上のパン屋さんが気遣ってくれ、家族でも気が付かないような僕の変身ぶりを、居合わせた女性が気付いてくれる。それでいいのだ、誰もが緩やかな想いで繋がる。平和とは、難しくも何ともない。争わないこと、それだけだ。