栄町ヤマト薬局 - 2008/02
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漢方薬を初め、天然素材の薬を用いて、さまざまな慢性疾患の回復のお手伝い
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操縦
田舎の人の親切を実感してくれただろうか。東京から来てくれた女性が娘と一緒に船に乗った。すると船長さんが一瞬だけ船を操縦させてくれたそうだ。1秒だったのか2秒だったのか知らないが、滅多に出来る経験ではない。少し話も出来たみたいで親切さに驚いていた。彼にとっては何でもない日常の一こまなのだろうが、体調不良を克服したくて意を決してきた若い女性にとっては、思い出に残る体験だったと思う。
2週続けて飛行機で過敏性腸症候群の人が訪ねてきてくれた。意外と近いんですねと2人が同じ感想を漏らしていた。新幹線派の僕にとってはその時間と意外と安い運賃は魅力ではあるが、やはり羽がない僕は高いところは苦手だ。今日来た女性には少し牛窓を観光してもらえた。海の色がとてもきれいだったと、山のカフェから帰って感想を言っていた。少し波が高かったそうだが、彼女の日常の波ほど高くはない。抱えている物はうねりとなって襲ってくるのだろう。負けないでと櫓を漕ぐ姿を応援するが、僕の声は風に運ばれて届きはしない。いずれあなたは大都会のすし詰めの中で、自分を殺しながら生き、生かしながら殺す日々に帰っていく。主のいないツバメの巣を見上げ感慨深げに見入っていたあなたは何を考えていたのか。僕はその後ろ姿を見つめながら、いつかあなたが胸を張って、あなたであることを誇りにし、あなただからこその人生を謳歌して欲しいと願っていた。あなたのままで充分。ちょっとだけお腹がおとなしくなってくれればそれでいいではないか。変わらないで、変えないで。
空腹
今日ある方に、薬局で使えなくなった大きな道具や什器を持って帰ってもらった。軽四トラックにやっと載った。おかげで薬局が少しだけ広くなった。薬局の中はさすがにがらんどうというわけにはいかないが、出来れば住居は何もない簡素な空間にしておきたい。ところが、いつの間にか集まった物達で結構狭くなっている。田舎だから都会のように土地も家も狭くはないが、その田舎の恩恵さえ失っているのではないかと思えるくらい物で埋まっている。恐らく何年も手にしたことがないような物がほとんどだと思うのだが、壊れないから捨てれない。僕はほとんど買い物をしないから、恐らく僕のものは少ないのだと思うが、だからといって家族の物を勝手に処分も出来ないから、溜まる一方だ。
洗面道具と、机と、ホームごたつと、布団と僅かな着替え。これで過ごした10年が気楽で良かった。守るべき物は自分の身体だけだったから全くの身軽だった。所属している物も従属している物もない、全くの身軽だった。部屋にいて、壁を眺める。やがて壁はスクリーンとなり僕の思惟を投影する。色が咲き動きが生まれ音楽が流れる。何もないところに多くの言葉が生まれ、何もかも揃ったところで言葉が滅びる。ほんの少しだけ覗いた壁を見て、失いかけていた空腹の快感を思い出した。
景品
滋賀県ナンバーから降り立った女性が、ルルを買いに入ってきた。田舎の薬局が珍しいのか、視線を四方に走らせていた。見つけたのが、かごに盛られているパンの袋だ。美味しそうなパンを4個ずつ袋に入れてかごの中に数個並べていた。その回りにはアザレアの鉢が10数個、又その隣には文房具セットやトートバックなどが並べられている。女性が美味しそうなパンですねと言って袋を一つ取りカウンターに持ってきた。いくらですかと尋ねるから、売り物ではないと答え、テーブルの上に陳列していた理由を話した。
薬局はそもそも病気などのトラブルを抱えている人が来るところだから、基本的にはマイナーな所だ。その雰囲気を少しでも緩和したくて、毎月1週間だけちょっとしたお遊びをしている。くじ引きをして童心に帰ってもらうことにしている。テーブルの上に一見華やかに並んでいたのは、それらの景品なのだ。薬を買うために入ってきた女性の目に留まるのもうなずける。その一角だけが情けないけれど華やかなのだから。
女性は無類のパン好きらしく、どうしてもそのパンが欲しいという。我が家が、今はまっているパン屋さんのものなのだが、自称無類のパン好きの人に何が訴えているのか、その女性はあきらめない。袋の外から見ただけで何か感じるところがあるのだろうか。僕は根負けして、どうしても欲しいのなら売ってあげようかと提案すると、女性はとても喜んだ。いくらですかと尋ねられても僕には分からないから300円と適当に言うと、それも又喜ばれた。きっともう少し高いのだろう。
とってつけたお世辞のようには聞こえなかったが「いい薬局ですね」と誉めてくれた。パンを売ってあげたからいい薬局と言ってくれたのかもしれないが、本当は何か相談に来て、薬を作ってから言って欲しかった。ルルならドラッグストアーで十分だ。
今日はほのかな甘い香りが薬局の中に漂っていた。いつもなら漢方薬の独特の匂いで覆われている空間があか抜けたようだ。選択する職業で囲まれるものが全く違う。その中にどっぷりと浸かって、居心地の悪さを感じない僕は余程マイナーに出来ているのだろうか。
眼差し
「私は青春を無駄にしています」と自嘲気味に言うが、肯定も否定も出来ずに僕は次の言葉を待った。能力を評価されず、また発揮できずに日々を単純な労働の繰り返しで過ごす彼女に僕はかける言葉がない。欲しなくても誰かがしなければならないことを、この国の人でないと言う理由のみで押しつける。この国の人達が音を上げて避けることでも、彼女に断る権利はない。豊かさとは、お金で時間や荷役からの解放を買うことなのか。貧しさとはあてがわれたことを拒絶できないことなのか。
残念ながら、僕はこの国の人間なのだ。お金で多くのものを買い多くのものから免れている人間なのだ。何をどの様にすれば免罪符が与えられるのか、時々見せるうつろな眼差しから逃れるために考えている。決して責められはしないが、それだからこそ逃れたくなるような鋭利な真実が垣間見える。
微笑むこと、白い歯を見せて笑うこと、お茶を勧めること、いくつもの言葉を並べること、手を振って別れること、又おいでと叫ぶこと。それ以上、何が僕に出来るというのだろう。
自然体
これで大人なのだから、今の若者は・・・何て誰にも言う権利はないような気がする。そんな思いを買い物をするたびにさせられる。僕が買い物をするとしたら、スーパーかホームセンターぐらいだから、あくまでその種の業態内での話になるのだが。それらの店は日曜日急を要したときだけ利用する。レジに並んで、前の人の会計を待つ間、客のレジ係に対する態度を観察していると、まるで挨拶がない。挨拶どころか目も合わせない。店員が、テープレコーダーのようにマニュアル通りの対応をするから嫌気がさして、意志を疎通させないのかどうかわからないが、二つのロボットが対峙しているような無機質な関係に見える。どう見ても人間と人間ではない。お互い壁ではないし、段ボール箱でもない。両者とも人間のように見えるのだが、人間のようには振る舞っていない。何を大の大人がいばっっているのか知らないが、レジ係に向かって虚勢を張っている姿は哀れなものだ。中にはとても丁寧で気持ちよい応対が出来る店員もいるのに、その人達に向かっても、残念ながら無視したりがんを飛ばしたりしている。恐らくそれらの客も、家に帰れば妻や夫、子供や孫もいるのだろう。会社では役職に就いているかもしれない、近所では評判の奥様かもしれない。それが何故、買い物に行ったときに挨拶の一つも言えず、ねぎらいの声もかけれないのだろう。人格なんて、全く利害が成立しない時、いや、立場が上に立ったとき初めて本質が現れるものだ。僕は関係性で優位に立ったときのその人の振る舞いこそで人間性を判断することにしている。自分が都合の良いときの行動なんて全く当てにならないし、損得が計算され尽くしている。実るほど頭を垂れる人以外は、尊敬もしないし信用もしない。普通がいい。自然体がいい。
収支
戦いで負傷した兵士が、のどが渇いて苦しんでいた。激戦の中で水は手に入らなかった。従軍神父の水筒の中に少しだけ水が残っていた。それを負傷した兵士に飲ませようと与えたが、兵士は他の兵士の視線が気になり飲めなかった。その様子を見ていた指揮官が水筒を取りあげ、ごくごくと大きな音を立てて飲んだ。そして負傷した兵士に水筒を返した。水筒を返してもらった兵士は、水筒の重さが変わっていないことに気がついた。そして自分もごくごくと音を立てて水を飲み、それを次の兵士に渡した。そうして次から次へと水筒は渡され再び負傷した兵士の元に返ってきた。それでも水筒の重さは変わっていなかった。そして全員ののどの渇きは癒されていた。
ほんの少し残っていた水で全員ののどの渇きが癒されるはずはない。全員ののどの渇きを癒したのは心なのだ。負傷した兵士が遠慮せずに水が飲めるように演じた兵士達の心なのだ。与えることで得た喜びなのだ。
得ることで与えられる喜びは、与えることで得られる喜びには及ばないだろう。その未知なる喜びをもっともっと味わえるようにならなければならない。そうしないと僕自身の人生の収支が合わない。
突風
一瞬にして外の景色が暗くなると、雪が水平方向に飛ぶ。どこから運ばれてきたのか段ボール箱が大きな音を立ててアスファルトの上を回転している。さっきまで春の訪れを感じさせる陽が照っていたのに、一気に真冬の中にいることを知る。飛んできたもの、飛んでいきそうなものを確保しようと外に出ると、瞬く間に白衣が冷やされる。今日はこのようなことを何度も繰り返した日だった。温暖な地方ではあまり経験しない冬の嵐だ。なま暖かい突風が吹く台風とは似て非なるものだ。北国の厳しさのほんの一端が分かる気がする。
豹変する天気のように人の心にも突風が吹き荒れる。体調が良ければベランダで陽光を浴びるような心模様でおれるが、苦しみを抱えている人の心は安定しない。強い意志で深いところに押しとどめる人も中にはいるが、それは極めてまれだ。感情が地球の穴から吹き上がる。憤怒は雨で冷やされ湖底に沈殿する。誰もが等しく健康でいられたら、春を待つ電線が唸りをあげることもないだろうに。
ボロ服
気がついたら目の前にビルのような鉄のかたまりが迫ってきたら怖いだろうな。だんだんと氷河のような鉄のかたまりが迫ってきたら恐ろしいだろうな。痛かったのだろうか、窒息して苦しかったのだろうか。冬の夜の海、自分の下は1000メートルあるのかな。怖かっただろうな。
言葉が下手な漁師が良くしゃべってくれたな。負けないようにしゃべってくれたな。余程悔しかったのだろうな。いつもはホラ話に花を咲かせていたに違いないが、いい顔をしていたな。この国の倫理を支えているいい顔をしていたな。数学も英語も得意ではないかもしれないが、嘘をつかないいい顔をしていたな。
日に焼けたらしわくちゃな顔になるな。なまり言葉でわかりにくかったが、おばちゃんの言葉にもらい泣きしたよ。みんな同じ人間のはずだよな。何で人間を分けるんだろうな。いさぎよさなんてどこに行ったんだろうな。ホームレスを愛した青年はどこに行ったんだろうな。人間らしく生きるにはボロ服1枚あれば十分だよな。
漢方薬
出来たお嫁さんなのだろう。義父が毎晩痛い痛いとつらがって、鬱になっているから何とかならないでしょうかと相談に来た。1年半前トラクターで事故を起こし2ヶ月入院した後、夜になると痛がるのだそうだ。退院後、鎮痛薬やリハビリの治療を受けていたが、医師はもう治っているから、心療内科に行ってくれと言われ、今は心療内科と整形外科の両方を受診しているらしい。夜になると痛むというので僕は漢方薬でなおせれると思い、楽しみにして2週間分薬を渡した。案の定2週間を待たずに何と、本人がやってきた。それも隣の市から軽トラックを自分で運転して。86才と言うから、車の運転の方が心配だ。応対していて病院で3種類の安定剤を処方されているようには全く見えなかった。お嫁さんが言う鬱状態とも見えなかった。軍隊時代の話を含めてとても生き生きと会話をした。痛みのストレスから少し解放されるだけでここまで変われるのだろうか。それだけ痛みは人間にとって苦痛なのだ。僕も同類項だからそれは良く理解できる。その方が帰りがけに「いつ死んでやろうかと思っていた」と呟いた。そして「何で嫁がここのことを知ったんじゃろう」とも言った。何かの偶然が働いて僕がその方の薬を作ることになったのだろうが、漢方しかできない事もあるのだ。ほんの偶然の小さな出来事でしかないが、先人達の営々とした努力が底には隠れている。それなしに偶然なんか成立しない。漢方は突出したヒーローのおかげではなく、延々と繰り返された壮大な4000年に渡る人体実験の集積なのだ。言い換えれば無数の悲鳴で出来た処方なのだ。守らなければならないものは身の回りにいっぱいある。漢方薬もその中の一つだ。
自然
実はその時薬局にいた大人3人、子供2人のうち大人2人が過敏性腸症候群、子供1人が過敏性腸症候群だったのだ。別にそのトラブルの集いでも何でもないのだが、偶然そうなった。僕は全員の症状を職業柄知っているから、正確に把握できる。その時5人は薬を取りに来たのではなく、あることで集まったのだが、いかに過敏性腸症候群がありふれたトラブルかよく分かる。
現代が暮らしにくいのかどうか僕には分からない。唯一の習い事がそろばんの子供の時代も、子供の数の割には少なかった大学に入るためにがむしゃらに勉強した少年時代も、現代に比べて数倍余裕があったとも思えない。なるほど用意されすぎたシステムに振り回されるようなことはなかったが、勝ち抜かなければならないプレッシャーはそれなりにあった。当時の「お腹が弱い子」が、実は現代の過敏性腸症候群だったのだろうが、それを隠すようなことはなかった。弱いことはハンディーではあったけれど欠点ではなかった。正露丸で乗り切っている同級生が中にはいた。
人間はどこかを犠牲にして生命を守る。過敏性腸症候群の人は偶然それがお腹って事だろう。お腹よりもっともっと大切な所を守るためにお腹を犠牲にしているのだ。学者ではないから滅多なことは言えないが、僕はそう思っている。現代的なトラブルと言われているものに、もっとも古典的な薬(漢方薬)を使わなければならない不思議を思う。それは化学薬品で押さえ込むようなものではなく、自然の声を聞き自然の薬草で、自然の生理に戻せば治るって事を、うすうす誰もが気がついているからだろう。いかにも自然なトラブルを不自然なもので治すのはこの上なく不自然だ。
痛快
親しくしている患者さんのお嬢さんが県立高校を志望していた。実力よりかなり高いところを希望していたが、岡山県特有の自己推薦入学というのも受けてみることにした。自己推薦入学は非常に競争倍率が高く2割くらいの人しか合格しないらしい。本試験の方がはるかに合格しやすいのだ。本試験でも合格が危うい人が自己推薦で合格することはまずあり得ない。自己推薦入学は内申書の他には作文と面接だけだそうだ。母親から相談を受けた僕は、何とか奇跡を起こしてあげたいと思った。家族全員のあらゆるトラブルを、ほとんど漢方薬でお世話しているから僕の教科書の様な(いや、問題集かな)家族なので 。
高校の下見のために母親と一緒に地図を調べていた時、僕はその学校がトンネルを抜けてすぐの所にあることに気がついた。これだと思った。これしかない。作文で試験官に強烈な印象を与える最初の一行を思いついた。どんなテーマを与えられても書き出しは「トンネルを抜けるとそこは○○高校だった」と書くようにお嬢さんに伝言を頼んだ。勿論川端康成の雪国の書き出し「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」のパロディーだ。恐らく試験官はそんなに詳しく何百人の作文を読まないだろうから、強烈な印象を与えるに限る。たった一言にすべてをかけることにした。(実際には「トンネルを抜けるとそこは○○高校でした」と丁寧な表現に変えたらしいが)
発表の日の今朝も、母親と本試験までの勉強について話しあっていた。昼過ぎに母親から合格の電話をもらったときには、勿論嬉しかったが「してやったり」の感の方が強かった。あの一言で合格が決まったかどうか分からないが、いくらひいき目で見てもあり得ないことが起こったのだから、結構貢献したのではないかと思っている。たわいない思いつきだったかもしれないが、痛快な結果だった。今日はよい日だ。一人で小さな祝いをする。
飛行機でやってきた貴女に
氷点下がいくら水瓶のメダカを窒息させようとしても、氷の下は凍ってはいない
そこには生きるための空間が何らいつもと変わりなく確保されているのだ
君は雪と共に山の上から氷点下の街に降ってきた
足跡は記憶の中でたれ込めて、吐く息に水鳥達も息をひそめる
君が微笑んだ時、迷い子のたおやかな風が天守閣を駆け抜けた
君は気付いたか、希望は錆びた鉄橋の下で蘇生を待っている
流れを止めた冬の川は、かじかむ景色を墨色にするが
呼び止める声を、応える声をさえぎりはしない
流れる涙は止まない命、心筋に共鳴する太古の響き
しなやかに強靱に凍土に打ち下ろす
今解き放たれて飛ばんとす、タンチョウの羽になって幸せをつかめ
先憂後楽の園に舞うたおやかな風となり、山を越え人生を旅し、幸せをつかめ
飛行場
同じ県内、それも車で1時間半くらいで来れたところなのに、この寒さはどうだ。1週間前に降った雪が、空港の建物の陰にまだ残っている。山を削って出来た飛行場だから高いところに位置していて、道中で一度耳が詰まって空気を抜いた。今まで多くの方が訪ねてきてくれたが、飛行機で来たのは初めてだ。おかげで滅多縁がないところまで来れて、おまけに近くで見たことがない飛行機を興味深く見ることが出来た。
雪の中、身を切るような冷たさの中、後楽園と岡山城を見学した。僕といると、過敏性腸症候群の人は何故か症状が出ない。色白でスリムな彼女も、寒い寒いを連発しながら僕以上に元気だった。前もって調べたと言う彼女の予定のコースを急ぎ足で消化した。明日は牛窓に来て薬局を見た後、倉敷に行くらしい。ヤマト薬局以外に小さな一人旅を楽しんでくれたら嬉しい。
彼女に何か旅の想い出をプレゼントしたいと思っていたときに、備中温羅太鼓という岡山県では恐らく一番実力のある和太鼓集団の定期演奏会のチケットが手に入った。総社市と言うところまで足をのばし、2時間の演奏を堪能した。彼女に今の演奏を言葉でどう表現するか尋ねたら、「すごい」としか言えないと言っていた。僕も同じだ。どう表現していいのか分からない。表現がつたなすぎて価値を落としてしまいそうだ。生の音を聞いてもらうこと以外に、感動を伝える手段をもたない。
彼女は2週間に1度、電話をくれる。症状の説明をしてくれたり、少しだけ雑談もする。ゆっくりとした口調が、電話から漏れ聞こえる足音とハーモニーをなして、体温が伝わっていた。実際にあって、8時間行動を共にする間に、体温だけでなく平面が立体的になり、白黒の絵もしっかりと色彩を帯びてきた。人格が僕の側で完成した。「やる気、根気、元気」を彼女にプレゼントしたい。そうすれば自ずと懸案は片が付く。一緒に過ごしてそう思った。彼女も又、単なる色白で冷え性でスリム、性格良過ぎ病だ。彼女の穏やかな表情にとても心休まる1日を頂いた。
家族
もう夜は明けていたのだと思う。インターホンの音で目覚めた。応対に出た妻が二階に上がってきて、インターホンの主が必要としている薬の名前を書いたノートを見せてくれた。旅行中の方で、至急薬が必要だったみたいだ。あいにく病院用の薬で僕の所にはなかったので、町立病院を紹介した。
お昼前、その方々が寄ってくれた。家族5人が可愛い犬を連れて牛窓のペンションに泊まりに来ていたみたいだ。必要な薬をもらえて症状はだいぶ収まっていた。ペンションのオーナーに紹介されて漢方薬を取りに来てくれたらしいが、僕が興味を持ったのは、お子さん達がとても仲がよいことだ。男の子3人兄弟なのだが、僕の生い立ちからして男3人が仲が良いなどと言うのは考えられない。恐らく長男は20才前だと思う。下の二人は中学生だろうか。車を降りて、犬を抱いたり遊ばせたりしている姿が何とも言えない穏やかな雰囲気を作っていた。もっとも、男3人だから元気ではあるが、不快さを全く感じさせなかった。
親の薬を作った後、ついでに長男の健康相談にも乗ったが、下の二人が薬局の外に出てから僕と対峙した時のすがすがしさに驚いた。たっての希望でお父さんの商売に、ある分野を加えて新しい展開を企てているらしいが、あの若さでその発想とやる気、そしてそのために必要な「人当たりの良さ」に感心した。育つうちにつかんだものか、与えられたものか分からないが、あの若さで身につけた「人当たりのよさ」は大したもので、恐らく彼自身をこれから一杯助けるだろう。淡泊な兄弟関係のまま育った僕からは、何ともうらやましい光景だった。知らないだけで、いっぱいこのような家庭は存在するのだろう。家庭力の差を思い知らされた家族だった。
劣化
岡山に帰るお金だけは残しておかなければならなかったので、国家試験まで残り数日はほとんど食事代がなかった。先輩は勿論、同級生も前年に卒業しているので、お金を借りる人間がいなくて、インスタントコーヒーばかり飲んで空腹を満たしていた。お腹がすいて、カフェインを常に一定濃度保っていたので、眠れなかったのか頑張っていたのか分からないが4〜5時間位しか寝ていなかったような気がする。4年間ごく普通に大学に通い、ごく普通に勉強していれば難なくパスするものなのだろうが、僕ら劣等生にとっては1ヶ月で4年分を覚えなければならないのだから、かなりの負担だった。勿論自業自得なのだが。
コーヒーの中に溶かした砂糖が唯一のエネルギー源だったような気がする。食事代はなくてもたばこ代はあった。フィルターのない「しんせい」ってのを吸っていたから、40円くらいだったと思う。もう少し足せばインスタントラーメンが買えるが、たばこの方が文句なしに優先だった。何であの頃病気をすることなくそれで過ごせたのだろう。やはり若さという生命力なのだろうか。
翻って今は、たった1杯のコーヒーを毎日続けてもすぐに胃に来る。口角が破れ口を開けるのも痛くなる。胃が悲鳴を上げる代わりに口が上げている。見えないところで着々と劣化は進んでいる。注意信号は発せられているが、裏打ちのない空自信が邪魔をする。コーヒーにたばこにフォークソング。感性はとっくに卒業していたが、遅れて今、肉体が卒業しようとしている。
別人
・・・この前授業で津和野まで行きました。汽車の中で、みんなの中に1時間くらい座っていましたが、お腹のことはほとんど気になりませんでした。去年だったら、まず1番離れたところに座っていただろうと思います。それよりも、お腹のことを心配して、行かなかったと思います。本当に、この半年間で随分前に進むことができました。治ったら、今悩んでいる他の患者さんたちに、何か役立てられることがあればいいなぁと思います。・・
今日、薬の注文時の文章だ。治ったら・・・と言うより、もうほとんど治っているのではないかと思った。遠くから3回訪ねてきてくれた人だから、かなり詳しく彼女のことは分かるのだが、このメールを読む限りほとんど別人だと言っても過言ではない。当初、常に何かにおびえていて、ちょっとしたことで涙を流した。備わっている知性も、ほとんど自虐だけに用いられていた。自信はかけらも探すことが出来なかった。清算できない過去を重たく背負い、暗闇を選んで歩いていた。
恐らく彼女が一番変わったのは、他者を思いやる余裕が出てきたことだろう。上の文章の内容は、彼女の口からまず出なかった言葉だ。他人は、彼女を苦しめる存在であっても、共に生きる存在ではなかった。体力、気力が少しずつ充実してくると、当たり前のように存在する友情とか家族愛とかが感じられるようになったのだろう。干上がった彼女の心に水を注ぎ、再び蘇らせたのは過敏性腸症候群の漢方薬でも天然薬でもない。夏、彼女が泳ぐのを砂浜で見守った僕の88才の母や、彼女の好きな料理を作った僕の妻や、同じ悩みを克服した僕の娘達の世代を越えた友情だと思う。
愛されることよりも愛することを。ちょっと寄り道をしてしまったが、彼女はきっと立派な大人になる。
四角四面
心臓の手術をした人が、術後飲む薬にワーファリンと言うのがある。血栓を作りにくくする薬で必需品だ。ただ、ワーファリンは飲みあわせが非常に煩雑で、多くの薬や食べ物が飲み合わせ不可になっている。納豆やクロレラも良くない。勿論お酒も良くない。
もう、何年もワーファリンと僕の漢方薬を飲んでいる人がいる。ワーファリンは処方箋で飲んでいるから1ヶ月に1度取りに来て、漢方薬は近所なので1週間に一度取りに来る。物知りの人だから来れば色々話をする。今日もいつものようにとりとめのない会話をしていたのだが、何のきっかけかお酒の話になった。僕は甘党だから酒はそんなに飲まない。彼はワーファリンをのんでいるから、酒とは縁がない ・・・と思っていたら、なんと彼は毎晩焼酎を2合ずつ欠かさないのだそうだ。これには参った。飲んでいないと言う勝手な前提で話題にも出さなかったのだが、調剤薬局としては失格かもしれない。ところが僕の薬局は「調剤こそ我が命」ではないからこのくらいの失敗は大目に見てくれるだろう。20年も好ましからぬことをして元気でいるのだから、どうってことはないのだろう。話をよく聞いてみると酒を2合くらいは飲んでもいいと言ったのは医者だそうだから、僕が気にするほどのことでもない。まして、どの医者も同じことを言ってくれたと喜んでいるのだから、今更目くじらを立てることはない。話していくうちに、血液検査に影響が出ないように、いつも同じ時刻に同じの量の酒を飲もうと言うことで落ち着いた。おおらかな結論に二人で笑った。たわいのない会話から少しだけ本気な話に入ったが、結局は大笑いして帰っていった。よかった、田舎の薬局で。四角四面では僕がもたない。この薬局は僕が救われているのだろうか。
幻想
今まで得た経験や知恵を生かして、もし人生をやり直すチャンスがあっても、所詮同じ程度のことしかできないと思う。倍も有意義な人生など送れないだろう。下手をしたら、今の人生より低空を彷徨うかもしれない。経験が勇気を与えてくれるとは限らない。ためらいや臆病に転化するかもしれない。知恵が生産的とは限らない。欺く道具となったり凶器にもなりうる。戻りたい時代など無い。ゲーム機メーカーや受験産業を支える幼いお得意さんにはなりたくないし、修理も許されない、使い捨てのロボット以下の労働者にもなりたくない。
いくつもの危うい分岐点は、何に導かれたのか分からないが、かろうじて自滅の道を免れた。親の生き様だったのか、乱読した本の手あかだったのか、焼き玉エンジンが響く入り江の風景だったのか。拠り所は与えられたものが多くて勝ち取ったものは少ないが、これだけ生きてきて悟った非力は、穏やかで居心地がいい。今日一日分の時計をかじれば、幻を回顧することもないし、幻想を夢見ることもない。短針を追い抜く長針にためらいはないのだから。
自転車
目が覚める前からその日の天候が想像がつくような朝だった。案の定いやいや離れた寝床からリビングに行くまでに、足の裏は床の冷たさを嫌いつま先立っていた。カーテンを開けると大きな牡丹雪が降っていた。空気の抵抗に遭い勢いはないが、視界を覆うくらいの存在感はある。
一連の朝の支度を終え薬局のシャッターを開けると同時に、自転車から一人の中年の男性が降りて入ってきた。入る前にカッパの雪を払っていたが、払いきれない雪は解けて水になっていた。床に水滴となって落ちる。ドリンク剤を飲みに入って来たらしく、自分でストッカーの中を探しチオビタをカウンターまで持ってきた。
初めてお会いする方なので話しかけてみると、朝早く雪の中を自転車をこいでいた意味が分かった。彼は岡山市から時々自転車で牛窓にやってくるらしい。丘の上に上りボーッと島を眺めるのが好きなのだそうだ。浮かぶ島が好きなのか、浮かべている海が好きなのか、空とのコントラストが好きなのか分からないが、単に島はあり続けるものとしての認識しかない僕にとっては、新鮮な響きだった。牛窓は多島美を誇る眺めではない。穏やかに鏡のように光を反射している静かな海だ。浮かぶ島も低くて横に長く広がっている。何がそんなにいいのか尋ねてみたかったが、それこそ彼の楽しみに水を差しそうなので我慢した。
日に焼けているのだろう、色が黒くて引き締まった顔つきだった。これから又自転車をこいで雪の中を岡山市まで帰っていくらしい。時速30キロだからとなにやら呟いていたが、その数字に又驚かされた。そうか、彼は自転車で1時間で帰るのか。車でも、安全運転を心がければ4〜50分かかるのに。健全な感性に頑強な肉体。うらやましいとは思わなかったが、開いた扉から侵入した氷点下の空気のように、僕の身体を一瞬身構えさせた。
品位
たしか彼は、僕より1級上の人だ。髪がぼさぼさで、衣服が臭い、あごと耳の下に大きな湿布を貼っているからちょっとわかりにくかったが、嘗ての面影はある。一風変わった人ではあったが、特別礼儀正しさには定評があった。頬の左半分と首がひどく腫れて左右が全くバランスを失っている。恐らく熱と痛みが相当あるのではないかと想像される。その彼がやってきた理由は、その腫れと痛みを治して欲しいと言うことだった。歯肉炎か歯髄炎か骨髄炎か僕には分からないが、服薬は抗生物質が必要だろう。勿論歯科医の処置も必要と思われる。僕はそのことを説明して僕がいつもお世話になっている歯科医に行くように促した。ところが彼は何故か僕に治して欲しいという。僕は処方箋なしに抗生物質を与えることが出来ないから歯科医にかかるしかないと説得した。それでもなお食い下がる彼の理由が分かった。保険証がないらしいのだ。だからレントゲンを撮ったら何円いるかとか、治療代はいくらだろうかと僕には関係ない、分からないような質問を重ねたのだ。性格は変わらないのだろう、とても丁寧で親しみやすいほほえみを浮かべて、恐らくかなりの苦痛を隠して話しかけているのだろうが、保険証がない生活の質を風貌は隠しきれなかった。どんな理由で保険証がない生活を余儀なくされているのか分からないが、顔の半分が腫れあがるまで我慢したのだろう。どれだけの痛みだろう。数日食事をとっていないとも言っていた。彼に家族がいるのかどうか分からない。田舎だから家はあるのだろうが、悲鳴が届く所に人はいるのか。気にかけてくれる近所の人や友人はいるのだろうか。泣きついていける最後の機関は両手を広げて待っていてくれるのか。
生活の困窮の中で、病気の中で品位を充分保っていることが哀れだった。痛みで、空腹で人格が変わっても不思議ではない。恐らく僅か1錠数十円の抗生物質で痛みや腫れはしのげるだろうが親切も同情も法を犯しては継続しない。無力感にさいなまれながら、寒風の中自転車をこぎながら消えていったその人のことが頭から離れない。恐らく日本中で繰り広げられているありふれた日常なのだろう。それも増殖中の。
釘
薬局の入り口に大柄な女性が立った。面影は充分残っていたからすぐに思い出した。20年くらい会っていなかった女性だ。息子のピアノを少しの間教えてもらった女性だが、ピアノ教師と言うより、音楽遊び人と言った方が寧ろ当を得ているだろう。当時、薬局の2階では、僕の友人が喫茶店をしていて、彼が音楽をやるものだから、同じような人種が沢山来ていた。おかげで僕も沢山のローカルなミュージシャンと親しくなったが、丁度僕が漢方薬にのめり込む時期でもあった。色々な勉強会に出席して、帰っては彼らに成果を報告していたりしていた。彼女もその中の一人だった。1時間くらい話をして帰ったが、正直未だ名前は思い出せない。ただ、色々なことを話すうちに思い出した。いやな思い出はないからそれはそれでいいのだが、50才を前にして彼女が最近ブルースバンドをやっていると言うから驚いた。ベースギターを買って、ライブにも出ているらしい。元々その種の素質には恵まれているのだろうから、違和感はないのだが、バンドの他の人間がもっと年配だと言うから恐れ入る。みんな心はきっと青年のままなのだ。団塊の世代以降の人達はシミもしわも隠せやしないが、心の中は恐らく少年少女のように音を楽しむセンスを持ち続けているのだろう。ひょっとしたら今だ心にニキビを出しているかもしれない。
彼女は僕にしきりに又唄えって言うけれど、そんな気はさらさら無いし、自分の得手不得手は十分すぎるくらい認識している。嘗て、勢いでやっていたことを今繰り返す度胸はない。又価値も認めない。懸命に日々与えられた問題を解き続けてきたし、これからもそうだろう。それ以外に僕を生かす道など思いつかない。又おいでと言ったが、過去に引き戻さないでとも釘をさしておいた。
感動
偶然薬局に買い物に来て知り合った東南アジアの女性が、昨日日本語検定試験の1級に合格した。これで今年知り合った人全員が一応合格した。専門学校、大学、高校、検定試験と様々だが、努力が報われる瞬間を目撃できるのは幸運だ。そんな感動とは久しく離れているので、他人のものでも嬉しい。感動のおこぼれ頂戴だ。
その女性とは薬局で一杯会話をする、問題集の正解を答えてあげるくらいの協力でしかなかったが、「先生のおかげ」とお礼を言ってくれた。僕のおかげは果たしてどのくらいあるだろう。その女性の国までの距離に治すと、さしずめ牛窓町から出る位の短い距離しか僕の力は影響していないと思う。残りの何千キロは彼女自身の努力そのものだ。それ以外には考えられない。時には顔をしかめ苦難の表情で一つの日本語を見つける姿には鬼気迫るものがあった。そこまでしないと外国語を駆使できるようにはならないのかと思った。ちょっとNHKの英会話のテレビ番組を見て諦めてしまう僕とは雲泥の差だ。
田舎の「何でもやります薬局」も最近は体力気力が衰えだしたらしく、以前ほどのめりこむお世話が出来にくくなった。頑張りすぎると腰が悲鳴を上げ、首が反旗を翻し、胃が反撃する。もう少し早く接触してくれていたらと悔やまれるような人も中にはいて、僕の身体に鞭をいれてみるが競馬の馬のようには走れない。
ちょっとした縁で生活の質が一気に上昇することがある。諦めていた人生の展望が一気に開けることもある。特に過敏性腸症候群ではその変化が顕著だ。海中から発射される弾道弾のように空を駆けることがある。海の底ばかり見ていた人が空を飛ぶようになる。
来年度、どんな人と又縁が出来るのか分からないが、希望がかなう為の小さなお手伝いが出来ればと思う。
空中ブランコ
市の国保委員会というのに出席した。数字の行列になかなか素人はついていけない。職員が説明してくれるが僕の頭はブロッキング状態だ。経理に全く疎い僕は委員と言う肩書きを返上したいくらいだ。出来れば委嘱してくるときに数字に強いかどうかくらいは確かめて欲しかった。僕なら喜んで辞退するのに。
分からないままに衝撃的な数字だけが頭に残った。後期高齢者の国保税率を試算する例として、色々な収入パターンで試算していた。おおむね納得できるのだが、その中で、一人家族、給与収入が年98万円、或いは一人家族年金収入年24万円などというのがあった。いったいどうやって暮らしているのだろうとすぐさま思った。田舎だからほとんどは持ち家だろうが、それでもこの収入ではやっていけない。貯蓄が沢山ある人なら可能だろうが、又遠くの子供達が仕送りをしてくれるのなら可能だろうが、そんなに条件が整っている人ばかりではないだろう。
僕はこの国を今は豊かな国とは思っていない。嘗てその様な幻想に国民が浸っていた時代もあるが、さすがに身の回りの光景を見るとその幻想から冷めない人は少ないだろう。車はひっきりなしに走り、海外に旅行客をジェット機は運び、マグロは地中海から遠路運ばれるが、一度健康を損ねればホームレスにまっしぐらだ。社会を懸命に一員として支えてきた人達のセーフティーネットは貧弱だ。庶民を、まるで安全ネットなしで空中ブランコをさせられるような国が豊かだろうか。みんなで生きようではなく、生きて見ろと言われているような感じだ。衝撃的な数字の向こうに孤立した市民が、交錯することなく夢遊病者のように徘徊しているイメージがわく。悲しいことにそれを高いところか眺めている人達もまた見えてしまう。
ちりめんじゃこ
僕が薬を作ってお世話をしているのに色々教えられることは多い。
腰と首にヘルニアを持っている女性を1年くらいお世話している。旅行に行けるほど調子が良くなったので、やっと皮膚病の薬も一緒に飲めると本人が強く希望するので、掌蹠膿疱症の治療も同時進行することにした。掌蹠膿疱症は皮膚科で薬をもらっていたが、あるテレビ番組で奈美悦子という女優が同じ病気で悩み、皮膚病だけでなく身体の痛みで悩んだという話を聞いて、恐ろしくなって早く治したくなったらしい。僕は今まで10人くらいの同じ皮膚病の人を世話してきたが、迂闊にも掌蹠膿疱症で、痛みの病気が出るとは知らなかった。実際その方も胸の骨が痛かったらしい。骨から肉をはがされるような感覚と教えてくれた。今までお世話した掌蹠膿疱症の方にそんな訴えをする人はいなかった。いないと言うより、僕にその答えを誘導できる問診力がなかったのかもしれないが。 掌蹠膿疱症の漢方薬を2週間渡した。2週間後に薬が切れる頃電話をしてきた。受話器を取った瞬間から何か良いことが起こったことが想像ついた。そのくらい声がいつもと違って明るかった。あれだけの、例えば時計を見るために顔を上に上げれない、電話がかかっても受話器を取るのに苦労する等の生活の不便、苦痛を抱えていれば明るい声も出ないだろう。打って変わった弾むような声で、身をちぎられるような胸の痛みや腰首の痛みが劇的に改善したことを教えてくれた。薬を飲み始めて4日目に突然楽になったらしい。今までの自分では考えられないくらい立派なウンチが、掌蹠膿疱症の漢方薬を飲みだして出始めたらしい。腸の免疫を整えるためのものが奏功したのかもしれない。痛みの薬は全く使わない。皮膚病が治るための物だ。ところがそれですっかり痛みが取れて、いつもなら郵送する薬を自分で車を運転して取りに来た。勿論手を見ると皮膚病変もずいぶんきれいになっていた。
田舎の小さな薬局の、たった一つの経験だからこれが普遍的な意味を持っているのかどうかは分からない。それを確かめる手段もない。だけど縁ある「普通の人」が元気になればそれでいい。お嬢さんが京都で開いているお店のちりめんじゃこを土産にくれた。とても美味しかった。美味しい心で頂いたから余計美味しかったのかもしれないが。
倉庫
まだ物不足の時代に育った僕にとって、どうにも合点がいかない。この半年で5つものパソコンを買うはめになったことだ。そのうち3台は必要な機能が使えなくなったり、壊れそうになったから買い換えたのだが、甚だしいのはまだローンが数ヶ月残っている。およそ身の回りにあるもので、まだ使えるものを捨てるようなことは滅多にないから、甚だしく浪費しているような自責の念に駆られて仕方ない。パソコンに関してすべて面倒を見てくれている商工会の方がそんな僕の気持ちを察して、その世界の常識を説明してくれるのだが、頭では分かっても心情的にはついていけない。もったいないを連発されて育った人間としたら、やはり物は使い切りたい。
機械に疎いしあまり興味もないので、今日購入したパソコンについての説明を聞いたわけではないが、なにやら今まで使っていたプリンターに接続すれば、スキャンするだけで膨大な資料を保存できるらしい。大切なことは自分でノートにまとめなければ気が済まない僕にとっても、次から次へと送られてくる情報雑誌が溜まっていくのは実はストレスになっていた。しかし、商工会の方の説明によると膨大な量のデータが簡単な操作で保存できるらしい。安いパソコンだが機能はそこまで進化しているらしい。ボールペンを走らせながら、紙の上と、ついでに脳の中にも知識を保存させていたのだが、これで僕の脳の中には保存できなくなった。何の努力なしに知識が蓄えられ知恵になるとは思えないから。
これで僕は単なる倉庫だ。施錠され物を取り出すことが出来ない錆びた倉庫だ。はい回るネズミがいないだけまだましか。
墓石
雪の中、朝早くから出かけ、冷たいところで用事を済ませたので、お昼過ぎには倦怠感と寒気で午後の勉強会が不安だった。あいにく車の中には薬を何も積んでいなかったので、薬局を探して、とりあえず症状を抑えておこうと思った。個人の薬局はどこも開いていなかったので、あるドラッグストアに入った。新しいとても大きな建物だった。とてつもなく広い店内にスタッフは、白衣を着た男性とエプロン姿の女性がいただけだった。二人ともカウンターのレジの所にいた。近寄って、「寒気がしてだるいんですけど」と訴えてみた。男性は僕の方を見もせずに、マイクに向かって素っ気ない声で「いらっしゃいませ」と繰り返しながら手元で何かしていた。いや、しているそぶりをしていたと言った方が正確だろう。問いかけられたので女性は、何とか答えようしたが、寒気と倦怠が何を象徴しているのか分からないみたいだった。そこで僕が「風邪でも引きかけているんでしょうか」と尋ねると、何か曖昧なことを言っていた。「早く症状を抑えておきたいんですけれど」「寒気だからカッコン湯がいいんですかね」などと、ヒント?を与えても結局はただうろたえていただけだった。
いずれ近いうちに、簡単な薬はどこででも売れるようになる。今まで規制が強く細心の注意を払って売っていたものの規制がかなりゆるめられる。誰が誰のために規制をゆるめるのか知らないが、同じ薬がある日を境に無害になり得るのだろうか。僕が帰るときにもただ下を向いて「いらっしゃいませ」を繰り返していた白衣の男性が哀れに思えた。薬剤師か薬種商か知らないが、恐らくプライドをかなぐり捨ててお金のために1日雇い主の方針に従っているのだろう。同業者として耐え難い光景だった。八百屋も肉屋も靴屋も呉服屋も、みんな潰れてスーパーのものになった。みんなが雇われる時代になった。生きていくお金を頂戴して、肉体や知恵だけでなく、自尊心や正義や礼節もみんなそっくり提供しなければならない時代になった。いったい残るのは何なのだろう。墓標に刻む名前だけか。いやいや、墓石一つ残せない時代になりつつある。
特権
僕がお世話をしている漢方の勉強会は、岡山でやっているからその点は恵まれている。会のための多少の事務的な手続きや会計は、勉強のために他府県まで出かけていくことを思えば負担は少ない。世話をする人間の特権を利用させてもらっている。
他府県から来る会員の方が多いのだが、僕の年齢の前後10才くらいの幅だから、みなぎる元気の持ち主はいない。寧ろストレスの多い仕事を懸命にやっているというのが現状かもしれない。ストレスの代償として喜びをしばしば頂くから誰も辞めずに頑張っているのだろう。勉強の前雑談をしていると、年末年始に体調を崩した人が数人いた。ほとんどが風邪が引き金だったみたいだが、症状も激しく回復までに時間もかなりかかったらしい。年齢的に免疫が落ちてきていることもあるし、職業的に濃厚な感染に見舞われることも多い。自営だから交代要員がいなくてなかなか養生も出来ない。それら三重苦を克服して勉強会に出席しているのだから頭が下がる。決して派手な集団ではなく、何とか地域の人の役に立てるようにと勉強している小さな集団だが、時流とは逆行気味の変人の集団でもある。
みんな手元にはよい薬を持っているはずだが、嘗てのようには治らない。最大の要因は肉体的な若さの喪失だ。生命力みなぎる若さは、病気を驚くほど早く治してくれる。どんな薬も太刀打ちできないくらいの力を持っている。このうらやむべき力を持っている人達は、自分の力を信じてほしい。将来失ってから分かるだろうが、どんなものより価値がある。自然治癒力を失いつつある人間が、自然治癒力の旺盛な人に薬を作る。作る方が実際にはうらやましがっているかもしれない。僕なんか、「ああ、僕なんかよりずっと元気だから早く治ってね」と思いながら薬を作ることが多い。
パン屋さん
こんな田舎の町に帰って、親の跡を何となく継いだ僕からしたら、よりによってと言いたくなるが、パン好きの僕にとってはありがたい話でもある。30年前、僕が牛窓に帰った頃には人口は12000人だった。今は8000人に減った。当時から時代に先行して高齢化が進んでいたと思うが、今でもますます時代を先行している。せめて、そんな田舎のメインストリートに店を構えるのならいざ知らず、田舎の田舎と言われている山の上に店を作ったのだから、余程勇気か自信があるのだろう。いや、しばしばパンを買ってくる家族の話を聞いていると、遠く海が見えとても景色が良い場所らしいから、自然を求めてやってきたのかもしれない。俗人ならすぐそろばんをはじくが、独特の価値観をもって果敢にやってくることもありうるのだろう。地元の僕も行ったことがないような場所だが、新しい家が建ち並び一種独特の雰囲気を作っているらしい。本来、近所のお百姓さんだけが通るような所なのだが、お店の評判は町外の僕の患者さんから聞いた。遠くからわざわざ漢方薬を取りに来てくれる人が、そのパン屋さんの場所を僕に尋ねたことでその存在が初めて分かった。ほとんど宣伝もしないで町外の人に良く知られたものだと感心した。
どんな理由があろうと、牛窓に一番あって欲しい物を言えと言われれば迷わず手作りパン屋さん と10年以上答え続けていた僕にとっては嬉しい限りだ。ほとんど無条件で喜んでいる。食べ物にあまり興味がない僕が、せめておいしさが分かるのがパンだ。(誰だって分かるか?あえて強調するほどのもではないな)今まで食べて美味しいと思ったお店のものと比べて全く遜色ない。それが嬉しい。田舎だから許される味なんてものはない。寧ろ田舎だから頑張らないと都市部の地の利に圧倒されるのだ。消費のために足を田舎に向けさすのは至難の業だ。唯一の方法は実力しかない。美味しいものを、都会のお店に負けないものを作るしかないのだ。ひいき目かもしれないが、僕は山の上のパン屋さんは負けていないと思う。(この文章を書いていて思いついた。店名を山の上のパン屋さんに変えたらおもしろい)
30年前、田舎だからそろわない薬があるとしたら申し訳ないと懸命に薬を集めた。その後、田舎だから治らない病気があるとしたら申し訳ないと思い懸命に勉強した。そのおかげで田舎だからこそ出来ることを多く味わった。今の僕の薬局のスタイルは、田舎ならではのスタイルだ。お互い無理をしない。こっちもあっちも。これ以外に選択肢はなかったのだと今は思える。
勾配
薬局に入って来るなりソファーに腰掛けた。偶然テーブルの上に置いているヤマト薬局のチラシを見つけ「ひとりで苦しまないで」と小さな声で読んでいた。僕のチラシのタイトルはもう20年以上「ひとりで苦しまないで・・・漢方薬でお手伝い」だ。僕にどの程度の力があるか分からないが、少しでも不調を減らせることに貢献できたらと言う想いからだ。体調不良を声高に叫べる人は良いが、ひとりで抱えている人は意外と多い。打たれ強いのではなく、苦しみを聞いてくれる人が家族の中にも少ないのが現状なのだ。家族の不調は特別で、聞くことがつらいからなるべく聞かないようにしている場合もある。根っから愛情がない場合もある。どちらにしても、ひとりで耐えて、ひとりで解決方法を模索している場合も多い。こうなるとストレスで不調が増幅され改善への舵は切られない。
誰にとっても、明日の身体は未知なる物だ。若いときならいざ知らず、下り坂に入り、その勾配が角度を持ってきたときには尚更だ。経験したことのない不調にとまどう。それは病気かもしれないし、単なる老化かもしれない。どちらにしても歓迎できるものではないが向き合わなければ仕方ない。逃げ切れるものではない。小さな声で独り言のように読んでいた男性とは、その後30分くらい話をした。症状を把握するにはそんなに時間は必要ではなかったのだが、家で待ってくれる人もいないし、待つ人もいないみたいだったから。僕のつまらない冗談で時々笑ってくれたので、ちょっとだけ心がほぐれて帰ってくれたかもしれない。こんな時代、緊張して治るようなトラブルは滅多にない。ほとんどのトラブルが緩むことで解決する。誰もが勇気を持って「緩んで」生きることが出来ればもっともっと健康的に暮らすことが出来るだろうに。そんな社会的な環境が欲しい。緩むことが苦手な僕自身のためにも。