栄町ヤマト薬局 - 2008/01
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漢方薬を初め、天然素材の薬を用いて、さまざまな慢性疾患の回復のお手伝い
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情
なにやら大切そうに袋から取り出した物がある。見ると、両手のひらからはみ出す位の大きさのサルのコシカケだった。山で見つけたといっていた。家にはこれの何倍かの物もあるという。以前サルのコシカケを見つけたから買ってくれと言ってきた人がある。僕はすぐそのことを思い出したが、今日の方はそんな感じではなかった。持病の糖尿病に効くかどうか尋ねに来たらしい。
お嬢さんに連れられてきたが、見かけない方だったのでどちらから来たか尋ねた。○○の田舎からですと教えてくれたが、訪ねてきてくれた牛窓も田舎だから、田舎から田舎に来たことになる。強いて言えば、岡山県の山間部から海辺にやってきたわけだ。サルのコシカケの効能(?)を説明し、珍しい物だから飾っておいたらいいのではと提案した。
糖尿は自分で解決方法を探すより、医師の言うことを守った方がよいなどと話すうちにいろいろなことを教えてくれた。整形、眼科、耳鼻咽喉科、内科に渡るトラブルを列挙した。ある年、一つの症状の発現をきっかけに、元気が自慢の人が病気の百貨店みたいになったらしい。一つの病気に一つの薬をあてがっているからたいへんな量の薬を飲んでいることになる。聞いているうちに漢方薬でお手伝いできる物がずいぶんあることに気がついた。ヘルペス後遺症では薬をもう一生飲まなければなんて言われているらしいが、ひょっとしたらそれも治すことが出来るかもしれない。現在服用している薬が分からない限り迂闊に漢方薬でも出せれないから、その気になったら来てねと話を濁したが、田舎から来たと言う人の良さそうな婦人の役に立てたらなとつくづく思った。縁があれば又正式に訪ねてきてくれるだろうが、あれだけの不調を抱えて頑張っている人の、ほんの一つの苦痛でもとってあげれたらと思わずにはおれなかった。僕は情が簡単に移るタイプなのだ。
大根
台風で海水に浸かったのをきっかけに、100年以上家屋が立っていた跡地に申し訳程度の土をいれ、畑にした。好きなのか、仕方なくなのか知らないが、母が硬い土を耕し、幾種類かの野菜を植えている。全くの素人だから勿論旨くは出来ないが、ある農家の夫婦の指導の甲斐あって、それなりの収穫はある。
最近母の作った大根が人気らしい。硬い土に向かってのびるのでまっすぐには伸びない。堅い土にあたったところから方向を変えるのだ。見栄えが悪いから母は謙遜しているが、近所の魚屋さんと食堂が、頂戴ねといって勝手に抜いていくそうだ。勿論勝手に抜いて良いような人間関係だからそのことは問題ない。その関係がない人も時々抜いていて、そのことで人間関係が出来ることもあるらしい。何しろ昔の商店街の中に突然小さな畑が出現するのだから、ちょっと夕食で足らないときには便利だろう。抜く方に悪気もないし、抜かれて不快もないらしい。
お世辞で美味しいといっているのではないだろう。漬け物にしたり、刺身のつまにしたりするらしい。海辺で海水を含んでいるのではないかというような土に生えるから塩辛いのだろうかと、冗談ぽく素人同士話をしたけれど、本当のことは分からない。それでも行き場を失い柔らかいところを求めて育ったゆがみ大根が、重宝がられるのはまんざらでもないらしい。
僕の薬局はお百姓さんが沢山来る。あの人達も母と同じ気持ちで作物を作っているのだろうか。プロだから、母みたいに甘っちょろいことは考えないのか。それとももっともっと、作物に愛着を持っているのだろうか。野菜は土を耕し種から育てる。魚も今では稚魚から育てる。決して、工場でオートメーションで作られるものではない。プラスチックの容器に最初から入っているものではない。育てられた命が入っている。モノであってモノでないような気がする。だって、力が及ばないときには柔軟に生きろと身をもって教えてくれているのだから。
軟弱
しんしんとと言う形容詞は今日のような日に使えばいいのだろうか。
目覚めも遅かった。雪が音を消していたのだろう。あわてて朝ご飯を食べ薬局に立ったが、どことなく身体が本調子ではない。けだるさでもなく、熱感でもなく、頭重でもない。身体がなんだかとても冷たいように感じた。元気がないように感じた。気合いを入れてみるが身体が何とも反応しない。時々2階の屋根から溶けかけた雪の固まりが落ちるが、薬局の前に広がる雪景色が変化しているようにはなかった。
エアコンのスイッチを入れて1時間以上経っても体が暖まらない。気になって調剤室の寒暖計を見てみると、なんと12度だった。それで納得した。その気温はこの辺りだと冬、戸外にいる時とほぼ同じ気温なのだ。簡単に言えば、ごくありふれた冬のある日、戸外にじっと立っているのと同じ経験を家の中でしていたわけだ。それで朝からの不調の意味が分かった。寒い戸外にじっと立っていたら、恐らく熱量は奪われ、動作は緩慢になり血流の不自然さに体調が引きずられるだろう。それに気がついてから、いつもなら午後にする体力を少しだけ要求される作業を始めた。その作業にかかってからあの不愉快さを忘れていった。
温暖なところに住んでいる人間の単なる油断だが、滅多に経験しないことには想像力も乏しくなる。寒暖計の数字を見て初めて気がついた。体感よりも数字の方が説得力があるのだ。北国の人には申し訳ないようなレベルの話だが、なんとも間が抜けた話だ。偶然その後東北の女性と電話で話をしたが、彼女の話の中に零下7度とか8度という数字が出てきた。自分の軟弱さが際だつ。北国の人はいろいろな意味を含めて強いのだろうなと想像する。
もみじまんじゅう
昨日の日曜日、僕は東の娘は西の勉強会に出席した。家に帰ったのは二人とも夜だったが、娘は落胆していた。あるメーカーの勉強会に出席したのだが、期待はずれだったらしい。咳に関して製薬会社の学術部が説明するというふれ込みだったが、風邪を引いてすぐは、お医者さんにいって抗生物質を出してもらう、こじらせれば、何万円もする免疫を強くする自社製品を勧めると言うような内容だったらしい。さすがに娘は耐えられなくて、途中で帰ってきたらしい。もみじまんじゅうを数人分お土産として買って帰ったから、さぞかし高いもみじまんじゅうになっただろう。
そもそも薬局に風邪を引いて薬を取りに来る人は、少なくとも僕の薬局では、早く治したい、時間が無くて医者に行けない、強い薬を飲みたくない、自分で治したい、漢方薬が好きなどの理由だ。わざわざ来ている人に医者に行くように勧める理由はない。風邪くらいほとんど治すことは出来るし、そもそも治る病気だ。逆にこじれた人を待って、高価な免疫を強くする健康食品を売ったりするのは、薬局としてはあまり誉められたことではない。風邪を引いたときに対処できる処方を競うべきで、こじらせたときに不安につけ込むようなことをしてはいけない。それこそこじらせたら医者を紹介すべきで薬局の仕事ではない。
そんな講義に娘が嫌気をさして退席したのはよかった。販売を競うような知識は必要ない。田舎で知っている人ばかりを相手にする薬局に、カリスマは必要ない。娘が帰ろうとしたら、同じように会場を出て、同じように路面電車に乗り、同じように新幹線に乗った青年がいたらしい。青年薬剤師の純情を汚さないでほしい。
各駅停車
いつも特急電車で通り過ぎていた駅に、偶然乗ってしまった各駅停車の電車が停車した。阪神電車の確か武庫川って言う駅だったと思う。べつに名前の通りにしたのではないと思うが、なんと駅が川の上にあるのだ。何となく電車が止まったときの雰囲気が違うのだ。駅に停車したようであり、橋の上で立ち往生したようでもある。又不思議なことに、すぐ側を、勿論フェンスで境は作られていたが、おばさんが自転車を押して通り過ぎたのだ。こんなことを言っても想像できないかもしれないが、まさに川の上に、川幅と同じ長さに駅が作られ、その外に人が通れるスペースも作っているのだ。電車と人がプラットホームを挟んで鉄橋を共有しているような感じだった。
僕がすぐに思ったことは、橋の上っていったい誰のものなのってことだった。鉄道会社のものなのと疑問がわいた。別にそれで何かが気になると言うことではない。これも一つの関西人のギャグかって思った程度だ。このようなことが他の所でもあることなのかどうか僕には分からない。ただ、吉本新喜劇を産んだ土地には似つかわしい、何でもありの一つのようで趣があった。「堅いことは言わんといて」という声が聞こえてきそうな光景だった。たまには各駅停車も良いものだ。
映画
何回観ても飽きない映画がある。映画館に最後に足を運んだのはもう30年くらい前だから、僕にとっての映画とはテレビで流される映画でしかないのだが。
チャップリンの映画は別格として、日本の映画で「ウォターボーイズ」と言うのと、題名は忘れたが、同じような設定の女子高生がジャズバンドを作って大会に出るまでの過程を描いたものがある。この二つはそれこそ何回テレビで再放送されても観てしまう。制作者に参ったってところだ。こんなに人を心地よくさせることができる人の才能に驚く、いや、感謝ってところか。一度に多くの対象に感動を与えられるところが芸術家や作家、スポーツマンの才能だし、醍醐味だろう。そこが一隅を照らすのが精一杯の凡人と彼らの最大の違いだ。
何故あんなに観た後に心地よくなるのだろう。すがすがしさに心が洗われるだろう。数十年前の青春を追憶して、心を躍らせているのではない。自分の非力をおとぎ話で繕っているのでもない。今を生きる少年達に希望を与えられないことに免罪符を与えられるためでもない。やる気、根気、元気の3拍子を失った羨望からでもない。
心地よさの原因は恐らく、原作者や、映画監督の心意気が伝わってくるからではないだろうか。人間の善なる部分を根っから信じ、生きるってことは希望に溢れていると心の底から思える人が、その思いを作品で伝えようとしているところに感動するのではないかと思う。普通の人のありふれた成功劇でしかないのだが、低くたれ込めた暗い空を裂くようにして現れる太陽の光が、人生にも差してくると信じて疑わないで生きてと、創る側が創る行為自体で教えてくれているような気がする。混沌の中で成長する人達に、雨の日ばかりでないことを暗に気付かせようとしている気概が伝わってくる。作品の内容は勿論だが、作品を世に問う作者の気概にも圧倒されているのかもしれない。
勇気
北の国が吹雪いている。この辺りの台風と同じ強さの風が真冬に吹く。南の国の人間には考えられない自然現象だ。体験しない限り想像もつかない。ニュースで流される映像では、身を切る冷たさは伝わらないし、ひょっとしたら身の危険さえ感じるだろう恐怖も伝わってこない。「ご注意してください」と一瞬顔をしかめながら言うニュースキャスターの白々しさが、聞く度に不愉快だ。空調の利いた快適な空間で何が分かるのかと思う。
想像力なんか、たかがしれている。五感を全開して体験したものに想像力だけでいったいどのくらい迫れるのだろう。太平洋の海面から海底を覗いているようなものだ。何も見えないのと同じだ。特に、恐怖とか痛みとかはほとんど体験者以外には伝わらない。僕らが知り得ることは、夜空に浮かぶ星の一つ程度のもの。実際に遭遇したもの以外はなかなか理解できない。厳しい自然も、不幸な出来事も気の毒だけれどつらくはないし、悲しくもない。
数年前の台風の夜、あふれ出した海水から母と一緒に高台に逃げた。高台の国民宿舎の手前で飛ばされそうになる母を何とか守らなければと、強い雨に打たれながら風が一瞬でも収まるのをじっと待った。もう10メートルいけば建物の陰に隠れられるところで躊躇しただひたすらに待った。建物に通じる小道が崖の上にあったから。その10メートルがなんと遠かったことか。
夜が明けて家に帰ったとき、爆撃にあったような光景を見た。その体験を通して初めて映像で伝えられる災害の悲惨さが、恐怖や悲しみをもって受け止められるようになった。幸か不幸か僕はやっと「気を付けて」といえる権利を得た。しかし、僕が体験したことなど、比べものになら無いくらいの恐怖を体験している人が一杯いる。それでも尚勇敢に生還している人を見ると足元にも及ばない勇気に驚く。黙々と懸命にそしてひっそりと暮らしている多くの勇気ある人々に、とてつもない大きな恵みがあればと思う。とても勝てない勇気の持ち主の人達だから。
数字
およそ関係ない数字が、想像も出来ないくらいの単位で日夜報道されている。ある政治家の兄弟が数十億円損をしたとか、アメリカの銀行が1兆円以上損をしたとか。どうなってるの、数学の世界でもそんな数字は出てこなかったけれど。経済は数学より難しいのかな。正解のある問題を解くのは知的なゲームだが、損得ばかりが絡む世界の数字はなんだか汚れてみえる。数字の乱高下に一喜一憂する顔を見ているとなんだか神々しさがない。蚊帳の外の人間のひがみかもしれないが、灯油が値上がりして嘆く農家の人や町工場の人の方が余程いい顔をしている。自分は働かずに、他人の、それも名もない人達の労働の結晶の上前をはねるような印象がして不愉快になる。
富はブラックホールのように一極に集中するものなのか。一握りの人が富を手に入れ、その他の人間は所詮その人達のおこぼれを頂戴しているだけなのか。時代はずいぶん進歩したようだが、その構図は古代とほとんど変わっていないのではと思う。賃金という労働の対価なんてのはひょっとしたらお情けそのものなのかもしれない。上から下を見たことがないから、経済の眺望を知らない。どんな人達がどんな顔をして、どんな思いで見下ろしているのだろう。そしてその気分はどんなものなのだろう。
どうでもいいことなのだ。目の前の困っている人の体調がよくなればいいことだし、野菜が育てばいいことだし、魚が獲れればいいのだ。子供達は安全に列をなして学校に行けばいいし、お年寄りは転倒しなければいい。妊婦はたらい回しさせられなければいいし、夜道は凍らないのが良い。凍てつく夜に、家がない。はるか経済の高所から、底が見えるかな。
B級
今朝は、ある人の言葉に思わず吹き出し副交感神経優位で始まった。やくみつるという漫画家が、船場吉兆の再開に関してコメントを求められた時「昨日はマック、一昨日はバーミヤンと言うようなB級グルメの私としましては」と言う枕詞を使っていた。恐らく彼の収入からしたらその種の店は縁遠いのだろうが、忙しさからすると彼の食行動も何となく頷ける。食べ物に関しては一定の水準さえ保っていれば拘らないのだろう。外食特有のゴッテリも忙しい人には活力源として必要なのかもしれない。
思わず吹き出したB級グルメと言う言葉に習えば、僕なんか明らかにC級グルメだ。「一定の水準」がかなり低いところに設定されているから、基本的にはお腹がふくれれば何でも良いのだ。外食で言えば絶対必要な条件は、「並んで順番を待たないこと」だけだ。これをクリアすれば何でも良いのだ。洋食、和食、中華何でも良い。だって、洋食ならカレー、和食ならうどん、中華ならラーメンしか選ばないのだから。
こんな職業だからさぞかし健康的な食事をしているだろうと、好意的な誤解をしてくださる人に正直に白状しなければならない。学生時代、毎日2合の米を炊き塩をふりかけ水を注ぎ食べていたのを基本にすればさすがに、牛窓に帰ってからの食事を始め僕が口にするものは相対的に皆健康的だ。地産地消ではないが、牛窓の魚を食べ、牛窓の野菜を食べていれば健康そのものなのだろうが、欲ってやつが常に顔を覗かすものだから、つい欧米人と同じようなものを食べたり、中国人と同じようなものを食べたりする。身体は日本人そのものなのだが、口からいれるものは白人並のものが多い。
豊かさと健康的は必ずしも一致しない。学生時代のように、金が無くて不健康は最悪だが、貧しくても健康的と、豊かでも不健康をささやかな振幅でバランスをとりながら生活しているのが牛窓時代の僕なのだ。
声
電話機がヒタヒタと歩く音を拾う。時々切れた息も伝わる。家路を急ぐ若い女性から電話をもらう。僕が訪ねたこともない大都会の夜、貴女は、眠らない商店街を通り抜けているのか、それとも幹線道路から抜け静かな住宅街の小道を歩いているのか。
声は文字に体温を与える。鼓動も加える。表面ではなく奥行きも出る。想像力も離陸する。人格が形成され感情が往来する。幸せ色の声と共に、生きる力が伝わってくる。不調を克服して、もっと高く飛び上がって欲しいと思う。動物だった頃の自然治癒力を信じて、消えた星を探しながら歩いてほしい。すれ違う風に頬をたたかれても、夢見ることを怠らないで、夜は雄叫びを封印して貴女の帰りを待っているのだから。
饒舌
急にマイクを持たされたので、何を話せばよいか全く分からなかった。70人くらいの集団だったと思う。体よく断ることも出来たのだが、頼まれたものは基本的には断らない。最初の挨拶の「こんにちは、福山雅治です」が全く滑ってしまった。珍しいくらい受けなかった。誰一人笑い声を上げないのだ。僕が似ているのならその反応も分かるのだが、ここまで違えば冗談だと分かるはずなのに、誰一人表情を崩さなかった。むしろ表情をこわばらせたような人もいた。次なる手が瞬時に浮かび、運良く徐々に笑い声が上がるような雰囲気に持っていけたが、ちょっと苦戦した。
僕は堅い雰囲気が苦手だ。どこかほっとするような間が抜けたところがないと息苦しくなってしまう。だから僕はどこに行っても、空気が抜けた風船のような空間を自分で作り出すことにしている。堅い話は1日中毎日僕の頭の中で密かに回り続けている。職業柄、薬と向き合っているときも必死だ。どの薬剤師も同じだと思う。だからせめて、仕事を離れ、牛窓を離れたときは、開放感に浸りたい。人と集うときには、楽しく語り合いたい。その欲求が、僕をどの環境でも、いつもの行動にはしらせるのだろう。堅いテーマを語るのがいやなのではない。堅く語るのが苦手なのだ。語るために多くの才能が必要なら、語る資格を失う人が出る。それは不公平だ。柔らかく、不細工に、誰もが気を抜いて参加できるのが好きだ。ざっくばらんを覚えたら、どんな集まりも気にならない。岡山弁を半出しにして、いつもの言葉で不器用に話す。会場を盛り上げることもなく、また盛り下げることもない。笑い声とともに交感神経がどっと緩んで、その場所にいることが誰も苦痛でなくなればいい。話し下手だからその資格があるのではないかと思っている。饒舌でなくてよかった。
歌声
ああ、これを歌声というのかと思った。広い御堂に、たった一人の澄んだ声が響く。空気を切って伝わる声は、畏れ多い存在へのひれ伏した姿だ。ゆっくりと、旋律に乗って揺れる姿に喜びが溢れ、波紋のように人々の心に届く。
氷点下の雪が降る。小声で誰かが魂を凍らせろとささやく。懺悔は轍を蹂躙する。門を開け、誰かが訪ねてくれるのを待つ。心を閉ざしては聞こえない。天を仰ぎ、畏れ多い存在を賛美する歌声に誘われて、もう一度、もう一度と起きあがる。
沈没
「地球温暖化・人類滅亡のシナリオは回避できるのか」の著者によると、日本の二酸化炭素排出量に対する家庭が占める割合は全体の13%だそうで、全体の半分はたった、167の大規模工場が出しているらしい。また、ピーク時の電力は家庭が9%、産業が91%消費しているそうだ。
この内容を知って僕は溜飲が下がる思いだった。何となく庶民が節約をすれば地球の環境を守れるようなニュアンスの映像を繰り返し流されて、いかにも僕らの努力が足りないような印象を植え付けられているような気がしていた。僅かな庶民の営みでも、数が集まればそんなに地球環境を壊すのかと、何となく居心地の悪さを感じていた。それがこの著者によると、昔僕らが感じていたようなことのほうがむしろ現実なのだと教えてくれる。枯れ草を燃やすだけで宇宙まで煙が届くのか、それよりもモクモクと天高く上っていく工場の煙こそ宇宙に届くのではないかという素人の発想の方が、真実を突いているのではないかと。
又世界の紛争地域は、石油や天然ガス、鉱物資源、水がある地域だそうだ。なんだ、格好良いことを言っていても本当は、欲の突っ張り合いだったのだ。おもしろい発想をするが説得力がやたらある。庶民の努力を否定するつもりは全くないが、いかにも企業が環境先進国をリードし、庶民が足を引っ張っているような映像を流されるのは抵抗がある。僕が幼い頃見た島々は、もう少し大きかった。今は明らかに海面が高くなり島が小さくなっている。バングラディッシュだけではなくこの国もいずれ沈没する。しかし、庶民に責任も結果も押しつけるお偉い人々の正義感はとうに沈没している。
卒業
卒業して30年になるのに僕は今まで勘違いしていた。
今日、大学で同じアパートに住んでいた1学年下の後輩が、部下を連れて尋ねてきてくれた。広島に行った帰りに寄ってくれたらしい。漢方の会社に就職し学術畑を歩いている。実力からか年齢からか知らないがその部署のトップにいるのだろう。学生時代を一緒に過ごした人間とは一瞬にして当時にタイムスリップできる。言葉使い表情、すべてが当時に帰る。同行した若いセールスも側にいて惑ったに違いない。自分よりずいぶんと年上の二人がまるで学生のような空間を作りだしたのだから。
話はそれたが、会話の途中で同窓会のことが話題になった。途中で内容が充分伝わってこない感覚を受けた。彼の話をどう聞いていても彼と僕が同じ同窓会に出席するような内容なのだ。1学年上の僕が何故彼と同じ同窓会の案内をもらわなければならないのか。ひょっとしたら2学年が合同で開催するのかなどととんでもないことまで想像した。彼が言うには僕らは卒業するときは同級生だったらしい。それには全く気がつかなかった。なるほど僕は1年留年して遅れたが、彼も1年留年したはずだ。だから途中はさすがに同級生になったが出るときは又僕が先輩だったはずだ。そのことを正すと、なんと彼は4年で卒業できたらしい。これは全くの初耳だし、想像の域も越えている。なるほど僕は劣等生だったが、彼は僕に輪をかけたくらい劣等生のはずだ。それが何で4年で卒業できたのだろう。そのトリックを彼は教えてくれたが、さすがにそれは時効としても公表しないことにする。優秀でかつ有名な同窓生もいるから迷惑をかける。
不出来を競っても仕方ないが、出来具合を競うより余程罪がない。いくら頑張っても普通の人間が普通を越えることなんか出来ない。むしろ、気負いすぎるとその普通さえ失ってしまう。頑張りすぎなかったから、重圧に押しつぶされることはなかった。頑張りすぎなかったから、負けることを一杯経験し、それが大した意味を持たないことも悟った。頑張りすぎなかったから、頑張れない人の気持ちが少しは理解できるようになった。
頑張らないように頑張って。頑張って頑張って頑張らないような人に是非なってほしい。人生、そんなに頑張らなくたって捨てたものではないのだから。
情景
業種別所得ってのが 発表されていた。興味はなかったがヤフーの表紙の部分に載っていたから目にとまった。上位にはなんと、金を動かすだけの職業が並んでいた。投資関係とかファンドとか、全く僕なんかの生活には関わりのない職業が並んでいた。それらの職業に関わらないと言うことは、循環する金の流れにも関わらないと言うことだ。日常会話に経済用語が上ることもなく、日常その種の人達と接することもないようでは、金とは縁遠いってことだ。まして経済ニュースで伝えられる言葉も理解できないようでは、金の奪い合いの土俵には上がれない。せっせとなけなしの金を貢ぐ方に甘んじるしかないだろう。
額に汗して働く、いやいやそんな生ぬるいものではない。僕の住む町で暮らしている人の多くが全身に汗をかき、肉体を変形するまで酷使し、得る報酬はどのくらいのものなのだろう。空調の利いた快適なオフィスで、パソコンに向かってキーボードをたたく人達の僅か何分の一を稼ぐために土にまみれ、潮をかぶっているのだろう。働くってことは人が動き回ることだと思っていた。ところが現代では働いているのは金の方だ。金が勝手に動き回って金を稼ぐ。
鬱積した空しさは、いつかきっと路地裏から表通りにあふれ出し、倒錯した価値観を後ろ手に縛り、高速道路を東進するだろう。振り返れば凍り付いた人の魂が、ガラス細工のように粉々に散る。落ちていく国の情景。
蜃気楼
車に高齢者のマークを付けているから、見かけよりは年がいっているのだろ。大柄で背筋が伸びているから若く見える。ただ、膝関節が曲がりにくみたいで、キッポの様に小股でゆっくりと歩く。案の定、膝にするサポーターを買った。会計がすんでから、「よく働いてきたんでしょう」と、一声かけたら無口な口が開いた。いろいろ話したが、印象に残った内容がある。
父親が早く死に、貧乏を極めたらしく、幼いときから身体を道具の一部として働いた。昔の人は皆そうだ。最近の人、まして都会の人は見る機会がないから知らない人も多いだろうが、農作業に欠かせない「ネコ車」と言うものがある。1輪車をバランスをとりながら手で押して荷物を運ぶものだ。狭いあぜ道でも使えるから重宝する。あぜ道を押す農夫の姿は郷愁を帯びて目に浮かぶ。そのネコ車の車輪は嘗て木で出来ていたらしい。だからかなり重たかったそうだ。それが戦後タイヤになったときの軽さに驚いたらしい。その話に及んだとき一瞬老人の目に涙が浮かび言葉がつまった。たった、それだけのこと、木がゴムになっただけの想い出に涙する老人の青春はどんなものだったのだろう。ほとんどの人が貧しかった時代に何の灯りを目指して暗い海を泳いだのだろう。どんな島に泳ぎ着いて慰められたのだろう。極貧の時代からものが溢れる時代までをどの様な感慨で振り返るのだろう。
軽トラで老人が帰っていく姿は、豊かさの象徴か。いやいや誰も待っていない島の家に帰っていく姿は、豊かさと交換に手に入れた老いの孤独色した蜃気楼。
振幅
FAXが出来るまで、朝の一仕事は、各問屋さんへの電話注文だった。品不足の商品を手配するために、各問屋さんに電話で品物の名前と個数を注文するのだ。丁寧な問屋さんは向こうから電話をしてくれていた。どちらにしても注文だけのために30分くらいはとられていた記憶がある。FAXを使い始めた頃、何で電線の中を字が移動してコピーされるのか分からなかった。今でも理屈は分からないが、不思議がるようなことはさすがになくなった。朝の大切な一仕事は、朝のちょっとした手間に変わった。
今はまだ進化して、スーパーのレジでピピッと言う音とともに判別される装置(バーコード)に替わり、機器をバーコードにかざすだけで注文が完成する。朝の手間は、時間には束縛されない単なる作業になった。
若い人には実感がないかもしれないが、僕らの世代は一気に進んだ便利の集中豪雨の中を右往左往した世代なのだ。理解力、好奇心に長けている人は果敢に傘も持たず雨の中に飛び込んだし、理解力もなく、好奇心の薄い人は民家の軒下に逃げ込んで雨が上がるのを待った。
僕は明らかに後者の人間に属する。ほとんどの人に負けない機械音痴と無関心には自信がある。居直っているから劣等感も感じないし、回りの誰彼に依存してすぐに助けて貰うから不便も感じない。この感覚は何かの参考にならないだろうか。人に勝ってもそんなに嬉しくもない。人に劣ってもそんなに悔しくもない。僕らの悩みなんか実はたいしたことではないのだ。所詮僕らは生まれてから確実にある一点を目指して生きているのだ。誰も避けることが出来ない一点を目指しているのだ。そこだけは公平に来る。それまでの旅路は、平野を歩こうが山脈で転落しようが、川を下ろうが、海を渡ろうがたいしたことではない。所詮僕らはごく普通の人間で、ごく普通の生き方しかできないのだ。悲しみの振幅は夕陽で扇ぎ、喜びの振幅は朝陽で扇ごう。悲しまないで、苦しまないで。
解放
自分のためにだけ生きていける年月は、そんなに長くない。親の管理を離れる高校卒業あたりから、結婚あたりまでだろう。この間が、人生で唯一の解放区だろうか。そのわずかの間にいかに多くの破壊と、多くの創造を経験するかが、後の人生を決めると思うが、そこで立ち止まり、壊しもしない、創りもしない人達がいる。壊さなければ新しいものを受け止める容量が不足する。創らなければ生産的には生きていけない。用心は綿密とは似ていて非なるものだ。不器用は失敗の親ではない。しがらみから抜け出て、冷たい朝の空気を肺胞に一杯吸い込み、吐く息を寒空に白く吹き上げるべきだ。つかの間の自由も、つかの間の熱量も、輝いているだろう。それは解放されている時間のみが持つ魔力なのだ。今を否定しないで、明日を疑わないで。
闇
日が暮れてから、岡山までを往復した。いつもならバイパスを高速で走り市内にはいるのだが、今日は県道を走り、それも助手席に陣取った。毎週のように岡山へは出ていくが道すがら視線は、前を走る車、中央分離帯、信号などほとんど安全に走るためだけのものに向けられていることに今夜気がついた。いつもは、ほとんど何も見ていないのだ。景色も建物も。勿論それはとても重要なことで、運転しながら景色に見とれていれば人を傷つけてしまう。
助手席から眺めると、それも日が暮れてから眺めると、今まで見えなかったものが沢山見えた。白昼なら見えすぎて、見なければならないものが多すぎて、近くのものしか見ていないが、暗闇の中には昼間では見えないもの達が何層にもなって存在を現す。あの向こうにもあの向こうにもと、灯りがともっている。一枚の暗闇の中に奥行きが生まれる。
白昼、無機質な建築物だと思っていたものの中に、多くの人がいて働いているのもいくつか見えた。人の気配すら感じなかった建物の中が、灯りですべて透けて見えて、温もりの色をしていた。体温があり、呼吸があった。
闇はすべてを消し去るものではない。すべてが消えたものでもない。闇だから見えたもの、闇だから見えるものもたくさんある。心の闇も、本当は多くの生き物がうごめき、叫び声をあげ、救出を待っているのだ。ほんの小さなろうそくの火でも良いから点れば、誰かが見つけてくれるだろうに。風が吹いて木々が擦れ合って発火しても良い。雷が落ちて発火しても良い。切れた電線から発火しても良い。点れば誰かが見つけてくれる。
闇は闇を隠すほど闇ではない。
矢印
最初、相談に来たときに、不快症状が書ききれないくらいあった若い女性がいる。彼女を数ヶ月漢方薬でお世話をして、かなりの症状は軽減できたが完全ではない。ところが直近に来たときには、とても明るくて笑顔が良かった。もっとも、つらくても笑顔が良くて、回りからは常に誤解されると言っていたが、それにしても嬉しそうだった。調子はどうと尋ねると、いいよって嬉しくなるような答えが返ってきた。それに続いて少し照れ加減で「彼氏が出来たの」と言った。なるほど、彼氏が出来るだけでこんなに表情や体調が変わってくるのかと思った。僕の漢方薬より余程効くのではないかと思った。もう治すところがないのではと言うと、少し考えて腰が痛いと言った。そんなことこの数ヶ月の間に聞いたこともない。今までもっと不都合な症状で悩んでいたので忘れていて、やっと出番が回ってきたのだ。結局腰痛に絞って又漢方薬を始めたのだが、良いホルモンが出るってすばらしいことだと教えられた。
薬局で話題になるのは実はこの逆のことの方が圧倒的に多い。逆の出来事は、憎しみ、軽蔑、争いを伴うから、免疫を落とし、ホルモンと自律神経を狂わせる。心は勿論身体までむしばまれる。僕の前では何故か話しやすいみたいで、皆さんいろいろ進行形の葛藤を教えてくれる。失うものも大きいが、失ってやっと解放される人も意外と多い。しがみついていたモノがとるに足らないことに気がついて、解放されてそれでどっと体調が回復する人も多い。
男女関係はたいへんな幸せをもたらすこともあり、たいへんな不幸をもたらすこともある。関わらないのも一つの生き方かもしれないが、人間が動物であることから逃げられない以上、本能に導かれる部分があまりにも大きい。大切なことは男女関係を克服することではなく、それによってもたらされる結果を克服する能力だろう。ベクトルが瞬間的に方向を変えることなど日常茶飯事だ。幸せに向かっているのか、困難に向かっているのか見極めは大切だが、落ちていく矢印を受け止める訓練もしておかないと、なかなかもつれた糸の固まりから矢印の先端を見つけるのは難しい。
女性歌手
海を見下ろす岬に沢山のペンションが建ち、多くの観光客が来ていた頃、牛窓でも結構映画やテレビ番組のロケが行われた。当時は、不意に有名な俳優や女優、歌手が薬局に入ってくることも珍しくなかった。つくってあげた漢方薬が気に入って、何回か足を運んでくれた人も数人いる。
ある女性歌手が突発性難聴で片方の耳の聴力を失ったらしい。有名な歌手だから恐らく受けられる最高の治療を受けたのだろうが、奏功しなかったようだ。ステロイドなどの切れ味鋭い治療の効果がなかった場合に、現代医学では他に選択肢がないのが残念に思う。
そこで誰かが漢方薬でもと提案できる環境にあったら、ひょっとしたら聴力をすべて失うようなことはなかったかもしれない。立派なお医者さんが言ってくれればそれにこしたことはないが、隣のおじちゃんやおばちゃんでも良い。ちょっとしたヒントを貰っていれば、結果は異なっていたかもしれない。でも、あんなに有名な人に隣のおじちゃんやおばちゃんはいないのか。そうしてみると不便なモノだ。牛窓でもし同じ症状に陥っていたら聴力を失わずにすんだかもしれない。勿論何割の確率で防げるか分からないが、漢方には方法があるのだ。利用しない手はなかったと報道を見ていて思った。
まあ、運良く僕がお相手するのは隣のおじちゃんやおばちゃんだから、縁がちゃんと出来ている。難しいことを言わなくても飲んでくれるし、結果も皆分かる。たまには、取り巻きが一杯いる人よりも、日がな一日、飼い猫としか会話がないような人達が運がよいと言われるようなことがあってもいいだろう。そんなプレゼントをするのが僕の仕事だろう。
閾値
正月の不摂生がたたったのか、5時間ずっと腰掛けっぱなしで慣れない勉強をしたのが原因か分からないが、久しぶりの腰痛で日曜日以降不自由だった。動作によってはすごく痛み、生活の質はかなり落ちていた。身体のひねりで一瞬痛みが走り顔をしかめるが、箱根の山を必死でたすきリレーした人達、K1でノックアウトされた人達の痛みに対する忍耐との差に我ながらあきれる。恐らく彼らが1感じる苦痛を僕なら10くらいに感じるのだろう。忍耐がないのか根性がないのか分からないが、苦痛にはいたって弱い。しんどい、痛いはもはや口癖になっている。
それ以下なら痛みを感じないと言うレベルを「閾値」と言う。僕はこの閾値が低いのだろう、痛みを感じてすぐ生活の質を落としてしまう。ぐっと耐えればいいのかもしれないが、その根性はない。ありとあらゆる薬を思案して早く脱出をはかる。こと痛みに関して言えば、薬を飲むとかでなんとかごまかす方法はあるが、社会的な生活の中での閾値の低下は、他人を傷つけ、社会を不快にしてしまう。毎日報道される殺傷事件は、生きていく上での閾値の低下を如実に物語っている。昔なら、いやいやそんな言葉を用いることもない、以前でいいだろう。以前ならぐっとこらえて見過ごしたり、やり過ごしてしまえることに、忍耐が無くなり、手を挙げてしまうのだ。どこで精神を鍛えることを置き去りにしたのか、どこで寛容を学ばなかったのか、まるでブレーキのない車が公道を頻繁に往来しているようなものだ。よほどの不運がその種のトラブルと遭遇するのではなく、よほどの幸運がその種のトラブルを避けれるような時代に今僕たちは突入しようとしている。
身の回りに溢れるモノ達が、感情の閾値をもし下げたのなら、勇気を持って捨てなければならない。モノで満たされるのはほんの刹那だ。モノに余韻はない。罪深い、欲深い大人達が作ったこの時代は言葉も感情もモノのように陳列され消費される。形無いモノまでが商品化される。形無いモノだけが人間としての閾値を上げているというのに。
英会話
およそ見当はずれかもしれないが、NHKの英会話の番組を偶然見ていてこんなことに気がついた。丁度mayとmightの使い分けを説明していた。詳しいことは分からなかったが、現在形を使う場合と過去形を使う場合では、確率に違いがあるらしいのだ。どちらかが高くて、どちらかは可能性が少ない場合に使うらしい。その説明の後に外人教師が、表情や身振りで話しなさいと助言していた。その講義と助言を聞いていて、欧米人のおおげさな身振り手振り表情の意味が分かった。英語は恐らくかなり言語としては荒削りで、言語を補うものが必要なのだ。だから欧米の人間は大げさな仕草をするのだ。それなくしては、繊細な感情を伝えられないのだ。
そうしてみると、日本語の繊細さには驚く。全く表情を変えずに、例えば能面でさえ、喜怒哀楽をすべて表現できる。木のマスクをかぶっていても、すべての感情を表現できる。自慢すべき言語ではないかと思う。古代この国に暮らしていた人達の繊細さに驚く。
又一つ、英語を勉強しなかった、今更出来ない理由が僕の心に加わった。安心安心。
対等
いつの時代からこんなに人間に忠実になったのか知らないが、犬が人間に対する態度には驚かされるとともに、常に哀れみも禁じ得ない。オオカミと種は同じらしいが、自然の中で生き抜いているオオカミと人間の庇護の元で生き続けている犬とでは、生き方の上ではまるで正反対だ。
いつも首にひもをくくりつけられ、動ける範囲なんて数メートルもない。一生保証された餌と水は、あれだけ卑屈とも思える態度まで種を変えることが出来るのだろうか。今いる老犬がまだ若いとき、僕が外出から帰ったときや、夜遅く階下に降りていったとき、必ず小屋から出てきて正座した。まるでへりくだっているようで結構つらかった。そこまでしなくて良いのにと何度思ったことか。犬が犬であることがつらかった。
僕は犬を犬のように見ていないのだろうか。元々犬は苦手だから溺愛するタイプではない。今でも犬との接触はほとんどない。だけど僕が偶然近寄るとしっぽをふって喜ぶ。何故かその光景がもの悲しい。そんなにして貰うほどの存在でもないのにとつい思ってしまう。人間同士は勿論、動物とだって、そこそこの対等が良いような気がする。
職業
防衛医大に行っている甥が正月にやってきたとき、女学生も男子学生と同じように20Kgの荷物を背負って行軍すると言っていた。他の医学部と同じように女学生は3割くらいいると言っていたから驚きだ。甥はとても気配りが出来る子で、その気配りは本来的に持っていたのか、特殊な大学で鍛えられたのか分からない。高校時代までは勉強ばかりしていたような印象が大きかったから、そんな長所を見せる暇もなかったのかとも思う。
一方、これは息子から聞いた話だが、外科を目指す女学生が多いらしい。理由は男の方が楽をする科を選ぶきらいがあるというのだ。息子の印象だけか、総じてその様な傾向にあるのかこれまた部外者には分からないが、外の世界には見えないことだ。どちらにしても女性が頑張っていることだけは共通している。若者人口がどんどん減少しているのだから、個々の能力を発掘しないと職業に空白が出来てしまう。外国人の手を借りるのも限界があるだろう。
子育てから遠ざかってしまったから、気楽な感想しか言えないが、現在の幼子達はその気になれば就きたい職業に就けるチャンスは大きいのではないかと思う。これだけ人口が減ればほとんどの人が各々の分野でとても貴重な戦力にならざるを得ないだろう。誰もが望んで努力すれば能力が十二分に発揮される、すばらしい時代(この分野に限ってのことだが)が来るのではないか。いろいろな条件を克服した人だけが与えられる狭き職業の門は、広げられるべきだ。生き生きとまた、喜々として若者達が働いている風景はどれだけすばらしいだろう。是非見てみたい光景だ。
陳列
今日もいくつかの用事をこなさなければならなかったので、朝の7時半頃家を出た。2つ目の用事のために車で移動中に、酷く寒いことに気がついた。エアコンを28度に設定しても何故か寒い。きっと風邪を引き始めているのだろうと思って、ドラッグストアに寄り薬を買った。愛用しているものはドラッグストアにはないので、成分を調べながら自分で納得できるものを1回分だけ買った。レジに持っていくと白衣を着た薬剤師らしき人が「いいものを飲まれるんですね」と言った。「急に寒気がしたので」と答えると、「食後に飲んでください」と言われた。素人のように礼を言って、外にでてすぐに飲んだ。食前でも関係ない。食後まで待っていたら、きっと風邪が内攻してしまうだろう。おかげで午後の4時間の勉強会は何事もなく集中できた。今帰ってきたが恐らく治っているだろう。 僕が薬の成分を調べている間、一人の女性客とその薬剤師の会話が聞こえた。なにでもオロナインを塗って何かを治そうとしているらしい。ところがメンソレータムのことが気になったらしくて、その効果の違いをかなりひつこく尋ねていた。聞いていてその薬剤師が気の毒になった。現代では何故存在しているのか分からないような2種類の薬について説明を求められ、それも50歩100歩の内容で、もっといいものを使ってとさじを投げたくなるような内容なのだ。「抗生物質を塗って」と僕なら一言ですますだろうが、彼にはその裁量は許されていないのかもしれない。忍耐強く説明していた。ドラッグストアが何をするところなのか僕には分からない。強いて言えば薬の大量消費を促す場なのかもしれない。だけど薬はいやしくも消費が目的ではない。病気が治る、健康が手にはいるという代価が必ず要求される。しかし、はっきり言ってそれはあの手の会話では無理だ。いくら薬剤師に熱意や知識があっても、治してやるって意気込みは陳列されていない。陳列されているのは、最終消費者の肝臓を痛めつけることを危惧される大量の化学薬品の群れだ。 田舎でのんびりと仕事が出来るのが幸せなのかもしれない。猫の手も借りたいような繁盛は知らないが、意気込みだけはちゃんと陳列し続けているから。
青春
「命に関わって仕事をしていたいから」さりげなく放った言葉に正直驚いた。数年働いた時点で知識や経験などは容易に追い抜くとは思っていたが、精神まで追い抜くとは思っていなかった。スポーツが好きでアカペラも好きで、その程度しか青春時代の情報は入ってはこなかった。ガリ勉とはほど遠いから何とかやっているのだろうと思っていたが、いつどの様に精神を鍛えたのか分からない。少なくとも勉強で鍛えたのではないことだけは確かだ。数学はもう2度とやりたくないと、同じ席で言っていたから。よほどいやな記憶があるのだろう。
かなり遠ざかった人間からしてみれば、青春は生命力に満ちあふれている。どの様に暮らそうが生命力だけは群を抜いて備わっている。活きる力がみなぎっている時代を、果敢に生きて欲しいと思うのは、そうしなかった人間の勝手かもしれないが、それでも尚、僕の机越しに腰掛ける人、電話の向こうにいる人、メールを受ける人には切にそう願う。命が体内で燃えている人は、見ていて美しいのだ。それは燃え尽きてしまいそうな人間には羨望の対象でしかない。その価値に気がついて欲しい。悩んで苦しんで彷徨うのもいい。しかし、それを必ず総括して以後の人生に生かして欲しい。精神を生み育てるのもまさに生命力溢れる青春時代なのだ。
青春は親を捨てる季節だ。無我夢中の映像の中に親の登場する余地など全くない。でこぼこの道を歩けば足の裏なんか自ずと鍛えられる。人生という茨の道を歩く足は、鍛えなければ与えられない。苦しみの向こうにしか喜びは見えない。喜びの向こうには喜びはない。苦しむことを苦しまないで。苦しむことは苦しみではない。青春に与えられた、生命力を一杯貯金している人達にだけ与えられたゲームなのだ。復活を約束されたゲームなのだ。残念ながらそのゲームに参加できなくなって初めて気がついた。
個性
僕がお世話になっているある会の停滞を打破するために、ふと思いついたことがある。薬局の経営と何ら変わらないのではと思ったのがきっかけで、具体的なアイデアがいくつか浮かんできた。浮かんできたアイデアを統合させれば一つの形になりそうだ。実現すればずいぶんと楽しいだろうなと思う。ただそれを実現しようとすると、かなりの労力を要する。スタッフ集めから始まって外部との交渉などすることは山ほどある。僕はカレンダー通りしか休みがないから時間をとられることは基本的には避けてきた。仕事に食い込むようなことは出来ない。自ずとサブのスタンスをとらざるを得なかった。今回もし僕がアイデアを発表すれば、言い出しっぺだから中心で事を進めていかなければならない。こんな事を思い出すと、なんだか気が萎えてくる。しかし、実現した暁のことを思えば、人の役に立てたと、大きな満足を得られるのだろうとも思う。この両極端の考え方の間で心が揺れる。
こんな状態を打破する僕の常套手段は、公言して後がない状態を作り出すことだ。口にいったん出してしまえば、なかなか後には引けない。過去はほとんどこれで乗り切ってきた。ただ、そんなことが出来るのも半年後も1年後も元気でいるという大前提があったからだ。残念ながら今はそれがない。だから、いろいろなことを頼まれても確かな返事は出来ないのだ。変更が利かないものは引き受けれない。
アイデアが煮詰まってから数人に漏らした。なんだかんだと言いながら、やはり追いつめてしまうのが僕なのだ。漏らしたすべての人が喜んでくれたから、近いうちに大風呂敷を広げようかと思っている。なかなか本質的な性格は変わらないものだ。変わらないところだけが大切な個性だと思っているが、とても重い背負いきれない個性もある。
生活の質
一人早く起きて、昨夜母のところでごちそうになった握りの残りを食べていた。おせち料理の残りも貰ってきていたので、皿を2つ用意して、一方には刺身しょうゆ、片方にはソースをたらした。箱根駅伝の復路を見ながら、働かなくてもいい日の朝を楽しもうと、準備万端だ。
油が酸化されている牡蠣フライでも、結構美味しい。水分が飛んで少し堅くなった握りを食べたとき、先に食べた牡蠣フライのソースの香りが少し残っていた。その後牡蠣フライと握りを交互に食べたのだが、いかを食べてもシャコを食べてもソースの味が舌に残ってしまう。何となく違和感は感じたのだが、駅伝に熱中していたのか、それ以上は気にならなかった。
握りが残り少なくなってからでもソースの味がするので、あらためて皿を見てみた。刺身しょうゆも、ソースも見た目には分からない。どちらも粘度が高いので区別が付きにくい。そこで箸を付けてなめてみると、僕が牡蠣フライにも握りにもソースを付けて食べていたことが分かった。なんと僕はソースを付けて握りを食べていたのだが、正直結構美味しく食べていたのだ。その後しょうゆに付けて食べるとさすがにそれまで以上に美味しかったが。
いかに僕の舌が鈍感か、味覚が鈍いかよく分かる。食事について量は常に問題だったが質を求めたことはほとんど無い。満腹かどうかだけが問題だった。おかげで何でも美味しかった。食事は犬のように飲み込んでいた。
恐らく日常生活にもこれと同じようなエピソードは繰り返されているに違いない。気がつかないだけだろう。それでも何とかなってきたのだから、生活の質は自ずと想像がつく。空腹と満腹を2つの皿に分けて箸を往復させているだけで、質を盛りつける技術は全く磨かなかったのだから。
通訳
たわいもない内容なのだが、通訳を介して2時間くらい話を楽しんだ。全く一言も分からない言葉だから、通訳無くしては話せない。彼女を連れてきたのがそもそも通訳なのだから心強い。首脳会談や有名人に対してのインタビューで、通訳を介して会話が行われているのをしばしば見かけるが、自分が経験してみてほとんど不自由を感じなかった。若干の時間差が生まれ、同時に吹き出すような瞬間は得られないが、内容を吟味して一緒に笑えることも分かった。相手をいたわる心さえあれば何ら問題ないと思う。いたずらにつたない外国語を駆使するよりはるかに意志疎通は出来ると思う。
厳しい寒さの中を自転車でやってきた。帰る時間は夕暮れが迫っていた。袖のない薄いジャンパーを着ているだけだから、寒い寒いを連発していた。日本で過ごす初めての冬で衣装にとまどっているのかもしれない。従姉妹の子がくれた女性用のコートが2枚余っているから、それをあげようと思ったが、寮に帰れば10人の集団だから不公平になる。必ず公平を保たないと共同生活を壊してしまう。制約の多い労働条件の中で、何とかモチベーションを維持しながら懸命に毎日働いているその子達に、何をしてあげれるのか、何をしてはいけないのか悩ましい。屈託のない笑いを見せてくれる二人に慰められた2時間だった。