栄町ヤマト薬局 - 2008

漢方薬局の日常の出来事




2008年12月31日(Wed)▲ページの先頭へ
首切り
 何かが欲しいという年齢でもないので、そんなに力んで暮らす必要はない。淡々と暮らし、せめて腰と首が痛まなければ儲けものと言ったところだ。早く得たものと与えたものが逆転して、少しは社会のために役立ちたいと思うのだが、まだまだ得たものの方が圧倒的に多い。
 今年も東南アジア系の人達からとても親切にしてもらった。特に若い人達に。言葉は通訳を介しないと通じないが、分け隔て無く接することが出来る唯一の長所が認められたのか優しい言葉や態度を返してくれる。人と接する上で参考になることが多い。嘗て日本人も持っていた習慣を、彼らの中に見つける。今や何十組に1組が、外国人と日本人の婚姻だという。そのうち民族が混ざり合い、国境が無くなる日も来るだろう。もう心の中の国境などかなりの人が取り去っているのではないかと思う。年の瀬に戦争を始めた国がある。象と蟻ほど違うもの同志が戦う。強いものが正義、弱いものが悪なら、弱いものは永遠に浮かばれない。戦場はこの国の至る所にも広がっている。戦車や戦闘機で戦わなくても、至る所で戦いが始まっている。そして負けるのはいつも弱者。時代劇でもあるまいし、首切りなどと言う、人を見下げた言葉が日常に溢れる。一瞬外に出ただけで、衣服が凍るような日に、屋根も布団もないなんて死と隣り合わせだ。年の暮れどころか人生の暮れにもなりかねない。
 見下げる必要もない、見上げる必要もない。ただまっすぐみんなが前を向いて歩ければいいのだ。人は空の中にもいないし、海の中にもいない。所詮群れて大地の上を2本足で歩く動物なのだ。それも高々何十年か生きているだけの。


2008年12月30日(Tue)▲ページの先頭へ
安心材料
 正月はどうされるのとこの時期は良く尋ねられる。何もする事がないから家にいると答えるとすこぶる好感を持って迎えられる。助かったと言葉を続ける人もいる。こんな僕でもいるだけで少しは安心材料になるのだろうか。何があっても病院にかかる人達にとってはまか不思議な会話かもしれないが、病院嫌いもいるし、面倒くさがり屋もいるし、漢方ファンもいるから、いつでも電話すれば薬局が開く状態は彼らには好ましいのだろう。
 本当にすることがないのだ。興味がわかないと言った方があたっているかもしれない。行きたいところがあるわけではなく、会いたい人がいるわけでもない。だからといって、休養をとらなければならないほど疲れてもいないから、ダラダラ休むのも性にあわない。何かをしなければ時間が経たない。そう思って今やるべき事を紙切れに書いてみた。意外や意外結構項目が並んだ。どれも薬局の日常業務の範囲内のものだ。平生如何にその種のものを避けて暮らしているかが良く分かる。苦手なものだから、どうしても後に回してしまう。その上、読めていない情報誌がゆうに30cmの高さに積み重なっている。これを如何に低くするかも連休中にかかっている。
 恐らくテレビのスポーツ番組を観、飽いたら薬局に下りてきて、事務処理や読書をするという繰り返しになるだろう。テレビは、もうスポーツ番組くらいしか信用できないから、それ以外のものは観ないだろう。くだらない人間の標本が欲しかったらテレビのスイッチをつければいい。いくらでも標本が並んでいる。黙々と生きてきた人間をネタにぬくぬくと生きてきた人間がしたり顔をしている。
 第九で歌い上げる人間賛歌は現代のこの国には似合わない。


2008年12月29日(Mon)▲ページの先頭へ
故障
 特別養護老人ホームに入居している方のお正月分の薬を作らなければならなかったのに、今日2度も調剤用の機械が故障した。100人以上の薬を、朝は朝、夜は夜といくつもの薬を1つの袋に集めて飲み忘れがないように調剤しなければならない。時間さえあれば人の手作業でも出来ないことはないが、わずか1日で作らなければならないから、かなり性能の良い機械に頼らざるを得ない。同じ作業をするとしたら人間の何人分にあたるだろう。そのくらい性能の良い機械がある。
 性能が良くなればなるほど、不具合も起こりやすくて、時に補修の専門の技術者に頼らざるを得ない。今日は午前と午後、2回岡山から来てもらった。幸運だったのは、もう仕事納めをしている会社だったのだが、念のため一人を待機させておいてくれたことだ。おかげで、助かった。手作業では徹夜しても間に合わないだろうから、責任を果たせたことを嬉しく思うと共に、技術畑の人に感謝だ。いくら性能が良くても、機能しなければただの物体。便利さが分かっている分だけ落胆も大きい。もし嘗てのように手作業ですることになれば、果たして忍耐が持っていたかどうか。規模は違うが、東京でくしくも今日新幹線が動けなかったらしい。技術の粋を集めたものでもその様なことがあるのだ。その時に乗客の人はどのくらいの忍耐でもって接したのだろう。切れた人もかなりいたみたいだから、なかなか寛容の心を持つのは難しい。
 便利さになれすぎて、ありがたさに無関心になっている。偶然のトラブルは鬼の首を取ったが如くに攻撃材料にして、日々の99%以上の便利さには感謝の心すらない。どこでどう間違ったのか、権利意識だけが増長し、手に入れることだけに奔走する。手放す勇気も手放す愛も持たず、墓石の下に御殿を建てる。今年も又、多くの方々に助けられた。僕が役に立てた何倍も助けられた。いつまでたっても、何歳になっても、与える側には立てない。情けないものだ。


2008年12月28日(Sun)▲ページの先頭へ
飯台
 飯台の上に湯飲み茶碗が置いてあった。お父さんが何かの拍子にこぼしてしまった。お父さんは「ごめんごめん」と謝るが、お母さんは「わたしが隅の方に置いていたから悪いんです」と謝った。その様子を見ていたおばあさんが「隅の方にあったから危ないなと思っていたのに言わなかった私が悪いんです」と謝った。
 この家庭に何が起こるのだろう。何かが壊れると言うようなことは想像しにくい。助け合って幸せな家庭をいつまでも保つ以外に破壊的なことは想像しにくい。では、この逆はどうだろう。自分の失敗を相手のせいにしてひたすら責める。誰かのせいにして、何かのせいにして自分を守っているのだろうが、それは本当は守っていることとはほど遠い。多くを失っているのだ。見え透いた言動は完全に読まれている。何も言ってはくれないから、本人は気がつかないだろうが、気がついたら周りに人はいなくなっている。崩壊の道程しか待っていない。
 どうも僕が若い頃付き合っていた人で(牛窓に帰ってから)今だ幸せそうに見える人はいない。音楽や祭り、スポーツと色々やったが、その中で特に気があった人のほとんどは離婚し、酒に溺れ、博打にのめり込み、家族も財産も全て失っている。形相は変わってしまい、嘗てこの町の未来を語り合った面影は全くない。離婚も酒も賭け事も決して悪いことではなくそこから新たな展開も多いのだろうが、これらのものが重なるように襲ってくるとなかなか生産的な人生とはならないようだ。
 年の瀬の夜のバイパスを走る大型車は極端に少ない。岡山から今あっという間に帰ってきた。不況で運ぶものがないのか、静かな夜だ。人口が減少に転じて国は活力を失うのかもしれないが、静かで過ごしやすい日々が来るなら、人口が減るのは歓迎だ。ものを所有することが幸せで、それが目的化していた時代の人間が退場し、少しは感謝とか、謙遜とかの心に重きを置く人達が増えれば、帰る道を忘れたカラス達も、凍った月の光の中でブルースハーモニカを吹くだろう。


2008年12月27日(Sat)▲ページの先頭へ
永久凍土
 一目見てふっくらしたなと思った。もともとかなりスリムな女性だから、丁度良い加減かもしれないし、まだ太ってもいいのかもしれない。1ヶ月ぶりに漢方薬を取りに来たのだが、こちらが尋ねもしないのにニッコリしながら「彼が出来たんです」といった。彼が出来ない方が不思議な女性だが、お腹が邪魔して今までは恐らくそんなことからも逃げていたのだろう。最初は図書館から訓練し、教室、外泊と出来ることを増やしていって、ついに究極の目標?まで行き着いた。食事も夜だけにしていたが、今は3食食べているらしい。だったら幸せ太りも当然だ。早く僕に彼が出来たことを教えたかったらしい。
 その気持ちがとても嬉しい。漢方薬を作る側、それを飲む側。そんな関係でないのが僕の薬局の唯一の取り柄かもしれない。何の能力も持ってはいないが、暇だし、家賃も人件費もいらないから、不必要な経済活動をしなくてすむ。ただただ治って欲しいと、無い知恵を絞る。新幹線もだめだったのに、名古屋まで彼と行って来たという。それも居眠りまでしたらしい。白十字で買ったエクレアがあったからお茶と一緒に出したら、美味しいと言って食べていた。それはそうだろう、お腹のことを思い出すことがほとんどなくなって、彼が出来て、二人とも医療系の学生なら将来も安泰だ。エクレアの甘さに負けない青春をこれから取り戻せれる。
 最初に尋ねてきた頃は絶対に治らないと思っていたらしい。ところが僕は絶対に治したいと思っていた。僕の前で、本人もお母さんも泣いた。それを見て頑張らない人間はいないだろう。お母さんが今とても嬉しそうな顔をしていると教えてくれた。二人ともよく頑張ったなと思う。失った数年なんて必ず取り戻せれる。実は本当に失ったものなどないのだから。全ての日常が、価値あるものなのだ。恐らく近い将来、現場に立つ彼女は、傷んでいる人の大いなる救いになるに違いない。彼女が苦しんだ分、彼女が克服した分、技術の奥に添えるものを彼女は沢山持っている。自分の不幸を嘆いていたばかりの器に、もっともっと大きくて大切なものを彼女は加えただろうから。
 そう言えばこの寒い日にミニスカートでやってきた。彼女のスカート姿は初めてだ。足を冷やさないでと言う僕の注意なんて守らなくなるのが治るって事なのだ。お腹に注意がほとんど行かなくなり、考えなくなったという彼女の言葉は、過敏性腸症候群の卒業の言葉なのだ。薬がいるのかと尋ねたら、持って帰って冷凍庫に念のためしまっておくという。それでいいのだ。ついでに今までの不快だった日々も一緒に凍らせておけばいい。永久凍土にして。


2008年12月26日(Fri)▲ページの先頭へ
斜面
 どのチャンネルを回してもそのタレントの死をやっているので、うんざりするのだが、華やかな世界に生きていそうな人達でも孤独はあるものだと想像する。興味がないので、内容については全く知らないが、その女性の縁の無さを思う。その世界がどの様な人間関係で成り立っているのか知らないが、せめて助けを求める人くらいはいるだろうし、悲鳴を上げれば声が届く人もいるだろう。どの様な治療を受けていたのか知らないが、薬だけで治るものばかりではない。薬だけで治るのは単純な疾病で、あらゆる分野が乱れて崩れている現代で、病だけが古典的であるはずがない。時代の発展と共に、人心の後退と共に、疾病は複雑化している。解けないもつれを解くのは薬ではなく、体温を持った人間がやる仕事。薬物に全部背負わせれば、限界は自ずと見えている。
 それにしても、死んでからも、いや死に方までも商売のネタにされるのだから、その世界の人間も大変だ。僕らは2,3日も経てば家族以外からはほとんど忘れられる単なる景色のような存在でいい。春には新しい草が取って代わる土手のような斜面でいい。晴れた日には太陽で温められ、名も知らぬ草が遠慮がちに花を咲かせればいい。時には幼い子供が近寄って、ちょいと茎を折って持ち帰ればいい。


2008年12月25日(Thu)▲ページの先頭へ
偶然
もう一つのクリスマスプレゼント。
 偶然がいくつも重なって、とても素敵なクリスマスプレゼントを頂いた。
 ある女性の友人が、僕の漢方薬を飲んでいた偶然が一つ。いやいや、それよりも前にその友人が牛窓に働きに来た際、偶然僕の薬局に入ってきて、以後何があっても頼りにしてくれるようになっていたことが二つ。その女性がかかっている総合病院で担当医が事務的すぎて治療を拒んだことが三つ。僕が頼まれてC型肝炎の世話を漢方で始めたのが四つ。総合病院の同じ科で働いていたのが僕の息子という偶然が五つ。その女性が息子に好感を持ってくれたことが六つ。世の中全てがこんな調子なのだろうが、こじつけて考えてみるとなかなか面白い。
 C型肝炎の治療法もずいぶんと進歩して、嘗てインターフェロンの治療を脱落した彼女でも可能性があるらしい。何を思ったか、息子が治るって力強く言ったものだから、その女性は再挑戦を決意したらしい。インターフェロンの副作用はほとんど僕が漢方薬で補ったものだから、かなり快適に?治療を受けることが出来た。薬でウイルスを叩いて、今月までにウイルスが復活しなければ完治らしい。偶然にもその結果がクリスマスイブに分かることになっていた。
 お昼過ぎ彼女から電話がかかってきた。声の明るさで結果はすぐに想像できたが「○○先生に素敵なクリスマスプレゼントを頂いた」と伝えられたときはとても嬉しかった。勿論彼女が長い不安のトンネルから抜け出せれたことも嬉しいが、息子が人様の役に立てていることも嬉しかった。漢方薬でウイルスを叩くことは出来ないから、なんとか彼女が治療を放棄することだけはさせまいと努力した。そうすることによって息子にも良い結果がもたらされたらと思っていた。息子が特別な何か医学的な能力を持っているわけではない。現代医学の成果を一人の繊細な女性に届くように思いをぶつけただけなのだろう。その心が届いた。その思いを育てたのは唯一の取り柄のスポーツ馬鹿なのではないか。
 いつどこで現代っ子が精神を鍛えるのか分からない。どの様な手段があり、どの様な巡り合わせがあるのか分からない。でもいつかどこかで精神を鍛えられ豊にされなければ人様の役には立てれない。僕は彼が今の職業に必要な心を得た時を知っている。本人は勿論家族も辛い時期だったが、それなくしては今の彼は語れない。
 目を覚ました僕の枕元には脱ぎ捨てた靴下が散らかっていた。その中にプレゼントは届かないが、電話のベルはジングルベルのように僕の心まで鳴り響いた。


クリスマスイブ
 クリスマスイブに素敵なプレゼントを2つ頂いた。その中の一つを今夜、もう一つを明日披露する。
 僕はまさにこの為に薬を作っているのだと大きな声を上げて叫びたいほどのメールをある方から頂いた。その内容を日々悩んでいる人達に披露したくて、許可をお願いしたら、心よく許してくれた。そのままの文章を載せる。解説はいらないと思う。

やまと薬局 様
 こんばんは。今日、ハッ!と気がついたことがあったのでメールしました。最近、いろんな本やメルマガを読んでいて思うのは、やっぱり人にとって一番大切なのは、誠実さや美しい心であるとつくづく感じました。もともと根がまじめで神経質だったのに、その良さに全然気がついてませんでした。まじめである→うそがつけない、誠実である。神経質である→よく気がつくなど。
 その自分の良さを忘れ、それ以上の自分いや、正反対の自分を望んだときガスが出はじめたのだと思う。ないものねだりや人によく見てもらうという気持ちはいらない。そして、ガスが出ているからみんな冷たいのではなく、みんなから嫌がられているという自分の卑屈な気持ちが、人を寄せ付けなくしているのだと。全部自分を見せて、それでもいいと思う人だけに理解してもらえばいいです。いかに今までの自分は嫌な、卑屈な、ひがんでいた人間であったかと思うととっても恥ずかしいです。40代になり、落ち着いてやっといろんなことが見えるようになってきたように思います。40歳が自分の転機のように思います。これからが、一皮むけた新しい自分になり(←今までたくさんバリアを張っていたので10皮くらいむけるかも?)人生楽しめるかな〜!!
 まだ、薬を止めたり便秘になると気持ちがどうしようもない時もありますが以前に比べると、とても少なくなりました。自分の中で気持ちが本来の自分に戻ったため、落ち着いています・・と言っていると、後でガツンときそうで コワイ。。。とりあえず、今自分が思っていることをメールして文章にすることで自分の気持ちもはっきりします。まだまだの自分ですが、やまとさんありがとうございました。ほんと、出会えてよかったです!


ヤマト薬局より
 大変なことに「ハッと」気がついたのですね。この気付きこそ、僕が皆さんに求めているものです。このことに気がついてくだされば、もう何ら心配はいりません。僕が貴女と同じような方500人以上と色んな形を通して知り合い達した結論が、皆さんとてもすばらしい長所を持っていて、それが現代では息苦しさに、あたかも短所のようになって、あるいは自覚してしまっているところに問題があるって事なのです。僕はその長所を捨てて欲しくないのです。変えて欲しくもないのです。その長所を温存して、身体だけ元気になってくれれば、心身共にすばらしい人になってくれると思っているのです。お願いがあるのですが、このメールを僕のブログにのさせてもらえませんか。何回も読み返しました。
誰もがこんな気持ちになってくれたら、いやこんな気持ちを疑似体験だけでもしてもらえれば、過敏性腸症候群は、治るって認識が優勢になると思うのです。どうも皆さん治らないと判で押したように思っているみたいで、治らないと思っているものをいくら治そうとしたってなおりません。治るものだから、治せるのです。治療者の僕が貴女と同じ事を言っても説得力に欠けますが、当事者の気付きだから、何かすごい説得力を感じるのです。勿論、プライバシーは完全に保護されます。許可をいただけたら載せます。勿論いやならいやでいいのですよ。



2008年12月23日(Tue)▲ページの先頭へ
横着
 邑久駅まで送って、帰ってきた妻がしきりに「いい子だ、いい子だ」と言っていた。その感想に対して全くの異論がない。その言葉以外に適当な言葉も見あたらない。関西の大学から中国地方のある街へ帰省するついでに寄ってくれた。丁度寄り道が出来るような位置関係にあり、僕が誘ったわけではないが、機転を効かせてくれた。とても良い判断をしてくれたと思う。(電話やメールでの情報交換の何百倍の価値がある)
もうそれこそ何人の人が訪ねてきてくれたか分からなくなったが、僕は多くの青年達のとても新鮮な心に触れさせてもらって、その都度感動をもらっている。普段接点の少ない世代の、それも懸命に不調に耐えて生きている彼らの赤裸々な姿は、多くマスコミに登場する見るからに低俗な青年像を一気に払拭してくれるだけの存在感がある。彼らに接するたびに僕は希望をもらう。
4時間くらい一緒に過ごせれたと思うが、僕は目の前にいる女性の病名を考えていた。本人が何かで見つけたのか、医者が診断したのか知らないが、過敏性腸症候群というのには属さないのではないかと思った。心療内科では精神安定剤を、回りからは気を強く持ってと叱咤され、どうして良いのか混乱していた。僕が4時間の間につかんだ像は、「機能が悪い」たった、それだけの結論だった。優しすぎるくらい素敵な女性だが、それが症状を引き起こしているとも思えなかったし(これはある問診で簡単に分かる)病気が潜んでいるはずもないくらいどこにでもいる現代的な女性だ(色白でスリムで冷え性)。10の能力を持った内臓がチョット横着をして6か7位の働きでさぼっていると言うイメージだ。持って生まれたものを全部出してくれれば、あの不快症状など無くなるのではないかと思った。
傍にいて誰もがホットするような個性の持ち主に、気が強い人間になんかなって欲しくない。いや性格などそんなにたやすく変わるはずがない。もし彼女がお腹のために変わったとしたら、1を得るために、100を捨てるようなものだ。お腹の悩みをいくつ重ねても、彼女の素敵な個性には勝てはしない。残念ながら自分の長所は見えずに欠点ばかりが見えるから、青春は時として残酷だ。その空虚な残酷さを伝えてくれる大人が回りにいたら、今頃彼女は都会のアパートに日が明るい内から閉じこもる必要はなかった。


2008年12月22日(Mon)▲ページの先頭へ
忘年会
 幸か不幸か、バレーボールを辞めてから、ほとんど飲み会というものがない。忘年会も全くなくなった。そんなものがあることすら忘れていた。最近とみにお酒に弱くなったみたいだから、好都合なのだが、歳時記に全く疎くなり年が暮れ、年が変わることすらほとんど頭にない。子供でもいれば色々な行事で自ずと意識づけられるのだろうが、実体のない印刷物のような季節がただ過ぎ去るばかりだ。季節を迎えるほど充実した気力は元々持っていないから、特異の後追いだけでこじつけたようなページを繰っている。
 どうでもいいような話題だが、テレビで忘年会の予算を尋ねていた。6000円が4500円になっただとか、会社の事務室でやるとか、何故かやらなければならないような前提でみんなが行動している。読んで字のごとく、まさか忘れたい年があるのでもないだろうし、もしあったとしたら、忘れようとする努力こそが思い出す誘因にもなるだろう。未曾有の災害があった場所で年忘れの酒は飲めないだろうから、さしずめ酒が飲めるのは、忘れる必要もないくらいの安泰の年だたって事だ。
 行く年も来る年も、所詮マスコミのくだらない商売道具程度に落ちぶれてしまった。


2008年12月21日(Sun)▲ページの先頭へ
子犬
 お店の人には申し訳ないが、買う気もない、全くの冷やかしだ。雨が降っていたから、商店街のアーケードの下で時間を潰した。一番居心地が良かったのは、ペットショップだった。まるで熱帯魚を飼う水槽みたいなケースの中に沢山の子犬が1匹ずつ入れられていた。どの客が買いそうかなど店員さんには分からないだろうから、堂々と店内をゆっくり一巡できた。ケースは30くらいはあったと思う。どれも犬種が書かれていて、少なくとも雑種は1匹もいなかった。売買の対象にはならないのだろう。あげるもの、もらうものなのだろう。知っている犬種名もあったが、ほとんどは知らない名前だった。愛犬家でない証拠に、まず犬を見てからすぐ値段を見てしまう。下は5,6万。上は20万円を超えていた。その数字の価値を計るのにすぐ浮かんだのが、最近しばしば登場する、派遣労働者の給料だった。ああ、彼らが1ヶ月働いた金額を超えてしまうのかと、なんだか切なくなってしまう。
 ケースをのぞき込んでいる人達は何故か若いカップルが多かった。僕と同じ冷やかしかどうか分からないが、店員さんとかなり話し込んでいるカップルもあった。ほとんどが何故か眠っているのだが、1匹とても元気で、ガラス越しにお愛想をする犬がいた。とても仕草が可愛かったので自然とさすがの僕もつられて微笑んでいたのだと思う。すかさずそれを見つけただろう若い女性の店員さんが「犬がお好きなんですね」と言いながら寄ってきた。ああ、ついに来たなと思っていたら「中から出して抱いてくださってもいいんですよ」と、恐らく一番効果的な言葉を続けた。ここで押し切られて抱いたりしたら、買うはめになってしまいそうなので「僕は犬は苦手なんだけど、家族が好きなもので」と訳の分からないことを言って、距離を保った。ただ見ているだけでも、1日中ケースの中に入れられているストレスを想像すると買ってでも出してやりたいと思うのに、チョットでも触れてしまうとつい買ってしまいそうだ。その心理は恐らく店員さん達は熟知しているはずだ。
 もし押し切られて買ってしまい、家に連れて帰ったりしたものなら妻が怒って・・・ではなく、きっと喜ぶだろう。大の犬好きだから、口では怒って、実際には喜ぶだろう。ただ、そうすると僕の順列が又一つ下がってしまうので、意地でも今の順列にしがみついていなければならない。今でも2匹いるのだから、もう1匹増えると、その他大勢になってしまいそうだ。
 アーケードを抜けると煉瓦敷きの歩道が滑った。足を取られまいと変に踏ん張りながら歩いた。冷たい雨が、切り捨てられる人の心を凍らせる。1ヶ月懸命に働いて、子犬1匹分の人生。同じ檻の中。


2008年12月20日(Sat)▲ページの先頭へ
雑音
 雑音がかなり聞こえたから電話の調子が悪かったのだろうか。あるいは泣き声に聞こえたから、旨くしゃべれていなかったのだろうか。
 若いセールスが、当方が調剤してある医師に渡すように頼んだ薬を届けることが出来なかった。薬が届くべき日に届かなかったので、医師は慌てて当方に電話してきて、急遽作り直した薬でなんとか患者さんに迷惑をかけることはなかったみたいだ。よその町から医師本人がわざわざ取りに来た。かなり慌てていたから急を要していたのだろう。おかげで医師に初めて会うことが出来た。依頼されて何人かの患者さんの薬を作っているのだが、この人が処方しているのかと、何となく薬が立体的になる。
 昨日の出来事で僕はもう忘れていた。すると今朝セールスから電話があった。それが書き出しの文章の情況だったのだ。彼はひたすら謝った。何回も謝った。とても真面目で好青年の彼が、忘れるとしたら何かあったに違いない。尋ねると、嘔吐下痢の風邪にかかったらしい。これは体験者なら容易に分かると思うが、バスか船に酔っているのと同じ状態だ。激しい二日酔いにも似ている。繰り返し襲ってくる吐き気と腹痛と下痢にひたすら耐えるしかない。(ここで宣伝、漢方薬が病院の薬より遙かに効く)一人暮らしの彼だから、余程辛かったに違いない。僕がお願いしていた薬のことなど完全に忘れていたとしても、決して責めることはできない。僕は原因が分かったから、「地獄だっただろう。全然気にしなくていいよ」と笑いながら答えた。悪意がないのだから、全然問題はない。問題があるとしたら、純粋な彼が医師から叱責されて落ち込んでしまうことだ。恐らく僕より前に医師の方にお詫びの電話をしているだろうから、願わくば医師が度量を見せて、おおらかに笑ってすませていてくれたらと願わずにはおれない。ところが電話の様子から、かなりのダメージが感じられた。僕らは医療に関わる職業の端くれだから、病気を理由に不都合があってもそれを攻めるようなことは出来ない。残念ながら、この世界には、いや、どの世界も同じか、強烈な上下関係があるみたいで、セールスなんかびくびくしている。何故かとても善人が多い職業で、僕なんか、こちらが頭を下げたくなるのだが、彼らの方が深く下げてくれるものだから、腰痛持ちの僕はもうかなわない。薬剤師ごときにぺこぺこする必要はない。パチプロでも薬剤師になれたのだから。
 医療の頂点に位置する医師が、必ずしも人格の頂点に立てるとは限らない。むしろ人格に関しては逆立ち状態かもしれない。いつもちやほやされすぎているから、人間関係を学ぶチャンスが少ないのだろう。受験のプロが職業のプロでも人格のプロでもない。出来れば謙遜を知った医師に脈はとってもらいたいものだ。


2008年12月19日(Fri)▲ページの先頭へ
心残り
 ある大きな病院で、「みんなで語ろう、これからの高齢者医療」と言うシンポジウムを行った時、自分が高齢者になったら積極治療を希望するか、という問いかけを全員にしたそうだ。すると30人全員が「希望しない」と答えたそうだ。医療従事者の中には、医師や看護士だけでなく事務員や技師、栄養士も含まれていた。実際に高齢者と接する職種だけでなく、裏方の人までが「希望しない」と答えたことが、参加していた人にとっては驚きだったようだ。
 このような話題を目にすると、父の時のことを思い出す。結局半年間、ベッドから降りられずに、人工呼吸器でただ生きていた。意志の疎通がほとんど出来ず、口から何もとれず、チューブで直接胃の中に栄養を入れていた。食事が間違って気管支に侵入して肺炎を起こしただけなのに、病院に入っている間に見る見る体力を失い、結局は気管を切開され、世に言うチューブ人間になってしまった。折角長生きして、それなりに楽しい人生を送ってもらったのに、最後がスッキリしない。思い出したくない、触れたくない一時期になってしまった。
 心残りは、好きだったリポビタンを飲みたいと意思表示しているときに、口から入れることを禁じられているから、まるで幼子を諭すように、それは出来ないと返してしまったことだ。意味のない苦しみを半年も続けさせられるなら、あの時飲ませてあげれば良かったと、後悔だけは生き続けている。願わくば、経験豊富なはずの医師が、先を説明して欲しかった。先に希望の灯りを期待したから、気管の切開を許したのに、苦しみを与え続けただけなのではないか。病院はその事は分かっていたはずだ。まず、病院の治療に元気にすると言う観点はなかった。いや武器がないのかもしれない。まるで自然治癒力だけに依存しているようで、自然治癒力を増強するような治療は全くなかった。あの時気管を切開さえしなければ、我が家にある武器を自由に使えたのに。
 出席者全員、その辺りの事情は良く分かっているのだ。父の時も、経済がちらほら見え隠れした。命もお金に換えられていると思った。長く患うことで潤う人がいると感じた。救急車で運び込まれたところが不運だったのか、消してしまいたい記憶の筆頭にあの頃がある。経験しないと分からないことなのかもしれないが、親は二人しかいない。練習出来る問題ではない。


2008年12月18日(Thu)▲ページの先頭へ
落差
 昔ながらの薬局で、スペースがとれないものだから、介護用品の部類ははなはだ在庫が少ない。申し訳程度に、間に合わせ程度にしか置いていないのだが、最近とみに需要が増えて、問屋さんから週2回結構な量を運んできてもらっている。(もっとも、普通の薬局に比べたら、それでもかなり少ないと思うが)
寒さが増して、体調が悪くなった人が多いのかもしれないが、僕の薬局の特徴は、使う本人がとりに来ることが多いと言うところだろう。例えば奥さんやお嫁さんが取りに来る場合もあるが、本人が自分の尿漏れの使い捨てパンツを取りに来るケースが増えている。家族が用意するのだったら、きっと大きなドラッグストアにでも行って買いだめするのだろうが、本人の場合はそんな体力もないし、経済のことなんか考えない人が多い。大きな紙パンツの袋をぶら下げて帰っていく。気になる人には包装紙で隠してあげるが、意にもとめない人も多い。長寿社会で、誰もが行き着く光景として認知され始めたのだろう。そう、誰もが行き着く光景なのだ。長者番付の常連も、オエライ政治家も、ハンサムな俳優も、有名スポーツ選手も。誰もがある時期おしめをしてズボンを異様にふくらませるのだ。そんなに悲観することはない。いくらお金を積んでもそればかりは防げない。恵まれた人生を送った人は落差が大きいだけ失望も大きいだろう。現在の日常が、おむつよりチョットだけましなところで暮らしている人は、落差がほとんどない。恐るに足りずだ。ビルの上から飛び降りることは出来なくても、石段の一つや二つなら飛び降りれる。今の生活が2段分の生活なら落ちてもしれている。超低空飛行の鳥は落ちても羽を傷めない。こうでも思っていなければ、年の瀬が辛すぎる。サンタクロース(聖ニコラウス)は持ち物を売り払い、貧しい人々に使ったそうだ。路上にサンタクロースは現れるのか。老いた孤独にトナカイの足音は聞こえるのか。


2008年12月17日(Wed)▲ページの先頭へ
飢え
 僕とほとんど同じ世代の女性が、「あの頃の学生は今と違って良かったような気がする」と言った。何となくニュアンスで言わんとすることが分かるので「そうですね」と同調したが、実際にはどうか分からない。ただ、「あの頃の方が、学生には良かったような気がする」ともし言われたなら、確信を持って「そうです」と答えただろう。
 戦後の混乱から立ち直っていたから実際には僕らは食べ物の飢えを知らない。質素だけれど、食べれないことはなかった。運がよいことに、次第に豊かな食生活も経験できるようになった。食べ物だけではなく、交通手段、衣服、日常の諸々のもの全てが便利に開発され、手に入った。一つ一つの便利に導かれるようにみんなが豊になった。
 現代は、僕らが一つずつ目撃し、手に入れてきたもの全てが満たされている。何が足りないのか分からないくらいの情報や物に囲まれている。満足からスタートしているから満足を知らない。女性が言うように、あの頃が、現代よりいいとしたら、まだ飢えが残っていたって事だろう。飢えを経験できたことが良かったと思う。特に、精神の飢えは、何よりの活力の源だった。満たされない精神を単行本の中で満たし、拙い言葉に変えて日常に決してはがれないペンキを塗りたくっていた。満たされない精神を埋める物は、飢えた心そのものだったのだ。飢えたから埋めれる心の隙間もあった。
 過去形で会話が進んでいく。飢えに飢える日々に実るものは何もない。


2008年12月16日(Tue)▲ページの先頭へ
寄り道
・・・無事受験も終わりほっとしています。思い起こせば、高校一年の時のお昼はお腹が心配でゼリー飲料、カロリーメイト等を教室の片隅で食し、二年になってやっとおにぎりを持って行き食べるようになり、そして今普通の子と同じように食堂でお弁当を食べることができるようになりました。おまけにパンなども買って食べたり、結構食べてます。(笑)
おかげさまで大学も決まり、ありがとうございました。
追伸:来週よりスキーに行きます。・・・

 長い間のお付き合いだったが、この一瞬で全てが報われる。都会の高校生は大変だと、薬の注文の度に書き添えられる近況に、いつも感心していた。つかず離れず、恐らく程良い距離をこのお母さんは保っていたのだと思う。突き放しもせず、守りすぎもせずと言ったところだろう。いつも簡素なメールだったが、何となくそう感じた。過敏性腸症候群を治すにあたって、特に学生の場合は、親の理解と協力があるとないとでは雲泥の差が効果に現れる。不安や不満を聞いてくれ、少しだけ励ましてくれる親は心強いだろう。自尊心のかたまり、ナルシシズムの絶頂にある青春期に正しい判断が出来ないことは多い。その時にそっと手を差し伸べてくれる親の存在は大きい。間違っても、自分の成功体験や、価値観を押しつけてはいけない。自分のことを棚に上げて、道を説いてはいけない。道は外れなければ道ではない。はずれないなら線路でしかない。それも親が敷いた線路など面白くも何ともない。小さな道草も壮大な道草も、道だから出来る。目的地に向かってひたすら歩むのも立派な生き方だが、寄り道だらけの歩みもまた素晴らしい。芸術や文学は、いや恐らく科学までもが、道を逸れた時間にひらめいたもので成り立っているものが多いのではないか。
 親子で喜んでいる姿を勝手に想像して目頭が熱くなった。嘗て自分が経験したことを重ねたからか、あるいは、救いの手が伸びず夢を諦めている若者の押し殺した悲鳴が聞こえてくるからか。田舎の小さな薬局にも、たまには南からの風が寄り道をする。


2008年12月15日(Mon)▲ページの先頭へ
原則
 別に盗み聞きするつもりはなかったが、二人の男性が大きな声で話し始めたので否応なく聞こえてしまった。
 30才くらいの男性に、中年の男性が話しかけた。
「首の調子はどうなの?」
「首はいいけど、肩がぱんぱん。めまいもするんで不安ですよ」
「めまいがするんですか」
「この前自転車に乗っていてひっくりかえたんですよ」
「あぶないですね、何かにぶつかったんですか」
「いや、めまいですよ」
この辺りまで来ると、職業柄、日常やっている問診が浮かんでくる。冷えはどうかとか、お通じはどうかとか、ストレスはどうかとか。
「それに寝れないんですよ」
「不眠ですか。いつ頃からなのですか」
「もう半年くらいなんですよ」
「それは大変ですね」
もうこうなると気の毒で、職業を明かして何か助言をしようかと思った。ただ、見ず知らずの人達であるし、何か商売根性を出しているようなので、お節介はやめた。やめといて良かった。次に聞こえたのがこんな会話だったから。
「私も一応医者ですから、原因を自分で考えているんですが」
よかった、釈迦に説法をするところだった。ジーパン姿でスリッパ、如何にもリラックスしている風だったから、その様にはとても見えないし、華奢でどちらかというと治療される側のように見えた。白衣を着ていないから、正直な体調を吐露していたのだろう。あの年齢では勤務医だろうから、かなり過酷な日常を送っているのではないか。恐らく睡眠も十分とれずに、夜を徹して働かされているのだろう。原因を考えていると言うが、そんなもの考える必要もない。首から上に血液を集めているのだ。頭の中を満タンにして眠れるはずがない。肩も首もこるし、めまいもする。脳もフル活動するに決まっている。ところが窮屈なことに、医者は原因を決めなければ手が出ない。検査で異常が出なければ手を出さない。ところが人間の身体は検査される為に出来ているのではない。数値で病気が全て分かるはずがない。境界線上ギリギリで懸命に生活しているのだ。不調は即病気ではない。僕の頭の中ではほぼ処方は出来上がったが、後ろ髪を引かれることもなくその場を立ち去った。どうせ、安定剤や筋肉弛緩剤を飲んで自分の身体をごまかしごまかし働くのだろうが、世の中にはもっと適したものがあるって事にいつか気がついて欲しい。そうしないと、自分の患者さんにも、最善の方法を選択してあげれないだろうから。
 僕は薬局を離れたら薬剤師にはならない。良かった。長年徹底している原則を守って。


2008年12月14日(Sun)▲ページの先頭へ
バイオリン
 あるオークションに古い埃だらけのバイオリンが出された。主催者は何の価値もないので1ドルの金額から競りを始めた。それに対して、2ドル、3ドルの声が挙がり、結局3ドルで落札される事になった。その時白髪の老人が突然舞台に上がって、埃を丁寧に拭った後、調弦し、おもむろにそのバイオリンで曲を奏でた。突然の演奏が終わった後、主催者がこのバイオリンは3ドルでいいのでしょうかと問いかけると、会場から千ドルの声が挙がった。最終的には3千ドルで落札されたのだが、教訓を含んだエピソードだ。
 解釈はいくらでも出来るのだろう。美談にも出来るし醜聞にも出来る。解釈を強要されるものでもない。学生時代の国語の試験のように、正解が一つなどはあり得ない。ただ僕がこの話を聞いたのは、日曜日の午後の穏やかな気分の時だから、少しだけ前向きな解釈を自分の中でしていた。
 僕の薬を飲んでくれている人の中にも、自分を卑下して、3ドルのバイオリンになっている人がいる。でも、僕には全員が3千ドルのバイオリンにしか見えない。自分の評価より例えば千倍もの価値を第3者は見つけている。自分の良いところなんか分かるはずがない。余程のナルシストでない限り、謙遜を知っているこの国の人が、自分を過大に評価することはない。恥ずかしがり屋で、臆病で、不器用で、そんな形容詞を全部集めたような人が僕は好きだ。正直に、持っているものでしか生きていけない人が好きだ。バイオリンの埃を丁寧に拭い、優しく奏でてくれた老人のような人がみんなの回りにいることを望む。それが個人であっても、組織であっても、国であってもいいと思う。誰もがすばらしい音色を隠しているのだから、問題は誰が弦を弾くかだ。


2008年12月13日(Sat)▲ページの先頭へ
未来
 ゆっくりとした空気の中で仕事をしたいから、来店者でちょっと時間がかかりそうな人にはお茶を出す。幸運なことに当方を利用してくれる人は良い人が多いので、不愉快な事を経験することは滅多にない。どなたとも心地よく仕事をさせてもらっている。面白いことに、用事が済んで、帰るときの態度が世代間で全く異なっている。
 僕より一回り上の世代、戦前世代と言ってもいいかもしれないが、その方達、特に女性は、湯飲みをほとんどの方がテーブルからカウンター、あるいは僕の相談机(奥まったところにある)まで運んでくれる。勿論お礼を言いながら。僕ら世代、あるいはちょっと下の世代は、お礼を言いながら、ちょっとテーブルの上を片づける。勿論この方々もお礼を言う。それより下はほとんどお茶に関しての反応はない。
 世代間の評価をしているのではない。僕はどの世代の人も好きだ。肌に染みついたものが違うだけなのだ。どの世代の人も善人が多い。それで十分だ。その時代時代で精一杯がいい。昔気質も堅苦しいし、ほどほどで十分人格は伝わってくる。山肌で見まもる松の木さえも、烏も鳶も区別しない。カアカアと鳴こうがヒューヒュルルと鳴こうが岩を割って未来が転がり落ちることはないのだから。


2008年12月12日(Fri)▲ページの先頭へ
武者震い
 僕なんかよりずっと前から漢方薬を勉強している先生から電話を頂いた。僕が事務方をしている勉強会の大先輩だ。僕は若いという理由からだけで雑用をさせてもらっているが、その雑用故に、色々な方とお話をする機会を得、知識を少しずつ享受させてもらった。
 僕よりずっと長く薬局も漢方もやっているから、色々なことに造詣も深いし、知識も情報も持っている。その先生が、珍しくある人を批判した。巷では成功していると見られている人なのだろうが、僕らプロから見ればその仮面たるや空々しい。素人の方を煙に巻き物を売る。事病気に関する範疇だから、誇大広告も、盲信も許されないのだが、およそ科学とかけ離れたところで商品が動く。その手法を暗に批判したのだ。
 物売りはいけませんよ、治して差し上げなさいと長い薬局人生の中での教訓を下さったが、その心配はない。そもそも漢方の研究会に入らせてもらうときに、先輩方からくぎを差されている。そして誰でもが飲めるような金額を具体的に示された。
 世の中が不景気になって、少しは慎ましさが見直されるようになった。誰もが金持ちの真似をしているよりは数段ひたむきさを感じる。懸命に働いて、職を失うまいとする人達に、やっと連帯の感情が生まれている。明日は我が身になって初めて、人の痛みの一端を理解しようとし始めた。欲しがっていた物は実はそんなに価値がある物でないことも分かるだろう。煩わしかった物が、実はもっとも大切な物だったって事も分かるだろう。空腹だからこそ、くぐる人情ののれんもあるだろう。
 身を切る寒さに、武者震いもいいものだ。
 


2008年12月11日(Thu)▲ページの先頭へ
ちゃらんぽらん
 日曜日に、だだ広い教会の駐車場で、止まっている車と押すような状態で接触した。家に帰ってから、車関係の職業の人に電話して、どのくらい費用がかかるか尋ねた。すると保険の免責を少し出るくらいかなとの感触を得た。保険屋さんとも相談したが、警察に行ったりなかなか手間が大変そうだったので、自費で弁償することにした。僕もそうだが、相手の方がとても忙しそうにしていて、とてもではないが、こんなつまらないことで時間をとらせることが忍びなかったから。
 近くのとても美味しい洋菓子と共にお詫びの手紙を送った。翌日それを受け取ってくれたその女性が電話をくれた。お菓子のことについてまずお礼を言われた。僕がお礼を言われる筋がないから恐縮してしまう。時間が出来たときに修理してもらってと頼むと、車に拘っていないことと、そんな時間がもったいないという理由で、修理を断られた。全然気にならないからもうこれ以上気を遣わないでとのことだった。少しの押し問答はあったが、結局彼女の寛容さに甘えることにした。
 その後、結構長い時間話す事が出来た。教会での献身的な行動に今までは傍観者的に感心していただけだが、人の心の一端を覗くことが出来ると、その理由が良く分かる。僕みたいなエセ信者とはまるで違う。羨ましいと思ったのは、キリスト教のもっとも根元的な教理を信じていることだ。それは復活の思想なのだが、僕はさすがにキリストが復活したところまではなんとかついていけるが、僕ら凡人が復活するとは到底信じることが出来ないのだ。ここの所を越えない限り本当のクリスチャンとは言えないのかもしれない。僕は全く越えられていないが、彼女は完全に信じている。だから死は全く怖いものではないらしい。いつ死んでもいいと言っていた。既に亡くなっている叔父や叔母と会えると楽しみにしている。死を語るのに屈託もなく、むしろ神様の元に行くというようなイメージだった。そんな気持ちになれたらどんなに楽だろうなと思うが、到底無理だ。これから時間をかけるとその心境に達するのかと思うが、可能性はいたって低く思われる。
 全く好ましくない理由で、話す機会を得たが、やはり人間は外見からではその人の人格の何分の一も理解できない。「適当」と言う言葉が大変嫌いだと言っていた。とことんやることが好きらしい。好きというか気が済まないのだろう。きっと、頑張り続ける人なのだ。僕がお詫びの手紙を添えたことで「ちゃらんぽらんな人と思っていたけど違うんですね」と言ってくれた。残念ながらそれは違うのだ。僕はちゃらんぽらんで適当が好きなのだ。ただ迷惑をかけたときくらいは、人並みに神妙になれるだけなのだ。
 新米クリスチャンだが、生え抜き女性の粋に触れられて格好いいなと、一本とられた。


2008年12月10日(Wed)▲ページの先頭へ
満面の笑み
 家電会社の名前に似ているから尋ねてみたら、やはり同じ系列だった。テレビやパソコンを作っているのかと思ったら、保険会社も経営しているのだ。そう言えば、最近リースで機械を入れると必ずどこかで聞いたような名前の会社が多い。機会屋さんがいつの間にかリース会社まで経営しているのだ。あっという間に日本中から小さな商店や工場が消えて、大きな会社だけが残った。会社は物づくりだけでは飽きたらず金づくりにも奔走していていつの間にか銀行やら、保険やら、リースとやらで莫大な利益を上げていたのだ。そう言えば、最近都会から越してきた人が、素敵な病院を紹介されて行ったらホテルのように設備が整い、ホテルのように医療従事者が振る舞っていると言っていた。そしてその設立者を見たら、有名な警備会社だったらしい。あの規制緩和という錦の御旗でかなったのは、大金持ちが大金をもっと手にする手段をなりふり構わず手にすることが出来たって事だ。富には限りがあるから、一部の人に集中すれば多くの人が失うに決まっている。人間を使い捨てにするシステムを作った輩の満面の笑みが想像できる。してやったりなのだろう。
 悲しすぎないのか。憤怒は焼けたテントを破るのか。憤怒は錆びたシャッターを風に揺らすのか。憤怒は通りを凍らせやり場のない喪失感を傾いた電柱につるすのか。使い捨てにされた魂が、側溝を行列のように流れていく。


2008年12月09日(Tue)▲ページの先頭へ
端くれ
 薬局には毎日沢山の情報が色々なルートを経由して入ってくるが、その多くは希望に溢れるものだ。最先端の研究成果が毎日伝えられる。地道な研究を多くの学者がしているのが分かる。決して目立つ存在ではないが、着実に堅実に英知を結集して成果を上げているのだと思う。華々しい世界の堕落ぶりにうんざりしているから、このような対称に位置する人達の努力が神々しく見える。
 今日読んだ文章の中に、生きた癌だけ光らすことが出来る技術を開発したというのを見つけた。思わずすごいと口に出したが、開発したのが東京大学の薬学の准教授だと言うことが分かり余計嬉しくなった。僕も薬剤師のメチャクチャ端くれだから、同じ薬剤師がこんなすごいことをやってのけたのには誇りを感じる。真面目でセンスに富んだ人なのだろうが、薬学を目指す人達の希望になるだろう。僕を知った人が薬学を選択肢からはずすのとは格段の差がある。詳細はどうせこうして書いてる僕自身が分からないのだから省くが「小さな癌を見過ごさずに切除できるので、誰もが名医になれるだろう」と結んでいる浦野泰照准教授の言葉が圧巻だ。近い将来、オレが名医にしてやったと言える日が来るのだろう。
 ノーベル賞受賞で一躍、基礎科学が脚光を浴びたが、マスコミはその中の特異な言動にだけ注目して、結局はネタにして終わりだ。特異な人の特異な言動の中に真実があるが、そこから発展させる意志も力もない。どれだけ多くの人がどれだけ努力をしているのだろう。そして与えられるべき報酬を得ているのだろうかと不安になる。薄っぺらな報道に電波も萎える。


2008年12月08日(Mon)▲ページの先頭へ
疲労
 日曜日にまずやることは、ギターの調弦。毎週フィリピン人のコーラスの伴奏するために1週間緩めておいた弦を張る。大したギターではないと思っていたので弦を張りっぱなしにしておいたが、鍼の先生が昔のギターは価値があるから大切に扱うように教えてくれたので一応助言に従っている。
 昨日の朝もまず最初の作業としていつものように弦を張り始めた。すると、3弦と4弦が立て続けに切れた。弦が切れるときは金属だから結構いやな音がして、一瞬びっくりする。それが立て続けだから2度びっくりした事になる。そして2本がほとんど時を同じくして切れたことそれ自身にもっと驚いた。何かいやなことが今日はあると、ミーハー的な会話を妻と交わした。なんやらの泉かなんやらの水たまりか知らないが、およそその世界だ。
 と言ってもそんなこと家を出る前にはすでに忘れていた。昼過ぎにあるところで用事を済ませた。いつもなら狭い駐車場に10数台びっしり詰め込まれているのだが、その時間はみんなが帰っていて、僕の車と居残りの人の車2台だけだった。10数台の車が入る広さに車3台だから余裕の空間があった。帰るためにその広い場所で僕はゆっくりとハンドルを回して出ていこうとした。何となく居残りの車と近いなと思いながらゆっくり動かしていたら助手席に乗っていた若い女性があたっていると教えてくれた。衝撃がないからぶつかっているのではなく、押しているような感覚だった。何となくそんな感じも車体から伝わってきた。降りてみるとやはり居残りの車の前部の塗装がはげていた。僕は車には全く興味がないので、塗装がはげているだけだからなんでもないと思ってしまうのだが、好きな人はメチャクチャ好きだから、勝手な判断は出来ない。すぐ持ち主を連れてきてみてもらった。
 虫の知らせにしては寒すぎた一日だった。虫もどこかに潜んでないと凍死するだろう。犬を連れて朝歩いたら雨上がりの水たまりが凍っていた。休日だから緊張感がさすがにないのだろうが、今思えば蓄積した疲労感を仕事でごまかしていたように思う。その後うつらうつらとして身体から疲労を追い出すのにかなりの時間を要した。偶然の背後にもこんなありふれた単純な日常が横たわっている。人の目を正面から見ることが出来ないような人間が、何かが見えると視線を逸らす仕草が視聴率を稼ぐ。日常のたちの悪い茶番。


2008年12月07日(Sun)▲ページの先頭へ
浜辺
 ある晩、男が夢をみていた。夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、悲しいときに起きているのだった。すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか」神は答えられた。「わが子よ。私の大切な子供よ。私はあなたを愛している。私はあなたを見捨てはしない。あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ」
 
 余り理解できないまま、何となくなってしまったクリスチャンだから、偉そうに言える教義なんて全く知らない。勉強会の7割方は居眠りをしていた。僕みたいな不出来の人間のために宗教はあるらしいから、その寛容さに感謝する。ただ最近何となく感じてきたことがある。仏教にしても、イスラム教にしても、勿論キリスト教にしても恐らく仏様や、神は善の固まりなのだ。人間が到底到達できない高さに位置する高度な善の固まりなのだ。それは目指すものかもしれないし、逆に諦めるものかもしれないし、畏敬の念で接するものかもしれないし、親しみを込めて接するものなのかもしれない。ただその固まりが、時々俄然顔を出してくれるのだ。不意打ちを食らってちょっとだけ立ち止まらせてくれるのだ。少しは人の役に立って見ろとささやいてくれるのだ。謙遜であれとささやいてくれるのだ。
 誰が僕のためにささやいてなんかくれるだろう。誰が僕を背負って歩いてくれるだろう。                       


2008年12月06日(Sat)▲ページの先頭へ
氷点下
 ある中年女性が、薬が出来るのを待っている間に、ため息をつきながら暗い表情で一言漏らした。「大変な時代ですね」と。何を想定して言った言葉か分からなかったが、何となく大変は大変だろうなと思ったので安易に同調していた。ヤマト薬局のコーヒーをとても気に入ってくれている女性で自分でつくりながらその「大変」の内容を教えてくれた。
 なんでも、彼女が働いている地場産業に高校を卒業したばかりの人が入ってきたというのだ。考えられないことだと言うのだ。なるほど、彼女の職場を僕は良く知っているが、100人近い従業員の中に、若い女性はまずいない。勿論男性の正社員はいるが、ほとんどが、おばちゃん達、いやおばあちゃん達で小遣い稼ぎと外部からは見られている。好きな時出て、好きな時帰っている。年金の不足分や孫の小遣いを稼いでいるのがまず多くの人の働く理由だろう。自分たちと同じ職に若い女性が就くとは考えられないと言うのだ。
 なるほどこれは大変だ。大変すぎる。外国と偉いさん達のためにだけに働いた男が政治をやっていた頃から想像はついていたが、当時訳も分からずはやし立てていた人達も今になって「首切られまくり」状態に甘んじている。そのしわ寄せが若い人達にも及んでいるのだろう。これからの人達に、これからがない。この世は恵まれた人間だけのものなのか。抵抗の手段を持たない人達は住みかも追われ寒空の下で朝を待つ。その朝に希望があるのか。ただ太陽が少しばかり気温を上げてくれるだけではないのか。
 いつからこの国の人達はこんなに従順になったのだろうと思うが、長い間それなりに満足して暮らしていたのだろうなとも思う。その間、価値観は経済に乗っ取られ、善悪は二の次になった。満足は経済で保証され精神の枯渇は財布の中で隠蔽されていた。貯蓄の大半を持つ老人達が、子や孫をこの状態に導いた。金で買われた世代が金で捨てられる世代を作った。
 氷点下は血も心も凍らせる。必ずやってくる朝に吐く息もない。


2008年12月05日(Fri)▲ページの先頭へ
マザーテレサの言葉
“あなたの中の最良のものを” マザー・テレサの言葉より

人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行なうと、利己的な目的で それをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行ないなさい。
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく、正直で、誠実であり続けなさい 。
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい 。
あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。
蹴り返されるかも知れません。 でも気にすることなく、 最良のものを与え続けなさい。

自分への執着を捨てることが出来たら、ここまで強くなれるのかと、この言葉に接して圧倒された。所詮普通の人間がいくら気張っても、圧倒的な金持ちにも権力者にもなれないのだったら、とっとと価値観を転換すればいいのだ。自分に向ける関心などどうせ実りはしないのだから、せめて人様の役に立てるよう無になって進めばいい。人の目なんかどうでもいい。小さな善を重ねる方が、余程貯金通帳より価値がある。人を家畜のように師走の街に放り出す事が出来る偉い人達には分からないだろうが。


2008年12月04日(Thu)▲ページの先頭へ
評価
 あるおじいさんは、医院にかかったら必ず処方箋を当方に持ってくる。当方はいわゆる医院の前で小さな建物を建てて営業する門前薬局ではないので、その医院にあわせた薬は常備していない。必ずしも処方箋と引き替えに薬を渡せるとは限らずに、当日、あるいは翌日に渡すこともしばしばだ。向こうも不便だろうし、当方も気が引けるのだが、がんとして持ってくる。今日何かの話のきっかけでその謎が解けた。
 医院と薬局が持ちつ持たれつのように見えるので、余分な薬を飲まされるような気がするというのだ。高校の英語の教師だったその老人は、今でもとてもしっかりしていて、自分の健康にはかなり気を使っている。先生を辞めてから農業を覚え、今では立派な果物や野菜を作る。無農薬で作るから、しばしば頂いても安心して食べられる。そんなこだわりの方が、余分な薬を飲むことはあり得ない。必ず吟味して服用する。息がかかっていない薬局に処方箋を持って行かれることが分かったら、無駄な薬を出されまいと思っているのだ。いわば自己防衛しているのだ。
 実際にそんなことがあるのと尋ねたら「ちょっと鼻が詰まったと言っただけなのに、もう薬が出ていた。独り言も言えない」と教えてくれた。ここは評価が別れるところで、それだからありがたがる患者さんもいるだろうし、老人みたいにうさんくさく思う患者さんもいるだろう。何事も一律とは行かない。自分の価値観に沿うところを見つけるしかない。こちらとしては見つけてもらうしかない。
 大学を卒業して、行き先を失うように帰ってきた田舎だが、時代が変わったのか、自分が変わったのか分からないが、このたおやかな風以外に僕を飛ばし続ける風が吹くところはなかったと今ではこの地に感謝している。


2008年12月03日(Wed)▲ページの先頭へ
防波堤
 心も肉体も限界まで耐えると悲鳴を上げる。悲鳴を上げれる人は幸いで命拾いをする。悲鳴が鬱々とした心か、食べれないか、寝れないか、あるいは極度の疲労か、あるいはそれらの複合か分からないが、結局は命を守られている。命を守られている反応で、命を粗末にするなんて事も多いが矛盾も甚だしい。ただ、ある日突然当事者になったとき、それらの理性は働かない。出来るだけ誰かに頼って、客観的な判断をしてもらい、頼ってみるのがいい。そうすれば、付き物がとれたようにスッと嘗ての自分に帰れる。
 漢方薬って不思議だ。特に僕が去年の夏心身共にばてて気を患ったときに自分のために考えた処方で多くの人の役に立てている。気を治すのに身体の薬を使い、身体の薬を治すのに気の薬を使った。どちらもが切っても切れない関係で僕を支えてくれていることが分かる。
 絶対治って欲しい人の笑顔が見れた。何でこんなに苦しまなければならないのかと初めて相談を受けたとき辛かった。でもまるで1年前の僕そのものではないか。きっと、僕が飲んだ漢方薬で治ってもらえると思った。人には治る力が驚くほど備わっているのだ。それを補ってやれば自然と不調は矯正される。
 恐らく元々控えめな方なのだろうが、ニコッとして帰られたのを見て家族で喜んだ。治療にえこひいきがあってはいけないが、より悲しい人が復活していくのを目撃できるのはこの上ない喜びで、その日の薬局の中が輝く。僕らの力ではこの輝きは点灯できない。喜びのスイッチを押してくれるのは、縁あってやってきて下さる人達なのだ。丁度そのとき宣伝会社から、広告の勧誘の電話があった。常連のカリスマ薬局2件の名前を挙げてお宅もと勧誘してきたが、その名前を聞いただけで断った。こんな日常の喜びを白々しい広告で失いたくない。僕はまだ気恥ずかしいという防波堤を持っている。荒波を防ぐ防波堤ではなく、自分が崩れていくのを守る防波堤を。


2008年12月02日(Tue)▲ページの先頭へ
めんどくせい
最初は、遠くで少年同志が話しているように聞こえた。そのうち声が少し近づいてきて、話していると言うより呼びかけているように感じた。自転車にでも乗っているのだろうか、声が近づくのが意外と早くて僕が歩いる空き地にかなり近づいてきた。県道には街灯が一つだけついているので、その下を通ったときは誰だか分かるかもしれないと思い目を凝らしてみたが、誰も通ったような気配がない。もっとも空き地から見えるとしても一瞬だから、見えても誰だか分からないだろう。声の主は、はっきりと大きな声で「めんどくせい」と叫んでいた。大人になりきっていない、あたかも変声期の少年が出にくい声で懸命に叫んでいるかのように聞こえた。「めんどくせい」「めんどくせい」と、通り過ぎるまでの1,2分の間に10回くらいは叫んでいただろうか。
 どのくらいの年齢の子かわからないが、余程めんどくさいことがあったのだろう。誰に向かって叫んでいるのか分からないが、夜空に届くわけでもないだろう。叫ぶことで全部吐き出して、スッキリとした頭と心で又玄関をくぐれたらいいのにと同情する。少年が叫んでいた次の日から中学校で期末試験が始まる。もしかしたら中学生かもしれない。親に勉強を強要されて叫んでいたのか、あるいはもう少し年上の少年が、受験勉強から逃れて家を飛びだしたのか、あるいは何か用事を頼まれて断るに断れなくてプレッシャーになっている少年か。
 たった一言を町中に聞こえるような声で繰り返し叫んでいた少年に何があったのか想像の域を出ないが、何か重くのしかかっているものがあるのだろう。それが他者や自分の破壊に繋がらなければと思うし、又僕自身にもそう言った頃があったのだろうとも思った。偶然傷つけることなく混乱の青春前期をやり過ごすことが出来たが、そこで躓く少年達も多い。親の望む型枠に強引に誘導され、拝金主義がはびこる社会が望む歯車になるのだったら、今の全ては「めんどくせえ」創造的な自由がないなら、自虐的な自由に身をさらす。努力の先が見えているなら、努力の先が使い捨てなら今から「めんどくせい」夢は見るものではなく、諦めるものなら今この瞬間も「めんどくせい」
 夜道を叫びながら自転車を漕いでいた少年の一寸先を照らすたった一つの外灯も「めんどくせい」と魂が切れかけていた。


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